国家主義映画としての朝鮮映画と受動革命
著者 李 香鎭
雑誌名 評論・社会科学
号 76
ページ 89‑131
発行年 2005‑03‑20
権利 同志社大学人文学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000011860
国 家 主 義 映 画 と し て の 朝 鮮 映 画 と 受 動 革 命
リヒャンジン
李 香 鎭
︵英国シェフィールド大学社会科学部東アジア学科︹
School of East Asian S tudies
︺教授日本学術振興会外国人特別研究員
︵1︶同志社大学文学部社会学科メディア学専攻客員研究員︶
︹本論文は韓国語で書き︑日本語訳は同志社大学大学院文学研究科新聞学専攻博士課程前期在籍の
リ・キジン李其珍氏に担当していただいた︒
本論文は二〇〇四年度科学研究費補助金︵特別研究員奨励費・研究課題﹁日本のマスメディアと
大衆文化における韓国イメージの研究﹂・課題番号〇四七八五︶による研究成果の一部である︒︺
序論
韓国社会は今︑国家アイデンティティ︵Identity・自己同一性︶の転換期を経験している︒体制・支配理念としての
冷戦イデオロギーは︑もはや挑戦と克服の対象となった︒そして︑韓国を民主化に導いた革新性によって︑今日︑主体
︵2︶的でない南北関係︵訳注:韓国/朝鮮民主主義人民共和国︹以下朝鮮︺︶の清算が要求されている︒朝鮮に関して議論
することは︑過去のように政治的タブーや文化的抵抗を象徴するものではなく︑新たな民族アイデンティティを探るた
めの努力の一つと見なされる︒一方︑韓国の資本主義的現実は︑金正日︵キムジョンイル︶や朝鮮のイメージを大衆娯
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楽の素材とし︑やがて商品化してしまう商業至上性を現している︒朝鮮の自然環境が観光商品として雑誌や新聞の紙面
を飾り︑百貨店に並ぶ朝鮮産商品が低価格の魅力で消費欲求を煽る︒その裏で︑慢性的な経済危機に陥った朝鮮人民
や︑韓国社会の新たな少数集団である朝鮮からの亡命者たちは︑人々の無関心の中で見捨てられていく︒
このように国家アイデンティティの転換期にある韓国社会にとって︑朝鮮映画はもう革命を夢見る者のパンドラの箱
ではない︒機会は限られてはいるが︑朝鮮映画へのアクセスは難しいことではない︒実は︑問題になっているのは朝鮮
映画の利敵性ではなく︑それが大衆娯楽としてなかなか認められないことである︒地上波放送で朝鮮映画が放映され︑
︵3︶多くの人々がそれを見たという︒しかし︑その人々を常連客にさせるほど
!すてき
"なものではなかったようだ︒朝鮮
映画には韓国映画やハリウッド映画と競争できるほどの商品性がない︒朝鮮映画は市場経済の支配する韓国で︑公的支
︵4︶援︑あるいは特別な政策に助けられずに︑大衆的支持を得ることがいかに難しいことかを実感した︒さらに︑朝鮮で韓
国映画やテレビドラマのビデオが密かに広がっており︑それを取り締まる朝鮮政府の厳重な姿勢をみると︑韓国の大衆
文化が朝鮮人民に与える影響の深刻さを推測できる︒
では︑このように︑娯楽的な要素もなく禁断のものへの好奇心もくすぐらなければ︑覗き見の興奮さえ与えてくれな
い朝鮮映画を研究することによって︑我々が得ようとするものは一体何なのか︒朝鮮映画における社会性と政治的比喩
は︑果たして現実への﹁経験的研究﹂︵empiricalstudy︶と異なる次元の﹁解釈的空間﹂︵interpretativespace︶を提供し
てくれるのだろうか︒これは︑映画が朝鮮の代表的な大衆文化形式であり︑比較的に外部からの研究が容易な媒体であ
るという特性だけでは説明できない問題である︒もしこの研究が︑全体主義的な生産消費様式をとる朝鮮映画を構造主
義の立場から解釈し︑政治勢力がそこに投射したイデオロギーを確認する同語反復の理論作業になるのであれば︑既に
ある議論や︑朝鮮からの亡命者らの証言をおいてまで映画を研究対象にする必要はないだろう︒
本稿は︑このような構造主義の立場を止揚し︑映画が社会的行為として持つ相対的自律性と文化構成物として再現さ 国家主義映画としての朝鮮映画と受動革命
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れる多義性︑そしてイデオロギー問題を前提に︑朝鮮映画の理論と実際を扱う︒分析の方法論になる枠組みとしては︑
テキストとしての映画と︑それを生産した社会の脈略を交差させて解釈する︑いわゆる内在的接近を採用する︒理論的
な枠組みとしては︑アントニオ・グラムシ︵GramsciAntonio,1971;1985 ︶が提起した︑﹁受動革命﹂における文化の
大衆動員性論と︑経済決定論的な構造主義を批判するルイ・アルチュセール︵AlthusserLouis,1970;1977;1984;
1996 ︶の︑文化が持つ相対的自律性に対する論議を中心とした後期マルクス主義の立場を採用する︒
論文の構成は次の通りである︒まず︑朝鮮映画を分析する理論・方法論の枠組みを紹介し︑次に朝鮮映画の理論と実
際︑そして代表的作品の傾向を論じた後︑現代朝鮮映画を具体的に分析することによって配給と受容の特性を探る︒第
一章で理論的枠組みを紹介し︑第二章で朝鮮映画理論の歴史的変遷過程を主体芸術論の登場を軸にして分析する︒第三
章では金正日によって完成された主体芸術論が政策として制度化される過程に注目し︑六〇年代後半に飛躍的な量的膨
張を遂げた現代の朝鮮映画産業を︑制作・配給・受容の側面から簡単にまとめる︒続いて第四章では︑代表作品をジャ
ンルとテーマ別に分けていくつか紹介する︒そして第五章では各章の議論に基づいて﹃民族と運命﹄シリーズの内︑
﹃カプ作家﹄︵KAPF﹇KoreaArtistaproletaFedereta﹈朝鮮プロレタリア芸術同盟︶の巻と﹃労働階級﹄の巻の制作過程と
テキストを分析する︒そして︑二〇〇三年︑香港映画祭に出品された﹃生きている霊魂﹄のテキスト分析を通じて︑現
代朝鮮映画が再現する︑さまよう国家アイデンティティの政治学を批判的に論じたい︒このような理論的論議と経験的
研究によって︑国家主義映画としての朝鮮映画に現れる
鐚明朝︑てしうそ︒るて当を照藤にさし乏の性律自的化文と鮮
の映画とは国家エリートの主導する受動革命に大衆を動員するための文化的装置であることを論証する︒最後に︑映画
が朝鮮の政治体制に潜んでいるアイデンティティの危機を最も効果的に現す社会領域であることを確認し︑結論とす
る︒
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国家主義映画としての朝鮮映画と受動革命
第一章朝鮮映画を見る理論的枠組
第一節解釈学の側面から見た朝鮮映画研究の意義
映画研究は文化テキストとして映画が持つ固有の媒体的特性を前提に行われなければならない︒文化テキストは︑
人々の相互作用によって意味を伝えるコミュニケーション過程であり︑人々の解釈によってのみ社会的意味を与えられ
るものである︵Barthes;1993;Geertz,1993 ︶︒また︑生産者と受容者は︑コミュニケーション過程の両極端に位置する
ものではない︒生産者は受容者の主観的解釈を前提にテキストを構成し︑受容者もテキストに生産者の意図が入ってい
ることを見通した上で解釈に臨むのである︒したがって︑受容者は初めから目に見えない主体としてテキストの構成に
介入する︒一方︑生産者は予想される受容者の解釈を類推しなければならない︒つまり︑生産者は二重の悩みを抱えな
がらメッセージを送るのである︒このように映画は︑人々の自律的かつ主体的な認識と現実への主観的解釈が交わされ
ることによって内的構成論理を形成する︵Andrew,1984︶︒受容者の能動的な参加を促す生産者の努力なしで︑映画が
社会的な命を与えられることはできないし︑たとえ受容されたとしても生産者の意図とは全く異なる意味で再現される
ことが多い︒交差する解釈の重要性は受容者の立場においても同様である︒受容者が︑生産者のいる社会的脈略と共
に︑その再現された現実を理解する時︑本当の共感が形成される︒そして︑いかなる解釈においても︑現実的な慨然性
と推論の当為性︑論理的な熾烈さ︑そして説得力が確保されなければ︑いつまでも新たな解釈の挑戦を受け続けること
になるだろう︒
映画研究において重要なのは︑このような﹁開かれた解釈の可能性﹂︵Andrew,1984;192︶である︒だから︑朝鮮映
画は閉ざされた社会に存在する開かれた空間である︒朝鮮映画は︑それが国策産業であるとはいえ︑新聞や放送の機能 国家主義映画としての朝鮮映画と受動革命
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とは異なる︑民意を構成する人民の主観的解釈を前提とした創作物である︒したがって映画制作者は︑中央政府が伝え
ようとするメッセージを人民に届けたときに予想される
鐚らを実現で場立の民人︑ずな藤ばれけなし慮考に的先優を再
現する努力が必要とされる︒特に大衆娯楽の機能を持つ劇映画の場合︑その努力がなければ︑いくら充実した再現であ
ろうとも︑映画を見る楽しさ以外に受容者から意図した通りの解釈を得ることは難しい︒
朝鮮映画が世界映画史の中でも独特なのは︑国家権力で文化的自律性が統制できると考えられ︑最高権力者自らの介
入によって︑国家主義映画が制度化されたことである︒朝鮮では︑映画が国家の政策を意図的に批判したり︑国家と一
定の距離を置くことは許されていない︒それゆえ朝鮮映画が示す政治的従属性は︑他の民族国家や多民族社会に存在す
る映画産業の場合と比較し難いほど極端なものである︒しかし︑そもそも映画が内在している解釈的自律性によって社
会的行為として用いられる皮肉は︑政治的圧力が人々の想像力を束縛することを断じて拒否する︒外からの圧力が強け
れば強いほど︑
鐚Spellberg,761;1985硬な露骨になればた︑し入直るほどが政介すは熾烈さを増︵治︶︒それに︑藤イ
デオロギーが充満していく︒よって︑巧妙な諷刺や直接的な批判がそうである以上に︑受容者の共感形成や同一化を妨
げる結果を招くのである︒例えば︑真剣な政治劇や社会告発劇の場合︑その社会のイデオロギー的規範を内在しない観
客がみると︑悲劇的な結末さえ喜劇的に受け止めてしまうことがある︒だから︑朝鮮映画の中で﹁党の指示があれば︑
︵5︶我々は従う﹂といった政治的スローガンがいくら繰り返されても︑受容者である人民の映画的想像力や彼らの間のコミ
ュニケーションを完璧にコントロールすることはできない︒このような点から︑朝鮮映画は︑国家の率いる受動革命の
ために利用される文化的手段でありながら︑実は︑朝鮮社会に存在する政治的強制性を絶えず訴えているものと言えよ
う︒
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国家主義映画としての朝鮮映画と受動革命
第二節朝鮮映画の社会的役割││受動革命論と文化的自律性
︵6︶朝鮮は︑政権樹立の時から︑映画をその政治秩序と社会体制を正当化するための大衆宣伝手段として利用してきた︒
即ち︑朝鮮の映画に課せられた社会的役割は︑最初から過去の階級秩序が崩れた後に︑政権が新たに移植した社会・階
級秩序を正当化し︑維持するために︑大衆教育を行うことであった︒つまり外部勢力との階級闘争を遂行するために
は︑解放地区である現代朝鮮社会の政治秩序を絶対的に擁護しなければならない︑という国家支配エリートの主張を︑
大衆の世論に転換させる装置として︑朝鮮映画は始まったのである︒朝鮮政府は革命政府であり︑社会変動は朝鮮政権
が行う大衆扇動の理念である︒これは︑グラムシが指摘したヨーロッパ国家の﹁受動革命論﹂︵1970;180−85 ︶と似た
ような戦略的特性を持つ︒また︑グラムシの理論を非西欧国家に拡大させて分析するチャテジー︵Chatterjee,1993;211
−14 ︶は︑受動革命論が︑地域差によらず資本主義社会に共通して採用される文化的戦略であり︑﹁復古主義運動︵Reviv- alistmovement︶﹂であると主張した︒しかし本稿では朝鮮映画の研究を通じて︑受動革命が︑資本主義対社会主義か西
欧対非西欧かの区分に関係なく︑支配エリート・保守勢力が社会変動に関する世論をコントロールしている社会であれ
ば︑普遍的に現れる文化現象であると主張する︒国家主義映画としての朝鮮映画は︑朝鮮政権が主張する社会主義的階
級革命論が受動革命論の一つの形であることを皮肉にも表している︒それは文化が革命・抵抗精神と批判性を投げ捨
て︑体制維持のために働いていることから自明である︒﹁地球上に残った最後のスターリニスト国家﹂とも呼ばれる朝
鮮の映画は︑体制指向の反革命性に覆われている︒これは︑いくら社会主義国家であろうとも︑マルキシズムや後期植
民地主義的な文化批判が理論的に適用されて妥当であることを裏付ける︒同時に︑現実に朝鮮の文化における全体主義
がいかに深刻な状況であるかを赤裸々に暴くものであると言えよう︒
映画はそれを生産した社会を覗く窓である︵Rosenstone,1995︶︒ただし︑映画が再現した現実︵Reality︶は個人がそ
れぞれ経験する世界の機械的な反映ではない︒集団的想像力から再現される現実は︑匿名多数を対象にして︑生産者の 国家主義映画としての朝鮮映画と受動革命
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主観的選択によって再構成され︑定型化する︒また映画は︑鏡のような反映はせず︑見つめる視点︑言い換えるとカメ
ラの目に頼って異なる現実を再現するものである︒その結果︑生産者が選んだ観点から再現された現実が受容者に共感
されなければ︑事実の有無に関係なく︑コミュニケーションの失敗という極端な結果を招くのである︒扱われる現実が
生産者の決めるものであっても︑集団的体験による映画的想像力︑あるいは観客とのコミュニケーションを通しての
み︑映画は説得力を得ることができる︒したがって︑コミュニケーションを拒む映画は︑文化としての批判性と躍動性
を放棄したものと見なして良いだろう︒文化的自律性を放棄した映画とは︑そこにいくら政治介入による強制受容が行
われても︑究極的には︑国家が求める宣伝効果を期待できないものである︒
現代朝鮮映画が直面している危機は︑映画の文化的自律性を認めようとしない全体主義的理念と︑その理念が批判も
されず適用された政策に一次的な原因がある︵リ・ウヨン︑一九九七︶︒国家の最高権力者によって︑創作と受容の全
過程がコントロールされ得ると見なされる朝鮮映画理論に︑新しい解釈が介入する余地などない︒観客を対象化し︑映
画生産者を道具にする絶対権力者の理論は︑厳密に言えば理論として成り立たない︒何故なら︑映画作家又は専門家に
よって蓄積された制作の経験を認めなかったり︑知的洞察に基づく新たな問題意識と批判を許さないようでは︑映画理
論としての生命力を保持することができないからである︒したがって︑芸術の持ち味である批判的態度を認めない朝鮮
の映画政策論は︑一時期は映画産業の量的・質的発展に役立ったものの︑八〇年代から︑徐々に大衆的支持の基盤を弱
くしてしまった︒
無論︑文化と芸術における創作の自由を政治的必要性によって操縦する国家権力の暴力は朝鮮に限る問題ではない︒
こういう例は︑朝鮮が直接・間接的に影響を受けた中国の文化大革命期における革命劇や︑冷戦時代の東欧︑ソ連の例
からも見られる︒しかし︑いずれにせよ︑露骨な政治扇動と介入は芸術の生命力を奪うだけである︒そして︑支柱役で
ある国家からの政治圧力が無くなると︑その芸術は大衆の支持を失い︑直ちに歴史の舞台から消え去るのである︒した
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国家主義映画としての朝鮮映画と受動革命
がって︑見る観客と創る生産者を物化し︑彼らの批判的な声を認めない朝鮮映画理論は︑映画における文化的躍動性を
否定する自縄自縛の論理なのである︒朝鮮の映画理論が真の理論であるならば︑映画的実験やジャンルの伝統を追求す
るために︑斬新な議論を受容し︑批判的省察を促すような開かれた姿勢を持たなければならないだろう︒
第二章朝鮮の映画理論の歴史的理解
第一節朝鮮映画史の時代区分
朝鮮映画は︑﹁主体映画芸術論︵金正日︑一九七三︶﹂の登場を前後にして傾向と特徴が分かれる︒まず︑政権樹立以
降︑金正日が映画産業に本格的に介入する一九六八年まで︑いくつかの映画が制作された︒それらの映画は︑日帝によ
る強制占領期に生まれた朝鮮社会主義系列の映画が解放空間である朝鮮の地で歴史の断絶を克服し︑復元されたもので
ある︒旧カプ系映画人や越北作家が中心となって胎動した朝鮮映画は︑国家の絶対的な支援の下︑見慣れない外来の概
念││社会主義を人民に紹介し︑定着させるための文化的土壌を耕す役割を与えられた︒階級革命と民族解放という大
衆的な共感を形成し︑社会主義を朝鮮社会に植え付けるための大衆教育機能を任されたのである︒
二つ目の時期は︑一九六〇年代後半から一九八〇年代後半までである︒一九六八年︑金正日の本格的な介入を受け︑
映画産業は量的膨張と質的飛躍を遂げる︒現在︑朝鮮の映画芸術を代表する優れた作品は主にこの時期︑一九七〇年代
前後に制作されたものである︒ところが︑七〇年代に入ってからは︑政治権力からの束縛が厳しくなるにつれ︑映画的
想像力が衰えた︒表現の自由を統制・制限する国家権力の横暴もますます具体的になった︒このような政治抑圧は︑映
キムイルソン画全般にわたって国家支配イデオロギーを強制的に適用させた﹁主体映画芸術論﹂の登場で頂点に達する︒また︑金日成
親子の家系を革命的な血統主義と美化し︑偶像化する映画を制作するなど︑極端に政治へ従属していく︒一方︑制作環 国家主義映画としての朝鮮映画と受動革命
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境は︑一部の東欧と共産主義社会を除いて外部に対しては徹底的に閉ざされていた︒ゆえに︑物語の平面的な叙述と︑
舞台の前方から固定カメラを使って俳優の姿を平面的に撮る前近代的な撮影法︑そして︑お決まりの編集法やカメラ移
動︑事実性に執着し強調する傾向など︑劣悪な状況に陥ってしまった︒これでは初期朝鮮映画で見られた実験性や前衛
チェウンヒシンサンオク性までを懐疑してしまう︒これら朝鮮映画産業が直面した内的苦悩や困難は︑崔銀姫と申相玉の拉致事件からも読み取
ることができる︵崔銀姫・申相玉︑一九八八︶︒
朝鮮映画における三つ目の時期は︑八〇年代半ばから現在までである︒この時期は︑政治扇動の効果が半減した現実
を認め︑歴史物の復活︑恋物語の容認など︑一部のジャンルと表現を解禁することで始まった︒そして︑新しい素材の
啓発︑一部資本主義社会との共同製作︑外部からの特殊効果の支援など︑特に技術面に力を入れ︑娯楽機能を充実させ
た︒東欧社会主義国家の崩壊および冷戦体制の瓦解︑変化する韓国との関係など︑外部的な要因が人民に間接的な影響
を与え始めたのが革新の理由である︒しかし︑九〇年代に入ってから金正日は再び統制を強め︑党の直接指導による集
︵7︶体主義映画の生産に力を注いだ︒九一年から制作に入ったシリーズ作品﹃民族と運命﹄を見ると︑このような金正日の
意図を読みとることができる︒もう一つ︑金正日は九四年の金日成の死による社会不安や権力
鐚藤の再開を食い止めよ
うとした︒金正日は映画産業に全面的に介入して︑六八年と同様︑再び大衆的支持を権力闘争に利用しようと企んだの
である︒特に︑加速する国際化の中︑依然として孤立主義の国家政策を大衆世論化することが目的だった︒そのため
に︑今までは階級的な視点で排斥・分離の原則で定めていた民族主義を︑全ての構成員を包容するという︑広い概念に
改めることが求められたのである︒また︑金正日は武装抗日闘争や朝鮮戦争を率いた経歴がなく︑自分のイメージを︑
優れた知性と徹底した思想に包まれた現代的指導者に形象化した︒さらに彼は︑軍部勢力との調和・協力関係を強調す
︵8︶るために︑﹁先軍政治﹂と﹁強盛大国﹂という新しい国家イメージを創ろうとした︒
しかし︑このような努力にもかかわらず︑現代の朝鮮社会は様々な問題に苦しめられている︒第一︑先述した韓国大
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国家主義映画としての朝鮮映画と受動革命
衆文化の浸透や文化の国際化によって朝鮮社会に潜む問題の深刻さが強く喚起させられている︒同時に現代朝鮮映画産
業は媒体としての転換期を迎えている︒即ち︑TVやビデオなどの新たな媒体の出現という︑世界映画産業が一般的に
経験した技術変化による相対的な萎縮を︑一歩後れて経験しているのである︒現代朝鮮映画が経験している変化は︑朝
鮮社会全体が経験している経済的な苦難や政治不安︑技術の後れなどを総体的に現すものである︒一方で︑朝鮮社会
は︑直面している国家アイデンティティの危機に積極的に対処しようとそれなりの努力をしている︒
第二節朝鮮映画理論の起源
金日成が︑主体理論を朝鮮の体制支配理念として公式的に唱えたのは︑一九五五年に行われた大衆演説の時であった
︵金日成︑一九六七
か朝もちろん︑朝鮮王中代期の実学思想までさは時三し九五︱四一七︶︒か帝し民族主体論は︑日 :
のぼる歴史性を持っている︒また︑金日成の主体理論は︑統治者の絶対的な権力を家父長主義の位階秩序で正当化して
パクジョンヒいる点から︑韓国の朴正煕政権が主張した儒教的近代化論と類似している︒ところが︑朝鮮の主体理論の特徴は民族ア
イデンティティに関する理論化の作業が階級革命の長としての統治者にのみ許されていることである︵Cumings,
1993︶︒即ち︑﹁偉大なる指導者﹂は植民地支配や民族分断︑そして米国に代表される資本主義勢力との終わらない﹁民
族解放戦争﹂を勝利に導く唯一の存在だということである︒一方で︑主体理論は朝鮮半島をめぐる国際関係や政治状況
に見られる後期植民地的な地域性が組み込まれ︑一般的な社会主義階級革命論との差別化が試みられた︒つまり︑﹁偉
大なる指導者﹂の革命思想のみが朝鮮の現実に適合した﹁マルクス=レニーン主義の創造的再適用︵金正日︑一九九
一
︒内陥るしかない限界が在化されていたのであるに像一張六六︶﹂だという主に偶は︑主体理論が個人の :
以上で分かるように︑主体文学芸術論は︑マルキシズムの民族主義的解釈を文学芸術に適用したものである︵金正
日︑一九九二a︑チョン・ソンム︑一九八四︶︒絶対権力を持つ統治者の革命観を芸術的に形づくり︑同時に後期革命 国家主義映画としての朝鮮映画と受動革命
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社会である現在の朝鮮の体制イデオロギーを正当化する仕事は︑朝鮮文学芸術の基本的な義務である︒金日成は六〇年
代の初めから︑三〇年代の初期に満州を背景に国を奪われた朝鮮人の哀しみや抗日闘争精神を描いた一連の抵抗作品の
原型を探る歴史発掘を続けた︒そして彼は︑自分が始めた抗日革命文学が後に日帝時代における朝鮮プロレタリア芸術
キムゼヨン運動のきっかけであったと主張した︵金在湧︑一九九四
立公の側鮮朝るす述叙に的式を二史画映鮮朝︒︶三一︱三〇 :
場は︑要するに︑金日成主義がマルキシズムを優先的に適用し︑日帝時代の知識人たちが封建的世界観とブルジョワ階
級観の問題点を見抜くのに重要な役割を果たしたという解釈である︒
ところが︑植民地時代に始まった社会主義芸術運動と映画制作の歴史的解釈は︑朝鮮政権の歴史解釈と一致していな
い︒とりわけ映画の場合︑金日成が始めたという抗日革命文学との直接・間接的な影響を説明する史的証拠は皆無であ
る︒朝鮮半島での社会主義芸術映画の起源は︑よく知られているとおり︑日帝による強制占領期に胎動した朝鮮映画の
イヒョイン復興がその具体的な契機である︵李孝仁︑一九九二︶︒当時の革新派知識人は大衆思想教育の必要を痛感していた︒二
ナウンキュ六年の羅雲奎作﹃アリラン﹄が収めた大成功によって︑彼らは映画を観客へ抵抗精神を吹き込む最も効果的な大衆扇動
の媒体として認識するようになった︒このように︑朝鮮半島での社会主義系映画は︑大衆の武力闘争を基盤とした階級
革命だけを朝鮮民族解放の唯一の手段と見た共産主義者たちによって始まったのである︒
非暴力主義を標榜した一九一九年の三・一運動の限界を痛感した朝鮮の進歩系知識人たちは︑一七年のロシアのボル
シェビキ革命からその可能性を確信し︑マルキシズムに魅了された︒社会主義的傾向を持つ革新派文化人や知識人の初
期活動は文学同人誌を通じて行われた︒そして︑日本の革新系知識人・社会主義系列の作家との交流︑討論あるいは日
本への留学によって国際連帯を試みた︒彼らが目指すマルキシズムや社会主義階級革命論は︑当時の文学界と文化論の
ユンビョンロ主流であった純粋文学系の作品に見られる非政治性と社会的受動性を批判する理論的根拠を提示してくれた︵尹柄魯︑
一九九一
芸分られていた彼らの身的に限界を越える大衆文学限層二︑二七︱二九︶︒更に都者市ブルジョワ階級と識 :
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国家主義映画としての朝鮮映画と受動革命
術運動の活路が模索された︒社会的に形づくってきた労働運動の力にあずかり︑多数の勤労大衆が近づくことのできな
い階級的限界のある文学ではなく︑宣伝劇の公演やポスターの制作などに力を入れた︒つまり︑視聴覚芸術を使い︑一
般勤労大衆のいる現場に入り込んで民族階級革命を説くプロレタリア運動を主導したのである︒
一九二五年に組織された﹁カプ︵KAPF︶﹂は︑正にこのような革新派作家で構成されていた︒当時︑社会主義的
ヨムグンサキムキジンな性格の文学集団であった﹁
鎹なった︒代表的作の家には︑金基鎭だも群キ社﹂と﹁パスュるラ﹂の統合によ︑
パクヨンヒチェソヘチョミョンヒイムファ朴英
魍︑崔曙海︑趙明
魍粋人を対象とする純文知学に反対し︑勤労識市︑ら林和等がいる︒彼は都ブルジョワ階級と大
衆の抑圧された社会的現実を再現する階級文学を主唱した︒そして美学的完成度が内容を定めるという立場を拒否し
た︒カプ作家の間で行われた﹁形式と内容﹂に関する熱き論争は︑アントニオ・グラムシの﹁内容と形式﹂に関する論
議︑つまり﹁内容は他文化と世界観に対立し︑特定民族の文化と世界観のために闘う︵グラムシ︑一九八五
〇二 :
三︶﹂といった主張と一致するものと言える︒カプは大衆扇動の具体的な方法として﹁政治闘争のための芸術運動﹂を
掲げ︑文学団体から急進的な政治団体への変貌を遂げた︒そして作家の一部は朝鮮共産党の地下組織に加入した︒
朝鮮社会主義系列の映画の登場は︑このような政治的要求によるものであった︒羅雲奎の﹃アリラン﹄︵一九二六︶
と﹃愛を探しもとめて﹄︵一九二七︶が見せてくれた大成功と大衆扇動性は︑カプ作家にとって切実に求めていた解答
となるものだった︒﹃アリラン﹄の成果と限界について︑カプ系の批評家といわゆる﹁民族主義﹂陣営の批評家が論争
を交わしたことが︑カプ作家が映画制作に目を向ける具体的なきっかけとなった︒彼らは︑大衆扇動のために地域の労
使紛争に関わり︑工場地域と地方を駆け回りながら階級革命を訴え続けることに現実的な限界を感じていた︒彼らにと
って移動性に優れた映画は最高に効果的な媒体であったのだ︒また︑彼らは国際プロレタリア運動との連携活動にも積
極的であったため︑朝鮮の勤労大衆に︑世界人民が一般的に接する現代的な媒体である映画を紹介することに力を注い
だ︒そしてそれによって効果的な政治教育も狙えた︒これらの点から見て︑現代朝鮮映画を特徴づける個人の偶像化や 国家主義映画としての朝鮮映画と受動革命
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孤立主義が︑植民地時代のプロレタリア作家に見られた国際主義と大衆性を劣らせ︑文化に期待できる抵抗性や開放性
までを喪失させたものと考えられる︵文学史研究会︑一九八九
五七︱六三︑二四一︱二四五︶︒ :
カプ系映画として現在明らかになっているのは﹃流浪﹄︵一九二八︶︑﹃暗路﹄︵一九二八︶︑﹃地下村﹄︵一九三一︶等
イムファキムキジンキムユヨンカンホ五つの作品であり︑代表的な作家には林和︑金基鎭︑金幽影︑姜湖などがいる︒ところが︑彼らの作品は政治扇動劇に
見られる思想的偏向と娯楽性の不足︑そして日帝による検閲によって大衆を取り込むことに失敗した︒そして一九三五
年︑日本帝国の大々的な検閲を受け︑カプの映画活動は中断されてしまった︒以降のカプ作家は︑思想の転向︑親日映
画の制作︑映画制作の放棄︑地下共産党組織への潜入︑非政治的な純粋映画への没頭など︑思想的に分裂した︒﹁得た
のはイデオロギー︑失ったのは芸術だ﹂︵尹柄魯︑一九九一
二六二︶という朴英 :
魍の嘆きのように︑カプ作家の社会
主義芸術運動は日本帝国による強制占領下ではただのイデオロギーだったが︑解放された北の地で具体的に実現された
のであった︒それまで一〇年余りの潜伏期を経たのである︒
第三節初期の朝鮮映画理論と政策││社会主義芸術論
一九四五年に迎えた解放と共に︑旧カプ系作家は南の方で映画を通じた政治活動に挑んだ︒しかしすぐに︑アメリカ
軍政下では自分たちの思想そのものが映画制作の邪魔であることに作家たちは気付く︒進歩と改革︑そして革命の区分
が曖昧な時代︑彼らに与えられた選択肢は﹁資本主義の南﹂か﹁社会主義の北﹂かの二者択一しかなかった︒多くの旧
カプ系作家は自分の政治的経歴が問題視される南の地を離れて北に向かった︒結果的に彼らの越北によって朝鮮映画は
理論の骨組みと経験的基礎を獲得する︒旧カプ勢力は初期朝鮮社会における文化領域を率いる勢力として活動するよう
になった︒一方︑南では︑八〇年代半ばになって大学街を中心に革新勢力による﹁民族映画運動﹂が展開され︑社会主
義傾向の映画が再び登場することになる︒そして︑この運動をカプと歴史的つながりを持つ運動として理解する研究が
― 101 ―
国家主義映画としての朝鮮映画と受動革命
ビョンゼラン台頭したのである︵邊在蘭︑一九九〇
九二︶︒ :
初期朝鮮映画が国家によって無差別に指定された観客との垂直的なコミュニケーションを前提としたものだったのに
もかかわらず︑文化的自律性を保つことができた理由として︑第一に︑旧体制に対する抵抗精神が挙げられる︒朝鮮映
画を代表する作品の一つである﹃私の故郷﹄︵一九五〇︶他︑﹃チェ・ハクシンの一家﹄︵一九六六︶の場合︑露骨に金
日成将軍の神話を作るよりは封建的な社会秩序と資本主義社会の﹁構造的矛盾﹂に焦点を当て︑これを経験していた観
客から共感を呼び起こしている︒そして︑金日成の偶像化ではなく︑共産主義者のリーダシップに対する典型性と政治
的アウラを再現することによって集団指導体制を形象化しようとした︒カメラワークと編集方法︑画面処理と物語展開
を上手に使って︑社会主義的社会秩序や生活規範︑階級的歴史観と政治イデオロギーを大衆に説くことに重点を置いた
のである︒
第二に︑朝鮮の映画が戦争を経験しながらも短期間で軌道に乗り︑映画的完成度を追求できたのは︑権力紛争が絶え
ない政権との適度な距離を置くことができたからである︒当初は映画という媒体が大衆的に根をはるための産業基盤が
整っていなかったため︑映画人が国家の支援を受けソ連や東欧と文化交流をしたり︑留学することが許されていた︒国
家支援によって朝鮮流社会主義映画の法則を見つけ︑発展させることができたのである︒初期の朝鮮映画から見られる
モンタージュ技法の独創的活用や︑多様な場面処理法︑画面の深さを自由に調整する照明など︑作品の完成度と実験性
は︑彼らの作品が単なる扇動の手段ではなく︑朝鮮社会主義映画の新たな次元を開拓したものであることを示す︒大衆
の趣味が無視されたというより︑社会主義芸術として大衆を教育する立場の生産者と受容者の間にある不平等な力関係
がその前提であった︒
初期朝鮮映画の制作状況は︑民族解放と階級革命を目指し大衆教育のための映画制作に臨む映画人にとっては最適の
環境であった︒そして政権側から見ても彼らの存在は絶対的に必要な︑いわゆる共生関係であった︒しかし︑政治と映 国家主義映画としての朝鮮映画と受動革命
― 102 ―
画の蜜月関係は︑映画生産者が観客に伝えようとする内容が政治権力の意図するものと異なってくるとき︑
鐚藤関係に
転換する︒反対に︑蜜月関係が政治的受動性につながって垂直体系になると︑もはや映画に批判機能を期待することは
できない︒朝鮮の映画が七〇年代後半に入って︑徐々に映画的完成度や社会批判性を欠落していき︑やがて大衆に訴え
る力を失ったのは︑結局︑映画と政治権力との
鐚帰うろあでらかたれさ結に藤属隷のへ治政の画映が︒
にもかかわらず︑今は朝鮮政府によって散々けなされているのとはいえ︑革命的な知識人が国家支配エリートと﹁ヘ
ゲモニー的同盟︵hegemonicalliance︶︵グラムシ︑一九八五
︑しは論術芸義主会社たいて指一目らがなち保を﹂︶六九 :
主体芸術論の根幹であるに違いない︒同時に︑それは革命政府が流血闘争ではなく派閥闘争のみで︑社会構造の変動を
避け独裁体制へ移行するのに貢献したのである︒つまりマルクス=レーニン主義は︑革命政府の内部に存在する派閥間
のイデオロギー対立を戦略的に調整する手間を省き︑初期朝鮮政権に安定した思想基盤を提供してくれた︒そしてこの
ような朝鮮革命政府の曖昧な理念的立場が︑初期朝鮮映画に見られる相対的な表現の自由・躍動性を保障したのであ
る︒
第四節国家主義映画と主体芸術論
革命政府としての初期朝鮮政権におけるイデオロギー的限界は︑朝鮮の階級革命が流血を伴う大衆闘争によるもので
はなく︑冷戦体制を主導する周辺諸国間の力関係の影響で行われた西欧政治体制の移植であったということだ︒また︑
たとえパルチザン仲間の支持があったとしても︑金日成を頭とする朝鮮の革命政府は︑国内派と南労党︵南朝鮮労働
パクホニョン党︶出身や親ソ連︑礼安派との党内権力争いの構図でやや弱い立場であった︒特に︑朴憲永・林和などの南労党出身
は大衆の認知度が高く︑国内での闘争経歴も持っていた︒一方︑ソ連の将校として解放を迎えた金日成は︑民族主義者
のイメージが明らかに弱かった︒金日成は三〇年代に満州でパルチザンを率いていたが︑四一年にソ連に移り︑ソ連の
― 103 ―
国家主義映画としての朝鮮映画と受動革命
支持を得て指導者に選ばれた︒だから金日成は他の指導者にはない︑自分だけの﹁民族アイデンティティ﹂が必要だっ
ソた︒自分の抗日遊撃活動を朝鮮唯一の伝統とすることが︑彼にとっては死活のかかった切実な問題であったのだ︵徐
デスク大粛︑一九八八
一四三︶︒ :
旧カプ系の映画人と朝鮮革命政府との密接な関係は︑このように初期革命政府の政治的必要性から作られた︒外来の
聞き慣れない概念だった社会主義を︑政治体制や社会秩序・文化規範として当時の朝鮮人民に教育できる制度的な手段
が必要だったのである︒朝鮮戦争の最中︑旧カプ系列の代表作家である林和が処刑されることで党内の権力争いが表面
化したが︑カプ作家を中心とした社会主義芸術論が主体理論を母体とした初期朝鮮映画の理論的な基盤に寄与したこと
には反論の余地がない︵金在湧︑一九九四
四一︶︒ :
朝鮮戦争の勃発まで︑党内の権力争いはしばらく静まっていた︒しかし悪くなるばかりの戦況は︑金日成が党内権力
闘争に乗り込むきっかけを作った︒金日成はまず︑戦争時期の誤った判断︑情報流出︑アメリカのためのスパイ活動︑
ムジョンそして指導者としての無責任な戦闘活動などの理由を挙げて︑朴憲永と林和︑そして中国勢力を背景としていた武亭
等︑初期革命政府勢力の一部を粛清した︒それから︑五〇年代半ばの中・ソ紛争をきっかけに︑五六年八月の反宗派闘
争で新ソ連派と礼安派を排除し︑パルチザン出身者を中心に本格的な唯一支配体系を構築したのである︒このような激
カプサンしい党内権力闘争は︑六七年の金正日による甲山・反宗派闘争で繰り返される︒
このように︑政権樹立後二〇年に渡って︑独裁体制に反対する党内勢力を排除していく過程を見ると︑金日成の革命
政府が主張するイデオロギー的ヘゲモニーが民衆の主導する階級闘争によるものではなく︑権力闘争によるものである
ことが分かる︒これは︑パルチザン出身の甲山派を粛清するまで激烈な権力闘争を自ら指揮した金正日の権力継承にも
関わる致命的な問題であり︑イデオロギーの正当性がないことを物語るものである︒だから︑金日成独裁体制への大衆
の支持を集めるためにも︑金正日は映画産業の新たな役割論を具体化したのである︒︵Sakai,1996:271−19︶︒金正日は 国家主義映画としての朝鮮映画と受動革命
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映画を通して︑金日成の抗日革命を朝鮮唯一の革命的伝統と据え︑金日成の思想こそが唯一の国家理念であると繰り返
し説得することに優れた能力を発揮した︒それによって︑権力を継承されるために必要な金日成と党の主要権力者から
絶対的な信頼を得ようとした︒
金正日が六八年に政治扇動部長に就任するのと同時に︑朝鮮の映画と初期革命政府の密接な関係は解体される︒パル
チザン出身の党内勢力を含め︑大々的な思想批判と粛清の嵐の中に︑映画界も例外なく巻き込まれた︒それからの朝鮮
映画は︑共産主義者による集団指導体制ではなく︑革命を成功させた唯一の指導者の下で社会秩序を守りながら︑唯一
体系を正当化する任務を任された︒そして︑朝鮮映画産業は国家エリートが直接管理・統制する垂直型組織に変わっ
た︒さらに︑七二年に新たに制定された朝鮮社会主義憲法により金日成が党主席に就任︑主体理論が唯一の国家支配理
念であることを宣布した︒これに従って主体文学芸術論を唯一の創作指針とする映画は︑革命的首領観を形象化する文
化闘争の先頭に立つことになったのである︒首領形象文学を強調することで︑映画は︑金日成独裁体制はもちろん金正
日の承継を大衆に説得する最も有効な手段として使われた︒このような理由で︑この時期以降︑朝鮮映画産業は量的な
膨張を遂げる︒以降の朝鮮映画が再現する政治性は︑﹁権力で武装されたイデオロギー︵hegemonyarmouredbycoer-
cion︶﹂︵グラムシ︑一九七一
︒ルうよえ言とるあでデ二モな的型典の︶三六 :
金正日が七三年に書いたと知られる﹃映画芸術論﹄には︑このような朝鮮政権の映画論が具体的な例と共に繰り返し
記述されている︒﹃映画芸術論﹄は現代朝鮮映画の創作におけるバイブルのような制作指針書である︒しかし︑﹃映画芸
術論﹄の登場は︑それまで朝鮮映画に比較的残っていた文化的自律性を根本から禁止する理論づくりであり︑これによ
って映画は絶対権力者の意向と異なる意見を持つことができなくなったのである︒飛躍的な量的発展によって映画産業
に勤める人口も驚くほど増加し︑大衆的な人気も手に入れたが︑金日成の名前を除いては映画制作に参加した個人が公
開されることはなかった︒共同集体作という︑きわめて独特な形で発表されていたからである︒
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国家主義映画としての朝鮮映画と受動革命
主体芸術論の目的は︑マルキシズム的階級革命論に儒教の政治イデオロギーを合体させた主体理論に従い︑首領を民
族の家父長とする首領文学芸術を形象化することである︒よって主体映画芸術論は︑排他的かつ家父長的な民族アイデ
ウォルミドンティティを強調する︒﹁将軍様は祖国であり︑将軍様を守ることが祖国を守ること﹂という︑﹃月尾島﹄︵一九八二︶
の主人公︑テフンが繰り返す台詞のように︑朝鮮映画が絶えず訴えているのは﹁民族が即ち首領様﹂︑つまり︑有機体
国家論︵Cumings,1993 ︶である︒しかし︑家父長中心の血縁・家族主義は︑社会主義国家イデオロギーが強調する平
等思想を正面から否定し︑位階的な社会秩序を復元しようとするため︑根本的な矛盾を内在している︒それにもかかわ
らず︑このような理論化によって︑朝鮮の国家イデオロギーとしての主体理論は︑金日成による独占的な権力支配体制
を金正日が受け継ぐという世襲の根拠を確保したのである︒そしてこの一連の過程で金正日が行った権力闘争に最大の
文化的手段として映画が使われたのである︵金正日︑一九九二b
二三〇︱三一︶︒ :
金正日は知られているとおり︑映画を用いることで大衆扇動家としての政治力を認められた︒同時に彼は︑映画が持
つ大衆性を利用し︑党内の権力闘争で自らのイデオロギー的正当性を獲得しようとした︒このような政治的努力は︑彼
が七四年に金日成の後継者に選ばれ︑八〇年の第六回党大会で権力継承者と正式に呼ばれることで実を結んだ︒六〇年
代後半から七〇年代の代表的作品はほとんど金正日の直接指導によって制作された︒とりわけ﹃血の海︵ピバダ︶﹄︵一
九六九︶︑﹃ある自衛団員の運命﹄︵一九七〇︶︑そして﹃花売る乙女﹄︵一九七二︶など︑いわゆる金日成の原作の作品
を含めて芸術的に優れた抗日革命劇を作り上げることで︑彼の大衆扇動家としての力量を立証してみせたのである︒
第三章朝鮮映画産業の発展と近況:理論の適用と限界
一方︑金正日による映画を用いた大衆扇動と政治教育政策によって︑朝鮮映画産業は飛躍的に成長した︒ 国家主義映画としての朝鮮映画と受動革命
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最初の記録映画である﹃我々の建設﹄︵一九四六︶に続き︑四九年に﹃私の故郷﹄が初の劇映画として紹介されて以
来︑戦後後遺症による撮影所と撮影機材の不足︑財政的・技術的限界︑上映館の不備などの理由で大衆的基盤を作るこ
とができなかった朝鮮映画は︑後半に入って徐々に量的な発展を遂げるようになった︒当時︑作品のほとんどは記録映
画の場合︑六〇年代に入ってから安定した本数の作品が制作できるようになり︑七〇年を境目に本格的な伸びを見せ
た︒八〇年代に至っては年間平均一三〇本に達した︒劇映画の場合︑六〇年代半ばまでは一桁を越えなかった作品数
が︑八〇年代には年間三〇〜四〇本に上った︒このような数字は︑﹁苦難の行軍﹂と呼ばれた九〇年代半ばの国家的経
済危機の影響で少し減少するように見えたが︑最近回復に向っている︒現在︑朝鮮は年間一〇〇本余りの記録映画と約
四〇本の劇映画を制作している︒
朝鮮映画の制作は﹁朝鮮芸術映画撮影所﹂・﹁朝鮮四・二五芸術映画撮影所﹂・﹁朝鮮記録映画撮影所﹂・﹁朝鮮科学児童
映画撮影所﹂の四箇所で行われる︒この中︑人民軍総政治局に所属している﹁朝鮮四・二五芸術映画撮影所﹂以外の三
つの撮影所は内閣文化省に属している︒これら撮影所は朝鮮映画同盟と緊密に連携して作品を制作・配給している︒国
家機関である朝鮮映画同盟は︑個別作品の素材およびテーマの啓発︑そして中央の芸術政策に従って︑制作企画から日
程まで全ての過程を統括・検閲する機関である︒その他︑金正日によって拉致された申相玉︑崔銀姫は﹁申フィルム映
画撮影所﹂を担当し︑創立された七八年から︑彼らが脱出した八六年まで︑およそ二〇本の作品を制作・指導したと言
われる︒彼らの朝鮮滞在は短い期間ではあったが︑﹁申フィルム映画撮影所﹂はテーマと表現において朝鮮映画界に新
鮮な衝撃を与えた︒例えば︑男女の恋愛問題を前面に出すことや︑朝鮮映画史上最初の空想科学映画﹃ブルガサリ﹄の
制作︑﹃塩﹄で見せた性暴力の描写等のタブーな表現︑そして︑﹃サランサラン︑ネ・サラン︵私の愛しい人︶﹄のよう
なミュージカルの制作︑西欧的なイメージを持つ俳優の発掘・養成など︑様々な面で資本主義的映画の要素を紹介する
ことで︑量的成長の一方で質的衰退に苦しんでいた当時の朝鮮映画界に新しい出口を開いてくれた︒
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国家主義映画としての朝鮮映画と受動革命
朝鮮の最初の映画制作社は一九四七年二月に設立された﹁朝鮮映画撮影所﹂である︒五七年には﹁朝鮮映画撮影所﹂
が﹁芸術映画撮影所﹂と﹁記録映画撮影所﹂に分離された︒朝鮮芸術映画撮影所は七〇年代に大きくリフォームされ︑
総面積一〇〇万坪の土地に四箇所の大型撮影所と常設野外撮影所︑俳優養成所などを設け︑朝鮮最大規模の撮影所にな
った︒一方︑九二年︑人民軍創建を記念して﹁朝鮮四・二六芸術映画撮影所﹂と改名した﹁朝鮮二・八芸術映画撮影
所﹂は五九年に設立されたものである︒朝鮮はあらゆる劇映画を芸術映画と呼び︑﹁朝鮮芸術映画撮影所﹂と﹁朝鮮四
・二六芸術映画撮影所﹂の二箇所で制作している︒﹁朝鮮四・二六芸術映画撮影所﹂は︑初期は軍事関連の歴史物と戦
争物語を主に制作していたが︑最近では現代社会物語を含め︑﹁朝鮮芸術映画撮影所﹂の制作数を越える本数の作品を
単独あるいは共同で制作している︒最近になって目立つようになった﹁朝鮮四・二六芸術映画撮影所﹂の躍進には︑人
民に軍隊の重要性を再び確認させようとする金正日体制の意図が表れている︒九〇年代半ばの﹁苦難の行軍﹂を経験し
た朝鮮人民に先軍思想を注入し︑強盛大国を率いる知的で指導力のある新しい軍のイメージを創ろうとする努力であっ
ペクトゥサンただろう︒上記の二つの芸術映画撮影所の下には複数の創作団が活動している︒﹁朝鮮芸術映画撮影所﹂には﹁白頭山
ボチョンボデフンダンウォル創作団﹂・﹁普天堡創作団﹂・﹁大興段創作団﹂等の五つの創作団があり︑﹁朝鮮四・二六芸術映画撮影所﹂の下には﹁月
ミドデドクサンウォルビサン尾島創作団﹂・﹁大徳山創作団﹂そして﹁越飛山創作団﹂がある︒
﹁朝鮮記録映画撮影所﹂は五七年に創立され︑年間一〇〇本あまりの作品を制作している︒最後に︑﹁朝鮮科学児童映
画撮影所﹂は科学と児童の分野に分かれている︒朝鮮のアニメーションは国際的にも認められている︒劇映画や記録映
画と違って日本やフランスなどの国に輸出されている︒もう一つ注目すべき点は︑朝鮮では︑ドキュメンタリーが大衆
思想教育の手段として活性化されており︑年間の劇映画数の総制作数をはるかに上回るということである︒これは資本
主義国家では見られない傾向で︑記録映画が娯楽映画以上に映画産業の主要分野として位置付けられている︒商業主義
に染まっていない一般教養番組が住民の生活の中で日常的に根付いていることは︑朝鮮映画が社会主義映画として持つ 国家主義映画としての朝鮮映画と受動革命
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長所である︒しかし︑科学映画のような一般教養番組はさておき︑無数に制作される金日成親子の偶像化映画において
は︑革命歴史の記録映画として史的根拠や客観性が全く欠けているだけでなく︑放送媒体を使った反復学習による否定
的な影響が深刻な問題として指摘される︒
映画人材の養成は︑一九五三年に設立された﹁平壌演劇映画大学﹂と﹁平壌芸術大学﹂︑﹁二・一六芸術専門学校﹂︑
その他︑﹁俳優養成所﹂で行われる︒そして︑全国に﹁専門映画文学通信員講習﹂のような常設教育課程を設け︑多様
な学習活動や映画創作理論および批評を指導し︑全国レベルのワークショップと映画文学創作大会を主催している︒映
画人の地位は比較的に高く︑安定している︒人民俳優・功勲俳優のようなスターシステムを導入し︑国家が直接映画人
ホンヨンヒを管理している︒人民俳優には︑朝鮮で最も人気のある女優︑キム・ジョンファ︑オ・ミラン︑洪英姫らと︑チェ・チ
ャンス︑ソ・キョンソプ︑ユ・ウォンジュンら中堅男優を含むおよそ二〇人がいる︒党性︑大衆性︑演技力などの複雑
な基準によって国家が選ぶ︒一方︑功勲俳優は一般的に二〇年以上の経歴を誇るベテランのことを言う︒最近まで活動
していた越北俳優には︑ムン・エボン︑ユ・ウォンジュン︑ムン・ジョンボクが挙げられる︒
マンキョンデ映画上映館は全国におよそ一〇〇〇箇所あり︑代表的なものには萬景台芸術劇場・平壌大劇場・朝鮮人民軍教芸劇
場・東平壌大劇場がある︒ほとんどの劇場が平壌と開城︑咸興などの大都市に所在し︑また映画上映以外に演劇と歌
劇︑サーカス公演のための多目的用に設立されていて︑客席も二〇〇〇席から四〇〇〇席ほどの大規模な施設になって
マンスデいる︒その他︑朝鮮の映画は一般劇場での上映を経て再び萬寿台放送のようなテレビチャンネルで繰り返し放映され
る︒また︑一般上映館とは別に︑協同農場や工場などの作業場あるいは市民文化会館などの公共施設で再放映され︑
﹁主人公モノマネ大会﹂などの企画が付いている映画鑑賞の機会もある︒このような過程を全て踏まえて朝鮮政府が明
らかにしている朝鮮人民の映画観覧回数は一人当たり年間九回に及ぶ︒なお︑この数字は朝鮮映画に対する観覧回数を
意味する︒外国映画は平壌非同盟映画祭など︑制限された数の作品が劇場や萬寿台放送のようなテレビ局で放映されて
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国家主義映画としての朝鮮映画と受動革命
いるが︑数においては比べ物にならない︒
朝鮮映画の海外交流は極めて制限されている︒八七年に始まった平壌非同盟および開発途上国映画祭以外に︑モスク
ワ国際映画祭︑タシケント国際映画祭︑カルロビ・バリ映画祭が主な舞台である︒そして限られてはいるが︑チェコ︑
フランス︑日本︑イタリア︑ロシアなどとの合作が行われることもある︒しかし︑最近は九〇年のニューヨーク南北映
イドゥヨン画祭開催から続いている韓国との映画交流も活発に進んでいる︒二〇〇三年には李斗
!の﹃アリラン﹄︵二〇〇三︶が
ウォルクァンム一般劇場で︑観客層は限られていたものの︑韓国と同時に上映された︒その上︑韓国の映画﹃月光舞﹄の制作にあた
って朝鮮映画関係の当局者と朝鮮現地ロケを協議するなど︑実質的な協力関係の可能性が見えてきた︒そして︑韓国で
は〇二年︑﹃ブルガサリ﹄が一般劇場で上映され︑釜山国際映画祭をはじめとする様々な映画イベントで朝鮮映画特別
展を開催するなど︑持続的に朝鮮映画が紹介されているが︑まだ単なるイベントに留まる傾向がある︒一方︑〇三年に
ホンキルトン﹃生きている霊魂﹄︵二〇〇二︶と﹃洪吉童﹄︵一九八六︶が香港映画祭に︑〇四年には﹃青い絹の上で﹄︵二〇〇〇︶が
ベルリン映画祭に招待された︒近年︑加速する国際化や韓国映画の飛躍によって世界の映画界が朝鮮映画にも興味を示
している︒しかし︑朝鮮映画の想像を超える技術的欠陥︑前近代的な物語展開︑そして行き過ぎたイデオロギー性など
から︑国際舞台の新鋭映画として認められるほどの注目を浴びることは難しいとされる︒
こればで述べた通り︑国家主義映画︑社会制度としての朝鮮映画産業は︑いくつかの側面から他の社会とは異なる特
徴を持つ︒
第一︑朝鮮映画は︑国家の絶対権力者から特権的な地位を与えられている︒朝鮮の報道を扱う多くの外国メディア
は︑金正日が映画マニアだという事実だけを挙げ︑独裁者が自分の趣味に異常な執着を見せるあまり飢え死の危機に苦
しむ朝鮮人民をより苦しめていると︑朝鮮社会の危機を個人的な遍歴の問題として分析する傾向がある︒さらに︑金正
日の積極的な映画産業への支援を︑ワインや外国料理に関する知識や趣味︑女性遍歴にちなんで扱っている︒つまり︑ 国家主義映画としての朝鮮映画と受動革命
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朝鮮の政治体制を理性離れした神秘的なものと見て︑不良国家のイメージを確認しようとするのである︒このような外
国の保守系メディアからの非難には︑﹁社会制度としての朝鮮映画﹂という理解が欠けている︒確かに︑一時期は芸術
性と大衆性を揃えていた朝鮮映画が︑金正日の朝鮮映画産業への情熱や行き過ぎた干渉によって︑結果的に明らかな衰
退の徴候を露呈したことは否定できない︒しかし︑朝鮮社会の経済危機の原因が映画産業への過大な支援にあるという
説は︑財政規模からはもちろん︑直接的な因果関係から見ても納得し難い︒むしろ︑現在︑朝鮮映画が劣っている理由
は︑最近増えてきた外部世界からの直接的・間接的影響や文化の国際化による影響︑そしてテレビの普及によってテレ
ビドラマが人気を上げていることと関係がある︒
第二に︑国策産業として朝鮮映画が持つ大衆性である︒朝鮮映画年鑑が︑明らかにする数値は︑真っ先に客観性や真
実性が疑われるが︑そこには資本主義の目線で朝鮮映画を理解しようとする過ちがある︒朝鮮の映画は国家産業であ
る︒したがって︑上映回数の記録は上映館のみでの公開を意味するものではない︒朝鮮人民の映画観覧回数が極めて多
いのは︑映画鑑賞が人民への社会教育であり︑人民の好みで行われるものではないからだ︒当然ながら観客の選択によ
らない強制的な鑑賞と競争のない制作環境によって︑朝鮮映画は自律したコントロール機能を失ってしまった︒だか
ら︑外部の人の観察どおり︑朝鮮映画が大衆からの支持を失っているのは事実である︒しかし︑そのようなことは外部
の観察者であるからこそはっきり見える問題である︒その社会で日常を送っている人々にとってはどうだろうか︒彼ら
にとって映画は︑現実を克服させ︑社会主義建設のための新たな覚悟と元気を与えてくれる︑大衆娯楽としての魅力を
失っていないはずだ︒
第三に︑頻繁なシリーズ制作と集体作に固執していることである︒シリーズの制作は特に金正日が本格的に介入しは
じめた六〇年代末から目立つが︑﹁速度戦︱問題が提起されたら直ちにそれを題材にした映画をつくり︑大衆世論を形
成すること﹂の名目下︑三年でなんと二〇巻のシリーズが作られた﹃名もなき英雄たち﹄︵一九七九〜一九八一︶がそ
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国家主義映画としての朝鮮映画と受動革命
の代表作である︒このようなシリーズ制作は︑財政状況が悪いため︑テレビ連続ドラマのような低質作品が作られた
り︑俳優層が貧弱で同じ俳優がシリーズの他の人物に扮して登場したりする弊害を露呈する︒しかしそうであるにもか
かわらず︑持続的なシリーズ制作が可能な理由は︑観客の消費行為を前提とする選択的視聴に頼らず︑放送と地域団
体︑公共機関の教育課程での持続的な視聴が保障されるからである︒つまり︑国家主義映画としての朝鮮映画は︑商売
目的の劇場をその主な受容過程としない︒要するに︑映画を上映することで一回に限る衝撃効果を狙うのではなく︑そ
れ自体を国家所有の媒体と場を利用して制度化された社会教育の一環にしてしまうのである︒だからこのような連作の
制作が企画できるのである︒一方︑金日成の名前以外に俳優個人や制作者の名前を表示しない慣行は八〇年代以降から
少しずつ消えていくが︑基本的な創作理念は相変わらず﹁集体主義の精神﹂である︒そして︑朝鮮の映画スターは︑資
本主義社会の映画のように商売での成功にこだわらない︒シリーズ制作の傾向は現代になって再び強まった︒あの一〇
〇巻シリーズを目標とする﹃民族と運命﹄は︑現代朝鮮映画を代表する作品と言っても過言ではないだろう︒
第四章朝鮮映画の代表ジャンルと作品
朝鮮映画に西欧社会や韓国の映画ジャンル区分を当てはめるには困難な点が多い︒とりわけ︑金正日の芸術映画論で
は﹁種子論﹂等を映画製作の三つの原則として定めている︒朝鮮の映画では︑テーマが極めて重要な要素であり︑現実
感と事実性が欠けた作品や私的領域での暴力︑男女の恋愛問題を扱う作品を制作するのは原則的に認められていない︒
資本主義的な想像力に基づく︑国家権力に挑戦するいかなる形の犯罪映画も決して許されない︒したがって︑現在の世
界的流れで最も強い勢いを見せる未来主義的な空想科学映画やアクション・ホラーを朝鮮映画に適用することはできな
い︒かつて金日成は︑朝鮮の映画は封建時代を背景にしてはいけない︑植民地時代と朝鮮戦争期︑そして現代朝鮮社会 国家主義映画としての朝鮮映画と受動革命
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