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16 17 /The World of Darkness

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Academic year: 2021

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Chapter One:

The Empire After

Nightfall

(2)

 この時代の特色はこの三語に集約される。「ゴシック」という言葉は 19 世紀半ばに流行した文学の一種に由来する。ゴシック文学は世紀末にふた たび勢いを盛り返し、進歩する世界に根深く生き残る古代の邪悪な存在を 描くようになった。「ヴィクトリア朝」という言葉はイギリス女王が全世 界にまたがる一大帝国を統治していた時期を指す。ヴィクトリア女王は 1837年から生きている帝国臣民の上に君臨してきた。ゆえに彼女の即位前 の時代を憶えている生者はほとんど残っていない。  さて「時代」の長さは(本書においては)約 20 年間である。ゴシック・ ヴィクトリア朝時代は 1880 年に始まる。この年、秘密結社員たちのある 陰謀に導かれた者たちが、新しい魔術結社――“黄金の夜明け/the Golden Dawn”団を結成する。元々定命の人間が始めた活動だが、じきに血族に 侵食され、あの手この手で人間の参入志願者を誘き寄せる餌となった。彼 らの影響は当時の秘密結社の間に野火のごとく広がっていった。魔術と心 霊科学の復権は、超常能力を操る者には絶好の機会を――そしてその力に 対抗できない者には言語に絶する恐怖をもたらしたのである。  この時代が終わるのは 1897 年、トランシルヴァニアのとある伯爵がロ ンドンにやってきたときだ。ドラキュラ公ヴラドがひとりのアイルランド 人作家の耳に囁いた物語は、後に世界に大変革をもたらし――“仮面舞踏 会”にぎりぎりの緊張を強いることになる。小説に描かれた己の似姿よろ しく、彼はふたつの世界の境界を壊し、恐怖をふりまいて去っていった。 ヴィクトリア女王が崩御したとき、すでにゴシック・ヴィクトリア朝時代 は幕を閉じている。伝説や物語を通じてのみ、我々はこの架空世界を想い 起こすことができる。そしてそれこそが本書の目的である。

/The World of Darkness

 霧に包まれガス灯に照らされる、別世界にようこそ。ゴシック・ヴィク トリア朝時代は、史実のヴィクトリア朝時代とおおむね似通ってはいる が、夜を徘徊する怪物たちがいるところが違う。彼らは彼らなりに人間社 会の裏で――少なくとも当時は裏で――暮らしている。後世にヴァンパイ アとして知られる彼らはこの時代、見えざる文明の絶頂期を築いていた。 とはいえ、当時も今もロンドンの霧は同じ――透かして見えるのはみな歪 んだ姿ばかりだ。  この時代、総じて人が住んでいる土地は両極端に分けられる――ガス灯 の照らす文明社会と、松明の照らす未開社会に。文明化された都市では、 白い大理石と灰色の石組みで築かれた壮麗なファサードが工業化時代の煤 煙に汚れている。夜にはそれが罪なき人々の血に汚れる。未開地のヴァン パイアは人類最悪の夜の脅威となりおおせている。昔ながらの奔放さと古 き力の恐ろしさをもって跳梁するのだ。  ヴィクトリア朝の小説は華やかで大袈裟な表現を多用する。その点、当 時のヴァンパイアはヴィクトリア朝人の憧れそのものとなれるだろう。だ が正反対に、悲劇の典型や悪徳のきわみになることもできる。罪のつぐな いや高潔さ、寛容さを追い求め、ある意味確固たるモラルを示す者もいる ――しょせん挫折するべく呪われた身といえど。しかし人間性そのものを 否定し、どんな恐怖小説も及ばぬ非道なふるまいをする者もいる。  すでにこの世界をご存じの方もいるだろう。すっか り慣れ親しんだという方もいるだろう。だが、この世 界を完全に理解するためには、違う光のもとで見なけ ればならない――幾千年もの長きにわたり、いやます 闇を照らしてきた、ひとつの小さな灯で。やがて世紀 が変われば、その灯は今にも消えんばかりに揺らぐだ ろう。続く数十年は、科学が世界を変革し、貴族制は時 代遅れ、紳士精神は廃れ、世界大戦が地球を蹂躙する ことになる。あの“すばらしい新世界”の理想家たちに 至っては、ヴィクトリア朝流の礼儀作法などどこへや ら、すっかりすれっからしになってしまうだろう。ま あそういう来たるべき時代の影はひとまず忘れよう。 歴史はまだ綴られておらず、プレイヤーが思いのまま キャラクター に演じる主人公たちが書き換えてよいものなのだ。 ツァイトガイスト  この過ぎ去りし時代精神を呼び起こすには、一度死ん で蘇る必要がある――あなたはひとりのヴァンパイアの “子/childe”となって、世界を新たな目で見なければなら ない。それは不老不死の怪物に血と魂を抜き取られた人 間だ。どういうわけか、怪物はその血を飲み干し、死ぬ にまかせた。それから血潮(vitae)の力、血の魔力で呪 いをかけて、生きてもいないが死んでもいない体に変え てしまった。怪物は“父 /sire”としてヴァンパイア社会 の礼儀作法と掟を教えてくれるかもしれない。だがその 怪物は、人を生き埋めにし、動く死体、人の血を啜る“不 死者 /Un-Dead”と化して這い出してくるまで放ってお く、地獄の手先のような奴かもしれない。いずれにせよ、 そいつが別の子を創ったら、子同士でいやおうなしに生 き残りを賭けた争いがはじまるだろう。  あなたは神の慈悲と天国の約束を信じていたかもし れないが、いまや神に見捨てられた身だ。なにしろ信 心が厚く天罰は絶対だった時代である。かつて人と神 に逆らった者たちの一族となったあなたは、祖先の原 罪をも負わされている。それは血によって受け継がれ た家督、遺産、遺伝だ。ただの疾病よりはるかに恐ろし い、魂そのものを蝕む堕落の病だ。すべての教会はい まや壁に阻まれて近づくこともできない信仰の砦と なった。十字架はあなたを拒絶し、罵倒し、探しだして 殺そうとさえする宗教のシンボルである。陽光はいま や血の洗礼を受けて闇の魔物に生まれ変わった身に とって、忌むべきものだ。不浄な祝福として与えられ た“抱擁 /The Embrace”は、やがて永劫の呪いに変わ るだろう。  ゴシック小説ばりの悪党に落ちぶれることもあるか もしれない。暗がりに潜む殺人鬼か、はたまた月下の 廃城に棲む残忍な領主か。あなたは罪悪感に苛まれ後 悔に苦しめられ、残酷な宿命に真のヴィクトリア朝精 神で抗いつづけるだろう。大都会のガス灯に照らされ た通りは、狂気と無常をひととき忘れさせてやろうと 差し招く。だがその真珠色の明かりが届かないところ では、荒野の闇が、さらなる堕落を教えてやろうと呼 ばわっている。あなたは光に駆け寄るか、それとも闇 に留まるか? 闇に生まれ変わったあなたはまず宿命 の選択を迫られることになるだろう。文明地で人間を 装って暮らすか、未開地の化け物に身を堕とすか?  ヴィクトリア女王の帝国は呪われし者ヴァンパイア にさえ数々の驚異を見せてくれる。疲れを知らぬ勤勉 なエンジンの力で蒸気機関車や蒸気船が世界中を走り 回る。電信網によって遠く離れた国ともすばやく通信 できる。科学は華々しい進化の歴史に人類が果たして きた役割を問い直し、人間の正気の限界に挑戦し、果 ては宇宙に満ちる「光の媒質・エーテル」に永遠を見い だそうとまでしている。それに劣らぬ熱心さで、ヴィ クトリア王朝の上流階級たちは、後にキップリングが 「責務」と呼ぶことになる、全世界を文明化する使命を 自ら背負う。理想主義と帝国主義は、偽善と同じぐら いありふれている。  ヴィクトリア朝の小説の主人公たちは、そういう新 しい理想を並大抵の人間には真似できない純粋さで訴 える。ホームズは理性を駆使して犯罪の撲滅に挑む。 フィリアス・フォッグは八十日間で世界を一周する。 ヴェルヌの主人公たちは地球中心部や月の国々、世界 の支配者にこそふさわしい空飛ぶ戦艦へのりこんでい く。だが、無意味な世界に自らの存在の意味を探し求 めたフランケンシュタインの怪物、人類を見限り海の 王者となった狂えるネモ船長、超能力を誇示せんとし て 次 々 と 悪 行 を は た ら く 透 明 人 間 と い う 例 も あ る 。 ヴィクトリア朝精神の極端さはフィクションの中にま で現れているのだ。  社会の上流層はこうしたヒーローたちを模倣しよう とする。だが悲しいかな、その対極――大都市の下層民 にはディケンズ的対比の実例が見られるだけだ。この 世界最大の帝国では、無関心と困苦が梅毒や肺病と同 じぐらいありふれている。子供たちが路上の糞尿を掃 除するおかげで金持ちは服を汚さずにすむわけだが、 その子供たちの多くはごく幼いうちにおぞましい伝染 病で死んでいく。産業革命は始まったばかりだが、ま だ機械による本格的な大量生産手段はない。作業には 依然として人手が必要である。男も、女も、子供たち も、長時間重労働したあげく最低限の生活を営むだけ の賃金ももらえず、機械化の陰に生きて死んでいく。  この不公平で貧窮した社会とは驚くほど対照的に繁 栄しているのが犯罪社会だ――そこは警察が何と言おう と独自の掟に従う社会である。金庫破りと屑拾い、玄 人女と娼婦、物乞いと夜盗、花売り娘とどぶさらい――

(3)

犯罪社会に人間模様を繰り広げる人々は、上流階級の 紳士淑女が住むのと同じ街で、ときには彼らの豪奢な 家々からほんの数ブロック離れたところで、生きては 死んでいく。呼び売り商人は商品を積んだ荷車を押し て通りを行き交いつつ、警棒を持った警官隊が来ない か見張る役割を果たしている。富める者が富み栄える いっぽうで「不幸な人々」は死んでゆく、ときには前代 未聞の殺人鬼の手にかかって。ランベスの毒殺魔や切 り裂きジャックといった定命の殺人鬼の残虐ぶりは、 不死者たちでもかなわない。火と信仰だけでは浄化し きれないほどこの世界は堕落している……あるいは、 邪悪なのだというべきか。  ヴィクトリア朝の科学は独特な偽善の手段を提示し た。科学ではこの世の物理法則がどうはたらくかわ かっても、それがなぜかはわからない。その満たされ ない心の隙間を埋めてやろうと群がったのが山師や予 言者である。教養ある女性でも、愛する故人と言葉を 交わせるなら、と降霊術師を呼ぶことは珍しくない。オ カルト知識に通じた“秘儀継承者”たちを中心に、従来 の信仰を揺るがす新思想が続々と提唱されている。神 智学者たちはレムリア帝国とハイパーボリア根源人種 の驚異に胸を躍らせる。エジプト学、アトランティス 論、ネオ・ドルイディズム――さまざまな異教の秘儀に 関する神秘学的研究が大流行する。キリスト教信仰の 正当性すらゆらぐ世の中で、秘密結社は人間に魔法の 片鱗をかいま見せる。  人々はタブーと知りつつひそかに神秘主義やオカル トに傾倒する。迫りくる科学の時代に信仰や価値観を 揺るがされ、逃げ場を求めてそういうものに走るのだ。 たしかに逃げ場はある――往々にしてそういう人間を食 い物にする夜魔たちによる拷問と死がつきものだが。 古代ローマ以来巨大な帝国の陰には絶えず犯罪社会が あったように、神秘主義の花開くところ、必ず不死者 が栄えるのである。きわめて情熱的なこの怪物たちは、 死と永遠の神秘を餌に、堅苦しい礼儀作法をいっとき 忘れて羽目をはずしたがる人間たちを誘惑し――ときに は殺す。  阿片中毒者が阿片窟に引きこもって悪癖にふけるよ うに、彼らはとり澄ましたうわべをかなぐり捨て低俗 な本性を剥き出して、夜の捕食獣たちに身を任せるこ とで欲望を満たす。文明社会の生き血である人間たち が都市に押し寄せてくるのは、ヴァンパイアの呪われ た血潮のおかげなのだ。血族の権力者たちは金融王国 を築き、芸術家と才能ある新人を後援し、版図に集ま る定命の民を保護するが、そうした社会発展の代償は 血で支払われるのである。  文明地の洗練された大都会から遠く隔てられ、古い 習わしとさらに古い迷信が根強く残る――そんな未開地 では、粗野な民衆が農奴として働いたり不法居住者の 身に耐え忍んだりと、一千年以上昔と変わらぬ暮らし ぶりを続けている。夜になると窓を閉め戸に鍵をかけ るのは、怪物はほんとうにいると知っているからだ。夜 の魔物たちが正体を隠すような小細工を弄することは めったにないし、あるとしてもその目的は怒り狂った 暴徒が松明とピッチフォークを手に押し寄せるのを避 けるためでしかない。悪魔の名を呼ぶと悪魔に力を与 えるというので、そうした魔物の話をあえておおっぴ らにする者はまずいない。裕福な家庭でさえ、魔物た ちのただ中で魔物の名を呟くような恐ろしい真似はし ないものだ。  こうした版図のヴァンパイアは、紳士淑女を装った りしない。勝手気ままに暴虐を働き、定命の人間たち に夜を恐れさしめている。ひとりの蒼白き貴族が、と きには定命の領主を傀儡に抱きこみさえして、現代的 な屋敷や朽ち果てた古城の隠し部屋から君臨している のだ。だが、封建時代以来の版図も縮小しつつあると いうのに、いまだ伝統的な圧制にしがみついているの はヴァンパイアぐらいのものだ。外国の侵略を幾度と なく退けて守ってきたその領土は、いまや時の流れに 蝕まれている――ヴァンパイアの冷たい肉体は歳老いな いというだけの理由で、何の影響力もないと決めつけ てきた、その「時」の力に。美しく歳をとれるのは神話 や伝説上の血族だけだ。  未開地の血族は、土地の迷信につけこみもするが、縛 られもする。信心も強ければ身を守る力になるのだ。過 ぎ去りし時代の伝承を発掘し、夜の脅威に立ち向かお うとする者もいるだろう。例えば、教会は聖別されて ヴァンピール いるから吸血鬼が怖がって入ってこられないという。 歳経たヴァンパイアは悪徳に染まりきっているため十 字架を見ただけで恐れおののくともいう。ヴァンパイ アの血統によっては、鏡に映らなかったり、流れ水を 渡れなかったりするともいう。だがあいにくと、ヴィ クトリア朝時代のヴァンパイアのほとんどはそういう 制約を受けない――のみならず、そういう迷信を逆手に とって人を油断させる。ゴシック小説の悪役を演じる ヴァンパイアにとって、無知は力強い味方なのだ。  暗闇を徘徊する邪悪な化け物はヴァンパイアだけで はない――凶暴なワーウルフ(werewolf)、悪魔じみた グール(ghoul)、悪の妖術師、他にもまだまだいる。こ うした得体の知れない不気味な超常生物に脅かされて、 人間の中には藁にもすがる思いで、ヴァンパイアを闇 の救世主と崇め、より邪悪なものを餌食にしてくれる よう祈る者もいる。とりわけ狂信的な者になると、村 を挙げて秘密の崇拝儀式を行い、血や生贄を捧げて、血 に渇く夜の支配者に慈悲を乞うたりする。未開地の ヴァンパイアはこうした崇拝こそが、食う者と食われ る者の間柄にふさわしいと考えている。都会派の同族 と異なり、人目をはばからず、堂々と殺し、奪い、血を 啜る。きわめて歳経た者ならマキャベリ流の陰謀術策 を用いることもあるだろうが、世代の若い者はそうし た微妙な手口など使うだけ無駄だと相手にせず、人間 性や人間の法律にまっこうから逆らう――他のヴァンパ イアにまでたてつくことも珍しくない。  こうした人でなしどもは、皆が皆といっていいほど、 人間の大集落を守る者たち、つまり文明地に集まる ヴァンパイアたちに対する蜂起を企んでいる。紳士た ちの街では、血は流れを滞らせないようそっと啜るも のだ。だが文明地の守護者たちが倒されてしまったら、 世界は血であふれかえるだろう。古い流儀の復活を もって、野蛮なるヴァンパイアたちは新しい時代、夜 の支配者たちが大都市に公然と君臨する時代の到来を 告げるだろう。何世紀も温められてきた野望はそれぐ らいのことをしなければ満足するはずがない。  この野望を最も明瞭に定義できるのはドラキュラ公ヴ ラドそのひとをおいて他にあるまい。東と西の境界を踏 み越え、未開地の力をロンドンという文明世界のまさに 心臓部にもたらそうとしている男である。ヴィクトリア ン朝時代が終わる前に、ふたつの世界の境界はうち砕か れ、狂気の世紀の幕開けを告げることになる。  ゴシック小説の吸血鬼は本質的に孤独な怪物だ。ポ リドリやレファニュといった作家は、獲物を求めてひ とり徘徊する吸血鬼像を提示した。たしかに本物の ヴァンパイアもひとりで狩りをしたり特定の種類の人 間しか襲わなかったりする。だが永劫に長らえようと する怪物にとって、ひとりぼっちで何百年も過ごすな ど、考えただけでも血に飢えるよりはるかに恐ろしい 呪いだ。  果てしなき夜々を暮らすため、ヴァンパイアは娯楽 と気晴らしを求める。自然の捕食動物同様、やがては 互いを食いものにし、政治や文化やなわばりをめぐっ て争うようになる。いくつもの結社が作られているが、 それは殺伐とした同族争いの上っ面をとりつくろうた めのものにすぎない。その争いを最も端的に表してい る結社がふたつある。何世紀にもわたってなわばりと 思想を戦わせてきた――カマリリャとサバトである。  ヴィクトリア朝という記念すべき時代に抱擁された ヴァンパイアは、極端な世界観をもっている。創られ たばかりのヴァンパイアにとって、このふたつの政治 的派閥は時代の善と悪の象徴である。そういう決めつ けはもっぱら長老たちの捏造だという可能性は、考え られても推測の域を出ない。両結社の指導者たちは、そ れぞれが決めた善玉・悪玉を逸脱した者にまつわる訓 話も用意しているのだ。  長老ヴァンパイアたちは絶えず変更される血族の掟 になんなく適応しているが、このゴシック・ヴィクト リア朝時代において、ふたつの結社は微妙な変化を遂  過去の時代を舞台とした史劇(chronicle)を始めるにあたって、ストーリーテラーはある二者択一を迫られる だろう。史実にこだわって細部までヴィクトリア朝を再現するか? それとも時代の雰囲気が伝わればよしとして、 歴史を都合よく書き換えてしまうか? 『ヴァンパイア』ではどちらの手法も有効だ。  史実にこだわるなら、参考資料を山ほど駆使して学者よろしく当時のことを調べあげられるだろう。主要都市 の詳しい地図は、大砲の精密射撃には使えないにしろ、ストーリーテラーが求める情報を得るには充分だ。大英 帝国の首都を舞台とする物語をやるなら、ロンドンの汽車の時刻表から、シリング単位までわかる値段表まで、ど んな資料でも見つかるはず。だがはき違えてはいけないのは、この世界は現実ではなく、現実にあったものに似 せた世界だということだ。史劇をそっくりそのまま歴史学科の卒業論文として発表するつもりでもないかぎり、史 劇のよさは物語としての面白さにある。悪魔は細部に宿りたまう! もしゴシック・ヴィクトリア朝時代に繰り 広げられる出来事が史実と寸分変わらなかったら、「何が起きるかわからない」というホラーに不可欠な楽しみが なくなってしまう。  ストーリーテラーによっては、厳密な時代考証よりテーマとムードを重視し、その時代の雰囲気が出せればそ れでよしとする人もいるだろう。歴史書をなぞるのではなく、物語や小説にふさわしいテーマやムードを土台に するわけだ。だが、おおざっぱなゲームもほどほどにしておかないと、ヴィクトリア朝時代をヴィクトリア朝時 代たらしめる特徴まで抜け落ちては、物語がよりどころを失ってしまうだろう。年代や値段まで覚えるつもりが ないにせよ、史料は着想を得る材料になるし、フィクションに劣らず容易に創造力をかきたててくれる。ストー リーテラーは史実へのこだわりと自由な発想の、バランスをとらなければならない。

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げることになる。恐るべきメトセラ(Methuselah)さ えもその変化がもたらす危険性には気づかなかった。 ゴシック・ヴィクトリア朝時代、両結社は様相を新た にすることになる。だが、依然としてそうした様相が おぞましい真実を隠し続けたことには変わりない――死 体が締めたコルセットのように。

/The Camarilla

 伝説によれば、カマリリャは 15 世紀、きわめて歳経 たヴァンパイアたちによって、ヴァンパイアが人類の 怒りからを身を守るための互助組織として設立された という。ソーンズ協定(Convention of Thorns)によっ て、七つの血統――ヴァンパイアの七氏族(clan)が結 社を支える柱として認められた。七氏族は代々守って きた“六条の掟 /Six Traditions”を成文化し、あたう かぎりすべてのヴァンパイアに遵守することを要求し、 情け容赦なく徹底させた。掟の中で最も重要なのは“仮 面舞踏会 /Masquerade”の実践だった。つまり、一般 大衆にヴァンパイアの実在を知らしめる証拠はすべて 隠さなければならない、というのである。  カマリリャではいかにも人間らしく文明的であるこ とが何より理想とされる。カマリリャのヴァンパイア は、種族絶滅を防ぐために、来る夜も来る夜も守りつ づけてきた人間性の残り火を必死に絶やすまいとして いる。人間に紛れて暮らしているが、文明社会の影の 支配者を自認している。「ヴァンパイアは外道畜生のよ うにふるまうべきではない」という共通した信念をも ち、互いを“血族 /Kindred”と呼ぶ。ヴィクトリア朝 時代はカマリリャの黄金期といえよう。ほぼヨーロッ パ全土にわたり、文明地の主要都市を支配下において いたのだから。  このガス灯時代には帝国主義が幅をきかせており、 カマリリャはそこから多大な恩恵を得ている。ヴィク トリア女王の帝国は全世界に広がり、その領土は香港 からジャマイカ、カナダからケープタウン、ロンドン からデリーまで及ぶ。血族はこうした拡張主義を賞賛 し、“賤民 /kine”たる人間どもが繁栄できるのもやは り血族が他の夜の魔物たちを駆逐してやったおかげだ と悦に入っている。それが本当かどうかはともかく、結 果として血族の影響力や慣習が世界中に広まったのは 事実だ。ロンドンがカマリリャの王冠の宝石であるこ とは言うまでもないが、カマリリャの版図はいまや、都 市数でも広さにおいても空前絶後の規模に達している。 その自負の表れとして、カマリリャ社会全体を指して “帝国”と呼ぶのが一般的になっており、帝国という言 葉は血族の国にも人間の国にも使われている。  ヴィクトリア朝時代のカマリリャは血族それぞれの 社会的立場を規定する。地位はなにより重要なもので、 しばしば氏族や血統だけでなく功績にも影響される。 父は継嗣(progeny)に対して何十年も親権をもち、反 抗的な子を懲らしめる。カマリリャの集会はたいてい、 そうした信念を確認するための、非常に形式ばった 仰々しい行事となる。ヴィクトリア朝上流社会の――宮 廷舞踏会からアフリカのサファリまであらゆる場にお ける――最新流行に身を包んでいても、しょせん血族 は、人間の思いつきをまねる蒼白いイミテーションに すぎない。当世流行りの装いに順応する者は賞賛され、 反発する者は非難され……排除される。  血族の小さな互助組織だった頃でさえ、カマリリャ はそういう風にしきたりと掟を守らせた。もちつもた れつの関係になった血族たちが、血統や地位の違いを 超えて同胞(coterie)を形成するのはままあることだ。 だが、その氏族、血統、世代としての分をわきまえない 行動に出れば、どういう了見かと疑われることになる。 社会の要求は厳しいのだ。  公子(Prince)や長老(elder)たちは後にこの頃が 黄金時代だったと回顧することになる。数百年来、こ れほどの権勢をふるったことはないのだ。その権勢の 大部分は、最大の敵――サバトを悪役に仕立てあげるこ とで得たものである。伝説によれば、このカマリリャ のライバルは聖地を奪い冒涜して防衛拠点にするとか、 墓場から死んだばかりの者を蘇らせてヴァンパイア軍 団を作るとか、魔王そのひとと契約して魔力を得ると かいう。長老たちはこのほかにも様々な恐ろしい話を 誇張して版図に広めることで専制政治を正当化した。 不安を広めることで血族に紛れこんだサバトの密偵に 警告し、恐怖を盾にして自分たちの都合で六条の掟を 執行する。厳しい要求に応えられない者がいれば「敵 に籠絡された」と見なされるかもしれない。  カマリリャの若いヴァンパイアにとって、暮らしは 危険に満ちている。カマリリャ・ヴァンパイアの本質 は、個人と他人――父や公子や派閥――の要求のせめぎ あいによって浮かびあがるものだ。なにより、ここは 「誰もが身の程をわきまえている」社会である。ヴィク トリア朝流の思想は現在も多くの固定観念のもとに なっている。そうした常識を否定することは社会自体 に疑問を唱えることだ。ヴィクトリア朝時代の理想は きわめて高いがゆえに、野心あふれるヴァンパイアな らいつかは追わねばならない夢となる。

/The Sabbat

 1394 年、後にカマリリャの創設者となるヴァンパイ アたちが最初の秘密会合を開いた。長老と幼童、父と 子が相争う、大叛乱(Anarch Revolt)と呼ばれる紛争 の対策を練るためである。すでに会合参加者の一部は、 はんと あるブルハーの思想的指導者が率いる叛徒(Anarch) の軍勢に襲撃を受けていた。その後まもなく、ラソン ブラ(Lasombra)とツィミーシィ(Tzimisce)のアン テデルヴィアン、ヴァンパイアの氏族創立者ふたりも、 子らの反逆で滅ぼされたという噂だった。こうした不 死者の革命家たちは、あらゆる者の支配を拒否し、新 たな結社――サバト――を組織した。以来サバトのヴァ ンパイアは、より古い行動原理に回帰し、人間性を装 うことを一切放棄している。うわべをとりつくろうだ け無駄という考えなのだ。怪物性を存分に解き放ち、人 が神聖不可侵とするものすべてを言動で冒涜する。人 と神への反逆者――この主題こそヴィクトリア朝時代の サバトを最もよく表している。  スペインとイタリアに文明地の版図がわずかにある のは別として、ヴィクトリア朝時代のサバトはもっぱ らヨーロッパの未開地をなわばりとし、古くから伝わ る迷信や信仰ぐらいしか身を守る術のない農民を餌食 にしている。ヴィクトリア朝時代の博識なオカルト主 サ バ ト 義者の中には、ヴァンパイアが魔女集会に集まること 自体が、神の敵にして決して天国の恵みを知ることの ない呪われた怪物であることの証だと言う者もいる。 同じオカルト主義者でも、ヴァンパイアのオカルト主 義者はもう少し博識らしく、サバトの組織構造は総じ てカトリック教会を模倣したふしがあり司教や大司教 の複雑な序列までそっくりだ、ということを証明して いる。サバトの古参ヴァンパイアは、世界屈指の長い 歴史を誇る秘密結社の構造をとどめているという皮肉 を楽しんでいる。  若手ヴァンパイアの関心はむしろ、より小規模な“一 味 /pack”の間柄のほうにある。動物の群れをも意味す る pack を使うあたりに人間らしさそのものへの軽蔑が 表れている――なにしろ自分は人間を超越した存在だと 自覚している連中なのだ。多くの一味は歳経たヴァンパ イアを同族喰らいしてやろうと画策している。そうすれ ば、この呪われし種族の始祖カインに近づくことができ るからだ。そういうわけで、サバトのヴァンパイアは“カ びと イン人 /Cainite”と名乗っている。サバトの長老は派閥 を武器のように操って敵を攻撃する。そのため、サバト は別名“カインの剣 /Sword of Caine”ともいう。本当 に強大なヴァンパイアに言わせれば、そういう不埒な欲 望にふけるとはサバトも単純だというが、これだけの団 結を見せている点は時代精神に合致している。  旧世界では、カイン人は科学と光を避けて隠れ、遠 い昔に滅びた国々の廃墟を徘徊する。ヴァンパイアに まつわる極めつけにおぞましい伝説の数々を体現して いるばかりか、そういう伝説を生んだもとでもある。 ヴァンパイアの学者でさえカイン人をためらいなく 「邪悪」と表現するが、より正確には、カイン人はゴシッ ク・ホラーや暴露雑誌や安っぽい犯罪小説にみられる 邪悪を体現しているのだ。文明地じゅうに広まる悪行 のひとつひとつがサバトの仇敵――文明地に潜むカマリ リャ・ヴァンパイア、人間のふりをした化け物たちへ の妨害工作だ。カイン人はヴァンパイア本来の古い流 儀を守り――新たな闇の時代の到来を告げる。  カマリリャの血族ならほんの情けで餌食の命は助け

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てやるところを、ヴィクトリア時代のカイン人は餌食 を殺し、存分に血を飲んだうえで、死体をぞんざいに 投げ捨てるだろう。血族の一員なら表向きの紳士的な 物腰を誇るところを、カイン人は犠牲者を陥れたり、切 り刻んだり、大量虐殺したりする手口の芸術性にあこ がれる。怪奇譚ではヴァンパイアは人命を犠牲にして 爛れた欲望を満たす人でなしの殺人鬼として描かれる。 旧世界のカイン人はそうした想像をかきたて、それに 勝るとも劣らない所行をはたらく。  新世界のサバト・ヴァンパイアはそれよりはるかに 進歩的だ。カイン人はアメリカ、カナダ、メキシコに疫 病のごとく広がった。大都市で際限なく子を創りすぎ たため、新世界のわずかなカマリリャの版図に手当た りしだい襲撃を繰り返している。とはいえ、“赤肌の野 蛮人”が住む未開地への進出も始まっており、アメリ カ大陸のサバトはネイティブ・アメリカンの儀式や神 話をとりいれている。カマリリャ・ヴァンパイアは、い かにもヴィクトリア朝人らしいことに、それは退化、雑 婚、狂気に他ならないと考えている。  サバト史上最も重要な条約である1803年の購入協定 (Purchace Pact)では、サバト構成員がサバトに敵対す る者すべてに対して団結することを義務づけた。内紛 を禁じられた構成員は、サバトの仇敵の領土に矛先を 向けた。つまり、文明化そのものの敵となったのであ る。構成員たちはたびたび文明地に“聖戦”を仕掛けて は、思う存分暴れまくる。サバトの新参者は他に生き ていく道を知らないのだ。

/Autarkis and Anarchs

 ゴシック・ヴィクトリア朝時代はもっぱら前述の二 大結社の抗争に彩られているのだが、その争いに巻き こまれまいとするヴァンパイアもいる。サバトは組織 を団結させるために聖戦を起こし、カマリリャは若い ヴァンパイアの反乱を防ぐために組織の敵の極悪非道 さを喧伝する。それは権力者が失墜を避けるための芝 居ではないか、と疑問を抱く者は、どちらの派閥にも、 どの血筋にもいる。あるいは、古代のヴァンパイアた ちが両派閥の指導者たちをチェスの駒よろしく操って いて、誰が黒い駒で誰が白い駒かは指し手が勝手に決 めているのだ、という者もいる。こうした見解をあえ て公にする者はほとんどなく、ただ冷たい胸の奥に秘 めるのみである。  こうしてカマリリャとサバトから身を引いた者が “隠者 /Autarkis”である。どちらの結社にも積極的に 干渉して、結社を支配する者たちを滅ぼすか放逐しよ うとする者は“叛徒 /Anarch”と呼ばれる――彼らに とっては結社それ自体が敵なのだ。カマリリャは版図 内にいるヴァンパイア全員を構成員とみなしているし、 サバトはなわばりに侵入した血族全員を敵とみなす。 しかし隠者と叛徒は、公子や参議(primogen)のもの だろうが、司教(bishop)や大司教(archbishop)のも のだろうが、一切の権威を認めない。派閥などなくて も共存していける、と彼らは主張する。ヴィクトリア 朝時代には当然のことながら、世間はそういうはみ出 し者に寛容でなく、社会の敵として駆除しようとする。  隠者も派閥のなわばりに踏みこむことはあるが、そ うするときは秘密裡に動かねばならない。そういうわ けで、隠者たちは密議を重ね、政治情勢の変化に耐え て生き残るための秘密同盟を結んでいる。派閥に与せ ず自氏族のためだけに動く独立氏族も帝国内にはいく つかある。一味や同胞(coterie)と違って、隠者の集 団は党派心むきだしの長老たちの決定に縛られない。 例えば、あるブルハーとあるギャンレルが、かの闇が 最も深かった“長夜 /Long Night”以来協力関係にあっ たとしたら、かたやカマリリャに入りかたや脱退した 氏族であっても、理由さえあれば再び手を組むかもし れない。  血族やカイン人がより長期的な目標のために隠者と 協 力 す る こ と も あ る 。 例 え ば 、 公 子 と ラ ヴ ノ ス (Ravnos)の密偵たちが手を組んで、ある大司教のヴァ ンパイア人生を終わりなき地獄にしてやろうと企む。 あるいは、執念深い長老が宿年のライバルをセト人 (Setite)の教団に売り渡し、あわよくば滅ぼしてしま おうとする。他人を操り利用する手段があるかぎり、 ヴァンパイア同士の党派を超えた共謀は成り立つのだ。  叛徒の一部が噂するには、サバトとカマリリャの長 老たちも共謀しているという。なにしろ長老たちの中 には二派閥間の抗争が始まるより前から長らえている 者もいるのだ。その地位を利用すれば、咎められるこ となく敵派閥の長老と連絡をとったり交流したりもで きるだろう。例えばヴェントルー(Ventrue)のある知 識人がツィミーシィ(Tzimisce)のひとりと数百年来 の議論友達で、版図に親しく招かれたこともある。数 世紀の間に政治情勢が移り変わっても、ふたりの仲を 裂くまでにはいたらなかった――歳経た怪物は昔のこと を忘れないものなのだ。   ラ ヴ ノ ス の 昔 の 遊 び 仲 間 だ っ た マ ル カ ヴ ィ ア ン (Malkavian)、かつてラソンブラ(Lasombra)を愛し たトレアドール(Toreador)、アサマイト(Assamite) に滅ぼされるところを見逃してもらった恩があるノス フェラトゥ(Nosferatu)――こうした交際は何百年に もわたって続くかもしれないがヴィクトリア朝時代で は決して表沙汰にできない類のものだ。血族にせよカ イン人にせよ、派閥外の者と手を組んだことが知れた ら最後、派閥に忠誠を疑われる。それは派閥に対する 裏切りと見なされる犯罪行為であり、自分を慕ってく れた者たちの信用を失いかねないスキャンダルだ。裏 切りの発覚はヴァンパイアの地位の失墜を招く可能性  あらゆるものは歳をとるが、決して死なないものもある。 血族やカイン人は系図を暗誦して自分がこの呪われた種族の 始祖カインにどれぐらい近いかを明らかにする。カインから 何世代目にあたるかでヴァンパイアの潜在能力の高さがわか るのだ。若いヴァンパイアは必死にのしあがろうとするが、 古い世代のヴァンパイアが数百数千年ものさばっているた め、そうした野望はいつも挫けてしまう。従って、ヴィクト リア朝時代のヴァンパイアの階級組織は、下克上でも起こさ ないかぎりいつも同じ状態だ。  ヴィクトリア朝時代の血族の“幼童 /neonate”は齢 100 歳 に満たない。ほとんどは第 10 世代から第 12世代だ。血族のし きたりと六条の掟を父からひととおり教わって、これからが 父の選択眼の問われるところだ。そのため、父は子を人間に はとうてい耐えられないほど厳しい勉強漬けにしようとする。  呪われし者の社交界の新人である幼童は、一定の規範を守 り、選んだ版図に責任を持ち、嵐のような社交行事に参加す ることを求められる。父の要求水準に応えられなければ(一 時的にしろ)面目を失う羽目になるかもしれない。敷かれた レールをはずれてしまったら――当然の結果だが――社会そ のものを敵に回すことになるだろう。新世紀が来てこうした 因襲が過去の遺物になる日を待望する者は多い。  サバトの幼童はそうした社会の重荷に縛られていない。司 教や大司教の権力をもってすれば、幼童を片端から滅ぼすこ ともできるのだが、生かしておいて手駒に使うのが得策と思 われているからだ。創られたばかりのカイン人は、ヴィクト リア朝の人間社会では決して得られなかった力と自由に酔い しれる。未開地に棲んで、好きなところをうろつき好きなよ うに殺していいのだ。狡猾な者は紳士の仮面をかぶって都市 に潜入し――ひっそりと、静かに、カマリリャの都市のど真 ん中に騒ぎを巻き起こす陰謀を進める。  カマリリャの“若輩 /ancilla”は、生存競争を勝ち抜き都 市の権力者の地位をせしめるようになった者たちである。若 輩は都市の主な組織を利用して点数を稼ぐのに熱心で、そう いう組織を実際に機能させているのはどういう都市において も人間であるにも関わらず、そういった事実にはまるでおか まいなしだ。大都市の要所の守護者として、また政界の下層 にうごめくけちな陰謀家として、若輩はカマリリャに貢献ぶ りを認めてもらおうと躍起になっている。だが、若輩は長老 と幼童の中間階級でもあって、どちらの集団の動向も同じぐ らい油断なく観察している。街の長老に対しては、その血管 内の古い古い血潮と同じぐらい澱みきった政界で隙あらばの しあがってやろうと、際限なく陰謀を張り巡らす。しかし幼 童の動向をも相当熱心に監視しており、若輩を不安定な権力 の座から追い落とそうとする者はいないかと常に警戒を怠ら ない。  カマリリャの“長老 /elder”はふつう街の公子や参議を務 めている。中にはカマリリャとサバトの対立が始まる前のこ とを覚えている古株もいる。そういうわけで、派閥の壁を超 えてサバト構成員とひそかに個人的なつきあいを続けている 者も少なくない。信頼のおける仲介者を通じて、長老たちは 何百年も昔に交わした約束を果たし計画を蘇らせようと呼び かける。もしこうした関係が発覚したら、身の破滅を招きか ねないスキャンダルになるだろう。だから長老は、若いヴァ ンパイアがいらぬ詮索をしないよう、圧力をかけることも辞 さない。地位と権力を利用して、社会の停滞した伝統を守ろ うと最後の最後まで抗いつづける。  サバトに若輩という階級はない。最も近いものでいうと “司祭 /priest”がこれにあたるだろう。司祭はしばしば一味 の幼童と司教の橋渡し役を務めるからだ。教会の冒涜的パロ ディであるサバトの組織において、功績をあげた長老はさら に大司教の座へ昇ることになる。昇進は年功序列で転がり込 んでくるのではなく、競争相手を蹴落として勝ちとるもの だ。中世暗黒時代(Dark Ages)以来の伝統である試練の 数々――炎の試練や決闘審判――で、誰がその地位にふさわ しいか知らしめるのである。新大陸の未開地では、カイン人 は原野の蛮族の儀式をとりいれて、さらに様々な力試しの手 段を作りだした。サバトはこうした内争の火があまり燃え広 がらないようにしながらも、適度にはかきたて、これが長老 たちを危険な武器に鍛えあげる――ひとりひとりがカインの 剣となって、カマリリャの都市の弱体化した守りを粉砕する ように。  メトセラ(Metuselah)たちはこの時代、ほとんど姿を隠 してしまっている。言い伝えが真実なら、国々の命運はメト セラたちの果てしない陰謀にかかっている。多くのメトセラ はヨーロッパの列強諸国の首都に眠りつつ、国々を蓄えた武 器のように使うという。彼らは超自然の力で、静かに気づか れずに長老たちを操り、自分の計画を実行させる。とはい え、ごくまれに、暗黒時代さながらに自らヴァンパイア社会 で活動を続けているメトセラもいる。例えば、ヴェントルー の悪名高いメトセラでミトラス(Mithras)という男は、何 世紀にもわたってロンドン公子を務めている。日常実務の大 半は子のヴァレリウス(Valerius)に任せているとはいえ、 ミトラスの長きにわたる在位が築きあげた伝統は次世紀まで 残るだろう。  そのメトセラより古いアンテデルヴィアン(Antediluvian) たちは、まったく姿を見せなくなっており、まだ生きている かどうかも怪しいものだとほとんどの者が思っている。アン テデルヴィアンはいまや、ヴァンパイアの伝説を生々しくも 残酷に彩る、時代の肖像である。聖書の時代から、この血に 飢えた神々は人類を餌食とし、ある世紀に帝国を築いたと思 えば次の世紀にその命運を奪い去ってきた。遠い末裔のちゃ ちな企みなど知ったことではない。公子や大司教はうたかた の権力などというつまらないものをめぐって争うが、偉大な アンテデルヴィアンは時間を超越している。じっと力を蓄え ながら、文明の終焉――世界の終末を待ち続けているのだ。 アンテデルヴィアンたちがふたたび起き上がるとき、発展の 絶頂を極めていた地上は地獄と化すという。すぐれた知識人 でさえ、表には出さずともアンテデルヴィアンを恐れており、 いまにも彼らが戻ってくるのではないかと不安な心で予兆を 待ち受けている。

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がある――ヴァンパイア社会の権力抗争においてはほと んど致命的だ。陰謀というものはやはり、秘密裏に進 めるのがいちばんなのだ。

 註1 “長夜”:ローマ滅亡からコンスタンティノー プル炎上までの、ヴァンパイアの繁栄と停滞の時代。詳 しくは『Dark Ages: Vampire(未訳)』を参照。

 帝国を擁護するにせよ、その転覆をもくろむにせよ、 ヴァンパイアの様々な政治構造を比較するうえで基準 となるのはやはりカマリリャである。人間とのふれあ いを求めてやまないヴァンパイアなら、カマリリャの 文化に順応するしかない。そしてもし然るべき儀式や 典礼(ritae)を済ませてサバトに身を投じるならば、望 みどおり帝国を倒すべく生きることを運命づけられる。  ヴィクトリア朝の繁栄した都市がカマリリャ社会の 体現とすれば、公子はカマリリャの信条や慣習の化身 といえる。ヴィクトリア朝の紳士らしい、抑制のきい たやり方で伝統を厳守することが、公子に要求される。 もちろん、野心家の女性が生前には決して得られな かった権力と尊敬を追い求めて公子になることもある わけだが。いずれにせよ、公子の失策は混乱を招き―― 滅亡にもつながりかねない。多くの都市で、長老格の ヴァンパイアは、生者がヴィクトリア女王の統治下で 享受しているのと同じ安定にこだわり、何世紀も同じ 公子の統治に甘んじている。公子に異を唱えることは 社会秩序そのものに異を唱えることに等しく、そうい う者は社会から己が身の程を思い知らされることにな る。ゆえにヴィクトリア朝では公子の言葉は法に等し いととらえられている。  社会が現在のような文化的絶頂期を迎える前、公子 たちは広大な版図を求めて相争ったものだった。彼ら が暗黒時代の専制君主だった頃のことである。並み居 るライバルの要求を踏みつけにして領土を広げれば広 げるほど、いっそう多くの侵略者を惹きつけてしまう のだった。ヴィクトリア朝時代の公子はもっと堅実で、 都市ひとつだけを版図にしている。それでも膨大な数 にのぼる人間の市民と、それを餌にしようと群がる血 族と、両方を監視できるのは利点だ。昔の公子と違っ て、領内で掟破りがあっても公子の耳に入らないとい う可能性はずっと少ない。だが、公子のこうした慇懃 で冷徹な仮面の下には、醜聞にまみれ欲望と衝動を抑 えつけようとあがく真の姿が隠れている。人の上に立 つ者としての義務は公子個人の欲求に優先するのだ。 公子も結局は紳士の皮をかぶった怪物にすぎない。だ からこそ、陰謀術数をめぐらし、周囲の者だけでなく 自分自身をも完全に欺かずにはいられないのだ。

/Clans

 公子が権力の座に登れるのは、人を惹きつけるカリス マ的な何らかの資質を、死んだ血管を流れる血によって 受け継いだからである。結局人は生まれと育ちで決まる ものなのだ。そういうわけでヴィクトリア朝のヴァンパ イアは、血族をその父の血統で判断する傾向がある。 ヴァンパイア社会の暗黒時代“長夜”とそれに続く“公 子戦争/War of Princes”の頃に比べれば、今の世の中は “近代的”になった、と公子たちは言う。一千年前、ヴァ ンパイアは各自まちまちな倫理観に従って生きていた が、人間性と秘密主義を何より重んじることによってカ マリリャは存続してきた。同じ道に従う以上、氏族には それぞれ一定の役割と義務がある、と。  雛は初めて公子に自己紹介するとき、よく代々の父 の名を暗誦する。自分が何をしてきたかではなく、ど んなヴァンパイアたちに転化させられたかによって、 自分という人物を説明しようというわけだ。ヴァンパ イアの性質を最も明瞭に示すのはその氏族、つまりそ の人物を継嗣に選び一族の性質を体内に宿すことを許 した“血を分けた家族”である。無論、これはきわめて ヴィクトリア朝的な誇張した比喩だ。血族は闇の人生 を自分の好きなように生きたいと願っている。だが個 人として行動すれば、どうしてもヴァンパイア社会へ の反逆になってしまう。ヴィクトリア朝のヴァンパイ アの大多数は現状に満足している面白みのない連中だ ――この中から英雄が現れるとすれば、その血族はいず れ多数派を敵に回すにちがいない。  一方、ヴィクトリア朝時代のカマリリャは、各氏族 が社会の模範となるべきだという理想のもとに成り 立っている。道を誤った未熟者が血統に泥を塗るよう なまねをしたら、必ずその街のヴァンパイアたちに罰 せられるだろう。どんな些細なしきたりでもないがし ろにすれば当然反感をかうし、掟を無視しようものな ら間違いなく滅ぼされる。この教訓を痛い目に遭って 学ぶ雛は少なくない。だが父にとってもっと面倒が少 ないのは、子のしつけを始めるにあたって、まずヴァ ンパイアの七つの正しい血統――カマリリャ七氏族につ いて教えこむことである。  ヴィクトリア朝のヴェントルー(Ventrue)は夜の貴 族、選りすぐりの名門揃いだ――世界各国の生きている 指導者の多くはヴェントルー氏族と縁続きである。実 業界や産業界の指導者層から引き抜かれてきたヴェン トルーもいるが、より古い貴族的な伝統の支持者から はまだまだ見下されている。文明地では地位を重んじ るものであり、そうした上流社会の価値観(あるいは 偏見)をなによりよく表すのがヴェントルー氏族だ。  保守的な血族はヴェントルーを不死者の“貴族 / Noble”とみなし、ヴェントルーが創る王朝が交代すれ ば、彼らが掲げる理想など変わってしまうものだとう そぶく者もいる。この氏族を全体としては評価するが 個々に見れば気にくわない者もいて、その者の欠点や 失敗なら逐一細かにあげつらえる、というカマリリャ・ ヴァンパイアもいるだろう。進歩的な血族は、ヴェン トルーが支配者の地位につかず商業や産業といった卑 しい仕事に手を染めたとしても、別に目くじら立てる ほどのことでもないだろうと思っている。  ギャンレル(Gangrel)は山野をさすらうヴァンパイ アたちだ。姿形は人間だが、人類より野生動物のほう に親近感を抱いている。大都市に流入する血族人口が ますます増加する中、ギャンレルは昔ながらの流儀を 変えることなく、広大ななわばりを歩き回って餌を 獲ってきた。だが、この血族たちは人類を完全に見捨 ててしまったわけではなく、定期的に公子が支配する 都市に戻ってくる。ギャンレルといえども同じ血族と ふれあいたくてたまらなくなるときがあるものなのだ。 どんなに動物的なヴァンパイアでも心得ていることだ が、もしカマリリャと決別してしまえば、徐々に人間 らしさを忘れた怪物へ成り下がってしまうことは避け られないだろう。  ヴィクトリア朝の保守的なヴァンパイアは、“けだも の /Animal”ことギャンレルの役目は版図の境界の警 備と監視だと思っている。“けだもの”は街なかで人間 を狩るような見苦しいまねをするものではない、そん な暇があったら郊外を見回りに行くべきだ、というの だ。この態度は屋敷の中で働く召使が庭師や森番に示 すものと似ていなくもない。ギャンレルも狩人や番人 の地位に甘んじる気があれば、公子のもとで仕えるこ とはできる。多くは馭者、伝書使、護衛として働き口を 見つけている。進歩的な血族は、寝所を構える街が侵 略されたときにはギャンレルの鋭い牙と爪が役立つか もしれないと考えて、ギャンレルに対等な立場で接し ようとする。   人 々 が 栄 え 芸 術 が 花 開 く と こ ろ 、 ト レ ア ド ー ル (Toreador)もまた繁栄する。彼らはどの氏族より人間 性を賞賛するが、それをまねるのがとりたててうまい わけではない。トレアドールは上流社会の機微を知り 尽くしており、しばしば模範を示しているとも言う。彼 らは人類の牧者たらんとするものの、その意気込みは 往々にして、人々を餌にして飢えをしのぐだけに終わ る。芸術はヴィクトリア朝社会においてとりわけ高尚 なものとされているため、トレアドールも芸術の発展 を重んじる。この血族たちは、炎に群がる蛾のように 芸術界の花形たちをとりまいて、生きた芸術家がもつ 才能の閃きを貪欲に吸収しようとする。悲しいことに、 多くのトレアドールは芸術家に欠かせないそうした資 質を失ってしまっているのだ。ヴァンパイアは本質的 に変化を拒む種族、過ぎ去りし時代の遺物であるがゆ え、人間のような創造意欲に欠ける者が多い。姿形は 不滅の肉体にとどめられても、生命のうつろいの前に は驚嘆するしかないのである。トレアドールの肉体は、 彼らが守るエリュシオン(Elysium)の大理石の伽藍に 似て冷え切ってしまい、情熱的な男女の生き血によっ てぬくもりを保っているのみだ。  保守的な血族は、この氏族をカマリリャ社会を支え る柱のひとつと賞賛しているが、陰ではだらしない快 楽主義の“デカダン /Degenerate”だと思っている。ト レアドールは嘆かわしいことに、情熱に身を任せ、人 間どもに少々迎合しすぎるため、自ら品位を落として いる。自分たちの感性が欠けている部分は生者から盗 みとる。もちろん、カマリリャ設立にあたり雄弁をふ るったラファエル・デ・コラソン(Raphael de Corazon) はトレアドール氏族だったから、同氏族の者がカマリ リャに歓迎されるのは――世間体のためだけにしろ―― 当然のことはである。進歩的な血族は、長老たちが忘 れ果ててしまった、人間社会に対する鋭い観察力がト レアドールにはある、と感じている。ごくまれなこと だが、トレアドールは生前有していた情熱を奇跡的に 取り戻すことさえあるのだ。  トレメール(Tremere)は数百年の歴史を誇る、魔術 師と妖術使いの結社である。ヴィクトリア時代をオカ ルト復興の幕開けととらえる彼らは、その推移を見届 け記録することに熱心だ。ブラヴァツキー、ホワイト、 ガードナー、そしてあのクロウリーといった幻視者た ちが、さまざまなアプローチで真智の光明を追い求め ている。トレメールの妖術使いは彼らの新説を研究し、 自分たちの魔術の実践にとりいれている。トレメール 派 /House Tremere にとって、今は心霊主義、神智学、 フリーメーソン、そして“黄金の夜明け”団の時代だ。 こうした結社ではしばしば結社員をさらに深遠な知識 に導いてくれる隠れた導師たちがいると噂される。ト レメール氏族はすぐさまそこにつけこんで、悟りを開 いた師を演じ、選ばれた学徒を不死の境地に引き上げ、 前途有望な者たちを手なずけ、残りを餌食にしようと する。何世紀も昔から、トレメールは超常の知識と力 の強奪者を演じ続けているのである。  伝統派の血族は言う。この“魔法使い /Witch”たち はカマリリャ内で相当な力を握っており、ウィーンに いる氏族の長老七人から成る“七人議会 /Council of Seven”に刃向かう者すべてに対して統一戦線を張る。 その議長、族祖トレメールが姿を見せなくなったのは 周知の事実だが、きっと罰当たりな所業をはたらいた せいで休眠に陥っているのだろう。トレメールが同氏

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族の者を裏切って氏族における自分の発言力を高めよ うとするのは日常茶飯事なので、ひとりひとりをよく 観察しなければならない、と。革新派の血族は言う。ト レメールが操る《魔術 /Thaumaturgy》は強力な武器で あり、しばしば氏族外の味方を助けるためにも使われ る。だが、トレメールはいかなる絆にも優先して自分 の氏族に忠誠を尽くさねばならない。氏族の秘儀を売 り物にしたり氏族外の者に明かしたりすれば、ウィー ンに召喚されて服従の意味を“再教育”されることに なる。  ノスフェラトゥ(Nosferatu)は現代の汚穢と腐敗に 引き寄せられる。ヴァンパイア化の呪いによって醜悪 な怪物に成り果ててしまったノスフェラトゥは、ヴィ クトリア朝下層社会でもとりわけ醜悪な界隈に惹きつ けられる。そこでは社会の最下層の人間たちがわずか な生き残りの機会を求めて相争っている。流血沙汰が 起きれば、たちまちノスフェラトゥが血のおこぼれに あずかろうと群がる。  だがいったん血の渇きが去れば、彼らは並外れた周 到さで組織を作りあげる。この時代、ロンドンのアシ ゴ ッ サ ム ニーアムのアーチ式水路からニューヨークの地下鉄ま で、多くの大都市で公共設備の地下敷設化が進んでい る。そうして生まれた地下空間を、ノスフェラトゥの 長老や参議は自分たちだけの王国とみなすようになっ てきた。奇妙なことに、ほとんどの公子はこうした版 図の私物化をあえて問題にする勇気がないようだ――あ るいは王国の住人を掃討するだけの余裕がないのかも しれないが。そういうわけで、公子たちは多少の傲慢 さに目をつぶってもなるべくノスフェラトゥと関わり 合いにならずにすむようにしている。  保守的な血族はノスフェラトゥ氏族を“ドブネズミ/ Sewer Rat”と呼んで虫けら扱いしている。なにしろ、 ひとつの街に何人いるか確かめるだけでも大変なのだ。 ノスフェラトゥたちが地下でどんな陰謀をめぐらせて いるか、知っている者などいるだろうか。もし彼らが 公子や参議の知りえない秘密を嗅ぎ出したとしたら、 誰に喋るかわからないではないか。ノスフェラトゥは 裏情報を集めてくる才能があるので、頭の切れる公子 からは使える戦力として評価されるが、社交の場にノ スフェラトゥを招くのは狂気の沙汰だ。たいていの血 族は、ノスフェラトゥの容貌が醜いのは心根が歪んで いるしるしに違いない、と考える――骨相学者も額の後 傾は犯罪的性向の表れなどと言うではないか。進歩的 な血族であれば、そういう不埒者たちに寛容にはなれ ないにしても、それなりの利用法を見つけるかもしれ ない。たとえば、ノスフェラトゥの中には、かくも過酷 な運命に陥ったのは自分に罪があったせいだと考えて、 その償いになにか人道的なことを成し遂げようと苦闘 しつづける者もいる。そこに償いの機会を与えてやれ ば、この卑しい化け物たちの心に巣くう悪からいくば くかの善を生み出すことができるかもしれない。だが 忘れてはならないのは、この“ドブネズミ”たちはカイ ンの種族の中でいちばん品性下劣な連中だということ だ。そういうやからには社会不適格者の烙印を押して 懲らしめるのが世のため人のためである。  ブルハー(Brujah)は革命家で知識人で、かつ突然 暴力的になると思われている。次第に増えていく人間 の民衆が圧制、貧困、不衛生に苦しんでいるのを見て、 その不平不満を利用してやろうというのか、現状を覆 そうとするあらゆる運動を支援するのに熱心だ。ア ナーキズムやサンディカリズムから、共産主義や集産 主義に至るまで、ブルハーは様々な近代政治運動に関 心を寄せている。このヴァンパイアたちにとって、現 在はフェビアン協会、バクーニン、そしてカール・マル クスの最初の継承者たちの時代だ。ゆえに、ヴァンパ イア社会のプロレタリアートを自認する者も多い。彼 らは隠し部屋に集まって、いかにして人類を解放する べきかを熱く論じ合う――結局は自分たちの利益のため ではあるが。しばしば議論が白熱するあまり互いにエ ゴイズムと狂信をむきだしにすることもあるが、ひと たび団結すれば、混雑した部屋の中に置かれた鞄一杯 のニトログリセリンよろしく、暴動を巻き起こしカマ リリャ中を震撼させる。  保守的な血族はブルハーを“暴徒 /Rabble”とあだ名 する。ブルハーの暴力的気性は戦争に向いている。従っ て、サバトの聖戦の脅威が迫っているときには、兵士 としてあてにできるということで、態度の悪さを大目 に見る公子もいる。進歩的な血族はむしろブルハーの 知性に裏打ちされた理想主義を評価する。もっともそ れは往々にして社会の最下層を称揚することにつなが るわけだが。  ヴィクトリア朝のマルカヴィアン(Malkavian)は精 神の専門家だ。人間の知性の本質や、正気と狂気の境 目が、科学によって次々と解明されてゆくのを熱心に 待ち受けている。かつてマルカヴィアンは闇の予言者 だったが、フロイトなどの精神医学者が彼らの狂気に 新たな意味を与えたのである。狂気はもはや神罰とみ なされなくなった。ヴィクトリア朝の精神科医たちは 狂気を研究する斬新な手法を見いだしたのだ。精神科 医が患者を客間で分析する――あるいは癲狂院に押し込 める――のをまね、マルカヴィアンたちは医者役になっ たり患者役になったりしながら、自らの血にこめられ た洞察力を用いて精神分析ごっこをする。より大人数 の集まりでは、その洞察力を他のマルカヴィアンに向 けて、集団狂気の分析に興じるのである。  保守的な血族は、マルカヴィアン氏族はみな“狂人 / Lunatic”で、おそらく鎖につないでおくべき危険な化 け物だと言う。ほとんどのマルカヴィアンは長期間に わたって正気を装うこともできるのだが、追い詰めら れると見苦しく不快な精神異常があらわになる。どん なにうまく正気の言動をとりつくろっても、内側では 狂気が荒れ狂う嵐のように渦巻いている。マルカヴィ アンが人間の狂気を分析しようとするのは、きっと自 分を何か別のものとして描こうとするささやかな試み にすぎないのだろう。進歩的なヴァンパイアはマルカ ヴィアンの見識や洞察力を評価する――その狂気に通さ  ヴィクトリア朝社会において、より上の社会階級に出世することは、大変な苦労だが不可能ではない。ス トーリーテリングを容易にするためにごく簡略化して説明するが、ヴィクトリア時代のカマリリャの地位は三 つの階級に分けられる。すなわち下層階級、中流階級、上流階級である。どの階級に属するかは主に出身氏族 で決まるが、有力なヴァンパイアの血筋であったり目立った功績を挙げたりすれば、そうした制約を超えて出 世できる可能性もある。ゲーム的には、出世の程度は【背景】の〈地位〉で表せる。もっと具体的な表現をし たいストーリーテラーは、以下のガイドラインを参考にするとよいだろう。  上流階級:ヴェントルーとトレアドールはほとんどがこの階級に属する。上流階級として認められるには、 キャラクターはヴェントルー氏族かトレアドール氏族の出身であり、カマリリャの行事に積極的に参加し、か つ〈地位〉を最低1レベル有していなければならない。以上の条件を満たさない者は中流階級とみなされる。 トレメール氏族またはギャンレル氏族の者は、〈地位〉が5レベルあれば上流階級と認められる。〈地位〉5の ヴェントルーやトレアドールはカマリリャ・ヴァンパイアの鏡といえよう。  中流階級:トレメールとギャンレル。いわゆる“ブルジョア”階級である。トレメールがたびたびオカルト に手を出して氏族の評判を落とす一方、体を張ってカマリリャの版図を守っているギャンレルはどうしようも ない野蛮人という評価を見直されつつある。中流階級と認められるには、キャラクターはカマリリャの行事に 積極的に参加しなければならない。マルカヴィアンは〈地位〉が3レベルあれば中流階級、5レベルなら上流 階級とみなされる。  下層階級:ブルハー、マルカヴィアン、ノスフェラトゥ。この三氏族は相当な差別を受けており、カマリリャ の上流階級にはおそらく理解できないであろう理想を抱いて独自の社会を築きあげるに至っている。とはいえ、 ブルハー氏族で〈地位〉が5レベルあれば、少なくとも中流階級にはなれる。カマリリャによほど多大な利益 をもたらすような功績をあげたのでもないかぎり、ノスフェラトゥには出世の見込みはほとんどない。

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