• 検索結果がありません。

イギリス・ロマン派研究

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "イギリス・ロマン派研究"

Copied!
14
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

[ 67 ]

シェリーの秘儀的読者

田 久 保

Synopsis

Frederick Jones suggested in his notes to Shelley’s letter to John Gisborne that the poet’s own description of Epipsychidion as a mysterious poem written only for the Synetoi, the initiated, was an intentional mystifi ca-tion. In spite of critics who agree with Jones’s view considering either Shelley’s anxiety about fi nding an audience for the poem or the need to protect himself from attacks based on misconstrued relationships, it seems worthwhile to see the poem as indeed an “esoteric” poem. Shelley always felt like a Synetoi as part of an intellectual minority carrying, like Prometheus, secret wisdom as their only weapon against the powerful and repressive establishment. Shelley’s increasing sense of disappointment in fi nding audience in his later years led him to the idea of poetic tradition in which the best poetic spirit is disseminated across time as he eloquently argued in A Defence of Poetry. He saw himself as participating in that great tradition. Epipsychidion has characteristics as an esoteric text with its assumed distinction between the initiated and the uninitiated. Reading the poem as an exoteric text with ritualistic elements answers a number of questions, including the issues of its elaborate Renaissance style, the ambiguous identity of the “Sweet Spirit,” the relevance of the philosophic statement on love to the idealized history of the poet, its concern with poetry and language, the reason for the apparently escapist message of the envoi to get away from the ignorant mass, and fi nally, the political implications this poem may possibly have. The ideal esoteric audience for Shelley would ap-preciate the imaginative poetic language of the poem, understand the poetic tradition that celebrates love as exemplifi ed by Dante, and share Shelley’s view that the social institution of marriage sustains the sexual

(2)

discrimination, the property system, and inequality. The poem is sup-posed to provide a ritual for the purpose of inspiring visionaries to unite and follow the imagination and the love principle so that, despite the adverse time, the tradition of imaginative poetry can be transmitted to future generations.

シェリーの『エピサイキディオン』は、ダンテを始め、イタリア、イギリ スのルネサンス文学の伝統を踏まえ、高度な韻律の技巧を凝らした難解な 詩として知られる。シェリーは、原稿をロンドンの出版者オリヤーに送る 際、匿名で少数部のみ出版するように指示し、この詩を「秘儀的な少数者」 ( the esoteric few )のためのものと説明した。1 「無教養者」( the vulgar ) がそれを読むことは本意ではないとも付け加える。さらにジョン・ギズボー ンに宛てた手紙では、「シネトイ」(秘伝を授けられたもの、奥義者)のみに 意図した作品と語っている(Letters 363)。シェリーが自らの作品を難しい ものとして紹介するこの仕方に対して、書簡集の編者ジョーンズは、「この 詩を実際以上に神秘化しようと意図したもの」(Letters 363n)という注をつ けている。女性関係のスキャンダルを探して攻撃しようとする人々をシェ リーが警戒しているのは明らかである。同時に、とりわけ最期の数年間、彼 の渾身の作品『プロミーシュース解縛』が評価されず、また広いオーディエ ンスを意識して書いた劇『チェンチ』が舞台化されないこと、大衆のために 書いた『無秩序の仮面』や政治的論評がその急進思想のために出版できない ことなどから、彼が作家としての孤立感に苦悩していたことも周知の事実 である(Behrendt 229)。また、彼が友人トレローニーに「ぼくは、詩のわ かる人たちだけのために書きたいという願望を捨てきれないから、読者が いないのは仕方がない」と語ったとされるように、元来自らを選ばれた少数 者のために語り、最高の表現を目指したいという願望も強かった(Behrendt 229–230)。「シネトイ」という呼び名で意図した彼の理想的読者について、 ここで再検討してみることは、『エピサイキディオン』についての理解を深 めるため、必要な作業だと思われる。本稿では、社会から孤立した詩人とし て苦悩したシェリーが、この詩において秘儀的読者を想定する中で意図した 目的をめぐって、一つの解釈を試みたい。まずこの詩が手本とするダンテの

(3)

テクストとの関係から、シェリーが言語的構築物として詩をとらえている点 に秘儀としての特徴を見る。さらにその詩が、秘儀の中で伝えられるべき愛 と想像力についてのシェリーの思想を、詩全体として伝えるよう構成されて いることを示してゆく。 フランスの思想史家ルネ・ゲノンは、『ダンテのエソテリスム』において、 ダンテを特定の神秘思想に結びつけるには慎重であるものの、ダンテの中に は、秘儀に通じる者(the initiated)とそうでないものとの厳然とした区別が あると、また、彼がテンプル騎士団と関係するような神秘思想集団とかかわ りがあったことは疑いないとしている(Guénon 7)。シェリーが『詩の弁護』 の中で、プロヴァンスのトゥルバドールから、ペトラルカ、ダンテに至る恋 愛歌の伝統について触れるとき、中世の秘儀的伝統についても意識していた と思われる。2シェリーがダンテを秘儀的ととらえていることは、『エピサイ キディオン』前書きにおいて、奥義がわかる読者とそれ以外との読者を選別 しているところに見られる。「ここに紹介する詩は、ダンテの『新生』と同 じく、それが物語る具体的な歴史や状況なしでもある種のレベルの読者には 十分に理解できるものだが、ほかのレベルの読者には、そうした概念に対す る共通した認知機能の欠陥により、一生理解できないものである」(Poetry & Prose 392)。また、エピグラフ的に前書きの末尾に添えられているダン テの『 宴』(Convivio)からのシェリー自身の訳による引用では、この歌 の中身を理解するものはわずかだろうから「無教養の人々に出会ってしまっ たら、お前たちは鈍くてわからないだろうが、わたしは美しいのだと言って

やれ」(Poetry & Prose 393)と二種類の読者を想定している。詩の中では、

強固な婚姻制度からなる「教義」を掲げて多くの「気の毒な奴隷」を束縛 する「大いなる派閥」(149–55)に対して、「高貴なる心を持つものが難破し 救いを待つ岩」の上の抑圧される少数者が対比されている。また、愛の奥義 を極めた「賢者」( sage )が後にこの荒廃した庭園としての世界を楽園によ みがえらせるために「土を耕す」(184–89)というエピソードが紹介される。 最後にエンヴォイ(反歌、結辞)においては、「誤りを犯し、他をそしる軍団」 を逃れ、「愛の下僕たるわが客人となれ」(603–4)と大多数の抑圧者と少数の 智者とを対比させている。

(4)

前書きの中で夭折した詩人を紹介する記者は、イタリア語で『新生』第 25章の言葉を引用する。これはダンテが、修辞法について理論的な理解を 欠く「愚かな仕方で」詩を書く多くの詩人たちを批判する文脈からの引用で ある。「もし物事をイメージや修辞的脚色によって飾りながら、他の者に求 められたときにそうした修飾を解きながら本当の意味を示せないとしたら 大変恥ずべきことである」(Dante 55)。注目したいのは、ここでのダンテの 修辞法についてのテーマである。シェリーは、『新生』をダンテによる詩に ついての理論書として認識している。『エピサイキディオン』が、決してナ イーブに心情を吐露したものではなく、高度に詩の技法を理解する読者に向 けて書かれた、理論に裏打ちされた作品であることへの自負が見られる。同 じ『新生』第25章の前半でダンテは、この本のいくつかの詩歌の中に登場 する愛の神について論じている。それらの詩において、ダンテは自らをその 愛の神に忠実な下僕として、ビアトリーチェを讃えているわけであるが、驚 いたことに、そうした神が普通の人間の姿をして実在するかのように描写す るのは、単にラテン詩人たちの伝統に従ったに過ぎないという合理的説明を 言ってのける(53–54)。つまりシェリーの理解するダンテの文学的秘儀とは、 文学的な形式、伝統を理論的に認識しながら、言語の特徴を意識して表現を 試みることなのである。 『エピサイキディオン』をダンテとの関係において論じる多くの研究があ るが、その中で見過ごされている点を、バーバラ・レイノルズは指摘する。 ダンテの代表作『神曲』が、広く国民に物語る叙事詩であるのに対して、 『エピサイキディオン』が直接引用する『新生』はごく限られた読者、たと えばダンテの親友カヴァルカンティなど、ごく少数の詩作を志す人を意図し た「詩の技法についての本」であるという点である(Reynolds 13)。そこに 語られるダンテとベアトリーチェとの物語も彼の詩の解説に役立つと考えら れる事柄に限られ、不要なエピソードは語られない。『新生』全体が愛を歌 う詩をめぐっての詩論である。その中で中心的なエピソードが第18章、親 しい貴婦人たちに「もしあなたが愛する貴婦人の前にいるだけでどきどきし て耐えられないとしたら、その愛は何のためなのでしょう」と問い詰められ る話である。ダンテは「愛する人を讃える言葉」に喜びがあると答えるのだ

(5)

が、同時にこれまで自分が、そのことに正面から取り組む詩を書いてこな かったことを恥じ、その「遥か自分の力の及ぶ限りの主題」、すなわち愛す る人を讃える詩を書くことを自分の使命と自覚するに至る(Dante 33–34)。 『新生』の主題が愛する人への愛を歌うことそれ自体にあるとしたら、少数 の「秘儀的読者」に向けた『エピサイキディオン』の主題も、エミリーとの 愛を成就するためというよりもその愛を歌うこと自体にあると言ってよいで あろう。 『エピサイキディオン』を『アラスター』と同じく、現実世界を超えた理 想像を求める探究物語の枠で考える論評がこれまで多くなされてきたが、そ の問題点は、探究の目的、つまり愛の対象、エミリーとの愛の成就が達成で きるかというところに関心が向かってしまうことである。それゆえ、この 詩のクライマックスの行、「私はあえぎ、私は沈み、私は震え、私は息絶え る!」(591)が、あたかも詩人としてのシェリーの敗北宣言であるかのよう に受け取られてきた。しかしながら、もしこの詩を『新生』の主題と同じ く、愛を歌うことそのこと自体についての詩と考えればどうか。散文「人生 について」の中でシェリーは、「 I you they といった言葉はふつうこ れらの言葉で連想する誰か限定された個人を指すのではなく、文法上の目的 で作られたものだ」と論じる(Poetry & Prose 508)。使われる場面ごとに 指し示す場所、時間等の対象が異なる語を言語学ではダイクシス(deixis)と 呼ぶが、人称代名詞はセンテンスごとにそれが指す人物が変わるダイクシ スである。それはシェリーが言う通りひとつの文法上の仕組みにすぎない。 詩句はこうして文法的構成物となり、独立した存在となる。つまり I pant, I sink . . . の I は特定の人物ではなく、言語構造物として歌が想定する 主体である。それゆえ、この詩の冒頭の『 宴』からの引用では、「わが歌 よ!」と、そして末尾に添えられたエンヴォイにおいても詩自体が「か弱き 詩句よ」と独立した生き物として呼びかけられている。歌は生きたもののよ うにピークを迎え、上昇から下降へ、結末、収束へと向かう。 ウィリアム・アルマーは、ダンテの作品における言語学的な自己意識にた いするシェリーの関心について、『エピサイキディオン』の修辞的特徴であ る言語の自己対象性を論ずる中で言及している。ポール・ド・マンの「時間

(6)

性の修辞学」の議論を踏まえて、シェリーの詩が、一つ一つの記号(言葉)が 物ではなく、それに先行するまた別の記号を指し示し、そしてその記号はま たさらに別の先行する記号によって置き換わる「アレゴリー」としての修辞 的特質を持つと論じる。それゆえ音楽が前後の音程やリズムにおける関係に おいて、「差異」からなる体系として意味をなし、外の世界との関係は二次 的なものであるのと同様に、シェリーの詩は「音楽の条件に近づこうとして いる」のである(Ulmer 136–137)。アルマーが念頭においているのは次の 行である、「われわれはたがいに音楽の音符のように、異なっていても、不 協和のないような違いとして作られていないか」(142–145)。音楽のように、 それが別のものを達成するのではなく、表現自体が目的であり、歌そのもの が『エピサイキディオン』の主人公なのである。音楽は宗教的儀礼に用いら れるが、音楽性はこの詩の秘儀的特質の一つと言える。 詩の冒頭の行の「親なき子」をめぐってはこれまで、母ウルストンクラフ トを自らの出生時に失ったメアリー・シェリーを指すという解釈と、シェ リーのファーストネーム「パーシー」とイタリア語の「ペルシ」(失われた) をかけて、シェリー自身を指すとする二つの大きな解釈があった(Shelley,

The Poems of Shelley, vol. 4: 131)。詩神への冒頭の呼びかけの対象を「親

なき子の妹」、また「その名に涙する」「帝国」とは何かについてあいまいに しているのは、門外漢に神聖な祈りの対象を特定されないようにという意図 的なものであることは間違いない。イスラエル民族が「ヤハウェ」という彼 らの神の名を隠したように、「願掛けの花輪」を捧げる詩神の名を隠すとこ ろはこの詩の秘儀的特徴の一つである。この冒頭部の興味深い解釈としてア ンジェラ・レイトンは、詩の前書きで紹介されているフィレンツェで夭折し たとされる詩人を生みの親として、この親を失った孤児としての詩そのもの がこの「オーファン」であるとしている。「作品全体は、その実際の人生は この詩の〔理想郷に脱出するという〕ロマン的な大志とは正反例となるよう な一人の男が生み出した、そのまさに孤児として提示されている」(Leighton 225)。つまり主人公は、シェリーではなく詩自体である。 第4連は、「天の大天使よ!」、「優しき祝福」、「ベールをまとった栄光」、 「雲の上の月」、「死者の中に現れた生者」、「嵐を上から見下ろす星」と、エ

(7)

ミリーを讃えるメタファーが続くが、ここでレイトンは、その真の主題はエ ミリーではなく、詩自体であることを指摘する。 おまえは鏡だ その中で、まばゆい太陽の輝きのなかでのように、 お前が眺めるすべてのものが神々しく見える そうだ、おまえをぼんやりとしか映さないこの薄暗い言葉さえ、 輝く、稲妻のように、今までにない光をもって お願いだ、この悲しい歌から消してほしい そのすべての欠点とはかなさを そのきれいな滴によって、 (30–37) 「まばゆい太陽の輝きのなかのように、お前が眺めるすべてのものが神々し く見える」鏡という隠喩は162–63行の無数の鏡の反射のイメージとつなが るが、この鏡は他の物だけでなく、今歌われている詩の言葉をもその光で照 らす。「お前をぼんやりとしか映さないこの薄暗い言葉も、今までにない光 で稲妻のように光る」と詩の言葉の方に関心が移る。ここで詩はエミリーの 涙の原因たる wrong(悪)を取り除こうとするのではなく、「この悲しい歌」 の wrong(欠点)をその涙で消してほしいと願うものとなる。エミリーで はなく、この詩自体が関心事となっているのである。レイトンは「手段が目 的に代わり、愛の対象に恋愛歌自体が置き換わり、悲しむ女に〈悲しい歌〉 が置き換わる」ことを指摘する(Leighton 237)。さらに興味深いのはレイ トンの触れていない、引用に続くこの連の結尾である。 それは聖なる玉露のようにあふれ出る、 お前の魂がそこから垣間見える二つの明かりから、 お前が泣くとき、悲しみが陶酔となるまで。 そのあとで、それに微笑みかけてほしい、それが死なないように。 (37–40) 泣いているエミリーに対し、一見酷な言い方で「悲しみが陶酔になるまで」 涙を流すように求める。そして「死なないように」と言う主語の it が示 すのはどの語かというと、「この悲しき歌」である。この歌にエミリーの涙

(8)

で慈雨のように詩に水を与え、また微笑みで太陽のように光を与えて育てて ほしいと願っているのである。一貫して詩の中心にあるのはエミリーではな く、詩自体の方である。 エミリーへの愛を歌う抒情詩としてみた場合、愛の対象ではなく、詩自体 が関心事であることは奇異に映るかもしれないが、冒頭部の Sweet Spirit! から始まり、引用した40行目までは愛の対象ではなく、詩神に対し祈るイ ンヴォケーションを成す。41行目の第5連より、「死ぬ前に青春の幻がこの ように完全に現れるとは思わなかった。エミリー、君を愛す」と詩の主要部 が開始するのである。詩神として呼びかけられるのはナイチンゲール(フィ ロメラ)である。オヴィディウスらフィロメラについて物語る作者たちはそ の名の語源を「フィロ」(愛する者)と「メロス」(歌)だと考えた。それゆえ キーツの詩に見るように詩神としてふさわしい女神となる。フィロメラの 姉は燕に変えられたプロクネ。そう考えると2行目 Whose empire is the name thou weepest on において、「帝国」とは、フィロメラを森の中の小 屋に監禁し、犯した義兄、トラキア王テレウスを連想させ、欲望のために詩 を弾圧する俗世の支配を暗示する。 この詩の構成は、三部に分けられ、第一部は、詩人がエミリーとの出会い によって今、満たされている愛の精神が、ダンテが愛の神に忠実にベアト リーチェへの愛を綴ろうとしたのと同じく、正真正銘のもので、この愛がこ の世のすべての存在を束ねる原理であることを宣言するためのもの。第二部 は、『神曲』にて、ダンテが地獄より天国のベアトリーチェに至る遍歴を描 くように、第一部で宣言した愛を自らの人生の上に重ねて、その存在を確認 するためのもの。そして第三部は、『プロミーシュース解縛』の第4部で、 ジュピターが追放された後の解放された人間と宇宙の姿が描かれるように、 無人島で愛を成就するファンタジーを描いている。解放された愛の自由な 姿を示すことで、言わば愛の祈りの書たるこの詩のクライマックスとしてい る。 このような全体の構成を考えると第一部を締めくくるいわゆる「愛の説 教」の部分は、「シネトイ」たる秘儀者に愛の原理を伝授するという目的を 示すものとして重要である。

(9)

  お前の知恵は私の中で語り、勇気をもって 気高き心を持った者たちが難破し救いを待つ岩に合図を送れと命じる (147–48) エミリーから教えられた「知恵」によって、高貴な心を持つために難破した 人たちを救助するため、語り手は「勇気をもって」( dare )合図を送ろうと している。エミリーの「知恵」が批判するのは婚姻の制度であり、その教 義は「ひとりひとりが大勢から恋人ないし友を一人選び、その他の人々は、 美しかろうと賢かろうと、冷たい忘却に処すべし」(150–3)というものであ る。結婚制度への批判は、『クイーン・マブ』以来シェリーのゆるぎない信 念となっている。『クイーン・マブ』への注において彼はこう論じる。「結婚 制度の撤廃によって自然で適切な性的つながりの形が生ずるだろうと推察で きる。この交わりが放埓につながるという意見には私はくみしない。それ どころか親子間の関係に見るように、この結びつきはより長く続き、寛容さ と自発的愛情に基づくものになるだろう」(Shelley, The Complete Poetry 2: 255)。 ナサニエル・ブラウンは、シェリーの婚姻制度批判の背景にはそれ が財産所有の制度と一体のものであるとする認識があるとしている。家族を 固定し、その中に財産を守ろうとするのが婚姻制度の本質であり、もし自由 恋愛を認めると、財産の相続者が分散、ないし特定不可能となって、財産が 散逸してしまうという、社会制度としての本質的問題にかかわると説明する (N. Brown 97–98)。この理解に立って、婚姻制度をなくし、経済的格差と 性差による不平等から人々を解放すれば、愛と友愛に結ばれた理想社会の実 現につながるというのがシェリーの考えであった。 『クイーン・マブ』に表されたシェリーの無神論、家族制度否定の思想は ハリエットの死後、二人の子どもの親権をめぐるウェストブルック家との訴 訟により法廷で公にされ、シェリーが社会制度を覆そうとする危険思想の持 ち主であることを理由に、イギリスの法制史上異例の、父親の親権はく奪と いう結果をもたらした。これがシェリーの作品が社会的に無視されるように なった原因ともなったのである。詩人としてのシェリーの表現力が優れてい ることは、例えば『ロンドン・マガジン』がシェリーの詩をバイロンよりも はるかに優れていると評していることから見ても、複数の識者の認めるとこ

(10)

ろだったと思われる(Behrendt 228–29)。それにもかかわらずシェリーの主 要な作品がほとんど黙殺ともいえる扱いを受けたのは、エヴェレストの指摘 するように、シェリーの思想が影響力を持つことに対する支配層の警戒感が あったためであろう。エヴェレストは、『クォータリー・レヴュー』の『イ スラムの反乱』評にみる異様なまでのシェリー攻撃の理由について、「彼は 明らかに偉大な才能を持った本格的な詩人であり、公衆の精神的安定に対す る脅威としては、単なる詩人気取りと思われていたキーツらよりも警戒す べき存在であった」と述べている(Everest 524)。メアリー・シェリーが夫 の死後、『遺稿詩集』を出版するのを、16年間国会議員を務めたシェリーの 実の父親、ティモシー・シェリーが強引に差し止めた事実からも、支配層に とってシェリーの作品が目障りだったことがうなずける。 以上のような状況にあって、なおさらシェリーは『エピサイキディオン』 を「シネトイ」と未来の読者に託さざるを得なかったのである。その中心 的な思想は「愛の説教」と呼ばれる連に表されている。その基本的な考え 方はシェリーが『詩の弁護』の冒頭で定義する「分析」と「統合」との区 別である。前者は「理性」と言い換えられる規則性に基づく知的操作で、 後者は「想像力」と言い換えられる「価値」の判断にかかわる能力である (510)。「愛の説教」においてこの分析的活動は「黄金と土砂とのふるい分 け」(160–61)に譬えられる。しかし対象を分類する原理を優先させ、「愛す る心を、思考する頭脳を、/装う人生を、創造する精神を/唯一の対象、唯 一の人」(169–72)に集中させてしまうと、「それは自らその永遠性を墓場に 葬ること」(173)になってしまう。一方愛の光は、「多くの真実を見つめる ことで明るくなる」(162–63)。リチャード・ブラウンはシェリーの、愛が 光の分散により拡大するというイメージがダンテの『神曲』、「 獄編」第 15章に由来することを指摘する。神の愛は「太陽光が明るい表面で輝くよ うに」「反射するものが多いほど広くゆきわたる」。「鏡が鏡像を増やすよう に、より多くの魂が加われば愛はより完成に近づき、大きなものになる」(R. Brown 231)。この「愛の説教」で述べられた、愛する対象は多い方が愛は 大きく広がり光り輝くというシェリーの思想が、彼の愛した女性たちとの軌 跡に重ね合わされるのが、この詩の第二部である。

(11)

この部分の伝記的な解釈では、この詩のきっかけとなったテレサ・ヴィ ヴィアーニを太陽、メアリー・シェリーを月、クレア・クレアモントが彗 星、そしてシェリーの出会った売春婦を「井戸端の女」とするアレゴリー を成すとされる。しかしこれらの人物を描くレトリックについて、レイト ンは興味深い特徴を指摘する。『エピサイキディオン』においては、対象を 表象するための比喩が目まぐるしく置き換えられる。エミリーが「大天使」 であり、「福音」、「ベールに隠れた栄光」、「月」、「鏡」、「ランプ」、「愛しき 明かり」と、その比喩が無数に入れ替わる。これらの語はしばしば繰り返 して現れるが、その中で、女性たちについての比喩が共有されているので ある。したがって、井戸端の女は、冒頭のナイチンゲールのように「メロ ディー」(256)を奏でる。そして彼女の頬と胸から発する「毒の空気」は「蜜 の露」のように詩人の心臓を刺す。しかしエミリーについても「唇から、蜜 の露をためたヒヤシンスのように、液体のつぶやきがこぼれ、感覚を麻痺さ せる」(83–85)と、同じく honey-dew, killing という言葉が用いられる (Leighton 234)。また、エミリーは「雲の上の月」(27)、「月は消えること なく美しく燃える」(81–82)と譬えられていたのに対し、こんどはメアリー・ シェリーなる「月の女性」が「冷たき貞淑な月、天の明るき島々の女王、/彼 女がほほ笑むものをすべて美しくする」(280–81)と、エミリーが「お前が 眺めるとすべての形が栄光に包まれる」(32)を思い起こさせる形容がなされ る。さらにクレアとされる彗星が最後には「戻ってきて、愛の宵の明星と なってくれ」(374)と呼びかけられているわけだが、明星とは愛の神ヴィー ナスの星であり、この詩が愛の歌であることを考えると、主要な愛の対象エ ミリーと同列に位置づけられる存在である。前半でエミリーは、「第三の星 〔金星〕の舵取りを抜け出した光の天使よ」(116–7)と愛の星に譬えらえてい るのである。これらの表現が示すことは、井戸端の女、メアリー、クレア、 エミリーは、実は全て一体のものであるということである。シェリーは、愛 とは特定の対象に付随するものではなく、対象が多ければ多いほど輝きを増 す光のような性質を持つという前述の「愛の説教」を、ダンテにならって理 想化した詩人の人生に重ね合わせてここに表しているわけである。 ライマンとフレイスタットは、詩の末尾のルネッサンス的な結辞は、「こ

(12)

の詩全体の中心的テーマを確認するもの」という注をつけている(Poetry and Prose 407n)。そこで詩人は自分の作った詩行に対して「お前たちの妹 たちを忘却の洞穴より呼び出して、ともに歌え」と命じる。「妹たち」とは、 ダンテを始め、『エピサイキディオン』につらなる恋愛詩の伝統であり、秘 儀によりその精神を呼び出そうする。そこで歌われる歌詞は、 愛の痛みこそ甘味 だがその報いは神聖な世界に それは、もしここになければ、墓の彼方に築く (596–98)

「墓の彼方に」神聖な世界を築く( it builds beyond the grave )その主語 it

が指すものは何かというと、それは「その報い」の its と同じく「愛」で ある。シェリーは、エッセー「キリスト教について」において、イエスの山 上の説教を論じて、「イエスは、過去の最高の哲学者たちが感じ、述べてき たことを語ったに過ぎない―徳それ自体が報いなのだ」と語る(The Prose Works 251)。イエスの説く隣人愛が死後の報いのためでなく、それ自体が 報いであり、天国だということを踏まえている。エミリーへの愛もこのイエ スの普遍的な「愛」の言説につながっている。シェリーが『エピサイキディ オン』で意図することは、前述の「座礁して岩の上に残された気高き心の持 ち主」(148)たち、すなわち現実の中で理想の幻を見てその狭間で苦しむ仲 間の「シネトイ」たちに向かって、この詩を共に歌うという秘儀の中で、愛 の思想を伝える大いなる詩の伝統を思い出し、これを伝えてゆくようにと励 ますところにある。ではその愛の秘儀を伝えることは、逃避主義ではなく、 社会的意義があると言えるのだろうか。前に見たように、シェリーにとっ て、愛の性質と創造力とは同一である。「愛は理解の光のようだ。多くの真 実を/見つめることで輝く。それはお前の光のようだ/想像力よ!」( 162-64)。愛の秘儀を理解する者は人類の未来へのヴィジョンを見る想像力を持 つ者であり、それは、『詩の弁護』で論じるところの「世界の立法者」であ り、世界の希望を伝える者である。この詩はめくるめくイメージと美しい 音韻により愛を歌うことで読む者を魅了するだけでなく、政治的抑圧の世に

(13)

あっては詩人たちの結束のしるしであり、また、愛と想像力の奥義を伝える 儀典書でもあったのである。

(徳島大学教授)

1 Frederick L. Jones, ed., The Letters of Percy Bysshe Shelley, 2 vols. II, p.

263. 以後ジョーンズ編のこの巻の書簡集からの引用はLettersと略し、ページ 番号をカッコ内に示す。

2 Donald H. Reiman and Neil Fraistat, eds., Shelley’s Poetry and Prose,

2nd ed., p. 497. 以降、シェリーのテクストからの引用は別に断りない場合、こ の版からのもの。散文についてはPoetry & Proseと略記しページ数を示す。詩 のテクストについては行番号を本文のカッコ内に示す。

引用文献

Behrendt, Stephen C. Shelley and His Audiences. Lincoln and London: U of Nebraska P, 1989.

Brown, Nathaniel. Sexuality and Feminism in Shelley. Cambridge, MA: Harvard UP, 1979.

Brown, Richard E. “The Role of Dante in Epipsychidion.” Comparative

Literature 30 (1978): 223–235.

Dante Alighieri, Vita Nuova. Trans. Mark Musa. Oxford: Oxford UP, 1992. Everest, Kelvin. “Shelley and His Contemporaries.” The Oxford Handbook

of Percy Bysshe Shelley. Ed. Michael O’Neil and Anthony Howe. Oxford:

Oxford UP, 2013. 513–529.

Guénon, René. The Esoterism of Dante. Tr. C. B. Bethell. Ghent, NY: Sophia Perennis et Universalis, 1996. Originally published in French in 1925. Leighton, Angela. “Love, Writing and Scepticism in Epipsychidion.” The

New Shelley: Later Twentieth Century Views. Ed. G. Kim Blank. London:

Macmillan, 1991. 220–241.

Reynolds, Barbara. Introduction. La Vita Nuova. By Dante Alighieri. Tr. Barbara Reynolds. Harmondsworth: Penguin, 1969. 11–25.

Shelley, Percy Bysshe. The Complete Poetry of Percy Bysshe Shelley, Vol. II. Ed. Donald H. Reiman and Neil Fraistat. Baltimore: Johns Hopkins UP, 2004. ———. The Letters of Percy Bysshe Shelley, 2 vols. Ed. Frederick L. Jones.

Oxford Clarendon P, 1964.

———. The Poems of Shelley: Volume Four: 1820–1821. Ed. Michael Rossington, Jack Donovan, and Kelvin Everest. London: Routledge, 2014.

(14)

———. The Prose Works of Percy Bysshe Shelley. Vol. 1. Ed. E. B. Murray. Oxford: Clarendon P, 1993.

———. Shelley’s Poetry and Prose, 2nd ed. Ed. Donald H. Reiman and Neil Fraistat. New York: Norton, 2002.

Ulmer, William Andrew. Shelleyan Eros: The Rhetoric of Romantic Love. Princeton: Princeton UP, 1990.

参照

関連したドキュメント

W ang , Global bifurcation and exact multiplicity of positive solu- tions for a positone problem with cubic nonlinearity and their applications Trans.. H uang , Classification

It is suggested by our method that most of the quadratic algebras for all St¨ ackel equivalence classes of 3D second order quantum superintegrable systems on conformally flat

[11] Karsai J., On the asymptotic behaviour of solution of second order linear differential equations with small damping, Acta Math. 61

We show that a discrete fixed point theorem of Eilenberg is equivalent to the restriction of the contraction principle to the class of non-Archimedean bounded metric spaces.. We

Since the boundary integral equation is Fredholm, the solvability theorem follows from the uniqueness theorem, which is ensured for the Neumann problem in the case of the

This paper develops a recursion formula for the conditional moments of the area under the absolute value of Brownian bridge given the local time at 0.. The method of power series

Next, we prove bounds for the dimensions of p-adic MLV-spaces in Section 3, assuming results in Section 4, and make a conjecture about a special element in the motivic Galois group

Transirico, “Second order elliptic equations in weighted Sobolev spaces on unbounded domains,” Rendiconti della Accademia Nazionale delle Scienze detta dei XL.. Memorie di