26
一地球環境レジーム
ここでいう「レジーム」とは、ある特定の問題や互いに関
連する一連の問題群に関する関係諸国の行動を規定する秩序
で、多国間協約によって明細に記述された規範や規則、さら
にはその遵守状況監視や管理・運用体制を指す。こうした観
点から捉えられたレジームの大半は拘束力のある法律に依拠
している。
地球環境問題に関して最も一般的なレジームの形式は、国
際協定という法律文書で、その成立後もさらなる交渉が期待
される、拘束力のある義務規定を含んでいる。関係諸国間で
詳細にわたる合意が得られなかった協定のなかには、後の交
渉で議定書の制定を期待しつつ、関係する問題に対処するた
地球環境レジーム : 国際公共財とし て の
地球環境の保護と管理
(
) 1 めの行動の大枠や方向性を規定するものがある。それは枠組
み条約といわれる。「国連気候変動枠組み条約」はその一例
で、原則、規範、目標や当該の問題に関する協力体制への仕
組み(政策立案や施行に関する締約国会議等を含む)が規定さ
れている。枠組み条約には一つか二つの議定書が付帯されて、
問題となっている環境問題に関する行為者の義務規定を詳細
に明記したり、規制対象物質の生産禁止期日を決めたりして
レジームが強化されることがある。オゾン層保護に関するモ
ントリオール議定書がその好例である。最後に、拘束力のな
い協定も、それが国の行動を左右する規範を確立する限りに
おいて、レジームと捉える見方もある。拘束力のない協定は
一般的に〝
so ft la w s
〟といわれ、環境外交の専門家の間でも 拘束力のない協定文書の重要性が指摘されている。 () 3 (
) 2
太田 宏
(
) 4
27 地球環境レジーム:国際公共財としての地球環境の保護と管理
(1)広義の定義によれば、レジームとは「明示的あるいは暗示的であろうと、ある特定の問題領域における行為主体の期待のいくらかの収斂を生み出す一組の規範、規則や意思決定過程である」(Stephen D. Krasner, ed, International Regimes, Ith-aca: Cornell University Press, 1983, p. 2
) 。こ
こ
では
しか
し
、
オラン・ヤングの定義を参考にした。つまり、レジームとは、
「 特定
できる諸活動あるいは一連の諸活動に関わる者の行動を左右する社会制度
University Press, 1989, pp. 12-13 National Resources and the Environment, Ithaca: Cornell Young, International Cooperation: Building Regimesfor Oran R. 行為者に受け入れられた任務」から成り立っている( 規則や(国際)協定群によって結び付けられた(それぞれの) であり、それは「行為者間の関係を左右する 」
) 。
(2) Gareth Porter and Janet W. Brown, Global Environmen-tal Politics, 2nd rev. ed., Boulder Colorado: Westview Press, 1996, pp. 16-17; Lynton K. Caldwell, International Environ-mental Policy:Emergence and Dimensions, 2nd rev. ed., Durham: Duke University Press, 1990. (3) Porter and Brown, Global Environmental Politics, p. 17. (4)国連環境開発会議(UNCED)で国際的政策合意形成に奔
走したモスタファ・トルバによれば、拘束力のない協定文書は「地域そして世界的レベルにおけるガイダンスとして採択された拘束力のない指針や原則であり、国家間のより均質な基準や実
践を助長し、最終的には拘束力のある国際的な法的取り決め、あるいは国内法に組み込まれることのある」ものである。MostafaK. Tolba and Osama A. El-Kholy, The World Environment 1972-1992, London: Chapman and Hall, 1992, p. 747. 二地球環境レジームの生成と変質
地球環境レジームはどのように誕生し変質していくのか。
一般的に、レジームは自発的に形成されたり、関係国間の交
渉の結果形成されたり、国際的に影響力のある一国あるいは
数ヵ国の国々の指導力によって形成される。環境レジームの
生成・発展は、関係する問題に利害を見出す政府に、またそ
れぞれの政府間の力関係に、さらには企業の利害とか環境保
護団体の活動にも左右される。また、レジームの生成と変質
の過程はおおむね三つの段階に分けられる。つまり、問題の
定義付けおよび政策課題の設定、レジーム形成のための交渉、
そしてレジームの変質(弱体化あるいは強化も含む)である。
これらに加えて、新事実の発見も環境レジームの生成と変質
にとって重要な要素であり、その影響はこの三段階のすべて
に及ぶ。 ()
(1) 問題の定義付けおよび政策課題の設定
環境レジーム形成の初期の段階では、そのレジームで取り
扱う環境問題が何であるかを確定することが必要である。レ
ジーム形成に向けての数々の交渉を通して、どうしたことが
問題で、どこまで関与するのかという課題の設定が行なわれ
る。この段階は、同時に、当該の問題について一般的な関心
1
28 を引き起こす機会も与える。さらに、様々な行為者がこの初
期の段階に影響を及ぼす。環境レジーム形成に参与する行為
者としては、国連環境計画(UNEP)、世界気象機構(WM
O)、国連食糧農業機関(FAO)といった国際機関から、各
国政府、多国籍企業、環境保護団体や民間の非営利研究機関
も含まれる。科学的事実の解明とか新事実の発見という情報
は、レジーム形成参与者に何が重要な問題であるのかを明ら
かにする導きとなる。
(
) 2 この環境レジーム形成の初期段階で特に重要な役割を担う
のが「問題意識を共有する政策ネットワーク」(
epi ste m ic co m m un ity
・・以下
「 エピス
テミック・コミュニティ
」 )で
ある。
地球の温暖化、オゾン層の破壊や生物の多様性の喪失という、
科学的知見や専門的で技術的知識を要する複雑な問題を国際
政策課題に取り上げる際に、国際的な連携があり、
「 ある
特定
領域において公に認められた専門的知識あるいは技術と権能
を有し、その領域あるいは問題領域内での政策に関連した公
式の権限を有する専門家ネットワーク」であるエピステミッ
ク・コミュニティが活躍する。彼らは必ずしも同じ学問分野
や同様の経歴を有する者である必要はないが、
「 官僚、テクノ
クラート、科学者、そして専門家」というのが主要なメンバ
ーである。そして、エピステミック・コミュニティが各国政 府によって当該の問題に対処するために権威を付与され、ま
た政策決定過程で重要な地位を占めれば占めるほど、彼らは
そうした国々において政策手段や目的等を革新する。さらに
エピステミック・コミュニティのメンバーが国連機関や他の
国際機関と緊密な関係にあり、国内と国際的コミュニティが
連動するなら各国の政策は収斂し、やがて国際政策協調が実
現し、そた広域の環境問題の解決が図られ
る可能性が高まる。
しかしエピステミック・コミュニティがすべてを仕切るわ
けではないし、科学者の役割にも限界がある。科学者が問題
設定において影響力を行使するときというのは、彼らの間に
よほどの科学的見解の一致があるときに限られる。また、エ
ピステミック・コミュニティに参画する科学者や専門家の多
くは「北」の工業諸国からの人材で、「南」からの参加が相対
的に少ないという問題がある。このことは、環境問題を規定
したり課題を設定したりする際に、
「 北
」 の諸国の
役割を増大
させる。ある地球規模の環境問題の設定やそれに対する政策
課題に関して、それが「北」の利益優先のものであるとか、
もともと工業国が引き起こした問題に対して「南」の諸国が
同じような責任をとるのは不合理である、というような不満
が「南」から起こることもしばしばである。 (
) 4 ( の結果国境を越え
) 3
29 地球環境レジーム:国際公共財としての地球環境の保護と管理
(2)レジーム形成のための交渉
交渉の段階では、レジーム形成を目指すグループと、それ
を阻止したり、あまり縛りのないものにしようとするグルー
プに分かれて交渉が進むのが通例である。国際交渉では各国
政府が最も重要な交渉の当事者である。利害とか問題への関
心が近似している「推進派諸国連合」と「阻止あるいは妨害
諸国連合」との間で交渉が進むが、連合の組み合わせは様々
で、「北」と「南」の諸国連合の対立という単純な図式ではな
く、「北」の諸国間でも、また「南」の諸国間でも対立の構図
が出現するし、それぞれの問題によって国の組み合わせも異
なってくる。
地球規模の環境問題における相互依存関係は、大国や中・
小国の連合に対して同等の交渉力を与える。経済大国はその
経済と産業規模の大きさから環境に与える影響は大きく、そ
うした国が参加しないとレジームは有名無実化するおそれが
ある。したがって、大国がレジーム不参加のいわば
「 拒否
権
」
を暗示しながら交渉に臨むときには、レジームの内容に与え
る影響力が一段と増す場合がある。また、第三世界の諸国が
団結して大国と同様に「拒否権」を示唆しながら交渉に臨む
とき、彼らもレジーム交渉過程で影響力を行使することがで
きる。さらに、レジーム形成交渉過程でそれぞれの連合の力 関係に影響を与えるのが、国際機関や企業連合であったり、
世界世論を背景にした環境NGOである。特に国際的に活躍
している環境NGOは、国際的情報交換と活動のためのネッ
トワークをもつだけでなく、重要な政策決定にも参加する場
合がある。 ()
(3)レジームの変質
あるレジームの強化あるいは弱体化は、主にそれぞれのレ
ジームに内在する原因や外的要因によって決定される。内在
する要因とは、レジームの管理・運用体制が効率的かどうか、
意思決定が公平かつ透明な手続きでなされるかどうか、ある
いは財源の基盤はしっかりしているかどうかということであ
る。さらには、レジームの規約を締約国に遵守させる体制を
備えているかどうか、また、レジーム形成時には予期できな
い事態に対しても柔軟に対応できる配慮がなされているかど
うかも、レジームの強化あるいは弱体化に影響する内在的原
因である。 ()
レジームの強化・弱体化に影響する外因としては、締約国
の力関係、利害の変質、さらには世界観などの共有される認
識が挙げられる。レジームの形成過程と同様、その管理・運
営に際しては、圧倒的な経済力等を有する覇権国の役割は重
大であるという見方があり、覇権国の力が衰退するにつれて、
5
6
30 レジームの管理・運用体制も劣悪化していくと論じる。技術
の内容や普及状況の変化、さらには締約国での政策優先度の
変化等の外因によって、レジーム形成時の各アクターの利害
が変化し、それが原因でレジーム自体が変質することもある。
最後に、少なくとも解決しなければならない問題に関する共
通の認識が存在し、解決をみつけだすには何が必要か、とい
うことに関してもなんらかの合意がある場合にレジームは強
化される。 ()
こうしたレジームの一般的特徴に基づいて、地球的規模の
環境問題であるオゾン層保護、地球の温暖化防止そして生物
の多様性保護のためのレジームについて以下に考察を加える。(
(1) Oran Young,
“
Regime Dynamics,”
International Organi-zation, Vol. 36, No. 2 (Spring 1982), pp 282-285. .(2) Emanuel Adler and Peter M. Haas,“
Knowledge, Power, and International Policy Coordination,”
(special edition), Internatona Organization, Vol. 46, No. 1 (Winter 1992), p. 3. il(3) Peter Haas, Saving the Mediterranean: Politics of Inter-national Environmental Cooperation, New York: Columbia University Press, 1990, pp. 64-65; 拙稿「国際関係論と地球環境問題――新しい地平を求めて」『法学政治学論究』一六号(一九九三年春季号)(慶應義塾大学大学院法学研究科)、四七―五二ページ。(4) MarianA. L.Miller, TheThird World in Global8
(
) 7
) 9 (5)民間非政府団体(NGO 1995, p. 60. Environmental Politics, Boulder: Lynne Rienner Publishers,
レジームであるが、紙面の制約ここでは取り扱えなかった。上 の取引問題、さらには捕鯨問題に関するものなども重要な環境 (9)これ以外のレジーム、例えば、熱帯雨林保護や産業廃棄物 International Governance, pp. 20-22. Young, et al., eds.,Global Environmental Change and(8) ceton University Press, 1984. Discord in the World Political Economy, Princeton: Prin- Robert O. Keohane, After Hegemony: Cooperation and(7) lege, University Press of New England, 1996, pp. 18-23. tional Governance, Hanover and London: Dartmouth Col- krishna, eds., Global Environmental Change and Interna- Oran R. Young, George J.Demko, and Kilaparti Rama-(6) る。が、現在ではもっと広い意味で使われている。 の専門領域の問題に関して参考意見を聴取する旨を規定してい 国連憲章第七一条は、経済・社会委員会は非政府団体から、そ 文化、人文・科学の分野での国際協力を促進する団体をさす。 tion)という概念は元来民間の国際組織を意味し、経済、社会、 ・・nongovernmental organiza-
三オゾン層保護レジーム
成層圏のオゾン層は、地球上のすべての生物にとって有害
な太陽からの紫外線を遮断したり、地球の気候にも影響を与
える。長期間にわたって太陽からの紫外線(特にUV
-
B)に曝されると、皮膚の老化を早め、皮膚癌、さらには、角膜炎、
31 地球環境レジーム:国際公共財としての地球環境の保護と管理
結膜炎、白内障、網膜の障害などの原因にもなる。植物や農
作物に対しても、生長の阻害や収量・品質の低下という影響
も予測されている。また、異なった高度におけるオゾンの分
布は、成層圏(高度約一〇―四八キロメートル)の温度分布と
気流の循環パターンに影響を与え、ひいては世界の気候にも
影響を与える。このように、成層圏に薄く広がっているオゾ
ン層は、地表の環境や健全な生命維持のためにはなくてはな
らない自然の防護幕である。 ()
()
()
人造の化学物質が、成層圏でオゾン層を破壊していること
が発見されたのは一九七〇年代であった。七四年、カリフォ
ルニア大学アービン校のマリオ・モリーナ博士とシャーウッ
ド・ローランド教授は、非常に安定した人造の化学物質であ
るクロロフルオロカーボン
ch lo ro flu or oc ar bo ns :
以下、CF (Cあるいはフロンと表記
) が成層圏ま
で到達し、太陽輻射によ
って最終的に分解し、大量の塩素ラディカルを成層圏に放出
するという研究結果を公表した。この塩素が成層圏中のオゾ
ンを連鎖的に破壊し、その結果地表に到達する有害な紫外線
の量が増大し、人間に対する被害はもちろんのこと、生態系
にも重大な影響を及ぼす恐れが指摘された。さらに、すでに
大量に大気中に放出されたフロンによる影響がなくなるだけ
でも今後何十年もかかるために、不必要なフロンガスの放出 を早急に停止する必要を説いた。
2
1
3
そもそもフロンは理想的な化学物質といわれ、毒性がなく、
可燃性でなく、爆発性もない。そのうえ、フロンは熱の吸収・
放出にもすぐれた特性をもつ。こうした性質をもつフロンは
冷蔵庫、冷凍庫、そして空調機器などの冷却装置の冷媒とし
て広く使われてきた。また、人畜無害、無味無臭、さらに、
圧力によって容易に多くの有機物を液化させる特性を利用し
て、スプレー缶の噴射剤としても広く利用されてきた。その
他、ウレタンフォームの発泡剤として、また、常温の液体フ
ロン
( CFC‐
一一三
) は精密
機械工業やエレクトロニクス産
業における精密洗浄剤として重宝されてきた。こうした人間
の作り出した理想的な化学物質が、しかし、地球の大気の組
成に影響を及ぼし、ひいては地表の生態系にも甚大な被害を
与えかねないのである。フロンに起因する成層圏のオゾン層
の破壊は、人間の科学的知識の限界を我々に改めて認識させ
るとともに、地球規模の環境問題の一つとして、世界的な行
動と協力体制を要請した。 ()
(1) 問題の定義と課題の設定
オゾン層保護レジームの形成に際しては、問題の認識や政
策課題の設定において科学者を中心としたエピステミック・
コミュニティとアメリカ政府を中心として「北」の諸国が指 (
) 4
5
32 導的役割を果たした。特にレジーム形成の段階
( さら
に交渉・
変質の過程
) では
、三つの主要な問題点の不確実性を減少させ
る必要があった。つまり、オゾン層の破壊が事実起こってい
るかどうか、使用されたフロン(やハロン〉とオゾン層破壊の
因果関係、そしてオゾン層破壊の規模や速度の推定に関する
不確実性を除去していく必要があった。
国際的に事実関係の早期解明のために調査がなされるよう
になった。米国は一九七五年一月、政府内に「成層圏の人為
的な変化に対する対策本部」を設立し、全米科学アカデミー
に調査を委託した。また同年、アメリカ議会はアメリカ航空
宇宙局(NASA)に成層圏問題の調査と解明を命じている。
英国も同様の調査をし、その環境局は七六年に調査報告を発
表している。また、UNEPやWMO等もそれぞれの立場で
調査・検討を始めた。七七年五月にUNEPが第五回管理理
事会で「オゾン層に関する調整委員会」を発足させ、国際的
なエピステミック・コミュニティが問題の認識と政策課題の
設定を促進する体制が整った。 ()
()
問題の認識の段階において、開発途上国はほとんど参加し
なかった。エピステミック・コミュニティには世界各国の科
学者、テクノクラート、政府や産業界の代表が参加したが、
そのほとんどが開発国の代表者であったからである。工業国 に基礎をおくエピステミック・コミュニティが、レジーム形
成のための問題の定義付けと交渉のための科学的状況を規定
したとえる。 () 6
7
い
(2) 交渉過程
UNEPの「オゾン層に関する調整委員会」はレジーム設
立交渉を主催した。交渉参加国の一部はフロンの使用全面禁
止を、他の国々は安全で、安くて使用価値のあるフロンの製
造と利用の継続を求めていた。こうした状況で、同委員会は
一九八二年から八五年の間八回にわたり会合を重ね、八五年
三月、基本的に監視、調査、そして情報の交換における協定
という内容の枠組み条約である「オゾン層保護のためのウィ
ーン条約」締結に漕ぎ着けた。しかし、規制対象物質、規制
の日程などの具体的な規制内容を定める議定書については、
引き続て審議されることにった。いな
その
「 モントリオ
ール議定書
」 ( 正式
名
・・オゾン層を破壊する
物質に関するモントリオール議定書)交渉が始まった一九八六
年一二月頃までには、CFCやハロンとオゾン層の破壊の因
果関係をより確定するデータが出てきた。特に八五年の南極
でのオゾンホールの発見は衝撃的であった。また、増加し続
けるCFCの使用は今後の規制スケジュール改訂の必要をも
意味した。まだレジーム推進国と反対国間には科学的証拠の
8
33 地球環境レジーム:国際公共財としての地球環境の保護と管理
妥当性に関して見解の相違があったが、なんらかの規制が必
要である点では合意が得られた。問題はそうした規制の範囲
と規制の日程であった。
交渉の初期の段階からフロンの消費規制に積極的な「トロ
ント・グループ」と、生産量の上限規制に留めようとする
「 欧
州共同体
( EC ) グループ
」 に分かれて
いた。前者に属するの
は、米国、カナダ、スウェーデン、ノルウェー、フィンラン
ド、ニュージーランド、オーストラリア、そしてスイスとい
った国々であった。レジーム形成に消極的で基本的に規制を
嫌ったもう一つのグループは、EC諸国を中心として、それ
ぞれの局面で緩やかに中国、日本、旧ソ連と連合した。一国
だけで世界のフロン生産の三〇%を占めていた米国は、エア
ゾールの噴射剤としてフロンの段階的使用禁止令を一九七八
年にすでに施行していたので、他国も同様の政策を採用する
ようレジーム交渉をリードした。他方、ECグループは、特
に主要なCFC生産国――英国、フランス、旧西ドイツ、そ
してイタリア――は八〇年の半ばまでには、世界のフロン生
産の四五%を占め、しかもそのうちの三〇%を開発途上国に
輸出していた。したがって、フロンの生産の続行を求めた。 ()
インド、中国、インドネシア、ブラジル、さらにはメキシ
コといった大きな開発途上国は潜在的なレジーム形成阻止国 であった。これらの国々のフロン生産は全世界生産の五%以
下であったが、毎年の生産力の伸び率は七―八%であった。
この潜在的なフロン生産能力が交渉力となりえた。が、初期
の段階にはどの国も積極的にレジーム形成交渉に参加しなか
った。 ( 10) 9
モントリオール議定書の具体的規制内容としてトロント・
グループは、一〇―一四年かけて段階的にフロンとその他の
オゾン層の破壊物質生産の九五%を削減そして凍結すること
を提案した。規制に反対するECグループは、科学的不確実
性を論拠に生産制限政策を主張した。こうした動きのなかで、
トロント・グループは一九八七年四月には五〇%削減という
妥協案を提示したが、ECグループは二〇%の削減にしか応
じないとして抵抗した。が、最終的には九月のモントリオー
ル会議でECグループ側が折れて、工業国は九九年までに八
六年水準での五〇%のCFC生産削減で合意した。また、開
発途上国は、最初の一〇年間に限りフロンの使用量を、一人
当たり年間〇・六六ポンド
( 〇・三キログラ
ム
) まで
増やすこ
とができるとした。また、開発途上国にはオゾン層を破壊し
ない代替物への転換のために技術支援を受ける権利があると
された。 (
11)
モントリオール議定書の内容には重大な欠陥があった。メ
34 チル・クロロホルムや四塩化炭素等のオゾン層破壊物質の生
産を規制しなかったし、オゾン層を破壊する可能性のあるフ
ロンとハロンの代替物の使用をも禁じていなかった。また、
オゾン層を破壊する物質の製造と消費を監視する体制や開発
途上国におけるフロン代替物質への転換のための基金に関す
る条項もなかった。工業国からの財政的、技術的支援がレジ
ームに盛り込まれるまで中国、インド、ブラジルはモントリ
オール定書体制に参なかった。 () 議加し
(3) レジームの強化
一九八七年九月に二四ヵ国とECが「モントリオール議定
書」に署名した。しかし、この協定成立の数ヵ月のうちにN
ASAが、議定書の規制が実施されてもその後四〇年のオゾ
ン層破壊の結果、地表に到達する紫外線は五―二〇%増加す
ると発表した。
「 モントリオール議定
書
」 が八九年一
月に発効
する前に、早速、ワーキング・グループが議定書の規制強化
を目指した修正の作業に取りかかった。問題の緊急性が高ま
るなか、八九年五月、議定書修正のためのヘルシンキでの会
議で、レジーム抵抗勢力であったECグループが立場を改め、
二〇〇〇年までの段階的CFC全廃に賛成するようになった。
九〇年六月のロンドンでの会議では、一三工業国からなる新
たなレジーム強化推進グループは九七年に全廃の日程を繰り 上げるように要求した。これに対して、これまでレジーム支
持派だった米国は、レジーム強化消極派の英国、フランス、
イタリアそして旧ソ連と連合して二〇〇〇年の期日支持にま
わった。
12
同じロンドン会議では、開発途上国へのフロン代替物質へ
の転換を支援する基金設立問題でも紛糾した。米国は基金設
立に関する条項を追加することに強く反対した。その主な理
由は、そうした基金を拠出するのは工業国であることと、こ
れが前例になるおそれがあるということであった。これに対
してレジーム強化推進国と環境保護団体は、開発途上国では
フロンの生産と使用が増加する傾向にあるので、そうした国々
が参加しないとレジームが弱体化してしまうと、基金の設立
の必要性を主張した。
ウィーン条約締結時にはほとんど関心を示さなかった開発
途上国は、
「 モントリオール議定書
」 の修正
会議の頃にはこの
レジームの重大性を認識するようになった。フロン代替物へ
の転換のための工業国からの資金・技術支援は、レジーム参
加への大きな誘因であった。開発途上国は、また、これまで
の開発国からの支援がフロン代替への転換援助にすり替えら
れることを恐れた。激しい交渉の結果、基金への拠出を義務
づけられるのは開発国だけということになったが、開発途上
35 地球環境レジーム:国際公共財としての地球環境の保護と管理
国、NGOや国際機関などからの寄付金の拠出を奨励した。 13
最終的には、一九九〇年六月のロンドン議定書修正会議で
かなりのレジーム強化がはかられた。
「 モ
ントリオール議定書
」
で規制対象となった五種のフロンと三種のハロンは、結局、
二〇〇〇年までに段階的に全廃されることになった。ハロン
化した他の一〇のCFCと四塩化炭素を二〇〇〇年までに、
また、メチルクロロフォルムは二〇〇五年までに全廃するこ
とにも同意が得られた。さらに、開発途上国のレジーム参加
を確保するため、フロン代替への切り替え目的の財政的、技
術的支援を議定書修正は取り入れた。この修正は九二年八月
に発効した。 ()
その後深刻なオゾン層の破壊状況や科学的情報によりレジ
ームはさらに強化された。一九九〇年代を通してオゾン層の
消失が予測されたし、北極地域での広範囲にわたるオゾン層
の破壊の可能性もあった。こうした状況で、九二年一一月に
八七ヵ国がコペンハーゲンに集まって、段階的全廃の日程を
九六年一月に繰り上げることに同意した。 (
15)
(1)環境庁「オゾン層保護検討会」編『オゾン層を守る』、日本五―ジ。放送出版協会、一九八九年、三五七ペー(2) Richard Elliot Benedick, Ozone Diplomacy: New Direc-tions in Safeguarding the Planet, Cambridge, MA: Harvard University Press, 1991, p. 9.
14
()
(3)このセクションの主な参考文献は、環境庁『オゾン層を守る』; Benedick, Ozone Diplomacy; Miller,
“
The Ozone Layer Protection Regime,”
inThe Third World in Global Environ-mental Politics, pp. 67-85; Porter and Brown, Global Envi-ronmental Politics, pp. 72-81; P. Haas,“
Banning Chlorofluoro- carbons: Epistemic Community Efforts to Protect Strato-spheric Ozone,” International Organization, Vol. 46, No. 1 (Winter 1992), pp. 187-224. (4) Mario J. Molina and F. Sherwood Rowland,“
Strato-spheric Sink for Chlorofluoromethanes: Chlorine Atomic Catalysed Destruction of Ozone,”
Nature, 249 (1974), pp. 810 -812. (5)環境庁『オゾン層を守る』、六〇―六一ページ。(6)当時、国内の光化学スモッグ問題解決に専念していたこともあって、日本の環境庁が大気保全局に「成層圏オゾン層の保護に関す討会」を設置したのは、一〇年以上遅れた一九八る検七年二月であった。(7)“
aniColurcrns,”
p 19-1.Haas, Bnng hlrofooabop.396( 8
)
Miller, TheThird WorldinGlobal Environmental Politics, p. 77. (9)Ibid., pp. 69-70; Porter and Brown, Global Environmen-tal Politics (1996), pp.72-73. (
( 10 Porter and Brown, op. cit., p.73. ) 11)「
モ
ント
リオ
ール
議定
書
」の
第一
条(
定義
)で
規制
対象
物質
に関する規定で、それらは、グループIのCFC(フロン)五種類(CFC-11, 12, 113, 114, 115)と、グループⅡのハロン三種
36 類(halons 1211, 1301, 2402)となっている。(
( Politics, p. 79 12Miller, The Third World inGlobal Environmental)
( 13Ibid., p. 80 )
( 生産と使用も認可しないと宣言した。 廃することを付帯書で宣言した。締約国は他の四六のハロンの とも二〇四〇年までに、できれば二〇二〇年までに段階的に全 14)この他にも、部分的にハロン化した三三のフロンを、遅く 15 Tolba and El-Kholy, The world Environment, p. 47.)
四地球温暖化防止レジーム
地球の気候変動という科学的でしかも抽象的な問題がいっ
たいどのように国際政治課題になり、最終的に、この問題に
対処するための国際条約の成立をみることができたのだろう
か。そもそも誰が、なぜ、どのようにこの課題を採り上げた
のだろうか。以下にこの問題を概観してみる。 ()
(1) 問題の定義と課題の設定
二酸化炭素などの温室効果ガスによる地球の温暖化が、地
球上の生物の生存に適する環境形成に大いに寄与してきたと
いう仮説は、今や「科学的理論」として確立されている。現
在問題となっているのは、産業革命以来人間の諸活動によっ
て大量に排出されるCO2等の温室効果ガスによる人為的で
急速な地球温暖化と、その結果として憂慮される気候変動で ある。UNEPとWMOが中心になって、気候変動に関する
科学的知見の確立と世界的対応策を練るために、一九八〇年
代半ば以降世界の気候・気象学、天文学、地質学や生態学の
科学者グループの会合が数多く開催されるようになった。
()
1
2
一九八五年オーストリアのフィラハで開かれた、地球温暖
化に関する科学的知見の整理を目指した国際会議を始めとし
て、八八年の「気候変動に関する政府間パネル」(IPCC)
の設立、そして、九〇年に発表されたIPCCの「科学的評
価」の中間報告を通して、地球温暖化に起因するとされる気
候変動についての「科学的知見」の国際的統一見解が確立さ
れた。大気中のCO2増加によるとされる温暖化が、どの程
度、いつ、どの地方の気候に影響を与えるのかといった問題
に対して、現在のところまだ確実な答えは提示されていない。
が、人間活動による大気中のCO2は急速に増加し続けてい
ること、それらは一〇〇年以上大気中に残留すること、さら
に大気中のCO2の温室効果等は確実に知られている。
IPCCの科学的影響評価部会の一九九〇年の発表
( 九二
年
にも追認
) によ れば、もし人工的に大気に放出されるCO2排
出の抑制策を一切採らないなら、二一〇〇年までに大気中の
CO2は現在の二倍になり、地球の平均気温を摂氏一・五―
四・五度、現在科学的に妥当な数値として二・五度押し上げ (
) 3
37 地球環境レジーム:国際公共財としての地球環境の保護と管理
ると予測されている。氷河期と間氷期間の地球の平均気温差
が五―六度であることを鑑みるなら、現在予測されている二
一〇〇年までの二・五度の温度上昇は、その上昇期間の短さ
と上昇規模の大きさから推して、地球の気候システムにかな
りの変化をもたらすものと予測される。
地球の温暖化による海面上昇問題も憂慮される問題である。
前述のIPCCの影響評価は、温暖化抑制策をまったく採ら
ないとして、二〇三〇年までには地球の海面が平均一五セン
チメートル、二一〇〇年までには平均六五センチメートル上
昇するだろうと予測している。海面上昇問題は、特に沿岸地
域や島嶼国にとっては深刻な問題である。そうした地域は自
然災害にも見舞われやすいところでもある。例えば、オラン
ダ、バングラデシュ、太平洋やその他の海洋上の島々である。
以上のように、地球の温暖化に関する科学的知見の確立に
おける科学者の役割は非常に重要だった。が、オゾン層保護
レジームの場合と同様に、国際的科学者コミュニティの大半
が「北」の諸国からの参加であり、工業国中心の問題の定義
付けや課題の設定であったと指摘できる。ただ、沿岸地域の
多い国や島嶼国にあっては、レジーム形成の早い時期から問
題に対する関心は高く、終始積極的に関わってきている。こ
うした動きを支援したのが環境NGOの働きであった。 (
一九八〇年代後半から九〇年代に入って、他の分野同様、 ) 4
環境問題関係のNGOは国際組織や各国政府に対してあらゆ
る機会に様々な方法で、しかもマスメディアの注意を引きな
がら、環境保護を訴えている。例えば、八九年九月にワシン
トンDCで開催された国際通貨基金(IMF)と世界銀行の
年次総会会場周辺には、数万人もの人々が集い、IMFや世
銀の開発援助が開発途上国の先住民の環境、文化、時には生
存さえ危うくしていると訴えた。IMFと世銀はこうした圧
力に接して、今後開発援助の環境影響評価を十分考慮すると
宣言した。その後も、環境NGOはこうした国際開発銀行の
機構改革ならびに援助企画の見直しに関して盛んにロビー活
動を展開している。また、九〇年七月、テキサス州ヒュース
トンで開かれた先進国首脳会議
( G7 ) において
も同様の活動
を展開している。 ()
上述の要因はレジーム形成上の必要条件であったが、十分
条件ではなかった。国際関係のシステム・レベルでの変化と
それに伴う「安全保障」問題に対する認識の変化、一九八〇
年代半ばからの世界的な旱魃・洪水の多発という異常気象、
そして「地球環境外交」という外的要因がレジーム形成に向
けての十分条件であった。
米ソ超大国を両極に抱いた冷戦体制の崩壊は、一九八九年
5
38 のベルリンの壁の崩壊とともに象徴的かつ具体的イメージを
伴って始まった。また、東欧諸国の「民主化運動」の沸騰と
ソ連邦の解体は、東西対立に起因する核超大国による全面核
戦争の脅威を「現代政治の現実」という前衛から「歴史的事
実」という後衛へと後退させた。さらに、ECの市場統合や
北大西洋条約機構(NATO)の東ヨーロッパヘの拡大傾向
は、大国間での武力紛争発生の可能性の縮小を示唆している。
こうした国際システムのレベルにおける世界政治の質的転
換は、「安全保障」問題を「軍事安全保障」問題に還元して考
える「冷戦」時代の見方に対する再検討を促す要因になって
いる。例えば、ジェシカ・マシューズは、
「 安全
保障の再定義
」
と題した論文で、安全保障という概念が、自然資源、環境、
人口問題という軍事以外の問題も含むより広義の意味として
理解される必要を論じている。開発途上国における人口の急
増、自然資源の搾取、土地所有の不平等からなる複合要因は
地域の生態系の崩壊をもたらし、多くの住民が「環境難民」
として都市や周辺諸国へ流れ込み、その結果、社会そして政
治不安を起こす。同様のことが地球の温暖化問題による気候
変動によって起こる可能性を指摘し、
「 地球環境安
全保障
」 と
いう視点で状況に対処する必要を論じている。 ()
()
NASAのゴダード宇宙研究所長のジェームズ・ハンセン 博士が、一九八八年六月に米国の上院委員会で、おそらく大
気中のCO2等の温室効果ガスの増加によって地球の温暖化
は進行していると証言した頃、異常気象による自然災害が世
界の各地で発生していた。 () 6
7
一九八八年の夏、洪水と旱魃が中国大陸を襲った。浙江省
の二四〇〇万エーカーの農地が洪水によって水浸しになる一
方、七月に入って一〇日連続、人間の体温を上回る猛暑が中
国の中部地方を襲い、中国全土の二三%の農地が旱魃の被害
を受けた。同じ頃、カナダの南部穀倉地帯も、三〇年代のア
メリカ中西部を襲った旱魃による黄塵地帯を髣髴させる状況
であった。さらに、八八―八九年にバングラデシュは二年連
続で大洪水に見舞われ、甚大な被害を被った。猛暑や豪雨と
いう異常気象による旱魃と洪水は米国やヨーロッパでも数多
く発生した。こうした異常気象のすべてを地球の温暖化によ
る気候変動に帰することはできないが、八〇年代後半から顕
著になってきた猛暑や豪雨の異常気象は、科学者や環境NG
Oが警鐘を鳴らしてきた地球温暖化問題に一般大衆の耳目を
向けさせた。 ()
(
10)
一九八八年六月、トロントで開催されたG7が国際政策課
題として地球の温暖化問題を初めて取り上げた。同会議の宣
言は、UNEPやWMOが中心になって、地球気候変動問題
9
8
39 地球環境レジーム:国際公共財としての地球環境の保護と管理
に関する政府間パネルを設置するよう勧告した。これを受け
て八八年一一月にIPCCがUNEPとWMOによって設置
された。 ( 1)
一九八九年は「地球環境外交」の年といっても過言ではな
く、気候変動問題を国際政策課題として採用するための国際
的合意形成を促進した。まず、三月に当時の英国のサッチャ
ー首相は、オゾン層の破壊問題に関する三日間の国際会議を
主催した。その一週間後には、フランス、オランダ、そして
ノルウェー政府が合同で
「 地球
の大気保全に関する国際会議
」
をハーグで開催した。同会議の宣言では、気候変動が重大な
問題であることを認識し、国際法の整備と効果的な意思決定
メカニズムの必要を訴えた。同年七月、フランスで開催され
たG7会議の経済宣言は、IPCCの作業を強く支持しつつ、
CO2やその他の温室効果ガス排出抑制の必要性を訴えた。九
月にはUNEPとWMOとの共催で、日本政府が「地球環境
保全に関する東京会議」を開催し、一一月にはオランダ政府
がノールドヴェイクで大気汚染と気候変動に関する関係閣僚
会議を開いた。この会議の「ノールドヴェイク宣言」では、
可能な限り早い時期に温室効果ガスの排出をある一定レベル
に安定させること、そのレベルについてはIPCCと九〇年
一〇―一一月に開催予定の第二回世界気候会議決定を尊重す ることなどが宣言された。また、同宣言はすべての国に対し
て、IPCCの中間報告後できるだけ早い時期に条約締結交
渉が開始されるよう要請した。
(
13) (
14) 2
(
11)
時期を同じくして、開発途上国でも気候変動に関する国際
会議が開催された。一九八九年一一月、海面レベル上昇に関
する小国会議がモルディヴ共和国で開かれた。一二月にはカ
イロで気候変動準備世界会議、さらに翌年五月にはナイロビ
で地球の温暖化と気候変動に関する国際会議が開催された。
こうした会議は沿岸諸国や島嶼国の懸念や開発途上国一般の
関心を反映しながら、一様に気候変動枠組み条約の締結の必
要を訴えた。
この「環境外交」の流れのなかで、二年間の作業を終えた
IPCCは一九九〇年八月に科学的影響評価、社会経済影響
および対応戦略に関する中間報告を発表した。これを受けて、
一〇月末から一一月初頭にかけて第二回世界気候会議が一三
七ヵ国関係閣僚の参加で開催され、その関係閣僚宣言は、温
暖化防止のための国際共同作業と枠組み条約交渉開始を約し
た。(2)交渉過程
「 国連気候変動枠組み条約
」 (INC)は
、「気候変動枠組み
条約に関する政府間交渉委員会」の場で、一九九一年二月か
40 ら九二年五月にかけて実質六回の会合を通して条約作成作業
が行なわれた。条約交渉の初めから期限切れ間際まで、世界
のおおむね三大グループ間の利害が対立した。ECと北欧諸
国、日本ならびに沿岸・島嶼国からなる
「 CO
2排出抑制推進
派連合
」 は
、条約の具体的行動目標として「二〇〇〇年まで
に一九九〇年レベルでCO2排出量の安定化を図る」旨を条
約に明記するよう要求した。こうした動きに強く反対したの
が米国を中心とする、
「 行動
目標明記反対連合
」 であ
った。こ
のグループには石油輸出国機構(OPEC)諸国も含まれる。 (
15)
いま一つのグループは、中国、インド、マレーシアなどの
開発途上国からなり、条約には反対しないものの、その規定
が自国の自然資源利用に関する「主権」や開発する「権利」
を侵害することのないよう要求した。この「開発派連合」は、
「 貿易と開発に
関する国連会議
」 ( UNCTAD
) の第一回
会議
中(一九六四年)に結成されたグループ七七を再活性化した。
地球規模の環境問題の発生に関しては先進国の責任を追及し、
その解決のためには開発国と開発途上国の間で「差異のある
責任」を規定する旨を主張した。また、発展途上国が環境保
護政策を採る場合、それが国の開発の障害となることのない
ように、これまでの二国間援助、IMFや世銀の開発援助と
は異なる「新規かつ追加的」な資金援助と開発国からの公害 防止技術の移転を要求した。
「 開発派連合
」 はINC会議
期間
中に特別に閣僚級が出席した国際会議を北京とクアラルンプ
ールで開催し、同連合の統一要求を確認し、開発国連合に圧
力をかけた。 (
1)
ちなみに、これら二つの開発途上国閣僚会議の間に日本が
主催した
「 賢人
会議
」 が開
催され、
「 国連
環境開発会議
」 ( UN
CED
) 事務局
側としては、日本の指導力や財政的貢献に期待
しながら、条約交渉で争点となっていた資金援助問題対策を
模索したのであった。結論の一端を記せば、世銀に三年間の
パイロット企画として、地球環境問題に対処するための一〇
―一五億ドルのソフトローンである地球環境ファシリティー
( GEF
) を活用する
こととし、開発途上国の要求していた
「 新
規でかつ追加的資金
」 の設立
の考えを排除する一方、彼らの
要求に基づき、GEFの運用を「透明かつ民主的」に行ない、
実施三年後にこの方式を再検討するということになった。
CO2排出量抑制に関する具体的目標を条文に明記すること
に関して、米国は最後まで反対姿勢を貫いた。世界で最もC
O2の排出が多い米国が調印しないのでは条約の意味がなくな
るばかりでなく、米国に同調する国が続出するおそれがあっ
たので、UNCED事務局、EC、そして日本らの推進連合は
米国の要求との間の妥協点を見出して、最終的には「安定
6
41 地球環境レジーム:国際公共財としての地球環境の保護と管理
化」、「二〇〇〇年まで」そして「一九九〇年レベル」といった
字句が同じ文節に並ばないような条約文となった。 ()
(3) レジーム強化に向けて
一九九二年六月開催のUNCEDで一五四ヵ国が署名した
「 国
連気候変動枠組み条約」は、九四年三月に発効した。現
在、CO2排出抑制実施段階に入るとともにレジームの強化が 図られているが、ともに難航している。 (
18)
一九九五年三月二七日―四月七日に開かれた「気候変動枠
組み条約」第一回締約国会議では、二〇〇〇年以降の削減目
標や対策を、九七年京都で開催予定
( 一二月
一―一二日
) の第
三回締約国会議で決めることを確約した。九六年七月八―一
九日ジュネーブで開かれた第二回締約国会議では、二〇〇〇
年以降の目標や対策が単なる努力目標に終わらず、付属議定
書などの法的枠組みに移す道筋が話し合われた。が、同会議
では「温暖化」と気候変動の因果関係に懐疑的な見方も依然
強く主張されるとともに、経済的犠牲さえ伴いかねない二〇
〇〇年以降のCO2排出規制や対策に対する抵抗が強まり、
今後予断を許さない状況になっている。地球温暖化防止レジ
ームが強化されるかどうか、日本の指導力にも注目しながら、
今後の動向をうかがう必要がある。 (
19)
(
20)
(
2) 1
17
(1)地球の温暖化防止レジームに関しては、拙稿Japan's Politicsand Diplomacy of Climate Change (New York: ColumbiaUniversity, 1995, Ph. D. Dissertation) と「国連気候変動枠組み条約成立過程――国際政策課題の設定と条約交渉の背景」(『外年四月号、一八―三五ペーt 交時報』一九九五ジ)を参照した。(2) Stephen H. Schneider, Global Warming: Are We Ener-ing the Greenhouse Century?New York: Vintage, 1990, p. 24. (3)一九八〇―九〇年にかけて、人間活動に伴う「温室効果ガス」の大気中における増加のうち、CO2が全体の五五%と最も多く、次いでCFC一一と一二が一二%(他のCFCが七%)、メタン(一五%)と一酸化二窒素(六%)となっていた。霞が関地球温暖化問題研究会編・訳『IPCC地球温暖化レポート
・・「 気候
変動に関する政府間パネル
」 報告書サ
マリー』、中央法規、一九九一年、五二―五三ページ。(4) J. T. Houghton, et al., eds.,Climate Change: The IPCCScientific Assessment, Cambridge: Cambridge University Press (CUP), 1990; J. T. Houghton, et al., eds.,ClimateChange 1992: The Supplementary Report to the IPCC Scien-tific Assessment, Cambridge: CUP, 1992. (5) BarbaraBrambleandGarethPorter,