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佛教大學大學院紀要 32号(20040301) L289新矢昌昭「アイデンティティの行方:アイデンティティから「わたし」という自己物語へ」

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佛 教 大 学 大 学 院 紀 要 第32号(2004年3月)

ア イ デ ンテ ィ テ ィ の行 方

一 ア イ デ ンテ ィテ ィか ら 「わ た し」 とい う 自己 物 語 へ 一

〔抄 録 〕 現 在 、 「わ た し とは何?」 「本 当の わ た し」 とい う 「わ た し」 へ の 問 い に触 れ る機 会 が多 い 。 しか し こ の 「わ た し」 を束 ね る言 葉 は ア イ デ ンテ ィ テ ィ で あ っ た 。何 故 、 ア イ デ ンテ ィテ ィで は な く、 「わ た し」 な の か 。 こ こ で は 、 「わ た し ら しい わ た し」 とい う 自己 同一 性 と して の ア イ デ ンテ ィ テ ィが か つ て の有 効 性 を失 った 結 果 、 厂わ た し」 が 問 わ れ る よ うに な っ た こ と を社 会 的 な背 景 か ら考 察 して い る。 ま た 「わ た し」 の 存 在 を確 認 で き るの は 「自己物 語 」 を通 して で あ る が 、 そ の 「わ た し」 が ア イ デ ンテ ィテ ィ と して どの よ う に理 解 で きる のか を考 察 して い る。 キ ー ワ ー ド:ア イ デ ン テ ィ テ ィ 、 「わ た し」、 自 己 物 語 は じめ に 現 代 社 会 の 中 で 「本 当 の わ た し」 「自分 探 し」 な どの よ う な 「わ た しへ の 問 い 」 とい う状 況 が 多 く見 られ る。 例 え ば、 雑 誌 、CMな ど を通 して多 く接 す る こ とが で きる。 だが 社 会 の 中 だ けで は な く、 自身 の 中 に も、 この よ う な 問 いか け が あ る と思 え る。 こ の よ う な 「わ た し」 へ の 問 い は 、 以 前 で は ア イデ ンテ ィテ ィが 担 っ て い た の で は な か ろ う か。 何 故 な らば、 ア イ デ ンテ ィテ ィ とは 「わ た し ら しい わ た し」 を確 立 す る こ と と言 わ れ て きたか らだ。 しか し現 在 、 ア イ デ ン テ ィテ ィで は な く 「わ た し」 が 問 わ れ て い る。 もち ろ ん 、 学 術 用 語 で あ る ア イ デ ンテ ィテ ィが 「わ た し」 へ の 問 い を包括 して い る と も言 え る。 だ が 、 心 理 学用 語 が 「現 実 化 」(「心 理 学 の 現 実 化 」(1))して い る こ と を考 え る と、 「わ た し」 へ の 問 い で は な く、 今 な お ア イ デ ンテ ィテ ィで 語 られ広 が りを見 せ て い る と思 わ れ る。 例 え ば、 「わ た しの アイ デ ンテ ィテ ィ とは何 か 」 とい う よ うに 。 この よ う に考 え る とア イデ ン テ ィ テ ィで は捉 え 切 れ な い状 況 が 、 こ の 「わ た しへ 」 の 問 い に は 示 され てい る よ うに 思 わ れ る。 現 在 、 ア イ デ ンテ ィ テ ィ は以 前 の よ う に は 通 用 せ ず 、 よ り多 様 化 した ア イデ ンテ ィテ ィ と して使 わ れ て い る 。 例 え ば、 自 己 ア イ デ ンテ ィテ ィ、 ジ ェ ン ダ ー ア イ デ ンテ ィ テ ィ な どの よ うに、 「○○ ア イ デ ンテ ィテ ィ」 と して。 しか し 日常 的 に使 用 さ

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ア イデ ンテ ィテ ィの行方(新 矢 昌昭) れ て い る 「わ た し ら しい わ た し」 と い う 自 己 同 一性 と して の ア イ デ ンテ ィテ ィそ の もの に 関 し て は必 ず し も 自覚 す る こ とが で きな い と思 われ る。 例 え ば、 ア イ デ ンテ ィテ ィ に関 して は、 「同 一性 」 「自 己 同一 性 」 「身分 証 明」 「存 在 証 明 」 な ど と訳 され、 また そ の ま まカ タカ ナ表 記 され て い る よ う に ア イ デ ンテ ィテ ィ と い う用 語 自体 に混 乱 が あ るか らだ。 つ ま り、何 を持 って ア イ デ ンテ ィテ ィ と い うのか は 必 ず しも確 か で は な い と言 う こ とで あ る。 そ の よ うに 考 え る と 「わ た し」 は 、 この 間 隙 を縫 っ て 出 た ア イ デ ンテ ィテ ィ を埋 め 合 わせ る用 語 と考 え られ よ う。 今 や ア イ デ ンテ ィテ ィで は な く、 「わ た し」 が 問 わ れ て い る。 で は何 故 ア イ デ ンテ ィテ ィが多 様 化 した の だ ろ う か 。 言 葉 を変 え る と、 何 故 ア イ デ ンテ ィ テ ィ とは 言 わず に 「わ た し」 な の だ ろ うか 。 また ア イ デ ンテ ィテ ィ と 「わ た し」 へ の 問 い に あ る違 い と は何 だ ろ うか 。 本 稿 の 目的 は、 この よ う な問 い を ア イ デ ンテ ィテ ィか ら 「わ た し」 へ の 変 容 を も た ら した社 会 的 な 要 因 か ら考 察 す る こ とに あ る 。 そ して ま た 、 この 「わ た し」 につ い て は、 「わ た し」 を捉 え る一・つ の試 み で あ る 「物 語 論 」 の視 点 を参 考 に し、 ア イデ ンテ ィテ ィ との 関 係 を考 えて み た い。 以 下 、 本 稿 で の ア イ デ ンテ ィテ ィは 、 「わ た し ら しい わ た し」 とい う 自己 同 一性 を念 頭 に 置 い て い る。 1.教 科 書 の 中 の ア イ デ ン テ ィ テ ィ まず 、 ア イ デ ンテ ィテ ィ と い う用 語 が学 校 の教 科 書 の 中 で、 どの よ うに使 わ れ て い る の か を 高校 の 現代 社 会 の 教 科 書 か ら確 認 して お こ う。 あ る教 科 書 で は、E・H・ エ リク ソ ンの モ ラ トリ ア ム 説 に触 れ た後 、 同 時 に 青 年 期 は 「『自分 が何 もの で あ り、社 会 の なか で どの よ うな役 割 と 目 じが ど う い つ せ い 標 に 向 か っ て 歩 い て い こ う とす る の か 』 を 見 きわ め るべ き時 期 で もあ る。 こ れ は 自我 同 一 性 (ア イ デ ンテ ィテ ィ)の 追 求 と よ ばれ る」(2)と記 され て い る。 恐 ら く、 これ は 文 脈 的 にエ リ ク ソ ン的 な ア イ デ ンテ ィテ ィ をそ の ま ま 表 して い る と思 わ れ る。 ま た現 代 社 会 の 資 料 集 に は ア イ デ ンテ ィテ ィ と して 以 下 の よ うな 記 述 が な され て い る。 き ば ん 自我 同一 性 は 自己 同 一 性 と もい い、 自分 が 自分 で あ る こ との 自信 を形 成 す る基 盤 とな る も の で あ る。 こ の 自信 は 過 去 の 自分 と現 在 の 自分 との 時 間 的 な 一 貫性 と、 社 会(仲 間)の 中 で 自分 の 存 在 が 認 め られ て い る とい う感 覚 に よっ て形 成 され る(3)。 現 在 、 「本 当 の 自分 」 とい う言 葉 が 社 会 に は多 く使 用 され てい る に もか か わ らず 、 そ の こ と に は 触 れ ず に教 科 書 で は ア イ デ ンテ ィテ ィが 「わ た しが わ た しで あ る 」 とい う よ う に一 貫 性 を持 つ こ と と して記 述 され て い る こ とが 分 か る 。 テ キ ス トで使 用 され て い る こ と は、 あ る 意 味 で社 会 的 に一 般 化 して い る考 え と も言 え る 。 こ こで 問 題 と な る の は 、 記 述 され て い る よ うな他 者 と と も につ くる社 会 や 首 尾 一 貫 した 「わ た し」 の 存 在 で あ る 。 この 社 会 や 首 尾 一 貫 した個 人 こそ が ア イ デ ンテ ィテ ィ 自体 に とっ て 問 題 とな っ て い る の で あ る が 、 この 問 題 は後 に触 れ る こ と と し、 まず は ア イデ ンテ ィ テ ィの分 析 を広 め たE・H・ エ リ ク ソ ンの ア イデ ンテ ィテ ィ概 念 を確 認 して お こ う。

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佛教大学大学院紀要 第32号(2004年3月) 2.エ リ ク ソ ン の ア イ デ ン テ ィ テ ィ 概 念 エ リ ク ソ ンの ア イ デ ン テ ィ テ ィ概 念 が 心 理 学 の領 域 以 外 に注 目され た の は 、 ア イデ ン テ ィ テ ィの 形 成 に お い て社 会 的 、 歴 史 的 な 条 件 を重 視 して い るか らで あ る。 しか しな が ら、 エ リ ク ソ ン 自身 が ア イ デ ンテ ィ テ ィ を多 義 的 に 用 い て い る の で 注 意 が 必 要 で あ る。 つ ま り、 彼 自身 明確 に定 義 付 け て い るわ けで は な い の で あ る。 そ こ で、 鑪 幹 八 郎 の エ リク ソ ン論 を参 考 に して、 エ リ ク ソ ンの ア イ デ ン テ ィ テ ィ概 念 を整 理 し てみ よ う。 鑪 に よ る と、 エ リ ク ソ ンの ア イ デ ン テ ィ テ ィ概 念 は発 達 理 論 にお い て展 開 され た が 、 こ の発 達 理 論 は こ れ ま で の発 達 理 論 に は なか っ た 重 要 な特 徴 が あ る。 そ れ は、 「心 理 ・社 会 的」 とい うア イ デ ィア と、 生 後 か ら幼 児 期 ま で しか扱 わ なか っ た発 達 理 論 に代 わ っ て 、 人 間 の 生 涯 に わ た っ て の 発 達 、 つ ま り ライ フサ イ ク ル を考 え 「人 間 の 八 つ の発 達段 階 」 を 考 案 した ア イ デ ィア で あ る 。 そ して ライ フサ イ クル論 か ら言及 され た のが 、 思 春 期 ・青 年 期 に お け る 心 理 ・社 会 的危 機 と して の ア イ デ ンテ ィテ ィの 形 成 とい うア イ デ ィア で あ った(4)。そ こで 、 エ リ ク ソ ン 自身 が 考 え て い る ア イ デ ンテ ィテ ィ概 念 を整 理 して み る と、 次 の よ う に示 す こ とが で きる。 前 者 は、 次 の こ とを指 してい る。 心 理 的 な も の と社 会 的 な もの 、 発 達 的 な もの と歴 史 的 な も の との 間 の全 て の 相 互 作 用 は、 ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ー 種 の心 理社 会 的 相 対 性 と して の み 概 念 化 され う る もので あ り、 ア イ デ ンテ ィ テ ィ の形 成 はそ の よ う な相 互 作 用 に とって 原 型 と して の重 要 性 を もって い るの で あ る ⑤。 こ こか ら、 個 人 と社 会 の相 互 作 用 に よ って ア イ デ ンテ ィテ ィは確 立 され る と言 え る。 後 者 に 関 して は次 の よ うに ま とめ る こ とが で き る。 ア イ デ ンテ ィテ ィ は、 と りわ け青 年 期 の モ ラ ト リ ア ム 「アイ デ ンテ ィテ ィの さ ま ざ まな構 成 要 因(中 略)を 統 合 す るた め の 猶 予 期 間 」で形 成 され る(6)。 ア イ デ ンテ ィ テ ィが 、 青 年 期 に確 立 さ れ る の は 「今 も生 きて い る 過 去 の 現 実 性 と、 前 途有 望 な 未 来 の 現 実 性 とを連 結 させ る」 必 要 が あ る か らで あ る(7)。そ して ア イデ ン テ ィ テ ィ の確 立 とは 「一 つ の 、 合 理 的 に首 尾 一 貫 した 、 独 特 の 統 一 体 を形 づ くっ て い る」 こ と を表 して い る(8)。また 青 年 期 の 「ア イ デ ンテ ィテ ィ とは、(否 定 的 な もの を含 む)す べ て 以 前 の 同 一 化 〔自分 に とっ て 重 要 な影 響 力 を有 す る 人 との 一 体 感 ま た は 同 一 視 〕 や 自 己像 の 統 合 を意 味」 す る(9)。つ ま り、 ア イ デ ン テ ィ テ ィは 、 ライ フサ イ ク ル の 中 で の 児 童 期 か ら成 人 期 の 間 に位 置 す る青 年期 に お い て確 立 し な け れ ば な ら ない 課 題 で あ る 。 成 人 期 へ 向か うた め の 準 備 期 間 と して の青 年期 に お い て 他 者 に首 尾 一貫 した 自分 を位 置 づ け る た め に ア イ デ ンテ ィテ ィ を確 立 す る こ とが 要 請 され る の で あ る。 しか し この エ リ ク ソ ンが 「ア イ デ ンテ ィテ ィ と は、 パ ー ソ ナ リテ ィ特 性 とか 、 また は、 何 か 静 態 的 で 不 変 な も の の形 を した 『成 果 』 と して 『達 成 』 され る よ うな もの で は 、 決 し て な い」(10)として い る こ とに は 注 意 し な け れ ば な ら な い。 エ リ ク ソ ン は、 ア イ デ ンテ ィテ ィ は あ る成 人 期 以 降 も変 わ る可 能 性 が あ る こ と を示 唆 して い るの で あ る。 恐 ら く この 点 が 、 不 変 的 な首 尾 一 貫 した ア イ デ ンテ ィテ ィ と誤 解 され る よ うに な っ た の だ ろ う。 こ の よ うに 、 エ リ ク ソ ンの ア イデ ン テ ィ テ ィ概 念 は、 「心 理 ・社 会 的」 と ライ フサ イ クル を柱 と し、 と りわ け ライ フサ

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アイデ ンテ ィテ ィの行 方(新 矢 昌昭) イ ク ル の 青 年 期 に お い て獲 得 され ね ば な らな い課 題 で あ り、 他 者 を含 む社 会 と心 理 的 な相 互作 用 に よ っ て首 尾 一 貫 した 自分 が 確 立 さ れ る の で あ る、 と考 え る こ とが で き るだ ろ う(11)。 エ リ ク ソ ン の ア イ デ ンテ ィテ ィ概 念 は難 解 で は あ るが 、 社 会 学 、歴 史 学 、 政 治 学 な ど様 々 な 分 野 に 影響 を与 え て い っ た 。 そ して ま た この ア イ デ ン テ ィ テ ィ概 念 は 、 現 在 に もあ る程 度 、 有 効 性 を持 ち続 け て い る と言 え よ う。 否 、 事 実 持 っ て い る。 そ れ は例 え ば 、 矛 盾 す る さ ま ざ まな 自我 像 か ら、 矛 盾 の少 な い もの を選 択 し受 け入 れ る こ と に よ っ て 「あ る程 度 の 統 一 性 を つ く り あ げ て ゆ く。 こ れ が 『ア イ デ ンテ ィ テ ィ』 で あ る。 強 い て定 義 す る と 『自分 は い つ も 同 じ 自分 で あ る』 とい う確 信 ・実 感 の こ とだ 」、 と され て い る よ う に(12)、一 貫 した ア イ デ ンテ ィ テ ィが 唱 え られ て い る こ とや 、 そ して 先 程 見 た 高校 の教 科 書 に掲 載 さ れ て い る こ とか ら も分 か る 。 し か し、 こ こ で 問題 とすべ きは 、 そ れ が 何 故 、 現 在 、特 に 「自分 探 し」 が顕 在 化 して きた1980年 代 以 降 に 、 ア イデ ンテ ィテ ィが社 会 的 に流 布 せ ず に 「わ た し」 な の か と言 う こ とで あ る(13)。更 に言 え ば社 会 と個 人 の相 互作 用 で 成 立 す る ア イ デ ンテ ィ テ ィが 、何 故 「わ た し」 へ と小 さ くな っ て しま っ た の か、 と言 う こ とで あ る。 3.近 代 的 な 人 間 観 と し て の ア イ デ ン テ ィ テ ィ そ の 前 に、 こ う した ア イ デ ンテ ィ テ ィに よっ て 語 られ る人 間観 に つ い て 考 えて み た い 。 ア イ デ ンテ ィ テ ィ につ い て の エ リ ク ソ ン の概 念 を見 て きた が 、 そ こ に前 提 と され て い る人 間観 は 近 代 的 な 人 間観 そ の もの で あ る と思 われ る。 ア イ デ ンテ ィ テ ィ を語 る と き前 近 代 の 人 間観 と対 比 して み る とそ れ が よ く分 か る。 前 近 代 の 人 間 に とっ て ア イ デ ンテ ィテ ィは問 題 と な ら なか っ た。 それ は、「自分 が何 もの で あ る の か」が は っ き りと して い た か らで あ る 。共 同体 の 中 にあ っ て は、 自分 が何 で あ る とい うこ とは 自分 か ら見 て も他 者 か ら見 て も は っ き り して い た 。 例 え ば 、 自分 は農 民 とい う 身分 で あ り、 住 む 世 界 も決 ま っ て お り、 そ し て農 民 で あ る た め の 役 割 が は っ き り して い る とい う よ うに。 ま た、 他 者 か ら見 て も、 服 装 や 髪 型 な どの外 見 に よ って 身 分 が 分 か り、 ま た彼 の役 割 が 認 識 で きた の で あ った 。 そ して そ れ は 自身 に とっ て疑 い を 入 れ る余 地 は な か っ たで あ ろ う。 何 故 な ら、 「社 会 的 に あ らか じめ 定 め られ た 回 答 は 主観 的 に も圧 倒 的 に現 実 性 を も って お り、 す べ て の 意 味 あ る社 会 的相 互作 用 の なか で 一 貫 して確 認 さ れ てい るか らで あ る」(14)。 つ ま り、 前 近代 的 な人 間観 は 、 自分 が 自分 で は な く、 単 な る個 で あ り個 人 が社 会 に代 表 さ れ る よ う な 人 間観 で あ った 。 だ か ら ア イ デ ン テ ィ テ ィが 問 題 と な ら な い の で あ る。 言 い 換 え る と、 個 人 は社 会 に とって 匿 名 的 な存 在 なの で あ る。 で は、 近 代 的 な人 間観 とは何 だ ろ うか 。 そ れ は近 代 個 人 主 義 に示 さ れ て い る と思 わ れ る。 こ の 近 代 個 人 主 義 とは どの よ うな 個 人 の存 在 なの だ ろ うか 。L.デ ュモ ンは 、 個 人 主 義 を考 え る に 当 た っ て 次 の よ う な個 人 の 前 提 か ら社 会 を二 種 類 に分 け る こ とか ら出 発 す る 。 「個 人 」 が至 上 の価 値 とさ れ て い る場 合 が 個 人 主 義 の社 会 で あ り、 対 照 的 に、 ひ とつ の全 体 と して の 社 会 に価

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佛教大学大学 院紀要 第32号(2004年3月) 値 が見 い だ され て い る場 合 が 全 体 論(ホ ー リズ ム)の 社 会 で あ る(15)。そ して個 人 主 義 は イ ン ド 社 会 と西 洋 社 会 との比 較 に よっ て 見 出 した解 脱 の た め や 隠 遁 生 活 者 で あ る 「世 俗 外 個 人 」 に起 源 が あ る が 、 や が て宗 教 改 革期 に よ っ て神 との 関係 に あ る世 俗 外 個 人 が 世 俗 内 を圧 迫 し、 そ の 結 果 「現 世 にお け る生 活 は そ の 至 上 価 値 に順 応 す る もの と な り、 こ う して 世 俗 外 個 人 は近 代 的 世 俗 内 個 人 主 義 と な る」(16)。これ が 個 人 主 義 誕 生 の プ ロ セ ス で あ る。 つ ま り、 理念 的 に 近 代 個 人 主 義 は 、 全 体 と して の社 会 に価 値 が お か れ て い る全 体 論 の 社 会 を崩 した 個 人 に価 値 が お か れ る 近代 社 会 で 誕 生 す る。 また作 田啓 一 は、 個 人 主 義 の 発 生 条 件 か ら見 て 、 デ ュモ ンの 観 点 を凡 そ 踏 襲 した 人 格 の尊 厳 を要 素 とす る 「宗 教 的 個 人 主 義 」 と独 自 の 「経 済 的 個 人 主 義 」 を析 出 し て い る 。 こ の経 済 的個 人 主 義 は、 産 業 革 命 の 延 長 にあ る市 場 経 済 シス テ ム が 全体 論 の 中 か ら人 間 を引 き離 し、 独 立 の 単 位 と な っ た 個 人 で あ る。 しか し超 越 的 存 在 とつ な が る個 人 で は な く、 自己 利 益 の 追 求 の 主体 と して の 個 人 で あ る と し、 そ して 両 者 共 全 体 論 の社 会 を解 体 させ て い く こ とか ら個 人 主 義全 体 の二 つ の 中心 で あ る と して い る(17)。 この よ う に近 代 社 会 に誕 生 した 個 人 は 、 大 別 して 人 格 の 尊 厳 と 自己 利益 の 追 求 に あ る と思 わ れ る が 、 何 れ に して も、 近代 個 人 主 義 を前 提 とす る近 代 の 人 間観 は 、 この 人 格 の 尊 厳 にあ る だ ろ う。 そ して、 そ れ が 近代 社 会 にお い て語 られ た の で あ る。 つ ま り、 近代 社 会 に 生 き る人 間観 と して 。 そ の 一 つ に、M・ ウ ェー バ ー の近 代 的 な人 間観 を あ げ る こ とが で きる。 近代 の 人 間が 生 きて い る 「認 識 の樹 に よっ て は ぐ くま れ て きた 一 文 化 時 代 の宿 命 は 、 世 界 生起 の 意 味 を読 み と る こ とが で きず 、 か え っ て意 味 そ の もの を創 造 しな け れ ば な らな い」(18)。しか も、 個 々 の 重 要 な 行 為 や 全 体 と して の 生 き方 は 「一 連 の 究極 的 な決 定 を意 味 す る の で あ っ て 、 この 決 定 に よ っ て 、(中 略)そ れ 自 身 の運 命 を、 す な わ ち 、 そ の 行為 と存 在 との 意 味 を選 ぶ の で あ る」(19)。近 代 とい う時 代 は、 人 間 が 意 味 を創 造 しな け れ ば な らな い 時 代 で あ る 。 つ ま り近代 的 な 人 問 観 と は 、 客 観 的 な意 味 を与 え て くれ た 神 の 時代 で は な く、 自 らが 主 体 的 に 意 味 を創 造 し生 き方 を 自 ら選 ば ね ば な らな い 時代 の 人 間 を示 して い る 。 自 らの 意 義 を社 会 に位 置 付 け て い く存 在 で な け れ ば な ら な い の は 、 意 味 の 究極 的 源 泉 で あ っ た神 とい う世 界 が 人 間 の世 界 と相対 化 され た か ら で あ る 。 こ の よ うに近 代 的 な 人 間 観 は造 られ た もの で あ る。 しか し、 一 度社 会 に 定 着 して しま う と、 そ れ が 人 間 の あ り方 と して 規 定 さ れ て し まっ た 。 そ し て こ の よ うな 主体 的 な 近代 の 人 間 の生 き方 の 内面 を 支 え る もの と して提 唱 され た のが 、ア イデ ンテ ィ テ ィで あ った と思 わ れ る(20)。 もち ろ ん 、 ウ ェ ーバ ー の 時代 で 語 られ た もの で は な い 。 アイ デ ン テ ィテ ィは 更 に複 雑 化 した社 会 の 中 で 入 間 の存 在 を支 え る もの で あ る。 だ か ら、 ア イ デ ン テ ィ テ ィ とは、 近代 社 会 が 複雑 化 し始 め近 代 的 な 人 間 が拠 っ て立 つ 支 点 が 揺 れつ つ あ った 時 に 出 て き た言 葉 で あ った と言 え よ う。 何 よ り も社 会 に位 置 付 け られ るの で は な く、 自 らが社 会 に 位 置 付 け て い く人 間 の存 在 と して ア イ デ ンテ ィ テ ィ を手 に入 れ な け れ ば な らな い。 また さ ま ざ ま な役 割 を引 き受 け て も、 人 間 は 主 体 的 な 一 貫 した ア イ デ ンテ ィテ ィ を持 つ 存 在 とい う よ うに 。 複 雑 な社 会 に生 きる近 代 的 な 人 間 観 を前 提 と して 、 ア イ デ ンテ ィテ ィが 位 置 付 け られ る。 逆 に 言 え ば、 複 雑 な社 会 に生 きる近 代

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ア イデ ンテ ィテ ィの行方(新 矢 昌昭) 的 な 人 間 は ア イ デ ンテ ィテ ィが 必 要 とな る 。 ア イデ ンテ ィ テ ィ は、 こ の よ う に近 代 的 な 人 間 観 が 前 提 と な っ て い た の で あ る。 しか し現 在 の 人 間 は、 恐 ら くア イ デ ンテ ィテ ィで は捉 え きれ な くな っ て し まっ た 「わ た し」 の存 在 を示 して い る と思 わ れ る。 4.ア イ デ ン テ ィ テ ィ の 概 念 エ リ ク ソ ンの ア イ デ ン テ ィ テ ィ概 念 が確 固 と した もの で は な か っ た よ う に、 実 は ア イ デ ンテ ィテ ィの 使 わ れ方 そ の もの も 固定 化 さ れ て い ない の が 実 情 で あ る。 西 平 直 に よ る と、 ア イ デ ン テ ィテ ィが 一 般 的 に使 わ れ る領 域 で は 、 自己 や 自我 シス テ ム とい う心 の 内 部 の 言 葉 とさ れ る一 方 、 国 家 や 民 族 に つ い て 用 い られ る言 葉 で もあ る。 ま た心 理 的発 達 段 階 で は、 達 成 す べ き課 題 と して 理 解 さ れ る 一 方 、 固定 、 完 成 して し ま う こ と な く、 ラ イ フ サ イ クル にお い て 組 み 替 え ら れ る不 断 の運 動 と して 理 解 さ れ る。 更 に 、 体 制 に組 み 込 ま れ る こ とを拒 否 す る青 年 た ち が 生 き 方 を模 索 す る手 が か りと な っ た言 葉 で あ っ た 一 方 で 、 ナ シ ョナ ル ア イ デ ンテ ィ テ イの よ う に体 制 側 が 求 め る言 葉 で もあ る。 そ して 、 様 々 な学 問 で の 分 析 概 念 を見 る と、 心 理 学 の 場 合 で は、 達 成 度 が 数 量 化 され 、 実 証 的 に検 証 可 能 な 青 年 の 心 理 特 性 で あ り、社 会 科 学 の場 合 で は 、 人 権 や 身 分 な どへ の帰 属 意 識 と して の 歴 史 的社 会 的 な客 観 的 事 実 の 自覚 が 強調 され る概 念 で あ る。 また 教 育 学 の場 合 で は、 規 範 性 を帯 び た 目的 理 念 で あ り、 教 育 とは ア イ デ ンテ ィ テ ィ形 成 で あ る な ど と規 定 され て い る と言 う(21)。こ の よ うに 、 ア イ デ ンテ ィテ ィは様 々 に捉 え られ る 。 つ ま り、 入 に よっ て 、 或 い は文 脈 に よっ て は 異 な る意 味 と して使 わ れ る 可 能 性 が あ る の で あ る。 こ こで は、 一・応 仮 に、 次 の よ う に 考 え た い 。 一 言 で 言 う と、 そ れ は 「自己 完 結 」 す る もの で は な い とい う視 点 で あ る。 絶 えず 、 ア イ デ ンテ ィ テ ィ は 自己(我)と 他 者 二社 会 との相 互 作 用 に よ っ て形 成 され る とい う こ とで あ る 。 もち ろ ん 、 こ う した考 え は 、 す で に述 べ た よ うに、 エ リ ク ソ ン 自身 が ア イ デ ン テ ィ テ ィの形 成 をそ の よ う な相 互 作 用 と して 考 えて い た こ とで もあ る。 だ か らこ そ逆 に言 え ば、 エ リク ソ ンの ア イ デ ン テ ィ テ ィ概 念 は 現 在 で も影 響 を持 ち続 け て い るの で あ る。 だが 、 こ こ で社 会 学 の 「自己(我)」 とア イ デ ンテ ィ テ ィ と の違 い とい う疑 問 が 起 こ っ て くるで あ ろ う。 こ の 自己 につ い て初 め て社 会 学 的 に考 察 した の は 、G・H・ ミー ドで あ る。 ミー ドに よ れ ば 、 自己 の存 在 は他 者 が 前 提 とな る。 自 己 は、 「社 会 的 経験 や活 動 の過 程 で生 じる もの、 す な わ ち そ の過 程 の全 体 お よ び そ の 過 程 に ふ く まれ て い る他 の個 人 た ち との 関 係 形 成 の 結 果 と して あ る個 人 の なか で発 達 す る もの で あ る」(22)。自己 は 他 者 との 相 互 関係 に よ っ て 形 成 さ れ る 。 しか し、 そ うだ とす る と 自 己 とア イ デ ンテ ィテ ィ と の違 い とい う こ とが わか らな くな って し ま う。 両 者 は 同 じ と も捉 え られ る の で あ る。 そ の こ とは 例 え ばR・D・ レイ ンの 「〈ア イ デ ンテ ィテ ィ〉 に は すべ て 、 他 者 が 必 要 で あ る。 誰 か 他 者 と の 関係 に お い て 、 また 関係 を通 して 、 自己 と い う ア イ デ ンテ ィ テ ィ は現 実 化 され るの で あ る」(23)とい う考 え に 如 実 に示 さ れ て い よ う。 で は、 どの

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佛教大学大学 院紀要 第32号(2004年3月) よ う に この 両 者 は考 え る こ とが で き る だ ろ うか。 幾 つ か の ア イ デ ンテ ィテ ィ と 自己 論 を 巡 る 言 説 か ら考 察 してみ よ う。 草 津 攻 は 、 ア イ デ ンテ ィ テ ィ を 「自 己 に 向 け て 問 い を発 しつ つ 、 生 き る世 界 を拡 げ て い こ う とす る私 た ち の 営 み に 関 わ っ て い る 。(中 略)個 体 の さ ま ざ ま な欲 求 が あ る形 へ と統 合 さ れ た 『パ ー ソナ リテ ィ(人 格)』 が 、社 会 ・文 化 と どう関 わ って い るか を示 す 概 念 」 と捉 え て い る(24)。 対 して、船 津 衛 は、「人 間 の 自我 が 社 会 的 な もの で あ る こ と、そ の 自我 は孤 立 した もの で は な く、 常 に他 の 人 間 と のか か わ りに お い て 形 づ く られ る こ と、 こ の よ うな 自我 の社 会 性 を 明 らか に す る の が 自我 の社 会 学 で あ る」 と して い る(25)。ま た、 天 野 義 智 は 、 両 者 を次 の よ うに位 置付 け て い る。 ヘ へ 自己 は 、社 会 的 な諸 関係 の な か に 身体 を お き、 そ の 効 果 を受 け つ つ 、 さ ま ざ ま な欲 望 をい ヘ ヘ コも ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ だ き、行 為 を行 うそ れ ぞ れ の私 で あ る。(中 略)ア イデ ンテ ィ テ ィ は、 想 像 的 な 自己 規 定 と へ 結 び つ い た 、 私 の存 在 様 態 を示 し て い る 。 そ れ は 、 自 己 が社 会 的 な諸 関 係 の なか で み ず か ら を どの よ う な存 在 と して 感 じ ・思 い な す か 、 また 諸 々 の対 象 との 関 係 にお い て な に を快 と し ・不 快 とす るか の偏 奇 を か た ちつ くる(26)。 これ らの 言 説 か らは 、 次 の よ う な こ とが 言 え る。 ア イ デ ンテ ィ テ ィは社 会 的 な状 況 の 中 で、 「わ た し ら しい わた し」 を確 立 す る こ とにあ る。 対 して 自我 論 は、 自己が どの よ うに して 対 他 者 関係=社 会 関係 の か ら形 成 され る の か とい う こ と にあ る。 あ る意 味 で 言 う と、 社 会(他 者)へ の 位 置 付 け と社 会(他 者)か ら の位 置 付 け で あ る と思 え る 。 つ ま りア イ デ ンテ ィ テ ィが 自己 の 社 会 へ の 関係 で あ り、 自己 論 は 自 己 の社 会 か らの 関 係 で あ る 。 更 に言 え ば、 ア イ デ ンテ ィテ ィ は 「わ た し」 が社 会 の 中 で どの よ う に位 置 づ け るの か で あ り、 自己 論 は わ た しが社 会 に よっ て、 どの よ う に形 成 され る の か とい う こ とで あ る。 だが 、 こ の 二 つ の 関係 は コ イ ンの両 面 で あ る と 言 え る。 両 者 と も相 互作 用 を前 提 と して お り、 そ れ が 社 会 か 、 自 己か の どち らに力 点 が 置 か れ て い る の か 、 とい う違 い だ か らで あ る 。 だ か ら、 ア イ デ ンテ ィ テ ィ と自 己論 は融 合 して も違 和 感 は ない 。 あ たか も アイ デ ンテ ィテ ィが 「自 己 同一性 」 と訳 され て い る よ うに。 自我 論 を前 提 と しア イ デ ンテ ィ テ ィ を考 察 して い る の が 、P・L・ バ ー ガ ー で あ る 。 バ ー ガ ー の ユ ニ ー ク な点 は、 現 実 的 な社 会 が 人 聞 との 「弁 証 法 的 過 程 」 と して形 成 され る 点 で あ り、 ア イ デ ンテ ィ テ ィ も同 じよ うに こ の弁 証 法 過 程 で 形 成 さ れ る 点 に あ る。 この 弁 証 法 的 過 程 とは 、 外 在 化 、 対 象 化 、 内在 化 に よ る働 きで あ る 。 そ して ア イデ ンテ ィテ ィ も この 弁 証 法 に よ っ て説 明 さ れ て い るが 、 ア イ デ ンテ ィテ ィ は どの よ うに して 、 形 成 さ れ る の で あ ろ うか 。 バ ー ガ ー が こ こ で 強 調 す る のが 内在 化 で あ り、 こ れ を 第 一 次 的社 会 化 と第 二 次 的社 会 化 に 関 連 させ て述 べ て い る 。 前 者 は、 子 ど もの 意 識 の 中 に 「特 定 の他 者 」 の 役 割 と態 度 か ら、 役 割 と態 度 一 般 へ の 抽 象 化 を 生 み 出 す こ とで あ る。 こ の抽 象化 に よっ て 、子 ど もの 「一 般化 さ れ た他 者 」 の形 成 は、 具 体 的 な他 者 と他 者 の一 般 性 、 社 会 と も同 一化 して い る こ とを 意 味 し、 意 味 あ る他 者 に ア イ デ ンテ ィテ ィ を持 つ と同 時 に 一 般 的 な ア イ デ ンテ ィテ ィ を持 つ 。 一 般 化 され た 他 者 の 形 成 は社 会

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ア イデ ンテ ィテ ィの行 方(新 矢 昌昭) の 内在 化 と社 会 の な か で確 立 され た 客 観 的事 実 の 内 在 化 を意 味 す る と同 時 に 、 首 尾 一 貫 した 持 続 的 な ア イデ ン テ ィテ ィの 主 観 的 確 立 を も意 味 して い る の で あ る。 第 二 次 的 社 会 化 は、 分 業 に 基 礎 づ け られ て い る役 割 の 特 殊 な知 識 の獲 得 を指 し て い る。 第二 次 社 会 化 は、 第 一 次 的社 会 化 を前 提 に して 行 わ れ る こ と に よ って 、 す で に 内在 化 して い た もの と新 た な 内 在 化 に よ っ て 一 貫 性 とい う問 題 が 起 こ る が 、 第 二 次 的 社 会 化 は役 割 上 の 知 識 とい う形 式性 と役 割 は代 替 で き る と い う匿 名性 を帯 び て い る の で 、 第 一 次 的社 会 化 と比 べ て小 さ な主 観 的 必 然 性 しか 与 え られ ない の で あ る。 従 っ て、 この 一貫 性 が確 保 され な い場 合 は 、 「翻 身 」 とい う第 一 次 的社 会化 の 書 き換 え も起 こ りう る可 能 性 もあ るの で あ る(27)。と もか くバ ー ガ ー が 強調 す る の は 、弁 証法 に よ って ア イ デ ンテ ィ テ ィの 形 成 をみ る こ とで あ っ た 。彼 は ま た次 の よ うに も言 う。 社 会 的 に客 体 化 さ れ た 世 界 を 内在 化 す る プ ロセ ス は、 社 会 的 に 指 定 さ れ た ア イ デ ンテ ィテ ィ を 内在 化 す る プ ロセ ス と同 じで あ る。 主 観 的 な ア イ デ ンテ ィテ ィ と主 観 的 な現 実 とは 、 個 人 と彼 の社 会 化 に お い て 意 味 あ る他 者 と の あ い だ に交 わ され る 同 じ対 話 法 に な か で産 み 出 され る。 そ して、 個 人 が い っ た ん 、 客 観 的 に も主 観 的 に も認 め られ る ア イ デ ンテ ィテ ィ を もっ て 一 人 格 と して 成 人 す れ ば 、 た え ず 自分 を一 人 格 と して 人 生 を支 え る対 話 に 参 加 しな け れ ば な らな い 。 そ の よ う に して 個 人 は社 会 的 世 界 の共 同 制 作 者 で あ り続 け、 ま た そ して 自分 自 身 の 共 同 制 作 者 で もあ り続 け る の で あ る(28)。つ ま り、 外 在 的 な ア イ デ ン テ ィテ ィ は意 味 の あ る他 者 との対 話 に よっ て 内在 化 され る の で あ り、 対 象 化 と して 社 会 に働 きか け る の で あ る。 しか し恐 ら く、 この よ う な ア イ デ ンテ ィ テ ィの 形 成 は現 代 の社 会 で は考 え る こ とが 困 難 で あ ろ う。 現 在 で は ア イ デ ン テ ィ テ ィ か ら 「わ た し」 へ と変 容 して お り、 ア イ デ ンテ ィテ ィが 問 わ れ て い る の で は な く、 「わ た し」 が 問 わ れ て い る か らだ 。 「ア イ デ ン テ ィ テ ィ 自体 が 「『自我 同 一性 』 か ら 『〈私 〉ら しい私 』へ と転 換 」(29)し て い る状 況 を現 代 社 会 は 指 し示 して い る の で あ る。 だか ら、 ア イ デ ンテ ィテ ィ は 「わ た しは わ た しだ」 とい う実 感 は 困 難 な の で あ る。 で は何 故 、 ア イ デ ンテ ィテ ィ と して 「わ た し」 を捉 え る こ とは で きな い の だ ろ うか 。 とす る な らば、 この 「わ た し」 は どの よ う に捉 え る こ とが で きる の だ ろ うか 。 そ こで 、 ア イ デ ンテ ィ テ ィ と密 接 な関 係 に あ る と され て い る社 会 的 な状 況 を見 、 そ して 「わ た し」 が 形 成 さ れ る視 点 を考 えて み よ う。 5.ア イ デ ン テ ィ テ ィ の 揺 ら ぎ ア イ デ ンテ ィテ ィ は、 こ の現 代 社 会 で は 通 用 しな くな って き て い る。 ア イ デ ンテ ィ テ ィが形 成 され る社 会 とは 、 単 一 的 な社 会 で は な か った だ ろ うか 。 しか し現 代 の社 会 で は 、 ア イ デ ンテ ィテ ィ を位 置 づ け る こ と は望 め そ うに もな い 。 実 は 、社 会 の あ り方 が ア イ デ ンテ ィテ ィ の考 え 方 そ の もの に危 機 を及 ぼ して い る の で あ る 。 時 安 邦 治 は先 ほ どの バ ー ガ ー の 考 え につ い て 「バ ー ガ ー が 比 較 的社 会 を一 元 的 に捉 え、 まる で社 会 や 文 化 や個 人 が 強 固 な単 一 的 で あ るか の よ う

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佛教大学大学院紀 要 第32号(2004年3月) に語 って い る点 に は疑 問が あ る」 と批 判 して い る(30)。だ が 、 この 考 え は 、 そ の 時 点 で の バ ー ガ ー の 考 え で あ る こ とに 留 意 す る必 要 が あ る と思 え る。 バ ー ガ ー は 後 の 『故郷 喪 失 者 達 』(1973) で は、 単 一 的 な社 会 とい う考 え を 変 更 し て い る か らで あ る。 現 代 の社 会 をP・ バ ー ガー は 「生 活 世 界 の複 数化 」 と して 捉 え次 の よ うに 説 明 して い る。 この 複 数 化 は 「私 的 領 域 と公 的領 域 へ の 二 分 化 」 に特 徴 が あ るが 、 複 数 化 は そ れ ぞ れ の 内 部 で も起 こっ て い る。 例 え ば、 公 的領 域 で は分 業 の複 雑 さの 結 果 、 部 外 者 に は縁 が 遠 くわ けの わか らな い 生 活 世 界 が 形 成 され て お り、 ま た 私 的生 活 で も、 親 と子 の 世 界 が 異 な り、 或 い は家 族 以 外 で も複 数 の 他 者 との 親 密 な 関係 が 見 られ る とい う よ うに 、 生 活 の 意 味 と して の 中 心 と な る 「ホ ー ム ・ワー ル ド」 が 築 け な い の で あ る(31)。しか し社 会 をバ ー ガ ーが 複 数 に変 化 させ る こ とに よっ て 、 自身 の ア イ デ ンテ ィテ ィの考 え方 に揺 ら ぎを もた ら した と言 う こ とが で き る。 こ の よ うに 、 現 代 社 会 は単 一 的 な社 会 と して 捉 え る こ とが で きな い とす れ ば、 複 数 化 した社 会 か らは 首 尾 一 貫 した 自己 は形 成 で き な い か ら で あ る。 つ ま り、社 会 は様 々 に捉 え られ る とい う多 元 的 な社 会 な の で あ るの で 、 現 在 で は単 一 的 な社 会 と首 尾 一 貫 した ア イ デ ンテ ィテ ィ は考 え る こ とが 出 来 ない の で あ る。 例 え ば 、A・ メ ル ッチ は 「わた し と は何 か」 が 問 題 と され る社 会 の あ り方 を次 の よ うに説 明 して い る。 産 業 社 会 に お い て は 、 そ れ ま で の土 地 や 言語 や 宗 教 に依 拠 した紐 帯 は徐 々 に薄 れ 、 新 た に 役 割 や 制 度 と結 び つ い た新 しい 「選択 的」 ア イ デ ンテ ィテ ィへ と移 行 して い った 。 つ ま り、 個 人 はそ の 所 属 す る職 業 や 政 党 ・国家 ・階級 な どに よ り規 定 され る よう に な った の で あ る。 この よ う な参 照 ポ イ ン トはい ま だ有 効 で は あ るが 、 今 日新 た な 問 題 が提 起 され て い る よ う に思 わ れ る。 そ れ は 、 よ り個 人 だ け に 関 わ る、 「私 と は何 者 か?」 とい う問 い で あ る(32)。 つ ま り、 現 代 の社 会 で は 、 そ の複 数 性 か ら個 人 を確 実 に社 会 に 位 置付 け る こ とは で き な い の で あ る。 この よ うな状 況 が 「わ た し」 を 問題 とす る の で あ る。 こ の社 会 状 況 を提 示 した の が ポ ス トモ ダ ン とい う思 想 で あ る 。 ポ ス トモ ダ ン と言 わ れ る社 会 を どの よ う に捉 える にせ よ、 ポ ス トモ ダ ンの貢 献 は恐 ら く 「近 代 とい う物 語 」(大 きな物 語)を 解 体 させ た と言 う こ とは で き る。J・ リオ ター ル に よれ ば 「大 きな 物 語」 とは、 近 代 と い う時 代 を理 想 的 に物 語 っ た もの で あ った 。 例 え ば、 理 性 と 自 由 の漸 進 的 な 開放 、労 働 の 斬 新 的 あ るい は破 壊 的 な解 放 、 資本 主義 的 な科 学 技 術 に よ り人 類 全 体 が 豊 か に な る こ とな どで あ る 。 しか し、 大 き な物 語 の 衰 退 に よ って 、 こ う した 近 代 の 計 画(普 遍 性 の実 現 とい う計 画)は 、 破 壊 さ れ 、 清 算 され た の で あ る 。 だ が 、 全 て の 物 語 が 信 じ られ な くな っ た の で は な い。 「『大 きな 物 語 』 の イ ヌ ト ワ   ル 衰 退 は、 小 さ な もの も さほ ど小 さ くな い もの も、 無 数 の 物 語 二歴 史 が、 日常 生 活 の織 物 をお り 上 げ つ づ け て ゆ くこ と を、 さ また げ は しない 」 か らで あ る(33)。こ の リオ ター ル の 視 点 で 重 要 な の は 、 大 き な物 語 の 衰退 に よっ て 全 て の物 語 が 解 体 した の で は な く、 日常 生 活 そ の もの もが 物 語 で あ る と い う視 点 で あ る 。 つ ま り、 日常 生 活 、 更 に 言 え ば、 社 会 も物 語 な の で あ る と言 え よ う。 そ して そ の物 語 は大 きな 物 語 で は ない の だか ら、 比 べ て小 さ な物 語 と言 え る だ ろ う。 大 き な物 語 の 衰 退 や 社 会 の複 数 化 は 、 ア イデ ンテ ィ テ ィが前 提 と して い た よ う な社 会 は もは や な い

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アイデ ンティティの行方(新 矢 昌昭) と言 え る だ ろ う。 つ ま り、 社 会 が 多 元 化 し た こ とに よ っ て 、 ア イデ ンテ ィ テ ィは宙 吊 りに な っ た。 こ う した社 会 的 な状 況 か ら、 ア イ デ ンテ ィテ ィで は な く 「わ た し」 が 問 わ れ る こ とに な る。 しか し、 この よ う な社 会 に あ っ て 「わ た し」 は どの よ うに捉 え る こ とが で きる の だ ろ うか 。 ポ ス トモ ダ ン は こ の よ う に社 会 を物 語 と して 捉 え た。 とす れ ば 、 全 て の人 間 的 な営 み は 物 語 と し て捉 え る こ とが で き る か も しれ な い 。 社 会 そ の もの が物 語 で あ る とす る と、 この よ う な社 会 の 中 で の 「わた し」 も物 語 な の で は ない の だ ろ うか 。 この よ う な視 点 を示 して い る の が 「自 己物 語 」 で あ る。 片 桐 雅 隆 は 、 大 き な物 語 の 解 体 に よ る物 語 の 私 化 とい う 自己物 語 の現 象 につ い て 次 の よ う に言 う。 物 語 の 私化 と は、 抽 象 的 に構 築 され た マ ク ロ な集 合 的過 去 が物 語 と し て は参 照 され な くな り、 「各 人 の 個 人 誌 を基 盤 とす る ミク ロ な物 語 が 自己物 語 を構 築 す る た め の核 とな る現 象」 を示 して い る(34)。 しか し この 「わ た し」 二 自己 を捉 え る視 点 は、 ミー ドに始 ま る 自我 論 に よっ て展 開 さ れ て い た の で は な か っ た のか 。 だ が 、 自我 論 に よ る 自己 の 捉 え 方 に は、 問 題 が あ る よ う に思 わ れ る。 自我 論 で は 、 「わ た し」 が 捉 え られ ない 可 能性 が あ るか らで あ る 。 浅 野 智彦 に よれ ば、 自我 論 で は 次 の こ とが 解 け な い 。 そ れ は 「自 己 と は他 者 との 関 係 で あ る」 認 識 は、 対 他 関 係 を変 更 す る こ とが 困 難 で あ る こ と と、 そ して 「自 己 とは 自分 自身 との 関係 で あ る」 認 識 は、 対 自 関係 を変 え る こ とが 困難 な こ とで あ る。 前 者 は、 自 己 が他 者 との 関 係 で あ る とす る と、 対 他 関係 を 変 え る こ と に よ っ て 自己 を 変 る こ とが 可 能 こ とに な る 。 しか し、 そ の 関係 を変 え よ う とす る と、 ま ず 自己 が 変 わ らな け れ ば な ら な くな っ て し ま う。 つ ま り、 自己 が他 者 関係 で あ る に もか か わ ら ず 自 己 を変 え る た め に は 、 そ の 前 提 と して 自己 を変 え な け れ ば な らな い とい う奇 妙 な循 環 に陥 っ て しま う。 後 者 の対 自関 係 の 変 化 は 、 主我 が 自己 を変 え る こ とに よ って 自我 が 新 し く変 わ る と さ れ て い る が 、 しか し この 場 合 の 自己 とは 対 自関 係 を指 して お り、 他 方 、 主 我 とは客 我 に対 す る反 応 とさ れ て い る の だ か ら、 自 己 は 「主 我一 客 我 」 とい う 自分 自身 との 関係 で あ る 対 自関 係 の 中 で現 れ て く るは ず で あ る。 とす れ ば 主 我 が 、 自分 が変 え よ う と して い る対 象 で あ る 自己 の 「主 我 一 客我 」 関 係 を前 提 に して し ま う こ と に な る。 従 っ て 、 この 前 提 が あ る 限 り、 自分 を 変 え る た め の足 場 や 自分 が どの よ うに 変 わ った の か を確 認 す るた め の 「外 的 な視 点」 を 自分 自 身 で持 つ こ とが で き な くな っ て し ま う。 対 自関 係 を変 え よ う とす る 自分 が 、 こ の対 自関 係 に よ っ て生 み 出 され てい る の だか ら、 この 変 わ ろ う とす る 自分 が い る限 り、 「古 い対 自関 係 」 は維 持 さ れ て し ま うの で あ る(35)。つ ま り、 主我 に よっ て 自己 が 変 る こ とが で き る とされ て い るが 、 し か し主我 は主 我 一 客 我 関係 か らな る 自己 を前 提 と して い るの で 、 ど の よ うに 自己 が 代 わ っ た の か を確 認 で きな い の で あ る。 例 え ば、 麻 薬 中毒 者 が 、 中毒 で は ない 自己 を確 認 で き ない よ う に。 この よ う に、 も はや 複 数化 した社 会 にお い て首 尾 一 貫 し た ア イ デ ンテ ィテ ィ を位 置 づ け る こ とは 見 出 す こ とが で きな くな っ た 。 従 って 、 次 の よ う に言 え る。 大 きな物 語 が 衰 退 す る こ とに よっ て 、 単 一 的 な社 会 が物 語 で あ った とす る な らば 、 そ もそ も社 会 の 中 で の 一 貫 性 を求 め て い た ア イ デ ン テ ィ テ ィ 自体 も物 語 で あ っ た の で は な い の か 、 と。 大 きな 物語 が 解 体 す る こ とに よ

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佛教大学大学 院紀 要 第32号(2004年3月) っ て、 小 さ な物 語 の 中 で ア イ デ ンテ ィ テ ィ は物 語 られ ね ば な らな い と思 わ れ る。 つ ま り、 ア イ デ ンテ ィテ ィ は 「わ た し」 とい う物 語 か ら問 い 直 さ な けれ ば な らな い。 そ れ は 「わ た し」 を従 来考 え て きた 自我 論 で は 「わ た し」 を 問 う こ とが で きな いか らだ。 従 っ て、 「わ た し」 は 「わ た し」 の物 語 の一 環 で捉 え られ る と考 え られ る。 で は、 「わ た し」 が 物 語 で あ る とす れ ば 、 どの よ うに 「わ た し」 は物 語 の 中 で形 成 され るの だ ろ うか 。 6.ア イ デ ン テ ィ テ ィ と い う物 語 と して の 「わ た し」 物 語 論 は 、 臨 床 心 理 学 や歴 史 学 や 様 々 な分 野 で 注 目 され て い るが 、 こ こで も物 語 と 自 己 との 関係 に着 目 し自 己物 語 と して社 会 学 的 に展 開 して い る浅 野 智 彦 の 考 え に注 目 した い 。 浅 野 に よ る と、 物 語 とは 、視 点 の 二 重 性 、 す な わ ち 語 り手 と語 られ た物 語 の 主 人 公 とい う二 つ の視 点 を持 つ こ と。 そ して 出 来 事 の 構 造 化 、 す な わ ち 出 来 事 を時 間軸 に構 造 化 す る こ と。 更 に、 他 者 へ の 志 向 、 す な わ ち他 者 に向 け られ た 語 り、 を持 つ こ とを特 徴 とす る。 そ し て 「わ た し」 二自 己 とは、 「自分 自身 に つ い て 物 語 る 」 こ と を通 して 生 み 出 され 、 そ して 第 二 に 自己物 語 は 「語 り得 な い もの 」 を前 提 と し、 隠 蔽 して い る と言 う。 前 者 の 自己が 自己 物 語 に よ って 生 み 出 さ れ る とい う こ とは、 エ ピ ソー ドの 選 択 と配 列 を通 して は じめ て 「わ た し」 が 現 れ る こ とで あ る。 す な わ ち 「私 」 が い て、 次 に 「私 」 につ い て私 が 語 る とい うの で は ない 。 そ うで は な く、 自分 自 身 に つ い て 語 る とい う 営 み を 通 し て は じめ て 「私 」 が 生 み 出 さ れ る の で あ る。 後 者 の 「語 り得 な い もの 」 と は、 首 尾 一 貫 した 自己 物 語 で も 「この語 り得 な さ」 が付 随 して い る こ とで あ る 。従 っ て 、 一 見 一 貫 した 自己 物 語 は、 そ の 背 景 に非 一 貫 性 が 潜 ん で い る こ と に な る。 この 非 一 貫 性 が 何 故 潜 ん で い る か と言 え ば、 自己物 語 の構 造 に求 め る こ とが で き る。 自己 物 語 とは 、 「人 が 自分 自身 につ い て 語 る物 語 」 で あ るが 、 そ こで は 「私 が私 に つ い て語 る」 とい う構 造 を持 つ 。 従 っ て、 こ の 時 の こ の 「私 」 は、 二 つ の位 置(私 が/私 を)同 時 に 占め て い る こ と にな る 。 そ して 、 こ こで の 「私 」 は 同 じ 「私 」 で あ る 同 一 性 と異 な る場 所 に お か れ て い る差 異 性 と の 問 で 引 き裂 か れ て い る の で あ る。 この 二 つ の 私 の 位 置 と は、 自 己物 語 が 語 り手 と して の 「私 」 と 登 場 人物 と して の語 られ る 「私 」 の視 点 は異 な っ て い な け れ ば な らない が 、 一 方 で 、 語 る 「私」 と登 場 人 物 と して の 「私 」 と は、 自 己物 語 の結 末 にお い て 一 致 しな け れ ば な ら ない 特 徴 を持 つ こ と を意 味 して い る 。 も し二 つ の 「私 」 が 完 全 に一 致 した な らば、 もは や語 りは起 こ りえ な い で あ ろ う し、 完全 に 差 異化 す る な らば 、 そ れ は もは や 「自己」 物 語 で は あ りえ ない か らで あ る 。 つ ま りこ の 二 つ の 「わ た し」 とい う物 語 の構 造 の 中 に 、 選 択 さ れ な か っ た 「語 りえ な い もの 」 が存 在 す る の で あ る 。 で は 、 「語 り得 な い もの」 の非 一 貫 性 は どの よ うに して解 決 され 、物 語 は 一 貫 性 を持 つ こ とが で き るの で あ ろ うか。 そ れ は、 非 一 貫 性 に もか か わ らず 自 己物 語 が 語 り手 で あ る 「私 」 をそ れ な りに一 貫 した存 在 と して 生 み 出 して い く とす る な らば、 「語 り得 な さ」 が 何 らか の 形 で 隠 蔽 され て い な け れ ば な らな い こ とに あ る。 そ こで重 要 と な るの が 「他 者 へ の伝 達 」で あ る。 他 者(36)へ物 語 を語 る こ とは、 相 手 を納 得 させ ね ば な らな い。 そ こで 「語 り得 な さ」

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アイデ ンテ イテ イの行方(新 矢 昌昭) の 隠蔽 が 行 わ れ る の で あ る 。 語 りが 部 分 的 に 一・貫 性 を欠 き、 全 体 と して 真 偽 が 未 決 定 で あ っ た と して も、 聞 き手 に対 して 隠 す こ とが で きた 時 に 、 自己 物 語 は納 得 の行 くもの と して 受 け 入 れ られ て い る。 そ の よ うに して 自己 物 語 が 他 者 に よっ て 受 け入 れ られ て い る限 りにお い て 、 あ た か も 「語 り得 な さ」 な ど存 在 し ない か の よ うに 物 語 は進 み 、 語 り手 の 「私 」 もあ た か も安 定 し た 同一 性 を備 え て い る か の よ うに 自己物 語 は現 れ て くる こ とに な る(37)。 この よ うに 見 る こ とが 出来 る とす る と、 ア イ デ ンテ ィテ ィは、 自己物 語 へ とシ フ ト して い く。 そ の 意 味 で 「自己 の ア イ デ ンテ ィ テ ィ とは 、 自分 が何 者 で あ る か を 、 自分 に語 って 聞か せ る物 語[ス トー リー]と な る」 の で あ る(38)。つ ま り、 ア イ デ ンテ ィテ ィは 「わ た し」 が 同 一 化 で き る社 会 が 不 確 か な もの と な り、 様 々 な小 さな社 会 の 中で 語 られ る こ と に な る。 もち ろ ん 、 だ か ら とい っ て 社 会 が 重 要 で な くな るの で は ない 。 「二 つ の視 点(過 去 の私/現 在 の 私)が 物 語 の結 末 にお い て重 な り合 う。 そ して 、 そ の 一 致 は 、 他 者 に よ っ て 聞 き届 け られ 、 受 け入 れ られ た と き に現 実 と な る」 と い う よ う に(39)、自己物 語 の完 結 は他 者 関係 を必 要 とす るか らで あ る。 こ の よ う に 自 己物 語 とは 、 「自分 自身 につ い て物 語 る」 「語 りえ な い もの 」 こ とを基 軸 とす る 。 簡 単 に言 え ば、 現 在 の 「わ た し」 は物 語 る こ と に よ っ て成 立 す る 。 そ して 物 語 が 相 手 に伝 え 受 容 さ れ る こ とに よっ て 自己 物 語 は完 結 す る 。 また 物 語 の形 成 過 程 は 様 々 な筋 や プ ロ ッ トが 選 択 さ れ るの で あ る が 、 選 択 され なか っ た筋 や プ ロ ッ トは 隠蔽 さ れ物 語 は 完 成 す る の で あ る か ら、 自 己 物 語 は変 化 す る可 能 性 が あ るの で あ る。

ま たA・ ギ デ ンズ のself-identityも こ の 「わ た し」 の 状 態 を 示 して い る と思 わ れ る 。self-identityと は 、個 人 の 再 帰 的 行 為 に お い て ル ー テ ィ ン と して創 造 さ れ維 持 され る こ と を意 味 し、 更 に再 帰 性 と しての 自己(theselfasreflexively)は 、 彼 ま た は彼 女 の 自叙 伝 とい う立 場 か ら人 に理 解 され る。 そ して再 帰 的 な 自叙 伝 は、 「特 殊 な語 りの 行 い(particularnarrativegoing)」 に よ って 成 立 す る もの で あ り、多 くの 物 語 の 方 法 と同 じよ う に 「変 化 す る(vary)」 の で あ る(40)。 自 己 ア イ デ ンテ ィテ ィ は 自 己が 再 帰 的 に語 る こ とに よ っ て 成 立 させ る物 語 で あ る。 この 再 帰 性 と は、 常 に 反 省 的 に振 り返 り、 意 味 を見 出 して い く こ と を言 うが 、 そ こか ら物 語 は 変 化 す る 。 自己 が 再 帰 的 で あ るの は、 自 己 の基 準 が 自己 の 内部 に あ る か らで あ る。 そ れ は、 身分 の よ う な 外 的 な基 準 で 、 「わ た し」 が決 定 さ れ て い た前 近 代 社 会 とは違 っ て、 近 代 社 会 で は外 的 な基 準 を 自己 の 内 的 な基 準 で 選 ば な くて は な ら ない こ と を意 味 す る。 モ ダニ テ ィの有 す 再 帰 性 の 根 本 的 な 要 素 で あ る、 《再 帰 的 企 て 》 と して の 自己 の構 築 。 つ ま り、 人 は 、 自分 の アイ デ ンテ ィテ ィ を、 抽 象 的 シ ス テ ム が 供 与 す る方 法 と選 択 肢 の なか か ら見 つ け出 さ なけ れ ば な らな い(41) この よ う に 、 ア イ デ ンテ ィ テ ィそ の もの が 個 人 的 に な り小 さな社 会 に応 じて多 元 化 して しま った 結 果 、 ア イ デ ンテ ィテ ィ は、 様 々 な 「わ た し」 に よ っ て しか 形 成 され な い。 つ ま り、 ア イ デ ンテ ィ テ ィ は多 元 的 な社 会 の 状 況 に合 わ せ て 形 成 され る こ と とな るの で 、 そ の時 、 そ の 場 に 相 応 しい ア イ デ ン テ ィ テ ィ しか 形 成 す る こ と しか で きな い の で あ る 。 多 元 的 な社 会 の 中 で の

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佛教大 学大学 院紀要 第32号(2004年3月) 「わ た し」 は首 尾 一貫 的 な 自己 と して 存 在 す る こ とが で き ない か らだ 。 ア イ デ ンテ ィテ ィは 多 元 的 な社 会 に応 じて複 数 化 し、 そ こ で形 成 さ れ る 「わ た し」 もま た 「わ た し」 が 物 語 に よ っ て し か 成立 しな い以 上 、「わ た しは わ た しで あ る 」とい うア イ デ ンテ ィテ ィは 自己物 語 の一 つ とな る。 従 って 、 ア イ デ ンテ ィテ ィ は 「わ た し」 が語 る 自己 物 語 で あ り、 自己 物 語 と して の ア イ デ ンテ ィテ ィ な ので あ る。 ア イ デ ンテ ィ テ ィは こ の 自己 物 語 の 中 で形 成 され る。 そ して こ の物 語 と し て の ア イ デ ンテ ィ テ ィに 一 貫 性 が あ る の は 、物 語 の 中 で の み の 一 貫性 で あ る。 しか も一 貫 性 は 自己 物 語 の 中 で の み 一 貫 した 「わ た し」 が確 認 で き る とい う こ とに他 な ら な い の で 、 永続 性 が 保 証 さ れ な い。 だ か ら、 自己 ア イ デ ンテ ィテ ィ は、 自己物 語 と同 じ意 味 と して捉 え る こ とが で き よ う。 しか も、 そ の 自己 物 語 と して の ア イ デ ン テ ィテ ィは 複 数 存 在 す る こ とに な る 。何 故 な らば、 自 己物 語 は 、 現 在 の 観 点 か ら想起 され る も の で あ り、 一 貫 した 物 語 を 人 は で き る もの で き な い 「ゆ る や か な 結 び つ き」 の 物 語 に す ぎ ない の で 、他 者 に受 容 され た 自 己 が 、 別 の 他 者 を 前 に した時 に は 「そ れ らの あ い だ に は同 一性 や 一 貫 性 を維 持 す る必 要 は な い」 か らで あ る(42)。 こ の よ う に考 え る と、 「わ た し探 し」、 「本 当 の わ た し」 とい う言 葉 の氾 濫 も、 物 語 へ と向 か う ア イ デ ンテ ィテ ィの 変 容 過 程 の 中 で の 出 来 事 で あ る と思 え る。 しか し、 今 な お 、 アイ デ ン テ ィ テ ィが教 科 書 の よ う な言 葉 で語 られ て い る 限 り、 自己 物 語 と して の ア イ デ ンテ ィテ ィか ら 「わ た し」 は 離 れ て い く。 つ ま り、 この ア イデ ンテ ィテ ィが 未 だ に 自 己 同一 性 と訳 され る限 り、 或 い は ア イ デ ンテ ィテ ィ に 自己 の 一 貫 性 が あ る と され 求 め られ る 限 り、 そ の よ う な ア イデ ン テ ィ テ ィか ら 「わ た し」 は浮 遊 す る。 7.不 安 な 「わ た し」 ア イ デ ン テ ィ テ ィ は、 様 々 な役 割 の 中 で 、 果 た す べ き役 割 を 自 ら選択 し、 自 ら納 得 のい く よ う に社 会 に対 して 自分 を 定 義 す る こ とで あ っ た 。 つ ま り、 様 々 な役 割 を 一 つ に纏 め上 げ る こ と で あ った 。 石 川 准 が 述 べ て い る よ うに、 こ う した 多 様 化 す る役 割 や 関係 な ど他 人 と区別 す る 自 分 ら しい 独 特 な全 て が ア イ デ ンテ ィテ ィ を構 成 す る。 つ ま り複 雑 な 「わ た し」 を取 り巻 く環 境 や 状 況 の 中 で も 「全 部 を ひ っ くる め た もの が 『わ た し』 だ 。 要 す る に 『わ た し』 とは ア イ デ ン テ ィ テ ィ の 集合 、 ア イ デ ンテ ィテ ィ の束 だ とい う こ とだ」と され て きた(43)。しか し、 ア イ デ ン テ ィ テ ィ とい う一 貫 した 「わた し」 は多 元 的 で あ り、 どれ が 中心 で あ る の か で さえ わ か らな い。 だ か ら、 この よ うな 「わ た し」 の 束 と して ア イ デ ンテ ィテ ィ を ま とめ る こ とは で き ない。 も は や、 ア イ デ ンテ ィテ ィ と して の 「わ た し」 は存 在 しな い の で あ り、 ア イ デ ンテ ィテ ィ に よ って は 「わ た し」 は 統 一 され な い の で あ る。 ア イ デ ンテ ィテ ィ は社 会 に対 して 「わ た し」 が 一 貫 し た 意 味 を 持 ち 、 様hな 「○ ○ と して の 自分 」 を 束 ね る中 心 点 を持 つ こ とが 保 障 され て いた 大 き な物 語 の 中 で 言 えた の で あ る。 しか し多 元 的 な社 会 にお い て は 「わ た し」 を束 ね る 中心 点 と し て の 立 脚 地 が ない の で あ る 。 例 え ば、 学 生 と して の わ た し、 バ イ ト先 で の わ た し、 ク ラ ブ の 中

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アイデ ンテ イテイの行方(新 矢 昌昭) で の わ た し とい う よ う に 「わ た し」 を繋 ぎ止 め る 中 心 点 と して の立 脚 地 が複 数 あ る こ とで 、 そ れ ぞ れ の 「わ た し」 が 異 な る 。 そ れ らを束 ね る よ うな 一 つ の 確 か な 中心 点 と して の 立 脚 地 が な い の で あ る。 そ こ で 出 て き た のが 「本 当 の わ た し」 と い う 「わ た し」 へ の 問 い か け だ った の だ。 で は 「本 当 の わ た し」が こ の ア イ デ ンテ ィ テ ィ に代 わ る もの な ので あ ろ うか 。「本 当の わ た し」 を把 握 す る こ とで、「わ た し」 を確 か な存 在 と して把 握 す る こ とが で きる の で あ ろ うか 。 しか し、 浅 野 は 、 この 「本 当 の わ た し」 自身 も空 虚 で あ る とす る。 現 代 の社 会 に お い て 唯 一 の 「本 当 の 自分 」 とい う 固定 化 さ れ た 「私 」 か ら、 い くつ もの 「私 」、 複 数 の 「私 」 へ 、 た っ た 一 つ の 中 心 だ っ た 「私 」 はい くつ もの 中 心 へ と散 らば っ て い っ て い る。 そ う した 中 で そ の 答 えの 基 準 とな る の が 「本 当 の 自分 」 を どの よ う に扱 うか とい う点 で あ った の だが 、 しか し未 だ に 「本 当 の 自 分 」 を価 値 あ る もの 、 当然 獲 得 す る こ と とい う社 会 規 範 が 根 強 くよ く残 存 して い る。 そ の 結 果 、 「本 当 の 自分 」 とい う言 葉 は 、 目指 す べ き価 値 と して 欲 望 を 喚起 し、 人 をつ き動 かす もの で あ り なが ら、 そ の 内 実 は 全 くの空 虚 で あ る よ う な奇 妙 な記 号 と な る。 つ ま り 「本 当 の 自分 と は何 な の か?」 とい う問 い は、 た え ず 人 を誘 っ て答 え を 出 す よ う に促 す が 、 実 の と ころ そ の 答 え は 空 白 で あ り正 解 は存 在 しない の で あ る と言 う(44)。 で は 、 この 「本 当 の わ た し」 が埋 め 尽 くさ れ る こ とで 、 そ れ で 「本 当 の わ た し」 とい う問 い か ら人 は 自由 に な る こ とが で き るの だ ろ うか 。 恐 ら く、 この 「本 当 の わ た し とは何 か 」 とい う 問 い を す る こ と 自体 は、 浅 野 の 言 う よ う に空 白 な の で あ る か ら、 更 に こ の 問 い は この 答 え を 巡 る 問 いへ と繰 り返 し、 永 遠 に や む こ とが ない で あ ろ う。何 故 な ら、 あ り も しな い 「わ た し」 の 答 え を探 す こ と を永 遠 に 求 め て い く こ と に な る か ら だ。 しか し、 こ れ は ア イ デ ンテ ィ テ ィが 、 依 然 と して変 容 され ず 「わた し ら しい わ た し」 と して 使 われ て い る結 果 な の で は な い だ ろ うか 。 そ れ は ア イ デ ンテ ィ テ ィ か ら 「わ た し」 へ と変 容 した と して も、 「本 当 の わ た し」 と し て な お 「わ た し ら しい わ た し」 が ど こか に あ る と され て い る か らで あ る 。 ア イ デ ンテ ィ テ ィ を 「本 当 の わ た し」 が 担 わ され てい る。 自 己物 語 で あ る に もか か わ らず 、 「わ た し」 は 「わ た し ら しい わ た し」 を 更 に 求 め る とい う終 わ らな い ゲ ー ム を。 結 局 は 、 ア イ デ ンテ ィ テ ィの亡 霊 が この 「本 当 の わ た し」 に は あ る。 こ の よ うな 状 況 の 中 で 、 ア イ デ ンテ ィ テ ィ を求 め られ る こ と は 「わ た し」 を不 安 に して しま う とい う こ とで もあ る。 何 故 な ら、 確 固 た る 「わ た し」 と して 一 貫 性 を捉 え る こ とが で きな い 状 況 で は、 ア イ デ ン テ ィテ ィ が 確 立 され な け れ ば な ら な い と さ れ る こ とに よ っ て 、 ま す ます 「わ た し」 が わ か らな くな り不 安 に な っ て し ま うか らだ。 そ れ は あ る意 味 で言 う と強 迫 観 念 で あ る。 従 っ て 、 自己 物 語 と して の 「わ た し」 が 、 ア イ デ ンテ ィテ ィか ら抜 け 出 る に は 、 こ の 「わ た し」 が物 語 で あ る こ とを 自覚 す る必 要 が あ る。 しか し 「わ た し」 とい う物 語 が どの よ う に し て、 人 び と に理 解 され る の だ ろ う か 。 恐 ら くア イ デ ン テ ィテ ィ を物 語 と して 見 な さな い 限 り、 で き ない と思 われ る。 そ れ と も、 「わ た し」 とい う物 語 か らあ り も しな い 「本 当 の わ た し」 へ の 答 え を与 え られ る こ とが 、 ア イ デ ンテ ィ テ ィか らの決 別 を可 能 にす る の で あ ろ うか 。 しか しこ

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佛 教 大 学 大 学 院 紀 要 第32号(2004年3月) の 答 え は 最 初 か ら な い 。 様 々 に 分 化 し た 現 在 で は 、 少 な く と も そ の 答 え を 誰 も 指 し示 す こ と が で き な い か ら だ 。 せ い ぜ い 「わ た し」 に と っ て と い う よ う な こ とが 、 も しか す る と 、 「本 当 の わ た し」 へ の 答 え だ と も考 え ら れ る 。 しか し こ の よ う な 混 迷 は 、 「わ た し」 を 考 え る こ と が で き る い い 機 会 を 提 供 す る と思 わ れ る 。 「本 当 の わ た し 」 あ る い は 「自 分 が 自分 で あ る こ と の 実 感 」 を 探 す と い う こ と は 、 あ り も し な い 一 貫 した ア イ デ ン テ ィ テ ィ を 獲 得 す る た め の 試 み と な り、 「わ た し」 に と っ て と い う 自 己 満 足 な 答 え を 探 し 当 て る こ と で き る か ら だ 。 ま た 物 語 に は 、 語 る 対 象 と し て 他 者 が 前 提 条 件 と な る と い う こ と で あ っ た 。 何 よ り も物 語 は 聞 き 手 が 必 要 で あ る 。 と す る と 、 「本 当 の わ た し 」 と い う 問 い の 背 後 に あ る の は 、 「わ た し」 に と っ て の 物 語 を 語 る 大 切 な 他 者 が 見 つ か っ て い な い か ら だ と考 え ら れ る 。 「わ た し 」 は 「わ た し」 を 語 る他 者 を 求 め て い る こ とが 、 「本 当 の わ た し」 を探 す 「本 当 の 」 理 由 な の か も し れ な い 。 〔注 〕 (1)例 え ば 、 「トラ ウマ 」、 「PTSD」、 「ア ダル ト ・チ ル ドレ ン」 な どの 「言 葉 はた ん に 『こ ころ 』 だ け の 特 徴 に と どま らず に 、 人 間 や 社 会 につ い て の わ た した ち の 理 解 を方 向 づ け て い る」(野 口裕 二 「サ イ コセ ラ ピ ーの 臨床 心 理 学 」 大 村 英 昭 ・野 口 裕 二 編 『臨床 社 会 学 の す す め 』、 有 斐 閣 、2000、17)。 (2)式 部 久 他 『高 等 学 校 改 訂 版 現 代 社 会 』、 第 一 学 習 者 、2003、16。 (3)第 一 学 習 社 編 『新 編 現 代 社 会 資 料 集 』、 第 一 学 習 社 、2003、41。 (4)鑪 幹 八 郎 『ア イ デ ン テ ィ テ ィ の心 理 学 』、 講 談 社 現 代 新 書 、1990、50-2。 この こ と に 関 して西 平 は次 の よ うに 言 っ て い る。 「構 造 と と もに発 達 を語 り、 〈社 会 と個 人 との 相 互 関 係 〉と と も にく子 ど もか ら 大 人 へ と発 達 して い く過 程 〉を 同 時 に収 め る よ う な、 そ う した 仕 方 で ア イデ ン テ ィ テ ィ とい う言 葉 を 使 っ て い た の で あ る」(西 平 直 『エ リ ク ソ ンの人 間学 』、 東 京 大 学 出 版 会 、1993、210)。 (5)E・H・ エ リク ソ ン 『ア イ デ ンテ ィ テ ィ 青 年 と危 機 』、 岩 瀬 庸 理 訳 、 金 沢 文 庫 、1973、16。 (6)同 上 書 、167。 (7)同 上 書 、441。 (8)同 上 書 、219。 (9)R・1・ エ ヴ ァ ンス 『エ リク ソ ンは語 る』、 岡 堂 哲 雄 、 中 園正 身訳 、 新 曜 社 、1981、44。 (10)エ リ ク ソ ン、 前 掲 書 、17。 こ こか ら西 平 は、 エ リ ク ソ ン自 身 が ア イ デ ンテ ィ テ ィを 固 定 され た もの で は な い と理 解 して い た と し、 「ま さ に こ の 点 こそ が 、 以 後 ア イデ ン テ ィ テ ィ理 解 を左 右 す る、 一 つ の 重 要 な分 水 嶺 とな っ て い た」 と 言 う(西 平 、 前 掲 書 、213)。 確 か に、 エ リク ソ ン 自身 は、 明 確 に ア イ デ ン テ ィ テ ィ を意 義 付 け た わ け で は な い の で 、 わ れ わ れ が エ リ ク ソ ン の ア イ デ ンテ ィ テ ィ を理 解 す る 時 、注 意 しな け れ ば な らな い と思 わ れ る 。 (11)豊 泉 周 治 は 「は っ き りし て い る こ とは 、 彼 の 言 うア イ デ ンテ ィテ ィが ラ イ フ サ イ ク ル にお け る青 年 期 の 危 機 を通 じて 獲 得 さ れ る 人 間 の 心 理 社 会 的発 達 の核 心 で あ り、 個 人 と社 会 と を結 び 、 人 び との 過 去 と未 来 と を連 結 させ る 同一 性 の形 成 だ 、 とい う こ とで あ る」(豊 泉 周 治 『ア イ デ ンテ ィテ ィの社 会 理 論 転 形 期 日本 の 若 者 た ち』、 青 木 書 店 、1998、67)と して い る。 な お、 エ リク ソ ンは 自我 ア イ

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