「コップ一杯の塩」から考えるアフリカの国会議員
と有権者の関係 -- タンザニアの事例 (特集 TICAD
VI の機会にアフリカ開発を考える)
著者
粒良 麻知子
権利
Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア
経済研究所 / Institute of Developing
Economies, Japan External Trade Organization
(IDE-JETRO) http://www.ide.go.jp
雑誌名
アジ研ワールド・トレンド
巻
253
ページ
24-27
発行年
2016-10
出版者
日本貿易振興機構アジア経済研究所
URL
http://hdl.handle.net/2344/00002854
特 集
TICAD VI の機会に
アフリカ開発を考える
日本では今年七月に参議院選挙 が行われたが、どの候補者や政党 を選んだらよいか迷った人もいる だろう。遠いアフリカの国々でも、 民主主義体制下で、国会議員が選 挙で選ばれている。では、アフリ カの人たちは選挙でどのように候 補者や政党を選んでいるのだろう か。 私は、二〇一〇~一二年、東ア フリカのタンザニアで選挙につい ての研究を行い、政治家への聞き 取り調査を行った。そのなかで特 に印象に残っているのは、タンザ ニアの野党の幹事長へのインタビ ューだった。タンザニア人の投票 の仕方についての話になったとき、 彼は「タンザニアの農村では、政 治家が市民にコップ一杯の塩を与 えれば、市民はその政治家に投票 する」といった。つまり、コップ 一杯の塩が一票の値段ということ である。似たような話をよく聞い ていたので驚かなかったが、その 後、 「 コ ッ プ 一 杯 の 塩 」 は、 タ ン ザニアの国会議員と有権者の関係 について考える際に、その背景に ある政治経済環境や人々の価値観 を象徴するものとして、たびたび 思い出される言葉となった。 本 稿 は、 「 コ ッ プ 一 杯 の 塩 」 が 投票行動に影響するようなアフリ カ諸国の国会議員と有権者の関係 に つ い て、 ク ラ イ エ ン タ リ ズ ム ( clientelism 、 恩 顧 主 義 と 訳 さ れ る)の概念を用いながら、タンザ ニ ア を 事 例 に 説 明 す る ⑴ 。 タ ン ザ ニアは、東アフリカの沿岸部に位 置 し、 国 土 は 日 本 の 約 二・ 五 倍、 人口約五〇〇〇万人で、アフリカ 最高峰のキリマンジャロ山、セレ ンゲティなどの国立公園を有する 自然豊かな国である。タンザニア は一九六一年のイギリスからの独 立以降、紛争を経験したことがな く政治的に安定している。一方で、 近 年、 経 済 成 長 を 続 け て い る が、 一人あたり国民総所得が九二〇ド ルの後発開発途上国である。 本稿の構成は、まず政治学にお ける恩顧主義の概念を簡潔に説明 し、次にタンザニアの国会議員が 有権者から何を期待され、どのよ うにその期待に応えているのかを 紹介する。これをふまえ、最後に ア フ リ カ の 開 発 を 考 え る う え で、 国会議員と有権者の関係を含む政 治的な側面の重要性を示したい。●
国
会
議
員
と
有
権
者
の
恩
顧
主
義
開発途上国の国会議員と有権者 の関係は、恩顧主義によって特徴 づけられるといわれる。恩顧主義 は、経済・社会的に高い立場にい る 人( パ ト ロ ン と 呼 ば れ る ) が、粒
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事例︱
低い立場にある人(クライアント と呼ばれる)に自分の権力や資源 を用いて保護や利益を与え、クラ イアントがパトロンの権力維持や 拡大のために協力することによっ て、関係を築くことである。いく つかの先行研究によると、恩顧主 義 の 中 核 に あ る の は、 「 不 平 等 」 ( unequal )で、 「一対一」 ( dyadic ) の、 「 互 恵 的 」( reciprocal ) な 関 係性である。 選挙に関する恩顧主義では、大 統領や国会議員などの政治家や政 党がパトロンに、そして、有権者 である一般市民がクライアントに なる(直接的な関係の場合もあれ ば、仲介者を介する場合もある) 。 大多数の市民が貧しい生活を送っ ており、行政府によるインフラ整 備や社会福祉サービスが絶対的に 不足している開発途上国では、国 会議員は国会での政策決定や行政 府の監督等の責務の他に、選挙区 の有権者の生活を支援するための 資金調達の役割を担っている。国 会議員は各自の財源でインフォー マルに選挙区への寄付行為を行い、 選挙区の支持基盤を固めようとし、 結果として、国会議員と有権者の 間に恩顧主義に基づく関係が築か れることが多い。そして、有権者は選挙で、自分より経済・社会的 に 高 い 立 場 に い る( 「 不 平 等 」 な 関係にある)国会議員等の候補者 や政党が、自分に( 「一対一」で) 何をしてくれたかを評価し、その お返しに( 「互恵的」な関係から) 投票するのである。次節では、タ ンザニアを事例に、国会議員と有 権者の間にどのような関係が築か れているかを、恩顧主義の概念を 用いながら説明する。
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タ
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国
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議
員
と
有
権
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関
係
タンザニアでは、一九九二年に 一党制から複数政党制民主主義に 移行した後、国会議員による有権 者への金銭的・物的な支援の慣習 が広がって定着した。議員は選挙 区の有権者から、コミュニティや 個人の抱える問題についての陳情 を絶えず受けており、給与、ビジ ネス、ドナーからの援助等でこれ らの陳情に対応してきた。そのた め、有権者への金銭的・物的な支 援を行うことが国会議員の役割の ひとつであるという認識が広がり、 国会議員と有権者の間に恩顧主義 に 基 づ く 関 係 が 構 築 さ れ て き た。 「 コ ッ プ 一 杯 の 塩 」 に 象 徴 さ れ る 選挙キャンペーン中の買票行為は この延長線上にあるといえよう。 有権者は、いろいろな場所と方 法 で、 国 会 議 員 へ の 陳 情 を 行 う。 タンザニアの国会は、国で最も発 展した東岸のダルエスサラーム市 から四五〇キロ以上離れた首都ド ドマにあり、国会議員はダルエス サラーム、ドドマ、選挙区の間を 行ったり来たりしている。有権者 は陳情のため、選挙区にある国会 議員の自宅はもちろん、国会会期 中にはドドマにも議員に会いに行 く。国会議員の携帯電話に直接電 話したり、ショートメッセージを 送ったりする人も多い。国会議員 の携帯電話番号は国会のウェブサ イトに載っており、一般の人たち が入手するのは難しくない。近年、 アフリカ各国では政治経済状況に 関 す る「 ア フ ロ バ ロ メ ー タ ー」 ( Afrobarometer ) と い う 世 論 調 査 が 行 わ れ て い る が( 参 考 文 献 ② )、 二 〇 一 二 年 に 行 わ れ た ア フ ロバロメーターによると、タンザ ニア人は五人に一人の割合で、過 去一年以内に国会議員に連絡した という。なぜ連絡したかという情 報はないが、有権者にとって国会 議員は決して遠くはない存在であ ることがわかる。 国会議員が受ける陳情の内容は、 個人の学費、医療費、冠婚葬祭へ の寄付、インフラ整備などの団体 の事業への寄付など、多岐にわた っ て い る。 金 銭 的 な 陳 情 の 他 に、 相続に関するトラブルを相談され たり、警察に捕まった人の身元引 受人を依頼されたりすることもあ る。ある議員は私に、 「選挙区では、 私の家は病院であり、交番である。 私 は 医 者 で あ り、 警 察 官 で あ る。 人々は何か問題があれば、まず私 の家に来る」といったが、政府に よる社会福祉サービスが圧倒的に 足りない状況で、国会議員が政府 の 肩 代 わ り を し て い る 面 も あ る。 しかし、この議員によく聞いてみ ると、人々はすぐに治療が必要な 病気や怪我の場合は、親戚などの 身近な人に助けを求め、緊急度の 低い慢性的な病気の治療費や子ど もの学費などを国会議員に頼むこ とが多いようである。有権者は国 会議員と自分の関係を理解したう えで、合理的に行動しているとい うことだろう。 陳情に対する国会議員の対応も 様々である。個人と団体両方への 財政支援を行う議員や、団体の事 業に限って支援を行う議員、資金 の流用を避けるためにできるだけ 現物支給 (たとえば建設資材など) を行う議員もいる。また、議員が 選挙活動の協力者を得るためには 個人支援の方が効果的であるため、 あえて個人支援を行う場合もある。 有権者への支援の資金源は、一 般的には国会議員としての給与と 手当であるが、大多数の議員につ いては、本人あるいは家族がビジ ネスを営んでおり、その収益も活 用している。なかには、銀行から 借金して選挙区の人々を助けてい る議員もいる。また、私財を使う のではなく、議員が国会や中央政 府等での交渉を通じて、地元の事 業向けの政府予算を獲得する場合 もあるし、個人からの陳情につい ては、地方政府や学校や病院に直 接働きかけ、費用を免除してもら う場合もある。 様々な支援の方法があるなかで、 私が調査中に特に興味を持ったの は、有権者を計画的に秩序立てて 支援するための枠組みを作ってい る議員が少なからずいたことだっ た。たとえば、ある議員は、選挙 区内に中高生向けの奨学金制度を 設け、毎年あらかじめ援助する子 どもの基準や数を決めて支援を行 っている。別の議員も、自身と選 挙区の人々が合同で寄付するため の教育基金を作り、それを通じて選挙区の子どもたちの学費援助を 行っているという。 二〇一〇年の選挙当時、選挙区 支援の枠組み作りにもっとも長け ていたのは、与党の若手の政治家、 ジャニュアリ・マカンバ氏だろう。 彼は、自分の選挙区の開発を進め るための会社を立ち上げ、コンサ ルタントを雇って選挙区全体の社 会 経 済 状 況 に 関 す る 調 査 を 行 い、 選 挙 区 の 開 発 戦 略 を 打 ち 出 し た。 そして、その戦略に沿って開発プ ロジェクトを立案し、実施してい る。また、有権者とのコミュニケ ーション促進のために、有権者向 けに携帯電話のショートメッセー ジ送信用のフリーダイヤルを設け た。送られてきたメッセージは社 員がパソコンで管理し、陳情のメ ッセージには返事を送っているそ うである。これはタンザニアでは 画期的なやり方である。 マカンバ氏のような大がかりな やり方は相当な初期投資が必要と なるが、他には、県政府内に選挙 区各地の代表者と会計担当者から 成る「開発委員会」を設置し、全 て の 陳 情 を こ の 委 員 会 で 吟 味 し、 どのように対応したかを記録して いる議員もいる。有権者への支援 の公平性と透明性を確保するため とのことだが、これも秩序立てて 有権者を支援するための枠組みの ひとつといえよう。 そ も そ も タ ン ザ ニ ア で は、 「 鞄 (資金力) 」のある政治家が選挙で 必ず有利なのかというと、必ずし もそうではないようだ。私が調査 していた頃に国会議員を務めてい た有名な大企業の社長は、いくら 選挙区で寄付を行っても有権者は さらに援助を期待してくると嘆い ていた。逆に、裕福ではない政治 家の場合、私財を使った寄付への 有権者の期待は小さく、別の期待 を持つようになると聞いた。ある 議員は、資金がなくても選挙で勝 つことができる、大事なのは選挙 区の開発と選挙についてどのよう な戦略を立てるかであるといった。 要するに、裕福な政治家もそうで ない政治家も、有権者にどのよう な期待を持たせるかというマネジ メント能力が問われるのである。 恩顧主義の観点からすると、国 会議員が有権者からの陳情に、前 述の基金や会社や委員会などの枠 組みを通じて対応するようになる と、 議員と有権者の間には強い 「一 対一」の関係性がなくなり、恩顧 主 義 の 度 合 い は 比 較 的 弱 く な る。 選挙では、有権者は個人的な恩義 からというより、選挙区全体にど のように貢献したかを考えて投票 することになるのではないだろう か。 有権者支援のための枠組みを作 る議員と、有権者の陳情に場当た り的な対応をする議員との間には、 当選回数や国際的な経験の有無な どの違いがあるが、一番大きな違 いは政治家としてのキャリア志向 の違いであるように思われる。と いうのは、国会議員にとって、選 挙区の人々の生活支援は、議席獲 得のためには不可欠だが、政府や 政党内で高い役職に就くためには 十分ではなく、国会や政党内での 競争に勝たなければならないから である。なかには、政府や政党内 での昇進に関心がなく、国会会期 以外はほとんど選挙区にいるとい う地元密着型の議員もいるが、多 くの国会議員にとっては、いかに 選挙区支援を効率化し、自身の政 治キャリアを高めていくための活 動に注力できるかが大事なのであ る。 ここまで述べた国会議員による 有権者の生活支援と、塩や他の物 や金を配布する選挙期間中の買票 行為は別のものだが、それらを完 全に切り離すことは難しい。タン ザニアでは、一九九五年に選挙法 が改定され、国会議員が選挙キャ ンペーン開始前にコミュニティ開 発のための財政支援を行うことが 合法となった。他方で、選挙キャ ンペーン中の候補者や政党から有 権者への贈与は違法である。しか し、これを実際に取り締まるのは 困難である。候補者は選挙期間の 有権者への贈与が違法であると認 識しており、特に都市部では候補 者自らが直接、金や物を配るので はなく、仲介者を通じて表にみえ ない形で行うことも多い。秩序の ある選挙区支援の枠組みを作れば、 選挙期間中に買票行為を行わない かというと、そうとも言い切れな い。しかし、場当たり的な寄付を 繰り返すよりも、枠組みのなかで 支援を行った方が、選挙キャンペ ーン中に選挙区支援の実績をアピ ールしやすい面はあるだろう。 最後に、アフロバロメーターの 分析結果を紹介したい。タンザニ アの国会議員と有権者の関係につ いて、過去数回のアフロバロメー ターを統計分析したところ、国会 議員に対して個人的に金や物を支 援してほしいという期待の大きい、 言い替えると、恩顧主義の志向の 強い有権者ほど、現職の国会議員
に対する不満が大きくなる傾向が みられた(参考文献③) 。これは、 恩顧主義は政治家が選挙で勝つと いう目の前の目標には有効かもし れないが、有権者から息の長い支 持を得るためには必ずしも有効で はないということを意味する。今 後 さ ら な る 調 査 が 必 要 で あ る が、 先行研究や調査で得た情報をもと に考えると、国会議員が個人的に 有権者に金や物を与えると、有権 者の贈与への期待が膨らみ、議員 が個人的に金や物を与え続けなけ れば、有権者を満足させることが できなくなる可能性を示唆してい る。秩序だった有権者支援の枠組 みを作った議員らは、アフロバロ メーターの結果は知らないだろう が、恩顧主義に依存した関係を持 続させるのが難しいことには気づ いているのかもしれない。