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雑誌名 国立民族学博物館研究報告

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韓国博物館史における表象の政治人類学 : 植民地 主義,民族主義,そして展望としてのグローバリズ

著者 全 京秀

雑誌名 国立民族学博物館研究報告

巻 24

号 2

ページ 247‑290

発行年 1999‑12‑06

URL http://doi.org/10.15021/00004102

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韓 国博物館史におけ る表象の政 治人類学

韓 国 博 物 館 史 に お け る表 象 の 政 治 人 類 学

一植民地主義,民 族主義,そ して展望 としてのグローバ リズムー

全 京 秀*

Representing Colonialism and Nationalism in the Korean Museum

Kyung-soo Chun

博 物 館 の 概 念 は 西 洋 に お け る 帝 国主 義 及 び 植 民 地 主 義 の拡 大 とい う脈 絡 とは 無 縁 で は あ りえな い 。 朝 鮮総 督 府 博 物 館 は1915年 に 朝 鮮 王 宮 跡 地 に創 設 され,

しか も博 物 館 の名 称 自体 が,植 民地 の民 族 に 対 す る支 配 を 明 白に示 して い た。

これ を 「植 民地 主義 博 物 館 」 と私 は 呼 びた い 。

前 者 と対 照 を な す 「民 族主 義 博 物 館 」 は,米 国軍 政 府 の 援 助 の も とで の独 立 と共 に,最 終 的 に 建 物 ・機構 と もに前 者 に取 っ て代 わ った 。 この 博 物 館 は1950 年 の朝 鮮 戦 争 の直 前 に ソ ウル の 人類 学 博 物 館 と合 併 した 。 この 意 味 で は この博 物 館 は,異 文 化 を展 示 す る とい う人類 学 的 内容 を も って い たわ け で あ る。

植 民 地 時 代 に は 民 族 を支 配 す るた め に,独 立 以 降 は 民 族 とそ の政 府 に と って, 古 くか らの 由来 や 文 化 的 価値,そ して政 治 的 正 統 性 を提 示 す る こ とで,博 物 館 は 少 な くと も植 民 地 主 義 的 利益 と民 族 主 義 的 利 益 の ため に 尽 くして きた の で あ

る。

21世 紀 に は グ ローバ リズ ム とい うキ ー ワー ドが 世 界 の 中 で 我 が 国 の 博物 館 を 示 して い く主 要 な 課 題 とな るか も しれ な い。

The idea of a museum cannot be divorced from the context of Western imperialism and colonial expansionism. The Government- General Museum of Korea (Chosen Sotokufu Hakubutsukan) was es- tablished in 1915 on the site of the Korean Palace with even the name of the museum carrying overtly the meaning of domination over the people in the colony. This was the colonialist museum, as I like to call it.

The nationalist museum by contrast eventually replaced the former in terms of the building as well as organization with independence under

ソ ウル大 学 人 類 学 科

Key Words : Korea, museum, colonialism, nationalism, political anthropology キ ー ワ ー ド:韓 国,博 物 館,植 民 地主義,民族 主 義,政 治 人 類 学

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国立民族学博物館研究報告24巻2号

the auspices of the US military government. The museum incorporated the Museum of Anthropology in Seoul just before the Korean War of 1950. In this sense, between the colonialist era and the war the museum was carrying the content of anthropological ideas regarding other cul- tures.

Thus the museum has at least as often served colonialist as well as nationalist interests, providing evidence for the antiquity, cultural merit, and political legitimacy for ruling the people during colonial days as well as of a people and their government since independence.

In the 21st century, the key-word "globalism" could be the main issue in formulating our museums in the world.

1.序 理 論 と問 題 一 2.歴 史 の 隠蔽 と捏 造 の政 治 学

文化 の脱 脈 絡 化 3.開 拓 と植 民 の支 配 哲 学

文化 の再 脈 絡 化(1)

4.民 族 と国 家 の文 化 政 治 学 文化 の再 脈 絡 化(皿)

5.グ ロ ーバ ル化 と未 来 化 の博 物 館文 化 学 文 化 の 原 脈 絡 化

6.結 語一 一 新 しい博 物 館 の た め に

1.序

理論 と問題

文 化 とは,人 間 の 行 う絶 え 間 な き再 創 出(reinvention)の プ ロセ ス であ り,そ れ ゆ え伝 統 の再 創 出 が 可能 で あ る と同時 に,文 化 の強 制 的 な 変造 も可能 とな る。博 物 館 は 文 化 を再 創 出す る近 代 の強 力 な装 置 であ り,そ れ ゆ>x博 物 館 を 舞 台 と した文 化 的 プ ロ セ ス(culturalprocess)一 文 化 を 再創 出す る プ ロセ スー を跡 づ け る こ とは,博 物 館研 究 に とど ま らず,人 類 学 的 な文 化理 論 に対 して も,寄 与 す る と ころが 大 きい で あ ろ う。

文 化 は また 記 憶 の 蓄 積 で あ り,そ れ を 参照 しな いか ぎ り,文 化 は そ の全 貌 を顕 わ さ な い。 個 人 の行 動 を 記憶 の累 積 に関 連 させ て解 釈 す る こ とは,文 化理 論 を きわ め て心 理学 的 な還 元 論 へ と導 く可 能 性 が あ るが,こ の観 点 に 依 拠 せ ず に は,社 会 的 な 広 が り を も った文 化 的 プ ロセ ス の理 解 が 困難 で あ る こ とは明 らか で あ る。諸 個 人 の実 践 は, 彼 らが属 してい る集 団 の歴 史(つ ま り集 合記 憶 の累 積)へ と,ま た適 応 を通 して 周 囲 の 自然環 境 へ と,脈 絡 化(COnteXtUaliZe)さ れ て い る。 そ れ ゆ え に こそ,文 化 を再 創 出 す る実 践 は,文 化 的 プ ロセ ス の記 憶(つ ま り歴 史)を も再 創 出 しよ うとす る。 そ れ

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全  韓国博物館史における表象の政治人類学

で は,こ の よ うな 文 化 的 歴 史 の再 創 出 は,ど の よ うな脈 絡(context)で 行 わ れ る の で あ ろ うか 。博 物 館 が 国 民 史 に 関 わ る文 化 表 象 を 提 示 す る そ の プ ロセ スを 考 察 し よ う とす る最 大 の 課題 は,こ の脈絡 を 明 らか にす こ とに あ る。

  「博 物 館 とは,そ れ を 管 理 す る国 家 の集 合 記 憶(collective memory)と 密 接 に 関連 して い る制 度 で あ る 」(Zolberg 1996:76)。 記 憶 の な か に は,互 い にぶ つ か り合 うも の も あ り,忘 れ て しまい た い もの もあ り,過 度 に 強 調 して誇 示 した い も の もあ る。本 質 的 に異 な った記 憶 の数 々は,博 物 館 とい う一 つ の 空 間 の な か で,十 分 に競 争 関 係 に おか れ うる。 どの記1意を 展 示 す る か とい う問 題 が ま さに 国家 の ヘ ゲ モ ニ ー と直 結 す る とい う フ ー コ ー(Foucault  l 977)の 論 理 が説 得 的 で あ る の は,事 実 と して,記ll意の 選 択 権 を 究 極 的 に は 国家 権 力 が握 って い るか らで あ る。

  私 の関 心 の 焦点 は文 化 表 象 の脈 絡 とい う問 題 に あ る。本 論 文 で は こ の観 点 か ら,韓 国 の博 物 館 に お け る文 化 的 プ ロセ ス の展 開 を 中 心 に,歴 史 的 な ア プ ローチ を 通 して, 韓 国社 会 に お け る博 物 館 現 象 を考 察 してみ た い 。韓 国社 会 に存 在 した,そ して 現 に存 在 して い る,博 物 館 とい う文化 現 象 を通 時 的 に 分 析 す る こ とは,韓 国社 会 の文 化 変動 に照 明を 当 て るのみ では なな い。 韓 国博 物 館 の経 験 を通 して,博 物 館 とい う制 度 が抱 え て い る本 質 的 な問 題 と,そ の問 題 解 決 につ い て,提 言 が可 能 だ と考 え る。博 物 館 は, 一 つ の 国家 社 会 の 「顔 」 であ り,博 物 館 が 提 示 す る文 化表 象 は,特 定 の社 会 に 特殊 な レベ ル で のみ な らず,文 化 の 普遍 的 な レベル に お い て も,一 つ の鏡 と して の役 割 を果 た す こ とが で き るはず で あ る。

  韓 国 にお け る博 物 館 の歴 史 的 展 開 を考 慮 しよ うとす る本 稿 で は,分 析 のた め の 操作 的 な枠 組 み と して,こ の展 開 を3段 階 に分 け,各 段 階 ご とに 時 代 的脈 絡 と関 連 させ て 分 析 す る努 力 を行 う。 博 物 館 は 日本植 民 地 時 代 に 植 民地 支 配 者 に よ って開 始 され,解 放 後 は そ れ に 対す る政 治 的 反 発 か ら民族 主i義的 な 展 開 が あ った 。 い ま ま さ に迎 え よ う

と して い る新 しい世 紀 へ の 期 待 は,博 物 館 に 対 して ま った く新 しい立 場 と役 割 を 要 求 して い る。 そ れ ゆ>x本 稿 の 議 論 に は,博 物 館 の 歴 史 的分 析 を基 盤 と して,将 来 に 向 け た 提 言 を 行 お うとす る意 図 も込 め られ て い る。

  以 上 を 踏 ま>xて,本 稿 は初 め に植 民 地 主 義 と結 合 した 文 化 の 脱 脈 絡化(decontextu‑

alization)と 再 脈 絡 化(recontextualization),次 に 民 族 主 義 と結 合 した文 化 の再 脈 絡 化,最 後 に将 来 の グ ロ ー・ミル化 時 代 を 指 向す る文 化 の 原脈 絡 化(proto‑contextualiza‑

tion)と い う枠 組 み を立 て る。 そ して,こ の枠 組 み に従 って 資 料 を 分 析 し,韓 国博 物 館 史 を 描 きだ そ う と した 結 果 が 本 稿 で あ る。20世 紀 とい う約1世 紀 の 間 に,韓 国 で な され て きた 博物 館 をめ ぐる言 説 を 組 み上 げ る こ とに よ って,今 後 に博 物 館 が 進 ん で い

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国立民族学博物館研究報告  24巻2号 くべ き方 向 に つ い て,一 ・つ の 提 言 を して み よ う と思 う。 グ ロ ー バ ル 化 と 未 来 化

(futurizaition)の 修 辞 学 を 具 体 的 に博 物 館 で どの よ うに 実践 と して展 開 させ る こ と が で き る のか 。 そ れ を め ぐる一 つ の試論 で もあ る。

  「民 族 的 アイ デ ンテ ィテ ィを 形 成 し うる の も,ま た抹 殺 す る力 とな りうる の も,ま さに 博 物 館 であ る。一 部 の人 々は これ を認 め よ うと しな いか った 。 それ だ け,博 物 館 は 明 らか に 政 治 的 で あ る」(Kaeppler  1994:21)。 博 物 館 は 権 力 や政 治 とは 関 係 の な い 存 在 で あ る とい う認 識 が,一 般 的 に は通 用 して い る。 しか し,博 物 館 の 内部 で は 強 力 な政 治 が作 用 して い る。 政 治 的 な場 と しての 博物 館 とい う性 格 を見 逃 す な らぽ,博 物 館 の本 質 を理 解 した こ とに は な らな い。 本稿 の論 議 は,博 物館 とい う制 度 が もつ さま ざ まな性 格 あ る い は レベ ル の な か で,主 に政 治的 な含 意 を 中 心 に 限定 して い る こ とを は じめ に断 ってお く。

2.歴 史 の隠 蔽 と捏 造 の政 治学

文化の脱脈絡化

  歴 史 を 消 した り,変 え た りす る こ とが で き る と信 じて い る人hが,歴 史 を思 うま ま に して きた 事 例 は 数 多 い。 植 民 地 主 義的,帝 国主 義 的 な侵 略 の過程 に は,集 合 記 憶 を 操 作 す る とい う実験 が大 規 模 に 行 われ た 歴 史 が あ る。 そ の よ うな操 作 や 侵 略 の 過 程 か ら蓄 積 され た 記憶 と して の文 化 は,ま た 別 の 方 向 の脈 絡 化 を 経験 す る こ とにな る。 こ の プ ロセ ス を 考 え る のが 文 化 変動 で あ る。 そ して,文 化 の担 い手 の経 験 とは ま った く 関 係 の な い 集 団 が,侵 略 と支 配 の 目的 で現 地 の 人 々 の文 化 を脱 脈 絡 化 す る こ とを 文 化 植 民地 主 義 ま た は文 化 帝 国 主 義 と呼 んで きた 。博 物 館,と くに植 民 地 や 第 三世 界 で建 設 され て き た博 物 館 が,こ の よ うな文 化 植 民 地主 義 と切 って も切 れ ない 関 係 に あ る こ

とは歴 史 的 事 実 で あ る。

  記 憶 を変 造 す る方 法 は さ ま ざま であ る。個 人 を洗 脳 す るた め に緻 密 な技 術 が動 員 さ れ る こ とも あ り,集 団 を 対象 とす る操 作 と隠蔽 の方 法 もあ る。 文 化 表 象 の操 作 と隠蔽 は究 極 的 には 集 団 の 洗脳 で あ る。 政 治 的 支配 は,洗 脳 と操 作,そ して 隠蔽 とい うプ ロ セ スを 通 して,記 憶 を支 配 し よ うとす る 。他 人 の記憶 を支 配 す るな らぽ ,そ れ は完壁 な文 化 的 支 配 にな り,そ れ と同時 に政 治 的 ヘ ゲ モ ニ ーを掌 握 す る とい うわ け で あ る。

以 上 の よ うな 一一連 の プ ロセ スを 記憶 の政 治 学(memory  politics)と 名 付 け た い。

  武 断 政 治 か ら始 ま った 日本 帝 国 主義 の朝 鮮 に対 す る植 民 地 支 配 は,経 済 的 搾 取 に続 いて文 化 的 支 配 へ と,当 然 の 展 開 で あ るか の ご と くに展 開 して い った。 そ して 私 は, そ の始 ま りが まさ に博 物 館 の 出 現 に あ った と考 え て い る。 武 断 的 な統 治 の限 界 は 三 ・

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全  韓国博物館史 におけ る表象の政 治人類学

一運 動 に よ って知 られ る ところ で あ り,そ の対策 として文化的 レベルでの統治が強化 され た とい うの が通 説 で あ る。 しか し,武 断 統 治 の過 程 で もす で に文 化 統 治 の手 段 が 用 い られ てい た こ とは,博 物 館 の 出現 が 裏 付 け て い る と主 張 す る こ とが 可能 で あ る。

  日本 の植 民 地 統 治 の初 期 段 階 か ら,武 断 統 治 と とも に文 化 統 治 が始 ま った とい う解 釈 が よ り現 実 的 で は なか ろ うか 。武 断政 治 か ら文 化 政 治 へ の 転 換 は,機 械 的 に 区分 し

うる政 治 体 制 の転 換 で は な く,三 ・一 運 動 以 後 に文 化 政 治 が 強 化 され た とい う方 向 で 解 釈 した い とい うの が,私 の 立場 で あ る。 武 断 政 治 と文 化 政 治 が時 期 ご とに 区別 して 行 わ れ て いた とい う解 釈 には 無理 が あ り,時 期 ご との 特 殊 な 状 況 に した が って,い ず れ の部 分 が よ り強化 され てい た の か とい う観 点 で,植 民 地 の 統 治政 策 を検討 して い く べ きで あ る と考 え る。

  日本帝 国主 義 の朝 鮮 に対 す る文化 的支 配 は,内 鮮 一 体 論 と停 滞 性論 を論 理 の二 本 柱 と して い た。 これ はす で に学 界 で検 証 が 終 わ って い る と ころ で あ る。 それ を物 質 的 な 証拠 に よって 提示 し,そ の論 理 を 深化 させ よ う と試 み た の が,1915年 に登場 した朝 鮮 総 督 府 博 物 館 で あ る と考 え る。

  「朝 鮮 総 督 府博 物 館 は,1915年 に景 福 宮 内 で催 され た 総 督 府 始政 五 周 年記 念物 産 共 進 会 の 終 了後,そ の 美 術 館 を 〈本館 〉 に して12月1日 に 開 館 した 。(中 略)洋 風 の二 階造 りで あ るが,(中 略)初 め か ら館 蔵 品 を 収 容 で きな か った。 そ こで 〈本 館 〉 に は 主 要 陳 列 品 を 展示 す るに と どめ,〈 事 務 室 〉 に は慈 慶 殿 とい う景福 宮 遺 存 の朝 鮮 式 居 殿 を あ て た。 景 福宮 の正 殿 で あ った勤 政 殿 の背 後(北)に 並 ぶ 思政 殿 ・萬春 殿 ・千 秋 殿 と回廊 は倉 庫 に転 用 され,修 政 殿 は大 谷 光 端 師 ら西 域 探 検 隊 の 収集 品 の 展示 場 な っ

て い た。 大 宴 会場 で あ った重 層 の慶 会 楼 も朝 鮮 各地 か ら搬 入 の 石造 の塔 ・碑 ・灯 を並 べ た 殿 堂 跡 も観 覧 区 域 内 に含 まれ,博 物 館 の 敷 地 は す こぶ る広 大 で あ った 。(中 略) 当 時 の朝 鮮 総 督府 博 物 館 は① 博 物 館 の経 営,② 朝 鮮 各 地 で 発 見 され る埋 蔵 文化 財 の処 理,③ 古蹟 お よび 古建 築 物 の修 理保 存,④ 朝 鮮 宝 物 古 蹟 名 勝 天 然 記念 物 保存 令 に よ る 指 定 な どの業 務 を あわ せ 行 な って い た。 これ だ け の仕 事 を 約10名 の館 員 で 処理 して い た(中 略)行 政 機 構 上 は 学 務 局 社 会 教 育 課 の 係 の一 つ にす ぎ な か った 」(有 光1997:

178‑179)。 朝 鮮 王 朝 の宮 殿 であ る景福 宮 で物 産 共 進 会 を開 催 す る とい う発 想 自体 が植 民 地 支配 者 の認 識 で あ り,そ の認 識 は経 済 的 な搾 取 に よって 始 め て可 能 で あ った 。皇 室 の 中心 であ る宮殿 を,収 集 して きた遺 物 の倉 庫 と して使 用 した こ とは,さ らな る支 配 と統 治 の論 理 に よ って可 能 であ った とい え る。 立 場 をか え て,京 都 の御所 を博 覧会 場専 用 に使 い,そ こを博 物 館 の遺 物 倉庫 にす る と主張 した ら,果 た してそ の よ うな発 想 や 主張 は 日本 国 内 で可 能 だ った ろ うか。

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      国立民族学博物館研究報告  24巻2号   植 民 地 の 各地 か ら集 め た 遺 物 は,す で に収 集 され る段 階 で 本籍 地 か ら引 き離 され た 。

この行 為 が 進 ん で い く間 に も,文 化 財 の意 味 は大 幅 に変 化 させ られ て い る。 こ うして 意 味 を 変 化 させ られ た 文 化 財 を 保 管 す る ため の倉 庫 と して,宮 殿 を使 用 す る こ とは,

あ る意 味 で 象徴 的 行 為 で あ る。 朝 鮮 の地 方 にあ った歴 史 的 な 遺 物 と宮 殿 とい う,互 い に全 く異 な る意 味 を もつ 対 象 物 を,象 徴 過 程 で競争 させ る構 図 を つ く った の で あ る。

  朝 鮮 王朝 の統 治 時 代 に 地方 で きち ん と保 管 され な か った 遺 物 を,日 本 の植 民地 政 府 が きち ん と保 管 す るた め に,も っ と も安 全 な 宮殿 に祀 りあ げ る とい う論理 が立 て られ た 。 支配 と被 支 配 の様 相 が変 化 して しま った植 民 地 の状 況 で,新 た な支 配 者 が,過 去 の支配 者 か ら支 配 を受 け て い た対 象 物 を救 済 す る とい う,脈 絡 の再 構 成 が 生起 した の で あ る。 植 民 地統 治 の一 環 と して の文 化 事業 が宮 殿 を 博 物館 に利 用 した の は,支 配 の 論理 に立 脚 した もの で あ る。

  日本 の本 国 で は 思 い もつ か なか った 王 陵 の発 掘 を 植 民 地 で盛 ん に行 った。 朝 鮮 古 代 文 化 を研 究 す る名 目で考 古 学 の実 験 の場,す なわ ち発 掘 の練 習 場 と して利 用 した の で あ る。 日韓 両 国 間 の古 代 文 化 が 密 接 な 関 係 を もって い るため,日 本 で で き な い大 規模 な王 陵 の発 掘 を朝 鮮 半 島 で実 施 す る こ とに よ って,学 問研 究 の代 替 効果 も狙 った の で あ る。

  博 物 館 とい う制 度 と建物 自体 が ま さに権 力 と支 配,そ して ヘ ゲ モ ニー の表 象 で あ る こ とは,韓 国 で最 初 に つ くられ た朝 鮮 総 督 府 博 物 館 と,そ れ が 建 設 され る進 行過 程 か らは っ き りと論 証 され る。博 物 館 に よる文 化 的 支配 を支 配 権 力 が 意 図 した のか,ま っ た く意 図 しなか った か に つ い て は,論 議 す る必 要 が な い。 な ぜ な ら,か りに 意 図 しな か った 実践 過 程 か らそ の よ うな結 果 が 生 まれ た の な ら,博 物 館 と支 配 権 力 との 関係 が ます ます 明 白に な るか らで あ る。 博 物 館 とい う制 度 は,存 在 それ 自体 と して政 治的 側 面 の 論 議 を避 け る こ とが で きな い と考 〉%.る。

  朝 鮮総 督 府 博物 館 の経 営 方 針 と具 体 的 な陳 列方 法 か ら,隠 蔽 と捏 造 の 陰 謀 を指 摘 す る こ とが で き る。 隠蔽 と捏 造 の手 段 は も と も と明示 的 な もの で は な く,隠 密 に行 うも の で あ り,表 面 は 美辞 麗 句 で飾 られ て い る。 しか し,そ の意 図す る ところ の本 質 は 隠 す こ とが で きな い。 万 一,隠 蔽 と捏 造 の プ ロセ ス を公 に さ らけだ して い れ ば,そ れ は 恐 喝 と脅 迫 に な る だ ろ う。

 総 督 府 博 物 館 の経 営 方 針 は,「 半 島古 来 の制 度,宗 教,美 術,工 芸,其 他歴 史 の徴 証参 考 とな るべ き ものを 集 め,半 島 民 族 の根 原 を 尋 ね て其 の民 族 性 を 明 に し,特 に 此 の地 に発 達 して来 た 工 芸 美 術 の 特 質 を調 査 して 広 く世 界 に紹 介 し,優 秀 な る芸 術 品 を 陳列 して新 た な る工 芸 美 術 の勃 興 に 資 せ ん と欲 す る もの で あ る。(中 略)国 民 の 自覚

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全  韓国博物館史における表象の政治人類学

心 の誘 導 に 努 め た い と心 掛 け て居 る」(博 物 館報 第1号,1926年4月,P.3.)。 植 民 地 支 配者 は,朝 鮮 文化 の精 粋 を工 芸 美術 とい う部 分 に縮 小 して局 限 させ よ う とす る意 図 を,排 除 す る こ とが で きな い 。 「国民 」 とは 「皇 国 臣 民 」 を 指 す 。 植 民 地 の 朝 鮮 人 を 日本 の 「天 皇 」 の臣民 にす る と同時 に,内 地 日本人 と同 じアイデンティ テ ィを もた せ る とい う 目的 が 明示 され て い る。

  陳列 室 の配 置 に も朝 鮮 半 島の歴 史 を縮 小 しよ うとす る意 図が は っき りと現れ てい る。

「第1室(中 央 広 間)仏 教 遺 物,第2室(東 下)三 国 時 代 お よび新 羅統 一 時 代,第3 室(西 下)高 麗 時 代 お よび李 朝 時 代,第4室(西 上)楽 浪 帯 方 時 代,第5室(廊 下) 特 殊 品 陳列,第6室(東 上)書 画 」。 この うち,と くに第5室 の特 殊 品陳 列 の内 容 は, 石 器,土 器,骨 角 器,石 剣,銅 剣,銅 鉾,前 漢 時 代銅 器,高 麗 時 代 青 銅鏡,朝 鮮 活 字 な どで あ る。 修 政 殿 に は,久 原房 之 助 の 寄贈 品 と京 都 西本 願 寺 法 主 の大 谷 光端 師 が 中 央 ア ジ ア で発 掘 した も の が 陳 列 され て い た(館 報1(1):14)。 日本 と同 じ時 代 と判 定 で き る旧石 器 や 新 石 器 時 代 の遺 物 を 含 む先 史 時 代 の 痕跡 と,日 本 列 島 よ り時 期 的 に 早 い もの と考>x..られ る青銅 器 と鉄 器 の遺 物,そ して世 界 的 に最 先 端 な歴 史 を 示 して い る活 字 とい った遺 物 を す べ て 一室 に混 ぜ あ わ せ て陳 列 して い る。 そ こに は,隠 蔽 の論 理 が 作 用 して い た のに 違 い な い。

  西 域 か ら も って きた 収 集 品 を 除 けば,陳 列 室 は朝 鮮 の歴 史 が三 国時 代 か ら始 ま った とす るイ メ ージ を 強制 す る も ので あ る。 朝 鮮 の歴 史 の始 ま りは,明 らか に先 史 時 代 の 遺 物 に よっ て証 拠 づ け られ て い た。 「半 島 民 族 の根 源 を 明 らか にす る」 とい う経営 方 針 に反 して,三 国 時代 以 前 の 遺 物 に特 別 の陳 列室 を用 意 しな か った の は,半 島 の 歴 史 を意 図 的 に 縮 小 し よ う とす る もの で あ った 。 この よ うな植 民地 主義 的 な博 物 館 の 意 図 に反 発 した 民族 主義 的 な博 物 館 の 最大 業 績 と され て い る もの が,先 史 時 代 の遺 物 の 発 掘,研 究,展 示 で あ る。 現 在 の国 立 中央 博 物 館 は過 去 の朝 鮮総 督 府 博 物 館 を 継 承 しな が らも,も っ と も画期 的 な改 革 を 行 った セ クシ ョソが こ の先 史 時代 の セ クシ ョ ンで あ り,こ の セ ク シ ョンの ため の研 究 者 を養 成 す るの に考 古 学 を 奨励 す る努 力が 集 中的 に 行わ れ た 。

  朝 鮮 総 督 府 以 外 に規 模 の大 き な博物 館 と して,1908年 に設 立 され た 李 王 家博 物 館(別 称,皇 室 博 物 館)が あ った 。 李 王 家博 物 館 は,「 朝 鮮 古 今 の 美 術,土 俗 品 等 一 萬 数 千 点 を蔵 し之 れ を 旧 昌慶 宮 の遺 趾 で あ る,朝 鮮 古 式 の宮 殿 建 物(明 政,景 春,歓 慶 通 明 の 各殿)及1911年 に築 造 せ る中 央高 台 の博 物 館 に陳 列 して 」(博 物 館研 究8(4):10) い る。 国を 失 わ せ た主 人 公 が骨 董 品 の 上 に あ ぐらを か い て い る よ うな構 図 で あ る。 総 督府 は廃 位 され た 王 室 を慰 撫 す る政 策 の一 環 と して 昌慶 宮 を苑 に 降 格 し,そ こに動 植

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国立民族学博物館研究報告  24巻2号 物 園 を 付 設 した。 骨 董 品 や 動植 物 で も鑑 賞 しな が ら幽 閉 され て過 ごせ とい う意 味 であ る。 そ の結 果,李 王 家 は 最 大 の 骨 董 品 所 有 者 とな った 。 「中央 高 台 」 の建 物 とは蔵 書 閣 であ る。 な お,こ こ で資料 源 と して参 照す る 『博 物 館 研 究 』 は,文 部 省 社会 教 育 局 内 にあ った 日本博 物 館 協 会 が発 行 した もの で あ る。

  「朝 鮮 の 古美 術 品 を収 集 陳列 せ る昌慶 苑 の李 王 家 博 物 館 は,そ の陳 列 館 が所 々 に分 在 して ゐ るた め 観 覧 上 不 便 少 か ら ざ るの み らず,(中 略)新 館 の建 築 を要 望(中 略) 1933年 徳 寿宮 が公 開 され て,同 宮 域 内 の石 造 殿 に 近 代 日本美 術 品 を 常 設 陳列(中 略) 徳 寿 宮 石 造 殿 に 隣 接 して,(中 略)1936年8月 建 築 工 事 に着 手 し,1938年3月 竣 工 を 見 た の で あ る。(中 略)徳 寿 宮 内の 石 造 殿 と この 新 館 を併 せ て 名 称 も李 王 家 美 術 館 と 改 め,(中 略)朝 鮮 古 美 術 品 の 集 大 成 と謂 ふ も過 言 で な く,同 時 に 石 造殿 に於 け る明 治 ・大 正 以来 現 代 日本美 術 の精 華 を観 覧 し得 るに 至 った こ とは 半 島 文 化 の啓 発 向上 に 資 す る こ と大 な る もの が あ る」(博 物 館 研 究11(7‑8):1)。 博 物 館 や 美 術 館 を 通 した 朝 鮮 王 家 と 日本 文化 の結 合 を 試 み た の であ る。 李 王 家美 術 館 とい う名称 の下 に 明治 と 大 正 の現 代 日本 美術 品 を展 示 す る こ とは,こ の美 術 館 固有 の 展 示 品 で あ る朝 鮮 古 美術

品 と 日本 現 代 美 術 品 を展 示 の う>xで結 合 させ よ う とす る試 み で あ り,観 覧 者 に 対 して も 内鮮 一 体 の 視覚 を もつ よ うに誘 導 す る意 図 を含 ん で い る。

  日本 帝 国主 義者 は,占 領軍 の平 定 した朝 鮮 の王 宮 で あ る景 福 宮 の一 部 を 壊 して,総 督 府 の 庁 舎 を建 て,そ の 一部 を総 督 府博 物 館 の 敷 地 に した 。1910年 に併 合 され 日本 の 植 民 地 とな った大 韓 帝 国(旧 朝 鮮)の 景福 宮 に,1915年 総督 府 博 物 館 が 建 て られ た。

植 民地 の 人民 に対 す る善 意 の政 策 を 標榜 し,植 民 地 化 と占領 を正 当化 す る手段 と して 博物 館 を利 用 した 事 例 で あ る。 支 配 者 で あ る王 を 排 除 し,そ の王 のか つ て の所 在 地 を 博物 館 にす る。 つ ま り,王 不 在 の 美 し き朝 鮮 を 描 く場 に変 換 す る ことに よ って,政 治 的支 配 を正 当化 しよ うと した の で あ る。 少 な くと も支 配者 の交 代 に よ って人 民 が 損 害 を 受 け る こ とは な い と い うこ とを知 ら しめ よ う とす る 高 度 な 政 治 的 意 図 が 隠 れ て い る。 そ れ が 植 民 地 と博 物 館 の相 関 関係 なの で あ る。

  韓 国 にお け る博 物 館 とい う制度 は,韓 国 に住 ん で い た人 々は そ れ が何 で あ るか も知 らな い ま ま,植 民地 支 配 者 に よ って始 め られ た 。韓 国 に おい て博 物 館 とい うも のが 最 初 か らベ ール に 包 まれ た ま まで登 場 し,そ れ を ベ ー ル に包 ん で 登 場 させ た 張 本 人 だ け が知 る こ との で き る存 在 と して始 め られ た の で あ る。

  朝 鮮 半 島 に 対 す る 日本 の経 済的 支 配 は す で に19世 紀 末 か ら始 ま った。 外 交 軍 事 的 支 配 は1905年 の 日韓 保 護 条 約 か ら始 ま り,1910年 の政 治 的 支 配 が 始 ま る と韓 国 は 日本 の 植 民 地 に な った。1915年 の総 督 府 博 物 館 は政 治 的 支 配 に続 い て登 場 した 文 化 的 支 配 と

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全  韓国博物館史における表象の政治人類学

い え る。 支 配 構 造 の完結 す る と ころ は文 化,す なわ ち 精神 的 な産 物 にあ った と思わ れ る。そ の よ うに 博物 館 は植 民地 的支 配 と密接 な 関 係 を もっ て韓 国で始 ま った ので あ る。

博 物 館 は文 化 的 支 配 の表 象 を盛 り込 ん で い る の であ る。

  隠 蔽 と捏 造 は,植 民地 で あ る朝鮮 半 島 内 だけ で進 め られ た の では な く,必 要 に よっ て は 朝鮮 半 島 の遺 物 を本 国 に幽 閉 させ た場 合 も あ った 。 い い か えれ ぽ 植 民 地 に建 設 さ れ た博 物 館 とい うもの は,よ り大 きな次 元 の植 民 地 支 配政 策 の延 長 線 上 で 現 れ た もの で あ る こ とが分 か る。支 配 のた め に見 せ なけ れ ぽ な らな い もの は,目 に 入 りやす い博 物 館 に展 示 す る と い う戦 略 を用 い,見 せ る こ とが 支 配 の邪 魔 に な り うる もの は,植 民 地 の 被支 配 者 の 目に触れ に くい 日本 の隅 に 幽閉 して し ま うとい う戦 略 を 用 い た の で あ る。

  日露 戦 争 後,東 京 に凱 旋 した 「三 好 後 備 第 二 師 団 長 が,先 般 北 韓 よ り凱 旋 の爾,東 京 迄持 還 られ た る朝 鮮土 産 に,一 基 の苔 蒸 た る石碑 あ り,(中 略)豊 太 閤征 韓 の際,(中 略)韓 人 挙 て(中 略)加 藤 清 正 を襲 撃 し,(中 略)撃 退 の紀 念 の為,一 の大 な る石 碑 を 建設(中 略)今 回 日露 の戦 ひ(中 略)池 田旅 団長 が 出征 の際,不 図該 石 碑 を 発 見 し, (中略)今 後 益 日韓 両 国 の間 柄 親 密和 熟 を 期 せ ざ るべ か らず,然 るに 彼 の 加藤 清 正 撃 退 の 紀 念 碑 を 永 存 す るが 如 きは,唯 両 国 間 の感 情 を害 す べ き素 因 た る に過 ぎず,(中 略)遂 に 之 を 撤 去 して,池 田 少 将 に譲 与 せ し よ り,(中 略)三 好 師 団長 凱 旋 の節 同師 団 長 に託 して,東 京 まで持 還 られ た る も のs由 な るが,右 は征 韓 の歴 史 上 に も参 考 に 供 す べ き好 紀 念 物 な れ ば とて,同 将 軍 よ り帝 室 に献 上 し奉 られ た る」(匿 名1906:

31)。 「陸 軍 省 よ り靖 国 神 社 境 内 遊 就館 に1)出 品 した る北 韓 大捷 碑 は,(中 略)同 館 裏 手 の 築 山 に建 設 中 な り(中 略)此 の碑 は韓 国駐 屯 軍 の 池 田少 将 が威 鏡 北 道 な る監 漠 駅 に 於 て発 見 した る もの に して,碑 面 に有 明朝 鮮 国威鏡 道壬 辰 義 兵 大 捷 碑 の 額字 及 び 中 訓 大平 守 掌 楽 院正 知 製 の文 字 あ り」(画 報 生1906:44)。

  これ は 日本 国 内 で喧伝 され た 根 強 い征 韓 論 に歴 史 的 な 正 当性 を保 証 す る資料 と して 利 用 す る意 図 が あ った。 つ ま り,そ の 内容 が 日本 軍 敗 戦 の記 録 で あ るが ゆ え に,こ の 歴 史 的事 実 に よっ て朝鮮 人 の感 情 が 高ぶ る こ とを憂 慮 して,歴 史 を 捏 造 し隠蔽 す るた め に,こ の碑 を東 京 の靖 国神 社 境 内 に幽 閉 した と理 解 で き る。 植 民 地 支 配 と侵 略 の過 程 で 引 き起 こ され た 歴 史的 事 実 の 隠蔽 と捏 造 の代 表 的 な事 例 とい え る。 典 型的 な文 化 の脱脈 絡 化 の姿 で あ る。

  文 禄 ・慶 長 の役 や,そ の ときの 英雄 で あ った 朝 鮮 側 の 李舜 臣将 軍 に関 す る遺 物 が, 別 の経 路 で 幽 閉 され た こ と もあ る。1946年5月14日 付 の 記事 は,総 督 府 博 物館 が どの よ うな意 図 で朝 鮮 半 島 各地 の遺 物 を収 集 した のか を 提 示 して くれ る興 味 深 い も の で あ

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      国立民族学博物館研究報告  24巻2号 る。 「麗 水 李 舜 臣碑  勤 政 殿 か ら搬 出,原 地 に返 送 」(館 報1:3‑4)。 この事 実 は,総 督 府 に よ る収 集 の意 図 を 明 らか にす るだ け で な く,博 物 館 が 行 うこ とので き る重 要 な 業 務 を 例示 してい る。 勤 政 殿(朝 鮮 王 朝 時 代 の王 の国 政執 務 室)に 収 集 す る とい う名 目で 強 制移 送 され 保 管 され て い た もの のな か に,李 舜 臣 碑 が あ った の であ る。李 舜 臣 碑 は,文 禄 ・慶 長 の役 と関 連 して 日本 人 に 特 別 な意 味 を も って い るた め,本 籍 地 か ら 引 き離 され る運 命 に あ った よ うで あ る。 勤 政 殿 は植 民 地 時 代 に は ま った く使 わ れ る こ とが な か った建 物 であ る。 隠 蔽 と捏 造 は,博 物 館 の内 部 と外 部 を選 ぶ こ とな く進 め ら れ た と指摘 で き る。

  1938年10月,日 本 博 物 館 協 会(文 部 省 内)が 発 行 した 『博 物 館 研 究 』11巻10号6ペ ー ジに は,当 時 の 博 物 館 協 会 に よ って開 催 され た 「第 六 回 全 日本 博 物 館 週 間 」(同 年ll 月1‑7日)の ポ ス タ ー が掲 載 され て い る。 この ポ ス タ ー に表 示 され た 「全 日本 」 の 領 土 は,日 本 列 島 だ け で な く,サ ハ リン南 部 と台湾,そ して朝 鮮 半 島を 含 ん で い る。

帝 国 主 義 の実 現 が 博 物 館 を 介 して いか に可 能 で あ り,そ れ が どの よ うな教 育 的 効果 を も って い たか を考 え る うえ で,格 好 の事 例 で あ る。 そ れ は博 物 館 を通 した 支 配 の表 象 であ り,当 時 の朝 鮮 に 対 して は 「内鮮 一 体 」 とい う思 想 の 実践 を示 してい るか らで あ る。

  植 民 地 時代 に行 わ れ た 脱 脈 絡化 の進 行 過程 を示 す 次 の よ うな報 告 もあ る。1947年 の 記 事 に よれ ぽ,「 慶 尚 南道 山 清 郡 山 清 面 乏鶴 里廃 寺 で 自然 倒 壊 した三 層 石 塔 は,日 本 植 民 地 時代 で総 督 府 博 物 館 が あ った時 期 に大 邸 で某 日,人 手 に渡 って いた もの を本 館 か ら搬 移 させ たが,戦 争 中だ った た め,復 建 で きず事 務 室 正 面 の広 場 で徒 然 に 雨風 に さ ら され て放 置 され て い た 。 本館 で は この 再 建計 画 を立 て て 実行 し,基 壇 を つ くった とこ ろ,お りよ く米 国 人 教 化 局長 クネ ズ ビ ッチ 大尉 の斡 旋 で 米軍 工 兵 隊の 援 助 を受 け て完 了 した。 この石 塔 は 新 羅 統一 時代 の秀 作 で,博 物 館 石塔 建 立 広 場 に一 層 偉 容 を加 え た 」(館 報1:8)。 脱 脈 絡 化 され た 文 化 は 典 型 的 な ヘ テ ロ トピ ア(Kahn  1995:

325)を 構 成 す る要 因 とな り,ま が い もの の 文 化 と して残 って い る。 い ま な お それ ら は,あ た か も本 物 の よ うに整 頓 され た,ま が い もの の姿 の ま まで あ る。

  博 物 館 の 石塔 建 立 広 場 とは,朝 鮮 総 督 府 博 物 館 が全 国 か ら仏 塔 を集 め て一 ヶ所 に 陳 列 した 広 場 で あ り,そ れ が典 型 的 な ヘ テ ロ トピアな の で あ る。 『博 物 館報 』 を ひ も と け ば,「 全 国 か ら館 内 に 移 送 され た 塔 碑 が 主 に 高麗 時代 の もの に集 中 して い る こ とが わ か る」(博 物 館 報1:15)と い うが,そ の 点 に つ い て も緻 密 な 解 釈 が 必 要 と思 わ れ る。 高 麗 時代 の塔 碑 が 集 中的 に 本籍 地 か ら引 き離 され た こ とは,何 を意 味 して い るの だ ろ うか 。本 籍 地 で の意 味 を 剥奪 され て強 制 移住 され た 塔 身 が一 ヶ所 に幽 閉 され て い

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全  韓国博物館史における表象の政治人類学

るの で あ る。 この現 場 は,一 面 で は朝 鮮 総 督 府 の 支配 権 力を 示 して い る。植 民 地 権 力 の核 心 であ る総督 府 の 裏 庭 とい う配 置 は,植 民 地 時代 の博 物 館 に付 え られ た意 味 を 示 す に余 りあ る。独 立 以 後 の 民 族主 義 的 な博 物 館 で も,こ の配 置 はそ の ま ま維 持 され て お り,幽 閉 され た塔 の脱 脈 絡 化 が は らむ 問 題 に つ い て は,何 らの反 省 もな い状 況 が い まな お続 いて い るので あ る。

  慶 州 で は,現 在 の 国立 慶 州 博 物 館 の沿 革 を見 る と,rlgl3年,慶 州 に古 跡 保 存 会 が 創 立 され,遺 跡 保 存 を 図 る と 同時 に 旧 客 舎 を 利 用 して 遺 物 を 収 集 した 」(館 報1:9)

とあ る。1915年 に総 督 府 博物 館 が設 置 され る以 前 に,す で に慶 州 では 古跡 保 存 会 と い う団体 が 結 成 され て いた 。慶 州 で はす で に植 民 地 時 代初 期 に個 人 に よ る文 化財 掠 奪 が か な り進 ん でい た こ とを 暗 示 す る一 節 で あ る。 行 政組 織 はそ の後 の収 集 の 役割 を担 当 した よ うで あ る。新 羅 千 年 の 古 都慶 州 とい う歴 史 の 厚 み に比 べ れ ば,古 跡保 存 会 の客 舎 は 「猫 の額 」 ほ どに過 ぎな か った も の であ ろ う。 名 目上 だ け で活 動 した 古跡 保 存 会 の 存在 は,む しろ文 化 財 の穀 損(mutilation)の 進 行 過 程 を 覆 い隠 す の に役 立 って い た 可能 性 が 高 い。

  1938年,「 総 督 府博 物 館 が 時 局 柄 内 鮮 一 体 の 関 係 を 強 調 す る意 味 か ら古 代 内鮮 関 係 資 料特 別 展 を 行 ひ,古 代 内 鮮 文 化 を物 語 る貴 重 な資 料百 余 点 を一 室 に展 列 して,内 地 朝 鮮 の各 出土 地 を 明か にす る説 明 を付 し,又 遺 物 及 写 真 で両 類 似 の点 を 明 か に し,更 に 期 間 中"本 年 の博 物 館 週 間 に 内 鮮一 体 の往 時 を 語 る"と 題 して 同館 長 佐 瀬 直衛 氏 が 講 演 を ラヂ オ放送 。 期 間 中 は 観 覧 料5銭 を2銭 に して博 物 館 週 間 の意 義 を 徹底 した 。 な ほ 期 間 中 の観 覧 人員 は4,190人 で 内朝 鮮 人3,185人,内 地 人1,005人 で あ った」(博 物 館 研 究11(11):5)。 博 物 館 は,内 鮮 一 体 の 虚 構 的 な イ デ オ ロギ ー を植 民 地 の 被 支 配 住 民 に植 えつ け る とい う 目的 を 行 動 と して実 践 す る,も っ と も重 要 な役 割 を担 って い た こ とがわ か る。

  「工 学 博 士 関 野 貞氏 は,去 年(1909年)9月16日 韓 国政 府 の 嘱託 を 受 け 汎 く韓 国 の 古 建築 物 及 び 三韓 時代 前 後 の 遺 物 を調 査 せ む 為 め 文 学士 谷井 経 一,工 学 士 栗 山俊 一 の 両 氏 と相 携 へ て,約 百 日間(中 略)韓 国古 美 術 の淵 源 を 究 め(中 略)韓 国 は僅 か に三 百 年 前 の物 が12,3件 残 留 し居 る のみ,(中 略)千 年 以 上 の 遺 物 が 日本 の 如 くに保 存 さ れ 居 るは珍 しき こ とに て,一 つ は 萬 世 一系 の皇 室 を戴 きて革 命 動 乱 が 無 か りし と,一 には 宗教 の変 化 が 無 く且 つ 旧貴 族 が 襲世 して克 く古 物 を 愛玩 保 存 した るに 因 れ り」(風 俗 画報406:20)。 戦禍 に よ る古 建 築 の 消 失 や,植 民 地 化 の前 硝 です でに 日本 人 に よっ て掠 奪 され た こ とに は言 及 しな い 。過 ち を反 対 に被 害 者 に なす りつ け る よ うな もの で あ る。 日本 と比 較 して 朝 鮮 民 族 が文 化 財 を き ち ん と保 存 しな か った と述 べ る こ とに

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国立民族学博物館研究報告  24巻2号 よ って,日 本 の学 者 が朝 鮮 の古 建 築 の面 倒 を み な けれ ば な らな い とい う名 分 を 間接 的 に提 示 して い る。 同 時 に,文 化 の蓄 積 が 弱 い こ とを 指 摘 して,朝 鮮 文 化 の停 滞 性 論 を 展 開 し よ うと した 。植 民 地 に な った 朝鮮 王 朝 の歴 史 的 正統 性 と,そ の基 盤 を抹 殺 しよ

う とす る意 図 が 明 らか で は な いか 。

  「チ ェ コス ロバ キ アの よ うな東 欧 では,民 族 的 過 去 の称 賛 と(外 部 の侵 略 に対 す る) 抵 抗 を 高 揚 す るた め の手 段 と して考 古学 が盛 ん で あ った。 西 欧 で は,1880年 代 以 来, 階 級 間 の 葛藤 が深 刻 に な り,考 古学 と歴 史 学 は,産 業 化 され た 国 家 内 で一 体 性 と協 同 の精 神 を 高揚 す る ため の 努 力 の一一環 と して民 族 的過 去 を称 賛 す るの に利 用 され た。(こ の よ うな 関連 で)欧 州 に 限定 して い>xぽ,先 史 考古 学 は歴 史 科学 の一 つ とみ な され て きた の で あ る」(Trigger 1984:358)。 西 欧 の学 問体 系 をほ とん どそ の まま翻 訳 して受 け 入 れ て きた 日本 では,西 欧 に対 しては 東 欧 の地 位 に類 似 した,す なわ ち 西欧 に対 し て 相対 的 に劣 勢 な 立場 か ら,考 古 資 料 や 歴 史 を見 る 目が 養 われ た 。 そ して,日 本 の植 民地(台 湾 と朝 鮮)に 対 しては,西 欧 式 勝 利者 の立 場 で考 古資 料 や 歴 史 を見 る 目が 養 われ た と理 解 で き る。 世 界 史 レベ ル で は,民 族 的 過 去 の称 賛 と外 来 勢 力 に対 す る抵 抗 の手 段 と して考 古学 や歴 史 学 が 受 け 入れ られ た ので あ り,植 民 地 を経 営す る立 場 で は 一 体 性 と協 同精 神 の高 揚 を 目指 す 考 古学 や歴 史 学 が 強 く要 求 され た の で あ る

。そ して, 日本 の植 民地 政 策 は 内鮮 一 体 を 強調 し,そ の政 策 を総 督 府 博 物 館 が植 民 地 住 民 の 思想 教 育 を 目的 に積 極 的 に実 践 して い った。

  「植 民地 統 治者 は彼 ら 自身 の過 去 を称 賛 す る緻 密 な理 由を 持 って い る反 面,彼 らは 自身 が 占領 し統 治 して い る民 族 の過 去 に対 して は,激 賛 す る何 の理 由 も持 って い な か った。実 際,彼 らは 被 支 配 民族 の未 開 性 と歴 史 的成 功 の欠 如 とを強 調 す る こ とに よっ て,彼 ら 自身 の過 ち を相 対 的 に正 当 化 す る努 力 を した 」(Trigger 1984:360)。 こ こで ま さに停 滞 性 論 が 強 調 され る の で あ る。 朝鮮 総 督 府 は 未 開 性 とい う概 念 の代 わ りに停 滞性 とい う概 念 を 見 出 した。 当時,内 鮮一 体 を強 調 した総 督 府 と 日本 帝 国主 義 は 究 極 的 に矛 盾 す る二 つ の概 念 を 同時 に適 用 した。 内鮮 一 体 論 と停 滞 性 論 で あ る。 内鮮 一 体 で あれ ば,日 本 に も停 滞 性 論 が 適 用 され るべ き では な い の か。 支 配 の た め の文 化 掠 奪

と思 想 教 育 は 結 局 は矛 盾 に陥 ら ざ るを>xな い。

  日鮮 同祖 論 へ と再 脈 絡 化 を 試 み た の が朝 鮮 史 研 究 と総督 府 博 物 館 の建 設 お よび 運 営 であ る。 そ こに 「もの」 中 心 の 好事 家 的 で骨 董 的 な 意 図 が加 味 され た。 いず れ も文 化 の脱 脈 絡 化 を 前提 とす る帝 国主 義 的 な文 化 政 策 の 政 治 的実 践 と して進 め られ た の で あ る。 した が って,脱 脈 絡 化 され た 「もの」 は,本 来 の脈 絡 に お い て持 って い た意 味 を 失 い,沈 黙 せ ざ るを え な い こ とに な る。支 配 の 手 段 と して利 用 され る 「沈 黙 す る もの 」

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全  韓 国博物館史におけ る表象の政治人類学

(reticent objects)は,ガ ラ ス ケ ー ス に 納 め ら れ,植 民 地 主 義 を 称 賛 す る た め に 立 ち 並 ぶ ほ か は な い の で あ る。

3.開 拓 と植民 の支配哲学  文化 の再脈絡化(1)

  日本 の歴 史 に お い て 開拓 と植 民 は 比較 的近 来 の で き ご とで あ る。 北 海 道 で 屯 田 兵制 を 設 置 して始 ま った 開 拓 と植 民 のや り方 は,以 後 琉 球 と台 湾 で積 んだ 経 験 を も って 朝 鮮 半 島 に進 出 した 。 もち ろ ん,日 本 帝 国 主義 に よる拓 殖 主 義 は朝 鮮 半 島の 次 に は 満 州 に延 長 され た 。 大 日本 帝 国 が設 立 した 博 物館 は拓 殖 主 義 と不可 分 の関 係 に あ る こ とを 指 摘 し,そ れ が 朝 鮮 半 島 で成 し遂 げ られ た プ ロセ ス を 明 らか にす る必 要 が あ る。

  朝 鮮 で行 わ れ た 博 物 館 と拓 殖 主 義 は 大 き く二 つ の根 幹 に整理 す る こ とが で き る。 朝 鮮 総 督府 博 物 館 の 植 民 地 主義 的 な専 有 とそれ 以後 の文 化 政 治 学 とい う枠 組 み,そ して 近 代 化 を名 分 と した脈 絡 破壊 と支 配 的 再 構 成 の プ ロセ ス で あ る。 い った ん,脱 脈 絡 化 され た もの が博 物 館 や そ れ と似 た場 所 で 展示 され る と,も とも との展 示 品 は 意 味 変 質 の プ ロセ ス を経 験 せ ざ るを え な い。 展 示 品 を 収 集,運 搬,展 示 す る人 々 は,植 民 地 的 支 配 の概 念 の も とに文 化 的専 有 を試 み た 。 具 体 的 に は,内 鮮 一 体論 と停 滞 性 論 を 支 持 す る手 段 と して展 示 品 を用 い よ う とす る意 図 が核 心 に あ る ため に,停 滞 社 会 の近 代 化 と殿 損 され た文 化 財 の保 存 とい う名 目で再 脈 絡 化 の プ ロセ スを 踏 ん だ の が,朝 鮮 総 督 府 博 物 館 お よび そ れ に類 似 の 機 関 で生 起 した 事 態 で あ った。

  植 民 地 統 治期 間 中,朝 鮮 総 督府 は,総 督 府 博 物 館 以 外 に い くつ か の重 要 な博 物 館 を それ ぞ れ 特 定 の 目的 を実 現 す る手 段 と して設 立 した が,究 極 的 な 目的 はす べ て開 拓 と 植 民 の プ ロセ ス を通 した効 率 的 な 支 配 に あ った 。 い くつ か の具 体 的 事例 を取 りあげ て 考>xて み た い 。 国 際政 治 の緊 迫 した 情勢,軍 事 的 な要 因,そ して時 間 の切 迫 ゆ え に実 現 は で きな か った が,総 督 府 を 中 心 に立 案 した 博 物 館 計 画 の進 行 過 程 か ら拓殖 主 義 の 全容 を十 分 に 読 み と る こ とがで る。 開拓 主 義 の意 図 が 博 物館 とい う施設 と機 構 を通 し て いか に 実 践 され うるの かを 示 す 事 例 で あ る。

  「(総督 府)博 物 館 は 朝 鮮 文 化 の研 究 所 で あ り,工 芸 美 術 の 調 査所 で あ る と同時 に, 半 島 の 古 代 芸 術 を 世 界 に紹 介 す る 目的 を 持 っ て い る」(博 物 館報1(1):16)。 半 島 の 文 化 と歴 史 を 工 芸 レベ ル に縮 約 させ よ うとす る博 物 館 経 営 の 支配 哲 学 が 濃 厚 に表 明 さ れ て い る。 当時 の 総 督 府 で は,新 羅 の古 都慶 州 に朝 鮮 人 学 生 の た め に工 芸 学校 を設 立 す る一 方 で,対 照 的 に 日本 人支 配 層 の子 弟 の高 等 教 育 のた め に は,考 古 学 と美 術 史 を 講 ず る京城 帝 国 大 学 を 設 立 した 。1930年10月 の 記 録 を み る と,「 朝 鮮 総 督 府 博 物 館 で

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国立民族学博物館研究報告  24巻2号 は現 在 古 美 術 を 中 心 とす る多 数 の貴 重 な発 掘 物 そ の 他 歴 史 的 芸 術 品 を収 集 し,(中 略)   (しか し)陳 列 す る には あ ま りに 狭 阻 で,博 物 館 倉 庫 に は(中 略)歴 史 参考 品 が 埋 れ て ゐ る」(博 物 館 研 究3(10):7)。 総 督 府 博 物 館 の 中 心 的 な 関 心 が 古 美 術 と歴 史 的 芸 術 品 に あ る こ とが わ か る。 この 方針 は継 続 的 に 進 め られ,後 日,韓 国 の解 放 後 に 設 立 され た 国立 博 物 館 で も,こ の路 線 を ほ とん どそ の ま ま受 け継 い でい る とい う解 釈 が 可 能 で あ る。

   「(1934年)異 常 の躍 進 を遂 げ つXあ る産 業 朝 鮮 に ふ さは しい三 大 特殊 博 物 館 建 設 の 計 画が,現 今 着 々進 め られ て ゐ る。 す な は ち農 林,鉱 業,警 察 の三 博 物 館 で,農 林 博 物 館 は 多 木 氏 の 寄 付35萬 圓 で,鉱 業博 も15,6萬 圓,警 察 博 も8萬 圓 の 予 算 で 完 成 を 目指 し,各 方 面 に 寄 与 す る こ とが期 待 され て ゐ る」(博 物 館 報7(6):13)。 「明 年  (1935年)総 督 政 治25周 年 を 迎 へ,総 督 府 が 記 念 事 業 と して農 業,鉱 業,警 察 の三 大 博 物 館 を建 設 す る計 画 が あ るの は既 報 の通 りで あ るが,農 業 鉱 業 は 寧 ろ一 つ に して こ れ に水 産 を 加 へ,産 業 博 物 館 を50萬 圓程 度 で建 設 す る こ とに な る ら しい」(博 物 館 研 究7(7))。 博 物 館 の 建設 計 画 を通 して知 る こ との で きる,も っ とも成 功 した植 民 地化 の部 門 が ま さ に農 林 と鉱 業,警 察 で あ る。 農林 鉱 業 の原 資 材 の 搾 取 に成 功 した 植 民地 産 業 に は,民 の 搾取 に よ る警 察 の 「民 業」も含 まれ る こ とが指 摘 で き る。植 民 地 で も っ

と も成 功 した 部 門 を讃 美 し宣 伝 す るた め に,該 当分 野 の 専 門 的 博物 館 を建 設す る こ と は,植 民 地 政 策 の一 環 な の で あ る。

  博 物 館 の機 能 を思 想 的 支 配 の 手段 と して検 討 した 記 録 も存 在 す る。 「思 想 犯 罪 の特 殊 道 威 南 は 民 風 の作 興,地 方 の振 興 に関 す る諸 施 設 に 努 め る一 面,警 察 力 に よる徹 底 的 弾 圧 を 図 って ゐ るが,更 に 道 民 の 自覚 に基 づ く精 神 作興 案 と して オ ー プ ソ ・エ ヤ ・

ミウヂ ア ム設 立 の計 画 が 具 体 化 せ ん と して ゐ る。即 ち威 南 殊 に威 興 府 近郊 は李 朝 発 祥 の 地 と して本 宮,定 和 陵,帰 州寺,純 陵,義 陵,馳 馬 台等 の名 勝 旧跡 に富 んで ゐ る事 実 を 利用 し,こ れ 等 を総 合 した野 外 博 物 館 を設 け,報 本 反 始,す た れ 行 く道 義 観 念 の 復 活 に資 せ ん とす る案 で,過 般 行 は れ た 稲葉 君 山氏 の視 察 も,こ の計 画 に対 す る内調 査 の 意 味 ら しい」(博 物 館 研 究5(8):7)。 この1932年 の記 録 は博 物 館 を植 民 地 統 治 の 手段 と して利 用 し よ う とす る意 図を 赤 裸 に表 明 した 事 例 で あ る。満 鮮 史 を 研 究 す る稲 葉 君 山 は2),警 察 と博 物 館 の 合 作 で あ る野 外 博 物 館 の建 設 計 画 の た め,現 地 を 視 察 し

た。 植 民 地 支 配 に動 員 され た 学 者 の 実態 を表 す 一 例 で あ る。

  1935年1月 に 発 行 され た 『博 物 館 研 究 』 の 「博 物 館 ニ ュー ス 」 に よる と,「 施 政 廿 五 周 年 記 念事 業 と して,明 年 度 か ら三 ヶ年 計 画 で総 合 博 物 館 建設 の こ とは既 報 した が, そ の 後財 務 局 で査 定 の結 束 マ マ 百 萬 圓に 決 定。 内容 は,整 地 費 五 千 圓,建 築 費 八 十 七

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萬 圓,(建 坪 二 千 百 七 十 五 坪)施 設 費 四 萬 七 千 圓,初 年 度 調 整 費 四 萬 圓,事 務 費 四 萬 五 千圓,そ の 建 築様 式 は 鉄 筋 コン ク リー ト三 階 建 で,建 設 地 は大 体 倭 城 台 の総 督 官 邸 付 近 の 予 定 で あ る」(博 物 館 研 究8(1):14)。 そ の年9月 に は 本 来 の計 画 に 若 干 修 正 を 加 え た 。 「総 督 府 施 政 廿 五 周 年 記 念 事 業 に 綜 合 博 物 館 建 設 は 当初 の百 萬 圓計 画 を さ らに増 額 し,国 費 百萬 圓寄 付 金 百 萬 圓,総 額 二 百 萬 圓 と して予 定 の考 古 美 術 館科 学 博 物 館 の ほか に現 在 の総 督 府 博 物 館 を 改築 し朝 鮮 資 源 館 と命 名,鉱 産 物,水 産 農林 産 物 な どを 陳 列 す る こ とに な った 」(博 物 館 研 究8(9):6)。 綜 合 博 物 館 と産 業 博 物 館 の建 設 に 計 画 が変 更 され た こ とが わ か る。博 物 館 の方 向は,文 化 と産 業 の二 つ に整理 され た の で あ る。 植 民 地統 治 の二 つ の 支 柱 は人 民 と土 地 であ り,開 拓 植 民地 化 は,植 民地 生 産 の 基礎 に な る産 業政 策 と民 衆 を 治 め る文 化 政 策 の二 本 の 線 に 沿 って進 め られ た。

植 民 地 の博 物 館 は産 業政 策 と文 化 政 策 を表 象す る とい う役 割 が 与 え られ て いた と理解 で き る。

  「朝 鮮 施政 記 念 博 物 館  既 報 建 設 計 画 は そ の後 着 々進 捗 し一 般 か らの寄 付 申込 み も 続 々殺 到す る好 況 で9月11日 現 在 で早 くも累 計74萬 圓 に 達 し,三 井 三菱 の15萬 圓 を筆 頭 に 相 当 大 口の寄 付 が あ った,な ほ 設 計 は 一 般 か ら懸 賞 募 集 す る こ とに な った 」(博 物 館 研 究8(10):6)。1936年 に は 博 物 館 建 設 の た め の設 計 公 募 が あ った 。 「総 督 府 施 政 二 十 五 周年 記 念博 物 館設 計 図 を懸 賞 募 集 中 で あ ったが 旧蝋 そ の 発 表 が あ った。 一 等 当選 者 は 同総 督 府 会 計 課 技 手 の天 野 要 氏 で そ の設 計 図 は環 境 に 最 も適 合 した朝 鮮 趣 味 を表 現 し,簡 便 荘 重 な威 厳 も備 へ た も ので あ る。 な ほ来 る5月 か ら着 工 され る筈 で, それ と同 時 に 官制 を設 け 職 員 を任 命 す るが 館 長 は 勅任3)で そ の下 に奉 任4)の 部 長3名 を置 き,総 員 百 名 を超 ゆ る見 込 み であ る と」(博 物 館 研 究9(2):6)い う。 また,そ の年 の秋 に 地 鎮 祭 を挙 行 した 会 場 の全 景 写 真 と当選 作 の写 真 も当時 の博 物 館研 究 誌 に 掲 載 され た 。

  1937年4月 の記 録 では 次 の よ うに進 展 を 見 せ る。 「総 督府 に 博 物 館 建 設 委 員 会 を設 置 し大 野 政 務 総 監 を委 員長 に顧 問 と して今 井 田清 徳,山 田三 良,速 見 晃,伊 東 忠太, 武 田五 一,内 田詳 三,佐 野 利 器,加 藤 敬 三 郎,有 賀 光 豊 の九 氏 を あ げ委 員 に大 竹 十 郎, 林繁 蔵,富 永 文 一,山 村 鋭 吉,上 野 直 昭,小 田省 吾,重 村 義 一,崔 南 善 の八 氏 そ の他 幹事 嘱託 を それ ぞ れ 任 命 した。 なほ 懸 賞募 集 した 設 計 案 に も幾 多 の変 更 を行 ひ そ の変 更設 計 も十 二 年 度 中 に は完 成 す る こ とに な って ゐ る」(博 物 館 研 究10(4):8)。

  この よ うな進 行 過 程 を経 て,最 終 的 に決 定 され た 総 合博 物 館 の位 置 と構 成 は 次 の通 りで あ る。 「朝 鮮総 督 府 博 物 館 の新 築 進 む,施 政25周 年 記 念 事 業 の 一 つ た る総 合博 物 館 は経 費 二 百 萬 圓 で 総 督府 後 庭 に建 設 され る こ とは 既 報 の 通 りで あ るが,美 術 館 は15

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      国立民族学博物館研究報告  24巻2号 萬 圓 で六 角 塔 香 遠 亭 が あ る池 の 北 正 面 に684坪,既 に工 事 に かsり 本 年9月 まで 落 成 の予 定 。 本館 即 ち 現 在 の 総 督府 博 物 館(美 術 ・歴 史 ・考 古)は115萬 圓 で 池 の東 に 南 面2,300坪,科 学 館 は70萬 圓 で 本 館 の東 南 に 西 面684坪,い つ れ も秋 まで に は 着 工, 1940年 に竣 成 の こ とSな って い る。 科学 館 は 現在 の倭 城 台 よ り充 実 を 図 り600名 収 容 の講 堂 や 図書 室 研 究 室 を 付設 す る。 また美 術館 は鮮 展 会 場 そ の他 とす る他 に 各種 の展 覧 会 そ の 他 東 洋 趣 味 を 普 及 さ せ る 催 し に も貸 す こ とに な って ゐ る 」(博 物 館 研 究 11(6):6)。 しか し,こ の博 物 館 の 建 設 と実 践 は 途 中 で 中 断 され た 。 閾妃[朝 鮮 王 朝 26代 高 宗 の 妃,1851‑1895年]殺 害 事 件 に よっ て汚 点 が つ い た 場 所 を 壊 して,優 先 的 に美 術 館 の建 物 だ け を 完 成 させ,残 りの大 部 分 は政 治 的 な理 由 で 中断 され た。 大 東 亜 共 栄 圏 政 策 に よ る帝 国 領 土 の拡 大 で新 し く編 入 され た 地域 と軍 事 目的 に資 金 が優 先 し て使 用 され た の で あ る。た とえぽ 満 州 の博 物 館 建 設 は1940年 代 初 期 も継 続 され て いた。

  支 配 者 の被 支 配 者 に対 す る恩恵 を誇 示 す る方 法 と して博 物 館 が利 用 され た こ と も少 な くな い 。 「朝 鮮 恩 賜 記 念 科 学 館 は,大 正 天 皇 の成 婚25周 年 記 念 に際 し,朝 鮮 の社 会 教 育 事 業 のた め に17万 円 の 恩賜 金 を受 け て で きた もので あ る。 当時 の総督 は 教育 機 関 の従 事 者 と協 議 した 結 果,博 物 館 をつ くる こ とに し,以 前 の歴 史 博 物 館 や 美 術博 物 館 とは異 な った 科 学 博 物 館 を建 設 す る ことに した。 恩 賜 記 念 の文 字 は,そ こか ら頭 につ け られ た 」(岩 佐1931:4)の で あ る。 植 民 地 統 治 の た め の 文 化 事 業 とい う名 目が 明

白で あ る。

  1938年 の 記 録 に よ る と,「恩 賜 記 念 科 学 館 の重 村 館 長 は,海 軍 少 将 と して 日露 戦 争 で青 島攻 囲軍 に参 加 し,輝 か しい勲 功 を 立 て て い る。 そ して彼 は科 学 博 物 館 の 建設 が 決 定 され る と,総 督 斎 藤 海 軍 大 将 の推 薦 で創設 事 務 嘱託 とな り,総 合博 物 館 の建 設 が 決 定 され る と建 設 委 員 会 委 員 とな り,そ の 基 礎 を 計 画 す る うえ で 功 績 を 立 てた 」(博 物 館 研 究11(6):7)と い う こ とで あ る。 博 物 館 や そ れ に 関 連 あ る学 問 分 野 の研 究 者 で は な く,戦 争 の英 雄 に 博 物 館 経 営 の責 任 を預 け た とい う点 に,文 化 政 策 に隠 され た 支 配 の 一 面 が 顕 わ れ て い る。 植 民 地 統 治 の 円 滑 な 運 営 の た め の 軍 一学 複 合(military‑

academic complex)の 一 例 とい う こ とが で きる。

  「北鮮 科学 博物 館 の新 設,財 団 法 人威 鏡 北道 科 学教 育 財 団 で 予 て建 設 計 画 中で あ っ た 同博 物 館 は 昨 夏起 工 以来 工 事 順調 に進 捗 し此 の 程第 一 期 工 事 竣 功 の通 び に至 った の で,(1942年)10月3日 落 成式(開 館 式 を兼 ね)が(開 館式 を兼 ね て)挙 行 せ られた 」

(博物 館 研 究15(10):7)。 これ は1942年 の記 録 で あ る。 「北 鮮 科 学 博 物 館 は,威 鏡 北 道 の 地 理 的 ・産 業 的 な重 要 性 が 勘 案 され,清 津 府 に建 設 され た 。 これ は鉱 業 家 岩 村 長 市 と水 産 家 宮 本 照雄 の 出資 に よ って設 立 され た 財 団 が 基盤 と な って い る。 第1本 館 に

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は,物 象 部,生 物 部,水 産 科 学 部,地 質 ・鉱 物 部,鉄 鋼 部,化 学 工 業 部,防 空 科 学 部, 付設 と して栄 養 科学 部,鉱 山科 学 部,工 作 部,教 弁物 貸 与 部 で 構 成 され て い た 」(博 物 館研 究16(2):4‑6)。 この博 物 館 の 設 立 目的 は,地 理 的 ・産 業 的 とい う言 葉 で う ま

く表 現 され て い る。

  以下 の第11回 全 国博 物 館 協 議 会議 事 録(第1日)に 録 載 せ られ て い る北 鮮 科学 博 物 館 に 関連 す る記 録 が,こ の博 物 館 の 中心 的 な機 能 を浮 き彫 りに して い る。 た とえ ぽ, 当 時 議 長 を務 め る棚橋 は,1943年10月30日 に 東 京 帝 室 博 物 館 講 堂 に お い て,「 本 会 提 案 の第 一 協 議 題,"時 局 下 戦 力増 強 に 資 す るた め 博 物 館 に於 い て実 施 す べ き事 業 如 何"

に つ い て の説 明」(博 物 館研 究17(1):2)を した 。 また,北 鮮 科 学 博 物 館 の岡 崎 正 は,

「(最近 開 設 され た専 門 講 座 で の)教 材 は 文 部 省 の 要 目に基 づ き,戦 力増 強 の た め, 航 空 機,自 動 車,そ の 他 科 学兵 器等 の一 般 に つ い て講 義 を 実 施 し,(中 略)付 属 工 場 で 工 員 を養 成 して戦 力増 強 に努 め て い る。 そ の他 栄 養 研 究 所 では,戦 時 下 営 養 補 給 を 主 眼 と し,営 養 に 関 す る図 書,図 表,統 計 等 を 展 示 し,(中 略)将 来 鉱 山科 学 に 関 し た 施 設 を 強 化 し,第 一 線 の 鉱 業 戦士 養 成 に 努 め る こ とが 目下 計 画 中 で あ る」(博 物 館 研 究17(1):3)と 発 言 して い る。 これ は1944年1月 の記 録 で あ る。

  朝 鮮 に お い て大 日本 帝 国 の博 物 館 は,住 民 を 思 想統 制 す るた め の道 具 と して も利 用 され て い た。 博 物 館 は戦 争 のた め の動 員 体 制 に 万端 の準 備 を す る姿 も見せ て い る。 博 物 館 は 美 術 と工 芸 の名 の下 で歴 史 の 歪 曲 を 具 象 化 し,科 学 の名 の 下 で資 源 と産 業 の掌 握 を 実 践 した。 そ して,博 物 館 に よ る文 化 表 象 を 通 して植 民 地 統 治 の た め の思 想 統 制 を ね ら った。 これ が,朝 鮮半 島 で実 践 され た 大 日本 帝 国 の植 民 地 主 義 的 な博 物 館 の姿 だ とい え る。 そ の プ ロセ ス で は,文 化 の 脱 脈 絡 化 と再 脈 絡 化 を 組 織 的 に行 った 。 収 集 品 や 資 料 を い った ん脱 脈 絡化 し,さ らに 別 の 目的 へ と再 脈 絡 化 す るた め の材 料 と して 活 用 した 。

  総 督 府 の 支配 哲 学 と植 民 地経 営 の方 針 は 個 人 資 源 に も展 開 され た 。 植 民地 でた やす く金 を も うけ た 日本 人 の 巨万 の富 は,帝 国 主 義 に 足 並 み を そ ろ え,資 金 と財 産 を喜 捨 す る とい う方 法 を博 物 館 とい う制 度 を 通 して試 み た。 「大 東 亜 共 栄 圏 内 の古 美 術 品 を 一 堂 に 収 集 し,考 古 学 及 美 術 研究 に 資 せ ん とす る半 島 の 水産 王 香 椎 源 太郎 氏(福 岡県 出身)が 建 設 計 画 中 の考 古 博物 館 は,予 定 どお り山下 前府 サ の肝 入 りで建 設 地 所 を物 色 中 で あ った が,(中 略)翁 顕 彰銅 像縁 の 地 で あ る釜 山府 本 町 の高 台 香 椎 公 園 内 に敷 地 を決 定 し,翁 の私 財 百 萬 圓 を投 じ敷 地4000坪,地 上,地 階 各 一 階 の堅牢 な総 コ ソ ク リー ト建 の予 定 で,(中 略)翁 が過 去35年 間 に 収 集 した我 国歴 代 の 古美 術 品 を 初 め,(中 略)価 格 に 見 積 も って 約 一 千 萬 圓 を 凌 ぐ貴 重 な資 料 が 公 開 さ れ る 」(博 物 館 研 究

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国立民族学博物館研究報告  24巻2号 15(12):7)。 植 民 地 に 進 出 した 日本 人 事 業 家 の 骨 董 品 収 集 と取 引,そ して文 化 財 保 存 とい う名 目で それ らの 功 績 を ほ め た た え,そ の過 程 に博 物 館 が 直接 ・間 接 的 に 介 入 し た 。 そ れ は,植 民 地 に お い て文 化 の脱 脈 絡 化 の作 業 が個 人 レベ ル で も広 範 囲 に展 開 さ れ て い た こ とを 証 して い る。

  「朝 鮮 実 業 界 の 元老,釜 山市 の香 椎 源 太郎 の かね てか らの念 願 と して,太 古 か ら の 内鮮 関係 を物 語 る文 献,古 美 術 工 芸 品 等 を展 観 す べ き博 物 館 の建 設 計 画 は,そ の一 端 と して既 に 旧英 国領 事 館 跡 四 千 坪 を敷 地 に買 収 してを り,最 近 建 築 費 そ の他 の資 金 に 充 て るた め,芝 美 術 倶 楽部 で そ の 収 集 品 た る朝 鮮 出土 の骨 董 名 器 の 売立 を 行 った 」(博 物 館 研 究7(11):12)。 これ は1934年 の記 録 で あ る。 香椎 源 太郎 は 大規 模 な骨 董 品収 集 家 の 一 人 で あ り,彼 は 内 鮮 一 体 を 具 象 化 す る博 物 館 の 建 設 に 必 要 な 出 発 基 金 (seed‑money)を 寄 付 した 。 一 度 収 集 され た 骨 董 品 が売 却 を繰 り返 して顧 客 に取 引 さ れ た こ とが わか る。 内 鮮 一 体 の イ デ オ ロギ ーを 具 象化 す る博 物 館 建設 資 金 の た め に, 朝 鮮 の 美 術 品が 売 却 され な け れ ぽ な らな い とい う状 況 は皮 肉 と しか いい よ うが な い。

掠奪 を受 け た文 化 の一 部 分 が,そ の文 化 全 体 の歪 曲宣 伝 の た め に売 却 され て い く。 植 民地 統 治 の手 段 と して利 用 され る文 化 政 策 自体 が,拡 大 再生 産 して推 進 され て い る こ とが読 み とれ る。 い っ た ん,そ れ が サ イ クル とな って 動 き始 め,そ れ 自体 の動 力に 慣 性 が つ く と,植 民 地 支 配 の文 化 政 策 は 終 わ る こ とな く搾取 と掠 奪 の構造 を再 生 産 して い く。

  博 物 館 に お け る文 化 の再脈 絡 化 は総 督 府 の支 配 権 力 を象 徴 す る と同時 に,植 民 地 の 人 民 を支 配 に慣 れ させ る機 能 を も果 た した。 植 民 地 の 支配 層 を 形 成 した 日本 人 は,自 身 の 名 誉 を 美 し く飾 るた め に,文 化 財 の 収集 と収 集 骨 董 品 の喜 捨 お よび寄 贈 を試 み た 。

この 骨 董 文化 を形 成 しえ た 背 景 に は,独 占的 な 企 業 の経 営 が あ り,そ の下 で 朝 鮮人 が 彼 らの 手 足 とな って 活 動 して い た こ とは疑 い な い。 この よ うに して支 配 層 に お け る個 人 レベ ル の骨 董 文 化 は 日本 か ら輸 入 され,ま た新 し く創 出 され て い った 。 そ して,そ の プ ロセ ス が文 化 の再 脈 絡 化 を飾 った 。骨董 品 収 集 とい う個 人 的 な 文化 の脱 脈 絡 化 が, 官 主導 の脱 脈 絡化 に劣 らず,韓 国 の伝 統 文 化 を破 壊 した こ とは い うまで もな い。 官 権 と個 人 の金 権 は,文 化 支 配 の原 因 か ら結 果 に至 る ま で,文 化 の脱 脈 絡 化 と再 脈 絡 化 の 同一 の プ ロセス を歩 ん だ。 博 物 館 と骨 董 文化 の 出現 こそ が,支 配 哲 学 に よる文 化 の再 脈 絡 化 の プ ロセ ス で あ り,同 時 に そ の 結果 な の であ る。

  文 化 の 「再 脈 絡 化 は,一 種 の一 般 的 な社 会 的 プ ロセ ス 」(Thomas  1989:41)で あ り・ それ ゆ え そ の プ ロセス 自体 が 新 しい文 化 の形 成 に寄 与 す る。 総 督府 の博 物 館文 化 と個 人 中 心 の骨 董 文 化 の 出 現 は,こ の よ うな再脈 絡 化 の結 果 で あ る。問 題 は,そ の よ

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