2018年度アク・ベシム(スイヤブ)遺跡の調査成果
山内和也
※1・バキット アマンバエヴァ
※2・櫛原功一
※3望月秀和
※4・中山千恵
※5・大谷育恵
※6・平野 修
※7はじめに
Ⅰ.調査期間・参加者・調査内容
Ⅱ.AKB13(第1シャフリスタン)の調査
Ⅲ.AKB15(第2シャフリスタン)の調査
Ⅳ.AKB18(第2仏教寺院)の調査
Ⅴ.土器類の編年案
Ⅵ.樹種同定および年代測定 おわりに
補遺─アク・ベシム遺跡の発掘地点と
発掘地点の番号について
はじめに
帝京大学シルクロード学術調査団 とキルギス共和国国立科学アカデ ミーの合同調査団は、2016年から中 央アジアのキルギス共和国の北部に 位置するアク・ベシム遺跡で発掘調 査を行っている。アク・ベシム遺跡 はかつて「スイヤブ」と呼ばれたシ ルクロードの拠点的な交易都市であ り、2014年に「シルクロード:長安 -天山回廊の交易路網」の構成資産 の1つとしてユネスコの世界遺産リ ストに記載された。中国文献では、
「砕葉鎮城」「素葉水城」「素葉城」
の名称で記されている。
この遺跡は隣り合う2つの都市遺跡からなり、か つて2つの街の外側には全長約 10.5㎞に及ぶ外壁が 巡っていた。西側に位置する台形状の街が、現在、
第1シャフリスタン(シャフリスタン 1、SH1)と 呼ばれるものである。5~6世紀頃にシルクロード の交易の民であるソグド人が建設したとされる街 で、10~11世紀にいたるまで国際交易拠点として繁 栄したとされる。その東側に位置する第2シャフリ スタン(シャフリスタン2、SH2)が、中国の唐が 建設した「砕葉鎮城」である。少なくとも679年に は建設され、8世紀の初めに放棄された唐の軍営地 である。この第2シャフリスタンは、かつて「ラバ ト」あるいは契丹区と呼ばれ、11~12世紀頃の都市 遺跡と考えられていた(Fig.1・2)。
1966年撮影の航空写真(Fig.3)によれば、第2シャ フリスタンには不整五角形の外周壁とその中に位置 する長方形の内城壁、内外壁の内側に位置する建物 の痕跡等が確認できる。しかしながら、1970年代の ブルドーザーによる大規模な耕地整備のため、現在 では東壁と南壁の一部を除き、かつての痕跡の大部 分が失われてしまっている。
この第2シャフリスタン、つまり砕葉鎮城は、唐 の西域統治および西方進出のため、安西都護府のも とに置かれた4つの都督府(安西四鎮)の1つであ る。安西四鎮は、一般に亀玆(きじ)(クチャ)・于 闐(うてん)(ホータン)・疏勒(そろく)(カシュ ガル)・焉耆(えんき)(カラシャール)とされるが、
唐の勢力がもっとも西に拡大した時期には、その最
※1・3~5・7 帝京大学文化財研究所 ※2 キルギス共和国国立科学アカデミー歴史文化遺産研究所 ※6 京都大学
Fig.1 アク・ベシム遺跡(スイヤブ)全体図および呼称名(1)
西端の拠点として「砕葉鎮」が設置された。
その正確な位置は長らく不明であったが、1982 年に偶然発見された「杜懐宝碑」によってアク・ベ シム遺跡がかつてのスイヤブ(砕葉)であることが ほぼ確定した。さらには、2017年、第2シャフリス タンで唐代の瓦片が帯状に堆積した状況(幅約2 m×長さ約 25m)が検出されたことで、この地点、
つまり第2シャフリスタンが砕葉鎮城であったこと を裏付ける重要な証拠が得られた。
本稿では、2018年度のアク・ベシム遺跡、すなわ ちスイヤブの発掘調査で得られた成果および新たな 知見について報告する。 (山内)
Ⅰ.調査期間・参加者・調査内容
2018年4~5月にアク・ベシム遺跡での発掘調査 を実施した(2018年度第1次調査)。調査地点は、
AKB-13(SH1)、AKB-15(SH2)、AKB-16(SH1)、
AKB-18(BT2)地点である(Fig.3)。また、8月
~9月にビシュケク市内での遺物整理(2018 年度 第2次調査)を実施した。調査期間、参加者、内容 は下記のとおりである。
Ⅰ-1.第1次調査
【調査期間】2018年4月2日(金)~5月19日(土)
[日本発・日本着]、4月21日(土)~5月18日(金)
[キルギスでの活動期間]
【日本側参加者】
山内和也、櫛原功一、望 月秀和、中山千恵、中山 誠二[文化財研究所]、
三橋友暁[帝京大学大学 院生]、高木暢亮、筒井 裕[帝京大学]、大谷育 恵[京都大学]、福田大 輔[有限会社アド・デザ イン企画]、佐藤剛[帝 京平成大学]、八木浩司
[山形大学]、岩井俊平
[龍谷大学]、荒木智子、
荒木晶、加藤まゆみ、高 橋由理[ボランティア]、
以上17名
【キルギス側参加者】
バキット・アマンバエヴァ、アスカット・ジュマバ エフ、エミール・スルタノフ[科学アカデミー]、
以上3名
【調査内容等】
AKB-13(SH1): 発 掘 調 査( 山 内、 櫛 原、 高 木、
中山誠、三橋、荒木智、荒木晶、加藤、高橋、アマ ンバエヴァ、ジュマバエフ)、炭化種実分析(中山誠)
AKB-15(SH2):発掘調査(山内、望月、中山千、
大谷、加藤、アマンバエヴァ、ジュマバエフ)
AKB-18(BT2):発掘調査(山内、高木、岩井)
AKB-16(SH1):地質調査(佐藤、八木、望月)
周辺地形調査:(佐藤、八木、望月)
人文地理学調査:(筒井)
出土遺物の水洗、計量、収納:(山内、櫛原、中山千、
大谷、加藤、荒木智、荒木晶、高橋、ジュマバエフ)
撮影・動画記録:(福田)
その他:科学アカデミー内倉庫の改修と整備、テレ ビ番組取材(TBS テレビ「世界ふしぎ発見」)
【見学者】キルギス文化省大臣・職員、JICA 職員、
ブラナ博物館職員、日本人、中国人ほか団体観光客 多数
Ⅰ-2.第2次調査
【調査期間】2018年8月 7 日(火)~9月5日(水)
[日本発・日本着]、8月8日(水)~9月4日(月)
[キルギスでの活動期間]
【日本側参加者】山内和也、櫛原功一、中山千恵、
平野修、岩崎満佐子、田中真紀美[文化財研究所]、
Fig.2 アク・ベシム遺跡(スイヤブ)全体図および呼称名(2)
三橋友暁[帝京大学大学院生]、吉田豊[京都大学]、
森美智代[東京藝術大学]、植月学[弘前大学]、以 上 10 名
【キルギス側参加者】バキット・アマンバエヴァ[科 学アカデミー]、アイベック・オモルベコビッチ、
アイゲリィム・アクジョロヴァ、マリカ・カマリディ ノヴァ[キルギス国立大学学生]、以上 4 名
【調査内容等】
2018年度出土遺物の整理作業:接合・実測・写真撮影・
観察表作成(櫛原、平野、中山、岩崎、田中、オモ ルベコビッチ、アクジョロヴァ、カマリディノヴァ)
キルギス国立歴史博物館所蔵のソグド語関係文字資 料の調査:(吉田)
キルギス国立歴史博物館収蔵の石造物・瓦類等の調 査:(山内、櫛原、吉田、森)
動物骨の調査:(植月、アクジョロヴァ、カマリディ ノヴァ)
その他:キルギス国立大学学生に対する復元・実測
作業等の技術指導、動物骨研究に関する技術指導、
科学アカデミー倉庫内の整理・整備 (櫛原)
Ⅱ.AKB-13(第1シャフリスタン)の調査
第1シャフリスタンでは2011年の東京文化財研究 所による調査着手以来、街路地点で継続調査が行な われ、2016年に調査を引き継いだ帝京大学がキルギ ス共和国国立科学アカデミーと共同調査を開始し、
3年目の調査となる。調査地点(AKB-13)は第1 シャフリスタンの南門近くに位置する 20×30 mの 調査区である。この調査区では、中央の南北道路遺 構(MS1)をはさんだ東西両脇に日干しレンガの 壁による長方形区画つまり建物跡(R)が連続して 配置し、道路に面した街路構造が明らかになりつつ ある。MS1 の東側建物群は、2015年に補修、保存 措置が講じられたため、2016年以降の調査は主に MS1 西側の建物群(R1 ~ 3)で行われてきた。
a 1
b c
d
e 第1シャフリスタン
第2シャフリスタン 3 2
a 1
b c
d
e 第1シャフリスタン
第2シャフリスタン 2
4 4 3
a : ツィタデル、 b : ネストリウス派キリスト教寺院、 c : 第1仏教寺院、 d : 第2仏教寺院、 e : 大雲寺 第〇図 アク・べシム遺跡調査区位置図(1967年航空写真を加工・加筆)
区 査 調 院 寺 教 仏 2 第 : 3
、 区 査 調 ン タ ス リ フ ャ シ 2 第 : 2
、 区 査 調 ン タ ス リ フ ャ シ 1 第
: 1
・
Fig.3 航空写真(1966年撮影)と 2018年度調査地点
(1:AKB-13、2:AKB-15、3:AKB-18、4:AKB-16、a:ツィタデル、b:キリスト教会跡、
c:第 1 仏教寺院跡、d:第2仏教寺院跡、e:仏教寺院跡)
Ⅱ-1.AKB-13(第1シャフリスタン街路地区、
Fig.4・5、36~39)
本年度は調査区内のうち MS1、R1 ~ 5 の調査を 実施した。R1 ~ 3 は MS1 西側建物群、R4、R5 は MS1 北東側に位置し、R4、R5 の上層には以前の調 査で建物および道路遺構が確認されている。2011 年からの調査を層位的に整理すると、3面、つまり 3回にわたる建物の建替えが認められ、2016年には 第2面目、2017年には第3面目の建物を調査してい る。また R3 では、1面目の下層、2面目との間に 2層の遺構面があることから、この2面の遺構面を
それぞれ第 1-2 面上層、第 1-2 面下層とした。第1 面、第 1-2 面上層、第 1-2 面下層を AKB-13-第1 期、第2面を AKB-13-第2期、第3面を AKB-13- 第3期とし、放射性炭素による年代測定の結果から AKB-13-第1期を10世紀代、AKB-13-第2期を9 世紀代、AKB-13-第3期を8世紀代後半と推定し た。
Ⅱ-1-1.南北道路遺構(MS1)の調査
MS1 は昨年度までの調査により、幅約 7.5 m、長 さ約 20 mの範囲で表面に鉱滓を敷き詰めた路面と
D1 R1
R2-1 R2-2
R3-1
W4 W6
W8
W3
W7 W2
W1
W9
W10
W11
R3-2
R4-1
R4-2
R5
39095 39100 39105
16215 16220 16225 16230 16235
39095 39100 39105
16215 16220 16225 16230 16235
P1 P3 P2
P4
P5 P6
P7
P8 P10 P9 P11
P12 P13
P14 P15
P16
P17 P18
P19 P20 P21 P22 P23 P24 P26P25 P27
P28
P29P30
P31 P32P33
P34 P35 P36P37 P38
P39 MS1-1
MS1-2 MS1-3
PR1
PR2
PR3
0 (1:200) 10m
Fig.4 AKB-13 全体図
2 3
4 5
7 6 9 8
9 10
20 11
12
13
14 16 15 17 18 21 19
22
1 23
7 口 20
入出
A’
A 816.7m
(E )
Sh1
(W )
0 (1:80) 2m
Fig.5 MS1 南側断面
し、中央には浅く窪んだ溝が確認されている。敷き 詰められた鉱滓は黒色を呈したガラス質で、表面に 銅粒が付着したものがあることから銅の精錬にとも なう鉱滓と推定される。この鉱滓は、おそらくこの 地区に存在していた精錬炉(R1 に位置していた屋 内炉 O1 か)を撤去した際に、いわゆる砂利の代用 として路面に敷いたものと推定される。また路面に は動物骨や土器片などが散在し、廃棄された食糧の 残滓を含む生活ゴミ類が堆積した状況を示すことか ら、1次的な廃棄だけでなく、道路面の改修に伴っ て埋めた可能性が考えられる。2017年度の調査では、
調査区の南壁のサブトレンチ内で、この鉱滓を敷き 詰めた路面の下層にさらに古い路面が存在すること が判明したことから、本年はさらに下層を掘り下げ るとともに建物の基礎と路面との併行関係、建物の 構築や改修と道路面改修の時間的な関係を探るた め、サブトレンチを西側の壁方向に掘り進めた。そ の結果、3面の路面の存在が明らかとなり、上から MS1-1、MS1-2、MS1-3 と名付けた。路面の断面 を観察することにより、R3 建物内で確認された3 層の建物跡の床面堆積と、MS1-1~3 の対応関係が あるのではないかと推測できる(Fig.5)。本遺跡の 都市形成過程を考えるうえで興味深い事実である。
・MS1-1
MS1-1 は現地表下 1.2 mにある路面であり、幅 7
~ 7.5 mで、中央に溝がある。東側は路側帯が歩道 状の高まりとなっており、一段高い部分にはピット が列をなして並んでいる。ピット(P19~26・31~
35)は計 12 箇所確認されたが、直径 0.4 ~ 0.5 m、
深さ 7 ~ 10㎝と浅く、その間隔は約 0.3 mである。
その配列は直線的ではあるがやや乱れがあり、幅や 配置に規格性があるとはいえない。軒や柵用の柱穴 列、もしくはアーケードの柱列といった可能性が考 えられるが、定かではない。ピットの確認面では、
ピットの範囲となる部分はいずれも鉱滓がないこと から、鉱滓を敷いた路面を構築した後にピットが開 けられたか、鉱滓を敷設した地点で何らかの構築 物が存在した可能性がある。その一方で、西側 R2、
R3 に沿った路側帯にはピット列はなく、日干しレ ンガが段状に配列している。この西側の路側帯は、
レンガの長手、つまり長軸方向が道路に直交するよ うに数段積まれており、レンガを敷設するにあたっ て、道路に沿って計画的に配列していることが確認 できる。
・MS1-2
MS1-1 の調査区南壁寄り、南北方向の約 7 m分 を調査したところ、MS1-1 の下方約 0.35 mで確認 された。路面全体の幅は約6mで、幅約 3.8 mの範 囲は礫で舗装されている。中央には幅 0.4~0.5 m、
深さ約 0.25 mの溝がある。MS1-1 同様、路面、覆 土中および溝内には動物骨、土器片が多数混在して いた。
・MS1-3
MS1-3 は調査区南壁に沿うサブトレンチ内(南 北方向の幅は1m)で検出されたもので、MS1-2 の下方 0.4 mで確認された。MS1-3 の全体の幅は約 7.6 mの道路で、幅約 2.3 mの小礫で舗装し、東西 両脇には日干しレンガを敷いた路側帯が存在する。
日干しレンガの配置は、長軸方向、つまり長手が道 路に平行し、道路の両端に向かって高くなるように、
段違いにして、3~5列並べている。構築に用いら れたレンガは MS1-1 に伴うレンガよりやや大型で、
その配列方法は異なっている。また路面中央には溝 がない。MS1-3 は MS1-1 および MS1-2 の下層に 位置するが、MS1-1 および MS1-2 の路面と比較す ると、道路幅自体は MS1-3 のほうが広い。
MS1の年代、時期は、南壁でのセクション観察を もとに MS1-1 を AKB-13-第1期、MS1-2 をAKB- 13-第2期、MS1-3 を AKB-13-第3期として理解 しておくが、路面での年代測定は実施していないの で、今後実施して検証する必要がある。
Ⅱ-1-2.長方形区画(建物跡)
・R1
調査区の北西隅に位置するR1内では、昨年まで に確認されていた屋内炉 O1 を除去し、下層の遺構 確認を行なった。O1 は日干しレンガを 1.5 ×2m の長方形に組み、炉としている。焼土形成は弱く、
また炭化物の堆積は少なく、確認面には 2 つの熱を 受けて壁面が赤くなった小さなピットが2つ検出さ れたのみであった。また調査区外の北壁に一部入り 込んでいる敷石を除去し下層を精査したところ、C 字形の落ち込みが検出された。この落ち込み内には 炭化物が充満していることから、O1 に関連するも のと推測されるが、その機能については不明である。
また炭化物の堆積と上層の配石との関係は不明であ る。なお、炉 O1 を含む上層の遺構を除去したとこ ろ、R1 内の中央東寄りの3×3.5 mの範囲で日干し
レンガを敷き詰めたような床面構造が確認された。
上層の建物床面に伴うものと思われる。
・道路状遺構(A1)
R1 内の床面を除去し、精査したところ、小礫を 路面とした道路状遺構 A1 が検出された。R1 の中央、
東西方向に幅約2~4m、長さ 12 mの範囲で確認 され、MS1-1 とは直交する。動物骨、土器片、コ インなどが出土したが、MS1-1 に比べると少ない。
A1 は 2015 年以前に調査された R5 上層面の道路遺 構の西側延長線上に位置すると考えられる。A1 の 東端では砂利面が途絶えていることから、MS1 ま で伸びているのか、あるいは MS1 のどの道路面に 対応するのかについては不明である。
・ピット
R1 内には P14・27・36~39 が存在する。直径 0.7
~1.5 m、深さ 0.4~0.5 mと R2 内で検出されたピッ ト群に比べると小規模で、土器を伴うものがある。
これらの遺構の時期は AKB-13-第2期と理解して おく。
・R2
R2 では、これまで調査途中のままであった P8
(AKB-13-第2期)を完掘した。2015年以前に検出 されていた円筒形のピットで、直径 1.3 m、深さ 4.3 mと非常に深い。部分的に土器や動物骨がまとまっ て出土しているものの、変色した土が下層に堆積し ていたことから、もともとはトイレであり、ゴミ穴 に転用されたものと推測される。ピットの壁面では 下層の遺構面の重なりが確認できるのではないかと 期待されたが、深さ 1.3~3.2 mの間はとくに床面ら しき面はなく、深さ4m付近で遺物を若干含んだ層 が確認されている。
そのほか、R2 の南側、壁 W5 に食い込むように して存在する P1(AKB-13-第2期)について掘 り下げたが、底面までは達していない。このよう に R2 は多数の深い円筒形ピットが集中する区画と なっている。
R2-1 では、上層のセクションベルトの土層観察 によって2面の床面が確認され、昨年までの調査で すでに上層床面(第3面)のほとんどを欠失した状 況だったため、残存ベルトを除去し、下層の床面(第 4面)を精査した。その結果、大小いくつかのピッ トが新たに確認された。そのうち P11 は直径約 2 m、深さ 0.4 mの大形で浅いピットである。そのほ か W2 および W8 付近を精査し、日干しレンガの配
置を確認したほか、W2 と重複する P29・30 ではピッ ト内に炭化層が堆積した状況を調査した。
・R3
R3 では昨年検出した L 字形の仕切り壁を除去し、
床面を再度精査した。その結果床面に敷き詰められ た日干しレンガ面やいくつかの小ピットを確認し、
南側では礫のまとまりを検出した。ここでは出入口 の位置、構造と歩道側とのつながりを明らかにする 必要があったが、確実に捉えることができなかった。
・R4、R5
R4 および R5 は、MS1 東側、調査区の北東に位 置する。2015年までの調査で検出された建物跡は取 り除かれ、南北方向のサブトレンチが1本存在する のみであった。サブトレンチの断面の観察によれば、
ゴミを大量含む土層の堆積が確認できた。まずサブ トレンチを南北に伸ばすとともに、それに直交する ように東西方向のサブトレンチを設定し、十文字に ベルトを残して掘り下げることとした。交差する十 文字ベルトの断面、東側の調査区の壁面の土層観察 ののち、全体を掘り下げた。
調査の結果、調査区北東隅を中心に東西方向の壁 と仕切り壁が検出されたことから、区画あるいは建 物(R4)と考えられたが、床面は不明瞭であった。
東西方向の壁(W10)はゴミを多量に含む土層の上 に構築されており、そのゴミの土層の下層には比較 的水平な土層が広がっていることが確認された。こ れはおそらく、街の東西方向と南北方向を結ぶ街路 の交差点に位置する広場の一部であるものと考えら れる。
R4 南側に隣接する地点(R5)は 10×6.3 mの区 画で、覆土中には明瞭な床面はなかったが、W10 寄りに土器3個体を据え置いたような出土状況を示 す部分があり、焼土や炭化物の層を伴っていた。ま た南側、W7 寄りには東半にのみスーファ状の段差 が存在する。底面は MS1-1 面よりも一段下がるこ とから MS1-2 または MS1-3 と同時期の遺構面と考 えられる。R5 の底面は MS1 寄りではやや硬化して いるが、平らではない。
この地点ではピットなどの掘り込みが全くなく、
MS1 西側の状況と大きく異なっている。また、土 層覆土中からは多量の土器、動物骨などが出土し、
調査区内のほかの地点と比べ、その量が多いことは 明らかである。また青緑色に変色した堆積土層が目 立ち、生ゴミを含めた生活ゴミの廃棄場所とされた
ものと考えられる。時期については、東西ベルトの 土層中から採取した炭化物3点を年代測定したとこ ろ、いずれも8世紀後半以降の推定年代値となった ことから、AKB13-第3期とすることが可能である。
Ⅱ-2.AKB-13 出土遺物(Fig.6~12・40~46)
AKB-13 で出土した遺物は、土器、金属製品、
骨(貝)製品、ガラス製品、塼に大別できる。1~
96・112 は土器、97~103 は金属製品、104~107 は 骨(貝)製品、108~110 はガラス製品、111 は塼で ある。
Ⅱ-2-1.土器類
1~8は R1、10~13 は R2、14~24・93 は R4、
25~80 は R5、81~86 は MS1、9・13・87~89 は R2 内 P8、90 は R3 内 P12、91 は R2 内 P17、92 は R1・2 間壁 P30 出土の土器類である。器種分類は Fig.31 に基づいている。
R1 の1~8は A1 の路面直上を主とする出土遺 物である。1、3、4は鉢形鍋 C 類で、口縁部の 立ち上がりが直立する3、4と、やや弱い 1 がある。
2は水差し短頸壷で、頸部に把手痕をもつ。5~8 は小形の蓋 A 類であり、周縁に指頭圧痕が連続す る5、8、無文の6、7があり、縁の立ち上がりが ない5、弱く立ち上がる6~8がある。表面には沈 線文をもつのが一般的だが、6は無文となる。これ らは AKB-13-第3期と考えられる。
R2の10~13 は R2-2 出土土器である。10 はソグ ド文字が線刻された水差し胴部片である。11 は底 部に回転糸切り痕をもつ鉢 D 類で、体部下半にヘ ラ削り調整痕をもつ。12 は口縁部縁に連続押圧を もつ甕 A 類。これらは AKB-13-第3期とみられる。
R4 の 14~24・90 は MS1 東側の北東隅の建物内、
覆土中出土遺物である。14、15 は埦 B 類で、丸い 体部から口縁部が立ち上がる。16、17 は甕 A 類で、
口縁部は短い返りがあり、断面三角状で無文とな る。18、19 は鉢形鍋 C 類で、口縁部は角頭状を呈 し、直立して立ち上がる。19 には逆 U 字状の連続 押圧文をもつ粘土紐貼付がある。20~24 は蓋。小 形の A 類(20~23)、大形の B 類(24)があり、20
~ 23 はいずれも縁に連続押圧文をもち、立ち上が りがない。22 は平らではなく、内側に向かって傘 状を呈している。24 は厚く縁部が太く立ち上がり、
表面には沈線文をもつ。90 は水差し長頸壷ⅡB類
で、肩部から筒状の注ぎ口が立ち上がる。
R5 の 25~80 は覆土中に廃棄された土器類のほ か、R4、R5 間の壁に面して設けられた竃もしくは ベンチ状遺構の上に置かれたようにして出土した土 器類(36)である。25~27 はカップB類で、いず れも体部が丸く膨らみ口縁部が直立する器形であ り、肩部に把手をもつ。また 26 は肩部に三角刺突 列をもっている。28 は小形壷。29 は全形が不明だ が、小形壷としておく。口縁部には内側から刺突し て外面に丸い突出状の文様を作り出した土器。30~
36 は水差しで、小形甕(30・31・34)、長頸壷Ⅱ(33、
35)、小形壷(36)がある。32 は小形角頭状口縁で、
甕 B 類としておくが、水差し小形甕との区別は難 しい。37、38 は鉢で、37 は鉢B類、38 は鉢C類。
39 は小皿 B 類。40 は器種不明だが、底部に焼成前 線刻をもつ水差し状の土器。41~43 は甕で、41 は 甕C類、42、43 は甕A類。口縁部断面形は 41 が丸状、
42・43 が短い角頭状で、43 は縁部に三角状連続押 圧文をもつ。44~50 は鍋。いずれも器形的には内 湾した胴部から口縁部が直立気味に立ち上がる鍋C 類で、肩部には連続押圧のある逆U字状粘土紐を貼 付するものが多い(46・47・49)。時期的な特徴を 示す器形とみてよいだろう。また 44 はやや小形の 鍋C類で、肩部には突起状の貼り付けがある。51~
72 は蓋。51~71 は小形のA類、72 は大型のB類で ある。いずれも円板形で、縁は立ち上がりがなく、
縁部には連続押圧がある。表面には沈線文を描き、
矢羽状の沈線文に連続爪形文(58・65・67)、円形 刺突文を加えた例(59・69)、同心円状に円形刺突文、
連続押圧文をもつもの(71)がある。中心に立ち上 がる把手にはさまざまな形態があるが、基本的には 円筒型(51・52)、分岐型(70)、把手型(71)がある。
円筒型には短い 51、やや長い 52 があり、把手表面、
側面には円形刺突文などで装飾する。分岐型には三 つ又状、五つ又状等がある。72 は周縁部が厚く立 ち上がりをもち、縁部は無文となる。表面には同心 円状沈線文内に蛇行沈線文、連続刺突文をもつ。73
~ 77 は竃の支脚。73、75 ~ 77 は R5、74 は R4 出 土資料で、いずれも牛の角状に反りぎみに立ち上が る。73 は円形刺突を外面に施し、74 は刻みのある 垂下隆線脇に矢羽状沈線文を施文する。75 は円形 の台座をもち、台座近くに顔面状文様を表現し、両 脇に円形刺突文を施文する。76 は竹管状刺突文を 施した例。77 は台座近くに顔面状表現をもち、く
の字状刺突文を施文する。
78~83 は MS 1出土土器。78 は MS1 出土の水差 しとみられる壷形土器胴部で、縦横の沈線文をもつ 珍しい土器。79・80 は底部が厚く、口縁部がやや 長いカップB類で、よく類似している。81 は回転 削りによる尖底を呈した小型壷で、緑色を呈した特 殊容器。Spherical Cone(球錐)と呼ばれる。カラ・
ハン朝期の薬壷といわれ、非常に緻密で硬く、胴部 に同心円文様を施文する。MS1-1 出土。82 は路面 2~3層に伴う鍋C類で、外面に逆U字状の連続押 圧文をもつ。83 は軸受石とみられる石製品で、円 孔内面に回転痕を多数もつ。MS1-2 出土。
9・13・84~86 は P8 出土土器。9は甕 B 類と 考えられるが、叩き整形による調整痕がみられ、裏 面には楕円文を刻んだ当て具痕の跡が全体的に存在 する。84、85 はソロバン玉状の体部をもつ細頸壷 で、類似した器形を呈し、肩部に文様帯をもつ。84 は連続竹管刺突文、回転波状文をもち、85 は連続 花柄刺突文、連続C字状刺突文をもつ。86 は無文 の蓋A類。
87 は P12 出土の蓋B類。
88 は P17 出土の甕C類。直立ぎみで、肥厚した 口縁部に波状文をもつ。
89 は P30 出土の短頸壷。
91~95 は土器脚部。91、93。94 は指状沈線文を も つ。91~93 は R5、94、95 は R4 出 土。96 は R5 出土の獣の頭部を表現した水差し注ぎ口で、ウマの ような頭部を表している。
Ⅱ-2-2.金属製品ほか
97、98 は MS1 の捩じりのある銅線。99、100 は R1 出土の3枚ずつ 6 枚がまとまって出土したコイ ンで、いずれも直径 1.8㎝、ソグド文字をもち、8 世紀後半とみられる。101 は R1 出土のソグド文字 をもつ方孔銭で、直径 2.5㎝。102 は№ 104 出土の ソグド文字をもつ方孔銭で、直径 1.8㎝。8 世紀後 半か。103 は R4 出土の4枚重ねの方孔銭。
・骨(貝)製品
104 ~ 107 は骨(貝)製品。104 は P17 出土の動 物骨で、ウマの橈(とう)骨。側面にやや太い線刻 をもち、また上面に細いカット痕状の刻みがある。
105 は R2 内 P8 出土のヒツジ踝骨とみられるチュ カで、側面に線刻文がある。106 は R3 B2 内出土の 骨または角製サイコロで、一辺 8㎜。107 は R1 出 土のタカラガイで、長さ 2㎝。加工痕はない。
・ガラス製品
108~110 はガラス製品。108 は R5 出土のガラ ス製、灰白色ビーズで、直径 6㎜。109 は R4 出土 のガラス製、灰白色ビーズで、直径 1.2㎝。110 は MS1-2 面目出土のガラス製、明青灰色ビーズ。
・塼ほか
111 は R5 出土の塼で、縄叩きをもつ。そのほか 調査区外、SH1 中央付近での採集品に 112 がある。
推定直径 57㎝の大型蓋形土器で、表面には円形連 珠文のスタンプ文をもつ。 (櫛原)
土器
1
2
3
4
5 6 7
8
9
10 11
12
13
14
15
0 (1:5) 20cm 16
Fig.6 AKB-13 出土遺物(1)
17
18
19
20 21
22 23
24
25
26 27
28 29
30
31
32
33
34
35
36
0 (1:5) 20cm 37
Fig.7 AKB-13 出土遺物(2)
38
39 40
41
42
43
44
45
46
47
48
49 50
51
52
53 54
55 56 57
0 (1:5) 20cm
Fig.8 AKB-13 出土遺物(3)
58 59 60
61 62 63
64 65 66
67 68
69
70 71
0 (1:5) 20cm
Fig.9 AKB-13 出土遺物(4)
72
73
74
75
76
77 78
79 80 81 82
83
84 85
86
0 (1:5) 20cm
Fig.10 AKB-13 出土遺物(5)
91 92
93 94
95
96
97 98
99 100
101 102 103
87
88 89
90
金属製品
0 (1:5) 20cm
0 (1:2) 5cm
Fig.11 AKB-13 出土遺物(6)
表採
111
112 104
105
106 107
108 109 110
塼 ガラス製品
骨製品
0 (1:5) 20cm
0 (1:2) 5cm
Fig.12 AKB-13 出土遺物(7)
Ⅲ.AKB-15(第2シャフリスタン)の調査
第2シャフリスタンは、1966年の航空写真をみる と五角形の外壁をもち、その中心部に方形の城壁 に囲まれた第 2a シャフリスタン(シャフリスタン 2a、トルトクル)が確認できる。現在は、第2シャ フリスタンの南東側の外壁が部分的に残るのみで、
大半は平坦な農地になっているが、第 2a シャフリ スタンは周辺よりもわずかに高くなっている。2017 年度から第 2a シャフリスタンの中央部、やや北側 に地中レーダ探査を実施したうえで南北方向のトレ ンチを設定し、調査を開始した。
2017年度の調査では、Tr3 と Tr5 のやや浅い面 からカラ・ハン朝期(10~11世紀)と考えられる遺 構や遺物が検出された。その一方、トレンチの南側 では唐代に属する大量の瓦片が帯状を呈して検出さ れた(瓦帯)。瓦帯は、瓦片が帯状(南北 25m 以上、
幅約 2m)に堆積したもので、その主軸は南北方向 から6度西に振れているが、これは第 2a シャフリ スタンの主軸方向にほぼ一致している。この瓦帯に 東西方向のトレンチを入れ、瓦帯を一部断ち割った ところ、瓦帯の西側がやや低く、西側に向かって瓦 片が傾斜する状況が確認できた。さらに「□懐」と 記された瓦もこの場所から出土した。これは、発掘 過程を経た遺物としては、アク・ベシム遺跡におけ る最初の中国語の文字資料である。また、東側に この瓦帯の対辺が存在するか否かを確認するべく、
ボーリングステッキによる探査を実施した。その結 果をもとに 2017 年第 2 次調査で東西トレンチを設 定し、次年度調査の準備として表土の除去を行った。
2018年度は、瓦帯の西側に調査区を拡張し、瓦帯 北端に分布する瓦の堆積状況を確認した。また東側 においても、瓦帯に対応する瓦帯が存在するか否か を確認することを目的として、東西トレンチや調査 区を設定した。その結果、瓦帯の北側では、塼を用 いた建物基礎に関わる遺構と石敷きが確認されたほ か、東側の調査区では瓦の集積や路面とみられる礫 層面の存在を新たに確認できた(Fig.13~16)。
Ⅲ-1.帯状に堆積した瓦片(瓦帯)
2017年調査で断ち割りした Tr5 の北側断面の土 層観察によれば、瓦の堆積は東側がやや高く西方に 向かって傾斜すること、瓦片の間に炭化物および焼 土が多量に混入すること、瓦帯の東側では堅く、良
く締まった土の堆積が確認され、建物の基壇とみら れる遺構ではないかと推定されていた。2018年度は その東西トレンチの南側断面を再精査し、観察を 行った。
南側の断面では、表土・耕作土層を除き 11 層に 分層した。南側の土層観察によれば、とくに7層に は細かく砕けた動物骨が混じる状況が確認できた。
瓦を含まず土器と骨片のみが混じることから、唐代 の遺構を構築する際に整地した土層の可能性がうか がえた。そのほか、基壇層と考えられる土層中にも 瓦の小片が混在していることから、この瓦帯が形成 された時期以前に基壇の修築や改築、または構築に 際して瓦片が混在した可能性が考えられる。
Ⅲ -2.石敷き(Fig.15・16、口絵3~6)
瓦帯の北端に位置する瓦の集積部分を断ち割った ところ、その直下に塼を用いた雨落ち溝と、赤茶色、
青色、緑色、白色の円礫を用い、同心円状の花柄文 様を描く東西、南北方向の石敷き(「卵石散水」)を 検出した。北側に東西方向、西側に南北方向の石敷 きがある。
北側の石敷きは、西端は建物の縁石をなす塼に接 し、東端は後代の穴(ゴミ穴)によって壊され、ま た中央付近では井戸状遺構によって一部切られてい る。この東西方向の石敷きは、長さ 3.5m、幅 1.1m である。長さ5~12㎝、幅3~5㎝のやや縦長の円 礫を用い、直径約 50~80㎝の6輪の放射状の花柄 文様が 2 段描かれている。石敷きは、長軸に沿って 中央部分がやや盛り上がり、短軸方向は緩やかな凸 面となる。井戸状遺構周辺では石敷きが穴の縁に 沿って円弧状になっているものの、この縁の部分の 石は整然と並んでいる。また、井戸状遺構の北側部 分では、ちょうど人が足を開いた幅で礫面が 2 か所 窪んでいる。
西側の石敷きは南北方向に延び、長さ 3.5m、幅 0.6m である。長さ3~10㎝、幅2~6㎝の円礫を 用い、直径約 50㎝の6個の花柄文様が描かれてい る。北側の石敷きと同じように長軸に沿って中央部 分がやや盛り上がり、短軸方向に凸面となる。中間 で1段の小端平張り積み(塼の小端を上端にして 積む)を平行に並べた幅約 10㎝の溝で区画される。
石敷きはさらに南へと伸びていたようであるが、瓦 帯が伴う基壇を構築した際に造られた西側の溝に よって壊されているようである。
X=38840 (X=4738840)
X=38830
X=38820
X=38810
X=38800
X=38790
X=38780
X=38770
X=38760
X=38750
X=38740
Y=17090(Y=517090) Y=17100 Y=17110 Y=17120 Y=17130 Y=17140 Y=17150 Y=17160
:Roof Tile
a a’
AA’
c c’
bb’
Tr 11 Tr 11
Tr 11 Tr 11
-a -b
-c -d
Tr 10 Tr 10
Tr 10 Tr 10
-a -b
-c -d
0 (1:500) 20m
0 (1:500) 20m
Fig.13 AKB15 全体図
0 (1/100) 2 4 m
0 (1/100) 2 4 m
17095
38780
17095
38780
17100 17105 17110
17100 17105 17110
38775 38770 38765 38760 38755
38775 38770 38765 38760 38755
17130 17130
3875038750
17135 17140 17145
17125 17125
17135 17140 17145
38755
38760
38765
38770
38775 38755387603876538770
38775
Fig.14 AKB15 平面図
Fig.15 AKB15 平面図
Ⅲ-3.石敷きの構成について(口絵3・4)
花柄が描かれた石敷きの文様(以下、モチーフと する)の構成を把握するため、石敷きの色別個数と ともに、目安として占有面積、占有面積の比率を算 出した。
その方法については、写真測量から図化したデー タと解析したオルソ画像を基にディスプレイ上で 石材の個数を数えた。さらに Adobe IllustratorCS5 のプラグイン「はかりや」を利用して石材の面積を 算出した。(口絵3-表1)。ただし、写真測量は石 敷きの石材の位置を記録する目的で実施したもの で、石敷きの保全を考慮して石材間に溜まった土を 完全に除去しない状態のまま実施したため、石材の 規模・面積および占有率は推定値である。あらかじ めご留意いただきたい。
Ⅲ-3-1.石敷きの数量
用いられた石材の色はおおよそ4系統であり、白 系748個、赤茶系588個、緑系326個、青系192個であ る(口絵3-表1、口絵4-図1・2)。色別の個数と しては白系がもっとも多く、全体の40%を占める。
その一方で、1個あたりの石材の大きさ(面積)で は白系はもっとも小さく、緑系27.3㎠、青系23.4㎠、
赤茶系19.4㎠、白系19.2㎠の順となる(口絵3-図4)。
北側と西側の色別占有率(色別面積/配石範囲の 面積)の差をみると(口絵3- 図2、口絵4- 図1)、
白系、赤茶系、青系の差は5%以内であり、近似し ているが、緑系については16.7% の差があり、北側 の石敷きに緑系の礫が多用されていることがわかる。
Ⅲ-3-2.石敷きの構成と配列の傾向
1)花柄のモチーフ:北側の石敷きでは6箇所、西 側の石敷きでは6箇所が確認できる(口絵3-図2・
3)。規模については、北側石敷きのものは直径約 50~80㎝、西側石敷きのものは直径約 50㎝を測る。
花柄のモチーフの構成は、中心にやや大きめの石 材を配し、その周りに同一色の石材を円形に並べて 囲んでおり、3重または4重の同心円を構成してい る。この同心円は、白系の石材を配したもの、赤茶 系の石材を配したもの、緑系と青系の石材を配した ものの3種があり、一つのモチーフで同色の石材が 2重になるところはなく、色彩を意識して構成され ている。
北側の石敷きでは、中心に径約6~13㎝の大きさ
の石材を置き、石材の長軸を中心から放射状に合わ せて配している(口絵4-図3)。また、南北二段に 構成されており、北段のモチーフは三重の円が全て 完結し、南段のモチーフは3重目の同心円の一部が とぎれ、北段の円にとりつくように配されている。
このモチーフの構成からみて、石敷きは北側から、
言い換えると建物の基壇側から構築されていたと推 定できる。
西側の石敷きでは、花柄のモチーフの直径は約 50㎝に揃えられている(口絵 4- 図4)。中心には径 約 12㎝の大きさの石材を置き、北側に比べて軸の 長短の差が少ない円礫を用い、中心からの放射方向 に配置している。
2)区画:石敷きの端部および花柄のモチーフの間 には直線的な配列がみられる(口絵 4- 図3・4)。北 側の石敷きでは、二段に組まれた花柄のモチーフの 間を東西に区切る南北方向の配列があるほか、井戸 状遺構が重複する部分で、緑系の石を並べた東西お よび南北方向に配列がみられる。西側の石敷きでは やや曖昧ではあるが、花のモチーフの間にそれぞれ 東西に区切る南北方向の配列がみられる。
3)充填部:花柄のモチーフの外側に、短い弧状の 配列が数条みられる他、モチーフの間を充填するよ うにランダムに配石されている(口絵4- 図3・4)。
なお、緑・青系の石材の多くは、花柄のモチーフや 区画を描く配列に用いるが、白系と赤系の石材は、
区画内の充填用にも多用する傾向が看取できる。
(望月)
Ⅲ-4.井戸状遺構(Fig.16、口絵5・6)
北側の花柄文様の石敷きを切るように存在する直 径約 1.8 mのピットである。本年度は南側を半裁し、
深さ約 110㎝まで発掘を行った。現状では素掘りの 井戸状遺構で、レンガ等で壁を構築した状況はない。
断面の土層観察では最上層からはカラ・ハン朝期の 土器類が出土している。また、上層部からも瓦片が 斜めに重なるようにピット内部に落ち込む状況がみ られる。下層部からは唐時代の瓦片や土器類が出土 している。このような状況から本遺構は廃棄時に埋 め戻されたものの、遺構内の土が沈下するのに伴っ て窪みが生じ、そこにカラ・ハン朝期の土器が落ち 込んだものと考えられる。 (中山)
Ⅲ-5.建物跡
17105 38765
A’ A
B B’
D’ D
C’
C
A’A 811.8m 811.8m
811.8m
811.8m
(S)(N)
B’
B
(W) (E)
D’D (S)(N)
C’
C
(W) (E)
Sh2
0 (1:50) 2m
Fig.16 AKB15 石敷き周辺
石敷きおよび井戸状遺構の北西側で、クランク状 をなす平積みの塼列(雨落ち)を検出した。この塼 列は建物の縁、いわゆる縁石であると推測される。
外側には小端平張り積みで塼を 1 段積み、その内側 に塼を長手積みに積み、少し内側にずらすようにし てその上にもう 1 段、塼を長手積みにしている。塼 積みのずれを防ぐために、外側の塼積みの塼と塼の 目地にあたる部分に、塼を角が出るように縦に埋め 込んだ「頂縫塼」を設置する。また、塼の列が直角 をなす角の内側にも斜めに塼が埋め込み、塼の列が ずれないようにしている。建物跡の南東角にあたる とすると建物は北西側に配置すると考えられるが、
東西方向の建物の一部の可能性もあり、現時点では その全容は不明である。
また石敷きの北側、約 7m の地点では、塼で構築 した長さ 0.9 mの雨落ち溝を検出した。建物の北辺 の雨落ちと推定できる。4列の塼で構成され、内側 から1列目は角が欠けた塼を長手積みし、2列目は 1列目に直交する方向で一段低い位置に小口積みす る。3 列目は 1 列目と同じ長手方向に上面の高さを 合わせて小端平張り積みとする。4列目には3列目 の塼の目地を留める「頂縫塼」を埋め込んでいる。
この雨落ちがどこまで伸びるかを確認しようとした が、残念ながら塼が抜き取られたためか、その続き を確認できなかった。なお、この雨落ち溝の主軸方 向と南北の石敷き方向は一致することから、石敷き およびこの雨落ちは一体的なものであり、その場合、
石敷きと雨落ち間には幅 6.5 mの東西に長い建物が 存在していた可能性が考えられる。
Ⅲ-6.瓦片を敷き詰めた建物の基礎および瓦溜まり と砂利敷き
東側の調査区では、Tr8 の東側(座標 X38750, Y17140 周辺)において、地表下約 20㎝で瓦片およ び砂利面の広がりを検出したことから、瓦片の分 布は南壁から北に2m ほどの範囲で、さらに東に 約2m のところに東西幅約3m の範囲で帯状の砂 利面を検出した。これらの広がりを確認するため、
Tr8 の南北に新たに調査区を設置した。
まず Tr10 の調査区では、帯状に瓦片を敷き詰め た状況が複数発見された。現時点では、帯状の瓦片 は建物の基礎と推測している。瓦片を敷き詰めたの ち、その上に土壁を築いたものと考えられるが、日 干しレンガ等の上部構造は検出できなかった。また
同調査区の北東部分では、5 度西に振れた小礫をや や多く含むシルトからなる幅約 20㎝ほどの帯状の 遺構を確認した。これらの軸線は第2シャフリスタ ンの長軸の方向と類似することから唐代の遺構の可 能性がある。その他、掘り下げの過程で焼土やスラ グの出土が確認されたことにも留意しておきたい。
Tr9 では、東西トレンチで検出した瓦片の堆積と砂 利敷きの範囲確認を行った。瓦片の分布が南側に続 く状況は確認できなかった。また Tr8 南側のサブ トレンチによる断ち割りで、砂利敷きや瓦堆積の時 期には数段階があることが判明した。次年度調査の 検討課題としたい。 (望月・大谷)
Ⅲ-7.AKB-15(SH2)出土遺物(Fig.17~29・47
~53)
AKB-15 から出土した遺物は、土器類、土製品、
金属製品、骨製品、瓦(軒丸瓦、平瓦、丸瓦、熨斗瓦)、
塼に大別される。113~119 は土器類、120、121 は 土製品、122、123 は金属製品、124 は骨製品。125
~176 は瓦で、125~146 は軒丸瓦、147~159、177
~189 は平瓦、160~164 は丸瓦、165~176 は熨斗瓦、
190~192 は塼である。
Ⅲ-7-1.土器類
113 は甕片で、内面には楕円文の当て具痕をもち、
灰白色の色調を呈する。114 は R011 ベルト 1 号ピッ ト(井戸状遺構)上層出土の鉢形土器で、口唇部に 櫛描波状文をもつ。115 は蓋 A 類。116 は甕 A 類。
117 は鍋 B 類で、逆 U 字の粘土紐を貼付する。118 は皿で、内面にペルシャ文字を描く。119 は鉢とみ られるが甕の可能性も考えられる。
Ⅲ-7-2.土製品、金属製品、骨製品
120・121 は土器片利用の有孔円板。122 は出土の リング状銅製品。123 は 1 号ピット内出土の銅製飾 り鋲で、表面に文字とみられる浮彫がある。124 は 敷石東側出土の動物骨もしくは角製装飾リングで、
6つの同心円文を彫刻する。
Ⅲ-7-3.瓦類
・軒丸瓦
125~137 は軒丸瓦。125~128・133 は複弁4弁蓮 華文(第1型式)で、中房は珠文1、間弁をもち、
圏線の外側に珠文帯をもつ。瓦当径は直径 12.5㎝程
度で、内区径は約9㎝。珠文帯の珠文は径がやや大 粒となる。129~132 は単弁7弁(推定)蓮華文(第 2型式)で、中房は推定1+7、二重圏線間に大粒 の珠文帯をもつ。蓮弁は小さく、間弁をもち、瓦当 の直径は約 12.8㎝程度。137 は単弁6弁蓮華文(第 3型式)。136 は単弁細弁蓮華文(第4型式)で、
全貌は不明ながら今回の調査で新たに確認された型 式である。圏線が1重の点は第1、第3型式と共通 する。
丸瓦部と瓦当の接合技法としては、瓦当裏面に 中国唐代と同様の「刻み技法」が多いほか(128、
137)、カキメを施した例(129)がある。また丸瓦 部の端面に刻みを残す例(138~146)は瓦当面の剥 離した軒丸瓦で、瓦当裏面のネガとして残すものの ほか、丸瓦端面側にも接合のために刻みを付けた可 能性が考えられるが、その区別は難しい。
軒丸瓦の丸瓦部は、内面(凹面)に桶形痕を残す ものがあることから(145)、桶形とみられる。なお 1型式の 125 は丸瓦部と瓦当面との接続角度が大き く、道具瓦とみられる。
・平瓦
147~159 は平瓦。接合作業の結果1枚の大きさ が判明した資料が4点ある。いずれも桶巻作りで、
内側(凹面側)から裁線を入れて4分割し、側面に は分割裁線、分割破面を残す。端面上端はナデ、下 端はケズリとする。側面には押圧痕を縁にもつもの があり、1枚につき2箇所ずつ、計4箇所の存在が 想定できる。分割裁線を入れる際の目印とした分割 界点である。従来指摘されるような桶形面の紐コブ の痕跡ではなく、指頭痕ではないかと推測される。
桶の側板痕跡は見えにくいが、布袋がかからな かった端に桶形痕を残すものがあり、それによれば 幅約2㎝の狭い側板を連結した桶である。粘土円筒 は粘土紐巻上げとする。凸面は叩きののち横ナデを 行なう。叩きは無文叩きを主とするほか、縄叩きの 痕跡をもつものがあり、いずれも側面に平行した叩 きとするのが特徴である。
147 は分割界点を2箇所にもち、直径 34㎝の桶形 が復元できる。148 は分割界点2箇所をもつ。149 は分割界点2箇所をもち、粘土紐巻き上げ痕が明瞭 に残る。150 は上端を残し、輪積み痕がある。151 は輪積み痕をもつ。152 は縦 39㎝を測る。153 は左 側縁に分割界点2箇所をもつ資料で、縦 39㎝。154 は縦 38㎝、幅 23.5㎝。下端に明瞭な側板痕を残し、
桶の側板幅は約2㎝と狭い。155 は左側縁に分割界 点2箇所、凹面中央付近に立て方向指ナデによる指 頭痕を残す。縦 38㎝、幅 23㎝。156 は右側縁に分 割界点1箇所をもつ上端側の資料。157 は左右に分 割界点2箇所を残す下端側資料。下端側に特徴的 な連続押圧痕がある。158 は下端側資料で、左右に 分割界点2箇所を残す。177~189 は製作技法がわ かる平瓦片。177~180 は凸面に布目痕をもつ平瓦。
180・182・183 は下端側に側板痕をもつ資料で、布 袋のかかりが 3㎝ほど不足した部分に狭い側板痕が 残る。181 は凹面布袋に補修布を当てたもの。185
~187 は凹面に分割裁線を入れながらその位置で分 割しなかった例。187 は凸面に3本の沈線をもつ。
189 は胎土中に巻貝の圧痕をもつ。
・丸瓦
160~164 は丸瓦。縦の長さを復元できた事例が なく、大きさが不明。幅 13㎝で玉縁をもち、両側 面は分割裁線 + 破面、下端はヘラ削りとする。凸 面は叩きのちナデで、叩き板は無文を主とし、まれ にかすかに縄叩き痕をもつ。163 は右上がりの粘土 紐巻上げ痕を明瞭に残し、その位置で破損している。
164 は凸面に縄叩き痕をかすかに残す。
・熨斗瓦
165~176 は熨斗瓦。平瓦を縦に2~3分割した 細長い平瓦である。上端側はナデ、下端側はケズリ、
側面は一方が分割裁線 + 破面、一方の側面にナデ 調整を加えている。縦の長さがわかる形で復元され た事例はないが、平瓦から推定すると長さ約 38㎝
であろう。平瓦同様に分割界点を一方の側に残すも のがあることから、平瓦同様に4枚分割の桶巻作り で作られた平瓦をさらに分割したとみられる。
165 は下端側が残り、左側面をナデ調整する。幅 8㎝。166 は上端側が残り、左側面をナデ調整する。
幅 5.5㎝。167 は上端側資料で、左上に分割界点 1 箇所をもち、左側に弱いナデ調整をもつ。168 は下 端側資料で、左下に分割界点をもち、左側をナデ調 整する。幅 8㎝。169 は上下端を欠く資料で、右下 に分割界点をもつ。幅 13㎝と幅広で、平瓦を 2 分 割したとみられる。171 は下端側資料で、幅 10㎝。
172 は下端側資料で、幅 8.5㎝。173 は下端側資料 で、幅 9㎝。174 は上端側資料で、幅8㎝。両側と もナデ調整痕がない。175 は下端側資料で、幅 9.5㎝。
両側ともナデ調整痕がない。176 は下端側資料で、
幅 8.5㎝。両側ともナデ調整痕がない。184 は下端
土器
土製品
金属製品 骨製品
113
114
115
116
117
118 119
120
(120~124) 121
122 123 124
0 (1:5) 20cm
0 (1:2) 5cm
Fig.17 AKB-15 出土遺物(1)
瓦当裏側
軒丸瓦
125
126
127
128 129
130 131
132
133
0 (1:4) 10cm
Fig.18 AKB-15 出土遺物(2)
134 135
136 137
138
139
140
0 (1:4) 10cm
Fig.19 AKB-15 出土遺物(3)
側面
141
142
143
144
145
146 0 (1:4) 10cm
Fig.20 AKB-15 出土遺物(4)
b b’
c c’
a
a b
c
a’
a a’
b b’
a
b
平瓦
147
148
149
0 (1:6) 20cm
Fig.21 AKB-15 出土遺物(5)
a a’
b
a
b
b’
150
151
152
0 (1:6) 20cm
Fig.22 AKB-15 出土遺物(6)
a
a
a’
b
b
b’
a
a
a’
b
b
b’
153
154
0 (1:6) 20cm
Fig.23 AKB-15 出土遺物(7)
155
156
157
0 (1:6) 20cm
Fig.24 AKB-15 出土遺物(8)
丸瓦
161
162
158
159
160
0 (1:6) 20cm
Fig.25 AKB-15 出土遺物(9)
a
a
a’
b b’
c
b c
c’
熨斗瓦
163
164
165 166
167
168 169
0 (1:6) 20cm
Fig.26 AKB-15 出土遺物(10)
a a’
b b’
a b
a a’
b b’
c c’
a b c
a a’
b b’
c c’
a
b c
a a’
b b’
a b
追加 瓦 170
171
172
173
174 175
176
177 178
179 180
0 (1:6) 20cm
Fig.27 AKB-15 出土遺物(11)
a a’
b b’
a b
a a’
b b’
a b
181 182
183
184
185 186
187 188 189
0 (1:6) 20cm
Fig.28 AKB-15 出土遺物(12)
第 2 仏教寺院 塼
190
191
192
193
0 (1:5) 20cm
0 (1:2) 5cm
Fig.29 AKB-15(13)、AKB-18 出土遺物