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中央学術研究所紀要 第30号 002宮崎繁樹「21世紀を迎える人間の権利」

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ただいまご紹介いただきました宮崎でございます。いま司会の方からお話がございましたように、二一世紀は﹁人 権の世紀﹂と言われております。その一一一世紀がいよいよ、あとひと月余りで訪れようとしております。このよう な時期に、中央学術研究所の第一回学術研究大会におきまして﹁一一一世紀を迎える人間の権利﹂につきまして、ご 参集の皆様の前で講演する機会を与えていただきましたことを、大変光栄に存じます。 明治維新以後、ョ−ロッパの進歩的な考え方が日本に入ってまいりまして、自川、人権ということが言われるよ うになりました。明治時代につくられました日本国憲法にも臣民の権利・義務という規定が置かれ、大正デモクラ シーと呼ばれた時期には、自由や人権が尊重されそうになった時期もありましたが、戦前の日本では、基本的に富 国強兵とか国益の優先ということが政策の中心でした。戦争が激しくなるに従って、国家を大事に考えるという傾 向がいっそう強くなり、国益優先、減私奉公が主張され、個人を尊重し、人権を中心とする考え方は、個人主義だ、

二一世紀を迎える人間の権利

宮崎繁樹

特別講演録

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日本国憲法を改めて読むようなことは、なかなかないことですが、その第一一条には﹁国民はすべて基本的人権 の共有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は侵すことのできない権利として現在および将来の 国民に与えられる﹂とあります。また、一三条では﹁すべて国民は個人として尊重される。生命、自由および幸福 追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他国政の上で最大の尊重を必要とする﹂ といっております。さらに第一四条では﹁すべて国民は法のもとに平等であり、人権、信条、性別、社会的身分、 または政治的・経済的・社会的な関係において差別されない﹂と定められております。 しかし、私どもが﹁人権﹂として意識しているものの内容は、こうした憲法上の人権の概念よりも、かなり広い ものではないかと思われます。憲法上の人権は、それが侵害された場合、裁判所などに訴えて救済を求めうるよう な権利ですが、一般に﹁人権を尊重する﹂という場合の人権意識というのは、それよりも広く、人の感性につなが るものではないかと思います。例えば、幼い子どもに草花を植えさせたり、小さな動物を飼育させることが小学校 や幼稚園で行われております。それは、狭い意味での人権の概念とは直接の関係はありませんが、生物を慈しみ、 やさしい心を育てるということは、人権の実現にとって必須の前提であると思います。 第二次世界大戦中は、戦争に勝つため、国のためということもありまして、個人の人権が極端に抑圧されました。 その一番極端なものはナチスによるユダヤ人のアウシュビッツなどでの大量殺害でしたが、それ以外にもジプシー の人たちに対する迫害とか、ソビエトによるポーランド人のカチンの森での大量殺害とか、アメリカの広島、長崎3 と思います。 やく公に主張されるようになり、国内的には、日本国憲法によって初めて認知されるようになったといってもよい 利己主義だと排斥されるようになりました。ですから、人権とか基本的人権という考え方は、第二次大戦後によう 21世紀を迎える人間の権利

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そして人権の具体的内容を明らかにするために、一九四八年に第一一一回国連総会で採択されました﹁世界人権宣言﹂ の前文では、加盟国は国際連合と協力して人権および基本的自由の普遍的な尊重と遵守の促進を達成することを誓 約したことを再確認しています。﹁世界人権宣言﹂が採択されましたのが四八年一一一月一○日でしたので、その日 が﹁世界人権デー﹂とされ、その前一週間が、日本では人権週間とされていることは、ご存じだと思います。 この﹁世界人権宣言﹂を条約化するために国連の人権委員会がさらに検討を重ねまして、一八年かかりましたが、 一九六六年の第一二回国連総会で﹁国際人権規約﹂という条約が採択されました。これは社会権規約、自由権規約、 自由権規約の議定書という三本から成り立っておりました。この規約の前文でも、人権および自由の普遍的な尊重 ・遵守を促進する義務を国際連合憲章に基づき諸国が負っているということを、再確認しております。 日本も社会権規約と自由権規約につきましては、これを批准いたしまして、昭和五四年︵一九七九年︶九月一三 とることを誓約しています。 このようなおびただしい人権侵害に対する反省、反動として、戦後は人権擁護の声が高まり、国際連合でもその 憲章自体の中で、すべての加盟国は、人種、性、言語、宗教による差別のない、すべての者のための人権および基 本的自由の普遍的な尊重・遵守などの国連目的を達成するために、国際連合と協力して、共同および個別の行動を 野原になったのであります。 4 への原爆投下による多数の一般市民の殺害などがありました。我が国につきましても、﹁悪魔の飽食﹂という小説 になりましたが、関東軍防疫給水部︵七一一一一部隊︶における細菌による生体実験ということがありました。第二次 大戦中に日本では一一三○万人、世界中では五千万人とも五千五百万人ともいわれる人々が亡くなり、それに倍する 負傷者や戦災者を出しました。日本でも東京をはじめ主要都市のほとんどが、アメリカ軍の戦略爆撃によって焼け

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日から日本の現行法になっています。議定書には、まだ入っておりません︵一九八九年に作られた死刑廃止のため の第二議定書にも、未加入です︶。 平成五年に総務庁が行いました意識調査では、﹁世界人権宣言を知っていますか﹂という質問に対して、五七・ 四%の人が﹁知っている﹂と答えています。しかし、それを条約化した国際人権規約については﹁知っている﹂と 答えた人は、わずか二四・五%、川人に一人ぐらいしかご存じないのであります。 国際連合は人権保障の実施を確保するため、いろいろと工夫をしております。一つは﹁報告制度﹂です。各国が 国内でどのように規約上定められた人権を保障しているかということを国連に報告することが義務づけられており まして、日本も一九八○年から四回、報告書を提出しています。四回目は九七年に提出されまして、九九年には審 査された結果が新聞などで報道されました。 もう一つは﹁個人通報制度﹂というものです。自由権規約に定められている人権が国内の警察や裁判所によって 十分に保障されなかった場合に、被害者が、規約で設置された人権委員会にその事実を通報して、審査・救済を求 めうるという手続きです。先ほど申しましたように、日本はまだ、この制度を定めた議定書に入っておりませんの で、日本ではまだこの制度は活用できないのですが、この規約を批准している国では、外国人も保護を得られます。 例えば日本人がドイツやフランスに旅行した時に人権侵害を受けて、その国の裁判所などで十分な救済が得られな い場合には、この制度を活用して規約の人権委員会に通報できるわけです。ヨーロッパにおいては、ョ−ロッパ人 権条約によって、ストラスブールにョ−ロッパ人権裁判所が設けられていますので、そこにも通報できます。 国連では人権規約以外にも、集団殺害等の禁止に関するジェノサイド条約、人権差別撤廃条約、女子差別撤廃条 約、子どもの権利条約、拷問等禁止条約、移住労働者条約など人権保護に関するいくつもの条約が作られています。5 21世紀を迎える人間の権利

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また、ウィーン宣言の勧告に従って、一九九三年に国連に人権高等弁務官事務所を置くようになりました。最初 はホセ・アャラ・ラッソという人でしたが、一昨年一一一月に辞任し、その後任に、アイルランドの女性大統領だった メアリー・ロビンソンが就任して現在に至っております。 一一 6 次に、日本における人権意識について少し見てみたいと思います。 一九九七年七月に総理府が行いました人権擁護に関する世論調査に﹁日本国憲法が人権について規定しているこ とを知っていますか﹂という質問がありましたが、驚いたことに二○・一%、五人のうち一人は﹁知らない﹂と答 えています。今の日本は恵まれておりまして、基本的人権など知らなくてもほどほどの生活ができるために、知ら ないのかなと思いますが、少し寂しい気もいたします。 それでは、日本は人権が守られている社会でしょうか。各国の人権状況を計数的に示したものがあります。国連 開発計画が毎年、﹁人間開発報告書﹂によって発表している人間開発指数です。各国が国内にいる個人の潜在的能 力をどのように伸ばし育てて花開かせることができているかということを計数的に示したものです。内容的には、 平均寿命、経済条件、教育の普及度などを総合して決めています。 生まれてすぐ死んでしまえば、人権も何もないわけです。自分が生まれた時を知っている人はいないと思うので す。オギャーと生まれれば、お産婆さんが産湯ををつかわせ、産着を着せ、お母さんのおっぱいか牛乳を飲ませて もらう。おむつが汚れれば取り替えてもらう。寒ければ着物を着せてもらう。風邪をひいたらお医者さんに診ても らう。多くの人々にケアをされて初めて人間は育っていくわけです。平均寿命が高いということは、その国におい

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て、それだけ人権が守られているという一つのしるしになるわけです。 しかし、ただ長生きすればいいということではありません。食べたいものが食べられる。着たいものが着られる。 住みよいところに住めるというような衣食住の充実、それを保障するための経済的な裏付けも必要になる。しかし、 また﹁人はパンのみにて生きるにあらず﹂ということも申します。基本的知識もない、文字も読めないということ では、人間らしい幸せは得られません。そういうものを総合して考えてみようというわけであります。 日本はどうでしょうか。現在の﹁平均寿命﹂男性が七七歳、女性が八四歳です。今年はインフルエンザでちょっ と短くなったそうですが、世界一です。健康に生きられる健康寿命というのを今年︵一一○○○年︶の六月四日に世 界保健機関が一九一の国について発表しております。日本は男性が七二歳、女性が七七歳までは健康に生きられる というんですね。先般の新聞によりますと、日本には一○○歳以上の方が一万三千人︵一一○○一年には一万五千人︶ いて、女性が一万人以上、男性が三千人に少し欠けるそうです。もちろん世界一の長寿国です。 終戦の時に平均寿命がいくつだったかご存じでしょうか。人生五○年というから五○歳ぐらいだとお考えの方も おありかもしれませんが、なんと男性は一一一一一・九歳、女性は三七・五歳でした。私も軍隊におりましたが、私の一 年、一一年上の先輩は、四分の一が戦死しております。陸上なら小隊長ですし、航空なら特攻隊ですから、幼児死亡 率も高かったでしょうが、平均寿命が二四歳に満たなかった。そういうことを思いますと、今昔の感に耐えないの ですが、今は、日本は世界一の長寿国であります。 ﹁経済状況﹂では、日本はGNP世界第一一位といわれております。各国の経済状況を簡単に比較する目安として、 国連の費用を各国が分担している﹁分担金の比率﹂があります。一番多いのはもちろんアメリカで、二五%です。 本当はもっと多いのですが、一つの国だけで四分の一以上もつのはどうかということで、一一五%になっていました。 7 21世紀を迎える人間の権利

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最近は国連がアメリカの言うことを聞きませんので、アメリカは払うのを遅らせたりしておりますが、ずっと二五8 ﹁教育の普及度﹂はどうでしょうか。去年、ILOの報告書が出ましたが、世界中には学校に行けない子どもが 一億一一一千万人いるということです。学校に行きたくても学校がないというところがかなりあるわけです。日本では 行けるのに行かない。不登校児が問題になっています。日本の高校進学率は九六・九%ですから、ほとんどの人が 高校に行く。高校が一般学校化している、アフリカなどでは小学校もない、こういう状況であります。日本は、恵 まれていると言わざるをえないのです。 これらを総合して、国連の開発基金が発表した人間開発指数では日本は何位ぐらいでしょうか。去年は四位でし た。カナダ、ノルウェー、アメリカに次いで日本だったのですが、経済不況を反映して、今年の六月二八日に発表 された指数では九位に落ちています。カナダ、ノルウェー、アメリカ、オーストラリア、アイスランド、スウェー デン、ベルギー、オランダに次いで九位ですが、上のほうはかなり接近してますから、指数としてはそれほど違い ません。国連加盟国が今年一八九になりました。そのうちの九位ですから、かなりいいレベルです。 なりました︶。 %だったのです。 二番目が日本で、一一○・五七三%。約一一一%を日本が占めていたわけです。日本は何も資源がない国で、鉄も銅 もアルミも輸入、木材も輸入、食料も六割方輸入、エネルギーに至っては九九・八%が輸入です。その国が世界の 総生産の一一一%を占めていた。これも驚きであります。三番目がドイツで九・九%です。アメリカと日本とドイツ だけで世界の半分以上を占めてるんですね。その次がフランスで六・五%、その次がイギリスで五%、ロシアが一 %、中国が○・九九%です︵一一○○一年に、アメリカ一三%、日本一九・六%、ロシア一・一一%、中国一・五%に

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今年の四月に東京都が同じように﹁日本は人権が守られている社会でしょうか﹂という世論調査をしています。 その結果が四月二七日の新聞に出ていましたが、その回答結果はもっと厳しくて、六一・六%の人が﹁そう思わな い﹂という答えでした。特に女性は六六・一一一%、三分の一一の人が﹁そう思わない﹂と答えています。なぜでしょう か。人間開発指数ではトップレベルなのに、なぜ日本は基本的人権が守られていないのでしょうか。健康で仕事を お持ちの皆様のような方々の人権は、守られているといっていいと思います。しかし、社会の日陰にいる人たち、 母子家庭の方々、障害者、高齢者、災害や犯罪の被害者、同和地区の方々、アイヌの方々、一部の在日外国人や、 ハンセン病患者などが幸せに人間らしく希望をもって生きているかというと、首をかしげざるをえません。 東京都が今年二四Hに発表しました第六回都政モニターアンケート﹁人権施策の推進﹂というのがあります。﹁次 の人たちの人権は尊重されていると思いますか﹂という問いに対して、犯罪の被害者については﹁尊重されている﹂ という答えが八%で、﹁尊重されていない﹂が九一・五%です。ハンセン病の人は一五・五%、アイヌの人たちは 一一四・九%、同和地区の出身者は二九・五%、障害者は約四○%、それだけの人しか人権が尊重されていないとい う答えです。障害者については五九%が尊重されていないと考え、尊重されていると答えているのは四○%にすぎ ない﹂が一四%、関西では一七%でした。 約一一七%でした。関西では一一三%です。 それでは、日本は人権が守られている社会でしょうか。総理府が行いました人権擁護に関する世論調査の中で﹁現 在の日本は基本的人権が尊重されている社会と思いますか﹂という設問がありまして、﹁そう思う﹂という答えが 約一一七%でした。関西では一一三%です。一番多かったのが﹁一概には言えない﹂というので五九%、﹁そうは思わ 一 一 ■■■■■■■■■ 9 21世紀を迎える人間の権禾

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去年は国際高齢者年でした。﹁今の日本は老後を安心して暮らせる社会だと思いますか﹂という調査結果が去年 の七月一九日の新聞に出ておりました。なんと八五%の人が﹁不安だ﹂と答えています。とくに東京では九四%、 大阪では九○%の人が﹁不安だ﹂と答えています。 先ほど引用しました総理府の人権擁護に関する世論調査の中に﹁権利だけ主張して他人のことを考えない人が増 えてきたと思いますか﹂という設問があります。八三%の人が﹁そう思う﹂と答えています。四、五年前の調査に 比べて、だんだん増えてきているのです。 目の前に人権を侵され、実際に困っている人がいた場合、手をさしのべて救う人がどれだけいるかと考えてみま すと、現在ではかなり少ないと思います。 これらのことと総合して、﹁現在の日本は基本的人権が尊重されている社会だと思いますか﹂という質問に対し て、﹁一概に言えない﹂とか﹁そう思わない﹂という人のトータルが七○%を超えてしまうという事態になってい るわけです。 ないわけです。 四 10 平成五年に総務庁が﹁我が国にはいろいろな人権問題がありますが、その中で関心を持っておられるのはどのよ うな問題ですか﹂という質問をしています。答えは一つに限られませんのでトータルが一○○%を超えるのですが、 一番多かったのが﹁子どものいじめや体罰﹂で八一一・四%、その次が﹁障害者問題﹂で六九・一一%、三番目が﹁在 日外国人問題﹂で四五・四%、次いで﹁女性問題﹂が四○・五%、﹁同和問題﹂が一一一六・一%、﹁アイヌ﹂が一八・

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これを見て気がつきますのは、いずれも差別にかかわる問題だということです。女性差別ということを考えまし ても、現在の女性の地位、男と女の差別を戦前あるいは終戦のころと比べてみますと、はるかに狭まっています。 途上国の男性に比べて日本の女性を考えてみますと、平均寿命も経済条件も教育普及度も、はるかに日本の女性の ほうが高いんです。しかし依然として日本では男女格差があるので女性問題が人権問題となっているのです。 同和問題につきましても、現在の同和地区の人たちの平均寿命、経済条件、教育普及度を、戦前の日本の一般の 人々のそれと比べた場合には、もちろん現在の同和地区の人たちのほうが高い。開発途上国の人々に比べても高い のですが、依然としてそこに差別意識が残っているということが、ここで人権問題として取り上げられているのだ まず子どもの問題については、子どものいじめはかつては年間六万件ほどあったのですが、この一一、三年、社会 問題化しましたので減少しまして、九八年度に報告されたいじめの件数は三万千件ぐらい、九九年度は一一一一・一一一六 九件です。そのうち最も多いのは中学生で約二万件、小学生は約一万件です。現在でも四○%以上の中学でいじめ 先ほどご紹介がありました﹁人権教育のための国連一○年の国内行動計両﹂では、指摘された人権問題の順序が ちょっと違っております。どういう順序だったかというと、女性問題、子ども問題、高齢者問題、障害者問題、同 和問題という順序になっているのです。これは国民の関心の高さというよりは、該当する人々の数の多い順序にな が残っています。 と思うのであります。 のですが、依然とし一 21世紀を迎える人間の権禾 た ○ 六%という順序です。関西では同和問題に対する関心が非常に高くて五一・六%で、障害者問題に次いで三位でし っているようです。 11

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五 12 平成一○年に浦和市が小中学生から人権標語を募集しました。一等に当選したのが﹁ぼく一言うよ、いじめちゃだ めって大声で﹂というものだったそうです。クラスでいじめられてる子がいる。あんなにいじめなきゃいいな、か わいそうにな、と思っていても、﹁いじめちゃだめ﹂と言うと、あいつだけいい顔しやがって、あいつも仲間だと いうのでいじめられると困ると思って口をつぐんでしまう。そうすると、いじめが横行するわけです。思い切って ﹁いじめちゃだめ﹂と言うと、ほかにもクラスの中で﹁あれはよくないな﹂と思ってる人がいますから、﹁そうだ、 やめようよ﹂ということになるわけです。 これは同和問題についても同じです。関東では同和問題はあまり問題になりませんが、関西では年寄りが集まっ たりすると﹁あの地区のやつは﹂とか﹁あれはあれだ﹂とか差別用語でいろいろと言うわけです。﹁そういうのは よくないな﹂と思っていても黙っている。そうすると差別が横行するわけです。 飯坂良明先生が翻訳しておられますヘラルド・ラスキの﹁近代国家における自由﹂という本を久しぶりに読み直 してみましたら、その中に﹁不正に直面しながら沈黙を守る人はいつでも自由を失う人で、自分の知ったことでは ないと言えば言うほど、ますます簡単に扇動家の仕事を助けていることになる。冷淡さや無力感は自由にとって最 も恐るべき敵である﹂と書かれていますし、﹁不正の存在を前にして黙っている人は実は不正の共犯者にほかなら ない﹂とも書かれています。人権の問題は、思いやり、やさしい心も必要ですが、場合によっては思い切って間違 ったことを正すという、りりしい気持ちも必要ではないかと感ずるのであります。 現在、私は人権擁護推進審議会の委員をしておりますが、いろんな民間団体からヒアリングを受けました。その

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児童虐待防止法というのが今年五月二四日に公布されましたが、こういうことを法律で規制しなくてはならない というのは一つの暗い一面であります。 ぐらいだと聞きましたが、そのあと新聞には五万件ぐらいと出ておりました。 今年は一万一六一一一一件になったと一一月一一日の朝刊に出ておりました。しかし実数はもっと多く、私は三万九千件 前ですが、その後、新聞でも問題になりました。児童相談所に寄せられた児童虐待の件数は去年より七割増えて、 中で非常にショッキングだったのは、自分の子どもを虐待することが増えてきていることです。それは三年ぐらい アメリカでは二百万件ということです。もっとも基準が違います。アメリカではスーパーマーケットなんかで子 どもが走り回ってますと、お母さんが﹁やめなさい﹂といってボンとおしりをたたく。二回まではいいそうですが、 三回たたくと児童虐待だといって警察官が飛んでくる。基準が違うんでしょうけど、日本社会はアメリカ化してお りますから、児童虐待はもっと増えていくと思います。 子どもの時に愛情をもって育てられなかった親が児童虐待に走るということが言われております。もう一つの調 査によりますと、仕事を持っている母親も持っていない母親もストレスいっぱいだというんですね。子どもはかわ いいと思いますけど、かわいい時だけではありません。ギャーと泣いたらかわいいと思いませんし、おむつが汚れ たらお母さんはかわいいと思わないかもしれない。昔はおばあさんとかおばさんとか年上のお姉さんとか子守りの 人などがいて、それぞれ替りあって子どもを育てたんですね。今は核家族で、マンションなどで狭い部屋の中で、 ストレスいっぱいの母親が子どもを育てている。そのストレスが、子どもに向けられる。それにしても非常に暗い 話であります。 13 21世紀を迎える人間の権利

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六 14 女性問題は去年から今年にかけて進展をみました。今年の六月五日から一○日にかけてニューョークの国連本部 で、国連特別総会という形で﹁女性二○○○年会議﹂というのが開かれまして、五年前に北京で開かれました第四 回世界女性会議の成果の検証が行われました。日本はそれを前にして、昨年、男女共同参画社会基本法というのを 制定しました。また、男女雇用機会均等法を改正して、一昨年四月から施行しました。従来は努力目標だった﹁男 女の平等﹂ということが、法的義務とされたのです。 先ほど日本の人間開発指数は四位から九位になったと申しましたが、女性の潜在的能力がどのように開発されて いるかというジェンダー開発指数というのがあります。日本は、昨年は一二位だったのが去年は九位に上がってい ます。しかし女性の政治・経済への意思決定参加度︵ジェンダー・エンパワーメン卜・測定︶はどの程度か。閣僚 とか都道府県議員とか、経済関係ですと会社の重役とか、そういうところに女性がどの程度参加しているかという ことですが、去年は三八だったのが今年は四十一に下がっています。大阪府知事、熊本県知事、千葉県知事が女性 になりましたし、女性の閣僚も増えました。来年は日本のジェンダー・エンパワーメン卜測定指数は上がるだろう と思いますが、ちょっと問題点であります。 男女雇用機会均等法の改正によって去年四月から、事業主に職場でのセクハラを防止するよう配慮する義務が課 せられました。セクハラというのは最近一つの話題になっていますが、問題にされた人の発言を聞いてみますと、 ほとんどが﹁それほどのこととは思っていなかった﹂と言ってるんですね。女じゃだめだという態度をとったり、 まだ結婚しないのかとか子どもができないのかとしつこく聞いたり、わい談をするような環境型セクハラ、お酒の

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席でお酌をさせたり、しつこく食事に誘うというような対価型セクハラ、そういうのがあるというんですが、人が 嫌がることを押しつけるというのは、好ましくないことです。 私はクリスチャンではありませんが、キリスト教における一番大事な教えは、﹁自分がしてほしくないことをほ かの人にしてはいけません、自分がほかの人からしてほしいことをほかの人にもしなさい﹂というのがゴールデン ルールといわれているそうです。そういうことを考えますと、女性が嫌がることをあえてするというのは、紳士に あるまじきことということになるわけです。 ひじ鉄をくらっても付きまとうとか、嫌がらせ電話をかけるというストーカー行為の禁止につきましては、今年 五月二四日に防止する法律ができて、一一月二四日から試行されます。 ドメスティック・バイオレンスというのは日本語には訳しにくい言葉ですが、家庭内暴力ともよばれていまして、 夫とかフィアンセから虐待を受けるということがあります。去年、バンクーバーの総領事が奥さんを虐待したとい うことで警察ざたになって、これは日本の文化だと言ったとか言わなかったとか問題になっておりました。まさか そんなことは言わなかったと思うんですが、そういうのが問題になってるんですね。私は最初は﹁かわいさ余って 憎さ百倍ではありませんか﹂なんて言ってたんですが、到底そんなものではない。 傷つけられた女性は恐ろしくて逃げだす。それをかばう女性の駆け込み寺なんていうのもできてるらしいんです ね。統計的にどのくらいの数ですかと聞きましたら、五%ぐらい、一一○人のうち一人ぐらいはそういうことをされ てるというのです。夫婦で口げんかをするぐらいならいいんですけど、暴力をふるう、けがをさせるというのはあ ってはならないことだと思います。これは日本だけではありません。今年の世界人口白書を見ますと、三人のうち の一人は夫などから虐待を受けているということですから日本は少ないほうかもしれませんが、これはやめていか 15 21世紀を迎える人間の権利

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障害者問題は、ご本人はもちろん身近な方も非常に心の痛む問題だと思います。日本では身体障害者が三一八万、 知的障害者が四一一万、精神障害者が一五○万おられます。一九八一一年は国際障害者年でしたし、一九九三年には障 害者基本法がつくられまして、ノーマライゼーションということが言われました。つまり普通の人に近い生活を確 保する。今までは障害者は別枠ということだったのが、できるだけ普通の人に近い生活をというノーマライゼーシ ョンの考え方が採用されたわけです。 ます。 なければならないと思います︵二○○一年四月六日配偶者暴力防止法[DV法]が公布されました︶。 七 16 高齢者については、先ほど申しましたように昨年︵一九九九年︶は国際高齢者年でした。今年︵二○○○年︶は 介護保険が始まっています。一一○二五年には日本人の四分の一は高齢者になるだろうと言われております。国連が 掲げた原則は、高齢者の自立、参加、ケア、自己実現、尊厳の促進実現ということでした。 一九九八年四月から六一歳以下の定年退職は無効とされ、六五歳までの雇用が高齢者雇用安定法などによって考 慮されています。ただ敬老の日におまんじゅうを高齢者にあげるというのだけが高齢者対策ではないんですね。二 ○二五年には四分の一が高齢者になるというんですから、多くの人生経験を持ち、いろんな技能を持っている高齢 者を社会の中でもっと活用することが大事ではないかと思います。日本人は働きすぎと言われていますが、社会に 貢献できるということは人間の喜びですから、今後の問題としては、高齢者の社会的活用も十分考えていかなけれ ばいけない。健康面などで困っておられる方の保護は経済的にも法的にも必要です。そういう配慮も必要だと思い

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同和問題につきましては、話し始めますと非常に時間をとるのですが、一番よく知られておりますのは昭和四○ 年の同対審答申であります。ちょっとその一部を読んでみます。 ﹁同和問題とは、日本社会の歴史的発展の過程において形成された身分階層構造に基づく差別により、日本国民 の一部の集団が経済的・社会的・文化的に低い状態に置かれ、現代社会においてもなお著しく基本的人権を侵害さ れ、特に近代社会の原理として、何ぴとにも保障されている市民的権利と自由を完全に保障されていないという最 も深刻にして重大な社会問題である。同和問題は、人類普遍の原理である人間の自由と平等に関する問題であり、 日本国憲法によって保障された基本的人権にかかわる問題である。したがって、これを未解決に放置することは断 じて許されないことである。その早急な解決こそ国の責務であり、同時に国民的課題である。﹂ 高齢者、身体障害者などが円滑に利用できる建物の建設を促進するためのハートビル法が、つくられました。現 在では障害者一雇用促進法において、企業は全従業員の一・八%を障害者をもってあてることが義務づけられていま す。障害者も普通の人と同じように生活できるようにすることが大事だと思うのです。 ロールプレーということがあります。私の行っておりました大学は教室が四階にありまして、ふだんは平気でト ントンと階段をのぼって教室に行ってたんですが、ずいぶん前に私は通風にかかりました。松葉杖をついて行った のですが、足が痛くて、一段一段が針の山のような気がいたしました。今ではスロープができたりエスカレーター ができたり点字板ができたりしておりますが、それでも街を歩いてみますと、車いすで通ることは大変だろうなと 思います。かなり改造はされたようですがまだまだ、健全な人たち、さらには社会の協力が必要だと思うのです。 八 17 21世紀を迎える人間の権利

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ります。 とあります。 中世において士農工商の下に置かれた稜多、非人と言われていた被差別地域の人たちの問題であります。関東以 北では関心が比較的薄いのですが、依然として関西では大きな問題になっています。その後、国、地方自治体、民 間団体の方々の非常な努力によって外形的には大きく改善されました。 私が会長を務めておりました地対協︵地域改善対策協議会︶の一九九六年の意見具申では、次のように述べてお 建物とか道路とか下水道という外形的な環境面は改善されましたが、人の心の中に、心理的差別が依然として残 ﹁実態調査の結果からみて、これまでの対策は生活環境の改善をはじめとする物的な基盤整備が概ね完了す るなど着実に成果を上げ、さまざまな面で存在していた格差は大きく改善された。同和問題の解決に向けた今 後の主要な課題は、依然として存在している差別意識の解消、人権侵害による被害の救済などのほか、教育、 就労、産業等の面でなお存在している格差の是正、差別意識を生む新たな要因を克服するための施策の適正化 である。同和問題に関する国民の差別意識は解消へ向けて進んでいるものの、依然として根深く存在している。 その解消に向けた教育および啓発は引き続き積極的に推進していかなければならない。 今後、差別意識の解消を図るにあたっては、これまでの同和教育や啓発活動の中で積み上げられてきた成果 と、これまでの手法への評価を踏まえ、すべての人の基本的人権を尊重していくための人権教育、人権啓発と して発展的に再構築すべきものと考えられる。その中で、同和問題を人権問題の重要な柱としてとらえ、この 問題の固有の経緯などを十分認識しつつ、国際的な潮流とその取り組みを踏まえて積極的に推進すべきである。﹂ 18 としています。

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医学についても有名な日本の近代医学の草分けになった﹃解体新書﹄という本がありますが、実際にその﹁解体﹂ 脈分けをしたのは虎松という同和地区の青年のおじいさんなんです。同和地区の人たちは、従来、動物を実際に解 体してましたから、そういう技能を持ってたんですね。医学、薬学の知識を持っていた。﹁これは心臓です、これ は肝臓です﹂というとピタッと一致したというわけです。 宗教においても、Ⅱ蓮上人は日本の宗教界において優れた方だということはみんな認めていますけど、日蓮上人 は自ら﹁自分は安房のセンダラの出身だ﹂とおっしゃっている。センダラというのは、インドにおける被差別階層 で、自分は被差別階層の出身だと自ら言っておられたわけです。そのように工芸、芸能、医学、宗教などの各方面 において優れた方たちを出してるんですね。そいうことも考えませんと、同和地区の人たちが希望をもって生きて いけないんじゃないか。国籍、人種、宗教、性別などにかかわりなく、人間が人間らしく生きていくべき人権の世 文化なんですね。 という見地からこの問題を取り上げていくべきだということを提案したのであります。 いかなる場合にも人間としての尊厳が尊重されなければならない、いかなる場合にも理由のない差別はいけない、 っています。ただ同和、同和といって対策をとっていてもそれだけで問題が解決するわけではないのです。人間は、 今までは同和地区について﹁気の毒だ﹂とか、﹁かわいそうだ﹂という視点がありましたが、そういうことだけ ですと同和地区の人たちが希望を持ち、誇りを持って生きていくことができない。考えてみますと、同和地区は革 細工と関係が深いんですが、端午の節句の緋おどしのよろいとか、兜とか、ああいう革細工はすばらしい芸術品で すね。太鼓、印伝などもそうです。部落の人たちはああいうすぐれた技術を持っていたわけです。歌舞伎とか能は 日本の代表的な芸術ですが、もともとは河原乞食といって、弾左衛門の支配下にあり、その許可を得て行った横多 19 21世紀を迎える人間の権利

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紀に、まだ日本国内でそういう部落差別が残っているというのは、実に残念なことです。 有名な﹁部落地名総監﹂というものが昭和五○年に出まして、それはもう廃棄されましたが、それに類似したも のがインターネットに出ていて、どこそこが被差別部落ですということをわざわざ知らせてる。去年︵一九九九年︶ の四月から六月にかけて慶応大学の学生が田町などの駅のトイレの中に部落差別のことを落書きして問題になりま したけど、そういうことは絶対になくしていかなければならないと痛感するわけです。 九 20 外国人につきましても、登録している外国人が一五○万人を上回ります。短期に入国する外国人の観光客も今年 は四六○万人以上で一番多かったと言われています。かっては人権の保障は国民だけでしたが、現在では世界人権 宣言、国際人権規約などによって、普通の生活については外国人も国民との間に差別はないはずです。しかし小樽 市ではおふろ屋さんがロシアの船員に対して﹁外国人お断り﹂という張り紙を出した。去年の一○月にブラジル人 女性の入店を拒否した宝石店が浜松にあって、それは人種差別撤廃条約の趣旨に反するということで慰謝料の支払 いを静岡地裁で命ぜられているんですね。そういうことがまだ残っているわけです。 指紋押捺問題については、ようやく去年の八月に撤廃されました。地方公務員への就任も従来は日本人に限って おりましたが、公の権力の行使に関連がない限りは、外国人に対しても門戸を開放され、国籍条項の廃止がほとん どの地方自治体で行われました。最近では、長年日本に住んでいる外国人に対しては県知事、県議会議員、市町村 議員など地方自治体の選挙権を認めたらどうかということが検討されています。最高裁が一九九五年に﹁永住外国 人に対して地方選挙権を与えるということは憲法上禁止されていない﹂ということを言って以来、立法上の問題に

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なりましたが、現在、国会でその問題が取り上げられているわけです。それがいいか悪いかについては問題があり ますが、そのくらい外国人の人権の問題も広がってきています。 私がショックを受けたのはハンセン病の問題です。四年前まではライ病と呼ばれて、厳しい隔離政策がとられて いました。昭和一八年にアメリカで特効薬のプロミン、そのあとリファンピシリンという薬が開発されまして、一 九六○年代には、その薬を飲んで治療を受けていれば他の人に感染するおそれはない、ハンセン病の人も普通の人 と同じ社会生活ができるということが国際的には認められていた。一九五六年のローマのライ患者救済・社会復帰 国際ラィ会議などでもそういうことが明白に認められて、差別法はいけないということがはっきりしていた。日本 から医者も厚生省の役人もそれらの会議には出席していて、それを知っていたにもかかわらず、四年前までは依然 としてラィ予防法というのが有効で、隔離政策がとられてたんです。生きながらにして隔離されていた。結婚しよ うと思うと断種手術を受けさせられるということで、現在では身寄りもない。そういう状態だったのです。 そういう人たちが去年ぐらいから各地で賠償訴訟を起こしましたが、私も最近までそういうことを知らなかった んですね。知らないということが、いかにほかの人権を傷つけているかということを痛感いたしました。同和問題 についても﹁寝た子を起こすな﹂、そんなことを取り立てて言わないほうがいいという説もありますが、いかにそ の人たちが人権を侵害されていたかということを実際に知って、それを取り除いていくことが必要だと思うわけで す。 人権問題解決につきましては、﹁人権教育のための国連一○年﹂によりまして、一九九五年一月一日から二○○皿 十 21世紀を迎える人間の権利

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22 四年一一一月三一日まで人権教育が大きな問題として取り上げられ、日本でも一九九七年七月に国内行動計画がつく られました。二五の都道府県では独自に地方自治体の行動計画がつくられ、推進されています。 地対協の意見具申などを受け、閣議決定を経まして、人権擁護施策推進法というのが策定されました。人権教育 啓発をどのように進めるかということについて昨年七月に答申が出て、現在、人権侵害があった場合の有効な救済 方法が検討されています。今月の二八日にはそれに対する中間まとめが発表され、国民の方々のご意見も承り、東 京、大阪、札幌、福岡で公聴会も開かれることになっておりますが、これは国家が人権問題について初めて取り組 んだケースではないかと思います︵一一○○一年五月二五日に答申が出ました︶。 人権問題というのは、わかりやすいようで、なかなかわかりにくい問題であります。これは﹁人権﹂という言葉 が外来語であるということからもきていますが、わかりやすく言えば、人々が幸せに人間らしく、いきいきと生き ていくための前提だと思います。人権は普遍的なものか、それとも各地域あるいは歴史的に異なるものかというこ とも問題になります。世界人権宣言採択四五周年のウィーン会議でも、先進国は人権は普遍的なものだと一言ったの ですが、途上国はそうではなくて、各地域とか状況によって違うと言って対立しました。採択されましたウィーン 宣言では、人権は普遍的かつ不可分だとしましたが、同時に国家的・地域的特殊性ならびにさまざまな歴史的・文 化的および宗教的背景の重要性も考慮しなければならないという妥協的表現になっています。 一九七七年の拡大アセアン会議の時にマレーシアのマハティール首相が、﹁世界人権宣言なんていうのは先進国 の金持ちの国々が貧乏な国の人々が何を必要としているかということを考えずにつくったものだから、あれは考え 直す必要がある﹂ということを申しまして物議をかもしました。どういうことかというと、先進国のほうは生活が 満ち足りておりますから、自由ということを中心に考えて人権をああこう言っている。しかし、途上国は貧しいの

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ですから、みんなが平等に生きていくためには各人の自由や要求も我慢もしなくてはいけない。そういう違いがあ るということを意味しているのであります。 ﹁政治や経済を安定させるためには人権や民主的権利が制限されることもやむをえないという考え方があります が、あなたはこの考え方に賛成ですか反対ですか﹂という世論調査をアジア諸国にした結果もあります。﹁反対﹂ が日本は五九%、韓国も五一一一%、タイでも五○%でしたが、﹁賛成﹂がインドネシアでは七九%、マレーシアとイ ンドでは六四%、中国でも四○%ということで、各国での考え方にかなりの格差があるのですね。 先ほどご紹介しましたラスキの﹃近代国家における自由﹄の中に﹁万人のパンよりも少数者の菓子が優先するか﹂ と書かれています。日本のある女子高校生が﹁自分の学校で一律に制服を着せられているのは人権侵害だ﹂という ことでジュネーブの国連の人権部局にまで行って訴えたそうです。勇敢だと思いますが。向うで﹁あなたはそうい うことを言うけれど、世界には着るものもない、裸で過ごしている子どもたちが大勢いるんですよ﹂と言われて、 すごすごと帰ってきた。先進国と途上国の人権についての感覚にはこういう違いもあるのです。 現在の人権は、神の前には平等だというキリスト教的な考え方が基本にあるのですが、アジアでは、儒教的に、 思いやりとか助け合いとか、そういうことで過ごしてきた。仲間同士でかばい合いながら過ごしてきたという傾向 があるわけです。現在のような細分化し機械化した社会においては、法律とか契約とか、そういうもので合理的に 物ごとを決めていくことが必要になります。そういう意味で、現在、人権ということが言われているのかと思いま すが、それだけで人間が幸せになるわけではないのです。人々の人間らしい温かい気持ちがこれから一層必要にな るのではないかと思います。 聖徳太子の﹃法華経義疏﹄ には﹁方便とは、善巧を義と為すo﹂という教えがあるそうですが、人権というのは路 21世紀を迎える人間の権利

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24 導きの星のようなものだと思います。絶対的な人権というのは一つの希望なのです。しかし、それは現実にはとら えられない。むしろ日常の生活の中で、いかにして人々が幸せに人間らしく生きていけるかということで人権を目 指す、そういう方便、その行動の中にこそ人権があるのではないかという気がするのです。抽象的に人権というこ とを言っていて、決して人々が幸せになるわけではない。具体的に商売の人、医者、法律家、農業、それぞれの仕 事、生活の中で人々がいかに幸せに人間らしく生きがいをもって生きていけるかということを目指す。そこで障害 があれば、その障害をなくしていくことが人権ではないのではないのだろうか。人権を目指すという方向性という か努力が必要ですが、本当はそういう現実の中にこそ人権があるのではないでしょうか。 人権教育のための国連一○年の中でも、抽象的で、どこにでも当てはまるようなことを繰り返し述べることは最 も効果のない方法である。具体的な問題に即して人権教育は語られなけらばならないと言っておりますが、それも 共通する問題であろうと思います。 人権教育には四つあるというんですね。一つは、教育そのものが人権である。文字を学び、基本的な知識や考え を知るという学習権、これ自体が人権である。二番目は人権についての教育、同和問題というのはどういうものか、 男女平等はどのようにあらねばならないかという知識を得るための教育。しかし、それだけでは足りない。三番目 は人権のための教育、どのようにしたら人権が実現できるかということを教える。これが非常に大事です。 四番目は人権としての教育です。学校で先生がいくら言葉で人権のことを教えても、その先生が学級で育ててい る小動物を面倒だからと殺してしまったり、行動の上で人権に反するようなことをしてしまえば全く意味がありま せん。その先生が社会に出てお年寄りを助ける、病人を助ける、奥さんとの関係で気持ちよく生活している。そう いうことを行動で示していれば、それを見た生徒も、そのことから、自分もそういうふうにしようということで本

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◆この講演録は、当日の筆録をもとに、宮崎先生より加筆して頂いたものであります。 ユネスコ憲章の前文に﹁戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなけれ ぱならない﹂という文章があります。これを人権に置き換えますと、人権侵害とか差別というものも人の心の中で 生まれるものですから、人間の心の中に温かい人権のともしびをともすことが必要だと思うのであります。 私は話し下手でございまして、ご退屈なさったと思いますが、長い時間ご静聴いただきまして誠にありがとうご ざいました。これをもちまして私の話を終えさせていただきます。 ようか。 す。現去 当の教え垂蛍ける。そういう人権の実践による教育ということです。 ﹁二一世紀は人権の世紀﹂と言われておりますが、ほっておいて人権が実現するわけではありません。私が大事 だと思うのは、家庭でも職場でも地域社会でも、率直に胸を開いて、お互いに人間の言葉で話し合うということで す。現在は家庭でも親子、夫婦の間でそういう場が少なくなっていますが、そういうことが必要なのではないでし 25 21世紀を迎える人間の権利

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