• 検索結果がありません。

雑誌名 新島研究

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "雑誌名 新島研究"

Copied!
7
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

新島襄のヴィースバーデンでの湯治場Kurhotel

Romerbad(クアホテル・ローマ浴場)の新聞記事を発

著者 田島 繁

雑誌名 新島研究

号 103

ページ 192‑197

発行年 2012‑02‑28

権利 同志社大学同志社社史資料センター

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000013048

(2)

Nee Simaの名前を見つけ、新島先生がヴィースバーデンで宿泊し湯治生活 を送ったのはKurhotel Römerbad(クアホテル・ローマ浴場)と呼ばれて いた温泉施設付きホテルであることが明らかになった。

 大越哲仁氏は1998年の新島研究会で研究報告の後、『新島研究』に「温泉 保養地ヴィーズバーデンにおける新島襄」の論文1)を出し、新島襄の ヴィースバーデンでの湯治の様子を詳しく報告されている。1996年に現地 調査された大越氏は「新島先生が宿泊したホテルはLangasse 38-40にある カイザー・フリードリッヒ浴場・第1リューマチ病院(Kaiser-Friedrick- Bad2))であろう」と推論された。私は2008年夏にヴィースバーデンを訪 れる機会があり、大越氏から「自分の仮説をまだ誰も検証していないから 確かめて頂ければ嬉しい」と言われたので調査を行った。

 私はまず、住所のLangase 30-40に行き1999年に改装され現在の名前が Kaiser Friedrich Thermeという温泉を訪問した。何百年も昔からよく知 られている「アイリッシュ・ローマ式水浴法」という「冷温交互浴」を1 時間余り体験、身体の芯から温まり爽快であった。若い女性やカップルを 見かけ湯治場というより明るい温泉イメージであった。その後、新島先生 のことを調べられないかとヘッセン州立図書館を訪れた。

 「著名な外国人の来訪記録はありませんか」と図書館員に聞くと、新島先 生が訪れた1873年2月8日~15日のヴィースバーデン温泉新聞の宿泊客名 簿(図1)を持って来てくれた。それには、ホテル毎に外国人宿泊客(著 名人か?)の名前が書かれており、新島先生の名前を探すべく読み進んで

(3)

192 193

新島襄のヴィースバーデンでの湯治場 Kurhotel Römerbad(クアホテル・ローマ浴場)の新聞記事を発見

図1 1873年2月8日~15日のヴィースバーデン温泉新聞Bade-Blatt für Wiesbaden の外国人宿泊客名簿の1ページ目

(4)
(5)

194 195

新島襄のヴィースバーデンでの湯治場 Kurhotel Römerbad(クアホテル・ローマ浴場)の新聞記事を発見

ゆくと、最後の方の38ページに図2、3に示すホテル名Römerbadの欄に  ”Nee Sima, Hr., Japan” を見つけた。

 そこで、図書館員にホテル名の Römerbadの住所を調べて貰った。図4 に示すようにKurhotel Römerbad3)の欄にKochbrunnenbadhausとあり温 泉施設であることが示され、その住所はKochbrunnenplatz 3で、セントラ ルヒーティング、ベッド数130、温泉と飲用鉱水設備付きなどのホテル情報 を得た。早速、地図を片手にその住所を探していたら、Kochbrunnenplatz 3と書いてある図5に示す立派な建物を見つけることが出来た。今はホテ ルではなくイタリアン・レストランとして利用されていた。

図3 ホテル名Römerbadの 欄 に 載 っ て い たNee Sima拡大

図5 当時のRömerbadの建物(現在イタ リアン・レストラン)

図4 ヴィースバーデンのホテルリストの中に書かれているKurhotel Römerbadの情報

(6)

シング・ホテル」と書かれているホテル名に関して『新島襄全集』第6巻

(126頁、127頁、130頁)に英語でa Bathing Hotel(日本語ではベイジング・

ホテル)と書かれて、不定冠詞aが用いられているところから一般の湯治ホ テルを指し、これが特定のホテル名ではないことを報告されている。

 今回、大越氏にもご協力を頂き調べて頂いた結果、新島先生が訪れた時 には「Kaiser-Friedrick-Bad」はまだ建設されていないことが分かった。し たがって私が新島研究会で「新島先生の足跡を辿って(ヨーロッパ編)サ ンゴタール峠、リギ・クルム、ヴィースバーデン」という題で発表

(2008.10.20)した時「新島先生が湯治生活をしたのはKurhotel Römerbad の可能性が高い。しかしご当地NO1のKaiser-Friedrick-Badにも浸かった 可能性はあると思う」と発表したがここで訂正したい。

1) 大越哲仁『新島研究』第91号(2000) p.163.

2) 大越氏の再調査によれば、「Kaiser-Friedrich-Badの地はヴィースバーデンの第2の 源泉・Adlerquelle(鷲源泉)があったところで、1814年にゲーテが宿泊した当時 は、「Adler」 Posthalterei und Gesellschaftszentrum (「鷲源泉」郵便局兼コミュニ ティセンター)であった。そして1913年に近代的なKurmittelhaus (療養中央館)等 が建てられて Kaiser-Friedrich-Bad と命名された」。したがって大越氏が「新島先 生が1873年に宿泊したホテルはカイザー・フリードリッヒ浴場(Kaiser-Friedrick- Bad)であろう」と『新島研究』第91号で推論されたがそうではなかった。その後

(7)

196 197

新島襄のヴィースバーデンでの湯治場 Kurhotel Römerbad(クアホテル・ローマ浴場)の新聞記事を発見

1999年に大改装され、現在のKaiser-Friedrich-Terme となった。

3) Kurhotel Römerbad : Kurhotelはドイツ語の”温泉浴場つきホテル”と訳すことがで き、Römerbadは”ローマ浴場”と訳すことができるので「クアホテル・ローマ浴場」

と訳す。

4) 『新島襄全集』第8巻 年譜編

参照

関連したドキュメント

突然そのようなところに現れたことに驚いたので す。しかも、密教儀礼であればマンダラ制作儀礼

作品研究についてであるが、小林の死後の一時期、特に彼が文筆活動の主な拠点としていた雑誌『新

このように雪形の名称には特徴がありますが、その形や大きさは同じ名前で

 渡嘉敷島の慰安所は慶良間空襲が始まった23日に爆撃され全焼した。7 人の「慰安婦」のうちハルコ

このような環境要素は一っの土地の構成要素になるが︑同時に他の上地をも流動し︑又は他の上地にあるそれらと

1970 年代後半から 80 年代にかけて,湾奥部の新浜湖や内湾の小櫃川河口域での調査

 2014年夏にあったイスラエルによるガザへの軍事侵