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智山學報 第66 - 012片野 真省「強調する教化活動の可能性 ー悲しみを癒すためのアプローチー」

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事例研究

強調する教化活動の可能性

衾悲しみを癒すためのアプローチ 片野 真省 はじめに 大いなる海原に白い船が漂う。陽は高く紺碧の空から光を降りそそぐ。入り江 の向こうには岬が連なり、その丘の辺には白い墓が遥かに見え、深紅の花が岩の 間に咲いている。青い大海に白い波が立ち、その波音は水平線の彼方にまで響い ていくようである。そんな光景を謳った混声合唱曲がある。堀田善衛作詞、團伊 久磨作曲の「岬の墓」である。筆者が学生時代に出逢った作品だが、この合唱曲 の光景が、平成 28 年の夏に訪れた伊豆で海を眺めながらふと蘇り、しばし思い に耽り、気が付けば口ずさんでいた。海が見える丘にある墓。この墓には誰が眠 り、今もここにあるのか?……と。 そして、八木重吉作詞、多田武彦作曲の男声合唱組曲「雨」の中、最後に 「雨」という小曲がある。 雨のおとが きこえる 雨が降っていたのだ。 あのおとのようにそっと 世のためにはたらいていよう。 雨があがるように しずかに死んでゆこう。 たった 6 行の詩である。自然の只中でくり返される生の営み。生きとし生けるも のの営みはその一つ一つが尊く、そのいのちはかけがえのないものである。しか し、その小さな生の営みは、大自然の中で数限りなく存在し、それが幾重にも積 み重なってゆく。だから、くり返される無数のいのちの営みには何の意味も遺り はしないように、つい思えてしまう。 ところで、我々寺院のより所となる「無上甚深微妙の法」を受け継ぐ存在にと っては、人の死と埋葬・墓地の問題はこの現代社会において最も切実であろう。

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特に檀信徒の死の報を伝えられた瞬間より、葬送儀礼に意を尽くす使命を負うこ とになる。これまでに「散骨」「樹木葬」から「直葬」さらにはネットによる 「葬送儀礼の値付け」「派遣僧侶」など。およそこの四半世紀足らずで、葬送儀礼 と埋骨の事情は「あっ」という間に劇的に様変わりした。ただ、劇的に様変わり したと感じるのは、寺檀関係や死生観に無頓着なまま、今この状況を迎えている 寺院の側の事情である。「葬式は要らない」を冠した冊子を目にして、ただ苛立 ち怒るだけの僧侶たちの理由なき嘆きとも言える。そして、それは仏教の幾多の 祖師、先徳のおこぼれを頂いてきた成れの果てとも言えるだろう。果実は熟れて 地に堕ち、しかし、それは大地の恵みとなり、自然の循環に寄与できるのか。寺 院の本質的な役割と新しい寺檀関係の構築は、ここに至って、今まさに転換期の 最終章にある。 1. 寺檀関係の再構築への提案衾寺院の活性化は叶うのか? 少子高齢社会と人口減少は、現代日本社会において近い将来には避けられない 現実である。寺院と関わる檀信徒はこれから減少し、菩提寺の無縁墓地が増える のは周知の事実である。檀徒からの訃報によって、寺檀関係を維持するために必 要最小限で形式的な儀礼に明け暮れてきたこれまでの報いが、すぐ近い将来にあ からさまに現実となって押し寄せる。葬送儀礼の執行と、極めて消極的な仏事の 指導により、これからの寺檀関係を維持するにはすでに限界値を超えたところに 来ている。檀信徒の信仰心を培い、生きるより所となるべき菩提寺のご本尊は、 今やお飾りに等しい存在となってはいないだろうか? 檀信徒が菩提寺のご本尊 を暮らしの支えとする寺檀関係を育めなかった寺院は、この現代社会で加速する 少子高齢化と人口減少の波に、一切抗うこともなく飲み込まれ、朽ち果てる運命 にある。 こうした寺院を取り巻く現代社会の現況を踏まえて構築されたのが、真言宗智 山派が平成 9 年より新しい取り組みとして始めた教化推進施策である。この取り 組みは本宗の寺院と檀信徒の関係を再構築するプロジェクトであり、寺院活性化 の軸として、寺院も檀信徒も共に目標とするテーマ(教化目標と年次テーマ)を掲げ ている。さらに具体的な教化活動(強調する教化活動)を通じて檀信徒の信仰心を培 い、菩提寺のご本尊をより所とする檀信徒の暮らしを提案したのである。菩提寺 が檀信徒を、檀信徒を菩提寺が相互に意識し合う信仰形態を目指すものである。

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こうして始められた教化推進施策とは以下のとおりである。ここに平成 25 年度 からの最近のものを紹介する。 教化目標「生きる力衾安らかなる心をともに」 教化年次テーマ「仏さまに祈る」衾平成 25〜26 年度(2 年間) 強調する教化活動衾智山勤行式、お仏壇、十善戒、発心式、青少幼年教化 教化年次テーマ「仏さまと出会う」衾平成 27〜28 年度(2 年間) 強調する教化活動衾写経・写仏、御詠歌、巡礼・遍路・団参、阿字観、結縁 灌頂 「仏教とは何か?」と問われた時に、心を見つめて、心のあり様を探究する宗 教とは言えないだろうか? その心のあり様を檀信徒とともに求めるというのが、 この教化目標の核心と言えるのである。そして、この目標があってこそ寺院の活 性化が現実のものとなるのである。 2. 現代社会における葬送儀礼の現状衾蔓延る“内々意識” 檀信徒からの働きかけがない限り、腰が重く動きが鈍い菩提寺。そうした菩提 寺の受け身の姿勢によって、檀信徒は菩提寺に何も感じられなくなる。そして、 いつか菩提寺は檀信徒にとって、暮らしや生きる支えに必要な存在ではなくなっ てしまった。風景の一部と化した寺院は、檀徒にとって家族が死を迎えた時に儀 礼を執行するだけの存在に、自らその身を貶めたのである。菩提寺は、ご本尊へ の篤い信仰によって齎されるという当たり前なことを蔑ろにして、単なる儀礼の 司祭者という極めて限定的かつ楽な役割へと身を染めた。つまり菩提寺の本来の 使命、檀信徒の心の支えとなることを放棄したのである。そして、葬送儀礼を形 式的に執行すればそれで取るに足りると自ら思い込み、その本来的意義さえも檀 徒に説く機会を失い、仏事の説明責任を果すことにさえ心を配れなくなった。家 族を失った檀徒の悲しみに寄り添い、仏事によるグリーフ・ケアという宗教的役 割からも目を背けてしまった。 こうした菩提寺の鈍感力は、少子高齢化、人口減少、さらには宗教意識の希薄 化という社会情勢と相まって、自らの首がジワジワと締め付けられる状況となり、 それが社会のそこかしこに顕在化していても気づけない事態を招いている。それ が前述したこれまでの葬式仏教批判となり、具体的には埋骨の問題(散骨、樹木葬、 宇宙葬など)となり、さらには「直葬」の流行、ネット社会の葬送儀礼事情(イオ

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ン・アマゾン葬祭事業など=僧侶派遣)となった。こうした事情が『葬式は要らない』 (島田裕巳著)というメッセージになったと言えるだろう。そうした現況に対して、 真言宗智山派はリーフレット「菩提寺と葬儀」を発行して、菩提寺から葬送儀礼 の意義を檀信徒へ伝えるよう呼びかけたが、こうした対処療法的な施策が問題の 根本的解決には至らないのが実情である。 さらに、寺院の側にある寺檀関係の希薄意識が、自然と檀信徒の側にも伝染す るのが極々自然の成り行きであろう。日本版総合的社会調査 JGSS による「日本 人の意識と行動」(東京大学出版会 2008 年刊)の中で岩井紀子氏は「墓意識の多様化 と背景」という極めて興味深い、日本人の「墓意識」に対する意識変遷を指摘し ている。戦後の家制度の崩壊から 50 年が経過する中で「ご先祖さま意識(祖先崇 拝)の希薄化」に注目している。江戸時代より構築された寺檀関係は「家の宗教」 を基盤としたものであり、現在の寺院存立の前提条件である。しかし、家制度の 崩壊から時代は流れ、家を単位とした墓地の護持形態はもはやその体を成さなく なっている。「○○家先祖代々」と刻まれた墓石は、これから次第に無用の長物 と化してゆく運命にあるだろうし、その墓を守る檀家も名字が違うのが当たり前 となる時代を迎えようとしている。 それにもかかわらず寺院は、「単なる風景の一部」との揶揄、「葬式仏教」との 批判、さらには「葬式は要らない」とまで言われても、危機管理の感知能力は皆 無に等しいというのが悲しい現実である。何を求められる訳もなく、寺院の存在 意義もアピール出来ないまま、世間の感覚からすれば訳のわからない布施のあり 方に、多くの否、一部の檀信徒は辟易としているのではないだろうか。これまで の無味乾燥で形骸化した寺檀関係に見切りをつけたいという言葉にできない重苦 しい意識(墓質)が、これから寺院を支える世代に蔓延している。だから埋葬の事 情の変化も、葬送儀礼の変質も、すべては寺院が自ら招いた果報と言えるのであ る。 そして、寺院にはもう一つの余りに高く分厚い壁が現に目の前にそびえている。 それが現代人の宗教意識の希薄化であり、特に葬送儀礼や仏事に纏わりつく 「内々意識」の拡充である。この内々意識は近年の家族葬の急激な拡がりの中で、 その理由づけとなっている。では、なぜ多くの檀信徒は「内々で済ませたい」と 思い込むのだろう。 喪主は「皆さん忙しいし、遠方だから」さらには「故人の遺志(遺言)だから」

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という理由により家族葬を概ね希望する。しかし、それは檀徒が内々で(簡略に? コンパクトに?安価に?)終わらせたい言い訳とも感じ取れる。それでは一体、その 言い訳は何に起因するのか。それは先程から述べているように、檀信徒の宗教意 識の希薄化によるものである。つまり寺院が檀信徒に対して宗教意識を培い、育 ませるためのアプローチに無頓着であったからに他ならない。葬式仏教批判は、 この寺院の怠慢を指摘しているものと言えるだろう。また、葬送儀礼の内実、そ の意義を住職教師がしっかりと認識することなく、形骸化させてきた寺院のこれ までの悪業が果報として齎されたのである。 つまり、葬送儀礼を始めとする宗教儀礼を形骸化した結果が、檀信徒の宗教意 識の希薄化へと導き、さらには「内々意識」が蔓延する現況に至らしめたのであ る。 3. 葬送儀礼の課題衾寺檀関係の再構築に挑む 現代社会の葬式仏教批判から連なる「直葬」の拡がりや『葬式は要らない』の 刊行によって、本宗各寺院でも現在執行している葬送儀礼への不安や逡巡を抱く 住職教師は少なからず存在している。宗派に対しても、こうした葬送儀礼のあり 方を問う声が大きくなり、平成 22 年度からおよそ 4〜5 年は宗内各教区において 葬送儀礼をテーマとした教区講習会や教化研究会が頻繫に開催されるようになっ た。こうした傾向は平成 21 年度教化活動実践セミナー(真言宗智山派・智山教化セン ター主催)に端緒を発している。 このセミナーでは「今、寺檀関係を強固にする“葬送儀礼”とは」をテーマに 別院真福寺で開催され、教相・事相・教化の各視点から真言宗の葬送儀礼を検証 する内容で多くの教師を集め、この問題への関心の高さを示した。このセミナー では、教化の視点として寺檀関係の希薄化によって現代の葬送儀礼問題が顕在化 したとの指摘がなされ、葬儀の現代化などという対処療法では問題は何も解決し ない、寺檀関係の再構築と強化が寺院の活性化につながる。つまり、どんな葬儀 を行うか?ではなく、どう檀家と向き合うか? さらには「菩提寺」を檀家にど う意識づけるか? どうすれば檀信徒が寺院を訪れるか? 何をすれば菩提寺は 親しまれるか? 「菩提寺」「仏事」「葬式」の意義を説く機会をいかに創出する かが、参加者に問い掛けられた。 形骸化した葬送儀礼に、ほとほと愛想を尽かした檀信徒の冷えた心に、寺院住

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職が日常から檀信徒教化を通じていかにはたらきかけるか。また、機に応じて仏 事の大切さを檀信徒に直接説き、葬送儀礼からの仏事に際しては檀信徒遺族に寄 り添い、意を尽くして仏事に臨む姿勢を、身を以って示すことが求められている のである。寺檀関係の絆を堅く結び、ご本尊さまとのご縁(信仰)を深める活動を 尽くすこと。その果報は遥か先に成るかも知れないが、今まさにこの機を逃した ら、仏教、真言宗の教えの素晴らしさを受け継ぐ法灯をこの時代で絶やすことに なってしまうのではないだろうか。 4. 意を尽くす葬送儀礼とは?衾遺族の想いに寄り添えるのか? 「葬式は要らない」というタイトルに脅え、インターネットでの僧侶派遣によ る葬送儀礼の執行に苛立つ我々寺院住職教師の今のあり様は、果して何によって 産み落とされたのだろう。なぜ、そんなにも過敏に、意識過剰にも思える反応と なるのだろう。それは恐らく自らが執行する葬儀に自信がない現われと受け止め るべきなのか、それとも長きに渡る葬式仏教批判に真っ向から説明責任を果たせ ない自身への焦燥感、自分でも何か分からない不安や負い目から来ることなのだ ろうか? これまでにくり返されてきた葬式仏教批判とは一体どんなものだろう? 葬送 儀礼を執行する際に、余りにも形骸化したことに対してなのか? それとも現在 の社会通念を逸脱した葬儀費用(布施・戒名料を含む)へのことなのか? または遺 族の存在(悲しみの癒し=グリーフワーク)を意識しない儀礼(仏事等)がくり返される ことへの批判なのだろうか。恐らくこうした檀信徒には聞くに聞けない葬儀事情 において、寺院住職が丁寧に説明責任を果たそうとしない姿勢が檀信徒の信頼を 失わさせ、寺檀関係を硬直化させ、檀信徒ばかりでなく住職教師の宗教意識をも 低下させたのである。これまでの葬送儀礼のやり方が、この今の現況を引き起こ しているのである。それではこうした寺檀関係を改めるためには何が必要となる のだろう? 一つにはかけがえのない家族を失った檀信徒、遺族の悲しみにどう 寄り添うか? もう一つには、住職教師が意を尽くした葬送儀礼を丁寧に執行す ることだろう。 しかし、生と死の一大事たる葬送儀礼において檀家、遺族に寄り添ってみると は言っても、いったい何から始めればいいか? 日常は仏事(葬送儀礼等)に無関 心な檀家に対して何ができるのか? これまでの寺檀関係だから「葬式は要らな

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い」風潮がかたちづくられたのである。それなら、まずは檀家遺族の信頼を培う ことに腐心することから始める必要があるだろう。まず、目の前の葬送儀礼で檀 家に何ができるのか? 今、できることとして考えられることは以下のとおりで あろうか。 イ、檀家、遺族とじっくり話し合う場を創る。 ロ、葬儀、戒名、仏事の意義を説き、さらに遺族の想いを聴く。 ハ、遺族が仏事を尽くせるように教化指導する機会を持つ。 また家族が元気な内に、普段から檀家にできることには次のことが考えられる。 イ、檀家の宗教・墓意識を喚起する活動を共にする。 →本尊信仰を喚起する活動を創り出し参加を奨める。 ロ、教化年次テーマの「強調する教化活動」を開催して檀信徒と共に宗教的 感動を分かち合う。 ハ、ご本尊が檀信徒の暮らしの支えとなるように宗教的感動を積み重ねる。 つまり、このようにいつも檀信徒の理解を得ようという姿勢が必要となるし、 その姿勢が檀信徒の心に響き、檀信徒は菩提寺に意識を向けるようになり、寺檀 関係は再構築へと新たに動き出すことにきっと繫がるはずである。 5. 事例報告Ⅰ衾強調する教化活動による葬送儀礼の取り組み《初七日まで》 それでは、檀信徒の悲しみに寄り添う、意を尽くす葬送儀礼の事例の一つを紹 介、報告したい。筆者の自坊(吉祥院)における葬送儀礼の流れをここに概説する。 ■ 檀家からの訃報……可能な限り菩提寺に出向いてもらう。 ■ 檀家との打ち合わせ イ、死者のこと、家族のこと、遺族の死者への想いにしっかり耳を傾ける。 ロ、通夜葬儀の打ち合わせを詳細に行う。 ハ、葬送儀礼から仏事の流れを詳しく伝える。 → 通夜・葬儀・戒名・位牌等の意味、「家族葬(内々葬儀)」について 葬儀後の仏事(七七日忌、施餓鬼会、新盆、仏壇、一周忌等)について 墓地の承継(承継式/発心式)について ※墓地の承継の際には、葬儀後に改めて来寺を促して改めて説明する。 この通夜前の打ち合わせは、遺族ができる限り菩提寺を訪ねて、住職と面と向 かって話し合う機会を持つよう促すことがとても大切となる。この機会に葬儀の

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意義や戒名、布施、仏事の大切さを簡潔かつ分かりやすく話して、遺族の葬送儀 礼に対する理解を少しでも進める機会とする。また故人の人柄や思い出を語って 貰うことで悲しみを少しでも共有し、戒名を考える参考にする。故人に引導を授 ける際には、故人の人と成りを知って臨むこと、さらには遺族と共に葬送儀礼を 勤めるという意識を共有することが必要となる。 次に通夜、葬儀、初七日の次第を紹介する。 ■ 通夜次第 一、三礼 一、洒水加持 一、勤行聖典(智山勤行式)① 一、理趣経衾勧請の句、初段、百字偈、善哉、合殺 一、ご詠歌「追弔和讃・彩雲」「いろは和讃」②……ご詠歌印刷物配布 一、法話「自灯明」など 一、故人の魂のゆくえ③ 一、祈り衾「南無大師遍照金剛」「光明真言」を参列者と読誦 一、ご宝号 一、普回向 一、三礼 近年、葬祭場において祭壇を遺影と花飾りのみで設える場合があるが、吉祥院 では両界曼荼羅のご本尊を位牌の奥にお祀りしている。故人の魂が死後に行く先 を祭壇にお祀りしなければ葬送儀礼の意義がそこなわれることになりかねないか らである。そして、通夜の席ではおよそ 1 時間かけて法話やご詠歌も行い、遺族 とともに故人への追懐の情を深める空間を創り出すよう心がけている。遺族にも 出来るだけ祭壇の方を向いて貰い、故人の冥福を祈るよう配慮する。勤行聖典も 読誦の仕方を簡潔に説明してから共に読経している。この先の四十九日忌以降の 仏事でも、勤行聖典をともに唱和するための意識付けを行うのである。 また、お唱えするご詠歌「追弔和讃・彩雲」「いろは和讃」は両面印刷した譜 面を勤行聖典と一緒に参列者に配布する。さらにお大師さまのご宝号、光明真言 も共にお唱えするよう参列者に呼びかけている。勤行聖典やご詠歌、ご宝号を遺 族・参列者と共に唱和するのは、亡き人への追慕の念を声に出すことで、悲しみ を癒す大切な機会になることを願うからである。

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■ 葬儀次第 一、三礼・如来唄 一、葬儀の意味について説明④ 一、洒水加持・引導作法 一、嘆読文 一、理趣経衾勧請の句、初段、百字偈、善哉、合殺 一、ご詠歌「遍照衾同行二人」⑤ 一、故人の魂のゆくえ③ 一、祈り衾「南無大師遍照金剛」「光明真言」を参列者と読誦 一、ご宝号 一、回向 一、三礼 葬儀では開式後に「葬儀の意味」について参列者に説き、この儀礼が何のため に執行され、どんなことが行われ、故人の亡き魂がこの先にどうなるのか? 参 列者の理解を少しでも得るように努める。嘆読文は、現在は定型のものを使って いるが、今後はその都度、故人の人柄、生きざまを語るものを創り、しかも参列 者に分かりやすい表現ができれば幸いである。 ご詠歌は「遍照衾同行二人」をお唱えするのだが、この際には参列者にこのご 詠歌の意味を簡潔に説き、歌詞を朗読してからお唱えすることにしている。亡き み魂の死後の行方とそのあり様を伝えるためである。また、これからの仏事に向 けて、その大切さを意識づける機会でもある。さらにご宝号の読誦も通夜同様に 魂の行方を語りかけた後に、遺族・参列者と共にお唱えする。故人が真言宗の浄 土である密厳浄土へ宗祖と共に向かう様子(同行二人)が参列者にイメージ出来る なら何よりであろう。 ■ 初七日 一、三礼 一、開経の文 一、初七日追善回向文 一、理趣経衾百字偈、善哉、合殺 一、阿弥陀如来根本陀羅尼 一、祈り衾「南無大師遍照金剛」「光明真言」を参列者と読誦

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一、ご宝号 一、普回向 一、三礼 およそこの 5〜10 年の僅かの間で、現在では葬儀の終了後に引き続いて初七日 を行う様式が殆どとなった。恐らく平成 20 年より前の数十年間は、葬儀後にお 別れの花を手向け、喪主または葬儀委員長の挨拶があって出棺、火葬場で荼毘に して遺骨を葬祭場に持ち帰って初七日の回向、斎食という流れだった。それが葬 儀、初七日の回向の後にお別れ、挨拶が常態化となり、葬儀開式から出棺まで 90 分程度を確保する葬祭業者も増えてきた。 葬送儀礼は前述のように内々意識が蔓延し、儀礼自体の簡略化も今後、一層進 むことが予測される。これは寺院住職も檀家も葬祭業者も、社会全体が宗教意識 の希薄化に傾倒する昨今の実情の中で、檀信徒の菩提寺たる寺院がその存在意義、 存在感をますます示せなくなる環境に追いやられることとなるだろう。菩提寺の 役割、それは檀信徒の宗教意識を喚起させ、ご本尊への信仰心を育み、暮らしの より所、生きる支えとなることに尽きる。こんな状況となった今だからこそ、こ れまでの寺檀関係から、その関係改善、寺院の活性化に、菩提寺が自ら取り組ま なければならない。「寺院は要らない」から「寺院崩壊」へと進み、果てにはこ の社会から寺院自体が葬られることにもなるだろう。 6. 事例報告Ⅱ衾強調する教化活動による葬送儀礼の取り組み《承継式・七七日 忌より》 葬送儀礼が終わっても遺族の悲しみはなかなか癒えるものではない。自らが自 覚していなくても、亡き人が「夢枕に現れる」といった話を檀信徒から聞くこと も良くあるだろう。菩提寺が遺族に寄り添うとは、具体的には遺族が懇ろに亡き み魂を供養するよう、仏事の意義を事ある毎に説き、供養のかたちを具体的に指 導(アドバイス)することである。そうした悲しみ深い檀家の想いを何らかのかた ちでケアするスタンスが、菩提寺の本来の役割でもある。そうした発想、意識が これまで寺院にどれだけあったのだろうか? こうした契機に菩提寺が檀家へど のようなアプローチができるのか、檀信徒の心にいかに寄り添うかが、寺檀関係 の再構築への第一歩となる。つまり葬送儀礼後のケアとして次の点(仏事の指導等) は充分に檀家へはたらきかけ、理解を得ることが必要となる。

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a.年回忌法要執行の意義衾先祖供養の意味を説く。 b.新盆の意識付け衾新盆の迎え方、施餓鬼会等への参列を推奨する。 c.仏壇の礼拝、墓参の推奨衾仏事の意義を説く。 また、特に檀家の世帯主が亡くなられた際には、次に檀家の墓地を守る人への 丁寧できめ細やかなアプローチが、新しい寺檀関係をかたちづくる最も大切な場 面となる。 ■ 承継式 檀家の施主(墓地を守る檀徒)が亡くなられて、次の施主へと代替わりする時こそ、 檀信徒と菩提寺の新しい関係が始まる時である。菩提寺は新しい施主となる方へ 仏事の大切さ、先祖供養の意義をしっかりと意識付けする初めの契機として承継 式を執行するのである。そして、これが檀徒が信仰心を抱き信徒となる最初の契 機となる。何のための信仰か? 勿論、菩提寺のご本尊とご縁を結び、ご本尊へ の信仰を培うのであり、菩提寺のご本尊を生きる支えとし、暮らしのより所とす るためにこの承継式を行うわけである。 吉祥院では施主と新しい寺檀関係を結ぶために必要書類⑥を提出して貰い、こ の宗教儀礼を受け、その際に墓地使用の証書と檀信徒用袈裟等を授与する。吉祥 院の承継式の概要はすでに事例研究として記している(『智山学報』第 50 輯)のでそ ちらを参照頂きたい。 ■ 七七日忌 「勤行聖典」読誦衾回向文衾理趣経衾ご詠歌「いろは和讃」衾 法話「いろは和讃とお薬師さまについて」衾ご宝号衾普回向 七七日忌は遺族にとって大切な仏事に違いない。この日までに故人の新しい位 牌(本位牌)を作り、これまでご遺骨の前に祀ってきた仮の位牌(白木に墨書したもの) と一緒に菩提寺のご本尊さまの前にお祀りして、七七日忌法要をお勤めする。そ の時に新しい位牌には魂を入れ、仮の位牌はその後、菩提寺の位牌堂に安置して 毎朝回向する。遺族は法要後に納骨、墓参して故人のご遺骨から離れることにな る。本位牌は自宅のお仏壇にお祀りして、普段の暮らしに帰することになり、こ れで喪が明けることになる。 この七七日忌以降の年忌法要では宗祖弘法大師のお言葉を紐解き、さらに十三 仏に相当する仏さまにも触れる内容で 5 分程度の法話を行っている。新しい施主 と家族・親族に、菩提寺のご本堂(秘密荘厳の世界)で、真言宗の教えや仏事の大切

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さ、故人の魂のゆくえについて、改めて簡潔に話すよう心がける。参列者と共に 勤行聖典を読誦し、ご詠歌の譜面を配り「いろは和讃」をお唱えし、ご詠歌の歌 詞を法話の導入として故人の魂のゆくえを説く。施主を始め参列者が故人に対す る想いを新たにし、年忌法要への参列が故人の冥福を祈り、その功徳が巡るとい う法事の意義に、少しでも理解が深まるように心がける。つまり、忌明けの回向 を故人(亡きみ魂)に対する仏事の一環と意識を向けさせる営みとも言えるだろう。 7. 七七日忌後の遺族へのアプローチ衾宗教意識に灯を灯す仏事と行事 グリーフ・ケアという言葉を耳にするようになったのはもう 30 年も前だった ろうか? 本宗において未だにこの言葉が使われているとすれば、まだ寺院住職 が遺族となった檀徒と向き合って、檀信徒に寄り添うことがなかなか難しい現状 なのかも知れない。檀徒が亡くなられて、枕経(地域によっては行われない?)から始 まる一連の葬送儀礼は、それを「意を尽くして」行うなら、葬送儀礼と仏事その ものがグリーフ・ケアとなる。そのことを遺族となった檀徒にしっかりと伝え、 意を尽くした仏事が行われるよう指導するのが、菩提寺の住職の最も大きな役割 とも言えるだろう。指導とは面と向かって言葉で説明するばかりでなく、共にお 経を読み、ご詠歌をお唱えし、さらには寺院の年中行事を遺族となった檀徒のグ リーフ・ケアの一環として、参加して貰うようにくり返し働きかけることが必要 となる。 ■ 大施餓鬼会 恐らく多くの寺院にとって、大施餓鬼会は檀信徒が最も多く訪れる法要ではな いだろうか。そうした法要を檀信徒教化として位置づけ、厳修することは菩提寺 の存在意義を檀信徒に意識付ける一つの方策である。また新盆を迎える檀徒遺族 に対して、遺族親族の参列を積極的に呼び掛けることも寺檀関係の強化、檀信徒 の信仰心を培う好機となり得る。葬送儀礼や承継式の際から、菩提寺の大施餓鬼 会への参列を事ある毎に促すためのアナウンスは重要である。 また法要に際しても遺族に勧奨してきた勤行聖典の読誦、さらにはご詠歌『施 餓鬼供養和讃』『萬霊供養盂蘭盆和讃』を法要で、参列者皆で共にお唱えすれば、 故人への追懐の情も新たになるだろう。 ■ 新 盆 夏のお盆の時季は宗教意識が薄まったと言われる現代社会でも、まだまだ迎え

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火、送り火を家族で行う檀家も多くあると思われる。昨今は諸々の事情により棚 経を取り止めて、菩提寺本堂にてお盆期間中に、複数座の回向法要を棚経の代わ りに実施する寺院も散見されるようになった。時代の流れの中では、こうした宗 教儀礼の変質は致し方ないと言えるかも知れない。また、実際に僧侶の棚参りを 受け容れられない檀家の事情も確かに存在するだろう。 その反面、これまでのように棚経に訪れる檀家の仏事事情(お仏壇の祀り方や精霊 棚の飾り方)を把握し、檀家の現状に理解を行き渡らせることが難しくなるという 側面もある。寺檀関係が変質する中で、檀信徒の宗教意識をこれまでと違った方 法でいかに保つかが、菩提寺のこれからの大きな課題である。 ■ 年中行事 菩提寺との関係性が希薄、つまり宗教意識が希薄な檀徒、特に新しい施主に、 仏事の大切さを心の奥底に刻む契機が承継式であり、また、その宗教意識や菩提 寺のご本尊への信仰心を育む機会が菩提寺の年中行事である。亡き人への悲しみ を癒すプロセスを何れかのタイミングで、菩提寺から遺族へ再三再四、年中行事 の案内をアプローチする。悲嘆を癒すための機会、ノウハウが、仏教にはこれま でに培われ充実してきた。それを具現化して宗内へ提示したものが、いわゆる 「強調する教化活動」である。本宗の寺院がこのことを充分に認識しているなら、 寺檀関係にも新たな展開が予見できるはずである。遺族へのグリーフ・ケアは、 真言宗にはもう万全に整っているのである。 吉祥院では大施餓鬼会を始めとして「新春法話会」「春季彼岸会回向法要」「花 まつり子供会」その他にも「夏休み・たいけん道場(ヨガ、月輪観、念誦づくり、蓮 灯篭づくりなど)」「秋季彼岸写経会」「毘沙門天大祭」などが開催され、その度に、 さまざまなかたちで檀信徒への参加を呼びかけている。またその他、定例行事 「詠歌講」「瞑想満月会(阿字観)」「吉茶会(茶話会)」への参加もはたらきかけてい る。しかしながら、この現代の情報化社会では、寺院を必要とする檀信徒は悲し くも限定的で、寺院に目を向けて、足を運んでもらう方策はいつも悩みの種と言 える。 ■一周忌 「勤行聖典」読誦衾回向文衾理趣経衾ご詠歌「追弔和讃」衾 法話・お大師さまのことば「身は花とともに……」衾ご宝号衾普回向 一周忌からは宗祖弘法大師のことばを紐解き、亡くなられた故人を偲び、故人

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の想いが参列者に満ちるよう心がけて法話を行う。また故人の冥福を祈る仏事の 大切さも併せて伝えるようにしている。 ■三回忌以降 「勤行聖典」読誦衾回向文衾理趣経衾ご詠歌「追善供養和讃」衾 法話・お大師さまのことば「生まれ生まれ生まれ……」衾ご宝号衾普回向 三回忌以降は宗祖弘法大師、中興興教大師のことばを紐解いて、参列者に生と 死の一大事の意味合いについて触れ、故人への追懐の情を深めるよう心がけてい る。 む す び衾人の深くにある想い(意識)をみつめて 葬送儀礼と仏事は真言宗寺院にとって檀信徒との日ごろの結びつきがそのまま かたちとなって現れる儀礼である。寺檀関係が浅くなれば檀信徒の宗教意識も希 薄となり、葬送儀礼も簡略化に傾倒し、それが引いては寺院の崩壊へつながるこ とになる。吉祥院では葬送儀礼に際し以下の点を特に意識し、寺檀関係の維持に 取り組んでいる。 a.遺族となった檀信徒と丁寧な打ち合わせを行い、意思疎通をはかる。 b.故人の魂の行方を法話やご詠歌を通じて説き、供養の大切さを訴える。 c.葬送儀礼を契機とし、年中行事・教化活動への参加をくり返し奨める。 檀家から家族の訃報を知らせる連絡が入る。菩提寺としては現実において最も その役割を果たすべき瞬間が訪れる。檀徒が亡き人の死を受け容れ、故人が迷わ ず成仏するために意を尽くした葬儀を厳修する。葬送儀礼の空間に秘密荘厳の世 界を顕現させることで、斎場に集う遺族を始め参列者は、死の尊厳を感じること が叶うのである。その後、悲嘆に暮れる遺族と一緒になり、死を受け容れ、悲し みを癒す儀礼(仏事と年中行事)を一つ一つ積み重ねてゆく。それが葬式仏教批判に 晒される菩提寺の住職が成すべきこと、それしか道はない。 遺族には、かけがえのない故人の魂の行方を葬送儀礼と年忌法要、仏事におい て、少しずつくり返し説くという機会を意識し、取り組むこと。それがこれから の寺院において、我々がひたむきに積み上げる教化活動の意義であり、それを具 体的に実践できる方策が本宗の教化年次テーマを具現化する「強調する教化活 動」である。これだけ教化活動のメニューが豊富で縦横無尽に檀信徒と共に宗教 的感動を味わえるのは、きっと真言宗をおいて他の宗派では真似のできないこと

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である。真言宗寺院であるならこの機能的な教化活動を駆使して檀信徒の信仰を 育まずして、何が寺院の役割となるのだろうか? 寺院(自坊)の現実的な課題を感知し、檀信徒と正面から向き合い、宗教意識を 維持した仏事の継続を如何にはかるか? 教化活動をコツコツ積み重ねながら檀 信徒の意識が菩提寺に向き、ご本尊の信仰へと如何に結びつけるか? 今や檀信 徒が菩提寺との関係を繫ぐ価値は失われつつある。「寺院は風景の一部に過ぎな い」という批判にも成り得ない、寺院が存在意義を社会から認識されていないこ うした見方は、残念ながら寺檀関係のみならず、寺院の存在が地域社会に必要と 認識されない現況を恐ろしいほど的確に言い当てている。 本宗においてすでに死語となりつつある「つくしあい」運動において「檀徒か ら信徒へ」と寺院に呼び掛けられてきた教化メッセージの奥底に流れる懸念と課 題。それが半世紀を迎えようとする今、まさに現実のものとなっている。この難 局に手を拱いたまま、檀信徒教化に取り組まないという寺院崩壊へのシナリオを 自らの手で描いている現実を、多くの寺院はいまだに理解できない。 強調する教化活動は、人の心を癒し、悲しみを和らげ、心を安らかにするため の活動である。そしてそれは前述のように、すでに仏教がこれまでに苦悩に塗れ た大衆を救済する具体的実践的な取り組みである。また、この教化活動はそれぞ れが関わり合う中で、檀信徒により篤い癒しを施し、安らかな心を実感させてく れる。それがさらには仏事を通じて宗教意識を育み、菩提寺のご本尊への信仰心 を培ってゆくことになるのである。 葬送儀礼を契機として、時宜に応じて強調する教化活動を共にする営みをアプ ローチできれば、檀徒は菩提寺を意識し、きっと足を運ぶことにつながってゆく。 さらに檀徒と菩提寺が行事・活動を共にすれば、寺檀関係は再構築へと必ず向か うに違いない。何故なら菩提寺は、檀信徒の喜怒哀楽を共にするために存在する のだから……。 岬の上にある墓には誰が眠り、そして誰がそれを守っていくのか? もはや守 る者は絶えてしまったのか? 人は誰もが生きる限りにおいて、人との関わりを 避けることは出来ない。事実、この数十年来に災害に被災した多くの人たちは、 名もなき多くの人たちの助けと、人と人とのつながり、ご縁の中で明日への希望 を見出そうとしてきた。その一方で、無縁社会と言われるこの世の中に、人知れ ず独り死を迎える者が後を絶たないのも現実である。

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世のために働けば、そこにつながりは必ず生まれる。そこに関わる全ての人の 記憶に確かに刻まれる。そのつながりの記憶を確かなものにする。それがアナロ グの世界をこの世の中に意義づける寺院の存在である。人の死を悼み、その悲し みを乗り越えて、その死を糧に次へつながるいのちを尊ぶ。我々がこの稀有な高 齢社会で進むべき道ははっきりと見えている。今こそ、檀信徒と教化活動を共に して安らかなる心を求め、仏道を歩む時である。 以 上 参照 ①勤行聖典(智山勤行式)を遺族・親族に配布し、読誦する際には「それではご参会の皆 さま、特に〇〇家ご遺族ご親族の皆さま方、お手元にお配りした勤行聖典をお開き下さ い。勤行聖典の一番初めに頭とあるところをこちらでお読みしますので、その後、助と あるところから、どうぞ声に出して、心を込めてお唱え下さい。」と読経を奨める。 ②「追弔和讃」歌詞 人のこの世は長くして 変わらぬ春と思いしに はかなき夢となりにけり あァつき涙の真心を み魂の前にささげつつ 面影しのぶも悲しけれ されども大悲のみ仏に 救われ行くべき身にあれば 思いわずろうこともなく 永かァけて安からん 如来大悲の恩徳を 謹み唱うる御詠歌に 「彩 雲」 歌詞 極楽の 鐘のひびきに 夢さめて 五色の雲に いるぞとうとき 「いろは和讃」歌詞 霞にまごう桜花 錦織りなすもみじばも 夜半の嵐に誘われて 色はにほへど散りぬるを 流れ静かに行く水と 人の命の定めなく 呼べど帰らぬ鹿島だち 我が世誰ぞ常ならむ 白黒も分かぬ冥府の路 独りの旅と思いしに 大地の御手に導かれ 有為の奥山けふこえて 嬉しやこォこは密厳の 浄土なりけりあな貴と 諸仏菩薩に守られて あァさき夢みじゑひもせず こうした密厳流ご詠歌の歌詞は亡き人への篤い想い、亡きみ魂の行方を分かりやすく詠 んでいる。 ③「それではご参会の皆さま方、仏前の方をお向き頂き、お手を合わせて下さい。故人 のご冥福を真言宗の宗祖弘法大師空海、お大師さまにお祈り致します。この度、誠に残 念なことにお亡くなりになられました故〇〇〇〇様のみ魂は、本日の通夜(葬儀)を経て、

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その後、仏教で七日毎に定められました仏さま、ご本尊さまの徳と戒律を授かり修行を 重ねられ、お大師さまに手を導かれて、真言宗の浄土である密厳浄土へ赴かれることに なります。真言宗の宗祖弘法大師空海、お大師さまのご宝号、南無大師遍照金剛とご一 緒に七辺お唱え頂きます。」 ④「本日のご葬儀は、苦しかった時も悲しかった時も、共に喜びを分かち、苦しみを共 に生活を送って参りました故〇○○○様が、○○才のご生涯を終えられて、私たちの生 活の場を離れて、悟りの世界である御仏のもとへと赴かれるのです。一般に引導を受け るとか、或いは引導を授かるとか言われておりますように、之より導師の引導の作法に よって亡きみ魂を導いて、正しい仏の世界へ引き入れることで、真言密教に古来より伝 えられている仏に成るための色々の戒律を受けてゆきます。その間、真言宗の宗祖弘法 大師空海、お大師さまに手を導びかれ真言宗の浄土である密厳浄土へお入りになり、ご 本尊大日如来のもとで初めて仏と成られるのです。そして今後、私達が新しい仏様とし て敬い仕えることを祈念する儀式でもあります。又、告別式はこの世における最後のお 別れです。故人の○○才のご生涯に心を寄せながら、そのご生涯より学ぶべきことを学 び、今日ある自分に思いを寄せ、心からご冥福をお祈りし、お別れをしたいと思いま す。」 ⑤「遍 照」歌詞 あな嬉し 行くも帰るも留まるも 我は大師とふたりづれなり 南無大師 南無大師 遍照尊 ⑥承継の際には「承継(入檀)届」「檀信徒名簿」「誓約書」「檀信徒心得」「墓地護持規 程」パンフレット「承継式とは?」を檀信徒に渡し、その内の届と名簿と誓約書は必要 事項を記入の上、提出して貰う。承継式には証書と半袈裟と仏事の冊子「わかりやすく Q & A」風信雲書第 3 集(吉祥院刊)、宗派発行の出版物を配る。 〈キーワード〉 本尊信仰、魂の行方、内々で済ます、墓意識

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参照

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