古代文と現代文の相異二点
一 格表示について 日本語論に限っても、﹁格﹂という文法用語は、かなり異なった理解で用 いられてきた。今たちまち思いつくものとしても、次の三通りがある。 a ﹁ 主 格 ・ 賓 格 ・ 述 格 ﹂ . の ご と き ① b ﹁連体修飾格・連用修飾格﹂ のごとき② C ﹁対象格・時格・場所格﹂ のごとき③ ﹁格﹂ の意義を、単に﹁資格﹂ の意に解するならば、かかる種々の用法が あっても、誤りではないであろう。 しかし、元来西欧から輸入されたこの文法用語の ﹁CaSeLなる意義は、名 詞類が文の主要成分として、その組み合わせが文の情報的内容を成立せしめ る事において、その各々の名詞類の文全体に果たす内容上の立場を、文法的 に整理する項目であったと考えられる。かかる点からすると、﹁名詞類が文 中で他の語に対して取る関係のあり方﹂ ︵国語学大辞典︶なる定義は、妥当 であり、abのごとき用法は除外しなければならぬ事となる。その場合、a は一応論外としても、bのごとき分類は、名詞の立場の分類に必ずしも不要 とは言えぬ点で、少しく注釈しておかなければならぬ。 bのごとき分類を目標とする時、例えば﹁学校の﹂ と言えば連体格であり、 ﹁学校に﹂と言えば連用格である事になる。これは文構造解明の一つの手段 としては確かに有効である。しかし、かかる分類法では、たちまち用言の連重
見
一
行
二二頁 体形・連用形、連体詞や副詞等、名詞に関わらぬものまで、いわば文の主要 成分ならざるものまで、同一に議論せざるを得なくなる。この点で西欧文法 における﹁主格・所有格・目的格﹂ のごとき﹁格﹂分別を考えてみると、こ れ等は、問題の名詞類が文の情報表現としての内容を形成する上での立場を 目した命名である、という先に指摘した点がより明確になるであろう。筆者 は、bのごとき議論とCのごとき議論を明確に区別すべきものとして、前者 を﹁情報構造﹂的意義とし、後者を﹁情報内容﹂的意義として命名し区別し て来たが④、本稿でも、格議論はCに限定したものとして提出せんとするも のである︵ただし、西欧文法論においても、bに近い格議論もあるごときで あ る ⑤ ︶ 。 さて、﹁格﹂ の意義をC的なものに限定した場合、そのような格の表示は、 日本治では、基本的に格助詞が担っている。日本語が膠着語と言われる所以 であるが、この点は現代語でも古代語でも基本的に変わらぬと言える。 所で、世界の言語をも視野に入れて考える時、格表示の方法は様々である が、これを日本語論のために分類的に示せば、少なくとも次の四類を指摘し 得 る 。 ア語順による イ語形変化による ウ助詞的なものの付加による エ前後の文脈による ︵述韓の結合価的理解を含む︶ 日本語の格助詞はウに相当するわけであるが、実際の日常発話等を考えれば、必ずしもクに限定し得ぬ。アないし工とみられる場合も多い⑥。例えば 次 の ご と く 。 日おい、一寸尻︵を︶上げてんか ︵潮騒59p︶⑦ しかし、古代と現代では相当変化がある。以下に論じてみよう ︵古代語と 言っても、より自然な表現としての言語資料という点からすれば、結局中古 の和文系散文による事となる。更に現代譜共々書記資料という限界も有して いる事を、一応了解いただきたい︶。 中古和文においても、格助詞による格表示は基本的に変わらぬが、しかし 格助詞を伴わぬ無格表示も多いのが、古代語の特徴である。それは物語類に おける会話部分のみならず、草子地的部分も同様である。かかる無格表示が、 いわゆる文語調の一つのスタイルをなしている事は周知の事であろう。 ㈲茅屋ども ︵の︶葦︵を︶ ふける廊めく屋など ︵を︶ をかしうしつらひ なしたり。所につけたる御住ひ ︵が︶ やう変はりて、かかる折ならず はをかしうもありなましと昔の御心のすさび ︵を︶ 思しいづ ︵源氏二 3 0 p ︶ ⑧ 右カツコ内が現代語では格助詞を補うと考えられる部分である。 かかる古代語に対しては、現代語では、僻に書記言語において、格表示は 徹 底 し て い る 。 聖一百段叫石段到昇って一双叫石叫唐獅子相成られた鳥居叫ところで見 返ると、こういう遠景吋かこまれた古代さながら叫伊勢の海剰眺めら れた。もとはここに枝が交錯して鳥居叫形到なした﹁鳥居の松﹂があ って、それが眺望におもしろい額線引与えていた。 ︵潮騒5P︶ いわゆる所有格を形成する ﹁の﹂ をはじめ、名詞にはすべて格助詞が下接 して、その文中における情報内容上の資格を明示しているのである ︵ ﹁は﹂ に つ い て は 後 述 ︶ 。 次に古代語で特に目立つ事は、主格ないし主語⑨を表示する格助詞は、そ れ専用としては無く、基本的に無表示である事を問題にしたい。つまり、古 代には現代語の ﹁が﹂ のごとき役割をする助詞がなかったのである ︵ただし、 現代語の ﹁が﹂ も、西欧語的意義では主格 ︵譜︶ を表現していると言い難い 点のある事は、指摘されている事でもあり ︵注544p︶、後に改めて言及し たい︶。言われているごとく、古代の ﹁が﹂ は ﹁の﹂ に似た一種の連体修飾 関係を提示するものである⑩。 価花の木ども ︵が︶ やうやう盛り ︵が︶ すぎて、わずかなる木陰のいと しろき庭にうすく霧渡りたる ︵が︶ そこはかとなく霞あひて ︵ 源 氏 二 1 6 p ︶ 西欧語においても、古代から主格は無格表示が基本で、他の場合の語形変 化を﹁斜格﹂と言うに対して、﹁直格﹂ と言われたのである。この日本語と の共通性は、言語の発生、変容を考える上で、一つの重要な視点になると思 われるが、今後の課題である。 ただし、中古文を見ると主格︵語︶ 的意義の名詞 ︵句︶ 類が、常に無格表 示のまま下枝部分に連接しているのかと言えば、必ずしもそうではなく、多 くの場合、そこに係助詞、特に ﹁は・も﹂ が用いられている。三ヒ車氏の理 解で言えば⑪、格助詞を ﹁代行﹂ しているのである。 佃とあること引かかること叫前の世の報にこそ侍るなれば∼おはやけに かしこまりなる人の現ざまにて世の中にありふる刷脊重きわざに人の 国にもし侍るなるを。とはくはなち道すべき定めなども侍るなるはさ ま異なる罪に当たるべきにこそ侍るなれ ︵源氏二14P︶ ﹁は・も﹂ ほど多くはないが、﹁ぞ・なむ:﹂そ﹂ のいわゆる狭義係助詞 も一応 ﹁代行﹂ と理解出来る場合がある。 ㈲かの花散里にもおはし通ふこと封刊稀なれ︵源氏二12P︶ も っ と も 、 用虎おはかみ増村泣きぬべし︵源氏二17p︶ のごとき副助詞の使用等を考えると、はたして ﹁代行﹂ と言えるのか、むし ろ語順ないし文脈的に ︵述語動詞との関係で︶ 決定されているものと考える べきだ、という事にもなる。三上氏の論はそういう問題点を基本的に有して いるのは事実であるが、筆者としては、﹁代行﹂ 的意義を一応係助詞に限定 二 三 頁
して認めたいと考える。特に ﹁は・も﹂ の、 ﹁主題 ︵題目︶ ﹂ を表現すると 言われるごとき、その上下按文言を二分して、上接文言を主題的に提示する 機能は、﹁代行﹂ と認めてよいのではないかと考える ︵ ﹁は・も﹂ に関する 筆者の理解は次節に述べる︶。また ﹁ぞ・なむ・こそ﹂ は、﹁は・も﹂ の上 下接文言の ﹁二分﹂ 化とはむしろ逆に働く機能を有するが、いわゆる ﹁強 調﹂と言われるごとく、上接文言の ﹁とりたて﹂的意義があり⑩、そこに主 格︵治︶ 的表示意義が生ずる事は、一応認めてよいのではないかと考える。 ただし、あくまで﹁代行﹂ であり、﹁兼務﹂ であるから ︵注目︶、これ等 の ﹁本務﹂は格表示とは別の所にあるのであり、﹁は・も﹂ が用いられれば 必ず主格︵語︶ 表示だ、という事にはならぬ。例えば、 脚何と侍らぬ青物醇引まゐり来て聞えさせん︵源氏二13p︶ のごとく、﹁を﹂ の代行でもあり得るし、 蜘書には院の御墓拝みたてまつり給ふ ︵源氏二24p︶ のごとく、他の格助詞と併用される事も有るわけである。一般に ﹁は・も﹂ が格助詞 ﹁に﹂ の代行をしていると見られる場合は極めて少なく、多くの場 合は右のごとく重ねて用いられるのである。 以上のごとき、係助詞 ﹁は・も﹂ による主格︵譜︶ 代行的使用は、現代文 においてもかなり普通である。 細新治咄いつも着実な考えをもっていた。自分噛まだ十八だし、女のこ とを考えるの嘲早いと思っていた。∼歌島には一軒のパチンコ屋引一 軒の酒屋叫一人の酌婦叫なかったのである。∼新治のまわりには広大 な海鋼あったが、別に根も葉もない海外雄飛の夢に憤れたりすること は な か っ た 。 ︵ 潮 騒 1 9 p ︶ 既述のごとく、一般に現代文では格表示は徹底しており、主格︵諦︶ も、 ﹁が﹂ の主格︵語︶表示化によって、無格表示になる事はまずない。しかし、 先に、この現代語の ﹁が﹂ は、西欧譜的意義では、主格︵語︶ 表示助詞とは 言い切れぬ点があると言われている事を紹介したが、右の旭例の場合も、傍 線の﹁は・も﹂をすべて﹁が﹂ に変えても不自然ではない、とは言い切れぬ。 二四頁 特に ﹁は﹂が ﹁が﹂と対比的に、その表示意義が問題にされているごとく、 そこには、西欧語的SVO構造における ﹁S﹂ の主格︵語︶ と主題の両方の 表示性を現代日本語では分担している、と思われる趣があるのである。 つまり、日本語はSOV構造と言われるが、主格 ︵請︶ 的成分は必ずしも 文頭に置かれるのではなく、述語の前なら、いづれに置かれても特に不都合 ではなく、それに ﹁が﹂ を用いる場合は、いづれの位置に置いても主格 ︵語︶ を表示する意義は変わらぬのである。 ㈹山田が昨日①駅で②山本に③偶然④出くわした。 における﹁山田が﹂を①∼④のいづれに入れる事も可能なるごとく。しかし、 ﹁山田は﹂ のごとく、﹁は﹂ を用いると、下の方に挿入するほど、主格 ︵語︶ の表示と一号っより、むしろ ﹁山田﹂を他と ﹁対比﹂する表現意義が大 きくなる。主格︵語︶ 的表現意義としては、やはり、文頭に置く必要がある のである。つまり、﹁は﹂ の場合は位置によって主格︵諦︶代行的意義に濃 淡が生じるのである。それは結局、﹁は﹂は ﹁が﹂ と異なって、格表示を本 務としないからである。文頭において主格︵語︶ らしいのは、正確には、 ﹁主題﹂的意義と言うべきなのである。これに対して﹁が﹂が文頭の成分を 受けた場合は、﹁が﹂ の受ける部分が、それのみで新情報的意義を有するか、 下接叙述共々新情報的意義を有する場合になると考えられる⑬。主題表示の ごとく、下接文言の方がより新情報的意義を有する場合には ﹁は﹂が用いら れるのである。筆者が、西欧的 ﹁SL を現代日本語では ﹁が﹂ と ﹁は ︵も︶ ﹂が分担していると考える所以である。 さて、以上のごとき古代文と現代文における格表示の相見は、古代文と現 代文のいかなる状況に対応しているのであろうか。この点についての筆者の 現段階での解釈を次下に提示してみよう。 まず、基本的に言える事は、﹁文﹂なる単位を考える時、現代文に対して、 中古文は一般に ﹁長い﹂ と言う事である。 ここで﹁長い﹂というのは、一種の比喩で、必ずしも音節数の単純な多寡 を言うのではない。筆者が中古文を目して﹁長い﹂というのは、α接続関係
的な﹁句﹂ の連続である一方、そこに複合文をまとめる ﹁従属句−主句﹂ と 言った役割分担性が無く、単に雑然と叙述が連続しているごとき場合が多い、 β句と句の間、あるいは一つの句の中で、主述関係が交替したり対応しなか ったり、主格 ︵語︶ の提示がなかったりで、錯綜した構造になっている場合 が多い、と言う事である。α的な場合としては次のごときである。 はまだ妻もおはせで∼語り聞こえけれ刷少将耳とまりて∼との給へ嘲只 今は世にも∼と申せ刷入れに入れかし∼との給へ嘲帯刀あこぎに∼と 語れ嘲只今は∼ともてはなれていらふるを帯刀怨ずれ刷よし今御けし き 見 ん と い ふ ︵ 落 窪 4 6 p ︶ またβ的な場合として次のごときがある。 醐Aうきものと思ひ捨てつる世にも今はと住み離れなむことを思すには さすがにいと捨て難き事多かる中にもB姫君の明け暮れにそへてはお もひ嘆き給へるさまの心くるしさは何事にも勝れてあはれにいみじき をCゆきめぐりても又見むことを必ずとおばさむにてだになは一日二 日おのづから隔つる折り折りだにいかがとおぽっかなう思えD女君も 心ばそうのみ思ひたまへるをE幾年そのほどと限りある道にもあらず あふを限りに隔り行かむもさだめなき世にやがてわかるべき門出にも やといみじうおぼえ給へばFもろともにもや忍びてとおぼしよるをり もあれどGさる心ばそからむ海づらの波風よりはかに立ち交る人もな からむにHかうらうたき御さまにて引き具したてまつらむもいとつき なくわが心にもなかなか物思ひのつまなるべきをなど思し返すを1女 君はいみじからむ道にも後れ聞えずだにあらばとおもむけてうらめし げ に お ぼ い た り ︵ 源 氏 二 1 2 p ︶ この個の場合、叙述内容のまとまりとしては一応A∼Iのごとく分割し得る かと思われるが、これ等が各々句的まとまりとして、接続助詞によって連結 されていると、明確に言えるのはEとF、FとGだけで、他は格助詞で連結 されているとも見られるものである。にもかかわらず一方ではDとIは女君 の立場での叙述であって、その他の源氏の立場での叙述とは異なるのである。 更に例えばAでみると、﹁うきものと∼多かる﹂が全体として ﹁中﹂ なる形 式名詞に係る形でまとめられ、それが﹁に﹂格助詞によって連用修飾句的に B句に係るごとく表現されながら、﹁も﹂ の下接によって改めて二分され、 主題−解説というより前提条件句−被条件句つまり接続関係のごとくにも表 現されているのである ︵この点は次節でより具体的に論ずる︶。いわば重文 とも複文とも区別しがたい連接関係だといえよう。またA句の中での ﹁思す には﹂ の ﹁には﹂ の上下接の関わり方も、﹁思す﹂と﹁多かる﹂ の主語は異 なっており、禎文的関係とも重文的関係とも明確ではないのである。﹁思 す﹂ の主体は明示されず敬意表現によって暗示されている。 かかる中古文の錯雑した表現に対しては、現代文は一般に ﹁文﹂が短く、 構造も明確である。 仙Aこの一見無謀な企て咄最初は教会当局の賛意を得なかった。B彼ら の熱意や布教精神咄わかっても、これ以上危険きわまる真教徒の国に 司祭たちを送り込むこと刷上司としてただちに許すべきことではない。 Cしかし聖フランシスコ・ザビエル以来東洋でもっとも良き種のまか れた日本で統率者を失い、次第に挫けだしている信徒たちを見捨てる こ と 引 一 方 で は で き な い 。 ︵ 沈 黙 9 p ︶ BCの文は比較的長く、BのみならずCも二句構造と見ることが出来るが、 いずれも、﹁従属句−主句﹂的役割が生じていると考えられる。そして、い ずれも﹁は・も﹂が主題ないし主語を表示する意義になっており、構造は明 確である。勿論、格表示の徹底も役立っているが、なんと言っても、現代文 の特徴は、重文的複合文において、ほぼ﹁従属句−主句﹂という二句構造で ある事であり、それが中古文と大きく相異している。 以上のごとく、現代文に比して、中古文は一般に構造の錯綜した、格表示 の整備されざる状況にある。この点からすれば、当時の人々においても、そ の文章理解は困難であったのではないか、と疑われる。しかし、事実は必ず しもそうではなかったようである。少なくとも作者と同程度以上の階層にお いて、例えば源氏物語は早くから読者を獲得しているごとくである⑭。かか 二 五 頁
る点はいかように解釈し得るのであろうか。 それは、一つには次のごとき点があったように思われる。すなわち、問題 としてきた中古の和文とは、ほぼ物語・随筆・私生活日記に限られている ︵説話的なものは別に考えるべきかと思う︶。つまり、そこに書かれた内容 は、常識的な日常的な思考や感覚によって理解出来るものだったのである。 換言すれば、特に中国から輸入されたるごとき非日常的抽象的論理的思考は、 当時においては、漢文で表現されるのが常識であったし、またそれでなけれ ば、表現し切れぬごとく思われていたと考えられるのである。いわば、その 対極として、特に女性的日常的な思考や感情は純粋な和文としてしか表現で きぬもののごとく感じられていたのではないかと思われるのである。検討し 来るごとき錯雑した綿々たる、感覚感情によってこそよく読解しうるごとき 表現法は、そういう思考や感情にかえって適切であったのではないかと思わ れるのである。その点では又、検討したるごとき現代文の格表示をはじめと する文の明確さは、中国文化輸入以来の、抽象的論理的思考が日本人一般の 日常的思考に順化する過程に照応しているのではないかと、思うのである。 二 ﹁は・も﹂ 係助詞の使用について ﹁は﹂ という助詞が、現代語においては﹁主題﹂ を表現するというのが、 一つの理解の流れになっている。これは特に三上華氏の主語廃止論︵注目︶ 以後盛んになったものである。しかし、﹁は﹂自身は必ずしも主題を表す事 のみが働きとは言い難い。前節で論じたるごとく、﹁対比﹂的意味の強い場 合もある。その故に久野贈氏のごときは、﹁主題﹂ と ﹁対照﹂ という二つの 意義に分割して理解している ︵注13︶。また、前節で論じたるごとく、 ﹁は﹂ が ﹁が﹂ の代行をしている、と解することの出来る場合もある。かか る﹁は﹂ の曖昧性は、結局﹁は﹂が本来﹁主題﹂ ﹁対照﹂と言った単純な分 類には適さぬ助詞である事を表明していると言えよう。重ねて論ずるようで あるが、例えば山中桂一氏が ﹁主題言語﹂ としてリス譜を例示するとき ︵注 二六頁 5、20p︶、 L g a n y a 賢 妙 k h 已 よ h 泳 罷 沐 最 中 ∪ < のごときの﹁ロya﹂ は、常に ﹁主題﹂ と思われる語の直後に置かれ、しかも ﹁nya﹂自身は﹁Lga﹂ の主格性を全く保証していないものとする。かかる ﹁n冨﹂ の主題提示限定性に対しては、日本語の ﹁は﹂ は位置的限定も受け る治の品詞的限定もない。名詞類のみならず、活用語の連用形や副詞の後な どにも普通に用いられる。かかる ﹁は﹂ の実態の中で、筆者は、その基本的 表現意義を次のごとく指摘しておいた ︵注4等︶。 a ﹁はしは ﹁も﹂ と共通したある基本的な働きを有している。 bそれは、﹁は﹂ の上下接文言を二分的な関係として表示し、まず上接 文言を提示し、その後で、それを条件として下按文言が成立する事を 提示するごとき、一種の接続助詞的な機能である。 C勿論それは、真の接続助詞のごとく、上下接文言が各述語を有する、 ﹁文﹂的句を連結するのではなく、尾上圭介氏の言う﹁二分結合﹂的 連結であり⑩、結局は上下按文言全体として一つの ﹁文﹂を構成する。 d ﹁は﹂が﹁特立﹂、﹁も﹂が﹁添加しと言った意義の相異は、前節で 述べた﹁情報内容﹂的意義であり、右の両者に共通した一種の接続助 詞的機能とは、﹁情報構造﹂的表現意義である︵あたかも、﹁が﹂が ﹁主格﹂という他の格助詞と異なる表現意義を有すると共に、他の格 助詞と共通の ﹁連用修飾格﹂ 形成機能を有するごとく︶。 かかる筆者の﹁は・も﹂に対する理解は、その共通的表現性である﹁部分 否定﹂的表現性の理解で有効に証明し得た︵注4等︶と考えるのであるが、 それはともかく、右のごとき性格が、特に ﹁は﹂ において、古代綿と現代語 に大きな相異を見ざると考えられる点において雪 中古文と現代文における 使用の変化は、構文法の変化や、表現法表現態度の変化によってもたらされ たものと予想されてくるのである。構文法的観点からの、格表示の代行的状 況については、前節で論じた。しかし、この点で本節としてなお加うべき事
がある。それは前述の ﹁は・も﹂ の接続助詞的表現意義に関わる、中古作品 における使用状況の特色である。その一事実は前節個例で論じた事であるが、 改めて一般論として述べてみたい。 前節で論じたるごとく、古代の ﹁文﹂ は、その中古の作品に見る限り、現 代文に比して長い。しかし、その長さは、むしろ接合文を形成する句と句の 関係や主述関係などの錯雑性として兄いだせるものである事を述べた。実は、 そのような錯雑性を見かけ上整理し、読解しやすくしているのが、 ﹁は・ も﹂なのである。その一例を前節㈹例で触れたわけであるが、別の例を提示 し て み よ う 。 旭 ︵良清︶年頃心づけてあらむを目の前におもひたがへむa叫いとはし うおぼしめぐらされて人すすみ参らばさる方にてb引まざらはしてむ とおぼせど女はたなかなかやむごとなき際の人よりC引いたう思ひあ がりて妬げにもてなし聞えたればこころくらべにてぞ過ぎける ︵源氏二7′8p︶ 右の場合、a∼Cの ﹁も﹂ は、古文的表現の普通からすれば、必ずしも使 用する必要はない ︵情報内容的効果は別として︶。特にbCの場合は、格代 行的意義もない。しかし、これ等 ﹁も﹂ の使用されざる表現を想定してみる と、使用した方がよほど文意が把握しやすくなるのではあるまいか。これは、 ﹁は﹂ と異なる ﹁も﹂ の情報内容的意義によるものならざる事は、この ﹁も﹂ を ﹁は﹂ に変えても効果は変わらぬと思われる ︵むしろ、より明確に なる︶事から理解出来るであろう。更にこの ﹁も﹂ を、﹁こそ﹂ のごときい わゆる狭義係助詞に変えてみると、その場合は逆に文意がより不明確になる ごとくではあるまいか ︵古語使用者ならざる者の勝手な感覚の誇りをまぬか れぬかもしれぬが︶。もし、かかる筆者の推測が妥当であるならば、かかる ﹁も﹂ による文意の把握のしやすさへの効果は、﹁は﹂ と ﹁もし の共通的機 能から生ずるものだと考えられるのである。 つまり、この ﹁も﹂ による文意の理解しやすさへの効果は、先に指摘した ﹁は﹂ との共通の、三種の接続助詞的機能﹂ によって生ずるものと考えら れるのである。すなわち、上下接文言を二分し、その上下按文言の叙述に、 時間的前後のある事を提示するごとき機能である。これによって、﹁∼につ いて言えば、それは∼である﹂ のごとく、上下按文言の叙述に ﹁間﹂ が与え られるのだ、と考えられるのである。それは、見かけ上の ﹁主題−叙述﹂ 的 関係、﹁条件句−被条件句﹂ 的関係をもたらすのであり、それが錯雑した文 脈に見かけ上の整理を与えるのだ、と考えられるのである。 勿論、右のごとき ﹁は・も﹂ の効果は、古代文の錯綜した長句長文の中に あって生ずるものであるから、現代文のごとき、文単位が短く、明確な構文 性を有する場合には、そのような効果を中古文のごとく発現し得ぬ事となる。 しかし、全くかかる効果がないかと言えば、そうでもない。 的五年生のなかにたったひとり本校の大ぜいのなかで。も群をぬいてで きのよい女の子がいることで岬からかよっている三十人の男女生徒が ちこくしなかったようにいった。∼そして∼いたずらぐらいbはしん ぼうすべきことだと思った。そう思いながら心の中でC刷じぶんの勤 勉 さ を 日 朝 ひ そ か に は め て や っ た 。 ︵ 二 十 四 の 睦 2 9 p ︶ 右a∼dのうち、特にb以外の格助詞に下接した ﹁は・も﹂ は、現代文とし てこれを除いても文意が損なわれる事はない。しかし、入る事によって、そ こに、一種の接続関係的 ﹁間﹂ が生じ、記述関係が明確になるのである ︵情 報内容的効果は別として︶。 しかし、古代作品と現代作品における、﹁は・も﹂ の使用の相異を考える 時、その重要な点は、やはりその文章内容に関わる表現態度との関係である と 思 わ れ る 。 中古作品と現代作品において、﹁は﹂ と ﹁も﹂ の使用数・使用割合という 点では、かなり顕著な相異がある。 ︹付表︺ のごとくである。 つまり、一般的に言って、中古作品においては、使用割合があまり変わら ぬか、﹁も﹂ の方がずっと多いかである。これに対して現代作品では、逆に ﹁は﹂ の方が ﹁も﹂ よりもずっと多く使用されているのである。もっとも、 この点には注釈すべき事がある。第一に、 ﹁も﹂ は現代文において特に、 二七頁
﹁なかでも・だれでも﹂ のごとく慣用句的用法が多く、これを除いて統計す る必要があった、と言う事であり、第二に、中古作品現代作品に共通した点 として、男性作家の作品と思われるものには比較的 ﹁は﹂ が多く、女性作家 の作品には ﹁も﹂ が多いと言う事がある。 それでは、中古作品と現代作品における ﹁は﹂ と ﹁もし の使用比率の逆転 の理由は何であろうか。筆者の理解を提示してみよう。 まず一つは修辞的効果の問題があると思われる。 抽入にa引あらぬ身の上まで書き日記してめずらしきさまにb引ありな ん。天下の人の晶轟きやと間はんためしにC叫せよかしとおばゆるJ 軸過ぎにし年月ごろのことe引おばつかなければさてf引ありぬべき こ と な む 多 か り け る ︵ 蛸 蛤 1 0 9 p ︶ これ等 ﹁も﹂ の内、b∼eのごときは、﹁は﹂ に変えても格別文脈が通じな くなる、あるいは、文意が異なる、という事になるとは思えぬ。例えばbは、 ﹁人並みではない身の上でも日記として書いてみたら、なおのこと珍しく思 われることだろう﹂ ︵小学館古典文学全集訳︶ と言うのであるから、﹁珍し く﹂ 思われる事を ﹁特立−持説﹂ 的に ﹁は﹂ で表現する方が、﹁添加−併 説﹂的に ﹁も﹂ で表現するよりも、文意も主張も明瞭になるごとく思われる。 またeも、﹁過ぎ去った長い年月のことは記憶が薄れてはっきりしないの で﹂ ︵同駅︶というのであるから、右訳のごとく ﹁は﹂ で表現する方が、何 を問題にしているのかが明瞭になるので、むしろ適切かと思われるのである。 つまり、中古作品における﹁も﹂ の多用の中には、必ずしも﹁も﹂ でなけ れば文意が適切ならず、と言うほどではない、﹁は﹂ を使用する事も可能と 思われる部分にも、﹁も﹂ を用いるという様子がうかがえるのである。そし て、かかる ﹁も﹂ の使用を考えてみると、﹁は﹂ を用いる事による ﹁持説﹂ 的表現を避けて、﹁併説﹂的に記述する事による、表現の柔軟さ、程やかさ の効果をねらった点があるごとく思われるのである。これは一つの修辞的効 果 と 言 え よ う 。 この点から、現代作品における ﹁は﹂ の多用を考えると、そこには、中古 二八頁 作品とは反対の表現効果への意図が伺えるのである。 腑風a嘲ひどく寒かったが、縄を滑車に巻きつけると同時に、新治b嘲 深藍の海をのぞいて、その中からやがて自分に汗をもたらすべき労働 の活力が湧き昇って来るのを感じるのであった。滑車がまわりだす。 濡れた重い縄が海から上がって来る。新治の手e咄手袋のゴムを隔て て冷たい堅固な縄を握る。手繰られた縄日朝滑車をとおるときに、氷 雨 の よ う な 繁 吹 を あ た り に 散 ら し た 。 ︵ 潮 騒 1 6 p ︶ この場合、一応bを除いて、他は ﹁も﹂ で表現されても格別文意に不都合と いう事にはならないであろう。例えばaはあたりの一様の朝の日の見えぬ風 景の中では、むしろ﹁も﹂が適切とも思われ、またCdも縄と新治の互いに 対応する運動として記述されているのであるから、﹁も﹂ の方が適切とも思 われるのである。かかる理解において現代文の ﹁は﹂ の多用を考えてみると、 現代作品においては、中古作品と逆に、記述される事柄を明確にし、﹁めり はり﹂をつけるという、修辞的効果を選んでいる、と考えられるのである。 しかし、かかる中古文と現代文の修辞的意図の逆転は、勿論、単なるレト リックの手法という、表面的意図にのみ帰すべき事ではないと考えられる。 そこには、かかる手法を選択する作者の世界観、人生観の相異がかかわって いるごとく思われるのである。 その根拠の一つとして、前述のごとく、特に中古作品における、女性作家 どうし、あるいは女性と男性と思われる作者の相異による ﹁は・も﹂ の使用 の多寡の間接を提出する事が出来る。例えば、同じ女性の作品でも、枕草子 と蛸蛤日記では、表のごとく、かなり﹁は﹂ と﹁も﹂ の使用割合が異なる。 これは、両作品における執筆態度の相異が影響しているごとく思われるので あ る 。 ㈹御前の梅は西はしろく東咄紅梅にて、すこし落ちがたになりたれど ︵枕120p︶ かかる ﹁は﹂ の使用には、世界を明確に事分けし、描写して行く枕草子の内 容的契機と、清少納言の世界や人生に対する態度が現れているごとく思われ
るのである。これに対しては、先の佃の蛸蛤日記の作者は、その内容と共に、 叙述の心情において対照的である。例示の文で言えば、 ﹁天下の人の晶高き やと間はむためしにもせよかし﹂ の場合で考えてみると、 ﹁ためしにはせよ かし﹂ とすれば、その ﹁ためし﹂ になし得る自己の希有な体験を、いわば顕 揚すべきものとして提示する表現となるであろう。しかし、その自己の希有 な体験とは、作者にとっては、みじめな経験であった。日記にまとめんとす る時、そういう自嘲的な寂しい思いが、 ﹁もし の併説的な表現を選ばせたの ではないかと思われるのである。﹁過ぎにし年月ごろのこと叫おぼつかなか りければ﹂ の ﹁も﹂ の使用も、﹁過ぎにし年月ごろ﹂ の事が、実際には明瞭 に思い起こされながら、一方ではそれに翻弄された様々のつらい思いが重な って、﹁は﹂ ではなく、﹁も﹂ の使用によって、茫洋せしめんとする意識が 働いたのではないかと思われるのである。 かかる点は、物語のごとき虚構の世界の叙述にも伺える。 伽これa噛おろかなる心ぞかしと帥b嘲思ひて、残る物有りけるを取り 出でて、大人三人にC嘲絹四疋綾一 蘇栃、下づかひにe噛絹二疋蘇梯そ りと思ふ 落寝物語は源順の作かと言われているが、 いかと思われる⑰。右のde等の ﹁は﹂ は はないかと思われるが、記述内容を一つ一 疋蘇栃一斤、わらはにJ叫絹三疋 へてとらすれば、帥f嘲情有りけ ︵落窪243p︶ 男性の作品である事はほぼ誤り無 ﹁も﹂ に変えても文意に反する事 つ事分けし、明確に提示せんとす る叙述態度の現れと思われる。落窪の世界は、継子いじめとその仇討ちの明 朗なものである。これに対して、源氏物語の ﹁も﹂ の多用を考えてみると、 そこには、世界の、人生の深奥を物語に託した作者の心的態度が現れている ごとく思われる。前節に引用した個の一部を再度提示してみよう。 伽幾年そのほどと限りある道にa引あらず、あふをかぎりに隔たり行か むb引きだめなき世に∼もろともにもや忍びてとおぼしよるをりC叫 あれど∼かうらうたき御さまにて引き具したてまつらむJ醐いとつき なく、わが心にe叫なかなか物思ひのつまなるべきをなどおぼし返す を これ等a∼eは、すべて ﹁は﹂ に変えても、文意が損なわれるとも思われず、 むしろ ﹁はし を用いる方が、記述の事柄が明確に事分けされて、源氏の悩み の理由が明瞭に提示され得る、とも考えられる。しかし、源氏の深い悩みの 中に潜入してみれば、それはここに提示された事柄のみでは尽くせないもの である。それ等に関わる更なる様々の事がある。単に幾つか言挙げするのみ ではすませられぬ複雑な世間があり人間の関係がある。いわば、作り物語り の世界そのものよりも、自分自身世界の人生の過酷な複雑さに思いを潜める 作者の生活感が、かかる ﹁も﹂ の重層的使用となって表れているごとく思わ れ る の で あ る 。 以上のごとき中古作品の、特にも女性作家の ﹁も﹂ の多用に対しては、現 代の、特にも男性作家の ﹁は﹂ の多用は、その対既的な記述態度の現れであ るごとく思われる。つまり、記述すべき事柄を一つ一つ明確に提示し言挙げ すれば、世界や人生が描き尽くせるという態度である。 ㈲いかなる感情で基督副銀三十枚のために自分を売った男に去れという 言葉を投げつけたのだろう。怒りと憎しみのためか。それともこれは 愛から出た言葉か。怒りならばその時基督副世界のすべての人間の中 からこの男の救いだけは除いてしまったということになる。基督の怒 りの言葉をまともに受けたユダ刷永遠に救われること嘲ないでしょう。 そして主は一人の人間を永遠の罪に落ちるままに放っておかれたとい うことになります ︵沈黙95P︶ しかし、かかる ﹁は﹂ の重層的使用は、そこに特説され明記されなかったも のは、読者の意識に昇ってこない。かかる ﹁は﹂ の使用を良しとする作者の 態度の裏には、彼自身の、世界や人生の過酷な複雑さに対する恐れを感じな い日常生活感が有るとも言える。一般に現代作家は、作り物の世界をそのま ま現実と感覚し得る強気と楽観の中にいるのであり、それが、かかる ﹁は﹂ の極端な多用となっているとも思われるのである。 この点では、現代の女性作家における、比較的ではあるが、﹁も﹂ の多用 二 九 頁
の一面についても、触れておく必要が有ろう。 個いろんな人を見つけた。吉見祐子さんの若さにもびっくりぎようてん。 もちろん、ブルーバーツ本人達のあまりのかっこよさにも大びっくり。 コ リ ー ヌ ・ プ レ さ ん の 小 さ さ に も び っ く り 。 き れ い な 人 で し た 。 ミ ー ハ ー だ な あ 。 ︵ パ イ ナ ツ プ リ ン 1 8 1 p ︶ こ こ に は 、 既 述 の ご と き 中 古 女 性 作 家 の ﹁ も ﹂ の 多 用 と は 全 く 異 な る 、 人 生 や 世 界 へ の 怖 れ な ど と は お よ そ 縁 遠 い 、 人 生 や 世 界 は 自 分 の た め に 存 在 す る か の ご と き 楽 観 主 義 か ら 来 る 焼 舌 が あ る 。 そ れ が ﹁ も ﹂ の 多 用 と な っ て い る と思われるのである。 注 1 、 山 田 孝 雄 ﹃ 日 本 文 法 学 概 論 ﹄ 等 2、森重敏﹃日本文法 − 主晴と述語1﹄等 3 、 北 原 保 雄 ﹃ 日 本 括 助 動 詞 の 研 究 ﹄ 等 4 、 著 者 、 重 見 一 行 ﹃ 日 本 晴 の 文 法 を 考 え る ﹄ 等 5 、 山 中 桂 一 ﹃ 日 本 語 の か た ち ﹄ 6 、 丹 羽 哲 也 ﹁ 無 助 詞 格 の 機 能 ﹂ 国 諦 国 文 5 8 の 1 0 等 参 照 78、 9、 101 三〇頁 以下現代文の引用は次による。 三島由紀夫﹃潮騒﹄、遠藤周作弓沈黙﹄、壷井栄﹃二十四の嘘﹄、以上新潮文庫。吉 本ばなな﹃パイナツプリン﹄角川文庫。 以下中古文の引用は、岩波旧﹃日本古典文学大系﹄による。 日本語のいわゆる ﹁主語﹂ と言われるものは、対格言語として、動作主格ともなり、形 容詞述綿の対象格ともなる。この点を考慮しながら、﹁主格 ︵語︶ ﹂ と表現していく。 此烏正年﹃国諦助詞の研究﹄ など参照 三上章﹃象は鼻が長い﹄ 12、このいわゆる狭義係助詞の ﹁は・も﹂ に対比さるべき、﹁強調﹂ の意義の筆者の理解に ついては注4参照。 13、久野拍﹃日本文法研究﹄において、前者は﹁総記﹂、後者は﹁中立叙述﹂ の働きとされ た。 14、﹃源氏物綺講座﹄8等 15、尾上圭介﹁﹃は﹄の係助詞性と表現機能﹂国語と国文学58の5 16、ただし、提示した機能は係助詞としての古代緒との共通性である。今日、単なる副助詞 的面も場合によっては、見られるごとく思われる。 17、注7の解説等 ︹ 付 表 ︺