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国内紛争に対する国際社会の対応の違い

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はじめに

冷戦終結後、民族や人種、宗教などの違いがもたらすとされる内戦や地域紛争が表面化 し、これに対し、安全保障理事会を軸に国際社会は対応を行ってきた。しかし、対応の仕 方は紛争ごとにまちまちで、軍事力を用いて介入する場合もあれば、非人道的行為が起き たにもかかわらず傍観する場合もあった。

こうした差が生じる理由は、紛争国国内の実情や、紛争が国際社会に及ぼす影響、対応 国側の国益などにあるのではないか。そこで本論文は、以下の構成に沿って冷戦終結以後 の国内紛争に対する介入事例を比較検討しながら考察を行う。

第1章では前提となる国内紛争の定義や特徴を整理し、今回の論文で取り上げる事例の 選び方、比較の観点を示す。

第2章では人道的介入の概念を説明し、その概念の発達と同時期に起きた国内紛争の事 例を取り上げる。

第3章では保護する責任の概念が生まれた経緯や、主権概念の変化について論じた上 で、保護する責任の概念に基づいて行われた介入の事例や、同時期にもかかわらず介入が 行われなかった事例を取り上げる。

第4章では、第2章と第3章で取り上げた事例を比較し、考察を述べる。

1 国内紛争

1 国内紛争とは

Jeffry A. Friedenによると、国内紛争とは一国内で組織化されたアクター間の武力衝突

国内紛争に対する国際社会の対応の違い

山 田 優 花

* 社会科学総合学術院 奥迫元准教授の指導の下に作成された。

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である。少なくとも1000人の死者数を生み、双方から攻撃が行われているものを指す。

国内紛争の構図としては、政府・反政府組織間の紛争や、有効な政府が存在しない国家で の複数グループ間の紛争が挙げられる。

2 国内紛争が起こる原因

国内紛争の原因に関し、Paul Collierらは貪欲説を唱える。彼によると、資金や軍事力 など紛争に必要な資源を確保しやすい環境下では紛争が起こるリスクが高まる。具体的に は、一次産品への依存や、大規模なディアスポラの存在、低所得、人口の分散をもたらす 地形などが要因に挙げられる。

対して、Frances Stewartは憤懣説を採る。彼は、異なる民族や宗教、社会カーストな どが存在する国で、集団間に政治、経済、社会的に不平等が存在する場合に紛争が起きや すくなると論ずる。例えば収入や雇用機会、教育や福祉サービスへのアクセス、政府要 職、政治への参加権などの不平等が項目に挙げられる。

さらに笹岡は、ユースバルジや、水や土地などの資源の人口増加による窮乏化などを要 因として強調する。(笹岡,2008)

3 国際社会が対応すべき理由

国内で起きる紛争に国際社会が対応すべき第一の理由は、大量虐殺などの非人道的行為 を国際社会は見過ごすべきではないからである。これは、第二次世界大戦後のニュルンベ ルク裁判で、ナチスドイツが行ったホロコーストが「人道に対する罪」として裁かれたこ とに端を発する。(最上,2001)

第二は、破綻国家など国家が実質的に紛争解決能力を欠く場合、代わりに国際社会が対 処する必要があるためである。例えば1991年に無政府状態のソマリアで内戦が起きたと き、国連とアメリカ主導のNATOによる介入が行われた。

第三に、国内紛争は周辺の国・地域に多大な影響を及ぼすためである。Friedenによる と、一般的に国内紛争は市民を巻き込むため、多くの難民を生み、地域の秩序や安全保障 を不安定化させる一因となる。(Frieden, 2015)

4 比較の方法と事例の選び方

事例の考察に移る前に、ここで扱う事例と、比較の観点を示す。

国際社会の介入は、介入の根拠となる概念から二つに分類できる。1990年代に試みら れた人道的介入と、2001年にICISSが提唱した「保護する責任」だ。本論文は1990年代 と2000年代以降に起きた国内紛争を三つずつ取り上げる(人道的介入の概念の下ではボ スニア、ルワンダ、コソボ、保護する責任の概念の下ではリビア、コートジボワール、シ

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リア)。

比較に際しては、紛争の構図や、人道的危機の程度、介入の流れ、介入開始から武力行 使が行われるまでの期間、介入の主体、介入主体への影響や国益、介入主体以外の国々の 反応や国益、紛争国の介入に対する反応の8点に着目し、考察を行なう。

2 人道的介入

1 人道的介入とは

饗場によると人道的介入とは、「ある主権国家内で、その国民が著しい人道上の危機に ある場合、国際機構、または他の国家(群)が、人道的な動機、目的で、武力を使用して 強制的に、その危機の解消を図ろうとする、一連の行動」である。(饗場,1998)

人道的介入が脚光を浴びるようになったのは1990年代である。冷戦終結以降多発した 国内紛争において深刻な人権侵害や人道法違反が発生し、人道的関心が高まったためだ。

福富は1992年にガリ国連事務総長が発表した「平和の課題」を、国連が紛争解決や平和 構築に積極的に関与しようとする方針の変化の現れとしている。(福富,2013)

また、国連憲章には内政不干渉原則と武力不行使原則が規定されているが、近年では人 道的介入は同憲章第7章に則る強制措置として例外的に認められている。小松によると、

まず安保理が平和に対する脅威を認知し、必要に応じて第7章41条で認められた経済制 裁などの非軍事的措置か、42条で認められた軍事的措置かを決定し、介入が行われる。

(小松,2014)

2 事例比較  (1)ボスニア

旧ユーゴスラビアで起こった紛争の中でもとりわけ大規模な紛争となったのが、ボスニ ア紛争だ。紛争の構図はムスリム人、セルビア人、クロアチア人の三民族の争いであり、

それぞれの勢力に対し外部から支援が行われた。1992年6月20日にボスニア政府が戦争 状態にあることを発表した時点で7000人以上が死亡し、100万人以上の難民が発生して いたことから、大規模な人道的危機が起きていたことがうかがえる。

介入は主に国連保護軍(UNPROFOR)に多くの兵員を送っていたイギリスとフラン ス、NATOを率いるアメリカにより行われた。介入の当初は三民族を仲裁する形であっ たが、紛争の長期化に伴い、セルビア人勢力との戦いへと変化した。UNPROFORは1992 年6月より人道援助活動支援を担っていた。NATOは1992年8月の安保理決議以来、段 階的に「平和強制」のための武力行使が認められていたが、積極的に空爆を行うことはな かった。1995年7月に安全地域に指定されUNPROFORが保護していたスレブレニツァ

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で約7000名のムスリム人虐殺が起きたのを契機に、NATOは本格的空爆を開始した。(小 松,2014)空爆開始から約2週間後に空爆を停止し、外交交渉の結果、11月21日にデイト ン合意が成立し、約4年にわたる紛争が終結した。死者は20万人、難民は200万人に及 んだ。

介入主体となった国々には、人道的関心以外の思惑があった。饗場は、欧州諸国は歴史 的にも地政学的にもバルカンと関連が深い上、難民流入などの直接的な影響を被るため当 初から地上兵を送っていたが、アメリカは死活的な利益がかかっていないため地上兵を送 らなかったと指摘している。(饗場,1998)一方小松は、ヨーロッパで起きた紛争をNATO が抑えることができないとNATOの信頼性が揺らいでしまうため、欧米諸国は人道的理 由に加え、安全保障上の理由から介入を行ったのではないかとしている。(小松,2014)

その他の国々の反応としては、ロシアは歴史的、地政学的理由からセルビア人勢力側に 立ち、空爆に反対はするものの、最終的には黙認した。(小松,2014)また、武力行使を認 める安保理決議を中国は何度も棄権したが、紛争の激化に伴い、1993年6月の安保理決 議836には賛成した。(河原,2012)

 (2)ルワンダ

ルワンダでは、1993年8月にフツ族とツチ族との間で和平合意が成立し、10月には国 連PKOであるUNAMIRが派遣された。しかし、1994年4月6日にハビャリマナ大統領 が乗った飛行機が何者かに撃墜され、これをきっかけにフツ族過激派によるツチ族虐殺が 始まった。

紛争の構図は、フツ族過激派・フツ族主導のルワンダ政府とツチ族主体のRPF(ルワ ンダ愛国戦線)による争いである。フツ族過激派は、同じフツ族でも反政府の立場をとる 要人や、穏健派も攻撃した。饗場によると、虐殺は驚異的なスピードで進み、開始からわ ずか2週間で25万人が犠牲となり、RPFが首都を制圧し、新政権を樹立させた1994年7 月までの3ヶ月間で約80万人が犠牲になった。(饗場,2006)

これに対し国際社会は傍観するばかりであった。ジェノサイド開始当初、停戦監視や総 選挙までの暫定政府の支援を担うUNAMIRが展開していたが、約2500名と小規模で、

人道的緊急事態に対応できるほどの装備も経験もなかった。(最上,2001)撃墜事件の翌日 4月7日にベルギー軍のUNAMIR兵士10人が虐殺され、13日にはベルギー隊約400名 の撤退が決定した。21日にはUNAMIR要員の270人削減が安保理決議で決定する。その 後5月17日に虐殺を食い止めるためにUNAMIRを5500名まで増強する決議がなされた ものの、6月19日の時点で503名しか確保できていなかった。そうした中フランス軍を 中心とした多国籍軍の派遣が提案され、6月22日に憲章7章下で強制力を付与する安保 理決議が採択される。多国籍軍の活動開始時にはすでにジェノサイドは終息しつつあり、

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難民支援には効果があっても、ジェノサイドの阻止という点では完全に時期を逸してい た。(長,2009)

なぜ大規模な殺戮が行われているにもかかわらず、国際社会は積極的な介入を行わなか ったのであろうか。それには各国の国益が影響している。アメリカは1993年のソマリア 介入の失敗から介入に対し消極的であった。また、長が指摘するように、ジェノサイド発 生後の1994年5月に、クリントン政権は国連のPKOには米国の国益に資する場合のみ 協力するという立場を表明した。同時期のボスニア紛争には介入を行なっていたことから も、アメリカはルワンダに対し国益が関わっていないために介入をしなかったと結論でき る。反対に多国籍軍を主導したフランスは、ジェノサイド発生以前からハビャリマナ政権 を支援しており、ジェノサイド発生後もフツ族過激派に軍事的支援を行なっていたとい う。多国籍軍の目的は難民や避難民のための安全地域の確保、人道物資の供給確保とされ たが、実際の目的は、英語圏のウガンダで訓練を受けたRPFの勝利を防止し、ルワンダ をフランス語圏国家として維持する目論見があったという。(饗場,2006)なお、多国籍軍 に武力行使の権限を与えた安保理決議にはロシアを含む10カ国が賛成、中国を含む5カ 国が棄権した。(河原,2012)

 (3)コソボ

1998年1月にアルバニア人によるコソボ解放軍(KLA)が武力闘争を開始し、それに 対しユーゴ政府が武力で応じたことで内戦が始まった。

紛争の構図はユーゴ政府とコソボのアルバニア人(KLA)による争いである。1998年8 月時点の民間人死者数は600〜700人、難民は46万人であった。小松は空爆が行われる直 前でさえ、人道的危機と呼べる状況があったかは曖昧であると述べている。(小松,2014)

主な介入の主体は欧米諸国とNATOであり、当初はユーゴ政府とアルバニア人の間を 仲介するという体裁をとったが、次第にユーゴ政府との闘いへと変化した。KLAは国際 社会による軍事介入を期待し、あえてユーゴ政府を挑発していたと小松はいう。欧米諸国 は武力行使を背景にミロシェビッチ大統領との外交交渉を進めていたが、1999年1月に アルバニア人45人の遺体が発見されたラチャク事件や、同年3月のパリでの和平交渉決 裂を受けて、3月24日より安保理決議がないまま本格空爆に踏み切った。武力行使まで の期間は介入開始から約1年間であった。再開した外交交渉の結果、6月3日にユーゴ政 府が和平案を受け入れ、78日間続いた空爆が終了した。空爆による民間人死者数は2000 人以上にのぼった。(定形,2000)

人道的危機が実際に起きていたか曖昧なコソボ紛争に対し安保理決議がないまま空爆が 行われた背景には、複数の理由がある。饗場はバルカン地域の安定化を図るNATOの戦 略のためだとする。(饗場,2002)最上は、ミロシェビッチ政権にNATOの望む和平合意案

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を受諾させるための「懲罰的空爆」であったとし、そこに人道以外の目的があったと指摘 する。(最上,2001)その他、コソボ空爆は、1999年4月のNATO首脳会議で発表された

「新戦略概念」の試験台であったとする見解もある。(佐々木,2013)なお、NATO内部では 介入の程度について意見が分かれており、アメリカは地上軍の派遣には消極的だったが、

英仏は地上軍の派遣も視野に入れていた。(饗場,2002)

安保理決議がなされなかった理由は、ロシアと中国の拒否権行使が確実だったためであ る。両国とも少数民族の問題を抱えているため、分離独立運動に対する介入へは反対して いた。(小松,2014)

3 保護する責任

1 保護する責任とは

保護する責任(R2P)とは介入と国家主権に関する国際委員会(ICISS)が2001年に提 出した『保護する責任』報告書で提示した概念である。そこでは自国民を保護する責任は 主権国家にあるとされ、主権が「支配」ではなく「責任」として捉え直された。そして、

主権国家がその責任を果たせないときには、代わりに国際社会がその責任を負うとした。

(青井,2007)その後同概念は、その内容を変化させながら2004年の脅威、挑戦、変革に関 するハイレベル・パネル報告書、2005年のアナン事務総長報告書、国連首脳会合成果文 書、2009年の潘基文事務総長報告書へと引き継がれていった。

この概念が生まれた背景には、ルワンダやスレブレニツァでの失敗、安保理決議を経な いコソボ介入など、1990年代に起きた国内紛争や人道危機に適切に対処できなかった経 験がある。(高澤,2017)国連は、この概念の導入により、安保理の自主的な行動を促し、

信頼性の回復と維持を図った。(青井,2007)

2 事例比較

1990年代は武力行使を伴う介入が相次いだが、2000年代はダルフール紛争などの人道 的危機にもかかわらず介入は行われなかった。しかし、2010年12月からの「アラブの 春」を契機に国際社会による介入が再会された。本節では保護する責任の概念の下で介入 が行われた事例と、行われなかった事例を扱う。

 (1)リビア

約40年間カダフィ大佐の独裁下にあったリビアでも、隣国チュニジア、エジプトに続 き、民主化を求める声が高まった。2011年2月15日に首都ベンガジでの市民蜂起をきっ かけに各地でデモが発生し、政権側が武力でそれを弾圧しようとしたことで内戦へと発展

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した。

紛争の構図は、カダフィ政権と反体制勢力「国民評議会」(TNC)の争いである。2月 下旬の時点で既に1000人以上が死亡、4万人近くの難民が発生しており、4月には市民を 含む1〜3万人が死亡したため、人道的危機は深刻であった。(小松,2012)

主な介入の主体は英仏を中心とする欧米諸国とNATOである。リビア国連大使やアラ ブ連盟、イスラム諸国会議機構(OIC)などの地域機関が国際社会の介入を求めたことも あり、2月26日に武器禁輸や資産凍結などの制裁措置をとる安保理決議1970が採択され た。その後も政府による弾圧は激しさを増し、3月17日には文民保護のために武力行使 を認める安保理決議1973が採択され、19日から米英仏主導の多国籍軍による軍事介入が 開始された。内戦開始から1ヶ月未満での武力行使であった。多国籍軍による飛行禁止区 域の設定・強制の後、3月31日からはNATOによるリビア政府の地上部隊や軍事施設へ の空爆が行われた。8月下旬に政権が崩壊、10月20日にはカダフィが死亡し、10月31

日に7ヶ月間におよぶ空爆が終了した。

リビア内戦への介入をめぐっても、人道目的以外の思惑が確認できる。千知岩による と、安保理決議1970を採択する際にアメリカのライス国連大使はカダフィ政権の正当性 を否定し、退陣を求めていた。安保理決議1973採択の際には、コロンビアやポルトガル もカダフィ政権の正当性を否認する見解を示した。また、千知岩は、3月10日にフラン ス、12日にアラブ連盟がTNCを承認したことなどから、リビアのレジームチェンジは国 際社会において容認されていたのではないかと述べている。(千知岩,2012)加えて、カダ フィ大佐の居住区や彼を支持する都市が空爆されたことなどから、NATOもレジームチ ェンジを望んでいたと小松はいう。さらに小松は地理的要因も挙げる。リビアは地中海を 挟んだヨーロッパの隣国であるため、介入に積極的であったという。(小松,2014)その他、

英仏には反体制派とのパイプを構築して原油の権益を譲り受ける思惑があったという。

(福富,2013)

なお、武力行使を認めた安保理決議1973に対し中露は拒否権を行使しなかった。その 理由として、福富は犠牲者数の多さ、小松は地域機関の介入への支持を挙げている。

 (2)コートジボワール

コートジボワールでは、1999年に軍事クーデターが発生した。2000年の選挙の結果バ グボが大統領となり国民和解を進めたものの、2002年9月に反乱軍が挙兵し、内戦へと 発展した。2003年1月に和平協定が成立し、西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)と 仏軍によって協定の履行監視が行われた。2004年にはECOWASを母体とする国連コー トジボワール活動(UNOCI)が設置された。2007年の新たな和平合意の下、2010年10 月に大統領選挙が実施され、現職のバグボと元首相のワタラの間で行われた決選投票の結

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果、独立選挙管理委員会はワタラを大統領として発表したが、バグボはそれを認めず、退 陣を求める国内の運動を武力で弾圧した。2011年3月半ばにワタラはコートジボワール 共和国軍を創設し、3月29日にバグボ打倒を目指す軍事行動を始めたことで、内戦とな った。

この内戦では、2011年3月初旬の時点で1000人以上の市民が犠牲になった。(山本,

2013)また、3月31日に最大都市アビジャンで始まった市街戦では、10日ほどの間に400

万人の住民が電気・水道などのライフラインを途絶される人道危機の中に置かれた。(佐 藤,2013)

介入の主体はUNOCIと仏軍である。仏軍はUNOCIを支援する形で武力行使を行なっ た。安保理は2010年12月20日に選挙結果を受け入れるよう要請する安保理決議1962を 全会一致で採択した。(瀬岡,2016)その後人道危機が加速する中、国連安保理は3月30日 に決議1975を採択、UNOCIに2004年の派遣当初から与えられていた文民保護のための 武力行使権限を再確認し、4月4日と10日の2度、UNOCIと仏軍がバグボ側の軍事拠点 や彼の邸宅を空爆した。両者の軍事衝突開始後1週間での空爆だった。11日にはワタラ

側がUNOCIと仏軍の支援の下、バグボの邸宅に突入し、彼を拘束したことで内戦は終了

した。

この介入では、リビア介入と同様にレジームチェンジが行われたが、リビア介入時より もレジームチェンジが容認されていたように思われる。アフリカ連合(AU)やECOWAS はバグボの正当性を認めず、退陣勧告を出していた。佐藤は、このようなアフリカ諸国の 反応もありレジームチェンジも認められたのではないかと論じている。(佐藤,2013)また、

安保理決議1975がBRICSやアフリカ諸国を含む全会一致で採択されたことも、国際社会 が容認していたことを示唆している。なお、リビアへの介入の際は、武力行使を認める安 保理決議1973の採択には5カ国が棄権していた。

加えて、フランスが積極的に介入を行った理由としては、旧宗主国としての歴史的な関 係に基づく権益の保護が挙げられる。2011年4月時点で1万2200人ものフランス人がコ ートジボワールに居住しており、同国に対する外国からの投資の50%がフランスによる ものであった。さらに山本は、「勢力圏」を維持するための介入でもあったと主張する。

(山本,2013)

 (3)シリア

「アラブの春」の影響は約40年間アサド家の独裁下にあるシリアにも及び、各地で反政 府デモが起こるようになった。政府はこれを武力で弾圧し、2011年8月にはデモの活動 家や家族の逮捕、拷問、暗殺が行われ、1000人弱が死亡したとされる「血のラマダーン」

が発生した。以後反体制派がアサド政権打倒のために本格的に武力に訴え始めたことで、

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内戦へと発展した。

紛争の構図はアサド政権と反体制派の争いであるが、リビアとは対照的にシリアでは反 体制勢力が乱立し、組織化されなかった。そのため、反体制勢力間での争いも起きた。イ スラム国などのイスラム過激派集団が相次いで誕生し、外国人戦闘員の国内流入や、各国 がそれぞれの思惑で諸勢力を支援したり、空爆したりしたことで、内戦は諸外国を巻き込 む大規模紛争へと変化していった。主権尊重の立場をとるロシアやイランはアサド政権を 支援し、逆にアサド政権を否定する欧米諸国やトルコ、サウジアラビアなどは反体制派を 支援した。2015年末の段階で47万人が死亡、190万人が負傷し、総人口の46%にあたる 1000万人強の住民が国内・国外避難民となった。(青山,2017)

内戦は現在も続いており、保護する責任の下での国際介入は行われていない。2013年8 月にシリア政府が化学兵器を使用した疑いがあり、一時米英が安保理決議を経ぬまま軍事 介入を行おうとしたが、シリア保有の化学兵器を国際管理下に置き、破棄することをロシ アが提案したことで、軍事介入は回避された。その後イスラム国の台頭を受けて、2014 年9月より米国主導の有志連合により軍事介入が開始された。さらに2015年8月には、

ロシアがイスラム国と反体制派勢力に対して空爆を行った。

リビアとコートジボワールの内戦と同時期に起きたにもかかわらず、保護する責任に基 づく介入が行われなかったのはなぜか。主な原因の一つが中露による拒否権行使である。

2011年10月以来2016年末までの拒否権行使は6度に及ぶという。(千知岩,2017)ロシア が介入に反対する理由は、シリアがロシアにとって軍事戦略上重要な拠点であり、重要な 武器輸出国でもあるためである。さらにロシアはシリアの港湾都市タルトゥースに補給基 地を保有、空母艦隊を配備しているため、地中海での影響力を保持するためにもシリアへ の介入に反対した。中国が反対する理由は、内政不干渉の原則という問題が自国の内政と 密接に絡んでいるためであるとされている。(福富,2013)加えて、リビアとコートジボワ ールへの介入が体制転換に結びついたことから、中露はシリアへの介入に対し強い不信感 を抱いていたとの指摘もある。(立山,2013)欧米諸国はシリアに対し積極的に介入する意 思がなかったとの意見もある。青山は、シリアは東アラブ地域の均衡を保つ安全弁として の利用価値があるが、アサド政権退陣後の受け皿となるはずの反体制派に安全弁としての 能力が乏しい点を指摘している。(青山,2016)その他、福富は犠牲者数の少なさを挙げて いる。半年間で約3万人もの死者数を生んだリビア内戦と比べ、シリアでは半年間でそこ まで多くの犠牲者は出ず、ゆっくりとした惨劇だったため、武力介入を求める国際世論が 形成されなかったとしている。(福富,2013)

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4 考察

2章と3章で計六つの事例を取り扱ったが、本章ではこれらについて1章で述べた比較 の観点から考察を行う。

人道的介入の概念が発展した1990年代初頭から中頃にかけ、国際社会は介入に対して 極めて慎重であり、人道危機の未然防止や、発生した危機への早急な対処ができなかっ た。本格的武力行使を行うまでにも長い時間を要していた。ボスニアでは1995年に

UNPROFORが保護していたスレブレニツアで7000人が虐殺された。その後介入開始か

ら3年後にようやく本格的な空爆が行われ、内戦は終了した。ルワンダではUNAMIRが 展開していたにもかかわらずジェノサイドが発生し、国際社会はジェノサイドを止めるた めにすぐに介入を行うことはしなかった。結果として80万人が命を落とすこととなった。

1990年代末に発生したコソボでの紛争に対しては、安保理決議がないまま欧米諸国が空 爆を行い、以前よりも介入に対して積極的であったと言えるが、空爆には約1年を要して いた。

保護する責任の概念のもと行われた2011年のリビアとコートジボワールへの介入では、

その様相が一気に変わる。民族や宗教上の違いによる紛争から、民主化を求める紛争や、

政権交代を求める紛争に対し、国際社会は積極的に介入をするようになり、武力行使に対 してもためらいがなくなったように感じられる。リビアでは内戦開始からわずか2ヶ月 で、コートジボワールでは両者の軍事衝突が起こり内戦状態に至ってから1週間も経たな いうちに空爆が開始された。加えて、望月も指摘しているように、アラブの春以降の紛争 では、地域機構も人権侵害を批判し、当該国に対し制裁を加えるようになった。(望月,

2012)リビアではアラブ連盟とOICが、コートジボワールではAUとECOWASが、シリ

アではアラブ連盟と湾岸協力会議(GCC)が政府を批判し、制裁を課した。

1990年代、2010年代の介入の双方に共通していることが、国際社会が介入を行うかど うかの決め手は、紛争国内の人道危機の程度ではなく、各国の国益であるということだ。

各国は政治的、経済的な国益が絡んでいる場合は、人道危機の規模にかかわらず積極的に 介入を行い、国益がない場合は、紛争によって深刻な人道危機が起きていたとしても紛争 解決のために積極的に動くことはない。ボスニアには安全保障上の理由から欧米諸国が積 極的に介入を行ったが、同時期により甚大な人道危機が起きていたルワンダに対しては、

国際社会は消極的であった。政治的な国益を持つフランスのみ、権益の維持のために介入 を行った。コソボではNATOの安全保障戦略や、権威のために介入が行われた。リビア ではレジームチェンジや安全保障上の懸念、石油権益のために欧州諸国を中心に介入が行 われた。コートジボワールでは、旧宗主国であるフランスが権益の維持のため介入を行っ た。リビアとコートジボワールの紛争と同年にはシリアでも紛争が起きたが、軍事戦略上

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重要な拠点であるシリアへの介入にロシアが断固として反対していたことや、欧米諸国が 介入を行うほどの国益を見出せなかったことで、紛争解決のために国際社会として介入を 行うことはなかった。

人道危機の程度や、紛争国国内の介入を求める声などは介入を行うことへの後押しとな るが、最終的に国際社会に介入する意思がない限りは、介入が行われることはない。その 意思形成の根幹にあるのが、国益と言えるのではないだろうか。紛争に対して国際社会が 中立を保ったまま介入を行うことはほとんどなく、国益が絡んでいることで介入は偏った ものとなりがちである。本論文で検討してきた六つの事例全てにおいても、各国は国益に 基づいて一方の側を支援し、自らの望む結果となるように介入を行う傾向が見られた。国 益に左右されることなく、人道危機に正しく対処するために、国際社会として介入を行う にあたってのルールを定めるべきであると考える。

終わりに

一国内の人道危機に対処するための概念は人道的介入から保護する責任へと発展してき たが、未だその概念への賛否はわかれており、2001年に提唱されてから現在に至るまで、

各介入の反省を踏まえながらその内容を変化させ続けている。コソボやシリア紛争の際に は、各国が自国の国益を優先させたことで、安保理が機能不全に陥ってしまった。リビア やコートジボワール紛争では、国際社会の介入がレジームチェンジを引き起こすことにな るという新たな課題も見られるようになった。直近では2017年に少数民族であるロヒン ギャがミャンマー政府によって虐殺される事態が発生したが、国際社会は傍観するばかり であった。現在も、多くの人々が難民として隣国に避難する状況が続いている。

冷戦終結後の国内紛争への介入について考察を行ってきたことで、多様なアクターによ って構成される国際社会がコンセンサスを形成し、共通の目的を持って行動することの難 しさを痛感した。国内紛争への介入には解決しなければならない課題が見受けられるが、

今後起こり得る紛争に対して正しく対処するためにも、国際社会は協調していくことが必 要であると考える。

参考文献

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参照

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