一 序 論
スメントの規範力論を語ると言えば,矛盾に聞 こえるかもしれない。何故なら,ルドルフ・スメ ントというドイツの国法学者については(1),憲法 の規範力を誰より重んじたと言われるハンス・ケ ルゼンにより,その憲法学が,規範性を軽視する 学説として批判されたからである。憲法学の任務 は,国家を憲法で拘束するとの立憲主義の貫徹に ある。この視座がもし確定的なものであるとすれ ば,法の純粋理論により憲法規範の純粋性を守護 したケルゼンは, 規範力論の総本山であり,
統 合 理 論
インテグラチオンステオリー
と共にその名が上がるスメントは,
国家を統合過程と捉え,個人をこの国家に取込ん だ点で,寧ろ規範力論と正反対の所にある(2)。だ が問題はそう簡単ではない。この帰結は幾つかの 前提の下にある。国家を憲法で拘束するという場 合,シュミットの言を持出さずとも,そこには拘 束されるべき国家が,最初から議論なく措定され ている。ケルゼン立憲主義が成立するには,国家 と法の同一性を論ずる彼が,憲法の規範性を貫徹 した後,それを国家に押し当てなければならぬ。
更に,スメントに反規範主義の罵声を浴びせるに は,無垢の個人を国家に巻き込む説を彼が本当に 主張していたか,立証せねばならぬ。
尤も,規範主義者ケルゼン対反規範主義者スメ
ント この図式(3)を支える,以上の3つの前 提を吟味するのは,筆者には少々荷が重い。まず,
正統派憲法学の核心教義,立憲主義を批判する積 もりはない。また,ケルゼン純粋法学の規範力論 はこれ迄十分に論じられてきた。寧ろ本稿では,
スメントに関連する第3の前提,即ち,統合過程 が国家の核心とされ,その結果,憲法が保護すべ き個人が統合過程へ抱え込まれ,憲法の拘束力が 後回しにされることを,調べてみたい。その際,
統合理論と純粋法学とを照らし合わせながら,そ の中からスメント規範力論を自然と浮かび上がら せる論法を採用してみよう。だが,スメントとケ ルゼンには直接的な交流は殆どなかったようで,
ゲッティンゲン大学図書館が所蔵するスメント文 庫には,ケルゼンからの書簡は,その名刺ととも に,唯2通しか存在しないのである(4)。ボン時代 からの友人クルティウス,カウフマンやショイナー らとの文通量と比べると,極めて少ない(5)。それ 故,検討対象は,スメント『憲法と憲法法』とケ ルゼン『統合としての国家』が中心となるが,両 書出版の事情を紹介しつつ,スメント学説を論じ ることとなろう。
二 統合理論の憲法学説
周知の通り,スメントの主著とされているのは,
1928年2月に,当時ミュンヘンに本社を持つ出
論 文
社会科学論集 第139号 2013.6
スメントの規範力論*
三 宅 雄 彦
・DiesenAufsatzwidmeichHerrnProf.Dr.HisaoKURIKI,dem BahnbrecherderSmend-Forschungin Japan,ingroerDankbarkeitzum80.Geburtstagam04.09.2012.
FurdiefreundlichenundgeduldigenZurverfugungstellungvonArchivalien,BriefenundZettelnausdem NachlassvonRudolfSmendsageichDankanderHandschriftenabteilungderStaats-undUniversi- tatsbibliothekGottingen.
版社, ドゥンカー&フンブロット社 (以下,
ドゥンカー社) から公刊された,『 憲フェアファッスング法 と 憲 法 法
ウント フェアファッスングスレヒト
』 である(6)。 この作品が執筆 されたのは偶然ではないが,出版されたのは偶然 で,まずはドゥンカー社から,アンシュッツが執 筆予定であったドイツ国法の教科書が,その彼が 多忙故に執筆不能になり,その代わりにスメント に執筆を依頼したのだった(1927年5月28日書 簡)(7)。それに対しスメントは,アンシュッツと 学派の異なる自分が書けばドゥンカー社と彼の関 係が今後悪化しはしないかと心配しながらも,現 在半分まで完成している単行本の刊行を持ちかけ,
教科書原稿はその2年後に書き上げたいと逆提案 している(同年6月1日書簡)(8)。ドゥンカー社 はこれを了承し,27年10月までに原稿を完成さ せ,29年12月までに教科書原稿を完成させる,
という契約書2通を,その後にスメントとの間で 取り交わしている(同年6月4日書簡)(9)。かく してこの1928年は,3月公刊のC・シュミット
『 憲 法 学フェアファッスングスレーレ
』とともに,国法学に代わる,
憲 法 学
フェアファッスングスレーレ
又は 憲 法 理 論フェアファッスングステオリー
誕生の年となっ た(10)。
では,『憲法と憲法法』の憲法学説の概要を確 認してみよう。曰く,「国家学と国法学は,精神 的現実の一部分としての国家と関係する。精神的 な集合的形成体は,現実の部分として,静態的に 現存在する実体でなく,実的な精神的生の,精神 的諸行為の意義統一体である。その現実とは,機 能的な顕在化,再生産の現実であって,正確には 継続的な精神的確証と拡大形成の現実である(そ れはその諸価値により前進と変質になりうる)。
このプロセスの中でのみ,及びこのプロセスによっ てのみ,この現実は現実的であり,あらゆる瞬間 に新たに現実的になる」。これに続き,スメント は段落を変えて言う。「故に特に国家は,個々の 生の諸外化,即ち法律,外交行為,判決,行政活 動を己自身から出発させるところの,静態的な全 体ではない。そうでなく,国家とはそもそも,こ れら個々の生の諸外化が精神的全体連関の確認で ある限りにおいて,これらの中でのみそこにあり,・・・・・・・・・・・・・
しかもただこの連関それ自身を対象とする,なお・・
ヨリ重要な諸々の革新と継続形成の中でのみそこ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
にある。国家とは,継続的な革新の,継続的な新
・・・ ・・・・・・・ ・・・・・
たな体験のプロセスの中でのみ,生き且つ現存在
・・・・・・・・・・・・・・ ・・ ・・・
する」(11)。
・・
そしてこの過程こそ,スメントが 統 合インテグラチオンと呼 ぶところのものであるが,引続き,独自の憲法理 論を語る。「憲法とは,国家の法秩序である。正・・・・・・
確には,国家がその生の現実を持つところの生の・・・・・・・・・・・・・・・・・・
法秩序,いわば国家の統合プロセスの法秩序なの
・・・ ・・・・・・・・・・・・・
である。このプロセスの意義とは,国家の生の全 体性を常に新しく打出すことであり,このプロセ スの個々の側面を法律で規範化したものこそ,憲 法なのである」と言う(12)。だがこの憲法は,統 合過程=国家を拘束するものでは必ずしもない。
「勿論国家は,その憲法の中に規律される諸モメ ントによってのみ生きるのではない。憲法自身が,
これらを補充するべく,そもそも政治生活の中へ と転換される為に,この生活の欲動基礎と,その 他社会的諸動機から成る全体を,計算に入れなけ ればならないのだ」。即ち国家を支える要素は,
「憲法条項で完全に把握され且つ規範化されたり はせず,ただア ン ド イ テ ン示 唆
され且つ…… 誘ア ン レ ーゲン引 されう るのみである」。ならば,「精神の価値法則と憲法・・・・・・・・・・
諸条項により課される統合任務を充足する方が,
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
個々の憲法逸脱があっても,条文にヨリ忠実だが 結果的にヨリ欠陥多い憲法生活よりも,憲法の意・・・・
義に合致している」(13)。
・・・・・・・・
上は,スメント理論の特徴的な部分を,国家学 と憲法学に関連して,『憲法と憲法法』の良く知 られた部分から抜書きしたに過ぎないが,スメン トの規範力論を探る我々にとって,今のところは,
国家とは動態的な統合プロセスのことなのだと,
一旦理解すれば十分である。勿論,以下で見る,
スメントの凡庸さを力説するケルゼンもいるが,
統合理論のユニークで画期的な点は,まだまだ強 調するべきである。例えば,その統合過程を,一 方では実在的な側面から,人格的統合,機能的統 合,事物的統合の三つの視座で記述し,他方では 理念的な側面から,国家機関,国家機能,事物内 実等の視座で検討したこと(14)。加えて,国家存 立は,構成員の恣意や外部からの強制に依拠でき 社会科学論集 第139号
ず,構成員に定言的に課題を課し,その自発的な 意志に依存する他ない 他集団にないこの国家 の特性からすれば,スメント説は,唯の,集団全 ての一般社会学でなく,固有の意味の国家学とい うべきこと(15)。従って,その国家学と憲法学は,
よく批判されるように,諸個人を全体の部品とし て国家へと回収するのでなく,国家を含め公共性 へと参加を個人に呼掛ける政 治 倫 理 学ポリティッシェ エティク
と見なす べきこと,これである(16)。
三 純粋法学による批判
兎も角,一見難解なスメント自身の叙述から,・・・・・
我々は,彼の学説が,国家を,継続的に更新され る統合プロセスとして把握していること,憲法を,
統合過程であるこの国家の法秩序として補足して いること,しかし,憲法はこの統合過程の動因を 全て汲尽くしている訳でなく,時には,憲法条項 を踏越える統合過程さえ望ましいとしていること,
これを確認できればよい。問題は統合理論への純 粋法学の反応で,『憲法と憲法法』 の2年後,
1930年春頃に,ケルゼンは,その『一般国家学』
を出版した同じ出版社,ウィーンのユリウス・シュ プリンガー社から,『統合としての国家原理 的対決』(17)を刊行した。彼は,執筆に至る動機を 前書きで明示して,それを3つ挙げている。一つ,
スメント学説が難解であること,二つ,彼の見解 が見知らぬ(恐らくはリットの)学説に依拠して いること,三つ,彼の理論がケルゼンの学説に論 争を仕掛けていること。だが特に第1点につき,
体系的完結を欠くのみならず,態度決定を避け,
曖昧な示唆を好み,見解に留保を加え,多くの者 に分からぬ外来語に満ちた,不明確な学説だと言 うのだから(18),彼の「内在的イ マ ネ ン ト」批判(19)には元々 期待できない。
そのケルゼンの批判は多岐に渡るが,スメント の規範力論を論ずる本稿では,憲法の規範性を巡 る論点2つに議論を限定するとしよう。ケルゼン は,スメントの国家学と国法学の区別を余り気 にしないが,まず第1に,統合理論は反規範的で あるとケルゼンは批判している。彼は述べる。
統インテグラチオン合 という新しい概念で,或る国家に法的に 帰属する人間の間の,従来知られていない実在関 係が発掘された訳ではない。スメントでは,統合 概念は「 結 集ツザメンシュルス」や「合 一アイニグング」や「 結フェアビンドゥング合 」 と同義で,「最も一般的な社会的範疇そのもの」
を「表現」したものに過ぎぬ。故に「国家が統合 過程である」とは,「国家が人間の結合の継続的 過程である」ことであり,従って,ここにオリジ ナルなものはない(20)。それ故,その国家が単な る人間同士の実在関係に過ぎないとなれば,そこ に規範的モメントは存在しない筈だ,ともケルゼ ンは主張する。つまり,彼の規範的国家理論が否 定したのに,スメント国家理論は,あらゆる規 範秩序から独立して,唯の「心理的・身体的関 係」から,或いは一種の「相 互 作 用ヴェクゼルヴィルクンゲン
」から,
「自ナトゥーアリッヒ然 的又は『事タートゼッヒリッヒ実 的』な国家の実在性」を 論証する「反規範的統合理論」であるということ になる(21)。
第2に,スメント憲法学説は反法治国家的であ るという批判である。まず,国家と法秩序を同視 する,ケルゼン固有の説が基盤となるが,統合説 の,国家の特殊性を統合価値の実現と見る部分が 非難される。つまり,国家は統合価値を,司法は 法的価値を,行政は管理価値を,各々実現すると して,国家現実と法的現実を別々に捉えるのであ る。ケルゼン曰く。スメント自ら国法や行政法の 概念を使う以上,又は,彼本人が司法にも統合価 値実現の役割を承認する以上,統合価値と法的価 値の区別,即ち,国家と法の区別は既に破綻して いると言う。更に,同じ集団を一方で国家共同体,
他方で法共同体に,同じ法創造機関を一方で行 政庁,他方で裁判所に分けるのは「奇 怪グロテスク」であ る(22)。結局ケルゼンからすれば,国家と法を区 別するスメントの見解とは,国家や行政を法の外 に置き,国家や行政の法的拘束又は法律拘束を解 除して内閣と行政にフリーハンドを与える,政治 的な立場であり(23), 法と規範を同視する,ス メントにない前提がここにあるが 国家を法秩 序として概念把握する,規範的国家理論からは到 底容認できぬ立場である(24)。結局,統合学説は 反規範的,反法治国的なのだ。
スメントの規範力論
スメントが反規範主義で反法治主義だとの理解 は,今や通説である。例えば,基本権教科書で著 名なシュリンク門下,コリオートの論の中にも,
統合理論が反規範的で反法治国家だとの言及を発 見できる。一つ。憲法が国家の法秩序ならば,そ こには憲法規範と憲法現実の相互作用がある筈だ が,それは,憲法が統合過程の一部分しか規定し ないとの一面的で不完全な相互作用である。なら ば,その憲法の規範性は,生の現実に劣った限定 的な規範性しか持たぬことになる(25)。二つ。国 家と法とを別々の価値に従う別々の圏域と理解す る,この説では,前者の法秩序たる憲法が後者の 世界から切離されてしまう。そうなると,統合プ ロセスという国家現実を形象化する能力,即ち憲 法が法としての持つべき役割が,不当にも過小評 価されるだろう(26)。尤も,統合説では憲法規範 でなく,憲法法の概念が使われるのだが(27),と はいえこの種の評価は,ケルゼン復興の機運が高 まる今世紀でも,純粋法学の直接の影響から生み 出されたものと推論するのは難しい。けれども,
統合理論が厳格な方法二元論ではキャッチできな い以上,スメントの現実理解に失敗する説は,結 局はケルゼン支配下にある(28)。
四 国法学上の政治闘争
さて問題は,ケルゼンのスメント批判が国家学 の範疇を大きく超え,これを,似非科学だ,ファ シズムだ,と罵倒するに至ることにある。第1に,
純粋法学から見れば,統合理論には科学的価値が ない,と。既に,スメント理論の中には概念上の 矛盾や混乱しか発見できない。例えば,国家と法 の区別。両者は二つの「勿論不可分に結合するが,
だがそれぞれ自体完結した,それぞれと区別の価 値理念の現実化に仕える,精神的生の圏域」であ るとするが,「それ自体完結して」同時に「不可 分に結合する」ことなど,論理的にありえぬ筈で ある(29)。この学説を「科 学 的 に 無 価 値ヴィッセンシャフトリッヒ ヴェルトロス
だと 拒否」して,何の問題があろうか(30)。ここから 法の科学者ケルゼンらしからぬスメントへの誹謗 が始まる。その無価値の科学で,或いは,科学の
振りをして,スメントが何をしようとしているの かといえば,それは,政治的主張の糊塗である。
人間意志を定める手段に科学の形式を流用するの が神学の特徴だとすれば,このスメントこそが核 心的な意味で「国家神学者シュターツテオローゲ」である(31)。彼は言 う,国家は精神であり同時に生命である,と。そ ういえば,神とは精霊で同時にキリストであると,
キリスト教神学も言っていた(32)。
更にケルゼンは言う。統合説はその政治性故に 非科学的なのだ,と。例えば,ファシズム文献が 統合理論の為の「偉大な宝庫」だとする,悪名高 い命題については,ファシズムなど従来,科学な どではなく,権力簒奪や権力展開の手段,つまり 政治に過ぎぬとされてきたのに,ファシズムを国 家学で認識せんとする意志がここに現れているの だ。「スメントが統合理論で 本アイゲントリッヒ来 考えていた の」は 政 治ポリティッシャー告 白ベケントニスなのである(33)。ファシズ ムの,「ヨリ直接的な政治的生形式」を大衆へと 拡張する危険性を,或いは自由主義と議会主義を 全面的に拒否する危険性を,スメントが警告した にも拘らず(34),そして,ファシズム文献の価値 は「ファシズム運動自体の価値と将来と独立に」
検討せねばならぬと,スメントが留保したにも拘 らず(35),「『統 合インテグラル』国家又は『統合されたイン テグリ ー ル テ』国 家はファシズム国家である」,と純粋法学は断定 する訳である(36)。後に告白教会の参加者となる 人物を,しかも,戦後ドイツの大学と教会の再建 者の一人となる人物を,不当にもナチ呼ばわりす るのが,法の科学を標榜した人物であるだけに,
その評価が定着してしまう(37)。だが,学問的に 無価値なら,無視する方が学問的によっぽど誠実 だ。
では,ケルゼンの以上の攻撃に,当のスメント は如何に応えたのか。法学を科学にしたケルゼン,
彼が科学的に無価値と見たスメント この図 式からは意外かもれぬが,スメントにとっては,
ケルゼンの方こそ,学界の中で,科学者の名に値 せぬ政治的な人物なのである。というのも,政治 闘争を仕掛けてきたのはケルゼンの側なのであ る。折りしも1925年,ケルゼンは,矢張りシュ プリンガー書店から『一般国家学』を出版し,ド 社会科学論集 第139号
イツ憲法学界に反響を及ぼしていたが(38),同時 に ,1914年 創 刊 の オ ー ス ト リ ア 向 け 専 門 誌
『 公ツァイトシュリフト フュア エッフェントリッヒェス レヒト法 雑 誌
』を,その編集 陣に当時著名な法実証主義学者の,アンシュッツ,
トーマ,ローテンビュヒャーを迎え入れることで,
態勢建直しを図っている(39)。スメント『憲法と 憲法法』出版は,この実証主義陣営に向けた反撃,
更に,27年5月24日と25日,ミュンヘンでの 第4回国法学者大会で彼の報告を一蹴したアンシュッ ツ,W・イエリネク,トーマらへの,ドゥンカー 社からの打診(同5月28日)を利用した,応戦 といえるが(40),上の「ケ ル ゼ ン 雑 誌ケルゼン・ツァイトシュリフト
」,更に社 会 民 主 党 系 の 共 和 国 裁 判 官 連 合デア レプブリカニッシェ リヒターブント
の 機 関 紙
『 司ディ ユスティーツ法』(41)から,精神科学的方法への波状攻 撃が加えられるのである。
つまりケルゼンは,弟子を使って組織的にスメ ントを批判している。 ローテンビュヒャーの 他(42),『憲法と憲法法』を厳しく弾ずる書評を,
共にウィーン時代のケルゼン門下だが,「公法雑 誌」でジグムント・ロハティンが,「司法」でハ ンス・クリングホーファーが執筆する(43)。加え て,『統合としての国家』を擁護する書評まで,
スメント批判の博論を執筆した弟子ハンス・マイ ヤーが「司法」へ投稿している(44)。スメント側 からの反撃は,精神科学的でないものの,トリー ペルとライプホルツのものがあるが(45),スメン ト本人による論文公表はない。尤も,スメントに ケルゼン反駁の意志がなかったという訳ではな い。ゲッティンゲン大学図書館が所蔵する,膨 大なスメント文庫の中に,「『統合』の概念に関 するハンス・ケルゼンとの論争について」のタ イトルがついたファイルが存在するが(46),そこ に,1930年6月5日付け「H・ケルゼンへの反 駁の為の草稿」というタイプ原稿(47)と,それと 同内容の同年6月11日付け 「『自分の為に非 ず』」という2頁の校正刷り(48)が残っているから である。 これは, スメント自身が編集する(49)
「公ツァイトシュリフト デス エッフェントリッヒェン レヒツ法 論 叢
」18巻3号への掲 載が予定されていたものだ。
では,スメントはこの2頁で何を語るのか。自 著の公刊直後には沈黙していたケルゼン一派が,
突如一斉に発言し始めたことを指摘して,純粋法 学によるスメント攻撃の組織性を,まずは暗に当 て擦る。以下スメントらしからぬシニカルで強 烈な言回しには,ケルゼンの「原理的対決」が
「ポリティッシェ フェアデヒティグング政 治 的 容 疑
」でしかないことへの落胆 が窺える。「反批判は一般的に無 目ツヴェックロス的である。こ こでは全く特にそうである」。スメントに対する 攻撃には,学問的には「新しいものは何もなニ ヒ ツ ノ イ エ ス」く,
彼の見解の学的誠実さを打消すことにこそ,その 核心があったのだ(50)。これ迄の批判者にも,「こ んな発見」を思いついた人はいなかった。だが,
たといこれに抗議しようとも,「フェアローレネ リーベスミュー骨 折 り 損
」 にしかならない。しかし,我慢ならないのは,ス メントに留まらない学界批判である。純粋法学を 歪曲し攻撃する為に純粋法学に言及する,純粋法 学の敵対者のやり口は,「ドイツ国法学で非常に 好まれた方法」である(51) こんな暴言を吐く
「破落戸ル ム プ」からド イ ツ の 学ドイチェヴィッセンシャフト問を守らねばならな い(52)。ドイツの伝統的大学の敵対者はナチスだ けではない。そこにもいる(53)。
この反撃は公刊されなかった(54)。だが,彼が 反論を諦めた訳ではない。第1に小冊子の出版で ある。これを,スメントからドゥンカー社に打診 しているが(30年8月8日書簡(55)),ドゥンカー 社の方からは,ドルックボーゲン全 紙 3枚分=48頁分であれば,
ヴェーバー『職業としての学問』の版型で出版が 可能との回答がされている (同年8月12日書 簡(56))。第2に『憲法と憲法法』第2版の公刊で ある。ドゥンカー社が,初版の品切れが近い(32 年7月19日書簡(57))又は完全に品切れとなった
(33年1月19日書簡(58))から,改訂に着手して 欲しいと述べ(32年3月10日(59),5月31日(60), 9月6日(61),翌1月19日書簡(62)),スメント本人 も,これを機会に,哲学的基礎づけを完全にやり 直し,ケルゼンを初め自身への批判にここで反論 するつもりだったらしい。この第2版を定本とす る筈だった仏語版に序文も予定されていたが(63), しかし結局は,スメントの健康状態の悪化により,
第2版の執筆は困難で(33年1月27日(64)),最 終的にそれを断念せざるをえない(同年12月19 日(65))とのスメントの書簡が出版社に送られて スメントの規範力論
いる。先の小冊子の計画の方も,同様の理由で実 現されなかったのだろう。
五 「精神科学的方法」
だが,ケルゼン反駁が公刊されぬことは,成立 しないことと同義ではない。それは,スメントに よる精神科学的方法から再構成できる。この方法 の核心を端的に言えば,それは, 現ヴィルクリッヒカイト実 ,即 ち精 神 的 現 実ガイスティゲ ヴィルクリッヒカイト
は, 実 在レアリテートと 理 念イデアリテート,又は,
事 実タートザッヘ
と価値ヴェルト,又は,現 事 実ファクティツィテートと意ジ義ンから成立 すること,これである。第1に国家理論について,
スメントはこう語る。「一つめの,一般的に精神 科学的な問いは,次の中に存立している。つまり,
人間の全ての集団生活の構造には,別々の世界に 由来する2つの要素が,その構造の要因として含 まれている,ということだ。この2つの要素のう ち一方に存するのは,人格的な生の要素である。・・・・・・・・
これは,社会的な関連を通じて構造上交錯した状 態にあるものだが,本来的に時間的・実在的な要・・・・・・・ ・・・・・
素である。他方に,この集団的生活が理念的・無
・ ・・・ ・
時間的な意義の王国に関与している,という要素
・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・
である。この共同秩序はただ弁証法的に了解すべ きで,切離してはならぬ」(66)。即ち,人間の集団 生活に,時間的実在的な要素と無時間的理念的な・・・・・・・・・ ・・・・・・・・
要素の二つがあり,この両者を,共同秩序を成す
・・
ものとして同時に考察するべき,というのだ。こ れこそ精神科学的方法の真髄である。
続けてスメントは,憲法理論においても,憲 法を精神的現実として,実在と理念の双方から考 察しなければならないと,述べるのである。「第 1に問われているのは,全ての精神科学の根本 的難問となっているような, 生レーベンスヴィルクリッヒカイト現 実
と 意 義 秩 序
ジンスオルトヌング
という,一般的な対立なのではない。
だがそうは言っても,あらゆる精神的現実の2 つの要因というのは,一つは,その現実の生き・・
生きとした具体性,その心理学的で時間に拘束
・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・
された実在性であり,もう一つは,その現実の
・・・・・・ ・・・・・
時間を持たない意義付着性,その事物的で,内
・・・・・・・・・・・・ ・・・・ ・ 在的で,理念的な意義構造,である。けれども,
・・・ ・・・・・・・・
精神的な生に関する全ての科学が,自然諸科学
に拘った結果誤った方法一元論を採用してしま い , 生 気 論 的 ・ 有 機 体 論 的 な 科 学 と し て , 現 実 的 な 生 の 流 れ
ヴィルクリッヒャー レーベンスシュトローム
そ れ 自 体 の み を 対 象 と してしまうか,或いは,理念的な体系化を中心 とする科学として(ウィーン学派の規範論理学 の よ う に ), 無時間的に理念的な内実ツ ァ イ ト ロ ー ス イ デ ア ー レ ゲ ハ ル ト
の み を 対 象としてしまうかして,その対象を生秩序と意・・・ ・ 義 秩 序 と い う そ の 二 面 性 か ら , 不 可 避 的 な
・ ・ ・
『 思 考 の 振 動オスツリーレン デス ゲダンケンス
』の中で把握することをや めてしまうなら,その全ての精神科学は,その対 象を捉え損なうことになるだろう」(67)。
であれば,即ち,スメントの言う精神科学的方 法が意味するものが,国家であれ憲法であれ,無 時間的で論理的な理念要素と,時間的で心理的な 実在要素と,この二要素から成立つ精神的現実で あること,故に,この精神的現実は,この意義秩 序と生秩序の二つの側面から弁証法的な「思考の 振動」により概念把握しなければならないこと,
これであるとすれば,先に述べた一見意味不明の 国家学と憲法学も,この精神科学的方法の視角か ら捉え直さねばならないことになろう。つまり,
国家とは,法律やら判決やら「個々の生の諸外化 が精神的全体連関の確認で或る限りにおいて,こ れらの中でのみそこにある」,とは,一方におい て,国家理念やら国家価値やら「或る全体連関」
という理念要素があり,他方において,法律制定 やら外交行為やら「個々の生の諸外化」という実 在要素があり,この一方の諸理念がこの他方の諸 実在により,繰返し反復して確認される限りにお いて,実在でも理念でもない,正に現実として国 家が我々に登場してくる,これを意味するのであ る。ケルゼンが不可解として退けた国家学が,実 は明快な基礎理論に裏付けられていることが,こ・・・
れで明白だろう。
なのにケルゼンは,現実が実在と理念から成立 つことを全く見誤り,寧ろ,現実が実在又は事実 又は現事実からのみ構成されると誤解し,その結 果,現実が理念又は規範又は意義と相反するもの と見間違え,遂には,統合理論が,単なる実在主 義の焼き直しに過ぎないという,スメントからす れば予想すらもしない,結論に突き進んだのであ 社会科学論集 第139号
る。ケルゼンがスメントを実在主義者だと誤解し 思い込んでいる箇所は,そのスメント論駁の『統 合としての国家』に反復して登場している。例え ば,精神科学的方法につき,その真髄は,同じく この方法名で語られるリット教育学と共に,スメ ントにあるのに,「無時間的で無空間的な規範法 則性の下に立つ精神」を語る学問が精神科学だと 誤解し,寧ろ自分達こそ精神科学の名に値すると の珍説を開陳する(68)。或いは,睡眠中の者,精 神障害者,子どもなど,国家を思念しえぬ者がい て,何故国家が実在的団体であると言えるのか,
という箇所(69),これは,昔から彼が実在主義国 家学を批判して語ることではないか(70)。しかし,
実在主義を批判する点でケルゼンとスメントに違 いはない。後者は言う,この限りでケルゼン国家 理論は「全く同意に値する」(71)。
六 統合理論の規範力論
統合理論へのケルゼンの内在的批判が完全に失・・・
敗しているとしても,では,それに導かれスメン トに貼り付けた批判は,即ち,統合説は規範を排 除し事実を優先する反規範主義である,又は法を 蔑ろにし国家を絶対視する反法治主義であるとの 批判は,一体どうなるのか。結論を先に出そう。
純粋法学とは寧ろ真逆に,スメントの中にこそ,
規範主義が呼吸し,法治主義が脈打つ,こう言わ なければならない。まずスメントは反規範主義だ,
との批判から論駁しよう。ところで,国家なる精 神的現実が,理念的な価値要素と実在的な事実要 素から弁証法的に編制される秩序であることは,
先に述べた通りであるが,その名が良く知られた スメントの「 機 能 的 統 合フンクチオネーレ インテグラチオン
」とは,このよ うな精神的現実としての国家が登場する場面とし て理解するべきである。つまりここでは,「闘カム争プフ」 や「 支 配ヘルシャフト」など様々な過程の中,それに参加す る人々が,或る精神内実を共通に体験し,これを 通じ彼らが一つの精神的統一体,即ち,国家へと 結集していくというのである(72)。例えば,議会 の選挙や審議を通じ国家理念が国民の中で共体験 され,この 議 会 弁 証 法パラメンタリッシェ ディアレクティク
から主権団体たる
国民が出現してくる,というのだ(73)。
尤も,この機能的統合を早合点し,人々が精神 内実を共通体験して国家が登場すると言うのだか ら,人々の心理状態という実在要素を強調する点 で,矢張りスメント理論は,規範を解消する実在 主義的国家理論ではないかと,首を傾げ疑問を呈 する人もいるかもしれぬ。だが,現実は実在要素 と理念要素の結合である,即ち,国家現実は,心 理状態なる実在要素のみならず,国家理念という 理念要素からも構成される筈だ。スメントのいう 規範ノ ル ム
とは,この理念イ デ ーのことなのだ。確かに,国家 理念を実現するのは人々の実在的な 政 治 的ポリティッシェス 体 験エアレープニス
であるなら,前面に現れるのは実在要素 だろう。しかし実在要素があるのは理念要素を実 現する為なのである。その限りでは中心は規範にあ る。我々は既に,憲法を国家の法秩序と見たスメ ント理論を検討したが,実のところ彼は,「統合秩 序を統 合 価 値インテグラチオンスヴェルト
へと方向づけたもの」こそ(74), 或いは「[統合という]このプロセスの個々の側面 を法律によって規範化したものノ ル ミ ー ル ン グ」こそ(75),端的に は,国家現実化を指導する「理念的意義体系イデアーレジンスジュステーム」 こそ(76),憲法なのだと強調している。ならば,
実現される規範たるこの 国 家シュターツフェアファッスング憲 法 までも が,統合理論の核心をなす筈であろう。
では次に,スメントが反法治主義であるとの非 難を吟味してみよう。まず,統合理論からすれば,
国家から一旦区別されたものであるが,だが,国 家現実と同様,精神的現実の一種として,法とい うものも,実在ファクターと理念ファクターの交 錯として把握される筈である。つまり,国家現 実が統合プロセスの中にあるとすれば,法の現実 も,「立法と裁判所と生活により法を実定化し安 定化し適用すること」の中に,換言すれば,ある ときは立法や司法という「組織化された諸機能」
が,あるときは「[一般の]法仲間たちレヒツゲノ ッセンによる法 適用」が,「互いに支え合い補い合い促し合う」
ことの中にある,と語られる(77)。否正確には,
これら実在的な「法的生活の大きな諸ファクター・・・・ グローセ ファク ト ー レ ン」 が相互に 「 一 つ の 体系」 を形成 し , 理 念 的・ ・ ・ な 「精 神 の 価 値 法 則 性ヴェルトゲゼッツリヒカイト デスガイステス
」 に, 即ち国家理
・
念=統 合 価 値 と 全 く別の , 法 価 値/理 念= スメントの規範力論
正 義 価 値
ゲリヒティヒカイツヴェルト
に導かれて,「法共同体の,具体的 な法的生活の実定的な現実へと」,国家現実の体 系へと纏まる統合諸ファクターの様に,結集する 訳だ。従って矢張り国家と同様,立法や司法の諸 機能の「弁 証 法 的 統 一ディアレクティッシェ アインハイト
」の中で,法的生活 の体系はその現実又はその大部分を獲得するの だ(78)。
法の現実も実在要素と理念要素の交錯から編制 されているとすれば,法の解釈も,この現実全体 の把握から,故にこの事実要素の把握と理念要素 の吟味の二方面から,実施しなければならない筈 であろう。まず,このとき実在要素とは,法仲間 による法制定や法適用であり,或いは,これによ り紙の上に活字で書き記された条文のことであ る(79)。だが,個別の条文に拘泥する形式主義で は,法の現実に肉薄できぬ。つまり,個別の法 が現実化する「意 義 連 関ジンツザメンハング」や「意義方向付けジンオリエンティールング
」 を理念要素として, 条文=実在要素と並び,
把握するべきなのである(80)。では,「 憲 法フェアファッスング」 の 「 法レヒト」, 即 ち 国 家 と 法 と が 交 錯 す る
「 憲 法 法フェアファッスングスレヒト
」の意義連関が一体何かといえ ば,それは端的には,理念的意義体系としての
「全 体 と し て の 憲 法フェアファッスング アルス ガンツェス
」であり,内容から見れば,
「国家の諸制度と諸機能が国家生活の全体へと統 合的に協力すること」 である。 つまり, この
「 統 合 法インテグラチオンスレヒト
」又は「政 治 的 法ポリティッシェス レヒト
」としての 憲法法の解釈は,一方では,憲法条項という実在 要素を尊重するとともに,他方では,統合価値と いう「単純な意義原則」に配慮しなければならな い訳だ(81)。統合任務を満たす憲法逸脱が許され るとは,この意味で理解される。
七 統合学派の規範力論
結局,スメントの規範力論とは,次のように纏 めることができよう。そもそも,規範,即ち,理 念や価値や論理と同義であるこの規範は,その対 極にある実在や事実と交錯しつつ,精神的現実を 編制するが,この規範が規範自体で存立しうるこ とはなく,これが存立するには,必ず実在により 現実化されて,歴史的現実とならなければならな
い。逆に言えば,精神科学的方法の立場は常に規 範を尊重するのである。その意味で,統合理論が 反規範主義だという主張は全く誤りである。では,
規範性の尊重は,国家学や国法学でどの様に展開 されるのか。国家が,統合価値を精神外化で現実 化したものであるのは当然だが,問題は,憲法の 法として,国家にも法にも関与する,憲法法であ る。この現実も,理念要素たる意義連関を,立法 や司法,法適用により,現実化して出来してくる 筈だ。だがその意義連関とは,憲法という意義体 系,即ち統合価値を意味するのだと,統合説は主 張していて,それ故,国法解釈は,この憲法の統 合連関に配慮しなければならぬ。であれば,スメ ントの論理からすれば,憲法条項のみならず,こ の統合価値に留意せずして,法治国家を貫徹した ことにならない筈だ(82)。
この規範力論を その国家現実と法の現実 という部分を消しつつ,しかもスメント精神科 学的方法の規範と事実と現実の三元構造を維・・ ・・ ・・
持しながら, 事実概念に代えて現実概念を用 いることで,その結果,規範と現実と名前のな・・ ・・ ・・・・
い第三次元の三元構造へと転換させつつ 発
・・・・・
展 的 に継承し た も の こ そ が , ヘッセの
「 憲 法 の 規 範 力ディノルマティーフェ クラフト デア フェアファッスング
」 論である(83)。 つまり,統合理論では単なる時間的で心理的な 実 在 と さ れ た も の を , そ の根 幹概念 で あ る 現 実
ヴィルクリッヒカイト
概念に,このスメントの弟子は換言し てしまったが,その規範と現実の関係は,スメン ト理解と同じものである(84)。そのヘッセ曰く,
現実と規範,存在と当為を,バラバラに分解して,
規範を抜き取った現実ノルムエントレールテ ヴィルクリッヒカイト
と 現実を抜き取った規範ヴィルクリッヒカイツエントレールテノルム
に見るべきではない。寧ろ, 憲 法 規 範フェアファッスングスノルム
も,
現実から独立したものではなくて,現実から条件 づけられたもの,関連づけられたものと把握しな ければならない。従って,憲法規範の本質は,
妥当すること
ゲ ル テ ン
,つまり「それに規範化された状態 を現実の中に現実化しようとすること」,この中 にある。即ち,法的規範とは,自然的・技術的・
経済的・社会的条件を計算に入れながら,その妥 当要求を実在化しようとするものなのである(85)。
憲法規範が憲法現実に関連するとはいえ,規範 社会科学論集 第139号
は現実と同じでない。即ち,憲法規範はその事実 的条件の単なる鏡像などではなく,寧ろ,規範は 現実に対する独自性を維持し続けるのであり,そ れどころか,政治的で社会的な現実を秩序づけ形 象化する力を保持しているのだ。即ち,法的憲法 は,現実を作り上げる規範力を持っているのであ る。とはいえ,その規範力は,現実を考慮する限 りでの規範力であって,その意味で,この規範力 には限界と条件を考慮しなければならない(86)。 それでは,その規範力を限界づけもし支えもする 条件とは一体何か。それは即ち,与えられた事実 にずる賢く適応することなどではない。そうでは なく,まずは憲法規範が打立てる任 務アウフガーベを把握し,
その次に己自身の行動を,その憲法規範が規範化 した秩序によって規定する,そのような心 構 えベライトシャフト を所持し,更に,その場で有用だと判断されても 放棄したり打消したりせず,その憲法秩序を貫徹 する 決エントシュロッセンハイト意
を保持し,即ち,一般の意識,
特に憲法生活に責任ある者らの意識においても,
権力への意志のみならず憲法への意志を維持するこ と,これである。要は,この「憲 法 へ の 意 志ヴィレ ツア フェアファッスング
」 こそ,憲法の規範力の条件なのである(87)。
スメントの言語に直せば,ヘッセの指摘は次 のようなものとなろう。規範と法が同次元にある ヘ ッ セ が 言 う 憲 法 規 範 と は , ス メ ン ト で は 憲 法 法
フェアファッスングスレヒト
を意味する筈だが,この憲法法と は,一方で国家統合という意義連関,他方で法律 制定や判決言渡し,又はそれにより記された法律 条文や判決書,この両者から出来する精神的現実 なのであった。ヘッセからすれば,この統合価値 の意義連関に規範力が備わるのだ。そして,この 意義(規範)は,それ自体で存立するものではな くて,人々による法的な諸活動(実在)を通じて,
現実へと登場する筈だ。だとすれば,この意義連 関が現実化する為に,人間による現実化の活動が 必要となるが,この意義自体がこの活動を調達で きはしない。では,この現実化の法的諸活動は如 何にして準備されるのだろうか。ヘッセは言う,
それこそが人々の「憲法への意志」という訳であ る。とはいえ,残念ながらこれは,ヘッセのオリ ジナルな主張ではない。国家存立は,構成員の恣
意や外部からの強制に依拠できない,故に,構成 員に課題を課し,自発的な意志を倫理的に涵養す るべきだ 本稿では略したが,このスメント憲 法倫理学こそが淵源なのである(88)。
八 結 語
さて,スメントの規範力論を論じてきた本稿の 結論を纏めてみよう。国家を統合プロセスと見る スメント理論を評して,ケルゼンは言う,新概念
「統合」が意味するのは,人間の継続的な結合関 係に過ぎず,その点で統合説は,規範性を無視す る実在主義国家学の変種である。しかも,統合価 値と法価値の区別により,国家学と国法学を分断 し,国家や行政を法の領域から排除して,その統 制から抹消してしまう。しかしこの批判は,スメ ント精神科学的方法の無理解から由来する。即ち ここでは,精神的現実は理念と実在の弁証法の運 動から成立つ。この方法が不明だからこそ統合説 が非科学的なイデオロギーに映る。だが,国家た る現実が,憲法の意義体系(規範)を人々の個別 活動(実在)で出来するのならば,国家の規範性 が無視できる筈がない。更に,国法も,同じく意 義連関(理念)と法の適用(事実)の交錯であれ ば,政治的法としての国法に潜む意義体系,統合 価値を無視しては,国法の現実は安泰でなく,法 治主義に違反することになる。その意味で,国民 の「憲法への意志」を重視するヘッセの憲法理論 は,実在要素の観点から,憲法の規範力の条件を 探究したものなのだ(89)。
スメントの規範力論が上の様なものであるとし ても(90),本稿の主張は,この時代遅れの憲法理 論を擁護することにあるのでは,断じてない。仮 にそれが正しいとしても,少なくともケルゼンと の対比において,その純粋法学の弁明を吟味せず して,学問的に見て公平ではないし(91),それ以 上に,最初に括弧に入れた,憲法理論や立憲主義 そのものの本性を検討せずして,ヨリ根本的な次 元から見たことにもならない(92)。但し,幾らか 雑駁に,その結論が持つ効果や機能の観点から言 えば,人々を公共的な討議や熟議に誘う社会倫理 スメントの規範力論
学が待望される現代には,憲法の規範力は,その 憲法を日常生活の中で人々が繰り返し具体化する ことなくして,語りえない筈だという統合理論こ そが相応しい。日本国憲法が,「オイラーの等式」
の如く,誰にも知られず誰にも証明されずとも規 範として絶対的に妥当している,とでも言うのか。
そうではあるまい。人々がこの憲法を理解し憲法 を実践して初めて,憲法は存立し,「我に従え」
と規範としての迫力を携えてくる筈だ(93)。その
「オイラーの等式」さえ人々が進んで追体験する 現在,憲法の追体験を求めるスメントを,法学者 はなぜ追体験しないのだろうか(94)。
注記1 本稿は,平成23年度科学研究費補助金・基 盤研究C(課題番号22530026)の研究成果の一部 である。
注記2 本稿は当初,或る叢書の一つの論文として寄 稿したものであったが,2011年11月2日の脱稿以 来,すでに1年以上も経過しており,その間,高橋 信行『統合と国家』(有斐閣,2012年)といった重 要な著作の公刊や,私なりの調査や研究の進展もあっ たことから,ひとまず,上記脱稿日のものをそのま ま本誌で公刊することとした。
(1) 三宅雄彦 『憲法学の倫理的転回』(信山社,
2011年)1417頁。
(2) 例えば, 宮澤俊義 「公法学における政治」
(1932年)同『公法の原理』(有斐閣,1969年)
6164頁,小林直樹『憲法の構成原理』(東大出 版会,1961年)9192,118頁,樋口陽一『比較 憲法[第3版]』(青林書院,1992年)192頁。
(3) Stefan Korioth,・
...soweitman nichtaus Wienist・oderausBerlin:DieSmend/Kelsen- Kontroverse,in:S.L.Paulsen/M.Stolleis
(Hrsg.),HansKelsen,2005,S.318332;ders., RudolfSmend(18821975),in:Festschrift200 Jahre Juristische Fakultat der Humnboldt- UniversitatzuBerlin,2011,S.583604;Manfred Gangl,IntegrationundNorm.Zum Verhaltnis von RudolfSmend und HansKelsen,in:H.
Brunkhorst/R.Voigt(Hrsg.),Rechts-Staat, 2007,S.103123;Karsten Malowitz,Wasden Staat im Innersten zusammenhalt:Rudolf
Smend als Antipode Hans Kelsens in der staatstheoretischenGrundlagendiskussionder WeimarerStaatslehre,in:M.Gangl(Hrsg.), DieWeimarerStaatsrechtsdebatte,2011,S.69 100;三宅雄彦「統合理論の現在」社会科学論集 119号(2006年)80頁。
(4) Cod.Ms.R.SmendA432:[Kelsen,Hans].
(5) Z.B.Cod.Ms.R.Smend A137:[Curtius, ErnstRobert].
(6) Rudolf Smend, Verfassung und Verfa- ssungsrecht,1928.以下では,通例どおり,ス メントの学位取得50周年を記念し編まれた彼の 論文集に収録されたバージョンから,引用するこ と に す る 。RudolfSmend,Verfassung und Verfassungsrecht(1928),in:ders.,Staatsrecht- licheAbhandlungenundandereAufsatze,3. Aufl.,1994,S.119276.
(7) Duncker&Humblot―Smendvom28.5.1927
(Cod. Ms. R. Smend C9[Duncker und Humblot:betr.VerfassungundVerfassungs- recht,1.Aufl.,1928]Bl.1).
(8) Smend―Duncker& Humblotvom1.6.1927
(Cod.Ms.R.SmendC9Bl.2f.).
(9) Duncker& Humblot―Smendvom4.6.1927
(Cod.Ms.R.SmendC9Bl.4f.).
(10) Manfred Friedrich, Einleitung, in: ders.
(Hrsg.), Verfassung: Beitrage zur Verfas- sungstheorie,1978,S.111,3;ders.,Geschichte derStaatsrechtslehre,1999,S.353359;三宅雄 彦「ドイツにおける憲法理論の概念」早稲田法学 会誌47巻(1997年)258261頁。二人の友好関 係が,その往復書簡の公刊により最近明らかにさ れ た 。Vgl.,R.Mehring(Hrsg.),・
Aufder gefahrenvollen Strae des offentlichen Rechts・.BriefwechselCarlSchmitt―Rudolf Smend19211961,2010.
(11) Smend,a.a.O.(Anm.6),S.136.Vgl.,Smend, Integrationslehre(1956),in:ders.,Staatsrecht- licheAbhandlungen und andereAufsatz,3. Aufl.,1994,S.475481.
(12) Smend,a.a.O.(Anm.6),S.189.
(13) Smend,a.a.O.(Anm.6),S.190.
(14) Smend,a.a.O.(Anm.6),S.142170,198218; 三宅(前掲注(1))103頁。
(15) Smend,a.a.O.(Anm.6),S.195197;ders.,In- tegration(1966),in:ders.,Staatsrechtliche Abhandlungen und andereAufsatz,3.Aufl., 1994,S.477f.
社会科学論集 第139号
注
(16) Smend,a.a.O.(Anm.6),S.131;ders.,a.a.O.
(Anm.11),S.480.参照,三宅(前掲注(1))41 51頁。
(17) HansKelsen,DerStaatalsIntegration.Eine prinzipielle Auseinandersetzung,1930(Neu- druck,1971). V gl.,Heinz Sarkowski,Der Springer-Verlag:StationenseinerGeschichte, Bd.1,1994,S.249f.
(18) Kelsen,a.a.O.(Anm.17),S.2.
(19) Kelsen,a.a.O.(Anm.17),S.1.
(20) Kelsen,a.a.O.(Anm.17),S.45f.
(21) Kelsen,a.a.O.(Anm.17),S.45,59.
(22) Kelsen,a.a.O.(Anm.17),S.62f.,6567.関連 して,古野豊秋「ハンス・ケルゼンの憲法概念と その現代的意義」山下威士先生還暦記念『ドイツ 公法理論の受容と展開』(尚学社,2002年)82 85頁。
(23) Kelsen,a.a.O.(Anm.17),S.60.
(24) Kelsen,a.a.O.(Anm.17),S.62.
(25) Stefan Korioth,Integration und Bundes- staat. Ein Beitrag zur Staats- und V er- fassungslehreRudolfSmends,1990,S.211215. Vgl., Josef Isensee, Die Staatlichkeit der Verfassung,in:O.Depenheuer/Ch.Graben- warter(Hrsg.),Verfassungstheorie,2010,S.
199270,212f.,218,222.
(26) Korioth,a.a.O.(Anm.25),S.215219. V gl., PeterUnruh,WeimarerStaatsrechtslehreund Grundgesetz,2004,S.132155;Axel-Johannes Korb,KelsensKritiker,2010,S.123134.
(27) Sandra Obermeyer, Integrationsfunktion derVerfassungundVerfassungsnormativitat, 2008,S.3033.即ち,憲法規範の概念がないこと は,憲法自体が規範であることを,憲法法の概念 があることは,憲法自体はそもそも法ではないこ とを,延いては,規範と法が同義でないことを意 味する。これは後述する。
(28) この傾向は,ケルゼン志向の強い国法学者に,
当然だが顕著である。特にレプジウスは,認識方 法が認識対象を決定するという見地から,スメン ト説を,現象学を辻褄合わせで援用する錯乱した 説だとする。OliverLepsius,Diegegensatzauf- hebendeBegriffsbildung,1994,S.356f.;ders., Erkenntnisgegenstand und Erkenntnisver- fahren in den Geisteswissenschaften der WeimarerRepublik,in:IusCommune,Bd.22
(1995),S.283310,306308.この概念の混乱が ナチを幇助したというのがレプシウスの理解だが,
お陰で,彼の国でもスメントがナチスだという誤 解 が 後 を 絶 た な い 。AndreasAnter,Rudolf SmendundderKampfgegendenOrdnungs- relativismus.Krisendiagnose als Selbstver- standigungim Jahre1943,in:A.Brockmoller/
E.Hilgendorf(Hrsg.),Rechtsphilosophieim20 Jahrhundert.100JahreArchivfurRechts-und Sozialphilosophie,2009,S.3750,40f.,47f.
(29) Kelsen,a.a.O.(Anm.17),S.62.その他にも,
統合が「価値現実化の過程」であると一旦述べる なら,統合自体が「現実化されるべき価値」では ないことになる筈なのに,突如として統合過程
(現実)が「統合価値」へ転換されている こ のようにケルゼンは述べる。だが,こんなことは 論評に値しない。
(30) Kelsen,a.a.O.(Anm.17),S.62.
(31) Kelsen,a.a.O.(Anm.17),S.32f.
(32) Kelsen,a.a.O.(Anm.17),S.33.56.
(33) Kelsen,a.a.O.(Anm.17),S.59.
(34) Smend,a.a.O.(Anm.6),S.157,175.
(35) Smend,a.a.O.(Anm.6),S.141.
(36) Smend,a.a.O.(Anm.6),S.141,157,175; Kelsen,a.a.O.(Anm.17),S.59.
(37) Vg.,Wolfram Bauer,Wertrelativismusund Wertbestimmtheit im Kampf um die WeimarerDemokratie,1968,S.329338;Justus Hashagen:ZweiNeuerscheinungen zu V er- fassungstheorie und V erfassungsrecht, in:
SchmollersJahrbuch,Jg.53(1929),S.127139; 小貫幸治「『法の純粋理論』と『民主制の擁護』」
山下威士先生還暦記念『ドイツ公法理論の受容と 展開』(尚学社,2002年)107109頁。
(38) Vgl.,HorstDreier,RezeptionundRolleder Reinen Rechtslehre,2001, S.2025; ders., Integrations durch V erfassung? Rudolf SmendunddieGrundrechtsdemokratie,in:F.
Hufen(Hrsg.),VerfassungenzwischenRecht undPolitik.Festschriftzum70.Geburtstagfur Hans-PeterSchneider,2008,S.7096;Martin Schulte,HansKelsensBeitrag zum Metho- denstreitderWeimarerStaatsrechtslehre,in:
L.P.Stanley/M.Stolleis(Hrsg.),HansKelsen, 2005,S.248263.
(39) Lothar Becker,Schritte auf einer ab- schussigenBahn,1999,S.4952,Fn.31u.35; Mehring,a.a.O.(Anm.10),S.53;RudolfAladar Metall,HansKelsen,1969,S.15f.三宅(前掲注
(1))5455頁注105。MatthiasJestaedt,Hans スメントの規範力論
KelsensReineRechtslehre,in:H.Kelsen,Reine Rechtslehre,Studienausgabeder1.Auflage, 1934,2008,S.xiff.,xxiii.但し,この全ドイツ語 圏の法実証主義への方向転換が成功したかは別で ある。反実証主義や親自然法論の論稿もここで増 加していくし,アンシュッツらにとりケルゼン純 粋 法 学 は 理 解 容 易 な も の で は な い 。Michael Stolleis,GeschichtedesoffnentlichenRechts, Bd.3,1999,S.166,170f.;HorstDreier,Rezeption undRollederReinenRechtslehre,2001,S.22f.; ders.,Ein Staatsrechtslehrer in Zeiten des Umbruchs,in:ZeitschriftfurneuereRechts- geschichte,Bd.20(1999),S.2848,36;Walter Pauly,Zu Leben und Werk von Gerhard Anschutz,in:G.Anschutz,Ausmeinem Leben, 1993(2.Aufl.,2008),S.xxxviiif.;Mehring,a.a.O.
(Anm.10),S.85,Fn.281.
(40) スメントの報告は法と政治を取り違えたという アンシュッツの発言,一義的な解釈のみが法律解 釈に値するというW・イエリネクの発言,中で も,スメントの精神科学的方法を敷衍して述べた カウフマンの形而上学の立場を,「それは私にとっ ていわば中国語である」とか,「それを理解でき ないのはこの会場で私だけではない」とか述べた,
リヒャルト・トーマの傲慢な態度が,学派の対立 を象徴する。他面,「スメントとカウフマンの詳 述がなぜ理解されぬのか分からない」,「それがす ぐ理解されない限りで,新しいものは良いもので ある」,ドストエフスキーでスメントを擁護した トリーペルの言葉が際立つ。G.Anschutz,W.
Jellinek,R.Thoma,H.Triepel,Aussprache,in:
VVDStRL,Bd.4(1928),S.7476,8284,8587, 89f. Vgl.,Stolleis,a.a.O.(Anm.39),S.174f., 192f.なお,エーリヒ・カウフマンの立場につき,
日比野勤「実質的憲法理論の形式と統合理論(1)」
国家学会雑誌99巻9・10号(1986年)1120頁,
三宅雄彦「政治的体験の概念と精神科学的方法
(2)」早稲田法学74巻4号(1999年)689691 頁。
(41) ChristophGusy,WeimarerVerfassung,1999, S.204;Theo Rasehorn,DerRepublikanische Richterbund,in:RechtundPolitik1983,S.17; BirgerSchulz,DerRepublikanischeRichter- bund(19211933),1982.
(42) Karl Rothenbucher, Smends Verfassung und Verfassungsrecht, in: Reichesverwal- tungsblattundpreuischeVerwaltungsblatt, Bd.49(1928),S.554ff.
(43) Siegmud Rohatyn,Die verfassungsrecht- liche Integrationslehre. Kritische Bemer- kungen,in:ZeitschriftfuroffentlichesRecht, IX (1930), S.261284; Hans Klinghoffer, SmendsIntegrationslehre. Bemerkungen zu SmendsSchrift,・VerfassungundVerfassung srecht・,in:DieJustizBd.5(1929/30),S.418f.
ロハティン(1905??)は,ケルゼン指導の下
「革命の問題と純粋法学」で28年に,クリングホー ファー(190590)は,同様に「国家官僚制と民 主主義」で27年に,博士号を取得した。因みに,
前者は39年にイギリス亡命の後,カナダに移住 しており,また後者は,38年にパリに脱出後,
ポルトガルを経て,41年にブラジルに亡命。53 年にイスラエルに移住した後は,ケルゼンの推薦 を得て,イスラエルヘブライ大学法学部に勤務
(~72年),65年から72年には国会議員として,
人権政策の推進に貢献した。Vgl.,ClaudeKlein, Hans(Itzhak)Klinghoffer,in:R.Walter/C.
Jabloner/K.Zeleny(Hrsg),DerKreisum Hans Kelsen,2008,S.175182;RobertWalter,Sig- mundRohatyn,in:DerKreisum HansKelsen S.403407;JohannesFeichtinger,Wissenschaft zwischen den Kulturen.Osterreichische Hochshullehrerin derEmigration19331945, 2001,S.295297,302304.
(44) Hans Mayer, Staatstheorie und Staats- politik.BemerkungenzuHansKelsensSchrift
・ DerStaatalsIntegration・,in:DieJustiz,Bd.7
(1932),S.251259.Vgl.,HansMayer,DieKrise derdeutschenStaatslehreunddieStaatsauffa- ssungRudolfSmends.Diss.Rechtswiss.Koln, 1931,S.3273.文芸史研究で著名な,ハンス・マ イヤー(19072001)が博士論文を執筆したのは,
ケルンのフリッツ・シュティアゾムロの下で,
学位取得直後の1930年10月に同大にケルゼンが 移籍,実際には,マイヤーとケルゼンの交流は翌 年に始まったようである。元々共産主義学生運動 に熱心でG・ルカーチの影響が強く,ケルゼンに 関心を持ったのは,イデオロギー批判の観点から であるらしい。33年の合法革命後はベルリンに いたが,ユダヤ系故に追放されて,シュトラスブ ルクを経て,ケルゼンの援助でジュネーブに亡命 する。Vgl.,Mayer,EinDeutscheraufWider- ruf,Bd.1,1982,S.144151;GunterHefler,Hans Mayer,in:R.Walter/C.Jabloner/K.Zeleny
(Hrsg),DerKreisum HansKelsen,2008,S.
293314. 社会科学論集 第139号