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ファジー意味論Ⅱ

Fuzzy Semantics Ⅱ

仲 本 康一郎(山梨大学)

*

Koichiro NAKAMOTO

5.日本語と曖昧性  西洋の言語と比べて日本語は曖昧であると言われる。「言わぬが花」の警句にもあるとおり、以心伝 心こそが意思疎通の醍醐味であり、日本語ではすべてを言葉にせずとも相手に察してもらうことでコ ミュニケーションを成立させるという傾向がある。例えば、「すみません、今晩はちょっと…」といえば、 相手は話し手の意図を察して、「そうですか。ではまた今度。」というかたちで会話が進行する。最後に、 こういった日本語の曖昧性に関わる研究の一端を紹介する。 5.1.日本語の発想:ぼかしの発想  最近の若者ことばでは、「わたし的にいえばぁ…」「明日は試験とかあって」「うーん、ちょっと微妙 かなあ」「いやあ、普通においしかったよ」「それってかわいくなくない」のように、行為の主体や対象、 自分の意見や態度等をぼかす表現が頻繁に用いられる。このような表現は、会話の相手の面子を脅かさ ないと同時に、若者語という集団語的性格により、ほどよい距離感を作り出す効果があるという(国立 国語研究所 2006:115)。  このような輪郭をぼかす表現は、若者語以外にも観察される。例えば、「そこの大根を4、5本下さ い」「この辺でとめて下さい」「お茶でも飲みませんか」のように、はっきりと言えそうな場合でも輪郭

をぼかすことが多い。また、I don’ t like this man. や You can’t say that. を日本語に置き換えると、「こんな

4 4 4 ひとはきらいです」「そんな 4 4 4 ことを言ってはだめ」のように輪郭がはっきりしない言い方になるという (池上 1982:79)。  日本語の輪郭をぼかすという傾向は動詞の用法にも観察される。例えば、「燃やしたけど燃えなかっ

た(*I burned it, but it didn’t burn.)」という文は、英語等では論理的に矛盾するが、日本語では全く自然

である1 。これは日本語の動詞が到達点までを含意しないためであるという(Ikegami 1985、アラム佐々 木 2001)。このような場合、日本語の曖昧性は選択されるものではなく表現上の制約として存在すると いうことになる。  ここから示唆されるのは、日本語の曖昧性は、ポライトネスや帰属意識といった社会言語学的な視点 からのみ説明することは難しいということである。池上(2001)は、こういった日本語の言語現象を広 範に見渡し、日本語は外界を認識する構図として、輪郭を明確にする個体(individual)ではなく、輪 郭をぼかす連続体(continuum)の特徴を備えているとし、日本語の曖昧性を日本語という言語システ ム全体からの要請と位置づけている。 5.2.カテゴリー化する日本語  日本社会の特質として、社会的な関係や場による制約が強いという特徴が挙げられる。例えば、自己 紹介等で自分の名前を言うまえに、学校名や会社名、出身地等に言及するのは、個人よりも所属が重視 されていることを示している。こういった所属意識は、共同体内部にも影響を及ぼし、親と子、夫と妻、 先生と弟子、先輩と後輩、上司と部下等、共同体における立場と役割が明確に意識される傾向がある (Sugiyama Lebra 1976 等)。

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 このような場による人物の規定は、日本語の言語表現にも少なからぬ影響を与えている。例えば、日 本語には社会的な役割や立場に基づく「ふさわしさ」を前提とした相応的価値観とでも呼ぶべき、ステ レオタイプに基づく表現が発達している。例えば、「大人気ない」や「子どもっぽい」といった表現は 特定の年代相と相対的に、また「雄々しい」「女々しい」のようなジェンダーバイアスのかかった表現 は性別と相対的に理想的な姿を前提とした表現といえる。  また、日本語には、論理的明晰さよりも情緒的共感を重視した「さすが」「やはり」「所詮」「なまじ」 「どうせ」といった表現があるが、これらの表現を使用する際も何らかの理想が前提とされる(板坂 1971、森田 1998、渡辺 2001)。例えば、「さすが帰国子女だよね」「所詮契約社員だから」という曖昧な 表現で、「英語が上手い」「昇進は見込めない」のような理解が成立する。これは肩書から相応の属性が 社会通念として連想されるためであろう。  さらに、社会的な関係や場の拘束力は、日常的な言語使用にも影響を与えている。例えば、妻が夫の 同僚に会ったときは、「主人がいつもお世話になっております」と言い、上司を訪れるときはかならず 「つまらないものですが、どうぞ召し上がってください」とお土産を渡すことになっている(Matsumoto 1988)。ここには自主的な選択の余地はない。井出(2006)はこういった言語選択を英米圏とは異なる「わ きまえ(discernment)」と呼んでいる。 5.3.聞き手配慮と「ちょっと」2  日本語は相手の状態を気遣う表現をよく用いる。「さぞお疲れでしょう」「お忙しいところを」といっ た表現は、そのまま英語に直訳すると本意がいぶかられる。こういった相手への言語的な配慮を表わす 表現を「配慮表現」と呼ぶ。配慮表現は、一般に「対人的コミュニケーションにおいて、相手との対人 関係をなるべく良好に保つことを配慮して用いられる言語表現」と定義されている(国立国語研究所 2006、山岡・牧原・小野 2010)。  ここでは日本語研究で最もよく言及される配慮表現として「ちょっと」に注目する。「ちょっと」は、 「ちょっと飲みました」のようにものの数量を表わす用法、「ちょっと疲れました」のように程度を表わ す用法を基本とする。これらの用法では、「ちょっと」は数量副詞「たくさん」「たっぷり」や、程度副 詞「とても」「かなり」等の語と対義語を形成し、「少量」「小程度」を意味する。これに対して、以下 の用法では「とても」「かなり」等の程度副詞と共起しない。   (15) a.ちょっと来てもらえますか b.ちょっとわかりません c.今晩はちょっと…(無理ですね)  このような用法は、最初に日本語を外国語として学ぶ人を惑わすという(彭飛 1990)。では、これら の用法では何をもって少量と認識しているのだろうか。Matsumoto(2001)によれば、これらの表現で は「ちょっと」は命題内容を修飾しているのではなく、発話行為という高次の抽象的な事象を修飾して いるという。この場合、依頼や陳謝、断りといった相手に負担をかける行為の無礼さや唐突さを緩和す るという機能を果たすという。  このことは、「この本はちょっと面白いですね」よりも、「この本はちょっとつまらないね」のような 否定文脈のほうが自然であること(Cf. 阿部 2006)3 、また「太郎君はちょっと背が高いですね」のよう な中立表現とはなじまないということとも両立するもので、こういった事実も考慮に入れるならば、今 後は「ちょっと」のみを特別に扱うのではなく、何らかの語用論的原則によって包括的に説明していく 必要があるといえる4 。

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5.4.日本語の共話と言いさし文  日本語は、ある発話者が言葉を最後まで言い尽くさずとも、途中から聞き手の推論能力に委ね、相手 に発話意図を予測してもらうことで会話を成立させていくという共同的な特徴を持っている。例えば、 先に見た「今晩はちょっと…」という発話の途中で、会話の相手が「ああ無理ですか」と意図をくみとっ て理解してくれるということがある。また出発する時分に言う「じゃそろそろ…」という発話の途中 で、「出かけましょうか」と応じてもらうという場合もあろう。  このように日本語の会話は、発話者が単独で言葉を述べ尽くすのではなく、会話の相手と共同で文を 作り上げていくという性格を持つ。こういった日本語の会話の特徴を「共話」(水谷 1993)、または認 知言語学では「文構築の相互行為性」という(本多 2005)。こういった共話的な補完は、先に見た聞き 手による発話の引き取りや、日本語話者に頻繁に現れるあいづち、従属節で文をとめる言いさし文とし て現れる。  例えば、具体的な言いさし文として次のようなものがある。   (16) a.会議が終わりました

けど

… :聞き手伺い b.ここに置いておきます

から

… :お膳立て c.ご両親に相談してみ

たら

… :勧め d.気分転換にもなる

さあ… :命題の併存 e.結構なものを頂戴しまし

… :事情の説明  これらの言いさし文は、それぞれ右に記したような機能を持つ(白川 2009)。例えば、「会議が終わ りましたけど…」は「どうなさいますか」のような節を、「会議が終わりましたから」は「どうぞご自 由にお使い下さい」といった節を想起させる(ibid.:30)。このようにそれぞれの接続助詞は後続節を明 示していないという意味で曖昧であるが、聞き手をある一定の理解に導き、また内容を補完してもらう ことで文理解を成功させている。  言いさし文は認知言語学では構文文法の枠組みで捉えられる5。大堀(2002:129)は、言いさし文を 中断節(suspended clauses)と呼び、語用論的な文脈が強化されることで構文的意味として慣習化され たという見解をとる。例えば、「私もいい年ですし」という文が理由の解釈をとるのは、もともと並列 - 理由の文脈で慣習化されてきた文が、後続節の不在により並列の意味を満たさず、理由の意味だけを 前景化したと分析される。 5.5.日本語の談話標識  最後に、日本語の曖昧な言語現象として談話標識に注目しておこう。ここまでで見てきたとおり、人 間の言語は、情報価値のある命題内容だけを直截に表現するのではなく、命題内容に対して何らかの心 的態度を添えたり、あるいは情報という観点からは一見無価値に見える談話標識を用いて聞き手を配慮 することもある。例えば、日常的な談話に現れる「あのう」「ええと」「まあ」「なんか」「ていうか」と いった表現はそれ自体具体的な命題内容を持たないといっていい。  これらの談話標識は、「それ自身命題内容を持たず、かつ他の発話との狭義の応答関係・接続関係・ 修飾関係にない、発話の一部分を埋める」フィラーといったかたちで規定されることがある(山根 2002:49)。しかし、こういった規定では各々の談話標識の具体的特徴はわかりにくい。これに対し現在、 談話標識を「心的な情報処理の過程が表情として声に現れたもの(田窪・金水 1997)」とし、その情報 処理過程を分析する新たなアプローチが展開している。  具体的に見てみよう。「ええと」「あのう」という二つの談話標識を用いるとき、発話者はある発言に 対して曖昧に言い淀んでおり、何らかの情報を探索中であることを表明している(定延・田窪 1995)6 。 ただし、これら二つの標識は全く等価ではなく、情報探索における探索の領域が異なるという。例えば、

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先生が遠足に遅れている人について「あと誰が来ていないんだ?」と聞き、どのような応答をするかを 考えてみよう。  まず、「ええと、田中君と太田君です。」と答える場合、発話者は現在の状況を探索しているといえ る。これに対して、「あのう、田中君と太田君です。」のように答える場合、発話者は、会話の相手の状 態を伺っており、この答えで先生は気を悪くしないかしらと案じているといった解釈が成り立つ。加え て「さあ、田中君と太田君ですかね。」のように言えば、投げやりな態度で探索を怠っているといった 解釈になる。このように談話標識は単なる情報の処理を越えて相手への配慮といった効果を持つ7 。  今後はこういった研究が国内外の認知言語学と接点を持ち、総合的な議論が展開されることが期待さ れる。また日常言語はそのすべてがファジー性を備えたシステムともいえ、今後ファジー性に基づく言 語現象のさらなる発掘が期待されると同時に、認知言語学の観点からそこにどのような捉え方が反映さ れているか、コミュニケーション活動としてどのような機能を持つかなど幅広い考察が望まれる。 註 *  山梨大学留学生センター(兼 教育人間科学部言語教育講座)准教授 1 関連性理論では、語彙語用論(lexical pragmatics)として語の意味の縮小と拡大のプロセスが活発に議論されてい る。語彙語用論については、Carston(2002)、東森・吉村(2003)、今井編(2009)等に詳細な解説がある。 2 こういった言語現象は一般に文脈効果(contextual effect)と呼ばれ、認知言語学ではその後フレーム(frame)やパー

スペクティブ(perspective)といった概念によって分析されるようになっている(Fillmore 1982, Dirven et al. 1983)。

意味的な曖昧性には同音語(homophony)と多義語(polysemy)があるが、これらは明確に区分できずどちらかに

分類できない微妙な場合も多い(Geareertz 1993, Tuggy 1993)。

Child の対義語を考えてみれば、parent-child という対立軸と adult-child という対立軸の二つがあることに気づく。

これらはそれぞれ < 子孫モデル > と < 未熟モデル > に対応する。

同様の研究としては、このほかにold の多義構造(Taylor 1992)、clear の意味拡張(進藤 2008)、形容詞の副詞的

用法(早瀬 2008)、転移修飾語(西村 2002、篠原 2002、木原 2009)等が、認知言語学を基盤にした研究として注目 される。 6 「昭和な街角」「ニューヨークなレストラン」など、固有名詞に「ナ」を付与し、形容詞化する興味深い表現もあ る(森 2012:49)。 7 「時刻や日程、位置や場所を曖昧にする表現として「頃」「辺り」がある。また「辺り」は「山田君あたり」のよ うに選択肢として例を挙げる場合にも用いられる。 8 「そろそろ」「ぼちぼち」等はある時間や事態への近似を表わす(池田 2000、仲本 2008)。 9 近似値副詞は、到達点への距離により「半分」「ほとんど」「完全に」等が使い分けられる(佐野 1999:43、Sadock 1981、Heine 1994)。また到達前の不充分な状態を表わす表現として、「半煮え」「半人前」や「生焼け」「生半可」と いった中間値を表わす表現がある(有光 2011:140)。 10 認識的モダリティと等価な内容を表わす概念として、「怪しい」「疑わしい」「危ない」「くさい」「微妙だ」といっ た形容詞がある。これらの形容詞は、発話者の命題内容に対する曖昧な態度を、命題内容が備えている性質という かたちで表現する(籾山 1998)。

11 英語の場合も、He may be a professor, but he is an idiot. のような言い方があり、相手の意見も認めながら自己の主張

を行なうときに用いる(Sweester 1990:70)。

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日本語では、「望みは薄い」「疑いが濃い」「先行き不透明」といったかたちで出来事の成立可能性を表わす。こ

れらの表現では視覚的な経験基盤のもと見えの濃淡が可能性へ拡張されている(鍋島 2011:233)。

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これらの問題意識は、Fraser(1975)のヘッジ遂行文(hedged performative)、Brown and Levinson(1979)のポライ トネス研究を経て、Itani(1996)の関連性理論によるヘッジ表現の分析へ継承される。

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日本語でも「日本の医療制度は間違っていると思う」「事業計画が何よりも大事だと思う」のように、自己の意見 を緩和するために思考動詞が用いられる(森山 1992、浅野 1996、佐々木 2000)。

15 I {think, believe, guess, suspect, …} のような動詞は、統語的に比較的自由な位置に現れることから、挿入動詞

(parenthetical verbs)と呼ばれる(Huebler 1983:114)。 16 日本語では、「かさを持ってきてくれるとうれしいな」「手伝ってもらえると大変助かります」のように条件表現 と感情表現の組合せによる表現が発達している(山岡・牧原・小野 2010:157)。 17 小田(1988)に社会言語学の観点から見たヘッジの機能に関する手際のよいまとめがある。 18

同様に、*A cow is sort of a bird. のような表現が成立しないように、完全に成員として認められない事例はこのよう な形式に現れることはない。

19 Fake gun と false teeth の違いは、前者が相手をだます目的で作成されており、最も重要な機能を持たないのに対し

て、後者は材質が異なる義歯として役立つことを目的に作成されているといった違いがある(Taylor 2003:152)。 20 この文はカテゴリーへの帰属性が疑い得ないことを述べている。 21 「いい」は、「いい大人がなさけない」に対して、「いい大人が素晴らしい」のような言い方ができないといった構 文的な制約を持つ。また「いい」に関しては、林(2007)が「コーヒーでいい」が「コーヒーがいい」に対して持 つ曖昧なスタンスについて論じている。 22 中村(2005)や奥田(2008)等は、最近のネット上の使用例から、「イケメンすぎる」「名探偵すぎる」「名古屋す ぎる」のような事例を挙げている。 23 尾谷(2006)は「~ぼい」の意味拡張を考察しており、「ほこりっぽい」「大人っぽい」「忘れっぽい」のような典 型的表現から、最近は「もうイベントは終わってるっぽい」のような命題を修飾する用法まで拡張していると述べ ている。 24

反対に、英語では移動動詞は到達点を含意するため、Nakata kicked the ball into the goal. という表現が自然である

が、日本語では「中田選手はボールをゴールに蹴った」といった翻訳文はやや不自然になるという現象もある(影 山 2002)。 25 現在、配慮としての「ちょっと」の機能は、広く具体的な談話文脈のなかでの機能として議論されており、依頼 や質問、断りや不満等の相手へ負担を発生させる発話行為だけでなく、ターン獲得やフィラー等、談話管理の観点 からも分析が進められている(牧原 2001 等)。 26 ただし、最近は「ちょっとオシャレなお店」のような用法もある。また最近の若者語である「微妙に」「普通に」 等もファジー概念として興味深い性質をもつ。 27 Jurafsky (1996)は、文法化や意味変化という観点から diminutive(少量性)の概念が歴史的にどう拡張するかを考 察している。また高水(2001)は、「少し」や「ちょっと」のような表現は、数量領域から程度領域へと意味拡張し たとする分析を行っている。 28 言いさし文については、その他にも、関連性理論(Itani 1996)、文法化(Iguchi 1998)、談話分析(永田 2001)、談

話分析と文法化(Nakayama and Nakayama 1997)主体化(尾谷 2005)、構文文法(横森 2006)等による多角的な研究 が進められている。 29 その他に「まあ」(富樫 2002)「なんか」(大工原 2009)等の分析がある、また「なんか」については会話分析に よる鈴木(2000)等と、その方法論を比較してみると面白い。 30 ここで前提とされているのは、言語の本質を意味表示とするソシュールの言語観ではなく、時枝誠記の提唱した 言語をプロセスとみなす言語過程説であろう。このような異なる言語観に立つとき、言語現象もこれまでと全く違 う側面を見せ始める(定延 1997)。

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