世界史認識と植民地(II) : レナール『両インド史』の検討をとおして
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(2) . ) 世界史認識と植民地 ( 1 1 --レナー ル 『両イ ン ド史』 の検討をとお して--. 浜. 忠. 目. 雄. 次. は じめに. レナール, 人と著作 『両インド史』 の問題観. 〔以上前号〕. 『両インド史』 における植民地解放主体論 『両インド史』 におけるフランス旧植民地体制論 『両インド史』 における世界史認識. 〔以上本号〕. 〔以下次号〕. むすび. 3. 『両インド史』 における植民地解放主体論. 4章「奴 筆者が「『両イン ド史』における植民地解放 主体論」と名 づけ るのは, 第3版の第幻篇第2 隷制の起源とその発展, 奴隷制を正当化する根拠, これへの反論」 の末尾に展開されているものを 指す. 以下その箇所を示すが, テクストは版によって違いがあるの で, 完成版の第3版をベースに 1 ) 〔1〕~〔V〕の番号はパラグラフの しながら, 初版および第2版との異同が判るように訳出する{ . 別を示すために, 筆者が便宜上付したものである. 〔1〕 この不幸なる人々に自由を返還するとともに, (※)彼らを諸君の法と習俗の下に服させ, 彼 らに諸君の残剰物を与えることに意を用いよ. 彼らに祖国と, 結合すべき利益と, 彼らの好みに 合っ た消費を生み出すべき生産を与えよ. そうすれば, 諸君の植民地の豊富な労働力は, 束縛を 軽減されて, 一層活動的で遥しくなるだろう. 初版…. t ) 「返還するとともに」(Bnrendant) は「承認するとともに」 (Enacco rdan . また, (※) 労働の代償として その他同文 「しかしひきつづき 彼らの節度 品行 」 を挿入 に , , , . .. 第2版…. 初版と完全に同文. 〔1 1 〕 かくも世界的な熱狂, かくも確固たる法, かくも強大な国家間の競争, そして, それにもま して頑迷なる偏見によ って支えられた奴隷制の機構をくつがえすために, われわれは, あれほど 17.
(3) . 浜. 忠. 雄. 多くの人々によ っ て共謀して裏切られてきたユマニテの訴訟を, いっ たいどの法廷へ持ち込んだ らよいのだろうか. 地上の王たちよ, 諸君のみがこの革命をなすことができる. もし諸君が, 他 の人々 をもてあそばないなら, またもし君主の権力をあたかも都合のよい強奪の権利 ででもある. かの如く, そして臣民の従属をばあたかも 思いもかけぬ贈物ででもあるかの如く考えないなら, 諸君は自らのなすべき ことを忘れては ならない. 人間の取引きという, この恥ずべき, 罰深き事 業に押印してはならない. そうすれば, この貿易は消滅するであろう. これまで頻々 破滅のため. に向けられてきた諸君の権力と企図とを, 世界の幸福のために糾合せよ. 諸君のうちで, 富と権 勢をなすのに, 他のすべての人びとの寛大に期待する者があるとすれば, それは人類の敵であり, 打ち倒さなければならない, そのような君主には剣と焔を浴びせよ. 諸君の軍隊は人類の聖なる 熱狂を達成するだろう. その時, 諸君は抑圧さ れた者を救う人間と, 暴君に奉仕する傭兵とを区. 別するのが徳 であることを知るだろう. 初版…. i f i ). ほ か 同 tousl ) は 「諸 君 の 犠 牲 者」 (vot 「他 の す べ て の 人 び と」 ( resacr ce esaut res 文, 第 2版 …. l l 「奴隷制」 ( ) は 「奴隷」 ( ) es c ave e s c avage . ほか同文. 1 〔 1 1 〕 何をかいわん. ユマニテの 無益な声を人民や支配者に聞かせるのはやめよう. それはいまだ かつて現実において諮られたことはないのである. しかり, もし利益のみが諸君の魂を把えてい るのであれば, ヨーロッ パの諸国民よ, なお私の言葉に耳を傾けよ. 諸君の奴隷たちは, 彼らを 抑圧している冒涜的な堀辞を打ち砕くのに, 諸君の寛大も助言も 必要と していない. 自然は哲学 よりも, 利益よりも, はるかに真実を語るものである. (※)すでに, 逃亡黒人のふたつの植民地. が建設されている. 条約と力とが彼らを諸君の侵略から保護しているのである. (※※)これらの 稲妻は雷鳴の近いことを予告している. 黒人たちに欠けているものは, ただ, 彼らを報復と殺数 へと導く勇敢 なる指導者だけである. 初版…. この パラ グラフ全体が欠如.. 第2版…. (※) に, 「す でに虐殺された数人の 白人は, われわれの罪の一半を償った.」(※※) に, 「悪人は頻々, 何人かの犠牲者の恨みを晴ら した. 多数の人びとが自ら死を択 び, 諸君の. 抑圧から逃れた」 を挿入. ほか同文. 〔 IV〕 この偉人悩み多き, 抑圧され, 虐げられた子らへの自然の賜物たるその人はいずこに. その 人はいずこに. その人は現われるだろう. 決して疑うまい. その人は姿を現わし, 聖なる自由の. 旗を押し立てるだろう. 尊ぶべきその合図は, その周囲に, 同じ不幸に悩む人びとを集めるだろ う. 激流をもしのく速さ で, 彼らは至る所で彼らの苦悩のぬぐり去り難き痕跡を晴らすであろう. ス ペ イ ン 人, ポ ル ト ガ ル 人, イ ギリ ス 人, フ ラ ン ス 人, オ ラ ン ダ人, 彼 ら の 暴 君 た ち は すべ て 剣. と焔の餌食と化すだろう. アメリカの大地は, 久しくそれを待ち望ん でいたかの如く, 血を貧り 呑むことだろう. そして3世紀来, 山と積まれてきた不幸なる者たちの骸骨は, 喜びに身をふる. わすことだろう. 旧世 界は新世界に喝釆を寄せることだろう. 人類の諸権利を再建した英雄は至 る所で祝福され, その栄光のための記念碑が建てられることだろう. その時, 「黒人法」 (原文イ タリ ッ ク…筆者)は消滅するだろう. そしてもし, 征服者が報復の権利 しか念頭におかないなら, 「白人法」 (同上) は恐ろしいものとなるだろう.. 18.
(4) . ) 1 1 世界史認識と植民地 (. 初版… このパラグラフ全体が欠如.. 第2版…. こ の パ ラ グラ フ は 以 下 の と お り. 「こ の 偉 人, 人 類 へ の 自 然 の 賜 物 た る そ の 人 は い ず こ に . 決 し て ク ラ ッ ス スに ま み え る こ と の な い, こ の ス パ ルタ ク ス の 再 来は い ず こ に. そ の 時,. ・いなら 『黒人法』は消滅するだろう. そしてもし, 征服者が報復の権利しか念頭におかな , 『白人法』 は恐ろしいものとなるだろう.」. 〔V〕 この革命を待望 しつつ, 黒人は労働の辞の下にあえい でいるのである. この光景を見るにつ けても, われわれはますます彼らの運命に関心を寄せ ざるをえないのである. 初版…. 「この革命を待望 しつつ」の箇所は, 「しかし, 鋭敏なる魂のなしうるものは, 革命の誓い -- それは, 地球上あるいは科学・技術上のどのような新発見にもまして, われわれの世. 紀の栄誉となるであろう 一一 にほかならないのに」 . 以下同文.. 第2版…. 完全に同文. 注目しなければならないのは, 『両イン ド史』における黒人貿易と黒人奴隷制の廃止の展望が, 初 版, 第2版, 第3版のそれぞれで異なっていることである. それは, 第2版に 〔 1 1 1 〕 およ び 〔 I V〕 のパラグラフが挿入され, また第3版でも, それらふたつのパラグラフに補筆, 修正が加えられた ことによっ て生じたものである.. 版毎の論調を要約すれば, 大約つぎのようになるであろう. まず初版 では, 黒人貿易と黒人奴隷 制の廃止は, ヨーロ ッパの君主による英断あるいは君主相互間の協定によって可能であるとされ, いうなれば, もっ ぱら 「上からの革命」 を想定するにとどまっている. とはいえ, 念のためいうな i らば, このように 「地上の王たち」(Ro ) に呼びかけ, 期待するのには, それなりの sdelat e r re. 意味があってのことであっ て, そうすることでさしあたり, モンテスキューの奴隷解放論を暗に批 判 して い る の であ る. レ ナ ー ルは 別 の と こ ろ で, ヨ ー ロ ッ パ に お け る 奴 隷 解 放 史に 言 及 して, 「モ ン. テスキュ ーは, 奴隷制の廃止についてはキリスト教の功に帰しているが, われわれはこの意見には 2 )と書いているが とくに黒人奴隷の問題に即 してレナー ルが念頭において 組みしがたい」(序文)( , いるのが, 前にも引用 しておいた 『法の精神』 第15篇第5章 「黒人の奴隷制に ついて」 のなかの最 後の一文, すなわち,「小才子輩はアフリカ人に対して行なわれる不正 を誇張しすぎる. なんとなれ. ばこのていあいのいうほどに不正がはなはだしければ, 役にもたたない協定をどっさりおたがいの 間でつく っているヨーロッ パの君主たちに, 慈悲と憐懲のための一般的協定をつくろうという考 え 3 ( }なのである モンテスキューにあっては そのような「- が頭に浮かばなかっ たはずがあろうか.」 . , 般的協定」 が 「ヨーロ ッパの君主たち」 に期待され, その実現が可能視されているのではない. そ れは, あくまでも, 無能にして無慈悲な君主へのアイロニーにすぎないのである. 『両イン ド史』が ( 4 )と批判するのは そのため 「モンテスキューは奴隷制問題を真面目に論ずる決心が できなかった」 , である. その意味では, 『両イン ド史』 初版は黒人奴隷制問題の還俗論ということも可能であろう. しかるに, 第2版以降では, 「地上の王たち」 への期待も, さらには 「ヨーロッ パの諸国民」 への呼 びか け も 放 棄 さ れ, 「ス パ ルタ ク ス の 再 来」 (Spar tacusnou )に象徴される, 植民地の黒人奴隷 veau. 目身のうちに形成される解放主体を担い手とする 「下からの革命」 論へと一転す るのである. しか. も, 同じく 「下からの革命」 論ではあるが, 第2版と第3版との間にもニュァ ンスがあり, 解放主 19.
(5) . 浜. 忠. 雄. 体の形成がなお模索と期待の城を出ていない第2版に比べて, 第3版 では, かかる解放主体形成の 不可欠でありかつ不可避 であることが, 確信を込めて予言され, 唱道されるのである.. 前章に触れておいたように, 筆者が, 「地理上の発見」の否定的側面をことのほか強調する『両イ ン ド史』 であるにもかかわらず, 将来に対しては 「楽観論」 であると考えたのは, この植民地解放 主体論,換言すれば,《植民地黒人における解放 主体形成による奴隷制の廃止→人類の諸権利の再建》 という見通しが与えられていることにもとづいている. 「楽観論」 か 「悲観論」 かということでいえ ば, スミス, レナールともに 「楽観論」 とすべきであろう. そして両者の 「楽観論」 を区別するな らば, 前者を「商業への絶対的信頼を基礎とする楽観論」 , 後者を「植民地解放主体形成への信頼を 基礎とする楽観論」 とでもしえようか.. ところ で, 初版から第2版, 第3版へと上述のような論調の変化を生むことになっ た, この, エ 5 }箇所 わけても 〔 IV〕 パ リ ッ ク・ウィ リアム ズによれば, 『両イン ド史』 のなかで 「最も有名な」( , ラ グラフについては, いわゆる協力執筆問題にかかわって, やや混みいっ たテクスト・クリティ ー クが必要となる. 史料上の制約もあって現在なお断定できない点が多いが, これまでの研究史を順 に紹介するなか で説明しておきたい.. 『本誌』前号) ルイ=セ バスティ ①第3版の パラ グラフ 〔 IV〕 の中段部分は, 先に引用しておいた( 6 ( ) 2440年』 ( 1771年刊) のなかの一節 に酷似しているが, おそらくこれを下敷き アン・メ ルシエの 『 にしたものと考えられる. -- この点を最初に指摘したのは A・フゥ ジェ ール・『革命の先駆者, ア 7 ) 同 様 に して 「ス パ ル タ ク ス の 再 来」の 字 句 の み ベ = レ ナ ー ル, 1713~1796』 (1922 年 刊)で あ る( , .. える第2版についても問題に しなくてはならないが, その究明は1950年代以降にもちこされた.. ② 1951 年, H ・ ディ ー ク マ ン は い わ ゆ る 『ヴ ァ ン ドゥ ル 原 稿 群 目 録』 (魔 災”ねメ〃 〆” 野o“ゐ ”8れde”/B dβの≠ Z Z錦蛇s 加a雄な 庇 Di ) を 公 刊 した が, そ の な か に, 「ディ ドロ あ る い は レ ナ ー ル,. )の筆になるきわ j その どちらかは定かでないが, いずれかが, 奴隷に関するペクメジャ (Pechmき a めて大胆な数行と雄弁な断片とを削除してしまったことは確かである。 ……かくも醜悪なる制度を 弁護する者は誰であれ, 哲学者にと って, 深い軽侮に値するものだ, と ペクメジャは言っている.. 私には, この削除については, ディ ドロ氏が後められるべきだと思うし, レナール師の失態を責め 1 786年8月3日付, ヴァン ドゥ ル宛) があることから, るほかない. ……」というネジョ ンの書簡 ( 8 ( ) 第2版の当該箇所はペクメジャ の奴隷制批判 論からの援用 であっ たが, それを第3版への改訂の 9 ) 際に, ディ ドロ か レ ナ ー ル が 削 除, 修 正 した も の で あ る と 推 定 した( . ③ し か し, こ の ディ ー ク マ ン の 「論 証」 は の ち に H ・ ヴォ ル プ に よ っ て 批 判 さ れる こ と に な る.. ヴォ ル プは 『レナー ルとその武器』 ( 1957年刊) において, まず, ネジョ ンの書簡にいう 「削除」は IV〕 パラ グラフ ではなく, 同 じ章 ではあるが, モンテスキュ ー批判に関する部分 (前に引 問題の 〔 用 しておいた 「モンテスキュ ーは奴隷制問題を真面目に論ずる決心ができなかった」 の 一文) につ いていっているものと解すべき であるとしたうえで, 同 じく 『ヴァ ン ドゥ ル原稿群』 に収録されて. いるディ ドロの手稿「黒人の奴隷制について」に着目し, これと『両イン ド史』との比較対照によっ m・紅・粗 て, 手稿 (それには 「その偉人はいずこに」 ではじまる パラ グラフも存在する) は, 第V 篇に分割されて ではあるが, 『両イン ド史』 に 「ことごとく転載された」 (傍点筆者) との 「論証」 1 0 } つまり ヴォ ル プは 第2版当該箇所における ペクメジャの介在を否定するととも を行なっ た( , , . に, 第2版と第3版への改訂がいずれもディ ドロの執筆になる (第3版への改訂ではメルシエをも. 参照して) としたのであり, 論証手続きに違いはあるにせよ, 『両イ ン ド史』 へのディ ドロのかかわ り は ヴォ ル プ に よ っ て 一 層 強 調 さ れ る こ と と な っ た の であ る.. ④こうした見方をさらに進めたのがイ ヴ・ブノの 『ディ ドロ -- 無神論から反植民地主義まで. 20.
(6) . 世界史認識と植民地 (1 1 ). --』 ( 1 97 0年刊)であり, この最も新しい研究では, ほぼ全般的に 「ディ ドロを発見すべく レナー ルを読み直す」ことが試みられ, ブノは『両イン ド史』をもって「ディ ドロの革命的宣言」, i f (Man t e s e. 1 1 } ま た わ が 国 でも ディ ドロ の 思 想 を 論 ず る 際 の 手 ionna i derot rきvol ut redeDi ) と 命名 して い る( , ,. 1 2 ) しかしながら 問題は残っ てい がかりのひとつとして 『両イ ン ド史』 が利用されることがある( . , る. なぜなら, かつてミシェ ル・デュ シェ が196 0年の論文 「レナールの協力者ディ ドロ -- ヴァ ン ドゥ ル原稿群の 『刊行された断篇』 によせて --」 において指摘したように 『両イ ン ド史』 へ , のディ ドロの協力執筆問題の解明が, 専ら傍証に頼らざるをえないという一般的困難をともなうほ か, これま での論証がいずれも, 傍証のうち でもごく 限られた断片に しかもそれらの傍証そのも , のについての史料批判を欠いた立論 であったという事情であ る デュ シェはその一例として 「黒人 . , の奴隷制について」 に依拠したヴォ ルプによる論証をとりあげ, 手稿が 『両イン ド史』 へ 「転載さ れた」 とするヴォ ルプとは逆に, 手稿の方 が 『両イ ン ド史』 から 「抽出された」 可能性もあるとす 1 3 ) る( .. ディ ドロ の ソ フ ィ ・ヴォ ラ ン 宛 書 簡 (1765 年 12月 20 日付) に 「この半年間というもの 私は , , ,. 1 4 }とみえるように ディ ドロは 『両イ レナール師の政冶的著作のために, 精も根も尽きています」{ , ン ド史』 の初版本草稿を校閲した人物 であり, レナールの最もよき理解者として, 第2版 第3版 , への改訂に協力した思想家のうち で最も重要な人物 であっ たろうとの推定には大過はな いと して も, 個々の箇所についての協力関係の解明は, 今後の研究に僕たねばならないのが現状 である . ともあれ, 確かなことは, 『両イン ド史』 が改訂のたびにボリュ ームを増やしていること であり , また, それにともなって, 内容的にも変化が生じた 箇所が少なくないことである 植民地解放主体 . 論は, 先に言及しておいた第 XIX 篇第15章 「新世界の発見がヨーロッパにもたらした功罪に つい ての考察」 (この章は第3版にはじめて追加された)にみえる植 民地独立不可避論とともに 最も重 , 要な箇所である. ここ ではさらに以下の2点を紹介しておきたい. 第1は, アメリカ独立革命観にかかわる. アメリカに関する叙述には, もともと第 XVI I篇と第 XVI I I篇というかなりな分量が割かれていたが 第3版 への改訂に際しては 篇数は不変だが 章 , , , 数で約6割増, ペー ジ数では倍加という大幅な増補がなさ れている この増補は, 『両イ ン ド史』の . 全体をとおしても最大のもの である. いうまでもなく それは,17 76年の独立宣言を頂点とするアメ リカ独立革命の展開を反映したものにほかならない. 第2版において独立革命は第 XVI I I篇第32 章, 33章で叙述されている. しかし, 各々の章タイ トルが「植民地にとって本国の覇紳から脱する のは有益であるか」 (第32章) , 「ヨーロッ パ諸国民が英領植民地の独立のために尽すのは適当か」. (第3 3章)というように, 疑問文で書かれていることからも判るように, 評価, 見通しともに確固 としていない. 最終的には,すべては後世代の人々に期待するほかないと して,「お・, 後世代の人々 , よ, 君らはきっ と悲しむべき, そして軽蔑すべき君らの祖先よりも幸福になるだろう 願わく ば , . この最低の願いがかなえられ, 後世代の人々 が幸福になるであろうという希望によ って, 瀕死の世 1 5 )との文で締めくく ってはいるが 他方では 「植民地が完全に独立を達 代が慰められんことを.」( , ,. 成するには, あらゆる面で覇辞を絶ち切らなければならないが, だとすれば, 本国から永久に離反 1 6 ( }とも書いているのであ することは, むしろ, 植民地にとってきわめて大きな不幸となるだろう 」 . X I I I る. これに対して第3版 では, 章数を計1 V 6章(第 篇第3 7章~第52章)に増や し, 独立宣言 に至る経緯, フランスの参戦にともなう英仏抗争, またとくにトマス・ペイ ンの 『コモン・センス』 ( 17 76年)のかなり詳細な紹介にあてている. ・そして結論的には, 「植民地は本国から分離し, 独立 1 7 )ことを確認するとともに アメリカ独立のうちに 近代ヨーロ パによる3世 する権利をも つ」{ ッ , , 紀にわたる植民地主義的対外進出のひとつの 「記念すべき結末」 を見いだし, ひいては ヨーロ ッ , 21.
(7) . 浜. 忠. 雄. 1 8 ) 『両イン ド史』第3 パのあるべき理想像も, この「英雄的な国」に求めようと しているの である{ , 版では, このように, 全体として ポジティ ブなアメリカ革命観が提示されているといってよいが, アメリカの将来については, なお慎重である. 第2版とほぼ同 じ結語を第3版 でも繰りかえしなが ら, その直前に, 以下のような警告的な一節を挿入しているのである. 少し長いが, 興味深いので 引用 しておく. ロヒアメリカの 人民よ, 諸君に先立つすべての諸国民の, わけても諸君の母国の先例 を教訓とせよ. 黄金の潤沢を恐れよ. それは賛沢とともに習俗の額廃と法の軽視をもたらすからで ある. 過度に不平等な富の分配を恐れよ. それは少数の市民の賛沢三昧と大多数の市民の貧窮をも たらし, そこから, 富者の倣慢と貧者の堕落が生まれるからである. 征服心からわが身を守るよう に. 帝国の平穏は, それが膨張するにしたがっ て失われてゆくからである. 防衛のために武器をもっ ても, 攻撃のために武器をもってはならない. 安楽と健康は労働に, 繁栄は土地の耕作と工場に, 力は善良なる習俗と徳のなかに求めよ. 科学と文芸を振興せよ. それらは文明人を 未開人から区別 するものだからである. とくに諸君の子弟の教育に配慮せよ. 賢明な官吏, 有能にして勇敢な兵士, よき父, よき夫, よき兄弟, よき友, よき人間が輩出されるのは公けの学校からであるを信 じてほ しい. 青年の堕落のみられるとこ ろはすべて, 国民は衰退に向っているの である. 自由が諸君の基 本法の英知のなかに不動の 基礎を持つように, そして自由が諸君の諸州を接合する不滅の紳となる. ように, 諸宗教の間にいかなる法的優先を設けてはならない. 迷信は, それが保護もされず迫害も 1 9 ) ( されないところでは, 無害なものである. できうれば, 世界とともに諸君も永遠であるように.」 -- 独立革命後のアメリカ史を知 っているわれわれにとっ て, この予見的洞察には驚異を禁じ得な Z粥わ” ひ o い. ちなみに, レナールが『両イン ド史』第3版刊行の翌年に書いた『アメリカの革命』 (尺彦 2 0 ( } られる deZ翼 伽β“q”e . ,Londre でも,『両イン ド史』からのひきうつ しと思われる論調がみ ,1781 このように, 肯定と懐疑を同居させた, 『両イン ド史』のアメリカ 独立革命観は, ディ ドロ, とくに 782年)におけるアメリカ独立革命観と酷似し 彼の晩年の作品『セネカ論』 (初版1778年, 第2版1 ているように思われる, 中川久定 氏の研究によれば, ディ ドロは, 基本的にはアメリカ独立革命を 称讃しており, 「ただひとつ, 理想の国家の可能性を, アメリカの独立革命のために蜂起した人民の なかに発見したのである」(傍点原文)が,「無条件にすべての人民に信頼を寄せていたのではなかっ た.」 「人民への期待」 と 「人民への絶望」 が同居するディ ドロにおいて, 「人民への幻滅」 は 『セネ 2 1 ) 速断は できないが 協力執 カ論』 第2版に至っ て 「ますます深まっていく」 ということ である( , . 筆の可能性も含めて, 『両イ ン ド史』のアメリカ独立革命観にディ ドロの影響を 認めてよいかもしれ ない. それにしても, 『両イン ド史』における植民地解放主体論と, 現実に進行しつつあるアメリカ 独立革命に対する見方との間には, ニュ アンスが存在する. それが, いわば理論と実際との間の問. 題であるのか, あふいは特殊アメリカ独 立革命の歴史・具体的な在り方にかか わる問題 であるのか, それとも何か別の 問題でもあるのか, 筆者には確定でき ない, したがってここ では, そのような問 題点のあることを指摘するにとどめ ざるを得ない. I I篇第23章「イ ンディ アンの旧状と現状」に加筆された「ラス・ いまひとつ注目 したいのは, 第 VI I l ) である. ラス・カサスに 関する叙述としてはもう一箇所, 第 XI e カサス煩」 ( ogedeLasCasas 篇第15章 「マ ドリッ ド王室, クマナをラス・カサスに 委譲. この著名 な人物による教訓的事業」 が あり, いわゆる 「クマナ計画」 について書いているが, 後者がいわば事実の平板な叙述であるのに 2 2 }と評されている ( 対して, 前者は, 今日, 「近代ヨーロッ パの植民地主義に対する最初の批判(者)」 ラス・カサスヘの文字通りの讃辞であり, その復権なのである. 少し長いが引用 しておこう. ちな 2 3 ( } みに, い しは ら や す の り 氏 は こ れ も ディ ドロ の 執 筆 に な る も の と み な して い る . 「お ・ ラ ス ・ カ サ ス よ /君のなしたユマニテは, 君の同国人が一団となっ てなした征服をこえ 22.
(8) . 1 ) 世界史認識と植民地 ( 1. て高くそびえている. もし来たるべき時代に, 侵略を受けたこれらの不幸な国 で再 び人口が増え , そこで法, 慣習, 正義, 自由が行なわれるならば, そこに立てられる最初の立像は君の像 である. だろう. 人は, 君がアメリカ人とスペイン人の仲に立って, アメリカ人を救わんがために ス ペ , イン人の合口の前にその胸をさし出した人であることを知るだろう その記念碑の台座に は 『残 . , 忍な時代にあ って, 君が見あげるこの人ラス・カサスは善をなした人であっ た 』 と刻まれること . だろう. その日を待望しつつ, 君の名は, およそ感性をそなえたすべての人の魂に銘記され続け ることだろう. そして, 君の同国人たちが, 彼らが英雄と呼ぶ人の野蛮さに赤面するとき 彼ら , もまた君の徳を光栄とするだろう. 願わくは, この幸いなる時が, 私の恐れているほどには遠か 2 4 ) らぬことを /」{. 中川氏は, 「今ま で ( 『両イン ド史』 第2版ま で -- 筆者) の客観的歴史家の視点は, (第3版に 至って -- 筆者)被抑圧民族の立場に身を置いて, ヨーロッ パ列強諸国の植民主義を弾劾する 主 , 2 5 )とされている 氏の場合 この 「転換」 をディ ド 体的政治批判者の視点に転換 したのであった」( . , ロの協力執筆の結果とみており, また, ここにいわれる 「主体的政治批判者」 の意味は必ずしも定 かではない. 『両イン ド史』第3版における「主体性」については改めて吟味しなけ ればならないが , 『両イン ド史』 における反植民地主義の立場は, 第3版で一層徹底した 形になっ たといっ てよい . 以上が 『両イ ン ド史』 における植民地解放主体論とその周辺の概要である そこ で 端的に 次 , . , のように問うてみたい, -- 植民地黒人奴隷制, したがってまた, これを横粁とする旧植民地体制 の揚棄の担い手が, ほかならぬ植民地黒人奴隷自身 でなければならないのはなぜか, と 残念なが ,. ら, 『両イン ド史』にはそのような問いに対して直接に回答となるような叙述はない 筆者が通読し . た限りでは, 次章にみるような, 『両イ ン ド史』におけるフランス旧植民地体制認識にひとつの理論 的根拠をさ ぐることが可能と思われるが, いまひとつには, 「地理上の発見」を起点とする植民地主 義的膨張がヨーロッ パに与えたインパクト, とりわけ, ヨーロ ッパの物質的, 精神的ないし倫理的 額廃への洞察 -- すでに述べたように, それは,『両イン ド史』の初版本以来の中心的問題観 であっ た -■ からの論理的帰着とみることも可能と思わ れる. こと植民地の問題に関するか ぎり 就中 , , 植民地黒人奴隷制あるいは植民地主義の揚棄という「世界史」的課題におけるヨーロッ パの無力感= ペシミズムは否定しがたい. そうした見方は, ヨーロ ッパ枝:明への懐疑 否定にもつながる 例え , . ば, 「(ヨーロッ パの -- 筆者)諸君は諸君の文明を誇りとしている. しかし, 文明は諸君にとって 何の役に立つのか ? 文明 は ホ ッ テ ン ト ッ トに と っ て 何 の 役 に 立 つ の か ?……逃れよ, あわれなホッ ′森の中に身を沈めよ 猛獣といえども おまえたちがその掌中におちよう テントッ トよ. 逃れよ, . , 2 6 )けだし 『両イ ン ド史』 における 「植民地解放 としといる怪物よりは恐ろしくはないのだ…….」( , 主体形成への信頼を基礎とする楽観論」 は, ヨーロ ッ パへの不信と表裏なのであり 少なくとも , , 『両イン ド史』 の 「主体性」 とは, そのような問題を含むものなの である . しかしながら, にもかかわらず筆者が, この, 植民地黒人奴隷制は植民地黒人における解放主体. の形成によって可能であるとし, かつその不可避性を確信する, 『両イン ド史』における植民地解放 主体論にことのほか注目するのは, まず, そのような論調が, モンテスキューやボルテー ルなどに. 代表される,多かれ少なかれアイロニ-とシニスムを基調とし,またそれをもって終始したアンシャ ン・レジーム末期に支配的な黒人奴隷制批判に較べて, きわめて特異であることによ る 『両イン ド . 史』 を別にすれば, 黒人奴隷制の廃止ま で展望した批判論の本格的展開は, フランス革命までまた なければならないのである. フランス革命 での黒人奴隷制廃止に至る経緯については別の機会にや 2 7 ) 詳細は省か ざるをえない が 本稿の主題にかかわ て 重要なこ や詳しく論じたことがあるので( っ , , 23.
(9) . 浜. 忠. 雄. とは, 1 794年2月 4 日国民公会による黒人 奴隷制廃 止宣言に至る過程 で, 植民地における解放主体 の形成に期 待しつつ, これを通して黒人奴隷を解放しようとする 主張が皆無であったことである. たしかに, 部分的とはいえ, ロベ スピェールやマラーのように, 植民地の独立・ 自決権に論及した 事例は存在 するものの, かかる独 立・自決権を実現すべき担い手の問題ま では 立ち入っていないの 2 8 ) 否 むしろ次のようにいうことができる 革命議会における黒人奴隷制をめぐる論争の である( . . , 791年8月 22 日未明には じまる仏領サン・ドマン グ黒人の蜂起に 行方を決定づけた究極の契機は,1 求められるが, この, 植民地黒人における解放主体形成への 「黒人の友の会」 を中核とし, ロベ ス ピエ ールを含めた廃 止論者の対応は, こ れに同情あるいは共感を表明するというよりは, むしろ明 794年の時点で黒人奴隷制の廃棄を決断せ ざるをえ 確に敵対的ですらあっ たの であり, しかるに,1 なかっ たのは, そうすることが, ひとつには 「黒人革命」 の展開そのものによ って, いまひとつに は, イ ギリスおよびスペイ ン軍の侵攻の開 始によ って現実に 進行しつつあっ たサン・ ドマン グの喪 失=フランス旧植民地体制の崩壊の危機を回避する唯一の方途であるという見方が支配的であ った. からにほかならない. 植民地の「騒擾」を眼前に したフランスの革命家たちにと って, 『両イ ン ド史』 における植民地解放主体形成の 唱道は黙認こそすれ, 受容し継承すべきものではなかったよう であ る. 筆者には, 『両イ ン ド史』 についての 「沈黙と忘却」 はすでにこの時点ではじまっているように 2 9 ) ま た レ ナ ー ル 自 身 も な ぜ か 沈 黙 し て い る す でに 80 をこえる高令であるとはいえ, 不 思 え る{ . , . 可解なこと である. (この点, 後述する) , 804年のハイ チ共和国の成 そして, 一層重要なのは, サン・ドマン グの 「黒人革命」 が最終的に1 立に帰着することであり, その指導者 トゥサン・ルヴェ ルチュールが頻々 「レナールが予言 した, 3 0 )と評されること である トゥ サンが実 黒人の解放を成就すべく予定された黒人のス パ ルタクス」( . 際に 『両イ ン ド史』 を読んだことがあるか どうか, また仮に読ん だことがあるとしても, そのこと がトゥサンをして黒人解放運動に合流せしめた 直接の契機であっ たかどうか, 史家の見解の分かれ 3 1 ) だが ともあれ こう して「ス パルタ るところであり, 筆者もこれを論証する史科をもたない( , , . クスの再来」 は出現し, ここにアメリカ合衆国につ ぐ西半球で第 二の独立国が史上最初の黒人共和 国として誕生し, これをも ってフランス 旧植民地体制は事 実上崩壊するに 至っ たのである,『両イン ド史』における予 言は, 今度のス パ ルタクスがクラ ックスのかわりにナポレオンにまみえ, 1803年 獄死した 点を除けば, 完全に的中したのである.. 註 すd f 2“ z e名 c e se z ‘c o“ l e ’ ’ z e“Z s 臨α秘なs ‘ ede l laume ThomasFrancoi os z z 8 鑑 Po肋 郷‘ sRayna op/ q ( 1 ) Gui ,“歳の惚 P屑′ 4 L H r 4 t e 巨 d 1 7 7 5 1 3‐1 7 e d 4 7 a 0 A t a d 1 t 〆 l 3 7 7 y ヱ ; de zα 7 2a s . e s dg ,. , , s E綿兜 . , ) の彰m dの2s/ , mser am, . ,PP , f. , 1章 .初 版に は 篇 章 タイ ト ルは な い. 第 2版 は第 XI篇第3 pp ,6 ,219一222 , ,pp .225一227; ed ,Geneve ,t ,1780. 「奴隷制は人道, 理性, 正義に反する」 にある. g e e r ,26 , .1 . .1 ,21;3 ed ,t ,p ( . .1 .12;2 edりt ,p 2 ) こ の 指 摘 は す べ て の 版 に み え る. Raynal ,p ,t , 甘禽『諺だ,l ed 8頁. モンテスキュー 』所収, 河出書房新社) ) モンテスキュー『法の精神』(根岸国孝訳, 『世界の大思想,16 ( 3 ,21 ′ ! z e s rresc zばes z ‘ γ 彰song〃 ”〃昭e s on ,‘ の黒人奴隷制批判の特徴については, 以下を参照. Jame ,解脱 細 切れ‘g e ーの新 XV刀 Z 治d 1 P i 「 宮沢的モンテスキ F 1 1 9 ) 根岸国孝 ュ ′ s B de roか加われ α”友榔c ”〃昭 態ge“ m”” ”” , ars, 43年) 『歴史評論』15号, 19 展開 -- 石母田正氏 『奴隷制理論』 批判 --」( . e r l 4 ,l ( ) この一文は, 初版と第2版にはあるが, 第3版では削除されている, この点, 後述する. Rayna ,亙鮎〆だ 8 ed ・217 . . .4 .167;2 ed .4 ,p . ,t ,t ,p 1 9 66 ) ′ 4郷,( 臨め” l l i β“病ん/ z e 粥鐙ごみ 2 β ’将 α“df ( 5 ) E. Wi ams ,田中浩訳 『帝国主義と知識人 -- イギ ,London ,. 0頁を参照. 97 9年) リスの歴史家たちと西イン ド --』(岩波書店, 1 ,2. 24.
(10) . 世界史認識と橘民地 ( 1 1 ) i i i ‘ ′ ) Louis-Sebast f舵 c ( 6 en Merc er z ”q z f q g“Zq加 川 昭ぽ B ゞ” 卯 月彰 卿’ 〃”声 z z幼Zdg r弄 z o ’ 2 ““ 8 ,L員カ メ窃獄 “ , だり ,s 1 1 4 7 7 1 4 8 能 た 即 増ぞ 7一1 p p . , , . l ( ) Anato 7 ′ l e Feugき re di eme z ‘将段″ 露 ね 尺勿o ) z o“‘‘員樋″Rの’ zd ヱ7Z3-ヱZ96 (1922 , のzpmc . ,Angou ,pp 204-206 .. ( 8 ) ペクメジャ ( 1 43~1 85年)はほとんど馴染のない人物で, 詳しいことは判らないが, ネッケルとの親交を通 7 7 してレナールとも交流があったらしい, 著書に, β′ 1 ′庇打( 1 77 3 劉劾ん8( 1 4 78 ) )がある. 〔筆者未見〕 o e dB CO g ,7 tDi 加 Z 9 ) Herber ね 居 { d ぬ 鑑 d dβ川乙( 1951 物 〆 ‘ 動偽 eckmann 健れ 舵 み ) 加 ” 鰯 e Di ”e z ‘ 飲 z , ,93一94 , ,pp d l ( 1 の Hans Wo 尺 〆 f 或鰯 d 加〆 L饗縞の i メカ 1957 〆 g s α “ z o g g z 鎚 sg ( “ 解 γ 陀 g e s e sp e項 β ’ z れの膨れ嵐 彬 s pe e g . , 呼 , Stanford U.P. ) .178一185 , ,pp dβ知≠ ( 1 1 ) Yves Benot 言虚’ i ) 2 2 2鳶 拘れ”の加川初ゐm8 1970 s .156 . ,Di , de r餌/ ,Par ,p. 3 1 『京都大学文学部研究紀要』 ( 2 ) 代表的には, 中川久定 「ディ ドロの 『セネカ論』 (上・下)」( 7 , XIV, XV, 19 , ) 1 9 75 ,この論文は最近, 同名のタイトルで岩波書店から刊行された. ” de l l l:A proposdes 《Fraguement imes ( 1 3 ) Mich引e Duchet rotco aborat eurde Rayna 》 du Fonds slmpr , Di ’ 兄例解 α′ ’ l d 加 Vendeu 野 LX( 1 9 0 1 野 禽 ざ 加 6 5 3 6 わ L前 言 5 一5 ) B 焔 “ c 柁 加 e . , , , ,pp i { 1 4 ) @卿”悌 Cの砂′酎榔 dB Did窃鴫 記り Assきzatet Tourneux,(1875一1879,Par ) s p , xi ,208 , ,t e l ( 1 め Rayna リカセ . .7 .186-187 . , 猛禽ホ ,2 きd ,t ,PP e l 1 ) Reyna ( 6 oカセ . .7 .182一183 . ,自発云 ,2 きd ,t ,PP. l ( 1 の Rayna . .9 .247 . , 猛2勤〆柁,3宅d ,t ,p 8 l 圧縮 カ 3 とく に は, Rayna セ o , ed . .9 .374 . , ,t ,P eed t 9 PP 380一382 l 甘 禽わ お 3 1 9 ( D Rayna 竹 . , . , ,. , . (噂. 側 ) 『アメリカの革命』の結論的部分は, 『アメリカ古典文庫, 16 7 8年, 2 93~2 95頁) , アメリカ革命』(研究社, 19 に訳出されたことがある. 御 中川前掲論文, とくに, (上) 1~1 6頁, (下) 5 2 3~225頁, 岩波版, 131~1 4 0 4 8頁. , 15 ,2 , 345~3 鰹 ) さしあたり参照, 増田義郎 「インディ オの人権問題とラス・カサス」( 『思想』 6 7号, 1 97 1年) 1頁. ,5 ,6 鰹 ) いしはらやすのり 「世界史の 『深さ』 について --16世紀と 『西インド』 の投げかけるもの --」( 『歴史学 研究』 40号, 197 7年) 7~18頁. いしはら氏の訳には, 2, 3箇所省略がある, ,4 ,1. e l 吃 4 ) Rayna oわ@ .4 .340-341 . ,自発『 ,3 edりt ,PP. ( 2 5 ) 中川前掲論文, (下) 2頁, 岩波版, 23 5 6頁. ,1 l ( 2 の Rayna ,且鷺かわせ ,. ed . .1 . .398-399 ,t ,PP. 師 拙稿「フランス革命の植民地問題 -- 黒人奴隷制の廃止をめぐる論争 --」( 『歴史学研究』 19号,1 9 75年) ,4 . 鰐 ) とくにロベスピエールについては, 拙稿「『原則よりも植民地が滅んだ方がよい』というアポストロフについて」 (北海道教育大学史学会『史流』 7号, 1 9 76年) を参照されたい. また, マラーが『人民の友』( 1 1年1 2月 79 ,1 12日付)に書いた「植民地が本国の暴虐な鎚辞から脱する権利」は, 平野義太郎『基本的人権と民主主義の闘争』 (大月書店, 1 97 7年, 1 3~14頁) に訳出されている. 御 前号に述べたように, ハンス・ヴォ ルプは, 「沈黙と忘却」 のはじまりを1 8 20年頃においているが, 筆者は, この植民地解放主体論に関する限り, もっと早い時点に考えている. ‘ 鰐の C,L.R.James di 1938 2 8Bな暁 庵の愛郷,雷の侍sの露 乙破り z gsのzDの’“〃go 尺8ジo′ gmzだ のz zはめ’ z ,77 , ,( ,2nded , 1963 ) .250 . ,New York ,p Georg F.Tyson J 1 9 73 ‘だ,( )によれば, 『両インド史』 はトゥサンの愛読 sd紹 Lozのe“? r s ey , rり の侍 ,NewJe. 御. 書のひとつであり ( 2 ) p .1 , またトゥサンは 「黒人は自由であり, 彼らは指導者を求めている. それ故, 私は, レナール師が予言したこの指導者にならなければならないのだ」 と語ったとされている ( t ) 5 s on p .8 . 他方, Ga Ma i t 1 9 48 i r n z蛇 毒 物s s/ scαのz卿 ゑの )は, トゥサンが 『両インド史』 を読 e cなり僻edの2 r z卿な蘭 s ,亙鯖o ,( ,Pa んだ可能性を認めつつも, その時点で彼が「黒人のスパルタクス」 たることを決意したかどうかは不確かだとし てい る (p ) .277 ,. 25.
(11) . 浜. 忠. 雄. 『両インド史』 におけるフランス旧植民地体制論. 4. 8 以上に紹介してきた 『両イン ド史』 の問題観や植民地解放主体論は, 本書が執筆, 刊行された1 地体制の歴 地貿易 あるいはフランス旧植民 760~1770年代のフランスの植民 世紀後半, とりわけ1 , 史・具体的な在り方に関する認識と不可分である, 『両イン ド史』 初版の執筆が七年戦争終結の直後 8世紀における対 英植民地抗 であることを重ねて注意しておきたい. 周知のように, フランスは, 1 争の過程 で, 既得の植民地領土から大幅な後退を余儀なくされ, とくに七年戦争での敗北によ って, 西イ ン ド・アンティ ユ諸島 (サン・ ドマン グ, マルチニ ッ ク, ガドループなど) を残して, 主要な 植民地のほとんどすべてを喪失したの であった. したがって, かかる地域構成か らしても, フラン 0年以降について検 討しようとするときには, ほ 76 スの 旧植民地体制を, 少なくともさしあたり, 1 う. 『両イン ド史』にお ずることで足りることになろ ド諸島の在り方を論 ぱら仏領西イン とんどもっ ける分析が, 西イ ン ド諸島に 重心をおいているのも, そのような事情から理解されよう. 筆者は, 本項のタイ トルを 「『両イン ド史』 におけるフランス旧植民地体制論」 としたが, 『両イ ン ド史』 は, フランス 旧植民地体制について, 理論的・体系的に論 じているわけではない. したがって, 多分に 散文的 な叙述のなかから,フランス旧植民地体制認識にかかわって重要と 思われる部分をとりあげ, 若干の分析と 説明を加えながら, 紹介してゆくことに する. 表i. 『両イ ン ド史』 に利用されたフランス・西 ドイ ツ貿易統計資料. a) サン・ドマングからの輸入の品目別構成. ミ ≧\ き 糖. 砂. 1720年. 1767年. (量). (量). カンタル リ一つル 1,230,673 1,242,807 94 459,339 121,979 77 18,086 6 5 6 2 17, 9. 224,000. コ ー ヒ ー イ ン ディ ゴ カ. 綿. カ. 1775年. 12,000. 1,500 00 29,659 20. オ. 花. (額). (量) 70 41 29 82. その他とも合計. 輸. 入. 額. ガ ド ル ー プ 12,751,404 16 10 (10 ,1%) 488,598 3 3 ( 0 4%) カ イ エ ン ヌ . 計. 126,378,155 18. 19 10. 0. 405,134. 16. 0. 6,723,205. 0. 0. (7. 1%). 94,162,178. 16. 9. 0%) (100 ,. 額. (%). サン ・ ドマ ン グ 94,162,178 16 9 (7 4 ,5%) マ ル チ ニ ッ ク 18,975,974 1 10 (1 5 ,0%). 合. 21,818,621 15,373,346. ドゥニエ 2 7 (4 .5%) 6 (23 .2%). (16 .3%). (0.4%). 乙 c){ 、領西インド産品の国内消費と再輸出の構成 (1775年). b) “ 75年) 、領西イン ドからの輸入額(17 植 民 地. スー 2. 64. 5,787 26,892. (%). リーフル 44,738 139. 8 ( 1 00. 0%). (%). リーブル スー ドウニエ. 国 内 消 費 52 793 763 5 8 (4 1 .8%) , , 輸 出 73,584,392 13 0 ( 58.2%) 再. 遁 の 昂. 繋. 合. 6%) 糖 38,704,403 0 0 ( 52 . コー ヒー 23,727,608 13 0 ( 32.2%). 砂. インディ ゴ カ カ ォ. 綿. 花 計. 9,610,423 0 0 ( 1 3 1%) . 544,592 10 0 ( 0,7%). 255,027 10 0 ( 0,4%) 126,378,155 18 8 (100,0%). z s T. F Rayna l s弱め焔s鋤卿鷹 鼓 血 “m川8だg dgs 段ぼり姪β那 加’ (出典)G, p疑似8鑑Po協均解 de , ,納豆oかぜP膚廓o. ed t5 p158; をs de”× 加dg s1720年:2 . , ., . f 2 2 0 ed t 7 . . . , .,p 26. e eed t5 p158 e 119;2 4 220f 7 edりt . . . .1767年:l6d り ., , .1775年:3 . . ,t ,p ,p.
(12) . 1 ) 1 世界史認識と植民地 (. 表2. 『両イ ン ド史』 に利用さ れたサン・ ドマン グ人口統計資料 1764年. 1754年 白. 人. 14,258. 既 婚 女 性. 7,758 2,525. r 武 器 所持 白 人 未 婚 女 性. き ー. 女子(12歳未満). 、 男子( 〃 ) 混血 人または自由黒人 内 訳. 1… ′ 戦闘可能な男子 {既. 婚 女 性. 女子(12歳未満) ′ ′. 864 172,548. 内. 成 人 男 子. 訳. 〃. 女 子. 少 年 男 子 〃. 1,626 1,009. ). 男子(. 奴. 4,861 1,362. 隷. 黒、. 人. 781 1,691 1,503. 女 子. 79,785 53,817 20,518 18,428. 武 器 所 持 白 人. 裏 {-. 8,786. 4,306. 軍隊へ編入可能な 混血人・自由黒人 部 内 ′北 訳{ 西 部 南 部 、 黒 奴 人 隷 ′ 都市の家事従事 内 製造工場に従事 訳 食料・野菜栽培 輸 出 品耕作 、. 3,470 1,010. 4,114 1,370 2,250. 497. 206,000 12,000 4,000. 1’000 180,000. 1775年 白. 人. 混血人または自由黒人 隷 黒 人 奴. 32,650 6,036. 約 3Oopm. 注) 合計と内訳が合わないところもあるが、 原文のまま. (出典) G.T.F l 云α” の“〃〃”だβde o s砂畝q粥 郷 p〆粛々””dg sE s 臨め‘無8加e昭sg z ‘m鷲8郡 吻欄‘ s g ,Rayna , 月蝕oかeP殻‘ eed t5 pp155 8 dg 1 4 年 1 4 1 1 8 1 7 7 5年: ad「t 7 5 2 1 1 6 4年 d 1 5 1 5 6 d 5 6 e 5 5 e t 7 z ‘ 尤 加de s 7 t : : ‐ ‐ ; p , , , . , . . . , ., . . , ,, . , .,pp , 224 p , .. さて, 『両イ ン ド史』は仏領西イ ン ドに関する叙述のなかで, いくつかの資料(いずれも出典の明 示なし) をあげている, それらをまとめると表1と表2のようになる.. 1 8世紀フランスの植民地貿易に関してより詳細かつ 豊富な資料を利用することの できる今日の 1 } 『両イン ド史』に利用された資料の貧弱さは覆うべくもない しかしな 研究水準に較べるならば( . , がら, 仏領西イン ド植民地のうちサン・ ドマングが占める地位の絶対的高さ, そこにおいて産せら れ, その大半がヨーロッパ諸国に再輸出されることに なる砂糖, コーヒー, インディ ゴなど熱帯産 品輸入量の激増, とりわけコーヒーの比重の上昇, また, 植民地における生産を保障する黒人奴隷. 数の急増と, それにともなう人口構成の歪みと不安定性など, この時期の仏領西イン ド植民地が有 した生産・社会構造と貿易構造の基本的特徴 -- それらは今日でも修正の必要はない 一一 は, 表 8世紀フランスの植民地の構造や植民地貿易の態様 現しえているということができよう. 本稿は,1. について詳論するのを直接の課題としていない, それらについての筆者なりの分析は別稿にゆずる 2 ) ここでは 最近の研究成果から得 られる統計資料のいくつかをあげることによっ て,『両 こととし( , , イン ド史』 に利用された統計資料と対比させるとともに, 植民地貿易の構造を概観する便に供する に と どめ る.. 8世紀を通して拡大の 一途を辿っ た事実を前提と 最近の内外の研究は,フランスの植民地貿易が1 して, かかる植民地貿易の 飛躍的発展が, フランスの対外貿易全般の構造あるいは国民経済の 構成 27.
(13) . 浜. 表3. 忠. 雄. 最近 の研究によるフラ ンス植民地貿易統計. a) 仏 領 西イ ン ドか ら の 輸 入 量. 年次. 砂. 1765. 1,324.7(83) 1,297.2(83). 1767. 糖. 000カンタル 単位:1,. 綿. コ ー ヒ ー. イ ン ジ ゴ. 花. 3 9 (2 .2 .4). 199.8(13). カ. 2 0,0 (1. 2) 15 9 ( 1 0) , . 1 1 6 1 ( 0) . .. 45 1. 9 (23 ). 52 1) (3 ,4 . 1 1 3.7 (.6). 17 9) (0. .4 17.5(0,9). 13.8(0.7). 1 6. 1 (0. 8). 12 (0 6) .2 .. 18.6(0.7). 10.2(0.4). 24.7(1.o) 18.7(0.9). 18.6(0.8) 13.6(0,5). 1,527.5(74). 475 1 (23 ) .. 1774. 1,468.2(69) 1,642.7(73). 598,5(28). 37,2(1,8). 5 51 4 4) (2 . 6 12 0 (25 ) ,. 46, 1 o ) (2, 3 6. 5 (1 4 ) ,. 5 12.5 5 ) (2 63 5. 9 (2 5). 60, 4) 7 (2,. 15. 3 (0.6 ). 3 (2 8) 82. .. ) 9,3 (0.3. 1,825.0(73) 1,536.2(69). 1777 1784 1788. 1 6 9) 9. (0.. 51 (2. 3 ) .8 5 9 1 9 (2. ) .. 71. 6 8) (2 .. 65 9, 6) (2 6. 1,783.4(70) 2,065.1(70). 1786. 38 (1. 8) .0. (2 7) 588 ,7. 1,459.7(71) 1,852,8(72). 1783. 4 4) 6 (0 . . 4) 7.3 (0 . 14.2 7) (0 .. 1 2 62 (15 ) .. 1773. 1776. 12.6て0,8). 46,7(3.0). 1772. 1775. ォ. 190.7(12). 1,365.4(80) 1,425.4(74). 1768. カ. 788.4(27). 1 1 747‐749 (出典) J r rade . , .Ta ,pp , 物.ばち t. 10. 1 (0 ) .5. 16.5(0.6). 11.3(0.4). 16.8(0.7) 11.9(0.4). oトン) oo c) 砂糖生産高の比較 (単位:i. b) 仏領西インドからの輸入額. 単位:1,0 00リーブル. 品. 目 別. 砂. 糖. 1775年. コ ー ヒ ー. 綿. 花. イ ン ジ ゴ 力. ヵ. ォ. その他とも 合 計. 1788年. 4 6 3 8 6 ( 4拷j ,. (%) 80,074(35.5) 71,672(31.8). 5,698( 5,6) 9,883( 9 8 ) . 710( 0 7) .. 21,368( 9,5). 29,039(28.7). 9,373( 4 .2) 905( 0.4). 1101,108(loo,o) 225,290(100.o). 1 6 0 01 6 5 01 7 0 0. 12頁より引用 2. d) 品目別再輸出率 (%). 1 786~1 7 90年平均) e) 再輸出先 (. 額. 量. ハ ン ザ 都 市. 1776年 1785年 1788年 1776年 1785年 1788年 68.4. 64,2. 63.I. 59.8. 46.9. 40,7. コ ー ヒー. 31,O. 33,5. 34.9. 35,1. 42.6. イ ン ディ ゴ. 49.7. 0.3. 0.4 1.0. 0.3 1.i. 4.5. 5.9. 4.1. 3,8 0・7 0.l. 3.I 0,4. 綿. 花. カ. カ. オ. 0.3. 0・7. 0.5. 0.6. そ. の. 他. 0・0. 0・l. 0.l. 0.0. 合 計. 2,O. 100.0 100.0 100・0 100・0 100.0 100.0. (出典) d) 、 e) 、 ともに、. J 1 1 rade 753一755 .Tar . oAげた ・ ・ ,t ,pp .. 28. 1 8 5 0. London) 198一199 240 .112 ,pp ,i31 ,193一土94 , , , 池本幸 三 「奴 隷制 プラ ン テー シ ョ ン と 奴 隷貿 易」 ( 『講座 西 洋 経 済 史』、 1、 1979年、 同文 館). 772 ,. 糖. 1 8 0 0. I Deer 77 (出典) Noe z g 猛禽わが け S堰け ( 1 94 9 195 0 - ,. 739 (出典)J r r ade p ,n,pp .Ta . ,747州749 .凋ん t , ,o. 砂. 1 7 5 0. 34,4% 19.4. オ. ラ ・ン. ダ. イ. タ. ア. lo・7. ツ. lo.l. 諸. 国. リ. ス. 6.O 4.6. ス. 4.5. ン. し パ ン ト. ト ルコ. 4.5 4.3. 他. 1.5. ド. イ. 北. 方. イ. ギ. ス. リ. イ. プ ロ イ セ そ. の. 合. 計. 100・0.
(14) . 1 世界史認識と植民地 (1 ). にとって, どのような意義をもったかを究明することに, 主たる関心を向けているといっ てよい. 定説の確立には, なお研究の蓄積を要するが, 現時点での研究上の到達を示すものとして重要なの. 8世紀フラ 8世紀におけるフランス対外貿易の展 開過程」 である. 第1. 1 が, 服部春彦氏の近業「1 6年 71 ンスの対外貿易については, 従来, 史料上の制約から, 主としてア ルヌールの史料によっ て1 87年を対比することで満足しなければならなかっ たが, 氏は, 公刊史料に加えて, 各地の文書 と17. 8世紀中葉における対外貿易の在り方に照明を 館に所蔵される 未公刊史料をも駆使して, 初めて, 1 当て, こうして, 18世紀初頭, 中葉, 後半の3時点におけるフランス対外貿易の構 造的特質の対比 をとおして, 1 8世紀対外貿易の変動の 全体像を解明された. あえて疑問を差しはさむ余地のない, 8世紀初頭の食料の輸入と製造 綿密な論証結果は, 次のよう である. --「フランスの対外貿易は,1. 表4. 最近の研究によるサン・ ドマン グ人口統計. a) フランスの黒人貿易による奴隷輸入数. 年次. サ ン ・ ドマ ン グ. 乙 f 、領アメリカ合計 lo’011. 1763 13,860. 15,451. 1767. 15,309. 15,936. 1768. 14,312. 15,078. 1770. 16,193. 17,104. 1771. 10,018. 10,383. 1774. 13,188. 13,378. 1775. 15,112. 15,481. 1776. 20,501. 21,608. 1777. 18,689. 19,128. 1778. 12,784. 1783. 6,430. 7,757. 1784. 22,711. 23,388. 1785. 21,652. 22,619. 1766. ◆. 1786. 27,648. 27,839. 1787. 30,839. 31,193. 1788. 29,506. 30,171. b) サン・ドマング人口構成の推移 年次. 白 人. 1681. 6,648. 1738. 14,022. 59. 曹由受 黒人奴隷 2,102. 117,411. 104,839. 65. 89 91. 351,626. 240,000. 386,500 406,215. 27,717 21,808. 405,564. 594,301. 30,000 24,000. 480,000. 71. 88. 1700) 70,000 1740) 250,000. 223,625. 70. 79. 1687) 27,000. 108,539 200,000. 63. 74. 黒 人 奴 隷 アンチィユ計. 20,247 32,650. 6,000 7,055. 240,095 249,098. 460,000. 683,000. 拙稿「フランス革命の植民地問題」、 4頁より再録 1 6 43~1 84 1年) c) 奴隷人口の比較 ( (単位:1 0 00人) ,0 サン,ドマング (ハイティ). D ジヤつイカ. E キューバ. 注) 仏領アメリカ合計には、 サン・ドマングのほか. マ ルチ ニ ッ ク、 ガ ドルー プ、 仏領 ギアナ を 含む。 1 1 759 (出典)} rade .Tar . ,p . . ,t , 物,αた B C 1 5 5 0 年1 6㈹. D 1 7 ( } 0. 1 5 7 0. 1 0 8 0. 0 1 8 5. l i i ず t (資料)Phi n cS如“g rmd A pD ,Cur . 77招 A肋“r 4 3 C 5 9 79 9 69) e ; 2 以榔(1 , , pp , , ,. 13頁より引用 池本、 前掲論文、2. 29.
(15) . 浜. 忠. 雄. 品の輸出とを基軸とした, 未だ早熟的ながら工業国型の構造へと, 転換をとげるにいたった」 が, 世紀後半には, 貿易の成長は世紀前半に比して緩慢と なり, とりわけ, 繊維製品を中心とする製造 品の輸出は, アメリカと西アフリカの植民地市場の急速な拡大にもかかわらず, ス ペイ ン, レヴァ. ント, ドイツ市場の収縮によって伸 び悩み, 加えて, 輸入食料に占める植民地産品の比重が格段に ( 3 )第2に重要な 増大したことによ って,「食料の輸入と輸出を基軸とした構造へと再転換をと げた.」 点は, 第1の点からの帰結 でもあるが, 海外市場争奪戦におけるフランスの対英敗北の画期を, わ. が国での一般的理解 である七年戦争期に ではなく, フランス革命=ナポレオン戦争期に求め, その 4 ) 場合, 仏領サン・ ドマン グの独立=ハイチ共和国の成立の事実を重視されていることである( . 服部氏の分析を念頭におきながら, 逆に 『両イ ン ド史』 の叙述を検討してみよう. 氏の論証に従 うならば, 『両イン ド史』 の執筆・刊行の時期は, フランスの対外貿易が, まさに, 「早熟的ながら 工業国型の構造」 から 「食料の輸入と輸出とを基軸とした構造」 へ再転換する時期 に照応すること. になる, だが, 『両イン ド史』には, 植民地貿易と対外貿易の構造あるいは工業生産の在り方との相 互規定的関連をとりたてて詳細に論じた箇所も, また, 対外貿易の構造変化を意識した箇所もみあ. たらない. わずかに,「西イ ン ド植民地こそ, これを設定した諸国民に国際政治における影響力の優 5 ( )いわば基軸的ないし死活的な植民地として機能しているという記述や そのよう 位をもたらした」 , 6 { }という 一般的 な植民地に依存する諸国民は, 「自らの農業や工業を失っ たのではないだろうか」 , な指摘を散見するにと どまる. 『両イン ド史』にあっては, 対外貿易における構造転換よりも何より. も,西イ ン ド貿易を基軸とする植民地貿易への依存性そのものが重大視されているように思われる. 『両イン ド史』 の叙述のなかで, むしろ注目すべきは, かかる仏領西イン ド植民地がそれ自体, 深刻な構造的矛盾を蔵するものとされていることであり, この点は, 服部氏の第2点にかかわって, 重要 であるように 思われる. 端的なのは, 第× I V篇第48章「アメリカ諸島, 将来の運命」であり,. 要約すれば次のよう である. -- 西イ ン ド諸島は, その需要をすべて旧世界に依存している. 衣服 や耕作手段はともかくとしても, 食料品の供給の遅滞は植民地の全般的荒廃をひきおこすに 違いな い. したがって, 植民地では, こんな諺が生まれる. 「植民地は, 火薬のかわりに殻物を積んだ軍艦. の前には, ひとたまりもなく降服することだろう.」かといって, 食料品を植民地で耕作させること は, このよう な植民地を設立する本来の目的に合致しない. したがっ て, 本国は, 植民地産品を断 念する以外に, 敵の侵入から植民地を守る術はない. では奴隷に武器を与え, 植民地防衛の任に充 てては どうか, しかし, それは却 って逆の結果を生むかも知れない. なぜなら, 彼らに与えた武器 が, 何時, 残忍な抑圧者の方に向けられるか判らないのである. 結局, 白人が植民地の唯一かつ最 7 ) 良の防衛者ということになる. しかし, 白人の数は絶対的に少ない……{ . 換言すれば, 仏領西イン ド植民地は, その外見上の発展・繁栄にもかかわらず, いわば自己閉塞. の状況にあり, 早晩, その崩壊=喪失は避けられないという認識であり, 『両イン ド史』は, それを, l i f imederexc eg )と黒人奴隷制とを制度的支柱とする植民地の宿命とみているので 「排他制」 ( us r ある. このように, 仏領西イン ド植民他を, 「排他制」と黒人奴隷制という, その制度的存立条件の 故に却 って, 深刻な構造的矛盾を有するものとする, 『両イ ン ド史』の指摘は, 七年戦争から革命期. に至る時期の植民地政策と仏領西イン ド植民地の歴史・具体的な在り方, あるいは, フランス旧植 民地体制そのものの構造的特質を解明する際の有効 な分析視角となると思われる. この点をやや敷. 宿しておきたい. 660年以降にコルベー ルによって創 仏領植民地に対する貿易上およ び産業上の禁止体系として,1 685年のいわゆる 「黒人法 始され, 1 71 7年と1 727年の特許状によ って確立された 「排他制」 と, 1. l i l r ouchantla Po ce desl es 典」 (精確には, 「アメリカ、諸島の治安に関する黒人法典」 Code Noi 30.
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