• 検索結果がありません。

諸秩序相互依存パラダイムの応用 : 現存社会主義の崩壊に寄せて

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "諸秩序相互依存パラダイムの応用 : 現存社会主義の崩壊に寄せて"

Copied!
21
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

1

諸秩序相互依存パラダイムの応用

一現存社会主義の崩壊に寄せて

福  田  敏  浩

1.はじめに

 (1)1990年代は東方圏諸国の激変で始まった。1989年から90年にかけてワ ルシャワ条約機構に所属していた東欧6力国ではいわゆる東欧革命が勃発し, 政治システムがオートクラシーからデモクラシーへと転換し始めた。中でも劇 的だったのは東ドイツである。89年11月9日にベルリンの壁が落ちてから1年 にも満たない90年10月3日にこの国は西ドイツに吸収合併され,世界地図から 姿を消したのである。  (2)1991年はソ連解体の年であった。1985年以降に開始されたペレストロ イカはもともと経済改革を主眼としていたのだが,結局はソ連邦を維持してき た統合要因を次々と切り崩すことでこの国の解体を招いてしまったのである。 2240万平方キロメートルの面積を誇り,2億8600万の人口を擁し,しかも120も の民族を抱えていたこのマンモス国家をひとつの国として秩序づけていた統合 要因としては次の四つのものが考えられる。第1はプロレタリア国家という階 級イデオロギーである。階級は民族横断的概念である。プロレタリアはロシア にもウクライナにもリトアニアにもカザフにもいる。マルクス主義的階級イデ オロギーは各民族の自己主張を抑え,その一体化を図る上で最適のイデオロギ ーだったのである。第2は政治権力の1点への集中である。つまり広大な多民 族の国を維持するにはプロレタリアの前衛たる共産党への権力集中が不可欠で あった。第3は強力な警察と軍の保有である。これは治安と一党独裁の維持の 上で不可欠の武力的条件であった。第4は中央集権的な経済運営方式つまり管 理社会主義の制度化である。経済運営の実権を党中央に集中せしめることによ

(2)

2  彦根論叢第275号 ってモスクワから国民生活を支配すると同時に一党独裁を永続化することが試 みられてきたのである。  ゴルバチョフ(M.Gorbachev)の発動したペレストロイカは,経済の分権化・ 自由化,政治システムの民主化,思想・イデオロギーのプルーラリズムの容認 (グラスノスチ)を柱としていた。ゴルバチョフ指導部は当初,ペレストロイカ をソ連邦を維持したままで実施しようとしたのだが,事態はソ連の解体という 思惑とは懸け離れた方向へと展開した。ゴルバチョフらは自らの手で上記四つ の要因を切り崩す挙に出たからである。モスクワからの遠心運動は加速され, 構成諸民族が独立の声を上げるに至った。この動きに拍車をかけたのが1991年 8月目保守派によるクーデターの失敗であった。これにより共産党は解体し, マルクス=レーニン主義は葬り去られ,KGBは分割され,軍の縮小化が加速さ れ,ついに15の構成共和国はそれぞれ独立を勝ち取るに至り,1991年12月25日 目ソ連邦は消滅した。今後独立した国々がどうなるかは予断を許さないが,現 時点(92年1月現在)で言えることは,ペレストロイカは意図せざる結果として 巨大な階級国家の倒壊と複数の民族国家の成立をもたらしたということである。  (3)1991年はユーゴスラヴィアの分裂の年でもあった。ユーゴ連邦を構成 してきたスロヴェニアとクロアチアが連邦からの離脱を開始したのである。労 働者自主管理の祖国たるこの国の分裂をもたらした主因としては,経済の悪化 (89年現在で,インフレ率1000%以上,失業率15.1%,対外債務残高150億ドル),チ トー(J. B.Tito)亡きあとのカリスマ不在による共産主義者同盟の威信の低下, ソ連・東欧の体制変動の影響が考えられる。これらによって五つの主要民族か ら成るユーゴでも民族独立運動が表面化し,スロヴェニアとクロアチアが連邦 からの独立を宣言したが,91年夏にはこれを阻止しようとするセルビアとクロ アチアとの間に内戦が勃発した。今後のユーゴがどうなるかは予断を許さない が,現時点で確かなことはチトー主義とこれにもとつく労働者自主管理制度は 過去のものとなりつつあるということである。  (4)以上のごとく最近の東方圏諸国は実に目まぐるしい動きを示している が,経済体制研究に従事している筆者からすれば,東方圏諸国の激動は経済体

(3)

       諸秩序相互依存パラダイムの応用   3 制研究者にとって格好の考察材料を提供している,と言える。経済体制の変化 傾向およびその原動力の究明,経済体制と政治体制やイデオロギーとの関係な ど,従来から経済体制論の重要なテーマとされてきた事項について改めて考察 できる機会が与えられたからである。そこで本稿では,最近の東方圏の体制変 動に範を取って,経済体制の構成諸要素間の関係および経済体制と他の生活諸 領域との関係について考察してみることにしたい。  もとよりこれらの問題に関心を寄せたのは,筆者だけではない。学説史的に 振り返って見ると,かなりの論者がこれらの問題について発言してきたことが 知られる。その中で特に筆者の注目を引いたのは,古くはオイケン(W.Eucken) の説であり,近くはコルナイ(J.Kornai)の説である。そこで最初にまず両説 を検討することから始めよう。 II.オイケンの諸秩序相互依存の原則  (1)ワルター・オイケン(1891−1950)はドイツ語圏を代表する経済学者で あり,経済理論や経済体制論や経済政策論の分野で一級の業績を残した碩学で あった。かれはまた,ドイツ語圏における新自由主義の拠点たるフライブルク 学派の創始者としてこの思想の普及に努める傍ら,戦後の西ドイツの経済政策 実践に対しても少なからぬ影響力を行使したことでも知られる。そのオイケン は今から40年以上も前に,経済と他の生活諸秩序との関係について興味ある説 を提示した。立ち入ってみよう。  (2)オイケンが研究者として活躍した時代は20世紀の前半であった。この 時代は,西では資本主義が動揺をきたして深刻な不況が発生し,これに触発さ れる形で全体主義が台頭し,東ではロシアで社会主義の建設が推進されるよう になり,しかも二度の世界大戦が勃発するという,革命と戦争と体制変革の時 代であった。オイケンはこのような時代状況の中で思索を重ね,経済体制論史 上不朽の業績を残した。  そのひとつに独特の経済体制形態論がある。その特徴は,基準一元論と体制 二分法に集約される。つまり,オイケンは経済体制の定型化の基準として経済

(4)

4  彦根論叢第275号 計画主体(経済的意思決定の主体)の数一単独か多数か  のみを措定し,これ       1) によって中央指導経済と流通経済(つまり市場経済)を区別した。このような二 分法的体制学説は第2次世界大戦後のドイツ語圏の学界に大きな影響を与え,        2) 数多くの研究者がそれを活用するところとなった。  (3)オイケンの業績の第2は,理想的経済体制論の展開である。かれの考 える理想的経済体制は競争秩序(Wettweberbsordnung)である。これは「入間       3) と事物の本性に合致した」秩序,つまり人間の自由と稀少なモノの効率的配分 を同時に実現する秩序であるが,より具体的に言うと,私有財産制にもとつく 自由市場経済にほかならない。自由市場経済の擁護という限りではオイケンの 立場は19世紀の旧自由主義者と同じである。しかし,かれは旧自由主義者のよ うにレッセ・フェールの立場に立ち,国家が干渉しなければ競争秩序は自ずか ら生成する,と考えたのでは決してない。むしろオイケンは,19世紀のレッセ・ フェールの政策は寡占や独占や利益団体の支配の自由をも野放しにしたため,       4) 競争や自由の促進どころか却ってそれらの破壊をもたらした,と考えた。かれ によれば,経済主体の自由およびそれらの聞の競争を維持するには積極的な経 済政策が必要となる。オイケンはこれを経済秩序政策と呼んだ。  経済秩序政策の主体はむろん国家であるが,しかしそれは20世紀前半の西側 諸国に現存していた国家ではない。オイケンは,当時の現存国家は利益諸集団 の手玉にとられ,これら集団の特殊利害によって動かされる権威の低下した国       5) 家と捉えていた。かれの考える政策主体としての国家は権威を回復した安定的       6) で能率的な法治国家であった。この国家による経済秩序政策の課題は二つある。 ひとつは競争秩序の形成であり,もうひとつは競争秩序の機能の保全である。 1)オイケンの形態論の詳細については福田〔4〕第4章を参照されたい。 2)オイケン以後のドイツ語圏における経済体制論の動向については福田〔4〕第4章,第5 章および福田〔5〕第1章を参照されたい。 3) Eucken C2) S.239, Eucken (3) S.372. 4) Eucken (3) S.145, 150, 175, 191, 218. 5) Eucken (3) S,188−189, S.325−326, S.327J332. 6) Eucken (3) S,331−332.

(5)

      諸秩序相互依存パラダイムの応用   5 オイケンは前者にかかわる政策の原則を「構成的原則」(konstituirende Prinzipien),後者にかかわるそれを「規制的原則」(regulierende Prinzipien)と   7) 呼んだ。構成的原則の中心にあるのは「完全競争の有効な価格体系」であり,        8) これが競争秩序の「経済基本法的な根本原理」となる。オイケンの言う完全競       9) 争とは,ブルム(R.Blum)が注意しているように,いわゆる完全競争ではな く,むしろ有効競争の概念に等しい。実績(能率)競争(Leistungswettweberb) と市場参加者にとって価格が与件となることとが競争の要件となっているから である。このような有効競争の価格体系の形成・維持のためには健全な通貨制 度,開放市場,私有財産制,契約の自由および責任制などにかかわる適切な政 策が必要となる。しかし,それだけでは十分ではない。競争秩序の円滑な作動 を維持するためには,競争に馴染まない現象やいわゆる市場の失敗を予防した り,解決したりする規制的原則が制定され,適用されなければならない。オイ ケンはこのことに関して,市場競争からくる独占の形成,利益団体の勢力関係 で決められる所得分配,個別経済の経済計算の限界から出てくる環境・天然資 源・労働条件にかかわる諸問題について適切な政策を講じる必要を説いた。  以上のごとく,競争秩序は権威ある法治国家の経済秩序政策によって形成・ 維持されるべきである,というのがオイケン説の根幹を成す。国家の役割の強 調がオイケンおよびかれによって開かれたフライブルク学派の経済思想の特色 となっており,夜警国家観に立つ旧自由主義と際立った対照を成している。  (4)競争秩序の実現可能性はあるだろうか。オイケンによれば競争秩序は 「人間と事物の本性に合致した」あるべき秩序であった。それはオルド(Ordo)     10) と呼ばれた。オルドは自然秩序(ordre nature1)であり,本質秩序(Wesensord− nung)であり,現存する実定的秩序(ordre positiv)から区別される自然法的秩 序である。その意味は,人間の本性たる自由を最大限に保証し,事物の本性た 7) Eucken (3) S.253L254, S.291−293. 8) Eucken (3) S.254. 9) Blum (1) S. 65, Anm. 102. 10) Eucken (2) S.239−241, Eucken (3) S.372−373.

(6)

る稀少性を合理的に克服しうる秩序というところにあった。この秩序の要件を 満たすものが上述の競争秩序なのである。このように見てくると,オイケンは オルドの理念から論理的に競争秩序を演繹したような印象を受ける。もしもそ の通りだとすれば,競争秩序は歴史現実とは無縁の単なるフィクションーハ       11) ルトマン(N.Hartmann)の言葉を借りれば理念的存在(ldeaiwirklichkeit)一に 堕し,その実現可能性はほとんどなくなる危険が出てくる。  たしかにオイケンにはこのような演繹的思考が見られるが,しかしかれは他 方で産業革命以後の経済動向の実証的考察を通して競争秩序の実現可能性を論 証することを試みている。その結論は,経済は  独占化へ向かいつつあるとい う通説とは反対に  競争の強化へと向かいつつある,というものであった。そ        12)のさいオイケンが競争促進のモーターとして注目したのは技術の発展であった。 第1は交通の発達によって地域独占および地方市場の解体と市場の拡大が推進 され,競争状態が招来されたことである。第2は産業技術の発達によって代替 競争(たとえば天然繊維と人工繊維との競争)が強まったことである。第3は産業 技術の発展によってその応用範囲が拡大し,企業が複数の市場向けに製品を製 造することが可能になったことである。(たとえば自転車メーカーがその技術を応 用してオートバイを生産すると,後者の市場で競争が激しくなる)。技術の発展が競 争をもたらすというオイケンの考えは,マイクロ・エレクトロニクス革命によ って技術の軽薄短小化が進み,新しい中小企業が大量に群生しつつある今日の 状況を見るにつけ,現代的意義をいささかも失っていない。技術の高度化は企 業規模の拡大と独占化をもたらすという説が有力であった時代に,現代の状況 を見通していたオイケンの燗眼は特筆に値する。  オイケンの言うように,経済現実が競争強化への方向をたどるのであれば, 競争秩序の実現可能性は高まり,経済秩序政策も意味を持ってくる。このよう なオイケン説には楽観的希望観測的な面がないではないが,理想的経済体制論 の展開にあたって研究者が取るべき態度を示したという点では大いに評価でき 11) Weippert C21) S.35. 12) Eucken (3) S.227−232.

(7)

      諸秩序相互依存パラダイムの応用   7 るものを含んでいる。理想的経済体制論は古くから多くの論者によって提唱さ れてきたが,その多くは経験的検証の手続きを経ることなく論者の奉ずる価値 や理念から理想的経済体制を演繹するという方法に依拠してきた。ことに社会 主義の系譜に属する論者がそうである。一例を挙げると,ユーゴ型労働者自主 管理のイデオローグとして世界的に著名なホルバート(B.Horvat)がその典型   13) である。かれは社会主義の理念たる平等の価値から論理的に演繹して,社会的 所有(労働者自主管理)+市場+計画から成る社会主義像を提示した。しかもか       14) れは東西両世界はこの社会主義へと収敏しつつあるとまで言い切った。現存社 会主i義が崩壊し始めた1989年のことである。かれの説がいかに荒唐無稽である かが分かるであろう。これはもう科学ではなく信仰である。これに類したこと は最近ではフェビアン協会派の市場社会主義(Market Socialism)の主張にも見   15) られる。  理想的経済体制論を展開するにさいしてはその時代に支配的な価値または理 念を奉じつつ,他方で経済現実の流れの中にその価値の実現に与るファクター が登場しているかどうかを確認し,それらから理想的経済体制像を形成すべき である,というのがオイケンがわれわれに与えてくれたメッセージなのである。  (5)さて,前置きが長くなってしまったが,最初に提起した,経済秩序と 他の生活諸秩序との関係についてのオイケンの考えは,実は以上の競争秩序の 実現可能性に関する議論の中で展開されているのである。立ち入ってみよう。  オイケンは産業革命以降のヨーロッパ  とくに第1次大戦後のドイツとロシ アーにおける経済動向の観察から次のような注目すべき事実を発見した。す なわち,経済と他の生活諸領域との間には相互依存の関係が存在するという事 実である。かれはこれを諸秩序相互依存(Interdependenz der Ordnungen)と名   16> づけた。ここに相互依存とは,経済秩序と社会秩序・国家秩序・法秩序・文化 13)Horvat〔8〕,〔9〕,〔10〕.ホルバート説については福田〔6〕および福田〔7〕をも参照さ  れたい。 14)Horvat〔9〕p.241.福田〔6〕をも参照されたい。 15)Le Grand, Estrin〔16〕, Miller〔17〕.福田〔7〕をも参照されたい。 16) Eucken (3) S.180L184.

(8)

などの諸秩序との双方的依存を意味する。つまり,経済秩序が残りの諸秩序を 規定するばかりでなく,逆に後者も経済秩序のあり方を規定する,という関係 である。  たとえば,経済秩序と法秩序に含められる所有秩序については,中央指導経 済と集団所有が,流通経済(市場経済)と私的所有とが相互依存の関係にあるこ とが強調されている。中央指導経済を導入すると,それは一時的には私的所有 と結合することはあっても,やがては中央管理機関による生産手段の接収が必 要となり,逆に,生産手段の集団所有は経済プロセスの中央指導を招くことに  17) なる。流通経済と私的所有についても同様のことが言える。また,経済秩序と 国家秩序については,中央指導経済と中央集権国家との,流通経済と法治国家        18) との相互依存が指摘されている。  (6)もう一度繰り返しておくと,以上の諸秩序相互依存の関係は,とりわ けロシア革命以後のソ連での中央管理経済の建設と1936年から1948年にかけて 行われたドイツでの中央管理経済の建設にもとずいて確定された事実傾向であ る。したがって,各秩序間の相互規定のあり方に関するオイケンの叙述はその 当時の両国における事実動向に規定されていることに注意しておかねばならな い。だが,諸秩序相互依存という考えそのものは時空を超えて応用できる生命 力を有している。それは,現在の東欧革命やソ連の解体のような大転換の時代 にはとくに威力を発揮する。このことについては後に立ち入ることにしよう。

III.コルナイ六一所有と調整の相互依存一

 (1)ヤーノシュ・コルナイはハンガリーを代表する国際的に一級の経済学 者である。コルナイはソ連型経済の特徴を「不足経済」と捉え,その再生産の 仕組みや均衡状態などを理論的に解明したユニークな経済理論家として知られ る。かれはまた,ハンガリー型市場社会主義の体制特質の解明,東西諸経済体 17) Eucken (3) S.106, S.136−138. 18) Eucken (3) S. 130, S. 151, S. 332−334.

(9)

       諸秩序相互依存パラダイムの応用   9       19) 制の変化傾向の確定など経済体制論の分野でも魅力ある発言を行ってきた。そ のコルナイは,最近,東方圏諸国での経済体制の動向を踏まえて所有形態と調 整形態との関係について興味ある説を提示した。以下,それを検討してみよう。  (2)コルナイは1990年に出たThe Affinity between Ownership and Coor− dinationという論文の中で東方圏諸国,中でもユーゴスラヴィアとハンガリー における経済体制動向を展望したのち,所有形態と調整メカニズムとの間には        20) 一定の親和的関係があることを指摘した。その結論は次のことくである。  コルナイによれば,所有形態と調整メカニズムとの間には,強い結びつき (strong linkage)と弱い結びつき(weak Iinkage)がある。次ページの図の実 線で示した組み合わせ(1+A,2+B)が強い結びつきであり,破線で示され た組み合わせ(1+B,2+A,3+B,3+C)が弱い結びつきである。強い結 びつきとは,所有形態と調整メカニズムの組み合わせが「自発的に出現し,そ       21) れへの反対や対抗措置にもかかわらず力を得る」ようなケースを意味する。両 者の間には自然の親和性と凝集性がある。これに対して,弱い結びつきとは, 両者の組み合わせが「ある程度人工的であり,より強い組み合わせのインパク トに十分対抗できずに………強い組み合わせによってやがて押し退けられてし  22) まう」ようなケースを指す。  (3)1+Aの組み合わせば60年代の経済改革以前の古典的な社会主義経済 を,2+Aは古典的な資本主義経済を指す。コルナイによれば,これら二つの 組み合わせば無理のない自然な組み合わせであり,機能的にも相対的に円滑に    23) 作動する。  他方,弱い結びつきについては次のように言われる。  1十Bは,ハンガリー型市場社会主義である。これは国有をベースにしてい るため企業に対する官僚の介入を排除することができず,市場メカニズムの円 19)コルナイの体制論については福田〔5〕第2章を参照されたい。 20) Kornai (14) p.45. 21) Kornai (14) p.45. 22) Kornai (14) p.45. 23) Kornai (14) p.44.

(10)

彦根論叢 第275号

 所有形態

  国  有  1 調整メカニズム  A 官僚的調整 私  有 協同組合・ 労働者管理 2      B 市場的調整

3/二一一一一…一_一_c協同的謹

強い結びつき 弱い結びつき 滑な作動を阻む結果になっている。ハンガリーの経験によると,官僚的調整が       24) 市場の影響力を押し退け1+Aへ回帰するような傾向が見られる。  2+Aは,改革中の社会主義経済だという。これは,具体的にどの国の状況 を指すかは不明だが,私的セクターが官僚的調整に従わされているケースであ る。2+Aの組み合わせば根本的に調和を欠くため私的セクターへの官僚的調 整は円滑に行なえない。  最後に,協同組合・労働者管理(3)と協同的調整(C)は古くから社会主i義 者たちによって擁i護されてきたところであるが,3はグループ所有を,Cは自 治・自由な連合・互恵性・利他主義をベースにした自発的な相互調整を意味す 25) る。3の所有形態およびCの調整形態はユーゴスラヴィアと文化大革命期の中 国において制度化が試みられたが,いずれの国でも弱い結びつきのままに終わ ってしまった。そのほかの社会主義国でも3およびCは公式に否定されたこと はなく,むしろ協同組合などは私有よりもより広く容認されてきた。しかし, これらの形態は経済改革のプロセスの中で自発的かつ自然に成長しているとは 言えず,むしろ指令システムが廃止され,集権的な社会的所有以外の所有形態 24) Kornai CI4) p. 44. 25) Kornai (14) p. 46.

(11)

       諸秩序相互依存パラダイムの応用  11 が容認されるようになると,所有形態については私有が,調整形態については       26) 間接的官僚的調整または市場的調整が急速に力を得ているのが実状である。か くして3+Bおよび3+Cは,依然としてポテンシャルな組み合わせに留まっ ている,とコルナイは結論づけている。       27)  (4)コルナイは以上の事実認識を踏まえて次の結論を導き出している。  ①同一の社会の中で私有と国有は共存しうる。だが,それは現在の政治的・ 社会的・イデオロギー的環境の中では不安定な共存であって,多くの機能障害 をもたらしている。  ②国有の占める割合を大きくすると官僚的調整を,逆に市場的調整の割合を 大きくすると私有の占める割合を大きくしなければならない。国有+市場とい う市場社会主義のスローガンは期待倒れの結果しかもたらさない。  ③市場に期待をかけるとすれば,私的活動,自由な参入・退出,競争,企業 家精神および私有に大きな余地を与えねばならない。市場経済化の促進のため には同時に私的セクターの大幅な拡張が必要となる。これが今後の経済改革の 基本方向とならねばならない。  (5)経済改革に関するコルナイの考えについて付け加えておくと,かれは 最近ハンガリーにおける今後の経済体制改革について大胆な提案を行っている。 かれによれば,従来の市場社会主義の実験は失敗に終わった。その原因は国有 を保持したままで市場的調整を導入しようとしたことにある。コルナイは上に も見たとおり国有と市場メカニズムは機能的に両立しえず,国有は市場メカニ ズムの作動にとってブレーキとなる,と考えるに至っている。かれはもともと        28) 市場社会主義の立場に立っていたのだが,ハンかり一やその他の東方圏諸国で の経済破綻に直面して,国有制に疑問を持ち始め,私有制の擁護へと転じるよ うになったのである。こうして最近では市場社会主義の立場を放棄し,自由経 26) Kornai (14) pp.46−47. 27) Kornai C14) pp.49−50. 28)かれ自らハンガリーの市場社会主義の「改革理念の確固とした支持者」と述べている。  コルナイ〔12〕2ページ。

(12)

済(free economy)を提唱するまでになった。ハンガリーは今後,市場的調整+ 私有+民主的政治秩序から成る自由経済の実現を目指すべきだ,と言うのであ 29) る。かれの言う自由経済はオイケンの競争秩序とその構成の面で基本的に同じ であると見てよい。コルナイは新自由主義の隊列に加わったのである。 IV.諸秩序相互依存パラダイムの応用  (1)オイケンは20世紀の前半を対象にして,コルナイは20世紀の後半を対 象にしてひとつの同じ結論を導き出した。市場と私有,中央指導(官僚的調整) と国有は相互依存の関係にあること,これである。両人はこれを機能的観点か ら導出した。すなわち,市場メカニズムは私有と結合したばあいに,中央指導 (官僚的調整)は国有と結合したばあいにもつとも良くその機能を発揮しうる, というものであった。筆者は,最近の東方圏諸国の経済破綻を見るにつけ,こ のような考えが正鵠を射ていると思うようになった。将来はともかく,20世紀 のこれまでの経験にもとつく限り,所有と調整に関するオイケンとコルナイの 説は一般的妥当性を有すると思われる。  (2)コルナイの議論が経済体制の構成要素間の相互依存に限定されている のに対し,オイケンの議論はその枠を超えて経済秩序と国家秩序・法秩序・社 会秩序・文化との関係にまで及んでいることは上述の通りである。オイケン流 のパラダイムはその時代の動向をトータルに把握する上できわめて有効なトゥ ールになろう。とりわけ,今日のような大転換の時代にはその威力を十分に発 揮する。このためか,最近オイケンの諸秩序相互依存を再評価する動きが生じ ている。たとえば,カムラー(H.Kammler)は東欧革命は諸秩序相互依存に現 実味を与えたと指摘し,一国レベルばかりでなく国際的レベルでも諸秩序相互       30) 依存の分析を行うべきだという提案を行っている。また,シュワルツ(G. Schwarz)もオイケンに依りながら経済システムと政治システムの相互関係に 29) Kornai (13). 30) Kammler (11).

(13)

       諸秩序相互依存パラダイムの応用  13

      31) 32)

かかわる議論を展開している。筆者もやはり,別稿でも指摘したように,オイ ケン流の諸秩序相互依存のパラダイムの有用性を認めるものである。そこで次 に,これを活用して東方圏諸国の体制動向を筆者なりに解明してみよう。  (3)ソ連刷経済体制の基本構造は,筆者の「所有,相互・上下調整の三元 論」をもってすれば,国有+中央管理経済(計画機関の物干バランスによる需給調          33) 整)+指令方式から成る。この経済体制つまり管理社会主義の建設がソ連で基本 的に完了したのは,1930年代半ばであった。オイケンが観察していたのはその 当時の管理社会主義であった。この体制が確立した背景にはスターリン体制と 言われる一党独裁システムの完成があった。このようなオートクラシーシステ ムが管理社会主義をもたらし,逆に後者は前者を強化したのである。  (4)第2次世界大戦後,管理社会主義は東欧諸国と中国において制度化さ れた。管理社会主義の制度化に与って力があったのは,社会主義革命とそれに 伴う共産党一党独裁の成立であった。東欧諸国ではソ連の強力な支援のもとに, 中国では独力でこのことが行われたという違いはあるが,いずれにせよ一党独 裁の成立をまって管理社会主義の建設が行われたのである。  (5)1950年代に入るとソ連圏に遠心運動が生じてくる。すなわち,ユーゴ がソ連との外交上およびイデオロギー上の対立から,1948年置ソ連圏から離脱 し,50年置に入ると,管理社会主義を放棄して市場社会主義の道をたどるよう になったのである。その市場社会主義の基本構造は社会的所有(労働者自主管理) +市場経済+誘導方式から成るが,これを生み出したのは反スターリン主義の 立場に立つチトー主義のイデオロギーであった。ついでに言うと,50年代後半 に中国で展開された人民公社を中核とする経済体制建設の背景にも向ソー辺倒 から毛沢東主義への路線転換があった。ユーゴおよび中国の事例は,イデオロ ギーが経済体制の転換をもたらしうることを如実に示している。  (6)1960年代は経済改革の時代である。60年代に入ると,東方圏諸国では 31) Schwarz (20). 32)福田〔7〕。 33)筆者の経済体制論については福田〔4〕第6章および福田〔5〕第1章を参照されたい。

(14)

14  彦根論叢第275号 経済実績の悪化に伴い管理社会主義の改革が開始されたが,その改革のスタイ ルは部分的改革と全面的改革に区別される。ソ連,ポーランド,ブルガリア, ルーマニアが選択したのは前者の道であり,チェコスロヴァキアとハンガリー が選択したのは後者の道であった。チェコが目指したのは,市場社会主義(労働 者自主管理+市場経済+誘導方式)の経済システムと議会制民主主義(複数政党制 +普通選挙制+議会制)の政治システムを中核とする「人間の顔をした社会主義」 であった。だが,これは政治面で過激でありすぎたためにソ連の軍事介入を招 き,わずか1年で挫折してしまった。チェコの実験は経済システムの機能低下 が政治システムの転換につながることを示しており,80年代後半のソ連のペレ ストロイカを先取りしたものであったと言えよう。  (7)ハンガリーが市場社会主義への移行を開始したのは1968年である。こ のような体制改革は経済実績の悪化とハンガリー社会主義労働者党のイデオロ ギーの変化によって招来されたものである。党のイデオロギーは56年のハンガ リー動乱以後除々にスターリン主義からカーダール主義に変化した。現実主義・ プラグマティズム・協調主義がカーダール主義の特徴であるが,それが市場社 会主義への体制転換に果たした役割は小さくない。  1968年から1989年の東欧革命までハンガリーで制度化されていた市場社会主       34) 義の基本構造は次のごとくである。  ①混合所有制:国有国営企業,国有自主管理企業,国有民営企業,協同組合, 私企業,合弁企業,100%外資企業。  ②市場経済の制度化:財市場,金融市場,資本市場,労働市場の制度化。公 定価格(固定価格,最高価格,ゾーン価格)と自由価格から成る混合価格制の導 入。  ③誘導方式の制度化:政府経済計画の指示計画化および企業の自立化。  (8)1985年はペレストロイカの開始の年である。3月に衆望をになって登 場したゴルバチョフはソ連社会の全面改革に乗り出した。それはグラスノスチ, 34)ハンかり一の市場社会主義の制度化については福田〔4〕第8章,福田〔5〕第3章およ  び野尻,丹羽,福田,嵐田〔19〕第3章を参照されたい。

(15)

      諸秩序相互依存パラダイムの応用   15 デモクラシーおよびりベラリゼーションに集約しうる。グラスノスチは情報公 開・発言の自由・報道の自由を容認するものであり,いわばソ連版「百花斉放・ 百家争鳴」運動であった。これにより思想・イデオロギー面での多元化が進行 し,ナショナりズムが急速に台頭した。デモクラシーは政治システムの民主化 である。それは選挙制度の改革,大統領制の導入および複数政党制の導入から 成る。1989年春に同一選挙区複数候補者制(非共産党員の立候補の容認)および秘 密投票制を柱とする選挙制度が実施された。90年3月にゴルバチョフは政治権 力をi共産党から国家(最:高会議)にシフトさせるべく大統領制を導入し,自ら大 統領のポストに着いた。共産党以外の政党も公認されるようになり,たとえば 90年5月にはロシア社会民主党が復活した。大統領制と複数政党制によって政 治権力の分散化の動きが生じ,一党独裁が崩壊し,共産党の威信は急落した。  リベラリゼーションは経済システムの自由化である。経済システムの改革が 本格化するのは87年後半からだが,ソ連政府が目指したのはハンガリー型市場        35) 社会主義であった。つまり管理社会主義から市場社会主義への移行であった。 このような体制転換はいわば助走期間なしに短兵急に行われたため却って混乱 を招き,インフレ,物不足,失業,対外債務の急増など深刻な経済問題が発生 した。  ソ連のべレストuイカの運動は東欧諸国にも波及し,1989年に東欧革命が勃 発した。この年の6月にはポーランドで,10月にはハンガリーと東ドイツで, 11月にはブルガリアとチェコスロヴァキアで,12月にはルーマニアで相次いで 共産党一党独裁が崩壊し,議会制民主主義の方向をとる政治システムへの移行 が開始された。  (9)ペレストロイカはソ連の解体という(ゴルバチョフにとって)意図せざ る結果をもたらした。ソ連社会の全面改革へと駆り立てたのは管理社会主義の 機能低下であった。この限りで経済システムの機能低下はイデオロギーおよび 政治システムに変化をもたらすと言えるだろう。筆者の理解ではペレストロイ カはイデオロギーや政治システムの改:革によって経済システムを転換するとい 35)詳しくは野尻,丹羽,福田,嵐田〔19〕第3章を参照されたい。

(16)

う側面をも持っていた。この面に注目すると,イデオロギーや政治システムの 変化は経済システムの変化(市場社会主義への移行)を誘発すると言うことがで きたかもしれない。だが,このことを確認するのを許さないスピードでソ連は 解体してしまった。今後,自立した15の民族国家やそのうちの11の国が加盟す る独立国家共同体(CIS)の政治および経済の仕組みがどうなるかは予想もつか ない。  (10)東欧革命以後の東欧諸国の動向は,諸秩序相互依存のパラダイムにと って格好の考察材料を提供してくれた。諸秩序相互依存の状況が国によって異 なるからである。立ち入ってみよう。  ①もっともドラスティックな変化を遂げたのは東ドイツであった。この国は 他の国に先駆けて1963年分管理社会主義の部分的改革に着手したのだが,やが てその効果のないことを悟り,70年末に改革そのものを放棄してしまった。こ うして東ドイツは東欧革命直前まで管理社会主義の原則を頑に保持してきたの   36) である。その国が89年10月の「穏やかな革命」以後,オートクラシーからデモ クラシーへの移行を開始し,90年7月には西ドイツとの間に「通貨・経済同盟」 を結び,90年10月3日にはついに西ドイツに吸収合併されてしまった。これに より東ドイツ地域の経済システムは誘導資本主義化の道をたどることになった。 管理社会主義から誘導資本主義への大転換である。東ドイツの事例は,政治シ ステムの激変が経済システムの激変を招くことがあるということを如実に示し ている。もっともこれが可能であったのは西隣にいわば西ドイツというビッグ・ ブラザーがいたからだとも言える。東ドイツは特殊なケースと言えるであろう が,振り返って見ると,この国は共産党独裁というオートクラシーによって成 立し,そのオートクラシーの崩壊によって消滅したことが知られるであろう。  ②東ドイツの対極にあるのがルーマニアである。この国は1989年12月のクリ スマス革命によって共産党一党独裁を放棄し,政治システムの民主化に着手し 36)当時の東ドイツの指導者たちは,杜会的所有,国家経済計画,義務的指令的計画,企業  長単独責任制,破産・失業の禁止などの従来の経済システムの原則を今後とも堅持すると  宣言していた。Koziolek, Reinhold〔15〕,Mittag〔18〕.

(17)

      諸秩序相互依存パラダイムの応用   17 たのだが,その後の進捗状況はおもわしくなく,依然として共産勢力が政治権 力を握り,議会制民主主義の実現には相当の時間がかかるものと予想される。 経済システムの改革スピードもきわめて遅く市場経済への移行を模索している 状況にある。  ③チェコは東ドイツに次いでドラスティックな変化を被った。1989年11月の 「ビロード」革命によりオートクラシーが瓦解し,90年春には早くも複数政党 制にもとつく議会制民主主義が導入された。この意味でチェコは西欧に帰った のである。68年夏のチェコ事件から89年の「ビロード」革命まで経済面では管 理社会主義が保持されていたが,「ビロード」革命以後チェコ政府はハンガリー 型市場社会主義への移行を開始した。しかし,現在(92年1月)の時点では市場 社会主義の建設は予想以上に後れており,場合によっては一足飛びにEC加盟 の実現をバネにして誘導資本主義へ移行する可能性も出てきた。チェコの事例 は東ドイツと同様に政治システムの変化が経済システムの変化を誘発すること を示している。  ④ポーランドは1988年冬ハンガリー型市場社会主義への移行を開始した。89 年のデモクラシーの導入は市場社会主義への移行を加速したと言える。その後 一時期猛烈なインフレ(89年末に1012%)が生じたが91年にはそれも鎮静化に向 かい,経済に落ち着きが出てきた。だが,91年10月の総選挙で政府与党が敗北 し,政局の不安定感が増しつつある。政局が安定し議会制民主主義が定着する にはしばらく時間がかかりそうである。今後市場社会主義が定着をみるかどう かも分からない。ともあれ,ポーランドのケースは政治システムの変化が経済 システムの変化を加速することが示している。  ⑤ハンガリーの経済システムは1989年10月以降の政治システムの変化にもか かわらず根本的には変化しなかった。この国ではすでに市場社会主義への移行 が完了していたことは上に見た通りである。注目すべきは政治面の改革である。 政権党であった社会主義労働者党はすでに83年に同一選挙区複数候補者制およ び秘密投票制を柱とする選挙制度を導入したり,89年2月に複数政党制を導入 する決定を行うなどしたりして,議会制民主主義の導入に備えていたのである。

(18)

18  彦根論叢第275号 東ドイツのような激変が生じなかったゆえんである。ただ,最近の経済情勢は 悪化の一途をたどっており,90年のGDPの成長率がマイナス5%を記録する までになっている。現在の所有形態比率が公表されていないので確定的なこと は言えないが,国有企業の民営化が進行して私有の占める割合が共有のそれを 大幅に上回るようになると,ハンガリーは誘導資本主義化することになろう。 EC加盟の意向を示し,その準備を始めたことをも考えに入れるとその公算が 大きくなっている。1968年以降のハンガリーの歴史は,市場社会主義の制度化 に伴って政治の民主化が徐々に進行したことを示している。

V.むすび

 (1)最後に以上に論じたところがら次の五つの結論を導き出しておこう。  ①1930年代以降の東方圏諸国の歴史は,オイケン流の諸秩序相互依存パラダ イムが妥当することを裏づけている。上述の通り,東方圏諸国ではイデオロギ ー,政治システムおよび経済システムの間に相互依存の関係があることが確認 された。  ②東方圏諸国に共通するのは,その存続期間は国ごとに違いがあるものの, スターリン主義+一党独裁+管理社会主義のトロイカが成立していたことであ る。これら三者の間には相互依存の関係があったと言うべきである。  ③1960年代からソ連消滅までのタイムスパンで見ると,結局は経済システム の機能低下が共産党一党独裁の崩壊とデモクラシーへの移行をもたらしたと言 うことができる。ユーゴおよびハンガリーでは市場社会主義の機能低下によっ て,その他の国々では管理社会主義の機能低下によってデモクラシーへの移行 が開始されたのである。  ユーゴでは1950年代から80年忌末までチトー主義+一党独裁+市場社会主義のト ロイカが成立していた。ユーゴのケースは,独裁的政治システムと市場経済が長期に わたって両立しうることを示している。また,ハンガリーのばあいにも1968年から89 年までオートクラシーと市場経済の結合が見られた。これらの事実をどう解釈すべき

(19)

      諸秩序相互依存パラダイムの応用   19 か。諸秩序相互依存とは必然の関係を言うのではない。オイケンもそのように考えて いた。たとえば,政治の独裁化は経済の中央管理経済化をもたらすというのは蓋然性        37) を示すのであって,オイケンはこれを傾向(Tendenz)と呼んだ。上に示した期間の 中で考える限り,独裁と市場は両立することもありうると言える。だが,期間を東欧 革命以後にまで延長して考えると,市場は結局はオートクラシーとは両立しえずデモ クラシーへの移行を誘発しうると言えるのである(ユーゴも最近一党独裁を放棄し た)。したがって,長々期的にはオイケン流の諸秩序相互依存の関係が妥当すると見て もよいだろう。  ④イデオロギーの変化が経済システムの変化をもたらすこともあることが東 方圏諸国の経験から判明した。ユーゴおよびハンガリーでの市場社会主義の導 入にさいして前者ではチトー主義が,後者ではカーダール主義が与って力があ ったことは上述の通りである。  ⑤東ドイツ,チェコ,ポーランド,ルーマニアおよびソ連の経験は政治シス テムの変化が経済システムの変化をもたらしうることを示した。デモクラシー への移行はマーケットおよび私有の導入をもたらす傾向にあると言える。  (2)以上は1991年末までの東方圏諸国一現時点では旧東方圏諸国一の事 実動向を踏まえたさしあたっての結論である。今後の動向いかんによっては修 正や訂正を余儀なくされることもあるであろう。いつソ連の解体に匹敵するよ うな大転換が発生しないとも限らないからである。事実,最:近の東方圏諸国の 情勢はナショナリズムの台頭と経済の悪化に伴ってますます不透明になり,先 行きの予想をますます困難にしている。東方圏諸国のグローバル・トレンドが 見えにくくなっているのであれば,将来予想は断念せざるをえない。したがっ て,東方圏諸国を対象にした経済体制論は,しばらくの間,いわば後ろ向きの 作業をせざるをえないであろう。つまり,目を過去に転じていわゆる現存社会 主義一管理社会主義と市場社会主義一の停滞および崩壊を招いた原因や変動 要因を確定する作業である。比喩的に言うと,崩落したベルリンの壁のガレキ 37) Eucken (3) S.216.

(20)

彦根論叢 第275号 の後始末に従事しなければなるまい。本稿はその作業の一環を成すものでもあ るが,一応の結論を出すまでにはしばらく時間がかかりそうである。       参 照 文 献 ( 1 ) Blum, R. : Soziale Marletwinscha;ft, Wirtschaftspolitife zwischen IVeoliberalismus und   Ordoliberalismus, TUbingen 1969. [2) Eucken, W.: Die Grundlagen der Nationalb’konomie, 8. Aufl., Berlin, Heidelberg,   New York 1965. ( 3 ) Eucken, W. : Gn{ndsde’tee der VVirtschtzfisPolitik, 4. unvertinderte Auflage, Ttibingen,   Ztirich 1968. (4) (5) (6) (7) 福田敏浩『比較経済体制論原理  形態論的アブu一チ  』晃洋書房,1986年。 福田敏浩『現代の経済体制論』目引書房,1990年。 福田敏浩「経:済体制川敷説の再登場」『彦根論叢』 第269号,1991年。 福田敏浩「所有と調整一一ワンセット思考の必要性  」『彦根論叢』第273・274号,   1991年。 ( 8 ) Horvat, B. : What is a Socialist Market Economy ?, in : Acta Oeconomica, Vol. 40   (3−4), 1989. ( 9 ) Horvat, B. : Contemporary Socialist Systems and the Trends in Systemic Reforrns   Worldwide, in : Gomulka, S. et al. (eds.) : Economic Refo7’ms in the Socialist urorld,   London 1989, (10) Horvat, B.: Socia1ism as a Socio−economic System, in : Dopfer, K., Raible, K.一F.   (eds.):The Evolution of Economic Sγstems, Essのys in Honour of Ota∫漉, London   1990. (11) Karnmler, H.: lnterdependenz der Ordnungen: Zur Erklarung der osteuroptiis−   chen Revolutionen von 1989, in : ORDO, Bd. 41, 1990. 〔12〕J.コルナイ(盛田常夫編訳)『経済改革の可能性  ハンガリーの経験と展望  』岩   波書店,1986年。 (13) Kornai, J. : The Road to a Free Economy, Shtfting from a Socialist System : The   EimmPle of Hungary, New York 1990. (14) Kornai, J. : The Affinity between Ownership and Coordination Mechanisms : The   Common Experience of Reform in Socialist Countries, in : Bogomolov, O. T. (ed.) :   Market Forces in Planned Economies, London 1990. (15) Koziolek, H., Reinhold, O. : Plan und Markt im System unserer sozialistischen   Planwirtschaft, in : Einheit, 1, 1989. (16) Le Grand, J,, Estrin, S. (eds.) : Marfeet Socialism, Oxford 1989. C17) Miller, S.: Market, State, and Community, Theoretical Foundations of Marfeet   Socialism, New York 1989.

(21)

       諸秩序相互依存パラダイムの応用   21 C18) Mittag, G. : Hohe Leistung aller Kombinate auf dem Weg zum XII. Parteitag, in :   Einheit, 4, 1989. 〔19〕 野尻武敏,丹羽春喜,福田敏浩,嵐田万寿夫『ひとつのドラマの終り  共産主義の倒   壊一』晃洋書房,1991年。 〔20〕 Schwarz, G.=Limitations to the Interdependence of Syste皿s, in:Dopfer, K.,   Raible, K.LF. (eds.) : The Evolution of Economic Systems, Essays in Honour of Ota   Sik, London 1990. 〔21〕Weippert, G.:VVerner Sombarts Gestaltidee des W魏s吻舜鰐s彦6〃zs, Gδttingen 1953. 1992 ・ 1 ・ 19

参照

関連したドキュメント

日中の経済・貿易関係の今後については、日本人では今後も「増加する」との楽観的な見

現状の課題及び中期的な対応方針 前提となる考え方 「誰もが旅、スポーツ、文化を楽しむことができる社会の実現」を目指し、すべての

社会,国家の秩序もそれに較べれば二錠的な問題となって来る。その破綻は

社会,国家の秩序もそれに較べれば二錠的な問題となって来る。その破綻は

「社会人基礎力」とは、 「職場や地域社会で多様な人々と仕事をしていくために必要な基礎的な 力」として、経済産業省が 2006

弊社または関係会社は本製品および関連情報につき、明示または黙示を問わず、いかなる権利を許諾するものでもなく、またそれらの市場適応性

教育現場の抱える現代的な諸問題に応えます。 〔設立年〕 1950年.

購読層を 50以上に依存するようになった。「演説会参加」は,参加層自体 を 30.3%から