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─日本大学英文学会─

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発行:日本大学英文学会

156-8550 東京都世田谷区桜上水3-25-40 日本大学文理学部英文学研究室内 Tel. 03-5317-9709(直通)

Fax 03-5317-9336 E-mail esanu@chs.nihon-u.ac.jp esanu02@gmail.com

目  次

《ご挨拶》

  会長挨拶 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・日本大学英文学会会長 高橋 利明 2   英文学科主任挨拶 ―平成28年度を迎えて― ・・・・・・ 日本大学文理学部英文学科主任 吉良 文孝 3

《エッセイ》

  「わだつみの詩人」田辺利宏のこと ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・日本大学文理学部講師 原  公章 4   日本大学三軒茶屋キャンパス開設 ・・・・・・・・・・・・・・・・・日本大学危機管理学部准教授 間山  伸 6   着任のご報告 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 日本大学スポーツ科学部准教授 田中 竹史 7   着任のご挨拶 ―お世話になった皆様へ― ・・・・・・・・ 日本大学スポーツ科学部准教授 秋葉 倫史 8

《海外留学体験記》

  Studying Abroad at the University of Toronto ・・・・・・・ 日本大学大学院博士後期課程3年 今滝 暢子 9

《特集》

  Post-Retirement Life, “Money Is Time” ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 日本大学元教授 福島  昇 10

《新刊書案内》 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 11   『ルイス・キャロルとノンセンス文学』 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 聖徳大学名誉教授 藤井  繁 11   『寂光 −詩と随筆−』について ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 聖徳大学名誉教授 藤井  繁 12   Introduction to English Studies Beyond the ʻCenterʼ: Teaching Literature and the Future of Global English.

   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・日本大学文理学部教授 マイルズ・チルトン 13   Introduction to “Reconfiguring English Literary Studies in the Japanese Academy,” in The Future of English in Asia:

  Perspectives on Language and Literature.

   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・日本大学文理学部教授 マイルズ・チルトン 13   Introduction to “Leaving the Landscape: Mapping Elsewhereness in Canadian City Literature,” in

  Literary Cartographies: Spatiality, Representation, and Narrative.

   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・日本大学文理学部教授 マイルズ・チルトン 14

《月例会関連》

  月例会報告・予定、研究発表者募集 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 14

《事務局・研究室だより》 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 15   2015・2016年度運営委員 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 15   日本大学英文学会2014年度決算額 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 16   寄贈図書について ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 16   退職のご挨拶 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 元日本大学文理学部助手B 加藤 絵梨 16   任期3年間を振り返って ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 元日本大学文理学部助手B 齋藤 多珠 17   Self-Introduction ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・日本大学文理学部准教授 マウロ・ロ・ディコ 18   着任のご挨拶 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・日本大学文理学部任期制職員 金丸 咲綾 18   着任のご挨拶 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・日本大学文理学部任期制職員 平井 愛紀 19   2015年度・2016年度行事、その他・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 19

《訃報》 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 21

(2)

会長挨拶

日本大学英文学会会長 高橋 利明

緑輝く新年度がスタートいたしました。しかし、こ の喜びの気持ちと裏腹に、九州・熊本大地震の発生 は、我々を深い悲しみに包んでおります。九州と地震 との結びつきがなかったが故に、日本列島が地震列島 であることを新たに認識させられます。荒ぶる<自 然>への畏敬の念を忘れてはならないことを頭で理解 していても、心では「何故無辜の人間をいたぶるの か」と叫びたくなるのが人情です。5年前の3月11日 の東北大震災からの復興が未だ途上にある中、今回の 大地震からの復興もだいぶ時間がかかるだろうと推察 いたします。この場を借りて、亡くなられた方々には 心からのお悔やみを、そして被災されたたくさんの 方々には衷心よりお見舞いを申し上げます。

ここで話は変わりますが、日本大学の校歌について 思う所を述べさせていただきます。毎年、3月の卒業 式と4月の入学式に耳にする母校の校歌は、次のよう な詞から成っています。一番のみ挙げます。

「日本大学校歌」

1. 日に日に新たに 文化の華の さかゆく世界の 広野の上に 朝日と輝く 国の名負いて 巍然と立ちたる 大学日本 正義と自由の 旗標のもとに 集まる学徒の 使命は重し いざ讃えん 大学日本 いざ歌わん われらが理想

この現在の校歌は三代目であり、昭和4年5月に生 れています。作詞は、詩人・評論家である相馬御風 (1883-1950)で、作曲は、作曲家・指揮者である山田 耕筰(1886-1965)です。私はこの校歌が嫌いではあり ません。昭和4年に誕生したことを鑑みれば、そこに

“nationalism” のにおいもあったように考えられます。

しかし、よくよくその詞を見れば、日本人としての自 負を、日大人としての矜持をもって生きることの意味 を我々は感じ取ることができます。国の名を負った日 本大学の巍然(抜きんでて偉大であるさま)とした立 ち姿は、一人一人の学生の理想へ向かう姿勢に裏打ち され、延いては、日本という国の理想的な在り方につ ながっていくのだと思います。いくらグローバル化が 喧伝され、国際化(internationalization)が求められて

《ご挨拶》

も、我々は “national” なものを見失ってはならないの です。そして、日本人であるという出自を認識するた めの第一歩は、外国語をその「読解」を通して学ぶこ とだと思います。さらにその第二歩は、海外留学で外 から日本という国を見ることで相対的な眼をもつこと なのです。出来るだけ若いうちに留学することが肝要 です。できれば高校生くらいで一年間行くのが理想の ように思います。私自身の例で言えば、高校生の頃が アメリカ留学願望のピークでした。身のほども知らず に目標は、AFS(American Field Service)留学でしたが、

努力不足もあり全くその情報を得られずに夢はしぼん でしまったのです。現在のようにインターネットもな い時代で調べきることはできなかったのですが、もっ ともっと真剣にチャレンジすべきだったと悔やまれま す。因みに、通訳や英語教育で著名な鳥飼久美子さん や、ミュージシャンの竹内まりやさんなどはこの制度 で高校時代に留学しています。

さて、鳥飼さんと言うと、最近彼女の『本物の英語 力』(講談社現代新書、2016年2月)を読みました。

この本はお薦めです。夥しい数の英語関連本の中でも 最も納得のゆく議論が展開されていると思います。内 容はずばり、「語彙力」・「読解力」・「文法力」の3つ が英語の四技能学習のすべての原点であり、基盤であ るということです。そして、英語学習者は自分の興味 のある分野を「英語」で掘り下げていくことが大切で あると鳥飼氏は言っています。また、この本には「留 学」についても大事なことが書かれています。お薦め の一冊として紹介させていただきます。

最後になりますが、英文学会の新年度の活動(学 生・院生支援)について二点ご報告させていただきま す。まずは、学科に新コピー機一台を導入し、学生全 員に「コピー・カード」(50度数分)を贈呈しました。

今後はこのカードにチャージすることで学(院)生は 至便性を得ることができます。二点目は、「検定試験 奨学制度」です。英検、TOEIC、TOEFL、IELTSなど の検定試験において、一定以上のレベルを超えた学

(院)生に相応の図書カードを贈呈します。これが学 生たちの英語学習に「火」を点けることになれば最大 の喜びです。

またこの新しい一年が始まりますが、「日に日に新 たに」の心意気で、日本大学英文学会会員諸氏がそれ ぞれの舞台で恙無くご活躍されますことを心からお祈 りいたします。本年度もどうかよろしくお願い申し上 げます。

(3)

英文学科主任挨拶

―平成 28 年度を迎えて―

日本大学文理学部英文学科主任 吉良 文孝

英文学科主任(2期目)となりました。身に余る 職責ではありますが、会員の皆様のご協力をいただき、

この重責を果たすことができればと思います。何卒 よろしくお願い申し上げます。

さて、本年度は新たに学部新入学生152名、大学院 新入生8名(博士前期課程5名、博士後期課程3名)

をお迎えしての新年度のスタートです。受験者数の動 向に目を向けますと、本年度、英文学科を選択した受 験者数は大幅増となりました(昨年度比で200名を 超える増でした)。これは文科省の入学定員数の厳守 化政策によって、大学による合格者数の絞り込みを 恐れた高等学校、ならびに予備校などが大学受験校を 増やすよう促したことが受験者数増加の一因のようで す(残念ながら、わが英文学科の人気が急上昇したと いうわけでもなさそうです)。少子化や大学進学率の 頭打ちによる大学全入時代の今、地方はもとより、都 市部でも多くの大学がその存亡の危機に直面していま す。受験者数の増加傾向が今年度にとどまらず、来年 も再来年も続くことを願っています。無論、ただ願う だけではいけません。英文学科学生の質の向上をはか るべく、まずは「入り」の部分、つまり、新入学生の 質の確保を考えなければなりません(現に今、高等学 校の指定校制の導入など、いろいろな方策を練ってい ます)。教員およびスタッフが一丸となって魅力ある 英文学科を作り上げ、新入学生ならびに在校生の期待 に応えるべくその責任の重さを痛感しております。

その一方で、大学院の入学者は、上でも触れました ように、前期課程5名、後期課程3名の新入生を迎え、

在学生を含め総勢19名からなります。例年の入学者 数に比べますと若干少ないのですが、いずれの入学者 もその目的意識が高く今後が期待されます。私の院生 時代に比べ、ここ数年の院生を見ますと、月例会など 学内での口頭発表の質も高く、また学外の全国レベル の学会においてもとても立派な発表をし、目をみはる ものがあります。授業を通して垣間見られる先輩から 後輩への愛情溢れる叱咤激励や白熱した議論などは 頼もしい限りです。確実に次の世代が育っています。

本年度は英文学科の教員・スタッフに(職位を含め た)多くの異動がありました。はじめに、昇格人事で すが、閑田朋子先生が教授に昇格されました。また、

W.D. パターソン先生の後任としてマウロ・ロディコ

先生を准教授としてお迎えしました(ご専門はアメリ カ文学です)。パターソン先生の永年にわたる英文学

科運営、学生への愛情溢れるご教授に対し、この場を お借りしまして心より感謝申し上げます。また、飯田 啓治朗先生がこの4月から1年間のサバティカル休暇

(研究休暇)に入りました。退職・新規採用人事です が、助手Bとして3年間、縁の下の力持ち役を務めら れた加藤絵梨さんと齋藤多

さんが任期満了に伴ない 退職されました。お二人の英文学科へのご尽力に心よ り感謝いたしますとともに、新天地での益々のご活躍 を祈念いたします。お二人の後任として、金丸咲綾さ んと平井愛紀さんを任期制職員としてお迎えしまし た。お二人ともこの3月に英文学科を卒業した、まさ に、ピカピカの(社会人)1年生です。着任早々、他 のスタッフと共に、ガイダンスおよび授業始めで忙し い4月には、就業時間も超過して、毎日夜8時、9時 まで学生の対応や、配付資料の作成・事務整理に奮闘 いただきました。こうしたスタッフによる英文学科な らびに日本大学英文学会を支える努力に、教員一同、

本当に感謝しています。

さて、昨年の『英文学会通信』の「ご挨拶」にも記し ましたが、英文学科では、今年度(28年度)4月から 新カリキュラムがスタートしました。今回のカリキュ ラム改訂の目指す大きな柱は「基礎力養成の踏襲」と

「専門力の涵養」の2つです。双方ともに相応の改訂 がなされていますが、何といっても今回のカリキュラ ム改訂の目玉は「ゼミ制」の導入でしょう。3年次開 講 の「 卒 業 論 文 研 究 ゼ ミ 」 の 受 講 登 録 に 伴 な い、

2年次の秋の時点で文学か語学かの選択をします。

その選択が、そのまま4年次の「卒業論文」(8単位)

へと繋がります。これまでと比べると指導内容もより 濃いものとなりますし、指導教員と学生との距離もよ り近いものとなります。就職も含めたより肌理の細か い指導ができるものと大いに期待が持てます。

また、真のコミュニケーション能力を身につけさせ るための充実した授業を学生たちに提供することは 言うまでもありませんが、そういった能力をつけさせ るための学生の側の「動機づけ」づくりも大切なこと です。その一助としてかねてより検討中であった資格 試験の奨学制度も、英文学会のご理解のもと、導入さ れました。今後も、学会員への利益還元策と合わせ、

英文学科のより一層の充実発展のために思案を巡らせて いこうと思います。

以上ここ数年間の英文学科の動向や個人的な考えな どを申し述べましたが、これまでの永きにわたる英文 学科の伝統に裏打ちされた活気溢れる今日の英文学科 の姿があるのも、ひとえに日本大学英文学会会員の 皆様のご理解とご協力の賜物であると心より感謝申し 上げます。これまで以上に英文学科を盛り上げ、その 輝かしい未来を築くため、現スタッフは全力を尽くす 所存です。会員の皆様のなお一層のご理解ご協力を 切にお願いする次第です。 (平成27年5月5日)

(4)

「わだつみの詩人」田辺利宏のこと

日本大学文理学部講師 原 公章 戦没学生の遺稿集『きけわだつみのこえ』と言えば、

1949年10月20日に、東大協同組合出版部から世に出 て以来、東大新書、光文社カッパブックスと版を重ね て現在の岩波文庫版に至るまで、戦争の稀有な記録と して多くの人々に読まれてきた。元法政大学教授、岡 田裕之氏は、「わだつみ記念館だより」第9号(2015.7.1)

に、「『きけわだつみのこえ』は座右の書というよりは 私にとってはるかに重要な本であり、『聖書』『資本 論』と並ぶ生涯の精神の糧である。再読、再々読、幾 度読み直したかは数えきれない」と書かれている。私 も、岡田氏にははるかに及ばないにせよ、学生時代に 初めてこの遺稿集を目にしてから、この本の存在が ずっと心の底に留まり続けてきた。いわば、私の精神 の原点とも言えるだろう。さてこの遺稿集は、先の大 戦で亡くなった学徒兵たちの遺書、手紙、日記などを 募り、その中から80何人かを選んでまとめたもので、

現在の岩波文庫版では第1集に続いて、第2集も出て いる。この遺稿集の選に漏れたものもかなり多いが、

それらは「わだつみのこえ記念館」で随時公開してい る。この記念館は、東大赤門前にあるビル、赤門アビ タシオンの一角に、2006年にオープンしたもので、

私は昨年夏、この記念館を取材したNHKのテレビ番 組「首都圏ネットワーク」を見て、ぜひここを訪れた いと思った。というのも、記念館の館長は渡辺總

ふさこ

子さ んという方で、その亡きご夫君は、私がかねて敬愛す る渡辺清氏であると、この番組で初めて知ったからで ある。渡辺清氏は私と同じ静岡県出身で、1944年10 月24日にフィリピンのレイテ湾で米航空機の攻撃に より沈没した戦艦武蔵の乗組員であった。生き残られ た同氏がその後書かれた3部作、『海の城』、『戦艦武 蔵の最期』、『砕かれた神』は、『きけわだつみのこえ』

と並び、私の精神形成の上で極めて大きな影響を及ぼ した本である。だからその奥様である總子さんに、ぜ ひともお目にかかりたかった。そして、昨年10月9 日、念願のこの記念館を訪れ、展示品の数々を拝見し た後、館長の總子さんともお目にかかることが出来た。

總子さんはテレビで拝見した通り、もの静かで上品 な方であった。このとき、私が渡辺清氏の3冊の本に ついて触れたら、「今どき夫の本のことを話題にされ る方はほとんどなく、お話を伺えてうれしいです」と いうお言葉を頂いた。さてこの時もう一つ私が話題に 挙げたのが、『きけわだつみのこえ』に遺稿が掲載さ

れた戦没学生の中で、唯一、日大英文学科出身の田辺 利宏のことである。しかも他の遺稿は散文がほとんど だが、田辺の場合、遺稿集の中で異彩を放つ4編の詩

「雪の夜」、「泥濘」、「水汲み」、「夜の春雷」だけが選 ばれている。2013年10月21日は学徒出陣70周年記 念であったため、私は英米文学概説の授業で田辺利宏 のことを紹介し、その代表作「雪の夜」を学生諸君の 前で朗読した。英文学科の先輩に、このような詩人が いたことを、ぜひ知ってほしかったからである。そし て偶然、記念館のホームページとパンフレットの表紙 を飾っていたのは、その「雪の夜」の最後の6行で あった。

遠い残雪のような希みよ、光ってあれ。

たとへそれが何の光であろうとも

虚無の人をみちびくちからとはなるであらう。

同じ地点に異なる星を仰ぐ者の 寂寥とそして精神の自由のみ

俺が人間であったことを思ひださせてくれるのだ。

總子さんにこのことを話したら、そばで私の話を聞 いていた一人の男性館員が、田辺には日記などを編集 した遺稿集『夜の春雷』があると言って、資料室から その本を持ってきてくださった。これは私には未知の 本であったから、大変うれしかった。その後、記念館 開館10周年記念行事のことなどについて總子さんか ら伺い、「ここに来ることができて、本当によかった です」と挨拶をして、「わだつみのこえ記念館」をあと にした。

家に戻り、早速、1968年に出版された『夜の春雷』

(未来社)をインターネットで調べて注文した。同時 に「戦争と平和」市民の記録シリーズの第3集、『田辺 利宏・池田浩平・宮野尾文平 わだつみの詩』(日本 図書センター、1992)も取り寄せた。この詩集では、

最初に田辺の「従軍詩集」と題した全24編の詩が掲載 されている。田辺の詩の解説を担当しているのは、著 書『学徒出陣』で知られる、今は亡き安田武である。

日本戦没学生記念会「わだつみ会」の理事であった安 田の著作にも、私はかねて親しんでいたから、そのこ とにも何かの因縁を感じた。他方、田辺の遺稿である 日記や寄稿文などを編集し、『夜の春雷』というタイ トルをつけて出版したのは、当時東大でドイツ語を教 えていた信

しんき

貴辰

たつよし

喜という方である。その「編者あとが き」を読むと、「本書の出版にあたっては、多くの 方々のご援助をいただいた。なかでも、渡辺清氏のご 厚意とはげましがなければ、本書の編集・出版はつい に不可能であったろう」とあった。また「渡辺氏には

〔田辺の遺した〕『戦線日記』を通読していただき、有 益なご教示をうけた」とも書いてあった。田辺・渡 辺・安田という3人の名前が、ここに結びついたこ と、これも私には何か大きな因縁である、としか思え

《エッセイ》

(5)

なかった。それゆえ『夜の春雷』は、私が出会うべき して出会った本、読むべくして読んだ本である、と言 わざるを得ない。以下、紙幅に限りがあるため、でき るだけ簡潔に田辺とこの本を紹介し、日大英文学科に ゆかりのある全ての方々に、改めて、英文学科の卒業 生の中に、このような詩人がいたことを知って頂きた いと思う。

田辺利宏は1915年5月19日に岡山県浅口郡(現在 の倉敷市玉島)で生まれた。小学校高等科卒業後、

1930年4月に上京して、神田にある帝国書院に勤め ながら、法政大学商業高校(夜間部)に通い、学力優 秀で特待生となる。1934年4月、日本大学予科に入 学、2年後、予科を修了して、同じく神田にあった日 本大学法文学部英文学科(夜間部)に進学する。1939 年3月、英文学科を卒業し、9月より広島県福山市の 増川高等女学校に勤務して英語と国語を教える。だが わずか3か月もたたない同年12月、陸軍に召集され 松江に入営。すぐに中国に送られ、蘇州で訓練を受け たあと各地を転戦する。そして1941年8月24日、江 蘇省北部で左胸に貫通銃創を受けて戦死。享年26。

最後の階級は陸軍伍長であった。以上が『夜の春雷』

にある年譜をまとめたものである。

『夜の春雷』には、田辺が書き残した「戦線日記」

(1939年11月〜1941年8月)と、前述の24編の「従 軍詩集」、それに少年時代に書いた作文と日記、俳句 28句と初期の抒情詩15編が収められている。編者の 信貴氏は「従軍詩集」を、その日時と内容に応じて

「戦線日記」の中に組み入れた。そのため、各詩がど のような状況下で書かれたのかが、一読してよくわか るようになっている。『夜の春雷』という本のタイト ルは、「従軍詩集」の1編で、1941年3月に書かれた 同名の詩から取られたものである。これは倒れた戦友 たちを悼む詩で、その半ばに「はげしい夜の春雷であ る。/ ごうごうたる雷鳴の中から、/ 今俺は彼らの声 を聞いている」とあり、「夜の春雷よ遠くへかへれ / 友を拉して遠くへかへれ」と結ばれる。信喜氏は、田 辺の声が、春雷のように今なお彼方から響き渡ってき てほしい、という願いも込めて、このタイトルをつけ られたのだろう。この本の冒頭には、眉目秀麗な田辺 の軍装写真1枚と、学生時代の丸刈り頭の写真2枚

(うち1枚は「神田にて」とあるから英文学科時代であ ろう)、それに自分の軍隊手帳に書き残した、手書き の「従軍詩集」の写真が掲載されている。これらを見 るだけで、はや、胸がいっぱいになる。

安田武は「従軍詩集」解説の冒頭で、田辺の詩は

「戦場の孤独と虚無を謳う」と述べている。その通り であろう。だが日記を年代順に読み、その中に置かれ た詩と出会うと、この印象が少し変わってくる。安田 自身、『夜の春雷』を読んでその解説を書いているか ら、そのあたりは心得ている。それゆえ、田辺の日常 生活をも見据えた目で、それぞれの詩を読み直せば、

キルケゴールを思わせる「孤独」と「虚無」という言葉 も、若干の修正が必要となるだろう。日記の中から浮 かんでくる田辺は、第一に、きわめて明るく清廉な精 神の持ち主であったということだ。それは子供時代で も、書店時代でも、学校時代でも、軍隊時代でも変わ らない。上官や戦友との交わりでも、決して人間関係 に軋轢を生じさせることがない。ときには暖かなユー モアさえ漂う。どんなに辛い状況でも、透徹した目で それを客観的に捉えて、難なく困難を乗り越えるとい う、悠揚迫らぬところがある。例えば、教員時代、女 学生と遠足に行ったとき、立小便をがまんするところ や、少年時代、生まれて初めてカレーライスを叔母さ んと食べに行き、その味になじめなかった感想、「百 年後のぼく」と題した作文で、2015年の自分を想像し ているところなどに、その人柄がよく表れている。ま た例えば、軍隊時代、普通であれば悲壮感と疲労感が 漂うはずの夜間の行軍でも、次のように日記に記して いる。「1940年11月9日 久しぶりの夜行軍はなかな か苦しかった。今日は(略)昼間を眠る。水はきれい だし藁は多く、暖かい藁にうもれて眠り、この多忙を きはめた日々の中で地蔵のごとく閑散とした気持ちに なる。まわりのゆるやかな丘は美しく、晩秋の日に焦 げた高原のしずかな一日だった。」

このように田辺は、泥濘や泥雪にまみれた戦場で も、美しいものを目に止めると常にそれを日記に書か ずにいられない。上官から制裁を受けて殴られた時で さえ、怒りや悲しみに怒号するのではなく、痛かった が、自分たちが悪かったのだから殴られるのは当然 だ、と書いている。激しく辛い戦闘訓練、神経が擦り 切れる歩哨当番、絶え間ない上官の身の回りの世話な ど、どんな場面でも田辺は愚痴をこぼさず、与えられ た任務を誠実に果たす。田辺の所属した連隊には新兵 補充がなかったから、彼は最後まで初年兵同然であっ た。また、彼が主として連隊で行った仕事は、「功績 事務」という兵員の勤務状況、戦死者の功績などにつ いて記録することだったから、彼の目は常に他者に注 がれていた、と言ってよい。「他者」と言えば、戦地 で出会った現地中国の農民・市民はまさしく「他者」

である。そして田辺の目は彼らの上にも、いつも暖か く注がれた。そのよい例は「従軍詩集」最後の1編

「水汲み」である。それは「はだしの少女は/ 髪に赤い 野薔薇を挿し/ 夕日の坂を駆け下りてくる」という3 行から始まり、「しづかな光のきらめく水をすくって/ 彼女はしばらく地平線の入日に見入る」と続き、最後 に「少女はしっかりと足を踏んで / 夕ぐれに忙しい城 内の町へ/ 美しい水を湛えてかへってゆくのだ」と、

締めくくられる。「これは私が読んだ日本語で書かれ た詩の中で最も美しい詩である」という感想を、イン ターネットで読んだことがある。

だが日記を読んで最も驚くのは、いつ何が起こると も知れない戦地で、田辺が文学の読書を忘れていな

(6)

い、ということである。もちろん疲労困憊のあまり、

頁を開く余裕のないときもあっただろう。だが、彼は その中で、寸暇を惜しんで本を手に取り、しかも短い 読後感まで日記に記している。日記に取り上げられて いる作品を一部、列挙してみよう。マンスフィールド 短編集、ヘッセ『車輪の下』、サンド『愛の妖精』、

ショニッツラー『ギリシャの踊り子』、『死んだガブリ エル』、『ベルタ・カリレラン夫人』、T.E.ロレンス

『アラビアのロレンス』、エリア『驕児』、ドストエフ スキー『死の家の記録』、芥川『侏儒の言葉』、モロア

『敗走』、ハドソン『緑の館』、大仏次郎『花と兵隊』な どなど。さすが英文学科出身、他の戦没学生の手記に は経済学や哲学の書名が多いのに、田辺の挙げるもの はほとんどが文学である。マンスフィールドを手にし た時は「なつかしい」、と感想を漏らしている。

『夜の春雷』に掲載された「戦線日記」を読み進めて 行くと、突然、次のような記述にぶつかる。「1941年 3月14日晴〔江陰にて〕事務。大和師よりコウルリッ ヂ詩集」。翌日の日記には「大和師の送って下さった Coleridge訳詩集を、点呼後ローソクの光で読む」とあ る。思わず目を見張った。「大和師」とは、もちろん 日本大学英文学科を築かれた大和資

やすお

雄先生のことであ る。私も先生の教えを教室で受けた一人である。1898 年生まれの大和先生は、当時43歳であったはずだ。

おそらく出版されたばかりの「コウルリッヂ訳詩集」

を、わざわざ戦地の田辺に贈られた先生の心遣いが、

この短い記述から伝わってきた。大和先生は、教室で 出会った学生の中から、とりわけ田辺を覚えていらし たのだ。つまり田辺は、先生の心に残る学生であっ た、ということだ。これだけで私は、田辺がどんな英 文学科時代を送っていたかが、わかる気がした。

田辺の書いた詩と日記をこのように読んでいくと、

その人柄と生き方がよく伝わってくる。彼は与えられ た運命をあるがままに受け止め、現実から決して逃げ ず、どんな時も最大の努力を惜しまない。詩を読めば わかるように、その内面は時に、理不尽なものへの怒 りと孤独と虚無を抱えている。だが外面はいつも穏や かで淡々としている。そして彼が常に求めたものは

「美しいもの」であった。それは内地でも戦地でも変 わらない。戦場で祖国を思い、とりわけ恩師や友人 や、ひそかに心寄せた女性を思う田辺利宏。その短く 鮮烈な人生から生じる彼の声は、今なお私の胸の奥ま で直接響いてくる。私たちの先輩にこのような詩人が いたことを忘れまい。

(2016年3月)

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日本大学三軒茶屋キャンパス開設

日本大学危機管理学部准教授 間山 伸

今年4月、日本大学の新しい学部(危機管理学部・

スポーツ科学部)が三軒茶屋駅から徒歩10分程の地 に開設され、専任の英語教員として着任することとな りました。キャンパスは教室棟と図書館棟の2棟の建 物だけで、多くの学生を抱え、マンモス大学と言われ ることが多い日本大学としては珍しいと言えるくらい こじんまりとした規模のキャンパスです。一つのキャ ンパスに一つの学部が通例の日本大学にあって、4年 制の学部が2学部共存するキャンパスというのも珍し いのではないかと思います。

大学の前にあるバスの停留所は現在「日大前」と なっていますが、3月までは「日本大学生物資源学部 前」という名前のバス停があって、この場所にはもと もと日本大学生物資源学部(学部名が変わる前は農獣 医学部)があったということです。「三軒茶屋に新し く出来た日本大学で働くことになりました」と新しい 職場の話をすると数名の方からは「農獣医学部です か?」と言われました。私自身は以前にあった学部や 校舎のことは詳しく知らないのですが、三軒茶屋にあ る日本大学というと農獣医学部や生物資源学部と考え ておられる方も多いのだと思います。三軒茶屋キャン パスは新しいとはいえ、日本大学の伝統がしっかりと 根付いた場所のようです。

日本大学英文学会会員の方々の中にも三軒茶屋の以 前の学部のことをいろいろご存知の先生方も多くい らっしゃることと思います。新しくなった三軒茶屋 キャンパスに是非足を運んでいただき、新しい校舎を ご覧になっていただければと思います。そして、農獣 医学部・生物資源学部があった頃の様子など、いろい ろな話をお伺いできれば幸いです。

三軒茶屋の地で日本大学の伝統を引き継ぎながら、

新しい学部のこれからの発展の役に立てるように頑 張っていきたいと思っております。

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(7)

着任のご報告

日本大学スポーツ科学部准教授 田中 竹史

2010年3月に本学大学院文学研究科英文学専攻の 博士後期課程を終えてから文理学部、理工学部、通信 教育部、経済学部、昭和大学薬学部、武蔵野大学薬学 部などで教鞭をとり早6年が経ちましたが、この度縁 あってスポーツ科学部勤務を命ぜられ、2016年4月1 日付けで着任いたしました。在学中はもとより大学院 修了後も折に触れ英文学科ならびに本学英文学会の諸 先生方には一方ならぬご厚情を頂きました。この場を お借りし厚くお礼申し上げます。

さて、現在私が勤務するスポーツ科学部は「スポー ツ立国」の実現に貢献し世界レベルのスポーツ選手や 人間性豊かな指導者を養成することを目指し開設され た、日本大学としては16番目となる新しい学部です。

キャンパスは住んでみたい街として常に上位に位置づ けられる世田谷区の三軒茶屋地区に隣接し、東急田園 都市線・世田谷線の三軒茶屋駅から徒歩10分ほどの 住宅街に立地しています。この学部では、世界レベル の選手や指導者を養成することを目標として掲げてい るだけあり、教員として日本記録の樹立者、オリン ピックでのメダル獲得者、日本代表監督やヘッドコー チ経験者、プロスポーツのチームドクター経験者、

ジュニアの育成指導者など様々なスポーツ領域に関し て豊富な経験を持つ実践者や研究者が所属し、スポー ツ科学に関わる科目を担当しています。設備という点 に目を移しても、体育館に相当するアリーナ、体操 場、柔道場、剣道場、相撲場、通常の屋内プールのみ ならず流水プール、種々の最新トレーニング機器を備 えたトレーニングルームなどの運動設備、さらには、

低酸素室、生理学実験室、バイオメカニクス実験室な どの多様な実験設備も備えています。在籍学生は定員 の約半数が日本大学保健体育審議会による選抜を経た 者であり、同会所属の34の競技部からアメリカン フットボール、ゴルフ、自転車、柔道、サッカー、水 泳、相撲、体操、バスケットボール、バレーボール、

フェンシング、陸上など様々な競技分野でのスポーツ エリートが集まっています。まさに「競技スポーツ水 準の向上や優秀なスポーツ選手・指導者の養成、ス ポーツに関する科学的研究の推進」に相応しい学部で あるといえましょう。

そのような特色ある環境の中にあって、やや毛色を 異にする総合教育科目(いわゆる一般教養)担当の英 語教員として学部教育の一翼を担い勤務を始め1か月 が過ぎました。日頃接する学生達は端々にトップレベ ルを目指すスポーツ選手らしさが垣間見え心地の良さ が感じられます。その一方で校務に関しては、新学部

開設の初年度ということもあり新たな試みや初めての 経験ということが多く手探りの状態が続いています。

それは他の教員や職員も同様のようで、たとえば「な にぶん職員にもこの種のことに明るい者がおりません ので先生方にもご迷惑をおかけします」という具合で す。完成年度に向けてしばらくの間は試行錯誤を重ね ることになりそうですが、教職員を始め関係者が手を 携え知恵を出し合うことにより円滑な運営が行われる ことと確信しています。

さてところで、私は学部時代にことばの世界に足を 踏み入れ、以来この分野に身を置いてまいりました。

Mora et al.(2011)によると、地球上には真核生物が 874万種(植物や菌類を除くと動物は777万種)存在 すると推計されています。このような極めて多種多様 な生物種のうちヒトは唯一ことばを使用することが可 能な生物種であり、ことばはヒトという存在を際立っ て特徴づけています。たとえ進化の隣人であるチンパ ンジーのように学習能力が高く様々な点でヒトに比肩 し得る―のみならずある側面においては凌駕する

―ような認知能力を持つ生物種でも、音声言語であ れ手話言語であれ言語を身につけることはできません し(松沢 2011)、どんなに優れたコンピュータであっ ても自然言語を理解することはできません(酒井 2002)。

著名な理論物理学者である湯川秀樹は1974年の著 書『宇宙と人間 七つのなぞ』の中で、人間にとって 古くから不思議であり答えを出すことがとりわけ難し く、それゆえ取り組む価値のある疑問を「なぞ」と呼 び、「宇宙のなぞ」、「素粒子のなぞ」、「生命のなぞ」、

「数と図形のなぞ」、「知覚のなぞ」、「感情のなぞ」な どと共に「ことばのなぞ」としてヒトのことばを取り 上げています。湯川にとってことばをめぐる問題は、

(i)なぜ多様な生物種のうちヒトだけがことばを使え るのか、(ii)なぜいつどのように子供は個別言語を身 につけるのか、(iii)長い進化の歴史の中でヒトはい つどのようにことばを使えるようになったのか、という 三点に集約されます。これらの疑問はNoam Chomsky 登場以降の言語学、特に新言語学と呼ばれる分野で明 確に掲げられてきた「どのような理論が最適な言語理 論であるのか」という研究課題 ―記述的妥当性

(descriptive adequacy)・説明的妥当性(explanatory adequacy)・進化的妥当性(evolutionary adequacy)の 問題、あるいは “Tinbergen’s questions” の文脈で言及 される形式と機能(mechanism)・発達(ontogeny)・

進化(phylogeny)の問題―とぴたりと符合します。

言語学に触れて以来その時々により私自身の中心的 な関心の対象は、学部・大学院時代は個別言語の文 法、大学院修了後はことばの障害や幼児の言語獲得・

言語発達、と変遷しています。しかしながら、いずれ の関心対象も現代の言語学―認知科学の一分野とし ての言語学、あるいは生物学の一分野としての言語学

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―が課題とし、また湯川が世界に存在する「なぞ」

と考えているものと合致しているという点ではいささ かの相違もありません。多くの研究者(Baker 2001、

Boeckx 2006、Jackendoff 1994、Pinker 1994)が議論す るように、言語学はどのような人でも共通して抱くで あろう根源的な疑問、「なぜただヒトのみがことばを 持てるのか」という問いに対して解答を提供し、同時 に人間の性質、「人間はどのような存在であるのか」

を真に理解することを目指しています。ヒトのことば は “a mirror of mind” であり、“a window into human nature” であり、“a vehicle for examining the way we are” であるのです。古代から続く謎を解く鍵を手にす ることを可能にさせ、しかも “final answer” に向けて 最も有力な研究分野であることばの認知科学に対する 私の興味も当面のところ変わりそうにはありません。

近況はこのような次第でありますが、日本大学ス ポーツ科学部という新たな環境の下で、学部全体の目 標を見据えつつ一方では総合教育科目の意義も考慮の 上、より良い学部を作り上げるため力を注ぎ教育・研 究・校務に励んでまいりたいと思います。

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着任のご挨拶

―お世話になった皆様へ―

日本大学スポーツ科学部准教授 秋葉 倫史

本年4月より日本大学スポーツ科学部配属となりま した。まず初めに私が着任するにあたり、お世話にな りました英文学科の先生方をはじめ、たくさんの方々 にお力添えいただきましたことをお礼申し上げます。

いただいた役割は私にとって非常に大きいもので、お 役に立てるか甚だ不安ではありますが、誠心誠意努め ていく所存です。どうぞよろしくお願いいたします。

私が着任しました日本大学三軒茶屋キャンパスは、

1つのキャンパスに2つの学部を持つ日本大学では最 初の試みとなるキャンパスです。その中には、危機管 理学部、スポーツ科学部を有し、私はスポーツ科学部 へと配属になりました。スポーツ科学部は、主として 競技スポーツに尽力し、第一線のアスリート、または それをサポートする指導者等を育成することを目的と した学部です。来る2020年の東京オリンピックを目 指し、数多くの選手を輩出することを目指していま す。昨今多くのトップ選手が世界中の人々を競争相手 とし、海外で経験を積むことで多くの実績を残してい

ます。私自身は直接スポーツに縁が深いわけではあり ませんが、総合科目英語教員として、これらの海外で 活躍する選手を少しでも手助けできればと考えており ます。

この度英文学会通信の執筆依頼をいただきまして、

自分の節目となる年に、改めてこれまでを振り返るこ とができました。どのように記憶を辿っても、私自身 が何かを行ったという記憶よりも、多くの方々にいつ も助けられてきたことの方が鮮明に思い起こされま す。特に、指導教授の保坂道雄先生には学部生時代か ら長い間、言葉では表せないほどお世話になりまし た。国際関係学部時代、「保坂ゼミ」にて日英語対照 言語学をご指導いただき、その後大学院文学研究科に て、引き続き保坂先生のご指導のもと英語史を学ぶ機 会にも恵まれました。ゼミの入室面接時、「大学院に 行きたい」と志望動機を述べた私を当時先生がどのよ うに思われたかはわかりませんが、ここまで面倒をか ける学生になるとは思いもしなかったことと思いま す。大学院時代の英文学科においても、保坂先生はも ちろんたくさんの先生に非常に良くしていただき、先 輩と同期と後輩といった仲間にも恵まれ、とても豊か な環境の中で勉強できたことは私の自慢です。

大学教員は教育と研究が求められると伺っておりま す。新天地となる三軒茶屋キャンパスでは、学生のサ ポートとなる英語プログラムを同僚の先生方と協力し て作成していくことはもちろん、自分自身の研究も進 めていくことを肝に銘じて活動していきたいと思いま す。これまで私は英語史を専門として完了形の発達に ついて記述的に調査し、日本大学英文学会例会でも発 表させていただきました。また昨年度は、英語学シン ポジウムにおいて、ʻbe going toʼ についての近現代の 短い期間における変遷を研究する機会も与えていただ き、研究分野が異なるお二人の先生と議論すること で、新しいアプローチへの手掛かりを得ることができ ました。今後地道に研究を重ね、英文学会の一員とし て、微力ながら力になれるよう研鑽していきたいと考 えております。

新学部もまだ始まったばかりで本格的に動き出して はいませんが、これからより多くの役割が増えること が予想されます。教員としての業務を怠らず、且つ一 研究者としての側面を忘れずに、そして何よりもこれ までお世話になった方々に少しでも恩返しができるよ う精進していきたいと存じます。今後ともより一層の ご指導、ご鞭撻賜りますようお願い申し上げます。

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Studying Abroad at the University of Toronto

日本大学大学院博士後期課程

3

年 今滝 暢子 It is said that the experience of going abroad changes a person’s perspective of the world. I personally agree with this opinion, since my half-year experience in Toronto changed my way of thinking completely. My aca- demic experience can be divided into three different aspects below.

First, as a scholar, I did my research in Dictionary of Old English (DOE), Centre for Medieval Studies, at the University of Toronto. I finished a paper about preterit- present verbs in the Old English epic Beowulf during my stay at DOE.

During my days in DOE, I was able to read many resources in my office. Surrounded by thousands of the books in Robarts Library, which is said one of the biggest libraries in North America, I felt very comfortable as a researcher. I was also able to communicate with other scholars in DOE. They all were truly diligent and intel- lectual. Their way of working stimulated my mind and inspired me a lot. I was energized by the experience as a scholar.

Second, as a student, I attended the classes at the Uni- versity and studied with other students.

I took four courses in the Department of Linguistics:

Syntactic Patterns in Language, Language Variation and Change, Historical and Comparative Linguistics, and Introduction to Syntactic Theory.

A few weeks after the fall term had started, I began to notice that I was bound to a certain way of thinking. For example, I often spared my energy to catch the mood in the class, and was trying not to stand out from the other students. I was scared of making mistakes, for being afraid that others would laugh and judge me. I also prior- itized on building a friendly atmosphere, rather than focusing on discussing the topic with others in order to form a clear conclusion.

It might not be appropriate to describe these ways of thinking as “Japanese” ways, but they have certainly been built up in my life from my environment, and

ingrained deep enough to influence my behavior. Though there is no good, nor bad in the ways of thinking, I felt that those habits were disrupting my study in Canada. I began to struggle with that on my responsibility. Without this experience, I would never have known or realized the perspective differences between my native home country and Canada.

Third, as a prospective teacher of English language, I took a course of Teaching English as a Second Language (TESL) at Oxford Seminars, and received a certificate.

There were 15 students in the course, and all of them except myself, were native English speakers. It was a difficult time for me, for I had difficulty presenting in front of others; however, with that experience, I acquired more knowledge and confidence in my teaching skills.

To conclude, my Toronto experience as a scholar, a UT student, and a prospective teacher of English changed my perspectives of the world. The experiences had defi- nitely influenced me positively. Despite facing some dif- ficult situations and culture shock, I overcame and learned from them. I believe that I have grown to become a more confident and better individual who will apply my experiences and new mindset into my future career in academics.

留学期間: 平成27年7月31日〜平成28年 3月 9日

《海外留学体験記》

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Post-Retirement Life, “ Money Is Time”

日本大学元教授 福島 昇 My career started at the College of Humanities and Sciences, Nihon University aged 31. I retired from the College of Industrial Technology, Nihon University aged 65 this March, being now a lecturer at CHS and Corres- pondence Division, Nihon University. Professors teach- ing in specialized courses can work until 70 at CIT, but Professors teaching in general education must retire aged 65 at CIT. I was fortunately a member of general education, getting much free time due to this unfair per- sonnel system.

Talking of free time, I remember George Gissing’s novel, The Private Papers of Henry Ryecroft (1903) off- hand. His father died when Gissing was 12 years old. In 1872, he had an extraordinary performance in the Oxford Local Examinations, but contrary to expectations, he suf- fered a knock in his private life. His scholarly career came to an end in dishonour when he fell in love with a young woman, Nell. She is often narrated as a call girl. It is described that he provided her with money in an effort to keep her off the streets. What is recognized is that when his money ran out, he purloined from his fellow students. Gissing was taken to court and convicted to a month’s hard toil in 1876. In the same year, with contri- butions from supporters, Gissing journeyed to the Unit- ed States, where he spent time in Boston and Waltham writing and teaching traditional subjects such as ancient Greek and Latin. When his money was exhausted, he moved to Chicago, where he struggled to make a living writing short narratives for newspapers. He lived in poverty until he encountered a travelling salesman in need of an assistant, and Gissing showed his products.

To a limited extent, these practices stimulated his 1891 novel, New Grub Street. In 1877, Gissing departed from America and came back to England.

Gissing settled in London with Nell, writing works of fiction and labouring as a private teacher. He did not suc- ceed in getting his first novel Workers in the Dawn (1880) taken on by a publisher, and so published it in private, funding it with money from a legacy. Gissing wedded Nell in 1879.

One of his intimate friends in London was Morley Rob- erts, who created a book based on Gissing’s life, The Pri- vate Life of Henry Maitland in 1912. Gissing spent much time reading classical authors at the British Museum.

He took long strolls through the streets of London, keep- ing watch over the impoverished. When Gissing observed the poor, he probably received his inspiration to write The Private Papers of Henry Ryecroft. Gissing’s next passage in this novel describes the relationship between time and money:

Time is money----says the vulgarest saw known to any age or people. Turn it round about, and you get a precious truth----money is time. I think of it on these dark, mist-blinded mornings, as I come down to find a glorious fire crackling and leaping in my study. Suppose I were so poor that I could not afford that heartsome blaze, how different the whole day would be! Have I not lost many and many a day of my life for lack of the material com- fort which was necessary to put my mind in tune?

Money is time. With money I buy for cheerful use the hours which otherwise would not in any sense be mine; nay, which would make me their miserable bondsman. Money is time, and, heaven be thanked, there needs so little of it for this sort of purchase. He who has overmuch is wont to be as badly off in regard to the true use of money, as he who has not enough. What are we doing all our lives but purchasing, or trying to purchase, time? And most of us, having grasped it with one hand, throw it away with the other.

There is a proverb, “Time is money.” But it lacks good taste, usually meaning that time is as important as money, so you must not waste valuable time. Gissing, who had to work hard to get money owing to his poverty, produced another apothegm, “Money is time.” One can get treasurable truth from these words. When I see a glorious stove in a study room, I struggle to avoid think- ing of this truth. If I am deprived, not having money to light a fire, how changeable a day is. I may have lost a lot of days because I don’t have material comfort to keep my composure. Money is time. If you have money, you can buy time, spending it with pleasure. If you don’t have money, time is never on your side. In fact, you will be a miserable slave of time. Money really is time, and the good news is that we require very little money to be able to afford such comfort. People who have a lot of money may still be poor in this way, as well as people who live penuriously. What do we do in the course of a lifetime

《特集》

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except buy time by money or make efforts to buy time by money? Most of us throw away time with one hand, yet try to grasp our precious time with the other.

Everyday I’ll come down to find a glorious fire crack- ling and leaping in my comfortable study room, enjoying my free time after retirement and living a true life.

本学会員による新刊書を下記のとおりご報告しま す。学会員で研究書等を出版された方は事務局(英文 学研究室)までお知らせください。新刊書案内として 随時掲載いたします。

1. 藤井 繁.『ルイス・キャロルとノンセンス文学』.

東京:コプレス,2015.

2. 藤井 繁.『寂光 −詩と随筆−』.東京:コプレス,

2015.

3. Myles Chilton. English Studies Beyond the ‘Center’:

Teaching literature and the future of global English.

Abingdon: Routledge, 2016.

4. Michael O’ Sullivan, David Huddart and Carmen Lee ed. The Future of English in Asia: Perspectives on lan- guage and literature. Abingdon: Routledge, 2015.(マ イルズ・チルトン先生(文理学部教授)が共著者と して執筆)

5. Robert T. Tally Jr. ed. Literary Cartographies: Spatiali- ty, Representation, and Narrative. New York: Macmil- lan, 2014.(マイルズ・チルトン先生(文理学部教 授)が共著者として執筆)

『ルイス・キャロルとノンセンス文学』

聖徳大学名誉教授 藤井 繁

どうして私が、ハーディ文学でなくキャロルの児童 文学なの? と不思議に思われる方もおられるはず。

勤務先の聖徳大学が、平成26年度は、短期大学が創 立50周年、日本で最初の「児童学科」を開設した大 学・大学院が25周年を迎えます。その周年行事とし て、「イギリスの児童文学」について、大学の図書館 が所蔵する、初版本や資料を一般に公開・展示するこ とになったのです。作者のルイス・キャロル(1832−

1898)はペン・ネイムで、彼が19歳のとき母を亡く

し、その5年後に生涯の転機と感じたのか、実名の

「チャールズ・ラトウィッチ」の姓・名を入れ替え、

それをラテン語にしたのです。軽妙洒脱な別人格の獲 得です。オクスフォード大学を出た俊英で、そこの数 学の教授です。世に知られる作品は、『不思議の国の アリス』(1865)と『鏡の国のアリス』(1871)です。ヒ ロインのアリスは実名で、学寮長として赴任してきた ジョージ・リデルの娘です。出会いの契機は、キャロ ルが傾倒する写真機です。この本にはキャロルが撮影 の自分自身と、美少女アリスの写真が添えてありま

《新刊書案内》

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す。キャロルのアリスへの執着は、亡くなった母の幻 影が、この少女に蘇ったのでしょうか。ここでは、

「作品が全て」ではなく、作者と作品は不可分です。

出版されて150年、作品そのものは歓迎され、表層 的な奇抜さは高い評価を受け、卓越した児童文学の古 典と見なされています。50か国語に翻訳されて、広 く読み継がれています。ですが「ノンセンス文学」に ついては、必ずしも明確に読み解かれていません。

キャロルの時代に対する文明批判が隠されているので す。ビートルズのジョン・レノンも愛読した「アリス 物語」です。『不思議の国』での絶妙な描写は、「ネコ」

の「しっぽ」が先から消え始め、ニヤニヤ笑いだけが 残る(Chap.7)場面もその一つです。『鏡の国』では、

片手を振り、「指から血が出た!」と叫ぶ女王は、そ れから指を傷付ける(Chap.5)のです。時間は現在か ら過去へと流れるのです。いずれも少女が見る「夢」

で、それが日常世界との境界です。空想の世界ではな く、現実の世界を「歪め」「変形」したに過ぎないので す。鏡が「左右の反転」だけでなく、あらゆる転倒・

歪曲・変容をみせるのです。こうして「現実の逆転」

は多様で無限です。昨年の初版は在庫が切れ、この3 月に出たのは再版です。索引ばかりか、原公章先生の

「推薦の言葉」が寄せられています。「読みの深さと解 釈の適確さ……日本を代表するアリス学者たちの言説 を踏まえ、それを援用しつつ、それを遥かに上回る

『アリス』の読みが一貫していて、大きな驚きと感銘 を覚えました」、という励ましの言葉に、今は甘える ことにします。「モノ」と「カネ」に狂奔する荒野に疲 れ果てている今こそ、多くの人々に迷い込んで欲しい

「ワンダーランド」。あの知的な微笑と涙を誘う不思議 な秘境にです。

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『寂光 −詩と随筆−』について

聖徳大学名誉教授 藤井 繁

刊行に際しては「あとがき」に、その意図をこう記 しました。『寂光 −詩と随筆−』の出版には、随分 とためらい、迷いました。小心な私が決断したのは、

分身ともいえる人たちの、相次ぐ病と死でした。ペー ジをめくると、残された者の「罪の意識」が、行間に 漂っているはず、生きていて「すみません」と。こん な「詩や随筆」を読まされて、どなたも当惑するのは 目に見えています。自分の中に抱え込んでいる、切実 なモチーフに表現を与えたかった訳ではありません。

気紛れな風に吹き寄せられた、落ち葉のような「モ

ノ」や「コト」を、「つれづれ」に記した「雑記帳」を、

開きたくなっただけです。「詩と随筆」に関心を寄せ たのは、恩師のR. H. ブライズ先生の「英詩研究」と

「随筆研究」の講義でした。流れるような英語の授業 に溺れた不肖の弟子です。詩であれ随筆であれ、その 才に恵まれず、努力も怠っていたのです。

内容の概略ですが、序章に、「私の読書論」、第1部 に「短詩と散文詩」、第2部に「随筆と評論」、それに 第3部が、「西欧の絵画」です。そして終章が「忘れ得 ぬ人々」について記しました。奇異なことといえば、

第1部の短詩は、作品の発表順にせずに、現在から過 去に降りて行くように配列したことです。「思い出」

とはそういうもの、と思ったのです。読んでいて、過 去のことがどんどん忘れていくのに反して、記された ものを読む、ということは、懐かしい人や場所に出会 えた、という感じでした。2015年から半世紀に及ぶ、

毎年の賀状や暑中見舞いのハガキが主でした。愚直な 私です。父母が亡くなろうと、海外にいようと、詩を 記したハガキは欠かしません。主題は雑然として、当 時の心境や、両親や友人、知人の死も加え、実名で追 悼詩もあります。散歩仲間の犬や猫の死にまで及びま す。第2部の随筆には、一昨年の2月5日に逝去され た「中島邦男先生への追悼」の思いが、今もなお語り 継がれています。不思議な「備忘録」です。ハーディ のストーンヘンジや、ヘミングウェイのキー・ウェス トなどの紀行文が大半です。わずかですが「詩論」も 加えました。以前に英文学会から依頼の、「英文学と の出会い」も再録し、英文学科時代の懐旧の思いを深 くしています。第3部の「西欧の絵画」は、ロンドン の「テイト・ギャラリー」を初め、パリの「ルーブル 美術館」やオルセイの「印象派美術館」で出会った、

幾つかの絵画に関する素朴な感想です。時間と自我へ のこだわりです。瞬時に失われる幸福なアルカディ ア。ページをめくると、色彩と芳香に満たされて、蘇 るのは懐かしさだけ。文成社のご好意で、400ページ を超す「雑記帳」が、ハード・カバーに金文字の華麗 な装丁で、時間の変容が織り成す「アルバム」です。

それを携えて旅立つ、老人の「備忘録」にもなり得ます。

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Introduction to English Studies Beyond the ʻ Center ʼ : Teaching Literature and the Future of Global English.

日本大学文理学部教授 マイルズ・チルトン In this monograph, I address the shape of English studies beyond the ʻcenterʼ by analyzing how the disci- pline has developed, and by considering how lessons from this analysis relate to the discipline as a whole. The book aims to open a cross-disciplinary conversation about the nature of the English major in both non-Anglo- phone and Anglophone countries by addressing the ten- sions between language and literature pedagogy, the rel- evance of a focus on hyper-canonical Anglophone litera- ture in a world of global Englishes, world literature, and multilingual students, and by reflecting on the necessary contingency and cross-purposes of blended literature and language classrooms. Many of the book’s points of dis- cussion arise from my experience as an English profes- sor in Japan, where the particularities of English lan- guage and literature pedagogy raise significant challeng- es to Anglo-centric critical and pedagogical assumptions.

Issues discussed in the book include English language and literature pedagogy in Japan, the modes through which EFL and English literary studies converge and diverge, globalized English beyond the Anglo-American perspective, and English classroom practices, particular- ly in Japan.

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Introduction to “Reconfiguring Eng- lish Literary Studies in the Japa- nese Academy, ” in The Future of English in Asia: Perspectives on Language and Literature.

日本大学文理学部教授 マイルズ・チルトン In Japanese universities, globalization is said to be behind an increasing emphasis on communicative Eng- lish, a pedagogical mode that conflicts with a history of translation and grammatical analysis, and the privileging of hyper canonized Anglo-American texts and writers.

This history contributes to an unfortunate division between the aims of English language education and English literary education, and reifies English literary education to the point where perhaps even the globaliz- ing or ʻworldingʼ of English may not be able to penetrate.

Overcoming this history requires recognizing the plurali- ty of English so that English literary study is cognizant of the socio-cultural place of English in Japan, as well as its institutional history. This would also mean de-emphasiz- ing native speakers and encouraging English depart- ments to cast the geographical net beyond the Anglo- American canon. The net effect of this de-centering would be to relativize or provincialize Anglophone litera- ture to better reflect the differences and diffusions of the language.

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Introduction to “Leaving the Land- scape: Mapping Elsewhereness in Canadian City Literature, ” in Literary Cartographies: Spatiality, Represen- tation, and Narrative.

日本大学文理学部教授 マイルズ・チルトン Canadian literary criticism has long argued that the wilderness is the place of Canadian literature. Recently, however, this wilderness-based topos has come under scrutiny. Many critics now argue that the traditionalist’s sense of Canadian literary geography has never truly been possible. Thus it might seem that the expressly urban fictions of a new generation of urban-based writers can be called the first attempts to represent the land- scape. Yet, despite programmatic engagements with cre- ating Canadian literary cities, this urban turn continues the defeaturing of cultural and identarian specificity, the reasons for which can be found in Glenn Willmott’s post- colonial reading of Canadian modernism. Willmott main- tains that Canadian modernism, and therefore urban writing, is derivative of Euro-American modernism.

Unlike India, where postcolonial critics have sought to articulate multi-modernities, decentering and provincial- izing Europe and the West, Canadian writers and critics have accepted that the socio-cultural conditions for mod- ernism lie outside of Canada. I extend this argument to show that more recent attempts to recuperate a Canadian late- or postmodern urban literature sustains this postco- lonial condition, leading to literary cities that map not specific social or material conditions, but instead map Canadian cities in the circulation of trans- and postna- tional literary and spatial theories. As a result, the eli- sion of the Canadian city continues in new guises, obstructing any coherent theorizing.

●月例会報告

2015年12月以降の月例会・特別講演は以下のとおり

行われました。

12月 2015年度学術研究発表会・総会(2015年12月5日)

【学術研究発表会(語学の部)】

[司 会]真野 一雄(通信教育部教授)

[発 表]

1. 空間的拡張と指向を表す命題の事象性 一條 祐哉(文理学部准教授)

2. 完了形 HAVE + -en の時間指示 山岡  洋(桜美林大学教授)

【学術研究発表会(文学の部)】

[司 会]鈴木 英之(文理学部講師)

[発 表]

1. モダニズム文学と精神分析学

―日本における Ulysses 受容を通して―

松山 博樹(法学部助教)

2. Reading and Writing, Reading as Writing マイルズ・チルトン(文理学部教授)

1月 研究発表(2016年1月16日)

[司 会]前島 洋平(文理学部准教授)

[発 表]

1. John Milton, The Poems(1645)におけるラテン詩 にみられる叙事詩性

―英詩におけるPhoebusとの比較を中心として―

金子 千香(博士後期課程1年)

2. 当為を表すshouldとhad better―訳語「すべきだ」

と「したほうがいい」の意味考察とともに―

小澤 賢司(通信教育部助教)

4月 研究発表(2016年4月16日)

[司 会]野呂 有子(文理学部教授)

[発 表]

1. The Heart of Midlothian にみられる A Mask の影響 村松 瞳子(博士後期課程1年)

2. 動名詞と進行形の意味的類似性 島本慎一朗(博士後期課程2年)

5月 研究発表(2016年5月14日)

[司 会]佐藤 秀一(佐野短期大学教授)

[発 表]

1. Paradise Lostにおけるアーサー王物語的要素

―Le Morte d’Arthurとの比較を通して―

小川 佳奈(博士後期課程1年)

2. 属格の通時的研究―四福音書を中心に―

今滝 暢子(博士後期課程3年)

《月例会関連》

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