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マクロ経済学に内在するキャリア教育的側面の一考察

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Ⅰ.はじめに

 日本経済の長期停滞に対して,積極的な財政政策や インフレターゲットの設定による金融政策など,景 気・雇用対策としての財政金融政策のあり方が活発に 議論されている。しかしながら,労働市場のグローバ ル化や業務のアウトソーシングなど,今日のボーダレ ス化した経済状況を考慮するならば,一国だけの財政 金融政策には限界があり,景気が回復したとしても雇 用されるのは外国人で,自国民の失業率は低下しない 可能性が高くなってきている。すなわち,経済のグ ローバル化に伴って,「労働力の質」の国際競争が始 まっており,わが国においても「労働力の質」を早急 に高める必要がある。特に,1990 年代後半以降,冷 戦構造の崩壊と情報技術(IT)革命により国際労働 市場は変質してきており,わが国の若年労働市場にお いてもフリーターやニートの増加,非正規雇用の増加 や若年失業率の上昇など,雇用を取り巻く環境は大き く変化してきている。  このような状況にあって先進各国は様々な対応を迫 られているが,特に,欧州においては,高等教育就学 率が増加したにもかかわらず若年失業率は上昇してき ており,また一端失業すると長期化する傾向にあるた め,高等教育修了者の雇用を促進させることも意図し て高等教育改革が進められている。他方,わが国にお いても初等中等教育における学力の低下や修学意欲の 低下等,学校教育のあり方が問われるようになり,再 度「勉強することの意味」を問い直し,職業意識の形 成を通して修学意欲を高め,修学意欲を高めることで 基礎学力を向上させることを意図して,キャリア教育 が初等教育から高等教育まで一貫して展開されること になった。  そこで,本稿では,キャリア教育における意識改革 に資する取り組みとして,キャリア教育の一側面であ る「進路についての情報」提供を,マクロ経済学にお ける総需給曲線分析を通して行う取り組みを紹介する。 特に,マクロ経済学は“失業”を重要なテーマの一つ にしているため,労働市場に関する「進路についての 情報」を提供しやすい側面があり,マクロ経済学の理 論を説明するのに合わせて現実の社会における状況を 提示することで,受講生の意識改革を促しやすい科目 である。

Ⅱ.問題の所在─マクロ経済学の枠組み─

 マクロ経済学の基本的な枠組みは,国境を越えた労 働力移動や仕事移動(業務の海外へのアウトソーシン グ)を考慮しない閉鎖経済体系の下で構築されている が,1970 年代の変動相場制への移行や 1990 年代の冷 戦構造の崩壊と IT 革命により,国境を越えた労働力 移動や仕事移動は活発になって来ている。たとえば, 1970 年代の変動相場制移行は,自国の持続的な輸出 超過が経常収支の黒字による持続的な自国通貨高を引 き起こすことによって,一方では輸出企業の海外展開 による産業の空洞化を加速させ,他方では自国通貨高 により相対的に高くなった賃金を求めて労働力移動を 惹起させることになる。1)また,1990 年代の冷戦構造 の崩壊に伴う東欧諸国の市場経済化は,安価な労働力 を国際労働市場に供給することによって低価格商品の 先進諸国への輸出を可能にし,一方では旧社会主義東 欧諸国の賃金水準を上昇させ,他方では西側先進諸国 に輸入品価格の低下に伴うデフレをもたらしたと考え られる。さらに,1990 年代以降の IT 革命の進展は, 様々な分野でのアウトソーシングを可能にし,マニュ アル化できる事務的な仕事までが海外へアウトソーシ ングされるようになってきている。  このような経済のグローバリゼーションについてレ スター・C・サロー(Lester C. Thurow)は,経済の グローバル化を次のように整理している。

マクロ経済学に内在する

キャリア教育的側面の一考察

The Journal of Economic Education No.32, September, 2013

A Study on Career Education in Macroeconomics

Itoi, Shigeo

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 「グローバリゼーションとは,つまり利益を上げる ために活動を移転させるということである。移転させ ることで利益が上がらなければ誰もそうはしないはず だ。投資に対する最大の利益を追求するにあたって, 企業は賃金の高い国から(国を変えることで賃金を下 げる)低い国へと移転する(そのことによってその国 の賃金を高くする)。移転は同じ熟練技術で賃金が同 じレベルになるまで続く。企業が移転を停止するのは, 資本がすべての地域で同じ利益を上げるようになった 時である。それが起こると,同じ技術の労働者は同じ 賃金を得るようになる。先進国に住んでいるからと いって,割高な賃金がもらえることはなくなり,また, 貧しい国に住んでいるからといって,経済的なハン ディーを負うこともなくなる。」2)  経済のグローバル化をこのように整理すると,経済 のグローバル化とは「国家間で異なる賃金水準が企業 活動や労働力移動を通して平準化・標準化する過程で ある」と考えられる。そして,このような経済のグ ローバル化を前提とすると,賃金の高い先進諸国の景 気回復は,質の良い低賃金労働力の流入や仕事の海外 へのアウトソーシング等を通して,当該先進諸国の労 働者(非自発的失業者)の雇用に繋がらない可能性が 高くなってきている。すなわち,経済のグローバル化 は労働力の国際競争を惹起し,自国の失業率を低下さ せるための財政金融政策が,国家間の賃金格差が存在 する場合には安価な労働力を求める企業の海外展開か ら自国民の雇用に繋がらず,また,国家間の賃金水準 が同程度であっても「労働力の質」の問題から自国民 の雇用に結びつかないという,従来のマクロ経済学の 枠組みを超えた状況をつくり出しているのである。3)  さらに,今後の先進諸国の経済やわが国の経済を考 えると,高い賃金の見合った「労働力の質」が求めら れ,また経済のグローバル化による価格標準化・賃金 平準化に対応して,わが国の「労働力の質」の国際競 争力を高めておくことが求められている。すなわち, 国家の役割としては,これまで通り財政金融政策等を 通して雇用を創出し,景気の下支えをしていくことが 求められるものの,個人の役割としては,グローバル 化した労働市場で評価され,雇用され得る能力(エン プロイアビリティー:employability)を高めることが 求められてきているのである。また,このような経済 のグローバル化を背景として,欧州諸国ではコンピテ ンス・ベースの教育が推進されるとともに,わが国に おいても職業意識・職業観の形成を促すキャリア教育 が初等・中等・高等教育に導入されて来ているのであ る。4)

Ⅲ.高等教育におけるキャリア教育

 高等教育におけるキャリア教育について,中央教育 審議会は次のように定義している。  「望ましい職業観・勤労観及び職業に関する知識や 技能を身に付けさせるとともに,自己の個性を理解し, 主体的に進路を選択する能力・態度を育てる教育」5)  ここで,自己の個性を理解させるためには自分自身 を客観視した情報が必要であり,主体的に進路を選択 させるためにはそのための情報が必要であろう。そし て,つねに職業についての情報やそこで求められる知 識・技能を育成することが求められている。6)すなわ ち,キャリア教育には図 1 のような「自分についての 情報」と「進路についての情報」が必要であり,この 両者を統合することによってより良い進路選択が可能 になる。また,より良い進路選択は,職業や将来につ いての情報による「目的意識の形成」や,知識・技能 の向上を通して「労働力の質」を高めることに繋がっ ている。そこで,目的意識を如何に形成するのか,ま た労働力の質を如何に高めるのかが重要となる。 両者の統合 進路選択 労働市場・賃金・福利厚生・業種・職種・企業・環境・ 産業構造・世界経済・等 興味・能力・個性・学歴・ 希望賃金・希望家族構成・ キャリアデザイン・等 意識改革・目的意識の形成 主体的態度の形成・修学意欲の向上 「労働力の質」 の向上 職業意識の形成・ 職業観・人生観の涵養 「自分についての情報」 「進路についての情報」 基礎学力の向上= 汎用的能力の育成 (コンピテンスの獲得) 図1 キャリア教育の流れ  高等教育によるエンプロイアビリティーの育成につ いて,欧州ではコンピテンシー・ベースの教育が始 まっている。7)1999 年のボローニァ宣言以降,欧州の 高等教育においては科目ごとの到達目標に加えて,当 該科目を学習する過程で育成される様々な汎用的能力 の育成が重要視されている。すなわち,物理や化学, 世界史や古典などの各科目内容は将来使わなくとも, これらの科目を学習する過程で育成される読解力や理 解力,調べる力や考える力,好奇心や創造力などの汎 用的能力や態度・意識は,学校教育修了後においても 求められる能力であり,これらの能力を向上させるこ

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とが結果として「労働力の質」を高めることにな る。8)そして,このことが自分らしい学習手法の発見 や個性の形成に繋がるとともに,自分の個性を理解す ることを促すことにもなる。  他方で,自分が生きる時代に求められる能力を認識 し,目的意識を持って学習するためにはこれらについ ての情報,すなわち主体的に進路を決定するための 「進路についての情報」が不可欠であろう。特に,学 校教育修了後に労働力の売り手となる生徒や学生に とっては,早い段階から職業生活についての情報や労 働市場についての情報,さらには自分が生きる時代に ついての情報が必要であろう。そこで,高等教育にお ける各科目において,現実社会の情報を提供しながら 当該科目の有用性や将来求められるコンピテンスを明 示することが重要であり,これらの情報を通して目的 意識の形成や職業観・人生観の涵養が可能になると考 えられる。9)  ところで,マクロ経済学は,J.M. ケインズが『一般 理論』を著した 1936 年当時の時代背景を見ても,“失 業対策”という「政策論」的側面が強い。また,今日 のマクロ経済学の授業においても,“失業”問題は最 初に学習するテーマであり,これに“物価”問題と “経済成長”問題を加えればマクロ経済学で学習する 3 つの主要なテーマとなる。このことは,マクロ経済 学が“失業”の問題を一つの柱にしているために, キャリア教育で活用できる題材が多いことを意味して いよう。  従来,マクロ経済学の閉鎖経済体系下の短期的な基 礎理論においては,失業と通貨価値の安定(インフ レーションやデフレーション)の理論的解明とこれら に対する政策的な処方箋の提示が重要視されてい た。10)また,マクロ経済学の基礎理論では,財・貨 幣・労働の 3 つの市場の分析を柱としており,財市場 と貨幣市場の同時均衡分析(IS − LM 分析)において は,財政金融政策の有効性を分析することを主眼とし て理論が構築され,財・貨幣市場の変化が利子率と国 民所得水準にどのような影響を与えるのかを検討する。 さらに,これに労働市場を加えた財・貨幣・労働の 3 つの市場の同時均衡分析である総需給曲線分析におい ては,財政金融政策や労働市場の賃金変動が物価水準 や国民所得水準にどのような影響を与えるのかを検討 する。  このような“失業”を第一のテーマとしているマク ロ経済学においては,キャリア教育における職業意識 の形成,修学意欲の向上のための「進路についての情 報」を授業内で提示することも可能であり,効果的で ある。すなわち,上記のように,キャリア教育におけ る「意識改革」や「目的意識の形成」の側面では,自 分が学校教育の最後に直面する労働市場の情報やその 後の職業生活,自分が生きる時代に求められる能力等 についての情報をマクロ経済学の授業で提示し,雇用 創出のために「国家がなすべきこと」と,雇用される ために「各自がなすべきこと」を考えさせることは重 要であり,修学意欲の向上や人生観・職業意識の涵養 の面からも有効な情報となろう。  そこで,以下では,総需給曲線分析における労働市 場分析を通して,労働者に求められる労働生産性や労 働参加率等の情報を提示し,各学生が一人の労働者と して修学意欲を高め,目的意識の形成に資する取り組 みを紹介する。

Ⅳ.総需給分析を活用したキャリア教育の

展開

 閉鎖経済体系における短期的なマクロ経済学の中心 テーマは,失業と通貨価値の安定(従来はインフレー ション)である。そして,前者の失業問題については, 労働市場は財市場に影響を受けるため,財市場の国民 所得に対してどのような財政金融政策が有効性を持つ のか,またその波及メカニズムはどうなっているのか を,主として IS−LM 曲線分析を用いて検討する。ま た,後者の通貨価値の安定については,総需給曲線分 析を通して,持続的な財政金融政策はインフレをもた らし,労働市場における賃上げもインフレをもたらす ということを分析する。11)  マクロ経済学における非自発的失業対策としての財 政金融政策の波及メカニズムにおいては,労働市場内 部には短期的に需給関係を調整するメカニズムが働か ないため,財市場の自己調整メカニズムと貨幣市場の 自己調整メカニズムを活用して,有効需要を増加させ るための財政金融政策により意図的に財市場と貨幣市 場を操作し,結果として総供給(国民所得)と雇用を 増加させようとする。したがって,マクロ経済学の中 心テーマは,労働市場の完全雇用を達成するために, 財市場と貨幣市場に対して政策当局は如何なる介入が できるのか,という政策の在り方とその効果の分析と いうことになる。  また,総需給曲線分析においても,総需要曲線は財 市場と貨幣市場の需給均衡を示す IS−LM 曲線から導 出され,総供給曲線は労働市場分析から導出されると し,財政金融政策は“ディマンドプル・インフレー

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ション”を引き起こし,労働市場の賃上げは“コスト プッシュ・インフレーション”を惹起させるとして, 財・貨幣・労働市場の変化が物価水準と国民所得水準 にどのような影響を与えるのかを説明する理論として 活用される。  しかしながら,この労働市場の分析から総供給曲線 を導出する過程で,キャリア教育的側面,すなわち労 働生産性と労働参加率等の側面に関して説明すること で,職業意識の形成・勤労観の醸成が可能になると考 えられる。すなわち,労働生産性を高めることによっ て総供給曲線は右にシフトするため,総需要曲線を一 定とした場合,賃金上昇率よりも労働生産性が高まれ ば,すなわち賃上げの国民所得水準に対するマイナス 効果よりも労働生産性の向上による国民所得に対する プラス効果の方が大きければ,賃金と国民所得を増加 させつつ物価を引き下げることができる。また,物価 の下落は実質賃金の上昇を意味するため,労働生産性 の向上は,総供給曲線の右へのシフトに伴って国民所 得の増加と実質賃金の増加を意味することになろう。 W P W P1 P1 P2 P 総供給曲線 FN(N,K) Y=F(N,K) W P2 Y1 Y2 Y N1 N2 N 図 2 総供給曲線の導出  今,名目賃金(W)が一定で物価水準(P)が上昇 すると実質賃金(W / P)は低下する。また,資本ス トックを K として,労働雇用量(N)が労働需要曲線 (F(N,K))上で決まり,その雇用量で総生産であN る国民所得(Y)が決定するとした場合(Y = F(N, K)),物価水準と国民所得水準の関係を表す総供給曲 線は右上がりの曲線で示すことができる。12)以上を図 解したものが図 2 であり,総供給曲線は第 1 象限に示 されている。ここで,第 2 象限は物価上昇による実質 賃金の低下を,第 3 象限は実質賃金の変化に対する労 働雇用量の変化を,第 4 象限は労働雇用量の変化によ る国民所得の変化を示している。 LM(  ) LM(  ) IS Y P1 P P2 Y2 Y1 Y Y2 Y1 r2 r (a) (b) r1 総需要曲線 M P1 M P2 図 3 総需要曲線の導出  他方,総需要曲線は,財市場と貨幣市場の同時均衡 分析である IS−LM 曲線から導出され,貨幣市場の実 質貨幣供給量(MP )が増加した場合,すなわち名目 貨幣供給量(M)に変化がないとき物価水準(P)が 下落すると実質貨幣供給量は( M P1)から( MP2)へ増 加する。その結果,財市場に変化がなければ,実質貨 幣供給量の増加は LM 曲線の右へのシフトを伴って利 子率(r)を(r1)から(r2)へ低下させつつ国民所得 を(Y1)から(Y2)へと増加させる。つまり,名目 貨幣供給量に変化がないときに物価が下落すると ((b)図),実質貨幣供給量の増加により LM 曲線が右 にシフトし((a)図),国民所得が増加するため,物価 水準と国民所得水準の関係を示す総需要曲線は,物価 水準の低下により国民所得が増加する右下がりの減少 関数で示すことができる((b)図)。以上を図解した ものが図 3 である。

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E P (物価) P0 P1 Y0 Y1 Y (国民所得) E″ E′ AS2 AS1 AD2 AD1 総供給曲線 総需要曲線 図 4 労働生産性と労働参加率上昇の効果  今,図 4 において,財・貨幣市場の同時均衡を示す 総需要曲線と労働市場の均衡を示す総供給曲線が E 点 で交わっている。したがって,E 点は財・貨幣・労働 の 3 つの市場の同時均衡点ということになる。ここで, 政策当局が拡張的な財政金融政策を行った場合,財政 金融政策の効果は総需要曲線(AD1)の右へのシフ ト(AD2)による物価の上昇と国民所得の増加で (点 E’)説明され,持続的な拡張的財政金融政策は持 続的な物価の上昇,すなわちインフレーションを伴い ながら国民所得を増加させることになる。この場合の インフレは,需要サイドである財市場と貨幣市場にお ける変化により発生したインフレであるため,ディマ ンドプル・インフレと呼ばれる。  他方,労働市場における名目賃金の上昇は,物価水 準一定の下で実質賃金の上昇を意味するので,実質賃 金の上昇は労働雇用量の減少,また労働雇用量の減少 は国民所得の減少を引き起こす。今,図 4 において 財・貨幣・労働の各市場の均衡を示す点が E”である。 こ こ で, 名 目 賃 金 が 上 昇 し た 場 合, 総 供 給 曲 線 (AS1)は左にシフト(AS2)し,均衡点が E”から E’ に移ることによって物価の上昇と国民所得の減少とな る。このことは,持続的な賃上げは持続的な物価の上 昇,すなわちインフレを引き起こすとともに,国民所 得の減少を引き起こすことを意味している。この場合 のインフレは,供給サイドのコストである人件費の増 加がインフレを引き起こしたためコストプッシュ・イ ンフレと呼ばれる。 W P1 W P2 P1 P2 P N1 N2 N W P Y1 Y2 Y 総供給曲線 FN(N,K) Y=F(N,K) 図5 労働参加率の上昇による総供給曲線のシフト  一般的には,総需要・総供給曲線分析は,このよう にインフレを説明する理論として活用される。しかし ながら,図 2 の第 3 象限や第 4 象限は,結局のところ 労働参加率や労働生産性の問題を示しており,キャリ ア教育における「進路についての情報」提供,「各自 がなすべきこと」等の目的意識の形成や修学意欲の向 上に活用することができる。13)すなわち,高止まりし ているニートを減少させ,失業を減らすことで,図 2 の第 3 象限の労働参加率を高めることができるが,こ のことは労働供給曲線のシフトに伴って国民所得を増 加させることを意味している。これを図解したものが 図 5 である。また,図 2 の第 4 象限で示されるように, 一人一人の労働生産性を高めることで総供給曲線を右 にシフトさせることも可能である。図 6 は,第 4 象限 W P1 W P2 P1 P2 P N1 N2 N W P Y1 Y2 Y 総供給曲線 FN(N,K) Y=F(N,K) 図6 労働生産性の向上による総供給曲線のシフト

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の労働生産性が高まった結果,国民所得が増加するこ とを示している。  このように,労働参加率の上昇と労働生産性の向上 は国民所得の増加にプラスに働くが,このことは,名 目賃金の上昇による総供給曲線を左にシフトさせる効 果よりも,労働参加率と労働生産性の上昇による総供 給曲線を右へシフトさせる効果の方が大きい場合には, 物価の下落を伴いながら国民所得の増加をもたらすこ とを意味している。そこで,わが国の若年労働市場に おける労働参加率や労働生産性の状況を提示すること で,現在何が問題になっているのかを受講生に主体的 に考えさせることができよう。14)すなわち,図 7 はわ が国の労働生産性の順位の推移を示しているが,わが 国の労働生産性はここ数年 OECD 諸国の中で 20 位前 後で推移している。また,OECD 諸国の平均をも下 回っており,ルクセンブルクの 6 割程度である。この ことは,わが国においては労働生産性を高める余地が まだまだあることを意味しており,労働生産性を如何 に高めるかを考える必要がある。また,フリーターや ニートについても 2000 年代に入って急増しており, 現在でも前者が170万人,後者が60万人前後で推移し ている。この点についても,何故フリーターやニート が増加するのか,また彼らを正規雇用で就労させるた めには何が必要か,などについて考えさせることも キャリア教育の側面からは重要な意味を持つ。  このように,総需給曲線分析を,インフレーション を説明する理論にとどめることなく,労働市場につい ても検討することによって,キャリア教育の側面から 「進路についての情報」を提供する機会ととらえ,一 人一人の「労働力の質」を高めることが日本経済に とって必要である,と言うことを認識させることに よって,修学意欲の向上や目的意識の形成を促すこと も可能となろう。

Ⅴ.まとめ

 キャリア教育の側面からは,インフレーションを説 明する総需給曲線分析を,労働市場の現状や,少子高 齢社会で求められる汎用的能力や態度・意識を考える ための題材に活用すべきである。また,マクロ経済学 は,実社会を理論的に説明する,ないしはより良く理 解するための分析手法を学び,現実世界の現象を理論 的に理解・説明する能力を育成することを意図した科 目として位置づけられよう。したがって,マクロ経済 学の他の部分においても,実社会を想定して様々な情 報を提供できる面は多い。そして,このような実社会 の情報を常に提供し,マクロ経済学を学ぶ意味を考え, 実社会で行われている様々な経済政策がどのような意 味を持ち,その有効性はどうなのか,などについて常 に考える場を提供することもキャリア教育の重要な側 面であると考えられるのである。  本稿においては,キャリア教育における意識改革, 特に労働市場という「進路についての情報」提供を通 した意識改革と修学意欲の向上について,マクロ経済 学の総需給曲線分析に内在する点から整理をした。こ のように,マクロ経済学の各内容をキャリア教育的側 面から見直すことによって,マクロ経済学には職業意 識・就労意識の形成や知識・技能・汎用的能力の向上 に結びつく部分は多いことが分かる。今後は,他の経 済学関係科目に内在するキャリア教育的側面の抽出と, その活用について検討することが課題となろう。 ルクセンブルク 1 ノルウェー 2 米国 3 アイルランド 4 ベルギー 5 フランス 6 イタリア 7 デンマーク 8 オーストリア 9 スイス 10 オランダ 11 スウェーデン 12 オーストラリア 13 スペイン 14 ドイツ 15 フィンランド 16 カナダ 17 英国 18 日本 19 ギリシャ 20 イスラエル 21 アイスランド 22 韓国 23 スロベニア 24 ニュージーランド 25 チェコ 26 ハンガリー 27 ポルトガル 28 スロパキア 29 トルコ 30 ポーランド 31 エストニア 32 チリ 33 メキシコ 34 OECD平均 79,435 37,914 39,973 48,206 50,440 52,323 55,575 55,788 56,373 56,483 59,996 59,998 62,11968,660 73,057 73,291 73,374 76,683 80,272 81,313 81,327 82,020 82,342 84,342 85,437 85,510 85,618 86,176 87,124 87,239 93,933 102,347 106,170 120,456 126,121 79,435 単位: 購買力平価換算USドル 37,914 39,973 48,206 50,440 52,323 55,575 55,788 56,373 56,483 59,996 59,998 62,119 68,66073,057 73,291 73,374 76,683 80,272 81,313 81,327 82,020 82,342 84,342 85,437 85,510 85,618 86,176 87,124 87,239 93,933 102,347 106,170 120,456 126,121 120,000 90,000 60,000 30,000 0 図7  OECD 加 盟 諸 国 の 労 働 生 産 性(2011 年 / 34 ヶ国比較) 出所)公益財団法人 日本生産性本部ホームページ(http:// www.jpc-net.jp/annual_trend/annual_trend2012_2.pdf:2013 年 2 月 13 日閲覧)

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註 1) 今日の米国ドルを国際通貨・基軸通貨とする国際通貨制 度においては,米国以外の国々の国際収支の継続的な赤 字はその国から国際通貨である米国ドルの流出を招くた め,国際通貨である米国通貨ドルが枯渇した場合には国 際貿易が事実上できない国家破綻を引き起こすことにな る。したがって,米国以外の国々は常に国際収支を黒字 にしておく必要があり,その結果国際収支の黒字による 持続的な自国通貨高が引き起こされる。このことは,輸 出と投資の急増により高い経済成長を遂げたわが国にお いては,他の国々より急激な円高を引き起こすことにな り,ドルで計算した場合には,外国人にとって日本での 就労がより多くのドルを稼ぎだすことなる。その結果, 1980 年代以降,それまでの日本企業の海外進出に加えて, わが国の国内で就労する外国人が急増してきている。 2) Lester C. Thurow, “Fortune Favors The Bold: What We

Must do to Build A New and Lasting Global Prosperity”, (HarperCollins Publihsers, 2003.(三上義一訳『知識資本 主義』ダイヤモンド社,2004 年,113 ページ))。 3) 同上書でサローは,経済のグローバル化は,国家間賃金 格差を標準化・平準化させるものの,米国の状況を見る と,国家内賃金格差を拡大させ,特に高額所得層はさら に高い賃金を得るようになるが,大多数の中間所得層は 賃金水準を低下させることになると述べている。 4) このような経済のグローバル化を背景に,欧州諸国にお いては高等教育を受けたにもかかわらず雇用されない若 年層が増加してきており,若年層の雇用を確保し,長期 失業の状態を改善することが求められている。そこで, 欧州では,1999 年のボローニア宣言以降,学生の就業機 会を増やし,「労働力の質」の国際競争力を高める観点か らコンピテンス・ベースの高等教育改革が進んでいる。 ここで,コンピテンスとは,「認知的・メタ認知的技能, 知識と理解,対人的・知的・実践的技能,および倫理的 価値が有機的に結合したもの」(Julia Gonzalez and Rob-ert Wagenaar, “Tuning Educational Structures in Europe, Universities’ contribution to the Bologna Process: An in-troduction”, 2nd edition, 2008.(深堀聡子・竹中亨訳『欧州 教育制度のチューニング:ボローニャ・プロセスへの大 学の貢献』明石書店,2012 年,178 ページ))を意味して いる。 5) 平成 11 年 12 月 16 日の中央教育審議会答申「初等中等教 育と高等教育との接続の改善について」の第 6 章「学校 教育と職業生活との接続」参照。 6) 1990 年代の東西ドイツ統合後,ドイツにおいても高等教 育進学者が急増し,修学目的の明確化が求められるよう になり,さらには将来の職業選択と高等教育の関係の認 識が必要になってきたため,中等教育段階の生徒に対し てより良い進路選択のための本が出版されるようになっ てきている。たとえば,Patrick Ruthven-Murray, “Was soll ich studieren?” (Hogrefe, 2012.)等を参照。

7) コンピテンスは,日本語で汎用的能力や行動特性と訳さ れるが,職業的な側面での汎用的能力を意味するジェネ リック・スキルより広い概念で,生きるために必要とさ れる汎用的能力を意味していると考えられる。 8) 学校教育において「学ぶこと」は,第 1 に,当該科目の 内容を理解し,知識を習得すること,第 2 に,汎用的能 力を習得すること,第 3 に,自分らしい学習手法を身に つけることにより個性を形成すること,にあると考えら れる。これについては,拙稿「経済のグローバル化と キャリア教育」(都留文科大学大学院『都留文科大学大学 院紀要』第 16 集,2012 年,所収)を参照のこと。 9) 今日の高等教育では,各科目の実社会での有用性を学生 に認識させることが求められている。平成 22 年度に文部 科学省が実施した「大学生の就業力育成支援事業」では, 事業の趣旨として,「座学によって得られる専門的知識や 技術が,企業等の第一線でどのように活用されるか実地 に学ぶなど,目的意識をもって学修を継続・深化させ, その結果,大学卒業後に役立つ社会的に必要な能力や実 践的な能力を獲得する」ことを掲げ,そのためのプログ ラムの策定を各申請大学に求めている。 10) “ 失業 ”,“ 通貨価値の安定 ” に加えて,マクロ経済学では 経済成長や景気変動,外国為替市場の安定等が分析対象 となるが,短大や文学部などで開講されている半期もの の教養としての経済学の内容としては,財・貨幣市場の 同時均衡分析か総需給曲線分析までが妥当であろう。 11) ここで,ケインズにしたがってインフレは “ 必要悪 ” と考 えられている。また,インフレーションが貨幣的現象で ある点を強調すれば,今日のマネタリズムの根底にある 貨幣数量説が,インフレーションやデフレーション等の 通貨価値の変動を説明する基礎理論ということになる。 12) ここで,実質賃金に対する雇用量を示す労働需要曲線は, 「労働の限界生産物は実質賃金に等しい」とする古典派の 第 1 公準にしたがって,実質賃金に対する減少関数で表 すことができる。また,(FN(N,K))は労働の限界生産 物,(Y = F(N,K))は生産関数を表す。 13) 少子高齢化社会を迎えたわが国においては,労働参加率 と労働生産性を高めることが重要となる。また,キャリ ア教育では,現在と将来に対する情報提供や将来求めら れる汎用的能力の明示が重要である。これらの点につい ては,拙稿「キャリア教育をベースとした経済教育の展 開」(経済教育学会『経済教育』第 31 号,2012 年,24-29 ページ)を参照のこと。 14) わが国のニートの数はここ数年 60 万人強の水準で推移し ており,失業率についても 5%を超える水準で先進諸国同 様増加傾向にある。また,日本人の労働生産性は主要先 進諸国中 20 位前後で推移している。今後も労働参加率の 低下傾向が続き,労働生産性が向上しないのであれば, 失業対策費用の増加や年金受給額の低下,生活保護世帯 の増加や介護費用の増加,犯罪件数の増加などに対応し て,社会保障費や社会コストの増加による国民負担増と 生活水準の低下が懸念される。このようなことを説明す ることで,受講生にも今後の日本経済について考える機 会や情報・材料を提供することが,キャリア教育におけ る意識改革には重要となる。

参照

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