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「きのふはけふの物語」から三話

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Academic year: 2021

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(1)Title. 「きのふはけふの物語」から三話. Author(s). 吉見, 孝夫. Citation. 札幌国語研究, 3: 1-6. Issue Date. 1998. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/2612. Rights. 本文ファイルはNIIから提供されたものである。. Hokkaido University of Education.

(2) ﹃きのふはけふの物語﹄から三話. 前口上. 書. 孝. ・大束急記念文庫蔵古活字十一行本︵﹃大東急記念文庫善本叢 刊﹄による︶. うぢ殿よ﹂。. るゝ﹂といふ。﹁なぜに﹂﹁先、鳥丸殿、鷲の尾殿、鷹司殿、 猪熊殿、此分じや﹂﹁いや、まだある﹂﹁たれぞ﹂﹁までのこ. 又ある者申やう、﹁公家衆は、鳥けだものゝ名をつかせら. 初めに日本古典文学大系に拠って、本文を載せよう。︵注2︶. 拾遺第一韓︵注1︶. 小論は、近世初期の噺本ぎのうふはけふの物語﹄から三静 ・静嘉堂文庫蔵写本︵マイクロフィルムによる︶ を選び、それについて筆者なりの読みを捷示するものである。 [注釈書︼ 従来の解釈に大きく変更を迫るというものではないが、いささ・日本古典文学大系﹃江戸笑話集L ︵小高敏郎校注︶ ・東洋文庫r昨日は今日の物語﹄ ︵武藤禎夫訳︶ かの問題提起が果たせれば、目的は適せられる。 本文、注釈書は次のものを利用した。 [本文]. ・天理図書館蔵古活字十行本︵﹃噺本大系第一巻﹄による︶ ・刈谷市立図書館蔵古活字八行本︵﹃噺本大系第一巻﹄による︶ ・東京都立中央図書館加賀文庫蔵整版九行本︵﹃噺本大系第一 巻﹄による ︶. ・学習院大学蔵写本︵﹃噺本大系第l巻一による︶. ・大英図書館蔵古活字十行本︵勉誠社文庫ぎのふはけふの物 語一による ︶. ある者が公家の名には動物の名を付けたのが多いと、﹁鳥丸﹂. 1.

(3) ﹁常尾﹂﹁鷹司﹂﹁猪熊﹂などを挙げる。すると、聞いていた者が、 天理図書館本. を加えている。. 最む小路をこうしと思ふて。京にもゐ中とはこれらをさ. まだあるといって﹁万里小路﹂を挙げる。ここで当時の読者で あれば笑いを誘われるのであろうが、現代の私たちにはわかり. してか。. ﹁万里小路﹂には動物名が含まれている。. 最も小路をこうしと心得て. 大英博物館本. かくに、さしてたものかはるい、人がわらふ。. これも小路殿をこうしと思ひ。みやこにも又いなか人と. 学習院大学本. にくい話である。 これが笑話として成立するには﹁万里小路﹂が次の条件を備 ① しかし、それは﹁鳥丸﹂﹁鷲尾﹂﹁鷹司﹂﹁猪熊﹂とは異なっ. えていなければならない。 ② て、正統的な形で含まれているわけではない。. 以上のように、﹃きのふはけふの物語﹄の諸本自体﹁マデノ﹂. を﹁馬での﹂とは解していないのである。確かに﹁小路﹂を﹁小. 今の読者の多くは、①が理解できない、つまりどのような動 物名がここに入っているのか、想像できない。では、﹁万里小路﹂. 牛﹂と取り違えるだけで十分に話は成り立つのであり、無理に. ﹁馬﹂を引っ張りだす必要はない。. には何がこめられているのか。注釈書を見よう。 大系本の頭注には﹁万里小路︵までのこうじ︶を、文盲故、﹃馬. 次にBについて。結論をいえば、﹁小路﹂と﹁小牛﹂の取り. 違えはあり得る。ただ、注釈書の説明だけではそれは理解しが. での小牛bと考えた﹂とある。また東洋文庫本は﹁万里小路を﹃馬. での小牛﹄と間違えたサゲ﹂と説明する。つまり、この公家名. ﹁小路︵コウヂ︶﹂と﹁小牛︵現代の読者は当然﹁コウシ﹂. たいであろう。. ①は了解されるし、表記自体に動物名が付いている﹁鳥丸﹂な. と読むだろう︶﹂とでは余りに発音がかけ離れており、取り違. には﹁馬﹂と﹁牛﹂が入っているというわけである。それならば、 どとは違うとヤっこと、つまり②も理解できる。しかし、いく. えようもないように思われる。実は﹁小牛﹂は当時は﹁コウジ﹂. 憤. ︵小牛︶小牛︵¶日葡辞書﹄﹃邦訳日葡辞書一に. ︵﹃文明本節用集﹄﹃易林本節用集﹄︶. コウジ. ょる。以下同じ︶. CO喜.コウジ. であった。その証を手近にある古辞書類から挙げておく。この. っか気にかかる点が残る。そのうち今は次の二点を問題にした ヽ’O. 事実を知るならば、問題はほとんど氷解する。︵注3︶. 無知にしろ間違いにしろ、﹁小路﹂と﹁小牛﹂を取り違え. LY A ここに﹁馬﹂がふくまれているのか。 B. るということがあり得るのか。 まずAについて。実はいくつかの本文はこの話の末尾に説明. 2.

(4) 出レ字 ︵﹃章育字考節用集﹄︶. コウジ牛子。 塘 コウジ聴小 頓 牛也 ︵ 勺 節 用 集 大 全 ﹄ ︶. ﹁牛﹂を後部要素としてもつ複合語で ﹁⋮⋮ウジ﹂となるの ︵注4︶. ﹃観智院本類衆名義抄b︶. ︵﹁アメウシ﹂の﹁シ﹂に濁声点. は他にもある。その例をいくつか示そう。. アメマタラ. アメウシ. アカウジ・アメウジ. 黄牛. A日e邑.−.Aca阜アメウジ、または、アカウジ︵貴牛、または、. 赤牛︶金茶色、あるいは、赤茶色の牝牛や牡牛。︵r日葡 辞書L︶. 貴牛︵’和漠通用集﹄︶. ﹃黒 本 本 節 用 集 L ︶. 軒弔︵支明本節用集㌔弘治二年本節用集㌔饅頭崖本節用集﹄. あめうじ. ハ ナ キ レ ウジ Fanaqire古﹂鼻切れ牛︶解き放された牛、すなわち、つな ぎとめていた鼻づらの先端︵鼻木のはまっている所︶が 切れた牛のように、自由に勝手気ままにしている人。︵百 葡辞書L rFana︵鼻・沸︶﹂の項︶. メウジ Me阜メウジ︵牝牛︶ 牝牛。︵百葡辞書﹄︶ 特. ︵﹁饅頭崖本節用集L︶. メサジ. メ▲ソジ. 牡牛︵﹃易林本節用集ヒ. 辞. メウジ 淳メ. 牝牛也. ○出レ面︵﹃章音字考節用集ヒ. 以上のことはことごとしく取り上げるまでもないことではあ るが、注釈書が﹁コウジ﹂に全然触れていないのは不親切である ついでをもって言えば、証拠力は弱いが次のなぞなぞの﹁黒 牛﹂も﹁タロウジ﹂と読むのだと考える。 し、かへる 黒牛. ︵宝永三年︵一七〇六︶刊﹃御所なぞの本﹄︶ ︵注5︶. ﹁獅子帰る﹂というなぞなぞの答えが﹁黒牛﹂だというので ある。なぜそうなるかの説明は何もないが、中近世の解き方か ら推して次のように考えられる。﹁御子﹂は﹁四四﹂で﹁十大﹂ ﹁帰る﹂は音や文字を転倒させる意に解するのが中近世の定石。. したがって、﹁十六﹂っまり﹁じうろく﹂︵歴史的仮名遣いでは﹁じ. ふろく﹂だが、ここではそれに捉われてはいない︶をひつくり. 返して﹁くろうじ﹂となるわけである。 第七結. これも大系の本文をまず示そう。. ね侯ほどに、中辛ぢや﹂。. と問へば、﹁下のをならやにゐた﹂と云。﹁をならやとは、人 をうつけにするか。臭ひことを云﹂と音ゑば、﹁ゐ所をたづ. 草履取をおかうとて、六角堂へ行き尋ねければ、若き男ま かりいで、﹁奉公いたそう﹂といふ。﹁今までは何方にゐたるぞ﹂. 3.

(5) 草履取り︵注6︶を募ったところ、若い男が応募する。今ま ではどこにいたか尋ねると、﹁下京の︵お︶奈良屋﹂と答えた。﹁お. けが必要になってくる。この場合は﹁雇い主との初の面接﹂と. いう場面設定が、その仕掛けになっているわけである。︵注7︶. 音の意図としては﹁下の奈良屋﹂であったと考えたらどうなる. 本文は﹁下のをならや﹂とある。ここを許し手=若い男の発. ならやとはけしからん﹂ととがめると、﹁居所を尋ねられたか 以上のように、武藤の解釈は適切であり、積極的に反対する ら答えたまで﹂と応じたという話。 理由は見つからない。ただここにもう一つの解の可能性を凍示 この話のおかしさは、若い男の返答がことごとく下がかってしておきたい。 聞こえるところにある。﹁下=下半身﹂﹁おなら﹂と続いたとこ ろで最後に﹁居所=尻︵尻のことを﹁いどころ﹂という︶﹂と. いふ⋮⋮. 止めをさし、どっと笑いを誘う。﹁下京﹂と﹁下半身﹂、﹁奈か良 。屋 ﹁﹂ 奈良屋﹂の直前は﹁の﹂とオ列音である。したがって、﹁シ と﹁おなら﹂、﹁住所﹂と﹁尻﹂、というこの二重性が巧みにモ組 ノナラヤ﹂︵﹁ノ﹂の発音が延びたと解してもよい︶を﹁シモ み合わされてこの笑話は出来上がっている。確認しておきたいノオナラヤ﹂と開きなすことはあり得る。つまり聞き手側の聞 のは、男はあくまで真面目に対応しているのである。その真面 き誤りと解するわけである。 目さと下がかりとの落差が滑稽味を増すのである。 ただし、原文で直前がオ列音になっていない次の二本には、 ところで気にかかるのは﹁をならや﹂。なぜ、男は﹁奈良屋こ ﹂の解釈はあてはまらない。 に接頭辞﹁御﹂を付けるのか。無論ここで﹁御﹂を付けなけれ 天理図書館本 ば笑話が成立しないのだが、通常、屋号に﹁御﹂を付けること ⋮⋮いままてとこにいたととへは、おならやにいましたと. はしない。. この問題については武藤禎夫が東洋文庫本で﹁雇い主との初大英図書館本 の面接なので、使いなれない敬語を使って、以前の勤め先であ ⋮⋮今まてはいつかたにゐたそととへはおならやにゐまし る奈良屋を、お奈良屋といい﹂と説明している。こういうこと たといふ︰︰︰ なら、誰しも経験がある。緊張の余り、自分に尊敬語を使ったり な、 お、学習院大学蔵写本はこの静を載せない。 逆に聞き手に謙譲語を使ったりといった敬語にまつわる失敗は 日常的に起こる。こう解するならば話の展開にも無理がない。 第十六話 ここは何としても﹁御奈良屋﹂と言わせなければ、話が先に進 大系の本文を示す。 まない。そのためにはスムーズに﹁御奈良屋﹂と言わせる仕掛 定家の卿の弟きやうがく坊、事の外不弁、某年のくれに走. 4.

(6) 家の卿へ読つかはれける。 きやうがくが師走のはてのからいんじ年うちこさん石ひとつ たべ. 加賀文庫本 いし ⋮⋮石ひとつたべ. ⋮⋮石をふたつにわりてこそやれ 大英国書館本 ⋮⋮石ひとつたへ. 返し、 定家が力のほどを見せんとて石を二つにわりてこそやれ. ⋮⋮石をふたつにわりてこそやれ. ⋮⋮いしをふたつにわりてこそやれ. ⋮⋮石ひとつたへ. 大束急記念文庫本. 此返歌に、米一俵そへて、つかはれけるとぞ。 不弁︵=貧乏︶をかこつきやうがく坊が兄定家へ米を乞う歌 と定家の返歌のやりとり。﹁からいんぢ﹂は印地打ち︵=石合戦︶. 静嘉堂文庫本 ⋮⋮石ひとつたべ. で石一つもないことを言っている。﹁石ひとつたべ﹂は印地打 ちの石にかけて米一石︵十斗︶を無心する。返歌は、一石の半. ⋮⋮石をふたつにわりてこそやれ. これをみると、きやうがく坊の歌ではすべて﹁石﹂と漢字表. 分五斗をあげようという主旨。当時は一俵は五斗入りだったと. いう。. 記であるが、加賀文庫本の振り仮名によって﹁イシ﹂と読むべ. きことになる。また定家の返歌では、天理本、大東急記念文庫. 二首の歌の眼目は、﹁石﹂を鉱物の﹁いし﹂と容量の単位の﹁こ く﹂とにかけているところにある。それではこの二首の﹁石﹂. 本の仮名表記によって﹁イシ﹂と読むべきことが確認される。︵注. これで読みは確定したようだが、果たしてそれでよいか、き. 8︶. はどう読むべきなのだろうか。﹁いし﹂なのか﹁こく﹂なのか。 諸本の表記を見よう。この話を載せない学習院大学写本以外 では次のようになっている。. やうがく坊の歌は、印地打ちとのつながりでは当然﹁イシ﹂と. 読むべきこととなる。しかし﹁イシ一つたべ﹂では米の無心に. 天理図書館本 ⋮⋮石ひとつたへ. はならないだろう。また﹁コクーつたべ﹂では印地打ちとのつ. 本のように﹁イシ﹂と読んでは、次の米一俵とつながらない。. 同様のことが定家の歌にもいえる。天理本や大東急記念文庫. ながりが消えてしま、丁。. ⋮⋮いしをふたつにわりてこそやれ 刈谷図書館本 ⋮⋮石ひとつたへ ⋮⋮石をふたつにわりてこそやれ. 5.

(7) また﹁コク﹂と読んでは印地打ちとの関連がなくなる。要する の機能が. にこの二首は﹁石﹂の読みをどちらかに確定してしまっては掛 詞︵今開港にしている事柄を仮にこう呼んでおこう︶ 損なわれてしまう。二様に読まれて初めて歌として活きるので ある。通常の掛詞が仮名文字のレベルでの二重性に基づいてい. 4. 第二b. ︵国書刊行会一九一五年︶. による。. ﹁唐牛﹂と書いて﹁カロウジ﹂と読む姓のことも思い合わ. される。 ﹃雑芸叢書. この﹁草履取り﹂が﹁小草履取り﹂︵﹁草履取り﹂の名目で. 抱えられた男色相手︶だとすると、一層静は面白くなる。. の次の類語は﹁御奈良屋﹂とい. うべき必然性がなく、無理な展開となっている。. この点で﹃寒川入道筆記L. 機能に着目した藻字のレベルでの掛詞といえる。﹁石﹂という. 一京の六尺共、二八月ノ出かハりに、よりあひて、此さき. 7. 藻字を通して二重性が確保されるのであるから、藻字表記が本. の季に、そちハ何方にゐたそト間フ。おれハニ粂のをなら屋. るのに対し、これは多様な読みをもつ、日本語における湊字の. 来の形であったろうと推定する。. とハいハひで、おならやのおノ字ハ何事そトいへハ、おの字. にゐたトいふ。さてくくさひ事を云、ならやならはならや. 式になっているなかで、これは短歌という善かれたもののやり. をつけたがそれほとはらがたつならハ、をれがゐ所をとうて. の笑話が多く複数の人物の会話形. とりとなっている。ここの﹁石﹂の二重性は口頭では表現でき. ようハトいふた。さてくよくをりやうたる対の。︵﹃噺本大. ﹃きのうふはけふの物語L. ない、書記されてこそ顕在化する体のものであることに注意し. 系. 第一巻Lによる︶. ておきたい。. ﹃醒陸笑︼巻八第三詰も﹃寒川入道筆記しと同様。. は次のように漢字表記である。. 広本系﹃醍睡笑一にも類語があるが、静嘉堂文庫蔵写本で. 各藩の番号は、日本古典文学大系に従う。. 敦月かしはすのはてのそら印地年打こさん石一ツたへ. 8. 1. 引用に当たっては振り仮名は適宜省く。. ︵注︶. 2. 本文箱﹄一九八二年. 定家か力の程を見せんとて石引わけてなからこそやれ 笠間書院による︶. 静嘉堂文庫蔵. ここに﹁ほとんど﹂という限定をつけたのは次の理由によ. 三月. ︵岩淵匡他編﹃醍睡笑. 3. る。﹁小路︵コウジ︶﹂と﹁小牛︵コウシ︶﹂とでは四つ仮名. の相違がある。また、﹁小路﹂の﹁コウ﹂は長音となってい たであろうが、﹁小牛﹂の﹁コウ﹂は割る発音だったと思わ れる。こういった差異をどう考えるべきかという問題が残る が 、 小 論 では今は立ち入らない。. 6.

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