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密教研究 Vol. 1940 No. 74 005松永 有見「鎌倉時代の鎮護国家思想と不動明王 P81-91」

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Academic year: 2021

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松 永 有 見 平 安 朝 の 末 期 人 心 の 廢 頽 は 末 法 思 想 の 傳 播 に 伴 ひ 未 來 淨 土 を 欣 求 す る 念 佛 思 想 は 一 代 の 風 潮 を 爲 し 滔 々 と し て 日 本 全 國 に 横 盗 す る に 至 つ た 、 念 佛 の 法 門 は そ の 有 す る 現 世 否 定 の 厭 世 的 人 生 觀 よ り 個 人 の 解 脱 涅 槃 を 熱 望 す る た め に 動 も す れ ば 國 家 を 忘 れ ん と す る 傾 向 あ る は 又 止 む を 得 ぬ 事 象 で あ ら う 。 頼 朝 の 鎌 倉 に 幕 府 を 開 く や 強 健 な る 阪 東 武 士 を 中 心 と し て 國 家 興 隆 の 機 運 を 醸 成 し た 。 活 氣 横 溢 せ る 禪 の 勃 興 は 興 禪 護 國 の 宗 風 と 共 に 鎌 倉 武 人 に 書 龍 點 晴 の 妙 機 を 與 へ た 。 鎭 護 國 家 を 標 示 せ る 眞 言 密 教 も 亦 捲 土 重 來 の 意 氣 す さ ま じ く 幾 多 の 高 僧 を 出 し た 。 特 に 文 永 弘 安 の 蒙 古 軍 の 來 襲 に よ り 國 民 全 體 を 擧 げ て 國 防 思 想 の 發 達 と 共 に 密 教 の 護 國 思 想 は そ の 最 高 峰 に 達 し た こ と で あ る 。 護 國 の 經 典 と し て 特 に 佛 陀 が 國 王 の 爲 め に 説 か れ た る も の に 大 孔 雀 經 、 仁 王 般 若 經 、 守 護 國 界 經 の 三 部 の 經 典 が あ る 。 七 難 を 摧 滅 し 四 時 を 調 和 し 國 を 護 り 家 を 護 り 己 を 安 じ 他 を 安 ず 秘 妙 の 經 典 此 れ に 過 ぎ た る も の は な い 密 教 に は 此 の 三 部 の 經 典 に よ り て 國 家 鎭 護 の 大 法 を 創 建 し て 御 願 に 慮 じ て 建 壇 修 法 す る 嚴 粛 な る 法 規 が 存 在 す る 。 而 も 國 家 鎭 護 の 大 法 と し て は 後 世 仁 王 般 若 經 法 が 最 も 廣 く 實 修 さ れ て ゐ る の で あ る が 、 其 の 本 尊 が 般 若 菩 薩 の 教 令 輪 身 た る 不 動 明 王 で あ る 爲 め に 護 國 の 本 尊 と し て は 不 動 明 王 を 主 尊 と し て ゐ る 。 そ こ で 護 國 思 想 と 不 動 明 王 と は 密 接 不 離 の 關 係 を 有 す る の で あ る 。 鎌 倉 時 代 の 護 國 思 想 と 不 動 明 王 八 一

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鎌 倉 時 代 の 護 國 思 想 と 不 動 明 王 八 二 一 佛 教 と 護 國 思 想 佛 教 本 來 の 使 命 よ り す れ ば 國 王 も 庶 民 も 強 者 も 弱 者 も 貴 賤 上 下 の 隔 て な く 普 遍 的 に 平 等 に 解 脱 涅 槃 の 妙 境 に 悟 入 せ し む る を 本 願 と す る 超 國 家 的 の 宗 教 な る こ と は 今 更 ら 改 め て 論 く ま で も な い で あ ら う 。 併 し な が ら 佛 教 の 達 磨 は 歴 史 と 國 土 に 即 し て 無 碍 自 在 の 妙 用 を 示 現 し て 攝 化 利 生 す る を 本 旨 と す る 即 俗 而 眞 の 宗 教 な る こ と も 現 前 の 事 實 で あ る 寧 時 代 に 應 じ 國 土 に 適 す る 正 法 を 演 説 し て こ そ 佛 教 が 普 遍 的 の 超 國 家 的 宗 教 の 本 來 の 面 目 を 發 揮 す る も の と い は な け れ ば な ら ぬ 。 更 ら に 一 歩 を 進 め て い へ ば 國 土 の 安 全 と 國 家 の 興 隆 は 直 ち に 佛 陀 の 成 佛 國 土 成 就 衆 生 の 本 願 を 如 實 に 顯 示 す る 最 高 至 深 の 要 求 で な け れ ば な ら ぬ 。 守 護 國 界 主 陀 羅 尼 經 第 九 に は 佛 金 剛 手 の 發 問 に よ り て 此 の 意 義 を 宣 揚 し 給 ふ て ゐ る 。 爾 の 時 秘 密 主 金 剛 手 復 佛 に 白 ふ し て 言 く 世 尊 佛 の 所 説 の 如 き は 諸 佛 は 常 に 平 等 の 三 昧 に 佳 し 給 ふ 、 等 し く 衆 生 を 見 る こ と 猶 一 子 の 如 し 、 今 者 云 何 ぞ 但 守 護 國 界 主 と 言 ふ や 。 諸 の 貧 窮 孤 獨 の 子 有 つ て 困 苦 依 も な く 歸 も な く 救 も な く 護 も な し 何 ぞ 愍 念 し て 守 護 せ ざ る 耶 。 爾 の 時 如 來 金 剛 手 に 告 げ て 言 く 善 男 子 諦 に 聴 け 當 に 汝 が 爲 め に 説 く べ し 、 諸 佛 は 平 等 の 三 昧 に 佳 せ ざ る に 非 ず 、 平 等 に 由 る が 故 に 國 王 を 守 護 し 給 ふ 。 善 男 子 譬 へ ば 良 醫 の 小 嬰 孩 の 身 疾 病 に 榮 れ て 能 く 醫 藥 に 勝 へ ざ る を 見 て 乃 ち 良 藥 を 以 つ て 母 を し て 之 を 服 せ し め 、 母 藥 力 を 服 す る に 由 り 乳 に 及 ぶ 、 其 の 子 乳 を 飲 は 疾 病 皆 除 く が 如 く 諸 佛 も 是 の 如 し 。 一 切 を 哀 愍 し 國 王 を 守 護 し て 七 の 勝 釜 を 獲 。 國 王 を 護 る は 國 の 太 子 を 護 る 、 若 し 太 子 を 護 る は 大 臣 を 守 護 す 、 大 臣 を 護 れ ば 百 姓 を 守 護 す 、 若 し 百 姓 を 守 れ ば 即 ち 庫 藏 を 守 護 す 、 庫 藏 を 護 れ ば 即 ち 四 兵 を 守 護 す 、 若 し 四 兵 を 守 護 す れ ば 隣 國 を 護 る 、 是 の 如 く 一 切 皆 安 し 、 是 の 故 に 國 王 諸 の 衆 生 の 爲 め に 日 と な り 月 と な り 燈 と な り 眼 と な り 父 と な り 母 と な る 。 若 し 諸 の 衆 生 眼 な く 燈 な く 日 な く 月 な く 父 な く 母 な く し

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て 身 命 存 す べ き や 若 し 國 王 な く ば 安 立 す 可 ら ず 。 (大 正 藏 經 十 九 、 五 六 六 ) 此 の 經 に よ れ ば 國 家 を 守 護 す る は や が て 一 切 衆 生 を 守 護 し 遂 に は 隣 國 を も 守 護 し て 全 世 界 を 平 安 な る 國 土 た ら し め 、 所 謂 成 佛 國 土 成 就 衆 生 の 本 願 を 達 成 せ し む る こ と に な る の で あ る 。 佛 の 平 等 の 大 慧 に よ り て こ そ 始 め て 世 界 平 和 の 淨 土 を 建 設 し 得 ら る ゝ の で あ る 。 日 本 國 の 世 界 的 使 命 も 亦 か く あ る べ き で あ ら う 。 佛 菩 薩 が 轉 輪 王 と な り て 道 義 的 の 國 家 を 建 設 し て 世 界 統 治 を 爲 す 佛 教 の 理 想 は 即 ち 之 れ で あ る 。 二 不 動 明 王 と 護 國 思 想 佛 菩 薩 の 數 は 甚 多 く 密 教 の 曼 茶 羅 に 攝 取 さ れ た る 諸 尊 の 數 も 亦 數 百 の 多 き に 及 ん で ゐ る る が 直 接 鎭 護 國 家 の 本 尊 と し て 修 法 の 主 尊 と な る は 佛 菩 薩 よ り も 寧 明 王 部 の 諸 尊 に 限 ら れ て ゐ る 樣 で あ る。 孔 雀 明 王 、 大 元 帥 明 王 、 降 三 世 、 軍 茶 利 、 大 威 徳 明 王 、 金 剛 藥 叉 明 王 の 四 大 念 怒 尊 及 び 不 動 明 王 が そ れ で あ る 。 獨 守 護 經 は 毘 盧 遮 那 如 來 を 本 尊 と し 三 十 七 尊 の 金 剛 界 曼 茶 羅 を 建 立 し て ゐ る が 、 未 廬 接 鎭 國 の 大 法 と し て 實 修 さ れ た る を 聞 か ぬ 。 そ れ は 外 敵 を 降 伏 し て 國 家 の 安 全 を 企 圖 す る に は 自 性 輪 身 や 正 法 輪 身 の 佛 菩 薩 よ り 教 令 輪 身 の 明 王 部 の 諸 尊 が 雄 大 強 健 の 精 神 を 發 揚 す る か ら で あ ら う 。 仁 王 經 の 正 法 輪 身 は 般 若 菩 薩 で あ る が 特 に 教 令 輪 身 の 不 動 明 王 を 本 尊 と し て 實 修 す る は 之 れ が 爲 め で あ る 。 吾 國 に 佛 教 の 傳 法 し て 悠 々 千 三 百 年 、 吾 國 民 思 想 と 深 い 關 係 を 有 す る 不 動 明 王 の 信 仰 は 強 健 雄 偉 な る 吾 國 民 を 長 養 し 生 育 し 國 家 を 鎭 護 し 來 つ た 歴 史 的 偉 續 は 洵 に 測 る 可 ら ざ る も の あ り 所 謂 皇 道 佛 教 の 本 流 を 爲 し つ ゝ 、 現 今 に 至 つ て ゐ る の で あ る 。 常 盤 大 定 博 士 の 報 告 に よ れ ば 現 今 の 支 那 寺 院 に は 不 動 明 王 の 像 は 何 れ の 寺 院 に 於 て も 發 見 し 得 ぬ と の こ と で あ る 。 勿 論 大 師 の 入 唐 當 時 密 教 の 護 國 道 場 に は 其 の 主 尊 と し て 安 置 さ れ た の で あ る が 唐 末 密 教 の 衰 滅 と 共 に 波 し 去 り 現 今 は 釋 迦 、 彌 陀 、 觀 音 、 彌 勒 等 の 佛 菩 薩 の み 存 す る こ と は 何 を 意 味 す る で あ ら う か 。 一 言 に こ れ を つ く せ 鎌 倉 時 代 の 護 國 思 想 と 不 動 明 王 八 三

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鎌 倉 時 代 の 護 國 思 想 と 不 動 明 王 八 四 ば 支 那 人 の 國 民 思 想 に 合 致 せ ぬ か ら で あ ら う 。 支 那 の 國 民 思 想 は 老 荘 の 平 和 的 虚 無 思 想 と 儒 教 の 實 際 的 現 實 主 義 の 思 想 は 相 互 に 因 果 關 係 を 爲 し て 今 日 の 如 き 個 人 主 義 平 和 主 義 の 國 民 性 を 造 り 上 げ 強 健 雄 偉 な る 統 一 的 國 家 精 神 を 甚 稀 薄 な ら し め た の で あ る ま い か 。 不 動 明 王 の 信 仰 が 國 民 思 想 と 一 致 せ ぬ こ と は 深 い 理 由 が そ こ に 存 在 す る こ と と 思 ふ 。 不 動 明 王 の 形 像 を 見 る 時 大 盤 石 の 上 に 座 す る は 淨 菩 提 心 常 佳 不 滅 の 信 仰 を 保 持 し て 、 如 何 な る 誘 惑 と 煩 悩 と 強 敵 に も 屈 せ ず 泰 然 不 動 の 強 健 雄 偉 な る 精 神 を 以 つ て 一 誠 萬 事 を 貫 徹 し て 大 盤 石 の 上 に 安 佳 せ ん と す る 意 を 表 し 、 右 手 の 利 創 は 所 謂 降 魔 の 利 創 で あ り 阿 字 不 生 の 智 慧 の 創 で あ る 。 内 に あ り て は あ ら ゆ る 煩 悩 を 切 断 し て 快 刀 亂 麻 を 斷 ち て 佛 智 見 を 顯 現 し 、 外 に あ り て は 敵 國 を 降 伏 し 逆 賊 を 平 定 し て 皇 化 に 浴 せ し め ん と す る 皇 道 精 神 を 表 現 し 、 左 手 の 羂 索 は 布 施 、 愛 語 、 利 行 、 同 事 の 四 攝 の 大 悲 心 を 以 つ て 衆 生 を 攝 取 せ ん と す る 意 を 現 は す 。 一 は 大 智 慧 の 利 劍 を 振 つ て 敵 國 を 裁 斷 し 、 他 は 大 悲 の 羂 索 を 以 つ て 宣 撫 工 作 を 爲 し て 法 化 を 世 界 に 及 さ ん と す る も の で あ る 。 背 後 の 火 焔 は 不 動 明 王 が 大 火 生 三 昧 に 佳 し て 一 切 の 不 淨 と 邪 悪 を 燒 き つ く し て 智 慧 の 光 明 遍 く 世 界 を 照 ら し て 大 日 遍 照 の 徳 を 實 現 せ る 形 相 で あ り 、 更 ら に 不 動 明 王 が 童 子 か 青 年 の 姿 を 顯 は せ る は 、 そ の わ か く し き 純 淨 無 垢 の 精 神 と 溌 溂 た る 勇 氣 を 示 現 せ る も の で あ る 。 次 に 不 動 尊 の 左 に 一 つ 辮 髪 を 垂 れ 作 業 服 を 着 す る は 印 度 の 奴 僕 の 風 俗 を 示 し た も の で 、 此 の 尊 が 一 切 衆 生 の 奴 僕 と な り て 之 れ に 奉 仕 す る 極 大 慈 悲 滅 私 奉 公 の 犠 牲 的 大 精 神 を 顯 示 し た も の で あ る 。 か く し て 不 動 明 王 の 尊 形 は 何 れ の 方 面 よ り 觀 察 す る も 、 破 邪 顯 正 の 念 怒 形 は 滅 私 奉 公 の 全 體 主 義 的 精 神 と 相 待 つ て 、 鎭 護 國 家 の 本 尊 と し て 最 も 能 く 其 の 性 格 を 顯 せ る を 知 る べ き で あ る 。 三 蒙 古 軍 の 來 襲 と 護 國 思 想 の 昂 揚 藤 原 時 代 の 初 期 唐 朝 の 衰 頽 と 共 に 遣 唐 使 、 留 擧 僧 の 廢 止 と 共 に 支 那 大 陸 と の 文 化 史 的 交 渉 は 全 く 中 止 す る の 止 な き

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に 至 り 、 こ こ に 絢 爛 た る 日 本 的 王 朝 文 化 の 花 は 八 重 九 重 に も 咲 き 誇 つ た の で あ つ た 。 之 れ が 爲 め に 建 國 的 な る 強 健 雄 偉 な る 精 神 は 滅 び 去 り 、 鎭 護 國 家 を 標 榜 す る 眞 言 密 教 も 一 部 貴 族 の 享 樂 の 宗 教 と 化 し 立 教 開 宗 當 時 の 氣 魂 を 失 ひ つ く さ ん と し た 時 、 突 如 と し て 電 撃 の 如 く 日 本 國 民 の 心 魂 を 打 つ た も の は 所 謂 蒙 古 軍 の 襲 來 で あ る 。 西 紀 十 三 世 紀 の 初 頭 北 條 時 政 執 權 時 代 黒 龍 江 の 上 流 バ イ カ ル 湖 の 東 南 地 方 を 根 據 と し て 興 起 し た 勇 敢 な る 蒙 古 民 族 は 蓋 世 の 英 雄 成 吉 思 罕 以 來 英 邁 武 勇 の 元 首 を 戴 き 忽 に し て 北 支 那 、 中 央 亜 細 亜 を 征 服 し 、 西 部 欧 羅 巴 に 跨 る 大 帝 國 を 建 設 し 、 其 の 孫 忽 必 烈 の 時 は 南 露 ・ 波 蘭 ・ 旬 牙 利 を 席 捲 し て 全 歐 洲 を 震 愕 せ し め 、 次 で 朝 鮮 半 島 に 及 び 南 宋 を 滅 し 其 の 版 圖 歐 亜 の 二 大 洲 に 渉 り 朝 貢 す る も の 千 餘 國 と 云 ふ の で あ る か ら 、 羅 馬 帝 國 以 上 の 世 界 無 比 の 大 帝 國 を 建 設 し た の で あ る 。 こ の 絵 威 を 以 つ て 吾 東 海 の 孤 島 を 征 服 せ ん と し た の が 丈 永 弘 安 の 蒙 古 軍 の 來 襲 で あ る 。 當 時 南 宋 の 滅 亡 に よ り 南 宋 の 高 僧 に し て 吾 國 に 渡 來 す る も の 多 く 大 國 難 來 の 警 報 は 全 國 民 に 亂 打 さ れ た 。 日 蓮 上 人 の 立 正 安 國 の 絶 叫 、 朝 廷 の 諸 寺 諸 山 神 明 へ の 報 賽 、 承 久 以 來 の 朝 廷 と 鎌 倉 幕 府 と の 相 反 目 は 直 ち に 一 掃 さ れ 、 諸 國 の 武 門 武 士 御 家 人 は 申 す に 及 ば ず 僧 侶 も 神 官 も 庶 民 も 精 神 總 動 員 擧 國 一 致 未 曾 有 の 國 難 に 當 つ た こ と で あ る 。 文 永 役 後 元 軍 大 擧 再 征 の 報 傳 は る や 朝 野 を 擧 げ て 國 土 の 防 衛 と 職 備 に 全 力 を 傾 け た 。 特 に 龜 山 上 皇 は 軍 神 石 清 水 八 幡 宮 へ 七 書 夜 御 参 籠 あ り 敵 國 降 伏 の 熟 疇 を 捧 げ ら れ た こ と は 餘 り に も 有 名 で あ る 。 更 ら に 上 皇 は 戰 地 の 最 前 線 と も 稱 す べ き 博 多 の 箱 崎 八 幡 宮 に 於 て も 敵 國 降 伏 の 御 祈 願 あ り 、 其 の 時 の 御 震 筆 ﹃ 敵 國 降 伏 ﹄ の 文 字 は 即 ち そ れ で あ る 。 現 に 箱 崎 八 幡 宮 に は 神 體 同 樣 に 尊 重 せ ら れ た る . ﹃ 敵 國 降 伏 ﹄ の 御 震 筆 は 總 數 三 十 七 枚 あ り 横 五 寸 九 分 縦 六 寸 二 分 の 紺 紙 に 金 泥 で 鮮 か に 敵 國 降 伏 と 書 せ ら れ 、 文 字 は 雄 渾 に ﹂ て 氣 品 頗 る 高 い 。 其 の 内 の 一 枚 を 小 早 川 隆 景 が 後 に 扁 額 に 牧 め て 箱 崎 八 幡 の 樓 門 の 正 面 に 掲 げ あ の 。 所 謂 伏 敵 門 と 稱 す る は 即 ち 之 れ で あ る 。 今 春 毎 日 新 聞 主 催 の 麻 史 展 に 其 の 寫 し を 鎌 倉 時 代 の 護 國 思 想 と 不 動 明 王 八 五

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鎌 倉 時 代 の 護 國 思 想 と 不 動 明 王 八 六 出 品 し て ゐ た の で 一 般 に 認 識 さ れ た こ と で あ ら う 余 も 亦 今 春 志 賀 島 の 史 蹟 探 訪 の 時 此 の 額 の 為 を 拜 領 し 現 に 南 院 の 本 堂 へ 掲 げ て 本 尊 の 威 徳 を 偲 ん で 居 る 次 第 で あ る 。 由 來 眞 言 密 教 は 鎭 護 國 家 を 生 命 と す る よ り 國 家 と 興 替 を 共 に し 一 旦 緩 急 あ る 場 合 に は 身 命 を 捨 て ゝ 熱 疇 す る の で あ る 。 東 寺 長 者 定 濟 は 弘 安 四 年 正 月 十 九 日 異 國 降 伏 の 爲 め 伊 勢 大 神 宮 に 参 籠 し た る が 如 き 、 西 大 寺 の 叡 尊 が 弘 安 四 年 六 月 勅 を 奉 じ て 南 都 京 洛 の 智 識 五 百 六 十 餘 人 と 共 に 男 山 八 幡 宮 に 於 て 仁 王 會 を 開 き 、 敵 國 降 伏 の 祈 願 を 爲 し た る が 如 き 著 名 な る 事 實 の 外 に 全 國 の 幾 萬 の 眞 言 僧 が 異 國 降 伏 の 熱 疇 を 修 し た こ と は 想 像 に 難 く な い の で あ る 。 さ れ ば 弘 安 役 の 天 皇 に し て 後 大 覺 寺 に 御 落 髪 さ れ た る 後 宇 多 法 皇 は 高 祖 の 廿 一 ヶ 條 の 御 遺 告 に 擬 し 御 遺 告 記 を 遺 し 給 ふ て ゐ る が 其 の 第 三 條 に 、 一 、 可 眞 俗 同 運 働 興 隆 縁 起 第 三 夫 以 我 大 日 本 國 者 法 爾 稱 號 秘 教 相 慮 法 身 之 土 也 。 故 我 後 繼 血 脈 之 法 資 、 傳 天 詐 之 君 主 可 同 盛 衰 可 伴 興 替 。 我 法 斷 廢 者 皇 統 共 廢 、 吾 寺 興 復 者 皇 業 安 泰 。 努 努 背 吾 意 莫 悔 耳 。 此 の 御 遺 告 は 日 本 國 家 と 眞 言 密 教 は 一 體 不 二 に し て 不 可 分 の 存 在 な る こ と を 仰 せ 遣 し 給 ふ た も の で 、 併 も 弘 安 役 後 特 に 其 の 實 際 的 軽 験 を 體 得 さ れ て の 御 言 葉 な る を 推 察 す る 時 更 ら に 密 教 の 護 國 精 神 の 最 高 峰 に 達 し た こ と を 首 肯 せ ず に 居 ら れ ぬ で あ る 。 四 元 冦 と 浪 切 不 動 明 王 文 永 弘 安 の 蒙 古 軍 の 來 襲 は 洵 に 日 本 建 國 以 來 の 大 國 難 で 擧 國 一 致 國 難 打 開 の 爲 め に 全 力 を 傾 倒 し 敵 軍 降 伏 の 勅 命 は 毎 日 の 樣 に 發 せ ら れ 、 日 本 國 中 の 神 社 諸 寺 諸 山 は 相 競 ふ て 丹 誠 を 抽 ん で ゝ 祈 願 を 凝 ら し た 。 日 本 の 國 民 的 精 神 が 此 の

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時 程 昂 揚 し た こ と は あ る ま い 。 其 の 中 に あ つ て 特 に 高 野 山 の 住 侶 が 鎭 國 の 悲 願 に 燃 え て 高 野 山 南 院 の 本 尊 浪 切 不 動 を 奉 じ て 博 多 へ 下 り 、 博 多 灣 の 突 端 志 賀 島 へ 安 置 し 敵 軍 重 園 の 中 に 於 て 交 戰 期 間 凡 七 十 日 を 通 し て 晝 夜 不 斷 、 不 退 轉 の 志 願 を 以 つ て 敵 軍 の 降 伏 を 祈 つ た こ と は 壮 烈 限 り な く 鎭 護 國 家 の 護 國 精 神 が 最 も 強 く 發 揮 さ れ た こ と で あ る 。 大 政 官 符 並 に 天 野 記 に よ れ ば 、 弘 安 四 年 四 月 蒙 古 來 襲 の 前 月 高 野 山 の 鎭 守 の 神 、 神 巫 に 記 し て 曰 く 日 本 國 神 々 蒙 古 軍 へ 發 行 す 、 先 例 に 任 か せ て 天 野 大 明 神 一 陣 へ 向 は し む 。 鏑 矢 一 手 弓 弦 一 筋 來 汁 一 日 前 に 得 し む べ し 、 明 神 進 發 は 來 る 廿 八 日 丑 刻 な り 。 不 動 火 界 の 咒 を 唱 へ て 神 の 威 光 を 増 す べ し 。 來 る 六 七 月 中 本 願 安 全 な る べ し 。 (紀 伊 續 風 土 記 總 分 卷 十 四 、 二 五 五 頁 ) 信 仰 深 き 當 代 に あ つ て は 此 の 神 勅 は 直 ち に 京 都 と 鎌 倉 へ 傳 へ ら れ た の で 、 高 野 山 へ 敵 國 降 伏 の 院 宣 と 關 東 の 教 令 が 即 日 に 降 下 さ れ た 。 高 野 山 の 大 衆 は 山 王 院 に 於 て 一 萬 座 の 大 護 摩 法 を 修 す る と 共 に 天 慶 の 亂 に 將 門 を 降 伏 せ し め た 嘉 例 も あ る の で 南 院 の 浪 切 不 動 尊 を 奉 じ て 南 院 の 賢 隆 阿 闍 梨 を 始 め 一 行 六 + 人 が 筑 前 の 志 賀 島 に 着 し た の が 弘 安 役 の 直 前 で あ つ た 。 現 存 す る 火 焔 塚 の あ た り に 五 壇 の 大 壇 を 安 置 し て 降 伏 の 大 秘 法 が 修 せ ら れ た 。 中 壇 に は 宗 の 長 者 に し て 高 野 山 の 座 主 職 を 兼 ね た る 定 濟 大 僧 正 、 片 壇 は 南 院 阿 闍 梨 賢 隆 及 び 蓮 上 院 の 入 寺 長 任 等 で あ つ た 。 宗 の 長 者 を 主 班 と す る 大 祈 疇 は 勅 命 を 奉 じ た る 場 合 に 限 ら れ た る 國 家 的 の 大 祈 疇 で あ る こ と は 申 す ま で も な い 。 尤 も 定 濟 大 僧 正 は 弘 安 四 年 正 月 十 九 日 伊 勢 大 神 宮 に 参 詣 し 六 月 廿 二 日 に は 東 寺 の 講 堂 に 於 て 仁 王 經 法 を 修 し 同 じ ぐ 閏 七 月 七 日 に は 東 寺 の 講 堂 に 於 て 不 動 法 及 仁 王 經 の 轉 讀 を 修 行 し 何 れ も 異 國 降 伏 の 祈 願 で あ る (東 長 三 、 續 史 五 、 東 寳 五 ) 。 蓋 し 宗 の 長 者 と し て 五 月 に 志 賀 島 に て 降 伏 の 開 白 を 爲 し 六 月 以 後 は 東 寺 に 於 て 祈 願 さ れ た も の で あ ら う 。 博 多 灣 の 突 端 志 賀 島 の 一 角 に 日 夜 異 口 同 音 に 唱 ふ る 不 動 火 界 の 眞 言 念 誦 の 聲 は 波 に 和 し て 百 雷 の 同 時 に 鳴 る が 如 く 鎌 倉 時 代 の 護 國 思 想 と 不 動 明 王 八 七

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鎌 倉 時 代 の 護 國 思 想 と 不 動 明 王 八 八 焔 々 天 に 漲 る 護 摩 の 火 は 、 波 上 に 流 れ て 金 龍 風 を 起 し 、 神 箭 は 敵 軍 に 響 き 渡 り て 敵 膽 を 寒 か ら し む 等 、 護 國 利 生 の 悲 願 は 種 々 の 靈 瑞 異 變 を 生 じ 、 一 面 敵 軍 を 極 度 に 畏 怖 せ し む る と 共 に 味 方 の 勇 氣 を 百 倍 せ し め た の で あ つ た 。 野 山 名 靈 集 は 此 の 實 状 を 傳 へ て 曰 く 。 實 に 佛 神 擁 護 の 験 と 見 え て 戰 ひ つ か れ た る 官 軍 俄 か に 勇 氣 増 長 し て 親 は 子 の 死 す る を 顧 ず 、 子 は 親 を 捨 て ゝ 戰 ふ の み な ら ず 、 味 方 よ り 放 つ 矢 に は 一 箭 に 必 一 筋 の 添 矢 あ り て 其 の 鳴 る 音 す さ ま じ く 敵 の 軍 申 に 響 き 落 ち て 楯 を 通 し 鎧 を 貫 き て 死 す る も の 數 を 知 ら ず 、 又 數 百 の 紅 火 煙 を 交 へ て 陣 中 を 飛 び め ぐ り 帷 幕 を 焼 き 旗 を こ か せ し か ば 、 賊 等 此 の 怪 異 を 防 ぎ か ね て 狼 狽 す る こ と 言 語 に 絶 す 。 總 大 將 文 虎 慨 然 と し て 諸 將 に 告 げ て 曰 く 我 倭 軍 の 虚 實 を 窺 ふ に 其 の 勇 氣 大 に 先 日 に 異 な り 、 剰 へ 神 光 祥 雲 山 岳 に 充 塞 し 禎 祥 生 氣 軍 營 に 満 ち た る の み な ら ず 現 に か く の 如 き の 怪 事 あ り 、 兼 て 聞 く 此 の 國 に 神 靈 あ つ て 常 に 人 民 を 保 護 す と 、 (中 略 ) 七 月 廿 九 日 夜 牛 よ り 西 北 の 風 起 り て 七 月 朔 日 大 風 震 霓 し 青 龍 首 を 出 し 硫 黄 の 氣 海 上 に 満 ち て 大 浪 山 の 如 く 立 ち 上 が り し か ば 、 帆 柱 傾 き 楫 く だ け て 數 千 の 賊 船 一 時 に 破 碎 し て 十 萬 の 將 卒 悉 く 海 中 に 沒 溺 せ り 、 勿 論 此 の 記 事 は 八 幡 愚 堂 記 が 元 冠 の 事 蹟 を 叙 す る に 八 幡 の 靈 驗 を 誇 示 し た と 同 樣 に 名 靈 集 が 浪 切 不 動 尊 の 靈 驗 を 特 筆 大 書 し た こ と は 申 す ま で も な い が 、 一 面 他 の 元 冦 の 歴 史 的 記 事 に な き 神 國 日 本 の 姿 を 敵 軍 に よ り て 認 め し め て ゐ る 點 特 に 一 考 せ な け れ ば な ら ぬ と 思 ふ 。 何 れ に し て も 此 の 暴 風 は 季 節 の 颱 風 で あ つ た が 上 古 以 來 三 度 目 の 大 風 と 云 は れ る 程 の 猛 烈 な も の で あ つ た の と 、 且 つ 其 の 日 は 京 都 で は 大 政 官 廳 か ら 公 卿 勅 使 の 發 遣 の 日 で 一 天 快 晴 で あ つ た し 、 勝 報 の 京 都 に 到 着 し た の も 公 卿 勅 使 歸

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京 の 日 で あ つ た の と 、 鎌 倉 で も 執 權 北 條 時 宗 が 鶴 ケ 岡 若 宮 本 坊 で 尊 勝 護 摩 を 修 し 、 又 鶴 ケ 岡 社 下 經 所 で 五 壇 法 を 修 せ し め 國 家 の 安 泰 を 祈 願 し 其 の 結 願 の 日 に 大 勝 利 の 報 が 到 着 し た と 云 ふ こ と で あ る か ら 、 勝 利 の 原 因 は 膽 斗 の 如 き 鎌 倉 武 士 の 旺 盛 な る 志 氣 と 相 俟 ち て 眞 言 密 教 の 護 國 精 神 の 偉 大 さ も 充 分 承 認 さ れ た 譯 け で あ る 。 中 に も 浪 切 不 動 明 王 の み が 敵 前 に 出 張 し て 大 威 神 力 を 現 は し た だ け 諸 佛 諸 神 の 中 殊 勲 第 一 と 云 は な け れ ば な ら ぬ 。 内 大 臣 實 隆 公 は 此 の 靈 威 を 歌 ふ て 、 ﹃ あ ふ げ な を 神 の さ づ け し 國 な が ら 君 を 守 り し 法 の 力 を ﹄ 。 此 の 歌 は 神 國 日 本 を 守 護 し て 大 勝 利 を 得 し め た も の は 全 く 佛 法 の 力 で あ る 大 聖 不 動 明 王 の 大 威 神 力 で あ る と 佛 徳 を 讃 嘆 し た も の で あ る 。 か く し て 浪 切 不 動 明 王 は 獨 り 海 上 の 風 波 を 鎭 め た の み な ら ず 元 軍 の 狂 瀾 怒 濤 を 切 り 平 げ て 萬 代 不 動 の 國 礎 を 築 き 上 げ 眞 言 密 教 の 雄 大 な る 護 國 精 神 を 極 度 に 實 現 し た こ と で あ る 。 高 野 山 の 秘 史 高 野 春 秋 第 九 に は 浪 切 不 動 尊 と 元 冠 の 事 蹟 に つ い て 記 し て 曰 く 五 月 日 詔 當 山 及 諸 寺 社 令 抽 異 賊 降 伏 之 悃 疇 ( 明 神 官 符 詳 悉 于 茲 ) 仍 供 奉 南 院 不 動 明 王 於 筑 前 國 鹿 島 執 行 五 壇 大 秘 法 。 中 壇 御 導 師 長 者 兼 座 主 醍 醐 僧 正 定 濟 。 片 壇 南 院 阿 闍 梨 賢 隆 。 蓮 上 院 入 寺 長 任 等 也 。 考 此 尊 大 師 歸 朝 之 時 爲 舶 中 安 泰 魔 風 降 伏 將 來 之 爲 安 國 之 鎭 將 。 然 將 門 追 討 之 時 勧 請 尾 之 熱 田 社 頭 爲 降 伏 之 本 尊 而 東 夷 大 治 任 此 吉 例 今 又 如 斯 。 (高 野 春 秋 第 九 、 一 七 七 頁 ) 八 月 山 僧 明 王 を 護 持 し て 歸 山 の 時 、 明 王 の 火 焔 を 永 へ に 志 賀 島 に 止 む る こ と に な つ た 。 現 今 志 賀 島 に 存 す る 火 焔 塚 と 云 ふ の が そ れ で あ る (爲 眞 参 照 ) 。 火 焔 塚 の 遺 跡 は 志 賀 島 の 東 南 端 に あ り 。 私 が 本 年 三 月 史 跡 探 訪 の 時 、 志 賀 島 に 入 り て 火 焔 塚 を 尋 ね た る に 島 の 在 郷 軍 人 の 一 人 が 態 々 私 を 案 内 さ れ た 。 志 賀 海 神 社 よ り 勝 馬 へ 通 ず る 山 道 を 辿 る こ と 數 丁 に し て 火 焔 阪 に 達 す 。 其 の 上 に 登 れ ば 巖 石 の 平 地 三 坪 許 り あ つ て 古 松 を 背 に し て 不 動 尊 の 小 堂 あ り 。 立 つ て 左 邊 を 鎌 倉 時 代 の 護 國 思 想 と 不 動 明 王 八 九

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鎌 倉 時 代 の 護 國 思 想 と 不 動 明 王 九 〇 塚 焔 火 蹟 史 蹟 遣 法 修 摩 護 尊 動 不 切 浪 年 四 安 弘 眺 む れ ば 遙 に 日 本 海 を 脚 下 に 見 る 。 眼 下 に 數 百 の 敵 艦 を 睨 み つ ゝ 毅 然 と し て 敵 軍 を 降 伏 し た る 當 年 の 勇 壮 限 り な き 山 僧 の 意 氣 を 追 懐 し て 去 る に 忍 び な か つ た こ と で あ る 。 此 の 地 は 當 年 の 建 壇 修 法 の 聖 地 で あ り 火 焔 を 奉 祀 し た る 史 蹟 で あ る が 、 近 年 堂 宇 腐 朽 せ る に よ り 火 焔 を 民 家 に 持 ち 去 り て 祀 つ て ゐ る と の こ と で 、 更 ら に 其 の 民 家 を 訪 へ ば い ぶ せ き 古 き 小 屋 の 床 の 間 に 古 色 蒼 然 た る 長 三 尺 幅 七 八 寸 の 火 焔 を 安 置 し 香 花 燈 明 の 供 養 を 爲 し 時 々 人 の 参 拜 す る も の あ り と 、 家 に は 老 母 一 人 留 守 し 主 人 の 息 子 は 目 下 出 征 中 な り と の こ と で あ つ た。 浪 切 不 動 明 王 は 大 師 入 唐 中 長 安 の 青 龍 寺 に 於 て 海 上 安 全 の 爲 め 赤 旃 檀 の 靈 木 を 以 て 作 り 惠 果 和 尚 の 開 眼 供 養 を 受 け 歸 朝 の 海 上 大 風 波 の 難 を 免 が れ た る よ り 浪 切 不 動 尊 と 稱 す と 傳 へ て ゐ る 。 大 師 歸 朝 の 後 は 常 に 高 雄 山 神 護 寺 に 安 置 し 、 度 々 鎭 國 修 法 の 本 尊 と な つ た 。 こ れ よ り 浪 切 不 動 明 王 は 海 上 の 鎭 護 の 本 尊 た る の み な ら ず 國 家 非 常 時 の 荒 浪 を 切 り 開 く 國 難 打 開 の 本 尊 と な つ た 。 天 慶 の 將 門

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の 大 亂 に は 尾 張 の 熟 田 神 宮 へ 迎 へ て 逆 臣 對 治 の 本 尊 と な つ て 靈 威 を 東 國 に 現 は し て 所 持 の 利 劍 を 熱 田 神 宮 に 止 め て 永 へ に 東 北 を 鎭 護 し 、 今 又 火 焔 を 志 賀 島 に 殘 し て 西 海 鎭 護 の 利 生 を 示 す 、 明 王 の 神 力 洵 に 測 る 可 ら ざ る も の が あ る 。 高 野 春 秋 の 記 者 は 此 れ を 記 し て 曰 く 、 八 月 七 日 元 軍 士 猶 漂 浪 平 戸 五 島 邊 者 三 萬 餘 申 。 和 兵 進 討 鏖 之 。 凱 旋 歸 陣 。 山 僧 亦 護 持 本 尊 歸 山 也 。 明 王 還 御 之 時 留 火 焔 形 於 鹿 島 。 蓋 是 依 明 王 之 示 現 爲 異 國 鎭 壓 乎 。 又 自 武 家 被 悃 請 乎 。 尋 求 島 僧 未 明 也 。 考 爲 東 鎭 留 持 劍、 爲 西 壓 殘 火 焔 形 。 高 野 山 に 四 祈 の 祈 り と 云 ふ の が あ る 。 こ れ は 毎 年 四 季 の 仲 の 月 の 朔 日 よ り 四 日 間 浪 切 不 動 尊 を 南 院 よ り 山 王 院 へ 迎 へ 奉 り て 一 山 の 大 衆 雲 集 し 天 下 大 平 國 運 隆 紹 の 御 祈 疇 を 爲 す は 此 の 時 よ り 起 り 末 代 の 永 式 と な つ た こ と で あ る 。 さ れ ば 維 新 前 に あ り て は 四 季 の 祈 り の 終 ら ざ る 者 は 山 上 よ り 下 山 出 來 ぬ 程 嚴 重 な る 國 家 的 の 祈 願 で あ つ た の で あ る 。 南 院 阿 闍 梨 賢 隆 は 之 よ り 法 威 一 山 を 壓 し 、 其 の 年 の 十 二 月 十 三 日 座 主 定 濟 の 推 擧 に よ り て 一 山 の 寺 務 検 校 の 最 高 位 に 登 つ た こ と で あ る 。 猶 こ こ に 添 加 す る 貴 重 な る 遺 品 の 存 在 す る こ と で あ る 。 そ れ は 當 時 降 伏 護 摩 に 用 ゐ た る 蘇 油 杓 が 現 存 し て ゐ る こ と で あ る 。 伊 豫 の 豪 族 河 野 通 有 は 皇 室 に 直 屬 し た る 由 緒 あ る 武 士 で あ つ た が 、 弘 安 の 役 院 宣 に よ り て 一 族 を 率 ひ 舊 闘 し て 大 功 を 立 て た 一 人 で あ つ た 。 其 の 家 臣 に 松 木 三 郎 左 衛 門 尉 資 俊 な る も の が ゐ た 。 こ の 勇 士 は 通 有 が 勅 命 に よ り て 伊 豫 を 出 發 す る に 先 立 ち 、 主 命 に よ り て 高 野 山 に 参 籠 し 職 勝 の 祈 願 を こ め 南 院 本 尊 の 下 向 に も 相 當 關 係 が あ つ た ら し い 。 そ れ が 爲 め で あ ら う か 此 の 時 祈 疇 に 用 ゐ た る 蘇 油 の 小 杓 が 松 木 資 俊 の 後 裔 に 傳 へ ら れ 現 に 尾 道 市 在 住 の 松 木 家 の 寳 物 と な り 。 昭 和 三 年 今 上 陛 下 江 田 島 兵 學 校 卒 業 式 に 行 幸 の 時 天 覧 に 供 し 奉 つ た と 云 ふ こ と で 、 七 百 年 の 後 餘 榮 を 施 し た こ と で あ る 鎌 倉 時 代 の 護 國 思 想 と 不 動 明 王 九 一

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