イェーナ期ヘーゲルにおける「自律」思想の継承と 展開 : ルソー、カント、フィヒテとの対決を中心 として
著者 小井沼 広嗣
著者別名 KOINUMA Hirotsugu
ページ 1‑123
発行年 2019‑03‑24
学位授与番号 32675乙第239号 学位授与年月日 2019‑03‑24
学位名 博士(哲学)
学位授与機関 法政大学 (Hosei University)
URL http://doi.org/10.15002/00021758
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博士学位論文
論文内容の要旨および審査結果の要旨
氏名 小井沼 広嗣 学位の種類 博士(哲学)
学位記番号 第684号
学位授与の日付 2019年 3月24日
学位授与の要件 本学学位規則第5条第1項(2)該当者(乙) 論文審査委員 主査 教授 星野 勉
副査 教授 笠原 賢介
副査(学外)日本女子大学教授 山田 忠彰
イェーナ期ヘーゲルにおける「自律」思想の継承と展開
――ルソー、カント、フィヒテとの対決を中心として――
1.はじめに
本論文の目的は、ルソー(Rousseau, J.J. 1712-1778)の「一般意志(volonté générale)」 概念、カント(Kant,I. 1724-1804)の「自律(Autonomie)」概念、フィヒテ(Fichte,J.G.
1762-1814)の「衝動(Trieb)」概念の、イェーナ期ヘーゲル(Hegel,G.W.F. 1770-1831)
における批判的継承と展開を究明することにある。そのさい取り上げられるテクストは、
イェーナ後期の『イェーナ体系構想Ⅲ』(1805/06)と『精神現象学』(1807)とであるが、
ヘーゲルがルソー、カント、フィヒテを批判しながらも、彼らから何を受け継ぎ、それを どのように発展させたのかが、詳細な論述によって展開されている。そして、「自律として の自由」を単なる抽象的な原理として掲げるのではなく、それを具体的な歴史的、社会的 コンテクストにおいて実質化するための理路が、『精神現象学』のうちに探り当てられる。
なお、本論文は、日本社会思想史学会『社会思想史研究』、日本倫理学会『倫理学年報』、 日本ヘーゲル学会『ヘーゲル哲学研究』など全国規模学会の査読論文、さらに、法政哲学 会『法政哲学』などに掲載された論文などをベースに、それらを加筆、修正すると同時に、
他の部分を新たに書き下ろすことによって、構成されたものである。このうち、『倫理学年 報』(第 65 集)に掲載された「ヘーゲルにおける意志論と衝動の陶冶-フィヒテとの対決 を視軸として-」によって、著者は2016年度の法政哲学会泰本賞、日本ヘーゲル学会研究 奨励賞を受賞している。
2.論文の目次 序論
2 1 問題の所在と本研究の主題
2 取り上げるテクストについて 3 各章の概要
第1章 意志論と衝動の陶冶 -フィヒテの衝動論との対決を軸として-
はじめに
1 フィヒテの実践的知識学における衝動論
2 イェーナ前期におけるフィヒテ批判とその克服の試み 3 イェーナ後期における意志論の形成
4 衝動の陶冶の過程 -自己外化を介した自己認証-
小括
第2章 陶冶論と普遍意志の構成 -ルソーの国家論との対決を軸として-
はじめに
1 ルソーにおける《自由人の共同体》の構想 2 ヘーゲルによる「普遍意志の構成」の意味
3 「承認された状態」を具体化するものとしての普遍意志 4 国家創成期における強制と陶冶
小括
第3章 「統覚の統一」から「精神」へ
-『精神現象学』「理性」章におけるカテゴリーの展開-
はじめに
1 カントの統覚論とヘーゲルによる二義的評価 1-1 カントの統覚論
1-2 イェーナ前期のヘーゲルによる演繹論の論判 1-3 「理性」の二義的な性格
2 カテゴリーの基本構造とその展開の到達点 -「無限性」と「精神」-
2-1 《否定的なもの-無限性》としてのカテゴリー 2-2 精神と《相互主観性》の問題
3 「観察する理性」、「行為する理性」の特質とその限界 3-1 「観察する理性」の特質とその限界
3-2 「行為する理性」の特質とその限界 4 カテゴリーの充実態としての「事そのもの」
5 カント的な実践理性の克服と「精神」の成立 小括
第4章 幸福の問題 -カントの「最高善」との対決を軸として はじめに
1 カント実践哲学における「幸福」概念ならびに「最高善」
3 2 初期ヘーゲルにおける歴史認識と幸福の問題 3 『精神現象学』における「幸福」の達成の理路 4 《道徳と幸福の調和》の帰趨
小括
第5章 道徳的行為主体における悪とその克服 -「良心」論をめぐって-
はじめに
1 カントにおける《悪の克服》の問題 2 良心論において再燃される二元論 3 二つの良心間における対立と「偽善」
4 良心間の和解による《悪の克服》
5 「事そのもの」の「主体」化としての良心 5-1 実体の主体化と精神の歴史性
5-2 良心と「誠実な意識」 -反復と克服-
小括 結論
3.論文の要旨
第 1 章では、『イェーナ体系構想Ⅲ』(1805/06)において結実するヘーゲルの意志論が、
フィヒテの『全知識学の基礎』(1794)、『知識学の原理による道徳論の体系』(1798)にお ける衝動論の批判的受容を通じて形成された事情が究明される。
ヘーゲルは、フィヒテの衝動概念が理性と感性のカント的な分離・対立を克服しうる実 践的原理であること、また、衝動が客体へと向かう働きであるだけでなく、自己内へと向 かう自己反省的な働きでもあることを評価しているが、なおフィヒテにおいて主客が対立 的に捉えられていることを批判し、「自己外化を介した自己認証」という推論のうちに衝動 概念を位置づけて、「衝動の陶冶」というヘーゲル独自の理路に想到した経緯が解明される。
第2章では、『イェーナ体系構想Ⅲ』におけるヘーゲルの陶冶論、すなわち、普遍意志の 構成論が、ルソーが『社会契約論』(1762)のなかで説く「一般意志」論、「全面的譲渡」
の論理を批判的に継承するなかで形成されたことが究明される。
ここでの論点は、感性と理性、自然と精神の対立の克服ではなく、個人の特殊意志と一 般意志の対立の克服である。ここで、ヘーゲルが、「一般意志に従うことが同時に自らの意 志に従うことである」という、自律即共同と呼ぶべき構想をルソーから継承しながらも、
それを社会契約を介してではなく、法や制度を媒介とした「相互承認」の実質化とそれに 相即する諸個人の「外化=陶冶」を介して実現する理路を提示していることが論述される。
またそれとの関連で、ルソーの「自由への強制」、国家創設の「偉人」などが論じられる。
第3章では、『精神現象学』(1807)「理性」章を取り上げ、そこでカントの自己立法的理 性の批判的継承の帰趨が見届けられる。
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へーゲルは、対象の統一原理であると同時に主観・客観の統一原理であるカントの「超 越論的統覚」を独自の「カテゴリー」と読み換え、その「カテゴリー」の運動を「理性」
章において叙述しているのだが、その経緯が次のように示される。すなわち、「カテゴリー」
の運動とは他在を媒介として自分自身に否定的に関係する「無限性」の運動であるが、そ れは意識と対象との間の認識論的次元での運動ではなく、複数の自己意識間での実践的な 媒介運動であって、そうした媒介運動を通じて「相互主観性」、言い換えれば「精神」の境 位が達成される、というものである。
第 4 章では、ヘーゲルの『精神現象学』における「幸福」論の特性が、カントの「最高 善」との対比において、徳福一致の観点から解明される。
カントにおける徳福一致を意味する「最高善」の含む矛盾をその要請論に即して暴露す るヘーゲルの議論を跡づけながら、ヘーゲルにおける「幸福」達成の理路が「衝動の陶冶」
と諸個人の自己実現とへ向けての現実的な行為を介する「相互承認」のうちに見定められ る経緯が論じられる。
第 5 章では、『精神現象学』「精神」章の末尾を飾る「良心」論が、カントの実践哲学と の対比において、「悪の克服」という観点から論じられる。
そこでは、悪が、カントにおけるように、確信形式と行為内容の分断という二元論、道 徳善の動機主義を前提とする限りでは、結局克服されず、むしろ、悪の克服はカント的な 発想の前提が崩壊する場面で果たされる、というヘーゲルの議論の妥当性が確認される。
そして、「悪の告白とその赦し」を介する相互承認の成立の事情が展開される。
4.審査結果の要旨
すでに述べたように、本論文の目的は、ルソーの「一般意志」概念、カントの「自律」
概念、フィヒテの「衝動」概念の、イェーナ期ヘーゲルにおける批判的継承と展開を究明 することにある。そのさい取り上げられるテクストは、イェーナ後期の『イェーナ体系構 想Ⅲ』(1805/06)と『精神現象学』(1807)とであるが、ヘーゲルがルソー、カント、フィ ヒテを批判しながらも、彼らから何を受け継ぎ、それをどのように発展させたのかが、詳 細な論述によって展開される。そして、「自律としての自由」を単なる抽象的な原理として 掲げるのではなく、それを具体的な歴史的、社会的コンテクストにおいて実質化するため の理路が、とりわけ『精神現象学』のうちに探り当てられる。
以上のように、本論文では、目的が明確に設定されており、その目的に沿った適切な問 題設定のもとに、テクストの読解に裏付けられた明快な論述が一貫してなされている。難 解なカント、フィヒテ、そしてヘーゲルのドイツ語テクスト、さらにルソーのフランス語 テクストの読解は綿密で正確であるが、それでいて、哲学論文によくみられる生硬さは認 められない。そこに著者の並々ならぬ語学力、読解力を認めることができる。
また、内外の主要な先行研究にも広く目を配り、立論の妥当性を示そうとしているが、
その限りで、学術的に評価に耐えうる説得力を具えている。
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本論文の内容については、三点ほど特筆するべき点がある。
第一に、ややもすれば反自由主義的な国家主義哲学として批判されることの多いヘーゲ ル哲学を、自由主義的な哲学として解釈するヘーゲル研究は、このところ内外の研究にも 散見する。しかし、その多くが必ずしも成功しているとは言えない。そのなかでルソーに 発しカントを経てフィヒテに至る「自律」思想の延長上に、ヘーゲルの実践哲学を位置づ ける構想は斬新であると言いうる。本論文では、「一般意志に従うことが同時に自らの意志 に従うことである」というルソーの「自律」から「自ら与えたにもかかわらず普遍的でも ある法則に従う」というカントの「自律」への系譜が辿られ、ヘーゲルがそれを積極的に 受け止めながらも、感性と理性、自然と精神の対立、個人の特殊意志と一般意志の対立の ゆえに、それが空疎な抽象に留まることを認めざるをえない事情が明かされる。こうして、
ヘーゲルの哲学的欲求はこの対立の克服に向かうことになるが、それは「自律」思想の否 定に向かうのではなく、「自律」思想をいかにして現実の世界において実現するかという課 題に向かうことになる。このような方向の延長上でイェーナ期後期におけるヘーゲルの実 践哲学は結実するという見通しが与えられる。
第二に、ヘーゲルがフィヒテの「衝動」理論に理性と感性のカント的な分離・対立を克 服しうる実践的原理を認めていることに着眼している点は、慧眼であると言いうる。その さい、フィヒテの衝動が客体へと向かう働きであるだけでなく、自己内へと向かう自己反 省的な働きでもあると捉え、その上で「自己外化を介した自己認証」という推論のうちに
「衝動」概念を位置づけて、「衝動の陶冶」という独自の論理を打ち立てたというヘーゲル 解釈は、新しい知見であると言ってよい。この「衝動の陶冶」という考え方は、ヘーゲル 弁証法の論理を肉づけるものとして、『精神現象学』においても、後の『法の哲学』におい てもきわめて重要な役割を果たしている。
第三に、「自律」が個人の主観的意識においてではなく社会的制度に裏付けられた諸個人 間の共同主観性においてこそ現実化されるというヘーゲルの理路がきわめて説得的に打ち 出されている点が評価される。へーゲルは、カントの「超越論的統覚」を独自の「カテゴ リー」と読み換え、その「カテゴリー」の運動として「理性」章を叙述しているが、それ が次のように読み解かれる。すなわち、「カテゴリー」の運動とは他在を介して自分自身と 否定的に関係する「無限性」の運動であるが、それは意識と対象との間の認識論的次元で の運動ではなく、複数の自己意識間での「事そのもの」を介する実践的な運動であって、
そうした「事そのもの」を介する自己意識間の実践的な運動を通じて、「相互主観性」つま りは「精神」の境位が拓かれる、というのである。
以上のように、本論文は間違いなく内外のヘーゲル研究に新しい知見をもたらすもので あり、ヘーゲル研究としての水準は高いと評価することができる。また、今日の社会哲学、
社会思想、倫理学に関わる諸問題を考えるという観点からも、潜在的に大きな展開力、意 義を有していると判断される。
但し、いくつか問題点を指摘することもできる。
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1)本論文第3章、第5章では、「精神」の問題圏が頻出し、著者による、ヘーゲルの「精 神」の概念の把握が主要な展開軸となっていることを勘案すると、ヘーゲルによる「精神」
哲学の確立の方途ないしその内実の解明をテーマとして前面に出し、ルソー等との切り結 びの様相は、その方法論的前哨戦と位置づける論文構成もありえたのではないか。
それは、逆に言えば、当初の「自律」思想の批判的継承というモティーフが、「精神」の 問題圏を扱う段になって、やや背景に退いてしまっているということでもある。
2)同じく、本論文第3章、第5章では、「精神の基本構造」が、ソシュール言語学に倣 って、「実体」的なものと「各人の行為」を「文法や言語規則(ラング)」と「発話行為(パ ロール)」に置き換えて説明されるが、この「実体」的なもの(文法)の生成はどのように 説明されるのか、また、「文法」の歴史的変動があるわけであるが、それはどう説明される のか、「実体」=〈意識に先立つ実践的な行為連関〉のようなものと理解してよいのか、そ の時意識の要素はどうなるのか、などの疑問を生み出す。この点は、論文の主題にも関わ る重要な論点と思われるが、十分明確に論じられていない憾みを残す。また、言語を視野 に入れることによって、理性(論理)の問題圏では捨象されていた(一言語内でのないし 各言語それぞれの)意味の多様性の問題が視野に入ってくると思われるが、ヘーゲル哲学 を現代に生かすという観点から、この点についての論及も必要なのではないか。
しかし、そのような課題を残しながらも、カント、ルソー、フィヒテの思想をヘーゲル の「人倫」の問題圏につなげて生かそうとする本論文の問題設定の現代的意義は大きいも のと判断される。また、問題を考察する論述展開の精確さと密度、それを支える学識も十 分なものと判断される。
5.結論
以上により、審査小委員会は、小井沼広嗣氏によって提出された博士(哲学)学位申請 論文『イェーナ期ヘーゲルにおける「自律」思想の継承と展開――ルソー、カント、フィ ヒテとの対決を中心として――』を学術的に優れた研究であると評価し、小井沼広嗣氏が 博士(哲学)の学位を授与されるに十分な資格を有するとの結論に達した。