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不確実性下の合理的行動に関するケインズの理論について(玉木興乗教授退官記念論文集)

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不確 実性下 の合理 的行動 に関す る

ケインズの理論について

I 本稿 の 目的 は,不 確 実性 が存在 す る中で経 済主体 は いか に合理 的 に行 動 す る か につ いて,J.M.ケ インズの見解 を検討 す るこ とであ る。この作業 は,主 とし て彼 の二つ の著作,『確率論』 と 『雇用 ・利 子 お よび貨幣 の一般理論』 (以下 で は,そ れは 『一般理論』 と略される)に もとづいてなされる。すなわち,不 確 実性下の合理 的行動 に関す るケインズの理論 はこれ らの二つの書物 に存在す る 考 えを用 いるこ とによつて構築す ることがで きる。本稿 では,そ れは彼の期待 形成の理論 と合理性 に関す る哲学的見解か ら組み立て られ る。 ケインズが言わば不確実性下の合理的行動の理論 をもっているか, とい う疑 間につ いて,最 近 では多 くの人が答 えるようになった。例 えば,RoM.オ ドンネ ルはケインズの著作の中に 「克服で きない不確実性下の合理的行動 に関す る理 論が存在す る」 と主張 し,ま た A.M.カ ラベ リもケインズが 「乏 しい知識 とい 1)0'Donnell(1989,p.261).オ ドンネルは,一 体 『一般理論』が不確実性下の行動に関す る理論 を展開 してい るのか, とい う疑間につ いて,次 の ように答 える。やや長 いけれ ども, ここで彼の解答 を引用す る。「『一般理論』は不確実性下の行動の理論 を明示的には展開 し ていないこ とは確かであるが,こ のこ とは 『一般理論』がその ような理論の上に打ち立て られていない こ とを意味 しない。 わた くしは,『一般理論』における不確実性下の経済行動 の取 り扱 いが,『確率論』において提示 された合理性に関す る哲学的理論 を応用 しかつ拡張 す るこ とに もとづ いてい る と主張 した。『一般理論』が明白に 『確率論』の中の関連のある 理論 を繰 り返 していない とい う事実 は,『確率論』が背後 で影響 してい るこ とを否定 は しな い。 この見解 に もとづ くと,『一般理論』がその基盤 を置いている経済行動の理論は,『確 率論』と 『一般理論』の着想 を適当に織 り合わせ ることによって,再 建す ることができる」 (1989,pp.269270)。また,0'Donnell(1982,p.214)を 参照せ よ。 平 総 原 水

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2 玉 木果乗教授退官記念論文集 (第311号) 2 ) う条件 の下 での行為 の理論 と人間行動の理論 をもって (い亀│」と述べ る。 しか し,彼 等は ともにこの種の理論 を具体的には展開 していない。 本稿 の構成は次の とお りである。 まず次章 では,期 待形成に関す るケインズ の理論が 『確率論』 と 『一般理論』にもとづ いて構成 される。つづいて第二章 では,主 として 『確率論』において展開 され る,合 理性の概念に関す る哲学的 考察が説明 され る。最後に第四章 では,前 章 までに展開 された,不 確実性下の 合理的行動 に関す るケインズの理論 において,基 軸的な役割 を演 じる不確実性 の概念について,若 子の性質が述べ られ る。 I I われ われ人 間 は一 方向に流れて後戻 りで きない時間の中で行動 している。 し たが って,わ れ われの行為 が もた らす結果 の うちの 多 くの ものは遠い将来 にお いて生 じるのが普通 であ る。 言 い換 えれば,行 為 の結果 は過去 に行 われ た決意 に よって もた らされ る ものであ って,決 意が行 われ る ときには これ らの結果 は 不確 実 であ る。 ケ イ ンズは 「この もっ と遠 い結果へ の関心 に よって影響 され る あ らゆ る人 間活動 の 中で, も っ とも重要 な ものの一 つ はた また ま性格 において 経 済 的 な もの,す なわ ち,富 であ る。 富の蓄積 の全 目的 は比較 的 に遠い,そ し て ときには無期 限に遠 い 日時 に諸結果,あ るいは潜在 的 な諸結果 を生 み 出す こ とで あ る」 と述べ るこ とに よって,不 確実性下 の経済行動 の分析 を主 として企 業 者 の投 資活動 ,す なわ ち投 資決 意 に集 中 させ る。 この こ とは,『一般理論』の 中で もっ とも多 くの頁数 が害Jかれ たテー マが 「投資誘 因」 であ るこ とか らも十 分 に理解 で きる。 経 済行為 ,中 で も投 資行為 が未来 にお いて もた らす結果 は決 2)Carabelll(1988,p.219). 3)不 確 実性下 の合理 的行動 に関す るケインズの理論 を本格的に展開 しようとす る野心的 な 試み として,B。 ジェラー ドの ものがある (Gerrard,1994)。 4)Keynes(1973c,p.113).た だ し,傍 点は原文 の イタ リック体 に付せ られた ものであ る。 5)『 一般理論』の第4編の第12章「長期期待 の状 態」は新古典 派の行動理論 に替 わ るもの を 展 開 して い る, とい う主張が しば しば行 なわれ る。 この よ うな主張 につ いては,例 えば Runde(1997)を 見 よ。

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不確実性下の合理的行動に関するケインズの理論について 3 して予測で きるものではない。 このことがケインズに 「このような未来に関す るわれわれの知識は動揺 し,漠 然 として しか も不確実 なものであるとい う事実 は,富 (また投資)を 古典派経済理論の方法には とくに不適切 な課題 にす るの である」 と言わせ るのである。将来に関す る知識は きわめて乏 しい ものであ り, それゆえに薄弱な根拠に もとづ いてお り,そ の結果突然に激 しく変化す る性質 7 ) をもってい るので,わ れわれ人間の行動は不意に 「新 しい恐怖 と希望」にさら され るこ とになる。 したがって,経 済主体 は, 自分達の行為か ら遠い将来にお いて生 じる不確実 な結果について,何 らかの度合 いの信念に もとづ いて行動せ ぎるをえない。だか ら,ケ インズは,将 来について乏 しい知識 しか もたないい ろいろな種類の経済主体 と自分達の行動結果について抱 く彼等の信念が相互に 関連 し合 うとい う視″点か ら,経 済 システム を考察す る。彼は,経 済理論 を構築 す る際には,個 人の信念の多様性 と比較の不可能性 を強調す ることをつ うじて, それ を,将 来について乏 しい知識 しか存在 しない不確実 な環境の中で経済主体 が意思決定 をす る手法に依拠 させ ようと試み る。 この″点に関連 して,ケ インズ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 9 は 「経 済問題 は勿論行為 の一般 原理 の特定 の分 野 にす ぎない」 と言 ってい る。 不確 実性 下 の経 済行 動 に関す るケ イ ンズの分析 は,「われ われが現実 に もって の い るもの とは全 く異なる種類の将来に関す る知識 をわれわれが もっている」 と い う想定 を否定す る点で,新 古典派の もの とは根本的に異なっている。後者は, 将来に関す る不確実性 は確率計算 をつ うじて確実性 に変 えることがで きるとす る,ベ ンサム哲学の計算法に もとづ いている。新古典派の行動理論は 「任意の 与 えられた時点で,事 実 と期待 は明確 で しか も予測できる形で与 えられ (る)」 こ とを仮定す るので,こ の種の理論においては,未 来は計算できるものになる。 それゆえに,ケ インズは,新 古典派の行動理論が 「われわれが活動す るために は採用せ ざるをえない行動原理 を間違 って解釈 し,そ して完全 な疑惑,不 安, 丸括孤 は引用者の ものであ る。 傍点 は引用者の ものである。 6)Keyens 7)Keyens 8)Keynes 9)Keyens 10)Keynes ( 1 9 7 3 c , p . 1 1 3 ) . ただ し, (1973c,pp。114-115). ( 1 9 7 9 , p . 2 8 9 ) 。た だ し, ( 1 9 7 3 c , p . 1 2 2 ) 。 ( 1 9 7 3 c , p . 1 1 2 ) .

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4 玉 木興 乗教 授 退 官 記 念論 文 集 ( 第3 1 1 号) 1 1 ) 希望 お よび恐怖の隠れた要 因を過小 に評価す る」 とい う理 由で,新 古典派 を批 判す る。 ケインズが,不 確実性が存在す る中で人々がいかに合理的に行動す るか を分 析す る ときに用 い る前提 は,将 来に関す る知識が乏 しいので,未 来は計測 で き ない とい うことである。 この前提は将来の出来事 について何 らの確率 も計算で きないこ とを意味 している。 だか ら,不 確実性下の行動に関す る彼の理論 は, きわめて限 られた量の知識の下 で,経 済主体が 自分達の行動によって もたらさ れ る溶在的結果について どの ように期待 を形成す るのか, とい う疑間に答 えな ければな らない。期待形成に関す る彼の理論 は,不 確実性 を確率 を用いて確実 性 に変 えるこ とがで きる, とい う新古典派の前提 を採用せずに,不 確実性 を確 率概念ではな くて期待 の概念に よって処理す る。 カラベ リが主張す るように, 「ケインズによる期待の取 り扱いが もっている目新 しさは ・・・期待 を経済理 論 に導入す ること自体 ではない 。・・新 しい ものは期待がケインズによって考 察 され る方法 であった。す なわち,期 待 が確率 に関す る彼 自身の見解 と関連 を もつ こ とが新 しいか った」。 ケインズは,た とえわれわれがつねに期待 を形成す ることはで きるとして も 確率 を知 ることは必ず しも出来 ない, とい う事実に もとづ いて期待形成に関す る自分 の理論 を作 り上げる。彼は, しば しば多 くの人によって引用 され る有名 な次の文章の中で,不 確実性 を定義す る。す なわち,「説明 させ て欲 しいのだ が,わ た くは,『不確実 な』知識 とい う言葉によって,確 実に知 られていること を蓋然的にす ぎない ものか ら単 に区別 しようとす るわけではない。 この意味で は,ル ー レッ トのゲームは不確実性の支配 を受け るわけではない。 また戦勝公 債 の償還 の見込み も不確実性 にさらされてはいない。 あるいは また,寿 命 に対 す る期待 もほんの少 しだけ不確実 で しかない。天候 でさえ もやや不確実 な もの であるにす ぎない。わた くしが使 っているこの言葉の意味は, ヨー ロッパ戦争 の見込み とか,あ るいはいまか ら二十年後の銅の価格や利子率 とか,新 発見の 1 1 ) K e y n e s ( 1 9 7 3 c , p . 1 2 2 ) 。ただ し, 傍 点は引用者の ものである。 1 2 ) C a r a b e l l l ( 1 9 8 8 , p . 2 2 3 ) .

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不確実性下の合理的行動に関するケインズの理論について 5 陳腐化 とか,1970年 の社会制度 の下 での私 的資産 の所有者 の地位 とかが不確 実

であるということである。これらの事柄については,何 らかの計算可能な確率

を形成十お走ああれ掌品歩基徒↓

ま歩とも存差じ歩ふ。お九あ九↓

ま革た鶏ら歩ふ

だけ であ る盟 この引用文 で,彼 は,不 確実性 を,知 識が きわめ て乏 しいの で確 率 を知 るこ とが で きない こ とであ る と定義 して い る。確率 が知 られ てい る とき には われ われ の行 動 決 意 は確率 に依 存す るけれ ども,他 方,確 率 が知 られ て い ない ときに は それ は確率 以外 の もの に依 存せ ざるをえない。 この ため に, と く に投 資決意 につ いては,確 率 を利用す るこ とが不可能 であ るの で,ケ インズは 投 資行 動 を期待概 念 に よって考 察 す るの で あ る。 だか ら,『一般理論』で投資行 動 が取 り扱 われ る ときには,期 待 こそが一般的な概念であって,確 率 は補助的 な役害Jを演 じるにす ぎない。 ケインズは,投 資決意の文bFRの中で,期 待形成 について次の ように述べ てい る。すなわち,「われわれが期待 を形成す る際には,き わめて不確実 な事柄 を重 視す ることは愚かなこ とであろ う。 したがって,た とえわれわれが幾分 で も確 信 をもつ と感 じる事実が,わ れわれが曖味で乏 しい知識 しか もっていない他 の 事実 に比べ て,問 題 に とって決定的に適切 であるとは言えない として も,こ れ らの事実によってかな りの程度に導かれ ることは合理的である。 この理由のた めに,現 状の事実が,あ る意味において不釣 り合 いに,わ れわれの長期期待の 形成の中に入 って くるのである。われわれの習慣は,現 状 を受け取 り, しか も それ を将来に投影す ることであつて,そ れはわれわれが変化 を期待す る確定的 な理 由 をもつか ぎりにおいてのみ,修 正 され るのである」。この引用文か ら,ケ インズの期待形成は基本的には帰納法に もとづ いていることが容易に理解 され る。 期待 は過 去 の デー タ と経験 か らの学 習 に も とづ いて形成 され る。換 言す れば, 期待 は, 現 存す る知 識 の一部分 を構成す る,現 在 の しか も古 くはない最近の過 去 の情報 が将来 に帰納 的 に投影 され るこ とに よって形成 され るのであ る。勿論, 1 3 ) K e y n e s ( 1 9 7 3 c , p p . 1 1 3 1 1 4 ) . た だ し, 傍 点 は引用 者 の もの で あ る。 1 4 ) K e y n e s ( 1 9 7 3 a , p . 1 4 8 ) .

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6 玉 木興乗教授退官記念論文集 (第311号) 将来が過去 とは異なると信 じられ る特別 な理由が存在す るならば,こ のような 外挿法 を用 いた期待形成は修正 されなければならない。投資決意に関する期待 につ いては,そ れがそれほ ど長 くはない時間的視野 を越 えて形成 されるときに は,行 動指針 としての帰納法に もとづ く期待形成が もつ将来に対す る信頼性が 低下す ることは当然のことである。 期待 は将来について何 らかの時間的視野 をもつて形成 され るものである。ケ インズは期待 を二つの範鳴に区分 している。 それ らは短期期待 と長期期待 であ る。 この区別 は,彼 に とって,不 確実性下の行動 を分析す るには欠かすことが で きない ものである。 なぜ ならば,前 者 と後者はそれぞれ この種の分析に確定 性 と不確定性 を付与す るか らである。短期期待 は 「製造業者が生産過程 を始め る ときに, 自分 の 「完成」産 出物に対 して得 られ ると期待す ることができる価 格 に関す るものである」のに対 して,長 期期待 は 「もし企業者が 「完成」産出 物 を自分 の資本設備 に追加す るために購入 (あるいは,お そらく製造)す るな らば,将 来収益 の形 で獲得 したい と望 む こ とが で きるものに関す るものであ る」。短期期待 は現存す る資本設備 を利用す るこ とに よって得 られ ると期待 さ れ る売上金額 に関す るものであるので,売 上金額の大 きさを予想す るために必 要 な情報量 も比較的に多 く存在 し, したが って,そ の確率 を知 ることが可能に なる。他方,長 期期待 は投資が未来において生み出す収益 に関連す るので,こ れ らの収益 に関す る知識は極めて少 な く, したがって,そ の確率 を知覚す るこ とは不可能 である。 その結果,投 資決意は必ず極端 な不確実性によって包み込 まれ るこ とになる。 このような不確実性は二つの次元 をもっている。すなわち, 一つは行動が もたらす結果に関する期待で, もう一つはこの期待について抱か れ る確信 の度合 いである。確信の度合 いに関 して言えば,人 間の行動が将来に おいて もたらす結果に関す る明確 な情報量が大 きい ときには,こ れ らの結果に 関す る期待 について抱かれ る確信の度合 いは高 まる。反対に,そ のような情報 量が少 ない ときには,将 来において生 じる結果に関す る期待 について もたれる 1 5 ) K e y n e s ( 1 9 7 3 a , p . 4 6 ) . 1 6 ) K e y n e s ( 1 9 7 3 a , p . 4 7 ) .

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不確実性下の合理的行動に関するケインズの理論について 7 確 信 の 度 合 い は小 さ くな る。 確 信 の 度 合 い は知 識 の 量 に比例 す るの で あ る。 投 資 決 意 が も とづ く期 待 につ い て, ケ イ ン ズ は さ らに 「長期 期待 の状 態 は ・ ・ ・ それゆ えに,わ れわれの行 うことので きるもっとも蓋然性の高い予測だけに依 存す るのではない。 それは また, わ れわれが この予測について抱 く確信に一一 われわれが 自分達の もっ とも良い予測が まった く誤 りとなって しまう可能性 を いかに高 く評価す るかに一一依 存す る」 と述べ る。 ケインズは,将 来の出来事 について限 られた情報 しか存在 しない場合 に,経 済主体, とりわけ投資者が未知の将来に対処す るために実際に用いる手法 とし て,二 つの もの を取 り上げ る。 これ らの手法は一緒になって彼が 「未来に関す る実用的な理論」 と称す るものを構成す る。 最初 の手法は 「過去の経験につ いての率直な検討がいままでに示 して きたよ りも,現 在の方が未来に対 してずっと役 に立つ手引 きである」 と考 えることで あ る。す ぐ後に,彼 が この引用文 を 「われわれはその現実の性格について何 も 知 らない将来の変化 につ いての見込み を大幅 に広 く無視す る」 と言い換 えるよ うに,こ の手法によれば,経 済主体 は将来 を予測す るときに現在 を過大に評価 し,そ の結果彼等は将来に関す る期待 を形成す るにあたつて過去 を見捨て るの である。われわれは,将 来に結果 をもたらす何 らかの行動 を起 こす ときには, た とえ現状が無限に持続す ることを信 じない として も将来の変化 を無視す るこ とによって,行 動に必然的に伴 う心の不安 を静め ようとす る。 この点について, ケインズは次の ように述べ る。すなわち,「われわれは将来が どの ようになるの か を知 らない。 それに もかかわ らず,わ れわれは生命のある,ま た動 く存在 と して行動せ ざるをえない。心 を平穏 に しかつ慰め るためには,わ れわれはいか に僅かなことを予測す るにす ぎないか を隠さなければならない。で も,わ れわ れは何 らかの仮説に よって導かれなければな らない」。 この引用文 で言及 され 17)Keynes 18)Keynes 19)Keynes 20)Keynes 21)Keynes ( 1 9 7 3 a , p . 1 4 8 ) . ただ し, 傍 点 は原文 の イ タ リック体 に付せ られ た もの で あ る。 (1973c, p.114). (1973c, p.114). (1973c,p,114). (1973c,p.124).

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8 玉 木果乗教授退官記念論文集 (第311号) て い る何 らか の仮 説 ( それ は決 して一 つ で は な い)と は,現 在 こそが将 来 を推 測す るための基準であるとす る受動的な行動に関わる手法である。 次の手法 は 「諸価格や現存す る産 出物の性質 に表現 されているような評価 の 現存す る状態が将来の見込み を正 しく要約 した ものに もとづ いている」 と想定 す るこ とである。 この手法 によれば,経 済主体 はあたか も完全 なベ ンサム流の 計算機 であるかの ように行動す る。 この ような手法 は,行 動が将来において も た らす結果に関す る自分達の判断 こそが絶対的に正 しい ものであると見Ttkする こ とによって,経 済主体, と りわけ投資者が 自分達 自身を 「完壁な分析 をす る 機械」であると信 じ,そ のことによって彼等は将来についての不安 を拭い去 る こ とを意味す る。 最後の手法はケインズが慣行的判断 と呼ぶ ものである。 その内容 は 「自分達 自身の個 人的判断が役 に立たないことを知 っているので,わ れわれは恐 らくよ り多 く知 っている世界の他 の部分の判断に頼 ろうと努力す る」 とい うことであ る。各個 人は他 の人々 を真似 して行動す るのである。換言すれば,誰 で も多数 の人々の行動 とかあるいは平均的な行動 に合 わせ て活動 しようとす る。 この種 の仮説は とくに投機者の行動 に当て嵌 まるものである。 ケインズは,『一般理論』において期待の形成 を取 り扱 うときには,こ れ らの 二つの実際に用 い られ る手法の中で も, もっぱら最初の仮説 を重要視す る。彼 は,経 済主体が,短 期期待 について もまた長期期待 について も自分達の期待 を 22)Keynes(1973c,p.114).た だ し,傍 点は原文のイタ リック体 に付せ られた ものである。 23)Carabelll(1988,p.225).カラベ リは,ケ インズが,こ の第二の手法 を投資者の行動 に応 用す るこ とに よって,投 資者 はあたか もベ ンサ ム流の計算機 の ように振 る舞 うこ とを想定 してい る と考 える (1988,pp.225226)。また,カ ラベ リは,こ の ような想定が 『一般理論』 の第11章において用い られているこ とを指摘す る。す なわち,彼 女は,ケ インズが,こ の 章 において,あ たか も資本の限界効率 と貨幣利子率 が ともに計算可能 であるかの ように仮 定 して,両 者の均 等に よって投資量の決定 を説明す ると主張す る。 この理 由のために,カ ラベ リは, この章 では,彼 が経済行動 に対す る新古典派のアプロー チを述べていると考 え る ( 1 9 8 8 , p p . 2 2 5 - 2 2 6 ) 。 24)Keynes(1973c,p.114). 2 5 ) ケ インズの 「未来に関す る実用的な理論」の中のこの最後の手法 と投機者の行動の関係 につ いては, J . B . デ イビイスのす ぐれた研究がある ( D a v i s , 1 9 9 4 a , 1 9 9 4 b および1 9 9 7 ) 。

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不確実性下の合理的行動に関す るケインズの理論について 9 形 成 す る と きに は, 「 慣 行 」 に依 拠 せ ざ る を え な い こ と を繰 り返 して 強 調 す る。 ケ イ ン ズ は, 前 者 につ い て は, 「生 産 者 に とって は, 変 化 を期 待 す る確 実 な理 由 がないか ぎり,ご く最近に実現 した結果が持続す るであろうとい う想定に もと づ いて期待 を構成す ることが理にかなっている」 と主張 し,ま た後者に関 して も,「この慣行 の本質は― 論 それはそんなに単純 に作用す るものではないが 一― われわれが変化 を期待す る特別の理由をもたないか ぎり,現 在の事態が無 限に持続す ると仮定す ることにある」 と言って,慣 行の意味 を説明す る。 経済主体 が変化 を期待す るに十分 な理 由 をもたないか ぎり,彼 等は現在 の事 態 を将来に投影す るこ とによって未来に対処す る, とい う慣行 的習慣 こそが, 不確実性下の合理的行動 に関す るケインズの理論の核心 である。 この場合 には, 過去か ら蓄積 されて きた事実 は,意 味のある知識量 を増加 させ るこ とをつ うじ て, この ような投影 に対す る確信 を強め るがゆえに役立つにす ぎない。 III ケ インズは, 前 章 で説明 され た 「将来 に関す る実用的 な理論」 を構成す る三 つ の手法 を, 「合理 的 な経済 人 としてのわれわれの顔 を守 る」ものであ る と考 え た。この とき,彼 は 「合理的」 という言葉 を一体いかなる意味で用いるのだろ うか。 前章で述べ られたように,不 確実性下の合理的行動に対するケインズのアプ ローチは,将 来に関する知識が欠如 している,ま たしたがって,未 来において 26)Keynes(1973a,p.51). 27)Keynes(1973a,p,152). 28)カ ラベ リは,過 去 においてなされた決意の結果 である統計的事実が,単 純に将来の予測 に とって有効 な資料 となるための条件 として,次 の二つの もの を述べ る。一つは,経 済主 体 が,例 えば,希 少 資源 の下 におけ る最大化 の ような新古典 派の合理性 に関す る規範的原 理 に したが って,合 理的に行動す るこ とであ り, もう一つは政府かあるいは貨幣当局が何 らかの政策 に よって経済活動 に干渉 しない こ とであ る (1988,p.227を見 よ)。ケインズは こ れ らの条件 を両方 とも否定す る。 なぜ な らば,彼 は将来が過去 の素朴 な繰 り返 え しではな い と考 えるか らである。 この点の詳細につ いては,Keynes(1973c,pp.285-320)を 見 よ。 29)Keynes(1973c,p.114).

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10 玉 木果乗教授退官記念論文集 (第311号) 生 じる出来事 につ いて確率 を計算す るこ とが で きない とい う事実 に もとづ いて 構築 され る。 ケ インズは,彼 が古典 派経済理論 を批判す る理 由であ る,将 来 は 数 学 的期待値 として計算す るこ とが可能 であ る と考 え る,ベ ンサ ム流の未来 を 処理す る方法 を,「擬似合理的な思考」であるとして非難す る。 それゆえに, こ の ような方法に もとづ いた未来志向の行動に関す る原理は,現 実の世界におけ る行為 を説明す ることがで きない。 なぜ ならば,そ れは不確実性が存在す る中 で行動 を余儀 な くす る真の要 因を無視す るか らである。未来は計算可能である こ とが否定 され るときには,わ れわれは 「(行動の)結 果の評価 に関係す ると い う意味では,『合理的』 (とは言え)な い もう一つの範疇の動機」,す なわち, 「慣習,本 能,選 好,欲 望お よび願望 など」 を頼 りに して行動 しなければなら ない。ケインズは,不 確実性下の合理的行動に関す る理論に哲学的基礎 を提供 す る 『確率論』において,た とえ気 ま ぐれ を理由に して行動す るとして も,そ の こ とは合理的であ るとさえ言 っている。 この考 えは,『一般理論』において は 「・・・われわれの合理的な自己は ・・。しば しばわれわれの動機 として気 ま ぐれ とか感情 とかあるいは偶然に頼 りなが ら,で きるか ぎり最善の選択 をす る」, とい う叙述の中に表現 されている。 ケインズによる合理性 に関す るこれ らの言及は,将 来に関す る知識が乏 しい 中で行 われ る人間行動が合理的でない とかあるいは愚かであるとか を決 して意 味 しない。 なぜ ならば,た とえわれわれが不確実性の中で行動す ることを余儀 な くされ るとして も,何 らかの信頼 で きる理由 (したが って,信 念)を もって 行動す るか ぎり,わ れわれはケインズの意味で合理的な行為 をしていることに なるか らである。実際の生活で行動す る際に用 いられ る手引 きとしての信念の 3 0 ) K e y n e s ( 1 9 7 3 c , p . 1 2 4 ) 。 た だ し,傍 点 は引用者 の もの であ る。 3 1 ) ケ イ ン ズは,こ れ らの要 因 として,完 全 な疑 惑,不 安 ,希 望 お よび恐怖 を挙 げ る(1973c, p . 1 2 2 ) 。 3 2 ) K e y n e s ( 1 9 7 9 , p . 2 9 4 ) 。た だ し, 丸 括弧 は引用 者 の もの であ る。 3 3 ) K e y n e s ( 1 9 7 9 , p . 2 9 4 ) . 3 4 ) K e y n e s ( 1 9 7 3 b , p . 3 2 ) . 3 5 ) K e y n e s ( 1 9 7 3 a , p . 1 6 3 ) .

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不確実性下の合理的行動に関するケインズの理論について 11 「尤 もらしさ」を主 として論 じる 『確率論』において,ケ インズは,「尤 もらし さ」の意味が信念 を保持す るために何 らかの理由が存在す るか どうかに もっぱ ら依存す る, と述べ ている。逆説的に言えば,彼 によって考 えられ る 「尤 もら しさ」に反す ることは,何 らの理由 ももたずに行動す ることであ り,そ の結果 としてそのような行為 は愚かな ものになる。彼の表現 を借 りれば,「 ・・・もし 人が頼 りにで きる助言に逆 らって行動す るな らば 。・・彼の決意はそれだけ一 層愚か な ものである」。 ケインズは,『一般理論』においても 『確率論』 と同 じ 意味で 「尤 もらしさ」 を使用す ることによって,前 章において言及 したように, 知識の乏 しさが慣行以外 に行動す るための拠 り所 を少 しも与 えない とい う意味 において,慣 行 に もとづ く行為 こそが 「尤 もらしい」 ものになると考 える。 こ こで,ケ インズが 「尤 もらしさ」 を合理'性と同 じ意味において使用 しているこ とは明 らかである。 ケインズは,人 間行動 を分析す る場合 に,合 理性 と不合理性 とい う二分法 を 決 して採用 しない。 この 目的には,彼 は合理性 と不合理性の二つの概念の うち で前者のみ を用いる。 オ ドンネルはケインズの合理性 を 「強い合理性」 と 「弱 い合理性」の二つの形態に区分す る。オ ドンネルのこの三分法 を詳 しく考察す るこ とは,ケ インズが人間行動に もたせ ようとした合理性の意味 を解明す る試 みに とっては, きわめて有用である。 オ ドンネルは,不 確実性の文脈の中で, これ らの二つの形態の合理性 を確率 の知識があるか どうかに応 じて区別す る。強い合理性は確率 を知 ることがで き 36)Keynes(1973b,pp.339-340). 37)ケ インズが 「尤 もらしさ」 と 「合理性」 を同義語 として用 いているとす る見解 につ いて は, 0'Donnell(1991,p.45)を見 よ。 38)ケ インズは, も し合理性が否定 され るならば不合理性のみが肯定 され る, とい う両者 を 対立 させ るような新古典 派の図式 を使用 していないこ とにつ いては,0'Donnell(1991,p. 440)を 見 よ。 オ ドンネルは,新 古典派の合理性 を 「超合理性」 (それはケインズの 「疑似 合理性」に対応 している)と 名付 けて,そ れ を 「強い合理性」か ら明確 に区別す る。 39)カ ラベ リもケインズが この種 の二分法 を否定す ることを指摘す る (1988,p.219). 40)0'Donnell(1982, pp.62-63 and 195-217;1989, pp.77-79 and 247-272;1991,

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12 玉 木果乗教授退官記念論文集 (第311号) 4 1 ) ない場合 に用 い られ る。 ケ インズに よれば,わ れ われが確率 の知 識 を得 るため には,二 つ の条件 が満 た され なければ な らない。 これ らの条件 とは,(1)わ れ われが意味 の あ る情報 を十分 に もつ こ と,お よび (11)わ れわれが論理 的直観 力 を もつ こ との二つ であ る。 だか ら,わ れ われ は,論 理 的直観 力 に比較 して十 分 な知 識 を保 有 していない ときには,確 率 を知 るこ とが で きない。 完全 な情報 が存在 し,そ の結果将来 の出来事 が計算可能 にな る ときには,強 い合理性 が利用 され る。 ケ インズが 「われ われが現実 に もってい る もの とは全 く異 な る種 類 の将来 に関す る知 識」 と述べ て非難す る未来 に関す るベ ンサ ム流 の計算法 は,こ の形態 の合理性 に対 応す る。他 方,情 報 が乏 しいため に確率 を 知 るこ とが で きない ときに は,将 来 が計算 で きる とい う新古典 派の前提 は成立 しな くな り,そ の結果生活 の手 引 き としての確率 は利用不可能 にな る。 この状 況 では,確 率 以外 の何 らか の戦略 に依 存す るこ とに よって意思決定す るこ とは 決 して不合理 な こ とで もな く, ま た愚か な こ とで もない。 それは弱 い意味 で合 理 的 であ る と言 え る。 『一般理論』において分類 された二つの範娘の期待 である 短期期待 と長期期待 につ いて合理性 の意味が考察 され る ときには,こ の よ うな 合 理 性 の三分 法 を利用 す るこ とは容 易 な こ とであ る。 短期期待 は,現 存す る資本 設備 の下 で,企 業者が どれだけ生産 し, し たが っ て また どれ だけ雇用す るか につ いて意思決定 をす るこ とに関係 す る。 これ らの 決 意 が将 来 にお いて もた らす結 果 の大部分 は比較 的近 い未来 に発 生 す るの で, 短期期待 はか な りの量 の知 識 に依 拠 して形成 され るこ とが可能 であ る。 この と きには,企 業者が, もっぱら 「ごく最近に実現 した諸結果が持続するだろう」 という仮説にもとづいて,期 待 を形成することが分別のある (合理的である) ことになる。だから,強 い合理性は短期期待に結びつけられる。他方,長 期期 待は,短 期期待 とは異な り, きわめて長い時間的視野をもって形成される。こ の形態の期待はとりわけ投資行為がもたらす遠い将来の結果に関係するので, 4 1 ) 0 ' D o n n e l l ( 1 9 8 2 , p . 6 3 ; 1 9 8 9 , p . 7 8 ) を 見 よ。 4 2 ) K e y n e s ( 1 9 7 3 c , p . 1 2 2 ) . 4 3 ) K e y n e s ( 1 9 7 3 a , p . 1 5 4 ) .

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不確実性下の合理的行動に関するケインズの理論について 13 これ らの結果 に関す る知 識 は きわめ て曖味 で しか も変動 しやす い性質 を もつ こ とな る。 それ ゆ えに,長 期期待 の場合 には,確 率 を利用可能 な ものにす る前述 の二つ の条件 は決 して満 た され るこ とはない。投 資決意 は弱 い合理性 を もつ の で あ る。 投資決意の基礎 にある長期期待 は,「われわれが 多かれ少 なかれ確実に知 られ ていると仮定す ることがで きる現存す る事実」 と 「多かれ少なかれ確信 をもっ て予測で きるにす ぎない将来の出来事」の二つの要因によって形成 され る。ケ インズに とって 「尤 ともな」かあるいは 「合理的な」投資行動 とは,投 資決意 が前者の要 因だけに もとづ いてなされ ることを意味す る。 もし投資決意が後者 の要 因に依拠 して行 われ るとす るならば,そ れに もとづ いた投資行為 は愚かな ものになる。 ケインズは,長 期期待が, きわめて乏 しい情報 しか得 られない不 確実 な 「将来の出来事」によって形成 され るよ りも,む しろ多 くの情報に裏付 けれた 「現存す る事実」によって 「不釣合 に」形成 され ることの方が合理的で ある と強調す る。 ケインズが,短 期期待かそれ とも長期期待のいずれであって も期待の形成 を 論 じるときに,現 実に存在す る事実 を重要視 したことは,結 局の ところ,わ れ われが 「将来 を覆 い隠 している時間 と無知の暗い圧力」か ら解放 され るために, 「われわれが変化 を期待する特別の理由をもたないか ぎり,現 存の事態が無限 に持続す るだろう」 とい う仮定に等 しい慣行 に頼 ることは弱い意味で合理的で ある とい う,彼 自身の主張につなが ることになる。 したがって,前 章において 説明 されたような,ケ インズの 「将来に関す る実用的な理論」 を構成す るいず れの手法 に もとづ く行動 であって も,そ れはBBい合理性 をもっている。帰納法 に基礎 を置 く慣行がいつ もよ りも怪 しくなった ときには,直 覚,欲 望,お よび 願望 な どの心理 的要素 を動機 とす る行動 も弱い意味で合理的である。要す るに, ただ し, 傍 点は引用者の ものである。 ただ し, 傍 点は引用者の ものである。 44)Keynes 45)Keynes 46)Keynes 47)Keynes 48)Keynes (1973a,p.147). (1973a,p.147). (1973a,p.148)。 (1973a,p.155). (1973a,p.152).

(14)

14 玉 木興乗教授退官記念論文集 (第311号) オ ドンネルが主張す るように,ケ インズが行動 に もたせ ようとした合理性の意 味は決 して一義的に決 まるものではな くて,そ れ らの行動が行 われ る状況に応 じて異なる。 このことは,「将来に影響 を及ぼす人間の決意は ・… 厳密 な数学 的期待値 に依存す るこ とはで きない。 なぜ な らば,そ の ような計算 を行 うため の基礎が存在 しないか らである 。・・われわれの合理的な自己は,可 能 な場合 は計算す るが, しば しばわれわれの動機 として気 ま ぐれ とか感情 とかあるいは 偶然に頼 りなが ら,で きるか ぎり最善の選択 をしている」 とい う,ケ インズ自 身の叙述の中に述べ られている。 IV 前章において,人 間行動の合理性には,強 い合理性 とBBい合理性の二つの形 態が存在することが示された。これらの二つの形態の合理性の間の差異は,わ れわが何 らかの行動 を決意するときに,知 識の一つである確率を利用すること ができるか否かに依存する。最後にこの章では,行 動する際の手引きとしての 確率がどのようにして利用可能になるのか, また確率 を利用可能にするために は情報がいかなる役害Jを演 じるのか, という二つの問題について,ケ インズが どのような見解 をもっているのかを 『確率論』にまで湖って検討することにす る。 この目的のためには, まずわれわれは,『確率論』において展開されているよ うに, 自分達の行動が将来において結果をもたらす ときに,人 間はいかにして 合理的に振 る舞 うことができるのか, という問題に対 して,ケ インズがどのよ うに解答 したかを考察することが必要である。この問題に対する解答の手がか りは彼の確率に関する定義の中に見つけることができる。ケインズは確率 を次 のように定義する。すなわち,「われわれの前提は任意の組み合わせの命題 んか 49)0'Donnell(1982,p.195)を見 よ。 なお,二 つの種類の期待 と二つの形態の合理性 の間の 関係 に関す る説明につ いては,カ ラベ リ (1988,p.57,n.30)を見 よ。 50)Keynes(1973a,pp.162-163). 51)こ れ らの問題 に関す るケインズの見解 につ いては,Mizuhara(1998)を 参照せ よ。

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不確実性下の合理的行動に関するケインズの理論について 15 らな り, そ して わ れ われ の結 論 は任 意 の組 み合 わせ の命 題 αか らな る もの と し よう。その とき,も し れの知識が αに対 して αの度合 いの合理的信念 を正 当化 す るな らば,われわれは αと んの間には 2の 度合 いの確率関係が存在す ると言 う。以後,こ れは α/力 =α として表わされ る」。この引用文か ら理解 できるこ とは,確 率が推論 を構成す る前提 と結論 とい う二つの命題の間の論理的な関係 であることである。 この関係が推論の結論に与 えられ る合理的信念の度合 いを 表わすのである。ケインズが確率 を形式的に α=α /ん として表現す ることに 注意 を払 うこ とは,確率 の大 きさを決定す る要 因 としての前提 乃,すなわち情報 の役割 を理解す ることを手助けす ることになる。 この表現は 「αの確率 は 2で あ る」と読むのではな くて,「αは前提 れに もとづ くαの確率 である」と読 まれ なければな らない。ケインズの確率が関係 としての性質 をもつ ことを理解す る こ とは,彼 が 『確率論』において情報 をどの ように取 り扱 うか を究明す ること には欠かせ ない。 情報 に対す るケインズのアプ ローチ をよ り詳 しく検討す るためには,彼 の確 率的推論におけ る前提 と密接 に関係す る 「推論 のウエ イ ト」 とい う概念に言及 す るこ とが必要 である。ケインズは,『確率論』において,こ の概念に関す る一 つの章 を設けて説明 している。 この章か らの次の引用文は推論のウエイ トが豊 か な内容 をもっていることをわれわれに教 えて くれ る。それは,「われわれに と って 自由に利用で きる意味のある証拠が増加す るにつれて,新 しい知識が不利 な証拠 を強め るのかそれ とも有利 な証拠 を強め るのかに応 じて,推 論が もつ確 率 の大 きさをは減少す るか もしれない しあ るいは増加す るか もしれない。 しか し, どちらの場合 において も,何 かが増加 したように思われ る。 いまや,わ れ われは 自分達 の結論が もとづ くもっと堅回な根拠 をもっている。わた くしは, 推論の ウエ イ トが新 しい証拠の獲得 によって増加す るのだ と言って,こ れ を表 現す る。新 しい証拠は ときには推論の確率 を減少 させ るだろうが,そ れはつね 5 2 ) K e y n e s ( 1 9 7 3 b , p . 4 a n d n . 1 ) 。ただ し, あ る。 なお, ケ インズはこの引用文にある あ るいは 「知識」に よって代替す る。 傍点 は原文 のイタ リッ 「前提」 とい う言葉 を ク体 に付せ られた もので 「デー タ」 とか 「証拠」,

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16 玉 木果乗教授退官記念論文集 (第311号) に 『ウエ イ ト』を増 加 させ るだ ろ聯 )」 , と ぃ ぅこ とで あ る。 この 引 用 文 は推 論 の ウ エ イ トにつ い て 二 つ の性 質 を述 べ て い る。一 つ は,推 論 の ウエ イ トと意味 の ある証拠は相関関係にあることであ り,そ してもう一つは,推 論のウエイトは 確率 とは直接には関係がないことである。前者は,意 味のある証拠が増加 (あ るいは減少)″するときには,い つでも推論のウエイ トは増加 (あるいは減少) することを意味 している。他方後者は,意 味のある証拠, したがってまた推論 のウエイ トが増加するときに,確 率の大 きさが増加するかあるいは減少するか は,そ の増加 した新 しい情報が有利なものであるかそれ とも不利なものである か どうかに依存する, ということを述べている。 これらの二つの性質が一緒になって,意 味のある証拠の獲得は,た とえそれ が確率 を増加 させ ようとあるいは減少させ ようと,つ ねに推論のウエイ トを増

加させるという結果をもたらすのである。このような結果は,わ れわれが確率

的判断にもとづいて行動するときに,重 要な指針をわれわれに与えてくれる。

ケインズによれば,推 論のウエイ トの増加 は結論の確率が もとづ く根拠 をよ り 堅 回な ものにす るので,増 加 した推論のウエイ トをもっている確率 に対す る信 頼 は一層強 まる。だか ら,推 論 のウエイ トが高 くなるにつれてその確率的判断 に対す る信頼が強 まるので, も し確率がすべて等 しい大 きさをもつのであれば, その場合 には最 も多 くの情報に裏付け られた確率が行動の手引 きとして用い ら れなければならない。推論の ウエ イ トが 『確率論』で情報 としての役割 を演 じ るの と同 じように,今 度はこの 「信頼」 とい う概念が 『一般理論』においては 情報 として役害Jを果 たすのである。 ケインズは,未 来が計算可能であると見ftkす数学的期待 の考 えを,そ れが推 論 の ウエ イ トを考慮 しない とい う点で批判 したように,推 論のウエイ トは不確 実性下の人間の行動 とその行動 の合理性 とに対す る彼の非正統派的アプローチ の基盤 をなす ものである。それでは,彼 はこの概念 を用いて不確実性 をどのよ うに定義す るのだろ うか。 ケインズによれば,将 来の出来事 について不確実性が存在す るとは,こ れ ら 53)Keynes(1973b,p.77).た だ し,傍 点は原文のイタ リック体 に付せ られた ものである。

(17)

不確実性下の合理的行動 に関す るケインズの理論 につ いて 17 5 4 ) の 出来事 につ いて確率 が利用 で きない こ とを意味す る。 われわれが確率 を利用 で きないのは,た とえ普通 の論理 的直観 力 を もってい る として も,わ れ われが 確 率 関係 を知覚 す るに十分 な情報 を もっていないか らであ る。換 言すれば,確 率 が利用 で きない無知 の状 態 は推論 の ウエ イ トが きわめ て低 いか または零 であ るこ とに起 因す る。 と くに,企 業者 の投 資行 動 はその結果 をか な りの長 い将来 期 間 に わ た って生 み 出す の で,こ れ らの結果 に関す る情報 を得 るこ とは決 して 容 易 では ない。推論 に とって意 味 の あ る情報 が不 足す るため に生 じる不確実性 こそが,ケ インズが合理 的行動 に関す る自分 の理論 を構築 す る ときに最初 に考 慮 す る基本 的要 素 であ る と言 え る。 参考文献 Carabelll,A.M.(1988),θ %才ζタノ%夕s冬 挽 あろθ冴,London:Macmillan.

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(18)

18 玉 木果乗教授退官記念論文集 (第311号)

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参照

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