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Microsoft Word - ○第2章(第1節+第2節)(150318)

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第1節 地震の概要

1 地震の特徴 (1) 地震の発生 平成 16 年(2004 年)10 月 23 日土曜日、天候は曇り。17 時 56 頃、突然の激震が 中越地域を中心として新潟県を襲った。 気象庁の発表によると、震源は北緯 37 度 17.5 分、東経 138 度 52.0 分(北魚沼 郡川口町北部)の地下約 13km、地震の規模を示すマグニチュード(M)は 6.8 であ る。 川口町で震度7、小千谷市、山古志村、小国町で震度6強、十日町市、堀之内 町、中里村、守門村、川西町、越路町、刈羽村、長岡市、栃尾市、三島町、広神 村、入広瀬村で震度6弱を記録したほか、県内の広い地域が震度5強から4の強 い揺れに見舞われた。新潟県内で発生した地震としては、昭和 39 年(1964 年)の 新潟地震以来の大きな規模であった。 また、県外でも長野、群馬、埼玉、福島の各県で震度5弱を記録したほか、東 北地方から関東、北陸の広い範囲で震度4が観測された。翌日(24 日)、気象庁は この地震を「平成 16 年(2004 年)新潟県中越地震」と命名した。 【新潟県中越地震(本震)の概要】(気象庁公表) 発生日時 平成 16 年 10 月 23 日 17 時 56 分 震源地 新潟県中越地方(北緯 37 度 17.5 分、東経 138 度 52.0 分) 震源の深さ 13km 規模 マグニチュード 6.8 群馬県 長野県 福島県 山形県 新潟県 栃木県 図 2-1-1 震度分布図

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表 2-1-1 各地の主な震度 震度7 新潟県 川口町 震度6強 新潟県 小千谷市、山古志村、小国町 震度6弱 新潟県 十日町市、堀之内町、中里村、守門村、川西町、越路町、刈羽村、 長岡市、栃尾市、三島町、広神村、入広瀬村 震度5強 新潟県 中之島町、安塚町、見附市、与板町、和島村、 出雲崎町、小出町、塩沢町、六日町、大和町、津南町、松代町、 松之山町 震度5弱 新潟県 三条市、柏崎市、栄町、西山町、弥彦村、吉川町、高柳町、燕市、 分水町、中之口村、三和村、加茂市、湯之谷村、月潟村、上越市、 浦川原村、牧村、柿崎町、頸城村、吉田町、巻町 福島県 只見町、西会津町、柳津町 群馬県 北橘村、高崎市、片品村 埼玉県 久喜市 長野県 三水村 震度4以下は省略 (出典:新潟県地域防災計画(震災対策編)平成 26 年3月修正) (2) 余震について 中越大震災の特徴として、震度6強から5弱の強い余震が本震直後から何度も繰 り返したことがあげられる。 本震発生直後の 18 時11 分頃にはマグニチュード6.0 の余震が発生し小千谷市で 震度6強を、同 34 分にはマグニチュード 6.5 の最大余震が発生し十日町市、川口 町、小国町で震度6強を観測した。(図 2-1-2) 中越大震災の前後に発生した他の地震と比べても余震活動が活発であった。 (図 2-1-3) (出典:気象庁資料) 図 2-1-2 余震活動の状況

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(3) 県内に被害を与えた地震とその被害

県内に被害を与えた既往地震(明治以降発生)について、その被害状況、特徴 等は表 2-1-2 のとおりである。

(出典:気象庁資料) 図 2-1-3 過去の地震の余震活動

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表 2-1-2 新潟県内に被害を与えた地震とその被害 発生年月日 規模 地名 災害の状況 1886. 7.23(明治 19) 1887. 7.22(明治 20) 1898. 5.26(明治 31) 1904. 5. 8(明治 37) 1905. 1.23(明治 38) 1905. 7.23(明治 38) 1910. 5.26(明治 43) 1911. 9. 5(明治 44) 1914.11.15(大正 3) 1927.10.27(昭和 2) 1933.10. 4(昭和 8) 1947. 4.14(昭和 22) 1951. 8. 2(昭和 26) 1961. 2. 2(昭和 36) 1964. 6.16(昭和 39) 1971. 2.26(昭和 46) 1983.10.16(昭和 58) 1990.12. 7(平成 2) 1992.12.27(平成 4) 1993. 2. 7(平成 5) 1995. 4. 1(平成 7) 5.3 5.7 6.1 6.1 5.6 5.2 6.3 6.6 5.7 5.2 6.1 5.7 5.0 5.2 7.5 5.5 5.3 5.4 4.5 6.6 5.6 新潟、長野県境 押切 六日町 六日町 佐渡西方沖 安塚町 新潟・長野県境 佐渡沖 高田付近 三島郡 県中部 西頸城郡能生谷 保倉川上流 長岡市西部 粟島付近 高田付近 糸魚川付近 刈羽郡高柳町付近 中魚沼郡津南町付 近 能登半島沖 北蒲原南部 東頸城郡仁上村、牛が鼻村などで土蔵破損、橋 梁破壊などの被害あり 古志郡、南蒲原郡、三島郡一帯に地震強く古志 郡で家屋の全半壊などあり、見附、長岡、与板 の中間付近ではないかと推察される 六日町で土蔵・家屋の亀裂、墓碑の転倒、田畑 の亀裂、噴砂等あり 南魚沼郡五十沢村付近で土蔵・家屋の破損、落 石、道路の亀裂から青砂を噴出、城内村で瓦の 墜落・障壁の亀裂、墓石の転倒あり 震域は能登、長野に及ぶ 壁に亀裂 東頸城郡大島村菖蒲及び菱里村須川が最も強 く、石垣の破損、地面の亀裂あり 強震域は佐渡南部、越後海岸 壁に亀裂、屋根石落下 三島郡関原、日吉、宮本各村で道路損壊、家屋 倒壊等の被害あり(関原地震) 北魚沼川口、堀之内、田麦山各村、屋根石落下、 壁に亀裂 能生谷村で1か月後、山崩れ起こる 震源地付近で炭焼小屋の倒壊、墓石の転倒など 小被害あり 死者 5、住家全壊 220、半壊 465、小壊 804 (長岡地震) 死者 14、負傷者 316、住家全半壊 13,248 新潟市内で地盤の流動、不同沈下による震害が 著しかった(新潟地震) 負傷 13、雪崩数か所、小規模な地割れ、山崩れ 糸魚川市で負傷 2 道路の陥没、家屋の壁面亀裂 小・中学校の体育館天井落下、家屋の壁面や道 路の亀裂 負傷 1、落石、崩土 負傷 82、家屋全壊 55、半壊 181 (県指定文化財市島家住宅「湖月閣」倒壊)

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(出典:新潟県地域防災計画(震災対策編)平成 26 年 3 月修正) 2 被害状況 中越大震災による被害は、新潟県内で死者は 68 人、負傷者は 4,795 人であり、被害 を受けた建物は、住家が約 12 万2千棟、非住家が約4万2千棟であった。 避難者は地震直後のピーク時には約 10 万3千人となり、上越新幹線や関越自動車道 が長期間不通になるなど被害は甚大であった。 地震発生当日から県内 54 市町村に災害救助法が適用され、自衛隊や消防など防災関 係機関による懸命の救助・救出活動が行われた。 県は、地震による被害の甚大さと地域社会への深刻な打撃は阪神・淡路大震災にも匹 敵するとして、11 月 29 日、この地震に伴う大規模災害を「新潟県中越大震災」と呼ぶ こととした。 発生年月日 規模 地名 災害の状況 1998. 2.21(平成 10) 2001. 1. 4(平成 13) 2004.10.23(平成 16) 2005. 6.20(平成 17) 2005. 8.21(平成 17) 2007. 3.25(平成 19) 2007. 7.16(平成 19) 2009. 5.12(平成 21) 2011. 3.11(平成 23) 2011. 3.12(平成 23) 5.2 5.3 6.8 5.0 5.0 6.9 6.8 4.8 9.0 6.7 中越地方(松代、 松之山等) 中越地方(津南、 中里、塩沢等) 中越地方(川口、 山古志等) 中越地方(長岡、 柏崎等) 中越地方(長岡等) 能登半島沖 新潟県中越沖 新潟県上越地方 三陸沖 長野県北部 負傷 1、ブロック塀の破損 1、家屋の一部破損 5 負傷 2、家屋一部破損 192、文教施設 27 死者 68、負傷者 4,795、住家全壊 3,175、住家 半壊 13,810、道路網寸断、河道閉塞、各地で土 砂災害多発、上越新幹線脱線(新潟県中越大震 災) 負傷者 1、住家一部損壊 5 負傷者 2 十日町市、糸魚川市で重傷者 1、軽傷者 3、住 家一部損壊 3(平成 19 年(2007 年)能登半島地震) 死者 15、重傷者 350、軽傷者 1,966、住家全壊 1,331、半壊 5,709、一部損壊 36,945(平成 19 年(2007 年)新潟県中越沖地震) 体育館や宿泊施設の設備一部破損 軽傷者 3、住家一部破損 17(平成 23 年(2011 年)東北地方太平洋沖地震) 重傷者1、軽傷者 44、住家全壊 39、半壊 258、 一部破損 2,065

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(1) 人的被害 中越大震災の人的被害は、死者 68 人、負傷者は、重傷者 632 人、軽傷者 4,163 人、合わせて 4,795 人となった。(平成 21 年 10 月 15 日現在 平成 16 年新潟県中越 大震災による被害状況について(最終報)) 死者 68 人のうち、倒壊家屋や崩壊土砂等の下敷きなど直接的・物理的原因によ る死者は 16 人であった。 また、地震からある程度期間をおいて亡くなった者であっても、地震被害と何ら かの関連がある者が相当数確認されている。大半は地震によるショックとストレス、 避難生活の疲労に伴う持病の悪化等によるもので、65 歳以上の高齢者が多くを占め ている。 (2)住家被害 住家被害は、全壊 3,175 棟、大規模半壊 2,167 棟、半壊 11,643 棟、一部損壊 104,619 棟、合わせて 121,604 棟となった。また、公共施設等非住家被害は 41,737 棟であり、 建物被害は、163,341 棟にのぼった。 なお、地震の発生は土曜日の夕方の夕食にとりかかる時間帯であったが、火災発 生件数は 9 件であった。 中越大震災では、地震の規模に比して倒壊家屋は少なかった。これは、被災地が 全国有数の豪雪地帯であるため、住宅の多くは積雪を前提に柱、梁ともしっかりと 作られており、阪神・淡路大震災の被災地域などと比較して住宅の耐震強度が高かっ たためと考えられる。 しかし、この地震では、地すべりや土砂崩れ、造成した宅地の土留め擁壁や盛土 部分の崩壊などの地盤災害が発生し、裏山の崩壊や宅地そのものの崩壊による家屋 の倒壊が発生した。 (3)孤立集落の発生 切土・盛土が主体の中山間地の道路は、地盤破壊により、至る所で崩壊した。 小千谷市、山古志村など7市町村 61 集落で、外部に通じるすべての道路が通行 できなくなり、1,938 世帯が孤立した。道路脇や路面の下に併設されている電力線、 電話線、水道管などが道路と共に失われたため、これらの地区ではライフラインの 途絶、外部との情報の遮断という事態に追い込まれた。 山古志村の 14 集落はそのすべてが孤立し、住民はヘリコプターで救助された。 地震直後 61 集落にのぼった「孤立集落」は、懸命の応急復旧の結果、1週間後 の 10 月30 日には27 集落に半減した。しかし、被害の大きかった山古志村などでは、 全村避難による村内の防犯上の懸念なども理由に通行止めが解除できず、雪に閉ざ されはじめた 12 月 15 日時点でも山古志村 14 集落、小千谷市1集落で陸路が遮断し た状態が続いた。 なお、ここでいう「孤立集落」とは、県で状況を把握する際に基準とした“陸路 が遮断されたため、軽自動車で往来することができない集落”である。

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(4)高速交通体系の被害と影響 中越大震災の被災地は、新潟と首都圏を結ぶ鉄道と道路が通過する当県の交通上 極めて重要な地域である。今回の地震の影響は、被災地だけでなく新潟県全域に 及んだ。とりわけ新幹線や関越自動車道という首都圏と新潟県各地を結ぶ基幹交通 網が長期にわたって使用できなくなったことの影響は大きく、中越地域のみならず 新潟市をはじめ下越地域や上越地域にも影響が発生した。 ア 新幹線の脱線、上越線の不通 地震発生時、長岡に向けて時速約 200 ㎞で走行中の東京発新潟行き下り新幹線 「とき 325 号」が、滝谷トンネルを抜けた長岡市村松町付近で脱線した。 これは、新幹線が開業して以来初めての脱線事故であったが、乗客 151 人、乗 務員等3人の合計 154 人にケガは無かった。 しかし、軌道、高架橋、トンネル、架線などの施設に大きな被害が発生したた め、上下線とも長期間不通となり、運転が再開されたのは平成 16 年 12 月 28 日 であった。 在来線も上越線が大きな被害を受け、長期間不通となったため、多くの通勤通 学者の足が奪われた。 東京方面の新幹線の代替輸送機関として、平成 16 年 10 月 24 日から平成 17 年 1月4日まで、新潟空港と羽田空港間に臨時便が運航された。 羽田臨時便の運行は、10 月 24 日に、日本航空及び全日本空輸がそれぞれ1日 1往復、計2往復で開始され、10 月 25 日には5往復、26 日以降は2社が4往復 ずつの1日8往復が運航された。73 日間の運航で、利用者は 212,918 人、搭乗率 は 73.5%であった。 また、大阪便についても、全日本空輸により 10 月 24 日、25 日の両日に1便を 増便して運航された。 表 2-1-3 主な鉄道の不通区間 路線名 不通区間 運転再開日 上越新幹線 燕三条~新潟 10 月 30 日 長岡~燕三条 11 月 4日 越後湯沢~長岡 12 月 28 日 上越線 水上~六日町 11 月 2日 六日町~小出 11 月 13 日 小出~宮内 12 月 27 日

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イ 高速道路・幹線道路の寸断 地震発生と同時に県内外の高速道路の多くの区間が安全確認のため通行止め となり、安全確認後順次通行止めが解除されたが、地割れや路盤崩壊などの大き な被害が発生した北陸自動車道及び関越自動車道の通行止めは続いた。高速道路 の不通は被災地への救援活動にも支障をきたすことから昼夜を問わぬ突貫工事 を行い、最後まで不通となっていた関越自動車道も地震発生後約 19 時間という 極めて短期間で仮復旧し、緊急車両や救援車両の被災地への到達路を確保した。 (通常の車両が全線で通れるようになったのは、11 月5日。) 一般国道や県道も至る所で土砂崩れ等により寸断されたが、早期の交通路確 保に全力が尽くされた。覆工コンクリートの崩落などにより不通となっていた幹 線国道 17 号の和南津トンネルも 11 月2日から片側交互通行となった。 表 2-1-4 主な道路の不通区間等 道路名 不通区間等 復旧日時 関越自動車道 長岡JCT~長岡IC 10 月 26 日 22:00 小出IC~群馬県境 10 月 29 日 12:00 長岡IC~小出IC 11 月 5日 16:00 北陸自動車道 柏崎IC~柿崎IC 10 月 24 日 13:50 三条燕IC~柿崎IC 10 月 26 日 22:00 国道17号 川口町和南津トンネル 11 月 2日 16:20 (5)河道閉塞の出現 地滑りや土砂崩れに伴う土砂は山間部の中小河川を埋め、小千谷市浦柄地区など では、せき止められた川水で多くの住宅が浸水した。 また、山古志村では崩壊土砂が魚野川の支流の芋川をせき止め、大規模な河道閉 塞が何か所も発生した。東竹沢地区のいくつかの集落が丸ごと水没する一方、下流 の魚沼市竜光地区では土石流災害の危険性が高まり、集落の全住民が一時避難した。 県施工の緊急水路完成後に避難勧告を解除したが、直轄砂防事業によるえん堤工事 等が概成するまで警戒避難体制を継続した。 (平成 18 年 10 月 23 日河道閉塞に伴う警戒避難体制解除)

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第2節 応急対応

1 災害対策本部 (1) 災害対策本部の設置 ア 県災害対策本部 中越大震災では県内で震度6以上の強い揺れが観測され、県は県地域防災計画 に定める設置基準に基づき県災害対策本部を設置した。 中山間地域が甚大な被害を受け、冬の降雪まで時間の無い中で早急な対応が必 要であったため、県災害対策本部の会議には、県関係者のほか、政府現地支援対 策室や自衛隊をはじめ、新潟地方気象台、阪神・淡路大震災で対応経験のある兵 庫県や人と防災未来センターも加わり合議形式で行われた。 写真 2-2-1 災害対策本部会議の様子 イ 市町村災害対策本部 中越地域の市町村をはじめ、下越地域や上越地域の市町村を含む 52 市町村で も災害対策本部が設置された。市町村の中には、行政庁舎の甚大な被害により庁 舎屋外のテントや別の建物に災害対策本部を設置して対応に当たったところも あった。多くの市町村では地震発生当日に災害対策本部を設置したが、山古志村 では全村避難したため、平成 16 年 10 月 25 日に避難先の長岡市内に災害対策本 部を設置した。 (2) 被害状況の把握と公表 ア 被害状況の把握 県では市町村等から報告された大量の被害状況の内容確認に手間取った。市町 村への電話連絡では一般回線が混線し衛星回線での連絡となったほか、庁舎が停 電した市町村とは連絡手段が皆無となった。このため、県では被害状況の把握や それに続く初動対応に影響が生じた。 甚大な被害を受けた山古志村や川口町などでは、職員の被災による災害対応職 員数の不足、行政庁舎の甚大な被害や孤立集落の発生によって、被害状況の把握 や情報発信は困難を極めた。

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イ 被害状況の公表 被害状況把握の遅れは公表にも影響を与えた。県による最初の被害状況公表は 地震発生から4時間後の 22 時すぎ、死者の発生が初めて公表されたのは 23 時す ぎの第2報以降となった。 (3) 避難勧告・指示 本震や度重なる強い余震によって土砂崩壊等が発生し、又は発生する恐れがあっ たため、長岡市や小千谷市など 23 市町村で避難勧告・指示が発令されその対象は8 万人を超えた。地震発生当日に避難勧告・指示があったのは、加茂市、十日町市、 中之島町、川口町、塩沢町、高柳町の6市町のみであり、甚大な被害となった山古 志村、小千谷市などでは 24 日以降となった。 2 被災者への応急支援 (1) 避難所の設置 避難者数は最大で 103,178 人となり、最大で 603 か所の避難所が設置された。避 難所のほか、公園、グラウンド、民間施設の駐車場、個人所有地等に設置されたテン トなど多種多様な避難場所も発生した。 多くの避難者が体育館や公民館などへ避難したことから、一部の避難所では被災 者の収容が困難な状況となった。このため、県では県旅館生活衛生同業組合の全面 的な協力を得て、避難所で不自由な避難生活を余儀なくされている 65 歳以上の高齢 者や障がい者などを対象に、設備の整ったホテルや旅館に避難してもらい避難生活 の環境改善を図った。これらのホテルや旅館は災害救助法に基づく避難所とされ、 利用者は延べ1万1千人にのぼった。 避難生活の長期化が見込まれ避難者の健康状態の悪化が懸念されたため、県では 厚生労働省と協議のうえ、家族単位で利用できる避難所として、被災者の自宅敷地 内等に自衛隊のテントやユニットハウスを設置した。これらは避難所の面積を極小 化し被災者が利用しやすい場所に分散配置され、「分散型避難所」と呼ばれ全国的に も初の試みであった。 (2) 食糧等の供給 地震発生直後、被災地では食糧調達に困難を極めた。被災地のスーパーマーケッ ト、コンビニエンス・ストアでは品切れの状態となり、道路の寸断によって食糧供 給に大きな障害が生じた。このため、県では食糧調達業務を機動的・一元的に実施 する食糧支援チームを災害対策本部内に設置し、市町村の要望や避難者の状況等に 基づき、県内食品業者、国、他県、関係機関に対して緊急食糧支援要請を行った。 これにより、乾パンや乾燥米飯をはじめ、おにぎりやパンが空輸等により被災地に 供給された。 当初は、非常食の割合が高くパンやおにぎりの割合が低かったことから、栄養バ

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ランスに留意した配分が行われた。避難生活が長期化するにつれて、「量の確保」か ら「質の向上」、「冷たい食事」から「温かい食事」が求められるようになり、みそ 汁、缶詰、野菜ジュース、果物、お菓子等も供給された。また、被災地では自衛隊 の協力を得て徐々に炊き出しが行われた。 その後避難者数が減少し、企業・店舗の営業が再開されたことから、県の食糧供 給数は大幅に減少した。平成 16 年 11 月 2 日には大量の救援食糧・物資の保管・管 理・配送機能を有する県救援物資配送センターを設置して食糧の受け入れを開始し たことにより、市町村からの主食以外の要望にも速やかに対応できるようになった。 (3) 救援物資の受付 ア 大口物資 県では、企業、団体、行政機関等からの大口物資の提供に対応するため、災害 対策本部内に受付担当部署を設置した。物資の申込みがあった場合は、受付の上、 市町村の災害対策本部に受入準備を依頼するとともに、申込者には市町村に直接 配送するよう依頼した。 イ 小口物資 県では、個人からの小口物資を受け付ける窓口を県災害対策本部に設置した。 窓口では、市町村に当面必要な物資の照会を随時行うとともに、支援者に対して、 物資を必要とする市町村に直接送付するよう報道機関を通じて周知した。 (4) 災害時要援護者への対応 ア 高齢者 (ア) 在宅の高齢者 震災による在宅高齢者の施設入所に備えて、県では高齢者施設に対して定 員超過の緊急受入対応を求めるとともに、県内の緊急受入可能施設数や介護 スタッフの派遣可能人数を調査し市町村などにその内容を周知した。 県老人福祉施設協議会や県介護老人保健施設協会では、介護・看護等スタ ッフの不足を補うため、県内や他県の高齢者施設に対して応援スタッフを組 織的に派遣するよう働きかけた。 (イ) 避難所の高齢者 県では事業者に対して避難所等の要介護者の安否確認を実施するよう依 頼したほか、避難所においても必要な介護サービスを受けられる旨をチラシ 配布により市町村に周知した。 イ 障がい者 (ア) 在宅の障がい者 県では小千谷市、魚沼市、十日町市からの要請に応じて、障がい者への情

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支援のために、市町村を通じて FM 文字多重放送ラジオの貸し出しを行った。 (イ) 避難所の障がい者 避難所では情報提供が音声中心で聴覚障がい者に伝わりにくいことが想 定されたことから、県では、張り紙等による情報提供を徹底するよう避難所 や市町村に依頼した。 ウ 在住外国人 県では被災地の市町村の在住外国人の安否・避難状況等の収集・とりまとめを 行ったほか、被災市町村の庁舎や避難所へ職員を派遣し、在住外国人の被災状況 等の情報収集、外国人向けの相談窓口を記したチラシの配布・掲示を行った。 県国際交流協会では、国際交流相談員等を避難所に派遣し、相談や支援ニーズ の調査を行い、要望のあった外国語新聞(英語、中国語、ハングル、ポルトガル 語)の提供を行った。 また、被災外国人への情報提供を目的に、県ではホームページを活用し被災外 国人への呼びかけ文の掲示などを行うとともに、県国際交流協会と連携し翻訳支 援体制と通訳派遣体制を整備し、被災地の市町村の情報発信を支援した。 (5) 被災動物等の保護 ア 飼育動物の救援活動等 (ア) 支援物資の提供、動物保護活動、動物の一時預り 被災動物を救済するために、県では 7.13 水害の際に日本動物愛護協会な どから寄せられ備蓄していた動物用緊急支援物資(ペットフード、ペットシ ーツ、ねこ砂等)を市町村災害対策本部に提供した。また、県動物保護管理 センター5か所にワクチンや治療薬を配備し、被災動物の緊急治療や動物飼 育相談等を実施した。さらに、避難により飼育動物と一時的に離ればなれに なることを余儀なくされた人のために、県動物保護管理センターで動物の一 時預りを実施した。 (イ) 山古志村に残された動物の救援活動 山古志村の全村避難を受けて、県では山古志村に赴き、取り残された動物 の健康状態の確認や給餌・給水活動を行った。しかし、積雪により給餌が困 難と予想されたことから、平成 16 年 11 月下旬に収容活動を行った。

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写真 2-2-2 山古志村の動物の救援活動 (ウ) 避難所の動物対応 避難所の中には飼育動物を持ち込むことができないところがあった。また、 飼育動物を巡ったトラブルを避けるために、避難所ではなく車中生活を送る 避難者も多かった。このため、自衛隊では飼育専用のテントが設置されたほ か、県では避難所を巡回し飼育相談等を行った。 (エ) 応急仮設住宅での動物飼育支援 県や関係団体で構成する新潟県中越地震動物救済仮本部の働きかけによ り、各市町村の応急仮設住宅で動物飼育が認められ、入居者同士のトラブル 防止や相互理解を目的として、県などでは適正に飼育するためのアドバイス や注意を呼びかけるとともに、飼育ケージの貸出のほか、動物飼育用仮設施 設を設置した。 イ 牛の救出 被災地の中でも被害の大きかった山古志村は牛の飼育が盛んであり、重要無形 民俗文化財「牛の角突き」を有するなど古くから牛と密着した生活が営まれてい たが、震災により牛にも大きな被害が及んだ。村では全村避難が必要であったこ とから、牛を残して避難をせざるを得ず、村を離れる際には、生存している牛の 綱を切り離した者も居るなど多くの被災者は牛の救出を諦めていた。しかし、牛 の生産者達に「牛を救出したい」「伝統を壊したくない」という強い気持ちが生 まれ、牛の救出活動が行われた。県や村はその救出活動に協力し、空路で 1,124 頭、陸路で 78 頭の牛が救出された。 ウ 錦鯉の救出 被災地には錦鯉発祥の地として錦鯉生産が盛んな地域が含まれており、震災に より錦鯉にも大きな被害が及んだ。鯉は生活の糧であると同時に地域の宝であっ た。山古志村では全村避難後も、定期的に鯉の生産者が村に戻り、発電機を使っ て鯉に空気を送り続けた。県では被害状況調査により被害を把握し、被災地の要 望を受けて、平成 16 年 10 月 29 日に空路により親鯉約 1,600 尾を救出した。道

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3 住居の確保 (1) 住宅の応急危険度判定 県では余震等による二次災害の防止を目的に、県の応急危険度判定士を被災地に 派遣し、住宅の応急危険度判定の支援を行うとともに、他県に判定士の派遣要請を 行った。長岡市や小千谷市など 20 市町村で約 3,800 人の応急危険度判定士が 36,143 棟の建築物を判定した。 (2) 宅地の危険度判定 宅地の危険度判定では、長岡市や小千谷市など 14 市町村から被災宅地危険度判 定士の派遣要請があった。県内各市町村や他県からの判定士の応援により、要請の あった市町村では 3,330 の宅地の判定が行われた。判定の結果は、危険宅地 515、 要注意宅地 355、調査済宅地 2,460 であった。 (3) 住宅相談 長岡市など 11 市町村では、住宅相談に関する窓口を設置するとともに、避難所 や被災住宅を巡回して住宅の安全性や補修方法等に関する技術相談を実施した。住 宅相談では、4,710 件の窓口相談、3,748 棟の現場相談があり、主な相談内容は「被 害のあった住宅に住んでいても大丈夫か」「どのような補修を必要とするのか」「見 積もりをして欲しい」というものであった。県では相談窓口等の未設置市町村や相 談窓口に来訪できない住民からの住宅相談に対応するため、住宅相談フリーダイヤ ルを設置した。 さらに、県では空家情報提供センターを立ち上げ、全国宅地建物取引業協会連合 会などの協力の下で県内外の空家情報の提供を行うとともに、県内外からの被災者 受入申出の受付窓口を設置し、提供される居室の状況・所在地・受入可能期間等を 「居住スペース(宿泊のための部屋等)提供等の援助情報」として、市町村を通じて 被災者に対して計 805 件の情報を提供した。被災者の要望の多くは、通勤や通学等 の都合上、近隣地域であったが、受入申出の多くは県外からであったため(計 805 件のうち、県外 620 件、県内 185 件)、受入成立は2件にとどまった。 (4) 公営住宅等への一時入居 地震直後、県では公営住宅の被害状況と空家状況の把握に努めた。その後、県営 及び市町村営住宅の空家 43 戸、各省庁からの無償提供の申し出があった県内外の職 員宿舎、県職員寮 256 世帯について一時入居の募集を開始した。 さらに、独立行政法人都市再生機構における県内の賃貸住宅 33 戸、独立行政法 人雇用・能力開発機構における雇用促進住宅 140 戸、国土交通省における全国自治 体の空家公営住宅をとりまとめた約1万戸弱についても一時入居の募集が開始され た。平成 16 年 12 月末時点の公営住宅等一時入居件数は、県内 114 件、県外 23 件と なった。

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(5) 応急仮設住宅の設置 県では地震後の早い段階で応急仮設住宅の建設を決定し、市町村による敷地確保 や入居者選定の下、降雪前の入居完了を目指して急ピッチで建設が進められ、平成 16 年 12 月中旬に全戸完成した。長岡市など 13 市町村で計 3,460 戸となり、当初は 2,935 世帯、9,649 人の被災者が入居した。 日本有数の豪雪地帯という地域特性を踏まえ、応急仮設住宅には冬季の積雪や寒 さ対策を講じたほか、地域コミュニティを維持・形成することができるよう集落の まとまりに配慮して建設戸数を決定し、団地内には集会所等を設置した。 また、阪神・淡路大震災において応急仮設住宅で高齢者の「孤独死」が相次いだ ことを教訓に、長岡市中心部の応急仮設住宅団地に、高齢者向け給食サービス等の デイサービスを提供できる機能を持った集会所を国土交通省や厚生労働省の協力を 得て設置した。 写真 2-2-3 長岡市内に建設された応急仮設住宅 (6) 民間賃貸住宅の借り上げ 応急仮設住宅の建設完了までには時間がかかり、その間における多様な被災者ニ ーズに対応するため、県では高齢者世帯等を対象に民間賃貸住宅を借り上げて提供 した。その実施にあたっては、災害救助法における応急仮設住宅と同様に取り扱い、 県宅地建物取引業協会の協力を得て被災地の物件を確保した。その結果、174 世帯 457 人が入居した。 (7) 被災者の住宅応急修理支援 県では、応急仮設住宅に入居することよりも、自宅を修理して戻ることが被災者 の生活再建につながると考え、自宅の修理にも公費を支出することができるよう国 に強く要望した。これを受けて、国では災害救助法に基づく住宅の応急修理制度を 弾力的に運用し実施することを決定した。また、被災地が特別豪雪地帯であるなど 地域事情が考慮され、災害救助法に基づく住宅の応急修理に係る補助制度において、 大規模半壊及び半壊に係る1世帯の補助限度額が 51 万9千円から 60 万円に引き上 げられたほか、原則として1か月以内とされている修理完了期限についても、県及 び国の協議を踏まえ、平成 17 年3月末まで延長された。

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ている修理経費額とかけ離れたものであったため、県では国の制度とは別に県独自 の補助制度を創設した。県補助制度は、対象者や応急修理の範囲については国の補 助制度に準ずるものであったが、所得等の要件を廃止し、大規模半壊については1 世帯当たり 100 万円、半壊については1世帯当たり 50 万円とした。 4 義援金の受入と配分 (1) 義援金の受入(受入期間:平成 16 年 10 月 25 日~平成 19 年 10 月 24 日) 中越大震災の発生は土曜日の夕方であったが、被害が甚大なことが報道されると、 翌 24 日の日曜日には全国から多くの義援金の申し込みが寄せられた。 県は、日本赤十字社新潟県支部及び新潟県共同募金会とともに義援金を受け入れ ることを決定し、24 日中に銀行及び日本郵政公社に連絡、25 日に金融機関が営業を 開始するとすぐに義援金の受入専用口座を開設した。 平成 19 年 10 月 24 日の受入終了までに、37,365,773,401 円(預金利息額を含む) の義援金が寄せられた。(表 2-2-1) 表 2-2-1 新潟県中越大震災義援金等の受入額 (単位:円) ※1 NHK 新潟放送局受入分は、新潟県共同募金会を通じて受入。 ※2 TeNY テレビ新潟放送網受入分のうち50,000 千円は新潟県出納局を通じて受入。 (2) 義援金の配分 県は、県内外から中越大震災の被災者に寄せられた義援金を公平かつ効率的に配 配分委員会預金口座利息 合  計  10,159 小計(義援金受入額) 3,600,810 新潟日報社・BSN新潟放送(共同) 受入機関 新潟県 日本赤十字社新潟県支部 新潟県共同募金会 37,365,773,401 37,365,763,242 ※2 32,236,286 79,013,401 ※1 NST新潟総合テレビ TeNYテレビ新潟放送網 UX新潟テレビ21 16,450,175,665 16,527,882,363 4,119,415,744 4,154,800 BSN新潟放送 NHK新潟放送局 13,143,090 136,141,083 備考 うち使途(教育支援目的)指定分 137,408,473 受入額

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分するため、平成 16 年 11 月 12 日に中越地震災害義援金配分委員会を設置(平成 17 年1月 14 日「新潟県中越大震災義援金配分委員会」に変更)した。 県配分委員会は、義援金受付団体、福祉団体代表、被災者代表、ボランティア代 表、学識経験者により構成され、委員会にはアドバイザーも置かれた。 県配分委員会では平成 22 年 12 月 27 日までに計4回の配分計画を決定し、合わ せて 37,365,773,401 円を配分した。そのうち、最終配分の 1,209,048,928 円は、震 災の経験を生かした青少年のための事業を実施するために活用してもらうこととし、 全額を(財)新潟県中越大震災復興基金へ配分した。(表 2-2-2) この最終配分は、新潟県中越大震災義援金事業検討委員会(義援金配分委員会内 に設置)において策定した事業枠組に即して、新潟県防災教育プログラムの制作な どに活用されている。 表 2-2-2 新潟県中越大震災義援金等の配分額 (単位:円) 配 分 額 市町村への配分額 36,156,724,473(約 97%) 青少年のための事業等 (中越大震災復興基金への配分額) 1,209,048,928(約3%) 合 計 37,365,773,401 (3) 配分実績 ア 第1回配分(平成 16 年 11 月 20 日計画決定) 配分額:16,883,850,000 円 ○ 被災者の当面の資金需要や早急な住宅・生活再建に向けた動機付けに資する よう、「迅速性」を重視し、人的被害、住家被害を受けた世帯に全県統一基準 で配分した。(表 2-2-3) 表 2-2-3 第1回配分基準 対象被害区分 金額 人数又は世帯 配分額(円) 人的被害 死者 20 万円/人 67 人 13,400,000 重傷者 10 万円/人 633 人 63,300,000 小 計 700 人 76,700,000 住家被害 全壊 200 万円/世帯 3,100 世帯 6,200,000,000 大規模半壊 100 万円/世帯 2,138 世帯 2,138,000,000 半壊 25 万円/世帯 11,795 世帯 2,948,750,000 一部損壊 5 万円/世帯 110,408 世帯 5,520,400,000 小 計 127,441 世帯 16,807,150,000 合 計 16,883,850,000

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イ 第2回配分(平成 17 年3月 22 日計画決定) 配分額:15,126,660,000 円 ○ 全県統一基準を策定せず、被災者に身近な市町村がきめ細やかな配分を行え るよう、各市町村の住家被害の状況に応じて市町村に対して枠配分を実施した。 (表 2-2-4) ・枠配分を受けた市町村は、地域の実情に即した配分計画を個別に定め、被災 者へ迅速に配分した。 ※枠配分に際しては、市町村個別の配分計画の参考となるよう、配分対象メ ニュー例を例示した。 表 2-2-4 第2回配分基準 住家被害区分 配 分 額(円) 全壊 5,580,000,000 大規模半壊 1,924,200,000 半壊 2,654,100,000 一部損壊 4,968,360,000 合計 15,126,660,000 ウ 第3回配分(平成 18 年 12 月7日計画決定) 配分額:4,008,806,000 円 ○ 第2回配分と同様、県配分委員会からの配分例提示による市町村への枠配分 とし、市町村が地域の実情に応じ、配分計画を策定した。(表 2-2-5) ・県配分委員会の配分計画策定時の配分可能額(約 50 億円)のうち、約 10 億 円を配分留保し、これを除いた額の範囲内で配分を実施した。 ・枠配分の積算基準は、①住家の被害程度に応じた配分に加え、②生活再建の 困難性を加味して策定した。 表 2-2-5 第3回配分基準 住家被害区分 配 分 額(円) 全壊 1,364,000,000 大規模半壊 470,360,000 半壊 648,780,000 一部損壊 1,214,466,000 小計 3,697,606,000 仮設住宅入居世帯分 仮設住宅長期入居世帯分 311,200,000 合計 4,008,806,000

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エ 教育支援目的条件付義援金の配分(平成 17 年6月6日計画決定) 配分額:137,408,473 円 義援金受付時に、使途(教育支援目的)を明示されて受け付けた分について、通 常分と別枠で配分し、各学校設置者が教育支援・学校支援のために活用する原資 とした。 オ 第4回配分(平成 22 年 12 月 27 日計画決定) 配分額:1,209,048,928 円 ○ 被災者に全額を配分するのではなく、配分残額を震災の経験を生かした青少 年のための事業実施に活用するため、(財)新潟県中越大震災復興基金へ配分す ることとした。 ・具体的な事業については「新潟県中越大震災義援金事業検討委員会」(義援 金配分委員会内に設置)において策定した事業枠組に即して実施することと し、事業実施と適切な運営・資金管理を条件として、全額を(財)新潟県中越 大震災復興基金へ配分することとした。 <震災の経験を生かした青少年のための事業枠組の概要> ① 団体実施事業 広く学校・地域において使用可能な、青少年の成長段階に応じた一貫性の ある防災教育(防災人材育成)プログラムの開発・普及 ② 学校実施事業 学校が地域と連携し、授業・課外活動・学校行事において、防災に関する 教材の導入や外部講師・指導者の招へい、他の被災地等訪問 ③ 地域実施事業 地域が学校や青少年育成に関係する団体等と連携し、地域活動において、 防災に関する実地訓練や学習・研修会の開催、被災経験を活かした都市住民 との継続的な交流活動、他の被災地等訪問 など

表 2-1-1  各地の主な震度  震度7  新潟県  川口町  震度6強  新潟県  小千谷市、山古志村、小国町  震度6弱  新潟県  十日町市、堀之内町、中里村、守門村、川西町、越路町、刈羽村、  長岡市、栃尾市、三島町、広神村、入広瀬村  震度5強  新潟県  中之島町、安塚町、見附市、与板町、和島村、  出雲崎町、小出町、塩沢町、六日町、大和町、津南町、松代町、  松之山町  震度5弱  新潟県  三条市、柏崎市、栄町、西山町、弥彦村、吉川町、高柳町、燕市、  分水町、中之口村、三和村、加茂市、湯
図 2-1-3 過去の地震の余震活動
表 2-1-2  新潟県内に被害を与えた地震とその被害  発生年月日  規模  地名  災害の状況  1886. 7.23(明治 19)  1887. 7.22(明治 20)  1898

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