はじめに 近年,深部静脈血栓症,肺塞栓症に注目が集まると ともに,下肢腫脹の精査加療を目的に紹介される症例 が増加している.ベーカー囊腫の破裂は,下肢深部静 脈血栓症の鑑別のひとつとされ,偽性血栓性静脈炎 (pseudothrombophlebitis)と称される1).偽性血栓性静 脈炎は,血栓症を伴わず,腓腹部に圧痛と腫脹を呈 し,下肢深部静脈血栓症に類似した症状・徴候を呈す る病態をさす.日常の臨床において,実際にベーカー 囊腫の破裂に遭遇する機会はそれほど多くなく,ま た,見落とされている症例もあると思われる.当科で は,下肢腫脹により深部静脈血栓症が疑われて来院さ れる症例に対しては,まず,外来診察時に超音波検査 で静脈血栓症の鑑別を行っており,ベーカー囊腫の破 裂も超音波検査所見を重視し診断している2).今回, 過去 5 年間の当科で経験したベーカー囊腫破裂症例を 検討したので報告する. 埼玉医科大学総合医療センター血管外科 受付:2011 年 7 月 11 日 第 30 回日本静脈学会総会(2010 年,宮崎)座長推薦演題
ベーカー囊腫破裂と下肢静脈血栓症の鑑別
松本 春信 山本 瑛介 神谷 千明 三浦 恵美 北岡 斎 山本 晃太 出口 順夫 佐藤 紀 ●要 約:ベーカー囊腫の破裂は,下肢深部静脈血栓症の鑑別のひとつで,偽性血栓 性静脈炎(pseudothrombophlebitis)と称される.日常の臨床において,実際にベーカー囊腫 の破裂に遭遇する機会は稀である.今回,当科におけるベーカー囊腫破裂症例を検討し たので報告する.過去 5 年間に,下肢腫脹を主訴に当科を受診された症例は 424 例で, 深 部 静 脈 血 栓 症 163 例(38.1 %), リ ン パ 浮 腫 26 例(6.1 %), ベ ー カ ー 囊 腫 破 裂 5 例 (1.2%),その他 230 例であった.ベーカー囊腫破裂は,男性 2 例,女性 3 例,平均年齢 66.4歳(51∼80 歳)で,発症数日前に膝関節痛を自覚したものが 2 例,残り 3 例は以前か ら変形性膝関節症を指摘されていた.浮腫を 2 例,腓腹部把握痛を 2 例に認め,1 例で足 関節部の皮下出血を認めた.診断は,全例超音波検査で行った.静脈血栓症の合併は認 めなかった.治療は,全例消炎鎮痛剤投与による保存的治療により症状は改善した.下 肢深部静脈血栓症とベーカー囊腫破裂の鑑別は臨床症状のみでは困難なことが多く,注 意深い問診とエコー所見が診断上重要である. ●索引用語:深部静脈血栓症,ベーカー囊腫,ベーカー囊腫破裂,偽性血栓性静脈炎, 血管超音波検査 静脈学 2012;23(3):261-265原 著
対 象 2004∼2009 年の 5 年間に,ベーカー囊腫破裂と診 断された 5 例. 診断方法および使用した超音波装置 当科では,下肢腫脹を主訴に来院された症例に対し ては,原則として初診時に外来診察室で超音波検査を 施行している.使用している装置は,アロカ社製 SSD-5000または ProSound α6 で,主として 7.5 MHz または 4–13 MHz リニア型プローべで観察を行い,腸 骨静脈領域や深部の観察には,適宜 3.5 MHz または 2–6 MHzコンベックス型プローべを使用した.ベー カー囊腫の破裂は,膝窩部に存在する低エコーに描出 される囊腫(Fig. 1)に加え,囊腫につながる,または 下腿中央部で筋膜下や筋間に存在する低エコー領域と して描出される液体貯留の所見(Fig. 2)により診断し た.また,症例によっては,診断および治療を兼ね て,同貯留液を穿刺し,血性のゼリー状の内容液を確 認した. 結 果 同期間に,下肢腫脹により深部静脈血栓症を疑われ 静 脈 血 栓 症 163 例(38.1 %), リ ン パ 浮 腫 26 例 (6.1%),ベーカー囊腫破裂 5 例(1.2%),その他 230 例であった.診断には,全例に超音波検査を行い,必 要に応じて CT,MRI,下肢静脈撮影が施行された. ベーカー囊腫破裂の症例の内訳は,男性 2 例,女性 3 例,平均年齢 66.4 歳(51∼80 歳)であった.全例,下 肢腫脹により深部静脈血栓症を疑われ紹介となった が,発症数日前に膝関節痛を自覚したものが 2 例あ り,残り 3 例も以前から変形性膝関節症を指摘されて いた.下肢浮腫を 2 例,腓腹部把握痛を 2 例に認め, 1例で足関節部の皮下出血(Fig. 3)を認めていた.診 断は,全例エコーで行い,病状の把握のため,MRI を 1 例に施行した(Fig. 4).静脈血栓症の合併は認め なかった.また,2 例に貯留液の穿刺を行い,血性の ゼリー状吸引物を確認した.治療は,全例消炎鎮痛剤 投与による保存的治療を行い,症状の改善が得られた (Table 1). 考 察 ベーカー囊腫とは,膝窩に生じた囊腫の総称で,半 膜様筋腱と腓腹筋内側頭の間に発生する滑液包の腫脹 である.膝窩囊腫としては,1840 年 Adams が初めて 報告したが,1877 年に William Morrant Baker が疾患
Fig. 1 Ultrasonography showed a low echoic cyst in the popliteal
fossa of the patient with a Baker’s cyst.
Fig. 2 Ultrasonography showed the subfascial echo-free space in the
Table 1
Case Age Sex Symptoms Calf muscle Knee pain OA DVT Diagnosis Therapy
tenderness
1 54 male leg swelling, pain, edema + + (5 days ago) − − US NSAID
2 51 male leg swelling, pain, edema + + (8 days ago) − − US, MRI NSAID
3 80 female leg swelling, subcutaneous bleeding − − + − US NSAID
4 80 female leg swelling, pain − − + − US NSAID
5 67 female leg swelling − − + − US NSAID
OA, osteoarthritis; DVT, deep vein thrombosis; US, ultrasonography; MRI, magnetic resonance imaging; NSAID, non-steroidal anti-inflammatory drug
Fig. 3 Subcutaneous bleeding around the ankle joint in a patient with a ruptured Baker’s cyst (a, b).
a b
a b
Fig. 4 MRI.
T2 weighed MRI showed a high intensity cyst of the knee joint (a) and a subfascial high intensity space of the mid calf (b) in the patient with a ruptured Baker’s cyst.
く知られるようになった3).本疾患は,慢性の炎症 性・変形性膝関節疾患の多くに合併されるとされる. 症状は無症状のものが多いが,増大すると圧迫感や疼 痛,膝関節可動域制限などを認めるようになる.ま た,破裂した場合は,筋肉間などに内容物が流入し, 血栓性静脈炎に類似した症状を呈し,この病態は偽性 血栓性静脈炎(pseudothrombophlebitis)と称され1),本 疾患はその原因のひとつとして重要である. 近年,エコノミークラス症候群として肺血栓塞栓症 が注目されるようになり,その原因として下肢深部静 脈血栓症が広く一般に認知されるようになってから, 下肢腫脹を主訴とした外来患者は増加してきている. 下肢腫脹を主訴とする症例に対して超音波検査で評価 を行った遠藤らの報告によれば,有意な所見を認める ものは全体の 54.4%にすぎず,その内訳は,浮腫が 58.1%,深部静脈血栓症が 29.0%,表在静脈の弁不全 14.5%,血栓性静脈炎 6.5%,ベーカー囊腫 4.8%で あった4).同様に超音波検査で評価を行った Langsfeld らの検討によれば,深部静脈血栓症と診断されたのは 全体の 20%で,ベーカー囊腫を 3.1%に認めたと報告 している5).われわれの検討では,下肢腫脹を呈する 症例のうち深部静脈血栓症であったものは 38.1%, べーカー囊腫の破裂が 1.2%であった.いずれにして も,下肢腫脹を示す症例のうち,深部静脈血栓症であ る頻度は約 3 分の 1 で,数%にベーカー囊腫が下肢腫 脹の原因となっている症例が存在しており,下肢深部 静脈血栓症が疑われる患者の約 2∼6%が,ベーカー 囊腫が原因であったとする報告6)もある. ベーカー囊腫およびその破裂の診断は,身体所見の ほか,超音波検査,CT,MRI,関節造影,静脈造影 で行われる.当科で経験したベーカー囊腫の破裂は, いずれも身体所見と超音波検査で診断可能であった. 超音波検査所見は,前述のように膝窩部の囊腫の存在 に加え,下腿中央部での筋周囲の低エコーな液体貯留 の所見が重要である.MRI が有用とする報告もある が7),超音波検査は,非侵襲的でかつ安価で容易に施 行できるうえに,静脈血栓症の有無の評価も可能であ り,本疾患の診断には最も重要な検査と考える. ベーカー囊腫の治療は,無症状のものは経過観察と され,有症状の場合,穿刺・吸引で様子をみることが に対しては,手術(囊腫の摘出術)が施行されることも ある.しかし,手術は囊腫と関節包との交通を確実に 処理しなければ高率に再発すると言われている8). ベーカー囊腫の破裂による偽性血栓性静脈炎の治療 は,安静と消炎鎮痛剤などによる保存的治療で症状の 改善が得られることが多い.ベーカー囊腫が破裂する と,囊腫内容物が下腿の筋間に入り込み,その結果と して,小血管が破綻し出血を伴うことがある.そのた め,膝の疼痛や下肢腫脹が発症してから数日後に足関 節周囲に皮下出血が出現し,病院を受診される症例も ある(Fig. 3).ベーカー囊腫の破裂を誤って深部静脈 血栓症と診断し,不必要な抗凝固療法を行った場合, かえって出血症状を悪化させ危険であり,初診時に確 実な診断のもと治療がなされることが重要である. 最後に,注意すべき病態として,偽性偽性血栓性静 脈炎(pseudopseudothrombophlebitis)がある.これは, ベーカー囊腫の破裂により膝窩静脈の圧排が生じ,2 次的に静脈血栓症を来す病態である9).ベーカー囊腫 による深部静脈の圧迫による深部静脈血栓症の合併 は,その頻度は定かではないが,ベーカー囊腫を有す る患者の約 3 割に認めるとの報告もあり10),その診療 には注意が必要である. 結 語 下肢深部静脈血栓症とベーカー囊腫破裂の鑑別は臨 床症状のみでは困難なことが多い.診断には非侵襲的 かつ簡便な超音波検査が有用である.安易な抗凝固療 法は,かえって出血の合併症の原因にもなるため,注 意深い問診と超音波所見を軸とした慎重な診断のも と,本疾患を鑑別してから治療にあたることが重要で ある. 文 献
1) Katz RS, Zizic TM, Arnold WP, et al: The pseudothrom-bophlebitis syndrome. Medicine (Baltimore) 1977; 56: 151-164
2) Sato O, Kondoh K, Iyori K, et al: Midcalf ultrasonography for the diagnosis of ruptured Baker’s cysts. Surg Today 2001; 31: 410-413
3) Baker WM: On the formation of synovial cysts in the leg in connection with disease of knee-joint. Saint Bartholomew Hospital Reports 1877; 13: 244-261
る下肢腫脹症例に対する血管超音波検査.静脈学 2009; 20: 227-233
5) Langsfeld M, Matteson B, Johnson W, et al: Baker’s cysts mimicking the symptoms of deep vein thrombosis: diag-nosis with venous duplex scanning. J Vasc Surg 1997; 25: 658-662
6) Drescher MJ, Smally AJ: Thrombophlebitis and pseudo-thrombophlebitis in the ED. Am J Emerg Med 1997; 15: 683-685 7) 千葉 進,田中真悟:炎症性筋疾患 偽血栓性静 脈炎症候群.日本臨床 別冊 骨格筋症候群 2001; 35: 383-386 8) 渋谷慎太郎,菅 重尚,清水壮一,他:Baker 嚢 腫.血管外科 2004; 23: 44-46
9) Prescott SM, Pearl JE, Tikoff G: “Pseudo-pseudothrom-bophlebitis”: ruptured popliteal cyst with deep venous thrombophlebitis. N Engl J Med 1978; 299: 1192-1193 10) Simpson FG, Robinson PJ, Bark M, et al: Prospective study
of thrombophlebitis and “pseudothrombophlebitis”. Lan-cet 1980; 1: 331-333
Abstract
The Diagnosis and Treatment of Ruptured Baker’s Cyst
Harunobu Matsumoto, Eisuke Yamamoto, Chiaki Kamiya, Emi Miura, Tadashi Kitaoka, Kota Yamamoto, Juno Deguchi, and Osamu Sato
Department of Vascular Surgery, Saitama Medical Center, Saitama Medical University Key words: Deep vein thrombosis, Baker’s cyst, ruptured Baker’s cyst, Pseudothrombophlebitis,
Ultrasonographic examination
Ruptured Baker’s cyst is sometimes called “pseudothrombophlebitis” because it is physically indistinguish-able from acute deep vein thrombosis. The purpose of this study was to determine the incidence and characteris-tics of ruptured Baker’s cysts. The hospital records of 424 patients who were referred to our department with swollen legs during last 5 years were reviewed retrospectively. Deep vein thrombosis was found in 163 cases (38.1%), lymphedema in 26 cases (6.1%), and ruptured Baker’s cysts in 5 cases (1.2%: 2 men, 3 women; mean age 66.4 years). In the cases of ruptured Baker’s cysts, there were preceding knee pain in 2 cases, the history of osteoarthritis in 3 cases, leg edema in 2 cases, calf muscle tenderness in 2 cases, and subcutaneous bleeding of the foot in one case. Ultrasonography in all these cases revealed an easily detectable echo-free space behind the calf muscles. All of the cases were treated conservatively by non-steroidal anti-inflammatory drugs without anticoagu-lation. In conclusion, Ruptured Baker’s cyst may mimic the presentation of acute deep vein thrombosis and is reliably diagnosed by ultrasonography.