三重大学教育学部研究紀要 第40巻 教育科学(1989)69‑79頁
卒業生の「自然観」「理科教育観」に関する調査、
及び、自然科学教育の目的についての考察
高 山
AQuestionaireonGraduates,"ViewofNatureandScienceEducation''
andtheConsiderationoftheAimofScienceEducation SusumuTAKAYAMA
要 旨
1987年秋、三重大学教育学部より「教育研究特別経費」の助成を受けた9名のグループは、
本学部の理科と幼児教育の卒業生(主として小・中・高等学校の教員)を対象に、彼等の自 然観や理科教育観を理解するためのアンケート調査を行った。今後その分析は幾つかの側面 から行われる予定であるが、とりあえず本論文では、筆者が注目した「環境観、自然科学観、
科学者観」に関する設問項目についてその現状を分析し、「理科教育の目標」についての項
目とどのように連関しているかを分析した。更にそれを手掛かりとして自然科学(理科)教 育の目的についての考察を行う。
Ⅰ.アンケートの分析と考察
1.方 法
アンケートは「自然観」に関する89の設問項目、
「理科教育の実践」についての84の設問項目から 成っている。答えは「はい」「ややはい」「ややい いえ」「いいえ」「その他」の中からいずれかの1 っ選択してもらった。回答者の分布は表1にまと めた。
本論文がまず注目した設問項目は以下の通りで ある。
(A);「理科教育の目標」に関すると筆者が判断 した設問群。表2
(B);「環境観、自然科学観、科学者観」に関す ると判断した設問群。表3
先ず設問群(B)を吟味し、次いで設問群(A)の中で (B)との間に系統的に連関を持った設問があるかど
うかを調べた。その結果自然観85と理科教育42が 浮かび上がった。いかなる連関があったかを吟味
し、考察する。
2.結 果
① 設問群(B)についての概観
<地球規模の環境破壊>
いずれも「はい」の答えが非常に高く、あえて まとめると回答者達は「現在の地球規模の環境破 壊は深刻であり、今後も進行する。熱帯雨林の減
少による生物種の絶滅や、オゾン層の破壊も重大 な問題である」と受け止めている。しかしそれら に比較すれば「最近大気汚染は改善された」と見 る人はずっと増える(32%)。
<人間と自然の原理的な関わり方>
「人間が生きていくためには地球の改造もやむ をえない」と考える人は少数派であり(30%)、
多くの人が「自然界に存在しない物質を作ること は、自然界の調和を乱すことになる」と思ってい る(69%)し、「ヒトは生態系を自分に都合の良 いようには変更できない」と受け止めている (72%)。しかし一方で約半数の人が「将来、大部 分の食糧は工場で生産されるようになる」と思い
ー69 ‑
(48%)、「将来、人類は宇宙に些些できる」と答 えている。地球の資源、環境が他に求め難いもの であると言う切迫観は薄れるように見える。
<自然科学観、科学・技術者観>
表1アンケート回答者数
自 然観 理科教育
全 体 593 496
理 科 536 446
専≡琵琶
123 97
148 116
攻喜芸笠
168 148
91 78
性≡ 男 374 332
別 女 152 103
年…喜諾完
116 95
129 98
齢漂誌1
171 150
105 84
課さ 甲 373 315 程≡ 乙 134 103
勤 … 小学校 201 201 務 喜 中学校 155 156 校 ≡ 高 校*2 54 54 種 ≡ 非教員*3 126 35
幼児教育 57 50
*1.60才代(最高齢62才)を含む。
*2.中高一貫教育の教員を含む。
*3.職業不明を含む。
「自然科学は、これまで人類に対して正しく用 いられてきたか」という問いに対して、77%が否 定的に回る。ところが「今後人類に対して正しく 用いられていくと思うか」を否定的にみる者は 67%と減少する。過去と未来の状況を変える条件
は何であると受け止めているのか。はっきりして いることは、科学者や科学・技術に対する絶大な 信頼感である(自51、55、56)。ところが「国民
は科学や技術をコントロールすることができる か」(自52)、「科学や技術の運用は原則として専 門家に任せたほうが良いか」(自61)という問い に関しては答えは完全に二分した。状況を変える ために果たすべき国民の役割については、自覚的 ではないようである。本来信頼できるものは予定 調和的に正しく用いられるようになる、とするの
は素朴すぎはしないだろうか。
<エネルギー問題と原発>
エネルギー資源は近い将来枯渇し(71%)、
原子力発電によって石炭や石油を節約できる (74%)が、被害や被害者は日本に存在し(87%)、
核廃棄物の処理に現在問題が起きている事を知っ ている(96%)。従って、原発は次代を担うエネ ルギー源になるかどうかを決めかねているが、
肯定派が大きく上回っており(61%:38%)、国 民の平均からは、ずれがある(朝日新聞のアン
ケート調査(86年8月)では「これからのエネル ギー源として原子力発電を推進すること」に賛 成;34%、反対;41%)。
② 設問<自然観85>をめぐって
「理科教育の効用は生産や生活を効率化するこ とにあると思うか」という問いの答は二分した
表2 設問群(A);「理科教育の目標」に関すると判断したもの
「自然観」の中から
85、理科教育の効用は生産や生活を効率化することにあると思いますか。
86、理科教育の目標は自然に親しませることだと思いますか。
87、教師は高度な学問について常に学習研究する必要があると思いますか。
88、子供達にはできるだけたくさんの知識を教えたほうが良いでしょうか。
「理科教育実践」の中から
42、理科の教科書を忠実に教えるように心掛けていますか。
57、授業中に問題を提起して児童生徒に討論させていますか。
58、理科の勉強の必要性について授業中に話しますか。
60、「21世紀は警告する」「核の冬」「地球大紀行」などのビデオ教材をしばしば使用しますか。
61、児童生徒が独自に思考することを奨励していますか。
62、理科の各分野間相互の関連性を強調していますか。
卒業生の「自然観」「理科教育観」に関する調査、及び、自然科学教育の目的についての考察
表3 設問群(B);「環境観、自然科学観、科学者観」に関するもの。
すべて「自然観」の中から (身の回りの環境について)
37、最近、大気汚染(COxNOx)は改善されたと思いますか。
(地球規模の環境問題について)
38、地球規模での水質汚染は人類の生存にとって深刻だと思いますか。
39、地球規模での放射能汚染は人類の生存にとって深刻だと思いますか。
40、環境汚染はこれからも進行すると思いますか。
43、砂漠は広がりつつあると思いますか。
44、熱帯降雨林の減少とそれに伴う多様な生物の絶滅は人類の生存にとって深刻だと思います
か。
50、オゾン層はとても大切なものであると思いますか。
(人間と自然の原理的なかかわり方について)
48、人間が生きていくためには地球の改造もやむをえないと思いますか。
49、自然界に存在しない物質を作り出すことは、自然界の調和を乱すことになると思いますか0 57、ヒトは生態系を自分の都合の良いように変更できると思いますか。
58、将来、大部分の食糧は工場で生産されるようになると思いますか。
59、将来、人類は宇宙に移住できると思いますか。
(自然科学、科学者、技術者観について)
53、自然科学は、これまで、人類に対して正しく用いられてきたと思いますか。
54、自然科学は、今後、人類に対して正しく用いられていくと思いますか。
55、自然科学は、本来、人類の発展に貢献できると思いますか。
56、自然科学や技術を今後ますます発展させるべきだと思いますか。
51、自然環境に危機をもたらしたのは科学者であると思いますか。
52、国民は科学や技術をコントロールすることができると思いますか。
61、科学や技術の運用については、原則として、専門家に任せたほうが良いと思いますか○
(エネルギー問題と原発について)
62、電気は現在の我々の生活では不足がちだと思いますか。
63、原子力発電によって石炭や石油を節約できると思いますか。
64、エネルギー資源は近い将来枯渇すると思いますか。
65、原子力は次代を担うエネルギー源になると思いますか。
66、現在、原子力発電による被害や被害者は日本に存在すると思いますか。
67、核廃棄物の処理に、現在、問題が起こっていると思いますか。
(58%:肯定、41%:否定)。性別では男性のほう が、また年代が高いほど肯定派(50代肯定76%、
40代67%、20、30代46%)であった。また設問群 (A)の中での連関を見ると、肯定派ほど「できるだ けたくさんの知識を与えたほうが良いと思い」、
「理科の勉強の必要性について授業中話しをし」、
「授業中に問題を提起し、児童生徒に討論させ」、
「教科書を忠実に教えるように心掛けている」と いう一つの意欲的な教師像が浮かび上がった。
それではこの人々は設問群(B)に対してどのよう に対応するだろうか。<自然観85>を肯定する者 ほど、電気は現在の我々の生活では不足がちであ り(表4)、エネルギー資源は将来枯渇し(表5)、
原発で石炭と石油を節約できると受け止め(表 6)、次代を担うエネルギー源になりうると考え
ている(表7)、なおこの間いで肯定派は68%)。
被害の存在、核廃棄物の問題点については肯定派 も認識しているが、おおむね否定派のほうが良く 知っていることと合わせ、<エネルギー問題と原 発>については5つの設問で連関が出た。また肯 定派ほど自然科学は人類のために正しく用いられ てきたし、ヒトが生態系を都合よく変更できると 思っている。大気汚染は改善されたと見、リニア モーターカーにいちはやく乗ってみたいと思って いる(新しい技術に対する反応)。また肯定派ほ ど、科学・技術の運用は原則として専門家に任せ るべきと考えている(表8)。なお、<地球規模 の環境破壊>に対しては肯定派否定派共に深刻で あると受け止めており、連関は見られなかった。
今や「国民的」常識になったと言っても良いだろ
‑71‑
〈全体集合〉
自85/自62
2
1 ‑1 ‑2 ソノタ
2
29 35 2725 1
1 2
1 3 2 3
∩)5 2 1
‑1
‑2
ソノタ
3 3
2
(b4 2 2
8 7
33 2 1 1
1
ハリ
3
6 54
2 2(づ
3
1
1
1
1
1 0
2 2 0 0 25
(b2
4 3 4 4 3 1
4 36 5
58
34 5 2 1
(U3 4 3
22
9
36 18
表4
〈クロス集計〉 自85 自62
「はい」「吉宗」「㌍ぇ「いいえ」
[:コ にヨ E= [コ m
2 1 ‑1 ‑2 ソノタ
サンプル数 593
ズ2=83.9944=亜=9(以下**=P<.01,*=P<.05) 表5
〈全体集合〉
自85/自64
2 1 ‑1 ‑2 ソノタ
2
1
1
2
9
∩) (b
9
70 8 1 5 5
5(b
2 3 3
4
445
l
1 00 1
10 0 2 1
(85 3 1
5 3
0(》
6 1 9 1
1 11
11 1 1
94
0 9 3つU
O O
O 1
4
22
22 2 1
6 3 65
67
3 3 7 3 20 4 4 3 2
22
1
ズ2=43.796**
〈全体集合〉
自85/自63
2 1 ‑1 ‑2 ソノタ
2
1
‑1
‑2
7 7 0 1 9 1 5 9
(b5
7・3
3 3 4 3
ソノタ 4
36
ズ2=57.534=
〈全体集合〉
∩)
0 3 1 5 4 2 2 2
(》5
35 7 5 2 5 2 2
(》l l l
l 1 2 2
1 0 9 0 3 3 0
∩)
7 0
∩)
1
3 1 1 1 2 1 5 1 6 7 3 2 4 1 3 7 2
2∩)
4 5 4 2 2
2 1
自85/自65
2
1
‑1 ‑2ソノタ
2
1
1
6
1
52
(8 (》3
(U
4 3
3 94 4 3
22 1 5 0
71 7
50 0
43
(b2
2 1
3 30 36
ズ2=52.1539*:*
0
0 21 3 2 0
0 28
41 1 9
(U〔̀2
(b
4
62
2 22
24
33 6
4 61 5
∩)
6 4 1 9 1
14
22 2
11
〈クロス集計〉 自85 自64 サンプル数 593
Eコ 臣≡] 匠ヨ m E三ヨ
2 1 ‑1 ‑2 ソノタ
表6
〈クロス集計〉 自85 自63 サンプル数 593
ロ Eコ Eコ [コ に:]
2 1 ‑1 ‑2 ソノタ
表7
くクロス集計〉 自85 自65 サンプル数 593
Eヨ 匠ヨ【泣】Eヨ 巨Ⅱ
2 1
‑1
‑2ソノタ
卒業生の「自然観」「理科教育観」に関する調査、及び、自然科学教育の目的についての考察
〈全体集合〉
自85/自61
2
1 ‑1
‑2ソノタ
2
1
1
9
5 9 3
(b3
22 2 1 1 1
ー2
2219
73
74 5 8
29
22
7 33 2 2 1
ソノタ
11
9 ズ2=44.9193**
9
0 0 2
1 1 1
0 0 37 2
49 4 0
61 1 4
28 3
24
22
2 5 41 7 3
2 27 8 1 8 4
(b2
2 7
34
3 21
3
〈全体集合〉
理42/自61
2
1‑1
‑2ソノタ
2
1
1
ー2
6
8 6 41 4
06 5
1 6 34
22 2 5 4
(b3 9 7 5
(b3 1 4 2 1
2 118
29ズ2=31.3339**
く全体集合〉
2:
83(17)1:
190(38)‑1ニ
136(27)‑2:
る9(14)リノウ:
18( 4)〈全体集合〉
2:
10占(21)1こ
19る(40)‑1:
10占(21)‑2:
70(14)リノウ:
18(0 0
1 1
00
23 1
ごU7
18 5
1〈U
5
2 2 2
24 2 5 3
23
1
68 4 8 0 9
5 26 5
1 52 5
2 23
3
表8
くクロス集計〉 自85 自61 サンプル数 593
Eヨ 匠詔【Ⅱ】臣ヨ E憲
2
1 ‑1
‑2ソノタ
表9
くクロス集計〉理42 自61 サンプル数 494
Eヨ 四 旺三ヨ Eヨ 田
2 1 ‑1
‑2ソノタ
表10
く単純集計〉 理科教育63 サンフ○ル数49 6
40 占0 80
100亀〈単純集計〉 理科教育64 サンフ○ル数49 6
20 40 る0 80 1(つ0宅
‑ 73 ‑
〈全体集合〉
理6 3/自 51
2 1 ‑1 ‑2 リノウ
2
1
1
タ 2
.ノ
■
ノ
0 0 1 1 0 0 2 3 0 0 7 5 9 7 4 0 1 5 5 8
て)・A‑ノb
て)
5
A‑3
4
2 9 3 2 8 8 5 1 0 7 9 1 2 5 2 4 3 2 3
3 8 2 7 5 8 1
1エリ
4 2 1 2 4 2 2 2 1 1
2
日:0
0 1 6 4
4=畠二2
1
1⊥
2 1
1
く全体集合〉
理6 3/自 5 2
2 1 ‑1 ‑2 'ノノウ
2
1
勺′
2
ノ ノ
l 1 4 2 1 1 1 1 1 6 1
占「日二5
7 7
3二3
9 0 2 2 4 2 3 2 2 3
5
て)/D
O
2 る 4 1 0 3 7 1 1
′b
3 4 3 2 3
1 る 2 1 7 4 5 4 0 4 2 2 3 5 2 3 2 1 2
2
1{∠ロ
ノも
4 8 3 0 4 1 畠 2 2 2 1 1 1 1 1
表11
くクロス集計〉 理6 3 自51
⊂コ [ニコ [二] Eコ Eコ
2 1 ‑1 ‑2 、ノノウ
サンTO項数 4 9 4
表12
〈クロス集計〉 理6 3 自5 2
⊂コ ⊂コ [=][ニコ ⊂コ
2 1 ‑1 ‑2 リノウ
サンプル数 4 9 4
う。
③ 設問<理科教育42>をめぐって
「理科の教科書を忠実に教えるように心掛けて いますか」という問いは、設問群(B)の中の52、53、
54、59、60、61、64、66、67にズ2検定による連 関が現れた。肯定派ほど自然科学を信頼、運用を 専門家へ委任、新しい技術を受容、原発に対して 好意的、となった。とりわけ、ある程度予測され ることではあったが、<自然観61>との連関は顕 著であった(表9)。しかし全体として、<自然 観85>が設問群(B)に対して持つような強い連関は
なかった。
④ 設問<理科教育63、64>をめぐって
<理、63>は、「理科の授業中に兵器の発達や 自然破壊についてしばしば触れますか」、<理、
64>は、「理科を公害や人口問題、食糧問題と関 連付けていますか」という設問で、自然科学と係 わりの深い社会的な問題を、理科でどの様に扱っ ているかを問い掛けている。結果は表10の通りで ある。次いで、それらと「科学・技術観」「科学 者・技術観」との連関をとってみる。同様の設問
なので、ほぼ同様の連関を示した。その結果は、
肯定派ほど科学者に環境破壊の責任を帰すが、強 い肯定派に反対意見もある(表11)。その強い肯 定派は、国民は科学者や技術者をコントロールす
ることができると他に比べて強く思っており(表 12)、運用は専門家に任せるべきではないと考え
ている(表13)。また、面白いことに、強い肯定 派は科学・技術はこれまで人類のために正しく用
いられてこなかったとする反面、今後正しく用い られ、今後益々発展させるべきと考えている (<自53、54、56>表14)。なお、ちなみに、肯定 派ほど原子力に期待をしていないことが分かった
(表15)。
3.考 察
科学・技術は私達に「希望」と「危険」を連想 させる。例えば「筑波科学万博」 等は科学・技術 壁作り出すバラ色の未来を描き出し一方、NHK
「21世紀は警告する」や「エコロジスト」の主張
は悲観的な結末を暗示しその責をしばしば型掌二 技術(もしくはそれと不可分な近代以来の自然
卒業生の「自然観→「理科教育観」に関する調査、及び、自然科学教育の目的についての考察
く全体集合〉
理6 3/自61
2 1 ‑1 ‑2 リノタ
2
1⊥
々′
2
ノ
ー
■ノ
0 0 3 2
11
0 0 0 0
29
7 5 1
3二9二8
4 2 3 3 4 2 3 2 1 2
2 8 2
3「3二516
9 8 6 3
12 畠二3二3二2
1 2
3 ェ
62
8
£ 4 3 9
畠二5 225 243 11
3 1 3 4 3 3 7 8 る 2 1 1 1 2 1 2 1 エ 2
1
〈全体集合〉
理6 3/自5 6
2 1 ‑1 ‑2
、ノノ勺2
1
1
わノ
2
ノ
ー
ノ
l l l 1 0 0 0
ハV■l /D
2 2 2 1 5 4 1 1 0 0 3 4 4 7 9 7 5 7 1 る 7 1 8 6 9 6 5 る
′b て)
1 2 る 3 4 3 2 3
3 9 2 4 5 3 4 8 5 0 る 5 7 0 5 7 5 3 5 1 5 1
く全体集合〉
理6 3/自 6 5
2 1 ‑1 ‑2 リノウ
2 13
1る
1 45
24
‑1 3占
2占
‑2 21
30
リノウ 5
28
ズ2=29.2053事=蠣0 0 2 1 2 1 1 1 0 0 3 0 6 4 4 8 4 0 5 8 3 4 2 1 2 1 1 2
2 4 7 0 1 2 6 3 9 1 る l 1 4
ウん2
1
1⊥
1⊥
2 7 る 0 2 8 0 9 7 9 2 2 7 4 5 3 2 2
3
表13
〈クロス集計〉理63 自61 サンフ0ル数 494
Eコ m m □ m
2 1 ‑1 ‑2 リノタ
表14
くクロス集計〉 理63 自56 サンフ0ル数 494
⊂][二][コ 亡コ ⊂コ
2 1 ‑1 ‑2 リノタ
表15
くクロス集計〉 理63 自65 サンプル数 494
[ニコ ⊂コ ⊂コ [:コ [二]
2 1 ‑1 ‑2 リノや
観)生帰す。しかも、近年ますますこの二つの主 張はそれぞれ一方的な「宣伝」のトーンを強めて いる結果、多くの人々はこの二つの立場を脈絡無
く共存させ、両者をより深いところで統一しよう とする知的営みを欠落させている。筆者は前から この間題に関心を持ち、授業(自然科学概論)で も取り上げてきたが、今回の調査を利用して、三 重大学卒業生(理科と幼児教育専攻)がこうした テーマをどう受け止め、彼等の教育観とどの様に 関わっているのかを把握しようとした。
回答者は、今や多数の共通認識となりつつある 地球規模の環境破壊や核廃棄物処理の問題、原発 の被害について非常に高い認識を示した。自然科 学はこれまで正しく用いられてこなかったと警鐘 を鳴らす一方、自然科学は本来人類の発展に貢献 できるものであるという高い信頼感(94%)に基 づき、科学・技術が係わる「危険」と「希望」を 併存させている。その際、この二つの側面を統一、
克服する契機を何に見出しているのか。アンケー トの結果から卒業生の「環境観、自然科学観、科
ー75 ‑
学者観」における二つの傾向が読み取れた。<自 然、85>や<理科、42>を肯定する人は科学主義 的、技術主義的な克服の道を予定調和的に想定す
る傾向を持っている。この人々は他の人々に比べ、
科学・技術の運用は基本的に「専門家」に任せる べきと考えている。もう一つは、<理科、63>や
<理科、64>を強く肯定する人で、国民によるコ ントロールに期待をかけ、理科教育はその役割の 一端を果たしうると考えている。彼等は運用は基 本的に「専門家」に任せるという意見により否定 的である。
かつて科学・技術の悪用を危倶した科学者達が
「科学者の社会的責任」の考えを打ち出し、それ なりに多くの成果を上げてきた。しかし「科学・
技術の正しい運用に向けての国民の役割」は強調 されることは少なかった。筆者は先の一見相矛盾 する二つの側面の統一のためには、この考え方の 定着が不可欠であると考えるものであるが、とり わけ科学の普及に係わる理科の教師の「社会的責 任」を主張したい。
Ⅱ.自然科学教育の目的について
1.目的についての議論
このアンケートの結果を踏まえてもう少し考察 を進めてみたい。
初めに目的と目標の違いに触れておく。1961年 に田中実と富山小太郎は次のように整理した1)。
科学教育の役割または目的;学校における自然 科学の教育は、どの様な資質を備えた個人をつく ろうとして行われるか。また社会全体として、こ の教育にどの様な効果を期待するか。
科学教育の目標;学校教育では自然科学につい てどの様な内容の程度と知識を与えれば良いか。
年齢・学年に応じて踏ませていく知識の段階をど の様に準備すれば良いか。知識の定着とならんで どの様な能力を付与すれば良いか。
さて、近年、エネルギー問題、環境問題、核や 戦争の問題等、地球規模でかつ科学・技術のあり かたをめぐる諸問題をふまえ、理科(自然科学) 教育の新しい旦担が提案されてきている。
例えば「環境教育」は「学際性」「倫理性」「生 活環境をより良いものにするにはどうしたら良い か」という目的意識、「主体性」等を主張し2)、
理科や社会その他からの寄与のあり方が議論され ている。理科と社会を統合した「生活科」の中で 環境教育的な要素が検討される一方、自然科学的
な要素が切り捨てられようとしている3)。さらに は、理科が環境破壊の元凶となった「近代科学」
に立脚することをやめなければならない、という 主張もある4)。いずれも、理科一自然科学一技術 一社会の原理的な、また現代的な係わり方を正し
く踏まえなければ解決のつかない問題である。自 然科学教育の目的を論じる際には、そうした「科 学論」の議論を踏まえることが不可欠である。と
ころが、科学史、科学哲学、科学社会学等の(そ れぞれアカデミックな)領域を持つ「科学論」は、
必ずしもそうした総合的な現実に対応した内容に なっていなかった。それどころか中には科学の一 局面を取り出し、現実離れした哲学的な議論に終 止するものもある5)。先の、現代の諸問題の元凶 を近代科学(機械論)に求める論調は、まさに科 学論の専門家が唱え、ポピュラーな考え方として 広がったものであったが、それはまた科学という 複雑な社会的実在を正面からとらえたものではな かった6)。
その意味で、現実の進展に促されている自然科 学教育の新たな目的に相応した新たな「科学論」、
高踏的ではない「地についた科学論」が求められ ている。飯島宗一は人間生存の危機と展望に就い てのシンポジウムで次のように述べた。
「いま、科学・技術が現在の人間にとっていっ たい何であるのか、一歩踏み込んだ新しい科学 論・技術論を構築することの必要性が、ことのほ か大きくなっているのではないでしょうか。・…‥
もしこれができなければ、科学技術主義的世界観 が、表層的な次元で我々を支配するようになる危 険を心配しなければなりません(アンケートにも 読み取れた一筆者)。私達は科学・技術に対する 本質的な追求一科学・技術そのものの科学的な 検討(を加え、同時に) 人間社会におけるそれら の存在形態についても、同様に確かな検討を加え ることが必要であります。科学・技術を単に個人 のレベルでのみとらえるのではなく、開発という 人類的行動を規定するものとして、社会的レベル
においてもシステム的な追求を行うことが必要で あります。以上のように私は、今後の科学・技術
の進歩の在り方が、人間の生存の問題を決定する 鍵であると考えております。」7)(アンダーライン
は筆者)
ところで田中と富山は自然科学教育の役割ない し目的を次を4点に要約していた。
(1)将来の社会成員として必要な労働能力の知的
卒業生の「自然観」「理科教育観」に関する調査、及び、自然科学教育の目的についての考察
基礎を提供する。
(2)政治的判断の基礎として、人間による自然支 配の限り無い可能性と様々な方式についての知 識を与える。
(3)自然及び人間についての科学的な一般的見解 の基礎を作る。
(4)自然に対しても社会に対しても共通する、判 断と行動の基本形式を獲得させる。
(2)の内容を見ると、科学・技術の「社会的存在 形態」の問題が見られる。「自然科学からの政 治・経済への作用がこれまでの時代に比類を見な いほど大きくなっている現代社会では、民衆が戦 争を避け、繁栄を実現する政治の原動力となるた めに、民衆が高い自然科学的知識を所有すること が、十分条件ではないが必要条件である。」「人々 を年少のときから自然科学に親しませ、科学の社 会的適用について公共的立場から善悪を判断する 敏感さを養うことは、将来の社会成員の政治的判 断を改造することに大いに役立つであろう。」し かしここで指摘されているように、自然科学的知 識は「善悪を判断する敏感さ」の一つの必要条件 であり、十分条件に転化するためには社会科学の 認識と合わせ、科学・技術の社会性についての認 識にまで進まなければならない。それを田中は別 の論文でこう述べている。
「科学的世界観は、人間は何のために科学と技 術を所有し発展させるか、どんなことをさして科 学と技術の誤用と言うか、科学と技術は何に奉仕 しなければならないかなど科学の価値観につなが る。自然科学は真理探究と技術開発を含めて、人 間をどのように変革してきたか、人間の未来に横 たわるどんな問題を解決していくだろうかという ことについての知識は、本当は自然科学教育者が 子供に正しく伝えられることである。」8)
アンケートの<理科、63>と<理科、64>を肯 定した比較的高い割合は、教師がこのレベルのこ とに責任を持つ姿を表しているのであろうか。今 のところ判別がつかない。
自然科学(理科)教育の目的を論じる場合に、
自然科学一技術一社会の関連をふまえることは不 可欠である。吉本も「理科教育の目的」(1978) でその点をふまえ議論を展開している9)。「理科 教育はその基本となる知識と考え方を育てる意味
で、技術の持つ問題点をもその目的論、カリキュ ラム論、方法論の背景として十分検討しておかな ければならない。」彼は技術の問題点を3点に
渡って述べた。
(1)「現代の技術は強力・大量・高速である」。
一技術を行使する少数の人間の判断、意思が、
大量の社会人に対して多大な影響を与える。
(2)「技術の各段階における意思決定は大きな責 任を負っている」。‑「判断決定の段階におい
て、その様な判断決定が社会的にプラスかマイ ナスか。それは技術者ばかりでなく経営者、労 働者、利用者全てにおいて考慮しなければなら
ない問題となる。」
(3)「科学・技術の限界・不完全性についての認 識」。一科学の知識は、その知識成立に付与
した条件・限界……から外れた事態に対しては 事実の推定が十分出来ない不完全性を持ってい
る。技術もかなりの安全度と許容範囲を考えて 事に当たるが、ある程度の不完全さを持ってい
る。
「かくて……技術の問題点を理解するにも、そ の様な問題点を理解した上で、政治的・社会的行 動の誤りのない判断をするためにも、あるいは現 代の技術社会での行動で、倫理的・道徳的に誤り のない行動を取りうるためにも、それらの技術の 基礎となっている科学的原理についての正しい認 識能力が必要になってくる」。
このような科学・技術「そのものの、本質的 な」(飯島引用参照)側面、社会的存在の側面を 正確に教育することの意味は極めて大きい。しか
し現実にはほとんど省みられていないのが実状で はないだろうか。まさに「教師は目的を自覚する ことなしに自然科学を教え、目標を意識せずに教 科書に書いてあることを無差別に授業してしまう
ことになりやすい」10)。しかしそうした目的が顕 在化しない原因を教師のみに帰すことは間違って いる。上記二人が取り上げたような目的は、普段 は余り強調されないのが普通であるし、二人の議 論の展開をよく読めばそうした目的を念頭におき ながら、教えられるのはあくまで判断材料の基礎 となる(正しい)「自然科学の内容」ということ になる。
2.「STS教育」の主張
ところで、イギリスでは「科学技術の応用に おける経済的、社会的、政治的な意味を明かにす るための教育」11)が1968年以降、政府の下にいく つかの諮問機関が作られ検討がなされてきたと言
う。その結果8つの大学院が作られ、STS運動
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(Science,Technology&Society)が起き、市民に 対する新しい科学教育として科学を社会的脈絡に おいてとらえ、1973年以降教材を高校まで広げ、
1987年からは一般中等教育資格試験の独立した科 目として認められている。日本の実状から見れば 驚くべきことである。理論物理学の研究で王立協 会のフェローとなった後、STS運動を熱心に進
めているジョン・ザイマンの著書からその内容の 要点を紹介したい。当然様々な見解があり論争中
のものも多い。ザイマンは「動的な教育の伝統は 必要で」あるから、敢えて対立し、「より深い共
通の理解を心に保つようでなければならない。」
としている12)。
ザイマンはまず「科学そのもの」を教えること と「科学について」教えることとは別であるとす る。通常は「科学そのもの」が教えられている。
自然科学は個別分野によって「ひどく違う」特徴 を持っていても共通の「根本原理」を抱えている。
それを「妥当な(Ⅴ濾d)」科学と呼び、「堅固さ」
「明晰さ」「厳密さ」という性格と結び付いている。
科学教育全体は科学研究者が維持、確保している
「妥当な」科学という「特殊な要求」(p.29)が左 右している。これは不当なことだろうか。疑問も 多いが、それには「きちんとした理由が存在す る」(p.30)。彼は二点の理由を指摘している。
一つは、「客観的、非専断的、批判的、創造的と いうような科学の真の精神は研究の最前線で見ら れ、科学教育をこの精神で染め上げることは適切 である」(p.30)。もう一つは、「否定できない事 実は、どんな基準を持ってしても、……(科学が) 異常に生産的で有効であるということである」
(p.84)。ザイマンは、STS教育が科学の否定的 な面に係わり過ぎていて、もっと科学のこの積極 的価値はどうして現実に生じるのかという肯定面 の問い掛けをするべきだと主張している。
それを断った上で、「教育のその他の目標や原 理を排除する必要はない」(p.30)と述べ、正規
の教育システムで「科学について」教えるという 責任を、伝統的な科学教育は無視してきたと断じ
る。往々にして伝統的な科学教育の中で、「まと もな教師、素直な学生がこれらに少しでも注意を 払うのは全然価値がないとでも言うような議論の 仕方をしている」(p.40)。その結果、学生は
「大人になって直面する現実から見ると、不適切 な訓練を与えられ、間違った方向付け……(すな わち)科学、科学者、そして社会秩序自体に害に
なるような科学のイメージ、科学者のイメージ、
社会の中の科学の役割のイメージを」与えられる ことになる(p.41)。
この間違ったイメージとは何か。ザイマンはこ こで様々なことを述べているが、基本的に収赦す るところは、「科学主義、技術主義」となるだろ う。「科学主義のアピールは巨大で、技術主義は 政治の主要な力である」(p.84)。ではその内容
は何であろう。一つの表現は「科学が唯一の信頼 すべき権威で、唯一の行動の基準であるべきだと
いうことに暗黙の(疑問抜きの)了解を与える信 条」である。もう一つの形を変えた表現は、「病 気、貧困、飢え、暴力や人間をめぐる他の悪条件
が、科学知識を注意深く応用すれば取り除けると いう信仰」(p.62)。彼はこれを「技術的楽観主 義」と名付けている。
「科学主義」への適切な対応はいかにあるべき か。「科学主義の問題点は、深い分析抜きで、科 学に「賛成」の立場を前提とすることである。こ の態度は、同じくらい不毛な、ナイーブな形の反 科学主義を生み出す。科学の役割、価値、用法等 について満足できる見解を作り上げようとすると
きに答えられるはずの問いが、既に先取りされて いる」(p.46)。したがって「科学主義」と「反 科学主義」の機械的対立を乗り越える第三の道は
「各々の場合に現実に問題になっている倫理的、
哲学的、政治的問題をもっと注意深くバランスさ せて分析を進めることである」。先に触れたよう
にともすると機械的対立が一般の人、自然科学者、
また科学論の専門家を問わず蔓延している中で、
この指摘は重要であろう。こうして、「社会にお ける科学と技術の位置」(p.111)の概観を与える のはSTS教育の責任であり、「科学教育自体が科 学と社会の主要な接点」という観点から教師の役 割が論じられる。
筆者はザイマンの主張に基本的に同意する。更 にザイマンはSTS教育の方法、学校教育への導 入の仕方等具体的な記述が展開するが、ここでは 省略する。筆者が本学の一般教育「自然科学概 論」で取り組んでいたものも、結果的にSTS教 育の精神と呼応するものになっていた。この点に ついては別の機会に詳述したい。
謝 辞
この研究は、昭和62年度三重大学教育研究特別 経費(特別分)および昭和63年度文部省科学研究
卒業生の「自然観」「理科教育観」に関する調査、及び、自然科学教育の目的についての考察
費補助金(課題番号63460238)で実施されたもの である。本論文のもととなった調査を共にし、討 論に参加された8名の研究者達に敬意を表したい。
とりわけ、解析ソフトを作成された新居淳二氏に 感謝したい。何にもまして、アンケートに御協力 いただいた三重大学教育(学芸)学部の理科及び幼 児教育卒業生に厚い感謝の意を表したい。
注
1)岩波講座『現代教育学10 自然科学と教 育』、岩波書店(1961)
2)福島要一編『環境教育の理論と実践』、あゆ み出版(1985)
3)小佐野正樹『「生活科」批判と理科教育の課 題』、あずみの出版(19即)、この本の最後は 次の言葉で結んでいる。「「生活科」の中にひ
そんでいる「反科学」とも言うべき思想と真 に対決するためにも、自然科学教育の目的論 に触れる議論を大いに進めようではないか」。
4)岩田好宏「自然科学教育を問い直す」、『教 育』No.441,pp.28‑37(1987)
5)肱同義人は論理実証主義、新科学哲学を次
のように批判した。「科学哲学の、科学=「事 実一理論」という枠組みは科学の実際の姿を とらえていず、科学の最も基本的・規定的な、
自然への働きかけという過程、すなわち科学 の成立する根拠、科学発展の根拠、認識の真 理性の根拠を見落とし、放棄しているのであ る」。「科学の発展とは何か」『科学史、その課 題と方法』青木書店(1987)所収 6)高山 進「『近代科学』論の諸問題」『日本
の科学者』Vol.17,No.1,pp.8‑13.
7)『第5回総合学術研究集会の記録、人間生存 の展望と戦略』日本科学者会議、p.9
8)田中 実「科学教育の目的について」
(1968)『思想としての科学教育』、大月書店所 収
9)吉本 市「理科教育の目的」日本理科教育 学会『現代理科教育体系2』東洋館出版社
(1978)所収 10)前掲書(1)、p.18
11)M.ギボンズ、P.ガメット編、『科学・技 術・社会を見る眼』現代書簡(1987)、p.206 12)ジョン・ザイマン『科学と社会を結ぶ教育
とは』産業図書(1988)
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