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関東大震災後の東京における産業復興の起点

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(1)

1  課題と意義

 本稿の課題は, 1 9 2 3年9月1日の関東大震災の 直後半年ほどに焦点をあて,大規模災害に見舞わ れた東京地域の産業の復興が如何に進んだかを観 察することである

(1)

 周知のように関東大震災は関東南部を震源域と するマグニチュード7. 9(推計)の大地震であり,

関東の南部に大きな揺れと津波の被害をもたらす とともに,東京市及び横浜市を直後の火災によっ て灰燼に帰すこととなった

(2)

。津波,火災等によ るものを含めた死者・行方不明者は1 0万人超

(3)

, 5 5億円超の経済損失であったと計算されている 

(4)

 

従ってそれ以降の2 0年代は,震災の存在とそこ からの復興過程にあることが諸政策の前提となっ た。3 0年3月には帝都復興事業の終了を記念す る帝都復興祭催行ののち復興局が廃止され,一つ の区切りとなっている。

 しかし経済史研究においては,この復興プロセ スには十分な照明が当てられてきたとは言い難 い。もちろん,帝都復興事業による都市計画,区 画整理といった政策の遂行過程と住民生活への影 響には多くの研究者が関心を寄せてきた

(5)

。しか し特に都市計画方面からの研究では,インフラス トラクチャーや建築物の物理的な整備を「復興」

と捉え,物理的な修繕・整備が進むことと都市と してのにぎわいの復活とが直接に結び付けられる 傾向にある。

 また,失業対策や住居政策など社会政策的関心 からの研究も多いが

(6)

,経済・産業への影響それ

自体を扱う研究は意外に僅少である。そのなかで まとまった先行研究として,産業や金融に対する 震災の影響の把握に努めた富樫光隆らの Socio- Economic  Research  Unit  on  Natural  Disaster 

(SERUND) による分析が存在する。 富樫  (1 9 8 3,

1 9 8 4)は震災後大企業の分工場が多数放棄された ことなどを指摘した。また松田芳郎は1 9 2 6年ま での東京における職工数,工場数,実質生産額の 回復状況を示し,1工場当り職工数が減少,1職 工当り実質生産額が増加する形で復興したことを 指摘した。そして,その原因として震災がもたら した強制的な設備更新による生産性向上の可能性 を示唆している 

(7)

。これらは重要で興味深い指 摘だが,分析対象が大企業に限られるなどの面で 概論的である。また,数時点間の比較から震災被 害の結果を窺うという論理構造になっており,復 興までの軌跡を跡付けるにはいまだ懸隔がある。

 そこで本稿が取り組むべき対象をより明確に限 定するならば,被災地域の経済活動の復興を重視 し,そのプロセスを詳しく観察することである。

帝都復興事業が唱える「復興」は,本来,こうし た地域内の経済活動の復興とのインタラクション により達成されるものであり,都市インフラ整備 のみをもって復興を語ることはできない。道路・

建物が整備されても,経済が衰退すればその地域 の維持は困難だからである。そしてここに,これ まで筆者が行ってきた東京所在の産業集積の考察 が密接に関わることになる

(8)

 今泉(2 0 0 8b)は,機械器具金属工場を事例に,

これまで震災によって郡部の後塵を拝するように なった点が強調されてきた東京市内の産業集積地

関東大震災後の東京における産業復興の起点

─人口と労働需要の動向に着目して─

今 泉 飛 鳥

《論 文》

(2)

について,絶対数では回復を遂げていた点を明ら かにした。空間経済学的な分析が想定するよりも 集積主体の再集積のハードルは低く,むしろ被災 後に帰還した経済主体を,いかに早くスムーズに 再定着させるかが,その後の相乗的な回復の起点 となると考察した。しかしその起点の分析におい て今泉(2 0 0 8b)は,抽象的な考察を行っているに 過ぎない。

 また,Okazaki, Ito, and Imaizumi  (2 0 1 1) は,今 泉(2 0 0 8b)が工場数の変動を観察したのに対し,

従業員数のシェアの変動を観察した。この結果,

シェアの面では回復しなかった市部の機械工業集 積について今泉(2 0 0 8b)とは一見異なる結論が 下されている。これらはすなわち,震災後市内集 積は回復し,それを上回って周囲の郡部が成長し たという表裏一体の現象を説明しており,この2 論文が物語るのは結局,震災後東京は一層の産業 発展を遂げた(量的に膨張した)ということに他 ならない。それは当然視できる現象ではなく,そ のメカニズムの説明が必要であると思われる。本 稿では,今泉(2 0 0 8b)が詳細には扱えなかった震 災直後の東京地域の産業復興の起点について考察 を行いたい。

 以下第2節では東京所在産業の震災前からの特 徴と,震災による被害状況について説明する。第 3節では震災後の産業復興が何を手掛かりとして いたかを職業紹介所,市,警視庁等の報告資料を 材料に考察し,第4節で分析をまとめることとす る。東京の地名は図1を参照されたい。

2  東京所在産業における関東大震災の被害

 周知のとおり東京は政治の中心であるのみなら ず,産業の中心地でもあった。各産業における東 京府の生産シェアを『工場統計表』

(9)

から算出す ると,特に機械器具,金属,印刷製本,すなわち 重工業と典型的な都市産業のシェアが特に高く,

例えば機械器具工業は工場数で3 0%,職工数で 2 0%,生産額で2 5%ほどを占めていることが分か る。また,全産業計の対全国シェアを計算する と,2 0年代まで工場数及び職工数1 0%,生産額 1 3%ほどで推移しており, 1 9 2 4年に各々1%ポイ ント程度の落ち込みを示すものの, 1 9 3 0年代に向 けて震災前の水準を超えて1 5%〜2 0%弱まで成 長している。従って,関東大震災が生産活動への 継続的な制約をもたらしたようには見えない。

 当時都市の規模及び産業立地の面で東京は日本 における単独の大都市ではなく, 1 9 1 0年代にはむ しろ大阪が工場数,職工数,工業生産額等の指標 で東京を凌ぐ地位を維持していた

(10)

。そして後 述するように,震災後関西(大阪及び神戸)は一 時的な需要の急増を見ており,その機に乗じた関 西の業者の積極的な対応は,東京と横浜の実業界 に商圏喪失の懸念を与えることになった。しかし 実際には3 0年代に入ると,シェアが横ばいの大 阪に対して東京では前述のような伸びを示し,工 場数,次いで職工数,生産額で大阪との地位を逆 転していくことになる。こうした数値の動きは,

震災による東京の業者の懸念が現実のものとはな らなかったことを示している。

 東京府内の産業構成の性質を, 『工場統計表』

の デ ー タ を も と に ハ ー フ ィ ン ダ ー ル 指 数

(11)

を 使って集約的に表すと,工場数で0.1 5前後(他府 県平均0.3 1) ,職工数や生産額でも0.2前後で,他

南葛飾郡  本所 

深川  南足立郡 

北豊島郡 

小石川 

牛込  四谷 

赤坂 

麻布 

荏原郡 

京橋 

芝 

日本橋  神田  麹町 

下谷  本郷  浅草 

豊多摩郡 

図1 東京市と隣接5郡

出所)筆者作成。

(3)

府県平均の半分,最低水準となっている。こうし たハーフィンダール指数の低さは,データとして は東京が他の府県と違って重化学工業を含む多様 な産業を有していたことを反映したものである が,より分析的には都市化の経済の存在を示唆し ている。

 東京所在産業の確認の最後に,その立地を確認 しておこう。表1は東京市内の1 5区と隣接5郡 のシェアを示している

(12)

が,京橋,芝,本所そし て深川の4区が職工数5%以上のシェアを示して 上位を占めている。一方郡部の中で工場地と呼べ るのは荏原郡,北豊島郡,南葛飾郡といった東側 の諸郡であり,特に職工数や生産額において市内 の産業集積地を凌駕しつつある様子が窺える

(13)

。 データからも明らかなように市内の工場地の主体

の多くは中小零細経営で,たとえば1工場当たり 平均職工数は本所区では1 6.2人,東京市計で1 2.9 人であるのに対し,郡部では5 0.7人と水準の違い を示す。歴史的に言えば,郡部での産業の急成長 は1 9 1 0年代までの市内での産業発展による混雑 を避け,主に中規模以上の工場が先陣を切るかた ちで市から外側へと産業立地が広がっていったこ との結果である

(14)

。こうして,長期的な東京の発 展に伴い市部と郡部がほぼ同等な工業生産のシェ アを持ち始めたころに,震災が発生したのであ る。

 1 9 2 3年9月1日土曜日,午前1 1時5 8分の地震 は神奈川県と千葉県の南部を震源域として,関東 地方全体に大きな被害をもたらした。沿岸部では 山崩れや津波が甚大な被害をもたらした一方,埼 表1 東京府内における産業立地(1 9 2 1 年)

生産額 職工数

1 工場当たり 工場数 職工数(人)

生産額

(千円)

職工数 工場数 (人)

区・郡

0.7 % 1.2 %

0.7 % 3 3.8

5,5 1 9 1,8 6 0

5 5 麹 町

2.6 % 2.8 %

7.1 % 7.7

1 9,8 3 3 4,1 6 5

5 4 1 神 田

0.8 % 0.8 %

1.8 % 8.3

6,2 1 9 1,1 3 4

1 3 6 日本橋

8.9 % 8.0 %

8.8 % 1 7.8

6 7,6 5 9 1 1,9 5 8

6 7 1 京 橋

6.3 % 7.4 %

3.2 % 4 6.1

4 8,0 4 0 1 1,1 0 0

2 4 1  芝

1.1 % 1.7 %

5.8 % 5.7

8,2 4 8 2,5 2 3

4 4 4 麻 布

0.1 % 0.1 %

0.2 % 1 6.2

3 9 5 2 1 0

1 3 赤 坂

0.2 % 0.5 %

1.5 % 6.4

1,3 5 1 7 5 2

1 1 8 四 谷

0.5 % 1.2 %

2.9 % 8.3

3,8 1 6 1,8 4 7

2 2 2 牛 込

3.1 % 3.3 %

2.0 % 3 2.9

2 3,6 1 8 4,9 3 8

1 5 0 小石川

1.0 % 1.7 %

6.8 % 4.9

7,7 1 2 2,5 6 3

5 2 2 本 郷

1.0 % 1.7 %

3.9 % 8.2

7,9 1 3 2,4 7 4

3 0 0 下 谷

0.9 % 1.3 %

5.8 % 4.4

6,4 9 8 1,9 4 3

4 4 1 浅 草

1 4.6 % 1 3.8 %

1 6.7 % 1 6.2

1 1 0,4 5 5 2 0,6 9 2

1,2 7 5 本 所

8.2 % 8.6 %

1 5.1 % 1 1.1

6 1,9 3 3 1 2,8 5 0

1,1 5 5 深 川

5 0.1 % 5 4.1 %

8 2.3 % 1 2.9

3 7 9,2 1 1 8 1,0 0 9

6,2 8 4 東京市計

1 0.7 % 9.6 %

4.3 % 4 3.3

8 0,9 8 9 1 4,3 9 0

3 3 2 荏 原

3.9 % 4.3 %

2.4 % 3 4.9

2 9,2 0 8 6,3 8 9

1 8 3 豊多摩

1 2.0 % 1 5.3 %

4.9 % 6 1.5

9 0,4 1 3 2 2,8 9 2

3 7 2 北豊島

1.3 % 1.1 %

0.3 % 7 1.0

1 0,2 1 0 1,7 0 3

2 4 南足立

2 2.0 % 1 5.6 %

5.8 % 5 2.7

1 6 6,5 1 5 2 3,2 8 0

4 4 2 南葛飾

4 9.9 % 4 5.9 %

1 7.7 % 5 0.7

3 7 7,3 3 5 6 8,6 5 4

1,3 5 3 隣接 5  郡計

1 0 0.0 % 1 0 0.0 %

1 0 0.0 % 1 9.6

7 5 6,5 4 6 1 4 9,6 6 3

7,6 3 7 東京市+隣接 5  郡

出所)東京市編『東京市統計年表』第1 9回,6 5 6−6 5 7頁より集計。

注)産業計の値。カヴァリッジは原動力使用工場及び職工5人以上使用の工場。

(4)

玉県以北の内陸部では被害は相対的に小さかっ た。そして大規模な死傷者及び経済的損失をもた らしたのが,東京市と横浜市で発生し複数日続い た火災であった。例えば冒頭でも触れた社会局編

(1 9 2 4) では東京府の死者行方不明者は7 0,4 9 7人,

うち東京市は6 8,6 6 0人,神奈川県は3 1,8 5 9人であ りそれぞれ震災時点の人口の1.7%,3.0%,2.3%

に上ると計算される

(15)

。さらに,表2でより詳し く東京市内の被害状況を観察すると,その火災の 被害にも地域差があったことが明らかになる。す なわち焼失した面積を区の面積で除した焼失率 は,日本橋区の1 0 0%を筆頭に浅草,本所,深川,

京橋といった東京市の東部で非常に高くなってい る一方,牛込区の0%をはじめ麻布,赤坂,四谷,

小石川といった中西部では低いことが分かる

(16)

。  震災被害のこうした地理的分布は,表1と対照 させることで明らかなように,東京市内における 産業の立地と重なっていた。このため震災後東京 市東部では,本所区の職工数が3分の1,深川区 で6分の1以下になるなどの深刻な産業の縮小が 生じた

(17)

 問題は,この縮小から,工場集積地をベースと する東京の産業が復興し得るか否かである。例え ば,従来,震災により市内の産業集積が衰退し,

代わって郡部が成長した,という解釈が漠然と共 有されてきた。これが正しいとすれば,データ上 は絶対数あるいはシェアで東京市が縮小するとと もに,周辺郡部が顕著に成長しているはずであ る。また,市内から郡部への工場移転も多く観察 できると期待される。しかし今泉  (2 0 0 8b) が機械 関連工業において分析を行ったように,実際には 市内の集積地で工場の絶対数は震災前の水準を回 復しており,工場の平均的な存続率も高く,さら に震災後の新規開業も郡部よりむしろ多かった。

工場の移動についても,上述の通り市内から郡部 への移動は震災前から存在するトレンドであって 震災がもたらしたものではなく,実際震災直後は むしろ市内での避難的な移動が多く観察された 

(18)

 

 つまり大きな被害を受けた市部は回復し,それ と同時にその周辺部である郡部は大きく成長した というのが実際の復興のあり方であった。両者は ともに,震災後の東京全体としての産業の拡大を 物語っていたのである

(19)

。  

3  復興の起点

3−1 市場の攪乱と復興需要

(20)

 大災害が発生すると,平常時とは異なる需要の 増減や供給の途絶などが発生し,市場が攪乱され る。典型的には奢侈品などの特定の財・サービス の需要は急減し,一方食糧や建築資材などの復旧 に必要な物資への需要が急増する。被災地域では 生産が一時的に途絶するため,非被災地では需 要・供給両面の急変に対応を迫られることにな る。そしてこうした状況は,ビジネスチャンスに もなり得るのである。震災直後,9月2日には戒 厳令と非常徴発令が,7日には暴利取締令が発令 されている

(21)

 震災直後に緊急に必要とされたのは被災地に供 給するべき食糧であったが,しかし食糧が喫緊の 課題であった時期は発災直後の数日である。政府 は山の手や郡部から6,5 0 0石の在米を徴発または 表2 各区震災被害状況

焼失率(%)

区 名

2 0.1 麹 町

7 7.8 神 田

1 0 0.0 日本橋

8 8.7 京 橋

2 5.7  芝

0.5 麻 布

6.5 赤 坂

2.7 四 谷

0.0 牛 込

6.5 小石川

1 7.1 本 郷

4 9.9 下 谷

9 8.2 浅 草

9 3.5 本 所

8 7.1 深 川

出所)東京市編(1 9 3 2) ,3 3−3 4頁。

   今泉 (2 0 0 8b)、2 9頁、表2の縮約再掲。

(5)

購入,国内各地方にも送付依頼を打電し大阪から 軍艦や商船を利用して政府持有米を廻送させた。

こうした多方面の取組みにより,9月1 0日ごろに は食糧供給の目途が立ったとして,徴発・収集に 区切りをつけている。以後食糧(米)の配給は公 設市場と一般の米屋を通じて行 う ことになった

(22)

 

米のほか蔬菜類なども比較的早く供給が潤沢とな り,9月半ば以降は配給が間に合わず腐敗させて しまうなどの報道が散見されるようになる

(23)

。  震災が冬に向かう秋口であったこともあり,布 地・夜具・衣服の不足が食糧と踵を接する形で浮 上した。9月1 3日ごろから罹災者の状況報告に 衣類や毛布への言及が現れ

(24)

, 1 7日には「将来ノ 防寒ニ不安」と指摘されている

(25)

。9月末からは 衣類と毛布の配給を開始したほか, 1 0月1日から

「伊藤松坂屋呉服店」 (株式会社いとう呉服店)に 仕入を委託して市設市場での衣類販売を行った 

(26)

 

各種の婦人会なども古着集めや裁縫の奉仕活動に 従事したほか,大丸,高島屋といった呉服商が大 阪方面で仕入れてたびたび廉売会を催した

(27)

。  食糧,布地に続いて大きな問題となるのは建築 用の木材や金物の調達・配給であった。政府や 府・市は,当初学校や官公署,社寺,大邸宅など に避難した罹災民に対し,天幕や急造バラックを 設営して仮設の住居として提供していった。これ らの設備のための材料調達には,農商務省,のち 復興院が全国の府県や大林区署との連携のもとに あたったほか,アメリカ,カナダ,イギリスなど からの輸入も行われた

(28)

。市民の個別の需要に 対しては,9月1 6日に市が築地明石町,日本橋浜 町公園,隅田川駅の3か所で建築用材の実費によ る配給を開始した

(29)

 このように需要の対象が雁行的に変遷する中 で,継続して制約と考えられていたのは運輸設備 の破壊とそれに伴うコストの高騰であった。例え ば,鉄道は東海道方面の被害が特に大きく,東 北・常磐方面が9月中に達成した全線の開通も 1 0月末以降となった

(30) 

。海運は横浜や芝浦の港 湾設備の破壊によって,荷役が滞ることとなっ た。東京市営電車は火災による車輌の焼失などの 被害が大きく,軌道は1 0月末に1 0 2マイルの復

旧を見たが輸送力の低下を免れなかった。このた め,乗合自動車の運行が新たに市営されることと なり

(31)

,また民間でも鉄道や市電の回復の遅れを 見て自動車の調達を企図する企業が現れ

(32)

,ガ ソリン,自転車などへの波及的な需要増も発生し た

(33)

。鉄道や海運の運賃は被災救護のために9 月2 0日まで罹災者の退京や救恤品の入京を無賃,

それ以降も割引等の政策的配慮がなされていた

(34)

が,小規模・短距離の運賃は旅客・貨物ともにそ うしたコントロールを受けずに急騰を示した

(35)

。  こうした物資需給の攪乱は,商業者たちに価格 差を利用した利殖のチャンスを強く意識させるこ とになる。そしてその動きは,被災地の近隣で完 結するのではなく,主に東京(横浜)と大阪(神 戸)という二大都市の間のやり取りの形で活発に なった。例えば以下のように,機械工具商による 当時の回顧を複数挙げることができる。

震災の直後,大阪から船でかなりの商品を 送ってもらった。あのときは値段などあって ないようなときで,商品はどんどん売れ,し かも値段も買う方が勝手に決めて,引きとっ てゆくので,普段のときより儲けさせても らった

(36)

九月五日大阪に行っていらい,あらゆる方法 を考えて商品を運んだせいか,九月末には私 はかなりの儲けを得ることができ,震災とい うものはなかなかもうかるものだという変な 錯覚さえもったものである

(37)

東京では品物さえあれば,どんどん売れたの で,私はトンボ返り式に東京と大阪を往来し た

(38)

 いずれにおいても,震災による市場攪乱を大阪 からの調達によってチャンスとしているさまが見 て取れる。

 こうした活動により,以下のような「被災地域 の復興」に対する懸念が喚起されることになる。

東京復興の障碍 本店の大阪移転傾向 東京 市有力者の協議

 東京に本店を有し阪神地方に支店を有する

会社銀行又は大商店中には今回の災害を機会

に本店を大阪又は神戸へ移さむ意向を有する

(6)

もの尠くなく阪神方面からは頻りに本店移動 を慫慂しつゝあるのでその実現を見ることに なれば災害後の東京市は容易に回復出来ぬば かりか我商工業は将来永遠に阪神地方を中心 にすることになつて東西其地位を転換し東京 は僅かに政治的に残存するに過ぎぬことにな るので市当局及び市会議員の多数は何れも此 点を憂慮しつゝあるから近く議員協議会を開 いて之が応急策を講ずることになるだら 〈う〉

尚日本橋区では前記の種旨に基き区民の離散 防止策として此程区会を開き左記の通り決定 した

△避難せる区民は此さい全部区へ復帰された  い

△市から材料を仰き小学校跡及び公園苑へバ  ラツクを急造した右復帰 毫 を収容す

ママ

△燃土は一定個所に集積し陸軍工兵隊へ搬出  を求めること(既に陸軍の承諾を得た)

(39)

 帝都東京を襲った震災が,東京・大阪の都市間 競争を煽ることになったことが読み取れる

(40)

。 そして地区の有力者が地区単位で企業や住民の離 散による衰退を危惧し,活動を始めていた点が注 目されよう。

3−2 職業紹介事業成績から見る罹災失業者の     動き

 物資需給の攪乱は,当然,労働力需給の攪乱を ももたらすことになる。被災地では震災による物 理的・経済的損害に起因した企業・工場の休廃業 によって,大量の失業者が生み出されることに なった。精確な人数は得難いが,警視庁は東京市 においておおよそ8万人の職工が職を失ったと見 積もっている

(41)

。これら失業者の対策は9月中

 

旬以降大きな問題となり, 1 9 2 1年発布の職業紹介 法に基づく各地方の職業紹介所がその任に当たる ことになった。職業紹介成績はすなわちその地域 での職の存在を意味するため,どの地域でどのよ うな職がいつどれだけ増減したかを見ることで地 域間の人の流れを推量することができる。そこで 以下では全国の職業紹介所による震災後の活動と その成績を観察してみたい

(42)

 震災発生時点で東京市には9の職業紹介所(中 央,浅草,浅草公園,上野,本所,芝園橋,小石 川,四谷,厩橋)が存在したが,そのうちの芝園 橋,小石川,四谷を除く主に東部の6か所は焼失 してしまった。震災後,失業者の急増を見込んで 市役所前(数寄屋橋) ,浅草橋,飯田橋,六本木,

高輪,上富士前,業平橋,桜田本郷(水道橋) , 深川公園,坂本公園を新設追加し紹介業務に当 たった

(43)

。こうした対策は東京に限られず,9月 6日には大阪地方職業紹介事務局長が管内の各職 業紹介所長に宛てて「避難民求職者ニ対スル準備 トシテ特ニ求人開拓ニ努ムルコト」など対処を促 した

(44)

。上述のように輸送手段も被災していた ため,罹災失業者が関西方面の職業紹介所に救護 や職の紹介を求めて現れるようになるのは9月5 日頃以降であり,その対処に忙殺されるように なったのは9月1 5日前後からであったと複数の 紹介所が報告している

(45)

 図2は東京市からの避難者流入の度合いを府県 単位で地図上に図示したものである。東京市から の避難者が最も多く流入したのは東京府下郡部で あったが,これを除く府県について流入数上位か ら5段階に網掛けされており,北関東や北陸にか けて近距離の県に避難者が流入していったことが 判明する。またその傾向のなかでは特徴的に,大 阪が多くの避難者を受け入れていたことが読み取 れる。

 失業者への紹介業務に当たって最も重要なの は,当然求人口を用意することである。各職業紹 介所では, 「罹災者に職を与へよ !!」といった宣伝 ポスター・ビラの配布,新聞広告の掲載,自動車 の車体への掲示,そして各事業所への戸別訪問も 行って求人を慫慂した

(46)

。この活動は,1 9 2 1年 に開始したものの認知度の低さを課題としていた 職業紹介所にとって,その存在を宣伝する効果が 大きかったであろう。では,その具体的な成績は 如何なるものであったのか,求人口の性格を整理 して見てみよう。

 震災後の緊急的な求人開拓に応ずる側の動機と

して,その労働需要を①震災による損失分の補

填,②復興需要への対応分,③震災以前からの需

(7)

要分,そして④経済的裏付けの弱い同情によるも の,の4種に大きくは分類できよう。このうち,

③については1 9 2 0年代の経済状況を反映して,

潤沢ではなかったことが予想できる。

大正九年以来経済界の不振続きにて疲弊困憊 し店員職工を整理淘汰し高給者を排して低給 者と交換し職工大店員を退け見習徒弟小店員 と交換する傾向ありて震災避難求職者の紹介 には求人口の開拓に容易ならざる苦心努力を 要したり

(47)

(金沢市立職業紹介所)

 このように「経済不振の折柄

(48)

」 (倉敷職業紹 介所)を求人開拓困難の理由に挙げる紹介所が多 い。上記引用部から読み取れるのは,震災以前か らの需要分と呼べるものがあるとすれば,それは

「見習徒弟小店員」などの「低給者」であったと いうことである。

 これは④の同情による求人にも共通しよう。各 紹介所では同情を喚起することによる求人口の開 拓も一つの方法としており,これに呼応する事業

者や家庭も少なからず存在したが,必ずしも経済 的な必要性を持たない求人は,自然と子供や女性 など低給で雇える対象に偏らざるを得なかった。

こうした偏りは,特に被災地外の紹介所の報告に 広く共通するものである

(49)

 この結果,罹災者が避難のため流入していった 被災地外の職業紹介業務において,深刻な雇用の ミスマッチがもたらされることになる。罹災求職 者の多くは男性で,熟練工や事務員の仕事を望む ものが多く含まれていた

(50)

。実際,1 1月1 5日時 点の社会局の調査でも,東京府における死傷行方 不明以外の罹災失業者のうち,4 2%が工業,3 7%

が商業,そして8%が公務・自由業に従事してい て被災した者であり,4 4%が工業,3 2%が商業の 仕事を希望すると答えている

(51)

。そうした求職 者は求人開拓に集まる女性や若年者への求人では 対処することができない。また,成人男性向けの 職を得ることができたとしても,その地域の産業 構成が罹災者の技能・経歴と合わないなど,種々

被災者散布数(人) 

    297 − 723      724 − 1984      1985 − 5424      5425 − 14194      14195 − 48481       (東京府) 

図2 避難者離散状況

出所)社会局編 (1 9 2 4) , 1 5 7 −  1 5 9頁。地図データは村山祐司による「明治期以降行政界変遷デジタル地図」に若干修正を加えたもの。

   注)   「東京市より (死者行方不明者ヲ含ム) 」の罹災者散布数につき,最多の東京府下郡部を除いて流入数の多い方から9道府県ずつ    5段階で色分けした(最少の層のみ1 0県) 。社会局編 (1 9 2 4) の巻頭第十三図も参照されたい。         

      

(8)

の困難を招いた。

求職者の多数が染色職工,時計職工及機械小 物職工ガラス職工,印刷職工なるに反し当所 附近の大部分の工場が鉄工(大物)マツチ護 謨工場なるを以て到底此等罹災職工を採用す るに途なく仮令採用するも熟練工に非ずして 工場雑役としての同情的雇入なれば,賃金其 他の労働条件其他の点に於て満足を与へ得ざ りし

(52)

(神戸市兵庫職業紹介所)

 しかし,紹介所の報告からは,罹災者への職業 紹介の困難は性別・職種のマッチングに加えて,

あるいはそれを背景とした,罹災者の意識の問題 も大きかったことを窺い知ることができる。名古 屋市職業紹介所の報告は,その点を端的に記して いる。当所は紹介成績が必ずしも良好でない理由 として,以下を挙げる。

一,雇主は永続勤務を希望するに対して求職   者は避難的一時的勤務を希望する立場上   の相違

一,当地と震災地と労働条件の相違 一,生活状態社会状態の相違

一,殆ど考慮の余地なく無理に余儀なく移動   した事の結果

  イ,不断に動揺し心の落付きなき為め   ロ,帰還の念旺盛なる為め

(53)

 つまり,職種面のマッチングの悪さだけでな く,勤続期間の希望についてもミスマッチが生 じ, 「永勤の精神なく」 「永住的決心を為す者は極 めて少」ない

(54)

ことで,折角罹災者を雇用した雇 主の同情心を喪失させ,マッチングの溝をさらに 深めてしまうという指摘である。 「多労薄給なる 為め偶々一時凌ぎに就職はなすも遂に其職を嫌厭 し永続する者少く従て雇主側に於て罹災者の評判 宜しからず

(55)

」 (金沢市職業紹介所) ,この結果,

例えば岐阜市職業紹介所は「多くは数日或は一 二ヶ月にして退去或は解雇せられ」求職者2 2 9名 中就職者6 4名のうち,目下勤続中のものがわず かに1 1名という成績を記している

(56)

。このよう な事態は,震災後半年のうちに

(57)

「一般罹災求職 者の求職申込を厭ふの結果に陥らしめたるの感あ り

(58)

」 (岐阜市職業紹介所)と報告されるまでに

至った。

 名古屋市職業紹介所は,その後の罹災求職者の 推移も端的に描写している。

九月中旬,下旬の頃に於ては善良なる素質の 罹災者多数就職したるを以て一時一般求職者 を圧迫するかの如き傾向を顕はさんとしたる も時日を逐ふに従つて不良なる罹災者及罹災 者と称する者の不良なる成績を顕はすに至 り,又帰還者頻出の為め著しき何等の特異な る事象を見ざる間に自然に淘汰され推移し忘 るるともなく経過

(59)

 震災前から労働供給過剰傾向のところに罹災者 が流入し,一般求職者との間に競合が生じた。紹 介所の求人開拓は一時的に労働需要を増加させ,

また政策的配慮から罹災求職者が優先されたもの の,雇主側にとって罹災者を無理に抱え続ける余 裕も必要もなかった。また罹災者側も,前職との 比較で満足できる労働・生活状況が得られず,可能 ならば帰京したいとの念を強めたことが読み取れ る。従って被災地外における②復興需要への対応 分の労働需要増も,基本的には既存の供給過剰分 の 吸収によって(そして罹災求職者よりは一般求 職者を選好する形で)充当されたと推測できよう。

 図3は大阪市の職業紹介所における1 1月末ま での罹災者職業紹介成績の変動である。明らかな ように9月後半が紹介事業のピークであり,9月 と1 0月で大阪所在の紹介所では総計で1 2,5 7 0人 の罹災求職者に職を紹介することができている。

しかしその後は求職数・紹介数ともに縮小したこ とが明らかであり,年明け1月の時点では震災直 後の1 0分の1程度にまで減少した

(60)

。こうした 罹災者流入の短期集中の動向に,上述の定着率の 悪さを合わせて考察すれば,震災後被災地からの 人口流出は決して継続的ではなく,かつ一時的に 被災地から離散した罹災失業者を吸収し,定着さ せることができた地域は僅少だったと結論するこ とができよう。

 満足の行く移住先を得難かった罹災失業者たち

の多くは,可能ならば帰還したいと望んでいた様

が分かるが,では帰還は経済的に,現実的に可能

だったのであろうか。

(9)

3−3 被災地への人口の還流と復興需要の性格  被災地については, 1 9 2 3年9月9日にすでに焼 跡復帰者の増加が報じられている

(61)

。もちろん,

復帰は天候や交通機関,電燈の復旧等に大きく左 右された。特に本所区及び深川区では震災による 地盤や排水の悪化に9月下旬の風雨による浸水が 重なって,復帰のスピードを他地区と比較して大 きく制約されることになった。1 0月1 0日には罹 災者に復興気分が「横溢」し,商業者らは震災前 と勝るとも劣らない盛況と報告された

(62) 

が,こ の段階でも本所・深川では排水の問題が尾を引い ていた

(63)

。論調が変わったのは1 0月1 6日ごろで ある。晴天が続き,水が引いて「人心漸ク安堵」

し,急速に復帰者が増加したという

(64)

。図4は仮 小屋数及び仮小屋居住者数の動向を示している が, 1 0月半ばにかけて火災の激しかった区での仮 小屋建設が急速に進んだことが分かる。焼跡復帰 者は全市で1 1月1 5日現在4 9 1,0 8 1人,1 9 2 4年1 月2 0日現在6 6 1,2 5 2人,3月3 1日に7 6 5,0 4 2人と 1 0月以降継続して増加していった

(65)

 こうして1 9 2 3年1 0月末頃には,新聞でも「焼

け跡への帰還」を伝える記事が目立つようにな る

(66)

。表3は東京商業会議所 (1 9 2 3) と東京市編

(1 9 2 7) から作成した震災後の現住人口の動向であ る。震災直後の値は精確を期し難く,また異なる 調査のデータであるため参考値であることに注意 が必要であるが,火災被害の大きかった本所・深 川では1 9 2 0年水準の2 0%程度まで落ち込んでい る。一方, 「その他の市部」では微減で,牛込区 など市西部の区では増加を見た。しかし2 3年1 1 月頃から各地区とも2 0年水準への収束傾向を示 していることが分かる。東京市外の府県との間の 人口の移動は時系列では把握しにくいが,社会局  の調査によれば東京市からは約6 6万人が震災後 離散し(主な内訳:府下郡部3 1万2千人,千葉 4万8 千人,埼玉3万5千人,神奈川1万4千人,

大阪,茨城,新潟に各2万人余) ,一方2 3年1 1 月1 5日時点で2 7万3千人が東京市に「復帰すべ き意思」を明らかにしている

(67)

。上述の図4を念 頭におけば,震災直後から復帰傾向が存在し,そ の条件が整い次第数が増加していったことが分か る。

人・件 

700 

600 

500 

400 

300 

200 

100 

0

求職者計  紹介件数計 

9月  10月  11月 

4日  7日  10日  13日  16日  19日  22日  25日  28日  1日  4日  7日  10日  13日  16日  19日  22日  25日  28日  31日  3日  6日  9日  12日  15日  18日  21日  24日  27日  30日 

図3 大阪市における職業紹介成績

出所)大阪市役所「大阪市臨時救援事務概要」 (1 9 2 3年1 2月) ,4 0 −  4 4頁。

注)   「罹災求職者取扱数」表の男女計。1 0 月  1 7 日,3 1 日,1 1 月  2 3 日は表記がない。自由労働か普通紹介かは記されていないが,1 0

   月以降の数値が「罹災求職者取扱数内訳」表に記された 「普通」 「知識」 「熟工」の合計と一致するため,普通紹介のみの値と

   考えられる。ただし「罹災求職者取扱数内訳」の表には日曜日の記録がないため, 「罹災求職者取扱数」における日曜日の値

   の根拠・内訳は不明。        

(10)

          表3 震災後の現住人口動向              (単位 : 人・%)

  焼失面積7 0%

未満の区   焼失面積7 0%

東京市計 以上の区

1,0 5 6,6 3 4 1,1 0 7,9 5 7

2,1 6 4,5 9 1 1 9 2 0年1 0月

1,4 2 2,5 5 6 2 6 2,7 1 8

1,6 8 5,3 2 4 1 9 2 3年9月1 1日

1,1 6 8,5 7 1 2 3 0,1 6 7

1,3 9 8,7 3 8 1 9 2 3年9月2 1日

1,0 3 6,6 1 9 4 7 6,8 9 0

1,5 1 3,5 0 9 1 9 2 3年1 1月

1,0 5 1,7 9 7 8 5 6,0 2 9

1,9 0 7,8 2 6 1 9 2 4年1 0月

1,0 3 8,7 0 9 9 4 2,9 3 4

1,9 8 1,6 4 3 1 9 2 5年1 0月

 1 9 2 0年1 0月 = 1 0 0

1 3 4.6 2 3.7

7 7.9 1 9 2 3年9月1 1日

1 1 0.6 2 0.8

6 4.6 1 9 2 3年9月2 1日

9 8.1 4 3.0

6 9.9 1 9 2 3年1 1月

9 9.5 7 7.3

8 8.1 1 9 2 4年1 0月

9 8.3 8 5.1

9 1.5 1 9 2 5年1 0月

出所)1 9 2 0年,1 9 2 3年1 1月,1 9 2 4年,1 9 2 5年:東京市編(1 9 2 7) ,4頁,1 9 2 3年9月  1 1 日,9月  2 1 日:「東京府下に    於ける大震災の影響」 『東京商業会議所報』第6巻第1 0号(1 9 2 3年1 1月) ,4 7 −  4 8頁。今泉(2 0 0 8b) ,3 8頁の    表9を修正の上再集計したもの。

注)     焼失面積7 0%以上の区は神田,日本橋,京橋,浅草,本所,深川。東京市編(1 9 2 7)による値には「水面」を含    まない。 『東京商業会議所報』による9月1 1日の値は,資料中の表(二)の現在人口の値を用いた。同表は合計    と内訳が不突合であるがそのまま。

A. 仮小屋数動向  B. 仮小屋居住人員動向 

戸  人 

80,000  70,000  60,000  50,000  40,000  30,000  20,000  10,000  0

400,000  350,000  300,000  250,000  200,000  150,000  100,000  50,000  0 深川 

浅草  日本橋  その他市部 

本所  京橋  神田 

9月16日逆算    9月17日現在    9月20日現在    9月25日現在    9月30日現在     10月20日ごろの  調査    9月16日逆算    9月17日現在    9月20日現在    9月25日現在    9月30日現在    10月20日ごろの  調査   

図4 被災後の東京市における仮小屋数及び居住人員

出所)9月  1 6 日逆算及び9月  1 7 日現在:警務課調査係「避難民収容場所,人員及焼跡復帰者数(九月十七日現在) 」 ,9月  2 0 日現在: 

      警視庁警戒司令部「九月二十二日午後六時災害状況概括」 (1 9 2 3年9月  2 2 日) ,9月  2 5 日現在:同「九月廿七日災害状況報告概        括」 (9月  2 7 日) ,9月3 0日現在:東京市非常災害事務総務部「災害調査時報」 (第  2 0 号,1 0 月  1 1 日) ,1 0 月  2 0 日ごろの調査:警    視庁警戒司令部「十月二十日災害状況報告概括」 (1 0 月  2 0 日) 。

注)     「9月  1 6 日逆算」とは,9月  1 7 日現在の資料に記載されている「前日トノ比較増減」数値を用いて逆算したデータ。

    「9月  3 0 日現在」の仮小屋数のデータは「仮住宅」戸数。 「1 0 月  2 0 日ごろの調査」の調査時点は「最近の調査」 。

    「9月  2 0 日現在」と「9月  2 5 日現在」のデータは,原資料において合計と不突合である。       

(11)

 元の場所に戻っても生計を立てる見込みがなけ れば,前項で見たように避難先の職や生活に不満 を抱えていたとしても,帰還せず甘んじてその地 で生活を再建するほかに選択肢はない。このよう に陸続たる帰還者の増加が可能になった背景とし て,第一には企業の営業再開に伴う雇用の回復が 考えられる。東京府内の職業紹介所は,その様子 を以下のように報告している。

震災後は一時求人口絶へたるも数日の後は小 康を得て各工場もぽつぽつ作業を開始すると 同時に機械又は建物の修繕復旧に着手せり,

然れば此際特に経験者に非ざれば用に適せざ るを以て是等工場にては素人職工を好まず然 りと雖も経験工亦至て稀少にして求人と求職 の調和を保ち難く一層の困難を感ぜり(北豊 島工員職業紹介所)

(68)

 上記は東京市の北部に隣接する北豊島郡におけ る報告であり,そこでの求人口は主に比較的規模 の大きな工場であっただろう。このような工場が 労働需要,とりわけ熟練者へのそれを増加させて いったのである。被災の程度の軽かった東京市周 辺郡部で上記報告のように工場が再開され始める と,帰還して再度職を得られる可能性が意識され るようになるだろう

(69)

 しかし被災地内部での労働力需要は,実際には 上述のようなまとまった雇用だけではなく,より 柔軟な形で,被災者ら自身によって生み出されて いった。それはまず建築需要の増加に見ることが できる。震災当時,被災地にバラックを建設する 行為(現地仮設)を規制する法令はなかった

(70)

。 さらに,混乱のなかで資産等の保全の問題が,帰 還を後押しする効果を持ったと考えられる

(71)

。ま た前節で述べた通り,9月中旬には東京市内で建 築資材の実費供給が始まっている。このため被災 者は自分のもとの居住場所やその近くで,仮設の 住宅により生活の復旧を目指すことができた。図 4の示す増加はその反映であるわけだが,このこ とが,大工など建築サービスへの需要を個別・継 続的にもたらすことになる。

 表4は,期間が限られるものの焼跡での営業者 を業種ごとにカウントした動向である

(72)

。最大を

示すのは飲食店であり,酒,煙草,青物商を主と する飲食物販売のほか理髪,雑貨商などが大きな 値を示している。飲食店については, 「震災後一 時ニ多ク開業セシ飲食店ハ主ニ素人ニシテ他ニ食 スベキ物ナキ折柄ナリシヲ以テ孰レモ相当売行ア リ

(73)

」と報告されており,必ずしも経験のない者 が,需要の存在に反応して開業したと考えられ る

(74)

。薪炭商は順次増加し,自転車屋,自働車・

自転車修繕,運送店については,絶対数は少ない もののそもそも多様な業種のなかでこれらが項目 として立てられたという事実が,前節で触れた運 搬サービスへの需要の逼迫

(75) 

を示していると言 えよう。先述の建築・土木請負については9月 1 6日から2 5日の間に営業者数が6から3 7へ6倍

に増加している。

 このように被災地に留まる人,帰還した人たち が,様々な需要を「被災地内部で」発生させるこ とになる。救援物資の域外調達である建築用木材 の輸入も,実際には現場の建築に適合させるため の製材サービスを伴わなくてはならず,そして深 川区に顕著に集積していた製材工場が震災後の火 災で壊滅したために,東京市内での製材工場の復 興を喫緊の課題として浮上させた

(76)

。社会局は失 業者の吸収と製材工不足の解消の両面を狙って,

芝区の市職業補導会の焼跡や深川区など3か所に 木工講習会を組織している

(77)

。同様の事態は,米 と精米サービスなどでも発生した

(78)

 これらの例を始め,表4で触れた業種が主に物 品ではなくサービス提供の業種であった点は「地 域」の復興を考える上で意識すべきであろう。物 品は他地域からでも供給可能であるのに対し,

サービスの供給には近接性が要求され,被災地内 部にその供給者を繋留する効果を持つ。本所区で 被災し工場を焼失した会田鉄工所は,9月中に焼 けた鉄骨とボルトを用いて工場建物の一応の再建 を遂げたが,震災直後の状況について以下のよう に回想している。

焼け金庫開けます の札をブラ下げて焼け

跡を歩いて,ハンマーとドライバーで結構仕

事となりました。また焼けた工作機械の修理

も随分やりまして相当もうかりました。大震

(12)

災で一切がぶちこわされて,手のほどこしよ うがない時でも, 結構仕事はあるということ,

それにつけても工場の復興を真っ先きにやる べきだという貴重な教訓を得ました

(79)

。  やはり同様に,金庫を開ける,焼け機械を修理 するといった修理サービスへの需要が発生してい たことがわかる。機械の修理サービス需要は,機

械の種類・構造や損壊の度合いに応じて柔軟に対 応する熟練の技術が要請される。機械工業に従事 していた熟練工たちが震災後の被災地で広く従事 したと考えられる。

 さらに,この機械修理サービス需要の存在は,

本稿冒頭で確認した東京の製造業事業者の性質を 踏まえたとき,東京における産業復興の重要な特

表4 焼失地域に於ける諸営業数動向

   25 日 /16 日 2 5 日

2 4 日 2 3 日 2 2 日 2 1 日 2 0 日 1 9 日 1 8 日 1 7 日  9 月  1 6 日

1 1.6 1 1 6 1 1 2 1 1 4 1 1 5 9 4 8 5 6 6 3 3 2 7 1 0 薪炭其他燃料商

2.7 1,6 2 8 1,4 5 8 2,1 3 4 1,7 6 6 1,7 3 0 1,6 8 1 1,6 3 2 1,4 4 7 9 2 0 5 9 8 飲食店

3.6 1,9 8 2 1,4 8 5 1,8 6 6 1,6 1 4 1,7 7 9 1,6 5 6 1,3 8 6 1,1 0 0 7 6 3 5 5 2

*その他飲食物販売

1 7.0 3 4 2 4 2 8 2 1 2 1 1 1 6 1 8 8 家具什器販売  2

7.4 2 8 7 2 2 2 2 9 7 2 2 7 2 3 5 2 0 1 1 5 7 1 0 8 7 4 3 9 雑貨 (小間物・荒物) 商

4.9 2 9 2 2 3 0 2 8 8 2 3 2 2 2 8 1 7 4 1 5 1 1 2 8 9 9 5 9

*その他身の回り品

1 7.2 8 6 8 9 8 7 7 9 7 1 5 5 4 1 2 6 2 7

*材木商,建築材料 5

5.4 4 3 4 5 5 1 5 0 3 9 2 6 2 7 1 8 1 4

*建築・土木請負・ペンキ屋 8

2 0.0 2 0 1 9 2 3 2 0 2 2 1 6 1 3 8 8 人夫請負 1

3.7 1 1 6 6 5 9 4 4 2 2 貸自働車 3

5.0 7 0 4 9 5 5 4 6 4 0 8 3 4 4 3 2 3 0 1 4 自転車屋

5.3 4 8 4 4 3 7 4 1 4 7 3 0

2 8 9 自働車・自転車修繕 9

5.4 2 7 3 3 2 6 2 5 3 4 1 7 1 9 7 1 1 人力車屋 5

6.5 5 2 5 9 5 9 5 8 4 3 4 6 4 0 2 6 2 3 運送店 8

1 0.2 1 0 2 3 1 9 6 6 0 5 5 2 3 1 9 3 1 1 9 1 0

*新聞,書籍,絵葉書販売,印刷

4.1 2 4 9 2 0 9 2 7 2 2 9 1 2 0 5 1 8 9 1 6 8 1 2 7 1 0 0 6 1

*理髪 (女髪結) ・洗濯屋

3.2 9 0 1 1 2 1 3 6 1 0 8 8 8 8 3 7 3 6 3 3 6 2 8 金物商

8.8 1 4 0 1 1 0 1 1 9 9 2 1 1 5 6 9 6 1 5 4 2 9 1 6

*その他物品商

1 2.8 7 7 6 5 5 3 4 6 3 8 5 5 2 0 7 4

*その他 6

3.7 5,3 6 4 4,4 0 5 5,7 4 7 4,8 2 1 4,8 4 3 4,4 7 4 3,9 5 7 3,0 6 3 2,3 2 0 1,4 3 4 計

出所) 「営業別現在営業者総数表」及び警視庁保安部「保安部災害救護情報」 (第2 4報,1 9 2 3年9月2 8日)より集計。前者は「1 0月           1日」の印のある原議不明の資料だが,表の形状や数値の突合から後者の一部と判断した。

 注) 「二十四日減少著シキハ降雨ノ為閉店セルモノ多数ナリシヲ各署ノ調査ニ当リ之ヲ除外シ計算セシニ依ル」 (原注) 。    1 7,1 8,2 1,2 2,2 4,2 5日は合計と内訳が不突合だが表記のまま。*を付したものは筆者により複数の行を合算してある。

 *その他飲食物販売=米穀商+味噌醤油商+砂糖商+青物商+漬物商+乾物商+魚貝類商+獣畜 (卵) ・肉商+芋販売+酒商+パン   屋+牛乳販売+煙草商+茶商+菓子商+果物商+氷水商+清涼飲料水+其他飲食物販売〈備考欄に「野菜油揚,豆腐」とあり〉

 *その他身の回り品=陶器商+履物 (傘) 商+靴屋+反物衣服類 (フトン屋) +足袋商+洋品店

 *材木商,建築材料=材木商+トタン板商+●●●材料〈判読不能。備考欄に「石材商,土砂商,左官材料商硝子…」と記載あり。

  備考欄末尾も判読不能〉

 *建築・土木請負・ペンキ屋=建築・土木請負+ペンキ屋

 *新聞,書籍,絵葉書販売,印刷=新聞 (書籍) 販売+絵葉書商+印刷屋  *理髪 (女髪結) ・洗濯屋=理髪 (女髪結) +洗濯屋

 *その他物品商=売薬商+空 (俵,樽,壜) 商+紙 (文房具) 商+革及仝製品商+機械器具商〈備考欄に「時計,謄写器」とあり〉 +古   物商

 *その他=紹介業+代書業+其他〈備考欄に「写真屋…」と記載あり。備考欄末尾判読不能〉

  「自働車・自転車修繕」は備考欄に「自働車,自転車修繕,仝附属品」とある。2 0日の値は「自転車屋」との合計。

  「其他飲食物販売」の2 0日と, 「其他」の2 4日の数値には添え書きがあるが判読不能。

 同表には警察署別の数値もあり,月島署 (京橋区) と太平署 (本所区) の列は空欄であるため,この地区の数値は含まれていないと考

 えられる。

(13)

徴を縮図的に示唆していることが明らかになる。

すなわち,第2節で触れたように,東京所在のバ ラエティ豊富な事業者の多くは中小零細規模で あった。一方諸外国や関西から震災後に輸送され てきた機械設備は,需給バランスの攪乱や運搬コ ストの上昇を受けて高価であり,被災した多くの 中小零細業者にとってそれらの購入は容易ではな かったであろう。被災した設備を修理して再利用 することが可能であれば再開の可能性は高まる が,しかし修理サービスを提供できる機械工業の 熟練労働者が彼らの近隣に存在しなければ,それ は実現困難であっただろう。

 一方同時に,機械工業の中小零細工場において は,機械を需要する業者がいなければ営業再開は できず,しかし新造品の需要では材料の調達困難 や彼ら自身の機械設備の損壊によって,対応困難

であったと考えられる。つまり機械の修理需要の 存在が, 彼らにとっても営業再開の糸口になった。

ここに,需要の相互依存の関係が明らかになる。

被災し営業を中断した双方が立ち上がるきっかけ は,このように地域内で互いが互いの需要の存在 を頼りとする構図によって与えられたと考えられ る。

 図5は東京市市営の職業紹介所における成績の 動向である。自由労働紹介は1 0月がピークで1 1 月以降2,0 0 0人強で横ばいとなる

(80)

。一方普通紹 介は1 1月にかけて緩やかに増加し, 自由労働同様 1 1月半ば以降は1,0 0 0人約で横ばいとなる。図3 で見た非被災地の成績と異なり,中長期的に水準 を維持している。普通紹介では求人が求職を上回 る傾向にあることも指摘できるだろう。

 また,1 0月2 5日に中央職業紹介事務局の中に

9月  10月  11月  12月 

人・件  7,000 

6,000 

5,000 

4,000 

3,000 

2,000 

1,000 

0

11日  14日  17日  20日  23日  26日  29日  2日  5日  8日  11日  14日  17日  20日  23日  26日  29日  1日  4日  7日  10日  13日  16日  19日  22日  25日  28日  1日  4日  7日  10日  13日  16日  19日 

普通紹介 求人  普通紹介 求職  普通紹介 紹介  自由労働紹介 求人  自由労働紹介 求職  自由労働紹介 紹介   

図5 東京市における職業紹介成績

出所)9月1 1日〜2 0日:東京市非常災害事務総務部「災害調査時報」第3号 (1 9 2 3 年9月  2 4 日) ,9月  2 1 日〜2 7 日:同9号 (9月  3 0     日) ,1 0月4日:同  1 7 号 (1 0月8日) ,1 0 月5日〜1 0 日:同  2 6 号 (1 0 月  1 7 日) ,1 0 月  1 1 日〜1 5 日:同  3 0 号 (1 0 月  2 1 日) ,1 0月  1 6日    〜2 2日:同3 6号 (1 0 月  2 7 日) ,1 0 月  2 3 日〜2 7 日:同  4 0 号 (1 0 月  3 1 日) ,1 0 月  2 8 日〜1 1 月2日:同4 7号 (1 1 月8日) ,1 1 月3日〜

   1 0日:同5 6号(1 1月1 9日) ,1 1月1 1日〜2 5日:同  6 7 号 (1 2 月5日) ,1 1 月  2 6 日〜3 0 日:東京市調査課「災害情報」甲  1 5 1 号     (1 2月  1 3 日) ,1 2 月1日〜1 0 日:同甲  1 5 5 号 (1 2 月  1 8 日) ,1 2 月  1 1 日〜2 0 日:同甲  1 6 3 号 (1 2 月  2 7 日) 。

 

注)     9月中のデータは普通紹介と自由労働紹介を区別していない,中央職業紹介所のみの値。9月  2 8 日から1 0 月3日までは不明。

    「災害調査時報」第3号のデータには同4号 (9月  2 5 日) 記載の訂正を,同  6 7 号のデータには東京市調査課「調査時報」第7 8号

    (1 9 2 4年1月  3 0 日) 記載の訂正を反映してある。        

参照

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