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国際仏教学大学院大学研究紀要第 1 号 平 成 10 年 3 月 1 

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(1)

国際仏教学大学院大学研究紀要第 1 号 平 成 10 年 3 月 1 

『 不 殺 生 考 J

原 賓

1 9 9 5 年 1 2 月文部省より正式認可を得、 1 9 9 6 年4 月本学は発足の運びとなったが、 それ に先立つて 1 9 9 4 年以来筆者は本学の設立準備委員の一人として度々文部省に出頭を要請 きれ、又大学設董審議委員会の度ぴ重なる載しい試関を受けねばならなかった。その最 終段階に於いて問委員会は本学誌可の条件のーっとして、仏教学が『生命倫理 j と『環 境問題』というこつの近現代の緊急課題とどのように対決するか、それを持らかの形で 本学の教科に組み込む事を要求した。

ところで筆者が専攻するインド古典文献学とは異なって、 f 生命論理』 といい f 環 境 問題』 といった現代的課題にほ未だ歳密な学院的方法論が確立しているとは称し難い。

きワとてこの緊急課題を等関に付す事辻許きれない。しからば文献学とこの種の近現代 の問題の接点 i 主将処に求めらるべきであるか、新しい大学院大学の発足に当たって筆者 辻この問題を真剣に考えねばならなかった。

しかしながら、海外に眼をやる時L. S c h m i t h a u s e n の如き筆者の尊敬する著名な仏 教学者辻原に現代の『環境問題j !こ関心を寄せ、仏教学者としてこの種の課題に真剣に 取り組んでいた。 この機会に筆者は可能な隈り同氏の論文 1) を読んで、、 この種の現代的 課題と吉典文戴学に幾つかの接点のあることを学び、その中に『不殺生』の課題のある ことを発見した。蓋し広義の『環境問題』辻人間とそれを取ワ巻く人関誌外のものとの 関わり合いに籍み、 f 不殺生』 を基にしてこの問題を論じる事が可能であると考えた故 である。

これより先今から約 2 0 年前、筆者は全く別の問題意識から P a . S u p a t a 援の I 不殺生

( a h i 平 s a ) J についてー稿を草した。周知の通りこの援は古来 f 塗灰外道』 と員乏称され て f 灰』の使用をその徴票としていたが、 『灰 i の使用法 f 不殺生』 と無関捺ではな かった。蓋し f 灰』は物を焼いた残淳であるから、それは内に生き物を含有しない道理 であり、それを身に塗り、又その中に沫浴しても生物を害する『殺生 j をき巴す危験はな く、且つは同援の標梼する『摂所有 J の徴票ともなった。 2 ) 包しその場合『灰』は必ず 龍人より貰い受ける事が前提され、 行 者 自 ら が そ れ を 造 る 事 は か た く 禁 じ ら れ て い た。幻自らの手に国らず、他人の手に掛かったものゆ a r a k r t a ) であれば、それを使用 しても『殺生jの罪を被らずとなす考え方は見方によっては利己的であるが、他冨それ は或る意味で仏教の『三種浄肉 i の思想勺こ通じている。

小論が果たして現代の緊急課題に答えているか否かは尚不明とせざるを得ないが、こ こに新しい試みのーっとして以下に私論を提示して識者の批判を仰ぎたいと考える。

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(2)

2  不殺生考(原〉

(1‑1) 題知の通り『不殺生j ,ま五戒 ( p a n c a ‑ s l l a ) のーっとして古くか ら仏典に説かれ、法典もこれを他の四徳目と共に、人需がひとしく踏み行

くべき道として言及している。

a h i r p s a  satyam a s t e y a 中三 aucami n d r i y a ‑ n i g r a h a l f   e t a r p  s m 互 s i k a r pdharma 中 c a t u r v a r l ) ye' b r a v i n  manu 与

(MS. 1 0 .  6 3 )  

I 不殺生、 真 実 (=不妄語)、 不倫輩、 清券、 惑官抑制 (=党 行) :マヌはこれ(ら五) を略説して四姓に〈共通の)道なりと 説けり J5)

Yoga‑sutra 2 .   3 0 もそれを F 不 妄 語j ( s a t y a )   W 不 倫 盗j ( a s t e y a )   r 党 行j

(brahmacarya)  r 無 所 有j (apa r I graha)  と共に五禁戒 (yama) のーに 数えたが、それら諸纏吾の中でも f 不殺生 j ,ま就中強調され、又それらの

中の最高の徳とされた 06)

a h i r p s a i v a  h i   sarvebhyo dharmebhyo j y a y a s i  mata  (

五 I I B h .1 2 .  2 5 7 .  6  c d )  

I 蓋し不殺生こそは、一切徳自 (dharma) より優れたものと考え られる P

それは最高の道 (dharma) 、 最 高 の 苦 行 ( t a p a s ) 、 最 高 の 祭 式 ( y a j n a ) などと言われ、 8 ) あたかも全て歩く者の足跡が一頭の象の足罫の中に消失 する様に、 全 て の 善 行 (dharma)  は不殺生の中に沼失すると言われる

(MBh. 1 2 .  2 3 7 .  1 8 ‑ 1 9 )  

0

9

(1‑2 ) 他面、『不殺生j は I 肉食禁止j 10) の思想と密接に関連していた。

蓋し肉食は動物署殺を前提としていた故である。

nak r : t v 亘 p r 喜 平 i n a r ph i r p s 互 ヰ 1 m 亙 rpsamu t p a d y a t e  k v a c i t   (MS. 5 .   4 8  a b )  

f 生物を殺生せずしては、曽って需の生ずる事なし』

na h i 盟主ヰ l s a r p : t r 平 a tka 与 t a du p a l dv p ij y a t e

hatva j a n t u r p  t a t o  ma 平 s a 耳 1 tasmad  do~o ' s y a  bhak 伊 平 e

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(3)

不殺生考(原) (MBh. 1 3 .   1 1 6 .  2 6 )  

f 蓋し肉は草、木、石よりは生ぜず。生物を殺して始めて肉あれ きればそを食するに過失ありJ11l)

y a d i  c e t  khadako na s y 亙 nna t a d a  ghatako b h a v e t   ghataka ち khadakarthayat a l 1 l   gh 亘 t a y a t iv a i  nara 与

(MBh.  1 3 .   1 1 6 .  2 9 )  

『食う者なくば、 殺す者あるべからず。 実に殺す者辻全う者の為 に殺生なすJ1 12}

(1‑3) しかしながら、 f 殺 生 j r 肉食 J ,まインド i こあって最初から禁止さ れていたわけではなかった。 祭 式 文 献 詰 動 物 犠 牲 を 規 定 し 、 又 曹 人 Yajnavalkya が牛肉を食い、仏陀が豚肉を食して下痢を催し、大勇が猫 の殺した二羽の鳩肉を食した事も文款の伝えるところである 013) その起源 に『慈悲j や I 動物愛護』の観念よりむしろ、古くブリグ物語に見える如 く 14) 国果JiI5報のタブーの擁念のあった事は H.‑P.Schmidt の明示した所 であった 015) そこには元来殺蕩への戦漂と、その崇りへの恐'拾があり、そ れ誌利也、薄愛、慈悲、人道主義の概念と程遠い。その国果吉、報、報復復 讐 の 思 想 、 を 最 も 端 的 に 示 し て い る も の に し ば し ば 繰 り 返 さ れ る 関 の 語

(ma l 1 l ‑ s a   =  me‑eat) の通俗語源説がある。

m 亘 耳 1 s a  bhak 号 a y i t a m u t r ayasya ma ヰ lsamihadmy aham  e t a n  m 昌平 s a s y amarpsatva 早 p r a v a d a n t imani 平 均a l ] .

( 乱 I [ S .5 .   55=  / ニ MBh.1 3 .   1 1 7 .   3 4 )  

f その肉をこの世において私が食う者、 それが来世で私を食う者 となろう。これ掲の肉たる所以なりと賢者達は言うJ1 16)

かくの如く祭式文献は神々への動物犠牲を規定しているから、議牲の功 徳と不殺生のそれとの詞に矛盾が生じ、法典の記述に首是一貫性を欠く結 果となった事はL.Alsdorf の指摘した通りである。めかくてヴェーダ聖 典の規定する所、殺害 (vadha) も殺害とならず、傷害 ( h i r p . S a ) も傷害 とならないとされたが、 この種の r i t u a lahims 互 の 問 題 は 後 に 一 括 し て 論じる所となろう。

(1‑4) この様に『不殺生 J r 不肉食=菜食 j の問題は起源的にも歴史的

‑ 290‑

(4)

4  不殺生考(原)

にも複雑で同一元的解釈を許さないが、これらとは別に人関が生きて行く 限り『殺生は不可避』となす現実論も吉代インドに存在した。のみならず

『人間は万物の尺度 i となす Protagoras  に 類 叙 し た 『人間中心的j (homo‑centric ,  a n t h r o p o ‑ c e n t r i c )   な考え方も吉代インドに異糞でない。

この事実を次のマヌ法典の章句が最も雄弁に物語っている。

p r a I ) . asy nnami d a 中 s a r v a 早 川 p r a j p a t i ra k a l p a y a t  

s t h a v a r a r p  jangamarp c a i v a  s a r v a r p  p r 勾 a s y abhojanam ( 5 . 2 8 )  

『この(垂の) 凡ては生命の撞である。 そは造物主の定め給いし 所。動く者(動物)動かざる者(植物)の一切は(人間の)生命 の華量である』

c a r a 平亘訟 annamacara d a r p 詩 r i I ) . amapy ada 平話 r i 阜 a l ) a h a s t a s  c a  s a h a s t 亘 nams u r 言 語 r pc a i v a  b h i r a v a 1 ) .   ( 5 .   2 9 )  

『動かぬ者は動く者の糧、 牙なき者は牙ある者の糧、 手なき者は 手ある者の糧、諒するものは勇者の糧である i

n a t t 互 du 号 yatyadann adyan p r a I ) . i n o  ' h a n y  ahany a p I  

dh 互 t r a i v a S f 手 同 hyadyas ca p r a i n o' t t a r a   e v a   ca  長 ( 1 S .5 .   3 0 )  

『食う者が食わるべき者を百々食うとも汚きれず。 造物主自ら、

食わるべき者と金つ者とを創造し拾えばなり

弱肉強食は世の常、これを敢えて奇とするに足りない。のみならず『身を 殺 し て 仁 を 為 すj という大乗菩護行とは裏腹に、寧ろあらゆる手段を用い て も 生 き 永 ら う べ し と な す f 生 命 謡 歌 論j も叙事詩の随所に散見する。

『生は死 i こ勝る j故に、緊急(亘 pad) の場合には f 延 命j の 為 に 肉 食 、 殺 生もやむを得ぬとなす思想も古典インドに異質で、なく、人命救助を第ーと す る 『 医 学j もその線上に位していた。

これらの諸問題を踏まえて、 以 下 に 先 ず 叙 事 詩 Mahabharata  より

『殺生j r 肉 食j 肯 定 の 文 娠 を 『生命謡歌論』 との関連に於いて順次検討 し、人間として実践可諮な『不殺生』がそもそもどのようなものであった かを明らかにしたいと考える。

Q d   O 6  

円 〆

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(5)

不殺生考〈原} 5 

(2‑1) 先ず第 1 に、人間が生きて行く隈t) r 殺 生 は 不 可 避 i となす文豚 を紹分する。

( 2  ‑ 1 ‑1 )   Dharma  ‑vyadha の物語 (MBh. 3 .   1 9 9 )   20) 

Janaka 王の治下、 M i t h i 誌 の 地 に 纏 の 高 い 狩 人 が あ り 、 彼 は 院 を 売 っ て 生 計 を 立 て て い た 。 不 幸 に し て 前 世 に 鹿 と 誤 っ て 他 人 を 射 た 役 は 、 そ の 呪いを蒙って今生に卑しき S i i d r a の 胎 に 届 り 、 殺 生 を 事 と す る 身 と な っ た (MBh. 3 .   2 0 5 .  2 1 ‑ 2 0 6 .  8 ) 。 役 と Kausika 他 と の 対 話 は 殺 生 を 不 可 避

と な す 現 実 論 を 説 く 。 本 邦 で も こ の 部 分 は 古 く 池 田 澄 達 氏 に よ っ て 邦 訳 さ れ 、 21) 又第二次大戦後 f 薦 人 の 職 業 倫 理 i の 題 呂 の 下 に 中 村 元 博 士 に よ っ て絹介されている 22) ので、以下に関連部分のみの訳出を試みる。

怠のしている仕事が残忍でるる事に疑いはありません( 1  c d )   でも運命の定めは力あり、以前為した (業)は超え難い。(私の 今の)生業 ( k a r r n a n ) は以前為した悪事の(生んだ)これまさ に過失です。 この過失を撲滅せんと私は今動んでいるところです

( 2 )  

運命によって既に定まっているとすれば、 屠殺者は (唯単なる}

機会因 ( n i r n i t t a )   となワましょう。 私達はこの業の機会国と なっているのです ( 3 )

屠殺されてその丙を私共が売っている動物達も、 〈それが) 神様 や得祖先議へのお供え、客人の歓待、被扶養者の金事となる事に

より、(如荷程か)功穂(品 a r r n a ) を積みます ( 4 )

薬草、草、家畜、野性動物、烏は人々の食べ物として食べてもよ いものであるとは聖典も伝えております ( 5 )

f 祭火は ( a g n i   p l . )   は需を欲する i とは聖典も伝えています。

祭式に於いて何時も沢山の家畜がバラモンによって殺されていま す。でも真言 ( r n a n t r a ) によって浄められてお a r p s k r t a ) 彼等

も天界を得るという事です ( 9 )

そもそも祭火 ( a g n i , p 1.)にして若し肉を欲しなかったなら、誰

‑ 288‑

(6)

8  不殺生考(原) も肉など食べなかったことでしょう ( 1 0 )

ここに、 賢者達は肉食に関する規則を述べています。 r 常に先ず 神々や誼霊にお供えしてから規射に従い、 信 心 篭 め て 食 べ る 者

( y a t h a  ‑ v i d h i  ya  t h a  ‑sraddha r p . )   は肉食によって積れる事はない ( 1 1 )  

こ う し て い れ ば 、 彼 は ( 肉 食 し て い 肉 食 者 と は な ら な い j と聖 典誌伝えています。それは(了度}正しい時機(:r t u ) に妻に近 づくバラモンは党行者(禁欲童貞 brahmacarin) である (と言

うのと毘じです) ( 1 2 )  

誠と嘘 ( s a t y a n : r t e ) を決めるにも {同じような)規則が述べら れます。 ( 1 3 a b )

『己が義務 (svadharma )jと患って私は〈この生業を)捨てませ ん 。 23) 以爵に為した業の結果と思って、この生業によって私は生 計 を 立 て て い ま す な 的

この世で己が生業を捨てる者に誌悪があり (adharma) ,  己が生 業に逼進するは善 (dharma) と決まっています ( 1 5 )

いかにも以前に決められている業はその入を離しませんが、造物 主 は ( 悪 〉 業 除 去 (karma‑ n i r Q . a y a ) の方途 ( v i d h i ) を幾つも 用意して下さいました ( 1 6 )

それで、、残忍な生業に従事する者は、一体どうしたら{生)業を (少しでも) 善いものに為し得るのか、 又どうしたらこの屈辱か ら逃れ(得〉 るのかを考えねばなりません。 この恐ろしき (悪) 業 (karman) 除去 ( n i I i ) . a y a ) (の方途〉はいくらでもある筈で すから ( 1 7 )

そ れ で 私 は 布 施 を 為 す 禄 ( d a n a ) ,  嘘 を つ か ぬ 様 ( s a t y a  

‑vakya) ,  親に孝行する議 ( g u r u ‑ s u s r U $ a J ) a ) ,  バラモンを供養 する様 ( d v i j a t i‑ p u j a n a ) にと常に入愉の道 (dharma) に励み、

人 を 蔑 ん だ り ( a t i v a d a )   ,  己 を 高 し と す る 患 い 上 が り ( a t i m a n a ) を慎んでいます ( 1 8 )

『農耕は善なり ( k : r $ i r p .   s a d h u )  j  24) と人々は思っていますが、農 耕に於いて殺生はひどいものです。鍬で耕しながら人々は大地に

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(7)

不殺生考(原)

住んでいる多くの生き物を殺し、将又抱の多くの命を色々な仕方 で傷つけています。貴方はこれをどう思いますか ( 1 9 )

人々がお米その地と称しているものは穀物の種子で、 それらは全 て生命を指しています。貴方はこれをどう思いますか ( 2 0 ) 人々は家畜を襲って殺し、又食べます。撞木、薬草も人は伐採し

ます ( 2 1 )

樹木や果実の中にも多くの命 G i v a ) が宿っています。水の中で もそうです。貴方はこれをどう思いますか ( 2 2 )

世界中、あまねくどこでも生物は(地の)生物を(己が〉生命の 糧としています。 魚は (就中顕著で、弱肉強食、〉共食いをしてい

ます c 貴方はこれをどう患いますか ( 2 3 )

様々な仕方で、生類 i 土生類によって生きています。生物は互いに 食べ合っているのです。貴方はこれをどう思いますか ( 2 4 ) 歩いているだけでも ( c a 企 kramyama Q . a ) 、 人々は両足で地面に 住んでいる多くの生命を傷つけているのです。 26) 貴方法これをど

う患いますか ( 2 5 )

如荷謹気を付けていても ( j 自 主 na‑ v i j  nana  v a n t a s ? ) 、 人々は座っ ていても、横になっていても色々な詮方で(他の)生命を傷つけ ているのです。貴方はこれをどう思いますか ( 2 6 )

この全世界、虚空も大地も生命あるものに満ち溢れています。そ して人々は知らずに ( a v i j 主 主 n 亘 t ) それらを傷つけているのです。

貴方はこれをどう思いますか ( 2 7 )

『不殺生』 と昔の入は言っていますが、 い い 気 な も の で す ( u k t a q l . . … puru 号 a i rv i s m i t a i 1 ) .   p u r a ) 。 この世で一体誰が〈他の) 生命を傷つけないで(生きていられま〉しょうか。よく考えて見 れば、この世の中で誌不殺生の実践者など一人も居ません ( f i a s t i k 三 sc i d  a h i r p s a k a l ) )   • ( 2 8 )  

不殺生を言としている行者でも殺生をしているのです。ただ、心 掛けているので、殺生の程度が幾分なりとも少ないと言うことで

しょう ( 2 9 )

名門の出身で、優れた徳を其えたお塵々でもとても恐ろしい事を

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(8)

8  不殺生考{原)

しているのです。 それでも彼らには恥じる気配もありません ( 3 0 )  

友は友、敷は又敵で、互いに正しい行いや見識を持つ人を避けま す ( 3 1 )

親族同士も他が成功するのを喜ぴません。 愚かな者 i ま自分を学有 りと患って師を侮ります ( 3 2 )

この世は矛盾だらけで、 善と悪とは表裏一体です ( 也 arma‑yu‑

ktam adharma : r p . )  

25) 貴方誌これをどう患いますか ( 3 3 )

善悪 (dharmadharma)  に就いて、生業 (karman)  に裁いて 色々に言う事が可能です (そこには絶対的基準 i まありません)。

(それなら)己が生業 (svakarman) に勤しむ者が令名を得るこ ととなりましょう ( 3 4 )

役は自らの生業を残忍なものと認めているが、それは宿業の致す所として 最初からこれを諦めている。彼は屠殺に従事しても、それは運命の定める 所で、 自らを運命の定めを偶々執行する機会因 ( n i m i t t a ) に過ぎずと割

り切っている。草木鳥獣は人間の生活の糧であるのみならず、神々のため の祭式は動物を犠牲に供するよう勧める。狩人として屠殺を生業とする以 上 、 本務に逼進するのみで、 それを怠るべきでないと確信している。 但 し、生業が残忍な業であることは事実であるから、 それを購う為に布施、

不妄語、親孝行等の世に認められた善業を修めるべく努力している。彼は 再 三 再 四 『 貴 方 は こ れ を ど う 患 い ま す か ( t a t r a  k i r p  p r a t i b h a t i  t e ) . ]  

( 1 9 ,  2 0 ,  2 2 ,  23 ,  24 ,  25 ,  26 ,  27 ,  3 3 ) と訊ねては世の矛盾を衝く。彼 は人間が生きている以上、 殺生は不可避な現実である事を訊すのである。

農耕すれば大地に住む生命を傷つけ、米と言っても生命を宿す種子に他な らない。人間は家畜を駆り、草木を伐採する。地にも水にも虚空にも、こ の世には到るところ生命あり、己が生命の維持のために弱肉強食は、それ を意識する、 しないにかかわーらず行われているのが現状である。 行 住 坐 臥、瞬時たりとも生物を傷つけずに生きて行く事は出来ない。この現実を 直視すれば I 不 殺 生 j を説いてみてもそれはせいぜい程度の差に留まり、

真の『不殺生 j の実践者などこの世に春在しない。更に一般に『善 j を勧

F 3  

0 0  

つ 山

(9)

不殺生考(京〉 9  め て い る け れ ど も 、 人 間 は 元 来 f 性 悪 j であるから同抱を愛するどころか 妬み捜み、弟子は又師を軽んじる。この世は矛震だらけで、善悪の絶対的 基 準 も 立 て 難 い 。 こ の よ う に

J

懐 疑 的 に な れ ば 『 五 戒 』 の 第 二 の f 不妄語』

にも抜道があって、 f 嘘 も 方 震j となり 『党行j も正妻と適時に交われば 禁 欲 童 貞 の 誓 い に 惇 ら ぬ と 読 み 替 え る 事 ( 3 .1 9 9 .  1 2 ) が可態となる。

(2‑1‑2)  Bhima の武人遁世批判 (MBh. 1 2 .   1 5 )  

詞 類 の 殺 生 不 可 避 の 患 想 は MBh.  1 2 .   1 5 に語られる。 こ こ に 於 い て Yudhisthira は 過 ぎ し 大 戦 の 百 々 を 毘 顧 し 、 敵 人 殺 害 を 可 と な す 己 が 生 業 を 呪 い 、 森 に 退 こ う と す る 。 彼 の 自 責 の 故 な き を 説 い て 窓 め る 弟 Arjuna の 所 説 は 、 王 族 ( k $ a t r i y a ) の義務と世を治める為の f 懲 杖j ( d m ) c l a )   の必要性を説くが、関連部分を訳出すれば以下の通りである。

懲杖は人民を統治なす。懲杖こそ一切を守護なす。懲杖は一切の 眠る関にも百覚めて (眠る事なし)。 費者は懲杖を正義 ( d h a r

ma)  (に等し)と知る ( 2 ) 27) 

党行者も、家長者も、林住者も、遊行者も、人は皆、懲杖を'惰れ れば ( d a J ) Qasyaivabhayad) こそ、己が分限を守る ( 1 2 )

怖れさえ無くば、 荷入も祭式をなさず、 者施を欲せず、 約 束 (samaya) も守らんと欲せず ( 1 3 )

敵の急所を撃たず、残忍な業をなさず、又漁師の如く殺害を為き ずして、人は大なる成功 ( m a h a t is r i ) を収めず ( 1 4 )

殺害なしにこの世に名を留むること ( k i r t i ) なく、財産 ( v i t t a ) もなく、将又家呈 ( p r a j a ) もなし。 インドラはヴリトラを殺し て始めて大インドラ (ma he n d r a ) となれり ( 1 5 )

神々とても殺害者たるもののみ世人はいたく尊崇なす。 ノレドラは 殺害者なり、スカン夕、も然り、シャクラ、アグニ、ヴ、アノレナ、ヤ マ又然り ( 1 6 )

人々は、これら神々の権力に磨いて彼らに礼拝なす。きれど{殺 生を事とせぬ〉党天、造物主 ( d h a t r ) 、プーシャンには曽って札 す手することなしむ8 )

一切生類i こ対し中立(平等)、克己心みり、寂静を旨となす{こ

泌 を

(10)

1 0   不殺生考(原)

れら三柱の)神々を斑る者は(稀なれ彼等法)一切の営みに於 いて寂静なる或る(少数の)人々のみ ( 1 9 )

余はこの世に於いて殺生なきずして ( a h I I n s a ) 生くる者を見ず。

蓋し生類 ( s a t t v a ) は生類によって生き、力ある者は力弱き者に よって生く ( 2 0 )  

ナクラは鼠を食い、 猫はナクラを食い、 犬は猶を食い、 猛 獣 (豹? v y a l a  ‑ m : r g a ) は犬を食う ( 2 1 )

それら総てを人間 ( p u r 時 a ) が食う。 見よ、 こ 誌 伝 来 の 提 ( 改 larmoy a t h a g a t a ) なり。動く物、動かざる物〈動植物)の一 切辻(人間の〉生命の糧なり ( 2 2 )

こは神の定め給いし提なれば、 賢者はこれに迷わず o (神の)創 造されしままに ( y a t h a s:r~ta) 、君は(武人として)みるべし、

又生き行くべし ( 2 3 )

喜怒(哀楽)を制して、森に退く如きは(武人にとりて)愚の骨 頂。(森に退く) 苦行者とて殺生なしに命を繋ぐ事なければなり

( 2 4 )  

水の中にも、大地にも、果実の中にも多くのいのち ( p r a l ) . a ) あ れそれらを傷つけぬ者とてなし。生命永らえる限り辻 ( 2 5 ) 或る生物は徴紹故に、 (その存在を) 推論によって確認し得るの み (tarka‑gamya) 。彼らは(人間の)瞬きするのみにても身捧 喪失なす ( 2 6 )

急怒と羨望 (krodha‑matsara) を去って牟冠達、村を後にする も、彼ら尚森にあって家庭を構える (kutumba‑dharma) を見れ ば、その混乱も著しき ( 2 7 )

大地を拓き、薬草を窃り、樹木その他を伐採なし、嘉獣を殺して 人々は犠牲祭 ( y a j 百 a ) を執行す。 宿 し て 彼 ら は 天 界 を 得 る

( 2 8 )   28) 

弱 肉 強 食 は こ の 世 に 常 、 殺 生 な し に は 生 命 保 持 す ら 不 可 能 で あ る 。 そ れ は 夙 に 神 の 定 め る 所 で あ っ た か ら 、 今 更 人 間 、 就 中 武 士 た る 者 が く よ く ょ す るに及;まない。この世 i こ 存 在 す る 一 切 は 人 間 の 生 命 の 糧 ( p 沼早 asyannam i d a r p  sarvam 2 2 ) で あ る と 言 わ れ る 。 紛 の み な ら ず 、 こ の 世 に 大 を 為 す

Qd  o o

つ  

(11)

不殺生考(原) 1 1   者は必ず飽を傷つけ、神々とてもその例外ではない。入拡『不殺生j を口 にするが、この世辻縞麗事では済まされない。従って、懲杖によって秩序 を守り、人民守護を本務となす武士にして殺生を悔いて森に退く如き誌愚 の骨頂、森に退いても人は命永らえる眠り誌生き物を場つけ、又殺す。こ こに y a d ida l ) . Qo  na p a l a y e t   (若し懲杖にして守らずんば)の句は繰り返 されて ( 7 , 3 7 ‑ 4 2 ,  4 5 ) 、 懲 杖 は dharma に等しとされ、生物はもと皆『性 悪 』 で 、 人 も 動 物 も 懲 杖 へ の 恐 れ 故 に 規 矩 を 外 れ な い と 言 わ れ る

( 3 6 ‑ 4 3 ) 。 この世には 100% 善なるものも ( a t y a n t a ‑ g u l ) . a v a t ) 、悪なるも のも ( a t y a n t a  ‑ n i r g u l ) . a )   なく、 全 て の 営 み に は 常 に い か ほ ど か 善 悪

( s a d h v ‑ a s 互 d h u ) の両者が見られる ( 5 0 ) 。

Bhagavadgita において Krsna が Arjuna に『何人も一瞬間たりとも 行作をなさずして在ることなし j ( 3 .   5 )   r 汝無作たらんか、その肉棒の維 持すら成就せざるべし j ( 3 .   8 )   r 肉体ある者にとり、行作は残りなく棄て らるるを得ず j ( 1 8 .   1 1 )   と説いた様に、ここで Arjuna は Yudhi 与 t h i r a に『生物を傷つけずんば、瞬時たりとも入拡生き得ず』と説く om) 我々は ここに『不殺生』を美徳となす世の理想論 i こ対して、この様な竣援な現実 論 31) も又古代インドに存在したことを知る。

( 2  ‑ 2 )   Visvamitra の犬肉食用物語 (MBh.1 2 .   1 3 9 )  

同様の『現実論 J ,ま又 MBh.12 巻の Vi 三 vamitra 物語に見える。

叙事詩の一節に、

j i v i t a r p  h i  p a r i t y a j y a  bahava 与 sadhavojana 与

s v a  ‑ma r p . s a i 草 para‑ma 中 s a n ip a r i p a l y a  d i v a r p .   g a t 玲

( 主 主 主 h .1 3 .  1 1 5 ,  1 5 )  

f 蓋し善き人々は 〈己が) 生命を捨て、 己が肉により他の肉を 守って天界に赴く j

と誼われて『身を殺して仁を為す J 高逼な思想、が物語られ、それ辻又大乗 菩瑳行を想起せしめるが、 これとは逆に 『生命あつての物種 j ( j i v a n . . . . )  

f 生は死に勝る J ( j i v i t a r p .   mara J ) . ac c h r e y a s )   ~こ類する思想、も古代インド

i こ異質でなかった。世に言う『火急時の法 j 亙pad‑dharma) ( 33) の規定も この『人命尊重』の思想、を大前提としているが、その最も顕著な測は有名

‑ 282‑

(12)

1 2   不殺生考{原)

な Visvamitra の犬肉窃盗、摂取物語(斑 Bh.1 2 .   1 3 9 )   34) に見られる。 35)

ひどい飢鐘の折りに、 Visv 亙 mitra は賎民 (Ca I ) c ; l a l a )   の 家 に 宿 を 乞 い、そこに犬の肉を見て、空農の余りそれを盗んで食べようとした。夜半 に賎民はそれに気付いて彼を宅金める。その物語と両者の会話の一斑を示せ ば、以下の通りである。

f 伎は物乞いしつつ、 何一つ手に入らなかった。 肉も、 果実も、

球根も j ( 3 2 )   '

1 業惇して、彼は大地に憐れ、そして考えた o

f 空しく死なない様にするには一体どうしたら長いのだろうか

は a t h a r pv r : t h a  na m r : t y u l )   syad i t i )  j と ( 3 4 )

役は賎民の家の中にたった今刃物で殺されたばかりの犬の肉を見つけて考 えた。

f 今や、生命を永らえる為に ( p r a I ) a  ‑dhara l ) e ) 他の方途がない のだから、ここで私は盗みをしよう ( s t e y a r p k む yam)   I J ( 3 6 )  

火 急 ( a p a d ) の際;こは劣れる者、 同 等 の 者 、 優 れ た 者 か ら 盗 ん で も 良 い 事になっている。劣れる者よりの盗みはその中でも最も罪が軽いから、私 が今ここで賎民から物を盗んでも罪にはならない ( 3 針 。 そう考えて彼は 夜半、皆が寝静まった頃ひとり起きて厨房に入った。その時、目覚めてい た賎民に見つかって彼は笹められる。飢餓故に敢えて犬の警部の肉を盗む 決心をした次第を彼は賎民に詳らかに述べる ( 4 7 ‑ 5 0 ) 。

『火神 ( a g n i ) は神々の口にして、彼らの先導者、その足は準い ( s u C I p a d ?  ) 

(されど時到れば) この神とても (brahma ,  党 天?) (浄不浄の)一切を食らう ( s a r v a ‑ b h u j ) 。余も又かくの如

しと知れ j ( 5 1 )  

賎民はこれに対して『犬誌動物中の最低(不浄)、その又替部は犬の身体 の中の最低である ( 5 3 ) j と言い、賎民の持ち物で、 しかも食べてはいけ ないものを盗むことは功徳を滅する所以であると意見する。原典の伝承が 悪く、紐部に疑義なしとしないか、これに答えて彼は言う。

『死にそうな状況にあれば、 何を為してもともかく人法生くべき である ( a b h y u j j i v e t ) 。元気を回復して{から再度)人翁の道を

口 δ q

︐ ︐

 

(13)

不殺生考{京〉

履み行き、功徳を積めばよい ( 5 9 )

武士の道は帝釈天 ( I n d r a ) の道、バラモンの道は火神 ( A g n i )   の道。党火 (brahma‑ v a h n i ) は我が力、 きれば、余は飢餓の故 に 肉 ( ?  samayarp  k~udha, 1 .   v .   samayan  k 手 udham , bhak~

yamy enam s v a  ‑ j  aghanim) を食わんとす ( 6 0 )

人若し向らかの仕方で生き永らえ得るのであれば、 {己を) 痛め つける事なくそを為すべし。 生は死に勝る 包 I v i t a r pmara 頃 c c h r e y a s ) 。 生きている隈り、 人は善を行い、 その功穏を得る

( j i v a n  dharmam avapnuy 互 t ) ( 6 1 )  

きれば余辻命永らえんと欲して、 会うべからざる物をも敢えて食 う 。 よくよく思量して ( b u d d h i‑purvam) 心に決めた事なれば、

君も理解したまえ ( 6 2 )

命永らえて人倫の遣を履み行かん(j I v a ndharmam c a r i 号 y a m i ) 。 そして(肉食の}不浄を払うべし ( p r a l ) o t s y a m ia s u b h a n i  c a ) 。 苦行により、 又 学 に よ れ あたかも光明が大暗闇を払うが如く

( 6 3 )  

1 3  

苦 境 に 在 っ て も 挫 け ず 、 あ ら ゆ る 手 段 に よ っ て と も か く 生 き 延 び ( j i j i v i 号 ‑

u 与 sarvop 孟 ymrup 亙 ya‑jnodinam atm 亘 namuddharet  9 2 ,  j i v i t a v y a r p   sada bhavet  1 2 .  1 3 9 .  9 3 .  c f .   1 2 .  1 3 9 .  1 1 ) ,  生 命 を 尊 し と な し て ( j Ivitam  bahu manye 'ham MBh.  6 .   4 6 .   1 3 ) ,  命 拾 い し た 残 余 の 生 命 ( j i v i t a s y a   s e s a )   に よ っ て 善 ( t a p a s , dharma)  を 積 ま ん と な す 決 意 ( 斑 B h .6 .   4 6 .   1 4 ,  6 .   1 0 3 .  2 3 ) や 、 f 生 き 永 ら え る 限 り ( j i v a n . . . ) と 言 っ て 生 命 を 謡 歌 す る 章 匂 は 叙 事 詩 に 繰 り 返 さ れ る ( j I v a n  dharmam av 亘 pnuyat 1 2 .   1 3 9 .  6 1 ,  dharmarp c a r i 号 yami6 3 ,  pu 平 yamavapnoti 9 3 ,  j I v a r p s  c a r i 手 yamimaha 

‑pavitram  1 2 .   1 3 9 .  8 2 ,  j I v a n  punar u p a r j a y e t  1 2 .  1 2 9 .  6 ,  j I v a n   bhadra 1 } i  p a s y a t i   3 .   2 4 0 .  3 6 ) 0   36) 

所 謂 Food‑chain と し て 『 弱 肉 強 食 の 現 実j が 存 在 し 、 人 間 が 生 き て いる限1) ~殺生辻不可避J で あ る 事 情 は 上 の 物 語 に 見 た 通 ワ で あ る が 、

‑ 280‑

(14)

1 4   不殺生考〈累〉

I 殺 生 許 容 j ,まより組識的に『祭式供犠 j (時に『客人歓待 j を含む) と

f 生 命 保 持j に集約される。次にこの点を簡単に解説するであろう。

(3‑1‑1)  r 祭 式 蟻 牲j の伝統の下にあって動物殺害は必要不可欠とさ れるから、 f 殺 生 許 容 i の文言は先ず神祖を記る f 祭 式j の文脹に現れる。

先ず f 神J1 r 祖 先j を詑って後の f 肉食j は穣れをもたらさない。

k r i t v a  svaya 中 vapyutpadya paropak c : tam eva va  devan p i t f ヰ 1 8c a r c a y i t v a  khadan m 喜 J 1 l s a 中 nadu 号 y a t i

(MS. 5 .   3 2 )  

I 異ったものであれ、 自ら手を掛けたものであれ、 或いは地入に よって提供きれたものであれ、神々或いは祖先を敬った後に腐を 金べても(罪に)汚きれない i

のみならず、 造物主自ら動物を祭式の為に創造しているのであるから、

祭 式 の 為 の 殺 害 (vadha) は殺害にならぬ (avadha) と言われる。

y a j 主 主 r 註 1 a I p . pasava 主 s : c 詩 亘 与 svayameva svayarpbhuva  y a j n a s y a 訟 l u t y a is a r v a s y a  tasmad y a j n e  vadho ' v a d h a ち

(MS. 5 .   3 9 )  

f 動物は造物主自らにより供犠のために創造された。 供識は一切 の繁栄のために (創造された)。 きれ誌、倶犠における殺害は殺 害に非ず j 37) 

又、次のように言われている。

ya v e d a ‑ v i h i t a  h i 平 語 n i y a t a s m i I p . sc a r a c a r e  

a h i J 1 l s 主 m eva  泊 中 v i d y dved 亘 ddharmo h i  n i r b a b h a u   (MS. 5 .   4 4 )  

f ヴェーダに規定される動、 不動のものに対する制限つきの殺害 は殺害で i まないと知るべし。何故なら正しい生き方はヴェー夕、に 発する故に J

祭式のためならば『殺害J) ( v a 准 l a ) も 『殺害Jl ~こ非ず (avadha) 、 又 Veda の規定する所であれば f 殺 生j ( h i r p . s a ) も『殺生』に非ず ( a h i 中‑

S a ) 拘とされた。

神祖の為の f 祭 式 犠 牲 i と並んで、今一つの『肉食許容 j は f 客 人 、 就 中

Q d

 

i つ

U

(15)

不殺生考(原) 1 5   バ ラ モ ン 歓 待j に 見 ら れ る 。 客 人 来 訪 の 折 り に 彼 を 歓 待 し 、 自 ら も 肉 食 す

る 事 は 家 長 期 に あ る 者 の 義 務 と さ れ て い た ?

n i y u k t a s  t u  y a t h 喜一 nyayarpyo m r p s a r pn a t t i  m 互 nava 与

s a  p r e t y a  p a s u t a r p  y a t i  s a r p b h a v 孟 neka‑vimsatim (MS. 5 .   3 5 )   u (祖先祭と客人歓待の〉任に在りながら、規定 l こ従い肉食せぬ者 は、死後 2 1 回家畜となって誕生す j

Kull u . ka は niyukta を 開 い て き r 亘 ddhemadhu‑parke ca と註釈してい る 。

(3‑1‑2)  ところで、 もとこの世に於ける動物叫植物としての生存刊 i ま 以前になした『悪業』の報いとして既に?不幸』のそれで〉あった。マヌ法 典 1 2 .5 2 ‑ 6 9 は こ の 世 で 悪 事 を 為 し た 者 が 来 世 に 生 ま れ 替 わ る べ き 動 植 物 を 列 挙 す る か ら 、 現 世 に 動 植 物 と し て 存 在 し て い る 事 自 体 が 既 に 悪 業 懲 罰 の結果であった。その意味で、は動植物は祭式に蟻牲に供せられる事によっ て現状を脱却し、 来 世 に よ り 高 い 境 位 に 到 る と 信 じ ら れ て い た こ と と な

る 。

。 号 adhya 主 pasavov c : k st i r y a 主 ca き pak 号 i ♀ a st a t h

y a j n a r t h a r p  nidhana r p ̲   p r a p t 功 prapnuvantyu c c h r i t i 与 puna 己

(MS. 5 .   4 0 )  

f 供犠のために死i こ到った草、家畜、木、獣、烏は再び優れた生 を獲得する j 4 2 J

犠 牲 に 供 え ら れ た 動 植 物 の み な ら ず 、 祭 式 の 為 に 殺 裁 な す バ ラ モ ン 岳 身 も 椙応の功誌を得た。

e va r t h e s u  pa 釦 nh i r p ̲ san v e d a ‑ t a t t v a r せ l a v i dd v i j 吟 atmanarp ca pasu ヰ 1 c a i v a  gamayaty uttam 亘 弓 1 gatim 

(MS.  5 . 4 2 )  

『ヴェーダの真意を知って、 これらの目的の為に動物を殺すノてラ モンは自己と動物を最高の帰趨に赴かしむ J

議 牲 に 供 え ら れ た 動 物 達 に 次 世 の f 上 昇j ( u c c h r i t i ,  uttama g a t i )   が 約 束 き れ て い た 事 は 又 議 牲 獣 自 ら が 確 信 し て い た 所 で あ っ た 。 そ の 事 実 は 次 の 物 語 (go‑k a p i l i y a  ‑sarpvada) によっても知られる。 Kapila 他 人 誌 蟻

‑ 278‑

(16)

1 6   不殺生考(原)

牲に供せられる獣を見で捧{閣の清抑え難く、動物犠牲を標務するヴェーダ の権威を疑って、 そ れ を 聖 位 Syumarasmi に 費 し た が 、 後 者 は 将 に 犠 牲 に 供 せ ら れ ん と し て い る 雌 牛 の 体 内 に 入 札 雌 牛 の 言 と し て 次 の 様 に 言

フ 。

p a s a v a s  c a  m a n w ; ; y a s  ca drum 話 cau 号 a d h i b h i l ) . saha  svargam evabhikank 号 a n t ena c a  s v a r g a s  t v  r t e  makham 

( 羽B h .1 2 .  2 6 0 .  2 4 )  

『家畜も人間も草も木も皆ひたすら天界を欲す。 されど祭式犠牲 を措いては天界(に到る道)なし j43)

犠 牲 に 供 せ ら れ た 動 物 が 死 し て 『 よ り よ き 境 遇 を 得j 又 f 天 界 を 得 る 』 と あ れ ば 、 祭 式 の 為 の 殺 生 は 彼 ら の 『 忌 ま わ し き 動 物 と し て の 境 遇 か ら 説 却 せ し め る 所 以j と な り 、 祭 式 に お け る 殺 害 は 寧 ろ 人 間 の 彼 等 へ の 需 助 的 行 為とさえ考えられた。 44) こ の 問 題 は 更 に 発 展 し て よ り 重 大 な samsara 

‑mocaka の 概 念 に 関 連 す る 叫 が 、 こ こ で は 堆 神 祖 の た め の f 祭 式j を 基 準として『殺生J1 r 肉食』の可否が論じられている事需を見るに留める。

(3‑2‑1)  r 火 急 時 J ( a p a d ) に 生 命 保 持 の た め な ら ば 『 肉 食j が許さ れ て い た 。 既 述 の 如 く 聖 位 Vi 三 v 孟 mitra は 凱 鐘 の 折 り に 犬 の 肉 を 食 し て 廷命を計ったが、この故事は法典の中に成文犯されている。

同 u d h a r t a scattum abhyagad v i s v 亘 m i t r a 革命 ajaghanlm c a 苧 c l a l a ‑ h a s t a dadaya dharmadharma‑vicak 伊平 a 年

(MS. 1 0 .  1 0 8 )  

f 法と非法を弁えていた Visv 亘 m i t r a は空腹に苦しみ、賎民の手 から犬の腰部を取り金べようとした j

法 典 は こ の 也 、 飢 餓 に 対 処 し た な $ u t ‑ p r a t l k 亘 r a ) Aj garta , 自 己 の 生 命 を 守 ら ん と し た ( p r a l ) ana J 1 l p a r i r a k $ a r t h a )   V 亘 madeva , 凱 銭 に 苦 し む ( k $ u d h a r t a ) Bharadvaja の 故 事 を 挙 げ て ( 1 0 .1 0 5 ‑ 1 0 7 ) 、 次 の 様 な 一般的規則を述べる。

j l v i t a t y a y a m  apanno yo 'nnam a t t i  y a t a s  t a t a 与

政 訴 ami v a  pankena na s a  papena l i p y a t e  (MS. 1 0 .   1 0 4 )  

『生命の危険に遭遇した(バラモンが) (その身分を関わず)誰か

‑ 277‑

(17)

不殺生考(原〉

ら食物を(貰い受けて)食するも罪に染まらず。あたかも虚空が 泥土により議れざる如し j

前述の f 祭 式 供 犠 j と並び稔してマヌ法典詰次の様に言う。

p r o 均 i t a 耳1 bhak 号 ayenma ヰ l s a ヰ 1 brahma 手芸 n 喜平 c a  kamyay 亘

y a t h a ‑ v i d h i ‑ n i y u k t a s  t u  pra I ! 吾 nameva catyaye (MS. 5 .   2 7 )  

r

c 聖句が唱えられ) 水を注がれて浄められた肉は金してもよい。

またバラモンが欲する時、 規定に従って (供議における食事に〉

指名された時、 及ぴ生命に危険がある時には {障を食してもよ い)l

1 7  

(3‑2‑2)  ところで、『火急j の最たるものは f 病 気 i に也ならないか ら、『痛気 J という火急を救い、延命を図る『医学j もその隷上に位する 道 理 で あ る 。 的 果 た し て 精 神 異 常 の 比 丘 (amanussikabadha) のための 生肉 (amaka‑marpsa) 、 生 血 (amaka‑lohita)  の使用も仏典にあって

f 生 命 課 持j の文賑に於いて容認される所となった。 47) その意味では医者 泣古来 pra 平吾 bhisara (生命の救主、 Caraka 1 .   2 9 .  4 ‑ 5 )   と材、せられた 48)

が、人命救助を目的とする震学は時に暴力を振う必要に迫られる。それら 辻就中外科医において顕著で、 彼等は医者の中でも Salya‑krnta ,  Salya 

‑ k a r t t r   (槍で切断する者)と称せられた。

し か し な が ら 若 し 慈 悲 ( m a i t r l , . . . k 吾 rU I ) . y a ) を 旨 と す る 医 師 に し て (Caraka  1 .   8 .   2 9 ) 、 患者の生命が位を 『殺生』 する事によってしか救い 得ぬ場合、 このジレンマは如何にして解決きれるであろうか。 Cakrap 勾

E

i d a t t a は 上 述 Caraka の注の中で次のように言っている。

y a d i  h i r p . s o p a r j i t a ‑ m a 耳 l s o p a y o g a r p . v i n 亙 puru ♀ ona j i v a t i ,  a t o   h i r p . s a r p .   k a r o t i ,  t a d 孟 s a r v a t r a t m na r p . g o p a y i t a "   i t i   veda 

‑vacana ‑ v i h i t a t v 亙 tt a t h a v i d h a ‑ h i r p . s a   na p r a t y a v a y a ‑ h e t u 与 j i v a n o p a y a n t a r a ‑ s a r p . bhave  t u   pu 詩 y ‑ a d i ‑ p r a y o j a n a h i r p . s 亘

p r a t y a v a y a ‑ h e t u r  eva ( C a k r a p a l ) i . d a t t a  ad CS  L  1 .   8 .   2 9 )  

f 若し、 殺生によって得られた肉を梗用しなけれ託、 この入拡死 んでしまう j という場合には、 れ 3 カミなる場合でも岳分自身を守 るべし』とヴェー夕、の文言に規定きれている故に、この種の殺生

‑ 276‑

(18)

1 8   不殺生考〈原)

は罪をもたらさない。これに反して、生存の手段が飽にあるにも 持らず、享受等の動機での殺生は罪をもたらすJl 49)

現代の臓器移植を思わすこの文言に為って、 告めらるべきは raga  ( 食 染} に基づく 『殺生 i で 、 人命救助の火急時の殺生は罪 (pratyavaya)

を惹起する事はない。

(3‑3) しかしながら、これら二つの場合以外に『肉食jす る こ と は 、 そ の大義名分を欠く故に禁じられている。

先 ず 第 一 に 『 神 話 』 に 捧 げ ず し て 肉 食 す る 者 ほ ど 罪 深 い 者 は な い と 言 わ れる。

sva‑ma ヰ l s a r ppara‑m 亙叩 senayo vardhayitum i c c h a t i   anabhyarcya p i t r n  deva 中 st a t o  ' n y o  n a s t y  apu 号 yak c : t

(MS. 5 .   5 2 )  

仔互先や神々を敬わず、 他の肉によって己が肉を肥やさんと欲す る者より不善業なすものは存在せず J 制

f 祭 式 j の為の f 肉 食j ,土持の定める提であるが、 そ れ 以 外 の 『 肉 金j はこれに反して羅斜の提と言われる。

yajnaya j a g d h i r   m 亘 rpsasyetye 号 ad a i v o  v i d h i 与 sm c : t a 1 } a t o  ' n y a t h a  pra v : c t t i s 初 rak 伊 s ov i d h i r  u c y a t e  (MS. 5 .   3 1 )  

I 肉食 i ま供蟻のためにあるとは、 これ神の定め給いし提なりと伝 えられる。 されどこれ以外に進んで肉食なすは羅剰の提と稔せら る j 5 1 )

同様に、

y a J t 時三 s a r p s k c : t a r pmarpsam upabhu 負 j a nna du 号 y a t i

p 号 c : tha‑ m a r p s a r p   52)  v : c tha‑m 亘 耳 l s a 平 p u t r a  ‑marpsa 早 ca  t a t  

‑samam (MBh. 1 3 .   1 4 8 .  1 7 )  

u Y a j u s によりて浄化されたる肉を食らうも議されず。されど背肉 と妄りに肉〔食する〕と、患、子の肉は等し(と知るべし)Jl

『火急時 i でもないのに (anapad) 肉食する不心得者は、死後その動物に 食われる運命にあった。

nadyad a v i d h i n a  marpsarp v i d h i j n o  ' n a p a d i  d v i j 均

F O  

円 i

ワ 白

(19)

不殺生考(原) 1 9   jagdhva hy a v i d h i n a  ma 中 s a : r p p r e t a s  t a i r  adyate ' v a s a 与

( M S .  5 .   3 3 )  

『提を知るバラモンは緊急時でない時に提を無携して丙を食して はならない。 何故なら提に従わずに肉を食する時、役i ま必然的に それら (食した動物〉によって食われるからである i

ー 較 に 上 層 三 摺 級 の 「殺生 J

(バラモン:供犠、玉:戦争、庶民:農耕、屠 が 、 問 そ の 中 で も 特 に 王 族 武 士 階 級 に は 「 殺 生 許 容j に 「 狩 議 J (mr‑

には或る意味で悉く svadharma 

(3‑4) 

が必然的に含意されていた 殺)

gaya)  が含まれていた。 も と よ り 狩 猟 は 賭 博 、 昼 寝 、 飲 酒 、 女 性 等 と 共

『欲 (kama) に 基 づ く 王 族 十 悪 (vyasana)J  のーっとして法典 (MS.

7 .   4 7 ,  5 0 ,  VS.  3 .   5 0 )   その他 (MBh.1 2 .  2 8 .  3 1 ,  NS ,  1 5 .  2 0 ‑ 4 3 )   に非難の 対象として言及されるが、 54) 別 の 文 振 で は 狩 猟 は 効 用 あ る も の と し て 称 賛 されている。羽有名な Pandu 王 が 鹿 に 扮 し て 交 会 中 の Kindama 伯を 射た物語の中で、王は自らの所行を弁護するが、 そこでは狩猟と尚武が並 び称せられる。

s a t r 長 平 a : r p ya vadhe v r t t i Q .  s a  mrga 頃 平 vadhesmrta 

r a j n a 耳 1 mrga na ma : r p   moh 亙 tt v a 中 garhayituma r h a s i   ( 1 2 )   acchadmanam 互 yayaca mrga 1 ) a : r p   vadha i 手 y a t e

s a  eva dharmo r 亙 j i 泊 中 t ut a d  vidvan k i : r p   nu garhase  (

乱 1 B h . 1 .   1 0 9 .  1 3 )  

『王族にとり、 車交殺害の規則は又麗殺害に適用される。 きれば鹿 よ 、 汝誤って余を巷むべからず。欺縞、 詫計によらずんば、 鹿を 殺すは承認されてみれ そは王族の道なれば、知ある者よ、 汝は 何故に (我を)磐むるや j

k 手 a t r i y 亙♀喜耳 1 t u  yo d r 詩 ov i d h i s  tam a p i  me  S r 1 ) u 

v i r y e ♀ o p a r j i t a : r p   m 吾 : r p s a : r p yatha khadan na du 号 y a t i ( 1 6 )  

ara 1 ) y 主 主 sarva‑ d a i v a t y 碕 prok 号 i t 碕 s a r v a s omrg 立 与 agastyena pur 孟 r a j a nmrgaya yena p i i j y a t e   ( 1 7 )   naimanam a p a r i t y a j y a  m r : gay 立 namav i d y a t e  

(MB 註 . 1 3 .  1 1 7 .  1 8 a b )  

‑ 274‑

(20)

2 0   不殺生考(原)

『王族武士に認められたる提を我よワ開け。 英雄的行為もて得ら れたる肉を食うも役は稜れることなし。

野 i 主の獣は皆悉くー窃神に捧げられたるものとして嘗められてあ り 。 A g a s t y a 1 lUも狩猟を貴べ上蓋し己が身を挺する事なくして は、狩旗あらぎれi まなり i

武士が狩猟に出掛けるのは、彼が戦場に身を挺して戦うために出揮するに 畝て、設計に拠らず、正々堂々と相手に対持する挺身 j 重詰武士道に適うと 見なされ、相手を殺してその肉を食うも、彼はそれによって罪を得る事が

なかった。同更に叙事詩や王道 ( n i t i ) 論書の幾つかは f 狩猟の効用 j を 述べている ( A S . 1 .   2 1 .   2 3 ,  8 .   3 .   4 6 ,  NS ,  1 5 ,  2 6 )  

57) 

しかし、より本質的に辻それはバラモンとは異なる王族武士譜級の義務 に由来していた。 58) 既述のバラモン的武士 Yu d h i s t h i r a 時 へ の Arjuna の忠告に見た如く、人民守護 ( p r a ja  ‑ p a l a n a ) の責務を負う王族武士側は 聖職者と異なりむ)破邪顕正、勧善懲悪 (k?Qthaka‑sodhana) を言として 寧ろ必要時に権力、暴力の行使 62) を必須としていた故である。的

I V  

然らば『殺生』して悪となるのは厳密にはどの様な事であるのか。それ 誌上述二種(神祖祭式と火急時)乃至三種(それらと客人歓待)の状況下 でないにも拘わらず、従って採るべき大義名分もなしに、濫りに動物を殺

し、その肉を食う事を意味している。そしてそれ泣し試しば党語副詞 v r ‑

th 亙(欲するままに、必要でもないのに、濫りに空しく)刊の語によって示 された。以下にその用例の幾っかを紹介するであろう。

( 4 ‑ 1 ) 先ずマヌ法典の用例を検討する。

y a v a n t i  pasu‑roma 1 ) . i  t 互 v a t ‑ k f t v oha mara ♀ am  v f 註 l a‑ p a s u ‑ g h n a 与 p r 歪 p n o t i p r e t y a  janmani janmani 

(MS. 5 .   3 8 )  

『理由なく ( v r t h a ) 動物を殺す者辻、死後(彼が殺した〉動物の 毛の数だけ 65) 再生し、 その麦毎に死 (殺される苦痛) を経験す

る 』

q d  

i

つ 白

(21)

不殺生考(票〉

Kulluka は vrtha を 亘 tmartham (自分のために〉と注釈している。

na t 記 : r s a 中 bhavatye n o  m r : ga h a n t u rd h a n a r t h i n a 与

ya d : c s a r p  b h a v a t i  p r e t y a  v r : t h a  m a r p s a n i  khadata l J   (MS. 5 .   3 4 )   れ生活)費を求めて獣を殺す者〈猟人等)が(死後に得る)罪と ても、理由なく ( v r t h a ) 詞を食う者ほどには重くない J

2 1  

I ζ u l l ロ ka は v r : tha の語を adeva‑ p i t r : ‑ s e 号 abhuta‑m 互中 sa (神担に供え た残りの肉でないもの)と注釈している。この種の肉食者は生計を屠殺に よって得ている屠殺業者や猟人より罪深いと言われる。

或る文賑は無闇に家畜を殺害してはならないと戒めている。

na t v  e v a  t u   v : r t h 亘 h a n t u r ppasum i c c h e t  kad 亘 cana (MS. 5 .   3 7 c d )  

f されど、ゆめ、理由なく家畜を殺さんと意図すべからず i

瓦 u l l u k a は v r : th 吾 の 語 を devat 亙 dy‑uddesa Ip v i n a i v a   (神々などの為で ないのに)と注釈している。

同議の vrtha の 副 詞 は 樹 木 、 埴 物 の 伐 採 (alambha , cheda) にも現れ て n 藍伐 j の義となる。

} 王 将 tajanam 0 号 a d h i n a r pj t 吾 n 互中 c asvaya r p .   vane 

v r : t h 亘 lambhe' n u g a c c h e d  g 豆耳 1 dinam eka 耳 1 p a y o ‑ v r a t a l ユ

( M S .  1 1 .   1 4 4 ニ VS. 5 0 .  5 0 )   ( c f .   YS.  3 . 2 7 6 )  

f 耕地に生え、 又森に自生なす植物を濫りに伐採なす者は、 乳の み飲むを首とし、一日中雄牛の後に従い行くべし』

Ku 日 uka は v r : thalambhe の合成語を m 与 prayojana‑chedane (然るべき 動機、理由なき伐採〉と注している。附

マ ヌ 法 典 は 持 申 祖 の 為 の 祭 式j と 『 客 人 歓 待j といった大義名分なく、

理 由 も な し に 、 欲 望 の 赴 く ま ま 無 闇 に 動 物 を 殺 し 、 又 肉 食 す る 事 を 極 め て 罪深い f 悪 i と考えていた。既述の通り、生きて行く援ワ殺生が不可避と あ れ ば 、 古 代 イ ン ド の ? 不 殺 生j とは f 必要もないのに、濫りに ( v r : t h 亙 〉 殺 生 を し な い 事 i に 也 な ら な い 。 濫 り に 傷 つ け る 事 に こ そ 我 々 は f 殺 意 i f 悪 意 j といった意志 ( v : r ‑ )の存在を琵める故である。 67)

(4‑2) 関様に叙事詩にも『理由無く j r 必要で、もないのに』の意味に用

‑ 272‑

(22)

22  不殺生考(京)

いられる v r tha の 語 辻 供 犠 以 外 の 『 殺 生 』 と の 関 連 に お い て 言 及 さ れ る 。 a p r o l 王 寺 i t a r p  v r : t h a  m r p s a r pv i d h i h i n a r p  na bhak a y e t

ち hak 号 ayann i r a y a r p  y a t i  naro n a s t y  a t r a  s a r p s a y a 与 (MBh.  1 3 .   1 1 6 .  4 2 )  

r c 供壊のため)浄められず、 (聖典に)規定されざる丙を濫りに 食うべからず。食せば人は地獄に到る。ここに疑いなし』

h a v i r  y a t  s a 申立て t a 早 mantrai l ) . prok 号 i t 吾 bhyuk 号 i t a r ps u c i   vedoktena prama 平 enap i t r l ) a r p  p r a k r i y a s u  ca 

a t o  ' n y a t h a  v r : tha‑ma 耳 lsamabhak 号 y a r pmanur a b r a v i t   (MBh.  1 3 .   1 1 6 .  5 0 )  

『真言により聖刻され、 ヴ

P

ェーダに述べられたる権威により浄め 濯がれたる供物辻請浄なり。祖先祭に於けるも然り。略されどそ れ以外に、謹りに肉を食うべからずとマヌは言えり j

名 君 の 治 世 の 下 に 、 高 獣 は 無 関 i こ殺される事はなかったと言われる。

vadha l ) .   pasu‑varaha l ) a r p  t a 出 a i v am r : ga‑pak i l ) am

s a r p t a n a u  p r : t h i v i p a l e  n a v a r t a t a   v : r t h a  n r : pa  ( B h . 1 .   9 4 .   1 3 )   rSantanu 王在位の龍、家畜野獣、野猪も鳥も無関に殺害される 事なかりし J

頭 罪 ( p r a y a s c i t t a ) を 必 要 と す る 悪 事 列 挙 の 中 で Vy 三 sa は言う。

v r : t h a  ‑pasu‑sam lambhi 69 ) vana  ‑dahasya karaka l ) .  

an r : t e n o p a c a r t a  ca p r a t i r o d d h a  guros t a t h a  (MBh.  1 2 .   3 5 .   7 )  

『理出なく家畜を殺す者、森に放火する者、詐欺師、長上に背く 者 j

人 間 は 家 畜 を 無 関 に 殺 し て も 、 又 殺 さ せ て も い t t ない。

v r : tha‑pasu‑samalambha l 1 l   naiva kuryan na karayet  anugraha 与 pas 百 na l 1 l h i  s a l 1 l skaro v i d h i  ‑ c o d i t a 与

(MBh.  1 2 .   3 5 .   2 8 )  

『理由なく家畜を殺すなかれ、 又殺さしむるなかれ。 蓋し家畜を 慈しむは聖典の教令する浄法なれば』

同 じ 劃 詞 誌 又 f 肉 食j との関連においてしばしば言及される。

na pa ♀ au l a v a 号 a r pvidvan p r a s n i y a n  na ca r a t r i 号 u

t つ U

(23)

不殺生考(原) 2 3   d a d h i ‑ s a k t u n  na b h u n j i t a  v r : t h a  marpsa 平 cav a r j a y e t  

( 羽 B h .1 3 .  1 0 7 .  8 6 )  

『賢者は塩を手に把って食しではならない、 又夜詞に酪と小麦粉 の混合物を食して誌ならない。更に、理由なき肉食を避くべし i

v : r t h 亘 ma 平 s a r pna khadeta p 持 tha‑ma 中 s a 耳 1 t a t h a i v e  ca  a k r o s a r p  p a r i v a d a r p  ca p a i s u n y a r p  ca v i v a r j a y e t  

(MBh. 1 3 .  1 0 7 .  5 5 )  

f 痘りに肉を鴫むべからず。背肉(陰口)7 0) も然り、詰責、悪口、

両舌も遊くべし j

Dhanin は Kapa 達を弁護して次のように言う。

s r i s  c a i v a  ramate t e ud h a r a y a n t i  s r i y a r p  ca t e  

v r : t h a  dar 吾 nna g a c c h a n t i  v r : t h 亙 marpsa 中 nabhu 長 j a t e (MBh. 1 3 .   1 4 2 .  1 0 )  

『幸運の女神は Kapa 達を愛し、 彼等も彼女を大事にしています。

彼等は理由なく妻と交わらず、又理由なく肉を食べません J

有 名 な f 蓮 根 窃 盗 J の物語に次の如く言われている。

v r t h a  mamsam samasnatu v r 註 l adanam karotu ca  y a t u  s t r i y a m  d i v 亘 c a i v ab i s a ‑ s t a i n y a r p  k a r o t i  ya l )  

(MBh. 1 3 .  9 5 .  6 0 )  

f 蓮援を盗める者辻、理由なく肉食し、空しく (器に非ぎる者 i こ 徒らに)布施し、昼間妻と交わる者たれ . ] 7 1 )

S r i が 悪 魔 を 捨 て た 時 、 そ の 経 韓 を 物 語 る Indra と S r i の会話の中に 次の様に彊われる。き r i 誌 彼 等 が 悪 の 道 に 走 っ た 放 に 彼 等 を 捨 て た と 言 っ て、悪習の数々を列挙して言う。

apacayann atmano ' r t h e  v r : t h a  m 喜平 sanyabhal 王 寺 ayan (MBh. 1 2 .  2 2 1 .   6 2   c d )  

I 彼らは自分の為i こ料理せしめ、理由なく徒に肉食なせり j 均

(4‑3) これとは逆に、 r v r : t h a に 肉 食 せ ぬ 事j , 主 義 1 賛 さ れ た 。 そ の 様 な Sudra は 次 生 に 一 階 級 特 進 し て VaIsya に 生 ま れ る 事 が 出 来 る と 言 わ れ

る 。

cauksas cauk 号 a ‑ j a n a n v e 号 i se~亘nna-k:rta-bhojana与 n u  

っ ︐

U

(24)

2 4   不殺生考(震〉

vrtha‑ma 中 S 亘 nyabhunjana 1 ) .   s u d r o  vaisyatvam r c c h a t i   (MBh. 1 3 .  1 3 1 .   2 9 )  

f 自ら清浄にして、請浄なる人を慕い求め、残飯を食らい、理由 なく肉食せざれば、シュードラとてもヴァイシャとなる.,1 73)

vrtha  t こ肉食しない者、却ち祭式の為にのみ肉食する者は f 非 肉 食 者 i と 言われる。

abhak 号 ayan v~th互 mãrpsam a m a r p s a s i  bhavaty u t a   d a n a ‑ n i t y a 年 p a v i t r a sc a  asvapnas ca d i v svapan

(MBh. 1 2 .  2 1 4 .  1 1 )  

f 理由なく徒に廃金せぬ者は非肉食者となる。 布施を専らとをす 者は浄化の具、 昼に眠らざる者は (妄りに) 眠らざる者とな

る . , 1 74)

(4‑4) 上に vrtha の 語 が き tmano'rtha (岳分の為に〉と連合している 例 (MRh.1 2 .  22 1 .   6 2 )   を見たが、 しばし江この vrtha の 語 は 『 自 分 自 らの為にのみ料理する j と い う 表 現 と 呼 志 し て い る 均 。 家 長 期 の 義 務 を 説 いて次の様に言われる。

natm 亘 r t h a r ppacayed anna 中 nav r t h 亙 gh 呈 t a y e tpasun  na ca t a t  svayam a s n i y a d  v i d h i v a d  yan na n i r v a p e t  

〈 五 在 B h .3 .   2 .   5 6 )  

f 昌己の為に食を料理せしむなかれ、 理由なく徒に家畜を殺せし むなかれ、提に従って供える事なく独りそを食するなかれ i

natmartha 耳 1 76 ) pacayed annarp na v c : t h 互 g h a t a y e tpasun  (MBh. 1 2 .  2 3 5 .  5  a b )  

f 昌己の為に食を料理せしむなかれ、 理由なく徒に家畜を殺せし むなかれ.]7 7)

議 密 な 意 味 で の 『 不 殺 生j は所詮実践不可能であり、又『祭式犠牲』 と

f 人 命 救 助 J の 擦 に は 『 殺 生j が 許 さ れ て f 殺 生 に 非 ずj とされる事'請は 上 に 見 た 通 り で あ る が 、 同 様 の 緩 和 策 は 他 の 五 戒 に も 見 ら れ る 。 先 ず マ ヌ

口 可

U

F O

 

(25)

不殺生考{原〉 2 5  

法典は肉食も飲酒も性交も人間自然の営みであるとしてそれ自体には過失 がないと明言している。

na ma Ip s a  ‑bhak 与 a l ) . edo 号 ona madye na ca m a i t h u n e  

p r a v r t t i r  e 号 亙 bh t a n a Ip n i v r : t t i s  t u  mah 喜 一 p h a l a (MS. 5 .   5 6 )   f 肉食、飲酒、性交に過失ある事なし。そは生類(自然の)営み なれば。されど(それらを〉慎めば(更に〉大なる果あり (と言

うのみ ) j

N i v r t t i の P r a v r t t F 8 ) への優位がここに語られるが、より自然な文娠にお いてもそれらは許容されていた。以下にそれらを頗を追って検討するであ ろう。

( 5   ‑1)  r 不 妄 語j

既述の f 生命の尊重』は『不妄語j に対する特例、即ち『嘘も方便』と なす考え方にも見られる。筆者は既に他にこの問題を論じたことがあるの で、ここでは一旬のみ紹介するに留める。 7 釣

s u d r a  ‑ v i  t ‑k s a t r a  ‑ v I p r 勾 亘 r p . y a t r a r t o k t a u  bhaved vadh 均 t a t r a  vaktavyam an r : t a 中 t a d dh i  s a t y a d  v i s i 号 y a t e

(MS.  8 .   1 0 4 )  

f 真実を語れば四階級の人々のいずれかに殺害の可能性ある場合 には患偽を述ぷべし。そは真実に勝る i

同類の思想は MBh. 1 .   7 7 .  1 6 ,  3 .   2 ∞ . 3 8 . 4 9 . 2 9 8 . 4 9 5 3 1 2 . 1 1 0 . 1 8   ( p r a 手‑

a t y a y e . . )   MBh.  1 2 .   8 5 .   2 5   ( p r a I ) . a ‑ t r a Q . e . . )   1 2 .   1 5 2 8 (atmano  j l v i t 亙 r t h e . . ) にも述べられる。 8 0 )

( 5  ‑2)  r 不像盗』

この様に『不殺生Jl r 不 妄 語j に抜け道があるとすれば、『盗み』に就い ては如何であろうか。先の Visv 亘 mitra の 故 事 を 伝 え る 斑 Bh. 1 2 .   1 3 9 に

も再三再四 apatsu  v i h i t a : r p .   steya r p .   ( 3 7 ) ,  s t e y a r p .   karyam i t o  maya  ( 3 6 ) ,  na  steya-do~mrp. p 三 syami ( 3 9 )   の匂が出て、 火急時にそれが容認 されているのを見たが、次の章匂は『師の為』であれば盗みも罪にならな いと言っている。

s t e y a Ip  kurva Ip s  t u  gurv‑artham a p a t s u  na n i b a d h y a t e  

o o  

p o  

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(26)

2 6   不殺生考{原) (MBh. 1 2 .  3 5 .  2 3  a b )  

f 火急時i こ鰐の為に盗み為すとも(罪に〉縛られず j ( 5  ‑ 3 )   r 不 飲 酒 j

同一文賑中には f 不 飲 酒j に就いても柔軟性が示されている。

p r a l ) 亙 t y a y et a t h 亙 jnan 亙 dacaran madir 亘 m a p i  

a c o d i t o  dharma‑para l ) .   puna l ) .   sarpskaram a r h a t i  (MBh. 1 2 . 3 5 .   2 0 )  

『生命の危機において、又故意に非ずんば、飲酒なすとも (可な り ) 。 きれど(必要に〉迫られるに非ずんば、人の道を尊しとな す者辻、浄 f じの要あり』

Text の伝承が不分明で文意尚詳らかでないが、欽濯に特例を設けている 事は確実と思われる。ここに acodita とあるのは『故意に飲めば浄化の 要 あ り の 義 と 取 る べ く 、 そ れ は 上 の 行 の pra l ) . atyaye , ajnanad に対応

していると思われる。

(5‑4‑1)  r 党 行j

最後に f 党 行j に就いては如何であろうか。 f 適時に正妻と交われば党 行者』 となす思想、も叙事詩その飽に克え、 それは f 不邪淫』 に通じてい る。もとより f 党 行j (brahmacarya) もその概念規定によって、意味合 いが岳ずから異なって来る道理であるが、 8 1 ) 既 述 の f 肉食するも肉食者に 非ず i と譲っている同ーの文脹に『童貞党行』の柔軟な定義が見える。

homa‑kale t a t h a  juhvann  r : t u ‑ k a l e  t a t h a  v r a j a n   a n a n y a ‑ s t r I ‑ j a n a l ) .   p r a j n o  brahmacarI t a t h a  bhavet 

(MBh. 1 2 .   1 8 6 .  1 1 )  

f 護摩持に護摩為し、適時に(正妻に)近づき、他の女性に交わ る事なき賢者は党行者たるべし』叫

bh 吾 r y 亙 ヰ 1 gacchan brahmacarI  r : t a u  b h a v a t i  brahma l ) a 与 (MBh. 1 2 .   2 1 4 .  1 0  a b )   83) 

『適時(:r t u ) t こ妻に近づけば、そのバラモン i 主党行者となる』判 (5‑4‑2)  r 時 の 床 を 汚 す も 可 な り

のみならず、 拍車の床を識すj (guru‑talpaga)  罪にも抜け道が用意さ

‑ 267‑

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