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昭和 30 年代へのまなざし

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昭和 30 年代へのまなざし

――ある展示会の表象と受容の社会学的考察――

浅 岡 隆 裕

1. はじめに

① 昭和ブーム の特徴

 「昭和」を懐かしむイベント展示や出版企画、

商品など、 「レトロ懐古ブーム」が続いている。主 なものだけでも拾ってみても、昭和の雰囲気をう たい文句にした商店街や商業施設の相次ぐ登場、

博物館での昭和コーナーの人気、リバイバル商品 の続々の登場とヒット、などである

注1

。 『 AERA 』 誌にある「全国『昭和 30 年代』マップ」では、全 国での恒常的施設を「博物館系」 「テーマパーク 系」 「町おこし系」の 3 つに分類しており、 29 施 設を紹介している。記事の編集方針からだろう が、懐古と言っても、昭和 30 年代ということが はっきりと謳われた施設がかなりの割合を占め る。裾の広さやブームとしての息の長さなど、

1 9 9 0 年代以降、小粒なヒットにしか恵まれな

かった商業資本にとっては、久しぶりの大きな鉱 脈として注目されているようである。

 昭和という時代は、軍部の台頭、日中戦争、太 平洋戦争の開戦と敗北といったネガティブな評価 づけと同時に、高度経済成長による戦後の荒廃か らの奇跡的な復活・経済的発展というポジティブ な位置づけもなされる。通常、懐古という時に は、そこにはネガティブな色彩はあまり感じられ ない。むしろ、昭和の社会的な不安定さや劣悪な 生活環境といった時代背景が脱コンテクスト化さ れ、家庭や地域コミュニティが《回帰すべき場 所》として注目されるなど、言及対象が極めて

《私生活分野》に偏っている傾向が顕著に見受け

られる。

 これ以外にも、このブームに関してはいくつか の特徴が散見される。一つは、レトロ、懐古とい いながら、その時代が非常に狭い時代区分に限定 されていることである。すなわち「昭和 30 年代」 、 もしくは「 1960 年代」という括りである。 64 年 にも及んだ昭和の中でも、とりわけ高度経済成長 以前の昭和 30 年代が、 「憧憬」や「郷愁」の対象 として取り上げられることが多い。

 さらに興味深いのは、懐古という時には、その 同時代を生きた人々の個人的あるいは集合的な記 憶が言及対象になると思われるが、このブームを 支えている主な支持層の一群は、その時代には生 まれていなかったような若年層である点である。

そして、ブームの発生形態として消費主導という 側面が見られ、商業的活動や施設との極めて密接 なかかわりを持っている。 『日経ビジネス』誌は、

このようなマーケティング主導の動きを「郷愁消 費」と呼んでいる。

 本研究では、経済成長の真つ只中にあり、家庭

レベルで次々と家電製品が導入され、物質的な豊

かさが達成されつつあった「黄金の 60 年代」と

呼ばれた「 1960 年代」という括りではなくて、 「昭

和 30 年代」という区分が、なぜ憧れや懐かしさ

の対象となるのかといった問題意識を持ってい

る。 1960 年代についての記述は、すでに何冊も時

代評論として出されており、同時代史としても興

味深い対象であることがわかる。まさに 1960 年

末(昭和 35 年)に成立した政府の「所得倍増計

画」

2

を一つのメルクマールとし、実際の経済成

(2)

長も二桁成長が続いた国民全体のサクセスストー リーに焦点が当てられるならば、 1960 年代とい う括りの方が良いではないのだろうか。

  60 年代とはどのような時代であったのか。例 えば、社会学の立場から桜井哲夫は、政治、思想、

芸術、風俗など全ての領域に渡って、 「あらゆる ものが変貌し、新しく始まった」 60 年代、そして

「現在の〈生〉の出発点」と捉えている(桜井、

1988= 1993 ) 。この視点は、五月革命、文革、ウッ ドストックなど世界的な潮流と共に、日本もそれ に巻き込まれざるを得なかった「近代との終焉」

との関連で語られる。また優れた時代評論を著し た山崎正和も、 60 年代の幕を開く「戦後が終わっ た」というスローガンを取り上げ、そこに積極的 な価値の不在、つまり新たな不安の根底を生み出 す源泉を見ている(山崎、 1977 ) 。そして、 1960 年代は「黄金の時代」と「虚飾とにせものの時代」

と二律背班的な評価がされており、実際にその輝 かしさとうさん臭さを背中合わせした響きを帯び ていたと断じている。

 このような評価が分かれる 1960 年代と比べる と、昭和 30 年代という括りはあまり言及の対象 にはなっておらず、こぢんまりとしている印象は 否めない。概して言えば、前半で戦後復興が完成 し、真ん中の昭和 35 年に所得倍増計画を挟んで、

後半には社会全体とともに家庭生活レベルでも大 きな変動を遂げていく時期である。

 結論を先取りして言えば、昨今の昭和ブームに ついては、 《昭和 20 年代》 《昭和 40 年代》でなく、

《 1960 年代》でもなく、 《昭和 30 年》でなくては ならないという必然性があるように思われる。そ の必然性とは果たして何であろうか。

② 文化社会学的アプローチの有効性

 本稿での言及対象は、昭和 30 年代についての 表象のされ方とそれへの社会的な反応過程であ る。

 この「消費主導」ともいえるブームに対して は、消費社会論から説明などがなされている。例

えば、昭和時代をめぐる「レトロ現象」について、

癒し・ヒーリング効果、懐古趣味などの仮説が提 出されている。しかも興味深いのは、レトロ現象 を一過性の短期的なブームではなく、一種のライ フスタイルの定着と断ずる説明図式が強く主張さ れている点である。これは主に「スローライフ」

「癒し(ヒーリング) 」ブームなどとの関連で語ら れる言説であるが、このような言説が実際に受け 入れられ、流通しているという点は、留意してお きたい。ところが、なぜ「昭和 30 年代」という ことに集約されるのか、十分に説明しきれるもの ではない。単に懐かしさという点から言えば、例 えば先ほどの「 1960 年代」あるいは「昭和 20 年 代」 「昭和 40 年代」または「大正時代」「明治時 代」でも良いはずである。

 なぜ文化社会学的なアプローチが有効であるの かを最初に明らかにしておきたい。

 送り手側によって言説化・表象化が行われると きに、当該事象の全てを記号化するわけには行か ずにそこには選択と捨象、換言すれば「語られて いるもの」 / 「語られていないもの」という二分法 が生まれる。 「昭和 30 年代」という事象について 表象するに当たり、どのような点を中心に焦点が 当てられているのかということである。逆に、不 必要なものとして故意に捨てられるものもたくさ んある。どこに焦点を当てるのか、どのような表 現によってそれを行うのかによって、送り手(制 作者)側の意味づけの機制が理解できるはずであ る。それらのようなメディア(舞台装置)を通じ て、どのような価値観やイデオロギーを体現しよ うとしているのか。制作者側の意図とそのアウト プットとしてのメディア内容についての関連を探 ることがここでは一つの目標となる。

 一方、受け手側がそのようなメッセージや舞台 装置に対してどのような反応を示したのかについ ても分析を行う必要がある。送り手側の意図や思 惑について、どのように解釈・受容していったの かという《解釈的アプローチ》である。

 このように記号化 encode 、解読 decode の両過程

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を扱うことができるものとして、文化社会学的ア プローチが有効であろう。送り手側のどのような 機制によって言説が構築されているのか。そし て、その受け手側はどのような解釈枠組みを用い ているのかといった布置関係を明らかにしてみる ことが可能となる。

③ 本研究の社会的意義〜「昭和 30 年代の認識」

から「昭和 30 年代への認識」へ

 本研究の社会的意義については、あるメッセー ジ要素が社会的価値観として定着している様子を 観察できるということにある。確かにそんなに単 純なモデルではないが、一つのプロトタイプとし て観察できるのではないだろうか。社会的に流通 している言説群は、ある意図を持って産出され、

メディアやイベントといった媒介物によって、社 会的な認知を得る。言説化から、最終的な受容ま での総過程があり、それは極めて社会的な諸力の 複雑なプロセスである。

 筆者の先行研究との関係であるが、昭和 30 年 代半ばの歴史的な展開となった出来事として「所 得倍増計画」に関するメディア表象のロジック分 析を行った(浅岡、 2003 ) 。その際の課題は、ま さに 同時代を忠実に再現してみること であっ た。しかしながら、メディアの表象そのものやそ こから類推される社会意識の変容といったものを 指し示すことが出来たとしても、その当時の生活 経験や意識そのものについての何らかの感触を描 き出すには至らなかった。そこで今回は、参照資 料が極めて少ない昭和 30 年代半ば当時の生活経 験について直接的な資料検討を行うというより も、むしろ現在からみた昭和 30 年代への記憶や 想起の枠組みから考察していきたいと考えている。

 確かに、昭和 30 年代の認識と、昭和 30 年代へ の認識では、本質的に異なる。もちろん、昭和 30 年代当時の生活者の言説や認識そのものを観察す ることの社会的意義を否定するものではない。

「の」の認識の場合は、当時のデータ入手の可能 性がかなり限られるという資料的制約がまず指摘

できる。さらには、あったとしても様々な意見が 入り乱れる中で、その定着までを見通すことは困 難ではないだろうか。 「への」の認識には、現代 から過去を眺めたもので、 「記憶の改変効果」が 明らかに見られる。ところが、その利点として は、個人という枠組みではなくて、社会的レベル でのどのような認識を持たれているのかが確認が できることである。つまり、時代認識は、ある程 度の社会的な価値観を受け入れることで最終的に 個人に定着すると思われるが、個人的な事情や思 いという枝葉末節はそぎ落とされるかたちで、昭 和 30 年代への認識を知ることができるようにな る。

 調査方法論としても、調査対象者が、いきなり 昭和 30 年代当時の生活経験や意識を語るといっ ても、それは困難をともなうであろう。

 その際、生活者の認識の枠組みをあぶりだす仕 掛けとして、 「展示」というメディアが有効であ ろうと考える。展示というのは、主催者側の何を 見せる/見せないという、あるいはどのように見 せるのかという、一つの世界観の極めてストレー トな提示であり、来場者(受け手)の記憶の枠組 みを動員して、同じような解釈をしてもらうよう に図っているわけである。

 そのような意図性を持った展示物に対しての反 応過程(共感・反発)を見ることによって、昭和 30 年代当時への認識を知ることが可能になるだ ろう。

 本稿での研究対象は、メディアである「展示」

において、 昭和 30 年代がいかに語られたのか 、 そして、生活者側の認識において、 昭和 30 年代 はいかに語りようがあるのか 、といった問題を 取り扱うことにする。

2.社会学的な先行知見との接続

① 記憶の社会学から注3

 本稿では、現在における過去への認識を直接取

り上げることになるが、それは「記憶」の問題と

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密接に関連している。過ぎてしまった過去はその まま再現されるのではなくて、自己のイメージの 中で常に改変されていることは記憶に関する学問 的知見のみではなく、個人の経験としても知られ ているところである。しかもそれが個人ではなく て、集団レベル(国民レベル)で行われることも 主張される。例えば、 「あの時、日本人は〜」式 の表象の仕方で、記憶が再生される。この時、個 人のエピソードは、その当時の社会的な出来事と の関連の中で想起されることが多い。フランスの 社会学者アルヴァックスは、記憶を個人的記憶

(自伝的記憶)と社会的記憶(歴史的記憶)の二 つに区別することの必要性を述べている。前者は 後者の枠組みの範囲内で行われているという。有 名なテーゼ「想い出とは大部分、現在から借用し た所与の力を借りて過去を再構成することであ り、その一方で、以前の時代になされた別の構成 によって準備された過去の再構成である。そのた めかつてのイメージは、すでに著しく変えられて いる」 ( Halbwachs, M., 1950= 1989, 73 頁) 。換言 すれば、アルヴァックスが別の箇所で書いている ように、 「過去は保存されているのではなく、現 在の基盤の上で再構成される」というメカニズム を持っているのである。

 過去の語り方(表象)については様々な観点が ある。飛行船ツェッペリン号の飛来という歴史的 事実の出来事が集合的な記憶の中でどのように再 生されているのかを論じた浜日出夫は、アル ヴァックスを引用、論じる中で、次のような見解 を述べている(浜、 2002 ) 。

  「集合的記憶」というが、研究上のタームとし ては「想起」の方が適切であるとしている。この 点に関しては、想起ということになれば過去につ いてかならずしも記憶している必要はない、つま りツェッペリン号の飛来という歴史的な事件を直 接目撃し、当時のメディアに接しているなど同時 代史として経験していなかったとしても、様々な 媒介物によって、想起は行われるのである。そし て、これらの想起がどのような社会的枠組みに

よって行われるのかがむしろ社会学的に興味深い ものである。その媒介物とは、 「様々な文章や展 示、記念碑、記念行事」などである。また、 《集 合的記憶の複数性》も挙げられている。想起に 当っては、 「採用される記憶の枠組みが複数ある」

とされる。展示に関しては特定の集団の視点ある いは問題関心に基づいて、その内容が構成され る。この複数性に関しては、その逆に展示を見て 想起を促される観客(=受け手)の側にも解釈の 複数性が存在し、同じ展示物であっても、様々な 解釈戦略が適応される可能性がある。すなわち、

想起の枠組みの複数性ということである。

 本稿の視点にひきつけて言えば、戦後の荒廃〜

経済成長〜経済大国へという一つの「史観」ある いは「大きな物語」がメディアで繰り返し印象付 けられると、自分や家族の経験やエピソードとい うよりも、ある歴史的な出来事の記憶と結び付け られ、個人の認識枠組み自体が多大な影響を受け ることは容易に想像できる。

 また歴史学の立場から、記念行事や、銅像、祭 りといった文化的な生産活動のとしての「記念・

顕彰行為(コメモレイション commemoration ) 」の 文化史的な側面に焦点を当てる研究も盛んに行わ れている(阿部 他、 1999 ) 。記憶の営みそのもの はいずれも「表象行為」と位置づけており、先述 の通り、二分法のモデルと似たように、 「 『記憶に 値する』と認定された何かが呼び起こされる一方 で、そうでないものが排除され隠蔽される」とし ている。社会学と歴史学という学問の垣根を越え て、記憶がいかに政治的に利用されうるのかとい う問題視点は共有されている。直接的な権力の発 動ということではなく、 「理想郷」として描かれ ているかつての村落共同体への回帰志向やそれへ の憧れという意識に転用されることによって、容 易に権力側の「アイデンティティの政治」に動員 されかねないのである。

 自己論の立場から、過去の記憶に関する研究成

果を発表している片桐によれば、過去の出来事に

ついての記憶は、物語(=説明するための図式)

(5)

に依存しているという立場から、次のように記憶 を定義している(片桐、 2003 ) 。 「記憶は、過去の 出来事の客観的な記録ではなく、現在における特 定の観点から一つのストーリーに見合うように想 起する試みである」 。これは、過去の記憶の構築 性(記憶がフィクショナルな部分を含んでいる)

についてのより踏み込んだ言及である。そして現 在との関連性から言えば。記憶において、 「それ が事実に反するかどうかが問題ではなのではな く、現在をいかに説明し正当化するかが問題とさ れる」としている。すなわち、自己を生成してい る物語は、 「イデオロギーや宗教の問題、ジェン ダーの問題など、時代性や社会性を担う既成の 様々な物語」に依存しているのである。

 しかし、本稿のような問題を扱うときに、自己 論から出発する記憶論は、現象の半分しか説明し ていないきらいがある。つまり、直接に体験して いない年代の人にとっての懐古をどう説明できる のであろうか。そこには、必然的に世代間コミュ ニケーションや表象するメディアの問題が生じて くる。

 メディア文化研究の立場から伊藤守は、エピ ソードがマス・メディアによって「公共の記憶」

へと転化・再編成されて過程を描いている(伊 藤、 2003 ) 。 90 年代以降、 NHK の番組『プロジェ クト X 』の中で紹介される戦後の出来事が、肯定 的に表象・言説化され、支持されている。そこで は、戦後の日本での数々の巨大なプロジェクト が、今では歴史に名を留めない数々の無名の人々 によって、チームプレイ(日本人の得意とされて きた「集団主義」 )で献身的に成し遂げられてき たことを再現する番組である。そして同じく NHK の番組『問われる戦時性暴力』 ( NHK 教育 で 2001 年 1 月放送)で、歴史内容が改ざんされ、

「想起すべき過去の記憶としてふさわしくないと 判断されたものの選別と排除」の事例を取り上げ ている。いわばこの二つがセットとなり、現代社 会の日本的なナショナルアイデンティティの「感 情的、感覚的な貯水池」として、機能していると

の指摘がある。

  1 9 8 0 年代以降イギリスのカルチュラルスタ ディズに起源を持つ「能動的な視聴者」論とし て、視聴者の能動性を強調しているが、何気なく 見ている日常性の中で、「政治的なヘゲモニー」

というものが無理なく調達されていくプロセスで ある。ここで留意しておきたいのは、 (テレビの)

送り手による表象・言説化→受け手の態度・意見 あるいは記憶の想起というような単純なモデルを 想定しているのではないことである。この点につ いて、伊藤も強調している点であり、無数のオー ディエンスの感情と心情によって支えられもする し、そのあり方を再創造し、再強化するものであ る。外部の権力や圧力に規定される「恣意的な歪 曲の問題として捉えるだけではすまない」ので あって、いくつのかの主体(表象・言説化の主体 の制作者と、解釈主体としての受け手)の中での ヘゲモニー調達という抗争の中で、記憶や想起の 枠組みの再配置が行われ続けていることがより重 要なのである。

 繰り返して言うならば、過去の物を眺める視点 というのはピュアで、固定的なものではありえな い。常にそれは揺れ動いているものであり、その 認識主体の内部的・外部的なコンテクストによる ものであるのだ。先ほどから述べているように、

一つの表象を取り上げ、その内容分析を行い、そ れが社会全体の認識と捉えることはできない。む しろ様々な表象の中での一事例として捉える必要 があるだろう。

 本稿はもとより、昭和 30 年代についての歴史 的事実について語るものではない。ましてや資料

(史料)としての妥当性を問うということではな く、 「現代の視点から過去を想起して再構成した モニュメントのひとつ」として展示をめぐる問題 から、昭和 30 年代の語られ方とそれに対する反 応過程について記述していくものである。ある記 憶の再生や一定の枠組みで持って想起を促すよう な装置としての「イベント」「展示」「メディア」

の表象に対しての、受け手側の受容/抵抗過程を

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トレースしていこうというものである。

② 本研究の射程

  「精神的な豊かさがあった昭和 30 年代」という 心象は、客観的な事実としてそうであったという 実感よりも、個人や家族を介しての昔の記憶や、

繰り返し「昭和 30 年代」をテーマに取り上げる メディアやイベント催事というものの働きを無視 しては考えられないだろう。

  「伝統」といったものが、いかにフィクショナ ルなものであるのかというものの見方は、構築主 義的社会学がヒントを与えてくれる。極めて牧歌 的に語られることが多い昭和 30 年代の肯定的意 味づけは、メディアや展示などによってどのよう に表現・構成され、それを受け手側がどのように 解釈していったのか。このような問題について は、文化社会学的なアプローチで問うことが重要 であることを改めて確認しておきたい。

 イベントを取り上げることについての可能性と 限界について、述べておきたい。再現性や保存性 があるメディアと比較して、その空間における見 ることや体験することのインパクトが重視され る。その特性ゆえに、可能性と限界がある。展示 物やその構成には主催者(=送り手側)の意図性 が明瞭に現れる。また、イベントに付随した様々 なプロモーション的要素(チラシ、広告などの メッセージ)についても、来場促進に向け、好奇 心を誘うようなあからさまなメッセージが含まれ ている。従って、イベント主催側(送り手サイド)

の意図と展示(表象)との関係、さらには長期的 な累積効果まではわからないが、短期的な観客

(受け手サイド)の反応過程、そして送り手の意 図と受け手反応の相関関係過程が比較的に明瞭な 形で把握できるという利点を持っている。

 反面、それは展示が一つの刺激であるに過ぎ ず、そのまま態度や意識変容につながると考える のは早計である。むしろ過去からの先行的なイ メージ(これを社会心理学の立場では「先有傾 向」と呼ぶ)の中で解釈や意味付与がなされると

考えるのが妥当といえよう。その意味では、会場 で「懐かしい」という感覚が急に芽生えてくると いうよりも、昭和の展示=懐かしいとのイメージ が先に存在し、展示を改めてみることによって、

そのイメージが強化され、別の要素が加味される ことはあっても、根本的に変わることはまれであ ろう。限界というのは、来場者を観察することに よって、現時点での先有傾向が把握できるとして も、それがどのように生成されたのかまではやは り説明できないということにある。

 ところで、昭和 30 年代ブームといわれる中で のこのイベントが占める位置づけであるについて 注記しておく必要があろう。レトロブームは、

1990 年代後半より、書籍を中心に始まったと見 られる。 1995 年が戦後 50 年という節目だったこ とも全国各地でその回顧の催しがなされた。その 際は、回顧であり、懐古という要素はまだあまり 展示の内容には表示されたものではない。後述の H氏によれば、 1997 年位から今の懐古ブームが あったとの述懐があり、その「イベント的」「村 おこし的」 「体験的」などに分けられる。その一 連の流れの中に、今回調査対象としたイベントを 位置づけることができる。

 本研究を通じて、 30 年代についてメディアや イベント催事における描かれ方の特性、その来場 者(受け手)は、展示と自分の記憶と結びつけて いかに主体的に享受しているのかといったメカニ ズムが明らかにされる。

3.ケーススタディ O百貨店の昭和 30 年代 回顧展より

① 事例の概要

 今回、調査対象として選んだのは、東京のター ミナル駅にある電鉄系の O 百貨店の催事である

「近くて懐かしい昭和展」である。開催期間は 2003 年 8 月 6 日〜 18 日までの 13 日間であった。

主催は、 「 『近くて懐かしい昭和展』実行委員会」

とあるが、 O 百貨店 K 氏へのヒアリングによれ

(7)

ば、これは架空の団体であり、 O 百貨店催事担当 者と、この企画に携わる大手映画会社 T 社担当者 の二者が実際的な興行を取り仕切っていたとのこ とである。この二者の関係についてもう少し詳述 しておくと、 O 百貨店催事担当は百貨店でのイベ ントスペースを活用し主に集客を狙いとした催し 物を企画するところである。それに対して、 T 社 は、展示企画を売り込むという形で参入してい る。従って、それぞれの論理(イベントに対する 考え方)はやや異なっており、両者の直接の担当 者にそれぞれ聞くことによって、このイベントに 対する主催者サイドの考え方をまとめてみた。

  「近くて懐かしい昭和展」の展示の構成は以下 の通りである。大きく分けると 4 ブロックになっ ている。①昭和 30 年代の建築や町並みの再現。駄 菓子屋、タバコ屋・雑貨商、大衆食堂、映画館、

銭湯、薬屋などの商店街と茶の間の再現、②三種 の神器の家電製品、当時の玩具・おもちゃ展示、

スポーツヒロイン・映画俳優・歌手など「人気者」

に関する展示(映像+写真) 、③「東京・消えた 街角」の写真ギャラリー(主に昭和 40 年代の風 景。路地裏で遊ぶ子ども、映画館、市電、商店街、

銀座などの白黒写真) 、④ VAN 商品コレクション をはじめとするファッション、雑誌など若者風俗 の展示、ジュークボックスでの音楽演奏である。

①に関しては、街路には看板、自転車、郵便ポス ト、町内会のお知らせの貼り紙、碁石と長椅子な どが配され、当時のディテールにこだわって再現 しているような感じを受けた。また照明に関して も、夕方を想定しているのか、やや落とし気味 で、街路灯を点灯させていた。

 このうち、①〜②については、 T 社の売込みを そのまま採用し、③と④は、 O 百貨店のリクエス トにより、 T 社介在のもと、別のアパレル関係者 や収集家の協力を得たとのことである。

② 主催側の考え方

  O 百貨店が主催することになった経緯につい て、学芸員として勤務している K 氏によれば、 K

氏個人としては「あまり乗り気ではなかった」と いう。その理由については、 K 氏の昭和 30 年代に 関するイメージ(「何のおもしろみも感慨もな い」 )や展示担当の学芸員としての判断( 「懐古主 義に戻るから。イベント性が強くなりすぎるか ら」 )によるものであった。また K 氏が、川越の 丸広百貨店でこの展示を見た感想として、 「だか らなんだ?」というものが率直なところであり、

無料で類似の仕掛けがある「ナンジャタウン」

「台場 1 丁目商店街」があり、入場料という形で お金を取る催事をすることに葛藤があった。とこ ろが、リアルタイムで昭和 30 年代を体験してき た世代の担当者たちが「いける」と判断したため 催事として行われることが決定した。 「この種の イベントが百貨店として集客効果があると判断し た」とのことである。後にヒアリング調査を示す T 社によれば、 T 社は、 O 百貨店での開催前にす でに全国の何ヶ所かで同種の催しを行ってきてお り、それらの集客効果が認められたという。それ らの結果によって、 O 百貨店が「行ける」と判断 した理由付けにもなったのであろう。

 次に催事企画とした意図については、集客を軸 にした、したたかな戦略が垣間見られる。これま での催事の企画は「家族で一緒に楽しめるもの」

を夏休みやゴールデンウィークの催事にあててい るという明確な意図がある。 O 百貨店の主要顧客 は 40 代後半〜 50 代に集中しているが、目指す顧 客年齢層は現状よりも若い層であり、 「近くて懐 かしい昭和展」は若い人にも楽しめるということ で、想定顧客層に一致した。また、それ以上の年 代の人には懐かしんでもらえる。 K 氏によれば、

「上司が企画の段階で楽しそうに盛り上がってい

たのを見て、 『いける』と直感した。この年代の

方々に来てもらって、全然知らない人たちと話を

して楽しそうにしている姿が見たいと思った。目

的=集客に尽きる。集客と販促はほぼイコール」 。

 また 30 年代に絞った理由について、はっきり

とした狙いがあった。 「百貨店の企画として、成

長期にさしかかる 30 年代はやりやすかった。戦

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後のにおいが残るよりもいいし、小田急百貨店が 34 年にできたタイミングも合って、百貨店の歴 史と共に右上がりになっているから」 。

 展示の構成については、 「街並み、スポーツ選 手等、基本的に企画会社による持込みを買う」と いう形を取っている。 「その上でリクエストをき かれたので、ファッションの展示と写真を加え た」とのことである。この O 百貨店側の要望によ り、街並み→写真→ファッションという展示の流 れが確定した。

 催事の結果については、来場者が 20,000 人超え れば成功だと思っていた。 「告知は通常より少な かったが、メディア受けするだろうと思っていた ので、熱心に広報に働きかけ、ワイドショー、ラ ジオの取材受けた。朝日新聞による招待券応募の 反応がよかった。その応募者の年代は 50 代以上 が 3 分の 2 」を占めた。そして、ふたを開けてみ れば、 13 日間で 31,000 人弱という入場者数であ り、これは今まで( 6 回)の最高を記録した。前 年( 7 月末〜 8 月上旬、 くまのプーさん原画展 ) は 25,000 人ほど。これまでの最高は前年ゴールデ ンウィークの ハム太郎 の 27,000 人とのこと だった。

 入場者の構成は、招待客がおり、小学生以下が 無料なので明確ではないが、入場券ベースでは 6 割以上が大人であり、学生はあまり入らなかった という。 K 氏が感じた会場の印象として、若い人 が多かったという。その様子を次のように語っ た。 「意外に楽しんでいるな。カップルがデート コース感覚で来ている。今まで O 百貨店に来たこ とのないような高い年齢の入場者も見られた。親 子連れも多かった。なにしろ入場者自体が多かっ たので、まんべんなく色んな層がいた気がする」 。 筆者らによる、会場での日にち・時間帯を変えた 数回の観察でも、この印象とさほど変わらないも のであった。

③ 企画者サイドの戦略

 次に、この企画を実際に考え、 O 百貨店などに

売込みをかけ、運営を手がけた大手映画会社 T 社 の H 氏に、企画の趣旨についてヒアリングを行っ た。

 まず、背景として押さえておきたいのは、 H 氏 が属しているのは「プロデュース室」という、映 画会社の独立採算部門であり、自分の立てた企画 をかなり通しやすい立場にあるということであ る。かつて NHK でドラマの制作に携わっていた H 氏は企画プロデューサーであり、この企画の立 ち上げ時点から、 H 氏の思いが反映されているの は当然のことといえる。その意味で、様々な立場 の人が幾重にも関与する送り手内部の組織的・重 層的な意思決定というよりも、 H 氏の思いがシン プルに実現させたという単純な意思決定の構造と いえる。

 制作者側として、この企画とはどのようなもの であったのだろうか。 H 氏は、この企画について 次のように語っている。 H 氏の時代認識が非常に 良く垣間見られるところであるので、やや長いが 引用してみよう。 「 30 年代は自分が子供だったか ら。それに尽きると思う。自分自身の元気だった 時代を見てみたいと思ったから。昭和 20 年代は 戦争の後遺症が残っていて振り返るのが嫌なの だ。見たくない。苦しさの時代。 30 年代は(日本 が)元気になってきたから、見てみたいと思うの では。ちょっと苦しいけど楽しかった。 40 年代は 自分も社会人だし「近すぎる」 。時代が動いたの はあの時代( 30 年代)だな。日本の大事な文化、

ちゃぶ台は 30 年代の生活の象徴、下駄などが 30 年代に消えている。理由としては家族の崩壊、テ レビ、女性の社会進出が考えられる。 40 年代は核 家族の時代(団地、個人) 、ヨコ社会。 30 年代は タテ社会がちゃんとしていた」 。

 この「なつかしい昭和展」には前史がある。こ

の企画の前にやはり H 氏が企画プロデュースし

ていた「昭和の子どもたち展」が先にあり、これ

は全国を巡回し、好評だったとのことである。そ

こでのノウハウを活かして、 「モノで 30 年代を見

せてみよう」と思ったのが今回の展示であった。

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「 『子どもたち展』での手応えから、 「モノの展覧 会」ではなく、どうしても「情の展覧会」にした かった。博物館・美術館は『モノの展覧会』であ る。個人的には嫌い。だから本音が出るような展 覧会を目指した。 『感じる展覧会』 」 。

  「近くてなつかしい展」自体は 1997 年からやっ ている。これまでの開催地は、京都、札幌、盛岡、

埼玉、江戸東京博物館、浜松、岡山、米沢博物館 であり、展示の中身はほぼ一緒で、江戸東京博物 館、米沢以外は百貨店など商業施設の開催であ る。売り込みの形態としては、 「百貨店からのオ ファーと、 T 社からの売り込み 5 分 5 分くらい」と のことである。

 企画の背景をさらに細かく聞いてみた。 「世紀 末を控えて、 『新しい時代の幕開け』にはならな いんじゃないか。だったら、時計軸を反対に戻し たらどうだろうと予感した。 『アトムの時代』に ならずに辛くなってくるだろうから、 「モノの時 代」ではない 30 年代が当たるのではないか」 。   「感じる展示会」の演出には特に力が入ってい たようである。興味深いのは、 H 氏が所属する映 画会社としてのノウハウが有効に活かされている 点である。街並みは「映画会社のノウハウで、映 画のセットと同じ。予告編上映なども当然自前。

小道具も専門の人から借りた」 。

 また演出的な場面については、 H 氏の細部への こだわりが見られる点である。

  「見せるものだからある程度のアレンジはして いるが、うそは一切ない。 『予告編』的な手法。全 部見せるところは見せ、略すところは略す。明る くない照明。当時は明るくなかった。真っ昼間か ら明るくしちゃったら、感情も何も出てこない」 。 H 氏が NHK 時代に制作した少年ドラマの経験が この演出に生きている。そして展示の構成も、

「街並み」と「モノ・人」を分けた。 「感じる」と

「見せる」に意図的に分離した。展示するものの 意図としては、 「もしあるとすれば TV ドラマ制作 時のノウハウ。それと少年時代の記憶。つまり個 人的な基準に基づく。あえていえばノスタルジッ

クを感じやすいものか」という。

④ 集客のメッセージの特質

 今、送り手の意図について見てきた。次に確認 しておきたいのは、販促ツールのメッセージ内容 である。このイベントのチラシや宣伝広告に関し ては、百貨店の通常の販売促進用新聞折り込みチ ラシ、電車社内掲示広告、配布用の単独のチラ シ、会場内で販売されていたパンフレット

3

など がある。チラシや宣伝広告のメッセージはいくつ かの方向性に分類される。

 一つは「貧しくても豊かだった」といったよう な、 「物質的豊かさ」に対する「精神的豊かさ」の 強調である。しかし、この時代の傾向として、家 庭電化や欧米式の生活への希求といった意味では 物質的豊かさへの傾斜が著しかったことは確かで あり、それでもなお精神的豊かさがあったと断定 するのは、現在からの読み替えといえるのである。

 次に強調されるのが「希望にあふれた日々」

「人々が手の届く夢に向かって働いていた時代」

といったような時代としての「夢」 「希望」とい う言葉が、まだ現実味を持っていたという点が強 調されていた。また「人と人との触れ合い」とい うインフォーマルなコミュニケーションも何度も 見かけるフレーズである。例として挙げられてい るものに駄菓子屋があるが、それは大手スーパー の出現により、 「人と人との触れ合いの場を切り 捨ててしまった」との記述がある。

 会場のパンフレットの最終頁には、 H 氏の展示 に対する思いがストレートに表現されていると思 われる一文がある。 「この混沌とした時代だから こそ、私たちが育った時代に思いを馳せ、それを 明日の活力にしていただければと思っている」 。

⑤ 小 括

 この事例において、主催した側と企画した側が はっきり分離されていた。イベントにおいては、

場所貸し+プロモーション活動を主催側、展示内

容の詳細+運営管理する例は珍しくないようであ

(10)

る。昭和 30 年代という題材に対しては、懐古趣 味になることに対してやや否定的な見方を持つ主 催者側と、まさに懐かしさという情に働きかける ことを狙った企画者側、両者の齟齬を含みつつ展 開されている。企画者である H 氏の個人的な時代 認識=想起の枠組みは、氏自身が同時代を子ども から青春という多感な時期に過ごしたという経験 と、就職したテレビ局時代の演出経験によって構 成されている。その認識枠組みによって、イベン ト全体が演出的手法で構成されたものとなった。

 その枠組みの大きなものとしては、二つのポイ ントが認められる。一つは、 「ちょっと苦しいけ ど楽しかった」 「モノがなかった時代」という見 方である。例えば、 H 氏の発言にあるようにちゃ ぶ台を「 30 年代の生活の象徴」に見立て、生活的 な核心があり、 「日本の大事な文化」が保存され ていた最後の時期であるとの認識である。現代で は失われてしまった地域共同体のポジティブな価 値付けの部分、 「家族」や「タテ社会」がちゃん と機能していたとの主張である。この部分は、レ トロブームとの親和性を感じさせる一方で、 「古 き良き日本の伝統」式な保守的イデオロギーに容 易に転化してしまう部分でもある。

 二つ目は、 「 (日本が)元気になってきた 30 年 代」であり、未来に向けた明るさ、である。こう したことによって、 H 氏が語っていたように、自 身も含まれる「団塊の世代への応援歌。あの少年 時代の元気さを取り戻してもらいたい」自分自身 の「若者には負けないぞ」という意思も含まれて いる」ことに接続されていく。この二つの要素に よって、 30 年代の近所付き合いが色濃く残る街 並みや家族の団らんを象徴するちゃぶ台と、当時 最先端であった 三種の神器(テレビ、冷蔵庫、

テレビ) といわれた家庭電化製品やテレビが鎮 座する茶の間が奇妙に同居することになったので ある。

 インタビューの限りでは、主催者、企画者側と もに「 1960 年代」という括り方そのものが意識さ れていなかった。代わりに、両者にみられたのは

「昭和〜年代」というものであった。昭和 30 年代 は、まさに真ん中の 35 年を一つの契機として、

前・後半と風景を一変させている。前半の戦後か らの生活の継続性、そして 35 年に名実ともに高 度経済成長がスタートし、生活が目に見えるかた ちで変化していった 30 年代の後半。一見矛盾す るような、この二つを無理なく混在させているの が、昭和 30 年代の表象ということになる。この 10 年間を通底する時代的な気分としては、未来 への明るさや期待というものがあったのだ。

4.観客側はいかに語ったのか

① 感想ノートという回路

 会場出口に筆記具と感想記入用のノートが置か れていた。特別仕様のものではなく、普通の市販 用の横書きノートである。主催者の許可を得て、

閲覧・書き取りすることができた。これは、厳密 な意味でのサンプリングにはならないので、その まま観客の感想の全体図として読み解きをするこ とに関しては注意を要する。反応過程を知るため のほぼ唯一の資料として、引用することにした。

 普通のノートへの個人的な感情を綴っただけの ものであるが、それだけには捉われない メディ ア としての側面があることを付記しておきた い。読み手をかなり意識した、文章になっている のである。年代など正直に書かなくてもよいの に、 「私は〜年生まれ」といったような告白が見 られた。それゆえに、反応過程も年代ごとに分析 することができたわけであるが。これはノートと して、イベントの会期中、常に誰かの目に触れる ことを想定して、自分の感情を吐露したものであ り、ただ感想を書くだけではなくて、そのように 感じた背景を知ってもらおうとする意思の現われ と見ることができよう。説得までしようとは思っ ていないだろうが、共感を得たいという動機が働 き、ノートだけで一つの言論空間が成立していた と捉えることができる。

 コメントの総数は、 135 件であった。入場者総

(11)

数からすれば 0.4 %の記入率であった。具体的に 年齢が記述されている場合、直接的に言及されて いなかったとしても記述から年代を推定できる場 合があり、その総数は 45 件である。年代構成と しては、〜 10 代が 9 件、 20 代が 9 件、 30 代が 8 件、 40 代が 8 件、 50 代が 8 件、 60 代が 2 件、 70 代以上が 1 件という分布であった。この他の記述 者についての年代ははっきりしないものの、文中 の記述から察する限りでは、昭和 30 年代を直接 的な体験としたものの記述が過半数以上占めると 思われる。

② 展示を見ての反応

 反応過程について、ノートに記載されたものか ら必要に応じて抜粋する。

 多数派的な記述としては、最も典型的に見られ るのは、予想とおり、 懐かしさ について語る ものである。これは実際に自分が体験してきた場 合と、それを体験していない世代両方ともに保持 される感覚である。単純な感覚としての懐かしさ を訴えるものは、以下のようなものである。

  「昭和 25 年生まれ もうなつかし〜いです」

( 13 、 54 歳、不明)

 以下カッコ内表示は、 (書き手 ID +年齢[もし くは年代] +性別)の順で表示している。使用語 句は原則としてそのまま利用した。

    「新宿の子どものころ遊んだ懐かしい風景を楽 しみました。ありがとう」 ( 26 、不明、不明)

    「子どもだったむかしむかしなつかしかったで す」 ( 85 、不明)

    「どれを見ても懐かしい。写真に思わず涙がこ ぼれそうになり感動!これからも機会があれ ば、このような展示、大賛成 !! 楽しみにして います(夫婦で感動しました。 ) 」 ( 60 、 47 歳、

女性)

    「なつかしい場面に遭遇。うれしかったです。 」

( 117 、 49 歳、不明)

  「昭和 5 8 年に生まれたもので、何か懐かし かった」 ( 9 、 19 歳、女性)

    「なつかしいはずはないのに、ナゼかなつかし い気持ちになりました。ステキな時間をあり がとう」 ( 131 、 18 歳、女性)

    「見たことないはずなのになつかしい。当時の 物価に驚きました。ラーメン 1 杯 40 円?映画 大人 200 円?」 ( 115 、不明、不明)

    「最近錦ちゃん(編注;萬や錦之助)にはまっ てしまいました!錦ちゃんの映画の予告篇の 数々、楽屋など素敵なものを拝見しました。

どうもありがとうございました。私は昭和 42 年生まれですが、なんだかなつかしい感じを 持ちました…。 」

 若年層では理由がはっきり語られているわけで はないが、 「なぜか」 「なにか」懐かしいというよ うに記述されている。ここから示唆されるのは、

若年層の場合は、自分自身の生活経験に根ざさな いとしても、これまでの累積的な懐古へのイメー ジが構築されているということである

5

。従っ て、決定的な作用因(何がなつかしくさせるの か)ということははっきりと分からないと思われ る。その大方はメディアによる表象であり、ある いは昭和 30 年代の彩りを残す「商店街」や「お ばあさんの家」に行った直接的な体験記憶といっ たようなものが挙げられるだろう。

 昭和 30 年代以降の暮らし方についての反省め いた発言にもみられ、だから あの頃の昭和 30 年 代に戻りたい というものである。

    「大変愉しかったです。しかしよくもまア東京 は変わったことよ。いや変わりすぎた。なつ かしい、をとおりこしてフンマンやるかたな い、という心地すらわいてくる。便利の上に 座り込んでしまった…私も含め〜。もう、変 えるな、とりもどせるところはとりもどせ、

やりなおせ〜っていうきもちであります」

( 30 、不明、不明)

    「すごく懐かしく涙がちょちょ切れました。あ の頃に戻りた〜い !! 」 ( 64 、不明、不明)

    「 S30 年生まれには全部懐かしい。もう 2 度と

は戻らない時間ですね」 ( 59 、 49 歳、不明)

(12)

③ 昭和 30 年代についてのイメージ

 では、郷愁や憧憬が持たれる昭和 30 年代とは 具体的にどのようにイメージされているのだろう か。懐かしいという単純な感覚に留まらずに、そ こには別の意識が付加されている場合が多く見受 けられた。昭和 30 年代は「よかった」 「急いでな く、人や物にやさしかった」 「家族が寄り添って いて」 「のびのび」 「日本が一番よかった時代」 「も のがあまりなくても、幸せな時代」などの要素で 捉えられている。

   「 37 年生まれだからちょっと懐かしい。今な んかよりもずっといろいろと不便だったけ ど、あの頃は良かった…。あの時代に戻りた いね」 ( 11 、 42 歳、不明)

    「川崎生まれです。本当に懐かしかったです。

かんばんもお知らせもあッお風呂もそうだっ た!今と違って皆いそいでなっかっなァ〜

もっと皆な人や物にやさしかったなと思う。

あの頃を知っている私たちはしあわせかな。

今の子は本当にかわいそうに思う。もっと もっといっぱいの所でもっともっと長く続け て下さい!今度は子供と来ます。〝自慢〟し ます」 ( 12 、不明、不明)

    「胸がワクワク昔はなつかしい風景に涙が出ま した。子どもたちにも見せたい。またこんな 時代に戻りたい、戻したいと思った」 ( 56 、不 明、不明)

    「本日は貴重な写真など有難うございました。

のんびりしてよかった時代だと思います」

( 25 、不明。不明)

    「子どものころがなつかしく涙ものの感じでし た。茶の間は特に…。昔の方が家族よりそっ ていて良かったです」 ( 38 、 58 歳、女性)

    「昔は良かったな−と思いました。みんなのび のびと生活していたような気がします。お金 がなくても…」 ( 44 、不明、不明)

    「昭和 30 年代、日本が一番良かった時代に戻 れて楽しかったです」 ( 71 、不明、不明)

  「とても良い企画でした。物があまりなくて

も、幸せな時代だった感じがします」 ( 104 、 不明、不明)

    「レトロがとてもすてきだった」( 106 、不明、

不明)

 これまで見てきたように、かなり肯定的な意味 合いが付加されている。しかも同時代を経験して いない若者からも、経験者に劣らず、かなりポジ ティブに評価されている。

    「質素な時代のようですが、「きちんとした心 があった」のだろうと思いました。S42年 生まれの私には車の形しか思い出すことは出 来ませんでした」 ( 66 、 37 歳、不明)

    「体験していない時代でしたが、すごくなつか しい感じがしました。こういう展示がある と、本当日本っていいなと思います」 ( 58 、不 明、不明)

    「今日で 3 回目です。あと 2 回来ます!最後は 母親と !! 今があるからいいと思うのか、それ とも今の時代が良かったのか。私は昭和生ま れであることをほこりに思います」 ( 69 、 32 歳、不明)

    「私は今 27 歳なので、産まれる前の昭和でし たが、とてもなごみました。 「平凡パンチ」は、

飾ってあった物ののち、車やバイク専門の今 は亡き父が表紙を書いていました」 ( 118 、不 明、不明)

    「私の知らない時代ですが、なぜかなつかしく 感じると同時に、 戻りたい ような気がしま した。活気があったのでしょうね」

 これらのイメージは個人または家族との記憶と 極めて密接に結びついていることが多い。

    「大変に懐かしく拝見しました。あの茶の間に 父と母が座っていそうで、思わず涙が出まし た」 ( 129 、 63 歳、女性)

    「 S27 年生まれの 50 歳の私にとって、テレビも アトムも本当になつかしかったです。世田谷 区の三軒茶屋の不二家付近の写真は子どもの 頃を思い出しました」 ( 89 、 50 歳、不明)

    「錦之助、ひばりの東映映画なつかしいです。

(13)

天然色というフレーズ、父が大きいダッコ ちゃんが買えずに小さいダッコちゃんを買っ てくれたのを思い出しました。ありがとうご ざいました」 ( 31 、不明、不明)

    「高井戸駅前、あんなだった。父と買い物行っ てた頃、自転車に二人乗り。父は他界してし まって今はもういないので、涙がにじんでき ました」 ( 65 、不明、不明)

    「 O デパート建築中を知っている(見てた)自 分を思い出し、年を重ねた自分の歴史をも思 い出しました」 ( 70 、不明、不明)

 これらは自然想起されたものではなく、 「茶の 間」 「テレビ」 「鉄腕アトム」 「東映映画」 「 O デパー トの写真」 「高井戸駅前の写真」といった、展示 物との接触によって想起されたものである。

 リアルタイムで体験していない若年層は、 新 鮮さ について言及している。

    「一応昭和生まれなんですが展示されていた時 代は全然体験していなかったのである意味新 鮮でした。私たちがおじいさん、おばあちゃ んになったとき、こういう企画があればいい なぁと思いました」 ( 7 、 16 歳、不明)

    「僕は今大学 4 年ですが、昔の時代を過ごして みたいと感じました。何もかも新鮮に感じま した。今の世の中には、いろんなものや背景 がたくさんあります。時代の移り変わりに趣 を感じます。昔の時代をもう少し知って欲し いと若い人、ぼくらと同じ年代の人に知って 欲しいです。楽しかったです。ありがとうご ざいました」 ( 20 、 20 代、男性)

    「すごくなつかしく感じて楽しかったですが、

もっともっと本格的なものが見てみたかった です」 ( 34 、不明、不明)

  「時代が古すぎてよく分からなかった。私は 26 歳で母は懐かしがっていました。分からな かったけど逆に新鮮でした」 ( 35 、 26 歳、不 明)

    「へーせー生まれです。うわすげ− !!! 感動。セ ルロイドの人形が良かったです…。 」 ( 61 、 10

代、不明)

  「こっちは、なつかしいというより、「何コ レ?」って思うものばかりでした」 ( 62 、 10 代、不明)

    「昔っぽくて楽しかったです。 VAN は今の時 代でも全然着られるし、すごいなあって思い ました。まりえ まりえの母…夫と一緒に来 たらどんなに感激したことでしょう〜 !30 年 代にタイプスリップできました。良子」 ( 79 、 不明)

    「ケロリンのおけが昔からあって、「今もある よ !! 」とちょっとびっくり。昔の風景が感じ られてよかった。またやって欲しいです」

( 108 、 14 歳、不明)

 また若年層は、生活を体験してみたいという感 覚も記述している。

    「ボクは大学 4 年ですが、昔の時代を過ごして みたいと感じました」 ( 24 、 20 代、男性)

    「私の知らない時代ですが、なぜかなつかしく 感じると同時に、 戻りたい ような気がしま した。活気があったのでしょうね」 ( 28 、不 明、不明)

 全体的な基調として肯定的な見方が強い中で も、このような展示に対する否定的な見解もまと まった形で存在する。

    「期待はずれ。もっと沢山のなつかしいモノに 会えるかと…。写真はなかなかよかったけれ ど、片寄っている。ていねいに広く集めて欲 しかった」 ( 75 、不明、不明)

    「もっと体験できるものがあってほしかった。

物足りない」 ( 51 、不明、不明)

    「期待はずれ!昭和 30 年代の写真がなかった。

600 円は高いぞ!」 ( 91 、不明、不明)

  「シロートさんには、ちょうどいいでしょう

が、この手のデパートのイベントはこんなも

のでしょう。浅いな。こんなことで、 S30 年

代をつくりかたるなんてのは、おはずかし

い。横浜のラーメン博物館の方がよっぽどし

んけんに取り組んでおります。りえき主義の

(14)

イベントはこんなものか。本当にこの時代を 愛していない人たちがやるからしかたない か。まー 600 円の入場料でずい分もうかった からいいでしょう。ばかにするなよ。もっと 勉強しろ」 ( 119 、 46 歳、男性)

  「期待はずれ、おもしろくない。お金返せ」

( 123 、不明、不明)

    「展示物・内容が雑誌の切り抜きのようで、ど こかでみられそうなものばかり。もう少し テーマ性や展示物に珍しいものを並べて欲し かった」 ( 127 、不明、不明)

    「 O 百貨店の PR か、もっと内容の充実を期待 したい」 ( 128 、不明、不明)

    「あまりにつまらないから二度目はやらないで 下さい。写真でごまかすんじゃねえぞ。ふざ けるな」 ( 135 、不明、不明)

 入場料についての評価は、昨今、無料で入れる ような商業施設が増えてきているだけに、有料に してまでということは、事前の期待の裏返しと見 ることもできる。また「物足りなさ」など展示全 体の印象に関する直接的意見もあったが、展示内 容についてのクレームの立ち上げとはやや異なる。

 展示の中身について触れたものとしては、ごく 少数であったが次のようなものがある。

  「力道山の出身地(生まれ)を掲示しないの は、ご遺族の意図ですか?他の人と比べて違 和感を覚えます。戦後日本は日本人だけの歴 史ではありません」 ( 110 、不明、不明) 。     「もともと東京生まれの人にはなつかしいので

しょうが、 S27 年、北陸生まれの私にとって は、なつかしさ反面、ちょっと違うぞという 部分もあります。スペースの都合上、東京を 中心にしたのは仕方ないと思いますが、特定 のマスクのコレクションを展示するくらいな ら、その当時の他の地方の様子も少しは展示 できるのでは?」 ( 96 、 50 歳、不明)

④ 考 察

 ここまで、会場ノートに記載された文章から昭

和 30 年代への理解・認識を読み解いてきた。サ ンプルを代表するとはいえないし、このイベント 来場者のうち、ノートへの書き込み者は全体のご くわずかである。その中身も、ストレートな感想 から展示内容に対する批評まで、多岐にわたるこ とを留意しなくてはいけない。これだけの限定的 な資料では世間一般、もしくは来場者全体の意見 分布はこうだと説明することはできないが、いく つかの示唆はできる。以下 3 点から見て行きたい。

 一つは細部が捨象され、相当デフォルメされた 昭和 30 年代イメージの存在していることである。

それは紋切り方で平板なものである。このような

イメージは表象をする側との共有がかなり見られ

た部分である。昭和 30 年代の「人間関係の濃密

さ」 「精神的な明るさ」といった要素はこれまで

指摘されてきている点であるが、それに加え、会

場ノートでは スローテンポ や のびのび と

していたことへの言及がある。興味深いのは、こ

のような印象は年代、あるいは同時代経験の有無

を超えて共有されているものであったということ

である。例えば、同時代を生きていたわけではな

い若年層での「過ごしてみたい」との反応は、そ

れらの牧歌的なイメージへの素朴な態度のように

感じられる。 『 AERA 』誌に載っているように、展

示を見た「こんな時代に帰らにゃあかんのや」と

50 代らしき男性が語る時の「こんな時代」や「古

き良き時代」とは、時代背景が完全に脱コンテク

スト化され、自分がかつて暮らしていたと思い描

く理想的な生活にデフォルメされている可能性が

非常に高い。そのような記憶をクリアに再生する

ための装置として、このような展示企画があるの

である。端的にいえば、昭和 30 年代の風景が「消

えた」 「失われた」ものとして取り上げられる場

合、かつてあり、失われたとされるものにスポッ

トライトを当てることによって、その意義や貴重

さをめぐっての再確認作業をおこなうように、私

たち観客や受け手は誘導されるのである。その際

に、舞台裏にそっとしまわれるのは、高度経済成

長により得られた側面である。その恩恵に積極的

(15)

な意味は与えられない。 「貧しくても元気だった」

と表現されるときに、逆説的に強調されるのは、

「物質的な豊かさ」の過剰感と、それにセットと なって蔓延している社会的な「元気のなさ」観で ある。ある種の行き詰まり感さえ見せている現代 の大量消費社会・競争社会の対極的なものとし て、オーディエンスの昭和 30 年代観が構成され ていることを見て取れる。何度も書くようだが、

昭和 30 年代を過ごした人の記憶は、当時のまま 蓄積されているわけではなく、現在の意識によっ て絶えず改変されているのだ。過ごしていない人

(=若年層)は、メディアや世代間のコミュニ ケーションによる語彙習得で、その時々の記号化 作業を受けたメッセージをシャワーのように浴び 続けている。

 次に、展示を仕掛ける側と来場者との関係であ る。展示の内容の物足りなさや「入場料が高すぎ る」といった感情論を超えた、このような昭和 30 年代の懐古を展示すること自体に対する批判や意 見は、今回のノートの記述に関する限り皆無で あった。展示というメディアにおいて脱コンテク スト化された展示内容については、力道山の出身 地や東京に偏った内容であったことについての言 及があったくらいで、脱コンテクスト化された展 示そのものやその意図に関しては、展示という場 でまなざしの対象となっているのである。昭和 30 年代が、懐かしさを持って振り返る対象とし て非常になじみやすいことをうかがわせるもので あり、展示の仕掛け側とオーディエンスとのズレ や相克はほとんどとないといって差し支えない。

つまり受け手側の時代的ディテール(コンテクス ト)が捨象され、極めてデフォルメされた昭和 30 年代イメージと、そのような期待を先取し、裏切 ることなかった送り手側の企画意図の一致が見ら れたのであった。

 また、このような場がどのように利用されてい るのかという点は興味深い。場所柄か、親子とい う組み合わせ(母親と娘というケースが多かった ように思われるが、これは商業施設における一般

的な買い物行動によく見られるパターンである)

や、年配の女性同士での来場が多かったようだ。

それがコミュニケーションの場になっている点で ある。前者の相互作用の様子は、会場ノートの 所々の記述からもうかがわれる。また「今度は子 どもを連れてきたい」といったような願望も散見 される。つまり、親子という世代を超えて共有さ れる何か普遍的な価値をも見出すような意義が感 じられているようである。かつてはあったことを 伝えたり、共感しあったりするというような世代 間伝達・コミュニケーションの場として、このよ うな展示が使われている効用が強くみられる。

 これらのことから、昭和 30 年代イメージは、現 代という観点から見たときに、現代人が失いかけ ている理想的な生活スタイルを体現するものとし て、眺められていることが示唆される。それを再 確認するための場として展示が位置づけられてい たのである。

 先に問題として挙げた、なぜ昭和 30 年代でな いといけないのか。展示の表象側、観客ともに、

昭和 30 年代は、本格的に近代化される前までの 地域共同体的な昭和の香りをかろうじて保存させ つつも、豊かな物質的生活や明るい未来が展望さ れていたという時代設定が共有されている。 近 くて懐かしいあのころ、貧しくても元気だった昭 和 30 年代 というキャッチフレーズには図らずも それが体現されているのである。しかし、昭和 35 年以降の、すなわち 1960 年という括りになると、

日本全体が大きく形を変えて、まさに生活革命が 進行していく。その中で牧歌的な昭和の香りは失 われていったとの印象が強く残るからではないだ ろうか。

5.インプリケーションと課題

① まとめ

 昭和 30 年代をどのように表象するのかについ

ては様々なプロトタイプ=語られ方の複数性が存

在するはずである。そして、時代状況に応じて支

参照

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