Title
見るホームコンピュータのホビーユースの概況
Author(s)
鈴木, 真奈
Citation
科学哲学科学史研究 (2015), 9: 115-127
Issue Date
2015-03-31
URL
https://doi.org/10.14989/197248
Right
Type
Departmental Bulletin Paper
Textversion
publisher
1980
年代のコンピュータ専門誌雑誌報道に見る
ホームコンピュータのホビーユースの概況
鈴木 真奈
∗Relationship between homecomputers and videogames based on
microcomputer magazines in Japan during the 1980s
Mana SUZUKI
§1
日本のホームコンピュータとビデオゲーム専用機の
関係
本研究ノートは,1980年代前半における日本のホームコンピュータの普及を,ホ ビーユース目的,特にビデオゲームとの関連から考察することを目的とした調査の現 状について報告するものである.アメリカではホームコンピュータという呼称は一般 的だったが,日本においては「マイクロコンピュータ(マイコン)」「パーソナルコン ピュータ(パソコン)」「ホームパーソナルコンピュータ」等,商品説明において呼ば れ方が異なり,しかも年代によって,それらの語が指す商品内容は微妙に異なってい る.本稿においては,ホームコンピュータを「1970年代後半から1980年代に発売さ れた」「ビジネスユーザー以外でも購入できた価格帯の(目安としては20万円以下)」 「完成品の1」コンピュータである,と仮に定義しておく. 日本のビデオゲーム産業は,1983年に任天堂が開発・販売した「ファミリーコン ピュータ」(ファミコン)がヒットしたことをはじめとして,高く評価されている2.近 年,ビデオゲームに関する学術研究が進められつつあるが,その歴史に関する体系的 な著作としては赤木(2005)や上村・細井・中村(2013)など,業務用または家庭用 ∗京都大学大学院文学研究科現代文化学専攻科学哲学科学史専修博士後期課程 1初期にはシャープの MZ-80K のようにセミキットとしてユーザーが組み立てる余地が残っているも のも存在した. 2たとえば,文化庁の『文化庁メディア芸術祭』では,平成 9 年の第 1 回より継続的にビデオゲームソ フトウェアが「デジタルアート(インタラクティブ)」および「エンタテイメント」部門において表彰 されている.ビデオゲーム専用機に着目するものが多い. しかし,ビデオゲームの歴史に影響を与えているのは,ビデオゲーム専用機だけで はない.1970年代後半からの半導体技術の発達によって電子計算機が小型化し低価格 で生産できるようになったため,それまで業務用または電子工作マニア向けのもので あったコンピュータは,一般家庭に向けた商品として世界的に開発・販売されはじめ る.そのようなホームコンピュータの用途の一つには,ゲームを遊ぶことが含まれて いた. 日本国内においても,ファミコンの流行と前後として,ホームコンピュータが次々 と発売される.この時期の日本のコンピュータ産業の概況は,情報処理学会(2010) に詳しい.CPUに8ビットマイクロプロセッサを採用したホームコンピュータとし ては,1978年に発売したシャープのMZ-80K,1979年にNECが発売したPC-8001, 1982年に富士通が発売したFM-8が「8ビットパソコン御三家」と呼ばれた代表格で あり,それら三機種はその後継も含めてホームコンピュータ市場を形成した(情報処 理学会2010, pp. 95–96). 1980年代に入り,市場に16ビットCPUを採用した高性能なコンピュータが出回る ようになると,8ビットCPUを採用したホームコンピュータはそれらと差別化を図る ためにホビーユースを意識するようになり,玩具メーカーの参入も相次いだ(情報処 理学会2010, pp. 97–98).トミー工業(現・タカラトミー)のぴゅう太3,ソード(現・ 東芝パソコンシステム)のSORD M54,ゲームパソコンと銘打たれたセガ(現・セガ サミー)のSC-3000,バンダイ(現・バンダイナムコ)のRX-78などである.上村・ 細井・中村(2013)の第一部はファミリーコンピュータの開発に携わった上村が執筆 しているが,ファミコンをビデオゲーム専用機として発売することには懸念があり, BASICや英数字キーボードを別売することを発表したが,メディアはどうして別売す るのかと質問を多く寄せてきたと述べている(上村・細井・中村2013, pp. 107–108). その当時はアメリカのビデオゲーム専用機の失敗もあり5,たとえホビーユースであっ 3ただし CPU は 16 ビットのものを採用している. 4タカラ(現・タカラトミー)と業務提携したモデルが存在する. 51970 年代後半からアメリカではビデオゲーム専用機が人気となったが,ハードウェア競争の激化や ソフトウェア供給の不安定さが要因となって,1983 年にはビデオゲーム専用機全体の市場が急速に 縮小してしまう(樺島 2010).特に,Atari 社のビデオゲーム専用機 VCS が,1982 年のクリスマスの 時期を狙って出した映画『E.T.』を題材にしたビデオゲームソフトウェアの売り上げの不振,Atari 社 の業績悪化によって親会社の Warner Communications 社の株価が大暴落したことが,俗に「アタリ・ ショック」と日本では呼ばれている(赤木 2005, pp. 180–182;上村・細井・中村 2013, pp. 58–67).
たとしても,ビデオゲーム「しか出来ない」コンピュータよりはビデオゲーム「も出 来る」コンピュータの方がより望ましいと考えられていた. 結果としては,任天堂のファミリーコンピュータはヒットして6,家庭での電子機 器の使用やIT産業に大きく影響を与えたとも考えられている(情報処理学会2010, pp. 36–37).
§2 MSX
規格ホームコンピュータの当事者的な評価
ホームコンピュータとビデオゲーム専用機は,同時期に普及・発展したコンピュー タとして,想定するユーザー層や価格帯,ハードウェアの設計などに共通点を持つ. ファミリーコンピュータが発表された1983年には,日本の出版社7であるアスキー社 とアメリカのマイクロソフト社が中心となって制定した8ビットコンピュータの共通 規格MSXが発表され,同年よりMSX規格に沿ったホームコンピュータが複数のメー カーから発売され始める.MSX規格は,各社ごとに仕様が異なっていたBASICやソ フトウェアの互換性を保つためにハードウェア規格を統一することを目的としていた. MSX規格は1985年にMSX2,1988年にはMSX2+と拡張されるが,MSX2+の時 点でその規格に準じたホームコンピュータを生産したのは3社に留まり,MSXが14 社もの参入があったことに比較すると大幅に減じている(情報処理学会2010, p. 100). そのため,8ビットホームコンピュータの統一規格として普及するには至らなかった という見方が一般的である.さらに,現在MSX規格コンピュータについて言及され る場合,むしろビデオゲーム専用機のように扱われて,ビデオゲーム専用機と比較さ れることがある. MSX規格を提唱したアスキーは,2014年現在はアスキー・メディアワークスとし て株式会社KADOKAWAのブランドとして名前を残すのみだが,MSX規格が提唱さ れて30年となった2013年には,アスキーブランドの週刊誌とウェブサイトで,MSX 規格についての連載記事が掲載された.それらを取りまとめた電子書籍からは,当時 を回想する論調でMSX規格がファミリーコンピュータやビデオゲーム専用機を強く 意識していたことが窺える. 6他のビデオゲーム専用機より高性能でありソフトウェアの品質が良かったと評価されている(情報処 理学会 2010, p. 98).ソフトウェアに恵まれていたことは,アーケードゲームの開発実績がある会社 がファミコン専用ソフトウェア開発に参入したこと(上村・細井・中村 2013, pp. 115–118),1985 年 の「スーパーマリオ」のヒット(上村・細井・中村 2013, p. 125)からも窺える. 7コンピュータ専門雑誌を刊行することを目的に 1977 年に設立された会社である.“ゲームしかできない”ファミコンが,“ゲームだけじゃない”MSXを打ち負か した.それが歴史の現実です.「MSXはゲーム機じゃないからファミコンはラ イバルじゃない!」という声があるのはよく分かりますが,市場はそうは見て くれませんでした.週刊少年ジャンプなどでも“MSX VSファミコン”を巻頭 カラー特集したり対決ムードを煽っていました(MSX 2013, p. 4)8. ... MSXの生みの親である西和彦氏はMSX規格に採用されたVDP(画像表示用プ ロセッサー)である『TM9918A』の表現力に強い不満を持っていました.もっ と表現力を高めなければ,家庭でテレビやビデオに代わってMSXが(組み込 み用としても)使われることはないでしょう.ですからMSX2においてはグラ フィック機能の向上が必須課題となります.問題は,どの方向に機能を向上さ せるかです.選択肢は2つありました.MSXの当初の思惑通りに“ホームコン ピューター”として進化を遂げていくか,あるいは爆発的に普及していたファ ミコンへの対抗策として“ゲーム機”に寄せた強化を行うかです(MSX 2013, p. 28). また,滝田(1997)はMSX規格の制定に当初より携わった西和彦自身の言葉を次 のように紹介している. MSXによるホームコンピュータの規格統一が図れなかったのは紛れもない事 実.この点については(引用者注:西和彦は)どのように考えているのだろ うか. 「一つの理由は,上のほうの一六ビットマシンについてはIBMが事実上の標準 になっていたし,下のほうには任天堂のファミコンがあったということでしょ う.IBMの方が処理速度が速かったし,任天堂のほうが安かった. もっと大きな理由は,コンピュータはコンピュータのままでは一家に一台必要 な機械には成りえないということですね.」(滝田1997, p. 95) MSX(2013)も滝田(1997)も共に当事者ならびにそれに近しい立場からの言葉 である9.MSX規格のホームコンピュータの対立要素はビデオゲーム専用機のファ 8ただし,実際に『週刊少年ジャンプ』でそのような特集があったことについての引用は存在しない. 9特に MSX(2013)は雑誌ならびにウェブサイトの連載企画であったことや文体などから,その当時 MSX ユーザーであった読者に向けて書かれたものと考えられる.
ミリーコンピュータであり,しかもその対立要素によってMSXの普及に負の影響が あった,という評価である. しかし,1980年代当時の電子式コンピュータの小型化と安価化を支えたのは半導 体産業の発展であり,半導体はビデオゲーム専用機かホームコンピュータかで用途を 区別するものではない10.前述のようにアメリカでは過当競争の末にビデオゲーム専 用機の市場が大きく後退しており,日本においてもファミリーコンピュータがビデオ ゲーム専用機であることに疑問が持たれる等,必ずしもビデオゲーム専用機が家庭に 普及するコンピュータの形として最善であったと考えられていたわけではない.
§3 1980
年代の日本国内雑誌報道における
MSX
1980年代当時にMSX規格コンピュータがどのような眼差しで見られていたかは, 当時刊行されていたコンピュータ専門雑誌からある程度知ることが可能である.1970 年代後半頃から,コンピュータ専門雑誌は続々と刊行された.工学社の『I/O』,電波 新聞社の『月刊マイコン』,アスキー社の『ASCII』,日経新聞社の『日経バイト11』『日 経コンピュータ』などが挙げられる.特にMSX規格を提唱したアスキーは,MSX規 格コンピュータ専門誌『MSX Magazine』をMSX規格コンピュータの発売に先駆けて 刊行しており,アスキー社のMSXに対する当時の考えを知ることが可能である. 本研究ノートでは,MSX規格コンピュータが発売される以前の『MSX Magazine創 刊0号』の誌面からアスキーの想定するMSXユーザー像を分析し,『日経コンピュー タ』の1984年7.9号に掲載されたMSX発売後から半年の状況を報道する記事から, 実際のMSXユーザーの状況を考察する.3.1
MSX Magazine
アスキーはMSX規格発表の記者会見を1983年6月30日に行うと共に,自社が 刊行していた『ASCII』でMSX規格の特集を組む(ASCII 1983d).その後『MSX Magazine』をMSX規格マシンの発売前に創刊する.創刊0号には,MSX規格発表 10この研究ノートでは海外の事情には深く触れないが,半導体メーカー MOS Technology 社の製品は ホームコンピュータに採用されると同時,ビデオゲーム専用機にも採用されている.特に MOS 社と 関係の深かったカナダの Commodore 社は電卓からホームコンピュータまで MOS 社の製品を採用し 続けた.一方,MOS 社は Atari 社のビデオゲーム専用機のための LSI を開発している.11アメリカの UBM 社が刊行していた Byte Magazine とは姉妹誌であり,Byte Magazine からの翻訳記
の記者会見に同席した15社のエレクトロニクスメーカーの内12社12とカシオ計算機 の担当技術者や広報担当等が,ホームコンピュータやMSX規格に対する自社の見解 を述べる特集記事が組まれた(MSX Magazine 1983c). 楽器製造メーカーであるヤマハは自社シンセサイザーの技術をMSX開発にも取り 入れると答えている13.また家電やAV機器メーカーもMSX規格に参入を宣言して おり,そのようなメーカーはテレビやビデオとコンピュータとの連携をイメージして いる.三菱電機は,テレビ画面をプリントアウトできるテレビプリンターについて (MSX Magazine 1983c, p. 17),日本ビクターはビデオ機器について(MSX Magazine 1983c, pp. 22–23),パイオニアはレーザーディスクについて(MSX Magazine 1983c, pp. 76–77),それぞれホームコンピュータと連携することで新たな可能性が開けるの ではないか,と答えている.家庭用に普及するコンピュータのイメージとして,テレ ビやビデオといった既存の映像機器と親和性が高いものが想定されていた,AV機器 を生産しているようなメーカーもホームコンピュータに関心を持っていた,と言える. また,MSX規格がホームコンピュータの統一規格であることは評価されている一 方,ゼネラルや富士通など,MSX規格に複数のメーカーが参入することでハードウェ アの特徴を出すような製品開発をすれば,ソフトウェアの互換性が危うくなるのでは ないか,という疑問14も持たれている(MSX Magazine 1983c, pp. 18, 78). そして,ビデオゲームの存在には何かしら言及しているメーカーは多い.とはいえ, ビデオゲームがMSX規格コンピュータの中心的な存在である,という全面的な肯定 ではなく,あくまでビデオゲームはホームコンピュータに接するきっかけであり,用 途の一つであるという理解である. たとえば,ビデオゲームに言及する際,教育用途も同時に示唆される15.ゼネラル は「ゲームとともに遊びながら学べる教育用のソフトが主流になってくる」(MSX 12ゼネラル・日本楽器製造(ヤマハ)・三洋電機(サンヨー)・三菱電機・キヤノン・日本ビクター・松下 電器産業・東京芝浦電気(東芝)・パイオニア・京セラ・日立・富士通.また『ASCII』の報道によれ ば,記者会見には日本電気が出席していている(ASCII 1983a).しかし,日本電気は MSX 規格の構 想段階では参加していたものの実際には参入せず,日本電気の代表者として出席した当時の副社長の 大内敦義は MSX 規格の構想を褒めるだけで参入はしないと挨拶したという(滝田 1997, pp. 91–93). 13MSX Magazine 1983c, p. 13.事実,ヤマハの MSX 規格コンピュータは,シンセサイザー機能に特化 したものとなった. 14後述するが,これは MSX 規格の大きな問題の一つとなる. 15アメリカでは,安価なホームコンピュータの普及によって,高等教育機関以外の教育現場にもコン
ピュータが浸透した.CAI(Computer Assisted Instruction)と呼ばれるコンピュータ教育について は,1980 年代から日本でも意識されるようになっていた.
Magazine 1983c, p. 18),キヤノンは「では,(引用者注:コンピュータが)家庭に入る 場合,どういった方向があるのかってことですけれど,まずはゲームや教育」(MSX Magazine 1983c, p. 19),パイオニアは「(引用者注:MSX規格コンピュータによって) 家庭でも気軽にゲームセンターと同じようなゲームを楽しんだり,教育に応用したり」 (MSX Magazine 1983c, p. 77)というコメントを残している. また,ビデオゲーム用途が主体のコンピュータとは一線を画したい,という主張も 見られる.キヤノンも「まあ,今後はゲーム以外のソフトウェアが幅をきかせていく ようになるんじゃないかな,と期待はしているんです.これだけ,ある程度きちんと したハードが出て,はじめはゲーム用ということでもいいですから買って,それがど ういう商品かということが除々に(原文ママ)理解してもらえれば」と,ビデオゲーム 目的のユーザーの存在を意識している(MSX Magazine 1983c, p. 20).松下電機産業 はMSXが「ゲームマシンのようにオモチャみたいに思われたら困る」と述べ,「ゲー ムマシンの上,いわゆる本格パソコンの下」にMSX規格は位置づけられるべきだろ うと答える(MSX Magazine 1983c, p. 83).京セラも「MSXをホビーとして与えてい くのか,それとも家電製品に近いところのものとして与えていくのかというのは難し い問題」としている(MSX Magazine 1983c, p. 75).日立はMSXを一般的な生活家電 の販売ルートで販売することを考えており,MSXマガジンに対して「積極的な生活提 案をして欲しい」と述べている.というのも,MSXがビデオゲームマシンに留まらず にホームコンピュータとしての地位を確立できるかどうかはマスメディアの力も大き いからだという(MSX Magazine 1983c, p. 87).また,東京芝浦電気は,「家庭にコン ピュータを導入するにはまずゲームから」「とりあえずコンピュータに触って慣れても らうためには,ゲームもひとつの手段」というように,あくまでコンピュータに慣れ たユーザーを作り出すきっかけとしてゲームを評価している(MSX Magazine 1983c, p. 80). ハードウェアメーカーのインタビューからは,ビデオゲームの存在を意識しつつも, ビデオゲーム専用機とは異なった展開を望まれているのが読み取れる.MSX規格を 提唱したアスキー自らが構成した誌面であるため,これはアスキーがMSX規格につ いて想定・期待していることと一致していたと考えられるだろう.また,これらのイ ンタビューに応じ,MSX規格に参入したメーカーは,既に電子計算機やマイクロコン ピュータの開発・販売実績がある会社だけでなく,映像・音響・家電機器に実績を持 つ会社である.ビデオゲーム一辺倒になる懸念を示したメーカーもあるが,実際に玩 具メーカーが参入しているわけではない.
しかし対照的に,創刊0号で紹介されている発売予定のソフトウェアはすべてビデ オゲームである(MSX Magazine 1983b).アスキー自らが開発しているソフトウェア もビデオゲームであるし(MSX Magazine 1983b, pp. 55–56),インタビューに応じて いるソフトウェアメーカーもHAL研究所,エニックス(現・スクウェアエニックス), ナムコ(現・バンダイナムコ),アンプルソフトウェア,タカラ(現・タカラトミー), T&Eソフト,ポニカの7社であるが,いずれもコンピュータゲームソフトウェアでの 参入である. 1984年1月号からは読者コーナーがスタートするが,興味深いのは採用されている 読者の年齢と性別,投稿内容である.1984年1月号は9名採用されている内の4名が 10代の投稿者(18歳,16歳,18歳,11歳16.推定される男女比17は,男性3名女性 1名18),1984年2月号は7名採用の内4名が10代の投稿者(16歳,19歳,16歳, 16歳.男性3名女性1名19), 1984年3月号は6名中2名が10代の投稿者(12歳, 15歳.男性2名),また35歳男性投稿者が,自身の4歳の子供と一緒に使用している 内容を投稿している20.1984年4月号は7名中6名が10代の投稿者である(12歳が 2名,13歳,16歳が2名,18歳.男性5名女性1名21).ここから分かるのは,10代 男性読者の投稿が採用されている比率が高い,ということである.こうなった原因が, 実際に10代男性読者からの投稿が多かったのか,編集部が10代男性読者を重視して 採用したのか,どちらであるのかを直ちに判断する材料はない.しかしどちらである にせよ,10代男性の読者が『MSX Magazine』にとって意識すべき存在であったとい う結論は得られるだろう. 成人している読者からの投稿で採用されているものには,家族のためにMSXの購 入を考えているが今のままではパソコン=テレビゲーム機としか思えないという45 歳男性からの批判(MSX Magazine 1984b),MSXを購入してコンピュータ学習をし ているが,ビジネス用途の情報とソフトウェアが不足しているため今後の展開に期待 するという56歳男性の要望(MSX Magazine 1984c)などがある.MSX専門誌を手 に取って投書する程度にはモチベーションもある読者は,少なくともビデオゲーム機 16だが投稿内容は本人の意見ではなく,父親が MSX 規格のホームコンピュータについて疑問を持った 点を書き写したものである. 17投稿者の性別表記はないので,以下の男女比についてはすべて姓名による推測である. 18MSX Magazine 1984a. 19MSX Magazine 1984b. 20MSX Magazine 1984c. 21MSX Magazine 1984d.
以外のMSXの可能性も考えており,また編集部もそのような投書を採用している. 一方で,読者が話題とするのは,MSX発売前は漫然とした誌面に対する感想だが, 実際に発売されてからとなるとゲームに関する話題がほとんどとなる.特に,今回言 及している範囲で10代の読者からの投稿が一番高い1984年4月号では,ビデオゲー ムのハイスコア自慢,付録につけられたビデオゲームプログラムに対する感想などが 投稿されている. アスキーや参入を決定したハードウェアメーカーが「ビデオゲーム」だけを主力と するようなホームコンピュータを想定していないこと,一方で対象とするユーザーと して青少年ユーザーが重要であったことから,彼らの関心を惹くためにビデオゲーム ソフトウェアが必要であったこと,この二点はごく限られた範囲の調査22である現状 においても言えるだろう.
3.2
日経コンピュータ『
MSX
の
1
年:矛盾する互換性維持と高機能化』
『日経コンピュータ』の1984.7.9号において,MSX規格の発表が1983年6月 30日であったこととにちなみ,MSX規格ホームコンピュータの現状についてまとめ た記事が書かれている(田口1984).タイトルは『MSXの1年:矛盾する互換性維持 と高機能化』というものであり,冒頭からMSXが販売開始後6ヶ月で19万台を売り 上げ,1983年度の出荷台数の17%を占めることを評価する一方で,各ハードウェア メーカーの競争によってMSX規格の互換性が損なわれ,価格も高くなりつつあると いう問題を指摘している(田口1984, p. 141). また,「ゲームを楽しむならともかく,『パソコンとして使うなら別の機種を買うか, 買うのを先に延ばすのが賢明だ』(パソコン・ソフトのメーカー)という声も根強い」 (田口1984, p. 143)と書かれてしまうほどに,MSXのソフトウェア市場ではビデオ ゲームが強く,それ以外の分野のソフトウェアが出遅れていることも指摘されている. この記事の分析で興味深い点は,MSX購入者の年齢別割合を,各社の購入者カー ドデータを元に提示していることである(田口1984, p. 142).対象としているの は,三菱電機のML-8000,松下電器のCF-2000,日本楽器製造のYIS503,東芝の PASOPIA-IQ,ソニーのHB-55の5機種である.また,比較としてMSXと価格帯が 近しい日本電気のPC-6001mkIIの購入者年齢層も示されている. 22MSX Magazine は 1983 年に創刊して 1992 年に休刊しており,本稿が取り扱っている範囲はごく狭 い.30代後半から40代のユーザーが購入している場合は「親が子供に使わせる」こ とが想定できること,三菱電機のML-8000 と松下電器産業のCF-2000と東芝の PASOPIA-IQについては19歳以下の購入者が50%以上であることから,田口はMSX ユーザーの70%近くは若年層に偏っており,予想できた結果だと述べている(田口 1984, p. 143).なお,日本楽器製造のYIS503だけは20代ユーザーが46.2%であり, これは楽器として使える拡張性によるものだと考えられている. さらにこの記事では,購入者カードの購入動機についてもデータを公表している (田口1984, p. 144).年齢層アンケートのMSX5機種とPC-6001mkIIにくわえて,日 立のMB-H1のデータも提示されている.日本楽器製造のYIS503だけはシンセサイ ザー用途に特化した拡張が加えられていることから,「音楽」を購入動機に挙げたユー ザーが38.0%存在するが,あとのMSX6機種やPC-6001mkIIについては「パソコン の勉強(学習)」「ゲーム」「趣味一般(全般)」といった動機が,購入動機の6割から 9割を占めるような結果になっている23.またいずれの機種も,「仕事」「実務」といっ た項目については数パーセントの割合を占めるに留まっている.これはいずれの機種 もフロッピーディスクドライブを標準では持たないこと,特にMSX規格のホームコ ンピュータについては実務用ソフトウェアも販売されておらずまだフロッピーディス クドライブそのものが未発売であったことから当然であると述べられている24. 前述したとおり,田口はMSXハードウェアメーカー各社が独自性を打ち出すあま りにMSX規格制定の目的であった互換性の維持を損なっていることを指摘している (田口1984, pp. 146–147).それでも,松下電器・日立製作所・三洋電機といった家電 を総合的に開発・販売しているメーカーは互換性に比較的忠実であるのだが,日本ビ クターやパイオニアは,『MSX Magazine』の創刊0号でのインタビューでも述べてい たような,自社のAV機器を意識した独自の拡張を施してしまっている.パイオニア は,同社のビデオディスク規格を制御する命令をMSX標準BASICに付け加え,ハー ドウェアのサウンド機能もステレオ出力できるように変更したり,ビデオ機能のイン ターフェースも増設するなど,田口に言わせれば「MSXをベースにした別のパソコ ン」(田口1984, p. 147)となってしまっていたという. 23この割合の差は「教育」の項目を選んだユーザーの割合で変動している状況である. 24田口 1984, p. 145.フロッピーディスクのような(当時としては)大容量で高速の読み書きが可能な 外部記録媒体は,プログラムのソースコードの記録に必須であるが,標準でカートリッジ式 ROM の 読み込みしかできないコンピュータでは,プログラムを打ち込んでも電子的な記録ができない.その ようなコンピュータが,結果的に(買ってきたソフトウェアを実行するだけでよい)ゲーム用途に限 定されてしまった可能性は考えられる.
さらに,MSXのハードウェア互換性と拡張性を両立させるのはROMカートリッジ スロットであり,このスロットはROMカートリッジで供給されるソフトウェアだけ でなく,周辺機器を接続することも可能であり,周辺機器の互換性もこのROMカー トリッジ接続を介することによって担保されるのだが,各社のMSXが打ち出した独 自機能の多くは,ROMカートリッジスロットとは別の接続端子を経由して行われて おり,互換性の徹底が不十分である状況が生まれていた(田口1984, p. 148).さらに MSX規格が定めたグラフィック機能は,ビジネスユースには耐えられないという評価 が下されていた.このような状況から,「パソコンの入門機としてのMSXは評価され ねばならない」が「規格統一が早すぎた,という結論は性急だろうか」と田口はまと める(田口1984, p. 149).しかも田口は,入門機としてのMSXを評価しているとは いえ,それは若年層ユーザーが主体であるようなホビーユースであり,ワープロや住 所録のような家庭内の実務用途には結びつかないのではないか,と悲観的な見解を示 している.
§4
結論
本稿で扱ったようなMSX規格ホームコンピュータなどは特に,ファミリーコン ピュータとほぼ同時に発売されたこと,ソフトウェアの傾向などからビデオゲーム専 用機と安直に比較されやすい.しかし,MSXが出た1983年当初においては,ビデオ ゲームのように既にある程度知られていた25コンピュータの楽しみ方が,ホームコン ピュータのセールスポイントとして強く打ち出されたのは自然のことであった.MSX 規格がビデオゲームからそれ以外へと間口を広げられなかった原因は,結果論的には 様々に論じられてはいるものの,当時の日本国内外におけるホームコンピュータの状 況を鑑みるに,正確であるとはいえない.たとえば,教育用途でホームコンピュータ が普及するかどうかは,ソフトウェアメーカーが教育用ソフトウェアを開発してソフ トウェア市場においてヒットを飛ばすというような産業的な構造によってのみ生まれ えるものではない.その意味で,MSX規格コンピュータのようなホームコンピュータ がビデオゲーム用途に収束した原因を,日本国内の状況においてのみ,ビデオゲーム 専用機との比較においてのみ論じても,結論は出ないであろう. 25本稿ではほとんど触れていないが,日本においてビデオゲームという娯楽はアーケードゲームから 1970 年代半ばより知られており,象徴的に語られるのは 1978 年のインベーダー・ゲームのヒットで ある(赤木 2005 第九章).それどころか,ホームコンピュータをビデオゲーム専用機と同列に置く必要がある とすれば,ビデオゲーム専用機もホームコンピュータの一形態であると考えるべきだ ろう.ビデオゲーム専用機も「家庭用に安価で供給された電子コンピュータ」である. 電気で動くただの玩具ではないのだ.日本においてビデオゲームの歴史を考える上で, 1980年代における任天堂のファミリーコンピュータの普及の影響は絶大である.し かし,ファミリーコンピュータが生まれることができたのは,急速に発展したホーム コンピュータの存在あってこそだと言える26.ビデオゲーム専用機とビデオゲーム専 用機でないホームコンピュータとの間の相互関係は,技術的側面以外にも考察されて ゆくべきである.その意味でも,回想の形でのみ「ビデオゲーム機とほとんど同じで あった」と考えられているようなホームコンピュータの実際を,当時の資料に即した 形で読み解いていく作業は,ビデオゲームの歴史のみならず,日本のコンピュータの 歴史においても必要とされることだろう27.
参考文献
MSXアソシエーション.2013年.『週刊アスキー・ワンテーマMSX30周年:愛さ れつづけるMSX歴史と未来』東京: KADOKAWA.「ASCII EXPRESS」.1983年a.『ASCII』1983年8月号: 86.
「互換性を持ったホームパーソナルコンピュータシステムMSXの全貌」. 1983年 b.『ASCII』1983年8月号: 110–125. 「ソフトインフォメーション」. 1983年c.『MSX Magazine』創刊ZERO号: 54–64. 「ハードメーカー・ガイド」. 1983年d.『MSX Magazine』創刊ZERO号: 12–53, 74–87. 「MSX ROOM」. 1984年a.『MSX Magazine』1984年1月号: 78. 「MSX ROOM」. 1984年b.『MSX Magazine』1984年2月号: 82. 「MSX ROOM」. 1984年c.『MSX Magazine』1984年3月号: 82. 「MSX ROOM」. 1984年d.『MSX Magazine』1984年4月号: 88.
26たとえば,ファミリーコンピュータの CPU は MOS Technology 社の 6502 と呼ばれるプロセッサの
互換品である.元々の 6502 は Apple 社が 1977 年に発売された AppleII や Commodore 社のホーム コンピュータに採用されている.
27なお,本稿は日本デジタルゲーム学会第 3 回夏季研究発表大会の口頭発表に基づいている.会場で有
意義なコメントをいただけたことを改めて御礼申し上げる.立命館大学の井上明人氏からは参考文献 をご紹介いただき,深く感謝している.
上村雅之・細井浩一・中村彰憲.2013年.『ファミコンとその時代 テレビゲームの 誕生』東京: NTT出版. 田口潤.1984年.「MSXの1年:矛盾する互換性維持と高機能化」『日経コンピュー タ』1984.7.9号,141–151頁. 赤木真澄.2005年.『それは『ポン』から始まった アーケードTVゲームの成り立 ち』兵庫:アミューズメント通信社. 滝田誠一郎.1997年.『電脳のサムライたち 西和彦とその時代』東京: 実業之日 本社. 情報処理学会歴史特別委員会(編).2010年.『日本のコンピュータ史』東京:オー ム社. 樺島榮一郎.2010年.「コンテンツ産業の段階発展理論からみる一九七二∼八三年 の北米ビデオ・ゲーム産業―いわゆる「アタリ・ショック」をどう解釈するか ―」『コンテンツ文化史研究』第4巻,24–41頁.