• 検索結果がありません。

598 (Jay Rubin) (pp ) ( Translating Murakami ) (Philip Gabriel) (Gary Fisketjon)

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "598 (Jay Rubin) (pp ) ( Translating Murakami ) (Philip Gabriel) (Gary Fisketjon)"

Copied!
21
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

村上春樹の翻訳観とその実践

―「文学四重奏団」から「レーダーホーゼン」へ―

圓 月 優 子

 村上春樹は今日、海外において他の日本人作家の追随を許さない人気を博 している。「自己充足的な“大島国”アメリカでは外国文化などどう考えて もマイナーに過ぎないのである」 (p. 103) と指摘しながらも、タフツ大学教 授のホセア・ヒラタ (Hosea Hirata) がアメリカにおける村上春樹の受容の高 まりに驚嘆したのは約15年も前のことだが、たとえばアメリカ人のように翻 訳文学に対する興味が低いとされた読者に対しても、村上春樹がこれほどま でにアピールできた背景には何があるのだろうか。物語のテーマや筋立て、 キャラクターなどの魅力といった要素ももちろん重要ではあろうが、すぐれ た翻訳家の働きが功を奏していることも間違いないだろう。村上作品の翻訳 については、かつてドイツのテレビ番組「文学四重奏団」(Das Literarische Quartett) がきっかけとなって、いくつかの問題が浮上した。村上春樹の小説 が外国語に翻訳される際のメカニズム、そのなかで村上自身がどのような役 割を演じているのかは興味深いところである。その興味深さは、自身も小説 家であるばかりでなく、多数のアメリカ現代小説を日本語に翻訳するという 仕事を精力的に続けている村上であれば、なお一層のこととなろう。本論は、 村上春樹の翻訳観とその実践について検討することにより、村上にとっての 「テキスト」の意味について考察することを目指すものである。

 「文学四重奏団」というのは1988年から放映が開始された書物をめぐるド イツの人気討論番組である。この番組で2000年6月に村上春樹の『国境の南、 太陽の西』が取り上げられ、『ねじまき鳥クロニクル』とともに論じられて 『言語文化』12-4:597−617ページ 2010. 同志社大学言語文化学会 ©圓月優子

(2)

騒動を巻き起こすことになった。出演者であるひとりの評論家が『国境の南』 を激賞するのに対して、別の評論家がこの作品を注目に値しないファスト フード文学と酷評し、この二人のあいだで論争が過熱して個人攻撃合戦と化 したのである。その顛末については、村上作品の主要な英語翻訳者三人のう ちの筆頭格で、『ねじまき鳥クロニクル』の翻訳者として自身もこの騒動に 巻き込まれることとなったジェイ・ルービン (Jay Rubin) が、その著書『ハ ルキ・ムラカミと言葉の音楽』のなかで詳しく説明している (pp. 405-16)。 それによるとテレビ番組で村上の文体が厳しく批判されたこともあって、放 映後にオリジナルの日本語との比較検証を求める声があがったという。検証 の結果あきらかになった二つの事実は、ドイツ人読者を驚かせることになっ た。『国境の南、太陽の西』も『ねじまき鳥クロニクル』も、ドイツのデュ モン社から刊行されているのだが、どちらも日本語のオリジナル・テキスト から直接ドイツ語に翻訳されてはおらず、英語の翻訳からドイツ語に重訳さ れたものであることがひとつ。さらにドイツ語の翻訳が依拠した英語訳は、 オリジナルの日本語テキストをかなり編集したものであったというのがもう ひとつの事実である。  重訳の問題は後回しにして、まずは「オリジナル・テキストの編集」とい う点について考えてみよう。この点については、村上作品の翻訳をめぐるイ ンターネット「円卓会議」(“Translating Murakami”) の内容がおおいに参考に なる。この「円卓会議」というのは、アメリカにおける村上作品の出版社の ひとつであるクノップフ社が主催したもので、ジェイ・ルービンともう一人 の村上作品の英語翻訳者であるフィリップ・ゲイブリエル (Philip Gabriel)、 そしてクノップフ社における村上作品の担当編集者ゲイリー・フィスケット ジョン (Gary Fisketjon) の三者による電子メールのやりとりの形で2000年か ら2001年にかけての年末年始におこなわれた。それによるとフィスケット ジョンは『ねじまき鳥』について、オリジナル・テキストそのままの長さで はアメリカで出版してもうまくいかないし、アメリカにおける今後の村上の ためにはならないだろうと考えたという。編集者としての直感というところ か。1 そこでクノップフ社は村上とのあいだで契約を交わし、出版する英訳 本の長さの上限を定め、それに基づき翻訳をジェイ・ルービンに依頼するこ

(3)

ととなったのである。  翻訳家ルービンの立場を彼の視点からみてみよう。『ハルキ・ムラカミと 言葉の音楽』によると、そもそもルービンとしては『ねじまき鳥』の原作の 一部を削除するといった改編は全く想定していなかったという。しかしなが ら、自分こそがこの小説の一言一句について最も精通している人間だという 自負をもったルービンは、この小説の翻訳の仕事が自分以外の手に渡った場 合、小説を無残に破壊してしまいかねないと危惧し、むしろ率先して自らが 改編作業も引き受けて翻訳をおこなう決心をする。原作の第2部の終盤を大 幅にカットするといった編集については、ルービン自身、「オリジナル・テ キストよりも自分の翻訳したもののほうがより引き締まって読みやすい」と 自信を示している。しかし同時に、こういった「引き締め」といったこと自 体が「オリジナル・テキストの歪曲であり、日本語による芸術作品のアメリ カナイゼイション」とみなされるかもしれないと述べている。  文芸作品を他言語に翻訳する際に、出版社の編集者が作品の長さに制限を 加えたり、翻訳者が原作の一定部分をカットするといった編集作業をおこな うことは、一般の日本人には理解しにくいことだろう。しかしながら「円卓 会議」に参加した三者がそれぞれの口から「編集」について語る言葉は、日 本とアメリカの出版事情の違いを一般論として如実に示すものである。フィ リップ・ゲイブリエルは言う: 私が日本の現代文学を翻訳する際に遭遇する問題のひとつ、それは日 本においては編集に対する考え方が違うということです。つまりオリ ジナルの日本語テキストをみていると、矛盾点、繰りかえし、非論理 的な部分があることによく気づきます。そういった点というのはアメ リカ人編集者ならばおそらくきっと取り除いていたことでしょう。前 に(村上のではない)小説を翻訳したときも、私は時に自分の仕事が 翻訳と編集の両方だと感じることがありました。アメリカの編集者が 言ったことが記憶に残っています。つまり人気のある日本人作家の作 品は(アメリカの基準からいうと)最低限の編集だけを経て、急いで 印刷にまわされるのだと。そして日本の編集者というのは、テキスト

(4)

の変更を提案するということにかけては積極的でないのだと。という わけで我々のような人間がテキストを翻訳する段になると、我々翻訳 者およびアメリカの編集者はオリジナル・テキストを、アメリカ人が 考えるところのタイトでロジカルなテキストにするために、操作する 必要がでてくるというわけです。 ゲイブリエルは実際に『国境の南』において不必要な繰りかえしと思われる センテンスをいくつか削除して、テキストを引き締めたと言っている。上記 のメールを受けてジェイ・ルービンも「日本の編集者については、おっしゃ るとおりです。彼らはクノップフ社や『ニューヨーカー』誌のようなやり方 で編集することはないのです」と言っている。フィスケットジョンの意見も 同様で、自分としてはテキストの「日本語版の完全性については不信感をもっ ています」と述べている。「円卓会議」から離れたところでは、たとえば村 上作品の主要な英語翻訳者三人のうちのひとりアルフレッド・バーンバウム (Alfred Birnbaum) も「当面は海外の読者に馴染ませるために(そして英米の 商業出版界に納得してもらうためにも)若干編集の手を加えた、“活性化” させるアプローチが翻訳の命だ、と確信しています」 (p. 205) と述べている。 要するに日本において編集者がテキストに対して果たしている役割は、少な くともアメリカの基準を満足させるレベルに達していないということなの だ。一般の日本人にしてみれば、ここでいう「アメリカの基準」(テキスト の修正を求めるような口出しを含む)は編集者のでしゃばり行為と見えなく もないのだが。  日本とアメリカのあいだで、編集者に期待される役割が同質でないという ことがそもそもの発端であったわけだが、それはそれとして、ドイツの文芸 批評家イルメラ・日地谷=キルシュネライト (Irmela Hijiya-Kirschnereit) は「改 編されたアメリカ版がドイツ語訳の基礎となったのだが、批評家を含めたド イツ語圏の読者は、ドイツ語訳は日本語のオリジナルと異なっているという 事実をまったく知らなかったのである」 (p. 197) と驚きを示し、村上春樹の 姿勢こそを問題視している。ひとつに村上が自作をアメリカで出版するにあ たって、原作を改編したいというアメリカの出版社・編集者の意向を了解し

(5)

たということ。確かにジェイ・ルービンが翻訳にたずさわった英語翻訳 The Wind-up Bird Chronicle の扉ページには著作権者や出版年などの情報ととも に、次のように明記されている:“Translated and adapted from the Japanese by Jay Rubin with the participation of the author”。“adapted” というのは、ルービン による原作の一部削除などの作業を指すわけであるが、そこには「原作者の 関与」もあったというわけである。つまり翻訳の際の改編作業について、作 者は決して蚊帳の外に置かれていたわけではないのだ。  二つ目にキルシュネライトが問題視するのは、村上春樹がオリジナル・テ キストの改編作業に加担したというだけでなく、重訳を承認したということ である。ドイツでこの点が(キルシュネライトの言葉を借りれば)「スキャ ンダル」として取沙汰された時、村上の出版元であるデュモン社は、村上と 協議して共同声明を発表することになる。その内容はというと、「村上春樹 とデュモン社は、日本語からの直接の翻訳を理想とはする。しかし村上は他 の言語でも速やかに自らの作品が出版されることを望んでおり、そのため、 英語版を基礎とした他の言語への翻訳を基本的に受け入れる。世界をまたに かける作品の旅は、英語によってこそ始まると村上は理解しており、そのた め彼は英語版を最重要視している」(キルシュネライト、p. 197)といったこ とである。デュモン社は重訳の事実を公に認め、村上も了承していたという ことが確認できる。  この共同声明をみて、キルシュネライトのような批評家が「村上春樹にとっ て、出版の時期のほうが翻訳の正確さや質よりも重要なのだろうか?」といっ た疑問を抱くのも当然に思われる: 自らも翻訳者であるこの作家が、重訳を容易に肯定するはずはない と考えたい。しかし、もしこの声明の内容が村上の意志を正確に伝え ているならば、彼は自らの作品の英語版を他の言語へ推奨することに より、日頃我々が批判し抵抗している、英語圏の文化的帝国主義を自 ら体現してしまうことにもなる。彼はアメリカ人の好みを基盤として、 自らの文学の“グローバル化”を実現しようとしているのだろう。 (p. 198)

(6)

自らも日本文学のドイツ語翻訳を多数手がけているキルシュネライトの議論 は非常に論理的で一定の説得力を持つが、いささか教条主義的、白黒をはっ きりさせ過ぎるような窮屈さが感じられるし、その結果彼女の批判がどこか 空回りしているようにも思われる。とは言え、その一方で翻訳作品に対する アメリカの合理的な編集方針も、作家の自立性を脅かしているように思われ る。そういったなかで、翻訳に対する村上春樹の考え方を今一度整理し検証 する必要があるだろう。

II

 キルシュネライトは「自らも翻訳者であるこの作家が、重訳を容易に肯定 するはずはないと考えたい」と述べているが、実際のところ村上はキルシュ ネライトの生真面目さをせせら笑うかのように、「僕は実を言いますと、重 訳ってわりに好きなんですよね」などとあっさり言いのけてみせて、意外な ほど「容易に」重訳を肯定しているのだ。『翻訳夜話』には翻訳に対する村 上の鷹揚な姿勢がよく現れている。話の前提として村上は、ニューヨークが 現在の出版業界の中心地であって、言語的にも英語が業界のリンガ・フラン カになっているということ、今後グローバライゼーションがさらに進むとす れば、そのなかで重訳ももっと増えてくるだろう、といったことを指摘して いる: 正論で言えば、もちろん日本語からの直接翻訳がいちばん正確だし、 またそうであるべきなんだけれども、正論ばかり言ってはいられない という状況はずいぶん出てくるだろうと僕は思うんですよ。世界の交 流のスピードは急激に速くなっているし、現実的に言って、日本語か らの直訳を世界じゅうの国に対して要求できるほど、日本語の地位は 今のところ高くないです、残念ながら。だから、僕らがそういうシス テムにある程度慣れていかないといけないんじゃないかなと思いま す。そしてその中でルールみたいなものを確立していく必要がある。 もう一つ、英語に翻訳されるときはかなり細かくチェックすることも

(7)

必要だろうと。個人的にはそう思います。・・・ 僕の小説がそういうふうに重訳をされているということから、書い た本人として思うのは、べつにそれでもいいじゃないかって(笑)。 多少誤訳があっても、多少事実関係が違ってても、べつにいいじゃな い、とまでは言わないけど、もっと大事なものはありますよね。僕は 細かい表現レベルのことよりは、もっと大きな物語レベルのものさえ 伝わってくれればそれでいいやっていう部分はあります。作品自体に 力があれば、多少の誤差は乗り越えていける。それよりは訳されたほ うが嬉しいんです。・・・ スピードって大事ですよね。たとえば僕がいま本を書いて、それが 十五年後にひょいとノルウェー語に訳されたとして、それはそれでも もちろん嬉しいんだけれど、それよりは二年後、三年後にいくぶん不 正確な訳であっても出てくれたほうがありがたいですよね。それは大 事なことだと思うんですよ。正確さというのは大事だけど、速度とい うのも決して無視できないことです。・・・これは賞味期限の問題だ と思うんです。小説には時代的インパクトというものがあるし、同時 代的に読まなくちゃいけない作品も、やはりあると思いますよ。(『翻 訳夜話』、pp. 82-85) これは1999年11月に村上春樹と柴田元幸がおこなった翻訳フォーラムのなか での村上の発言である。時期的に言って、ドイツで騒動を巻き起こしたテレ ビ番組「文学四重奏団」の放映以前のものであるから、別にキルシュネライ トの生真面目さを逆なでしようと意図されたものではない。一般の聴衆を前 にした対談形式であるので語り口も気楽なものになっているが、ここにあら われた考え方というのは、村上が他の場でもよく表明するところのものであ る。  こういった村上の発言については、キルシュネライトならずとも問題点が いろいろ見出せるだろう。小説家として言葉に対するこだわり、「細かい表 現レベル」への執着が希薄すぎるのではないか。常々翻訳に関して賞味期限 を持ち出して新訳の必要性を語る村上ではあっても、2 自分の小説を「同時

(8)

代的に読まなくちゃいけない作品」で「賞味期限」があるとみなすというの は、作家としての矜持に欠けるのではないか。これでは後に蓮實重彦が村上 の小説について、「そこには作者の側の、同時代の読者による共感への軽薄 な期待が漂っているような気がします」 (p. 20) と述べ、村上のことを結婚詐 欺師よばわりして批判するのも納得できるところであろう。また「正論」を 捨ててでも「システム」に馴染もうとする姿勢は、エルサレム賞の受賞スピー チでシステムという名の強固な壁を前にしたひとつひとつの卵に市民を喩 え、「システムに我々を利用させてはなりません」と語った毅然とした姿勢 とは折り合わないのではないか。  語り口の軽さが誤解を招きかねないが、村上の発言の背後には、非常に醒 めた現実認識が横たわっているように思われる。たとえば次のような発言は どうだろう:「僕は翻訳というのは、あくまで近似値だと思っています。そ の近似値の溝を埋めていくのは愛情と熱意です。愛情と熱意があれば、たい ていのものごとは乗り越えられます。僕はそういう意味では、僕の翻訳者を 信じていますし、それがいちばん大事なことだと思います。」(『「そうだ、村 上さんに・・・」』、p. 43)愛情と熱意があれば、たいていのものごとは乗り 越えられます、などといったナイーブな響きの発言は、おそらくキルシュネ ライトのような生真面目な批評家には耐え難いものだろう。彼女が「批評家 を含めたドイツ語圏の読者は、ドイツ語訳は日本語のオリジナルと異なって いるという事実をまったく知らなかったのである」と驚愕のトーンで述べて いたことを思い出そう。村上の日本語オリジナル・テキストが英語に翻訳さ れるときに本文の一部をカットするという改編が行われたということ、ドイ ツ語訳はその英語版をもとにした重訳であったことにキルシュネライトは憤 慨していたのだが、しかしとどのつまり重訳であろうが直接訳であろうが、 翻訳が「日本語のオリジナルと異なっている」というのは当たり前のことで ある。翻訳はどう転んでも解釈の産物なのであって、無色透明にひとつの言 語から別の言語に移し変えるといったことは不可能なはずである。つきつめ ればこれは翻訳だけの話ではない。日本語のオリジナルを日本人読者が読む 場合にも通じることであって、そもそも「読む」という行為そのものに内在 する問題でもあろう。キルシュネライトは「自らも翻訳者であるこの作家が、

(9)

重訳を容易に肯定するはずはないと考えたい」と述べるが、逆に自らも翻訳 者であるからこそ、村上は翻訳がどこまでいっても「近似値」であることか ら逃れようがないことを覚悟しているのではないだろうか。  そしてその村上の覚悟以上に、翻訳が翻訳者に依存する、翻訳者の産物で あることを、村上自身による翻訳が示しているように思われる。村上春樹は 数多くの現代アメリカ小説を翻訳しているが、翻訳者としての作法について 次のように語っている:「一語一句テキストのままにやるのが僕のやり方で す。そうしないと僕にとっては翻訳をする意味がないから。自分のものを作 りたいのであれば、最初から自分のものを書きます。」(『翻訳夜話』、pp. 17-20)しかしながらここで興味深い現象を観察することができる。「一語一 句テキストのままに」というのは、村上の翻訳姿勢に確かに反映しているの だが、皮肉なことにそれがかえって翻訳に村上春樹色をにじみださせる要因 のひとつともなっているのだ。たとえばしばしば指摘される “you” の訳出の 問題。『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の翻訳などに顕著にみられるのだが、 村上は一般人称と目される “you” をあえて意識的に「君」と訳出することが ある。それと関連して、慣用句やクリシェなどのように実質的な意味はない ような表現についても、「むしろ、外国語の言語的様式性みたいなものは、 大事にしなくちゃいけないんじゃないか」(『サリンジャー戦記』pp. 47-8) と述べ、訳出にこだわりを見せている。『グレート・ギャツビー』のなかでギャ ツビーの口癖である “old sport” という他者への呼びかけの語を大貫三郎なら 「ねえ君」、野崎孝なら「親友」と訳すところを、村上はそのまま「オールド・ スポート」と片仮名書きで残したり、大貫と野崎がともに「ねえあんた」と 訳している “my dear” という呼びかけ表現を、村上は「マイ・ディア」とこ れまた片仮名で表わしているというのも、その一例であろう。他の翻訳者と は異なり、「地コ ミ ュ ニ テ ィ ー域社会」や「配パ ン ト リ ー膳室」・「図ラ イ ブ ラ リ書室」といったように、ある種の 英単語は日本語訳に英語の発音のルビをふるといったことも、英単語の音感 を尊重するという意味で「テキストのままに」という考えを反映していると いえる。  言うまでもなく英語と日本語では文法構造が異なるので、きれいに訳すた めには語順を大幅に変えるといった作業が伝統的に求められてきたが、村上

(10)

春樹が翻訳したものには倒置文が多いというのも、英語の語順をできるだけ そのまま翻訳に反映させようという意図のあらわれと理解できる。『グレー ト・ギャツビー』のエンディングを例にとろう。“So we beat on, boats against the current, borne back ceaselessly into the past.” という文を大貫は「だから、過 去のなかへ絶えずひき戻されながらも、僕たちは流れに逆らって船を浮かべ、 波を切りつづけるのだ」と訳し、野崎は「こうしてぼくたちは、絶えず過去 へ過去へと運び去られながらも、流れにさからう舟のように、力のかぎり漕 ぎ進んでゆく」と訳した。それに対して村上訳は英語の語順をできるだけキー プして訳しているのがわかる:「だからこそ我々は、前へ前へと進み続ける のだ。流れに立ち向かうボートのように、絶え間なく過去へと押し戻されな がらも。」  以上のような村上訳の特徴には「一語一句テキストのままに」という主義 がよく生きていると思われるのだが、結果として出来上がるものは非常に村 上春樹らしい、村上春樹の個性がでた翻訳なのである。翻訳という作業が、 自分の解釈なり自分の選択なりといったことに基づく限り、翻訳者は透明人 間にはなれないのだということは、村上自身が翻訳者として体験してきたこ とであったろう。村上は、「結果的に自己表現になるかもしれないけれど、 翻訳というのは自己表現じゃあないです。自己表現をやりたいなら小説を書 けばいいと思う」(『翻訳夜話』、p. 36)と言うが、村上による翻訳の仕事は、 やはり「結果的に」村上の自己表現になっているのである。だからこそ作家 の野中柊のようにアメリカ文学の原著とその村上訳を見比べて、「あれ?私っ たら著者が手ずから書いたものより村上訳の方が好きかも!」 (p. 181) と いった反応を示す読者がいるのも不思議ではないのである。  村上春樹の場合、純粋に自己表現である小説執筆という活動もまた、翻訳 的な要素と無縁ではない。村上の小説の日本語は英語のスタイルに近いとし ばしば言われるが、高校生のころから現代アメリカ小説を英語で耽読し、数 多くのアメリカ小説を「一語一句テキストのままに」を心がけて翻訳してき た経験が、彼の書く小説の日本語に影響をあたえたとしても不思議ではない。 あるいはそれは影響を受けたというよりもっと意識的なことであったろう。 村上は言う:

(11)

僕は小説を書き始めた頃、自分の中で自分だけの新しい日本語の体 系みたいなのを作り上げようと思い(つまりこれまでの文芸的日本語 が当然のものとしてもたれかかってきた共有価値体系をチャラにする べく)、外国語というものをかなり意識して、日本語を(言うなれば) 解体したかったわけです。そこから僕なりにまっとうな日本語を作ろ うとしたわけです。そのような挑戦性については、最初からかなりの 確信犯だったと思います。(『「そうだ、村上さんに・・・」』p. 98) その挑戦性が功を奏して、翻訳家としてばかりでなく小説家としても村上春 樹の日本語は擬似外国語化した雰囲気をもつのであろう。批評家マシュー・ C・ストレチャー (Matthew C. Strecher) は村上の文体には「極めてインター ナショナルな雰囲気」があり、それはあたかも「英語から翻訳されたものの よう」で、「彼の日本語はシンプルで外国の(あるいは外国風の)イディオ ムに依存しているために、外国語に翻訳しやすい」と指摘している。3 こう いった村上の文体の特徴は、しかしながらまた逆に細心の注意を払う翻訳家 を泣かせる点ともなりうるのだ。ジェイ・ルービンは言う: 村上の日本語は硬くない。アメリカ風味はほのかで、外国風であると 同時に自然に感じられる。・・・逆説的なことに、英語のスタイルに 近いといわれる村上の文体を英訳して「戻」そうと努める英訳者にとっ て、英語との近さが問題を引き起こしうる。日本語で村上の文体を新 鮮かつ面白くしている一番重要な性質が、翻訳によって失われてしま うのだ。(『ハルキ・ムラカミと言葉の音楽』、p. 424) 「一語一句テキストのままに」翻訳しようという意識が、結果的に村上らし さを前面に押し出したような翻訳を生み出すという逆説がある一方で、「英 語のスタイルに近い」という村上の日本語の特徴は、彼の小説を本当の英語 に翻訳してしまった瞬間にかき消えてしまうという逆説もあるのである。

(12)

 自分の書いた作品が他の言語に翻訳される際に改編されたり、また重訳さ れたりするということに対して村上春樹がみせる容認姿勢は、無理をして鷹 揚さを装ったポーズとは思えない。それは、削除する箇所、改作する箇所に ついて村上本人も積極的に翻訳者にあれこれと助言していたことから想像で きる。「円卓会議」におけるジェイ・ルービンの説明によると、 『ねじまき鳥 クロニクル』の部分削除に関して、村上はルービンのために削除できそうな 箇所をたくさんマークしたという。村上のもうひとりの英語翻訳者である フィリップ・ゲイブリエルもおもしろいエピソードを紹介している。『ニュー ヨーカー』誌に掲載された “Man-Eating Cats” (原題:「人喰い猫」)において、 二人の登場人物がファミリー ・レストランのチェーンの一つロイヤルホスト で朝食をとっているという箇所を英訳するにあたり、ゲイブリエルはロイヤ ルホストをそのまま “Royal Host” としようとしたのだが、村上はロイヤルホ ストではアメリカ人に馴染みがないかもしれないからデニーズに変えたほう がいいだろうとゲイブリエルに助言し、その案が採用されたというのである。 『海辺のカフカ』を英訳した際にも村上はゲイブリエルに意欲的にさまざま

な示唆を与えたそうで、ゲイブリエルは “I really enjoy this interaction” と述べ ている。先にあげたルービンも、『ねじまき鳥クロニクル』に関して村上か らさまざまな削除箇所の提案を受けた時のことについて、「その殆どの箇所 を私は私の修正版翻訳に活かしたが全部ではない。(いくつかの箇所につい ては、彼が重要な部分をカットしてしまっていると私には思えたのだ。)」と 述べ、原作者と翻訳者のあいだに対等なインタラクションがあったことを示 唆している。  翻訳者に対して親切な態度で協力を惜しまない原作者というだけでなく、 村上は翻訳者や編集者との関わりから刺激を受け、その刺激を次の段階で自 作の改編に活かしさえするのである。『ねじまき鳥』は部分的削除の改編を おこなってルービンによる英語訳がアメリカで出版された。そしてのちに日 本でこの小説の文庫本版が出版されることとなった際に、村上は自身が英語 版翻訳に協力してルービンに提案した箇所の多くを、文庫本版では誰に強い

(13)

られることもなく自ら削除している。オリジナル・テキストを改編するとい う作業に対する原作者としての抵抗の無さがみてとれるところである。  「それにしても今、読者はどのヴァージョンをオリジナルと呼べば良いの だろう?作者である村上春樹によって承認された、日本語と英語の二つの ヴァージョンが存在していることになるからだ」と疑問をなげかけるのは、 批評家キルシュネライトである。彼女にとって村上作品のテキストの問題は 謎だらけである: 改編されアメリカで出版された作品は、日本語のオリジナルと比較 して一体どのようなステータスを持つのだろう?本当に新しい作品な のだろうか? もし、自らも加わり改編した英語版を、村上が日本語のオリジナル より優れたものと見なすなら、その新しいとされる作品は、いつかま た日本語に訳し返されるのだろうか(村上自身によって?) (p. 199) キルシュネライトがおそらく冗談めかして言ったつもりの「村上自身によっ て?」が現実の話となるとは、キルシュネライトには想像できなかったであ ろう。「レーダーホーゼン」という短編において、村上春樹はキルシュネラ イトの生真面目さをまたもやせせら笑うかのように、自分のオリジナル・テ キストの英訳版を自ら日本語に訳し返すという妙技をみせているのである。  「レーダーホーゼン」は、もともと『回転木馬のデッド・ヒート』という 短編集に収められて1985年10月に講談社から出版されたものである。その後 アルフレッド・バーンバウムによって英語に翻訳され、1992年に『グランタ (Granta)』というイギリスの雑誌に掲載された。その際バーンバウムは雑誌 の意向を受けて、オリジナル・テキストを短く改編して訳している。そのの ちこの英語訳は The Elephant Vanishes というタイトルの短編集に収録されて 1993年にクノップフ社から出版されることとなる。この短編集はクノップフ 社における村上担当の編集者ゲイリー・フィスケットジョンが、作品の取捨 選択から掲載順にいたるまで、ひとりで編纂に携わったものである。2005年 にはこの短編集の日本語版が『象の消滅』と題されて新潮社から出版された。

(14)

この日本語版短編集は英語版の短編集の編纂をすべて踏襲したものである が、収録されている個々の短編は原則としてそれ以前に国内で刊行された『村 上春樹全作品』(講談社刊)を定本としている。ただし新潮社の注書きによ ると、「レーダーホーゼン」に限っては、もともと村上が書いたオリジナル を定本とはしておらず、アメリカで刊行されたクノップフ社版(もちろん英 語)から村上が新しく和訳しなおしたものだというのである。村上によると バーンバウムによる短縮版は作品としてなかなか悪くなかったから、それを テキストにして、自ら日本語に訳しなおしてみたという:「つまり僕はここ では著者でありながら、同時に翻訳者でもあるというややこしい役まわりを 引き受けているわけだ。あまり目くじらをたてず、一種の遊びとして楽しん でいただければと思う」。4  一番最初に日本で出版された「レーダーホーゼン」と、それをバーンバウ ムが英語訳したテキストを元にして村上自身が日本語に訳し返した新潮社刊 の「レーダーホーゼン」を読み比べてみよう。後者のテキストは講談社のオ リジナル・テキストをいったん外国語(英語)に翻訳し、その翻訳をもとに またそれとは別の言語(日本語)に翻訳したという意味では、ある種の重訳 といえる。言うまでもなく、この場合の重訳には原作者が複数の役割をになっ て大きく関わっているのだが、役割分担が整然としているところにこそ注目 すべきである。翻訳者としての村上は、原作者としてのこだわりを見事なま でに捨て去っているのだ。基本的にバーンバウムが省略したり付け足したり している箇所は、村上によって「翻訳」された改作版でもそのまま踏襲され ているし、バーンバウムがオリジナル・テキストを英訳する際に誤解した表 現などですら、その誤解のままに再び日本語に翻訳しているのだ。一例をあ げると、オリジナル・テキストでは両親の離婚のいきさつを語る女性が母に 対する憤りについて「母は何の説明もなく父親とこみで私を捨ててしまった のよ」(p. 27) と述べるのだが、おそらくバーンバウムは「こみ」という単語 の意味を誤解したのだろう、この部分を “And yet here was Mother throwing me out with Father, like so much garbage” (p. 124) と英訳している。それを受け て村上はこの箇所を「私をお父さんと一緒に、まるで生ゴミか何かみたいに あっさり捨ててしまった」(p. 173) と素直に和訳しているのである。「僕は自

(15)

分の書いてしまったものは原則として読み返さないので、英語に翻訳された ものをぱらぱらと読んでも、オリジナルがどんなだったかすっかり忘れてし まっていて、“ははは、けっこう面白いじゃない”と読みとばしてしまいます」 (『「そうだ、村上さんに・・・」』、p. 43)といった村上の言葉をどの程度真 に受けるにせよ、少なくとも「レーダーホーゼン」で翻訳者としての村上は、 自分が書いたオリジナル・テキストに固執することなく、あくまでバーンバ ウムによる英語版を尊重して日本語訳をしているのだ。5  村上による翻訳版の「レーダーホーゼン」にもやはり村上の翻訳の特徴が 観察できる。オリジナルでは「私はお宅でズボンを買うために、半日つぶし てわざわざハンブルクからやってきたんですよ」 (p. 31) となっていた箇所 が、翻訳版では「でも私は半日かけて、わざわざハンブルクからここまでやっ てきたんですよ。あなたのお店でレーダーホーゼンを買うために」 (p. 176) と倒置になっているのも、この翻訳版がバーンバウムによる英語版での “But I spent half day to come from Hamburg to buy your lederhosen” (p. 126) という文 の流れ、表現のリズムを尊重しているからといえるだろう。また登場するド イツ人の仕立て屋については、オリジナルよりも翻訳版のほうがドイツ人ら しさが強まっていることも特徴的だ。オリジナルでは「『何か御用でしょうか、 奥様』と大柄の方の老人が立ち上がってドイツ語で声をかけた」という箇所 が、バーンバウムによって“‘Darf ich Ihnen helfen, Madame?’ the larger of the two old men addressed the mother” (p. 126) と訳され、それを村上が再び日本語 に翻訳すると「『Darf ich Ihnen helfen, Madame?(何かをお求めでしょうか、 マダム)』、二人の老人のうちの大柄な方が母親に尋ねた。」となるのであった。 「一語一句テキストのままに」という翻訳者としての方針が、テキスト(こ の場合、村上が書いたオリジナル・テキストではなく、バーンバウムが書い た英語版)をできるだけそのままに再現しようとする努力として、こういっ た例にあらわれているのである。  『グレート・ギャツビー』を例にとって、村上は翻訳に関し次にように言う: 個々の訳はオリジナル・テキストとは別物だと僕は思います。しかし 別物であっても十分に感動できるし、その感動がオリジナル・テキス

(16)

トを読んだアメリカ人の読者より劣るかというと、そんなことは決し てないと思います。というか、優れた小説には、そういう多少の誤差 を乗り越えて機能する、より大きな力があるんです。(『翻訳夜話』、 p. 27) 「レーダーホーゼン」は原作者が自ら重訳をおこなった極めて珍しい作品で ある。そしてオリジナル・テキストと重訳版、あるいはバーンバウムによる 英訳版のどれが最も優れているか、完成度が高いかは、判断が難しい。それ はそれぞれが他のテキストに参照されて初めて意味を持つものではなく、別 物として機能しているからであろう。翻訳はここで、『1Q84』における「ふ かえり」の物語「空気さなぎ」をリライトした天吾の仕事と同じ価値をもつ のである。批評家の青山南が「村上春樹のなかでは、原著があって翻訳があ るという考えかたは、きっとないのだ。日本語版があり、英語版があるだけ なのだ。それらは似ているようで似ていなくて、似ていないようで似ている」 (p. 331) と言うのは、おそらくあたっている。それは村上春樹の小説にみら れるパラレル・ワールドを彷彿とさせる現象でもあろうし、村上が好むジャ ズの変奏にも通じるものかもしれない。村上は言う: ただ、翻訳と小説の近似性ということで僕がいつも感じるのは、あっ ちの世界の物事をこっちの世界に移し変えるのが、僕の考えでいうと 文章を書くということなので、それは翻訳でも小説でもそうなんです。 翻訳の場合はテキストがあってそれをこっちの言葉に置き換えるわけ ですね。小説の場合は、そうじゃなくて、一種の違うフェイズのなか にある、自分のものの感じ方、考え方というのがあって、それは非常 に何て言うか、現実的ではない、具体的ではないわけです。それを文 章のかたちにする、つまりこっちの世界に移し変えるというのは、ト ランスレートするということなんですね。そういう意味で翻訳と小説 は原理的に同じ作業であるわけです。(「村上春樹――僕が翻訳をはじ める場所」、p. 24)

(17)

 いっそのこと村上が最初から英語で書いていれば、読者はもっと増えるだ ろうかという問いかけに対し、村上を評価するカズオ・イシグロは「そうは 思いません。・・・私は彼を非常に才能のある作家だと思いますが、十分に 才能があれば、英語で書かなくても、英語に翻訳されればいいということで す」 (p. 141) と述べている。一見すると自分のオリジナル・テキストの自己完 結性といったものに対するこだわりが希薄すぎるように思われる村上春樹で あるが、イシグロの言葉を反復するかのように、「優れた小説には、そうい う多少の誤差を乗り越えて機能する、より大きな力があるんです」と述べる 言葉に、村上春樹の小説家および翻訳家としての確信を見るべきだろう。 注 1 村上はフィスケットジョンについて「小説出版にかけては鋭い眼識を有し、ほ どよく頑固であり、しかも新しい作品に対しては意欲的である」と信頼をよせて いる。(「アメリカで『象の消滅』が出版された頃」『象の消滅』、 p. 19) 2 新訳の必要性についての村上の考えを毎日新聞のインタビュー記事は次のよう に伝える:「日本語の文体そのものの変化により、(翻訳の)“限度は50年”と話す。 今は1960年代前後の文学全集ブーム時に盛んに訳された作品が、次々と“期限切 れ”を迎えているという。」(毎日新聞2008年5月12日)

3 “Beyond ‘Pure’ Literature,” p. 356. The Sunday Times (Sep. 29, 1991) にも次のよう な考察が見出せる: 「はるかに堅苦しく(我々外国人の耳には)異国風に思われ る統語法をもつ古い日本人作家に比べ、ムラカミは英語に翻訳しやすい。彼の書 き方はくつろいだような、くだけた感じで、先輩の日本人作家たちよりも現代の 欧米、特にアメリカの作家たちに感覚的には近いところがある。」 4 「アメリカで『象の消滅』が出版された頃」『象の消滅』、p. 24  ちなみに『風 の歌を聴け』を執筆するにあたっては、まず英語で書いてそれを日本語に翻訳し たというエピソードがよく知られていて、「日本語的な過剰なセンティメントを 排除」することを意図したと村上自身が述べている。(「村上春樹:僕が翻訳をは じめる場所」p. 25)のちに柴田元幸との対談では、そういった「意図」を冗談め かして自ら否定してもいるのだが。(『翻訳教室』、pp. 164-65.) 5 村上作品の主要な翻訳者は三人いるが、そのうちジェイ・ルービンとアルフレ ッド・バーンバウムはかなり性格を異としているといわれる。村上自身の言い方 を借りれば、ルービンは「社会的にもきちんとした偉い人」で、「翻訳作業につ

(18)

いては非常に真面目で厳密な人」であり、バーンバウムは「一種のボヘミアン」 で「自分の好きなように訳す」タイプの翻訳者である。全く逆のタイプの二人で あるが、村上はその両方を「個人的には好き」だと言っている。(『翻訳夜話』、 pp. 17-18)オリジナルに忠実であるという点では一般にルービンのほうが評価さ れるようだが、ウェンディー・レッサー (Wendy Lesser) やマイクル・フジモト・ キージングのようにバーンバウムの勢いを好むファンも少なくない。 参考文献 青山南. 「村上春樹の『象の消滅』(下)」『すばる』1994年10月号.pp. 326-31. カズオ・イシグロ. 「『わたしを離さないで』そして村上春樹のこと」『文学界』 2006年8月号.pp. 130-46. [大野和基によるインタビュー] 大貫三郎(訳).スコット・フィツジェラルド『華麗なるギャツビー』角川文庫. 1957年. マイクル・フジモト・キージング.「なぜ彼はそんなに素晴らしいのか?―村上 春樹がアメリカで成功する理由」大串尚代訳.『ユリイカ』「臨時増刊:総特集 村 上春樹を読む」.2000年3月号.pp. 72-75. イルメラ・日地谷=キルシュネライト.「村上春樹をめぐる冒険―“文学四重奏団” の不協和音」『世界』2001年1月号.pp. 193-99. 柴田元幸.『翻訳教室』新書館.2006年. 野崎孝(訳).スコット・フィツジェラルド『グレート・ギャツビー』新潮文庫. 1974年. 野中柊.「<創作>としての翻訳」『ユリイカ』「臨時増刊:総特集 村上春樹を読む」. 2000年3月号.p. 181. 蓮實重彦.「“結婚詐欺”からケイリー・グラントへ―現代日本の小説を読む」『早 稲田文学』.2003年7月号.pp. 4-29. アルフレッド・バーンバウム.「日本の小説を活性化する―先端文芸翻訳のここ ろみ」『翻訳家の仕事』.岩波書店編集部篇.岩波新書.2006年.pp. 203-208. ホセア・ヒラタ.「アメリカで読まれる村上春樹」『国文学』.1995年3月号.pp. 100-04. 村上春樹.『「そうだ、村上さんに聞いてみよう」と世間の人々が村上春樹にとりあ えずぶっつける282の大疑問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか?』. 朝日新聞社.2000年. _____.「村上春樹―僕が翻訳をはじめる場所」『翻訳の世界』.1989年3月号. pp. 22-29.

(19)

_____.『象の消滅―村上春樹短篇選集1980-1991』.新潮社.2005年. _____.『回転木馬のデッド・ヒート』.講談社.1985年. 村上春樹(訳).スコット・フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』.中央公 論新社.2006年. _____(訳).J. D. サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』.白水社. 2006年. 村上春樹・柴田元幸.『翻訳夜話』.文春新書.2000年. _____.『翻訳夜話2 サリンジャー戦記』.文春新書.2003年. ジェイ・ルービン.『ハルキ・ムラカミと言葉の音楽』.畔柳和代訳. 新潮社.2006 年.

Gabriel, Philip, Jay Rubin and Gary Fisketjon. “Translating Murakami” (円卓会議) (http://www.randomhouse.com/knopf/authors/murakami/complete.html)

Lesser, Wendy. “The Mysteries of Translation.” The Chronicle Review. September 27, 2002. (http://chnonicle.com/free/v49/i05/05b00701.htm)

Murakami, Haruki. The Elephant Vanishes. Trans. Alfred Birnbaum & Jay Rubin. London: Vintage Books, 1993.

_____. The Wind-up Bird Chronicle. Trans. Jay Rubin. London: Vintage Books, 1997. Strecher, Matthew C. “Beyond ‘Pure’ Literature: Mimesis, Formula, and the Postmodern in

the Fiction of Murakami Haruki.” The Journal of Asian Studies, May 1998. pp. 354-78.

The Sunday Times (London). “Found in Translation.” September 29, 1991.

Haruki Murakami’s View and Practice of Translation

― from “Das Literarische Quartett” to “Lederhosen” ―

Yuko E

NGETSU

Keywords: Haruki Murakami, translation, “Lederhosen”

To investigate Haruki Murakami, one of the most well-known Japanese

novelists abroad, in the light of “translation” is a study of great interest.

(20)

While many of his works have been translated into various languages,

Murakami himself has translated many American novels into Japanese. As

a translator as well as a novelist, what is Murakami’s view of “translation”?

When “Das Literarische Quartett”, a German T.V. program, took up

one of Murakami’s novels for discussion, two facts about translation drew

the German audience’s attention. One was that the German text they read

proved to be a re-translation from the English. The other fact was that the

English text, upon which the German text was based, was an edited version

of the Japanese original. Here was raised a question of the authenticity of

the texts.

As a novelist, Murakami himself shows quite an easygoing attitude

toward translation, saying that he does not mind his works being

re-translated and that he is not so worried about details at the level of linguistic

expression as long as the story is properly narrated as a whole. Behind

Murakami’s tolerant attitude toward translation lies his realistic perception

that translation will be of an approximate value.

As a translator himself, Murakami insists that a translator should not be

self-assertive. Aiming at a verbatim translation, he pays regard to diction,

word order and even the sound of the words of the original texts when

he translates them into Japanese. His policy as a translator is reflected in

“Lederhosen”. The short story is unique in that it was written by Murakami

in Japanese, translated into English by Alfred Birnbaum, and re-translated

into Japanese by way of English by Murakami himself. In re-translating,

“just for fun”, as he put it, Murakami did not assert his authority as the

author to correct Birnbaum’s mistranslations, aiming instead at a verbatim

translation of Birnbaum’s text without clinging to his own original text.

Despite his intention to avoid being self-assertive, however, Murakami’s

characteristic traits of writing seem to shine through even in his translations.

Not only his novels but also his translations are Murakami’s own work,

implying that writing itself is the activity of transferring one world to

(21)

another. The question of the authenticity of texts, after all, comes to confirm

the simple fact that an original text and its translated text are two different

things.

参照

関連したドキュメント

As Riemann and Klein knew and as was proved rigorously by Weyl, there exist many non-constant meromorphic functions on every abstract connected Rie- mann surface and the compact

We specify a selection spiraling polygons with be- tween three and eleven sides whose groups of transformations form representations of affine Weyl groups with types that coincide

We show that the values of Yokota type invariants are independent of the way to expand an edge at the more than 3-valent vertices.. It is enough to see the

By iterating this procedure, we produce cellular bases for B–M–W algebras on which a large Abelian subalgebra, generated by elements which generalise the Jucys–Murphy elements from

In order to observe generalized projective synchronization between two identical hyper- chaotic Lorenz systems, we assume that the drive system with four state variables denoted by

Although the Sine β and Airy β characterizations in law (in terms of a family of coupled diffusions) look very similar, the analysis of the limiting marginal statistics of the number

Key words and phrases: Quasianalytic ultradistributions; Convolution of ultradistributions; Translation-invariant Banach space of ultradistribu- tions; Tempered

Proof: Suppose that S/θ(n, m) is locally eventually regular, and take any e ∈ E(S).. Finally, we now demonstrate how one can produce concrete examples of semi- groups from the