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わが国自治体における行政改革

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わが国自治体における行政改革

―NPM 型とガバナンス型を中心に―

外 川 伸 一 はじめに

1980年代後半以降、イギリス、ニュージーランドなどのアングロアメリカン諸国を 中心に、従来までのヒエラルヒーによる問題解決メカニズムの限界を主張し、市場や 企業の諸価値、哲学、手法等を公共部門に導入する、ニュー・パブリック・マネジメ ント(以下、NPM と言う。による公共部門改革が大胆に展開されてきた。

一方、ほぼ同時期に、変動する環境への政府の「戦略的適応」(Pierre and Peters 0)か、単なる「退却」(Strange 16)かの議論はあるが、政府単独での問題解決メ カ ニ ズ ム に 対 し て 疑 問 が 投 げ か け ら れ、「ガ バ メ ン ト か ら ガ バ ナ ン ス へ」(from government to governance)との主張がなされてきた。そして、その中でも、ネットワー ク型ガバナンスによる問題解決メカニズムが大きな位置を占めつつある。

こうした「改革」のムーブメントは、わが国及びわが国自治体にも徐々に浸透しつ つあり、中でも各自治体の行政改革においては、従来型の要素に加えて、これらの要 素を取り入れた行政改革が具体的に進みつつある。

そこで、本稿では、焦点をわが国自治体に絞り、その行政改革の内容について考察 を加えていくこととする。ただし、ただ単に具体的な行政改革の内容を見ていくので はなく、当該行政改革の前提となる状況を理論的に整理した上で、理論と実践、ある いは理論と現実を何とか架橋しようとする試みを展開していきたいと考えている。

そこでまず第一に、自治体における3つの問題解決メカニズムと、行政の追求すべ き3つの諸価値群を明確にし、それらの関係を明らかにする。そして、基本的に対 立・矛盾する諸価値群のすべてを追求すべき自治体にとって、3つの問題解決メカニ ズムの複合体制を不可避なものと認識する。次に第二として、こうした前提に立脚し て、現下の自治体行政改革に混在する3つの型を類型化する。3つの型とは、「従来 型」、「NPM 型」、「ガバナンス型」であるが、本稿では、このうち特に後者の2つの 型を詳細に考察する。

NPM 型行政改革については、まず、従来から用いられる NPM の定義を、「競争」

の位置づけの重要性に鑑みて、筆者なりに捉え直す。この点は、筆者なりの独自の議 論である。また、ガバナンス型行政改革については、錯綜するガバナンス概念のある 程度の整理を試みた上で、主流的位置を占めるネットワークに基づくガバナンスを基

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軸とした定義を試みる。したがって、NPM 型行政改革とガバナンス型行政改革は、

当然、こうして定義されたものを追求する改革だということになる。そして、NPM とガバナンスとは、相互に矛盾・対立する要素を内包するが故に、それらに基づいた 行政改革も矛盾・対立の要素をはらむことを説明する。

こうした考察を前提とし、次にわが国自治体における現下の行政改革の特徴を見て いくこととする。それは、基本的に2つの言説に要約される。すなわち、第一は、

Disguised Reform(見せかけの改革)であり、第二は、NPM 型・ガバナンス型におけ る個別項目の受容と従来型改革の延長・変型である。この2つの特徴は、各自治体の

「行政改革大綱」など(以下、本稿では、行政改革に係る包括的計画を「行政改革大綱」と いう名称で一括する。の行政資料、行政改革事例集的文献、ヒアリングでの自治体職 員の公式・非公式の回答を手がかりとして、定性的に裏付けることとする。

最後に、以上を総合して、自治体におけるこれからの行政改革についての望ましい 方向性を提案することとする。

なお、本稿では、基本的に国家レベルの議論を自治体レベルの議論にも適用してい くが、このことにより、議論の本質部分が損なわれることはないと考えている。しか し、筆者自身、国家レベルの議論と自治体レベルの議論を厳密に比較検討すると、相 違点が存在することを十分に認識しているものである(たとえば同じ NPM・ガバナンス であっても、理念的・内容的に異なる可能性はある。Schedler and Proeller(22)を参照せ よ)

自治体における複合的問題解決メカニズムの不可避性

問題解決の3つのメカニズム

ガバナンスの諸理論について論じた Pierre and Peters(20:15−22)は、構造と してのガバナンス・モードを4つ挙げている。すなわち、それらはヒエラルヒー、市 場、ネットワーク、コミュニティといった4つの政治経済的諸制度である。このう ち、最小の国家関与でその共通問題を解決するコミュニティについては、本稿がそも そも自治体行政改革をテーマとして扱うことから、ここでは除外し、残る3つについ て簡単に述べると、第一のヒエラルヒーは、公共サービスが高度に標準化され、経済 がフォーディスト経済であり、さらに国内市場が統制的で国家に対するライバルが存 在しなかった時代に最も適切であったモードである。また、第二の市場は、効率性を 測定するために貨幣的基準を活用する資源配分メカニズムであるとともに、経済的ア クターが活動するアリーナである。第三のネットワークは、公共及び民間の諸利益と 諸資源の調整を促進し、公共政策の効果性を高めるモードである。

Pierre and Peters は、これら3つを、構造としてのガバナンスの観点から、また

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(3)

国家との関係で取り上げているのであるが、本稿では、後に述べるようにガバナンス という用語を特定して用いること、また、これらの政治経済的諸制度は、国家のみな らず、自治体における諸問題を解決するためのメカニズムでもあることから、これら を自治体における基本的問題解決メカニズムとして捉えることとする。

こうした問題解決的観点から、3つのメカニズムについて再度述べると、第一のヒ エラルヒーは、命令・服従の権限関係を基本としており、様々な問題解決に関する決 定も、この権限関係による意思決定に基づいてなされるメカニズムである。第二の市 場は、価格に情報を集約して資源配分を行うメカニズムである。第三のネットワーク は、ある共通の諸問題(意識されている場合とそうでない場合とがある。を解決するため に、様々なアクターが、自己の所有する資源(ヒト・モノ・カネといった有形の資源の場 合と知識・技術・情報といった無形の資源の双方がある。を相互に交換しながら諸活動を 行うメカニズムである1)

こうした問題解決メカニズムへの各自治体の依存の程度は、歴史的に変遷を遂げて きており、かつては圧倒的な影響を保持していたヒエラルヒーは、現在では、市場へ と軸足を移動し、さらにはネットワークへの移行も起こっている。しかし、このこと は、ヒエラルヒーが他の問題解決メカニズムに完全に代替されることを意味するわけ ではない。ヒエラルヒーは、市場や水平的ネットワークといった他の形態をますます 伴ってきてはいるが、近い将来に消滅するといったことはありそうもないと言えよう

(Pierre and Peters 20:18)。となると、自治体は、ヒエラルヒーを基軸に据えなが ら、市場やネットワークを活用した複合的問題解決メカニズムに依存し続けることに なる。それは、なぜであろうか。次に、その理由を自治体が追求すべき諸価値群との 関係で明らかにしたい。

行政の追求すべき3つの諸価値群

Christopher Hood(11:10)は、「良き行政」という意味での狭義の行政上の論争 においては、対立する価値は、典型的には効率性(efficiency)と公平性(equity)との 截然とした「二分法」にはならず、3つの異なった諸価値群の集合が登場すると述べ ている。すなわち、第一は、経済性(economy)や節約(parsimony)といった諸価値 群で、シグマ価値群(the

‘sigma’

family of of values)と呼ばれるものであり、公共管理 において中心的・伝統的なものである。この価値群に関心がある場合、「贅肉をそぎ 落とすこと」や「スラックを回避すること」が強調されることになる。第二は、正直 さ(honesty)や公正性(fairness)などに関係する諸価値群で、シータ価値群(the

‘theta’

family of values)と呼ばれるものであり、その中心的関心は、正直さを保障し市民が 公共主体の囚われの身になることを防止し、また、公共主体の恣意的な手続きを回避 することである。第三は、安全性(security)や弾力性(resilience)といった諸価値群

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で、ラムダ価値群(the

lambda

family of values)と呼ばれるものであり、この価値群に 関心がある場合、システムの失敗・作業休止(down time)・課題に直面した際に「麻 痺状態」(paralysis)に陥ることなどを回避することが強調される(Hood 11:11−

4)

もっとも、こうした3つの諸価値群の区分に定説がある訳ではない。R. Dahl(10)

は、民主主義国家が取り組まなければならない諸価値は、民主主義、効率性、合理性 だとしているし、Harmon and Mayer(18)は、政府において重要な役割を果たす 諸 規 範 と 諸 価 値 を 次 の3つ に 分 け て い る。す な わ ち、第 一 に 政 府 自 体 の 機 能 化

(functioning)と財・サービスの生産と分配の効率性と有効性であり、第二に、政府 とその市民との関係に関する政府のプロセスの正当性(rights)と適切性(adequacy)

であり、第三に、市民による政府機能の監視に係る代表性(representation)と権力抑 制(power checks)である2)。しかし、本稿では、先に述べた自治体における3つの問 題解決メカニズムを、Hood が提示した諸価値群の分類と関係付けながら見ていくこ とにしよう。

3つの問題解決メカニズムと3つの諸価値群との関係

まず、命令・服従の垂直的関係を基本としたヒエラルヒーにおける意思決定は、先 験的に決まっている訳ではない。換言すると、ヒエラルヒー組織における意思決定 は、シグマ、シータ、ラムダすべての価値群が考慮に入れられる。しかし、後にも述 べるが、自治体のような伝統的な公的ヒエラルヒーは、公共サービスの継続性や安定 性、そ し て、諸 課 題 に 対 応 す る 中 で の 公 共 サ ー ビ ス 供 給 シ ス テ ム の 強 健 性

(robustness)や適応性(adaptivity)など、ラムダ価値に高いプライオリティを与えて きたと言えないだろうか。自治体職員が、常に強調する「行政の継続性」は、いわば ラムダ価値を的確に表現したものだと思われる。行政にとって最も重視すべき価値 は、シグマ価値に従って公共サービスを経済的に供給し、自治体組織を効率的に保つ ことではなく、あるいは、シータ価値に従って公共サービスの供給に関し、市民に対 し正直・公平であろうとしたり、極力、歪みや偏りを防ごうとすることでもなかった と思われる。もちろん、これらの価値は全く無視されたということではなく、ラムダ 価値の優先性の前にいくぶん犠牲にされたと言えよう3)

市場はどうであろうか。価格にあらゆる情報を集約して最適な資源配分を実現しよ うとするこの問題解決メカニズムは、その成り立ちから、効率性などのシグマ価値以 外の諸価値を保証することを排除している。結果として、公平(equity)とか公正

(justice)などのシータ価値が実現したとしたら、それは単なる偶然の産物であって、

そのことと、市場メカニズムが効果的に機能したこととは全く別次元の問題である。

同様に、サービスの継続性やサービス供給システムの安定性・堅固性など、ラムダ価

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値についても、市場メカニズムの作動の効果性とは無関係である。そうであるにも拘 わらず、ヒエラルヒー的問題解決から、市場的問題解決への移行が叫ばれるのは、伝 統的ヒエラルヒーが、ラムダ価値に最も高いプライオリティを与えた反面、効率性、

節約、経済性といったシグマ価値は、最も低いプライオリティしか与えられなかった ことへの「反動」である。しかし、ここで注意しておくべきことは、先に述べたよう に市場という問題解決メカニズムは、そもそもシグマ価値を追求するためだけの、あ るいは、資源配分の効率性というある特定の問題だけを解決するためのメカニズムに 過ぎないということである。

第三の問題解決メカニズムであるネットワークが、どの諸価値群と結びつきやすい かは、自己指示的又は自己言及的(self-referense)、自己組織的(self-organization)なネッ トワークを考えることによって理解できる(see, Kooiman 20:17−8)。分かりやす い例を用いて示すことにしよう(外川 25:27−20)。あるA、Bという2つのアク ターの存在を考える。これらのアクターがネットワークを形成するためには、両者の 関係が相互利益をもたらす関係でなければならない。つまり、相互利益が見てとれる 場合、A、Bは、自らが有し、他者が有しない資源に着目し、かつそれを相互に交換 することにより互いが利益を得るよう、ネットワークを形成する。この場合、各アク ターの個人的利益と、両アクターがネットワークを形成することによって生まれる利 益(これを公共利益と呼ぶことにしよう。は同方向のベクトルを持つことになる。アク ターの数が増えるほど、各アクターの個人的利益と、ネットワークの形成によっても たらされる公共利益は、同方向のベクトルを持ちにくく、ネットワーク自体が形成さ れにくくなる。しかし、仮に、ネットワークが形成されたとすると、当該ネットワー クは公共利益を実現することになり、ヒエラルヒーや市場と同じように問題解決の手 段となり得るのである。この場合、最も重視される諸価値群は、ネットワーク構成員 に「信頼」(trust)や「互恵主義」(reciprocity)を築き上げるための正直さ、公平性、

公正性といったシータ価値であろう4)。こうした「信頼」や「互恵主義」は、R. D.

Putnam(13)が social capital(社会資本、あるいは社会関係資本)と呼ぶところのも のである。ここでは、問題解決システムの継続性・安定性や問題解決の効率性・経済 性などは、シータ価値より優位に立つことはない5)

表1 3つの問題解決メカニズムの比較

ヒエラルヒー ネットワーク

問 題 解 決 の 基 軸 命令・服従関係 価格への情報集約 相互依存的交換

支 配 的 合 理 性 実質的合理性 手続的合理性 自省的合理性

象 徴 的 言 説 行政の継続性 パレート最適 信頼と互恵主義

最 優 先 価 値 ラムダ価値 シグマ価値 シータ価値

出典 一部 Jessop(20)を参考に筆者作成

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相互補完体制としての複合的問題解決メカニズム

さて、各自治体は、上ので見たように、多くの場合、相対立し、時に補完し合う 3つの異なる諸価値群を全て追求することが要請されている。そして、これらの諸価 値群を実現する問題解決メカニズムについての特性から理解できるように、ヒエラル ヒーは、ラムダ価値に、市場はシグマ価値に、ネットワークはシータ価値に最も高い プライオリティを与えることから、自治体はこれら3つの問題解決メカニズムのいず れかを突出させて用いることはできない。換言すると、自治体が採用すべきは、これ ら3つの問題解決メカニズムの複合型にならざるを得ないのである(図1)。もちろ ん、こうした複合的問題解決メカニズムは、矛盾する価値群を内包することから、論 理整合性を持ったメカニズムとは言えない。しかし、3つの諸価値群のいずれもが自 治体の追求すべき価値であるという「現実」を踏まえる限り、論理整合性を持ち得な いこの複合的問題解決メカニズムは、自治体にとって不可避なものとなるのである。

イギリスのブレア新労働党政権のベスト・ヴァリュー体制による地方政府を考察した Martin(22:17)は、サッチャー・メージャーの保守党政権による NPM が、ここ で言うシグマ価値という単一の価値群に焦点を合わせたのに対し、ブレア労働党政権 の現代化(modernisation)政策は、そのことによって生起した諸問題を取り繕おうと したため、ヒエラルヒー的アプローチ、市場的アプローチ、協働的(collaborative)ア プローチを含む、変革のためのアプローチの多元性を許容する、いくぶん曖昧なガバ ニング構造から成るフレームワークを取らざるを得なくなり、数多くの古典的な政策 ディレンマを生起させていると述べている。新労働党政権の現代化政策が、Martin が言うように変革のための多元的アプローチか否かは、後に述べることにするが、ブ レアの現代化政策は、いずれは複合的問題解決メカニズムへの軌道修正が不可避とな ることを示唆していると言えよう。

ここで、付言しておきたいことがある。時に、ヒエラルヒー、市場、ネットワーク の複合的問題解決メカニズムが不可避とされるのは、そのそれぞれが失敗することに 起因するといった議論がなされる。たとえば、Jessop(20:12ff, see 18)はおよそ 次のように述べている。すなわち、市場は、完全競争市場における自由で平等な経済 的交換といった「手続的合理性」(procedural rationality)によって、その成功が保証さ れるが、そうした「手続的合理性」によって保証され得るか否かの対象は、資源配分 の効率性(allocative efficiency)のみである。したがって、市場がこの効率的な資源配 分を達成できない時、市場は失敗することになる。ところが、この「手続的合理性」

は、資産・所得・生活の機会の不平等や地域的インバランスなどの実質的基準の判断 に 用 い る こ と は で き な い。こ う し た 基 準 に 対 す る 判 断 に は、「実 質 的 合 理 性」

(substantive rationality)が必要となる。ヒエラルヒーたる国家の活動(したがって、自

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住民 市場

自治体政府(ヒエラルヒー)

民間企業

NPO ネットワーク

ボランティア

治体政府の活動も)によって、公共の利益又は「一般意志」の名のもとに行われる集合

的意思決定が合理的か否かは、この「実質的合理性」がその根拠を賦与するのであ り、国家の(したがって、自治体政府の)失敗とは、国家(自治体政府)の作動ルールと 手続きなどの諸条件の範囲内で、その政治的プロジェクトの実現に失敗することであ る。一方、ネットワーク又はヘテラルキー、あるいはパートナーシップ的ガバナンス は、市場の「手続的合理性」とも、国家(自治体政府)の「実質的合理性」とも異な る「自省的合理性」(reflexive rationality)に依拠しており、その成功の鍵は、より 一層の情報を生産し交換するための「対話」(dialogue)に継続的にコミットメント し、それによってガバナンスのパートナーを短期・中期・長期の全ての視野にわたっ て相互依存性の領域に「囲い込む」ことで機会主義(opportunism)を減少させること である。また、パートナー同士の連帯(solidarity)を促進することにより、「資産の特 殊性」(asset specificity)に関する相互依存性とリスクに基礎を置くことである。

このヘテラルキー的ガバナンスは、こうしたことにより、市場と国家(自治体政府)

を補完するのであり、個々の経済的パートナーは、政治的影響との交換において経済 的意思決定の自律性の一部を断念し、国家(自治体政府)は、経済的エージェントに 対する影響との関係においてトップダウン的な権威的意思決定を断念するのである。

この意味で、ヘテラルキー的ガバナンスの合理性は、「独白的」(monologic)ではな く、対話的(dialogic)であるが、採用される調整モードやガバナンスの対象の構成、

関連するアクターの諸活動を調整する環境などにより、失敗する可能性を有すること になる6)

Jessop は、このように、国家、市場、ヘテラルキー的ガバナンスのそれぞれの失

図1 複合的問題解決メカニズムのイメージ図

出典 筆者作成

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敗に起因する、これらの補完体制の不可避性について述べている。厳密に言えば、彼 の取り上げている国家、市場、ヘテラルキー的ガバナンスと、本稿で掲げている3つ の問題解決メカニズム、すなわち、ヒエラルヒー、市場、ネットワークとは微妙な「ズ レ」はあるものの、根本的な相違はない。

しかし本稿では、問題解決メカニズムの複合化の不可避性を、このようにそれぞれ の失敗の補完といった観点から捉えるのではなく、一貫して、それぞれのメカニズム に特有な諸価値群のプライオリティの相違といった観点から考察を行っていく。

複合的問題解決メカニズムと3つの行政改革の混在

従来型行政改革

ところで、わが国自治体の「行政改革大綱」を子細に見ていくと、そこには必ず、

「支出削減」、「職員削減」、「組織機構の改革」といった内容(いわゆる「行政改革」に おける「三種の神器」が登場する。これらは、言うまでもなくかなり以前からの特徴 であり、少なくともわが国自治体において「行政改革」と言うと、それは、まさにこ うした言説に代表される「行政のスリム化」であった。このように見てくると、従来 型のわが国自治体の行政改革は、効率性や節約に代表されるシグマ価値の追求に最も 高いプライオリティを与えてきたということになるのかもしれない。

しかし、良く考えて見ると、言説の上からはそのように思われる従来型行政改革 は、シグマ価値以上に、安定性、継続性、強健性、余剰性(redundancy)などをキー ワードとするラムダ価値の追求がその根底にあったのではないかと思わせる節があ る。換言すると、従来の行政改革は、行政が「死守」すべき根本部分については、様々 な方法を用いて守り抜き、表層をなでることだけを「行政改革」と称して行ってきた のではないかと言うことである。筆者がこのように考える理由は、いくつかある。

第一に、以前の「行政改革大綱」には「削減」という文字が乱発されているにもか かわらず、目標とする数値がほとんど登場していない。したがって、「削減」の内容 の説明は自治体の裁量でいかようにも捉えることができたのである。たとえば、継続 的に実施している事業は、よほどの事情が無い限りニーズがあるとの「推定」が行わ れ、組織機構の見直しも縦の物を横にする程度のことで、外部(地域住民やマスコミ等)

に対しては抜本的改革を行ったかの如く宣伝されてきた。関東甲信越地域のある県の 組織機構の変遷を見ると、たとえ組織の改正が行われても、所管する事務事業の数を 足し合わせると、さほど変化がないと思われる「事実」が見て取れる。W. Niskanen

(11)が言う「官僚の予算最大化仮説」は、まさにこうした「事実」を念頭に置い ているのである。

第二に、「行政の非効率性」は、幾度と無く「行政改革」が行われたのにも拘わら

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ず、途絶えることなく指摘され続けてきた。お馴染みの「お役所仕事」という非効率 性を象徴する言葉は、われわれの日常用語として定着している。

第三に、自治体の職員研修において、職員は、仕事を「能率」良く行うという教え を受けても、もう一方で「行政の継続性」という言葉を教えられ、自己の仕事の必要 性を疑ってみるということは皆無に近かった。

第四に、財政的側面から見ても、事務事業が廃止されることは、それが臨時的事務 事業の場合か特殊の事情が無い限り基本的にあり得なかった。こうした中で、C.

Lindblom によって、インクリメンタルな予算編成は合理的だとさえ言われた。

第五に、行政に Plan-Do-See という概念はあっても、つい最近になるまで、このう ちの See を具体化する動きは全くと言って良いほどなかった。政策評価あるいは行 政評価という言葉が新規性をもって迎えられ、その導入によって、「マネジメントサ イクルを確立する」などということが、多くの自治体によって「恥ずかしげもなく」

喧伝された。

第六に、従来の自治体は、予算については、地方交付税制度の中で手厚く保障さ れ、さほど気にかけずにすむことができた。また、監査・検査制度も、また、住民統 制も比較的脆弱で、不必要な事務事業や当該部門の職員は厳しい糾弾をされることな く「延命」し続けることができた。

第七に、機関委任事務制度や補助制度が不必要な事務事業の「延命」の理由として 巧みに用いられた。住民にとって、どこからどこまでが機関委任事務であり、どの部 分がそうではない事務か、判別することは不可能に近かった。補助制度も、国から資 金提供がなされることにより、「裏負担」の不合理性への疑問を提示する鋭敏さを欠 くことになってしまっていた。

これら以外にも、従来の行政改革は、ラムダ価値に最も高いプライオリティが与え られていたと思われる理由はいくつかある7)。しかし、それ以上に重要だと思われる のは、多くの自治体においては、こうしたことが基本的に今もなお続いているのでは ないかということである。すなわち、ヒエラルヒー内の自治体職員集団の間には、そ の「保身」・「身内意識」から来る意識的・無意識的なラムダ価値の追求といった「特 性」があるものと思われる。もっとも、従来型行政改革が最も重視していたのはラム ダ価値だと言っても、ラムダ価値自体は、自治体が追求すべき重要な諸価値群の一つ であることに相違ない。問題なのは、組織の利益や自己の保身を考えて、「望ましく ない形で」ラムダ価値を追求するといった姿勢からは、真に求められるべきラムダ価 値が探求され得ないということである。近年、騒がれている「安心・安全な地域づく り」という言説の根底には、新たな観点から、ラムダ価値を積極的・戦略的に追求す べきであるといった哲学が存在していることを忘れてはならないのである。

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NPM 型行政改革

NPM は、「完全に確立した概念というよりも、認識可能な用語」(Barzelay 22:

5)とか、「学問や政府組織の議論において国際的に用いられるが、ほとんど定義さ れることがない」(Dauson and Dargie 22:34)とか、さらには、「好きなものを何で もその上に描くことができる」「白いキャンバス」(Ferlie et al.16:4)などと言われ ているが、NPM 型行政改革について考察するためには、まず、NPM とは何かを明 確にする必要がある。

Osborne and McLaughlin(22:11)は、「NPM は静態的な現象ではなく、進化し つつある現象である」と述べているが、ある現象が同一の名称で呼ばれ得るために は、そこに核となる共通の要素が存在しなければならない。Osborne and McLaughlin は、次の①から⑦までの7つの教義を「古典的な定式化」だと述べた上で、それに1 項目(⑧)を加えている(Osborne and McLaughlin22:9−10)。すなわち、

①実務専門家による直接の起業家的マネジメントへの焦点

②明示的な基準と明示的な業績の尺度

③アウトプット統制の強調

④公共サービスの分解と分権化の重要性

⑤公共サービス供給における競争の促進へのシフト

⑥民間セクターのマネジメント方式とそれらの優越性の強調

⑦資源配分における規律と節約の促進

⑧政治的意思決定と公共サービスの直接的マネジメントの分離 である。

彼らが「古典的な定式化」と呼ぶ7項目は、Hood(11:4−5)を踏襲したもの である。これらの教義は、新制度派経済学(new institutional economics)とマネジェリ アリズム(managerialism)という異なる知的基礎を基盤とするので、必ずしも完全に 整合的という訳でもないし、NPM の要素が盛んに取り入れられたアングロ・サクソ ン諸国において、これらの全ての教義が等しく存在していたわけでもない(Hood 1:4、この関連で、Schick 16;Barzelay 22を参照)。つまり、上に掲げた諸教義 は、首尾一貫しておらず、統合された理論などではなく、部分的に矛盾する一連の処 方箋なのである。換言すれば、必ずしも NPM の核となる共通要素とまでは言えない のである(Christensen and Laegreid 22:28)。確かに、NPM の教義については、論 者によって微妙な相違がある(たとえば、Boston 11:9−10;Pollitt 23:27−8;

Kickert17:18;John21:99などを参照)

しかし、各論者に共通する要素は、公共部門を何らかの形でより一層「競争」

(competition)と関連させることであろう。たとえば、Peters and Pierre(18:20)

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は、「公共サービスに競争をもたらすことは、NPM の核心である。競争なくして公 共部門の経営スタイルを変化させることには、ほとんど決め手がない」と述べている のをはじめ、Greve and Jespersen(19:13)は、「NPM の中核は、公共部門にお ける市場機構と民間部門の経営概念・経営手法との組み合わせである。したがって、

NPM は、制度改革(市場機構の導入による)と管理上の改革(マネジメントの改善による)

の双方について述べているのである」としている。また、わが国の、特に自治体職員 の間に定着している大住の NPM の定義(19:1)も、「業績/成果による統制」と 並んで「市場メカニズムを可能なかぎり活用する」ことを「とくに重要」としている。

そこで、本稿では、この「競争」を中核概念として、NPM を次のように定義したい。

すなわち、NPM とは、公共サービスの市場サービスへの「切り換え」の推進に加え、

公共サービス供給システムにおける擬似市場(quasi-market、準市場とも言う。の構 築、公共サービス供給における市場競争の部分的活用、公共組織間の競争の制度化、

公共組織内部のインセンティブ・メカニズムの制度化、そして、これら複数の競争制 度の活用システムの構築など、様々な形の競争状況の創出を基軸に据えることによ り、公共サービスとその供給システムの効率性と有効性を高めることを主目的とした 公共部門における新しい経営手法であり、こうした様々な形の競争を効果的に機能さ せるため、組織の大幅な再編、各種の評価・監査・検査制度の確立、評価基準・評価 指標の設定、アウトプット/アウトカム志向・顧客志向といった規範の確立、有形・

無形のヴァウチャーの導入などが図られるものである。このうち、公共サービスの市 場サービスの「切り換え」とは、いわゆる民営化(privatization)のことであり、擬似 市場の構築とは、たとえば、イギリスの NHS(National Health Service)制度や社会的 ケアサービスにおける競争状況の創出のこと8)であり、市場競争の部分的活用とは、

ア ウ ト ソ ー シ ン グ、強 制 競 争 入 札(compulsory competitive tendering : CCT)、PFI

(private finance initiative)など、公共の側によって市場的フレームワークが設定され た競争を言い、公共組織間の競争の制度化とは、たとえば、ブレア政権におけるベス ト・ヴ ァ リ ュ ー(Best Value)制 度 や 包 括 的 業 績 評 価(comprehensive performance assessment)など、自治体間競争の促進等を言い、公共組織内部のインセンティブ・

メカニズムとは、業績給(performance-related pay)や業績人事など組織内部の人的資 源に競争意識が作用する制度であり、複数の競争制度の活用システムとは、たとえ ば、「ウィルソンの二分法」の再主張(Common 15:15)と言われるイギリスのネ クスト・ステップス・エージェンシー(next steps agency)の競争的観点からの捉え直 しなどである。

ただし、ここで注意すべきは、「様々な形の競争」という表現の持つ意味である。

これは、Osborne and Gaebler(12)の市場モデルを検討した deLeon and Denhardt

(20:91)の次の見解に基本的に従っている。すなわち、NPM 又は「政府再構築運

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(12)

(the reinvention movement)の市場モデルは、純粋に自由な市場ではない。それは 管理された、あるいは規制された競争に依存しており、それらの競争において、政府 は取引を統制するルールを設定する権威と責任を保持している。……それはマネジメ ントと市場の結合したもの(a conjuncture of management and market)なのである」そ して、このような「管理」され「規制」された競争は、当然に通常の競争とは区別す べきである。つまり、通常の文脈では、競争は市場メカニズムの作動と同義で用いら れる。したがって、こうした意味からすると、各個人の需要の有無に拘わらず、政府 が消費を強制する財であるメリット財(義務教育や予防接種等)や技術的外部効果

(technical external effect)が大きく、市場がその供給に失敗するため、政府の活動が 期待される財(教育文化サービス、保健・医療・福祉サービス等)の供給システムに導入 される擬似市場における競争や、組織間・組織内に働く構成員の競争意識に基づく競 争などは厳密には区別されるべきであるし、純粋な意味で市場メカニズムを活用する といったこととは若干異なるアウトソーシングなどに働く競争も区別した方が良い。

先に、問題解決メカニズムの説明の際に述べたように、市場メカニズムとは、価格に 情報を集約して資源配分を行うものと限定的に捉えた方が NPM の性格を押さえやす い。たとえば、1979年から1990年までの三期の間政権に就いていたサッチャーが断行 した改革について言えば、少なくともその前半は、民営化政策に重点が置かれていた

(宇都宮 10:16−11)。確かに民営化も NPM の一要素ではあるが、NPM とは競 争を基軸とした公共部門の新しい経営(マネジメント)であるということを考えたと き、むしろ公共部門における「様々な形の競争」の活用・導入やそのための制度・シ ステム構築こそが必須の要素となるのである。とすれば、サッチャー政権の少なくと も前半の改革を NPM と呼ぶのは適切ではないということも明確になる(もっとも、

NPM 改革誕生の時期については、論者の間で認識の相違があるが、多数派は10年代の後半だ としている。こうした点については、外川24b:53−5を参照せよ)。このように考える

表2 NPM における「様々な形の競争」

公共サービスの市場サービスへの「切り換え」 民営化 公共サービス供給システムにおける擬似市場 の構築

メリット財・外部効果の大きいサービスの競 争的供給

公共サービス供給における市場競争の部分的

活用 アウトソーシング、強制競争入札、PFI 等

公共組織間の競争の制度化 ベスト・ヴァリュー制度、包括的業績評価等

公共組織内部のインセンティブ・メカニズム

の制度化 業績給、業績人事等

複数の競争制度の活用システムの構築 ネクスト・ステップス・エージェンシー等

出典 筆者作成

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(13)

と、ブレア労働党政権の現代化政策は、その言説(Cabinet Office19)にも拘わらず、

保守党政権の多くの「競争」制度を引き継いでいる上、ベスト・ヴァリューも包括的 業績評価も「競争」制度に変わりがないことから、筆者は上の定義から、当然、NPM と見なすこととする(Newman22を参照)

さて、このように NPM を捉えると、NPM 型行政改革とは、まさに上で述べた NPM の定義を実践することにある。繰り返しになるが、重要なのは「様々な形の競 争」の活用・導入やそのための制度・システムの構築なのであって、程度の差こそあ れ、こうした改革を行うことを NPM 型行政改革と呼ぶことにする。

こうした NPM 型行政改革は、Hood が掲げた3つの諸価値群のうち、シグマ型の 諸価値追求の表現として理解できる(Hood 11:15)。「公共部門における管理装置 は、一般的な組織とは区別される特別な特徴」、すなわち、「公的組織は、アクター、

課業、信念、原則、利害、そして規則の複雑な生態(ecology)を包含して」おり、改 革者は「部分的に対立する諸目的や諸価値を妥協させる必要があるし、時にはそれら の間のバランスを傾け、そのことにより対立を生み出すことさえ必要」(Christensen and Laegreid 22:27)であり、そもそも政府は企業には「還元」され得ない(Savoie 5:14)にも拘わらずである。

ガバナンス型行政改革

NPM 型行政改革に対し、ガバナンス型行政改革とはどういった改革なのであろう か。それを説明するためには、まずガバナンスとは何かを説明しなければならない。

基本的にガバナンス論にとって、一つの「凝集体」などは存在しない(Kjaer24:2)

のであるが、これから定義するガバナンスが、様々な政治行政学的議論のどこに位置 するのかを、まず明確にしておきたい。Pierre(20:3)によると、ガバナンスは、

外部環境に対する国家の適応についての「経験的主張」と、社会システムの調整プロ セスにおける国家の役割についての「概念的ないし理論的説明」の二重の意味を有し ていると言う。この後者の意味は、二つのカテゴリーに分類できる。第一は、Peters が「伝統的ガバナンス」(traditional governance)、あるいは「古いガバナンス」(old governance)と呼ぶもの(Peters 20:39−40)であり、いわば国家中心アプローチ

(state-centric approach)と名付けられるものである。第二は、Peters が「現代的ガバ ナンス」(modern governance)または「新しいガバナンス」(new governance)と呼ぶ もの(Peters 20:40−2)であり、社会中心アプローチ(society-centric approach)と 名付けられるものである。前者では、国家はどの程度、舵取りをする政治的・制度的 能力を有しているのか、あるいは、国家の役割が、他の影響力のあるアクターの利益 とどのように関連しているのかといったことが問われることになるのに対し、後者で は、様々なタイプのネットワークやパートナーシップにおいて明確にされる調整や自

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(14)

新しい ガバナンス

社会中心 規範的

経験的 国家中心 伝統的

ガバナンス

己統治などが問題とされる。また、Peters(20:39)は、こうした捉え方とは別の 観点から、ガバナンスが、「経験的」に語られる場合と「規範的」に語られる場合を 区別している。そこで、Peters の議論に従って、これを図示すると、「国家中心―社 会中心」といった横軸と「経験的―規範的」といった縦軸によって、ガバナンス概念 は、4つの象限のいずれかに類型化されることになる(図2を参照せよ)

もっとも、実際の議論は、明確な4分類でなされている訳ではなく、誇張して言え ば、座標上の点のように、無数のガバナンス論があり得るのである。つまり、横軸に 関して言えば、従来型の国家による単独のガバナンスが最も左側に位置し、論じられ るガバナンスにおける国家の優越性の程度の「希薄化」が進むにつれて、それは右側 へ と 移 動 す る こ と に な る。そ し て、「政 府 な き ガ バ ナ ン ス」(governance without government)は、最右翼に位置することになる。

さて、本稿は、自治体に焦点を当てて考察を行っている。しかし、上の議論の基本 的部分は、自治体についても応用できると言えよう。その場合、横軸は、「自治体(地 方政府)中心―地域中心」とでもいったもので置き換えられることになる。本稿で は、横軸をこのように置き換えて議論を行うことになる。

以上のような整理を行った上で、ここでは、上図のどの位置のガバナンスを取り上 げるのかということが次の問題となる。これについては、次のように考えることにす る。まず、ここでの焦点は、Pierre and Peters(20:1)が述べているように、「政

図2

出典 Peters(20)を参考に筆者作成

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(15)

府が政策を立案し実施する能力―換言すると、社会を舵取りする能力」にある。ただ し、本稿の視点で捉え直すと、ここでの政府は自治体政府または地方政府であり、社 会は、当該自治体政府に関係する地域社会であることは言うまでもない。また、本稿 では、自治体改革を断行し、当該自治体におけるガバナンスをより一層効果的なもの に す る と い っ た 点 に 焦 点 を 当 て て い る こ と か ら、自 治 体 政 府 な き ガ バ ナ ン ス

(governance without local government)といった「地域社会中心主義」の立場は取らな い。同様に、自治体政府は、地域住民(ボランティアはもちろん、NPO などの非営利団体、

時には民間企業などの営利団体も含む。の参加と協働により、地域住民が望む政策を立 案でき、効果的に実施できるという観点に立ち、「自治体政府単一主義」の立場も取 らない。要するに、自治体政府と地域住民とがネットワークを構築することにより、

協働して政策を立案し実施するといった中間的立場を取る。加えて、地域住民の参加 と協働は、今以上になされることが望ましいという観点から、横軸上を左から右へと 移動するガバナンスは望ましいと考える。また、「規範的―経験的」といった縦軸と の関係で言うと、以上のことからも理解できるように、ここでの議論は、経験的要素 を踏まえつつ、多分に規範的要素を含んでいることになる。

以上のような自治体政府と地域住民とのネットワーク型ガバナンスは、Rhodes

(16;17a;17b)の主張する自己組織的ネットワークに限定されない。Rhodes

(17b:15)は、「ガバナンスは、相互依存性、資源交換、ゲームのルール、そして 国家からのかなりの自律性によって特徴づけられる自己組織的な組織間ネットワーク に関係している」とするが、本稿でのガバナンスは、必ずしも自己組織的である必要 はない。もちろん、自治体政府がそれ以外の社会的アクター(地域住民、ボランティア、

NPO、民間企業など)を包摂してはならない。自治体政府の主たる役割は、中央政府

あ る い は 国 家 と 同 様 に、ネ ッ ト ワ ー ク が 効 果 的 に 機 能 す る よ う、「舵 取 り」

(steering)や「条件整備」(enabling)、あるいは「ルール形成」(rule-making)を行う ことである9)。なお、Kooiman(20)は、「現代社会のガバナンスは、あらゆる種類 の統治レベル、モード、そして階層の混合形態」(Kooiman 20:19)であり、「すべ ての関係するアクターの介入努力の相互作用の 共通の 結果ないし成果(outcome)

として、社会・政治システム内に現れるパターンまたは構造」(Kooiman 13:26)

だとするが、ここでは、「すべての関係するアクターの相互作用」すなわち、統治シ ステム(the governing system)と被統治システム(the system to be governed)双方の局 面・問題・機会が考慮される、あるいは統治者と被統治者との間のシステマティック な相互作用に基づく「双方向モデル」(two way traffic model)ないし「多方向モデル」

(multiple traffic model)(Kooiman 20:10−2)という点は踏襲するとしても、「あら ゆる種類の統治モードの混合形態」とする部分については採用せず、「ネットワーク・

モード」に限定する。要するに、本稿におけるガバナンスとは、自治体政府と当該自

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(16)

治体における地域社会的アクターとが、目的を共有しつつネットワークを形成し、相 互依存的関係の中で資源交換を行いながら、効果的な政策の立案と実施を行う継続的 な相互作用のプロセスから生じるパターン(形態)であり、特に自治体政府は、当該 ネットワークが効果的に作動するよう舵取りや条件整備、ルール形成を行うものとな る。Rhodes(17b:52)は、市場の調整メカニズムが価格であり、ヒエラルヒーの それが行政命令(administrative orders)であるとすれば、こうしたネットワーク型ガ バナンスのそれは、「信頼」(trust)と「協同」(cooperation)だとしている。また、ネッ トワークにおける対立を解決したり調整したりする手段は、市場のそれが値切り

(haggling)と法廷であり、ヒエラルヒーのそれが規則と命令であるのに対して、外 交(diplomacy)であるとし、その文化は、市場が競争であり、ヒエラルヒーが服従で あるのに対し、互恵主義(reciprocity)だとしている(Rhodes19:xviii)

このようにガバナンスを定義すると、ガバナンス型行政改革とは、こうしたガバナ ンスを効果的に作動させるような改革の断行ということになる。そこで本稿では、直 接的・間接的にネットワークの効果的な作動に資する改革項目をガバナンス型行政改 革として取り上げることにする。

NPM 型改革とガバナンス型改革の矛盾と現実

さて、複合的問題解決メカニズムを併せ持つ自治体において、特に NPM 型行政改 革とガバナンス型行政改革の断行は、大きな緊張もしくは矛盾と対立を内包すること になる。そこで本節では、この点について、若干の考察を加えておきたい。

先に筆者なりの NPM の定義を行ったが、そこでのキーワードは「様々な形の競 争」であった。こうした定義を基盤とする NPM 型行政改革は、「信頼」、「外交」、「互 恵主義」などを キ ー ワ ー ド と す る ガ バ ナ ン ス 型 行 政 改 革 と 対 立 し 得 る。Rhodes

(20:82)は、概ね次のようなことを述べている。すなわち、市場化(marketization)

の一つの効果は、それが及ぶ範囲におけるネットワークの有効性を覆してしまう。イ ギリス政府は「競争」とコントラクティング・アウト(contracting-out:契約による外 部化)を推進した結果、「共通の諸価値」とコミットメントがむしばまれた。市場の 諸関係は、協同の互恵主義と相互依存に基づくネットワークに腐食的効果(corrosive effects)を持った。要するに、競争・契約は、信頼・互恵主義・協同を覆してしまっ たのである。たとえれば、競争と協同は水と油を混ぜ合わせたようなものであると。

これを本稿の文脈から、筆者なりに説明しよう。すなわち、NPM 型行政改革の根 本要素である競争の促進やコントラクティング・アウトに代表されるような契約主義 などの市場化は、ネットワークを効果的に作動させるために重要な構成アクター同士 の信頼や互恵主義、協同を覆し、これらの要素を蓄積・増強しようとするガバナンス 型行政改革を無効にしてしまうということである。

−66−

(17)

また、Rhodes(20:83)は、ネットワークの利点の一つとして、政策決定者と実 施機関を一緒にすることによって、利用可能な専門技術と情報を増加させることを挙 げているが、こうしたガバナンス型行政改革は、明らかに NPM 型行政改革と対立す る。NPM 型行政改革は、地方独立行政法人化や、自治体組織内の政策立案部門と実 施部門との分離による「競争」の導入を通じて、公共サービス供給の効率性と有効性 を高めようとするからである(同様な観点について、Stoker20:98を参照せよ)

つまり、市場とネットワークという異なったガバニング構造を融合させること自体 が不可能なのである。それは、競争・契約に基づく市場的諸価値(Hood の言うシグマ 価値)が信頼・互恵主義・非公式性・協同などに基づくネットワーク的諸価値(Hood の言うシータ価値)と対立するからである。

Kooiman(20:12)は、NPM 型行政改革に属する規制緩和(これは競争の促進を

意味する)や民営化などの公共的側面から民間的側面へのシフトを、ガバニングの「双

方向モデル」ないし「多方向モデル」といった観点から捉えており、このことを、政 府がどこで始まり、社会がどこで終わっているのかが不分明な、国家と社会との境界 の透過性(permeability)の観点から論じているが、Pierre(18:3)は、概ね次のよ うに述べている。すなわち、NPM が採用している根本哲学は国家・社会の完全な二 分法であり、これは誤った二分法である。つまり、議論されるべきは、市場の規範と、

市場における公共サービス供給者が公共サービスの設計・生産・供給を許容された場 合、民間部門とともに国家も改善されるかということであり、これには、国家・社会 二分法ではなく、両者の新しい形態の相互作用と交換が探求される必要性があると言 うのである。

本稿の文脈で私見を述べると、NPM 型行政改革における「様々な形の競争」の導 入は、基本的には「統治者」と「被統治者」との間の相互作用を意識した「双方向モ デル」ないし「多方向モデル」に立脚しているとは言えない。そこには、自治体政府 と地域社会との境界が透過的になったという認識は存在していない。存在するのは、

自治体政府も企業のように経営されるべきであり、企業のように競争にさらされるべ きであるというシグマ価値に高いプライオリティを置いた哲学である。そうした意味 では、ガバナンス型行政改革は、自治体政府・地域社会の二分法から脱却している一 方、NPM 型行政改革は、相変わらずこの二分法の「枠内」での改革だということに なる0)

また、NPM 型行政改革が、地域住民を顧客または消費者と捉えるのに対し、ガバ ナンス型行政改革は、地域住民を政策立案及び実施のパートナーとしての市民と捉え るという相違が存在する。Newman(20:45)の言葉を借用すると、NPM 型行政改 革では、「市民と顧客は消費者として鋳直され、公共サービス組織はビジネス世界の イメージで鋳直された」ということになる。もっとも、Denhardt and Denhardt

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(18)

(20:55)は、公共サービスにおいては顧客の同定さえ困難であることを主張して いる。つまり、彼らは「公共部門では、誰が顧客であるのかを決定することさえ問題 なのである。政府は直接のクライアントだけに奉仕するのではなく、サービスを待っ ている人々にも奉仕するし、サービスを積極的に求めていない人々にさえも奉仕する のである」と述べ、サービスの潜在的需要者と温情主義的にサービス供給すべき者の 存在を挙げているのである。さらに言えば、政府活動の多様性を考慮すると、それに 起因する政府機関の顧客の同定は実に困難であり、政府が扱うべき人々は、当該サー ビスを直接供給する人々のほか、当該サービスを求めて待機している人々、当該サー ビスの供給者の関係者(親類や友人)、当該サービスを積極的には求めないが、それを 必要とする人々、そして、サービスの供給の可能性のある将来世代など、さらに幅広 いカテゴリーへと拡散するのである(deLeon and Denhardt20:91)

いずれにしても、自治体の NPM 型行政改革推進者は、まず、地域住民が当該自治 体における主権者であることに全く気づいていないと言って良かろう。少しだけ考え て見れば理解できるように、主権者である地域住民は、主権者であるがゆえに、「直 接に消費するサービスだけでなく、供給されるすべてのサービスに利害関係を有す る」のである(deLeon and Denhardt 20:92)。NPM 型行政改革によって、ある公共 サービスの消費者の意見を反映できるような仕組み(たとえば、定期的な顧客満足度調

査とその結果の公共サービスへの反映)を作ったところで、それは「重大な欠陥」をも

つ仕組みである。主権者である地域住民は、主権者という立場において当該自治体に おけるすべての公共サービス、あるいは公共サービス供給システムへの意見表明権を 有しているのである。それだけではない。NPM 型行政改革は、市民としての能動的 地域住民とこれら地域住民の市民主義的行動(Vigoda and Golembiewski 21)や「信 頼・規範といった社会資本(social capital)と倫理」(Gregory 19)など、ガバナンス 型行政改革が最重要と考える要素に触れることは稀なのである。

さらに、NPM 型行政改革は、公共部門内に「様々な形の競争」を導入するために、

公共部門及び公共サービスを「断片化」(fragmentation)した。これは、Rhodes も指 摘しているとおり(Rhodes17a52;17b:11−2)、アカウンタビリティの複雑さの 増大という問題を顕在化させたのであるが、それと同時に、ガバナンス型行政改革と の緊張も生み出した。つまり、先にも別の観点から触れたが、ガバナンス型行政改革 は、ネットワークという形で、自治体政府、地域住民(NPO、ボランティア、民間企業 を含む)を「一緒に借り出すことによって政策立案のために必要な諸資源を増加させ る」(Rodes 20:83)ことにより、むしろ「断片化」を防ごうとする。また、組織間 連携(interorganizational links)を管理することによって「断片化」を回避しようとす る(Rhodes17b;55−6)からである。

しかし、最も強調しなければならないことは、NPM は、政策についてほとんど何

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参照

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