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ESS judge on parade 3 3 2

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Academic year: 2021

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英 文 学 会 通 信

英 文 学 会 通 信

─日本大学英文学会─

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発行:日本大学英文学会 〒 156-8550 東京都世田谷区桜上水 3-25-40 日本大学文理学部英文学研究室内 Tel(03)5317-9709(直通) Fax(03)5317-9336

 このたびの東北地方太平洋沖地震により、被害を受けられた皆さまに、謹んでお見舞い

申し上げます。皆さまの一日も早い復旧復興を心よりお祈り申し上げます。

目  次

《ご挨拶》   お見舞いと震災復興への思い。そして昔話。 ・・・・・・・・・・・・・ 日本大学英文学会会長 吉良 文孝 2   英文学科主任挨拶 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 日本大学文理学部英文学科主任 高橋 利明 4 《エッセイ》

   Hello I Must be Going ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 元日本大学文理学部教授  A. Robert Lee 5   推薦発表と受賞 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 日本大学理工学部准教授 佐藤  勝 6   教師になって学んだこと∼児童との関わりの中で∼      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 茨城県牛久市立神谷小学校教諭 有川 夕貴 7 《特 集》   英語と私 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 河合塾校長 羽柴 正市 8 《追悼文》   内田尚先生を偲んで―文理学部にいらした頃― ・・・・・・・・・・・・・・・・ 桜美林大学教授 山岡  洋 9 《月例会報告・予定、研究発表者募集》 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 10 《事務局・研究室だより》

  着任挨拶  The apple doesn’t fall far from the tree – Proverb

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 日本大学文理学部准教授  Richard R. Caraker 11    2011・2012 年度運営委員ほか ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 12    2010 年度行事報告・2011 年度行事予定など ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 12    2009 年度決算報告 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 14

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お見舞いと震災復興への思い。

そして昔話。

日本大学英文学会会長 吉良 文孝 「そろそろ卒業式だな。今回の卒業式では何を話そ うかなぁ。しかしそれにしても、この一年はあっとい う間の一年だったな。」と思っている矢先のことでし た。千年に一度ともいわれる未曾有の大震災が東北・ 北関東の広域を襲ったのは。平成 23 年 3 月 11 日午後 2時 46 分のことです。そして発生から 2 ヶ月が経過し た今、被災地から届く連日の痛ましく、暗く悲しい ニュースを耳にするたび、政府をはじめとする関係者 の対応の遅さに苛立ちを覚えるのは私だけでしょう か。幸いにも、と言うよりも、奇跡的にも、英文学科 に籍を置く学生には、本人はもとより、そのご家族に も犠牲者は出ませんでした(もちろん、その親戚縁者 のなかには犠牲になられた方が多数いらっしゃると聞 いています)。また、命こそとりとめたものの、住居 の全半壊等、物理的な被害にあわれた方も多数いらっ しゃるかと思います。そして、すでに卒業された会員 の皆様のなかにも相当な被害にあわれた方もいらっ しゃるのではないかと思います。被災されたすべての 皆様に衷心よりお見舞い申し上げます。と同時に、暗 く悲しいニュースばかりが届く一方で、復興への兆し を感じるような明るいニュースも、少しずつではあり ますが、耳にする今日この頃です。被災地域の皆様の 一日も早い復旧復興を心よりお祈り申し上げます。 さて、話を英文学会のほうに移します。ほんの数年 前からの企画ですが、皆さんもお気づきのとおり、 「英文学会通信」には、「特集記事」が組まれておりま す。英文学科に所縁のあるご年配の先生方にお願いし て、その先生との昔を懐かしみ、あるいは、後進の、 とりわけ、若い人たちにとってためになるような話、 たとえば、「私と英語」とか、「英語修得法」、「知(恩 師)との出会い」と題した話(エッセイ)をお寄せいた だくという企画記事です。今回、玉稿をお寄せいただ いたのは、そのお名前をご存知の方も多数いらっしゃ るかと思いますが、羽柴正市(はしば まさいち)先 生です。研究社「新和英大辞典」(第 4 版)の監修をさ れた大先生です。御歳 98 歳になられます(私は、そ の日、研究日で自宅にいてお目にかかれなかったので すが、羽柴先生は、わざわざ原稿を大学まで届けてく ださいました。しかし来校の際、英文学研究室のある 7号館 3 階へはエレベータを利用されることのない健 脚ぶりであったとのことです。何と言っても、ほぼ一 世紀を生き抜いてこられた先生です。それはもう、驚 きです)。ご高齢ゆえ、原稿のご依頼を申し上げるの を躊躇いたしましたが、しかし、「やはり、ここは何 としても羽柴先生にご登場いただけなければ…」との 強い思いから、ご無理を申し上げご一筆いただきまし た。本当にありがたいことです。そして、私は、羽柴 先生の教え子の一人です。せっかくの機会ですから、 当時の羽柴先生の大学者たるその一端を、二、三披露 させていただきましょう。 あれは、私が大学 2 年のとき。確か、「英語学演習 Ⅰ」の授業です。指名された学生がまったく頓珍漢な 答えを口にしたときでした。羽柴先生は、「手の施し ようがない。君は一体全体、中学で何をしていたのか ね?」と、ひとこと。高等学校では何一つ学んだもの はないということを前提にした叱咤激励でした。その 手厳しいひと言に凍るような一瞬の沈黙。しかしその あとすぐに、なぜだかクラスは笑いの渦となりまし た。余りの歯に衣着せないその言葉に、気分がスッキ リ、一種快感を覚えたのでしょう。叱咤された学生本 人も大笑い。その笑いにつられるように、羽柴先生の 瞳の奥も笑っていたように記憶しています。 また別のとき。ESS のスピーチコンテストで judge (審査員)を羽柴先生にお願いしたことがありました。 すべてのスピーチが終わり、いよいよ羽柴先生からの コメントがいただける時間となりました。スピーチの 内容構成、話しをするコツ、人のひきつけ方などな ど、その内容は多岐にわたりました。そして、羽柴先 生の英語を聴いているときに痛感したことが一つあり ます。それは、羽柴先生の英語、その表現が、実にわ かり易い、簡潔明瞭な、しかも英語らしい言い回しで あったことです。まるで中学校のリーダーの教科書に 出てくるような表現のオンパレード(on parade)でし た。中学のリーダーなどと言うと、皆さんは、おや? と思われるかもしれませんが、試しに中学 3 年生の教 科書を見てみてください。中学 3 年生の教科書に出て くる表現をすべて使いこなせれば、相当高い(難し い)レベルの内容を話すこと(もちろん、書くことも です)ができます。しかも先生の口をついて出るその 表現が、真似ができるようで真似のできないような渋 い表現なのです。皆さんもよくネイティブの方と話し をしていると感じるかと思いますが、「あぁ、それは そういうふうに言えばいいのか。さすがネイティ ブ!」なんて感心させられる英語らしい言い回しがあ りますよね、そういった表現が次から次へと羽柴先生 の口からは湯水の如く湧いて出てくるのです。肩肘を 張らない英語が人をこんなにも惹きつける、羽柴先生 の審査コメントそのものが、まさにお手本となるス ピーチでした。「いつの日かこんなふうになってみた いな。」と、聴衆席から尊敬と羨望の眼差しで羽柴先 生を見上げる自分がいたことを鮮明に覚えています。 最後に一つ。「研究社大和英」の監修をされるので すから、言ってみれば羽柴先生は英作文の大家。当然 のことながら、先生は「英作文」の授業をお持ちでし

《ご挨拶》

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た。前年度にすでに英作文の単位を(他の先生から) 修得した私は、「名だたる羽柴先生の英作文の授業と は、いったいどのようなものなのだろう?」と、単位 にはならない羽柴先生の英作文の授業を聴講したこと があります。それも訳あって(その訳は、ここでは省 略しますが)、たった一回きりの聴講です。まず、テ キストからして違っていました。口語体あり、文語体 ありの、それはもう、教える側としてはとても辛い、 つまり、教師の実力がすぐさま見抜かれてしまうよう なテキストでした。(これは、あまり表立って言って はいけないことなのかもしれませんが)教科書には、 とくに、中・高の教科書には教師用指導書(Teacher’s Manual)、つまり、 教師のための虎の巻 がありま す。大学用テキストにもこの TM がついていることが 時としてあります。まだ慣れていない先生、ありてい に言えば、実力のない教師は、事前にこの指導書に目 を通し、と言うよりも、模範解答を暗記し、授業に臨 む、そんな先生も少なからずいるというのが私の感触 ですが、羽柴先生に限っては絶対にそれはないという ことをたった一回の聴講で確信させられました。授業 開始早々の最初の英作文問題でした。指名された学生 の板書した英語を添削するわけですが、羽柴先生は、 自身が添削した英語がテキストにある日本語を英訳し たものと較べどうもしっくりとこないご様子でした。 頭に浮かぶ表現を口にされては、また別の表現を口に されます。数分間を要するのですが、しかし、いろい ろな表現を口にするも、羽柴先生にとってはどれも しっくりとこないのです。そうなると、例によって、 まわりの学生たちは、次第次第におしゃべりを始めま す。しかし、学生のおしゃべりなど羽柴先生は一向に 気にしません。何度も何度も自分の気に入った(納得 のいく)表現を探し、口にするのです。随分長い時間 に感じられました。とうとう先生も(いったんは)諦 め、とりあえずの添削を終え、次の問題へと進みまし た。 三、 四 題 目 の 添 削 が 終 わ っ た 頃 で し ょ う か、 「おぉ、これだ!」と、突然声を発し、羽柴先生は最 初の問題の自らの添削文にチョークを走らせたので す。再度添削したその英語が、実にしっくりとくるの です。私たち学生にもそれがよくわかりました。その 日本語表現を英語にすれば、その英訳以外にはない、 といった表現でした。羽柴先生のそのときの晴れ晴れ とした顔は忘れられません。二題目、三題目の添削を している最中にも、ずーっとそのことが気になり、納 得のいく表現を頭の中でお探しになっていたのだと推 断いたします。それがどんな表現だったのかは、残念 ながら、そして情けないことにはっきりとは覚えてい ません。しかし、あのときの羽柴先生の こだわり の姿勢は、今でもはっきりと覚えています。「ぶっつ け本番、即興で英作文の添削をされているのだな。こ の先生は本物だ。」と心に強く感じた、そんな一回き りの聴講でした。それは、大袈裟に聞こえるかもしれ ませんが、私にとっての、学問やある域に到達するこ とへの「畏れ」を感じた最初だったように思います。 ここに記した出来事は、今から三十余年も前の話で す。しかし、今もって新鮮な記憶として蘇える思い出 であり、こうして書き記すことによって昔を懐かしく 思い出すことができました。玉稿をお寄せいただいた 羽柴正市先生には、この場をお借りしまして心より お礼申し上げます。 同窓会員の皆さん、年次大会の懇親会費を無料に します。(親睦活動促進の一環として) かねてより、本学会の活動目的のひとつである親睦 活動の促進、とりわけて、卒業後の会員の皆さんを対 象とした親睦活動(同窓会的な場の提供)をはかるべ く方策を模索しておりました。「同窓会通信」におい ても、また昨年度の総会の折にもその一案をお話しさ せていただきました。具体的には、年次大会の総会終 了後に開催される懇親会の参加費を無料にしてはどう かと考えておりましたが、先の常任委員会でも承認が えられましたので、ここにご案内いたします。今年度 より、年次大会当日の懇親会には、同窓会員に限り、 無料でご参加いただくこととなりました。なお、研究 会員、ならびに学生会員につきましては、従前どお り、有料とさせていただきます。また、学会年会費未 納によって同窓会員としての資格を失効している方、 あるいは、卒業年度が相当に古く、当時はまだ同窓会 員としての資格名称がなかった方などが懇親会におい でになった場合は、懇親会当日に、いったん同窓会員 になっていただき、無料にて懇親会に参加いただくこ とになります(同窓会員になるためには、一年分の同 窓会員年会費である 1,000 円をお支払いいただかなけ ればなりません。したがいまして、そういった方々 は、実質的には 1,000 円での懇親会へのご参加という ことになりますので、ご了解の程、お願いいたしま す)。一人でも多くの同窓会員の皆さんが年次大会の 懇親会へと足を運んでくださることを願っており ます。 (平成 23 年 5 月 27 日)

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英文学科主任挨拶

日本大学文理学部英文学科主任 高橋 利明 はじめに、この 3 月 11 日の未曾有の東日本大震災 により亡くなられた多くの御霊にお悔やみを申し上げ ます。また、被災され塗炭の苦しみの中にある夥しい 数の方々に衷心よりお見舞いを申し上げると同時に、 復興に向けた前進の一歩一歩をこころより念じており ます。 私は、吉良文孝前主任の後を受け、この 4 月より英 文学科主任となりました高橋利明です。身に余る職責 ではありますが、会員の皆様のご協力を頂き、この重 責を果たすことができればと存じます。何卒よろしく お願い申し上げます。 さて、本年度は新たに学部新入学生 167 名、大学院 新入生 5 名を迎え、新年度のスタートを切ることがで きました。お蔭様で入学試験の受験者数も大きく減る こともなく、 160 名も超える新一年生が入学したとい う事実は、我が英文学科が高く評価されていることの 証であると教員及びスタッフ一同心よりありがたく、 かつ嬉しく思っております。と同時に、新入学生なら びに在校学生の期待に応えるべく、その重責を痛感し ております。一方、大学院の入学者は、前期課程  5 名、後期課程  0 名と、例年の入学者数に比べると少 ないものではありますが、前期課程のいずれの入学者 もその目的意識は非常に高く、今後が大いに期待され ます。 本年度、英文学科は新任教員として、米国出身の キャラカー(Richard R. Caraker)先生をお迎えいたし ました。先生の前任校は、山梨県にある健康科学大学 で、ご専門は英語教育です。英文学科の新戦力として 新風を吹き込んでいただけるものと一同大いに楽しみ にしております。また、一方残念なことに、これまで 長らく当学科にて教鞭をとられていた研究所教授の アーサー・ロバート・リー先生が定年退職されまし た。この場を借りて、長年のご尽力に心より感謝を申 し述べさせていただきます。その他の人事異動はあり ませんが、研究室スタッフの助手(以前の副手)も ベテランになりつつあります。千葉麻衣子さんは今年 5年目、佐藤瑛奈さんは 4 年目、青木明香さんと森尾 文恵さんは 3 年目となります。この激動の 3 月、 4 月 も<チーム英文>で乗り切ってくれました。彼女たち のお蔭で学科及び英文学会の日々の運営が順調にいっ ていることを、教員一同、本当にありがたく思ってお ります。 本年度の新入学生は、新カリキュラムの 2 年目に当 たります。昨年度スタートの新カリキュラムは、学科 内でいろいろと議論しあい、各教員の知恵を出し合い 完成させたものです。コミュニケーション・英語学・ 英米文学の三位一体を目指した中身の濃い充実した科 目構成になっております。平成 12 年度スタートの前 カリキュラムから 10 年経過して、昨年度から新カリ キュラムが始まりましたが、歳月人を待たず、の感を 強くします。時代がどんなに流れても本質的に何が大 事なのかを見極める眼を持ち続けたいと思います。ま た、学科のカリキュラム以外に特筆大書したいのが、 外国語教育科目と総合教育科目の中の「日本研究と国 際研究」講座(英語による授業)です。前者は、資格 検定英語・TOEIC・TOEFL など充実のラインナップ を誇り、後者は、主に海外留学を希望する学生とハワ イ大学など海外の協定校からの留学生を対象に開講さ れています。昨年この講座がスタートしたためかわか りませんが、本年度 4 名の英文学科生が日本大学本部 主催の海外派遣留学生制度により留学することになっ ております。20 代 の早いうちに米国や英国、または ヨーロッパの国々に留学し、見聞を広めるということ がどれだけ大事なことか、たくさんの学生たちに知っ てもらいたいところです。どうかこれを読まれた学生 は、入学当初から留学の準備(TOEFL 受験など)を進 めてください。 さて、 4 月冒頭の新 2・3・4 年生のガイダンスにお いて私は次のようなことをお話しました(新入学生へ の言葉は、「英文学科案内  2011」に記載)。まず、最 近読んだ本(吉本隆明著『13 歳は二度あるか』[大和書 房]〔2005〕)のことからです。この本は、中学生を対 象とし、彼らがこれから生きてゆくための心の構えを 筆者の実体験を踏まえて正直に語ってくれています。 13歳という年齢は、学童期から前思春期にかかる時 期であり、ほとんど性格が出来上がる大変重要な時期 でもあります。そして、この本が言いたいことは、 「13 歳は二度ない」ということです。タイトルの由来 は、江戸時代の話、ある家臣がある若者に、「若いの だから、機会はこれからもまだいくらでもあるからい いではないか、やり過ごしたらどうか」と言った時、 「13 歳は二度あるか」と反発するその若者の言葉にあ ります。性格や人格がほぼ出来上がる 13 歳という年 齢が、殊更に強調されて語られることには充分肯くこ とができます。しかし、 14 歳も 15 歳も、さらに 18・ 19・20・21・22 歳も一度きりしかないし、この一生 も一回きりしかないのです。この生きている一日一 日、一刻一刻が、生の一回性に収斂していくのです。 「一寸先は闇」という言葉があるように、生と死は背 中合わせであり、今回の東日本大震災はその真実を 我々に再認識させてくれました。大自然の二面性―慈 愛に満ちた自然と荒ぶる自然―を前にして無力な我々 人間ができることは、一日一日を大切にし、日に日に 新たな気持ちで生きてゆくことだと思います。 また、ガイダンスでは新渡戸稲造著『武士道』(The

Bushido: the Soul of Japan[講談社インターナショナル] 〔1899〕)の話もいたしました。冒頭の一文( Chivalry

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emblem, the cherry blossoms) を提示し、その意味す るところを説明しました。武士道という言葉を騎士道 に置き換えた新渡戸の洞察以上に感服するのは、それ を花、桜花と譬えたことです。我々日本人の DNA の 中に刻み込まれた桜花への愛着は、どこか武士道につ ながっており、日本人の倫理観を喚起させてくれるの ではないでしょうか。西行(1118-90) の「願はくは花 の下にて春死なんその二月の望月のころ」という歌に 親和性をもつ日本人の精神は、自然の本質に寄り添っ て生きるという、今日地球レベルで見ても本来的に極 めて重要な価値をもっていると思われます。 最後に、やはりつい最近読んだ本(佐々木常夫著 『働く君に贈る 25 の言葉』[WAVE 出版]〔2010〕)の話 をします。著者は、東レ経営研究所前社長・現特別顧 問です。まず私は、<働>という字が日本で作られた 「国字」であり、「人のために動く」という意味が込め られているということを知りました。私利私欲を離 れ、人のために動くことができれば、人に愛されるよ うになるのだと著者は言います。そして、彼のサラ リーマン人生を襲った数多の過酷な試練を経て今、彼 は、我々に「運命を引き受け、人を愛しなさい。それ が、自分を大切にすることです。」という真実の言葉 を伝えてくれているのです。人生において挫折して も、失敗しても、裏切られても、《それでもなお》、運 命に立ち向かい他者を愛する気持ちを持ち続けたいも のだと思います。佐々木氏のこの本は、「自己啓発」 本のジャンルに入り、どこか軽く見られそうな感があ りますが、書き手のあたたかい人間性に裏打ちされた 真実の言葉は、現在、社会で活躍されている我が日本 大学英文学会の研究・同窓会員の皆様、そして、現役 の英文学科生のこころに届くはずだと思います。さら にまた、今私は、本書でも紹介された本(ケント・ M・キース著『それでもなお、人を愛しなさい―人生 の意味を見つけるための逆説の 10 か条』[早川書房] 〔2010〕)を読んでおります。その話はいずれまたとさ せていただきます。 最後になりますが、今日英文学科がその名誉ある学 統を受け継いで来れたのは、ひとえに日本大学英文学 会会員の皆様のご理解とご協力の賜物であるとこころ より感謝申し上げます。さらに英文学科を隆盛にし、 活性化させていくため、現教員、スタッフ一同は全力 を尽くす所存です。そして、会員諸氏のなお一層のご 協力を切にお願いし、今後のますますのご活躍をここ ろより念じ上げます。

Hello I Must be Going

元日本大学文理学部教授  A. Robert Lee If you have ever seen a Marx Brothers film then you will know that Groucho sings Hello I must be going in

Animal Crackers, made in 1930. It’s a lovely piece of

mayhem, full of wit and double plays of meaning. I hope colleagues and students alike will appreciate why I use it to make my own farewell to Nichidai and the English Department. After 14 years – I arrived at Sakura Josui in 1997 – the surrealism that is called retirement beckons. I have had a terrific time in Japan and, obviously, it is a sad curtain that the March 11 2011 earthquake-and- tsunami tragedy and then the Fukushima disaster should happen just as I am about to return to Europe. None of that, even so, dims my great affection for Japanese life, the privilege of spending time in the Chrysanthemum Kingdom.

So this, first, as a major thank-you, a big arigato, to my colleagues, and students present and past, undergraduate and postgraduate, for giving me the opportunity to spend over a decade in your company. Teaching, studying, writing about, literature is a unique pleasure, a wonderful provocation to the mind and imagination. That is what it has been all my life, of late at Nichidai, during various Visiting Professorships in the USA and elsewhere, and throughout the more than 25 years I taught at the University of Kent (with which the department has an annual arrangement as to summer schools).

I owe many debts. And it would be invidious to single out any one in particular. But I cannot not mention the generous work that Hara-sensei and Noro-sensei, with help from Maejima-san, have done in translating one of my books into Japanese – Multicultural American

Literature: Comparative Black, Native, Latino/a and Asian American Fictions which, to my great pleasure, won the

American Book Award for 2004. Let me add that two recent literary-creative books are meant to pay specific tribute to life and times in Tokyo: Japan Textures: Sight

and Word (2007), with Mark Gresham, and Tokyo

Commute: Japanese Customs and Way of Life Viewed from the Odakyu Line (2011). Each is meant to explore

something of what it is to see, hear, live Japan when you come from outside the country. Teaching at Nichidai has given me the perfect platform.

Thomas Wolfe, the celebrated American writer, is best known for his novel You Can’t Go Home Again. The title

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nicely balances Hello I must be going. I write from full-time residence in Spain as against the England in which I was raised. So instead of saying Good wishes or Gambatte, Spaniards say Mucha suerte. Whichever the language I offer it warmly, and with affection, to all in the English Department.

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推薦発表と受賞

日本大学理工学部准教授 佐藤 勝 平成 21 年度には「日本中世英語英文学会奨励賞」受 賞という嬉しい出来事があったが、平成 22 年度には、 日本英文学会北海道支部からの「推薦発表」依頼、そ して「日本大学理工学部学会・協会賞」受賞という 2 つの嬉しい出来事があった。本エッセイでは、後進の 方のためになればとの思いより 2 つについて記す。 まずは日本英文学会北海道支部からの「推薦発表」 依頼について記す。平成 21 年度の受賞を機に研究活 動規模を広げる必要性が生じ、平成 22 年度に(支部 会を含む)幾つかの学会に入会した。その 1 つが日本 英文学会北海道支部である(すでに本部会員)。北海 道好きの私には入会せずにはおれない会であった。昨 年の GW 中に支部事務局長から「推薦発表」依頼がき た。非公式依頼はこれまでに何度か経験したが、公式 依頼は初めてであり嬉しかった。突然の依頼のため即 断はせず、数日受辞について考えた。ここで「推薦発 表」について説明する。事務局長からの説明の要約を 記す。「支部大会の質を高めるということから、「研究 発表」の枠内で一般応募の他に運営委員が研究業績の 特に優れている会員の方を推薦し、委員会の承認を得 て、発表を依頼することができる」との発表である。 この申し合わせは今から 3 年前にできたようだ。平成 22年度大会(=第 55 回大会)の開催時期および場所 は、 10 月 2 日・3 日の 2 日間、北海道大学とあった。 私は、納得のいく発表3 3 3 3 3 3 3ができるかを充分考え、依頼か ら数日後に「受諾」の返信をした。数ヶ月後「動詞補 文の通時的研究に際して」の主題で無事発表を終える ことができた。全国大会とは異なるほぼ完全アウェイ での初めての発表、英語史・歴史英語学専攻者のほぼ 不在の中での発表、支部大会ではあるが 2 日間という 大会規模等、不慣れな雰囲気を感じたが、無事発表を 終えることができたのは、北海道の方の温かい心遣い3 3 3 3 3 3 によるものであった。この度の経験から、次の点を後 進の方に伝えたい。① 40 歳後半までに(常に快く依 頼受諾ができるような)研究蓄積3 3 3 3を持つ、② 40 歳前 半までに単著3 3を書き上げる、の 2 点である。①を可能 とするには②は必然であう。文学系学問は遅咲きであ り、②の後が真に学問を楽しめるものと思う。後進の 方は、まずは②を目標にご努力いただきたい。 次に「日本大学理工学部学会・協会賞」受賞につい て記す。この受賞は前年度の「日本中世英語英文学会 奨励賞」受賞の延長上のものであり、 1 年の間で特に 優れた業績を挙げたことを讃えるものではない。しか しながら、この賞は賞金を伴う賞でもあり、一評価と はなろう。この度の経験から、次の点を後進の方に伝 えたい。①理工学系では受賞の機会が多い3 3 3 3 3 3 3 3、②現在の 日本の学術分野では皆が科学系の尺度3 3 3 3 3 3で評価されるこ とが一般的である、③不利益を被ることがあっても文3 学系の根本3 3 3 3 3を忘れてはならない、の 3 点である。現実 を受け止め、少しでも多くの後進の優れた方がより良 い研究環境に身を置けるよう願っている。 以上、参考になれば幸いである。 「 付記 」 東日本大震災の被災地の方に対して私がで きることは、平常心3 3 3で自己の研究活動を継続して行く ことであると感ずる。 ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● GLOBAL ORIENTAL

Japanese Customs and Way of Life

Tokyo Commute

viewed from the Odakyu¯ Line

A. Robert Lee

Tokyo Commute

RENAISSANCE BOOKS A . Robert Lee RENAISSANCE BOOKS

Tokyo Commute: Japanese Customs and Way of Life Viewed from the Odakyu Line (Renaissance Books,

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教師になって学んだこと

∼児童との関わりの中で∼

茨城県牛久市立神谷小学校教諭 有川 夕貴 文理学部の正門前の桜並木が美しく彩られるこの季 節、学生として通い、 2008 年の 4 月から 2009 年の 3 月まで副手として勤務した文理学部のキャンパスが懐 かしく感じます。年月は早いもので、文理学部に別れ を告げてから早 2 年が経ちました。現在、私は自分が 生まれ育った茨城県で小学校の教諭として働いていま す。教師になるというのが小さい頃からの夢でした。 一度は大きな壁にぶち当たりもしましたが、諦めずに 再挑戦し、教員採用試験に合格することができまし た。そして念願の教壇に立ち、子ども達と毎日楽しく 過ごしています。 1年目は本当に大変な 1 年間でした。何もわからな い、何をやってもうまくいかない、失敗ばかり…。教 師という仕事は大変なものだ、と覚悟していったもの の、想像以上の大変さにくじけそうになり、毎日が自 分との闘いでした。教材研究や授業、学習指導を行う だけでなく、生徒指導や事務処理、会計処理等様々な 仕事があります。やらなければならない重要な仕事が たくさんあり、夜遅くに帰宅することも多々ありまし た。2 年目は学校生活にもなれ、 1 年間の流れがわか り、少しだけ心にも余裕が出てきました。しかし、初 任者研修が終了し、責任ある校務の数が増えていきま した。 大変なことが多いのは事実ですが、大変なこと以上 にうれしいことや楽しいことがたくさんあります。そ れこそが教師の醍醐味であり、喜びなのだと思いま す。ただし、思い悩みながらも、担任として児童と共 に笑顔で歩み続けなければそれは味わえません。私は 教師生活を始めて自分の中で変えていないことがあり ます。それは、目の前にいる子ども達に何ができるの かを考え、子ども達に正面からぶつかっていくこと、 そして子ども達の話をよく聴いてあげることです。こ のことを私は一生懸命やってきたつもりです。ダメな ものはダメ、悪いことは悪いと伝え続けました。子ど もに好かれたい一心で、そこを甘やかしてしまう場面 もありました。でもそれは違うと思います。それは子 どものためではない。教師自身のためにやっているこ とだと私は思います。だから子どもに嫌われても、き ちんと教えてあげなければならない、そう思って、叱 る時は叱りました。でも叱るだけではなく、良いこと をしたら褒めるし、認めてあげることも欠かしません でした。そして、児童と一緒に外で元気に遊び、一緒 に笑い、一緒に悩んだりしました。授業はベテランの 先生に比べれば、まだまだです。でも自分にできるこ とを一生懸命にやり、常に向上心をもって取り組むな ど、児童と向き合う時間をできるだけ多くとりまし た。子どもがどんどん成長している姿を見た時、担任 として言い続けてきたことが実行できるようになって いると、少しは児童のためになったのかな、と嬉しく なります。児童の成長を見るのが本当に私の幸せ です。 今年は 6 年生を担任します。この子たちは、私が初 任で 4 年生を受け持ってから 3 年間もちあがりまし た。私にとってはこのうえない幸せですが、 6 年間あ るうちの 3 年間を私に担任されるというのは児童にど のような影響があるか不安でした。いろんな先生に出 会って、いろんな視点で勉強していくことが大事だと 思っていたのです。しかし、「先生でよかった」と 言ってくれたり、他のクラスの子にも「先生が 6 年生 でよかったな。」と言われたりすると、必要としてく れている子もいるんだと安心しました。やはり、いろ いろ考えることもあるけれど、根本は変わらないので す。目の前にいる子に何ができるか。原点は児童への 思いなのです。それがしっかりできれば、どんなに 叱っても児童には伝わるのです。また、今の時代、保 護者問題も取りざたされていますが、世の中そんな保 護者ばかりではありません。教育熱心な保護者、自分 の子どもがかわいい保護者、多様な価値観をもたれた 保護者がいます。学校に電話があったり、いろんな話 をしてきたりしますが、私は、それを相談だととらえ ています。きちんと向き合って、一緒に解決しようと すれば保護者も分かってくれます。きちんと伝えれば 分かってくれます。教師の気持ちを伝えれば分かって くれるのです。そして保護者も教師も同じ、子どもを 中心に考えていることにかわりはないのです。 何事にも全力で取り組むことが大切なのだと思いま す。もし、これを読んでいる学生のみなさんがいた ら、伝えたいことは相手のために全力で取り組むこと の大切さです。私は今回教師という立場でしたが、職 業はたくさんあります。いろんな立場がありますが、 どの職業もかわらないと思います。企業で働いている 人は取引先の希望をどのようにかなえてあげられる か、お店で働いている人はお客さんのためにどんなこ とができるか、一生懸命考えて行動してみれば、それ をわかってくれる人は必ずいます。それを行うことは 勇気もいるし、失敗や嫌なこと、苦労もたくさんある でしょう。でもいつか、自分にかえってきます。大変 なことから目をそむけずに、自分にできることを精一 杯やってほしいです。 そして最後に、英文学科の先生方、助手のみなさ ん、副手のみなさんにはたいへんお世話になりまし た。授業のなかで、また副手として働いていた時間で みなさんから教えて頂いたことは私の宝です。今の教 員生活にも活かしています。昨年度、今年度は外国語 活動主任として、ALTの先生と楽しい外国語活動で 児童が英語を好きになってくれるように頑張っていま

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す。これからもみなさんから教えて頂いたことを活か しながら向上心を持って、児童と共に、自分自身も成 長していきたいと思います。 ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●

英語と私

河合塾校長 羽柴 正市 私は、現在 98 才で、昔ならとっくにこの世を去っ ていてもおかしくない年齢になりました。戦前に信州 の片田舎で生まれた私にとって、英語との出会いは決 して劇的なものではありません。当時はラジオの英語 番組もなく、学校の授業だけが英語との接点でした。 私が生涯英語と付き合うようになったのは、ただ英語 が大好きだったからです。当時英語と接する機会が少 ないなかで、私は、英語の授業に出てきた文章は、翌 日までには丸暗記するほど好きだったのです。 松本の高校に進学してからは、外国人宣教師の自宅 で英会話を教わる機会があり、初めて生の英語と接す ることができました。東京に出て大学を卒業した後 は、カリフォルニアへの留学という幸運に恵まれまし た。当時の海外渡航は、文字通り船で太平洋を渡る長 旅で大変でしたが、アメリカで受けた英語の授業は楽 しい時間でした。学生は教科書を予習して授業に臨 み、教官の質問に答えて学生一人一人が発言するたび に細かい批評が返ってきました。私が日本の和歌を英 訳して紹介したときには、反応がよかったのを覚えて います。また、学生寮で一緒になった友人達とのさま ざまな交流も、実際に英語を使う良い機会になりま した。 帰国して英語を教え始めた頃は、ちょうど戦時中 で、日本では英語は敵性語とみなされていたので、教 えるのも肩身が狭い時期がありました。しかし、戦争 が終わってアメリカの占領統治が始まると、英語を実 際に使える人材が求められる時代が急に訪れました。 昭和 21 年、松本で教えていた私のところにも、当時 の文部省から依頼があり、アメリカから派遣された教 育使節団の通訳に駆り出されました。このときは、 やっと実際に英語が使えるし、久しぶりに東京に出る こともできて、解放感を覚えたものです。 昭和 24 年には、東京大学に移り、その年新設され たばかりの教養学部で教え始めました。戦争直後の日 本の英語教育は、目標が明白でないところがありまし た。その理由は何よりも、実践的に英語を教えられる 日本人教員が圧倒的に足りなかったことにあります。 東大の英語の教官は当時二十数名いましたが、そのう ちで留学経験があったのは、私一人だと言われたこと があります。 戦後も「読む英語」が強調されるなか、私は自分の 経験を踏まえて、英語が上達するには、実際にどんど ん使うことが大事であると考えていました。そこで、 教室では、学生が英語を話せるようになることを第一 の目的として、もっぱら英語で問答式の授業を行いま した。当時世間では、「英語のうまい奴は頭がからっ ぽだし、頭のある奴は英語が話せない」という言い回 しがありました。こんな風潮に反抗した私は、「頭が あって、しかも英語を話せる人物」を養成したかった のです。 東大を退官してから、日大に移るように誘ってくれ たのは、安田哲夫先生だったと思います。文理学部で は、 D. M. O’Rourke先生にも親しくしてもらいまし た。日大で勤め始めて数年後に、私はウィラ・キャ ザー協会の年次大会に出席するために、久しぶりにア メリカを訪れましたが、そのときも大学から温かく送 り出してもらいました。キャザーは、ネブラスカ州で 開拓農民の苦闘を間近に見て、その体験を基に小説を 書きました。子供時代を戦前の貧しい農家で過ごした 私にとって、彼女の小説には個人的にも惹かれるもの があったのです。当時私は 60 歳を過ぎていましたが、 アメリカの農業の現状を知りたいと思い、地元の農家 に数晩泊めてもらいました。そこでは、キャザーの小 説から想像できた農民の生活とはまた異なった、現代 の大規模農業のすがたを目の当たりにすることができ ました。 アメリカの旅から帰ってから、私は心を新たに、熱 心に教壇に立ちました。私が少しは学生達に好かれて いたのかどうか、卒業生達は、よく私を結婚式に招待 してくれました。日大を離れてから三十年近くになる 今でも、年賀状をくれる卒業生達が何人もいるのは、 うれしいことです。日大で教えた十五年間は、二十数 年教えた東大におとらず、楽しい思い出でいっぱい です。 最後に少し小言を言わせてもらいます。一つ目は、 学生諸君が、授業の予習をするときに、辞書の最初に ある訳語を見つけて、すぐに辞書を閉じてしまうこと についてです。同じ英単語でも訳語はたくさんあるの で、元の文章の中に入れてみたときに、はたして意味 が通じるかどうかを考えるように、と私は学生達にい つも注意してきました。日本人の英語が上達しない一 つの原因は、翻訳の問題にあると思います。日本人は 外国の情報を取り込むときに、いち早く日本語に直し てしまい、それでもう十分だと思い込むのです。翻訳 は、たとえて言えば、蜜柑の皮のようなものに過ぎま せん。一皮剥いた後の中身に触れて、はじめて本当の 味わいがわかるはずです。 もう一つは、英語は目で読むだけでなく、音読し、

《特集》

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さらには、実際に使ってみる必要があるということで す。人によっても差があるとは思いますが、私は耳か ら入った言葉というのは忘れにくいと思います。機会 に恵まれたら外国の大学に留学するのも、一つの手で しょう。私達が、ただ英語の単語をいくつ覚えたとし ても、それだけでは英文を書くことはおろか、英語で 話をすることも満足にできません。最初は片言でも、 生の英語を心がけていれば、いずれ英語のリズムや ニュアンスにも慣れて、本物の実力を身につけること ができるでしょう。今は、英語に接する機会には事欠 かない時代になりました。ぜひ意欲と好奇心を持っ て、そして何よりも英語を好きになってもらいたいと 思います。

内田尚先生を偲んで

―文理学部にいらした頃―

桜美林大学教授 山岡 洋 内田先生と初めてお会いしたのは、おそらく昭和 62年 4 月に私が博士後期課程に入学し、指導教官を お願いした時のことであったと思います。博士前期課 程の指導教官は江川泰一郎先生でしたが、江川先生が 2年後に定年を迎えられるということで、法学部から 文理学部に移ってこられた内田先生に指導教官をお願 いすることになったのです。 内田先生は、読書をこよなく愛する真の学者でい らっしゃいました。文理学部に移ってこられたその 年、私にご自分の手帳を見せてくださり、仰りまし た。「見てよ、この会議の数。参っちゃうよね。」内田 先生は学者として生きていくことを望んでおられまし た。こんなに会議があっては本が読めないというので す。お言葉通り、内田先生は私が満期退学をした数年 後に、早々と専任の職を辞されました。これぞまさに 「学問を愛する学者」 としての生き方でした。 内田先生は、「共に学ぶ」という姿勢を前面に出し て、未熟であった私を一生懸命指導してくださりまし た。研究指導で読むテキストのみならず、普通の授業 で読むテキストの選定までも我々に一任してください ました。当時はまだ日大の大学院ではあまり読まれる ことがなかった生成文法のテキストを我々が希望して も、快く認めてくださり、我々とともにまったく専門 外の学問分野に取り組んでくださりました。 夏休みには、当時同じく院生であった吉良さんと小 寺さん(今は黒滝さん)とともに練馬のご自宅にお招 きくださり、そこで読書会を催してくださりました。 内田先生のお宅はまさに「本だらけ」でした。それ以 外で内田先生のお宅にあるもので記憶に残っているの は、内田先生が愛した猫の餌だけです。(内田先生は、 この猫たちのために一切外泊はされませんでした。) 十数畳はあろうかという大きな書斎の四方の壁は床か ら天井まで作り付けの本棚になっていて、そこにはあ ふれんばかりに書籍が押し込まれていました。机の上 も机の周りも本が山のように平積みになっています。 「この本は山岡さんに、この本は小寺さんに。2 冊ず つあるからあげるよ」当たり前かもしれませんが、ど の本がどこに置いてあるか、すべて分かっていらっ しゃいます。2 階に上がる階段の両脇にも本が山積 み。極めつけは、お風呂場の脱衣場にまで本が置いて あります。『クエスチョン・ボックス』シリーズ。密 かに、「そうか、この本はカビが生えてもいいくらい

《追悼文》

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の価値しかないんだな」と当時は思いました。 内田先生は、お酒はまったく召し上がりませんが、 当時から健康的にはあまりすぐれていらっしゃいませ んでした。数年前から体調を崩されていることは耳に していましたが、お見舞いにも行かずじまいになって しまったことが本当に悔やまれます。今年一月に、内 田先生のお兄様より、内田先生が亡くなられたという お知らせをいただきました。そこにはこう書かれてい ました。「日本大学にて英語学の道に励み、研究者、 教育者として日々研鑽を積んだ弟。(中略)手元に残 る多くの蔵書には学者として生きた証が力強く刻ま れ、堅実に歩んだ弟の面影が偲ばれます。」 内田先生のご冥福を心からお祈りするとともに、こ れからは心ゆくまで読書と学問に勤しんでいただきた いと切に願います。 ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●月例会報告 2010年 11 月以降の月例会・年次大会は以下のとお り行われました。 11月 研究発表(2010 年 11 月 20 日) [司 会] 飯田 啓治朗(文理学部准教授) [発表者] 1. 機能的構文論から見た there 構文 谷村 航(博士後期課程 2 年) 2. Hamlet試論―hamlet の苦しみについて― 堤 裕美子(佐野短期大学特任准教授) 12月 2010 年度学術研究発表会・総会 (2010 年 12 月 11 日) 【学術研究発表会(語学の部)】 [司 会]中村 光宏(経済学部教授) [発表者]

1. have / take / give a VERBの考察 ―コーパスデータを通して 久井田 直之(文理学部講師) 2. Be動詞と英語の等式型・コピュラ構文の諸 相 松山 幹秀(文理学部教授) 【学術研究発表会(文学の部)】 [司 会] 深沢 俊雄(聖徳大学教授) [発表者]

1. Pierre, or the Ambiguities (1852)をどう読むか ―exile, territoriality の視点から 原田 明子 (作新学院大学准教授) 2. <楽園>、失明、そして自由なる共和国/理 想の神の国―Middlemarch と Romola における ミルトン的主題 野呂 有子(文理学部教授) 1月 研究発表(2011 年 1 月 22 日) [司 会] 塚本 聡(文理学部教授) [発表者] 1. 英語の have 所有構文の意味論的考察 一條 祐哉(文理学部助教) 2. King Learという「欲望」の位置 板倉 亨(文理学部講師) 4月 研究発表(2011 年 4 月 16 日) [司 会] 山岡 洋(桜美林大学教授) [発表者] 1. Jane Austenの小説におけるシニア女性の役 割―前期作品を中心に― 宇野 邦子(博士後期課程 2 年)

《月例会・特別講演関連》

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2. 条件節における法助動詞の生起に関する一考 察―認識的法性を表す助動詞の主観性/客観 性の分析と共に― 小澤 賢司(博士後期課程 2 年) 5月 研究発表(2011 年 5 月 14 日) [司 会] 飯田 啓治朗(文理学部准教授) [発表者] 1. 中英語における非人称動詞の衰退に関する一 考察 齊藤 雄介(博士後期課程 3 年) 2. Paradise Lost論―「悪」の性質に関する一考察 ― 野村 宗央(文理学部講師) ●月例会予定 2011年 6 月以降の月例会・特別講演等の予定は以 下の通りです。詳細が決まり次第、メールおよび本学 会ホームページ等でご案内いたします。 6月 研究発表・特別講演(2011 年 6 月 11 日) 【研究発表】 [司 会] 野呂 有子(文理学部教授)

[発表者] Paradise Lost 試論―gates に関する一考 察― 上滝 圭介(文理学部講師) 【特別講演】 [司 会] 原 公章 (文理学部教授) [講演者] 廣野 由美子(京都大学大学院教授) [演 題] 異界の語り手―一人称小説の可能性― 9月 アメリカ文学シンポジウム(2011 年 9 月 24 日) [司 会] 原田 明子(作新学院大学准教授) [発題者] 1. 原田 明子(作新学院大学准教授) 2. 茂木 健幸(文理学部講師) 3. 長島 万里世(文理学部講師) 10月 英語学シンポジウム(2011 年 10 月 22 日) [司 会] 未定 [発題者] 1. 未定 2. 未定 3. 未定 11月 研究発表(2011 年 11 月 19 日) [司 会] 未定 [発表者] 1. 大前 義幸(博士後期課程 2 年) 2. 未定 12月 2011 年度学術研究発表会・総会 (2011 年 12 月 10 日) 【学術研究発表会(文学の部)】 [司 会] 未定 [発表者] 1. 閑田 朋子(文理学部准教授) 2. 未定 【学術研究発表会(語学の部)】 [司 会] 未定 [発表者] 1. 松崎 祐介    (日大豊山女子高等学校・中学校教諭) 2. R.R.キャラカー(文理学部准教授) 1月 研究発表(2012 年 1 月 21 日) [司 会] 未定 [発表者] 1. 杉本 久美子(東北女子大学専任講師) 2. 未定 ●研究発表者募集 当学会では、月例会・年次大会の発表者を募集して います。申し込み希望者は、以下について事務局まで お知らせ下さい。なお、検討の結果、ご希望に添えな い場合がございます。 1. 氏名 2. 住所 3. 電話番号 4. 所属 5. 発表希望年月 6. 発表題目 7. 要旨(日本語 400 字以内、英語 200 語以内) ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●着任挨拶

The apple doesn

’t fall far from the

tree – Proverb

文理学部准教授  Richard R. Caraker Although this proverb has recently implied the continuation of a negative family characteristic, I prefer to interpret it as carrying on the best that our parents can offer us. My father would have been pleasantly surprised to know that I had left the United States to settle in Japan, as he was born in South Africa, and settled in the US to practice real estate, but not before

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serving in the US Navy in World War 2, and marrying and putting down (temporary) roots in Japan. If I got my wanderlust from my father, then my mother instilled in me a knack for language. A writer and former English teacher, she demanded linguistic accuracy at all times; there was no room for mistakes. Both my parents were springboards to where I am now.

Even though the road to Nihon University English teacher took many unexpected detours early on, all my experiences contributed to this point, and my parents influence remained consistent. Instead of attempting to keep me under their wing when I nervously told them I wanted to spend a year abroad in Spain as a college undergraduate, they encouraged me to go without hesitation. Interim jobs in my twenties as a bartender, art dealer, and real estate salesman created experiences that I draw on today as a classroom teacher. When I decided to go to graduate school and specialize in applied linguistics, I knew that this decision would put me once again on an international path. My first experiences as a teacher at a language institute in California, exposed me to nationalities from all over the world, including Japanese. I was mainly teaching writing then, and I became intrigued by multicultural rhetorical modes I came across in my classrooms. It was especially challenging to get my Japanese students to express themselves in a comprehensive way, so my interest in Japan, already piqued by my father, evolved further. Of course, the fact that my girlfriend at the time was Japanese was influential as well.

I arrived in Japan almost 20 years ago, and immediately found myself employed by a medical university. Although there was no question that my medical students and hospital physicians were intelligent, and had several years of formal English study under their belts, I was surprised by their lack of communication skill. I knew that in order to advance through the medical hierarchy, proficiency in both spoken and written communication would be indispensible. Therefore, that became my focus for the next several years: instilling confidence and building oral fluency in my undergraduates, advancing the quality of medical English manuscripts written by hospital staff, and introducing modern oral presentation techniques to a medical culture deeply steeped in traditional practices. I found success in building motivation in my students through teaching content-based English, or English for Medical Purposes (EMP), and I carried on my content-based teaching philosophy to the field of rehabilitation science at Health Science University.

I owe a lot to both my father’s worldly knowledge and my mother’s respect for language.

I hope that my background in applied linguistics and experience teaching students from various disciplines will be valuable to the student body at Nihon University, and that I can positively affect language learning and teaching in Japan. ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●

2011

2012

年度運営委員 会 長 吉 良 文 孝 副会長 深 沢 俊 雄 安 藤 重 和 ○當 麻 一太郎 ○飯 田 啓治朗 ○中 村 光 宏 ○吉 良 文 孝 ○野 呂 有 子 黒 澤 隆 司 ○原   公 章 古 賀 康 博 ○深 沢 俊 雄 齊 藤   伸 福 島   昇 ○佐 藤 秀 一 ○保 坂 道 雄 ○佐 藤   勝 ○堀 切 大 史 渋 木 義 夫 真 野 一 雄 鈴 木   孝 間 山   伸 関 谷 武 史 水 口 俊 介 ○高 橋 利 明 宗 形 賢 二 武 中 誠二郎 山 岡   洋 塚 本   聡 山 上 登美子 (○印は常任委員) ・会  計 堀 切 大 史 ・会計監査 渋 木 義 夫 [任期は 2011 年 4 月より 2013 年 3 月まで] ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●

2010

年度行事 ◆文理学部英語弁論大会(文理学部主催) 11月 20 日(土)に 4 号館 2 階 422 教室において開催 されました。結果は以下のとおりです。 1位 大竹 萌(英文学科 4 年) 2位 山田 由里子(哲学科 3 年) 3位 田中 絵梨花(英文学科 3 年) ◆大学院特別講義 2010年 11 月以降の大学院特別講義は以下のとおり 行われました。 12月 1 日(水)4・5 時限 [講  師] 栗栖 美知子(大東文化大学教授) [講義題目] 「Charlotte Brontë とその時代を読む」

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12月 3 日(金)4・5 時限 [講  師] 西川 健誠(神戸市外国語大学准教 授)  [講義題目] 「ミルトンと後代の女性作家」 12月 15 日(水)4・5 時限、 16 日(木)3・4 時限 [講  師] 窪薗 晴夫(国立国語研究所教授) [講義題目] 「日英語対照音韻論」 ◆卒業式 3月 25 日( 水 ) 午 後 12 時 半 よ り 文 理 学 部 3 号 館 3206教室におきまして学位記の伝達式が行われまし た。本年度は学部卒業者 169 名、大学院博士前期課程 修了者 4 名、博士後期課程満期退学者 4 名でした(3 月 25 日付)。 また、優等賞は野口京美さん、吉田千絵美さん、学 部長賞は塩谷万咲さんでした。 ◆ 2010 年度大学院学位論文・卒業論文 2010年度に提出された大学院修士論文のタイトル および学部卒業論文の分野・作家の内訳は以下の通り です。 〈2010 年度大学院修士論文 タイトル一覧〉 【博士前期課程】

内藤 大地 The Word Order of Proper Noun and Title in Old English and Middle Eng-lish

中島 大気 On the Semantics and Syntax of Ellipses of Arguments in Double Object Constructions

儘田 貴正 Epistemic Can and Must with Nega-tion

楊   軼 Jane’s Independence and God’s Provi-dence 〈2010 年 度 学 部 卒 業 論 文  分 野・ 作 家 内 訳 一 覧 (カッコ内の数字は人数)〉 【英文学】 (71) Austen, Jane (7) Barrie, James (1) Bond, Michael (1) Brontë, Charlotte (2) Brontë, Emily (1) Carroll, Lewis (3) Dahl, Roald (3) Dickens, Charles (12) King, Stephen (1) Lewis, C. S. (3) Norton, Mary (1) Orwell, George (4) Pullman, Philip (1) Rowling, J. K. (15) Shakespeare, William (10) Shaw, George Bernard (1) Shelly, Percy Bysshe (1) Stevenson, Robert Louis (1) Swift, Jonathan (1)

Wells, H. G. (1) Wilde, Oscar (1)

【米文学】 (42)

Allsburg, Chris Van (1) Bierce, Ambrose (1) Caldwell, Erskine (1) Capote, Truman (1) Chuck, Palahniuk (1) Fitzgerald, Francis Scott (2) Frost, Robert (1) Hawthorne, Nathaniel (8) Hemingway, Ernest (2) James, Henry (2) Morrison, Toni (1) O’Neill, Eugene (1) Poe, Edgar Allan (6) Salinger, J. D. (5) Twain, Mark (9) 【英語学】 (21) 【音声学・コミュニケーション】 (1) 【英語教育】 (17) 【その他】 (17) ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●

2011

年度行事 ◆入学式・開講式 4月 2 日(土)午前 10 時より文理学部で開講式が行 われました。英文学科の入学者数は次の通りです。 学部入学者 167 名 大学院博士前期課程入学者 5 名 大学院博士後期課程入学者 なし ◆本年度在籍者数 学部  2 年生 155 名     3 年生 147 名     4 年生 177 名 大学院博士前期課程 13 名    博士後期課程 6 名 ◆大学院特別講義のお知らせ 英文学、米文学、英語学の各分野の著名な先生方に

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よる大学院特別講義が 2011 年度もとりおこなわれる 予定です。大変貴重な機会ですので、是非ご参加くだ さい。詳細は英文学科ホームページおよび掲示でお知 らせします。 ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●日本大学英文学会

2009

年度決算額

2009

年度決算額 前年度からの繰越金 ¥1,897,688   収入の部 会費 ¥1,497,000  研究会員 ¥872,000  同窓会員 ¥317,000  学生会員(新入生) ¥308,000 雑収入 ¥3,448 補助金 ¥100,000 収入合計 ¥

1

,

600

,

448

  支出の部 論叢出版費 ¥294,420 会員名簿出版費 ¥173,670 学会通信出版費 ¥252,525 同窓会通信出版費 ¥114,607 通信費 ¥408,250 大会費 ¥57,581 大会懇親会補填費 ¥27,000 講演謝礼費 ¥63,000  大会 ¥0  月例会 ¥10,000  講演会 ¥53,000 他学会年会費 ¥28,240  日本英文学会 ¥13,000  日本アメリカ文学会 ¥8,120  日本英語学会 ¥7,120  英語教育関連学会 ¥0 用品費 ¥131,379 会合費 ¥35,700 予備費 ¥30,546 支出合計 ¥1,616,918 日本大学英文学会 基金への繰入 ¥0 計 ¥

1

,

616

,

918

  次年度への繰越金 ¥

1

,

881

,

218

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『英文学論叢』 第 60 巻 原稿募集について

日本大学英文学会機関誌『英文学論叢』第 60 巻(2012 年 3 月発行予定)の原稿を募集いたします。 投稿希望の方は『英文学論叢』第 59 巻巻末の投稿規定に従って下記にお送り下さい。        締切日   2011 年 9 月 30 日(金)(必着)        宛 先  〒 156-8550  東京都世田谷区桜上水 3-25-40       日本大学文理学部英文学研究室内 日本大学英文学会        TEL 03-5317-9709   FAX 03-5317-9336        E-mail : esanu@chs.nihon-u.ac.jp

メールアドレスご登録のお願い

 このたび、事務局の労力軽減と事務費コストの削減を目的として、以下の通り学会運営業務の 一部電子化を導入することとなりました。  ① 月例会のメールでのご案内  ② ホームページでの住所等の会員情報の確認・変更 つきましては、まだメールアドレスのご登録がお済みでない方は、本学会ホームページの「オン ライン住所変更・業績調査」のページにて、メールアドレスの登録とご連絡先等の登録情報の変 更をお願いいたします。なお、従前どおり郵送でのご案内を希望される場合は、誠にお手数です が事務局あてにお知らせ下さい。今後も紙媒体によるご案内をさせて頂きます。

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参照

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