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民謡の教材化への試行

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Academic year: 2021

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(1)Title. 民謡の教材化への試行. Author(s). 野村, 公. Citation. 北海道教育大学紀要. 第一部. C, 教育科学編, 25(2): 73-84. Issue Date. 1975-02. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/4683. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 野村公:民謡の教材化への 試行. 民謡の教材化への試行 野. 公. 村. 〔一〕 ] ) 実施に移されて3年目をむかえているが 中学校学習指導要領が新しく改訂され、 、 音楽科にお. け る 改 訂の 特 徴 の ひ と つ は 「日本 の音 楽の 強 調」 であ っ た。 こ の点に つ い て、 花村 大氏 は 次の よ う. に述べている!)<自国の伝統音楽を教育面に取り入れることの必要性は、 すでに現行の学習指導要. 領の中でもうたわれている。 が、 現実はど うであるかというに、 その成果は必ずしも期待どおりに はい っ て い ない。 …… … 現 行の 学 習 指導 要 領 に お い て、 日 本の 音 楽 を 取り 上 げる 観点が必 ず しも 明. らか では な か っ た、 と い う反 省の 上 に 立っ て、 今 回は、 そ の 点を 明確 に した。 す な わ ち、 わが 国 の. 音楽の特質を知るということである。 現代の音楽を知るには、 過去のものを知る必要があるし、 ま た、 そ れ なく して は 音 楽 教育 もま た、 感覚 のみ の 指 導に 終わる こ と に な る。 > こ のよ う な こと で、. 学習指導要領の 「音楽科の目標」 の中には、 次のことがうたわれている。. 郷 土 の音 楽 や わ が国およ び諸 外 国 の民謡、 民族 音 楽 を 学 ぶ こ とに よ っ て、 それ ら に. 親しみをもたせる (第一学年) 、 特色を味わわせる (第二学年)、 特色を味わわせるとと もに、 日本の音楽の動向に関心をもたせる (第三学年)。. 学習指導要領では、 歌唱共通教材と して、 日本民謡3曲を指定したのであるが、 日本民謡を歌唱. 教材と し て取 りあ げた こ と は、 正に 画 期 的 なこ と で あ っ た。 ]年. こ. 2年. さし ・ 斎. 3年. き. り. 節. (富山県 民謡). 節. (宮 城 県民 謡). かり ぽ し切り歌. (宮崎県民謡). た 太. こ ら 郎. 民謡を歌唱共通教材に取りあげたことは、 日本の音楽を鑑賞の領域だけでなく、 演奏の領域にも 取りあ げたということ である。 このことは生徒自身が実践をとおし体験による実感として民謡を把 握する こと で あり、 日本 の音 楽 を理 解さ せ る た め に 大い に 意義 深 いこ と である。. 〔二〕 民謡は、 われわれの祖先が残 した文化遺産であり、 日本語の必然性や生活の必然性から生まれた. もの であ り、 そ れには、 日 本 人 の生 活 様相 や 感 情 がに じみ 出てい る の である。 そ してほ と ん どの 民. 謡 は、 作 詞者 も 作 曲者 も、 ま た、 原 型は何 で あ っ た か も定 かでな い。 は じめは 歌 にな らな い 歌 で あ っ たか も 知 れ な い。 そ れ がそ こ に 住 む 人 達 の′か清に合い、 歌 のう ま い 誰か に取 り 上 げ られ て形 が っ 73.

(3) . 野村公: 民謡の教材化への試行 き、 人 々 に口 授さ れ て いく う ちに 詩 形 もメ ロ ディ ー も整 っ てい き、 そ の 土地 の民 衆の も のと な っ て 歌 い つ が れ て き た と 考 えて も よ か ろ う。. 日本には、 北は北海道から南は九州沖縄に至るまで、 無数の民謡があり、 その土地土地に郷土の 音楽として生きているものが多い。 この中から、 富山県・宮城県・宮崎県のものが歌唱共通教材と し て3 曲 選 ばネ鵠 全 国の 中 学 生は、 一 律 にこ れを 歌 わせ られ てい るわ け で ある。. ところで、 音楽教育の目標に<郷土の音楽に親しみをもたせる、 特色を味わわせる>とうたわれ ていることから、 北海道の中学生には北海道の郷土音楽を学ばせることが好ましいと考えられるの. である。 即ち、 北海道で使用する中学生の音楽教科書には、 北海道の郷土音楽を取り入れることが よ いと い う こ と で ある。. しか し、 「教 科 書 と い う もの は 指導 要 領 によ っ て 作 られ、 した が っ て 全 国的視 野 で作 られ てい る. の ,で、 たとえば東北地方むき に東北の郷土音楽を多く取り入れた教科書を作るというわけにはいか )よ ない」3 うであり、 「それぞれの地方における郷土音楽は、 その地方に生活する先生方がいちば んよ く 知る と こ ろ であ り、 生 活に ね ざ した音 楽こ そ を 教師 の創 意 によ っ て ど しど し取り 入れ、 教育. がほ ん とう に 血 や 肉と な っ ていく こ と の ひと つ と して、 こ う した 郷 土音 楽 の 積 極 的 な取り 入れ を考 )と え たい」4 い うこ と も 言 わ れ て い る。. 〔;〕 教育 の 目的を 達 成す る た め に、 子 どもた ちに 経 験さ せ る こ と、 理 解さ せ るこ と、 錬 磨す べ き こと. などを具体的に 選択 したものが 「教材」 であり、 それは、 教える者と学習する者との媒体と して教. 育活動を成立させるものである。. 現行 の 制 度 では、 小・ 中・ 高の学 校に おい ては、 教材と し て教科 書 を 使用 しな けれ ば なら ない こ と にな っ てい る。 即 ち 次の よ う な 規 定 が ある。. 学校教育法 第2 1条 小学校においては、 文部大臣の検定を経た教科用図書 (筆者註、 通称教科書のこと)又 は文部省が著作の名義を有する教科用図書を使用しなけれ ばならな い。 準用規定と して 学校教育法第4 0条と第5 1条では、 第2 1条の規定を、 中学校と高等学校に準用するこ. と に な っ てい る。. 使用しなければならない教科書であっ ても、 ある現場では先生方からも子どもたちからも敬遠さ ) の中に 全国から集ま た れているようである。 雑誌 「音楽教育研究」 特集<教わる側の発言>≦ っ 、 児童生徒の音楽に対する感想文 「教科書に対する意見」 がある。 これについての見方を、 小島美子 )から引用させ 氏の記事6 てもらう。 「教わる側の発言」 の中で、 およそもっとも徹底的に槍玉にあげられたのは教科書で あろう。 世田谷区立塚戸小学校の荒木久生さんは、 「ぼくは教科書がにくい、 だが、. そ れを 作 っ たや つが、 な おさ らにく い。 こ ろ して しまい たいく らい だ。 」 と、 恐ろ し. いことばで述べている。 しかし私がもっと痛烈な教科書批判と感じたのは、 教科書を 使 わな い で 授 業を や っ て いる 先 生 方 が あり、 それ に 対 して子 ど もた ちが、 そ れを ほ と. 74.

(4) . 野村公: 民謡の教材化への試行 ん ど全面 的に 支 持 して いる とい う 事 実である 。 「教 わ る 側 の 発 言」 に つ い ては こ の こ とを す べて 無 条 件か つス トレー トに 認め る わ けに はい か 、. ないが、 音楽教育関係者な ら無視できないであろう内容を多く含んでいると思わ れる 教科書をも 。 含めて 「教材」 は、 先生方にも子どもたちにも 受入れられるものでなければならない 、 。 教材として必ず教科書を使用しなければならないし 教科書を全部やりこなすことは 現実的に 、 、 )次に 7 難しいようでもあるが、 、 教科書以外の教材を使用する場合の規定について検討してみよう。 学校教育法第2 1条 前項の教科用図書以外の図書その他の教材で有益適切なものは これを使用するこ 、 と が でき る。. 地方教育行政の組織及び運営に関する法律第3 3条2 教育委員会は、 学校における教科書以外の教材の使用について あ らかじめ 教育委 、 、 委員会に屈け出させ、 又は教育委 員会の承認を受けさせることとする定を設けるも のと する。. 文部事務次官通達 (昭3 1 .6 .釦.). 学校で使用される教材については、 その教育的価値又は 父兄の負担等の見地から軽 々に 取り 扱 う べ き で な いもの の 少なく な いこ と に かん がみ 教育 委 員 会 が 必要 と 、 、. 認める教材の使用について事前に届出又は承認にかからしめ 有益適切な教材の利 、 用に努め、 教育効果を高めるための積極的な活動を期待するとともに 教材の使用 、 の 適 正 を 期そ うと す ると ころ に あた る も の で ある した が て 教 材 の 使用に つ い っ 、 。 ては、 そ の す べ て を 届 け出又 は 承 認 にかか ら しめるこ と は 必 要 でない 。. 以上 のこと か ら、 現場 教 師は 自 主 的 に 創意 によ っ て 適切 な 教 材を ど し ど し取 り 入れ る こ と が 、 、. 法的には 可能なわけである。. 〔四〕 音楽教育で取りあげる教材は、 芸術科の教材である 以上 音楽的に価値ある教材でなければな ら 、 ないが、 同時に子どもの学習意欲をかきたてる興味深い教材でなければならない 子どもの興味や 。 欲求を極端に無視 できない点は、 国語、 算数 歴史など知識や思考の系統的構成によ て学習の成 、 っ り立つ 教 科と 異 なる とこ ろ で ある。. どのような本質をもつ教材が音楽教育の目標に迫る価値をもっ ているかは なかなか難 しいこと 、. であ る。. ) 木村信之氏は、 教材に含まれている意味合いと して 次のように述べている書 、 第一に、 教材は学習すべき価値をもっ ていなければならない 音楽科における楽曲 。 の場合は、 何よりも音楽的 (審美的)な価値のあるものでなければならない 。 第二に、 教 材 はい ろ いろ な 意 味 で典 型 的 な もの でなけ ればな らな い ま た 基 本 的な 。 も ので、.正 の 転 移 効 果を もた らすよ うな もの であ る こと が 望ま れる 。. 75.

(5) . 野村公: 民謡の教材化への試行 ・ ・. 第 三 に、 学 習者 の 興 味 をそ そ るよ う なも の で なけ れ ば な らな い。. 第四 に、 授業 の 中 での 教 材 と して 見 た 場合は、 特 に 系 統 性が 問題 に なる。 こ と ば を 変 え れば、 そ の 教材 がそ の 時間 に でてく る必 然性 が な けれ ばな らない。. 次に、 現場教師の研究発表の中か ら、 自主的に教材(歌唱教材) を選ぶ場合の基準とか観点. な どに つ い て、 いく つ か 掲 げてみ よ う。. 9 教材選びの視点………… ) イ. 理 屈 な しに 楽 しめ る 教 材. ロ. い つ で も。 どこ でも、 だ れ で も 歌え る 教 材. ノ・. か ら だ ごと 表 現で き る 教材. ニ. 歌詞がわかり易く覚えられやすい教材. ホ. 教材 と し て の価 値 を も つ も の. 教材選択の基準…………10 ・. 子どもたちの生命を生き生きと歌いあげるもの. ・. 空 想を 豊 かにふく らま せ る もの. ・. 心を 大 きく ひ ろ げ る よ う な も の. ・. 地域の 子 ど もた ち の 生 活 を う た い あ げた も の. ・. 民 族の す ぐれ た 伝統 を も っ た も の. ・. リ ズム が 現代 の 子 ども の 感 覚に 合 っ た も の. ・. メ ロ ディ ー が子 供 の 気 持に あ っ た 美 しさを も っ た も の. ・. 子 ども の 発達 段階 に 応 じた もの. ・. 日本の こ と ばを 大 切に した も の. ・. 集 団を う た い あ げ 仲間 づ く り を 進め るよ うな も の. 11 教 材 選 択 の 観 点… …… … ). 1 . 子どもたちが、 ひとりひとり歌えないという障害から解放され(技術的に)さら に そ の 歌 の 中 で自 分 を 発見 でき る歌 詞 の内 容 を も ち、 エネ ル ギー を 正 しく 引き 出せ る も の (こ ん め い 馬、 お お 牧 場 は み どり、 な ど9曲 提 示). 2 , 日本語が自然な形で旋律化したもの. (夏 の 思い 出、 小 さ い 秋 み つ けた、 な ど 6 曲 提 示). 3 , 社会生活や労働の苦 しみ願いを、 力強くうたいあげたもの (たき 木と り、 シ ュ ワ ジベチカ、 な ど5 曲提示). 4 , 曲のもつ主題や思想性が、 子どもを引きつけ、 歌う意識を育てるもの (ジョ ン ブ ラ ン、 もず が 枯 木 で、 な ど4 曲 提 示). 5 . 合唱曲と して音楽的構成にすぐれ、 集団の声をひき出し、 質の 高い感動を呼び おこ すも の. (アイ ヌ の お どり、 君 の 祖 国を、 な ど3 曲提示). 76.

(6) . 野村公:民謡の教材化への試行. 教材をあたえる観点… ……1の ア. せ んり つが歌 い や すい もの. イ. 歌詞が子どもたちの生活や精神に密着したもの. ウ. 歌詞 に よ っ て自 分た ちの 生活 や 社 会を ふ り返るこ と が でき る も の. 工 民族性豊かなもの 教材をさがす観点…………1の 1 . や さ しく 気 楽 にう た え るも の 2 . か らだ ご と 歌 え る も の 3 . 子 ど も の生 活に根 ざ した も の 4 , 子 どもの 愛を ふく らませ るも の 5 , 働く 者 の 生活 を 歌 い あ げ た・も の 6 . 力 強く 生きる 力 を 与え てく れ るも の. 〔五 [ 〕 現 在、 北 海 道民謡 と いわ れ る もの は 約70曲 存在 して いる。 しか し、 こ れ らは 北海 道 で 生 ま れた も の では なく、 道外 か ら渡っ て きた もの が、 北 海道 で歌わ れる う ちに 北 海 道化 したも のと言 っ てよ か ろ う。. そもそも北海道は、 本州の最北端にある青森県から更にゴ ヒヘ、 律軽海峡を越えたところに位置 し ている。 元来北海道は蝦夷と呼ばれてアイ ヌの勢力 下にあっ たが、 蝦夷の統治者松前慶広が独立し て1の以後、 内地との交易がますます盛んになっ た。 民謡流転の基盤は交通であったから、 北海道の玄関口としての江差・松前・函館の三港は、 民謡 をも含めた内地文化の本道上陸地点になった。 北海道の代表的民謡になっ ている江差追分も、 元を ただせ ば、 越後から江差に伝えられた追分節が、 江差の生活や風土になじんで変化を重ねてできた も ので あ る。. 民謡は、 通常の分類法 でいく と、 先づ歌われる目的によって、( 1 )労働の歌、(2 )宗教の歌、(3 )娯楽 の歌、 の三種に大きく分けられる。 また、 労働の歌を考えて見ると、 更に職業別に細かく分類する こと が で きる。 北海 道民謡の 分 類は、 別 な 機 会に 譲 る こ,と と し、 ここ で は 北 海道に 数少 な い 「鉱 、. 山 唄」 と して 残さ れてい る 「北 海 金堀り 唄」 と 「北 海 金- [ 1節」 に つい て考 察 してみ た い。. 学 習 指 導 要 領 にも うたわ れ て い る が、 「郷土 の音 楽に 親 しみを もた せ る」 こと は、 「わ が国 の 音. 楽文化を理解する」 ことにつながり、 「創造的で情操豊かな 人間性を養う」 ことへと結びつくもの. であ ろ う。 そ の た め に、 郷土 の音 楽 を 積 極 的に 教材 と して取 り 入 れる 試み を や らな け れば な らな い。. 民謡を教材化するには、 音楽的価値の問題があろうし、 またその歌詞やメ ロディ ーが先生方や子 どもたちに受入れられるかどうかの問題もある。 しかし民謡の教材化には、 民謡を発堀調査し、 整 理し、 それが教材として耐え得るかどうかの検討を加えなければならない。 即 ち民 謡の 教 材化 へ の 試 行は、 先 づ 民謡 の 発掘か ら 出発 しな け れ ばな ら な いの で ある。. 〔六〕 かなほ. かなやま. せつとう. 「北海金掘り唄」 も 「北海金山節」 も共に、 佐渡の相川金山から移住した 「石刀職人」 の持込ん もとうた だ 「石刀節」 が元歌であると言われきめその石刀節は、 明治3 0年代から、 余市郡轟金L好めと 北見枝幸 1の 地方 の 砂 金地 で、 石 刀職 人 が 歌 っ て い た と さ れ てい る。. 77.

(7) . . 野村公:民謡の教材化への試行 「石刀 節」 の 発 祥に つい て は 明 らか で な い。 あ らた め て 言うま で も な い が、 民謡 は、 誰が 作 詞 し た か誰 が作 曲 した か、 は じめは どんな 節 で歌 わ れた か、 わ か らな い の が 当 然なの で ある。 民謡 は、. 土 地や 歌 う 人 によ っ て 変 る音 楽 で あ り、 変 っ てよ い音 楽 であ る。 「ど れが 正 しい か」 が 問題 では な く、 「どれ が美 しい か」、 「ど れ が 歌いや す い か」、 「どれ が 好 き か」 とい うこ と が 問題 な の で あ ・. る。. し 、しきり. 日本民謡大観によれば、 瀬戸内海の花篇岩採石場で働く 「石切職人」 たちの謡っ ていたものが石 刀節の元祖 らしく ◎それが則子銅山に持込まれ、 そこから各地の鉱山へ広まっ ていっ たものと考え て よ かろ う。. わが国の鉱山での採掘方法は、 地表に現われている露頭より掘り出す 「溝掘法」 がは じまりだっ. た よ う で あ る。. そ の う ち表 面 の も の を 掘 り つく す と、 「堅 穴掘 法」 が と ちれ た の であ る が、 地 下 湧 水 で 苦 しめ ら. れたようである。 更に、 鉱床を斜めに掘り進む 「犬下り掘法」 もとられたりしたが、 これも江戸時 代 に 入る と ほ と ん ど姿 を 消 し、 そ の 後は 「廻 切 法」 に変 っ て い っ たよ う で あ る。. 1の. 明 治に 入り ダイ ナ マイ トが使 用 さ れる よ う に な る と、 ダイ ナマイ トを 仕掛 けるた め の 穴 を あ げ る 鉱 夫が、 「石 刀」 と 呼 ば れ る 「石 の み」 を 用 いる とこ ろか ら、 「石 刀 職人」 と呼 ば れ るよ う に な っ. た。 そ して、 こ の 人 達 が 謡 っ て い た もの を 「石刀 節」 と呼 ぶよ う に な っ たの であ る。. 別子銅山の石刀職人の話では、 「菜種油の灯の下で二人一組になり、 交互に槌音を響かせながら 交代で謡う石刀節は、 坑内に響いて、 それは美しく楽しいものであった」 ようであるgの これら石刀職人たちは、 石を掘り出す仕事ならば、 鉱山であれ、 炭坑であれ、 採石場であれ、 更. には道路工事の礎道作業場にまでも出かけていった。 そのために石刀節は、 石刀職人の仕事歌とし. て 日 本 中 に広 ま っ てい っ た の であ る。. 〔七〕 石刀節が佐渡から北海道に渡って、 「北海金掘り唄」 と 「北海金山節」 になったとされているの. で あ る が、 石 刀 節 北海 道 上 陸ま で の 経路 は、 お お よ そ 下 図 の よ う にな る。. 別子銅山石刀節.相川金山石刀節.北海金. 掘り唄・北海金山節の4 曲 を、 メ ロ ディ ー の. 方 蔓 闘 喜義壁墓参 署 り駿. .後者の北海金掘り唄と北海金山節は あるが、 、 都会的な技巧によっ て創り変えられた感がす. る』. .か〆毎 ド まれた 卿. を明治3 0年頃とすれば 鰹 以後現在までに約. 80年近 く の歳 月 が過 ぎて い る。 そ して、 こ の 曲 は 何 時 何 処で、 どの よ う な 過 程で 変っ て き. り 上げ られ、 そ こ で 大き く 変 え られ た 可能 性 2の が ある。. E 回. 1 -. 山 可 子翻銅 司 ー別. ( 節 ) 「. 1相. 1 , 伽 . 川. 金. 山. ↓. . . (北海 妥金掘り唄). (北海金山節). 次に歌詞を検討 してみよ う。 鉱山唄は仕事の歌であり、 その歌詞には鉱山労働者の喜びや悲 しみ. 78.

(8) . 野村:民謡の教材化への試行. 別 子 銅 山 石刀 節 ーニ 6 9位. -). し. - -. い た ら- み て こ. \. - - - は なが さ. こ がねの -. に. ,. -. ,. ー. . ′. つ. る. . -. (オ) -. - -. が. ま い. ま. 日本民謡大観より. ・. - つ る. す. し の. 1. ・. .. - -(オ. .. ,. - や ま で. -. ショ コラショイ ). . - -. ー)お. (ヨ. (り. ま一-. や ま -. - い. -. -. は. ん. じょ. ・. .. .. -. h. の. .. .. と 一. hh. . . .. きん. (ァ - 穆. -. く. 一= 8 0一8 4. . ー. .. 相 川 金 山 石 刀 節 . べつ. い-一. ---. -. - --- ま. や. の. \\ ). ‘ ム. 盤. (ハ. 日本 民謡大観 より. か. か. ー. る. (ョ. -). 7 9.

(9) . 野村公; 民謡の教材化への試行. = 108位. (ノ・. お こ みやさん もん. ラカソノも対サ コラショット) チン勢ラカメヂ“っラガメドガb. る. ハドッコィサット). 式〜. おや -ま - は. - - - -. か - る (コラシヨット). 参一 ず ぴす. や. き で 十 充 と〜. コ. 四 、 お 鶴が 来 山 れ 繁 舞いますば 帰 昌と れ る コ つる コ リ 鶴子 ャ し リ の ャ 舞 山 あ い で さ て がる も な い. 升 校. 80. 一. 三 、 二 度 と 来 ま いぞ 金 山 地獄. きん 一. ニ ・ ま ょ し か て れよかれ 我が 山. ゃ. コリ誘 ャ 嶋 は な ょ お か れ よかれ. ま カ. る. ー 、 お 米 ゃ 三 文 する. チ ハ 耕 お や 山 ン カ チ 斗 は ラカ ソ 掻 盛 カラ きでる ソ ノ カ コ ソ コリラシ ド ハ ッ チ ャ ョ ッ ド コ ソ ( 以下イ はやカ 金 ト ッ サ ラ は コ イ ン か サ る コラ. し 言 葉 略 ). シ ョ ッ ト. ッ ト. チ ハ ン カ チ ラカ ソ カ ソ ラ ノ カ ド ソ ッ コ チ イ ソ サ カラ コ カ ラ ソ シ ョ ッ ト. ノ. 北 海 金 掘 り 唄.

(10) . 野村公:民謡の教材化への試行. 海. 金. 十 し し . あ さ の. 一. ね えさ んコー ラ ン. 三 、 金 が 出 る出. 稼 ぎ し だ い で る 姉 掘 り手 さんコーラ. ン 金 に な る. が 足 ら ぬ. 節. ら. さん じ. げ. ” さ. . かん て. ラ好 カソ) て (ア ヂ“’ラ カソ チソ. ど の. ほ. 二 、 行 工 けば夫さ. 奥山んと 姉 は さんコ. 名 は よいけ. ー ラ ン 小 れ 屋住ど ま い. よ ー. ア チ ・ ( 以ソ カ 下 ラ カ ソ は ・. さ. (ア. 一 、 朝 の 現場通 い ア 三 チ ン 時 カラカ か の姉さ. ら. ん ソ コー. や し チ 言 ・ ソ ラ 葉 カラカ ン 略) ほ ソ ど の よ さ. チ ソ カ ラ カ ン. カ ン テ ラさ げ て. ら. まがよ い の げん を. チソカラカンチソカラカソ). 北 海 金 山 節. R U .

(11) . 野村公: 民謡の教材化への試行 願 いな ど が歌 い こ まれ てい る の であ る。. 後に掲げる相川金山石刀節の歌詞の中には、 鉱山労働者の暗い生活の一 面が語られていると言え. よ う。. しか し北 海 金掘 り 唄 の 歌 詞は 相 川 金 山石 刀 節の 歌 詞その もの で あり、 (はせし言葉がついている点は. 異るが、 このこと は後述する) 、. 金山 労 働 者の 生 活 が 語ら れて い る と は言 い 切 れな い。. また、 北海金山節の歌詞についても、 新潟県南蒲原郡(県の中央部北側) で採集された鉱山唄に、 < 鉱夫さんとは、 名はよけれども 聞けば奥山 小屋住い> (北海金山節の二番歌詞とほぼ同じ)とい 2の そ の 他 の 歌詞 も あ ちこ ちに 類 似 した も のが ある こ のよ う なこ と か ら 北 海 金掘 り う の が あ り、 。 、. 唄も北海金山節も、 歌詞の上からは、 北海道の郷土性のようなものを見出すことはできない。 〔相川金山石刀節〕 (日本民謡 大観より) つる し. 鶴が舞います 鶴子の山 (佐渡の金鉱として最初に発見) で お山繁昌と 舞い下る お米ゃ 三文する お山は盛る 桝や斗掻で 金はかる よかれよかれや ま して我 が山. 諸山はよかれ なおよ か れ. 佐渡の金山 この世の地獄 登る梯子は 剣 山 二度と来まいぞ 来 れば 帰れ る 一 に 叩か れ. 金山地獄 アテ もな い. 二 に しば ら れて. 三に佐渡の山へ 水替に( 養護 聾 離そ饗硝養纂 踊 鏡き票). 歌 詞は、 七 七 七 五 調二 十 六 文字 の 詞 型 を も っ て いる が、 歌の 前、 歌の 途中、 歌 の 後 な どに 〔ハー 2め ア ー、 エ ー、 ドッ コイ ショ、 チ ンカ ラカ ン、 姉さ ん コーラ ン 〕 などの 「か け声」 や 「は や し言葉」 の 挿入さ れ て い る も の が 多 い。 仕 事 歌 であ れ ば、 二 人 か ら三 人 と 人 数 が多 く なる に 従い、 仕 事の リ ズ ム を 合 わせ る ため に 「か け. 声」 の入るこ とは考えられる。 しかしそれが三味線、 太鼓、 笛などの伴奏まで加り、 座敷で歌われ る よ う に なる と、 民 謡 本 来 の 素 朴 さ は そ がれ、 故 郷不 在 の 歌 と い っ てよい 程 に 変 わ っ てく るか も知 れな い。 そ して こ の こと は 当 然 のな り ゆき と 言 っ て よい の か も 知 れな い。. 82.

(12) . 野 村 公: 民 謡 の 教材 化 へ の 試 行. 後. 記. 約70曲 存 在 する 北 海 道 民 謡は、 す でに 楽 譜化 さ れ てい る も の も ある が 多く の も のは た だ 歌 わ 、 、 れ て い るだ け で採 譜 さ れてい な い。 今 回は 鉱山 唄 の 二 曲 を取り 上 げ た が、 こ れ と 全 国 に残 っ ている 石 刀 節と を 比 較 して メ ロ デ ー ィ 、. やはや し言葉に独得の変化は見られるものの、 歌詞の上では特に郷土性は見出せず この曲の教材 、. と し ての 適 格 性 は直 ちに結論 づ け ら れない 。 しか しこ の 曲 が民 衆 の 中に 根 強く 息 吹い ている こ とは 事 実である それは こ の 曲に民 衆を ひき つ 。 ける 何 らか の 価 値 が 潜ん でい る か らであ ろ う。. この 曲 の特 味を 失わ な い 範 囲 でメ ロ ディ ー を整え る と か 適 切な 作 詞 によ て 郷土 性を も た せ る っ 、 と か 等、 何 らか の 手 を 加 えるこ と によ っ て こ の 曲 の教 材 性 を高 め る こと は 可能 であろ う か そ の 、 。. ような仕事は今後の課題とし、 先づさしあたり多くの北海道民謡を採譜し 由来を追跡し 郷土性 、 、 を追求 し、 音楽的価値を も含めて教材化へ の試行を進めてみなければなるまい 。 終りに、 この小論をまとめるにあたり、 多くの貴重な資料を提 供下された吉田源鴎氏に深く感謝 する。. <註> 1) 2) 3) 4) 5) 6) 7) 8) 9) 1 0 ) 1 1 ) 1 2 ) 3 1 ) 1 4 ) 1 5 ). 今回の 改訂は昭和4 3年、 3年間の移行期をと り昭和46年から実施されている。 改訂中学校学習指導要領の展開音楽科編 (1969年5月 明治図書) 同上 138ページ 同 上 138ページ 音楽教育研究 (音楽の友社) 1974年1月号 同 上 1974年3月 号 40 ペ ー ジ 同 上 1974年 3月号 67ページ 同上 1971年6月号 122ページ 第2 1次北海道合同教研集会 (於小樽市) 北数組中空知支部の研究発表より 同上 胆振支部の研発より 2次同 上 (於函館市) 旭川支部の研発より 第2 3次同上 (於北見市) 後志支部の研発より 第2 同上 網走支部の研発より 大正1 8年 (1590) 北海道民謡全集 (コロンビア レコー ドSDL-4 250 ) の解説によれば、 轟金山で歌われていた石刀節 を札幌の今井 堕山が伴奏をつけ賑やかな唄に作り替えたも のが北海金掘り唄であり 北見枝幸地方で歌 、 われてい た石刀節を旭川の国原州月が見つけて発表したのが北海金山節である 。 1 6 ) 轟金山は明治2 9年発見され、 昭和1 5年頃は従業員600名位で操業されていた。 途中休山の時期もあ った が再開され現在も続行中である。 (北海道金属非金属 鉱床総覧より) 1の 北見枝幸郡ウソタン川 附近に、 明治2 9年一大砂金鉱床発見され、 本邦の砂金黄金時代を現出、 3 0年代は 最盛を極め入山者数千名に達し-大部落を形 成、 年産20 0貫を越えたという。(北海道鉱業振興特別調査 報告 書より) 1 8 ) 日本民謡大観 (日本放送 出版協会発行) 四国編 4 95ページ ) 同上 」9. 492 ペ ー ジ. 2 0 ) 元別子銅山石刀職人伊藤寛八の話 (昭和4 4年当時7 2才). 日本民謡大観 四国編 493ページ. 83.

(13) . 野村公:民謡の 教材化への試行 4年伊藤寛八の歌を竹内勉が採譜したもの 昭和4 2 1 ) 別子銅山石刀節の楽 譜 6年小菅コンの歌を町田佳声が採譜したもの 昭和1 相川金山石刀節の楽譜 9年今井壁山の歌を筆者が採譜し、 歌いやすく移調したもの 昭和4 北海金掘り唄の楽 譜 昭和49年藤原加代子の歌を筆者が採譜し、 歌いやすく移調したもの 北海金山節の楽譜 〕 1の 参照 22 ) 北海道の金山の歴史から推定する。 16 23 ) このことについては1珍 参照 24 ) 日本民謡大観 中部編 綿 ペー ジ 2 5 ) 各地で歌われている石刀 節の中には、 七七七五調の四句目の頭 に 「嫁ヤンコリャ」 が挿入されているも 95ペー ジ) ことから、 北海金山節の 「姉さんコーラン」 もその類であ のもある (日本 民謡大観四国編4 ろう。. 84. (本学助教授・岩見沢分校).

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参照

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