論 文》
アメリカの長期ケアと
高齢者包括ケア・プログラム ( PACE )
オンロックの活動を中心に
新 井 光 吉
キーワード:長期ケア, メディケア, メディケイド, マネジドケア, PACE, オンロック, 包括ケア, デイ・ヘ ルスセンター
は じ め に
周知のようにアメリカには国民皆保険制度が存 在していない。 公的医療保険は高齢者向けのメディ ケアと低所得者向けのメディケイドに限定され,
国民の27%前後をカバーしているにすぎない。
これに加えて国民の6割は雇用主提供の民間医療 保険に加入しているが, 残りの16% (2006年
4,700万人) 前後は無保険のままに放置されてい
る。 しかもアメリカの国民医療費はGDPの16%
にも達し, 他の欧米諸国の1.5〜2倍の高水準に あるが, これらの無保険者や貧弱な医療保険の加 入者を大量に切り捨てたままにしている。 その結 果, アメリカは最先端の高度医療技術では世界を リードしているものの, 保健指標 (平均寿命や乳 児死亡率) では先進国の中でも最低レベルに甘ん じているのである。 アメリカでは医療保障の財源 もサービス提供も市場に委ねられているので, 無 保険者や低所得などの医療弱者は医療保障から排
除されかねないリスクにさらされている。
本稿は医療を民間市場に委ねているアメリカに おいて医療弱者と看做されている要介護老人に対 する長期ケアの問題を取り上げ, 包括ケアという 手法によって低医療費とQOLを両立させている PACE (Programs of All-inclusive care for the elderly, 高齢者包括ケア・プログラム) の歴史 と活動内容を分析し, その意義と課題を明らかに したいと考えている。 というのも, PACEはナー シングホーム入所資格者のみを集めながら包括ケ アによって要介護者のほとんどが在宅生活を継続 できるようにして低医療費とQOLを両立させて いるからである。 また筆者は保健・医療・福祉の 連携による地域医療 (地域包括ケア・システム) の研究に携わってきたが, そのアメリカにおける 一形態ともいえるPACEに強い興味を惹かれた からでもある。 日本でも北欧でも保健・医療・福 祉の連携を図ることでQOLを悪化させることな く医療費を抑制できるという考え方があり, 筆者 は国際比較におけるアメリカの研究対象として特 目 次
はじめに
第1章 アメリカの医療保障制度 第2章 マネジドケアと長期ケア 第3章 オンロックの高齢者包括ケア む す び
にPACEに注目してきたのである。 PACEは加 入者に対して保険者とケア提供者の両方を兼ね, 加入後の全医療費を支払う義務を負っているが, この二重の役割が連邦や州から支払われる資金を プールして使う際の柔軟性を生み出しているとい われる。 しかもPACEは徹底的な予防が症状の 悪化を防いで入院を減らし, 老人のQOLに対し ても決して良くない入院を包括ケア・サービスに よって回避しコストも抑制できると考えているの である。
長期ケア向けの公的保険のないアメリカでも, 重い自己負担から貧困者に転落した要介護老人が メディケイド受給者になるという経路を通じて, 今日ではメディケイド (メディケアも医療的要素 の高い部分は負担) が長期ケア財源の重要な柱と なっている。 しかし, それはメディケイドやメディ ケアを抑制しようとする連邦政府や州政府の姿勢 を更に強めることにも繋がって行った。 そのため 施設ケアを重視していたメディケイドも徐々に在 宅ケアを重視するように変化している(1)。 またマ ネジドケアがメディケアやメディケイドにも導入 され, 包括払い方式も入院, 医師診療, 外来, 長 期ケア, 在宅ケアにまで適用されるに至ったので ある。 こうした政府の医療費抑制策は民間市場に 医療供給を頼るアメリカでは, 医療サービスの供 給不足へと直結する恐れを生じさせることになっ たのである。 実際, 在宅医療の包括払い化が決定 された1997年には在宅介護施設が1年間で26%
も減少している。 しかし民間の在宅介護施設が激 減すれば, マネジドケアによって退院を強いられ た高齢者が介護難民となる恐れがある。 そこで, 包括ケアによって医療費抑制とQOL維持を両立 させられるPACEのような組織が必要とされて いるのである。
本稿はPACEの原型として1971年にサンフラ ンシスコのチャイナタウンに誕生したオンロック (On Lok) の活動を中心にPACEの活動を分析 することにする。 というのも, オンロックは筆者 が2009年9月に調査した2つのPACE組織の1 つでもあるからである。
オンロックの活動については1990年代に前田
信雄 (1990年), 鳩野洋子 (1996年), 日原知巳 (1997年), 2000年以降では近藤克則 (2000年), 川口洋行 (2001年), 野口尚 (2002年), 原真 二 (2002年), 宮垣元 (2006年) などの先行研究 がある(2)。 しかし宮垣論文を除くといずれも8年 以上経過しており, この間の医療政策の大きな変 化などを考えれば, オンロック (PACE) の現状 というよりもその歴史について参考になる文献と いえよう。 また宮垣論文はNPOの組織運営論と いう観点からPACEと取り上げており, オンロッ クについて詳細に紹介している訳でもない。 また 筆者が重視する保健・医療・福祉の連携による地 域医療 (地域包括ケア・システム) という観点と はオンロックやPACEに対する見方が異なって いる。
本稿は第1章でアメリカの医療保障制度の概要 と特徴を明らかにし, 国民皆保険の挫折と民間保 険の優位, それに伴う医療弱者 (無保険者や要介 護老人) の顕在化, などの問題を明らかにする。
また皆保険の挫折によって医療費が高騰を続け, その抑制のために包括払い (DRG/PPS) やマネ ジドケアが導入され, 医療弱者が深刻な苦境に陥っ ている点も明らかにする。 これを受けて第2章は マネジドケアがメディケアやメディケイドにまで 導入され, 包括払い方式も入院や医師診療や外来 に止まらず長期ケアや在宅ケアにまで適用される ようになり, 長期ケアや在宅ケアが大きな影響を 被っている実態を解明する。 第3章はこのような 状 況 に 対 応 す る 1 つ の 手 段 と し て 登 場 し た PACEの包括的ケアについて分析する。 PACE は包括的なケアによって低医療費とQOL維持を 両立させている組織であり, 医療費抑制政策の基 調が続く中では, このような組織こそが長期ケア を担って行けるのではないかと思われる。 PACE, 特 に オ ン ロ ッ ク が ど の よ う に し て 低 医 療 費 と QOLを両立させているかを解明したい。
第1章 アメリカの医療保障制度 [1] アメリカ医療費の国際比較 医療費と医療資源
アメリカ医療保障の歴史や構造について述べる 前に, まずアメリカの医療がどのような特徴をもっ ているのか, 国際比較をしておこう。
アメリカの特徴は第1表からも明らかなように 高い医療費 (対GDP比, 1人当たり), 平均在院 日数の短さ, 病床数や医師数の少なさ, 乳児死亡 率の高さと平均寿命の短さなどの点にあった。 特 に世界で最も多くの医療費を費やしながら乳児死 亡率や平均寿命などの保健指数が先進国の中でも 最悪の部類に属している点については内外からも 強い関心が寄せられている。
アメリカの国民医療費は2007年にGDP比で
16.0%に達し, OECD諸国中で最も高くなってい
る(3)。 1人当たり医療費も, アメリカは2007年に 7,290ドルで, 日本の2.8倍, イギリスの2.4倍, フランスやドイツの2倍, カナダの1.9倍に達し, 世界で最も医療費が高い国となっている。 アメリ カの平均在院日数 (急性期病床) は5.5日で, デ ンマークやスウェーデンよりも長いが, 日本, ド イツ, カナダ, イギリスなどよりも短く, ほぼフ ランス並みとなっている。 人口1,000人当たりの
病床数も3.1とイギリス, カナダ, デンマークよ りも少なく, 先進国の中では最低水準にある。
貧弱な保健指数
では, 世界一の医療費を費やしているアメリカ の保健指数はそれに見合った良好なものなのであ ろうか。 まず, アメリカの平均寿命の伸びは 1960〜2002年に7.3年に達しているが, 日本 (14 年) やカナダ (8.4年) の伸びと比べてかなり小 さい。 アメリカの平均寿命は2002年に77.2歳で, OECD諸国平均の77.8歳を下回っていた。 2006 年時点で日本, スイス, アイスランド, イタリア, スペイン, オーストラリアの6カ国はOECD諸 国の中でも平均寿命が最も長い国とされたが, こ れらの諸国と比べてアメリカは依然として短かっ た。 アメリカの乳児死亡率は1960〜2006年に新 生児1,000人当たり26.0から6.7まで大幅に低下 したが, 他のOECD諸国ほどではなかった(4)。 例えば, 2006年の乳児死亡率は日本2.6, スウェー デン2.8, デンマーク・フランス・ドイツ3.8な どと比べて, アメリカはかなり高かったのである。
また成人喫煙率に関しては, アメリカは1980
〜2007年に33.5%から15.4%へと大幅に低下さ せており, スウェーデンやオーストラリアと並ん でOECD諸国中で最低のレベルにある。 この面 では癌罹患率の低下など保健面で一定の成果を挙 第1表 主要国の医療保障 (2007年)
国 医療費 (%) 平 均
在院日数 救急病床数 医 師 数 乳児死亡率 平均寿命 対GDP比 公費比率 (男女)
カ ナ ダ 10.1 70.0 7.3* 2.7* 2.2 5.0 80.7 デ ン マ ー ク 9.8 84.5 3.5** 2.9 3.2* 3.8 78.4 フ ラ ン ス 11.0 79.0 5.3 3.6 3.4 3.8 80.7 ド イ ツ 10.4 76.9 7.8 5.7 3.5 3.8 79.8
日 本 8.1* 81.3* 19.0 8.3 2.1* 2.6 82.6
スウェーデン 9.1 81.7 4.5 2.1 3.6* 2.5 81.0 イ ギ リ ス 8.4 81.7 7.2 2.5 2.5 4.8 79.1**
ア メ リ カ 16.0 45.4 5.5 2.7* 2.4 6.7* 78.1*
(資料) OECD Health Data2009-Selected Dataより作成。 病床数と医師数は人口1千人当たり,*は2006年,**は2005年。
げてきたといわれる。 しかし成人肥満率 (BMI 30以上) では, アメリカは2006年に34.3%に達 しており, OECD諸国中で最高となっている。
これは生活習慣病の増大などを通じて医療費の膨 張と平均寿命の短さなどの原因にもなっている。
しかも生活習慣病が高齢者と密接に関連した病気 であることから, アメリカは急性期中心の医療提 供体制から慢性期の長期療養ケアにも十分対応で きる体制へと転換して行く必要性が高まっている といってよい。
このようにアメリカの医療保障は深刻な問題を 抱えているが, その大きな原因が現在の医療制度 にある。 そこで, 次に医療保険を中心にアメリカ の医療保障制度がどのようにして形成されてきた かを見ておこう。
[2] 医療保険制度の発展
皆保険の挫折と民間保険の優位
アメリカは皆保険制度が存在していない唯一の 先進国である。 このためアメリカの医療保障は民 間医療保険 (営利・非営利), 高齢者向けメディ ケア (連邦管掌), 低所得者向けメディケイド (州管掌), の3つの制度によって支えられている。
例えば, 2003年では非高齢者の62%が雇主提供 医療保険, 5%が私的医療保険, 15%がメディケ イドの対象となっており, 残りの18%が無保険 者であった。 これに対して65歳以上の高齢者は ほとんどがメディケアの受給権者となっている。
このためメディケア・メディケイドの適用対象 とならず, 民間医療保険も購入できない多くの国 民は無保険者 (2006年4,700万人) となっていた。
アメリカの医療サービスは最先端の医療技術が用 いられ, 高い水準を誇っている一方で, 医療費が 甚だ高価であるという欠陥も有している。 例えば, アメリカの医療費は2007年にはGDPの16.0%
を占めており, 他の欧米諸国と比べて著しく高価 であった(5)。 そこで, こうした現状の原因にもなっ ている国民皆保険導入の挫折に至る経緯と, 民間 医療保険の優位が形成されるに至った過程を明ら かにしておこう。
1900年代初め頃までは, アメリカにおける病
人の25〜40%は医療を全く受けられなかったと
いわれる。 このためアメリカ労働立法協会が 1915年に年収1,200ドル未満の低賃金労働者とそ の被扶養者を対象に医療, 傷病手当, 葬祭費を支 給する疾病保険の導入を提案するに至った。 これ は州政府が所管し, 雇用主と従業員が支払う賃金 税 (保険料) によって財源が賄われ, 州政府の追 加的な支援を受けるという制度であった。 この公 的医療保険導入の試みは当初, 有望に思われたが, 米国医師会 (AMA) が態度を変させて反対に 回り, アメリカ労働総同盟 (AFL) も産業界と 共に反対に与したので, 実を結ばなかったのであ る(6)。 この時代の皆保険運動は労働組合を含む各 種団体の反対と大企業の企業内福祉事業導入など によって甚だ低調であった。 しかも企業が私的な 企業内福祉活動を積極的に推進するようになった ので, むしろ民間主導の医療保険制度というアメ リカ的な特徴が形成される契機になったのであ る(7)。
1920年代には保険不在の自費診療制度の下で, 医療費の未払い問題が深刻化した。 しかし社会保 険の導入はAMAや労働組合などの反対によっ て困難であったので, 代わりに入院保険であるブ ルークロス (B/C) と医師診療保険であるブルー シールド (B/S) が創設され, その後急速に発展 していった。 この近代医療保険はJ. F. キンバー ルがダラス (テキサス州) のベイラー大学病院で 教員組合に対する入院保険を始めた時を以てその 嚆矢としている。 それは組合員から一定額を徴収 してプールし, 病院がこの資金を用いて組合員に 医療を提供するという仕組みである。 こうした職 域・地域保険の結成は病院財政の再建を目指して いたアメリカ病院協会 (AHA) の支援を獲得し, NPOとしての特典も認められて, 全米に拡大し て行った。 1946年, 43州に及んだB/Cは2,000 万 人 の 加 入 者 を 擁 し , 入 院 保 険 の 加 入 率 も 1940〜1950年に国民の9%から57%にまで高まっ たのである(8)。
医師診療保険であるB/Sは1939年にカリフォ ルニア医師サービス (州医師会設立) によって開 始された。 B/Sは同一診療科目の医師が集団で
企業との診療報酬交渉に臨み, 医師間の診療報酬 を統一化した。 B/SもB/Cと同様にAMAの支 持を得て, NPOとして全国に拡大していった。
一方, 営利保険会社も当初, 損失予測の保険数理 情報が利用できないとしてB/Cプランには懐疑 的であったが, やがてその成功に触発され, 医療 保険に参入するようになったのである(9)。
一方, 1935年社会保障法案が経済保障委員会 によって作成された時に, 医療費の高騰や医療保 険加入者の少なさ (米国民の6%) を背景として, 国民健康保険の導入を求める声が高まった。 しか し公的医療保険に反対していたAMAが社会保 障法案そのものを葬りかねないと懸念したパーキ ンス委員長の判断で法案から削除され, アメリカ の社会保障は医療保険を含まない年金中心の制度 となってしまったのである(10)。
しかし第2次大戦の勃発はアメリカの医療保険 制度に決定的な影響を及ぼすことになった。 賃金 統制の結果として, 団体医療保険が労働組合と使 用者の間で重要な団体交渉事項となったからであ る。 特に医療保険を含む従業員給付は労使交渉の 正当な一部であるとする最高裁判決が下された時 から, 医療保険は戦後の従業員給付の恒久的な一 部分を構成することになった。 以後, 雇主提供医 療保険は急速に拡大し, 長期的あるいは深刻な病 気や怪我に対する保障を提供する最大の医療保険 としての地位を確立する。 こうして民間医療保険 はアメリカにおける医療サービス提供の中心的な 手段となったのである(11)。
これに対してR.ワグナー上院議員, J.ミュレ イ上院議員及びJ.ディンジェル下院議員が1943 年に国民皆保険法案を議会に提出した。 同法案は 雇主と従業員が保険料を連邦社会保険信託基金に 払い込み, 基金が医療費を医療提供者に支払うと いう制度を導入しようとしていた。 ローズベルト 大統領は1944年に同法案に支持を与え, トルー マン大統領も翌年に同法案に賛成し, 1948年大 統領選挙の公約にも掲げ, 1949年には国民健康 保険法案の成立を試みたが, 実現には至らなかっ たのである(12)。
国民皆保険論争
高齢者の医療保険加入率は1950年代後半でも 15%未満にすぎなかった。 このため医療費高騰の 最中, 経済的な理由から医療を受けられない高齢 者が激増し, 深刻な社会問題となっていた。 そこ で, ジョンソン政権が1965年にメディケア・メ ディケイドを導入することになった。 メディケア は医療保険の適用を65歳以上の高齢者に限定し, 財源を社会保障税, 連邦所得税, 個人の保険料で 賄うという制度であった。 メディケイドは低所得 者の一部を対象とする公的医療扶助制度で, 連邦 政府と州政府の一般税収から財源が調達されるこ とになっていたのである(13)。
メディケアとメディケイドは一緒に導入された 制度であるが, まったく異なる伝統を反映してい た。 メディケアは広範な有権者の支持によって支 えられ, 何ら階級的な差別がなかったが, メディ ケイドは公的福祉の恥辱を負わされていた。 メディ ケアは全国一律の受給資格や給付基準が定められ ていたが, メディケイドは受給資格や給付基準が 州ごとに異なっていた。 またメディケアは医師に 差額請求 (balance bill, 制度の定める料金の超 過額を患者に請求し差額を取り戻すこと) を認め ていたが, メディケイドはこれを禁止していたの で, メディケイド患者の診療を拒否する医師を増 加させることにもなったのである(14)。
しかもメディケア・メディケイドの創設は国民 皆保険論争を再燃させる契機となった。 特にメディ ケア経費が予想を超えて急増したため, ニクソン 大統領が1971年にHMO (健康維持組織, 医療 費抑制を目的とする会員制民間医療保険) と呼ば れる定額医療費前払い団体診療 (PGP) のネッ トワーク構築を支援する立法を提案したからであ る。 この案に対してリベラル派はPGPをメディ ケアのバラバラな給付に対する有効な是正手段と 歓迎し, 保守派もメディケアの無制限な払戻方式 に伴う財政懸念を払拭してくれる制度と期待した。
PGPは包括的な予防・通院・入院ケアを提供し, 症状悪化前に患者を診る誘引を与えられ, 毎年予 め決められた予算に基づいて運営されていた。 ニ クソンのHMO戦略は専らこの定額医療費前払い
団体診療の考え方に立脚したものであったのであ る(15)。
当時, ニクソン政権はメディケア・メディケイ ドの費用膨張と議会の国民健康保険導入圧力とい う2つの問題に直面していた。 1970年にはメディ ケアの皆保険化を求めるE. ケネディ上院議員 (民主党) とM.グリフィス下院議員 (民主党) が国民健康法案を議会に提出したため, ニクソン はこれを潰す有力な対案の提出を迫られていた。
そこで, メディケア再建と無保険者問題の改善を 同時に解決する妙案としてHMO戦略が考え出さ れたのである。
議会はケネディとニクソンの提案をめぐり3年 にわたって議論を展開したが, 国民の大部分が民 間保険やメディケア・メディケイドにカバーされ ていたので, 世論の盛り上がりは甚だ低調であっ た。 結局, 1973年にHMO法 (Health Mainte- nance Organization Act of1973) が公衆衛生法 (Public Health Service Act) の追加修正法とし て制定され, 国民皆保険の導入運動は1974年頃 までには急速に萎んでいき, 1990年代に至るま でほとんど関心を惹かなくなったのである(16)。
HMOの導入
HMO法は企業が従業員に医療保険を提供する 際にHMOを選択肢として提供することを義務付 けていた(17)。 また同法は3年間で全米に1,700の HMOを設置して国民の90%を加入させ, 無保険 者問題を改善すると宣言していた。 しかも保健予 防事業を重視することで患者の重症化を防ぎ, 医 療費を抑制できるとも謳っていた。 保険者間や医 療機関相互の競争も医療の効率化に繋がるとされ た(18)。 こうして以後, 国民皆保険は必ずしも政府 が資金調達する制度のことを指すものではなくなっ たのである。 その一方で, このプランは民間医療 保険業界の役割を大幅に拡大することになった。
こうしてニクソンの戦略は国民皆保険構想をめぐ る政治的な力関係を一変させ, 医療保障は民間部 門を重視するものとなった。 その後, ケネディ上 院議員自身も保険業界や医療団体組織がどのよう な国民皆保険であっても潰しに掛かるだろうと危
惧して, このプランを容認するに至ったのである。
HMOは保険者である民間企業に対して従業員 向け医療サービス・プログラムを販売する医療保 険組織である。 このプログラムは加入企業の従業 員が検査や治療を受けられる病院のリストや検査・
治療対象の範囲を指定していた。 企業は保険者と して従業員に医療保険を提供する一方で, 被保険 者としてHMOから医療保険を購入し医療費増加 のコストをHMOに転嫁することができる。 もち ろんHMOは企業の保険料から医療機関に支払う 医療費を差し引いた額から利益を得られるので, 低コストの医療機関を選んで利益の最大化を図っ ていたのである(19)。
とはいえHMOの加入者数は1976年に至って も600万人に止まり, HMO戦略はその目標を達 成できなかった。 そして無保険者への医療提供は ジョンソン政権時代に整備されたコミュニティ保 健センター (CHC) が担い, 1980年代初頭時点 で全米の420万人に医療を提供していた。 CHC は後の共和党政権時代に連邦補助金を打ち切られ たが, 他の各種補助金制度などを活用し, 独力で HMOを組織して生き延び, 1996年には無保険者 など1,000万人に医療を提供していたのである(20)。
医療費抑制政策
アメリカは1970年代に深刻なスタグフレーショ ンに陥り, 1981年には 「小さな政府」 を唱える レーガン政権が登場し, 福祉国家の解体が議論さ れるようになった。 このレーガンの登場と共に, 国民皆保険構想は完全に姿を消し, 医療費抑制政 策が本格化する。 というのも, メディケア支出は 1970〜1983年に年平均17%の増加傾向を示して いたからである。 その原因は被保険者 (高齢者人 口) の増加と共に, メディケアに対するAMA の反発を和らげるために医師や病院に対して手厚 い支払制度を導入せざるを得なかった点にある。
即ち, 病院に対してはコストに基づく出来高払い, 医師に対しては実質的に自由診療と変わらぬ支払 い (「慣習的かつ妥当な額」) を保証していたから である。 このメディケアの気前の良い支払制度が アメリカの医療費を大幅に膨張させる原因になっ
たといわれる(21)。
そこで, レーガン政権は1982年租税均衡財政 責任法を制定し, メディケアの入院部門にDRG/
PPS (診断群別定額払い方式) を導入すると同時 に, メディケア・メディケイドの利用審査機関 PSRO (専門家基準審査機構, 1972年設置) を PRO (医療専門家査察機構) に改組し, 診断内 容の客観性や診療行為の妥当性, 入院の適切性等 について厳しい審査を開始した(22)。 DRG/PPSは 全疾患を468の診断群に分類し, 入院患者がどの 診断群に入るかに応じて予め定められた額を病院 に支払う制度である。 病院は出来高払いの下では 医療サービスの量を増やせば増やすほど収入が増 加するのに対して, DRG/PPSの下では医療サー ビスの量を減らすことによって利益を増加させる ことができた。 その結果, 病院は利益最大化の方 法として患者の入院期間を短縮させようとした。
DRG/PPS導入後か1年間で, メディケア患者 の平均在院日数は9.6日から7.4日と2割以上も 短くなり, 回復期患者のケアは一般病院からリハ ビリ病院や在宅医療に移行することになったので ある(23)。
1989年包括財政調整法は医師の診療報酬支払 方式にRBRVS (診療行為別相対価値尺度) と呼 ばれる診療報酬点数表を導入し, 専門医の報酬を 引き下げた。 この制度は医療費抑制にある程度の 効果を持ったといわれる(24)。 そのため病院外来部 門やナーシングホームに対しても定額払い方式の 導入が検討されており, 出来高払い方式は徐々に 消え去る運命にある。
またPROは特定疾患について入院の必要性を 事前審査し, 適切な医療が行われたかどうかにつ いても退院患者のカルテを抜き取り審査していた。
PROは不必要な入院や不適切な医療に対してメ ディケアの支払いを拒否し, 悪質な医師や病院を 排除する権限を与えられた 「医療警察」 として機 能してきた。 PROの支払い審査はアメリカ科学 アカデミー医療部会の是正勧告を受けて1992年 に廃止されたが, 厳しい医療審査は1990年代の マネジドケアへと引き継がれることになったので ある(25)。
こうして在院期間の短縮化を迫られた病院が患 者を早期退院させようと努める一方で, 早すぎる 退院に対して苦情が増大したため, 米国保健省は 患者がPROに不服を申請する権利を認めた。 そ こで, 病院は患者の円滑な退院を図るために回復 期ケアの引き受け先探しに専念する退院計画立案 者を配置するようになったが, 回復期在宅ケア・
サービスの不足から十分に対応できているとはい えないといわれる(26)。
しかもメディケアの支出抑制政策は企業への費 用転嫁という新たな問題を生じさせた。 病院がメ ディケアの収入減少分を民間医療保険に上乗せし て請求するようになったため, 保険給付の増加に 直面した保険会社が保険料を引き上げ, 企業の保 険料負担を増大させることになったからである。
このため企業は従業員向け団体医療保険を見直し, マネジドケア型医療保険を採用する動きを強める ことになった(27)。
クリントン医療改革の挫折
アメリカの無保険者は1980〜1990年代に2,500 万人から4,000万人に増加した。 無保険者は3/4 が被用者かその被扶養者であったが, 雇用先企業 が保険料の急騰によって従業員用の民間保険を購 入できなくなったために激増したのである。
このためクリントン大統領 (民主党) は1993 年9月に雇用主強制適用プランによって国民皆保 険を実現する医療保障法案を議会に提出した。 同 法案は事実上の地域保険である地域医療保険購入 組合を各州に新設して大企業労働者以外の全国民 を強制加入させ, 国民皆保険の実現を目指してい た。 法案の核心はニクソン案と同様に雇主に従業 員の民間保険料の大部分を負担させる点にあった。
しかし保険加入者数の増加が追加的な医療費負担 に繋がると懸念する経済団体 (特に中小企業), 業務の制限に繋がると不安に駆られた医療保険協 会, 減税運動家などが猛烈な反対運動を展開し, 法案を廃案に追い込んだのである(28)。
この医療改革の挫折後, 医療費高騰に遭遇した 企業や州政府は, 医療費抑制のためにマネジドケ ア戦略の導入に転換した。 マネジドケアは導入の
初期においてはかなり厳格な戦略が実施され, 医 師や医療現場の選択を制限し, プライマリ医に門 番の役割を押し付け, 専門医の紹介利用を点検し, 高価な検査や治療を事前許可制にしていた。 また マネジドケアへと突き進んで行った医療プランは 医師や病院に対して厳格で, 償還契約に関しても 強気な交渉を通じて価格を引き下げた。 だが, マ ネジドケアは, 収入や裁量権が危険にさらされて いると考える医師や医療サービス利用の制限に関 心を抱く患者支援者団体から多くの非難を浴びせ られることになった。 このため近年には 「厳しく ないマネジドケア」 へと変化し, 国民の反発もや や鎮静化したが, その反面ではケア費用や保険料 も再び上昇している(29)。
こうした中で2009年1月に医療保険改革を内 政の最優先課題に掲げるオバマ (民主党) が大統 領に就任した。 オバマの医療保険改革案は, 医療 費削減によって民間保険の経費削減を図ると同時 に政府運営の保険を新設するという事実上の国民 皆保険化を促すものであった。 これを受けて米下 院は11月7日に医療保険制度改革の関連法案を 差で可決した。 医療保険改革の費用は今後10
年間で8,910億ドルと見積もられ, 高所得層への
増税などによって財源が賄われることになってい る。 下院案は公的医療保険の導入やメディケイド の拡充によって新たに3,600万人を医療保険の対 象とし, 保険加入率を現在の83%から96%にま で引き上げようとしている。 また個人の保険加入 と小規模企業を除く全雇主に従業員への医療保険 提供を義務付けていた。 さらに低所得層の保険加 入を支援するために補助金が提供されることになっ ている。
一方, 12月24日には上院案が可決された。 上 院案の内容は①10年間で保険未加入者3,100万人 削減, 保険加入率の83%から94%への引上げ,
②低所得層の保険加入に補助金交付, メディケイ ドの拡大, 保険会社への規制強化, ③10年間の
支出額8,710億ドルを高額保険・高所得層への課
税や公的保険の運用効率化などの財源で相殺, ④ 保険加入の原則義務化と未加入者への罰金, ⑤政 府直営の公的保険導入見送り, などからなってい
た。 上院案は政府直営の公的保険という理想とは かけ離れていたが, 廃案を恐れたオバマが指導力 を発揮して, 2010年3月21日に下院でも承認さ れることになったのである(30)。
[3] 医療保障の構造 医療費の財源
アメリカの高齢者 (65歳以上) は基本的にメ ディケアを通じて医療サービスを提供されている。
また65歳未満の者は雇主提供の民間保険が医療 を受ける一般的な手段となっていた。 さらに貧困 者は低所得者向け医療扶助制度であるメディケイ ドの適用対象となっていた。 しかし, 保険にまっ たく加入していない残りの人々は無保険者に分類 されている。 無保険者は2007年に65歳未満層の 17.1%を占め, 18〜44歳層では23.5%にも達して いた。 一方, 民間保険の加入者は65歳未満層の 68.9%, 45〜64歳層の75.7%を占めている(31)。
民間保険業は商業保険会社 (エトナ, シグナ, メトロポリタン生命, プルデンシャル), BC/BS, 自家保険 (self-insurer), マネジドケア組織など, 多種多様な医療プラン提供者を含んでいる。 非営 利のBC/BS団体も現在では民間保険会社と類似 した活動も行っていた。
もちろん, 公費は低所得者に医療を提供するた めに重要な役割を果たしている。 今日では, アメ リカ医療サービスのかなりの部分が公的な制度に よって支えられており, 公費が2007年には第2 表のように国民医療費の46.2%を占めていた。 連 邦医療費7,540億ドルのうち4,312億ドル (国民
医療費の19.2%) はメディケアに支出されている。
また残りの連邦医療費支出の大部分は連邦・州プ ログラムであるメディケイドに支出されていた。
メディケイドの運営は州政府に委ねられており, メディケアとメディケイドの両方の受給権を有し ている高齢者が全米には500万人以上も存在して いることから, 連邦政府がメディケア・メディケ イドを改正する際には州政府間のコンセンサスの 有無が課題となってくる。 一方, 民間保険会社は 州政府の監督下に置かれ, 州保険法に従って運営 されなければならなかった。 さらに州の中には無
保険者の減少や医療費抑制のために独自の医療改 革を行っている州もあり, 医療保障は州間の格差 が非常に大きいといわれる(32)。
メディケイド
メディケイドは当初, 施設ケアを重視していた が, その後, 在宅ケア・サービスを著しく増加さ せている(33)。 この在宅サービスの増加は包括的 なプランの導入よりもむしろ漸進的な変化の結果 として生じた。 長期ケアはアメリカでは公的支出 の小部分を占めるにすぎなかったが, 次第にその 重要性を高めている。 こうして長期ケアはメディ ケイドを貧困者対象の制度からより一般的な対象 者の制度へと転換させることにもなった。
メディケイド (2007年加入者3,993万人, 米国
民の13.2%) は税財源の低所得者向けの制度であ
り, 補足的保障所得の受給資格を得られるほどに 収入や資産の少ない人と受給資格が定義されてい る (2000年現在, 月収532ドル以下, 非住宅資 産2,000ドル以下)。 連邦政府は①AFDC/TANF 制度の下で扶助を受給する要扶養児童家庭, ②補 足的保障所得の受給者, ③世帯所得が連邦貧困水
準の133%以下である児童と妊婦, ④連邦法所定
範疇の人々, をメディケイド受給資格者とするガ イドラインを設けている。 これに加えて多くの州 が所得・資産審査に基づく 「医療困窮者」 への給 付を実施していた(34)。 現在, メディケイドは長期 ケアの重要な柱になっている。 特にナーシングホー
ムは費用が高いことから, その入居者の2/3が 最終的にはメディケイド受給者に転落して一生を 終えるといわれている(35)。
メディケイドの給付は基礎的給付とオプション 給付からなっている。 基礎的給付は入院及び病院 外来, 連邦認可保健センターにおける外来診療, 医師診療, 臨床検査 (レントゲン等), 看護師サー ビス, ナーシングホーム入所 (21歳以上), 早期・
定期的検診・治療, 家族計画サービス・用品支給 などが含まれる。 またオプション給付は診療所サー ビス, 中間看護施設・知的障害者サービス, ナー シングホーム入所 (21歳未満), 薬剤給付などか らなっていた。 大部分の州がナーシングホーム費 用をメディケイドから支給しており, 在宅ケアや コミュニティ・ケアに関しても様々な基準を設け ている。 州は在宅ケアの提供を義務付けられてい るが, 身体介護はオプションなので, 提供してい ない州もあった(36)。
メディケイドは連邦政府と州が共同で財源を賄っ ており, 連邦の負担割合は全州のメディケイド支
出の50〜83%の範囲内と法定されている。 各州
は独自のメディケイド制度を実施しているので, 適格基準, 給付対象, サービス提供者に対する支 払などは州によって大きく異なっていた(37)。
メディケイドの受給者数は2006年には高齢者 7.6% (給付額21.6%), 盲人・障害者14.4% (43.3
%), 児童46.4% (16.7%), 成人21.8% (12.2%), その他9.8% (6.2%) となっている。
高齢者や盲人・障害者は受給者数ではそれぞれ 7.6%, 14.4%を占めるにすぎないが, 給付額では その約3倍の21.6%, 43.3%に達しており, 1人 当たりの医療費が高くなっていた。 一方, 児童や 成人は1人当たり医療費が安くなっている。 メディ ケイドも医療費の膨張に伴ってマネジドケアを導 入する傾向が強まり, その対象者が1995〜2007 年に29%から64%にまで高まっている(38)。
メディケア
メディケアはパートA (強制加入), パートB (任意加入), パートC, パートDからなってい る。 パートAは就労期間中に社会保障税を10年 第2表 アメリカ国民医療費の支払い者構成 (2007年)
支払い者 金額 (億ドル) 構成比 (%)
政府 10,360 46.2
連邦 7,540 33.6
州・地方 2,810 12.5
民間 9,370 41.8
保険会社 7,750 34.6
その他ファンド 1,620 7.2 患者自己負担 2,690 12.0
合 計 22,410 100.0
(資料) Statistical Abstract of the U. S.,2010, p.97.
間 (40四半期) 以上払い込んだ65歳以上の高齢 者が自動的に受給権者となるが, その資格がない 場合でも65歳以上で所定の保険料を支払えば受 給権者となれる。 給付内容は入院医療サービス, 退院後看護ケア, 在宅医療サービス, ホスピスケ ア等を含んでいる。 パートAの受給権者は月額 54ドル (2000年) の保険料を支払うことによっ てパートBの受給権者にもなれた(39)。
メディケアは①65歳以上の者, ②社会保障給 付の受給資格を有する障害者, ③慢性腎不全患者, に受給資格を与えている。 メディケアは2008年 に受給権者が4,520万人 (高齢者84%, 障害者 16%), 給付額が4,551億ドルに達していた。
メディケアは保険財政庁 (HCFA, 米保健福祉 省の部局) 管轄下で運営される連邦管掌制度であ り, 2つの保険制度からなる2重構造となってい た。 入院保険 (NI, パートA) は社会保障のた めに徴収される労使折半の社会保障税によって財 源が調達されている。 パートAは入院サービス, 高度介護療養施設 (SNF) ケア, 在宅訪問診療, ホスピスケアなどの費用をカバーしている。
一方, 補足的医療保険 (SMI, パートB) は一 般税収と保険料拠出によって財源が調達される任 意加入制度である。 民間保険業者はその金額では 同様のサービスを提供できないので, NI受給権 者のほぼ全員がSMIには加入している。 主要な サービスは医師サービス, 外来手術のような病院 外来サービス, 診断検査, X線や病理サービス, 救急搬送, 外来サービス, 外来リハビリ, 人工透 析, 人工器官装着, 限定的予防サービスなどを含 んでいた。
もちろん, パートAもパートBも包括的な給 付を提供していない(40)。 視力ケア, 眼鏡, 義歯, 補聴器, 外来処方薬, 定期健康診断, 予防サービ スなどはいずれも給付の対象外とされ, 長期ケア 給付も極めて限定されていた。 即ち, パートA はまず患者がSNFケアの基準を満たすことを求 めている。 この条件を満たした後も, サービスの 全額を払ってもらえるのは20日間のみにすぎな い。 また最近までは処方箋薬給付も存在していな かったが, 2006年1月にパートDが導入され,
処方箋薬費用に対する給付が認められるに至っ た(41)。
メディケア受給権者がSNF費用を受給するた めには最低限3日間の入院治療を受けていなけれ ばならなかった。 在宅ケアは患者がSNFケアを 必要としながら外出できない場合にのみ提供され る。 必要条件を満たせば身体介護サービスも提供 された。 もちろん, メディケア給付には期限があ り, 入院は最初の60日間のみが給付対象となっ ている。 SNF費用は最初の20日間が給付対象外 となっており, 21日以降から次の80日間に関し てのみ費用の一部が給付される(42)。
もちろん, アメリカでも長期ケアの大半は家族 によって提供されている。 例えば, 全国長期ケア 調査 (1994年) によれば, 高齢人口の16.7%が 地域や施設で長期ケアを受けていた。 長期ケア・
サービスの利用は加齢と共に増加し, 受療率は 65〜69歳層の6.5%から95歳以上層の80%にま で上昇している。 このため近年, 民間の長期ケア 保険市場がアメリカでも出現することになった。
民間保険会社は長期ケア関連費用に対する補足保 険を提供している。 これらの保険はメディケア給 付を使い尽くし, メディケイドの受給資格を有し ていない利用者向けに販売されていた。 しかしこ れらの長期ケア保険は高額である上に, 高齢人口
の20%が保険会社から加入を拒絶されていたと
いうのがその実態である。
第2章 マネジドケアと長期ケア [1] マネジドケア
マネジドケアの拡大
1973年HMO法は医師会の合意も取り付け, 包括的な医療保障体制を構築して医療費を抑制し ようとした。 1973年当時, HMOの数は約30組 織にすぎなかったが, ニクソン大統領は1976年 までに1,700組織に拡大し, 国民の90%を加入さ せて医療費の抑制を図ろうとした。 しかし実際に はHMOは1976年に174組織, 加入者も600万 人にすぎなかった。 HMOの加入者は1970年代 末でも1,000万人弱に止まっていたが, 1980年代
から漸増し (1987年653組織), 1990年代に入る と激増する。 加入者数は1993〜98年に4,720万 人から1億530万人へと2.2倍に増加したのであ る(43)。
HMOは特に入院費用の抑制に効果的であると され, HMO法は従業員がHMOを選択できるよ うに雇主に義務付けていた。 メディケア・メディ ケイドも医療費抑制のためにHMOの選択を可能 にしたので, 前払い型集団診療 (PGP) は全米 に普及し, 国民の大半が加入するようになった。
HMOはAMAが医師の独立性を損ねるとして前 払い型集団診療を忌避していたので, その用語を 避けるためにPGPに加えてIPA (Independent Practice Association, 開業医組織) の医療提供 機関も含む概念に拡大されたのである(44)。
ところで, メディケア・メディケイドは発足以 来, CPR (Customary Prevailing Reasonable, 自由診療価格) 償還額決定方式を採用してきた。
しかし国民医療費が1980年代初頭にGDPの10
%を超えそうになったので, 連邦政府はパートA にDRG/PPS (診断群別定額払い制, 1983年), パートBにRVS (RBRVS, 資源準拠相対価格 指数, 1992年段階的実施, 1996年全面実施) を 導入して医療費を抑制しようとした。 また2000 年にはメディケア外来にもAPC (外来包括支払 方式) が導入された。 これは病院がDRG/PPS 導入に対処するために外来診療へ進出し, 医療費 を膨張させるに至ったことへの対応であった。 さ らに長期療養に対する包括払いもRUG (医療資 源利用グループ) がメディケイドに導入され, ナー シングホームなどの支払いに対して適用されてい る(45)。
マネジドケアによる医療費抑制
こうして2000年にはアメリカ国民の7割が HMOやPPO (優先的医療提供者集団) などの マネジドケア (HMO 8,000万人, PPO9,830万 人) に加入していた。 HMOやPPOは伝統的な 保険と比べて低料金であることを武器に, 1983 年以降に急速な発展を遂げた。 PPOは病院や医 師のグループを作り, 医療サービス価格を割り引
いて契約者に医療を提供する組織である。 また HMOは民間の出来高払い保険と比べて受診時に 自己負担がなく広範囲の医療サービスを受けられ るなどの利点があった。 しかもHMOは事前審査, 医療機関の指定, 電話カウンセリング等による無 駄な医療提供の排除など, コスト削減を徹底して 効率化を図っていた。 そのため1980年代以降, 予防医療の必要性が認識されるようになると, マ ネジドケアは第3表のように急速な発展を遂げる ことになったのである(46)。
しかし伝統的なHMOプランは受診できる医師 や病院が限られており, それを嫌う患者も多かっ た。 こうした患者の要求に応えるものとして POS (Point of Service, 受診者選択プラン) と 呼ばれる混合型のHMOが開発された。 POSプ ランでは, 患者はHMOリストに載っていない医 療提供者を受診できるが, 医療費のかなりの部分 を自己負担しなければならなかった (伝統的 HMOは全額自己負担)。 PPOの場合は受診制限 が更に緩やかな仕組みになっている。 PPOは POSと同様に指定医受診の場合には医療費の大 部分をプランが支払うが, 外部の医師受診の場合 には自費で支払う部分が多くなる。 しかしPPO はPOSとは異なり, 契約した医師や病院には出 来高払いで支払っており, 医師や病院に対して経 済的なリスクを転嫁してはいなかった。 なお, PPOの契約医師・病院は優先提供者リストへの 掲載と引き換えに診療報酬の割引に同意している。
このようなHMOやPPOのプランはマネジド 第3表 雇主提供医療保険のプラン別加入状況
(被用者・退職者, %) 年 伝 統 的
出来高払い HMO PPO POS HDHP/SO
1988 73 16 11
1993 46 21 26 7
2000 8 29 41 22
2005 3 21 61 15
2007 3 21 57 13 5
(資料) 長谷川, 前掲,7頁の図1を基に作成。 HDHP/SO は医療貯蓄勘定付高免責額医療保険。