著者
村上 真完
雑誌名
論集
巻
42
発行年
2015-12-31
石津照璽先生の捉える存在の極相
村
上 真
完
序(石津照璽 いしづ てるじ。明治36=1903年2月26日ー昭和47=1972年6月6日) 石津照璽先生(以下処々敬称略) が話されたことばも, 話しぶりも, また書か れた文章も, 非常に独特です。 漠語と仮名との特性に基づいて思索と表現を追 究し, 国語を哲学的思考に堪えるように開拓しておりました。 先生は, 自分の存在の「在りかた」・「在りよう」・「ありざま」・「ありぶり」など という独特の言い回しで, 「存在の極相」や「極意」を解明しす。 主著『天台 賓相論の研究一存在の極相を索めて一』(初版:昭和22=1947年5月,再版:昭和 24= 1949年2月,弘文堂)等において, 独特 な粘着質で執拗にことばを積み重ね て自身の心の中に,悟りの境地にも相当すべき「第三の領域(世界)」を見出し, その用語をもって全宗教を見ていこうとします。 その先生の哲学(宗教哲学) を私なりに理解しようとして対話を試みたい。(なお,本稿の引用とその頁は昭和 55=1980年楠正弘編集:創文社発行の『石津照璽著〔宗教哲学研究I ,..._,y〕』に基づく)。 その主著は,公刊よりも20年以上も前にほぼ出来ており,「一二の節を除いて, 他は殆ど東京在住中に稿を了えた」と, 御自身の「序」の末にあります。 これ が『宗教の根拠に関する研究』 という学位論文として, 昭和17=1942年10月に 東北帝国大学に提出され, 翌年12月に文学博士の学位を授与されました。 先生 40歳のときです(東北大学総務企画部総務課で確認また楠正弘1966「石津宗教哲学 の問題と方向」,東北大学文学部『文化』第30巻第1号:通巻217号,pp. 113-116)。 I. 源信の仮名法語への思い入れ(「横川法語」) それ以前の昭和10= 1935年に「横川法語」という随想風の小品の佳作があり ます。 これは最後に, 主著の末尾に加えられます。 これが, 主著の「手引きに なるようにとの願いから, 本書の末尾に収戴することにした」(p. vi)と, 開 設者山折哲雄は言います。 これは, その文体も発想も, 伸びやかであって, 全く主著の重厚さとは異質 な感がしますが, 矢張りあらゆる宗教を見渡すとい う探究者の視点が, その根底にあることを示唆しています。-130-「横川法語」は恵心僧都源信(天慶5年一寛仁元年=942-1017)に帰せられる 平仮名交りの三百余語ばかりの小品です。 石津が何に基づいて本文を確定した かは分かりませんが, 岩波書店から出ている宮坂宥勝校注『日本古典文学大系 83 椴名法語集』(昭和39=1964年8月, pp. 51-52)と比べますと, 本文の異同が 多少あって, 石津が示した本文の方が, 分かり易い。 本法語は要約しますと L …人間に生まれたることを喜ぶべし。 2. 〔阿弥陀仏の〕本願ふかき 故に, 侍めば必ず往生す, … 〔念仏〕称ふれば定んで来迎にあづかる, … 本願に遭ふことを喜ぶべし。 3. … 「臨終の時までは一向妄念の凡夫にて あるべきぞ」と心得で・ ・ 妄念のうちより申し出したる念仏は濁にしまぬ けつじょう 蓮のごとくにて決定 往生疑ひあるべからず。 という3個条に収まるでしょう。 これについて石津は宗教(仏教)をめぐる哲学と人生観を展開します。 それ は同時に, 石津自身の研究方法についての見識と方針を示しています。 まず石津は, 「昔から『文は人なり』 といわれるが, 逆にいって, 文を知る ためには先ず人を知ることが肝要であろう」といって, 源信和尚の生まれや人 となりを跡づけます。 大和国, 当麻の郷に生まれ, 早くから父に別れ, 母の手 によって育てられ, 良源上人(慈慧大師, 延喜12一永観3 =912-985)について仏 道を学び, 得度し, やがて天台の大学僧となり, 因明, 倶舎, 唯識その他顕教・ 密教に通じ,『往生要集』等を著し, 絵画・彫刻の天分もすぐれ, 唐土の学僧 との交流もあった学徳と, その傾向を叙べるにつけて, 忘れてならぬことは僧 都の母のことです。 名利に溺れることを常に誡める厳しい母との交流とその影 響とについて述べて, 石津は, こう結んでいます。 「この母にしてこの子あり, 僧都が学道精進の朝夕必ず背後に見護るこの 慈眼を感じたに違いない。 母が自分の行を砥がしめた。」(p. 490) 源信伝の開拓は難しく(速水侑『源信』吉川弘文館, 昭和63=1988), 今6頁に 亘る石津の源信伝の典拠の吟味は省きますが, ここは心を打つ名文です。 ここ は恐らく石津自身の生みの父母への思い, 肉親や縁者との絆や, 別れなどとい う順逆の因縁とも重なるのでしょう。 石津の生い立ちや環境からして, 早くか ら他力の念仏を信ずる本願寺派の浄土教にも, 坐禅すること(只管打坐)を専 らとする曹洞禅にも, 唯一神を信ずるプロテスタントのキリスト教にも, 親し く接し得ていることが, 何となく示唆されているようです(稿末の付録参照)。
この法語の原文を掲げ, その讃美と感嘆を交えて, 法語を解釈・解明しなが ら石津哲学が展開されます。 石津はこの法語に「宗教的な心境」を読みこみ,「現 実生活の意味をたどって宗教的境地というものにつないでみよう」 (p.492)と 述べます。 宗教的境地とは, 仏教の悟りの境地でしょうが, 石津はもっと広く, その境地を現実生活という, いわば修羅場から辿って見ています。 「現実生活というものはどういう風にすごされているか」 というと, いろい ろな学説もあるにせよ, 「『自分』というものが現実にどう動くか。」「ギリギリ のところわれわれの自覚生活に中心をおいておる。」「自分の自覚生活の外に出 ることは出来ない。」「人間生活の 『世わたり』の中には」「どうにもならぬ 『行 きわ きつまり』というものがある。」「進退谷まったという状態がある。 心理的にも, 社会的にも, 自然的にもこのようなことは多い」 (p.493)。 石津は, 大震災, 生老病死, 失業苦や生活苦などを例示するが, 死をも避け 得ない戦火や, 頼るべき肉親の死なども挙げられましょう。 「溺れんとするものは藁をもつかむ。」「その心境その境遇こそが宗教を必要 とし, 且つ宗教を率直に受けとることが出来る境地であろう。」「そこが宗教的 境地と紙一重の, 否, むしろそのままが既に宗教的境地といわれるほどの宗教 的状態宗教的境遇である。」 (p.494) この宗教的境地は, 「世俗的な人間の仕事や計画とは全然方向が異なってお る。」「諸宗教は至るところでこれを教えておる。」 「マタイ伝六章では, 自分のために財宝を地上に積むことを否定して, これ を天に積むことを教え」「『明日のことを思ひ煩ふな, 明日は明日自ら思ひ煩は ん, 一日のことは一日にて足れり』といってある」。「世間的な方向に立つ人間 生活を否定したところに宗教生活の法悦のあることを正面から示しておるのは 仏教の根本的な考え方で」, 「或いは自力の解脱が説かれ, 或いは他力の教えが 教えられる。」「宗教に生きる」 とは「法爾自然に生きること」 です。 (p.496) ここの三段階からなる文章は, 石津自身の独特の粘りこい執拗な言い回しで 示され, 或いは実存哲学にも負うかも知れぬにせよ, 十分に練られた邦語です。 次に「この宗教的人間の心構え, 心境或いは観照のすがたとして」「われわ れの率直な心に映えるだけのかぎりで法語の宗教的意義を講讃しよう」 (p. 497)と, 経文(『無量寿経』巻下, T. 12, No.360, 274b-c, 『法華経』巻二の「火宅喩」T. 9, No.262, 14b)を引き不遇悲惨な 「境遇が何故ありがたいか。 …現実の境涯
に立って静かなる諦観と止住とをなす宗教的心境は世俗世間的な生き方を否定 しておる」(p. 503)。同様に本願にあうことを論じて, 浄土門では 「弥陀や本 願の絶対力に依憑する。」「ここに仏教における本来の有神論的転廻がある 」(p. 504)。経文(T. 12, No.360, 270 a)および親鸞聖人や蓮如上人のことばを引用し,「絶 対他力の道に入り 」「本願による信受称念の道をその行きつくところにおいて 叙べ 」(p. 508), 「何という法悦のにじみ出ておる述懐であろう。」「如上叙べ来った意味に立っ て, しみじみとした心に再読三読するならば, 静かにゆるやかに果てしなく宗 教的な現実肯定の白道が転回してゆくエピローグが感得できるであろう。 …臨 終来迎ということも真宗の教学からは問題となろうが, それは別として, この 現実の地盤に確固たる信を懐いて揺るがず迫らず, あせらぬ姿こそ, われわれ が仰視もって随望やまぬ心境ではないか。」(p. 509) と結びます。(なお, ここで T.は= Taisho Tripitaka, 『大正新脩大蔵経』の略 No. は番号, 次に数字が巻次に頁, abcは上, 中, 下を示す。 以下でも同様) この小著が石津の主著とどう関わるかは, 異質なものを厳しく指摘して否定 し排除していくのではなくて, およそ全てを最終的には肯定的に捉えるという, 宗教的境地が合致している点にあるでしょう。その哲学の全貌が示されないま でも, これは読者に強い印象と感動を呼び, 考えさせる小品であります。 II. 天台実相論と「第三の領域(世界)」 石津の主著は, もと「存在の極相 」と考えた題名を『天台実相論の研究 存在の極相を索めて』と改め, そこで「第三の領域(世界)」を論じます。 天台とは, 天台宗発祥の地である中国浙江省にある山の名で, そこに住まわ ち ぎ れた天台大師と称する智者大師:智額 (538-597) であり, 彼が確立した天台宗 の教学です。なお世に智顕を天台の第三祖, 彼の師慧思を第二祖, その師慧 文を初祖 (開祖)と呼びます。 この主著は智額の『摩詞止観』等(門人潅頂の記録)を, その註疏類とともに 味読し, その存在論を石津独特の邦語で解明したのです。尤も「存在論」は石 津の用語ではなく,私(村上1991『インド哲学概論』,平楽寺書店)のものですが,「存 在」という語を多用し, その同意語や類語を様々に用いて, 思考を展開したの は, 恐らく石津に特有です。天台の教学では「実相論」です。実相とは我々自
身の存在の真実なる在り方で悟りの境地です。 諸法実相とは鳩摩羅什(略して羅什401-13訳業に従事)の訳語で, 単に実相と もいいます。 その原語(サンスクリット語 , いわゆる梵語)は種々です。 以下に 諸法実相の用例と 原語と邦訳語とを示します。『智顕』は梵語の知 見に立ちま すから, この作業も必用です。 諸法実相とは, 石津も正しく解したように , 諸 法がそのまま実相で, 悟りの境地であり , 存在の極相です。 実相は羅什の仏教 (般若経類の空思想)の解釈に立つ思想です。 諸法とは法の複数です。 法は仏の 教えであり , またこころ(心, 意識)と , こころの対象です, 以下に 羅什の 訳語を現在行われている原典と照合して見ます。 正確には羅什の用 いた 原典は 知り得ませんから, 現在行われている原典と比較します。 A. 鳩摩羅什訳『摩詞般若波羅蜜純(=大品般若)』の諸法実相と Pancavi叫atisiihasrikii Prajniipiiramitii (二万五千頌般若 。 P. と略 。)との照合(P. ed. by Nalinaksha Dutt, London 1934, 及びTakayasu Kimura木村高尉P. II·III, IV, V, V ,..__, VIII, 1986, -90, -92, 2006, Sankibo Busshorin山喜房仏書林, Tokyo. T.8, No.223 (=
大品般若)に「諸法実相」が出ている頁と行(肩付き小字)と原典のそれとを示す 。 漢訳「諸
法実相Jだけの場合は略す)。
T. 8. 230b21 [巻二] P. p. 10512-3dharma-lak�al).arp. (法の特相),p.10513 dharma証:qi lak�al).arp.
(諸法の特相) T. 8. 234c10-11 [巻三] P .p. 12620sarva-dham 証tathata (一切諸法のその通り真実であるこ と=真如) T. 8. 238c23 P. p. 1475 ete dharmal). (これら諸法)〔実相に当たる原語がない。〕 T. 8. 244a2 [巻四J P. p. 17112sarva-dharmal).am (一切諸法の)〔実相に当たる原語がない。〕 T. 8. 259a18 [巻六J P. p. 2235 bhuta-naya-(真実な在りかた=趣旨)
T. 8. 340ザ[巻十六]現二見諸法実相_。 P.IV.p. 1497-9 pratyak�akarI dharmataya:qi (法性
=法である ことを直接知覚している)。
T. 8. 345c9 [巻十七J P. IV. p. 17230-2 dharmal).arp. dharmata (諸法が法であること=法性)
T. 8. 366c10-11 [巻二十]憶
二念諸法実相ー。 P. V.p.9118-9dharmata casya prakrtya manasik虚
bhavati (また これが法であること=これの法性が本性として思念されたのである)。 T. 8. 375記[巻ニー]以
二諸法実相_故 。P. V. p. 12がdharmataya(法であるから,法性の故に)。
T. 8. 375a18-9入
dharmal).arp. dharmatayam avataritavyarp., sa ca dharmata na vikopayitavya, iyarp. prajfiふparamitaya dharmateti na vikopayitavya (諸法が法であること=法性は入られ るべきであり, またその法であること=法性は破られるべきではない。 この智慧の 完成行=般若波羅蜜が法であること=法性とは, 破られるべきではない)。
T. 8. 379a16 [ 巻二二] 得
二諸 法 実 相_故名為レ佛。P . V. p. 1407-8 bhiita asya dharma
abhisambuddha tasmad buddha ity ucyate (彼には真実な諸法が覚られた。 故に覚者 と言われる)。
B. 『大品般若』と『八千頌般若 (A.)』と照合:(A.= A1tasiihasrikii Prajiiiipiiramitii
ed. by P. L. Vaidya, Buddhist Sanskrit Text No.4, Darbhanga 1960) [W= U.Wogihara, Abhisamayiilal'flkilr'iilokii Prajiiii-piiramitiivyiikhyii, Tokyo 1932] :
T. 8. 422a1 [巻二七]不 レ知二諸法実相一故。A. p. 2544 [W.p.96615] dharmatam apraj恥anto(法 であること=法性をよく知らないで) T. 8. 422砧 能知二佛 所説諸法実相_。 A. p. 25410 [W.p.96624] te dharmataya tathagatarp. prajananti (法であること=法性として如来をよく知る)。 C. 鳩摩羅什訳『小品般若波羅蜜綬(小品般若)』と『八千頌般若A. [W]』と の照合 : T. 8. 537 c22-3 [巻ー]以 レ得二諸法実相, 故得二解脱_。A. p. 516 [W. p. 5114-5] dharmatarp.
pramal). 和tya evam adhimukta iti (法であること=法性を根拠となして, このように 信解したという)。
T. 8. 549c6-7 [巻三]如
二諸法実相_。随二喜退三向阿褥多羅三疏三菩提一亦如レ是。A. p. 8213 -4
[W. p. 370呵yath麟rp. dharm郡irp. dharmatii tathanumodate (法であること=法性 の通りに随喜する)。
T. 8. 559b6-7 [巻五]須菩提。諸法実相中。無
レ心無二心敷法ー。 須菩提。色不レ可レ稲。A. p. 13828
[W. p. 5722-3] riipasya hi Subhute ya dharmata na tatra cittarp. na cetana na caitasika (ス
ブーティよ。 何故なら, およそ色が法であること=色の法性においては心もなく意 思もなく心所法もなく考量もないからだ)。
T. 8. 564a4-6 [巻六]如
レ入二諸法実相_,亦不二分別ー。 是如レ此是如レ相。 随レ是如レ入二諸法
実相ー。 出レ是如三已更聞二餘法ー,不レ疑不レ悔不レ言二是非_。A. p. 1617-8 [W. p. 6665-8]
tathataya advaya advaidh政ara avikalpa nirvikalpa iti tarp. tathatiirp. tarp. dharmatam avatarati/ tathatayiirp. sthitas tathatarp. na kalpayati na vikalpayati evam avatarati (その
分別であると, その真実であること=真如• その法であること=法性に入る=悟入 する。 真実であること=真如に立つと真実であること=真如を分別しない, 妄分別 しないで, このように入る=悟入する) T. 8. 566c22 [巻七]諸 法 実 相不レ可レ得レ説 A. p. 17312 [W. p. 71017] sarva-dharma1.1-arµ dharmata anabhilapya (一切諸法が法であること=法性は言説されない)。 T. 8. 580b29―Cl [巻十]應 レ観二諸法実相ー。 A. p. 23913 [W. p. 9314-5] dharma1.1-arµbhiita-naya);t pratyavek�itavya�(一切諸法の真実な在りかた=趣旨を観察すべきである)。 T. 8. 584炉善男子。 諸法実相無レ来無レ去A. p. 25325 [W. p. 965りna ca kulaputra dharmata agacchati na gacchati va (また良家の息子よ。 法であること=法性は来ない, 或いは 行かない)。 T. 8. 584b25-7是人於 レ法則不三分別二若来若去若生若滅ー。 若不二分別_。 是人則以二諸法実 棚而観孜D来_。 A. p. 2549-10 [W. p. 96622-4] ye ca na kasyacid dharmasy'agamanarp va
gamanarp va Kalpayanti utpadarp va nirodharp va te dharmataya tathagatarp prajananti
(また誰でもいかなる法も来ること, 或いは行くこともなく, いかなる法も発生す ること或いは消滅することを分別しないものたちは, 法であること=法性として如 来をよく知る)。
T. 8. 584b27-8 若以
二法相一知斐D来_者,是人則不三分別二如来若束若去ー。 A. p. 25410-11 [W. p.
96624-6] ye ca tathagatarp dharmataya prajananti na te tathagatarp agamanam va
gamanarp va kalpayanti (また誰でも如来を法であること=法性としてよく知るものは, 如来が来るとも, 或いは行くとも分別しない)。 D. 仏教における法 (dharma) の意味。 それは多様ながら, 「仏(釈尊)が法 を説く」という例では単数で, その法は仏の教えです。 しかし仏の教えには 「八万四千の法門(教えの部門)」があります。 法の複数:諸々の法=諸法には, 仏の教えを構成する種々の教えや修行法の外に, 更にば悟りの境地があります が, とりわけ我々有情の存在を構成する諸要素や諸属性が重要です。 まず法は原始経典以来, こころ(意)の対象であり, こころ(意)によって 知られ考えられ思われることで, こころ(意)に浮かぶ, あらゆる事柄です。 その「意 」とは眼・耳・鼻・舌・身=身体という感官と意という6種の感官(六 根六入, 六内処=内なる認識領域)の最後に数えられ, 感官(根)の対象(六境 =六外処=外なる認識領域)が色・声・香・味・触(=身体で感じられる性質)・法
と呼ばれます。 六内処と六外処とは合わせて十二処ですが, これが一切(各人 の内的な世界の全体)です。 さらにこれらに六感官の知(六識すなわち眼識=視 覚知・耳識=聴覚知・鼻識=嗅覚知・舌識=味覚知・身識=身体感覚=体性感覚の知・ 意識=意による知)をも加えた十八種の認識要素(=領域十八界)だけが我々各 自の世界の一切です。 それは個人的 ・主観的な内的な世界ですが, 決して外的 な客観的な世界ではありません。 また私ら各自の身心の諸構成要素 ・ 属性を 色(感官によって体内外で感じら れるもの)・受(感受感情).想(概念観念想念)・行(心身の潜勢力).識(認 おん 識知)の五種の集合と数え, 五つの〔執着となる〕集まり(五蘊五取蘊五陰 五衆)と呼びます。 原始仏教聖典は, それら諸構成要素(五蘊十二処, 十八界, 陰界入)のどれもが無常であり苦であり, 私のもの(我所)ではなく私の自我 ではない(非我無我である)と反復します。 (但し自我=自分を否定しても, 自ら 責務を果たし自分が交わした約束や自ら立てた誓いをしつかりと守るのです。)後代に は法の数を増し, 煩悩等心の性質や働き(作用, 心所法)を多く数えます。 意の対象であるこれら諸法は, どれも直接知覚され実感されます。 上に見たように, 諸法 (dharm助)をそのまま「諸法実相」と羅什は訳します。 これは「あや(文飾)」のように「実相」(真実な在りかた)という述語を加えた ようですが,我々有情の存在を構成する諸要素や諸属性がそのまま「実相」(真 実な在りかた)であるという驚くべき肯定的 ・楽観的な解釈=見方=思想です。 諸法が法であること=法性 (dharm面抑dharmata) という例は, 色等, 眼等, 貪(欲)等という諸々の法が法(構成要素や属性)であること, つまり概念とし てことばの意味として法と呼ばれること, 法という自己同一性を有することを 意味します。 法であること=法性 (dharmata) とは,「法」と一般化, 普遍化し 概念化した在り方です。 それが諸法実相であり, 上来見てきた諸例が実相の根 拠です。
法の特相 (dharma-lak細阻rp.) や諸法の特相 (dharm面arp. lak抑皿µ)は諸法の特
相(特徴定義)です。 真実な在り方=趣旨 (bhiita-naya) とは諸法の真実な在り
方=趣旨です。 真実であること=真如 (tathata) とは諸法が真実であることです。
真実であるとは, 二つではなく(不二で), 不分別 ・無分別であり(A. p. 1617-8 [W.
p. 6665-8])' あれかこれかという思慮分別を離れているから, 実相真実の在
龍樹菩薩造鳩摩羅什繹と伝える『大智度論』(大品般若註)百巻は, 諸法実相 を詳しく説き最も重要ですが, 今は紙幅を憚って論及しない(脚注1参照)。 般若経類はどの法も 空(sunya, 空っぽ)であると繰り返します。「空である」 とは関心の的になる大事なもの(こと)を欠如して空っぽです。 色(rtipa) など , どの法も我(自己)・我所(自分のもの)を欠如して空です。しかも自己同一性(自 性, 自体と言う概念 表現)を欠如して空です。例えば色が色であること (rupatva, 色性, 色一般色という自己同一性=概念や表現)を欠如している , とい う意味で空であることが,即ち諸法(私らの存在の諸構成要素・諸属性)の実相(真 実の在り方)です\ E. 三諦と諸法龍樹(Nagarjuna, 2 - 3世紀)が著し羅什が訳し た『中 論』観四 諦品第24第18f,易を , 智顕は「因縁所レ生法 我説二即是空*一 亦為二是瑕名_ 亦是中道義」と改めて, これを三諦偶と呼びます(羅什訳では第二句は我説即是 無*。T. 30. 33bl l-12 ; T. 46.lb29)。 三諦とは空 , 椴(仮), 中の三で, 諦とは真実真理です。 仮とは世俗的な 概念観念 言語表示であり, 中とは有無などという両極端に偏らない中庸の 真実です。これが天台の教学の中核であり, また それを解釈し新しい表現を与 えた石津の思考の中心です。「第三の領域」 論はその三諦の新解釈です。 『摩詞止観』 は始めから専ら 「実相」といい , 「諸法実相」は3例ほど用い るだけですが, 羅什を継承します。 ただし , 智顕が独自に数えた諸法は, 上に 見た原始仏教や般若経類の諸法と大分違いますが, 同じく意の対象として実感 すべきこと(もの)です。 智顕のいう諸法とは十の存在領域(地獄 乃至 仏の十界)が互いに他を含み 合い(+界互具し), それに 十如是(如是相・如是性・如是腫等)と三 世間(国土, 1 村上2014「空思想の一考察一色即是空再考」『奥田聖應先生頌寿記念インド学仏教
学論集』佼成出版社pp. 650-664, 同2015 Controversies between Buddhism and Indian Philosophical Schools : On Caitanya (Sentience, or Intelligence) and the Existent (Sat) , ACTA AS/AT/CA 108, pp. 19-42, The T6H6 Gakkai, Tokyo, 同2016「空が分かると和が
可能になる一般若心経類の空思想ー」『三友健容博士古稀記念論文集 智慧のとも
しびアビダルマ佛教の展開インド・東南アジア・チベット篇』(東京山喜房仏書林)
pp. 406-381 (582-557)。 上の最初と最後との空を論じる2論文では『大智度論』に 基づいて論述した。
-122-衆生, 五蘊)とを掛け合わせた三千の諸法(=世間=心)であって, 単に我々の 存在の諸構成要素や属性ではなく, いわば観念(概念理論)の世界の諸構成 要素です。 しかしその三千の諸法がそのまま自分の一心(一念)にある(一念 三千)といいます。 石津は「諸法が実相であり, 実相が諸法である」といいま す (p.153), 「第三の領域」 も自分の一心の中で可能です。 ただ石津は天台の用 語(空, 仮中)を別な表現にしたのです。 皿「第三の領域」は二種以上に展開する A. 『天台実相論』において:第1章では最初に諸法実相を掲げて,いわく「諸 法実相とは, すべてのものが現実に存在しておるところの, その存在の当処の 在りようをいう。 在るものの在りのままなる極相である。 このような ものの 在りのままに在る当処に, 在りのままに居ることが涅槃の境地である」(p.15) と。「諸法実相」が「現実」「存在の当処の在りよう」「在るものの在りのまま なる極相」,「各自にとっては, この現実の具体的なる刻々の当処当相こそが, 愛憎苦楽その他世間における世渡りの姿のすべてが織りだされておるところ」 です。 ではその「現実の刻々の当処」(極相)と「涅槃の境地」(悟りの境地)と は違うのか。 答えは, 否, 「無明即ち明」であって, 違わないという。 これが, 天台実相論の建前です (p.26)。 天台の教学では, どんな衆生でも本性として 仏界の善法と他の九界の悪法を具えている(性具説性悪説)といいます。 この間に「第三の領域(または世界)」 論が展開されます。「自己なるものの領 域を第一の世界(または第一の領域)とし, これに対する相手のもの他のものの領 域を第二の世界(または第二の領域)と」 すると,「現実に存在するところの具体 的な場面とは」, 「第一や第二の世界或は領域にあるのではな」<,「第三の領 域において, 相手でもなく, こちらでもなく」,「両者の織り合わさった当のと ころにおいてある」。「実相論では自己も相手も心も物も」,「すべてこの第三の 世界において在るのであると観る」 (p.17)。 しかし「第三の世界においてある 現前当面の事態を, 便宜上かりに心の世界に寄せてみる」 とか,「第二の世界 ものの世界に攪めとることも出来る」。 ここに「第三の世界とは, 鏡の醤でい えば像の世界の外にはない」 (p.19) が,「心は鏡の面のように固定したもので はない」。「心は実に孤り生ぜず, 必ず縁に託し境によってあるによってあるの であり, どこまでも縁り由って在るのである」 (p.20)。
「第三の世界は第ーや第二の世界とは別な相位に」あり, 「鐘の響きが鐘や 撞木とは別なものであることと同じ」<. 「捉えようがない」という処に「空」 という意味が導入され, それが「仮Jであり「中」であり, それが「十界互具 し(十界が互いを内に含み合い百界となり)」乃至「三千世間(=諸法)」になりま す(p. 26)。 「空」とは諸法の中に我・我所や自己同一性がないこと, 「仮」とは仮名, 仮設概念表現であり,「中」とは 有でも無でもない中である, というのは, 羅什(『中論』24·18=三諦偶)に由来しますが, その三が真(真実)として圏満 無縦に融通しあっている(三諦圏融)。 その三を一念の心に観じます(一心三観)。 「十界互具 」とは, 地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上・声聞・縁覚・菩薩・ 仏という十界(+の境界)が, それぞれ互いに他の九界を内に含んでいることで, 従って百界となり,『法華経』の「方便品第二」にある如是相・如是性・如是髄・ 如是カ・如是作・如是因・如是縁・如是果・如是報, そして如是本末究覚等と いう十如是を掛けると千如是となり, それに三世間(国土世間 ・衆生世間 ・五蘊 世間) を配すると三千世間となり, 三千の法ともいわれます。 その三千の諸法 が一瞬の心に具わっている(一念三千)。「第三の領域」も正に自分の一心の中 にあるはずで, 自己なるものの領域(=第一の領域)も相手のもの他のものの 領域(=第二の領域)も同様です。 これらについて「表象や観念の上においてではな」<,「絶待の場面において」 であり,「一切の相待を超えた, 従ってまた一切の相待を摂した, その場のあり ようが, 一即全 一即一切というありようにおいてある」と断じます(p. 27)。 ここが難解です 。 まず石津は「識ると識らざるとにかかわらず, 実は第三の 世界において, 存在するものの一切はその現実的な存在の場面をもつ」(p. 28) と断じますが, 識らないもの(こと)は思惟の対象にもならず, 観法の対象に もなり得ないではないか。 恐らく, ここで「識らざる」とは, ただ意識してい ないだけであって, 実はよくよく熟知していることに違いない。 それは, そうであるとして, 先生が「第二の領域」を「相手のもの他のもの の領域」というのも分かりにくい。「相手のものや他のものの領域」か, また は「相手のもの(領域)か他のものの領域」でしょう。 三つの領域(世界)は, いずれも自分自身の世界(領域)を出ませんが, 「第二の領域」で問題になる のが, 自分の相手でも, 現に向かい合っている相手か, または他者で現前には
-120-いないが, 相手として意識されているかです。 文法的には二人称か三人称か区 別できないか, 或いは区別しないのでしょう。 以下にも見るように, 最初の二 つの領域(世界)は, 自ら意識する順序としても叙述する順序としても, 一定 しなくなるのです。 第1章の二では, 宗教の究極的な根拠に関して, 「そのものとして立てられ た自己や相手の領域を超えた当処しかも個体にとってはそのものとして在り と思いなされた自己なるものの無の当処に, 宗教の本来的な根源的な根拠があ る」(p. 30) といって, 「自己なるものを否定し空しくしてあること」から出発 して, 実相 論に向かう向かい方を述べます。 自分の一心にある「第三の領域」 が, 法界(法の領域), 実相であり, そのありようを「妙」という由です (p. 54)。 本書前半の第4章末までが「第三の領域」 論によって総括されるだけではあ りません。 後代の諸 論争に照らし合わせて諸法実相 論を吟味する本書後半の4 章においても, 「第三の領域」がその真実探究の根拠であり到達点であります。 この間「第三の領域」論は一切ぶれてはいません。 天台の教学に関する限り「第 三の領域」は一つです。 そして「十界互具」,「一念三千」ないし「三諦園融(園融三諦)」について肯 定的に理解を進め, 「一即一切ということは, 第三の領域におけるものの在り のままなるありよう」として, 「縁り由って在る絶待の在りよう」,「即ち絶待 なるありようを, そのとおりの待対のあることなきありようにおいて示すため に相待的なありようの一切を該ねたありようにおいてある」(p. 206)。 また「十 界互具」の「互具」の具(そなわる)の意味については, 「具ということは, 実 相の場面即ち第三の領域における現実の当処の絶待なるありようについてい う」。「そのありようを理具とも性具ともいう。」「ものがあるとはそのものとし てあるのではなく因縁性具の法においてである。 法の所在は法界であり第三の 領域であって, その勝義の場面は各自の現実の当処であった」(p. 207)。 五陰 の法も, 心や色も, 「実は実相の場面即ち第三の領域に打ち出され織り出され て在る」(p. 225)。 ここで恒常なる理(ことわり)や性(さが)として具(そなわ ること)を 論じます。 絶待と相待とは現代語の絶対や相対に近いでしょうが, 待(まつ)と対(むかう, あたる)とは違うでしょう。 B. 「極意の話」において:石津はこの主著の公刊以前の昭和21
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1946年4月に「極意の話」という講話をして, 同年10月に公刊し, 昭和26=1951年11月出 版の『宗教的人間』(培風館)に収め, 最後には遺著『〔宗教哲学研究V〕宗教 的人間』に含まれます。 そこに見られる「第三の領域」論は, 主著の議論とは, 「第一の領域」と「第二の領域」との順序と内容が逆で, また「第三の領域」 (極意)の内容も, 愛憎苦楽その他 いわば雑念を含まず, より純化されます。 まず論題の極意とは「現実の在りのままに生きること」,「当の現実に精いっ ぱいに生きること」で, 「我を立て己れを立てていない。 我を捨て己れを捨て, 自己なるものを無にし空しうしておる」といいます。 そして心の在りかたを鏡 に映る像に醤えて, 「相手のものの領域即ち鏡に映る対象の領域を, かりに第 ーの領域」とし, 「こちらの心なるものの領域をかりに第二の領域」とし, 「そ れらのかかわり在って現に存在しておる領域即ち鏡のたとえでいいますと, 像 の領域を第三の領域と」します (V.p. 49)。 ここでは「第一の領域」と「第二の 領域」とが, 上に見たものとは逆です。 第一, 第二という思考の順序が逆です。 また「自己なるもの相手なるものの在りのままとは, そのものとしては在るこ となき在り方をしておる」ので, 「だから, あれこれ, 我他彼此を立てて待対 しないように射ら処すればよい」(V.p. 51)。 ここでは「第三の領域」における自己否定を強調し, 「現前当面の現実ーぱ いにおること」(V.p. 61) といいますが, 「無明即ち明」というような天台実相 論由来の見方をば超えて, 諸宗教や芸道芸術においても, 同じような至極の境 界があることを示します。 この講話では先に見たような「第三の領域」 におけ る「この現実の具体的なる刻々の当処当相」,「愛憎苦楽その他世間における世 渡りの姿のすべてが織りだされておるところ」というような趣旨が, ありませ ん。 いわば極意の境地を純化したかのように, 「自己を無みし空しうし」, 分別 執着を超え, 「わが身をもわが心をも放ち忘れる境界におることでありましょ う」(p. 60) といいます。 剣の境地においても, 「心を相手の剣においても, こ ちらの剣においても, おくれが出たり怯えが出たりする」などともいって, ど ちらにも執らわれない極意の境地を見ております (V. p. 44)。 C. 「第三の領域」の応用:このような「第三の領域」論は, 他の宗教論や宗 教哲学をその基礎的な根底において捉える視点, 或いは手段や方法にもなって 行きます。『宗教哲学の問題と方向』(昭和26=1951) では, キェルケゴールや
-118-ハイデッガーを論じながら, 「相手のものの領域を第一とし自己なるものの領 域を第二とし, 係わって現に存在している場面を第三の領域とし」, 「この[第 三の]領域は可能性の領域であって構造的に無さ足りなさの在り方においてあ る」と述べます (II. pp. 19-21)。 ここでは第一と第二の領域の順序が『天台実相 論の研究』とは正反対です (II. p. 276, III. p. 169も同じ)が, 主著と同じ場合もあ ります (II. pp. 87-92, 111. pp. 336-9)。 この順序の相違は単に意識する順序の違い に過ぎません。 ただ「第三の領域」の在りかたは,「一切の存在するものは」「本 来そのものとして在るのではないように在っている」(II. p. 92)。 「第三の領域 において不可得不可思議の在りようにおいてあり, そのものとしては在るので はない。 ここを諦かにするのが悟りであり涅槃である」といい, 「生死の解決 とは」「兎角の分別執着を抜けることである。 抜けられぬなら抜けられぬまま に抜けるのである」。 そこには「帰命本願というすがたもある。 禅家には無心 というすがたもある」(II. pp. 100, 102)「存在の当相が, つきとめ得ない取りと め得ないという在りよう在り方においてある」といい, さらに「ものが在ると
、 、
、 、
は実にそのものとして在ることなき, その無さにおいて在っている」(II. pp. 288-9) といい, 「分別」と「執着」とを, ともに, 「悟り」においては, 抜け 出ることが, 困難ながらも願い, 「空」とは言わず, 「無さ」といい, 「中」と 言わずに「第三の領域」と言います。 D. 「第三の領域」 の展開:石津は昭和43= 1968年に『宗教経験の基礎的構造』 (初出1967, 後の宗教哲学研究III.) を公刊し, 巻頭に同名の論文を掲げて, 新し い「第三の領域」 論を展開します。 「特定の宗教経験を解体し遡源して, それを然らしめている所の根底をもとめ」 「特定の宗教経験を構成する三つの領域を解釈的に考える。 その第ーは, 自然 的な世俗的経験の領域で, 第二は, この領域からかけはなれた宗教経験(中略) の領域及び第三は, この直接的な, 特定の性格において現実に存在している ところの宗教経験を, 宗教的ならしめる根底の領域である。」(III. p. 6) 「第三の領域においてその原態と原機制をもち, そこを根拠として実際に現存 するところの, 第二の領域における宗教的事実は, やはり第一の領域からの規 定をうけている」(III. p. 7)。「直接的な宗教経験の領域たる第二の領域から自 然的世俗的な第一の領域を差引くことによって, 本来的に宗教的なるものの第三の領域の形相が求められてくる。 その操作がいわゆる「解体」の操作であっ て, そこに宗教の本質的事実性が明らかになる。」(III. pp. 8-9) 現に行われている宗教経験から「自然的世俗的な領域を差引」くと見えてく る「第三の領域」とは, いわば不純な宗教経験を解体し還元し純化し自己反省 して始めて分かるでしょう。 同じ頃に先生が書かれた次の第2章(初出1962) にも,この趣旨が示唆されていますが,その領域の在り方を証明する問題は残っ たようです。 今は現象学的還元は流行語ですが, 石津がその早し)開拓者でしょ う。 先生は若い時から自分の心を観る仏教に親しみ, 天台実相論を研究し, や がてキェルケゴールの宗教思想やフッサールの現象学を消化し, 東北地方の ふげぎ 巫蜆の調査研究を踏まえて, 上のような新しい着想を得たのでしょう。 先生はシャマニズムでは巫者が「失神や忘我的な心的状態になり,」「いわば 自分をあけて霊的存在を憑依せしめる霊媒となる」 とか, 「忘我的状態におい てさらに或いは脱我的にー自分の主体を転換しおきかえて, 霊的存在と一致せ しめるとか, それに達せしめる通力を得たというような心的状態になるともい う」ことなどをも, 実際に確認しています(V. p. 269: 初出1969「シャマニズ ムの特質と範型ー東北地方における事例」)。 今筆者なりに解すると次のような ことです。 巫蜆の宗教から「自然的世俗的な領域を差引く」と宗教の極相たる「第三の 領域」が始めて見えるでしょう。 天台実相論から導いた「第三の領域」は思想 的学問的にも優れた偉人や達人が到達した境地ですが, 巫蜆はその対極でしょ う。 例えば, 生まれながら視覚障害のある娘が同じ障害を持つ師匠に弟子入り し長年経て死者の声を伝える能力を得てから許され独立して生計を立てるとい うイタコ(盲目の巫女) や, 病気勝ちな人(主に女) が独力で霊能力を身につけ るというゴミソやユタは, 人気者でも達人とは見倣されまい(楠正弘1984『庶民 信仰の世界』未来社, 大橋英寿1998『沖縄シャーマニズムの社会心理学的研究』弘文堂, 参照)。 ゴミソやユタを精神病理学者は巫病と扱うのです。 石津はそんな医者 の視点ではなく, 暖かく在りのままに見て理解し現象学的還元に基づく「第三 の領域」論の延長線上において研究し考察していたと推察されます。 N. 石津の「第三の領域」と直接知覚(現量)説 石津の「第三の領域」は,『天台実相論の研究』では, 自分の一心にある「第
-116-三の領域 」が法界(法の領域), 実相であり, 中間においては, 人生において, あれ か これ かという「分別執着を抜ける」境地といい , 最後には「宗教経験の 領域 から自然的世俗的な領域を差引く」といい ます。 これが石津な りの現象学 的還元の 手法でしょう。 ぢんな これら の議論について, ディグナーガ (Dignaga, 陳那480-540頃)等が主張 したという直接知覚(現量)を辿る理論が, 石津の「第三の領域」 論を解釈し 理解するのに有益であろうと , 私は考えます。 陳那は認識対象が独自 相 (sva-lak�ai;a,自相個物相, 知覚の一瞬に捉えられる対 象の見え方)と共通相と の2種 だけですから , それぞれを対象とする認識手段も 直接知覚(現量)と推論(比量論理的思考)とに限られ るとし(Pramii�a-Samuccaya = PS 1.2), 『 直接知覚とは概念化構想(言語化構想分別)を離れてい る〔知で ある〕(pratyak�arµkalpanapoc,lh皿,現量除分別)』 (PS 1.3c)と 定義します。 まず , 概念化構想 (kalpana,言語化構想分別)というのは, 『〔知覚されたことに 〕 名 と種〔概念〕等を結びつけること 』 (nama-jaty-adi-yojana.PS.1.3d), つ ま り, 語(こ とば)と関連づけることで , 彼自身の註釈 (Pramii�a-Samuccaya-Vrtti PSV.)によ れば, そ の 名と種〔概念〕とは,(1)固有名詞(2)種〔概念〕(普通名詞, 例 :牛), (3)属性語(形容詞, 例:白い),(4)行為語(動詞派生名詞, 例:料理人),(5) 実体語(実 体によって特徴づけられる語, 例 :杖を持つ者)という5種が示され ます。 いずれ も名詞類であって, 動詞も, 不変化詞(副詞接続詞前置詞感嘆詞)もない 。 私らは日常しばしば, 推論を待たずに , 咄嵯に 「痛い 」「熱い」と叫んだ り, また笑ったり,泣く際には声を出しますが,そんな問題はありません。 またディ グナーガによれば, 語は直接に意味する対象を指すのではなく, 推論によって 全ての他の意味を否定し排除すること (anyapoha)によって, 意味する対象を 示すといい , ことばを選ぶのに慎重です。 こ のような 概念化構想(分別)や, 言葉(語)を離れた, 直接知覚があるか 否か微妙ですが, あるとも思えます。 直接知覚とは眼などという感官(ak�a.眼)による(prati), 目の当たりに見聞(感 知)きする, 五感(眼・耳・鼻・舌・身)による知です。 感官によって実感され る知(知覚), 実感され る知です。 しかし陳那は直接知覚を感官知 だけに限 りません。 色等の 感官知についての 意による感受及び貪・瞑・縦・楽・苦等の自覚(自証)をも直接知覚とします。 さらに観行を積んだ行者が聖典の意味を直観するのも,さらには概念化構想(分
別)の自覚も直接知覚になるともいいます(PS 1.1.6-7)。 このように, 直接知覚される知の領域が概念化構想を離れ分別を除かれてい るといわれます。 陳那の直接知覚説は彼の独創でしょうが, 原始仏教以来, 仏 教は直接知覚を重視します。 仏(釈尊)は形而上学的な主張, 例えば, 世界が 有限であるか無限であるか, 修行完成者(tathagata, 如来)が死後に有るか無い かなどの可否については解答しなかった(無記)と伝えられています。 これは 直接知覚されない問題については判断を控えたと考えられます。 また修行の究 極の境地を得たことについて 『彼は無上の梵行の終極をもう現実に自分で悟り直接体験(体得:作証, 現証,)して(sacchi-katva)』(Suttanipiita = Sn., p.16り と言う文の「直接体験(体得)し」とは 「直接知覚して(paccakkhaiµkatva)」, と註釈(SnA., p.158りは解釈します。 このパーリ語は, サンスクリット語では
sak領t-kftva, pratyak�arµkrtvaとなって, ともにak�a(眼,感官)を含む複合語で 「目の当たりにして」「直接体験(経験)して」という意味です。(村上2016「直 接知覚(現量)と超能力(神通)」『印度学仏教学研究』第64巻第2号, pp.841-833))。 そのような悟り(涅槃)の境地は, 言語の領域を越えており, あれか, これか, という分別や迷いや, 損得勘定もない一瞬の境地に外ならないでしょう。 石津が晩年に新たに構想した「第三の領域」もまた, 上のような分別や迷い や俗気が抜けた境地なのでしょう。 先生は日本に伝わった仏教の伝統を通して 悟り(涅槃)の境地の考察から始め, 晩年にはイスラーム圏をも訪れ, 西洋か ら中東までも含む世界の諸宗教を一つに捉える視座を構想して, 新しい「第三 の領域」を見出しておられたようです。 しかも日本的な思考法をもって構想し 表現することに努め, 国語をもって独自の哲学用語を開拓しておられたのです。 哲学者の仕事には用語の開拓と整理が重要であると示されたのです。 以上, 先生の宗教哲学を辿りました。 先生は私の恩師の一人で, 学問と生き 方を示され, 度量が大きく怒らない。 大らかで世話や助言を惜しまみません。 私が職に就けたのも先生のお蔭です。 推薦状をお願いしますと, すらすら書い て読み上げ「褒めておいたよ。 その通りにするんだよ。」といって密封される。 その印象は消えない。 稀にお会いすると「苦労しているだろう」 と仰る。 先生の普通講義の教室が, 自らの学問を構築する現場で, 先生は難渋しなが ら, ことばを捜し探し論旨を収めます。 但し他では流暢に話される由です。
-114-付録:石津照璽先生の先祖, 地縁・血縁と姻戚関係 石津照璽は明治36=1903年2月26日に父:秋里照雲 と母ませ(マセ)の次男として誕 生し, 幼い時に母方の石津家の養子 となった。 以下に両家の宗教や先祖からの地縁血縁 等について, 知りえたと ころを記して先生のお人柄を偲ぶよすが としたい 。 石津先生の母親の実家:石津家は, 長州(萩)藩の家老を出したこ ともあるという名 めいほう 家で侍(士族)であった。 石津家の菩提寺は, 正法山明峰寺 という曹洞宗の名刹であり, 江戸時代には毛利藩の霊牌所 として特別な保護を受けた。 寛永2年(1625)全伽藍焼失 の時藩命により益田家老指揮のも と藩費をもって再建されたと伝える。 石津先生は 曹涌 宗に属すると意識しておられ, 同寺に先生の一周忌後昭和48=1973年8月に墓が建て みすみ られ納骨された。 その所在は古くは大津郡三隅村, 後に三隅町, 現在は山口県長門市三 隅中1806 という*] 。 いちょう 石津先生の父:秋里照雲は, 大銀杏で有名な浄土真宗本願寺派明楽寺の住職であった。 み ね だいだ みとう なが 当時の住所表示は山口県美祢郡大田(おおだ)村屋敷555番地(現在は美祢市美東町長
誓
*2)。 大田村は昭和29=1954年3月に他の3村 と合併して美東町 となり, 平成20= 2008年3月に美祢市に合併した。 まさみ 石津先生の生家 明楽寺 (秋里家)13代の照雲の長男正巳は成人になる前に亡くなって, 後で近くから養子に入った義信が14代住職を継いだが, その息子が寺を継がないので, 次の15代に勝道が養子に入って住職になり, 今はその息子大勝が継いで16代住職を務め ている。 前住職夫妻も石津先生の遺骨が明峰寺に埋葬された際に, お墓参りしたという ( 前住職夫妻談 。 2015.03.15, 26)。 照雲の長男正巳が夭折した後に養子に迎えられた14代住職義信の長男(=照璽の義理 てるよし の甥)である照義が明楽寺を継がず, 京都帝国大学で数学を専攻して数学の教師となり, 現在神戸市北区北五葉に住んでいる*3 。 同氏は, 明楽寺の伝承や歴史に詳しく, いろい ろ話して下さった。 伝えると ころによれば, 明楽寺 (秋里家)は, 織田信長 との戦いで 敗れて秋吉台の東側に逃れ住んだ了現が初代であり, そして同寺には昔からの槍などの 武具が伝えられてあったのを見たという。(2015.3.16, 27談)。 石津照璽先生の母ませ(マセ)は, 石津家の出自で, 実家の当主(次兄発蔵)に 後継 ぎがいないため, 幼い照璽が養子 として石津家に入った。 発蔵は大津郡会議員, 三隅村 会議員, 三隅信用組合長, 農協の理事などを務め, 公共のために尽力した(山口県大津 郡三隅町編『三隅町の歴史 と民俗町制三十周年記念』, 昭和48=1973年3月, p. 692)。 その頃の石津発蔵の住所は大津郡三隅村大字三隅上2631番地(現在は長門市三隅上) と いう。 先生は三隅村に育ち, 三隅小学校を卒業してからは, 山口県立萩中学校に入学し 5年間汽車通学をしている。 明治22=1889年に発足した三隅村は昭和17年に三隅町 とな り, 平成17年に長門市に合併され町名が消えた。 先生は母校 (萩高校)を忘れず, 三隅村, 三隅町を故郷として親しい交流があったこ 秀恭・金谷治・楠正弘•田丸徳善による追悼文を読むと、 石津先生の個性的な学風 たえ と人柄が偲ばれる(同誌は宮崎任子様より頂戴した)。とが同 町の記録に残っている。『三隅広報』昭和36年4月1日には, 本町の出身者とし て中畑出身 東北大学教授石津照璽の名が出ており, また同昭和43年1月には慶応大学教 授前東北大学総長の肩書きで年賀状として, 洞山良介悟本禅師の 「潜行密用 如レ愚如シ魯 但能相続 名二主中主_」 という句を引いた人生訓を寄せている。 先生の逝去後の『三隅』昭和47年6月30日121 号には,「巨星おつ」 に始まる長文の追悼文が載せられ, 同 6月8日の東京と新宿の宝 祥寺における葬儀の様子が示され,また先生のことばが引用されている。 また前記の『三 隅町の歴史と民俗』pp . 692-3にも, 三隅町の人物として, 石津照璽は中畑の人である, といって先生の生立ちから略歴と本葬の記事と人柄が記されている。 中畑は今の三隅上 の東寄りである。 幕末期に長州藩の藩政や財政改革に功労のあった村田清風は, 三隅村 の出身で, 石津家とも近く, ませの縁者であると伝える(上記の資料や情報は長門市役 所企画政策課広報広聴係松田栄策氏から頂戴した。 記して謝意を表する)。 石津先生の生母ませの長兄は石津彦之進といい, 役人となって台湾総督府電信技士と ほうこ なり, 彰湖諸島などで働き, 明治37=1904年に退官して萩に帰ると, キリスト教徒とし て活動する。 日本基督教会(日本基督教団)の前身に当たり明治20= 1887年創立といわ れるが, 迫害など苦難の中で転々としていたプロテスタント教会に, 彦之進は講義所や 教会堂を建て, 教会の敷地に果樹を植えるなど, 教会の長老として, 亡くなる昭和12= 1937年まで教会に貢献していた(萩市瓦町8番地 日本キリスト教団 萩教会, 第20代牧 師:新保能宏談。 同牧師提供の『教会の沿革』 等を参照した)。 彦之進の子:半治(石 津先生の徒弟)は北海道帝国大学を卒業して満州鉄道で働いていたが, 敗戦を待たずに 内地に帰っていた。その子:石津陽治は, 満州で暮らし中学二年生(奉天ー中)のとき に親と共に内地に帰っで・・今は東京都三鷹市井の頭に住んでいるという気さくなお方で, 昭和20=1945年5月26日の渋谷空襲も遠くで見たなどと, 往時を語りながら, 「縁」 と か「有り難い」と語る。 私が「それは仏縁ですか」と訊ねると,「仏教は知りません。 親父は〈お前は洗礼を受けたのだぞ〉といっていたが」など,いろいろ話して下さる(2015. 03.18, 21談)*\ 〔以下の年譜は,主に宮崎俊明様*5作成の印字と手書きの「 石津照璽年譜」と印字の「石 津照璽著作目録」 との写しに基づくが, 東北〔帝国〕大学に関連する事項については, 東北大学総務企画部総務課で確認した。 石津先生の業績については, 華園練麿1980 「石 津照璽博士書・論文一覧」『宗教的人間 宗教哲学研究V』(巻末)は著書7点と論文 121点を挙げている。 宮崎様作成の記録にある著作物はもっと遥かに数多く, 小論文, 随筆, 随想など多彩である。 先生は, 雑誌社や新聞社等に請われるに応じて物されたか と推察される。 中でも1967-69年に「南総集記」 の題で25回に亘って連載された回顧反省 と現況点描の随想集(公益財団法人モラロジー研究所『れいろう』 115-148号)は味わい 深い*\ そこには花鳥風月に触れ和漢の古典を引きながら先生の幼少から当時までの生き方を 示している。 「足らざるにいて足りぬまま仕ぬくこと」,「『継ぎ合わせ剥ぎ合わせて』 の 境いっぱいにしなすこと」,「 人間の生きてゆくことに欠け目のあること, 破れ目のある
こと, そういう思いのままにならぬものが具わっているところにふみあてて」,「はかな さや無常において, 自己をたじろがせるのではなく, それらにおいて立っての主体の態 度にひたすらなるものをかける」, 「人間の土壇場から出てくる心の吐息ため息」。「人 間のいちばん深いところは,そういうことであらわされるのではないか」 と(南総集記1)。 「感動」 (同13, 14) という題では, 伊勢神宮に詣でて森厳な感動を覚えることを始めと し日本人が寺社に詣でて感動していることに欧米の宗教学者が感銘を受けた例を挙げて から, 先生は言う。「日本人の宗教感情は, 日月星辰とか山川花木, あるいは鳴く鳥, すだ<虫の声に感動を覚え, わが身の上, わが身のほどに, しみじみとした感懐を深く する」。「宗教的な感動」 は,「目の前の何物何事でもの, 在っているままの当処, 相 当に相応し, うちあたって, うけるこちらの心もち, その心もちの真実のすがた, まこと, まごころのすがたをいう」 と。そして感動は, ふれあいから来る。四十年近く前のこと, 父の最期に枕元に呼ばれると, 黙ってただ先生の手を握って二十分ほど過ごした時が, 「生涯のうちで父といちばん近く深くいたときだったように今でもおもう…」。「いよい よのところでは, 人は欲得を願うのではない。生の安堵を托する相手とのふれあいがま たれる」。「このような,ふれあいや感動は信頼の上になりたつものであろう」。ふと「我々 は深く身のほどを知らされる。わが身の欠如足りなさをしらされる。これを知るとい うこと, 身の上の真相に行き当たるということ, これは, まことにしみじみとした感動 である」と。 これまで見て来たように, 石津先生は天台教学の「中」の境地を「第三の領域」 とい う独自の用語で捉え, その延長線上において全宗教を捉える視点を見出していたのです が, その境地を, 今は感動として捉え, 感動とは宗教的対象に対する自分の心持の真実 のすがた, まこと, まごころの姿であり, 感動はふれあいから来るともいい。ふれあい や感動は信頼の上に成り立つともいいます。それは単に論理的思考や推論にとどまるも のではないというのです。 以上の点は先に推定したが, 今先生のことばで確認したと, 末筆ながら補足して置き ます。 ただ, しかし, その他の著作品の多くは私には入手困難で, 今は確認することも くみ 難しく触れ得ない。 また石郷岡みつ子様*7と鈴木翌子様*8, 平倫子様*9, 宮崎 たえ 任子様*10からは, 貴重な資料を提供して下さり, また本年譜に本年譜につい てご意見や修正案もたまわって修正することが出来ましたが, もとより本稿の 責任は筆者にあります。〕 石津照璽略歴(年譜) だいた 山口県美祢郡大田村屋敷555番地に父:秋里照雲, 母:ませ (マセ) の次男として誕生。 みすみ 明治36=1903年2月26日 山口県大津郡三隅村大字三隅上2631番地の石津発蔵とク 二との養子縁組届出。明治41=1908年1月 山口県大津郡三隅小学校。明治42=1909年4月ー大正4= 1915年3月 (満6-12歳) 山口県立萩中学校。大正4= 1915年4月ー大正9 = 1920年3月(12-17歳)。 第五高等学校文科乙類(熊本)。大正9 = 1920年7月ー大正12=1923年3月(17-20歳)
東京帝国大学文学部宗教学宗教史学科(主任教授:姉崎正治, 講師:島地 大等)。 大正 12=1923年4月一大正15=1926年3月(卒業論文「摩詞止観に於ける六即の過程」) (20-23歳) 同大学院(特選給費生)。 大正15=1926年4月一昭和3 = 1928年1月 (23-25歳) 一年志願兵として近衛野砲隊に入隊。 大正15=1926年12月一昭和2 = 1927年11月 東京帝国大学附属図書館嘱託。 昭和3 = 1928年3月ー10月 (病気のため依願解嘱) 東京帝国大学文学部副手。 昭和4 = 1929年3月 (26歳) 日本宗教学会機関紙「宗教研究」編集主任。 昭和4 = 1929年12月一昭和11= 1936年1月 日本大学講師。 昭和6 = 1931年3月一昭和12=1937年3月 (28-34歳) 千代田女子専門学校講師。 昭和6年7月, 昭和12年1月教授一昭和13年2月 (28-35歳) 福井市大和上37番地:荷葉顕融・喜久子の長女カツヱと結婚。 昭和7 = 1932年3月 (29歳)。 後に4女の父となる。 東北帝国大学法文学部助教授。 昭和13=1938年3月(35歳)。 仙台市澱橋に住み,のち米ヶ 袋鹿子清水, 川内に転ずる。 臨時召集により野砲兵第五連隊に応召, 即日帰郷。 昭和16=1941年7月 (38歳) 東北帝国大学に学位論文『宗教の根拠に関する研究』提出(主査:鈴木宗忠教授)。 昭 和17=1942年10月 (39歳) 東北帝国大学法文学部教授。 昭和18= 1943年6月 (40歳) 東北帝国大学より文学博士の学位の授与を受ける。 昭和18=1943年12月 (40歳) 東北帝国大学学生部長。 昭和21= 1946年5月一昭和23=1948年5月 (43-45歳) 日本学術会議会員。 昭和29=1954年1月 (50歳) 宗教学及び関連諸学研究のため, 欧米諸国に出張。 昭和29=1954年2月ー12月 (51歳) 日本宗教学会会長。 昭和31= 1956年11月 (53歳), 昭和33=1958年11月 (55歳), 昭和37 = 1962年10月 (59歳), 昭和41= 1966年11月 (63歳), 昭和43=1968年10月 (65歳), 昭和45=1970年11月 (67歳) 第九回国際宗教学宗教史会議組織委員会委員長,実行委員長。 昭和32=1957年9月(54歳) 日本印度学仏教学会理事。 昭和32=1957年11月 (54歳) 日本学術会議会員。 昭和35=1960年1月 (56歳) 東北大学文学部長。 昭和35=1960年4月一昭和38=1963年7月 (57-60歳) 第十回国際宗教学宗教史会議及び関係学会に出席(西独マールブルク)ならびに宗教学 及び関連分野の研究状況視察, 研究上の連絡協議のため欧州諸国に出張。 昭和35年 9月ー10月 (57歳) 東北大学学長。 昭和38=1963年7月一昭和40=1965年10月 (60-62歳) 英国における高等教育及び研究状況視察 (英国政府招聘)ならびにイラン, パキスタン, インド各国における宗教学研究上の連絡および国際会議開催打ち合せのため出張 (文部省)。 昭和39=1964年8月 (61歳) 宮城教育大学学長 (併任)。 昭和40=1965年4月ー10月 (62歳) 東北大学名誉教授。 昭和41= 1966年4月 (63歳)。 千葉県我孫子町に住み, のち松戸市
三矢小台に転ずる。 慶応義塾大学教授。 昭和41=1966年 4月一昭和45=1970年3月(63-67歳) 慶応義塾大学講師。 昭和45= 1970年 4月一昭和47=1972年6月(67-69歳) 立正大学講師。 昭和41=1966年 4月一昭和45= 1970年 4月(63-67歳) 麗澤大学講師。 昭和41=1966年 4月一昭和47=1972年6月(63-69歳) 国際宗教学宗教史学会イエルサレム研究会議組織委員会の招聘により同会議に出席。 お よび中近東諸国において研究連絡のためイスラエル, ギリシャ, 英国, デンマーク, イラン, インドヘ出張。 昭和43=1968年 7月(65歳) 紫綬褒賞受賞。 昭和43=1968年11月(65歳) 東京都新宿区で脳出血のため急逝。 昭和47=1972年6月6日午前3時5 分(69歳3箇月)。 叙勲勲二等旭日重光章。 同日。 新宿区若松町38-1曹洞宗:賓祥寺において葬儀, 法名:照覚院殿哲宗璽尊大居士。 同 6月 8日。 *1*2*3*4*5*6*7*8*9*10に関する郵便番号と住所番地や電話番号等は, 個人 情報として公開すべきでないという当編集委員会の意向に沿って, 再校において, 削除されることになった。 しかし筆者の元の原稿と資料類は, 廃棄せずに遺して保 存したいという当学会長や編集委員の意向に沿って, 東北大学大学院文学研究科宗 教学研究室において保存することになった。 よって研究上必要な場合には同研究室 に問い合わせて頂きたい。
The Ultimate Reality of Existence Ascertained
by Prof. Dr. Ishizu, Teruji
Murakami, Shinkan
Preliminary Remarks: Prof. Dr. Teruji Ishizu (1903-1972) aimed to ascertain the ultimate reality of existence and to realize the innermost realm of his being in his works.
I. Prof. Ishizu's Comment'On Genshin s Yokawa-hogo'(横川法語 1935)
II. Tendai Jisso-ron no Kenkyu - Sonzai no kyokuso o motomete - (天台賓相論の研 究一存在の極相を索めて一) 、�Study of Tendai-Schools Doctrine in Search of the
Ultimate Reality of Existence," 1949 and Prof. Ishizu's third realm (world) of existence.
A. Examples of'jissi5'(実相,true aspect, real mark) in Kumarajiva's Translation of the P. (Paiicavirhsatisahasrika Prajiiaparamita). The original words are dharma-lak1a�af!l (characteristic of dharma), dharma�af!l lak1a�af!l (characteristic of dharmas), sarva dharma-tathata (suchness of all dharmas), bhiita-naya-(real state=meaning), dharma�af!l dharmata (that dharmas are dharma) , and bhuta dharma (real dharmas) . But Kumarajiva often inserts'jissが実相after dharma. This means his affirmative and optimistic vision for the interpretation of this text.
B. Examples of'jisso'in Kumarajiva's Translation of the P. and A. [W.] <A1tasahasrika Prajiiaparamita) . The original word is dharmata (twice) .
C. Examples of'jisso'in Kumarajiva's Translation of the A. [W.] The original words are dharmata (5 times), dharma�af!l dharmata, tathata, and dharma�af!l bhiita-nayaft (real state=meaning of dharmas) .
D. Meanings of dharma (法) in Early Buddhism: Buddha's Discourse (Dharma) and our mental objects, i.e., mental and physical constituents or properties (dharmas, 諸法).
E. Three thousand mental objects (dharmas), i.e., realms in one consciousness (mind) (一念三千)and the threefold Truth (dependent originated dharmas are empty, conventionally
or verbally constructed, and mean the middle way) in Tendai Doctrine. The view of this threefold Truth (emptiness: 空,conventionally or verbally constructedness: 仮,and the middle way: 中) should be mutually harmonized and contained with each other (三諦圏融).
Ishizu's third realm (world) of existence is a new explanation of this threefold Truth.
III. The third realm (world) shall develop to be of two kinds and more. A. In the "Tendai—jissi5-ron no Kenkyii" (1949).
Ishizu says: "Suppose that the realm of myself is the first world (0r realm), the realm of my partner or the other is the second world (0r realm) , then the really existing definite situation is not found in the first or the second world (realm) , but in the third realm which is not this or the other side but the very place where both realms are woven into one." It should