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密教文化 Vol. 1999 No. 203 004吉崎 一美「ネパールにおける Vanaratna の事跡 PL1-L21」

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(1)

密 教 文 化

ネ パ ー ル に お け るVanaratnaの

事 跡

吉 崎 一 美 1. ヴ ァ ナ ラ ト ナ の 生 涯 13世 紀 初 頭 に ヴ ィ ク ラ マ シ ー ラ 寺 が 壊 滅 した 後 も、 イ シ ド に は 密 教 の 法 灯 が わ ず か に 保 た れ て い た 。 本 稿 で 取 り 上 げ る ヴ ァ ナ ラ ト ナVanaratna (Nags-kyirin-chen) は14世 紀 後 半 に 東 イ ン ドで 生 ま れ 、 ス リ ラ ン カ や 南 イ ン ドで 修 行 した 後 に 、 しば しば ネ パ ー ル と チ ベ ッ トを 往 復 して 「最 後 の パ ン デ ィ ッ ト」 と 呼 ば れ た 。[Pal 1985: 37]は 、 ネ パ ー ル に 来 訪 し た イ ン ド僧 た ち の 中 で も、 そ の ネ パ ー ル の 仏 教 に 及 ぼ し た 影 響 の 点 で 、 彼 を ア テ ィ ー シ ャ と並 ぶ 重 要 人 物 と評 価 す る。 ヴ ァ ナ ラ トナ の 伝 記 は 、15世 紀 の ゴ エ 翻 訳 官 シ ョ ン ヌ ペ ー 葦Gos-lotsa-bagShonlnu-dpalに よ る デ プ テ ル ・ (1) ゴ ン ポDeb-thershon-po(青 冊 史) に 詳 し い 。 ヴ ァ ナ ラ トナ は シ ョ ン ヌ ペ-の 師 の 一 人 で も あ っ た 。 以 下 に そ の 英 訳([Roerich1976: 797-838]) に よ りつ つ 、 彼 の 生 涯 を 概 観 し よ う。 ヴ ァ ナ ラ トナ は 東 イ ン ドの 一 地 方 の 王 子 と して 生 ま れ た 。[Roerich 1976 : 797]は 、 そ れ を 東 ベ ン ガ ル の チ ッ タ ゴ ン地 方 に あ っ たSadnagaraと し て 、 彼 の 誕 生 を1384年 の こ と と す る 。8才 の 時 に 得 度 し、20才 で 正 式 に 出 家 し た 。6年 に わ た っ て ス リ ラ ン カ に 滞 在 し、 つ い で 南 イ ン ドの カ リ ン ガ 王 国 で 修 行 に 励 ん だ 。 そ れ か ら彼 は 観 音 の お 告 げ に 従 い 、 ネ パ ー ル を 経 て チ ベ ッ トに 向 か う。 彼 の チ ベ ッ ト到 着 は1426年 の こ と と さ れ る 。 しか し機 は 熟 せ ず 、 や む な く ネ パ ー ル に も ど り 、 ス ヴ ァ ヤ ン ブ ー の シ ャ ー ン テ ィ プ (2) ル に あ っ た ヴ ィ ハ ー ラ に 滞 在 し た 。 そ こ で 彼 は シ ャバ リ ・ワ ン ジ ュ グSa-ba-ridbah-phyugら か つ て の 師 た ち か ら カ ー ラ チ ャ ク ラ の 最 高 の 灌 頂 と

(2)

サ ン ヴ ァ ラ に 関 す る イ ニ シ エ ー シ ョ ン を 受 け た。 そ の 後 、 チ ベ ッ トか ら ブ ー タ ン に 至 り、1436年 に チ ベ ッ トに も ど る。 こ の 時 に は彼 の 名 声 は チ ベ ッ ト に 広 く行 き 渡 っ て い た 。 そ の 後 、 一 時 ネ パ ー ル に 向 か い 、1453年 に チ ベ ッ ト に も ど る 。 チ ベ ッ トに お け る ヴ ァ ナ ラ トナ は 金 剛 乗 仏 教 の 興 隆 に 尽 力 し、 と り わ け て も カ ー ラ チ ャ ク ラ と チ ャ ク ラ サ ン ヴ ァ ラ の 行 法 の 整 備 に は 大 き な 功 績 が あ っ た と さ れ る 。 ヴ ァ ナ ラ ト ナ の 晩 年 と 臨 終 は ネ パ ー ル に お い て で あ っ た 。 晩 年 の 彼 は、 「師 と 守 護 神 の 予 言 に 従 う て ネ パ ー ル に も ど り、 ゴ ー ヴ ィ チ ン ド ラGovi-candraの 庵 で 瞑 想 を 専 ら と した 。 ま た 彼 は そ こ で 大 成 就 者 ル ー イ ー パ や そ の 他 の 者 た ち に 会 い 、 喜 び に ひ た っ た 。 彼 は 常 に ネ パ ー ル の 乞 食 者 た ち を 支 援 し、 彼 ら に 食 べ 物 や 物 質 的 な 援 助 を した 。 ま た さ ま ざ ま な 教 え を 説 い て 、幸 運 な 者 た ち を 満 足 さ せ た 。85才 の 時 、す な わ ち 地 と雄 鼠 の 年(1468 年) の 第8月 に 、"私 は 兜 卒 天 に 行 く た め の 宴 会 を 催 す こ と に す る"と 述 べ て 、 ネ パ ー ル の す べ て の 王Ju-juと 乞 食 者 の 集 団 を 招 い て の 一 大 饗 宴 を 開 い た 。 そ の 後 、 第11月 に 至 る ま で 、 さ ま ざ ま な 不 思 議 な 現 象 が 見 られ た。 た と え ば 花 の 雨 が 降 り、 大 地 は 震 動 し、 彼 の 住 ま い の 内 に 虹 が か か る な ど し た 。 こ と に 第11月 の18日 に は 、 か の パ ン デ ィ ッ トが 説 法 して い る と 、 ミ ル ク の よ う な 白 い 液 体 が 流 れ て 来 て 、 彼 の 身 の 周 り を 包 み こ ん だ 。22日 の 深 夜 ま で 、 彼 は 弟 子 や(タ ン トラ の) 願 の 保 持 者 た ち と タ ン トラ の 饗 宴 を 催 し た 。 そ し て 深 遠 な 教 理 と 未 来 の 出 来 事 に つ い て 詳 し く予 言 し た 。 そ れ か ら 自 室 に 下 が る と、 い っ も の 瞑 想 用 の 座 具 に 金 剛 の 姿 勢 を 取 っ て 坐 り、 身 を 直 立 さ せ た ま ま 、 天 に 向 か う さ ま を 示 した 。 第23日 の 夜 に な って 、 人 々 が ラ ム ドー リRarn-dolliの 埋 葬 地(ス ヴ ァ ヤ ン ブ-の 仏 塔 の 丘 の 近 く に あ る) で 彼 の 火 葬 の 残 り物 を 運 ん で(集 め て) い る と 、 ネ パ ー ル の 国 中 が 大 き な 光 り に 包 ま れ 、 火 葬 の 薪 か ら上 が る 炎 の 先 端 は か ら み あ っ て 虹 と な り、 空 高 く立 ち 昇 っ た 。 そ し て 数 限 り無 い 偉 大 な 奇 跡 が 見 ら れ た 。 信 仰 心 の 薄 い ネ パ ー ル 人 で さ え 一 様 に 敬 度 な 思 い に 満 た さ れ 、 最 高 の 解 脱 の 有 り 様 を 共 有 し た か の よ うで あ っ た 」([Roerich 1976: 804]) と い う。 ネ パ ー ル に お け る V a n ar a t n a の 事 跡

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密 教 文 化 2. ネ パ ー ル で の ヴ ァ ナ ラ ト ナ ヴ ァ ナ ラ トナ が 滞 在 し た 「ゴ ー ヴ ィ チ ャ ン ドラ の 庵 」 は 、 パ タ ン市 の イ カ チ ェ ン ・ ト-ルlkhachen Toleに あ る ピ ン ト ゥ. バ ヒPintu Bahi(図 1: 1992. 3. 撮 影) に 比 定 さ れ る 。 こ の 仏 教 寺 院 の 正 式 な サ ン ス ク リ ッ ト

名 を 「ゴ ー ピ チ ャ ン ド ラ ・ ミ シ ュ ラ ・サ ン ス カ-リ タ ・ ゴ-ピ チ ャ ン ド ラ ・

マ ハ-ヴ ィ ハ ー ラGopicandra MiSra saIpskarita Gopicandra

Mahaviha-ra(ゴ ー ピ チ ャ ン ド ラ ・ ミ シ ュ ラ が 創 建 し た ゴ-ピ チ ャ ン ド ラ ・ マ ハ-ヴ ィ ハ ー ラ) 」 と い い 、 ゴ ー ピ チ ャ ン ド ラ ・ マ ハ-ヴ ィ ハ-ラ の 略 称 を 持 つ 。 伝 説 に よ れ ば 、 創 建 者 の ゴ-ピ チ ャ ン ド ラ ・ ミ シ ュ ラ は 、 ス ナ ヤ シ ュ リ ー ・ ミ シ ュ ラSunayasrl Misra(ス ナ ヤ シ ュ リ ー ・ ミ ト ラ と も い う) の 弟 子 で あ っ た 。 両 者 は と も に バ ラ モ ン の 出 身 で あ っ た と も い う 。 ス ナ ヤ シ ュ リ ー は 「カ ピ ラ ヴ ァ ス ト ゥ の 出 身 で 、 ス ヴ ァ ヤ ン ブ-ナ-ト 参 詣 の た め 訪 れ た ネ パ ー ル の 風 光 に 魅 せ ら れ 、 現 地 に 定 住 し た と 伝 え ら れ る 。 ま た 彼 は チ 図1ピ ン ト ゥ ・バ ヒ

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ベ ッ トに 行 き 、 多 額 の 布 施 を 得 た の で 、<6000万 ル ピ-を も っ て き た 人> (カ タ ン ジ ュ) の 名 で 知 られ て い る(図2: 1987, 8, 同 寺 本 堂 倒 壊 時 の 撮 影) 。 後 に ス ナ ヤ シ ュ リ ー は 、 パ タ ンの 北 の ア シ ョ-カ 仏 塔 の 隣 に ヤ ム ピ ー ・ バ ヒ(イ ・バ ヒ) を 建 立 し、 こ の 寺 の シ ャ ー キ ャ は 彼 の 末 商 で あ る と い わ れ る。 な おJ. K. ロ ッ ク は 、 ネパ-ル 系 の 資 料 か ら、 ヤ ム ピー ・バ ヒの 創 建 を12世 紀 後 半 と 推 定 して い る。 い っ ぽ う チ ベ ッ トの 史 料 に よ れ ば 、 ス ナ ヤ シ ュ リー は ミニ ャ ク訳 経 官 と と も に チ ベ ッ トを 訪 問 した の で 、 そ の 時 期 は12世 紀 前 半 と 考 え ら れ る。 し た が っ て ス ナ ヤ シ ュ リー が チ ベ ッ トか ら帰 国 後 、 イ ・バ ヒ を 建 立 した と考 え れ ば 、 つ じ つ ま が 合 う よ う に 思 わ れ る 」([田 中 ・(吉 崎) 1998: 27]) 。 ヤ ン ピ ー ・バ ヒ と ピ ン ト ゥ. バ ヒ は と も に パ タ ン の 北 に 位 置 し、 相 互 の 距 離 も近 い 。 チ ベ ッ トと の 深 い 関 係 を 考 慮 す れ ば 、 ヴ ァ ナ ラ トナ が こ の 寺 を 晩 年 の 滞 在 先 と し た 理 由 の 一 端 が う か が え よ う。 ヴ ァ ナ ラ トナ の 著 作 の 少 な く と も2っ の 奥 書 き に 、 こ の 寺 の 名 が 見 られ る 。

(1) Lokesvara-stotra-ratnamala(北 京 版No. 4844、 デ ル ゲ 版No. 1174の タ イ トル はLokesvara-ratnamala-stava-nama). そ の 奥 書 き に 、 「Ind. 東 部 の 大 班 抵 達Nags-kyi rin-po-che(Vanaratna)造 。 か の 同 じ大 学 者 の 御 前 で 、 比 丘Rgya-mtshohii sde(Sagarasena) がNepalの 大Ye-rah-gi groh-khyerの 辺 り のDpal Govicandraの 大 伽 藍 に お い て 訳 し た 」([大 谷 大 学1983: 1-6, 951]) と あ る。Ye-rahは パ タ ン の こ とで あ り、gron-khyer 図2 スナ ヤ シュ リー・ミ シュラ(力 タ ンジュ) ネ パ ー ル に お け る Vanaratna の 事 跡

(5)

密 教 文 化 はatown or cityを 意 味 す る。 (2) Trayodasatmaka-srl-cakrasarpvara-mandalopayika(北 京 版No. 4651, デ ル ゲ版 欠). そ の 奥 書 き に 、 「こ れ は 一 切 の 方 処 に お け る 勝 利 の 有 徳 者 Bsod-nams rgya-mtshohi sde(Punyasagarasena) がKusumbhaのkapa-raの 花 を も っ て 命 ぜ ら れ た の でRje-grub-paな る 自 在 者 の 従 者 と な っ て

い るGshon-nu dpal(Kumarasri) と い う もの がLj ah-phuの 庵 に お い て 訳 し た 。 後 に そ の 同 じ大 訳 官 が 班 抵 達 自 ら の お ん 前 に て 校 正 す べ し と 言 わ れ て 、Rje-btsun dam-pa yab-srasの 教 誠 に よ っ てHtsho-bahi rgyal-khamsの 人 、Bsod-nams rgya-mtshohi sdeがNepalのYe-rah-gi groh-khyerのDpal Govicaptraの 大 伽 藍 に お い て そ の 同 じRje-grub-paな る 自 在 者 の 前 に て 詳 細 に 聞 い て 疑 問 を 決 し校 正 した 」([大 谷 大 学1981: I-5, 881]) と い う。 そ れ に 先 行 す る 北 京 版No. 2204(デ ル ゲ版No. 1489) の 同 一 テ キ ス トの 奥 書 き に は 、 「Dpal vana-ratna造 。 こ れ は 一 切 の 宗 よ り勝 れ た 具 慧 海 徳 の 部 がSumbhaのKapara華 を 具 して 策 励 した の で 尊 貴 な る 者 の 自 在 性 の 所 生 な るGshon-nu dpal(Kumarasrl) と 云 わ れ る 者 がLjah-phu な る 吉 祥 の 隠 舎 に お い て 訳 し た 」([大 谷 大 学1965: I-1, 82]) と あ る 。 ソ ナ ム ・ギ ャ ム ツ ェ ・デ ーBsod-nams rgya-mtshohi sde(具 慧 海 徳 の 部) は 、 青 冊 史 の 著 者 で あ っ た シ ョ ン ヌ ペ ーGshon-nu dpalと 師(ヴ ァ ナ ラ トナ) を 同 じ くす る 兄 弟 弟 子 で あ っ た 「大 翻 訳 家 」 の ソ ナ ム ・ギ ャ ム ツ ォ で あ ろ う 。 青 冊 史 に は 、 ヴ ァ ナ ラ トナ に 続 い て 彼 の 伝 記 が 付 け 加 え ら れ て い る([Roerich 1976: 805-838]) 。 そ れ に よ れ ば 、 彼 は ヴ ァ ナ ラ トナ を 「父 」 と 仰 ぎ 「神 」 と して 仕 え た 一 番 弟 子 で あ っ た 。 ヴ ァ ナ ラ トナ の 法 錘 に あ っ て 、 彼 は そ の 解 説 者interperterと して も活 躍 し た 。 上 記(1)(2)の 奥 書 き か ら、 彼 も 師 に 同 行 して ネ パ ー ル に 滞 在 して い た こ と が 知 られ る 。 ラ ム ドー リ(ラ ー マ ドー リ、 ラ マ ドー リ) は 、 カ トマ ン ズ 旧 市 街 か ら西 に ス ヴ ァ ヤ ン ブ ー へ 向 か う 途 中 の ヴ ィ シ ュ ヌ マ テ ィ ー川 の 対 岸 、 ヴ ィ ジ ェ ー (3) シ ュ ワ リー 寺 院 の 下 、 シ ョ ー バ ー ・バ ガ ヴ ァ テ ィ ー の 霊 場 の 隣 に あ る(図 3、4: と も に 東 豊 久 氏1999. 2. 撮 影)。 今 は カ ル ナ デ ィ ー プ 、 あ る い は カ

(6)

ラ ビ ル ・マ マ-ン(カ ラ ヴ ィ-ラ ・シ ュ マ シ ャ ー ナ の 誰 り) と 呼 ば れ 、 チ ベ ッ ト人 ら に は ヴ ァ ー ラ ー ヒ-の 火 葬 地 と 呼 ば れ る こ と も あ る。18世 紀 ま で は タ ン トラ の 行 者 た ち の 重 要 な 拠 点 で あ っ た と い う([Dowman 1981: 227-228]) 。 図3ラ ム ド-リ 遠 景 図4ラ ム ド-リ 火 葬場 ネ パ ー ル に お け る Vanaratna の 事 跡

(7)

密 教 文 化 3. ヴ ァ ナ ラ ト ナ(?) を 描 く 絵 画 さ て ピ ン ト ゥ ・バ ヒ に は 、 ヴ ァ ナ ラ トナ の ネ パ ー ル で の 事 跡 を 描 い た 絵 画 が 伝 え られ て い た 。 そ の 絵 は 今 は ロ サ ン ゼ ル ス 郡 立 美 術 館Los Angeles County Museum of Artに 所 蔵 さ れ て い る(図5)。 ま た そ の 絵 の 模 写 が

ベ ナ レ ス の バ-ラ ト ・カ ラ ー. バ ヴ ァ ンBharat Kala Bhavanに あ る(図 6: 図5お よ び6は[Pal 1978]plates 7 and 8よ り 転 載 し た)。[Locke 1985: 207-209]は 、 「こ れ らの ポ ウ バ ー(banner paintings) は 、 ま こ と に 異 例 な こ と に 、 ヴ ァ ナ ラ トナ の 実 際 の 肖 像 画 と な っ て い る 。 そ の ひ と っ は ゴ ー ピ チ ャ ン ド ラ ・ ヴ ィ ハ ー ラ で の ヴ ァ ナ ラ トナ の 死 後(ま も な く) に 描 か れ た 。 そ の 銘 文 に は 、 彼 の 事 跡 と と も に 、 そ の 没 年 は ネ ワ ー ル 暦589 年(西 暦1468年) で あ っ た こ と が 記 さ れ て い る 。 こ れ は チ ベ ッ ト の 記 録 (青 冊 史) と も 一 致 して い る 。 第2の 絵 は 、 ネ ワ ー ル 暦982年(西 暦1862年) に 、 オ リ ジ ナ ル 絵 画 の 正 確 な 模 写 と し て 製 作 さ れ た 。 そ れ は オ リ ジ ナ ル 絵 図5ロ サ ンゼ ル ス郡 立 美 術 館 所 蔵 絵

(8)

画 が 歳 月 と と も に 色 あ せ て 破 損 して し ま っ た か ら で あ る。 両 の 絵 画 に 見 ら れ る銘 文 は 、 ネ ワ ー ル 暦575年 に ゴ-ヴ ィ(マ マ) チ ャ ン ド ラ ・マ ハ-ヴ ィ ハ-ラ の シ ュ リー ・ ヴ ァ ナ ラ トナ パ ー(パ -は 尊 称) が、 多 数 の 苦 行 者 や サ ド ゥ ー の 者 た ち に 穀 物 の 布 施 を 行 っ た と 記 す 。 ネ ワ ー ル 暦 588年 に 、 彼 は 再 び 、 総 勢1590 人 の 者 た ち に 盛 大 な 布 施 を 行 っ た 。 ネ ワ-ル 暦589年 の マ-ル ガMarga月 の 黒 分 第7日 に 、 シ ュ リー ・ヴ ァ ナ ラ トナ パ ー は 仏 陀 の 境 地 を 獲 得 し た 。 模 写 さ れ た 絵 画 の 銘 文 に は 数 行 が 付 け 加 え られ て お り、 そ こ に は ネ ワ ー ル 暦982 年 に 、 ブ ラ フ マ ・チ ャ ル ヤ ー比 丘 の シ ュ リ-・ バ ンナ ラ シ ンBhannarasim と 他 の 者 た ち 、 ゴ ー ヴ ィ チ ャ ン ド ラ ・マ ハ ー ヴ ィ ハ-ラ の サ ン ガ の 全 員 が 、 新 た な 絵 画 を 製 作 し、 完 成 の 清 め を し た と 語 られ て い る(ロ ッ ク 註: オ リ ジ ナ ル の 絵 画 の 銘 文 は か な り磨 滅 して お り、 そ の 複 写 が 製 作 さ れ た 当 時 に は す で に 消 え か け て い た も の と 思 わ れ る 。 そ れ で 判 読 困 難 な 部 分 は 、 双 方 と も に 不 明 瞭 で あ る) 。 不 思 議 な こ と に 、 現 在 の ピ ン ト ゥ ・バ ヒ に は 、 こ の 有 名 な イ ン ドの パ ン デ ィ ッ トに つ い て の 言 い 伝 え が 何 も残 され て い な い。 け れ ど も百 年 を わ ず か に 越 え る 昔 に は 、 彼 は 依 然 と して よ く知 られ 、 尊 敬 さ れ て い た の で あ る 」 と い う 。 こ の 銘 文 は[Pal 1985: 236-237]に 転 写 さ れ て お り 、 あ わ せ て そ の 要 約 と 解 説 も な さ れ て い る 。 ま ず そ れ を 紹 介 し よ う。

<Vanaratna's

Wife Distributing

Alms>P15

(M. 77. 19. 3) Inscription

図6バ ー ラ ト・カ ラ ー ・バ ヴ ァ ン 所 蔵 絵 ネ パ ー ル に お け る Vanaratna の 事 跡

(9)

[1]

[sreyol 'stu I samvat

575 thva

[samva] chalasa

sri govicha

[ndra mahaviha xxxxx Sri va] naratnapa [syam]

ke dana yaria tapsi

j arigama brahmana

[x] to [xx] thva

[xx]

dvako ke [xx]

j uchi 1

dhare pradesi j ogi kusally a jogi [ju]

[2]

[gini xxxxxxx ke xx] chi 1 dhare [xxx ha(?) pha xxxxxxx

dh-vako, x] ku [x j ul chi 1 dhare j urorn udayana astamatvam

dhare

[x

xx bu] dana yang jurom II sreyo' stu I samvat

[x] 88 [xx] na sukla a

[3]

[xxxx] thau kapila dine vi [sakha]

na [kshatre bra x yo ] ge

[budha vasare xxx] kohnum Sri vanaratnapa

[syam.] dana yaria ya

[pa(?) xx] ntri patapurana

ke [pham]

dakshina derma chi 1

[dha] re

jurom I sarvasamga

saka [la x] dvalachivo nya

[4]

sara

[xxxx] vo 1 [x] 90 dvatam

jurom I [sreyo' stu samvat

xxx ma] rgasi [ra] kri [shna]

saptamyamtithau

purvaphalguna

nak-shatre ayushmana

yoge somavasare

[x] nu rasi gate savitari sim [ha]

-rasigate cha [ndra]

[5]

masi [xx] tesa [Sri vanaratna

xxxxx juva diva jurom]

I [xxxx

gal to graho [nal ga care ma [x] site [ma xx], sapta [x] bhagabhe

[x

sa] kara dine yoge sadayu [xl ti [nail sabde' [x] lajava [cha(?) ko(?)

-xx] krito gatva

[6]

su [xxxxxx Sri xxx]....

<要 約> [1]575年(西 暦1455年) に、 ヴ ァナ ラ トナ パ-は ゴ ー ヴ ィ チ ャ ン ド ラ 僧 院 に 住 ま い な が ら、 苦 行 者 、 シ ヴ ァ教 徒 の 行 者 、 ブ ラ フ マ ン、 お よ び 在 家 の 者 た ち に 穀 物 の 布 施 を 行 っ た 。 贈 り物 は 、 日 の 出 か ら 日 没 ま で 、 や っ て 来 た 全 員 に な さ れ た 。 [2]再 び588年(西 暦1468年) の シ ュ ラ ー ヴ ァ ナ 月(7月 か ら8月 に か け て) の 白 分 の 第8日 水 曜 日 に 、 [3]ヴ ァ ナ ラ トナ パ ー は 、 す べ て の 僧 院 組 織 に 布 施 を 行 っ た 。

(10)

[4](そ れ は) 1590人 よ り成 る も の で あ っ た 。 そ の 翌 年(1469年) の マ ー ル ガ シ ー ル シ ャ月(11月 か ら12月 に か け て) 黒 分 の 第7日 の 月 曜 日 に 、 [5]ヴ ァ ナ ラ トナ パ ー は 仏 陀 の 境 地 を 得 た 。 4. 絵 画 の 解 釈 に つ い て 解 説 に お い てPalは 、 「お そ ら く こ の 絵 画 は 、 ヴ ァ ナ ラ トナ の 家 族 の 者 が 彼 の 死 に 際 し て 奉 献 し た も の で あ ろ う。 ヴ ァ ナ ラ トナ の 惜 しみ の な い 行 為 は 、 チ ベ ッ トの 歴 史 書 で あ る 青 冊 史 に も知 ら れ て い る。 しか し な ぜ 銘 文 が こ の 二 っ の 特 別 な 布 施 行 を 記 録 す る の か は 明 ら か で な い 。1468年 に 催 さ れ た 出 来 事 は ま さ に 一 大 行 事 で あ っ た で あ ろ う。 な ぜ な ら そ れ に は1590人 も の 人 々 へ の 贈 り物 が あ っ た か らで あ る。<す べ て の 僧 院 組 織>と は、 ゴー ヴ ィ チ ャ ン ド ラ 寺 院 に 所 属 す る 出 家 と 在 家 の 集 団 を 意 味 す る の か 、 別 の 僧 院 に 所 属 は す る も の の 何 か 特 別 な 組 織 に 関 係 し た 信 者 た ち の コ ミ ュ ニ テ ィ を 指 す の か も全 く不 明 で あ る。 贈 り物 を 受 け 取 る 修 行 者 の グ ル ー プ に つ い て 見 れ ば 、 最 も興 味 深 い の は ジ ャ ン ガ マjahgamaと ク シ ャ リkusaliの ヨ ー ギ ン た ち で あ る。 ジ ャ ン ガ マ は 今 日 で は バ ク タ フ. ル の シ ヴ ァ 教 諸 寺 院 mathaを 運 営 す る諸 家 族 の カ ー ス ト ・ネ-ム の ひ と っ で あ る が 、11世 紀 の イ ン ドで は 、 シ ヴ ァ教 の 中 で も リ ン ガ ー ヤ タ派 に 属 す る 新 参 の 僧 を 意 味 し て い た([Slusser 1982: 1-235, n. 83])。15世 紀 に は、 ク シ ャ リ は 、 そ の 奇 怪 な 宗 教 儀 礼 で 知 ら れ た 遊 行 の シ ヴ ァ教 苦 行 者 カ ー パ-リ カKapalika の メ ン バ-で あ っ た 。 今 日 で は 彼 ら は も は や 遊 行 す る苦 行 者 で は な く、 ク サ レKusale、 ク ス レKusle、 あ る い は ジ ョ ギJogiと 呼 ば れ る ネ ワ ー ル の 不 浄 と さ れ る カ ー ス トの 一 族 で あ る([Slusser 1982 11-366]) 。 絵 画 で は 、 画 面 左 方 の 三 人 の 半 裸 の 男 た ち の グ ル-プ が ジ ャ ン ガ マ と ク シ ャ リを 表 現 す る の で あ ろ う。 し か し彼 ら は ア イ デ ン テ ィ フ ァ イ し が た い 。 ヴ ァ ナ ラ ト ナ の 気 前 の 良 い 行 い は 仏 教 徒 に 対 し て の み に 限 定 さ れ た の で は な く、 そ れ は す べ て の カ ー ス ト と宗 教 の 人 々 に 及 ん だ の で あ っ た 」 と い う。 ネ パ ー ル に お け る Vanaratna の 事 跡

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密 教 文 化

ま た[Pal 1985: 211]は

、 画 面 のや や 右寄 り に ひ と きわ 大 き く描 か れ

た像(左 手 に蓮 華 を持 ち 、集 ま った者 た ち に布 施 を して い る) を ヴ ァナ ラ

トナの 妻 と比 定 し、 そ の妻 が 「

彼 の死 後 、 夫 を記 念 して 、 彼 が 生 前 に行 っ

た布 施 の伝 統 を 継 続 さ せ た」 の で、 「この絵 画 は、 死 者 を 讃 え て 執 り行 わ

れ る、 葬 儀 後 の 追 善 儀 礼 シ ュ ラー ダsraddhaの

時 に描 か れ た ら しい 」 と

もい う。 さ らに 「彼 は ネ パ ー ル の女 性 と結 婚 した(つ

ま り彼 は独 身 の 修 行

僧monkで

はな い)

」 と主 張 し、 「ヴ ァナ ラ トナ の妻 の 肖像 は明 らか に理 想

化 され て お り、 彼 女 は(画 中 の人 物 像 で) 最 大 で あ るば か りで な く、 そ の

左手 の 蓮華 に よ って 、 画 家 は彼 女 を タ ー ラー女 神 に も比 定 して い る」 と指

摘 す る。

な お ロサ ンゼ ル ス郡 立 美 術 館 の オ リジナ ル の絵 画 とバ ー ラ ト ・カ ラ-・

バ ヴ ァ ンの コ ピー との 問 に は、細部の意匠や時代 の表現様式 の点 でい くつ

もの相 違 が認 あ られ るが 、 最 も顕著 な違 い は、 前 者 が本 来 の絵 画 の下 半 分

の み を伝 え て い る こ とで あ る。 そ れ に対 して19世 紀 の模 写 は そ の上 半 分 も

伝 え残 して い る。 後 者 の 上 半 分 に は、 カ ナ カ ム ニ仏 の座 像 を 中央 に、 左 右

に は各 二 人 の比 丘 が立 ち並 び、 上 方 右 に は二 尊 の如 来 座 像 、 同 じ く左 に は

二 人 の成 就 者 シ ッ ダが坐 る。 画面 の諸 方 に八 吉 祥 ア シ ュ タ ・マ ンガ ラ とお

ぼ しき模 様 が 見 られ る。[Pal 1978: II-80]は

、 上 下 が全 く異 な る タ イ プ

の ポ ウバ ー の 「

上 半 分 は神 聖 な世 界 を描 き、 それ に対 して 下 半 分 は地 上 の

領 域 を 表 現 し、 そ こで は ヴ ァナ ラ トナ の妻 が 乞 食 者 や 宗 教 者 た ち に贈 り物

を配 って い る」 と記 して い る。

同 様 に[Gautam

1987: 31]も 、 下 半 分 の 情 景 は 「今 日 の カ トマ ン ズ

の路 上 で も見 られ る よ うな 日常 生 活 の ス ケ ッチ 」 で あ るが 、 そ の 完 成 度 は

高 く、 オ リジ ナル の 絵 画 が本 来 の上 半 分 を 失 って い るに して も、 後 世 の模

写 と比 較 しな けれ ば 、 ほ とん ど それ に気 が っ か な い ほ どで あ る とす る。 彼

はPalの 解 説 を 補 足 し批 判 す る。[Gautam

1987: 33]は 、 そ の 絵 画 の 解

釈 に つ い て、 最 初 の 布 施 行 か ら 「13年後 の ネ ワ-ル 暦588年(西

暦1468年)

に彼 は再 び布 施 の セ レモ ニ ー を行 った。 この セ レモニ ーの5ヵ 月 後 の ネ ワー

(12)

-96-ル 暦589年(西 暦1468年 、1469年 で は な く) に ヴ ァ ナ ラ トナ は 亡 くな り 、 仏 陀 と な っ た 」 の で あ り、 「ベ ナ レ ス の 絵 画 の 上 部 に 描 か れ た カ ナ カ ム ニ 仏 の 像(も と も と は ロ サ ン ゼ ル ス の 絵 画 に も描 か れ て い た) は 、 布 施 と い う 宗 教 行 為 を 繰 り 返 し た 結 果 と して 仏 陀 の 境 地 を 獲 得 し た ヴ ァ ナ ラ トナ 自 身 を 表 し て い る」 の で あ る と して 、 そ れ は 「天(特 に 青 冊 史 に 説 か れ た 兜 卒 天) へ の ヴ ァ ナ ラ ト ナ の 旅 立 ち を 描 写 す る も の ら し い 」([Gautam 1987: 38]) と も す る 。 ま た 彼 はPalが ヴ ァ ナ ラ トナ を 在 家 者 と す る こ と に 対 して 、 こ の 時 代 の タ ン ト ラ仏 教 徒 が 出 家 の 僧 侶monkで あ る と 同 時 に、 女 性 の パ ー トナ-と と も に 秘 密 の タ ン ト ラ儀 礼 を 行 っ て い た こ と を 指 摘 す る。 そ して チ ベ ッ ト 資 料 の 彼 の 伝 記(青 冊 史) を 引 用 し て 、 ヴ ァ ナ ラ トナ が 僧 侶 で も あ り、 タ ン ト ラ の 行 者 で も あ っ た と主 張 す る。 確 か に ヴ ァ ナ ラ トナ は 「そ の 姿 に お い て 僧monk」 で あ り、 ま た 「尼 僧nunに 抱 か れ て 秘 密 の 歓 喜 に ひ た る 」 ([Roerich 1976: 818, 819]) 者 で あ っ た 。 そ れ で 「お そ ら く ヴ ァ ナ ラ ト ナ に は 、 現 実 の 生 涯 で ネ パ ー ル の 僧 院 に あ っ た 時 に 、 女 性 の 侍 者 が い た で あ ろ う」 と し て 、 「絵 画 中 に ひ と き わ 大 き く描 か れ て 布 施 を す る 女 性 こ そ が 彼 の パ ー トナ ー で あ っ た と 思 わ れ る 」([Gautam 1987: 36-38]) とす る。 た だ し こ の 「女 性 」 像 を ヴ ァ ナ ラ トナ の 「妻 」 と す る 説 は 必 ず し も 研 究 者 の 間 で 全 面 的 に 支 持 さ れ て い る わ け で は な い。[Alsop 1998]は 、 「私 の 見 解 で は 、 そ の 絵 は ヴ ァ ナ ラ トナ の く 妻>を 描 い た も の で は な い 。 銘 文 に そ の 妻 の こ と が 記 さ れ て い る と は信 じが た い 。 こ れ ま で の 研 究 者 は こ の 像 を 女 性 と 思 い 込 ん で き た よ う に 思 う。 実 の と こ ろ で は 、 そ の 像 は 菩 薩 の 姿 を し た 男 性 、 つ ま り ヴ ァ ナ ラ トナ 自身 を 表 現 す る の で は な い だ ろ う か 」 と い (4) う。 先 の[Locke 1985: 207-209]も こ の 意 見 を 支 持 し て い た 。 筆 者 は 今 の と こ ろ 、 そ の い ず れ で あ る か を 判 断 す る だ け の 根 拠 を 持 ち 合 わ せ て い な い 。 ネ パ ー ル に お け る Vanratna の 事 跡

(13)

密 教 文 化 5. 布 施 行 事 の 日 取 り さ て こ こ で 、 こ れ ま で 全 く研 究 者 の 注 意 を ひ く こ と が な か っ た テ-マ に つ い て 考 察 し よ う。 そ れ は銘 文 に 記 さ れ た 二 っ の 日付 に っ い て で あ る。 ひ と つ は シ ュ ラ-ヴ ァ ナ 月 白 分 第8日 で あ り、 も う ひ と つ は マ ー ル ガ シ ー ル シ ャ月 黒 分 第7日 で あ る。 そ れ ら が 現 在 の ネ パ ー ル の 仏 教 の 行 事 と何 らか の 関 連 を 持 っ と考 え る こ と は 、 決 し て 不 当 な 推 測 で は な い 。 な ぜ な ら、 た と え ば19世 紀 の 模 写 の 完 成 は 、 そ の 付 け加 え られ た 銘 文 に よ れ ば 、 シ ュ ラ ー ヴ ァ ナ 月 の 満 月 の 日 の こ と で あ る。 そ れ は カ トマ ン ズ盆 地 で 今 日 も行 わ れ て い る仏 教 寺 院 の 毎 年 の 寺 宝 公 開 行 事 バ ヒ ・ デ ィ オ ・ボ エ グBahi-dyah-boygu([吉 崎. (田 中) 1998: 212]参 照) の 中 心 日 に あ た る。 「明 ら か に こ の 新 し い コ ピ-は 、 ゴ-ヴ ィ チ ャ ン ド ラ寺 院 に 所 蔵 さ れ る 美 術 品 コ レ ク シ ョ ン の 例 年 の 展 示 の た め に 製 作 さ れ た の で あ る」([Gautam 1987: 42])。 同 様 に 二 っ の 日付 に は 、 今 日 ま で 論 じ ら れ ず に 放 置 さ れ て き た 重 大 な 意 味 が 隠 さ れ て い る 。 ネ ワ-ル 暦588年(西 暦1468年) の シ ュ ラ-ヴ ァ ナ 月 白 分 第8日 に 催 さ 図7カ トマ ンズ の サ ン ミ ャク に 参 列 す る 国 王

(14)

れ た ヴ ァ ナ ラ トナ の 布 施 は 、1590人 も の 人 々 を 対 象 に し た 大 規 模 な 行 事 で あ っ た 。 そ れ は 「85才 の 時 、 す な わ ち 地 と 雄 鼠 の 年(1468年) の 第8月 に 、 "私 は 兜 卒 天 に 行 く た め の 宴 会 を 催 す こ と に す る"と 述 べ て 、 ネ パ ー ル の す べ て の 王Ju-juと 乞 食 者 の 集 団 を 招 い て の 一 大 饗 宴 を 開 い た 」 と す る 青 冊 史 の 記 述 と 一 致 す る 。 絵 画 に は 、 布 施 を す る ヴ ァ ナ ラ トナ(ま た は 彼 の 妻) の 左 方 に 群 れ る 乞 食 者 た ち に 混 じ っ て 、 彼(彼 女) を 見 上 げ 、 そ の 注 意 を 引 こ う と す る か の よ う に 片 手 を 差 し出 す 、 王 と 思 わ れ る人 物 が 描 か れ て い る。[Gautam 1987: 38-39]は 、 こ の 像 が 当 時 の カ トマ ン ズ 盆 地(ネ パ ー ル) の 支 配 者 で あ っ た ヤ ク シ ャ ・ マ ッ ラ王 で あ る 可 能 性 を 示 唆 し 、 「ネ パ-ル の す べ て の 王 」 と は 、 マ ッ ラ 王 の ロ イ ヤ ル. フ ァ ミ リ-を 意 味 す る も の と解 釈 す る。 そ し て 彼 は 、 ヴ ァ ナ ラ トナ に よ る 布 施 の 行 事 が 、 今 も カ トマ ン ズ 盆 地 の ネ ワ-ル 人 仏 教 徒 に 伝 え ら れ る サ ン ミ ャ クSamyak と い う布 施 行 事 の 最 初 期 の 例 で あ っ た と 推 測 し て い る 。 力 トマ ン ズ 市 の サ ン ミ ャ ク に は 今 で も国 王 の 出 席 が 求 め られ て い る(図7: チ ニ ヤ・ タ ム ラ カ-ルChiniya Tamrakar氏1980. 1. 撮 影) 。 シ ュ ラ-ヴ ァ ナ 月 白 分 第8日 に は 、 パ ン チ ャ ・ ダ ー ンpaHca-danと 呼 ば れ る 布 施 行 事(図8: 1987. 8撮 影) が 、 ピ ン ト ゥ ・バ ヒ の あ る パ タ ン 図8パ タ ン の パ ン チ ャ ・ダ ー ン ネ パ ー ル に お け る V anarat a の 事 跡

(15)

密 教 文 化 市 で 開 催 さ れ る。 同 じ布 施 行 事 は カ トマ ン ズ市 と バ ク タ プ ル 市 で は 同 月 黒 分 第13日 に 行 わ れ る。 そ れ は こ の 日 が カ リ ・ユ ガ の 開 始 日 と さ れ 、 伝 統 的 に 仏 教 サ ン ガ へ の 布 施 が な さ れ る と さ れ る か ら で あ る。 パ ン チ ャ ・ ダ ー ン は 一 般 に 五 種 の 布 施(ダ ー ナ) と さ れ 、 そ の 五 種 の 施 物 と は 塩 ・米 ・ も み 釆 ・穀 物 ・硬 貨 で あ る と い う(語 源 論 に は 別 の 解 釈 が あ る: [吉 崎 ・(田 中) 1998: 219-220]) 。 信 者 は 家 の 前 に こ れ ら の 施 物 を 準 備 し 、 僧 の 来 訪 を 待 つ 。 熱 心 な 信 者 は 、 長 老 の 僧 た ち を 家 に 招 い て 布 施 を す るか 、 彼 ら の 待 っ 寺 な ど に 出 向 い て 布 施 を す る 。 サ ン ミ ャ ク(図911988. 2H撮 影) は パ ン チ ャ ・ダ-ン の 大 規 模 な 形 式 と考 え て よ い。 そ れ ゆ え に パ タ ン市 の パ ンチ ャ ・ ダ-ン の 歴 史 は ヴ ァ ナ ラ トナ ま で 遡 り得 る こ と に な る し、 ま た 逆 に ヴ ァ ナ ラ トナ の 布 施 は 、 ネ パ-ル の 仏 教 史 で は パ ン チ ャ ・ ダ ー ンや サ ン ミ ャ クの 視 点 か ら考 え る べ き も の な の で あ る 。 こ れ ら の 布 施 行 事 の 際 に 歩 き 出 す デ ィ-パ ン カ ラ仏 は 、 サ ン ミ ャ ク や パ ン チ ャ ・ダ-ン に 密 接 に 結 び っ い て い る 。 デ ィ-パ ン カ ラ仏 は そ れ ら の 起 源 を 物 語 る 伝 説 に 登 場 し、 実 際 の 行 事 で は 、 布 施 の 現 場 に 立 ち 会 う と と も に 、 ま た そ の 行 事 の 終 了 を 宣 言 す る 役 割 を 果 た す([吉 崎 ・(田 中) 1998: 219-223]) 。 こ の デ ィ-パ ン カ ラ 仏 の 伝 統 も ヴ ァ ナ ラ トナ の 当 時 に は す で 図9パ タ ンの サ ン ミ ャ ク

(16)

に成 立 して い た と思 わ れ る 。 ネ パ ー ル の 文 部 省 内 に あ る カ イ ザ-文 庫Kai-ser Library所 蔵 の ク リヤ ー ・サ ム ッ チ ャ ヤKriya-samuccaya写 本 の コ ロ フ ォ ン(実 際 に は 冒 頭f. laの ネ ワ ー ル ・ リ ピ に よ る 書 き 込 み) に は 、 ネ ワ ー ル 暦511年(西 暦1390年) カ ー ル テ ィ ク 月 白 分 新 月 の 日 付 と と も に 、 7体 の デ ィ ー パ ン カ ラ如 来 な ど が 遊 歴 行 進parikrama jatraを し た 旨 の 記 述 が あ る([Manandhar 1974: 101], cf. [Petech 1984: 153]) 。 ま た [Hemaraj NS. 1100: 18-19]に よ れ ば 、 ネ パ ー ル 暦502年 に カ トマ ン ズ 市 の イ ト ゥ ン ・バ バ に お い て デ ィ ー パ ン カ ラ 像 が 製 作 さ れ 、 ネ ワ ー ル 暦565 年 に は プ ラ チ ョ ー ・マ ハ ー ヴ ィ ハ ー ラ の 比 丘 が デ ィ ー パ ン カ ラ の 像 に 鍍 金 を 施 し た 。 ま た 同599年 に は パ タ ン市 の タ ・バ バ に お い て サ ン ミ ャ ク が 開 催 さ れ 、 シ ュ リー ・ヤ ン ピ ・ ト ゥ ー パ ・マ ハ-ヴ ィ ハ ー ラ の デ ィ ー パ ン カ ラ と 長 老 を は じ め と す る す べ て の サ ン ガmahadi6a-sarpghaが サ ン ミ ャ ク の 饗 宴bhojanaに 招 か れ た 。 19世 紀 の 模 写 の 上 半 分 に 描 か れ た カ ナ カ ム ニ 仏 と 四 比 丘 ・二 如 来 ・二 成 就 者 の 図 は 、 た と え そ の 従 来 の 解 釈 が ど う で あ れ 、 そ れ を い っ た ん 脇 に 置 い て 、 デ ィ ー パ ン カ ラ 仏 の 登 場 す る サ ン ミ ャ ク や パ ン チ ャ ・ダ ー ン の 伝 説 か ら そ の 意 味 を 問 い 直 す 必 要 が あ る よ う に 思、わ れ る。 ヴ ァ ナ ラ トナ の 生 涯 に は 今 の と こ ろ カ ナ カ ム ニ 仏 と の 関 係 が 見 当 た ら ず 、 ま た ネ パ ー ル の 仏 教 伝 説 で さ ま ざ ま に活 躍 す る過 去 七 仏 の 中 で も、 こ の 仏 は あ ま り精 彩 の な い 地 位 に と ど ま っ て い る([Hemaraj NS. 1098: 50]ま た[Hasrat1970: 3-(5) 22]) か ら で あ る 。 6. サ ン ヴ ァ ラ 尊 出 現 の 第10日 次 に 、 ヴ ァ ナ ラ トナ が 亡 く な っ た と さ れ る マ ー ル ガ シ ー ル シ ャ(モ ン シ ー ル 、 あ る い は 単 に マ ー ル ガ と も い う) 月 黒 分 第7日(月 曜 日) の 意 味 を 考 え て み よ う。 ス ヴ ァ ヤ ン ブ ー ・プ ラ ー ナ の 第3章 に は 、 ウ パ チ ャ ン ドー ハ と も ヒ マ ー ラ ヤ と も 呼 ば れ た カ トマ ン ズ 盆 地 が ヘ ー ル カ ・マ ン ダ ラ の 形 態 ネ パ ー ル に お け る Vanaratna の 事 跡

(17)

密 教 文 化 を と っ て 現 れ て い た 時 に 、 「ま た そ こ に 、 吉 祥 根 本 カ ガ ー ナ ナ ー 大 女 神 が 能 起 法(ダ ル モ ー ダ ヤ) よ り生 じ て 、 世 の 人 々 の た め に と ど ま っ た 。 そ れ を 見 て 、 か の 大 行 者 で 大 神 通 者 の 文 殊 天 菩 薩 大 士 は 、 大 層 喜 ん だ 。(中 略) この よ う に か の 知 恵 者(文 殊) は サ ンバ ラ女 に 請 願 して 、 か の 女 神 へ の 信 愛 に よ っ て 自 体 を き よ め 、 崇 拝 せ ん こ と を の ぞ ん だ 。 そ の と き そ こ で 、 か の 阿 閣 梨(文 殊) は 夫 人 と と も に 喜 び 、 マ-ル ガ シ ー ル シ ャ(訳 者 は7-8月 と す る) の ク リ シ ュ ナ ・パ ク シ ャ(黒 月 、 黒 分 と 同 じ) の9日 ・日 曜 日 の 朝 、 沐 浴 して 身 体 を き よ め 、 浄 衣 を っ け て 清 浄 と な り 、 断 食 ・禁 戒 (サ ン ヴ ァ ラ) を 守 っ て 女 神 を 崇 拝 す る た め に と ど ま っ た 。 夜 の 不 眠 で ダ ラ ニ や マ ン トラ を 唱 え 、 讃 句 に よ っ て 賞 讃 し、 か の 勝 者 自 在 を 崇 拝 し た 。 そ の と き以 来10日 の 朝 、 か れ は 香 水 に て 歓 喜 ・沐 浴 し て 順 序 ど お り に 供 物 を 供 え て 、 三 輪 を 清 め 、 儀 軌 の と お り に そ の 最 高 自 在 女 神 に 供 養 し て 、 (中 略) か の 知 恵 者 は 歓 喜 し て 女 神 に 八 支 恭 礼 を し、 女 神 の 蓮 華 よ り 出 る 甘 露 を 三 度 合 掌 して 飲 ん だ 。 そ の 甘 露 を 飲 み 、 三 輪 を 清 め て 八 種 の 不 幸 を 解 放 し、 瞬 時 に 正 覚 を え た 。 こ う して か れ 阿 閣 梨 は 、 女 神 の 信 愛 を 最 後 の 依 り所 と し て た だ ち に 正 覚 を え て 、 一 切 法 の 主 と な っ た 」([氏 家1976: 31-32]) と い う。 ネ ワ-ル 仏 教 徒 は こ の 一節 を 解 釈 し て 、 第9日 の朝 に 「文 殊 菩 薩 は シ ャー ン タ ・テ ィ-ル タ(グ フ ェ ー シ ュ ワ リ-の 霊 場 に 隣 接 す る 。 グ フ ェ ー シ ュ ワ リ ー は カ ガ ー ナ ナ ー 女 神 の 別 名 で あ り、 ナ イ ラ ー トマ ー と 同 体 と さ れ る) で 沐 浴 し、 そ の 夜 に 女 神 の 示 現 を 得 た の で あ る が 、 さ ら に そ の10日 の 夜 の こ と と して<ヘ ー ヴ ァ ジ ュ ラ と い う名 の サ ン ヴ ァ ラ 尊 と ナ イ ラ ー トマ ー 女 神 と い う、 方 便 と 般 若 を 自 ら の 相 と す る 世 尊 と 女 尊 の 二 尊 が 出 現 し た>」 と す る。 そ して さ ら に 「菩 薩 は グ フ ェ ー シ ュ ワ リ ー の 穴 か ら 得 た 金 剛 水 で 灌 頂 を 受 け 、 タ ン トラ の 成 就 力 を 授 か っ た 。 そ れ で ネ ワ ー ル 仏 教 徒 は こ の 日 を く サ ン ヴ ァ ラ 尊 出 現 の 第10日>Samvarodaya-dasamiと 呼 ぶ 。 第9 日 の 夜 に は グ フ ェ ー シ ュ ワ リ-の 神 興 の 練 り歩 き(ジ ャ ト ラ と い う) が 始 ま る」([吉 崎1998: 123])。 「(グ フ ェ ー シ ュ ワ リ ー) 女 神 の 蓮 華 よ り 出 る

(18)

甘 露 」 に して 「グ フ ェ ー シ ュ ワ リ ー の 穴 か ら得 た 金 剛 水 」 を 、 チ ベ ッ ト仏 教 徒 は 「(ヴ ァ ジ ュ ラ) ヴ ァ ー ラ-ヒ-女 神 の 子 宮 の 羊 水 」 と 呼 ぶ こ と が あ る([Wylie 1970: 24, n. 58])。 い う ま で も な く ヴ ァ ジ ュ ラ ヴ ァ ー ラ ー ヒ ー は サ ン ヴ ァ ラ ・マ ン ダ ラ の 主 尊 サ ン ヴ ァ ラ の 明 妃 で あ る 。 ヴ ァ ナ ラ トナ が カ ー ラ チ ャ ク ラ系 密 教 の 相 承 者 で あ る と 同 時 に 、 有 力 な サ ン ヴ ァ ラ系 密 教 の 徒 で も あ っ た こ と は、 青 冊 史 に 見 ら れ る い く つ も の 記 述 か ら明 白 で あ る。 ヴ ァ ナ ラ トナ の 弟 子 ソ ナ ム ・ギ ャ ム ッ ォ は 、1465年 ア シ ュ ヴ ィ ニ ー 月 黒 分(チ ベ ッ・ト暦 第9月 の 第28日) に 、 悟 りへ の 第 四 段 階 と して 、24聖 地 の24ダ ー キ ニ-が ヘ-ル カ と歓 喜 の 状 態 に あ る ヴ ィ ジ ョ ン を 体 得 し、 身 体 の24の 脈 官nadiを 統 御 した 。 続 く第 五 段 階 の ク リカ ・カ ー ル テ ィ ヵ 月 黒 分(チ ベ ッ ト暦 第10月 の 第26日) に、 父(ヴ ァ ナ ラ トナ、 ヴ ァ イ ロ ー チ ャ ナ ・ ヴ ァ ジ ュ ラ) と 母(ヴ ァ ジ ュ ラ ・ タ ー ラ ー 、 そ の 第 三 段 階 で 母 は 「多 眼 」 の ヴ ァ ジ ュ ラ ヴ ァ ー ラ ー ヒ ー と 明 か さ れ て い る) を 前 に し て 、 息 子(ソ ナ ム ・ギ ャ ム ッ ォ) は 自分 が 彼 ら に ほ か な ら な い と 知 る。 そ して 第11月 の 黒 分 の 第23日 に は 、 父 は 尼 僧 と抱 擁 して 秘 密 の 歓 喜 に ひ た る 姿 を 彼(ソ ナ ム ・ギ ャ ム ッ ォ) と そ の 友 デ ィ ー パ ン(お そ ら く は 彼 の 女 性 パ ー トナ ー) に 示 し た 。 こ れ が 第 六 の 段 階 で あ っ た 。 第 七 段 階 の 第12月 の 満 月 に は、 ヴ ァ ナ ラ トナ は 彼 を サ ン ヴ ァ ラ の13尊 マ ン ダ ラ に い ざ な い 、 サ ン ヴ ァ ラ尊 の17文 字 の マ ン トラ を 授 け た 。 そ れ か ら彼 は ス ヴ ァ ヤ ン ブ ー の 仏 塔 に 向 か い 、 シ ャ-ン テ ィ プ ル ・ヴ ィ ハ-ラ で 「祖 父 」 に あ た る シ ャバ リ の 祝 福 を 受 け 、 外 境 が 融 解 し て 甘 露 と な っ た と 歌 っ た と い う([Roerich 1976: 818-821])。 ア シ ュ ヴ ィ ニ ー(チ ベ ッ ト暦 第9月)、 カ ー ル テ ィ カ(同 第10月) に 続 く チ ベ ッ ト暦 第11月 は、 ネ パ ー ル 暦 の モ ン シ ー ル(マ ー ル ガ 、 マ ー ル ガ シ ー ル シ ャ) 月 に あ た る 。 ヴ ァ ナ ラ トナ の 死 は 、 こ の で き ご と の ち ょ う ど 三 年 後 の 第11月 の22日 深 夜 の こ と で あ っ た 。 第23日 の 夜 に 彼 は ラ ム ド ー リで 火 葬 さ れ た 。 ネ ワ ー ル 仏 教 側 の 資 料 と な る 二 っ の 絵 画 の 銘 文 に あ る マ-ル ガ シ ー ル シ ャ(モ ン シ ー ル) 月 黒 分 第7日 は 、 そ の 月 の 白 分 を15日 と して 加 ネ パ ー ル に お け る Vanaratna の 事 跡

(19)

密 教 文 化 算 す れ ば 、 確 か に チ ベ ッ ト仏 教 側 の 資 料 で あ る デ プ テ ル ・ゴ ン ポ(青 冊 史) が 記 述 す る22日 に 一 致 す る 。 そ し て そ れ は ネ ワ ー ル 仏 教 が い うサ ン ヴ ァ ロ ー ダ ヤ ・ダ シ ャ ミ の3日 前(ラ ム ドー リで の 火 葬 は そ の2日 前) に あ た る こ と に な り、 グ フ ェ ー シ ュ ワ リ-女 神 の ジ ャ ト ラ(第9日 夜) を は さ め ば 、 ヴ ァ ナ ラ トナ の 死 か ら サ ン ヴ ァ ロ ー ダ ヤ ・ ダ シ ャ ミ は 一 連 の 流 れ と な る。 シ ャ ー ン テ ィ プ ル の 本 尊 は 等 身 大 の ヘ ー ル カ/チ ャ ク ラ サ ン ヴ ァ ラ尊 と 妃 の ヴ ァ ジ ュ ラ ヴ ァ ー ラ ー ヒ ー 女 神 で あ る 。 筆 者 は 別 の 視 点 か ら こ れ を13 尊 の サ ン ヴ ァ ラ ・マ ン ダ ラ と 推 測 し て い る([吉 崎 1999: 258]参 照) 。 ソ ナ ム ・ギ ャ ム ツ ォ は 、 ゴ ー ヴ ィ チ ャ ン ド ラ ・マ ハ ー ヴ ィ ハ ー ラ に お い て 、 師 ヴ ァナ ラ トナ を 前 に して 師 の13尊 チ ャ ク ラ サ ン ヴ ァ ラ. マ ン ダ ラ に 関 す る 著 作 を 再 校 訂(北 京 版 No. 4651) して い た 。 そ れ は先 の 記 述 か ら1465年 の こ と で あ っ た と思 わ れ る 。 ヴ ァ ナ ラ ト ナ の 思 想 は ま だ 十 分 に 解 明 さ れ て い な い が 、 そ の 影 響 は ネ パ-ル の サ ン ヴ ァ ラ 系 密 教 に お い て 多 大 で あ っ た こ と が 予 想 さ れ る。 <註> (1) シ ョ ン ヌ ペ ー は ま た 「具 吉 祥 上 師 林 寳 七 讃

』Srlmad-guru-vanaratna-stotra-saptaka. Dpal-ldan bla-ma nags-kyi rin-chen-gyi bstod-pabdun-pa。

(北 京 版 No. 5044, デ ル ゲ 版 No. 1177) の 翻 訳 者 で も あ る 。 そ の 作 者 は 「Magadha

国 出 身 の す ぐ れ た 優 婆 塞Ni-ma-pa(Suryapada) 」([大 谷 大 学 1983: 1-6, 1009])

で あ る 。 彼 は デ プ テ ル ・ ゴ ン ポ に 引 用 さ れ た 南 イ ン ドの 大 パ ン デ ィ トMihi

ni-ma (Naraditya) と は 別 人 ら し い 。 後 者 に よ る ヴ ァ ナ ラ トナ 賞 賛 の 偶

文([Roe-rich 1976: 798]) の チ ベ ッ ト語 訳([Chandra 1974: 701-702]) は こ の 『七 讃 』

に 一 致 し な い 。

(2) 18世 紀 の チ ベ ッ ト僧 の 記 録([Macdonald and Rin-po-che 1987: 114]) に

よ れ ば 、 こ の 時 期 に ヴ ァ ナ ラ ト ナ は 一 時 的 な が ら も タ ン ・バ バ に 滞 在 し た と い う。

ま た そ の 記 録(pp. 115-116) に は 、 彼 の ネ パ ー ル で の 事 跡 に っ い て 、 デ プ テ ル ・

ゴ ン ポ に は 見 ら れ な い 記 述 が あ る 。

(3) ラ ム ド ー リの 位 置 を カ トマ ン ズ と パ タ ン の 中 間 と す る 見 解 も あ

る([Macdo-nald and Rin-po-che1987: 116]) が 、[Dowman 1981: 227]は 、 そ れ を 誤

(20)

(4) [Locke 1985: 496, n. 15]に 予 告 さ れ た 、 ヴ ァ ナ ラ ト ナ に 関 す るIanAlsop の 近 刊 予 定 の 論 文 は 残 念 な が ら未 刊 の ま ま で あ る 。

(5) カ ナ カ ム ニ は ま た ナ-マ サ ン ギ ー テ ィ の 「12文 字 」 信 仰 と も 結 び 付 け ら れ て 知

ら れ る([Macdonald and Rin-po-che 1987: 107]) 。

〈 参 考 文 献 〉 氏 家 昭 夫1976「 ス ヴ ァ ヤ ン ブ-生 起 の 物 語<Svayambhu-Purapa>の 解 説 な ら び に 第 一 章-第 三 章 和 訳 」 「高 野 山 大 学 論 叢 』 第11巻pp. 1-39. 大 谷 大 学 図 書 館1965『 大 谷 大 学 図 書 館 蔵 西 蔵 大 蔵 経 丹 殊 爾 勘 同 目 録 』I-1. 1981同I-5. 1983同I-6. 田 中 公 明 ・吉 崎 一 美1998『 ネ パ ー ル 仏 教 』 春 秋 社. 吉 崎 一 美1998「 ヴ ィ ル-パ-ク シ ャ と カ ガ ー ナ ナ-」 「密 教 文 化 』 第201号pp. 120_140, (1)-(21). 1999「 ス ヴ ァ ヤ ン ブ-の 年 中 行 事 」 「チ ベ ッ ト密 教 』(立 川 武 蔵 ・頼 富 本 宏 編/シ リ ー ズ 密 教 第2巻) pp. 253-272. 春 秋 社.

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Roma XL II.

<キ-ワ ー ド>

ネ ワー ル 仏 教 、 サ ン ヴ ァ ラ 系 密 教 、Samyak行 事 、Samvarodaya-dasami、

参照

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