『
宝 性 論 」
と
『
荘 厳 経 論 」 を め
ぐ っ て
市
川
丈
上
哉
苦
ASt udyont heRat nagot r avi bhagaM
ahayaot t ar at ant r as as t r a
andt heM
ahayanaSut r al am
kar a
Yos hi yaI CHI KAWA
( 1974年9月20日 受 理)
( 1)
『究a`/ L- 一乗 宝 性 論 』( Rat nagot r avi bhagaMahavanot t or at ont r as as t r a1' ) は イ ン ド
に お ける如 来 蔵 説の 体 系的 な 哲学 的 著作と し て は 唯 一 の もので あ る
. 「 大 乗 荘 厳 経 論 』
( MahayanaSOt r al ar hkar a2} ) は 初 期鍮 伽唯 識 学派 の 哲学 的 実 践的 な 著作 で あ る. し か
し, 両 書の そ の 立 場の 相 違に もか かわら ず, 前 書が 後 書の 若 干 の 文を 引 用し て い る こと
は, 両 書の 成 立が ほ ぼ 同 時 代で ある3) こ とへの 単なる 関 心 に 止ら ず, そ の 引 用を 通し て 両
書の 内 容 的 思 想 的 関 連 が い かな るも の で あるかに つ い て, わ れ わ れ の 関 心 を 改 め て 喚 起せ
し める. こ の 問 題は 広 く考える と, 従 来 必 ず しも明 かに なっ て いる と は い え な い 如来 蔵 説
と唯 識 説 と の 交 渉を 解 明する こ とへつ な がる. も ち ろ ん, 両 者 の 交渉 解 明 に は 両 学 説 に つ
いて の 広汎 な 知 識 と深い 理 解 とが前 提と さ れ ね ば なら ず, 決 し て 容 易なこ と で は な い. 以
下の 考 察は, r 宝 性 論』 に 引 用さ れるr 荘 厳 経論 』 の 文 を 少しく検 討し て, 両 学 説 交渉 の
解 明 の 手 が か り を 得 て いこう と する.
さ て, 宇 井 伯 寿 博 士は そ の 大 著r 宝 性 論研 究 』 に お い て, 「 宝性 論 』 はr 荘 厳 経論 』 を
五 回 引 用 する としてそ れら に つ いて 詳 述 し て いる4} . し た がっ て, こ こ で は 不 必 要な 重 複
は なる べ く さ ける こ と にし た い が, そ れら の 引 用を 概 観 し て み て, 凡 そ 次ぎ の 四 型に 分け
て 考 え て みる こ と が で き る.
( 1) 明 か にr 荘 厳経 論 』 の サン スク リ ット文と 一 致 し て いる 引 川. こ れ に 二 例あり, 宇 井
書に い う三 と 四 に 相当 する. す な わち,
yat hamba. r ar i l s ar vagat ams adamat amt at hai vat at s ar vagat ams adamat am/
yat hamt ar ar hr upagat e§us ar vagar i l t at hai vat at s at t vaganes us ar vagami t i /
( E. H. J ohns t on, op. c i t . p. 71)
響 如 諸 色 像 不 離 於 虚 空 如 是 衆 生 身 不 離 諸 仏, ¥{ EE- 1以如是 義故 説一切衆 生
皆 有 如 来 蔵 如 盧 空中 色( 大 正 ・31・838・c )
( r 荘 厳 経 論 』 当 該 漢 訳)
如 空 遍 一 切 仏 亦 一 切 遍 虚 空 遍 諸 色 諸 仏 遍衆 生( 大 正 ・31・603・a) ( c f . S. Levi ,
oP. c i t . P. 36, D( - 15)
s ar ves amavi s i s t api t at hat as uddl l i magat a
128奈 良 大 学 紀 要 第3号
p. 71)
一切 諸衆 生 平 等 如 来 蔵 真 如 清 浄 法 名 為 如 来 体 依 如 是 義 故 説 一切 衆 生
皆 有 如 来 蔵 応当 如 是知( 大 正 ・31・838・c )
( r 荘 厳 経論 』 当 該 漢 訳)
一 切無 別 故 得 如 清 浄 故 故 説 諸 衆 生 名 為 如 来 蔵( 大 正 ・31・604・c ) ( c f ・S・Levi ・
OP. c i t . P. 40, D( - 37)
( 2) 引 文 は 異 動あ っ て 一 致 し な い が, そ の 趣旨 は 同じ で ある場 合. 宇 井 書の 一一に 相 当す
る.
bi j amyes ai nagr ayanadhi mukt i r met apr aj nabuddhadl l ar mapr as ut yai /
gar bhas t hanamdhyanas aukhyamkr pokt adhat r i put r as t o' nuj at amuni namj
34ノ( E. H. J ohns t on, oP. c i t ・P・29- 30, 1- 34)
大 乗信 為 子 般若 以 為 母 禅 胎 大悲 乳 諸 仏如 実子( 大I I 三 ・31・829・b) 5)
( 3) サ ン スクリ ット本で は, 校 訂者J ohns t onも 多 分 脱漏し た の で あろう と いうが( oP・
c i t . P. 31) , 漢 訳 の みに 存し6} ( チ ベット訳 も脱 落) て い る引 用. 宇 井 書の 二に 相当.
( 4) 如 来 蔵の 十 義( Skt ・ 本Ch・1, 漢 訳: 一 切 衆 生 有 如 来 蔵 品 第 五) , お よ び 転 依の 八 義
( Ch. H, 身 転 清 浄 成 菩 提 品 第 八) に つ い て 述 べ る最 初の 六 義 自性( s vabhava) ,
因( het u) , 果( phal a) , 業( kar ma) , 相 応( yoga) , 行( vr t t i ) は 『荘 厳 経 論』
で 法 界清 浄( dhar madhat uvi s uddha) ( Ch・I X- 56∼59・ 菩 提 品 第 九) , お よび 仏 相
( buddhal aks anaCh・XX- XXI - 61, 敬 仏 品 第 二 十四) に つ い て 述 べ る 際 の 六 義に 従っ
て いる と みら れる. 宇 井 書 の/ r . を参 照.
上に 概 観し た 四 型 の 引 用 中, ( 4) に つ い て は 近 時, 更 に 広い 視 野から する す ぐれ た 研 究
がある7) . ま た, ( 3) に つ い て は, サ ン スクリ ッ ト本を 中 心 に 進めよう と する わ れ わ れ の
考 察の 当 面の 直 接の 対 象に は なら な い の で 言 及を 控える. し た がっ て, 主 と し て( 1) と( 2)
の 三 偶 が, r 宝 性 論 』の 学 説の 中 でど の よう な 位 置を 占 め て いる の か, 更 に, 両 書 の 学 説
は い かなる と こ ろ に 共 通の 場が あり, ま た 差 異 が 認 めら れ な け れ ば なら な い の か, を ま ず
r 宝性 論 』に 即 し て 検 討 し よう.
( 2)
r 宝性 論 』 は そ の サン スクリ ット名 から推 察さ れる如 く, 宝 性 ・如 来 蔵の 弁 別( vi bhaga)
を 主 題 と し, そ れ を 有 垢真 如( s amal a- t at hat a) と 無 垢 真 如( ni r mal a- t ・) と の, 0な
るもの の 二 面 から 明 かに する.
s amal at at hat at hani r mal avi mal abuddhagunaj i nakr i ya/
vi s ayahpar amar t hadar s i nams ubhar at nat r - ayas ar gakoyat ahj 23: 」$'
有 垢 と無 垢と の 真 如 と 離 垢の 仏の 功徳, お よ び 勝者 の 所作と は 第 一義を みる諸 仏 の 境 界
で ある. そ れ は そ れ か ら 清 浄 な 三宝 の 生 ずるも と で ある.
こ こ で 有 垢 真如 は 煩悩 の 殻 から離脱し な い 性( dhat u) で 如 来 蔵( t at hagat agar bha) と
い わ れる. し かし こ れ は 清 浄と 雑 染が 同 一時( yugapadekakal a) で ある点で 論 理を 超え
不 可 思惟( ac i nt ya: s ur pas s i ngt hought ) で ある. 無 垢 真 如は 有 垢 真 如 が 仏 地に お い て
転 依を 相と する( as r aya- par i vr t t i l aks ana) も の で, 如 来 法 身と いわ れ る. し か しこ
れも先に 垢に 染 せ られ ず, 後 に 清 浄 と なる の はac i nt yaで ある. 離 垢の 仏の 功徳 は 如 来
法 身に ある 出 世 間 十 力 等で, こ れ は 只 管 雑 染さ れ た 異 生 地( pr t hag- J anabhumi ) に お い
業( anut t ar akar ma) で, あ ら ゆる時 ・所に 自 然( anabhoga: s el f - c r eat ed, not c on・
t r i vedhumanl abour ) で 無 分 別に 働 くの でac i nt yaで ある9} , と する
.
『宝 性 論 』 で は, 実 は 上 の 四 つ が 順 次 にCh. I Tat hagat agar bhadi kar a, Ch. I I
Bod-hyadi kar a, Ch. 皿Gunadi kar a, Ch. I VTat hagat akr t yakr i yadi kar aの 内 容と し て 詳
述 さ れ, Ch. VAnus ams adi ka. r aは 結論 の 部 分で ある. 全 体 か ら みる と, 1に 多くが 費
さ れ 詳 細を 極め, 皿 ・I Vはr l に 付 属 し て いる と いえ る.
さ て, Ch・1で 特に 注目さ れ, か つ 論 全 体の 根本 を なし て いる の は 次ぎ の 偶 であ る.
buddhaj nanant ar gamat s at t var as es t annai r mal yas yadvayat vat pr akr t ya/
buddhegot r et at phal as yopac ar adukt ahs ar vedehi nobuddhagar bhahj 27/ / 1° '
仏智 が 衆 生 聚に 内 在する故に, そ の 無 垢なるもの は 本 性と し て 不二 なる が 故 に, 仏 の 種
姓に お い て そ の 果を 仮 説 し て, 一 切 の 有身 者は 仏 蔵が ある と 説 か れた.
こ れ を 説明し て, 次 ぎ の28偶 に
_ [ 1_ ' 仏身 が 遍 満する 故 に, 真 如 が 無 差 別なる 故 に, ま た 種姓 ある 故 に, 常 に 一一切 の 有 身
者は 仏 蔵で ある' o} .
と する. 註 釈によ る と, 上 の27掲 を基にして 導 かれる ① 如 来 法 身 遍 満 の 義( t at hagat
a-kayapar i s phar ana- ar t ha) , ② 如 来 真 如 無差 別 の 義( t at hagat at at hat avyat i bheda- a. ) ,
③ 如 来 種 姓 存 在の 義( t at hagat agot r as ambhava- a. ) の 三 義は, い わ ば ト リ ア ーデ と し て
考えら れ て, 「 三 種 自性( t r i vi dhahs vabhavah, s vabhavat r aya11' ) 」 とも呼 ば れ, 下
に 述 べ る如 来 蔵の 十 義 と共に, Ch・1で 解明さ れる如来 蔵の 中 心 論 点 で ある. な か で も,
十 義申 の 自 性 義やr 如 来 蔵 経 』に 基 く九 喩をこ のト リア ー デ に よっ て 分振 解 明 する こ と を
考え 合せる と, こ の 三 義は 重 要で ある と い わ ね ばな ら な い.
と こ ろ で, 「 宝 性 論』 の 英 訳者E. Ober mi l l er は 直前 の29偶 は 既 掲のr 荘 厳 経論 』I X
- 37を 参 照す べ き で ある と いうI E)
. こ こ で はr 荘 厳 経論 』 の 直 接 の 引 用 で は な い が, そ の
影 響 下に あっ て 同じ思 想的 基 盤に 立つと考えら れる.
如 来 蔵の 一i 義と は 先 掲の 自 性 等の 六 義に, 分 位差 別( avas t hapr abheda) , 遍 一 切処
( s ar vat r aga) , 不 変 異( avi kar a) , 無 差 別( abheda) の 四 義を 加え た もの で ある. こ こ
に は 十 義中, 特 に 自 惟 義, 因 義お よ び そ れと不 可 分の 関 係 にあ る 相 応義 に っ い て 注 意して
み た い.
自 性 と は 上 述の 「三 種自 性 」 と 同じ も の で ある が, そ れ を 「如 来 法 身 に お い て は, 所 思
の 義( c i nt i t ar t ha) を 成 就する等の 力( pr abhava) を 自 性 」 と し, 「 真 如に お い て は,
不 変 異の 性( ananyat habhava) を 自 性 」とし, 「 如 来 種 姓に おい て は, 衆 生に 対する 大
悲の 柔 軟( s ni gdha) を 自 性 」と する と い うi a) . ま た, こ の 力 ・不 変 異性 ・柔 軟 の自 性
は, 別 に 表 現 すれ ば, 「 常( s ada) と 畢 寛自 性 不 染 汚( at yant apr akr t yanupakl i s t at o)
と本 性 清 浄( pr akr t i par i s uddhi ) 」 のこ と で, 順 次に 如 意 珠( c i nt amani ) と 虚 空( nabha)
と水( var i ) に 喩 顕 される1S) . し た がっ て, 上 の 「三 種自 性 」はこ れと併せ て 理 解が 深 め
られな け れ ば なら な い.
次ぎ に, 因 は 「法 に 対 する 信 解( dhar madhi mukt i ) と 般 若( adhi pr aj na) と 二昧( s
a-madhi ) と 大 悲( mahakar una) 」 の 修 習( bhavana) を あ げ, こ れら は 菩 薩の 実 践で ある
とす る. そ して, 信 解 の 修 習 が 大 乗 法に 対する一閾 提( i c c hant i ka) の 妨 害( pr at i gha)
の, 般 若 の 修 習 が 外 道( anyat i r t ha) の 我 見( at madar s ana) , 三 昧 の 修 習 が 声 聞( s r avaka)
の 輪 廻 の 苦 想( duhkhas amj na) と 苦の 恐 怖( duhkhabhi r t va) , 大 悲の 修 習 が 独 覚( pr
130奈 良 大 学 紀 要 第3号
れ そ れ の 対 治( pr at i pak§a) で あ る と い う. 最 後に, 既 出 の1- 34を 出し て, 信 解 一 種
子, 般 若 一 母, 三 昧( 禅 定) … 胎, 大 悲 一一乳 母に 讐えられ る.
とこ ろ で, こ の34侶r は 『荘 厳 経 論 』Ch. I Vで は, 発 心( c i t t ot pada) の 意義 を 明 か す 中
の, 第 一 義の 発 心に 関 する六 義中 の 「生( j anma: or i gi n) 」 の す ぐれ て いるこ と( vi s es a)
の 讐え としてあ げ ら れ たもの であ る 川. そ の 限 り, こ こ に は 共 通 の 思想 的 態 度 が見 られ
る.
相 応は, 因 と 関 係 し て い て, 如 来性( t at hagat adhat u) が 因 を 具備し て いる こ と( het
u-s amanvagal na) に つ い て, 信 解の 修 習を 法 身 清 浄の因( dhar nz akayavi s uddhi - het u)
と し, 般 若と 三 昧のそ れを 仏 智を 完 成 する 因( buddhaj nana- s amudagama- h. ) , 大 悲 の
そ れ を 如 来の 大 悲を 行ずる 因( t at hagat amahakar unavr t t i - h. ) と する15) . 更 に, 如 来 姓
が 果を 具 備 して いるこ と( phal a- s ・) に つ い て, 智 を 妨 げる 闇 の 除 滅 の 現 前を 特 質と する
神 通( abhi j i a) , 業 煩 悩を 焼尽 する 漏 尽 智( as r avak$ayj i ana) , 転 依であ っ て 畢竜離垢
清浄 り」浄なる漏 尽( as r avaks aya) , の 完 成 と する151.
そこ で, 前 述のト リア ー デ で 解 明さ れる 如 来 蔵自 体 は, 信 解 ・般 一1{ 1・三 昧 ・大 悲 の 統 一
態 と し て, 更 に 約め て い え ば, 智 慧と 大 悲 に 集 約 さ れ て, 自 ら がそこか ら発する主 体そ の
もの の 内 面的 な 宗 教 的 経 験 と し て 実証さ れる べきものと 考え ら れる18) . つ まり, 如 来 蔵は
人間 の 側 から で は な くて, 真 如 ・法 性と し て の 「絶 対 なるもの 」 の 側 から 開 覚 せら る べ き
ものと し て ある.
さ て, 一 卜義を 論 述 し た 後, 96偶 より129喝 に かけ て は 『如 来 蔵 経 』 の 九r l 前の ス趣 旨 を 引 川
し17} , 130偶 ∼142偶 で は そ の 解 釈として 九 喩と 九 種の 煩 悩の 関 係を 説 き18) , 143偶 ∼152偶
に は 九r 愉 を, 「 三 種 自 性 」 説 により体 系 的 に 述 べる19} . そ の 際, 九 喩 が 「無 始よ り存 在 し
不結 合な自 性 で ある煩悩 の 殻( anadi s ai nni dhyas ambaddhas vabl l avakl es akos a) 」 と
「無 始 より結 合 し て いる 自 性 であ る 清 浄の 法 性( anadi s ar i l ni dhyas ar i l baddhas
vabhava-s ubhadhar mat a) 」 と に β禺するこ と であ る と するEO) . こ の 「無 始 時 来の 心の 雑 染 法の 客塵
性と, 無 始時 来 の 心 の 清 浄 の 倶生 不 相 離 なる こ と211」 の 観点 は 注 意さ れる. い わ ば, 現 象
と実 在 と でもい わるべ き こ と に 関 する 観 点 であ る.
そ の 点, 同 じく弥 勒( Mai t r eya) の 著作と 伝承 され る 「法 法 性 分 別 論( Dhar m
adha-r mat avi hangaEE' ) 』 に おける 「法 」 と 「法 性 」, r 中 辺 分別 論( Madhyant avi bhaga23り 』
に お ける 「虚妄 分 別 」と 「空 性 」 の 弁 別に 関 す る視 点を 想 起せし めら れ, 「 宝性 論 』と初
期 唯 識 論 書と σ) 密 接 な 関 係 は 否 定 でき な い が, い ま は 立ち 入 ら な い.
「三 種自 性 」 説 に 基 く143f 昌 以 下の 論 述 は19) 結局, 経 の 九 喩中, ① 仏 像 ・蜜 ・核 実の 三
喩 が 「法 身 〔遍 満 〕 の自 性 」, ② 黄 金の 一一偶 が 「真 如 〔無差 別 〕の 自 性 」, ③ 宝 蔵 ・木 ・
宝 像 ・転 輪 聖 王 ・金 像 の五 哺 が 「種 姓 存 在 の自 性 」を 示 し て いる こ と を 明 かにし て い く.
こ この, r 如 来 蔵 経 』の 素 朴な 実 在 論に 立つ 如 来 蔵 義 が 「三 種 自性 」 説に よっ て 組 織 体
系 化さ れる と こ ろ に 思 想 の 展 開 が 認めら れ る が, ① を 論 述 し て 既出 の 「荘 厳 経 論 』I X- 15
の 「磐え ば/ NH- r J ' . が常 に 遍 満 して いる と いわ れる如 く, そ の よう に, そ れ( 法 身) も( 17に 遍
満し て いる と い わ れる. 恰 も盧 空 が 色 聚に 遍 ず る如 く, そ の よう に, そ れ( 法 身) も 衆 生
聚 に 遍 ずる. 」 を 引 用し, ② を 論 述 して は, 同 様 に前l i l のI X- 37「 真 如は 一切 に 差 別が な
いけ れ ども, 清 浄に 達し て い て 如 来そ のも の で ある. そ し て そ れ 故に, 一 切 の 有 身 者は そ
れ( 如 来) の 胎で ある. 」 を 引 用する の は 注 意さ れ な け れ ば なら な い.
「荘 厳 経 論 』Ch. I Xで, ま ず15偶 は 転 依( as r ayapar avr t t i ) に つ い て 述 べる61昌 中 の
一で
市川: 『 宝 性 論 』 と『荘 厳 経 論 』 をめ ぐっ て
が 説 かれ た もの で ある241. ま た, 37偶 は無漏 界の 甚 深に つ い て 述 べ る16偶 中 の 結 偶 であ
る25} . そ のこ と が 考 慮に 入れら れ てこ の 場 合の 「宝性 論 』 の, 「 如 来 蔵 経 』 所説 の 九 喩 の
独自 な 体 系で の 理 解は, 「 荘 厳 経論 』 の2渇 の 引 用 によ っ て 成 り立 っ て いる と考 え られ
る. こ こ に, こ れら の 掲 の 引 用 の 意義 が 認め ら れな け れば なら な い.
こ のこ と は, ③ を 論 述 し て 「如 来そ の もの( t at hagat at va) は 三 種 の 仏 身 〔す な わち,
自性 身( s vabhava- kaya) ・ 受用 身( s ambhogi ka- k. ) ・ 変 化 身( ni r r nana- . ) 〕 によ っ
て 顕わさ れ た もの で ある. 故 に 如 来 性( t at hagat adhat u) は そ れを 得る ため の 因 であ る.
この 場 合, 性 の 義( dhat var t ha) は 因 の 義( het var t ha) で あるE6) 」と い い, r 大 乗 阿 毘
達 磨 経』 の 偶の 「無 始 時 来の 性( dhat u) は 一 切 諸 法の 依 止で ある. そ れ があ る か ら ま
た, 一 切 諸 道 と 浬 葉の 証 得が あるs s ) . 」 を 引 用 する, そ の 引 用 の 仕 方と はよ ほ ど 異るもの
がある こ とか らも知 ら れる. つ まり, 直 前 の 偶 の 理 解に 当っ て は 終 始, 「 勝0. 一経 』 如 来 蔵
牽の 引 用に よ っ て 示 さ れ26⊃, 上 の 「荘厳 経 論』 偶 の 引 用 に は そ れ が 全く見ら れ な い から で
ある.
「宝性 論 』 の 如 来 蔵 説は, 一 一方で は 「如 来 蔵 経』, 「 不 増 不 減 経 』, 『 勝髪 経 』 等 の い
わ ゆる如 来 蔵 系 経 典 群の 徹 底的 な 影 響 下に あっ てET) , か つ そ れら から 極 め て 多 く を 引 用 し
て 独 自 な 仕 方で 成 立 し た. し かし, 他 方で は 初 期唯 識 論 書 の 影 響 下 にも あ っ て, 例 え ば 上
に み た 「荘 厳 経論 』と の 関 係 の 如 く, 密 接 な つ な がり をも ち つ つ も, 「 大 乗 阿 毘 達 磨 経 』
の 偶 の 理 解に みら れる如 く, 唯 識 説 と は 異 る如 来蔵 説の 体 系 化を 目 指 して いる の である.
次ぎに, Ch. 「1に つ い て 若 干 触れ て お こ う. Ch. ] 1は 無 垢 真 如に つ い て, 「 無 垢 真 如 と
は 何 か. そ れ は 諸 仏世 尊の 無漏 界に お い て 一切 種の 垢を 離れ て いる故に 建 立せら れる転 依
( as r ayapar i vr t t i Ea' ) 」 であ る と し, そ れは 八 句 義に よ っ て 論 述さ れ て い く28) .
そこ に 論 述せら れる転 依の 意 味が, 「 荘 厳 経論 』 や 「法 法 性 分 別 論 』 等 に み ら れるもの
と 同 一・で あ りつ つ, 他 方 『荘 厳 経論 』や『唯 識 三{ 一 頒 ・安慧 釈』等 に みら れるas r ayapar
a-vr t t i と 区 別 さ れる. す な わち, 前 者 が 真 如 を 主 体とし, 後 者 が 種 子を 主 体 と し て, 「 荘
厳 経論 』 は 両 種の 表 現を 併 用 し て いる こ と が, 既 に 文 献 的に 綿 密に 論 究 さ れ て いるE9) . こ
のこ と は, 「 宝 性 論 』 が 初 期唯 識 説 の 中 で も特 にr 荘 厳 経 論 」 と強い 関 係をもつこ と を 指
摘 し よう と する わ れ わ れ の 考 察に 有 力 な 根 拠を 与える.
以 上, 両 書 は 後 に も触 れる よう に 本 性 清 浄 説に 立 脚する と共に, 真 如の 側 か ら の自 己 開
示と いう こ と が, … 面で 共 通 する思想 傾 向 である と い え よう. し か し, 他 面で 「宝性 論 』
の 如 来 蔵 説 が 「荘 厳 経論 』 に みら れる そ れ に 比 して, 差 異 が 存する こ と も否 定でき な い.
次ぎ に, 『 荘 厳 経 論 』 に おけ る 如 来 蔵 説を 検 討 していこ う.
( 3)
かっ て, E. Ober mi l l er は 「荘 厳 経論 』に つ い て, 「 著 述 全 体は 菩 薩が 解 脱 への 道に
お い て, 行 うべ き実 践的 方 法 の 説 明を 詳 述 し た30) 」喩 伽 行派 の 説 で ある と し た. そ のよう
な 菩 薩 行 の 根 拠と なる 学 説 は い う ま でも なく三 性 説で ある. 三 性 説 こ そ はr 荘 厳 経論 』 の
中 心 学 説 であ る と い わ れる31) . わ れ わ れ は 本 書に おける心 性 本 浄 如 来 蔵 説を 別出 する
に 当っ て, 三 性 説を 辿る こ と から始 め な け れ ば なら な い.
Ch. 、1の 冒 頭に, 「第 一義 相 の 弁 別 」 と いう表 題を 掲げ て82) , 非 有 ・亦 非 無, 非 如 ・亦 非
f f { EI
, 非 、生・亦 非 滅, 非 増 ・亦 非 減, 非 浄 ・非 不 浄の 五 種の 無二 相( advayal ak§apa) を 義
と する の が 第 一 義 で ある と述べる. 註 釈によ る と, 初 め 二 種の 無 二は 分 別( par i kal pi t a)
132奈 良 大 学 紀 要 第3号
種は 順 次に 法 界の 無 為, 染 浄の 生 滅に お ける法 界 住, 本 性 清浄 離 客 康 煩 悩の 故に 無二 で あ
る と する.
三性 説に つ い て の 説 述 はCh. XI - 36偶 以 下に みら れる831. 「 諸 仏は 諸 衆 生を 摂 取する
た め に, 所 相( l ak$ya) と 能 相( l aks ana) と 示相( l aks ana) を 差 別 し て 説か れ た. 」
所相 は 色 ・心 ・心 所 ・心 不 相 法 ・無 為 法を, 能 相 は 三性 の 特質 を, 示 相 は 能 持( adhar a)
・所 持( adhana) ・ 鏡 像( adar s a) ・ 明( al oka) ・ 所 依( as r aya) を いう と する
. こ
こ に 述 べるl aks ana( expr es s i ngi ndi r ec t l y) と し て の 三 性を 以 下に 必 要な 限 り瞥 見 し
よう.
分 別 性 ・依 他 性 ・真 実 性の 関 係 で 成 立する三 性 説は 依 他 性を 一 種の 媒 介的 な 基 底と さ れ
て, そ の 依 他 性を た だ 妄 分 別する分 別 性 と依 他 性を 真 実に 知る( 妄 分 別の 無で ある) 真 実
性と が 語ら れよう と する.
ま ず, 依 他 性 に つ い て の 論 述 は, 所 取 相( gr ahya- l aks ana) の 三 種 句の 顕 現(
pada-abhas a) ・ 義 の 顕 現( ar t ha- a. ) ・ 身 の 顕 現( deha- a. ) と, 能 取 相( gr ahaka- 1. )
の 三 種 意の 顕 現( mana- a・) ・ 取の 顕 現( udgr aha- a. ) ・ 妄 分 別 の 顕 現( vi apa- a. )
と で なさ れる.
こ こ で, 意 は 常に 染汚さ れたもの, 取 は 五 識 身, 妄 分 別は 意 識 とする. 句 ・義 ・身に っ
い て は 説明 が な い. し かし, 後 述し て 「種 子が 転依( par avr t t i ) す る故に, 句 ・義 ・身
の 顕 現が 転 依する. そ れ は 無 漏 界 であり, そ れ はま た 一 切 処の 依 止で ある. 」 と い い, 種
子がア ーラ ヤ 識を さ し無漏 界 は 解 脱 であ る34} と する の に 照 合する と, 依 他性 は 所 取 能 取の
分 別 の 生 起する基 を い い, 二 取として 顕 現 して いると こ ろ を い う の に 留 意する と虚妄 分 別
( abhut akal pa) で ある.
次 ぎ に, 分 別性 に つ い て みる と, 人 間 が 妄 分 別する の は 名( nama) と 義( ar t ha) と で
あり, こ の 二より他 に 分 別 されるもの が な い. 「 名と 義と の 如 く, 義 と 名と の 顕 現な るも
の, お よ び 虚 妄 分 別 の 動 因( ni mi t t a) が 実に 分 別相 で ある. 」 註 釈によ る と, 若 し, 名
の 如 く に 義 が 顕 現 し, あ る いは 義 の 如 くに 名 が 顕 現 す る なら ば, 盧 妄分 別のこ の 所 縁が 分
別相 で ある. こ れ だけ が 名 であ る, あ る い は 義 であ る と 妄 分 別 さ れるか らである と いう.
こ の 「名 の 如 くに 義を 妄 分 別 」 し, ま た 「義 の 如 く に 名を 妄 分 別 」 する の は ア ーラ ヤ 識
の 習 気( vas ana) に よ る と みら れる. こ のこ と に つ い て, 分 別 相の 三 種 一 ①は 言 語の
如 き義 に 対 する 想 の 源 因( ni mi t t a) , ② は ①の 想 か ら生 ず る習 気, ③ は ②の 習 気よ り義が
顕 現す る こ と, の 三を あ げ る. こ こ で ①と③は 相 互 包 摂 的 円 環 関 係に ある と み られ るか
ら, 註 釈 して 「このように 妄 分 別 さ れる も のと, 習 気( kar ana) に より 〔妄 分 別 が 起 る〕
そ れ( 習 気) と の 二 がこ こ で 分 別 相 であ る と意味 される 」と 述 べる からであ る.
更 に, 真 実 性 は ①自 性( s va- l aks ana) , ② 雑 染 清 浄 相( kl es avyavadana- 1. ) , ③ 無 分 別
相( avi kal pa- 1・) の 三 相 で 説 述さ れる. ① は 「真 実相 は 真 如 であ る. そ れ( 真 如) 『 は 実
に, 妄 分 別さ れ た 一 切諸 法の 無( abhavat a) で ある. ま た, そ れ( 妄 分 別) の 無として 有
で ある 故 に 有 で ある. そ し てそ の 有と 無と は 別 異 で な い から 有 無 平 等( s amanat a) で あ
る. 」 と いう如 く, 二 取の 無と そ の 無の 有と 有 無平 等と を い う. ② は 客 塵 に 雑 染 された
( agant ukai r upakl es a) の と, 清 浄 な自 性( pr akr t i par i s addhat va) で あ る のを い い,
③は す べて の 戯論 を 離れ て いる から 妄 分 別の 境で な い( vi kal pagoc ar a) の を い う.
上 に, Ch・XI - 36∼41偶 に か け て 論 述さ れる三性を 一瞥し た. 遡 っ て, 「 法の 真 実(
dh-ar mat at va) 」 に つ い て 述 べる13偶 下に, 次 ぎの 如く叙 述 す る の に 注 意せし めら れる
.
nt i ) の 所 依( s amni s r aya) は 依 他 〔性 〕 であ る
. こ れ( 依 他 性) に よ っ て そ れ( 所 取
能 取) を 妄 分 別する 故 に. 不 可言( anabhi l apya) で あり, ま た 無 戯 論を 性とす るのは
真 実性 で ある35) .
上 文は 三性 の 真 実に つ い て 述 べ る. 虚 妄 分 別なる依他 性 が 迷 乱の 所 依で ある の は, そ れ
自身 無明 に 覆わ れ て いるか ら で ある. そ こ から, 依 他 性 が 「応 断( pr aheya35り 」 と い わ
れる. し かし, そ の 「応 断 」は 依 他 性 が 依 他 性で な くなっ て 別のもの に なる ので は な く
て, む し ろ, 依 他 性 が 本 来 的な あり方に なる こ と を 意 味 し, そ れ が 転 依と い わ れ な け れ ば
なら な い.
これ に 関 して, 17掲 下 に, 「 例え ば 幻 の 所 作 がな いと き は そ れ の 因 相で ある木 等の 真 相
が 真 実なものと し て 知ら れる 如 く, そ のように, 転 依に お いて は 二 と して の 迷 乱は な い か
ら ・ 虚 妄 分 別 の 真 実義 が 得 知さ れる36} . 」 と い う. 盧 妄 分 別( 依 他 性) の 真 実 義は, 無 明
に 覆わ れ た そ れ の 盧妄 義 に 対 し て は, そ れ自 体 が 無明を 脱し たこ と を 意 味 する
. こ こ に,
依他 性 が 挙体, 本 来 的 な あ り方を 回 復する こ と の 意 味 が 理 解 でき よう.
と こ ろ で, 依 他 性 が 「応 断 」で あ る に 対 し, 真 実性 は 「応浄( vi s odhya35' ) 」 と さ れ,
「不 可言 ……無 戯 論を 性 」 と し た. こ れ は, 三 性 が 不 一不 異 で ある こ と が 明 か に せら れる
こ と に よっ て 完 全な 意味 を もつ. 真 実性 は, 先 述Ch・v1冒 頭の 五 種 の 無二 相 に よっ て 第
一 義の 特 質 と さ れ たもの で あ る が
, そ れ は 三 性の 不 一 不 異を 述 べたものと い わ ね ば なら な
い ・ すな わ ち ・「非 有( nas at ) と は 分 別 ・依他 の 二 相 によ っ て い い
, 亦 非 無( nac as at )
と は 真 実 相に よ っ て い い, 非 如( nat at ha) と は 真 実 性に は 分 別 ・依 他の 二 性に 一一性 が な
い 故 に ・ 亦 非 異( nac anyat ha) と は そ の 〔分 別 ・依 他の 〕 二 性と異性 で な い 故に
, で あ
る32) . 」 こ と によ る.
更 に, こ の 問 題はCh・XI I I - 16偶 に は, 「 法の 無で あ る の にしか も得 知せら れ る の と,
無 雑 染で ある の にし かも清 浄 で ある のと は, 幻( maya) 等 の 如 く, 虚 空の 如 く と 知ら れ
な け れ ば なら な い37' . 」 と述 べて, 三 性 の 不 一不 異 が 「無自 性 ・本 性 清 浄 の 怖畏を破する
( ni hs vabhavat apr akr t i par i s uddhi t r as apr at i s edha) 」37} の 問 題 と さ れ て, 以 下19偶 に
かけ て 問 わ れる.
ま ず・ 幻 の 讐 喩 一幻 は 無 である の に 象 馬等と し て 得 知さ れる よ う に, 諸 法 は 無で ある
が 色 等と し て 得 知 さ れ る. し た がっ て 無自 性 ・空 と は 矛 盾する こ と は な い 一 は, 次 ぎ の
17偶 の 意 味 する と こ ろ へ つ な がる. 「 例 え ば, き まり にし た がっ て 描 かれ た 画 に 高 下は な
い が ・し かも そ れ が 見ら れる ように, 虚 妄 分 別 に お いても 同 様に, 全 く常に 二 がな い が
,
し か も そ れ が 見ら れる37} . 」 と.
次ぎ に ・ 虚 空の 讐喩 虚 空は 清浄 で ある が 雲 に 覆わ れ て 有 垢 と なる ように, 本 性 は自
性 清 浄で あるが 客I J ' L" f t . 煩悩に 染せら れ て 有 垢と なる. 垢 が 除 去 さ れる と 清 浄 で なる. し た が
っ て 無 雑 染で ある の に 後 に 清 浄と なる と い うの は 矛 盾が な い 一 は, 18偶 のそ れ へ つ な が
る. 「 例 え ば ・ 濁 水 が 清 浄に せ ら れ たと き, か の 清浄 性 は 他から 生 ずる の で は な く, 泥 か
ら離れ た そ れ がそこ に ある の みで ある. 自 心の 清浄( s vac i t t as uddha) に お い て も, 実 に
この 公 式 があ る37} . 」 と.
三 性 の 不 一 不 異 は, 上 に み て き た 如く, 無 自 性 空 ・本 性 清 浄 がそ の 基 盤と な っ て いる
.
19偶 に い う. 「 そ れ で ・ 心 は 本 性 明 浄( pr akr t i pr abhas var a) で あ る が, 常 に そ れ は 客 塵
の 過( agant ukados a) に よ っ て 汚さ れ て いる と いわ れ る. 法 性 心( dhar mat ac i t t a) を 離
れ た 他 の 心 の 明 浄 で な く・ 本 性 中 に お ける 〔明 浄 〕を い う37) . 」 註 釈に は, 「 法 性 心を 離れ
134奈 良 大 学 紀 要 第3号
で ある と 知る べき で あるs 7) . 」 と する.
上 に 引 川し た と こ ろ, お よ びI X- 37偶 下 に 「真如 は 一 切 の もの に 対し て 差 別 が な い.
そし て 如 来は 清 浄を 自 性 と し て い る. そ れ 故に, 一 切の 衆 生は 如 来 蔵 で あ るとい われ
る38) . 」 と註 釈され るのを 照 合 する と, 本 書に お ける本 性 清 浄 ・如 来 蔵 説の 大 要を ほ ぼ 知
り得よう.
すな わ ち, 「 本 性明 浄 〔性 〕」 「法 性 心 」 「心 真 如 」 等の 語は, 「 如 来 蔵 」のシ ノ ニ ムと
さ れ て いる こ とが 直ち に 知 ら れる. し かし, 上 例の 「如 来 蔵 」の 語が 本 書に 見 出 せる唯 一
のもの で ある こ と に 考 慮 し て い え ば, 根 本 的 に は 本 性 清 浄 説 ・二性 説 に 立脚し て いる. 本
性 清 浄 の 思 想はも と原 始 仏 教以 来, 仏 教 思 想の 根 底に 貫 通 するもの で ある. 特 に 如 来 蔵 系
経 典や 論 書で は そ れ が 「如 来 蔵 」 と結び つ い て 展開さ れ た. し かし, 本 書 で のそ の 結 び つ
き は 『宝 性 論 』 に 比し て 極め て 希 薄で ある こ と は 否め な い.
で は, 本 性 清 浄 説 に 立 脚 する に もか か わら ず, 何 故に 如 来 蔵と の 結 合 が 希 薄 で あ るの
か. 既 述 の 如く, 本 性 清 浄 説 が 二 性 説と 深 く結 合し て, 「 真 実 性 」と 「真 如 」 が同じ もの
として 考え ら れ て いる から で ある. 凡 夫と 菩 薩 の 知 見 の 相 違を 述 べるCh・XI X- 53偶 下 に,
「い かに, 凡 夫 に は自 然( s var as a: nat ur al or pec ul i ar f l avour ) に 不 真 実( at at va)
が 相( ni mi t t a) と し て 顕わ れ, 真 実なる真如( t at va血t at hat a) は 〔顕わ れ 〕なくて,
諸菩 薩に は 真 実の み が顕 わ れ, 不 真 実は 〔顕わ れ 〕 な い かS9) 」が 説 か れる. こ こでは, 「 真
実 」 と 「真如 」 は 同 義 異 語 で ある が, 先 きに 「真 実 相 は 真 如 で ある 」と し, Ch・XI - 47偶
』ド
に, 「 真 実 〔に 悟 入 す る は 〕唯 識性( vi j napt i mat r at a) に 悟人 する40) 」 こ と が 述 べ ら
れる こ と に 留 意する と, 本 書 の 中 心 学 説 で ある三性 説 は 本 性 清浄 説 を 基 盤 と し て, 「 真 実
性 」 ・「真 如 」 が 「唯 識」 で ある こ と を 論 述する と こ ろ に, そ の 立 場 が ある. い い 換 える
と, 本 性 清 浄 説と 三 性 説 が 結 合し て 成 立 する 唯 識 説 で は, 「 如 来 蔵 」 説を 積 極 的 に 介 在 せ
し め な か っ た の で ある.
( 4)
以 上, わ れ わ れ は 「! f t _ _ 1性論 』 所 引 のr 荘 厳 経 論 』 の 若 干 の偶 を 手 が か りに, そ れ が い か
なる位 置を 占め つ つ, い かなる と こ ろ に 両 書の 共 通の 思 想 がみら れ, か つ 差異 が認 めら れ
る か を 考察し た.
一一般に
, 如 来 蔵は 人間 存 在の 心のう ち に 存 在し て いる如 来たり得 る可 能 性を い う と理 解
さ れる. し た が っ て, そ こ で は 何 ら か 実 体的, 若 しくは 実 在的 な もの が よ り多 く予 想 さ れ
るか も知れ な い. し か し, 如 来 蔵は, 上 に 述 べた 如 く, 自 らがそこ から発する主体そ のも
のの 内 面的 な 経 験 と し て 実証さ れるべ きもの で ある. そ のこ と を, 「 宝性 論 』 は そ の 重要
な 学 説 で ある「三 種 自 性 」 説 と共に 独自 な 仕 方で 明 か にし よう と し て いる.
換言 する と, r 如 来 蔵 経』 以 来 の 「一 切衆 生 は 如 来 蔵 であ る( s ar vas at t vas t at haga・
t agar bhah' 1' ) 」 と い う主 張は, 智 慧と か 慈悲と か 仏と かと い わ れ ば なら な い 「絶対 なる
もの 」 の 側 で, 常 に 「人 間 」 が 考 えら れ て いる. し た がっ て, 一 一f 人 間 の 側 から 遊 離 して
いるか の 如 くであ る が, 却 っ て 実は そ れ が 人 間 存 在 のあ る べ き究 極 的な 根 底に 深くか かわ
っ て いる と いえ る.
『荘 厳 経 論 』に お ける 中 心 学 説で あ る 三 性 説は, 根 本 的に は 本 性 清 浄 説に 立 脚 す るが,
分 別 性 が 真 実 性 への 転 換に お い て, そ の 所 依で ある依 他 性自 身も 含 め て, そ の 転 換の 構 造
を 示 す もの で ある42) . そ の 限 り, 人 間 の 側 から 「絶 対なる も の 」 への 道 が明 かに せら れ た
135
開 示
として, 「
宝 性 論 』 で 積 極 的 に 取
り上 げ られ
るの で あ る.
註
コ
の
望
⊥
9
創
3 4 5 6. 7. s . 9 10. 11. 12. 13. 14. 15.
TheRat nagot r avi bhagaMahayanot t ar at ant r as as t r a
, ed. byE. H. J ohns t on, Pat na, 1950. MahayanaSut r al ar i l kar a, ed. bySyl vai nLevi , Par i s
, 1907.
大体4世 紀末頃か ら5世 紀頃 と考えられる. ( 『 新 ・仏 典解題事典』P. 138, P. 144. )
宇井伯寿: 「 宝性論研究』p. 347∼353.
「荘厳経論』の該当す る 文は, dhar madhi mukt i bi j at par ami t as r es t hamat r t oj at ah/
dhyanamayes ukhagar bhekar unas amvar dhi kadhat r i / 11j ( S. Levi , op, c i t
. p. 15 1V- 11)
( こ の 部 分 に 漢訳 は直 接 該 当 す る もの が な いが, 釈 文 中 に 次 ぎの如く見出 せ る)
釈 日 生 勝 由 四義 者 …種 子 勝 信 大 乗 法 為 種子 故 二 生母 勝 般 若 波 羅 蜜 為 生母 故
大 揮 定 楽 為胎 蔵 故 四乳 母 勝 大 悲 長 養 為 乳 母 故( 大 正 ・31・596・b)
( な お, Skt . 本 の 脱 漏 部 分( S. Levi , oP. Cl t . P. 9) の 漢 訳 に次 ぎの 如 く見 出 せ る)
発 心 與 智度 聚 満 亦 大 慈 種 子 及 生母 胎 蔵 乳 母 勝 釈 日 菩 薩 善 生 有 四一義
菩 提 心為 種 子 故 二 者 生 母 勝 以 般 若 波 羅 蜜 為 生 母 故 三 者胎 蔵 勝
四 者乳 母 勝 以 大 悲 長 養為 乳 母 故( 帰 依 品 第 三: 大 正・31・593・b)
如 清 浄真 空 得 第 一 無 我 諸 仏 得浄 体 是 名 得 大 身 此 偶 明l l 可義
真 如 法身 彼 是 諸 仏 如 来実 我 以 得 自在 体 以 得 第 一 清浄 身 偶 言 諸 仏 得 浄 体 故
仏 名 得 清浄 自在 偶 言 是 名 得大 身 故 以 是 義 故
我( 大I E・31・829・c ∼830・a)
( 『 荘厳 経 論 』 に お け る該 当交)
s unyat ayamvi s uddhayal nnai r at myanmar gal abhat ah/
buddhahs uddhat mal abhi t vat gat aat mamahat mat am, / 23/
buddhanampar amat mani r di s yat e/ ki m
- ・. !
三胎蔵勝
一
者 種子勝
以
以福智二聚住持為胎蔵故
得大身者謂如一
来得第一
・
清浄
以 是義故
諸
依於此義 諸仏如 来於無漏界中得為第一最 自在
t at r ac anas r avedhat au
kar anam/ agr anai r at mYat makat vat / agr am
nai r at myal nvi s uddhat at hat as ac abuddhanamat mas vabhavar t henat as yamvi s
udd-hayamagr a血nai r at myamat manamBuddhal abhant es uddham/ at ahs uddhat i nal abhi
-t ea-t buddhaa-t mal nahat myar i l pr apt ai t yanenabhi s amdhi nabuddhanamanas r avedhat au
par amat mavyavas t hapyat e/ ( S, Levi , op. c i t . p. 37- 38)
清浄空無我 佛説第一我 諸佛我浄故 故佛名大我 釈 日 此 偶顕示法界大我相 清浄空無我
者 此無漏界 由第一無我為 自 性故 佛説第一我者 第一無我謂清浄如 彼清浄如即是諸佛佛我
自性 諸佛我浄故 故佛名大我者 由佛此我最得清浄 是 故号 佛以為大我 由此義意 諸佛於
無漏界建立第一 我 是名法界大我相( 大 正 ・31・603・c ) J i ki doTakas aki : Des c r i pt i onof t heUl t i mat er eal i t yi nMahayanaBuddhi s m, J our nal of l ndi anandBuddhi s t St udi es , 9- 2, 1961.
E. H. J ohns t on, op. c i t . p. 21.
i bi d. p. 21- 24.
i bi d. p. 26, 1‐28.
i bi d. p, 69.
E. Ober mi l l er , TheSubl i meSc i enc eof t heGr eat Vehi c l et oSal vat i on
, Leni ngr ad. 1931, p. 157.
E. H. J ohns t on, op. c i t . p. 27- x. S. Levi . op, c i t , p. 15.
136 16. 17. 18. 19. 20. 21. 22. 23. 24. 25. 27. 27. 28. 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 2 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 4 4 4 4
奈 良 大 学 紀 要 第3号
玉 城 康 四 郎: 「 如 来 蔵 の 哲 学 的 諸 性 格に 関 する概 観 』( 印 度 学 仏 教 学 研 究7- 2. ) E. H. J ohns t on, op, c i t . p. 59- 66.
i bi d, p. 66- 69. i bi dp. 69- 71. i bi d, p. 59. i bi d. p. 66.
山 口 益: 『 法 法 性 分 別 論 管 見 』( 常 盤 大 定 博 士 還 暦 記 念 「仏 教 論 叢 」 所 収) . 武 邑 尚 邦: 『 弥 勒 教 学 に 於 ける 法と法 性 との問 題 に っ い て 』( 竜 谷 学 報No. 333) . 金 倉 円 照: 『 弥 勒 の 法 法 性 弁 別 論 に つ い て 』( 「 叙 説 」 二) 等 参 照.
山 口 益: 『 弁中 辺 論 』. 同: 『 中 辺 分 別 論 釈 疏 』 等 参 照. S. Levi , op, c i t , p. 36.
i bi d, p. 40.
E. H. J ohns t on, op, c i t . p. 71.
こ れら に つ い て は 近 刊 の, 高 崎 直 道: 『 如 来 蔵 思 想 の 形成 』 に 詳 し い 研 究 があり, 筆 者 は 多く を 教え ら れ た. 尚, 拙 稿: 『 宝 性 論の 引 用 経 典 』( 印 度 学 仏教 学 研 究19- 1. )
E. HJ ohns t on, op. c i t . P. 79. 高 田 仁 覚: 『 宝 性 論に お ける転 依 に っ い て 』( 印 度 学 仏 教 学 学 研 究6- 2) 参 照.
高 崎 直 道: 『 転 依as r ayapar i vr t t i とas r ayapar avr t t i 』( 日 本 仏教 学 会 年 報25) . E. Ober mi l l er , op, c i t . p. 84.
野 沢 静 証: 『 梵 文 大 乗 荘 厳 経 論 に 於 ける三 性 説 管 見 』( 大 谷 学 報19- 3) 参 照. S. Levi , op. c i t . p. 22.
i bi d, p. 64- 65. i bi d. p. 66 i bi d, p. 58. i bi d. p. 59. i bi d. p. 88. i bi d. p. 40. i bi d. p. 170. i bi d. p. 66.
i bi d. p. 72, 『 西 蔵 大 蔵 経 』36・241・3. 拙 稿: 『 転 依 に っ い て 』( 宗 教 研 究190) . 長 尾 雅 人: 『 転 換 の 論 理 』( 哲 学 研 究405) .
Summar y