戦前日本のツーリズムに関する一考察 ―奈良県を事例として― 教科・領域教育専攻 社会系コース 長濱 隆太 はじめに 「大衆文イ口のーつとされるツーリズムは、 十五年戦争の開始に伴う戦時体制への移行の中 で、統制の対象となり、衰退していったと認職 されているのが現状である。研究史から、戦時 期の文化の特質や性格を再検討し、また、戦時 期のツーリズムを戦時体制や社会状況の中で位 置付ける必要があると考えた。 本研究では、戦前日本のツーリズムを、単如寺 体制や社会状況の中で位置づけ直し、戦時期特 有の特質や陛格を、奈良県を事例として明らか にすることを目的とする。 第―章 戦前日本におけるツーリズムの歴史 的特徴 第一章では、戦前日本のツーリズムの歴史的 特徴について、三つに時期区分して検討した。 まず、1920 年代までは、ツーリズムの社会的条 件・基盤が整備されていく時代であった。具体 的には、鉄道による交通網の整備や全国的な旅 行組織の誕生などがあげられる。 1930 年頃から日中戦争開始以前の時期は、 1920 年代の事業をもとにして、さらに発展を遂 げていく。その特徴は、国家の側が観光事業を 国策とし、経済振興をねらいとした結果、ツー リズムに積極的に介入していったことである。 国家(鉄道省)は多くの旅客を運ぶため、様々 な事業を行い、またその際、旅行斡旋機関や旅 指導教員 町田 哲 行雑誌が、国民に旅行を勧め、啓蒙する役割を 果たした。他方で、同時期に、政治とツーリズ ムが結びつき、軍港の観光地化や建国神話に関 する地域が脚光を浴び、またハイキングや徒歩 旅行などが流行していた。 しかし、日中戦争開始をーつの画期として、 国家の側が当時の国策的課題をi勤飼つぐく、ツ ーリズムに新たな意義を付与した。つまり、総 力戦体制の一環である、国民精神総動員う動(精 動う聾I])の影響を受けた「国民精神」育成のツ ーリズムと、厚生う鋤の影響を受けた「体位向 上」のツーリズムが奨励された。これは、以前 の政治と結びついたツーリズムとは異なり、国 家がツーリズムを国策と結合させ、当時の課題 をi拘戎しようとした結果であると考える。これ らは、戦時期特有のツーリズムの形態のーつで あり、国家の意図が明確に反映されたものであ った。また、これによりツーリズムは、日中戦 争開始後においても統制の文」象とならず、国に 「公認」されたことによって、むしろ拡大した 側面をもっていたことが明らかになった。 第二章 戦前の奈良県のツーリズムの提唱論 理ト哉時期の観光誘致の視点を中心に一 第二章では、「国民精神」育成のツーリズムが、 戦時期において、具体的に、どのような論理に 基づいて提唱されていたカ、奈良県を事例とし て分析した。奈良県では、1890 年頃より鉄道が - 217 -
発達し、1930 年頃までには大阪や京都など、周 辺の主要都市と結ばれ、移動が容易になった。 また、同時期に近代天皇制の確立を目指す政府 による「御物・国宝体制」の成立によって、社 寺や「史跡」は文化財とされ、保存・顕彰の対 象となり、後に県内の主要観光地となった。 これらを勘登として、1930 年頃より、奈良県 では観光政策が盛んになり、中でも奈良市では、 いち早く観光機関が設立された。奈良市の観光 機関は、観光を宣伝するにあたって、奈良への 旅行が歴史教育や「国体認識」の育成に役立つ と理由づけた。その際に、奈良のもつ文化財が 実物教材としての役割を果たすとし、次世代の 国民の教育に最適な場所と訴えた。 日中戦争開始後は、県での観光機関が設立さ れ、奈良観光の宣伝に一層拍車をかけた。そこ では、奈良観光を“特別な観光”と位置づけ、 「観光」の定義を、単なる物見遊山ではなく、 文化財などを見て国の歴史などを学ぶこととし た。その上で、奈良県は日本発祥からの貴重な 文化財が多い為、奈良観光は、本来の「観光」 を全うできる特別な地と謳っている。また、こ の時期は、「紀元二千六百年記念事業」の影響も 相まって、「建国の聖地」「建元発祥の地」とい うように、神武天皇即位の「聖地」として、‘創 られた歴史”が宣伝のスローガンに用いられて 強調された。他方で、県が観光事業を積極的に 推奨したのは、観光による経済振興が意図され ていたことが指摘できる。 第三章 「国民精神」育成のツーリズムの具体 的分析L准原神宮を中心として―-第三章では、政府により‘創られた歴史’’を もとに創建された橿原神宮を中心に、「国民精神」 育成と経済振興を目指す重I】向を、国家や県、地 域などそれぞれの主張と利害にもとづきながら 分析した。橿原神宮は、地域の側の顕彰i動と、 「万世一系」の系譜をもつ天皇の始祖とされる 神武天皇を祀り、近代天皇制の確立l牙リ用しよ うとした、国家の側の思惑が組み込まれて創建 された。 1931年頃になると、「非常時」の中、国内で 「紀元二千六百年」にむけてこれを祝う風朝が 高まり、国家や県が記念事業へと動き出した。 「紀元二千六百年記念事業」は、日本の唯一無 比の「万世一系」「皇統連綿」の国体を示し、国 内外にむけて日本の偉大さを示すものと認識さ れていた その際には、神武天皇の功績や偉業 が主に利揚の対象になった。この動きに対して 地域の側は、経済振興の一助として、この事業 を推進した。 「紀元二千六百年記念事業」は、政府による 国の歴史を称揚する動きのピークであった。 日 中戦争開始後は、精動う馴]とも結び七)き「国民 精神」育成のための事業と位置付けられた。橿 原神宮はこの事業の中心的役割を担い、奈良県 では最も脚光を浴び、“聖地”として宣伝された。 おわりに 本研究では、1937 年の日中戦争開始による総 力戦体制への移行を契機に、「大衆文化」が「国 民文化」へと転換していくプロセスを、ツーリ ズムの側面から検証できた。また、本研究で中 心に扱った「国民精神」育成のツーリズムにお いて、観光文像となった文化財は、旅行を通し て国民に歴史意識を植え付ける装置として機能 した点が指摘できる。こうした中で、奈良県の ように、歴史意識の浸透を観光宣伝のスローガ ンに用いて、経済振興を目指す働向も存在して いた点が、考察を通して明らかになった。 一218