精神障害者とホームレス問題
一 一
1960年以前の東京における「細民」・
「浮浪者」調査を中心に一一
橋 本 明
1
.はじめに
これまでの精神障害者に対する処遇は,医療・福祉・保健の連携の中で,薬 物治療・集団療法などを背景にしながら,いかに就労に向けた「社会復帰」と
いうルートに精神障害者を乗せるかということに焦点があったと言えよう
O「退院→デイケア→作業所→職親→一般就労」という図式の是非はさておき,
多少なりともこのような社会復帰の「段階モデル」を,当面の処遇方針にして いるのが現場に共通している感覚ではなかろうか。だが現在,この「段階モデ ル」は現場サイドの処遇理念の変化ではなく,むしろ急速な社会的環境の変化 によって,崩れかけてきている。
1)首都圏ではここ数年来のいわゆる「東京集中」により,生活環境の悪化など の都市問題がより顕在化している。特に地価の高騰は,市民生活や都市整備の 面などに多大の問題をもたらした
oZ)これに伴って,精神障害者の生活も困難 な状況に直面している
Oそれは,まさに経済的・社会的な困難性であり,従来 から言われている「精神」障害であるが故の生活上の困難
3)とは別の問題で ある
O今日, i 社会復帰」について議論する以上に,精神障害者の生活基盤の 整備を正面から見据える必要に迫られていると言えよう。
その中で特に切迫しているのが,単身者の住宅問題である。既に述べた地価
高騰により,適正な家賃水準の賃貸住宅の供給が不足しており
4)とりわけ生
活保護を受給しながら地域で暮らそうとする精神障害者の住宅確保は醸住となっ ている
O5)この現象とリンクするかのように,救護施設・更生施設といった保護施設に おいて,入所者のうちで精神障害者の占める割合が増加傾向にある
06)引き取 る家族もなく,経済的に自立困難で, しかも行き場のない精神障害者は,文字 通りのホームレス
(homeless)ではないにしても, I潜在的」なホームレスの 人々として今後の動向が注目される。
ところで,アメリカの大都市ではホームレスについては早くから社会問題化 しているが,このホームレス人口は増え続けていると言われ,最近はマスコミ での報道も目立ってきている
07)同時にさまざまな調査が行われており,ホー ムレスの人々の多くは精神疾患と関わりが深いと指摘されている
OB)その背景 のーっとして,
1960年代および1
970年代の急速な脱施設化
Cdeinstitutionali‑ zation)により,大量の精神障害者が病院より退院する一方で,地域における受け皿が不足していたために,多くの障害者が街を浮浪することになったとも 言われている
09)さて,わが国の現状では,ホームレス問題に関する資料は極めて乏しく,主 として保護施設を通じてこの問題を把握する他ない。確かに戦前および戦争直 後の東京を中心に,
I細民
JI浮浪者」の調査はいくつか実施されている
Oしか し,その後の高度経済成長期を経て,
I浮浪者
Jへの行政あるいは研究者の関 心は急速に衰えていったためか,
I浮浪者」に関する報告はそれ以後ほとんど 途絶えている。だが,それは,わが国におけるホームレス問題が消滅したこと を意味するものではない。ホームレス問題の質は時代とともに変化しており,
むしろ複雑性・困難性を増しているとも考えられる f
そこで本論文は,現代における精神障害者のホームレス問題を検討しその
対策を摸索するための基礎的作業として,
1960年以前に東京で実施された「細
民
JI浮浪者」の調査を再検討し,さらに社会福祉領域の中での精神障害者の
捉えられ方および処遇理念を明らかにしようとするものである
oll. 過去の資料に見られる精神障害者とホームレス問題
ホームレス問題を考える際には,文字通り「街を俳個する浮浪者
Jを扱うだ けでは十分とは言えない。実際,極貧層の中で「定居者」と「不定居者」との 間に,明確な線を引くことは困難であり,
I定住者」であっても「浮浪」する 危険性は常に高い。
11)そこで,ホームレスの範囲として「浮浪者」に定居的
「細民」を加え,このホームレスを対象にして東京で実施された調査の中から,
精神障害者についての記述のある代表的な資料をいくつか選び,実際の調査内 容を記述しながら,比較検討してみた
L、。検討する資料は次の
8つで、ある
O1) W
都市改良参考資料[明治
45年細民調査解説
JJI2)(発表年:大正
4年)
2) W細民集園地匿調査』叫(大正
12年)
3) W
浮浪者及残食物に関する調査』川(大正
12年)
4) W浮浪者に関する調査
J15)(大正
15年)
5)
W~浮浪者に関する調査』同(昭和 4 年)
6) I
東京市内浮浪者及び乞食の精神醤撃的調査」川(昭和
17年)
7) I浮浪者の社会精神医学的調査研究」同(昭和
34年)
8) I
都市浮浪者の精神医学的研究」同(昭和3
5年)
さて,調査の性格は時代を反映しており
3つの区分に分けて述べることに する。なお, これらの調査の概要は末尾の表にまとめた。
a 第
l期 明治・大正後期 ( " " ' c a .
1920) ‑‑この時期に該当する資料は,
w都市改良参考資料[明治
45年細民調査解説]J,
『細民集園地区調査』の
2つで,いずれも定居的な「細民」を対象にした調査 である
O1.
r 都市改良参考資料[明治45年細民調査解説JlJ
この調査は明治
45年から大正元年にかけて,内務省が「我が邦の細民とは如
何なるものなりや,未だ曾て其状態を詳細に調査したる実例なし
Jということ
で実施したものである
Oさらに,大都市における細民の実状を把握し,救済の 根本方策を研究することが調査目的として掲げられている。調査員は,調査区 域の所轄警察署員および細民子弟と直接関係をもっている特殊小学校職員が担 当した。また調査対象として,東京市本所区・深川区および大阪市南区の中か らいくつかの町を選び,そこの住民のうち,特殊小学校に児童を入学させる資 格があるものおよびこれに準ずるもの,さらに職業・家賃・収入などを考慮し,
巡調員の常識的判断で細民と認定した者が選定され,訪問面接調査カ寺子われた。
次に,この調査の中に記載されている精神障害者関連事項を取り上げる。東 京に関しては,本所区で対象となった細民
4,
111人(1,
171世帯)のうち精神 病者
1名(ただし「白療J
),深川区では細民
6,
305人(1,
739世帯)のうち精 神病者
2名(ただし「癒癒J
)と記載されている。一方大阪では,対象となっ
た
7,
550人(1,
681世帯)のうち精神病者は
36名で,その内訳は「白療及療呆」
が
30名 , I 癒癒」が
6名となっている。この東京と大阪との「精神病者」の人 数の相違について, I 如何なる理由に依るかーは巡調員の関係によるが如し」
とし,大阪では調査者(ここでは,警察官)と細民との関係が良好あったため に,細民は「隠さず申告」したが,東京では「多少隠蔽せる嫌いあるが如し」
と述べられている
O2.
~細民集園地区調査』
大正
10年に内務省が「細民集圏の地域を匝画し,その地理的環境より主要な る人事一切を鳥眼撒的に一覧」するために実施したものである
O調査では,東 京,大阪,京都,神戸,横浜,名古屋の代表的な細民集団地区を対象とし,
「各地区所在府県系及び市の社曾課並びに警察部吏員」が訪問面接するという形 で行われている
O精神障害者の状況は,東京の場合,深川猿江,浅草,四谷旭町の
3地区につ いて調査し細民の人口がそれぞれ
8,
059人 ,
4,
964人 , 1 ,
773人であるのに 対して, I 精神異状者
jの数はそれぞれ
1名
2名
o名と極めて少なくなっ
ている
oさて,この I期である明治期から大正後期にかけては,都市の「下層社会」
に関する数々のルポルタージュが発表されている
O主なものとしては,
r府下
貧民の実況
J(r朝野新聞
Jの連載記事,明治
19年 ) ,
r貧天地大飢寒窟探検記』
(明治
23年 ) , ~最暗黒の東京~ (明治
26年 ) , r 日本の下層社会~ (明治
31年)な どが挙げられる
Oこれらが相次いで発表された背景には,
r貧民窟」を資本主
義の不可避的な存在として捉えられるようになった明治
10年代後半以降の「貧 民観の進歩
Jが ,
r無産階級」の存在を社会問題化させたことがあった
om)し かし,
r細民
Jr浮浪者」の本格的な調査は上に挙げた
2つのもの以外は殆どな されていない。
b.
第
1期1 大正後期および昭和初期 (ca. 1920ー
1940), . . . ,
ここでは「浮浪者及残食物に関する調査~, n浮浪者に関する調査~ (発表年:
大正
15年 ) , r浮浪者に関する調査~ (発表年:昭和 4年)の 3つが含まれる
Oいずれも東京市が実施した「浮浪者」に関する調査である。
1. r
浮浪者及残食物に関する調査』
東京市社会局が大正
11月
2月
25日に実施したものである
o調査の目的は,
r (
1)本局施設の基礎資料を獲る為,
(2)一般社舎に攻究資料を提供する為め」と ある。実際の調査には東京市の職員のみならず,方面委員,在郷軍人,大学生,
青年団員,篤志々願者等が加わっていた。そして,
r調査員が其の捨嘗直域内 を隅なく捜索しで浮浪者を稜見し,之に就き調査事項の審訊を為し,該嘗事項 に記入」するという方法で,東京市内浮浪者
253人のデータを得ている。
また,精神障害者に関連した事項は次の通りである。
まず,
r健康状態及韓性ニ依リ別チタル浮浪者人口
Jによれば,全調査対象
253人の性別による内訳は,男
241人,女
12人であり,そのうち「精神異常者」
の数は,男
8人,女
1人となっている
O次に,
r健康状態ニ依リ別チタル平均
浮浪期間」は,記載のある
235人の浮浪者の平均浮浪期間が
r5年
8か月
20日 」
であるのに対して,
r精神異常者」では
15年
10か月
6日」とかなり長くなって
いる。さらに,
r扶養能力ある親属の有無」については,健康者には扶養能力
がある親族が多いが,
1重病者,不具者,精神異常者と言ふが如き縫績的鍔働 力の敏けてゐる者」には,そのような親族は少ないとしている
Oそして,
1健 康者の大部分は親戚にも見放された怠惰者か又は親戚の覇粋にも従い兼ねる放 持者」であり,一方「重病者,不具者,精神異常者の多くは働かむにも働く韓 力なく,頼らむにも,身を寄すべき頼遺なく,止む得ず浮浪してゐる気の毒な 人達である」という記述が見られる
Oなお健康状態の記載については,
1調査員は必しも嘗撃の専門家ではないか ら,厳密に言へばその調査の結果は多少の誤謬が伴ふてゐるのを免れないかも しれぬ
O然し,…,非常なる錯誤はないつもりである。」としながらも, 1 精神 異常者」については,
1可成り微妙なる黙があって素人が之を判断するに就て は可成り困難を感じたのであるが,癒癒,白痴,痴呆の著しい者及其他審訊の 結果甚だしく常軌を逸するが如き申告を為したるものは綿て精神異常者と看倣
したのである」というコメントが添えられている。
2.
~浮浪者に関する調査Jl (大正
15年)国勢調査に付加する形で行われた。調査方法に関しては「普通浮浪者の寝臥 する場所として予め調べて置きたる各所及びそれ以外の場所で調査の要ありと 見られる個所を巡調」したとある。実際の調査は,東京市統計課によって大正
14年10月1
日に実施され,その時は東京市内の浮浪者
380人が対象になった。
健康状態については
296人のデータがあるが,そのうち「精神異常者」は
6名となっている。ただし,その
6名はいずれも「白療低能」と分類されている。
また健康状態に関する数字の信頼性については,専門医師が診断したわけで はなく,被調査者の申告あるいは調査者が外見から判断して調査票に記入した ものであるため,
1専門的調査を行ったならば,精神異常者の敷は意外に多き 敷字を示すかも知れぬ」という記述が見られる
O3.
~浮浪者に闘する調査Jl (昭和
4年)先に述べた「浮浪者及残食物に関する調査』と同じく東京市社会局が実施し
た。調査目的もほぼ同一で
1(1)本局救護施設の基礎的資料を得るため。
(2)一般社曾に射し社曾問題に関する攻究的資料を提供するため
oJとなっている。調 査期間は昭和
3年
6月13日より
7月10までで,主として東京市社会局保護課調 査掛員,その他同局公営課宿泊掛員,方面委員,所轄警察署警察官が調査員を 構成していた。そして,被調査者一人ひとりに「調査済みの詮」を渡して同一 調査者の重複を避け,浅草公園,上野公園,芝,日比谷,虎の門の各公園,四 谷区旭町,深川区富川町およびその付近における浮浪者
473人が調査対象となっ
た 。
このうち,
I精神異常者」は
6人である
Oなお,ここでも前の
2つの資料と 同様に,調査員が医学の専門家ではないことに言及し,健康状態については必 ずしも正確ではないと述べながらも,
I被調査者の申告に徴し審訊検視をした のであるから,齢りの誤謬はない筈である」としている
Oまた「精神異常者」
の判定については「審訊に嘗り甚しく常軌を逸するが如き申告をなしたるもの を総て精神異常者と看倣した」とあり,
r浮浪者及残食物に関する調査』とほ ぼ同じ内容になっている
OE 期の特徴は東京市社会局による調査が「華々しく」行われた時代と言って よかろう
O大正末期から昭和の初期は,大正
12年の関東大震災の影響もあって,
東京の「暗黒時代
JI行路病人・死亡人族出の時代」であった。そのため,当 時の東京市社会局は調査掛を設け,その実態把握に乗り出した。そして,
I細 民」だけではなく,浮浪者・乞食・捨子・売春婦・水上生活者などが調査の対 象となった。これら東京市社会局の調査は,当時の「どん底社会」を明らかに するだけにとどまらず,学問的にも評価される側面も持っている。その頃の東 京市社会局は社会問題に関心を持つ若い世代の「憧れの職場」であったと言わ れ ,
Iどん底社会」研究のセンター的役割として機能し,時代的にも浮浪者研 究の一つのピークであったことは確かである。叫
c. 第川期 昭和中期 (ca. 1940‑1960) ‑‑
これまで挙げた資料は「細民
JI浮浪者」に関する社会学的な調査であり,
精神疾患あるいは精神障害への関心はほとんど払われていない。この第
E期に
なって初めて精神医学の立場からの調査が行われている。この種の調査は第二 次世界大戦前後を通じて極めて限られており,ここでは「東京市内浮浪者及び 乞食の精神醤撃的調査
J,
r浮浪者の社会精神医学的調査研究
J,
r都市浮浪者の
精神医学的研究」を取り上げる。
1. I
東京市内浮浪者及び乞食の精神皆撃的調査」
昭和
17年に発表され,精神医学の立場から行われた最初の調査である。その 中で「東京のみならず日本の何れの場所に於いても専門醤師が浮浪者,乞食の 醤撃的調査を行った報告を寡聞にして未だ聞かず,外園でも比較的少数の様で ある」と述べられ,浮浪者対策の基本的根拠となるべき医学的所見を得ること が重要であると強調されている。
さて実際の調査内容だが,昭和
14年
12月
14日より翌日年
2月末日までに市内 浮浪者,乞食として東京市養育院に一斉収容された
386人のうち,収容後家族 に引き取られた者,逃亡した者等を除いた2
61人が対象となった
Oそして, こ の2
61人について養育院の嘱託医が診察を行っている。
その結果,
r精神的所見」については次のようになった。まず,精神薄弱が 最も多く全体の46.4% を占める
o 2番目に精神疾患が多く,
29. 1%となってい る
Oこのうち精神分裂病およびその疑いのある者が6 1 .
9%を占め,特に破瓜 型の者が大半である
o 3番目に多いのが精神病質およびその疑いのある者で,
12.3%
である
o精神的所見として著しいものを認めなかった者は
14.5%であっ た 。
調査結果から明らかなように,従来の「細民
Jr浮浪者」調査に比較して,
精神的に問題を持つ者の割合は極めて高くなっている
Oこれについては,
r兎
角浮浪者,乞食と一括して観て或ひは是れを慮罰し,或ひは社曾福祉事業の封 象として救済に努め,一向にその原因を醤撃的に検索し,その慮置を科撃的な らしめんとする努力が挽はれなかった様に見える」と,説明している。しかし,
たとえ「橡防的封策や,慮置方針が科撃的に決定され」たとしても,最大の処
遇上の問題点は「各種施設の敏乏」であり,これが解決されない限り「何等の
賓効を器げ得ない」と結論づけている
Oこの論文が発表されたのは,昭和
17年という戦争の渦中あったにもかかわら ず ,
r時下非常時と雛も是等の施設は決して単なる閑事業と見るべきではない」
と述べられているように,浮浪者問題は依然深刻であったことが窺われる。
これから挙げる資料は同じく
E期ではあるが,第二次世界大戦以降のもので あり,上で見た資料とは時代背景が大きく異なっている
O戦争直後の東京では,戦災によって約3 0 0 万人が擢災し,これに加えて復員,
徴用解除の工員,引揚者など,生活基盤を失った人たちが巷にあふれでいた。
あらゆる面で疲弊していた当時,行政は最小限の衣食住を援助することさえ困 難であった。そのため.
r浮浪者」としての生活をせざるを得ない人々が数多 く存在した。これら人々の大半は,上野駅周辺に,他には新宿,渋谷といった 盛り場に集中し,地下道,焼ビル跡,寺院などで生活していた。東京都では強 制収容というかたちで浮浪生活をしている人々を施設に収容していったが,収 容施設数が収容人数に追い付かない状態であった。その後昭和
25年頃より,街 の美観を損ねるとして「パタヤ部落」の撤去と施設への収容が東京都によって 行われるようになった。この時期には,まさに戦後的現象としての浮浪者対策 から,病理的現象としての浮浪者対策へと焦点が変化し,
r本質的,先天的浮
浪者」の問題が全面に出始めていたと L
寸 om以上の時代的特徴を踏まえて,具体的に資料を検討する。
2. I浮浪者の社会精神医学的調査研究」
この調査は,昭和
31年
8月より昭和
32年
3月までに,東京都立民生病院内科 に入院した患者から無作為に選んだ80 人を対象にし,面接により生活歴などを 聴取している。そして,庶子,欠損家庭,多産貧困家庭,葛藤家庭の「境遇的 環境的要因
J,および身体疾患,酒精濫用,訪j 皇衝動,性格偏奇,精神疾患及 び精神発育抑止,犯罪の「人格的身体的要因」の
2大別,合計
11項目に分けて それぞれ症例を挙げて検討がなされている
O都立民生病院の入院患者は,何らかの疾病により街路上で倒れ,救急車で入
院するいわゆる「行路病人
Jおよび極貧状態で疾病になり,身寄りがないため
に福祉事務所を介して入院する者であるO さらに,入院患者の特徴を挙げれは
①退院後も社会的不適応状態に陥ると,逃避的に再入院してくる者がある,② 入院退院後の季節的変動が大きく,冬季は退院を渋る傾向がある,③疾病治療 中に無断退院する者がある,④何らかの精神的欠陥を併有する者が多い,とい
つ
Oただしこの面接調査時点においては,民生病院に入院してきた精神障害者は 直ちに精神病院に移されたため,面接の対象から外れているO 従って
80
例中,「精神疾患及び精神発育抑止」として,精神薄弱7例,反応性うつ病 1例が挙 げられているにすぎない。しかし, r浮浪という非社会的持続的現象は, , ,多 かれ少なかれその人格的特性による」と述べられているように, r性格偏奇」
が浮浪の主因であるものが19例,副因として含む者まで入れると, 36例を数え るO
しかしここで対象になっているのは限られた集団に過ぎず,精神医学的な 視点が十分に活かされているとは言い難い。浮浪者全般を概観するためには,
次に挙げる「都市浮浪者の精神医学的研究」を取り上げないわけにはいかない。
3. r都市浮浪者の精神医学的研究」
この調査は,昭和30年12月13日に上野において一斉収容を受け,その夜江東
区の塩崎荘に保護収容された約 100~IJ のうち,俳{回浮浪者と思われる 75例を選
び, これに同荘に以前から収容されていて上野を中心として俳佃浮浪していた25例を加えた100{91Jを対象にして医学的診断が行われている(なお補足的に,
犯罪と浮浪および精神病と浮浪との関係を見るため,府中刑務所に服役中の73
例,松沢病院に入院中の
82
例についても記述されている)。塩崎荘に入所中の者については数回にわたって問診をするとともに,できる 限り入所者の日常生活に接しながら観察が行われた。退所者については,その 行き先をっきとめ,再び浮浪状態に陥った者については,街の中に捜し求め面 接したということからもわかるように,浮浪者の生活に深く入り込み,かなり 徹底したフィールドワークおよび参与的観察がなされているO
精神医学的診断の特徴としては,まず正常者が少ない (3%)。次に診断名
を多い順から示せば,精神病質 (27%),覚醒剤中毒(18%),精神薄弱 (14%), 精神分裂病(13%),アルコール中毒 (6%),老人性精神病 (4%), その他
となっているO
またこの論文では,浮浪者をその生活様式とくに寝泊りの様式によって,① 全く俳個を繰り返し,一定の住居がなく軒下などに寝る「宿なし、浮浪者群j,
②一定の場所に寝て仮小屋を作っている「仮小屋浮浪者群j,③仮小屋が集団 化し一つの部落を作っている「集団仮小屋浮浪者群j,④金があれば簡易宿泊 所に泊り,金がないと浮浪する「宿泊所利用浮浪者群」の4群に分類している。
精神医学的診断とこの 4群とを比較すると, i宿なし浮浪者群」に精神分裂病 が多く,これ以外の群には覚醒剤中毒が多い。
これらの結果から,浮浪者に対する対策として,まず精神医学的に確実な診 断の必要性が強調され,精神病者は精神病院へ身体障害者は一般病院その他 の施設へ,精神薄弱者は精薄施設へ収容されるべきであると述べられているO また,当時の保護施設で無断退寮が著しく,更生指導が不十分であることから,
ドイツの労働所の例などを挙げながら,精神病質者に対しては保安処分が妥当 であるとされているO
さて,以上の資料を概観すれば,以下のようになるO
①定居的な「細民」の調査に関しては,住民側に「隠蔽」の傾向があるた めか, i精神病者」の数は非常に少なくなっている。
② 昭和初期までは浮浪者に対する精神医学的な視点が欠けており,その後 の精神医学的調査と比較して, i精神病者」の割合はかなり低くなってい
るO
③精神医学的な視点から見れば,浮浪者の多くは精神的な問題を抱えてお り,病院等に収容されて適切な医療を受けるべきであると結論づけられて いるO だが,慢性的な施設不足の問題が存在した。
ill. 精神障害者処遇の歴史と精神障害者の「分布」
まず,精神障害者とホームレス問題との関連を見る前に,我が国において一 般的に精神障害者処遇の歴史はこれまでどのように捉えられてきたかを再確認
しておきた
L。 、
a
これまでの精神障害者処遇の捉えられ方
従来より精神障害者の処遇については,医療の立場より語られることが多かっ た。明治期以降におけるわが国の精神医療あるいは精神保健の流れを見ると,
一般的には以下のように捉えられている
O明治
33年
(1900年),相馬事件に関連して精神病者監護法が成立した。この 法は,監護義務者を定めること,警察を経由して私宅または精神病院(病室) への監置の許可を求めること,監護義務者でなければ患者を監置できないこと などの内容を持つものであった。この私宅監置の合法化は社会防衛的な色彩が 濃く, 1 座敷牢」への逆行とも言われる
oこれに対して呉秀三らによる論文 ( 1 精神病者私宅監置ノ賓況及ピ統計的観察J
)により精神病者への処遇の悲惨な実状が報告され,大正
8年(1
919年〉の精神病院法の成立につながっていく
Oしかしその後も精神病院の設立は進まず,第二次世界大戦後までこの状態が続 いた。昭和
25年
(1950年)に,私宅監置制度廃止を目指した精神衛生法が制定 され,この後精神科病床数が急激に増加していく
O昭和
40年
(1965年 ) , ライ シャワー事件を契機に精神衛生法が改正され,精神衛生業務における保健所の 第一線化,精神衛生センターの設置等により,地域精神保健活動が法的に方向 づけられることになった。ところが,拡大膨張期にあった精神病院サイドの地 域化への変容の機は熟しておらず,入院中心の医療は続くことになる
Oそして 時代の変遷の中で,精神衛生法の問題点が指摘されるようになっていく
O昭和
63
年(1
988年),精神衛生法に替わり精神保健法の成立をみた
O背景には,マ
スコミによって宇都宮病院事件が大きく取り挙げられ,国際的にも日本の精神
医療が批判されたことがあった。精神保健法では,精神障害者の人権擁護とと
もに,社会復帰の促進が柱になっており,わが国の精神障害者がようやく福祉 対策の対象としての法的根拠を得たとも言われるに至っている
on)‑m)以上が大よその流れであるが,精神障害者が処遇される「場所」に注目して 簡単に時間を追って図式化すれば,
I私宅監置→病院→地域」となる
Oまた
「場所」の違いは「処遇」の違いをも意味している
Oすなわち,
I私宅監置」に ついては既に述べたように,精神障害者を社会から隔離するといった社会防衛 的な処遇を意味している。また「病院」の場合,収容隔離的な一面も持つては いるが,第一の目的はあくまで治療である
O一方「地域」の意味するものは,
精神障害者の地域ケアである
Oこれを「処遇モデル
J29)として,
I治安モデル→
治療モデル→福祉モデル」と理解することもできょう
Ob.
精神障害者とその「分布」
だが,
I私宅監置→病院→地域」という図式化は,あくまで精糊丙者監護法・
精神病院法・精神衛生法・精神保健法という各時代を代表する,言わば「理念」
をたどることによって明らかになるもので,必ずしも実状を反映したもので はない
O一例として,精神病院法の成立から
15年以上経過している昭和1
0年
(1935年)の内務省衛生局の統計制を挙げよう
O精神病者取扱ニ関スル調(衛生局年報昭和
10年末現在)
イ.精神病院法ニヨツテ収容サレタルモノ.. ・ .
H・
H・
H・ .. … . . . ・
H・ ..……
5,
439人 ロ.精神病者監護法ニヨツテ病院ニ監置サレタルモノ・
H・
H・ .. . . . ・
H・ . .
5,
063人 ハ.同監護法ニヨツテ私宅ニ監置サレタルモノ….. ・ .
H・ .. . . ・ .
H・ . . … …
7,
188人 ニ. 一 時 俄 監 置 者 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
151人 ホ.収容又ハ監置ヲ為サレザルモノ・
H・
H・ .. …
H・
H・ ..…. . ・ .
H・ .. . . ・ .
H・
"'65,
524人 合計... . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
‑83, 365人
この統計によれば,内務省が把握している全国の精神病者の実数83 ,
365人の
うち,病院に入院しているものは約 13% に過ぎな ~'o 精神病院法が制定された
時には,国庫補助を行い毎年
3‑‑4か所ずつ
10‑‑15年計画で、公立精神病院を設
置するなどの点が,当時の貴衆両院の委員会の答弁で明らかにされたと言われ
るが,病院の設立は昭和になつても進まなかつた
OJ3叫
lの対応応、が遅れていたため,私宅監置は相変わらずず、存続しており
7千人余りが 記録されている
Oまた当時,
r我園古来ノ家族制度ノ美点」に支えられている 私宅監置での処遇は必ずしも劣悪ではないとして,
r我園唯一ノ院外保護機関 デアリ,且経済上重要ナ社曾性ヲ有シテ居ルモノデアルカラ,徒ラニ之ヲ排斥 スルコトナク須ク研究調査シテソノ改善ヲ計ノレ可キモノト信ズノレ」お)という主 張も見られた。
しかし,私宅監置にしても全体から見ればなお少数であり,約
8割は精神病 院にも私宅監置にも関与していない。恐らくこの統計から漏れている精神障害 も相当にのぼると推測され,医療の手が差し述べられないままに,地域社会で
「放置」されていた者が多くいたものと思われる
O従ってこの場合「私宅監置」
あるいは「病院」は少なくとも数量的には当時の処遇の「場所」を代表してい るわけではない。
結局,社会的環境こそ各時代で異なっているとはいえ,昨今の言葉で言えば
「地域で生活している精神障害者」は, r 私宅監置→病院→地域」という図式を 超えて数多く存在していたと思われる。しかしながら,殊に戦前における「地 域で生活している精神障害者」に関する資料・記録は少なく,その実状はほと んど明らかにされていな
L。 、
では実際,精神障害者は「私宅監置
Jや「病院」以外に,どこで処遇されて きたのだろうか。一応ここでは,精神衛生法が改正され,地域精神保健活動が 法的に方向づけられることになった昭和
40年より以前の状況について推測をま
じえながら検討する
Oもちろん明治・大正・昭和という時代による変遷を考慮 に入れる必要があろうが,検討すべき資料が乏しいため,一般論にとどめるこ とにする
O最も一般的なものとしては伝統的な家族制度(イエ)のもとで在続してきた であろう「家族の支え」である
Oもちろん私宅監置の場合でもその多くは処遇 の「場所」としては家の敷地内が選ばれるのであり,私宅監置の「届け出」を していないものであっても,実際上の処遇は「家族の支え
jではなく,むしろ
「監置」に近いものがあったかも知れない。だが,
r精神病者ヲ監置セムトスル
トキハ行政庁ノ許可ヲ受クへシ
J(精神病者監護法第
3条)というように,
1私 宅監置
Jと名付けられた時点から社会防衛的な側面を持ってくるため,
1家族 の支え」とは別の意味合いを帯びてくることは明らかである
Oまた,かつての 家族制度の下では,期待された役割を遂行できない障害者は「イエ」の中では
「厄介者」と位置づけられはしたが,
1イエ」の成員である限り扶養されるべき ものであるという側面もあった oU) 従って,
1家族の支え」と「私宅監置」とは 処遇の場合こそ類似しているとはいえ基本的に異なると考えてよかろう
Oしかし精神障害者を家族で支える場合には,ある程度の経済的な余裕が前提 となる。つまり,所得階層の低い家庭において精神障害者を抱えきれない状態 にある時には,一家全体が貧困化の一途をたどるか,ある
L、はさらに家族が崩 壊し,精神障害者が浮浪化することも考えられる。この場合「場所
Jとしては
「定居」から「不定居」生活への転落であり,具体的には本賃宿・水上生活・
簡易宿泊所等から浮浪生活にまでわたるものと推測される
Oそして,さらには 社会福祉施設への「収容」である。歴史的に見て,浮浪者の収容を目的として 設立された施設は多い。
ここにおいて,精神障害者とホームレスの問題がクローズアップされてくる のであり,医療を中心に捉えた精神障害者処遇の歴史からは欠落している部分 なのである
O以下では,これまで挙げた資料を参考にしながら精神障害者とホームレスの 問題について考察してみたい。
IV.
ホームレス問題をめぐる精神障害者への「まなざし
Jホームレスの定義は必ずしも明確ではない。既に述べたように,極貧層にお いては「定住者」と「不定住者」と区別することは容易ではない。
1定住」と
「浮浪」を短期間に繰り返す一群が必ず存在するからである
Oだが, とりあえ ずここでは「定住」と「浮浪」とを分けて述べることにする。そして,前者と
して定居的な「細民」を,後者として「浮浪者」を対応させる。
a 定居的な「細民J
の状況
先に挙げた「細民」の資料には精神障害者の家族の具体的な状況は記載され ていないため,まず別の資料お)に記載されている大正期における精神障害者 を持つ家族の例を挙げることにするO これは必ずしも「細民」家庭ではないが,
家庭状況を記した数少ない資料であり, 1"細民J家庭の状況を推測する手掛か りを与えているO
例 1
001
勝
00郡00町O賀。練線仲買商。根00郎O。四十四歳。資産,下等。診断,麻摩性療呆。既往詮,十三歳ノ時二間半位ノ高所ヨリ 落チタルコトアリ O 青年時・壮年時ニハ劇烈ナル徹毒及ビ淋病ニ擢リ,シ
カモ少シモ手嘗ヲナシタルコトナカリキO
(途中略)家族,患者以外ノ家族トシテハ,患者ノ妻ト九歳及ビ七歳ナル 幼児トアルノミニテ,一家前途ノ方針ニツキテハ宏然トシテ適時スル所ヲ
シラザルモノノ如シ。
例 2
00豚00
君
BOO村00字大O。戸主,農。児O寅O。五十二歳。同所 児00五郎。二十一歳。
同所 児OやO。二十五歳。
資産,中等。診断.0五郎及ビやOハ共ニ癒愚ナリ O 既往詮,戸主ニシテ 父ナル寅Oハモト被害妄想甚著明ナリキ。溌病後O五郎及ピやOノニ子ヲ 儲クO
(途中略)家人ノ待遇,一般ニ放任的ナリ00五郎ニハ家人強イテ労働ノ 手侍ヒヲナサシムレドモ,怠惰ニシテ役ニ立タズ。唯ダ米揚キノ如キ仕事 ハナシ得ト言フO 醤薬,寅Oハ嘗テ精神病院ニ入院シ加療セシコトアリ O
0五郎及ビやOハ醤治ヲ受ケタルコトナシO 家族,此家族ニハ此他ニ猶ホ 嗣子某アレドモ,気質異常者ニシテ家内平和ナラズ,其妻ト共ニ別居セリ。
この例に見るように,障害者を抱えることで,
rイエ」はもはや家族成員に 対して一つのまとまりを形成する機能を果たし得ず,常に崩壊の危機にある。
さらに貧困が加わった場合には,なお一層家族の崩壊の危機は促進されるであ ろう
Oさて,ここで先に挙げた「細民」の資料を検討するが,既に述べたように精 神障害者の家族の具体的な状況は不明である
Oその上,細民調査に見る「精神 病者」あるいは「精神異状者」の数は極めて少なくなっている。これは資料に も書かれているように,調査の構成員として住民との関係があまり良好ではな い警察官が入っている上,被調査者の自己申告によっているためであると思わ れる
O家族が精神障害者を抱え込み,
r隠蔽」していた状況をここに認めるこ
とができょう。
だが,上の例に見るような精神障害者を持つ家庭が貧困に陥った場合に生じ るであろうまとまりの弱さを考慮に入れると,精神障害者の問題は外部に露呈
し
,
rケース」としで浮上する可能性は十分に高く,資料で見た「精神病者」
あるいは「精神異状者」の数の少なさは,
r隠蔽」だけでは説明し切れないの ではないだろうか。
そこで,
r隠蔽」以外の要因を考えるとすれば,調査者側の「細民観」とで も言うべきものである。例えば別の細民調査の中では,貧窮の細民に及ぼす影 響として,
r細民の生活は其の日の糊口に逐はれ,精神的向上の齢地を有せず 勢ひ心意の荒むに委かせつ〉あるを以て,理性の力極て弱く,事物の分解又は 綜合的考慮を敏くにも至り,一切を翠て感情により判断す,されば注意力は散 漫,記憶と創造力は退化し遂には感覚に至る迄精神の弛療に依りて遂に鈍感と
なり」と「心意の敏陥
jが挙げられている
oさらに,
r而して恐るべきは此
等の精神的映陥性は其の一代に止まらずして子孫に原形質的遺停をなす事な り
Pと述べられている。
ここで見られる特徴は,個々の心理的状、況を貧困という経済的・環境的要因
に帰着させていると同時に,その心理的状、況が細民の中で再生産されていくと
捉えている点である
Oそして,そのような環境に置かれている細民は「異質の
文化」を持つ集団で、あり,調査者と調査される者との聞には越え難い溝がある
かのようである
Oまさに貧困生活は「習俗」への関心の中に没していた
37)の であって,精神医学的な問題が単に「遥かに可哀相で遥かに面白い」ものお)
として見過ごされても不思議ではない。
b. 浮浪者の状況
時代的に細民調査の後になる浮浪者調査の場合も同様に,基本的には経済的・
環境的な立場から分析されてきたため,資料の中の「健康状態」の記述はあく まで付随的に扱われているにすぎない。
資料を順次見てみると,
r浮浪者及残食物に関する調査』では調査員が医学 の専門家ではないと述べながらも,
r非常なる錯誤はないつもりである」とし たうえで,浮浪者が予想外に「健康
Jであることに注目している
Oそして,
「浮浪者の大部分は健康上の理由から浮浪生活に陥ってゐるのではなく,健康 上の関係以外の原因から人類通常の生活と異なった生活様式を執るに至ったも
のと言うことが判明する」としている
Oまた,
r浮浪者に関する調査Jl(大正1
5年)では「専門的調査を行ったならは 精神異常者の敷は意外に多き敷字を示すかも知れぬ」という記述もあるが,単
なる推測にとどまっている
O一方,
ri浮浪者に関する調査Jl(昭和
4年)の「健康状態」に見る「健康者」
と「不健康者」との割合は,
r浮浪者に関する調査Jl(大正
15年)とほとんど変 わらないにもかかわらず,
r浮浪の境遇に漂ふ人々の中には不健康者の如何に 多きかが額づかれる」というようにニュアンスが異なっている
Oだが,それ以 上の記述は見られない。
ところが「東京市内浮浪者及び乞食の精神醤撃的調査」では,
r従来是等の
ものを兎角浮浪者,乞食と一括して観て,或ひはこれを慮罰し,或ひは社禽福 祉事業の封象として救済に努め一向にその原因を醤撃的に検索し,その慮置を 科撃的ならしめんとする努力が梯はれなかった」と,それまでの浮浪者に対す る視点に偏りがあったことを指摘している。またさらに,
r異に生活の恒常的
落伍者としての浮浪者及び乞食はその社曾的生活力の映損乃至喪失の主原因を
社曾的僚件よりは寧ろ心身何れかに於ける疾病乃至異常,即ち醤撃的{傑件に見
出し得るもの〉多きことが本調査に依っても明瞭である」と個々人の身体的・
精神的要因を重視している
O実際,それまでの資料と比較して,何らかの精神 的所見が認められる者の割合はケタ違いに増えている
Oこれは「精神医学的調 査」と掲げている以上,当然の結果と言えるであろうが,かつて東京市社会局 が行ったような浮浪者調査と異なり,あくまで「収容された浮浪者」という限
られた集団を診断していることにも注意したい。
さて,戦後に行われた調査では, r 精神的欠陥」を有する浮浪者の割合はさ らに高くなっている。殊に「都市浮浪者の精神医学的研究」では「収容された」
「俳個浮浪者」という条件付ではあるが,調査者自身が浮浪者に扮した綿密な フィールド・ワークに基づいて,長期的なフォロー・アップも行っており,実 態に深く迫るものがある
Oこの調査は,医学的・診断的立場を取りながらも,
明治以降行われてきた社会学的調査の伝統をも引き継いでおり,
r戦後」が終 わりつつあった時代を象徴する完成度の高いものになっている
O従って,明治・
大正そして昭和にかけて実施されたこの種の調査を包括する形になっており,
一連の浮浪者研究に終止符を打つには十分であった。そしてこの後,精神医学 からの「浮浪者」への関心は衰えていくのである
Oc ホームレス問題をめぐる精神障害者への「まなざし」の変化
以上,明治・大正および昭和中期までの「細民
Jr浮浪者」に関するいくつ かの資料を検討してきた。精神保健上の処遇に大きく影響を及ぼしているもの は,貧困あるいは浮浪に対する視点である
Oその視点の違いを一言で言えば,
貧困あるいは浮浪の原因に対して,外因論か,内因論かということである
oすなわち,貧困・浮浪に対して外因論の立場を取った場合には,社会的状況 が貧困層・浮浪者を作り出しているのであり,あくまで「貧困家庭一般」ある いは「浮浪者一般」が処遇の対象となってくる。従って,
r細民
Jr浮浪者」は 個別化されず,
rケース」として認識されにくく,結果として精神医学的な視 点は見逃されやすい。一方,臨床的な視点から個々の「細民
Jr浮浪者」を理
解しようとする内因論の立場に立つ時,初めて個々の「ケース」に直面するこ
とになり,精神医学的な問題が浮上してくる
Oこの論文であげた資料がカバー
する範囲では,ホームレス問題への「まなざし」は,外因論から内因論へとそ の焦点が移ってきており,その過程で精神障害者への関心も生じてきていると
o
'よ
つ一 一 百
・ え
だが,そもそも「浮浪者」を内因論から捉えるという段階から,既に近代的 な意味での「貧困
J,あるいは再生産され続ける「貧困層」という概念が崩壊 し始めていったと考えられる。東京市社会局の浮浪者調査では,まだ外因論か ら捉えることのできた「近代」であったが,次第に内因論の視点も見られるよ うになる。さらに,昭和
35年発表の「都市浮浪者の精神医学的研究」は,外因 論と内因論とが過去の調査の蓄積を背後に抱えながら,適度のバランスを持っ て語られうる最後の時代に属していた。これ以降,高度経済成長期に移行する 中で, I 浮浪者」にとっての貧困の意味,そして「浮浪者
J自体の性格も変化 していったはずである
Oしかし,実証的な研究もないまま現在に至っている
O現代におけるホ}ムレス問題は,もはや「貧困」という言葉では語り尽くす ことはできず,個人をめぐる社会的,心理的状況,あるいは制度,行政の施策 を総合的に捉えることが求められよう
oその中でも,ホームレスをめぐる精神 障害者の問題は歴史的に存在していたことは確かであり,精神保健の立場から
のアプローチはホームレス問題を解く重要な鍵の一つである
O註 :
1
)社会復帰の「段階モデル」が成立するためには,段階を踏むにしたがって「一般 社会に近づいていく」という事実が必要である
o例えば,地域に暮らす精神障害者 の社会復帰のための「受け皿」となっている共同作業所が設立されてきた背景には,
将来的には生活費を稼ぐことができる「授産場
Jr 保護工場Jを指向していた面が あった。しかし現実は厳しい状況にある。筆者の知る都内の
S作業所の作業はデパー トなどのショッピング・パッグ作りであるが,この
10年間,工賃は据え置かれてい る。取り扱い業者の話によれば,産業構造の変化をまともに受けているのが, この ような下請産業であり,この先工賃を上昇させることじ極めて難しいという
o もは や,作業所の作業は稼ぐためでもなく,就労に向けた作業訓練ともなり得ず,
r作
業のための作業」になりつつある。一方で,いわゆる自主製品を開拓する作業所,
作業をほとんど行わない作業所なども次々に出現しつつあるが,作業所全体として
「社会復帰」の方向を見極めにくくなっていることは事実である
o2