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その他のタイトル A "Socion" Theory of Interpersonal Desire : Constructing a Cube‑Model of Human Feelings by means of Differencial Calculus of

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(1)

欲望のソシオン理論 : ソシオンダイアッドにおけ る差異と欲望の力学と感情のキューブモデル

その他のタイトル A "Socion" Theory of Interpersonal Desire : Constructing a Cube‑Model of Human Feelings by means of Differencial Calculus of

Interpersonal "Weight‑Game".

著者 木村 洋二

雑誌名 関西大学社会学部紀要

巻 25

号 2

ページ 1‑41

発行年 1993‑12‑05

URL http://hdl.handle.net/10112/00022552

(2)

欲 望 の ソ シ オ ン 理 論

ソ シ オ ン ダ イ ア ッ ド に お け る差異と欲望の力学と感情のキューブモデル

木 村 洋

A "Socion" Theory of Interpersonal Desire: Constructing a Cube‑Model of Human  Feelings by means of Differencial Calculus of  Interpersonal "Weight‑Game". 

Yohji (Yorge) KIMURA 

Abstract 

A dynamical  system model  o f   interpersonal  state  o f   feelings  i s   con‑

structed on  the  basis  o f   s o c i o n   theory.  The  b a s i c   hypotheses are;1)the  Ego  i d e n t i f i e s   w i t h   t h e  difference  o f   w e i g h t s   between the  Alter  ego's  evaluation  o f   the  Ego  and  the  Ego's  evaluation o f   the  A l t e r .   2)Pleasure  o r   displeasure  i s   the  s i n g a l   o f   a n   increase or decrease of  weight's dif‑

ference.  3Hhe sense  o f   s e l f   o r  otherness  i s   the differencial  calculus of  pleasure  or displeasure.  4)Love or  hate  i s   t h e   differencial  of  s e l f  or  otherness.  A Cube‑model  c i f   interpersonal  f e e l i n g   system  i s   proposed.  The  Cube  consists o f  8 b r i c k s ;   MODESTY,  ARROGANCE, C O M P A S S I O N ,   DESPISE,  GREED,  H U M I L I T Y ,   ENVY and P R A I S E .   The  l a t t e r   four  f e e l i n g s  move toward a cosmos  o f   difference,  and the  former  four  seek  an  equalitarian Utopia.  But  i n   t h i s   U t o p i a ,  s l i g h t  differences  o f   weights  generate very  sharp d i f f e r e n c i a l   waves  ( p u l s e s   o f   awareness)  o f   s e l f n e s s   and otherness,  which  may very  p o s s i b l l y   l e a d   the Utopian  commune to  c o l l a p s e .  

Key Words: SOCION,  SOCIOTRON,  CUBEMODEL,  COMMUNICATION,  FEELING,  SELF,  OTHER, PLEASURE, LOVE,  HATE,  COMPASSION,  DESIRE,  ENVY, UTOPIA 

抄 録

ソシオンは自他の荷重差にアイデンティファイする。荷重差の正負が楽と苦に,その変化率が快不 快に対応する。自他は快不快の変化率である。不快の減少と快の増大が自己性に,快の減少と不快の 増大が他者性に対応する。愛憎は自他の変化率である。愛は自己性の減少と他者性の増加を伴い,憎 は他者性の減少と自己性の増加をめざす。優ー劣,自ー他,差異化一対称化の 3 つの次元から,謙遜 と憐憫,尊大と侮蔑,貪欲と嫉妬,卑下と称賛の 8つの頂点をもつキューブが導かれる。尊大は権力 への意志,侮蔑は差別主義,卑下は自己非難,称賛は他者崇拝となってそれぞれ差異のコスモスに至 る。憐憫と謙遜は愛の運動,貪欲と嫉妬は欲望の運動となってともに差異が解消し欠如が消滅する平 等主義のユートヒ°アをめざす。この平等の特異点では小さな差異のゆらぎによって自他を峻別する意 識のパルス (2 階微分成分)が発生し,熱死のユートビアを差異のカオスと化して崩壊に導く。

キーワード:ソシオン,ソシオトロン,キューブモデル,コミュニケーション,荷重,感情,自己,

愛,憎しみ,他者,快感原則,欲望,嫉妬,ユートピア

‑ l ‑

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関西大学「社会学部紀要」第 2 5 巻第 2 号

は じ め に

人間は互いに選択的に荷重しあいながら情報—資源的に連結されて社会的ネットワークを構成 する。ソシオン ( s o c i o n ) は,この荷重ネットワークの結節として人間を概念するためにわれわ れがつくった用語である% ソシオンは,他者の像を内部に構成し自己の鏡像を外部つまり他者 のもとにもつ一種の超個体(的な回路ユニット)で,コミュニケーションを通じて荷重を学習・

調節しあう。そのとき人間が自己として体験する荷重の量(存在感情)は,自他の荷重差と,他 者のかざす鏡像からの帰還,そして自己回帰の 3 つの要素によって決まる,と考えられる。本稿 は,このうち荷重差への同一視によって自己システムに生じる欲動のダイナミックスと感情のメ カニズムを理論的に探求する。

目 次

I  自己の構成

1 .   ソシオンのダイアッド 2 .   私のループ

1 [   差異のゲーム 1 .   差異への同一化 2 .   欲望のシーソー

m  シャドーオペレーション 1 .   影の誕生

2 .   影への供物 I V   ソシオトロンの力学

1 .   シーソーのダイヤグラム 2 .   欲動の三角関数 3 .   他者の位相 4 .   欠如の管理

v  欲動の論理 1 .   差異の対称変換 2 .   欠如の愛 3 .   欲望の正義 4 .   愛の計量 5 .   嘲笑とユーモア V I 感情のキュープモデル

1 .   感情のパラメークー 2 .   キューブモデルの構成 3 .   キュープの領域 4 .   アンビバレンス V J I   モデルの射程

1 .   差異と超越 2 .   世界の対角線 3 .   熱死のユートピア 4 .   ハイパーループ 5 .   カオスとコスモス

1) 詳細は,木村•藤沢•雨官1990,

藤沢・雨宮・木村 1 9 9 1 ,

雨宮・木村•藤沢 1993 を参照。なお「荷重」と

は.「信一不信」「好き一嫌い」のように正負の分極性をもつアナログ量で,デキゴトにたいする予期ボテ ンシャルと考えてよい。その荷重量に応じて表象のリアリティがきまり,ソシオンの社会的なインボータ ンスがきまる。

‑ 2 ‑

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I  自己の構成 1 .   ソシオンのダイアッド

A と B2 個のソシオンが構成するダイアッドのソシオマップを図 1 に示した。 A のなかの右側 にある小さな円は, A が B について構成した表象 B• とそれにおいた荷重 W a b(A の私 I) を , 左にある小さな円は A が自分自身について構成した表象 A• と荷重 W •• (A の私 I l I ) を表わし ている。 B のなかの小円も同じように, 右から, B が自分自身について構成した像 Bb と荷重

wbb,B が A に つ い て 構 成 し た 像 心 と 荷 重 Wb 。 (A の鏡像, A の私 I I ) を示している。

図 1 ダイアッド

A  B 

B•: W a b ,   Aのみた B A•: W a a ,   AのみたA

Ah:  W b a ,   Bのみた A Bh:  w b b .   Bのみた B

このソシオマッフ゜表示では小円の大きさが荷重の大きさに対応している。白黒のぬり分けで荷 重の正負を表わすことができる。(図 1 では, A が B より大きな荷重を与えられている。)円から 円への矢印線は,表象ユニット間に情報的な荷重の送り込みによる「対応づけ」 (コミュニケー ションあるいはオペレーション)が働いていることを表わしている。

2 .   私のループ

ソシオンは,他のソシオンがかざした鏡像(たとえば B が A にかざした A の像 Ab あるいは荷

重 Wしに同一視することで,自己の像 A• を構成し,荷重 W し を 認 知 す る % 図 2 の矢印線 / 2

で示した鏡像から自己像へのフィードバックループが,この鏡像からの帰還(式( 1 ) の右辺の第 2 項)を表している。さらにソシオンは,内部に自己回帰ループをもって一定の自己同一性をつむ

ぐ , と考えられる。図 2 の大きな円 A から内部の左がわの小円=私皿へのマッビング八が, こ

2) 自己像が他者の視線を意識すること,つまり他者にどう見られているかについて私が想像的に構成した私 の像(私 I I ' 「鏡像」)についての意識性を核に形成されることは, C.H. クーリーの「鏡のなかの自己」

の概念いらい,すでに人間科学の古典的な洞察となっている。近くはフランスの精神分析学者 J . ラカン がこの鏡像への同一視を,「疎外する同一視」(自己を譲り渡す同一視)あるいは「騒しとられ」 ( i d e n t i f ‑ i c a t i o n  a l i e n a n t ,  c a p t a t i o n )   と呼んで, その人間学的意義を強調した(「私の機能を形成するものとし ての鏡像段階」,「心的因果性について」)。なおソシオン理論による自他連関の概略と鏡像帰還の意味づけ については木村1 9 9 1 b を参照されたい。

‑ 3 ‑

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関西大学『社会学部紀要」第 2 5 巻第 2 号

の自己回帰ループの機能(式( 1 )の第 3項)を表わしている 3) 。

本稿ではこれに加えて,ソシオンは基本的に自他の荷重差を検出して,それに同一化する傾向 をもつと仮定したい。 ソシオン A は , B とのあいだの荷重差(私 l [ 一 私 I , Wba‑W.  心 を 検 出 し , この差異を社会的に構成された自己の荷重(とりあえずの私 m) として取り込む傾向があ る , と考えるのである。図 2 では,このループを / 1 で,取り込まれる荷重差分を斜線部 ( I l 一

I) で表わしている。

以下,この荷重差への同一視という仮定からどのような論理的系が導かれるか,現象学的なデ ータとの対応を視野に入れながら理論的に追求してみたい。

図 2 「私」のループ

A  B 

/ 1 差異への同一化,ん鏡像帰還, l a 自己回帰

I

I   差異のゲーム

1 .   差異への同一化

ダイアッド(二者関係)においては,おおくの場合(ほぼ無意識の比較によって)自動的に自 他の荷重差が検出される。そしてそれにひきつづいて,検出された荷重の差異への同一化の運動

3) われわれ(雨宮•藤沢•木村)は藤沢を中心にソシオンネットワークをコンピューターシミュレーション

にのせることを企図している。式( 1 ) は , 自己として体験される荷重私 m の変化量ハいが, 1 )自他の荷重差

(Il-1) と, 2) 他者からの鏡像帰還 (I•

J l l ) ,   そして 3 ) 自己回帰の量によって決まる, という考え 方を暫定的に表したものである。

4私直 =a( 私 n ―私 I)+{J 私 I•

J私 H+r 私直……… ( 1 )

第 2 項の鏡像帰還 (/J 私 I•

J私 n ) で,私の鏡像(他者の評価)の微小変化 4 私 n に , 他者にたいす る私の信頼度である私 I が係数としてかかっているが,その理由は,私にかざされた鏡像の影響力は,鏡 像をかざす他者をどの程度私が信頼しているか,つまり私がその他者においた荷重(私 I)の量に比例す る(と考えられる)からである。図 2 で私 n からの鏡像帰還が私 I のなかの小円を媒介にして私直にはい っているのはその意味あいをあらわしている。

なお,式 1 の第 3 項の自己回帰は,本来一定時点まえの私皿の状態量である私直からの時間をくぐった 写像である。図 2 の私直への自己回帰ループはしたがって,厳密には大きな円 A からではなく,一定時点 まえの小さな円 A8(t‑1)からのループでなければならない。

‑ 4 ‑

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が発生しやすい。本稿では,この差異への同一化が,二者関係においてとりあえず発生する意識 の一次的な機能である,と仮定する

4)

さて, 2 個のソシオンからなる系において,それぞれがまず第一次的に自他の荷重差にアイデ ンティファイするとすると,

Waa=f(Wba‑W.  ゅ ) wbb=g(Wab‑W b a )  

となる。 f と g は同一化にかかわる A と B の特性を表わす。コミュニケーションの誤差が無視で きて f と g がほぽ等しいとすると,

A の荷重差号一 CB の荷重差)

と見なすことができる。つまり,鏡像認知をめぐる誤差などを無視すれば,荷重差としての私と 他者は互いに符号の反転した荷重として(少くともそれぞれの表象世界=荷重空間において)生 まれあうことになる。 しかもその差異としての荷重量(以下 aWb あるいは単に W で表わす)

は,一方が増えれば他方が減るというかたちで,その変動の量はちょうど相手の側の変動量の負 旦となる。この関係を図 3 で表わす。

図 3 自他変換

(他者)B A( 自己)

縦軸の上方が荷重差 W がプラス,下方がマイナスである。横軸の右が自己の荷重,左が他者 の荷重と考える。シーソーが右あがりのときは,私が他者と比較して荷重がプラスつまり余剰と なっていることを表わしている。他者は私がプラスになっているちょうどその分だけマイナスつ まり欠如態となっていることがわかる。

4)なぜ差異に同一化するのかという素朴な疑問だが,たとえば,餌にありつけるかどうか,捕食者の餌食に なるかどうかは, しばしばあと一歩の「差」によって決まる。「群れ」においては走った距離よりも着い た順位がものをいうのである。荷重差への同一視には,以下に検討するような「他者構成」上の回路的メ リットの他に,このような進化論的な背最があるのかもしれない。もちろん鏡像帰還と自己回帰のループ は,発達的にもあとで二次的に構造化されてくる, ヒト特有のより高次な機能である。

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2 .   欲望のシーソ_

ソシオンは,荷重値が正のとき自己を肯定的に体験し,負のときにはネガティプな存在として 否定的に体験する(図 4)。つまり,他者との荷重差がプラスのときは余剰荷重の存在によって喜 び(楽)の感情が生まれ,マイナスのときは欠如の負圧によって苦しみ(苦)の感情が体験される。

システムとしての個体には,一般に,できるだけ負の荷重を減らし,正の荷重をふやそうとす る運動が発生する。このとき欠如を減少させ余剰を増大させようとしてシステムを制御・駆動す るのが,主体あるいは私とよばれるエイジェントの機能である,と考えられる。

荷重差 W に同一化した主体ー私は,比較によって生まれる欠如=苦を回避し,余剰=楽を求め て運動を起し,あるいは意志を発現する一種の欲望マシーンとなる。しかも,このとき欲望マシ ーンを駆動する負圧,荷重差 W は私の一存で決めることはできない。自己 ( e g o ) の向う側には もうひとりの自己 ( t h ea l t e r  e g o ) がいて,両者が対になって差異を検出し,欠如の量を決定 する (w°=w;a‑W:b, W}= 叫b —叱)。ソシオンのダイアッドでは,相手との力関係次第で

余剰か欠如かが決まってくる。つまり「鏡像」に同一化するかぎり,人間の欲望は原理的に主体 をこえたところ,他者の方からやってくる(ジラール, 1 9 6 1 ) のである。

図 4 差異のシーソー

B  A 

さて,一対となった 2 個のソシオンがそれぞれの荷重差を増大しようと競いあうと,拮抗する それぞれの力の微妙なゆらぎによって,シーソーが上下に動くことになる。たとえば優っていた

A がのんびり余剰を楽しんでいるあいだに,欠如に苦しんでいた B が奮起すると.力関係が逆転 し.シーソーが反対に傾きはじめる。逆転されて欠如をかかえた A が負けじとさらに頑張ると,

下降にブレーキがかかっていずれシーソーはふたたび右あがりになっていくだろう

5)

5)宇宙飛行士がジェット銃をもってマジックミラーを見ながらシーソ_をしているような状態をイメージし ていただきたい。このシーソ_ゲームにおいては,他者の荷重も自身の鏡像もそれ自体を直接とらえるこ

とはできない。他者の姿は一種のマジックミラーを通してしか見えず〔 (Bb)•c:>B り,私自身の像もその

ミラーに映った自分の鏡像を介してしか捉えられない〔 (A り a c : : , A り 。 しかも, どの像も停止することな く,互いに他を映しながら(反対の方向に!)動いているのである。ちなみに,この種の文脈で自他の 2 人関係をもっとも鋭くとらえた思想家は J . ラカンであろう ( r e l a t i o nd u e l  :  対の関係=決闘の関係)。

‑ 6 ‑

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こうして,差異に連動して出力を制御する 2 個のソシオンによって,欲望のダイアッド・ゲー ムがはじまる。 この荷重差シーソーは容易なシーソーではない。荷重差の正負は, .  .  .  しばしば社 会的な生と死として象徴的に生きられる。たとえば運動会などで後ろから追い抜かれて半泣きに なるのは,単純に余剰に同一化した子どもが,荷重体として象徴的に「死」を体験するからであ る。追い上げてくる足音は間合いをつめてくる「死神」の足音であり, ついに追い抜かれた瞬 間,子どもは「地獄」へおちる。余剰域から欠如域ヘシーソーが落ちる瞬間は,差異に同一化し た「人間」が天国から地獄へ堕る瞬間,プラスの荷重としての私が「死ぬ」瞬間である。そして その逆は,マイナスの荷重=負の存在としての私が欠如の地獄からよみがえる復活の時である。

皿 シ ャ ド ー ・ オ ペ レ ー シ ョ ン

1 .   影の誕生

差異のシーソーにおいては,自己と他者は,符号の逆点によってたがいに変換可能な荷重体と なる。どちらかの荷重差を検出すれば,自己の荷重』月から他者の荷重 b w : を(あるいは逆に

他者の荷重から自己の荷重を),正負の符号の反転によって容易に導くことができる c . W : x (‑1) 

= ―町 = b W : ) 。他者と自己は原点をはさんだ 1 8 0 ° 変換によって,ちょうど(それぞれの「世

図 5

シャドー•オペレ_ション

5 a 悪口

+ 

5 c 高慢

+ 

‑ 7 ‑

5b 苦行

+ 

5d 称賛

+ 

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界」のなかで)「そちら」側と「こちら」側に相対する一対の荷重体となる。

この変換回路は,システムにとってきわめて経済的である。意識は自己あるいは他者の荷重の どちらか一方をモニターして, 必要なときに,それに i 2 自他変換をほどこして,他者から自己 を,あるいは自己から他者を,荷重(の変化量)として構成すれば十分だからだ。人間が他者を 見ているとき自分がよく見えず,自分を見ているとき他者がよく見えないのは,おそらくこの荷 重変換システムの設計による。

さてこのシステムでは,モニターが他者を指向していて,自己の表象が意識に現れなくても,

荷重そのものは他者の負量としてすでに誕生している,といった局面が考えられる。自己が荷重 として誕生しながら, 意識の照射をうけずに暗点にはいるフェイズがある, と仮定するのであ る。そのとき荷重ー自己は, 意識によってそれと気づかれないままに,こちら側にいわば他者の シャドーとして誕生する一種の無意識の存在となる。

人が他者の惨めさを見て自分の幸せを感じたり,他者をイジメて喜んだりするのは,私の荷重 が他者のシャドーとして誕生するこのメカニズムによると考えられる(図 5 a ) 。他者のみじめさ

(負性,欠如)の知覚(①)が,荷重の変換によって自己の幸福(正,余剰)を現に(しかしハ ッキリと気づかれないままに)生みだす(R)のである。

無垢な子どもたちがなぜ仲間をイジメるのか,普通の大人たちがなぜ他人の悪口を好むのか,

理想を求めて得られない求道者がなぜ他者を糾弾して止まないのか,といった人類の攻撃性の謎 .  .  .  .  .  .  .  . 

は,負性の他者を否定することによって他者でないところの者として自己を誕生させる無意識の シャドー・オペレーションによる可能性が高い

6)

ここで注意すべきなのは,かならずしもはじめに私が存在して他者を構成するのではない,と .  .  .  .  . 

いうことである。私が誕生するよりも先にまず「他者」が,とりわけ否定すべき他者が,発見さ れる,というよりつくりだされる。「負性」の他者を否定することによって, 反転した正の荷重 が私の側に到来する。欲動の荷重場においては,私は,他者の否定において,他者でナイところ の者として,否定された他者の影としてこちら側に秘かに誕生する。

2 .   影への供物

同様に,私を否定すること,私を責め苛むこと(図 5 b の①)は,他者性の荷重を超越的存在とし て向う側に生みだす(R)。たとえぱ,人類の行う数々の苦行や難行は,他者性のシャドーを生み 出そうとする涙ぐましい努力である。禁欲主義や自己犠牲の精神も,自己を責め自己を否定する ことによって,向う側に超越的な他者性(「聖なるもの」)を生みだそうとするシャドー・オペレ

6) この場合,ャッカイなことに,その「他者」は私の分身,私とひとつの集合をかたちづくる同類でなけれ ばならない。荷重表象体としての私は,私もそれでありうる他者の否定として,つまり他者の補彙合とし てやっと荷重空間において論理的に限定されるのである。なお,他者の否定において私が誕生する「排 除」あるいは「イケニエ」のメカニズムについては,すでに人類学に山口昌男などの先駆的な業績がある。

‑ 8 ‑

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ーションとして,合理的に理解可能となる。

ただ,シャドーである限り他者の荷重,他者の存在性は感じられても,他者の姿は目に見えな ぃ。意識の明るみで表象や記号にもやわれない荷重はゆらぎながら減衰するだろう。こうして,

かげっていく他者性を求めてふたたび自己否定が反復される。

しかもこのとき,その他者の他重の超越性,送り込まれた荷重の大きさは,私が身にこうむっ た苦難の量,負の荷重に比例する。「原罪」の教義は, その意味で卓越している。それは, 絶え ざる自己非難によって無限の他者性を不断に向こう側に送りだし,そのシャドー荷重を「神」と して祀る文字どおりの秘義である可能性が高い。

ちなみに,愛の基本的な働きが(しばしば失われつつあるものを)存在させようとする意志で あるとすれば,図5 a は,愛が櫓しみのシャドーとなっている場合として読むこともできる。自己 への不可能な愛は,他者への佃しみのシャドーとして生まれるかのようである。とくに「失われ たもの」が同胞である場合が問題である。もはやどのように存在させようと意志しても帰らない 分身への愛が,あたかもその原因者への憎しみによって証されるかのように,加害者への攻撃と 呪いが(愛の名において)反復され強化される。そこでは仇敵への憎しみがすでに不可能となっ た愛(のシャドー=死者の「霊」)に対する供物となっていることは明らかだ。

ところで逆に,高みで野放図に私を肯定すること,私の荷重の大きさを承認すること(①)は,

(論理的には)そのシャドーとして他者の荷重を減少させること(R)になるはずである(図 5 c ) 。じっさい,差異としての自尊心は,肥大するにつれて他者への(すくなくとも無意識的な)

侮りや蔑みの念をともなってくるように見える。他者への侮りは,差異に同一化した自尊心のシ ャドーである。

これに対し,他者を手放しで讃えること(図 5d の①)は,そのシャドーとして自分にたいす る貶め,一種の卑下(R)を結果する。主君にたいする臣下の低頭ぶりはその畏敬の影である。

偉大な師を前にした弟子たちのへりくだり様も師への尊敬のシャドーである。当人は,案外その 姿に気づいていないところがおもしろい。

以上は,自己が能動的に動いた場合のシャドーである。他者の方が能動的で自己が受け身にま わったときは,またちがった影が生まれる。たとえば5 a において,自ら意志することなく私の余 剰が増大したとしよう。こ 0) とき他者の側に生まれるシャドー=火如は,私のために他者が支払 った荷重つまり「犠牲」である。私の幸せの背後に,他人の犠牲 0) 彩を感じとってしまう人は,

まさにこのシャドー・オペレーションにさらされているといえる。もちろん,私の幸せを他者の

「お蔭」として索直にこのシャドーに!必謝を捧げることもできる。

逆に自ら意志などしていないにもかかわらず,私が欠如や危害を被むる場合もある ( 5 d の受動 形 ) 。 このときシャドー・オペレーションが起ると, 私の不幸を生みだした(はずの)邪悪な他 者性,他者の悪意がシャドーとして起ちあがる。未開人の呪術は,このシャドー(「悪霊」)を鎮め

るメタ・オペレーションと考えることができる。われわれも自分の不幸つまり幸福の欠如を他人

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関西大学「社会学部紀要」第 2 5 巻第 2 号

や排気ガスや権力のせいにするとき,似たようなシャドーを追っている可能性が強い。

要約しよう。シャドーとはじっさいにモニターされている荷重量の 1 8 0 ° 変換によって対極の象 限にうまれる無意識の(リアルクイムには気づかれていない)荷重である。他者もシャドーをも

ちうるし,自己もシャドーとなりうる。シャドーは,ちょうど意識の陰に生まれる無意識の影で あり,この「影」がある特定の他者(あるいは自己)のシニフィアン(名や顔,姿あるいは墓な ど)に投射されてもやわれたとき,「存在」となる。

N  '   . ノシオトロンの力学

1 .   シーソーのダイアグラム

自他が対になったシーソーゲームで荷重の増減するプロセスを 4 つの局面に分けて考えよう。

まず図 6 a をご覧いただきたい。 I は余剰が増大し, I I は余剰が減少する局面を表わしている。 I I I では欠如が増大し, I Vではその欠如が減少する。

このプロセスを状相ダイアグラムで表わしたのが図 6b である。 y 軸にソシオン A が同一視した 荷重差 (W=Wba‑W. 心を, 軸にその荷重差の変化率 ( dW  e l f ) をとる。

図 6b の軌道と,シーソーを描いた図 6 a の円とは意味するものがちがうことに注意されたい。図 6 a はたがいに相手との差異に同一化した自己と他者が対峙する様子をあらわしたものであるが,

図 6b は自己の荷重値とその変化速度をセットにして A の運動を空間的な移動として表わしたダ イアグラムである。点 X の位置は, ソシオン A の荷重 W(= W b a  ‑W a b ) とそれが変化する速度 d W  

d t   に対応している。 x 軸の右方は速度がプラスつまり変化が上向きで,右に行くほど変化つま り上昇のスビードがはやい。点 X が左にあるときは速度がマイナスつまり変化が下向きで,左に いくほど下降速度が速い。

図 6b は , ひとつの例として昇るよりも下るスピードの速いようなシーソーゲームをとりあえ ずおむすび状の軌跡として描いたものである。第 I 象限では余剰が増大するが(他者の奮起や自

図 6a シーソーのフェイズ

+ 

B  A 

図 6b 状相ダイアグラム

X(dW/dt,W)  dW/dt 

‑ 10‑

(12)

己の安心によって)増加の速度がにぶる。余剰が頂点に達した瞬間は,速度ゼロとなりシーソー は一瞬停止する。第 I I 象限で余剰は徐々に減少に向かい,その速度もはやくなる。第皿象限では 荷重値は欠如域に入るが(不安あるいは恐怖に陥った自己システムの出カアップによって)減少の スビードが鈍る。 y 軸上の最低点でやっと下降が止まり,第 w 象限ではシーソーは欠如の底から ゆっくり上昇に転じる。欠如分が減少しはじめ,最後は余剰化をめざして上昇のスビードが増す。

シーソーは A B 二個のソシオンの力の加え方や荷重バランスのあり方で,急激に上昇したり,

ゆっくり下降したり,いろんな動きをする。斜めの位置でとまることもあるかもしれない。点 X は,シーソーの運動にちょうど見あったかたちで,円軌道を描いたり,はみだしたり, らせんを 描いたりしながらこの状相空間上を移動することになる。

2 .   欲動の三角関数

便宜上,ソシオン A と B の荷重値が,検出された差異に連動してなめらかに増減する,と仮定 しよう。二人の乗ったシーソーは周期的に上下しながらなめらかな振動をくりかえすことにな る。このときソシオン A の荷重 W の値を時間軸上にプロットすると,図 7( の a) のようなサイ ンカープ ( W = s i n t ) に代表される振動曲線が得られる 。

グラフの上部が荷重差の値がプラスつまり余剰の存在を,下部がマイナスつまり欠如の存在を 表わしている。シーソーの上下に対応して余剰域から欠如域へ,また欠如域から余剰域へなめら かな軌跡を描いて荷重差つまり荷重差に同一視したソシオン A の存在感情が振動することにな る 。 A にとって余剰の存在は悦楽であり,欠如の存在は苦悩である。 •

興味ぶかいことに,この欠如と余剰の存在と,不快と快の感情がかならずしも同期しない。す なわち欠如の苦しみのなかでも快は生じうる。苦しみが減少するとき,たとえば痛みや苦悩や借 金が減少するとき,システムには安堵の感情が,さらには快の感覚が生まれる。また余剰のなか でも不快が生まれる。たとえば,所有や人気の減少は,まだ十分余剰があっても,しばしば不快 の念を,さらには不安の感情を生み出す。つまり快ー不快は,基本的に余剰と欠如の度合いでは .  .  . 

なくその量の変化率に関係する体験であると考えられる(ウェーバー=フェヒナーの法則)。

状態量と変化量の関係をみるために,図 7 b に,欠如と余剰のグラフ 7 a(W=sin t ) を微分し た グ ラ フ ( dW  可 =cos ) t を示した。 グラフに 7 a おける上り勾配の部分がその微分であるグラフ 7 b の正の頷域に,下り勾配が負の領域に対応する。変化量の方が状態量にたいしてちょうど g o o 位相がズレることになる。グラフから見てとれるように,快は欠如が減るか,あるいは余剰が増え ているときに発生し,不快は余剰が減少するか,あるいは欠如が増えていくフェイズで発生する。

7) もちろん,実際のダイアッド・ゲームでは振動曲線はもっと複雑なものになる。しかし,十分なめらかに 変化する曲線である限り, 変化率の正負にかかわる以下の議論は成立する。 (ただしシーソーは十分に長 いものとする。)もっとも多くの場合,微分したあとの波形は図 7 のように同型とはならずに部分的に「増 幅」されることになる(注1 5 のグラフを参照)。

‑ 1 1   ‑

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関西大学「社会学部紀要」第 2 5 巻第 2 号

7 a :   W=Wba‑Wab 

7 b :   d H 1 / d t  

7 c :   d2W/dt2 

7 d :   d3W/dt3 

すなわち快と不快の感情は,荷重の量ではなく変化率のモニター信号である,と考えられる。

欠如域でも快が発生するのはそのためであり,変化の速度が速いほどその快感の量も大きい。ま た,余剰に満ちていても,変化に恵まれなければ快感が生まれずに「退屈」が生まれる。ちなみ に,意識に一次的に与えられるのはこの変化率の方で,(図 7a の)荷重量はそれを積分すること によって二次的に構成される,ということもありうる。

3 .   他者の位相

このグラフ 7b をさらに微分して荷重変化の加速度をもとめてみる。図 7 c がそれである。おも しろいことに, ここでも快不快のフェーズに先駆けて 9 0 度位相のズレた力が現れる。 7b の上り 勾配に対応する正の部分は,不快を減らし快を増大しようとする力が働いていることを表わして いる。私見では, この力こそ, 生命システムとしての自己の意志,「快感原則」の発動そのもの として解釈できるように思われる。

逆に,下り勾配に対応して,快の量を減少させ,不快の量を増大しようとする力(グラフ 7 c の

‑ 1 2   ‑

(14)

負の部分)が現れる。自己の生命意志は自身の不快を増大しようと意欲することは(ふつうの条 件では)ありえない。である以上,これは論理的には他者の「意志」としてとらえることが合理 的である。言いかえると,そのような負の荷重変化が起きたときは,なにか他者性の意志が作用 していることを疑うことが,それなりに合理的でありうる。欠如感が増大した時(つまりご機嫌 が悪い時), 人がよく他人に当たるのは, たぶんこの微分回路が他者性の意思を検出したからで ある。その現実適合性はともかく,荷重システムにとって「他者」とは,まず第一に自己の快を 減少させ不快を増大させようとする「力」(加速度)として検出され, そのような意志として構 成される,と考えられる。

なお,私が意志も努力もしていないのに,快感が増大するということも起こりうる。このよう な私の意志(出力)によらない快の増大あるいは不快の減少は,同じ他者性でも私を助け,私に 恵みをもたらすプラスの他者性として構成されるだろう。子どもにとっての母や,その親にとっ ての「仏」がその一例である。自己の力によらずに願いがかなえられたときはもちろん,期せず してよろこばしさに恵まれときなど人はだれかに感謝したい気持ちになるが,その「だれか」が このプラスの他者性(「他力」?)である。正か負か,仏か鬼かおおきなちがいがあるが,いずれ にしても「他者」は,ソシオンの荷重制御回路において自己の荷重変化の 2 階微分として構成さ れている可能性が高い 8 ) 。

いまいちど微分したい。図 7d である。正の領域分は,他者性の意志が減少し,自己性の意志が 増大することに対応している。他者の意志を減らして自己の意志を増やそうとするこの力は,支 配あるいは権力意志とよばれるものに対応しているのではないだろうか。それはまさに他者の抵 抗を打ち砕き自分の意志を押しとおそうとする運動だからである。これに対して,ちょうど自己 の意志が減少し他者の意志が増大するフェイズがある(グラフ 7d の負の部分)。そこでは他者の 意志を容れて自分の意志を曲げようとする運動が起きていると考えることができる。いわゆる従

8) 荷重差の変化量が自己性あるいは他者性として体験される, という仮説は意外な思考の冒険へ導く。当初 図 1 でシーソーのエ軸を自己と他者の座として位置づけたが, そのとき自他の位置を固定して荷重の増 減をタンジェントのグラフとしない根拠について,筆者はあいまいなままであった。

ここでもし,他者「性」も自己「性」も荷重変化量の 2 階微分として検出構成される(モデル図では自 が W

他の荷重差 W =s i n   t の2 階微分――=‑sin d t 2   t がプラスは自己性, マイナスは他者性)とすると.

軸に,ひいてはシーソーを円で表現することに意外な意味が出現する。すなわち, シーソーが上昇するに つれて他者性の感覚が強まり,頂点で(「向う側」へ!)他者性が最大化することになる。至福のエクス タシーが限りなき他者性への不可能な接近として夢見られるのは, この荷重オペレーター(ソシオトロ ン)の位相構造に起因する理論的可能性がある。

もうひとつ。 もし荷重波の 2 階微分が自他を分別・差異化する意識性だとすれば, 荷重自体の変化量 ... 

(振幅)は小さくても,変化そのものが急激ならば,これを (2 回も!)微分した波の振幅は極めて大き く増幅されうる。これは,荷重差が開いている時(階級社会)よりも接近している時(ユートピア)の方 が,自他を峻別するシャープな意識性が発生することを(戦慄的に!)予言している。(注1 5 の図2 1 と「熱 死のユートピア」をめぐる議論を参照。)

‑ 1 3   ‑

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関西大学「社会学部紀要』第 2 5 巻第 2 号

属あるいは依存といった現象はこの次元で発生する運動であると見ることができよう。

最後に,この 3 階微分において,私の荷重がシャドー化して,意識がひたすら他者を指向して いる場合を考える。 このとき, (私の支配意志を影にして)向こう側に生まれる他者への否定的 指向性が,おそらく「攻撃性」あるいは憎しみとよばれる感情である。逆に,私の従属意志をシ ャドーにして,彼岸の明るみに他者性の荷重の増大を指向するのが,愛あるいは「献身」とよば れる精神の運動であるように思われる。

愛は確かに,他者のために私の死をめざす私の自由意志であるが,理論的にその「影」として 従属と依存の運動をともなうことが興味ぶかい。君臣の支配服従関係がしばしば愛のモードで生 きられ(「忠臣蔵」), 逆に愛が支配と服従のことばで語られる(「あなた好みの女になるわ」)の には, それなりの合理的根拠がありそうである。 どちらも自他の二重の意志を「ひとつ」にす る,あるいはひとつに成ることを目指す(本来のエロス的)運動である,という点で同じなのだ。

4 .   欠如の管理

整理のために図 8に,余剰一欠如(楽一苦),快ー不快, 自性ー他性, 支配ー服従と位相が先 駆けしてズレていく様を表示した。このような位相がズレてくるのは,意志や加速度のように変 化を誘導する力 9 ) は,状態の変化に先駆けて発動されるからである。

余剰と欠如のグラフ図 8a と加速度(意思)のグラフ 8 c をごらんいただきたい。 g o o づつ位相 がズレた結果,ふたつのグラフはちょうど1 8 0 °位相がくいちがっている。つまり,自己の運動意 志は状態荷重の欠如領域にあらわれ,他者性の意志は余剰領域に定位していることがわかる。じ っさい,自己性の意志は欠如領域で賦活されてこそ意味がある。欠如の増大が死にいたる恐怖の 勾配であるとすれば,増大する欠如にプレーキをかけ,できれば負圧が減少するよう出力系のパ

ワーを上げることが,制御主体に課せられた最重要課題だからである。

主体ー私は, 欠如の管理人として,つねに負圧の領域に出現する。他者はこれと逆に余剰の享 受者として1 8 0 °向う側に投射される。意識ー私がつねに自己とその場所(此岸)を空虚, 欠如と して意識し,他者のいる場所(彼岸あるいは「となりの芝生」)を楽園, 充溢として欲望するの は,(ソシオンの理論によれば)この位相のズレに起因している。

d W が W

9) もちろんこの力は物理的な「力」ではない。あくまで荷重量の変化率 d t を変化させる要因 7 戸 の 大 きさを意味している。たとえば,正と負の圧力状態(ストック W) をもちうるタンクがあるとして,これ

に流入あるいは流出するフロー(合~)を制御するバルブの開度がちょうどこの弓:r に相当する。バル

ブを閉めはじめても流れはすぐには逆流しないように,実際のシステムでは,バルプの開閉とフローの増 減とストックの増減とのあいだに時間的なズレが生まれる。

ちなみに,行動システムとしては,ストック量をモニクーするか,フローをモニターするか,あるいはま たバルプの開度をモニターするかで, とうぜん意識の様相や機能のあり様が変わってくるだろう。中井久 夫の「兆候僅位」の微分型認知回路と積分型認知回路の区別は,精神のシステム楕築戦略と(したがって その破綻としての精神病理と)からんで重大な問題を提起しているが,その追跡はまた後の課題である。

‑ 14‑

(16)

図 8 位相のス レと作用カ

+ 

+  + 

dW/dt 

+ 

8b 快と不快 8c  自と他 8d 愛と憎

図 9 微分のフローチャート

B~~ □ 三 → □ □ ~

減~ 減~ 減 〉 く

ロ ・ ロ □ □ □

整理のために,荷重の増加と減少の流れ図をチャートにして示した(図 9) 。増加分あるいは減 少分を順次検出していくことによって析出されてくる要因,つまり変化を規定する力の階層を表 わしている。矢印を逆にしてみると,時間的に先駆けた意思や感情が目指す目的状態の方向性が 現われる。意識の指向それじたいとしては, 支配意志は自己を, 自己は快を, 快は余剰をめざ

し,そこに自身をたたみこもうとする,と考えられる。

これまでのわれわれの探求は,ソシオンの個体=ヒトの脳には,荷童差とその変化率を検出す ることによって「他者」を構成する機能ユニットが回路的に与えられていることを強く暗示して いる。「荷重差微分出力制御回路」とでもよぶべきこの機能ユニットを, 以下ソシオンにちなん

‑ 1 5  ‑

(17)

関西大学『社会学部紀要』第 2 5 巻第 2 号 で「ソシオトロン s o c i o t r o n 」とよぶことにしたい。

v  欲動の論理 1 .   差異の対称変換

人間は知覚した他者の荷重状態を自己のシステムにおいて擬似的に体験することができる。悲 しみにうちひしがれて泣いている隣人や俳優の姿をみて泣けてきたりするのはその一例である。

「エンパシー」とよばれるこの現象は,・知覚された他者の状態が自他未分化のまま荷重的に体験 される現象と考えられる。

この「エンパシー」(あるいは「つりこみ同一化」)の現象は,フッと「我に帰る」といったか たちで何かの拍子に解除される。そして,意識のモニターが自己の荷重状態へと復帰したそのと き,ただ目にはいっただけにすぎない他者とのあいだに一瞬「差異」が検出される。そして,こ のとき,その差異の知覚によって,自己システムに余剰あるいは欠如の感覚,つまり欲望の運動 が芽生える。ここで注意しなければならないのは,たがいになにかを競い合って勝敗を争ってい るわけでもないのに,• あるいはまた直接「鏡像」をかざされたわけでもないのに,ただ我に帰っ たというだけで,まるで「夢」からさめたのが罪であるかのように,ー自己システムに欠如(や余 剰)が到来するという点である。

本稿では,この比較を可能にするメカニズムは, y 軸をはさんで自他を対称に変換する操作

( 図 1 0 の y 対称変換)にある,と仮定する。この対称変換によって,無関係な他者との間で欠如 や余剰が検出され,そこから模倣の欲望をはじめ羨望や憐憫などのさまざまな人間的感情が発生 する,と考えることができる。

まず図 10a をご覧いただきたい。左の点 b が(私の見た)他者の荷重値 w 、 bを , 右の点 a が

(私の見ている)自己の荷重値 W 、、を表わしているとしよう。 もし A が B の状態と同等であろ うとするならば,図の破線で示した b ' の位置に A の荷重値はあるのでなければならない。つま り , Aは荷重差 1 : i ' ‑ a を自分に到来した欠如 ( W , ; a‑Wab<O) としてひき受けることになる。

この欠如は,荷重差に同一化しているかぎり, A に欲望を発生させるだろう。

ここで,もし y 軸に対称な変換によって折り返した他者の荷重値 b ' が A の固有(といっても 差異からくるが)荷重値 a よりも低い (Waa‑Wab>O) とすると, こんどは Al こ余剰 a‑b' が 発生する(図 10b) 。これが比較による優越感の発生であると考えられる。なお, この差異は,

鏡像(私 I l ) ではなく自己像(私皿)とのあいだで検出されるこに注意してほしい。図のシーソ ーが折れたかたちになっているのはそのためである。

2 .   欠如の愛

欠如が発生した場合,その埋めかた,.解消の仕方にはふたとおりの仕方がある(図1 0a) 。ひと

‑ 1 6   ‑

(18)

図 1 0 y 対 称 変 換

y+  y+ 

lQa  羨望

y+ 

自 他

自 他

1 0 b 友愛

y+ 

自 自

l O c   意地悪 1 0 d 傘地蔵

つは, 自分の力で私の荷重値 a を優越した他者の位置 b ' まで引きあげることである(①)。 も うひとつは, 他者を私の位置 a ' まで引き下げることである(⑨)。前者は他者をよきライバル として自分を向上させようとする欲望の「努力」 ( d W .

/dt>O) や「負けずぎらい」のふんばり に対応し,後者は他人の足をひっぱって自分と同じ位置まで引き下ろす「意地悪」や「嫉妬」と いったタイプの負性の運動 (dWab/dt<O) に対応する。 どちらの欲望も, 自他の荷重の対称性 を実現しようとする平等あるいは同等性についての信念や思い込み (I Waa‑Wabl →  0 ) によっ てもたらされる。

私の荷重値が他者より上位にある場合を図 10b に示した。私の側への折り返しによって発生し たプラスの荷重差は,一般に私に優越のよろこびをもたらすと考えられる。しかし,同等性の信 念あるいは対称化の志向が作用すると,他者が,私の優越した荷重の折り返しによって突然欠如 a'‑b を被ることになる。この私の優越のもとで構成された他者の欠如の知覚が私のなかで生ま れる「気の毒」あるいは即自的な「あわれ」の感情であると考えられる。

多少苦痛をともなうこの知覚は, 「気の毒」の元となっているその欠如を無くしようとする心 の運動を引き起こす。目をそむけたりして他者ごと欠如を視野から消失させるという方法もあり

‑ 1 7  ‑

(19)

関西大学「社会学部紀要」第 2 5 巻第 2 号

うるが,とりあえずは,なんとかその欠如が満たされることを願う内而の運動,素朴な同情が発 生する(①, dWab/dt>O) と考えたい。そして, この憐れみの気持ちに誘導されて, 自分のカ を割いて他者を欠如(と自己がみなす)状態から助け上げようとする救援や贈与といった現実的 な行動が解発される ( d W .

/ d t > O , dWaaldt<O) と見ることができる。

優越した自己との比較によって生まれるこの他者の欠如は,援助や贈与といったかたちをとら なくても, 単純に自己の荷重を減らす ( d W a a l d t < o . dWabldt=O) ことでも埋めることができ る。他者のまえで自己の余剰を放棄しようとする「謙遜」あるいは「つつしみ」の運動 (10b の

②)がこれである。それによって他者自身の欠如=苦しみが減るというわけではないが(もとも と他者のなにかを盗ったわけではない,という点がこの比較による欠如発生のポイントである),

「つつしみ」は時に,こちらの「気が済む」だけのことにすぎない「同情」の援助や贈り物より も,深い愛の表現でありうる。なお,贈与や救済として表われる同情の愛が, 「優れた私」すく なくとも「やさしい私」というシャドーを生みやすいのに対し, 「つつしみ」の愛は,他者の欠 如にたいする「悲しみ」のシャドーのようなものをたたえつづける(「慈悲」)性質があるように 思われる点も興味ぶかい 1 0 ) 。

負の荷重領域における y 対称変換を図 1 0 C と 10d に示した。負の領域であっても, 10a, bと 同じ思考実験が適用できる。 1 0 C では,大きな欠如を被っている私が, ヨリ少ない他者の欠如を 羨むというかたちで欲望が生まれる。囚人が懲役くらべをするようなものである。自分よりマシ な欠如をもつ他者を自分と同列の欠如ラインまで引き下ろしてもこの欠如は解消する。不良が足 を洗おうとする仲間の足をひっぱたりするのは, こうした機制がはたらいているのかもしれな い。なお理論的には,自己の向上の可能性が断たれているとき, y 軸変換で対称化オペレーショ ンに晒されると,他者の荷重を自分と同じ欠如の位置へ引きおろすという仕方でしか平等化は達 成されない。

1 0 ) 所有や賞賛のように, しようとおもえば分有できる荷重資源と,美貌や才能のように与えることのできな い余剰が存在することを忘れてはならない。

そもそも「同情」自体こちらの勝手な y 対称変換によっておこるものであるし,「与える」ことで(そ の与えたものが役にたってもたたなくても)「気の毒」の毒性が解消してしまうことが多い。「つつしみ」

の平等主義は, (他者の欠如を擬娩のように引き受ける「共苦」と同じように)それによって他者自身の 苦しみが減るというわけではないが, しかし, 「見せる」ことによって他者にうまれる荷重差=欠如を生 じさせることはないし,すくなくともこちらに発生する余剰=優越感を味わおうとする「ひけらかし」の 態度とはまったく対照的なこころの運動である ( 2 5 ページのキュープを参照)。

ちなみに,私見によれば, 「羞恥」の核心は「私」の姿や荷重(評価)へのタマシイの「宿りのためら い」(「同一化の振動」木村1 9 9 2 a )にある。「つつましさ」はよく「含羞」の表情をともなうが,それは自 己の余剰分への「宿りのためらい」の表現である, と解釈できる。「恵まれない」(と私が考えた)人への 贈り物や援助が, しばしば「やさしい私」のディスプレイともなることが,本来やさしい, しかしはにか みがちな若者をして老人に席を譲りにくくしている本当の理由だろう。なお「羞恥」と「自己主張」の対 照がもつ社会学的・文明論的含意については作田啓ー1 9 9 0 を参照されたい。

‑ 18‑

(20)

10d は逆に,不幸な他者を目撃したあと,他者ほど欠如していない自己を見出して安堵すると いう事態を表わしている。 b ' ‑ ・ a が,より不幸な他人を見たあと,それよりマシなわが身をふり 返ったときに生じる「幸福」(シャーデンフロイデ)の量に対応する。

もちろん,自己よりもさらに欠如している他者を見て,乏しい(相対的)余剰を分かち与える

(「傘地蔵」) こともありうる。あるいはその乏しさそれ自体を等しく分かちあう(「同病あい憐 れむ」?)といったかたちで対称化が実現される場合もあるかもしれない。

3 .   欲望の正義

対称変換は,自と他のあいだだけでなく,時間をずらせば自と自,他と他のあいだにもはたら く。図 1 1 に夕軸についての対称変換を示した。これは自他それぞれについて独立に欠如と余剰の バランスをとる変換論理であり,支払った代価に見合った代償を求めるロジックでもある。私が 忍んだ労苦にちょうど見合うだけの悦楽が報われてしかるべきだ,という(それ自体かならずし も合理性のない)お馴染みの因果応報の論理がこれに相当する。あるいは,他人はこれまであん なに楽をしてきたのだから,これからはそのぶん苦労をしてもらおう,といった奇妙な押しつけ の論理もこの変換によって生まれると考えることができる。

図 1 1 ズ対称変換

+ 

図 1 2 か 変 換

+ 

他 自

他 自

なお,この世の苦労が「あの世」で報われる,という救済論理は,この対称変換を見届けられ ない死後の世界にまで延長した結果である。逆の方向に延長すると,この世の苦しみを「前世」

の悪行のつぐないと見るカースト論理が生まれる。

軸変換に y 軸変換を加えて自他を交差させる(図 1 2 ) と,行動の原因と結果を結びつける(因 果性や目的性の)論理図式(図 1 3 ) を構成することができる。そこから欲望を誘導するいくつか の動機づけのロジック,あるいは自他関係を制御する互酬性の論理パクーンが導びかれる。

最初に他者が何かを得た,としよう(図1 3 a) 。狭義の欲望は,「他者が得たもの」』他+(t‑1) を(私がそのために失ったわけでないにもかかわらず)「私も得るべきもの」 4 自 十(t+l) として 立てる (y 1) 。あるいは,「私が失ったもの」 4 自 ‑(t‑1) (じつは比較によって勝手に抱え込んだ

‑ 1 9  ‑

(21)

関西大学「社会学部紀要』第 2 5 巻第 2 号 図 1 3 a 欲望の正義

s ,  

虞(他者が得たもの) = ド △自―(私が失ったもの)

! Y I   X  l Y 2  

犀(私が面w石戸]==号~,LI他―(他者が失うぺきもの)

s :  シャドー(原点対称)変換, y:y 軸対称変換, x:x 軸対称変換

欠如)は,「他者も失うべきだ」 4 他 ― ( t + l ) と考えることもできる (y 2 ' 一種の復讐の論理)。

上は「欲張り爺さん」の論理,下は「意地悪ばあさん」の論理で,どちらも確かに平等化する。

「他者が得たもの」 4 他+が私の場所でシャドー化すると, あたかもそれが「自分が失ったも の 」 4 自―であるかのように錯覚される。これが, 上部の水平の矢印線 ( s 1 )で表した「ひがみ」

の発生する理由である。逆に「自分が失ったもの」 4 自ーを「他者が得たもの」 4 他+であるかの ように他者の場所で錯覚するのが「ねたみ」である ( s 2 ) と考えられる。

これらのひがみ/ねたみが時間軸上で対称化されると,より攻撃的なベクトルをもつ奪取ある いは破壊の運動が現れる。いわゆる「そねみ」の感情はそのひとつだろう。そこでは「私が得る べきもの」 4 自+が, あたかも「他者が失うべきもの」 4 他―であるかのようにシャドー・オペレ ーションによって錯覚されている。 この錯覚は破壊行為 ( s 3 )を正当化する。逆に「他者が失う べきもの」 4 他―が「私が得るべきもの」 4 自→・に見えてくると, 人は略奪に走る ( S 4 ) だろう。

じっさい,暴徒や復讐の鬼になった人は,その時点ではすくなくとも略奪や破壊行動を(欲動の 論理によって)正当なものと思い込んでいるふしがある。

なお, 対角線は, すでにのべた合理的計算としての対称化(図 1 1 の X 軸への対象変換)であ る。「私が失ったもの」は当然「私が得るべきもの」であるとする自己回復の論理(功),逆に

「他者が得たもの」は「他者が失うべきである」という他者剥奪の論理 ( x か がある。不当な 獲得を罰して原状の回復を行う裁判の論理は,この 2 つの総合である。

4 .   愛の計量

図 13b に,初期条件として私に余剰分が存在するばあいの対称化の論理のパターンを表わした。

「私が得たもの」 4 自 十(t‑l)は「他者も得るべきである」 4 他十(t+l), というポジティプな獲得 への平等主義 ( y , ) と,「他者が失ったもの」』他一 (t‑l) は「私も失うべきである」 4 自 一( t + l ) ,

という喪失あるいは放棄の平等主義 ( y z ) のふたつが代表的な変換論理である。私が得たものを 是非あなたにも得てほしいと願う「友情」が前者の典型であろう。私の獲得を元手に他者の獲得 を誘導する資本主義的投資などもその一例かもしれない。

これに対し,後者は「あなたが行かないなら私も行かない」という欠如の友愛のロジックであ る。あるいは,あなたが失った大切なものを私も等しく放棄します,という贖罪の論理もこれに

‑ 2 0  ‑

(22)

図 1 3 b 愛のロジック

叫(私が得たもの) l 

C→ 

SI 

△自―(他者が失ったもの)

Y I   > < "    j Y z  

I △町(他者が得るぺきもの)ド==号==斗 △他―(私が失うぺきもの)

あたる。ふたつの論理がセットで働くと,得るものも失うものも自他のあいだで等量であること を望ましいと考えるいわゆる「互酬性 ( r e c i p r o c i t y ) の規範」が成立する。

他に,「私が得たもの」 4 自+を「他者が失ったもの」 4 他ーとしてシャドー化すると,私に恵ま れた余剰を他者の収奪の所産と見て(当たっているかどうかは別問題である)自分の胸を傷める

「疾しさ」 C s 1 ) あるいは「負い目」 C s 2 ) のオペレーションが生まれる。

他者の幸せつまり「他者が得るべきもの」』他+を,なによりも私が与えるべきものつまり「私 が失うべきもの」 4自ーとしてとらえがちな自己犠牲的「愛」の論理 ( s a ) は , この過去 (t‑1) のシャドー(「負い目」)を未来 (t+1) のシャドーヘ変換投射しているのかもしれない。いう までもなく, 「私が失うべきもの」 4 自ーを「他者が得るべきもの」 4 他+へと変換する ( s 4 ) のが ほかならぬ贈与の論理である。

対角線のロジックは, 軸の対称変換による計算合理性を自己あるいは他者について適用した もの(な心である。ふつうの愛の贈与は,他者は不足を得るべきであり,私は余剰を失ってもい ぃ,というこのふたつの論理が交錯する最適点で,その合理性が計られる,といえるだろう 11) 。

5 .   嘲笑とユーモア

ここでユーモアと嘲笑のメカニズムについてふれておきたい。ソシオン理論における「荷重」

のもっとも厳密で端的な定義は, 「笑い」によって飛ぶもの, 笑いのメカニズムによって無化さ れるもの 1 2 ) だからである。

1 1 )以上みた ソシオトロン のロジックチャートは,遺産相続や戦争のようなゼロサムゲームでは一定の有 効性をもちうるかもしれない。しかし協力と交換による生産をふくめて,愛や信頼のような非ゼロサム資 源が問題であるときは, いかにも的はずれな推論や感情を生み出しかねないプリミテイプなシロモノであ る。人類に自他を分別させて社会を構成することを可能にしたソシオトロンの血なまぐさいパワーの秘密 は,この原始性にあるのかもしれない。

1 2 )かつて筆者が「笑いの統一理論」において,図式を駆動する「賦活出力」,「カセクシス・エネルギー(ボ テンシャル)」とよんだものが本稿の「荷重」に相当する。「笑いとは, ( 1 ) 通常両議的もしくは非一義的パ ターンの同化をめぐって図式の作動回路に生じるある種のスイッチンク 'm 象を引き金にして, ( 2 ) 一瞬作動 図式が賦活信号出力系から脱離する一時的な負荷脱離の回路現象であり, ( 3 ) これは余剰出力の放出を通じ て愉快感を生み出すと同時に, ( 4 ) 作動中の図式に急激なデカセクシスを引き起こして,その図式について 体験されていた現象学的リアリティを生理学的にキャンセルする。」(木村 1 9 8 3 ) 。「余剰エネルギーの放 出」を笑いの核心と見たのはハーバート・スペンサーである。彼は大から小へのズレさがり d e s c e n d i n g

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(23)

関西大学『社会学部紀要」第25 巻第 2 号

嘲笑のメカニズムはきわめて単純である。図 14a をごらんいただきたい。たとえば他者の荷重 が,なにかの失態などで b から b ' へ下落したとする。このとき他者の荷重を下落した位置 b ' に フィックスすると, b‑b' が余剰荷重となる。一般に,急激に余剰化した荷重は笑いや微笑とし て放出される。他者の失敗や愚かさを目撃したときの笑いの源泉,嘲笑のポテンシャルとなるの はこの下落の余剰である。

なお, 他者の荷重の下落は,そのシャドーとして, 私に相対的な優越 a'‑a をもたらすだろ う。単なる嘲りにまじって浮かぶ勝ち誇ったような笑いは,唐突に私の側にやってきたこの余剰 (@)の影である,と考えることができる。嘲りの笑いが,しばしば気づかれずに顔にでる不自由 で虚ろな勝利の笑いであるのは,他者の下落によって生まれた私のシャドーが笑う笑いだからで ある。

これに対し,ューモアの笑い ( 1 4b) においては,他者の荷重が失墜した位置に固定されること はない(①)。嘲笑する精神は差異のシーソーに呪縛されたままであるが,ューモアの笑いは底が 抜けている。つまり,ユーモアはシャドーをもたない。一瞬のすき間をついたユーモアでシーソ ーの歯止めがはずれ,フリーになった荷重出力系(ソシオトロン)は,自由振動を起しながら余 剰出力を日なたに放出する。ユーモアにおいては,余剰の波動のなかで自も他も分極性を失い,

図 1 4 嘲笑とユーモア

+  + 

1 4 a 嘲笑 1 4 b   ユーモア

i n c o n g r u i t y 」を「笑い」とし,小から大への「ズレ上がり a s c e n d i n g i n c o n g r u i t y 」を「驚き」と考 えた。 これは, 「心的エネルギーの節約」を機知の核心とするフロイトの理論にひきつがれている。ちな みに,「突然の優越」に笑いの本質を見たホップスなどはいうにおよばず,「社会的制裁」を中心に笑いを 捉えたベルグソンの議論も,ユーモアの核心をそらしている。これにたいし突然「無に期した予期」に笑 いの核心をみたカントの洞察はさすがである。近くは, 「異元結合 b i s o c i a t i o n 」の概念を提起した A. ヶ ストラー(『創造活動の理論』), それに「価値無化」を笑いの重要な機能と見たアルフレット・スターン

(『笑いと涙の哲学』)の理論と梅原猛(『笑いの構造』)の仕事が重要である。ちなみに, 上記の「笑いの 統一理論」なしに,この「荷重」概念が, したがって本稿の理論が着想されることはおそらくなかったで あろう。

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図 8 位相のス レと作用カ w  +  m  +  +  dW/dt  +  8b 快と不快 8c  自と他 8d 愛と憎 図 9 微分のフローチャート B~~  □三 → □ □ ~  エ 減~ 減~ 減 〉 く ロ ・ ロ □戸 □言 □ □ 整理のために,荷重の増加と減少の流れ図をチャートにして示した(図 9) 。増加分あるいは減 少分を順次検出していくことによって析出されてくる要因,つまり変化を規定する力の階層を表 わしている。矢印を逆にしてみると,時間的に先駆けた意思や感情が目指す目的状態の方向
図 1 0 y 対 称 変 換 y+  y+  他 lQa  羨望 y+  他 自 他 自 他 1 0 b 友愛y+  自自 l O c  意地悪 1 0 d 傘地蔵 つは, 自分の力で私の荷重値 a を優越した他者の位置 b ' まで引きあげることである(①)。 も うひとつは, 他者を私の位置 a ' まで引き下げることである(⑨)。前者は他者をよきライバル として自分を向上させようとする欲望の「努力」 ( d W .心 /dt&gt;O) や「負けずぎらい」のふんばり に対応し,後者は他人の足をひっぱ
図 1 3 b 愛のロジック 叫(私が得たもの) l C→  SI  ご △自―(他者が失ったもの) j  Y I  &gt; &lt;&#34;  I  j Y z  I △町(他者が得るぺきもの)ド==号==斗 △他―(私が失うぺきもの) あたる。ふたつの論理がセットで働くと,得るものも失うものも自他のあいだで等量であること を望ましいと考えるいわゆる「互酬性 ( r e c i p r o c i t y ) の規範」が成立する。 他に,「私が得たもの」 4 自+を「他者が失ったもの」 4 他ーとして
図 1 5 感情のカテゴリー ライスして 1 次元縮減すると,ふたつの軸(パラメーター)が交差するおなじみの 4 項分類表が 6 組現れる(展開図)。図 1 5 は,基本的には 2 項対立による「分類」のためのカテゴリーモデルで あって,実際の感情を「動き」を含めて記述するには単純にすぎる。そこで欠如の量や変化速度 の大きさに応じて色合いが変わる感情を動きをふくめて多少ダイナミックに表現できるように構 成しなおしたのが図 1 6 のキューブである。 まず 2 7 頁図 1 7 の座標軸をご覧いただきたい。表
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