沖縄文学の全体像
著者 外間 守善
出版者 法政大学沖縄文化研究所
雑誌名 沖縄文化研究
巻 6
ページ 338‑395
発行年 1979‑06‑30
URL http://doi.org/10.15002/00013099
沖縄文学の全体像
3:38
外 問 守
主ι主=I
沖縄文学とは何か
1
沖縄文学の定義・分類・形態・位
置づ
け
沖純文学というのは︑奄美・沖組・官古・八重山の四つの諸島にまたがる地域で生まれた文学の総
称で︑古代文学と近代文学の二つに分けることができる︒
古代文学とは︑沖縄が陛史的出発︵
一 二
世紀
頃
i
六世紀頃︶をしてから十九世紀後半頃までの聞に琉球方言で形象された文学︑近代文学とは︑十九世紀後半以後︑主として日本的標準語で形象された文学
を指すことにする︒古代文学と近代文学の聞には︑歴史の変革に伴う文学の場の構造的な変質と︑文
学意 識︑
および意識の媒体となるJ
全日 必の あら たま り︵ 琉球 活← 日本 バ川
︶が 明ら かで あり
︑
それらをもっ
て区別の基準とするじ
ここで︑古代文学という場合の古代は︑怪史学的時代区分でいう﹁古代﹂ではなく︑近代に対する
前近代的な古い時代という怠味で使っているωたとえば︑日本一請を︑奈良以前を含む奈良時代までを
古代語︑江戸時代以後を近代ぷというように︑二つに区分する方法などに使う﹁古代﹂と考えてもら
えばよいω
一| 古代 文学
︵五
︑六 社紀
︑︵ 十九 世紀 後半
﹀
沖縄文学l
一琉 球方 一一 一円 で形 製さ れた 文学 一| 近代 文学
︵十 九附 紀後 半以 後︶ 日本 的標 準語 で形 象さ れた 文学
古代文学の内容は︑その形態と発忽の側面から呪稿文学・叙事文学・持情文学・劇文学の四つに分
けることができるο呪嬬・叙事・好的の三つは︑そのほとんどが山えものか謡いもの︑あるいは歌謡
として韻文的に口承されてきたものであり︑劇文学も韻律を伴ったか討に︑音楽︑舞踊が組み合わさ
れたもので韻文的であるυこのように︑沖縄の古代文学はそのほとんどが韻文で構成されており︑散
文形式のものはかろうじて托一一日などに見られる程度であるQ
沖縄文学は︑呪幡︑叙事性を民一層にした歌謡中心の文学であることと︑文学の媒体である言語の︑
沖縄文学の主体像
3:3~
ほとんど島ごとに異なった姿をみせていることが大きな特徴である︒それゆえ︑その形態︑発想の多
340
様さをそのまま日本文学の中に包みこむことはむずかしい︒ただ︑両者は︑言語も文化も源を同じく
するものであり︑文学の形態︑発想そのものも︑本質的にはその古形︑もしくは変形とみられるもの
であ
るか
ら︑
日本文学との関係を次のように位置
づけ
る︒
一!日本文学原日本文学l一一
一
| 古 代 文 学
﹁沖縄文学一﹁近代文学
一つ問題になることは︑沖縄の近代文学は日本文学の中における近代文学と急速に接近しており︑
日本的近代化の波及を受け︑文学思想の変革期にたちあっているということである︒このことは︑近
代化いちじるしい沖縄の社会構造と︑言語と文化の総体にかかわることであり︑今後の沖縄の近代化
の歩みの中で︑方向づけされていく問題である︒
2
沖縄古代文学の形態とその歴史的変遷
(1)
島別の形態分類図と歌謡分布図
︿そ の
1﹀
古 代 文 学
|
一|グチ・タハブェ・オモリ・マジニョイ 一 ミ セ セ ル
・ オ タ カ ベ
・ ヌ ダ テ ィ グ ト ゥ
・ テ イ ル グ グ チ
・
| 呪 詩 文 字
| 一 テ イ ル ル
・ マ ジ ナ イ グ ト ゥ
﹇−HH;
r一
一
TI
l−一ガリ・マジナイグトゥ・タl
ピ・ピャ
lシ・フサ・ニlリ
一 |
lカンフチ・ニガイフチ・カザリフチ・ジンムヌ 一|ナガレ歌・八月踊歌・ユングトゥ
一h
ie
lグ
ェ
l
ナ・ウムイ・オモロ
| 叙 事 文 学l一
一 ﹄
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グ・グイチャ
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l
・ジラバ・ユンタ・ユングトク 行
情
文
L子
| | | | 節 ク 琉 島 歌 イ 歌 歌
チ ト ヤ
ゥ l
ラ ト I l マ ガ ス ・ ン シ カ ユ ニ ン カ
一|諸鈍芝居・狂言
丁組
踊・
狂二
一一
7
人 形 芝 居
・ 歌 劇
| 劇 文 学
l一
T
組 踊
﹁組
踊・
狂一
一一
日
奄
: 美
1中
店尾
︵ 官
十日
︶
ハ八 重山
︶ 奄
美 ︶
︵ 沖 縄
︵ずは
古 ︶
︵八 重山
︶ 奄
美 ︶
︵ 沖 品 壇
︵h v
u
沖縄文学の全体像 古 ︶
︵八 重山
︶ 奄
美 ︶
︵ 沖
出車
︿ 宮 古 ︶
341
︵八 重山
︶
︿そ の
2﹀
l
奄 美 諸 島 | 沖 縄 諸 島 |宮 古 諸 島 |八重山諸島|!ミ レ | ニ カ ー リ 1
チI I I
! オ タ カ ベ|マジナイグトゥ|
ブ | | |ニガ イフ チ
I ノ エ|ヌダティグトゥ|タ ー |
呪蒔| I I I 1
! モ リ | テ イ ル グ グ チ ! ピ ャ ー シ|カーがリフチ!
I~ -·戸 /!テイルル 1 フ サー1 I
|、 ン ー 匂 イl I 1ジ ン ム ヌ | I |マジナイグトゥ|ユ ー リl I
I
ナ ガ レ 歌|グ ヱ ー ナ; ア ワ ーl
C‑111ナガレ・ j 長 ア ー グ − ‑ I
新 ナ ガ レ 〉 ウ ム イ :シ ソ ハ | グイチャー ユ ン タ |
八 月 踊 歌l げ |
| ユ ン グ トゥ !庁 モ ロ ア ー グ ュ ン グ ト ゥ |
I I I iグ イ チ ャ ー | 節 歌!
!行情
l
'~~j 歌(ウタ〉|琉 歌(ウタ〉|ト ー ガニ;トウバラーマ|l I ! |シ コ ン カ ニ
i
ス ン カ ニl: I ! 組 踊 | |
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年]I
1 ; ; r ;
鈍 芝 府l
1E 百| |組(芸能〉托 』;~- 1 人形芝居|組 踊lJr
歌 劇
踊
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叙事:
︿そ の
1﹀
ミ・t七レ 干クカノ、; グ工 ー ナ ウJ、イ オプn
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ニえ「リ カンフチーーー−・ターピ
ニ ガイフチ ヒ・ャーy
ア舟ー | プサ
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太
342 平
(2)
古代文学の形態
で︑ 奄美 のク チ︵ 日︶
︑
タハ
ブェ
︵山
川ベ
︶︑ と
とだま
言笠 信仰 に来
︑つ いた 呪一 一一 一日 によ って 明え たり 話わ れた りす るも の オモ リ︑
マジ
ニョ
イ︵
呪い
一一
日︶
︑
沖縄のミセセル︑
テイ ルル
︵照 るる
︶︑
オタカベ 呪稿文学呪稿文学というのは︑
︵お
崇ベ
︶︑
ヌダ ティ グト ヮ︵ 川公 斗一 一
z川
﹀︑ テイ ルク グチ
︵照 るく 口︶
︑
マジナイグトク
︵呪
い一
一一
一口
︶︑
宮古
のニ
ガリ
︵似
い︶
︑ マジ ナイ グト ゥハ 呪い 一一
一C︑
タl
ピ︵
川ボ
ベ︶
︑ ピャ
l
シ︵
拍子
﹀︑
フ サ
︵ 草 ︶ ︑
一
lリ︑
八市 一山 のカ ンフ チハ 神円
︶︑ 一ガ イフ チ︵ 願い 口︶
︑ カザ リフ チ︵ 飾り 口︶
︑
ジンムヌ︵呪
い一
二一
口︶
など
があ
る︒
例を沖縄諸島にとれば︑ここに伝わる呪詞・呪言のうち︑もっとも古いと岡山われているものは︑︑
ヌダテイグトウセセルとオタカベである︒オタカベは文字どおりお崇べであり︑別称宣立一一一口ともいわれるように︑神
の だ の り と
を崇ベ︑神に対する穴立てのための祝詞であることは︑その内容と機能から明らかなことである︒原
始社会では自然に対応するための祭りや呪術がさかんに行なわれた︒そのような社会で︑超人間的な
力を持つ神にすがり︑五穀豊穣の予祝をしようとする願望が︑神祭りにおけるオタカベ
︿お
出川
ベ﹀
と 沖縄文学の全体像
︵一
七
O
三︶など古文献の中に︑雨乞いのオタカベが多く記されていることは︑そのような呪的心性を諮ってくれる確かなあかしである︒ なって発達したものである︒﹃仲里旧記﹄
343
︵前
略︶
大雨
乞の
時︑
火の
神前
へお
たか
ベニ
一一
日 まだまもり 首里もり
あんじおそい
しのたばる
雨ほしゃに
みなわれて
もるわれて
雨おろちへ
いぶおろちへ
︵中
略︶
やは/\と
なご
/︵
\と
いしきよらが ちよわる
ちよわる
た斗みきょが
しのみとり
水ほしゃに
いきよゑ
いきよゑたまふれ
たまふれ
たまふれたまふれ
およゑ
344 訳 文
首虫森にまします
真玉森にまします
按司添い貴人︵国王︶の
美しい聞が立派な田が
雨欲しさに水欲しさに
みな別れていくから
ぜんぶ訓れていくから
雨をおろしてください
いぶ︿雨︶をおろしてください
柔々とください
和々とください
いし清ら
︵稲
穂﹀
のた
めに
ぼさつのふが
およ
ゑ
菩躍の穂︵稲穂﹀のために
いし実いろおよゑ石の突を入れるために
かな実いろ
およ
ゑ
金の
突を入れるために
︵﹃
仲里
旧記
﹄︶
ミセセルは︑神のことばとしての託宣であり︑神託であるといわれているQしかし︑伝えられてい
るミセセルの内容を検討してみると︑祝詞であるオタカベとの違いを明らかにすることが困難であるο
少なくとも今に伝えられているミセセルとオタカベの呪的心意は基本的に同じもので︑両者の区別は
っけ
にく
い︒
これと同じことは︑奄尖︑宮古︑八重山の呪薦文学についてもいえる︒島々の呪詞・呪言には多く
の呼称があり︑地域的な変差と内容の変遷または重なりなどを複雑に持っているため︑呼称に対応し
た区別をすることはきわめて困難である︒中には︑神々の呪縛と呪薦的な心窓を離れ︑部落の廃史や
ひとごと人事を語る叙事歌的内行に変わっているものもある︒ただそれらのすべてに共通していることは︑人
沖縄文学の全体像
と神との聞をつなげる呪詞としての機能を持っているものであるということである︒
田植祝おりめの時︑あむがなし御殿︑並︑伊是名城にての︑みせぜる
345
あられをぼっ
にる
やせ
︑ち
の
まきょにあがて あられかぐらか
なや
せ︑
ちの
くだにあがて
いちゃじゃううちに
日が七日夜が七日
とでこまで
︵中 略︶ 首里森
百浦添
かけぶさひ
げにちょわる
てだほころ
天がすゑいせだいり
まきよらくに
げにとよる かなじゃううちに
げにあるときや
すへの御殿 真玉森
しきぶさひ
だにちょわる
あんじをそひ
主にせ
みやだいり
まだかくに
だにと
t
るユ あ ル ら
ヤ オl
·~,;;_せ天Z
プJt;̲Lつ:
カ1
部落にあがって
板門内に
夜の七日
閉じこもって
首 盟 森
市浦添実げ掛
に け ま 栄
し え
ま す
あ カ ら ナ れヤ や11~'.
王:~ Ph'' )J'; /.J ~、
346
村にあがって
金門内に目
。
〉
実げ七 tこ 日 ある 時 は
真玉森に
精の御殿に 敷キ」 誠 だ 栄 に え ま 給 し い 主 す
太陽誇る按司添い︵王﹀が
勝 れ 公 事
天の末商である同王様が
御親 公古 川
eをなさって
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a.
︑ ぃ
ud a
︑ノ司
AM
司
工子 什 Fi
日 い
実に鳴糊円み府る
官パ 高岡
誠に鳴酬明日み居るのです は
叙事文学
叙事文学には︑奄美のナガレ歌︑
オモロ︑宮古の長アlグ︑
グ イ チ ャ
iアl
グ ︑ ある
Q
米ぬナガネ ねいらや
かなや
ねいらや
かなやつ
る ん と う
り と
お す ん じ ま と お す ん じ ま
しゅうむり
しゅうむり
た か ん と う り が ねいぐふ ねいぐらんだねや
くむいんしょおし
わきばねに 八月踊歌︑ユングトゥ︑
八市
一一
山の
アヨ
!︑
ジラ
パ︑
一ラヤのとおすんじまから
カナヤのとおすんじまから
一ラヤの氏もりから
カナヤの氏もりから
的のお
鷹の鳥が干前
。
〉 主主
稲の種を脇羽に押し込めなさって
︵﹃
琉球
国巾
来記
﹄﹀
沖縄のクェl
ナ ︑
ウムイ︑
ユン夕︑
ユ ン グ ト ゥ な ど が
沖縄文学の全体作 347
すでいばねに
ひるじま
ふうじま
むかしおてん くむいんしょおし
のぼせんしょおし
のぼせんしょおし
ひゃんじゃうやのろが
のぼりんしょおし あまてえば
ねいぐふ
ねいぐらんだねや
くむいんしょおしわきばねなんじ
ひるじま すでいばねなん
ひるぎいんしょおし
︵後
略︶
大皿のアlグ くむいんしょおし
くぬんさぐんさぐよl
併で羽に押し込めなさって
広い島にのぼせなさって
昔 果 報 平 島
安 に
座の
の ほ
親ませ神のな
女 ろ さ
カミ っ
て
大空に聾える天の荻に
お登りになって
稲の穂
稲の種を
脇羽に押し込めなさって
併で羽に押し込めなさって
広い島におひろめになって
お み き
﹂の御神酒御神酒は
348
︵﹃南島歌謡大成﹄奄美篇﹀
ム ト ヮ イ
くぬくんしゅくよ
くぬうさぐ
うふなびぬ
あちふずぬ
く ぬ に が い
たしきぶん
︐ −
J
−
F﹂?ゐ︑わ︑︑77tヵしそびちうさぎ
︵中
略﹀
とうゆじきやぬ
スイナオウリ
元を添え直しますハ鳴子・以下略︶
﹂の御神酒は
うさぎや﹂の御神酒のお捧げは うんさぐゆ
大鍋の御神酒を
んさぎゅl熱いうちの御神酒を捧げるのです にがいや
このお願いお願いは
うさぎやi助けの分だけお捧げいたします あらんよlただのお願いではありませんよ あらんよl別のお捧げではありませんよ うふじゃら鳴響付きの大皿
沖縄文学の企体像
神名揚げの時には
たていたていぬ かんなやぎどうちんなよ!
立て立ての願い鎮めは
ば い ば い ぬ
うやばたん
ゆからたん
こ : −
rk
やb
町・
μφjr品﹃︐〆
宅六
にがたみやl
栄え栄えの願い鎮めは
ひるぎゅlり親達も広げてください
349 ひ る ぎ ゅ
lり
・十
一日
から
達も
広げ
てく
ださ
い
稲カL
一 種
稲 子
種だよが あ
子にう ぬ
きゅ−J今日いでいる
hさや戸りまい
ウヤキョ
lヌ
き ゅ コ び い
二 今 日 ぬ 日 ば む と
う
いし
く が に ぴ い
黄 金 日 ば む と う い し
な じ る だ
lいた三
苗 代 田 に 出 し よ う り 種 子 よ る 田 に 出 し よ う り
Jちき
内 打 ち は ら し 作 り ょ う り
ま ち き
時 き は ら し 作 り ょ う り
ま
冗 打 ち は ら し 蒔 き は ら し ぬ
今夜からや
し
た し
るに
人 ハ
下 か い や 白 根
差しようり
上 か い や 若 芽 た れ
l ケl
ラ マ イ ヒョウ
稲の種子の今日山る
美しい米よ ﹃出品歌謡大成﹄宮古篇︶
:J50
栄え世の美しい米よハ嚇子・以下略︶
今日
の日
を一
万に
して
黄金の日を元にして
苗代田に出しなされよ
種子下ろし田に山しなされよ
打ち放って作りなされよ
蒔き放って作りなされよ
打ち放り蒔き放りしての
今夜からは
下には白根が差
しな
さり
上には芳芽が准れ
八 七
う う 猫
i
犬にぬ ぬ ぬ ぬ
果か願主毛
t
毛ご報 ふ い に に
どど
生5
生5
し し ょ ょ う う り り
犬の毛のように生え揃ってください
猫の毛のように生え揃ってください
手ご願手
摺ずう
り ょ るフ
﹂の 願い をこ そ閥
︑う ので す この果報をこそ手
m
るのです︵
問品歌謡大成﹃ 心﹄八重
山篇
﹀
叙事文学もまた︑歴史的変遷の中で︑その区別を困難にしてしまったアヨi︑ジラパ︑ユンタなど があり︑さらに︑呪祷と叙事と持情との区別をし難いほどに内容の前一なりの見られるものすらあるu
それらの大部分は農耕儀礼にかかわりが深く︑神々の呪縛の中に初源的な生命を育て︑呪蒔的心意や
叙事性を含みこんだまま︑共同体の生活の場に大きく広がっていったものである︒
沖縄のクェlナは︑村洛共同体の繁栄や幸福を願う願望を︑対話・対句をつらね︑連続・進行的に 叙述していく典型的な叙事的歌謡であるωクェ!ナで謡われる主題は︑沿い携︑稲作︑雨乞い︑航海︑
船造り︑家造り︑布織りなどであるυ
大川乞の時のクェlナ
此のおみや此のまみやにこの御庭
﹂の 山胞 に
flド出文学の主体ff~l 051
むかしから あすびおみや
げにあるげに
一山乞にいぶ乞に
一か日てば おどらば 四か日てば
けさしから
昔からけさし
25
から
おどりおみや
352 実げ遊 に び あ 御る 庭 故
だにあるげに
踊 誠だ 御 に 庭 あ る
故
おどらしゅん
肘を乞うて踊らす
おどらしゅん
いぶ︵雨︶を乞うて踊らす
あ す ば ば
踊らば遊ばば
ル ﹂ ︑ ヮ
支 ﹂
一日では待ち遠しい
とうさ四日では待ち遠しい
夜ぐれのふが内に
タしじまのうちに夜すずめが内に
一山
おろ
ちへ
いぶおろちへ
あ ば す 風 し き ょ と 風 き よ ら よ ね ど みなよねど
夕暮れのうちに
たまふれ耐をおろしてください
たまふれいぶをおろしてください
くわぬあばす風は乞わない
くわぬしきょと風は乞わない
乞る川市らよね︵雨﹀をぞ乞うのです
乞るみなよね︵雨﹀をぞ乞うのです
やわ/\とたまふれ
柔々
とく
ださ
い
なご/\とたまふれ
和々
とく
ださ
い
︵﹃ 仲県 川記
﹄﹀
っけにくいが︑ ウムイも︑その内容︑形態︑そして信仰的機能︑伝承地域までクェ!ナと重なりあっていて区別が
クェ
1ナの主題のほか︑創世神話︑海神祭・シヌグ祭を中心とする神祭り︑鍛冶︑狩
猟︑戦争︑城造り︑交易︑貢租︑葬式など︑より多様な生活体制を包みこんで神々との扱触を保って
いる
︒
くり返すオモロに近いものとがあり︑ ウムイの中には︑例文をみてわかるように︑対語対句の形を持つクェlナに近いものと︑構造的に
クェlナ的な歌形や心意からぬけだし︑構造的にくり返し得る
新しい歌形を作り出していく姿をみることができる︒
やまとからくたりたる大和から下りたる
沖縄文学の全体像
六月御祭のおもい
やしろから下りたる山城から下りたる
353
赤椀のゆなわし赤椀の世直し
県のいのゆなわし
うやのろに
ます
し︑
ちに
うすばよて
うまめゆて
もちゃぎりば
さtAぎりば
みやす
みやす
みやすみやす
さLAぎ
もちゃぎ
一お
ぼつやま
稲二祭之時玉城忍唄︵おもい﹀
とうさや
あよれども
いしゅづかへに かいむたのをひやくめいが
よtAれたる
ごかごらやま
とうさや
あよれ ども
いしゅづかへに けるよさをひやくめいが
よLAれたる 黒塗りの世直し
J54
親祝女にたてまつり
真スシヂ︵神︶にたてまつり
御側に寄ってたてまつり
御前に寄ってたてまつり
持ち上げれば捧げ
棒げれば持ち上げ
︵ 可
諸問切のろくもいのおもり巳 オボ
ツ山遠くはあるけれども
かいむたの大屋子思いの
立派 な
御招請に依り降りた
カグラ山遠くはあるけれども
けるよさ大屋子思いの
立派な御招請に依り降りた
︵﹃ 琉球 同山 米記
L︶
アマウェl
ダ!と呼ばれるクェ
l
ナをみると︑稲作のための整地から種山き︑稲の成打︑十刈り入れ までの過程を︑順序よく︑丁寧に語いこんでいる︒このような︑生産のための生活経験を歌に謡いこ めて伝承し︑神祭りの場で予川的に謡うというパターンは︑奄美のナガレ歌︑宮古のアlグ︑
八重山
のアヨーにも共通して
λ
ることができる
υ
アマ
I
ウ ェ
lダi
あまみつlが始まる
アマミ人が初めの
ア マ l ウ ェ
ダl
ー や
天親田は︵噺子・以下略︶
米のわきやがゆる
米が湧きあがる
沖縄文学心主体iま
しるみつlのだてる
日1j シ
の ル平と
原2人
を が
め 官ぐ 立
っ て て る
前のとうl原巡ぐやに
温主下
土
E
のとと
め l
て 原
い 巡やく
や
下の平原をめぐって 湿地を探して
355
山水に悟とうてい
泉を求めて
あぶしがたやこねてい畦型をこねて
やんだ方造てやんだ型を造って
356
角高や揃らち角高︵牛﹀を揃えて
くんちゃぐん吸み出て細かい土を吸み山して
まんちゃぐんき︑ちらけて真土をこねりまわして
しかま日寄らしち労働日に寄り集まって
白ちゃねやぬきうえで白種子を貫き植えて
あまちゃねやさしうえてい甘種子を差し植えて
二月ゃなよれば
二月
にな
れば
ゆだりぐさかきまわちユダリ草をかきまわし
月ゃなよれば
月に
なれ
ば
くざらベんすじんかち
未 詳 ︶
︵後
略︶
︿﹃琉球王朝古謡秘曲の研究﹄﹀
ナガレ歌では︑﹁芭蕉ながれ﹂﹁州草ながれ﹂にみられるように︑芭蕉布や刷出草の生産過ねを克明に
謡いこむことによって︑予祝すると同時に︑作業予順を正確に伝承していったことがうかがえる︒こ
のように︑稲作その他の生産過程を︑一一
一 一日匁にすがりながら︑幻視的に表現することが︑そのまま思穣
につながっていくのだという伝仰があり︑そのような信仰や意識を基盤にしたクェlナ的古認が生ま
れてきたようである︒こういうクェiナ的古訴の形態と発想は︑奄美︑沖縄︑宮古︑
八市
一山
を通
ずる
南島古謡の基本的性格をなすものであるといえる︒ここでいうクェlナ的な古謡というのは︑具体的
には奄美のナガレ︑沖縄のグェlナ︑
ウム
イ︑
宵十
日の
アl
グ︑
八重山のアヨl等々であるが︑沖縄の
ウム
イは
︑
オモロという新しい歌形を生みだす母胎になるものである︒
クェ
Iナを母胎にしながら︑
しかもオモロは︑今まで述べてきたような歌謡群の対話対句を基本にする歌形とは︑まったく趣を異
にする新しい歌形であり︑歌形論的に特に注意を要するものである︒
ウムイとオモロは木来同じものである︑か︑ウムイは古いグェIナ的な歌形と新しいオモロ的な歌形
の両方を含みこんでおり︑地方に伝承されているので︑一つの便宜として︑ウムイは地方の白川々︑村
村の神歌として伝承されているもの︑オモロは中央首里王府の神歌として伝承されているもの︑とい
うふうに区別することができる︒地方のウムイが中央的に整理され︑歌形を構造的にととのえていっ
たものがオモロであるというみかたをすれば︑
一つ
の
基準にはなると思う口私は︑﹃おもろ
さ う し
﹄
中に収載されているものをオモロ︑地方民間に伝承されているものをウムイとして便宜的に呼び分け
てはいるが︑﹃おもろさうし﹄の中では︑整序の子が十分にいきとどかないまま︑地方的ウムイも中
沖縄文学の全体保 357
央的オモロもいっしょに合まれているので︑厳山山な意味での区別は困難である
u
358 おもろ︵巻十・五二
一︶
一むかしは︑ちまりや
オfて
II
天地の初めに
て だ こ 大 ぬ し ゃ
日神大主は
き よ ら や
︑ て り よ わ れ
夫し
く昭
一り
給え
り 又 せ の み は ち ま り に
又 北 川
天地の初めに
又 て だ い ち ろ く が
文日神一郎子が
又 て だ は も ろ く が
又口神八郎子が
又
お さ ん し ち へ
︑ み お れ ば
又附して下を見下ろせば
文 さ よ こ し ち へ
︑ み お れ ば
又桁して下を見下ろせば
又 あ ま み き ょ は
︑ ょ せ わ ち へ
又アマミキヨを詔し給い
又
し ね り き ょ は
︑ 上 せ わ ち へ
文シネリキヨを沼し給い
又
しま
つくれてλわちへ又れ川を造れとのたまい 又 く に つくれてLわちへ又同を造れとのたまい
文こtA
戸り
︑き
のし
ま/
︿・
1文たくさんの品々
又 し ま つくるぎやめも
又 文
m i
tこ を く j告 さ る ん ま の で 問 々又こ
kA
ら き の く に
/\ 又くに
つくらぎやめも
又同を造るまで
又て だ こ
︑ う ら き れ て
又日﹂仰は待ちわびて 又 せ の み
︑ う ら き れ て
文日神は待ちわびて
又あまみやす︑ちゃ︑なすな又アマミヤ人を生むな 又しねりやす︑ちゃ︑なすな又シネリヤ人を生むな 又しやりは︑す︑ちゃ︑なしよわれ文血筋の正しい人を生み給え
おもろ︵巻一・一︶
てにがした
天が下を
沖縄文学の全体像 一き こ ゑ 大 ぎ み ぎ や
一間
得大京が
おれて
︑
あ す び よ わ れ ば
降りて遊び給えば
たいらげて
︑
も よ わ れ
干げておわしませ
又 と よ む せ だ か こ が
文鳴響む精尚子が
359 又 し よ り も り ぐ す く
又打
剛十
一社
ぐす
く
又まだまもりぐすく又真玉社ぐすく
360 おもろ︵巻十三
・八
九二
︶
一まにしが︑まねまね︑ふけば
一真
北風
がま
ねま
ね吹
けば
あんじおそいでだの按可添い王の
おうねど︑まちよる
お船
をぞ
待ち
居る
又お
ゑち
へ︑
が︑
おゑ
ちへ
ど︑
ふけば
又追
手風
が追
手風
ぞ吹
けば
ほぼ十二世紀頃から十七世紀初頭にわた
って謡われた島々村々のウムイを採録し︑首里王府の手で整序してオモロと名づけ︑冊となしたのが
しよう
し ん し よ
うせい中央集権を確立した尚真王の第五子尚清王の即位五年︑ ウムイの発生起源は︑かなり古く遡るものと思われるが︑
﹃おもろさうし﹄全二十二巻である︒
一五
三
一年に第一回の結集事業が行なわれ︑すべて四十一首の﹃おもろさうし﹄が成立した︒﹃おもろさう
しよ3ねいし﹄と名づけられた最初の神歌集で︑後に第一巻になったものである︒それから八十二年後︑尚寧王
一六二二年︵島津の琉球入り後五年︶に第二閉めの神歌結集があって四十六首の神歌
集︵後の第二巻︶が成り︑さらにそれから十年後︑尚豊王の即位三年︑ の即位二十五年︑
二十巻ができあがっている︒第一同の神歌結集の折に︑ 一六二三年に第三巻以下の残り
ウムイの名はオモロということさらな呼び名
に変わるようになったわけである︒ 八.
重 持
山 情 の ふ節
t
平歌A
ト 立
ゥ!日
/ 、 J司
ラ 七y:
→ は
しまう
た り 争
3か奄美の島歌︑沖縄の琉歌︑宮古のクイチャl︑トlガニ︑
シュ
ンカ
ニ︑
スンカニなどがある︒
島歌︑琉歌︑節歌等は総括的な呼称で︑それぞれの中でまた長歌形と短歌形に分けることができる︒
りゅうかいずれも︑単にウタと呼ばれたものであるが︑沖縄のウタが琉歌といわれるようになったのは︑日本
の和歌が︑唐歌に対して和歌と称して区別されるようになったのと同じ事情であり︑それぞれの地域
における地域的変符と特性を持っている︒
琉歌についていうと︑短歌形式には︑八八八六の三十音から成る短歌と︑和歌風と琉歌風のまじっ
なかふフくどう
b き や
た仲風があり︑長歌形式には八音が連続してきいごを六音で結ぶ長歌のほか︑口説︑つらね︑木遣り
をも含めて考えることができる︒圧倒的に多いのは短歌で︑普通に琉歌というときには短歌をさすの
であるが︑短歌がなぜ八八八六音という定型を獲得したのかは明らかでない︒しかし︑沖縄に伝わる
さまざまな古謡を素材にして︑八音と六音の成立していった道筋をたどることはできる︒中でも︑琉
沖縄文学の全体像
歌を生みだした直接の母胎はオモロであり︑名人オモロ︑ゑとオモロ︑遊びオモロなどに行情への傾
斜と八八八六調への歌形の拾えをみることができる︒そのほか︑首里士族達の貴族的成長と世界観の
広がり︑共同休から離脱していったオモロ歌人アカインコ︑オモロネヤガリ達の地方的活躍︑三味線
の渡来等々の社会的要因も︑不定型なオモロ歌形を短かく緊張させると同時に︑それを三十音ハ八八
361
八六︶杭造に定明化させ︑持制川の裾野を広げていく力になったものと考えられる︒
琉歌は︑主題からみると︑恋歌︑四季歌︑祝歌︑教訓歌
︑開
旅歌
︑固
有の
民俗
︑一
一 h仰︑生活を背景
362
にしたものなど多彩であるが︑もっとも数の多いのは恋愛歌である︒
しよどんしJはや
奄主
人の
諸鈍
芝居
︑狂
一一
一川︑沖縄の組踊︑狂
一 一一一口
︑人
形芝
店︑
歌劇
︑・
計十
川・
八市
劇文学
劇文
学に
は︑
山の組師︑狂言などが伝
わっ て
い
る ︒
組踊
は︑
沖縄
の一
一円前︑文学︑芸能をもって総合的に構成された沖縄独自の楽劇である︒島々に伝わ
る伝説︑訓話を劇性の支えとし︑方言
によ る
古前を積極的に取り入れながら︑沖縄的な八八調の音作
に調え︑舞踊もまた︑十日くから伝わる﹁こねり﹂﹁しぬぐ﹂などの祭式舞踊を組み合わせて︑たくみ
たま寸すくち
ょ −
Jくんおとりぶぎように構成
︑ ぶ
れている︒一七一九年︑尚敬王の冊封︵即位式︶の際
︑ 玉 城 朝
薫が踊奉行として︑冊封使招
待の宴の余
興の
ために創作したのがはじまりといわれている︒朝薫は数回も薩摩や江
戸に
赴き
大和
の
芸能に約一辿していたので︑彼の創作による組踊が︑話山・能・狂言などの影響を強く受けていること
はい
なめ ない 口 しかし︑折口信夫は組踊の全体的な構成と構成要素に注意深い日を注
︑ ぎ
︑組踊は大和
芸能との必触によるいきなりの創造ではなく︑夜来の﹁村踊﹂の発展線上に総合されたも
ので
あると
指摘Lているο
こと
は︑ 劇の発生の一般的形式と等しく︑組踊もまた︑沖縄問有の原始的祭式の中にその起源を有している
いくつもの事実から論証することができるが︑原始や古代の呪縛をひきずりながら発展して
きた﹁村踊﹂の内界を︑封建社会的支配機構に連れ立つ形で入ってきた芸術形式の外被︵能︶で包み
込んで舛介化していったところに︑組踊成立の特異性や独自性があった︒
沖縄︑官古︑人前山に伝わる狂言はそれぞれに独自であり︑風土に根ざした﹁笑いの文学﹂である
が︑奄一五の与論品の紅
一 一 一 一
川には大和狂言がかなり入っている︒八重山の竹市島の狂一
一 一
円一
は︑
神に
棒︑
げる
厳
粛な﹁ジンヌキヨンギン︵例の狂一一一 一
口︶﹂と即興のことばで笑いをひきだす﹁パラシキヨンギン︵
笑い
狂
一日﹀﹂の二つに分かれていて特異である︒
諸鈍芝川︑人形芝川︑歌劇については︑ここでは訓愛することにする︒
(3) 奄 美
大
ク チ
クチ
︑
タカベに人る十川島呪詞の共通性
タ会
フェ
︑
クチ
タブ
ェ︑
タハブェなどと呼ばれる呪詞がある︒グチ︵口︶は人から
神に巾しあげる﹁摂なることば﹂という意味で︑グチをつらねて願意を構造化したのがタハブヱ︵以
ベ︶であるνしかも十日いタハブェの変容したのがタブヱ︑クチタプェであり︑それらの願意︑機能に
沖縄文学の全体像
本質的な述いのないのをみると︑かなり古くから原怠を見失った混滑があって︑それらがいかにも白
立した川討であるかのように呼称だけを厳格に伝えできたらしいものであることがわかる︒
奄美のタハプェは︑沖縄のオタカベ︑ミセセルと呼ばれる呪詞と対応するものであるが︑その原形
いぜ
な い へ や
であるらしいクチは︑伊是名︑伊平犀鳥のテイルググチの中に面影をとどめている︒テイルクグチと
363
すなわち神のグチ︵神口︶ということになる︒ いうのは︑テイルクとグチの二
一請 が複 合
したもので︑テイルクは太陽神のことだから︑太陽神のグチ︑
久高島に伝わるテイルルも神を崇ベるその内容は︑テ
364
ィル
ク グチ
と同じ
もの
であり︑古くはテイルルグチあるいはテイルクグチといっていたものであろ
う ︒
奄美
のク
チ︑
沖縄のテイルググチ︑テイルルは︑それぞれ神のグチ︵神口︶に通ずるものであり︑
それらは八重山のカンフチ︵神日︶︑
一ガ
イフ
チ︵
願い
口﹀
︑
宮古
のカ
ンフ
チ︵
神口
︶︑
一 ゴ
l
フチ
︵閥
︑い
口︶ともつながっていく︒
タチ八重山のカンフチは︑神が人に授ける神の口︑すなわち神託であり︑
タチげる願いの口︑すなわち祝詞である︒しかし︑入煎山におけるカンフチとニガイフチを区別する某準 一ガイフチは︑人から神に持
はすでに失なわれている︒失なわれたというより︑もともとカンフチとニガイフチは源を同じくする
もので︑区別をする意識がなかったとみたほうがよさそうである︒カンフチとニガイフチをことばの
上で区別して神祭りの場に機能させているのにかかわらず︑内容上での積極的な差異をみいだすこと
ができないので
ある
︒
これは沖縄におけるオタカベ
︵ 祝
詞︶とミセセル︿神託︶の関係も同様である︒
いず
れに
せよ
︑
八沢山のフチは奄美のグチ︑沖縄のグチ︑宮古のフチと共通する﹁聖なることば﹂で
あることがわかる︒グチとフチの違いはK背とF音の子音交替によるものである︒
宮古にはカンフチ︑タlピなどと呼ばれる呪詞がある︒タlピは奄美のタハブェ︑沖
タカベすなわち神を崇べるの﹁崇べ﹂が変化したものであるが︑正しくはタlピ
ニ ゴ
i
フチ
︑
縄のオタカベ同様︑
グイ︑あるいはタlピフチと呼ばれるものであり︑タl
ビの
中で
︑
するまフチ︵立派な抗日︶︑かぎま
フチ︵美しい真口︶︑あるいはタlピフチ︵崇ベ口﹀という語が使われているのをみると︑市川古でもやは
り︑クチとタlピは神にかかわる﹁聖なることば﹂として意識され︑神祭りの場で使われていたこと
がわ
かる
︒
以上のべてきたところを要約すると︑奄美︑沖縄︑宮古︑八重山に共通に伝わるクチは︑神と人を
つなぐ﹁聖なることば﹂として意識されているものであり︑クチを基にして神を崇ベるタハブェ︵奄
美 ︶ ︑
オタ
カベ
沖 縄」ノ
タiピ︵宮古﹀などが生まれてきたものであると理解することができるし︑市
島の呪詞はその深層でつながっていることが明白である︒
(4)
沖縄における呪詞の歴史的変遷
クチを基にして神を崇べるオタカベが生まれたと考えれば︑クチは呪詞︑呪言の源になるわけであ
沖誕it文学の主体像
るが︑沖縄ではミセセル︵神託﹀︑
オタ
カベ
︵祝詞︶がもっとも古い呪詞であると意識されている︒
︑セセルは神話であるが︑実際には神女が神滋りをして唱える呪詞であるQ
﹃琉
球岡
山米
記﹄
︵一
七 一 一 一 一
﹀
に記録されている﹁雨乞の時﹂のミセセルは︑豊穣を予祝的におき寄せようとする人々の願意
を︑雨乞いという形でミセセルに包んだもので︑オタカベとほとんど区別がつかない︒﹁伊平屋島た
けない折目﹂のミセセルのように︑その末尾に神から人に授ける託立が付いていて︑祝一一川と区別され
:365
る神託の形態を想像させてくれる︑ミセセルもあるのだが︑十八位紀初f以の文献に記されたミセセルと
オタカベをうかがう限りでは︑J向者は発忽的にも形態的にも前一なりあっていて︑区別のつけようがな .LU UU
リd
いといえる︒
オタカベは︑神女が神を以べ︑人から神への願意を申しのべる
とい
う形式の呪詞であろが︑﹃仲旦
旧記
﹄︵
一七
O
一二﹀に記されている﹁大川乞の時﹂のオタカベは︑前述した﹁附乞の時﹂のミセセルと同じような発怨と形態に包まれていてその区別がつかない︒
しかも︑このオタカベの内容は︑同じ﹃仲里旧記﹄中の﹁大.
ノ山 い ムの時﹂のクェlナとほとんど同じ
もの
で︑
オタカベで祈られた山乞いの心意は︑そのままクェlナにひきつがれ︑雨乞いクェlナとし
て謡われている︒
呪幅的なミセセルとオタカベが出前して重なりあい︑それらが叙事的なクェiナへつながりつつ発
脱していく姿を︑﹃仲盟旧記﹄はかいまみさせてくれるわけであるν
その部分こそが︑折川信夫のい
う呪術←呪
同←叙事詩へとい︑仮説的な呪言の発展過程を物一山ってくれる一つのあかしであろう︒苦 一 う
呪幡的なミセセルとオタカベが前一
一な りあ
っているように︑叙心事的なクェlナとウムイJh︑発想︑形
態ともに重なりあっていて民別がつけにくい︒呼称も古くから﹁ウムイクエlナ﹂﹁おもろくわいに
や﹂と呼ばれているくらいであるU
クェ
iナよりウムイのほうの数が多いこと︑伝承されている地域
空間︑が広いこと︑対象化されている生活の広がりが多様であることなどから︑ウムイのほうが人々の
また
︑
より発展性を持ったものであるということはできる︒
ウムイには︑対話対句を基本とするクェlナ的な歌形と︑対.1川対句からぬけだし︑構造的な
ウムイの中で︑古いクェlナ的仕歌形から 生活に密着して普遍的であり︑くり返しをするオモロに近寄っている歌形の二つがあり︑
新しいオモロ的な歌形へ変わっていく姿がみられるQそういう側面からみる限りでは︑
クェ
lナとウ
ムイは前者が古く︑後者は新しいものであると考えざるを得ないυ
ウムイは︑発展的にはオモロにつながっていくようである︒地方の神祭りに密着し︑部活の人々の
生活に寄り添って神歌としての機能を果たしていたウムイが︑十六世紀になって中央の訂恒に集めら
れ︑
﹃お もろ さう し﹄
︵一 五一 二
i
二ハ 二一 二︶ の中 に収 めら れた 頃か ら︑
ウムイに対するにことさらなオ
モロという呼称が生まれたものである︒つまり︑地方に伝わるウムイを母胎にして中央的に変容して
いったものがオモロである︑ということになる︒ウムイの歌形がクェlナにもオモロにもつ
な︑
がっ
て
いるということは︑ウムイがクェlナとオモロの中間的なものとして位凶づけられる珂山にもなるわ
けで ある
︒
ウムイとオモロは源を同じくするものであるが︑両者の違いは歌形にみることができるuウムイに
は前述のようなクェlナ的な欣形とオモロ的な歌形の二つがあるが︑オモロには︑クヱiナ的な歌形
︿ ク ェ
lナ形式︶とオモロ的な欣形︵オゼロ形式︶︑そしてその二つのまじりあった複合歌形ハ
出介
形式
︶の
一つがあり︑しかもそれらは︑﹁一﹂と﹁又﹂という論理的に税理された泌サでもってととの︑三ら
れて
z1~~品;立;羊の主体像
;)Li?
いて︑知的な整序意識に裏打ちされていることが明らかであり︑雑然と表記されているウムイとは明
068
オモロの請い方には︑
仏教声明風の重々しい旋律がつけ加えられているなども︑両者の遠いとして指摘することがで
きる
︒
らかに違う︒また︑ウムイの謡い方が︑沖縄固有の謡い方で単調で
ある
のに
比べ
︑
ェl
ナ ︑
この
よ
うにして叙事的な形態と発想をかちとったオモロは︑ミセセル︑オタカベの持つ呪耐性
︑ク
ウムイの持つ叙事性をその文学伝統としてうけつぎつつ︑さらに︑オモロ自らの中に︑緊張
的な歌形と持情的な発想を内育させ︑持情詩ウタ︵琉歌﹀を生みだしていく母胎をつくりあげていく
﹂と
にな
る︒
3
沖縄近代文学の歩み
沖縄古代人の文学意識や文学伝統は︑呪綜から叙事・持情へと︑沖縄の思想と風
土をくみあげ︑沖縄文学の独自性をつらぬく形で数百年も発展してきた臼しかし︑明治初年︑幕藩体 近代文学の出発
制の崩壊による日本の国家統一︑近代化の発展過程で︑沖縄もまた日本的体制の中にくみこまれるこ
とになったため︑政治︑経済︑文化の諸面にわたって大きな変動がおこった︒文学の場も例外ではな
かった︒まず︑ことばの面で日本的標準語が沖縄語の上にかぶさったため︑文学の媒休も沖縄語︵方
Jd
﹀によるよりは︑標準語を使ったほうが︑より広い場と支持を得るようになってきた︒文学環境の
まったく新しい広がりとでもいうことができるこのような変革をメドにして︑沖縄における古代文学
と近代文学の境目にすることは可能であると思う︒文学媒体の言語のみならず︑社会の変動にともな
はっきりとした様相を呈してくるからである︒う文学意識のあらたまりも︑
しかし︑沖縄の島々を日本的体制の中にくみ入れよ
うと
する上からの力は︑さまざまな制度的差別︑
社会的差別をともないつつおおいかぶさったため︑美しい空と海の︑恵み豊かな平和に安住してきた
や ま の 十 ち ば く
沖縄の心に︑深い傷痕をとどめた側面があった︒山之口殺︿明治三十六年
i
昭和三十八年﹀の︑﹁お国は?﹂と聞かれて︑ひとこと﹁沖縄﹂といえない心の屈折を綴った次の詩は︑辺境﹁沖縄﹂であること
の社会的被差別の痛みであり︑それはそのまま沖縄の近代化の︑隆史的苦悩でもあったわけである︒
会話
お国
は?
と女が言
った
てゐるあの僕の国か!
沖縄文学の全体像
さて︑僕の国はどこなんだか︑とにかく僕は
煙草に火をつけるんだが︑刺青と蛇皮線な
どの聯想を染めて︑図案のやうな風俗をし
ずっとむかふ
369
ずっとむかふとは?と女が一百
った
370
それはずっとむかふ︑日本列島の南端の一寸
手前なんだが︑頭上に版をのせる女がゐる
とか素足で歩くとかいふやうな︑憂欝な方
角を習慣してゐるあの僕の国か!
南 方
南方とはっ
と女
が二
一
一口
った
南方は南方︑波藍の海に住んでゐるあの常夏
の地帯︑竜舌蘭と梯杭と阿日一とパパイヤな
どの植物達が︑白い季節を被って寄り添ふ
てゐるんだが︑あれは日本人ではないとか
日本語は通じるかなどふ話し合ひながら︑
世間の既成概念迷が寄留するあの僕の国
︑A・カ7・ ・
亜熱帯
ア ネ ツ タ イ
1・
と女
は二
コ日
った
亜熱帯なんだが︑僕の女よ︑限の前に見え
る亜熱帯が見えないのか!この僕のやう
に︑日本語の通じる日本人が︑即ち亜熱帯
に生れた僕らなんだと僕はおもふんだが︑
酋長だの土人だの山手だの泡盛だの斗同義
一詰でも眺めるかのやうに︑世間の偏見達が
眺めるあの僕の国か!
赤道直下のあの近所
明治十二年以後︑
日本
的撚
単一
山川
を使
うことで近代文学への足がかりをつくった沖縄の文学は︑明治
三十
年代
に近
代短
歌・
一一
向︑
四十年代に小説という新しい文学形式を猿得してのち︑中央の文学と同質
化しようとするけんめいな努力を試みることになるが︑山之μ秒︑の独特な詩風を除いては︑見るべき
作品を生んではいないようであるυ
沖縄の近代文学が︑白覚的かつ自立的な文学として歩みだすのは︑戦後の昭和三十年以降にまたな
沖縄文学の主体像 371