日本の国際協力はどうあるべきか ‑‑ アジア経済研 究所開発スクール卒業生に聞く (特集 国際協力と 研究者 ‑‑ 現場と研究室の間の 深い河 ‑‑ 第III部 座談会)
著者 森 裕之, 河原 工, 轟 由紀, 荻野 有子, 山形 辰 史
権利 Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア
経済研究所 / Institute of Developing
Economies, Japan External Trade Organization (IDE‑JETRO) http://www.ide.go.jp
雑誌名 アジ研ワールド・トレンド
巻 180
ページ 22‑28
発行年 2010‑09
出版者 日本貿易振興機構アジア経済研究所
URL http://hdl.handle.net/2344/00004422
森 裕之/もり ひろゆき 開発スクール第4期生。
University of Manchester修士(開発行政)。国際協 力事業団(現国際協力機構)(1996年〜)社会開 発調査部、シリア事務所、中東欧州部、ヨルダン 事務所、東京国際センター勤務を経て、現在国内 事業部次長
︻山形︼ お忙しい
ところをお集まり
くださいまして
︑
どうもありがとう
ございます︒今日
は︑アジア経済研
究所開発スクール
︵IDEAS︶の卒業生の中で︑特
に国際協力業界でご活躍の方々にお
集まりいただきました︒
ではまず︑今日の参加者の皆さん
に自己紹介と︑これまでの国際協力
との関わりについて︑お話しいただ
きたいと思います︒森さんからでよ
ろしいでしょうか︒ ︻森︼ 森と申します︒今︑国際協力
機構
︵J
IC A︶で働いています
︒
私はIDEASを卒業して︑すぐJ
ICAに入りましたので︑今年で一
五年になります︒
もともと大学のときから途上国に
は少し興味があって︑大学のときは
アフリカ研究会というのに入ってい
ました︒大学を出た後︑アフリカで
石油の開発でもできないかと石油開
発の会社に入りました︒
その会社で四年目に派遣されたの
が︑中東のオマーンでした︒一九八
八年から三年ほどオマーンで暮らし
たのですが︑当時オマーンにはイギ
リスのブリティッシュ・カウンシル の専門家の方がおられ︑教育省で現地の学校のカリキュラムの作成をされていました︒JICAの専門家も
水資源省や商工省にお
られ︑そういった方の
仕事を見ていて︑そち
ら の 方 が 面 白 そ う だ
な︑と思えてきたわけ
です︒石油ビジネスよ
りも︑人を育てるとい
うか︑国造りに関わる
ような仕事が面白そう
だなということで︑開
発援助の世界への転進
を考えるようになりま
した︒日本に帰ってき
て
︑﹁何かいい方法がないかな﹂と
思っているときに見つけたのが︑I
DEASの小さな募集広告です︒I
DEAS卒業後︑何とかJICAで
拾ってもらえました︒
JICAでは︑主に中東に関わっ
て来ました︒シリアとヨルダンに駐
在し︑その間の四年間も本部で中東
を担当していました︒ヨルダンに駐
在したといっても担当はイラクで︑
イラクのことしかやっていないので
すけれども︒
JICAに入ってからずっと考え
ているのは︑国際協力において我々
日本人が主役ではない︑ということ
です
︒国際協力の仕事というのは
︑
﹁JICAのプロジェクト﹂とすぐ
言ってしまうのですけれども︑あく
までも主体は向こう側のカウンター
それぞれの 国際協力との 関わり
日本 の 国際協力 は ど う あ る べ き か
︱ ア ジ ア 経済研究所開発 ス ク ー ル 卒業生 に 聞 く
第Ⅲ部座談会アジア経済研究所は︑国際開発専門家を養成するために︑一九九〇年に開発スクール︵IDEAS︶を開校した︒それ以来毎年︑同スクールの日本人コースは︑卒業後に海外の国際開発関連修士課程に進学を希望する約一〇人の研修生に︑国際開発の入門的知識を与えると共に進路指導を行っている︒これまで卒業した一九五人のうち︑ほぼ全員が一度は国際協力に関わる職に就いている︒五月二四日に︑IDEAS卒業生四人を招待して座談会を開いた︒それぞれ国連機関や国際協力機構︑民間コンサルティング会社に勤務した経験を持つ︒これまでの国際協力の経験と︑今後の日本の国際協力に対する提言を尋ねた︒
森 裕之 氏 河原 工 氏 轟 由紀 氏 荻野有子 氏
司会 山形辰史 参加者
日本の国際協力はどうあるべきか
河原 工/かわはら たくみ 開発スクール第8期生。
Cornell University修士(国際開発学)。アイ・シー・
ネット株式会社(1999年〜)現在第2事業部長。
轟 由紀/とどろき ゆき 開発スクール第6期生。
University College London修士(都市開発学)。国 際協力銀行 専門調査員(1998年〜2001年)。グ ローバル・リンク・マネージメント株式会社研究 員(2001年〜2006年)。国連人間居住計画(UN- HABITAT) 人 間 居 住 専 門 官(2006年 〜2009年 )。
同機関コンサルタント(2010年〜現在)。
パートといいますか︑相手国の人で
あり︑そういう人たちが中心・主役
になってやっていく︒それを我々が
上手くサポートしていく︒そういう
ことがすごく大事だなというのを︑
ずっと感じながら仕事をしています︒
︻山形︼ どうもありがとうございま
した︒まずは口火を切っていただい
て︒では︑河原さん︑お願いします︒
︻河原︼
はい
︒河原工といいます
︒
よろしくお願いいたします︒
もともと大学までは
︑いわゆる
サッカー小僧︵笑︶でしたが︑挫折
しました︒サッカーでご飯を食べた
いと思っていましたが︑やはり大成
できないなということで諦めまし
た︒ちょうどバブルの絶頂期で都市 銀行に入りまして営業をしていました︒しかし︑何かしっくりとせずに﹁僕は何をやっているのだろう﹂と思ったときに︑ふと目に付いたのが電車の広告で︑それは青年海外協力隊でした
︵笑︶
︒それで
その銀行のボランティア休暇
第一号として︑南太平洋のバ
ヌアツに︑サッカー隊員では
なくて︑現地の開発銀行の経
済隊員として行きました︒田
舎の島で本当にのんびりと
︑
銀行の経済活動でいろいろな人の支
援をしていたのですけれども︑その
二年間がすごく楽しくて︒これは挫
折したサッカーと同じぐらい︑何か
熱いものがまた出てきまして︑それ
で会社を説得して﹁申し訳ない﹂と
いうことで︑戻った後二年弱で辞め
ました︒ 自分は勉強を全然していなかった
ので︑もう一回︑勉強し直さなけれ
ばいけない︒何をすればいいのだろ
うと模索して︑半年ぐらい無職で留
学の申し込みをしていたところで︑
受かったのがIDEASで︑本当に
IDEASにはすごく感謝していま
す︵笑︶︒
IDE
A S 卒業後
︑アメリカの
コーネル大学に一年留学して修士号
を取り︑帰国したところで︑開発コ ンサルタント会社のアイ・シー・ネッ
トを受けたら採用されました︒それ
からはアイ・シー・ネットのコンサ
ルタントとして調査業務や研修事業
を担当したり︑JICAの長期専門
家として再びバヌアツに行ったりし
ました︒そしてこの数年間は︑会社
のマネジメントの一員として︑コン
サルタントを海外に送ったり︑社内
で調整をしたりする立場になってい
ます︒こういう開発コンサルタント
会社にいて︑やはり思うところはあ
りまして
︑﹁何のために私は仕事を
しているのだろう﹂というところに
行き着くのですけれど︑それは相手
の国の人の笑顔であったり︑人々が
自立するとか︑そういうところに直
接的なり間接的なり︑貢献できたな
というところに尽きるのではないの
かと思っています︒
あとは︑会社の中
で採用にも携わって
いる関係上︑社内外
の若い人ともよく話
しますが︑これから
どうやって人を育て
ていくべきなのだろ
うかと日々考えて
︑
なかなか難しいなと
思いながらやってお
ります︒ 日々は本当に大変 ですけれども︑自分がやりたい仕事ができているので︑幸せを感じています︒以上です︒︻山形︼ どうもありがとうございま
した︒非常に前向きな締めくくり方
をしていただきました
︵笑︶
︒では
轟さん︑お願いします︒
︻轟︼ 轟由紀と申します︒私は高校
生のときに留学をする機会に恵まれ
て︑二年間をアメリカのニューメキ
シコ州という︑日本人がほとんどい
ないようなところで六〇カ国の人と
寮生活をしました︒アジアとかアフ
リカとか︑それこそ﹁ナミビアの難
民キャンプから来ています﹂という
人もいて︑そういう人たちと食住を
共にしました︒私はもうそのときか
荻野有子/おぎの ゆうこ 開発スクール第2期生。
University of Manchester修士(教育・人材育成)。
国連児童基金(UNICEF)バングラデシュ事務所プ ログラム・オフィサー(JPO)(1996年〜1998年)。
バングラデシュ初等大衆教育省 JICA派遣専門家
(2000年〜2004年)。株式会社コーエイ総合研究所 主任研究員(2005年〜現在)。
︑
IDEASを受けました︒
AS卒業後に︑イギリ
JICA︶に入りまし 住民移転など︑居住の問題に引き続き取り組んでいきたいと思っていま
す︒また︑頑張っている方たちの背
中を押すこと︑具体的には︑コミュ
ニティ開発とか生計向上といった仕
事に非常に興味があります︒
︻山形︼ どうもありがとうございま
した︒では︑荻野さん︑お願いします︒
︻荻野︼ 荻野と申します︒私の大学
時代には︑途上国のお仕事というの
は︑すごく元気な人たちだけがやる
仕事という感じでした
︵笑︶
︒最初
は私も︑特に興味はなかったのです
が︑卒業後に就職したのは︑途上国
の産業技術人材育成のための研修を
行っている財団法人の海外技術者研
修協会︵AOTS︶というところで した︒途上国から来る研修生に研修のみならず生活面も含めたお世話をする仕事を︑かなり長期間しておりました︒仕事自体は非常に楽しいのですけれども︑彼ら
に 会 っ て
︑ ま た 帰っていくという
︑ 繰り返しのなかで
︑
なぜこの人たちは日
本 に 来 る の だ ろ う
か︑自国はどうなっているのだろう
といった興味が大きくなってきまし
た︒
そういうことを思っていたとき
に︑新聞で小さいIDEAS募集を
見つけました︒それを初めて見たと
きは自分が飛び込む勇気は全然なく
て︑次の年に受けて︑受かりました︒
その後︑IDEASを終えて︑い
ろいろなことをやっているのですけ
れど︑割と早い時期に長期間いたと
ころとしては︑ユニセフがあります︒
JPO︵注1︶という立場で︑バン
グラデシュに行きました︒もともと
興味を持っていた教育の仕事をやり
たくて
︑そういうことをやる予定
だったのですが︑行ってみたら︑組
織改編の真最中で︑私が従事するは
ずだったプロジェクトはもう別の人 が担当していました︒結局︑新しく設置された災害対策に関する省庁の能力開発プロジェクトのマネジメントという仕事を与えられまして︑二年間そこで新しい環境に戸惑いながらも頑張ったという感じです︒ その後︑ユニセフでの任期を終わりまして︑今度はJICAの専門家
として︑またバングラデシュに赴任
して︑四年間教育分野で働かせても
らいました︒その後︑日本をベース
に仕事をしたいということもありま
して︑五年ほど前から︑コーエイ総
合研究所というコンサルティング会
社に移って︑教育や人材育成関係の
コンサルタントとして仕事をしてい
ます︒
︻山形︼ どうもありが
とうございました︒で
はここからは︑世界で
どのような国際協力が
求められているのか
︑
ということについての
お考えをお聞かせいた
だきたいと思います︒どなたか口火
を切っていただけないでしょうか︒
︻森︼ では︑ぴたっとした答えでは
ないのですけれど︑私がこれまで自
分で行った国では
︑﹁欧米とは違う
ことをしてほしい﹂という話がよく
日本独自の 国際協力
注1 Junior Professional Officerの略。国連機関で働く日本人を増やすために、
最初の二年程度の給与を日本政府が負担して、国連機関が日本人職員を採用する制度。
日本の国際協力はどうあるべきか
山形辰史/やまがた たつふみ
開発スクール教授。新領域研究センター貧困削減・
社会開発グループ長。University of Rochester博士
(経済学)。外務省「対バングラデシュ国別援助計 画」東京タスクフォース主査(2004年〜2006年)。
外務省ODA評価有識者会議委員(2006年〜2010年)。 国際開発学会常任理事。日本学術会議連携会員。
出てきました︒
たとえばベトナムの市場経済化に
関して︑日本は石川滋先生︵一橋大
学名誉教授︶をリーダーとしたグ
ループを作って︑ベトナム政府に対
して政策提言をしていたのですけれ
ども︑そのときに一番求められてい
たのは︑世界銀行や国際通貨基金︵I
MF︶が要請する急激な自由化とは
異なる日本の経験と︑それを元にし
たベトナム政府の理論武装の仕方で
した︒ それから中東でも︑植民地宗主国
だったイギリスやフランス︑そして
覇権国家アメリカではない国からの
支援が欲しいということで︑日本は
そうではないと︒要するに︑欧米型
ではない形の支援とか︑違うものを
日本に求められました︒ ︻山形︼ そうすると︑国際協力の流
れを決めるような欧米の援助機関
と︑少し距離を置いた立場にいると
いうことで︑日本の支援が評価され
ることがあるわけですね︒
︻河原︼ 欧米とは違うという点が日
本の強みとして評価されるというの
は私もしばしば感じるところです︒
私もJICAやアジア開発銀行の仕
事でオーストラリア人やフィリピン
人とチームを組んだことがあるので
すけれど︑そういった際に一般的に
コンサルタントは即座に明確な答え
を出すことが求められることが多い
のですが︑そういうときでも日本人
は︑できるだけ相手側︵援助受け入
れ側︶と一緒に悩みながら答えを導
き出す姿勢が︑相手から
喜んでもらえたという経
験があります︒
︻山形︼ 今の点︑他の方
はいかがでしょうか︒
︻轟︼ 日本らしい支援と
いうのは確かに重要です
が︑日本に途上国から求
められているのは︑端的
に言ってしまうと︑やは
りお金だと思うのですよ ね︒日本の援助額は二〇〇〇年まで世界第一位だったわけで︑今五位とはいっても︑何か災害があったりすると︑やはり大きなドナーの一つとして︑期待されます︒ただ︑これか
らODA総額も低下していく中︑や
はり必要なところに︑いかに効果的
に資金を提供するかというのが︑ま
すます重要になると思うんですね︒
これは私が実際体験したことなの
ですが︑私は二年間︑津波の復興と
内戦の復興の双方が実施されていた
スリランカにいたのです︒そのとき
に感じたのが
︑﹁
注目が集まりやす
いところは︑資金が集まりやすい﹂
ということなのです︒実際︑津波支
援でものすごくお金が集まって︑ど
うやって使おうか迷っていたような
団体もあるのです︒その一方で︑使
途は必ずしも自由ではなくて︑支出
の期限が決まっていたりする︒そう
すると︑仮設住宅はいっぱい建って
いるけれど︑一生そこに住むわけに
はいかないのに︑長期的に住むこと
のできる住宅の建設には資金が回ら
ないというケースも出てきました︒
それから︑スリランカの内戦復興
のケースでは︑特にヨーロッパ諸国
が︑スリランカ政府がタミール人に
対して人権侵害をやっているといっ
たような理由から︑援助に消極的で
した︒そうすると︑タミール人が多 く住んでいる北部の支援のためにはなかなかお金が集まりにくいということになります︒だけど︑一番苦しんでいるのは︑その北部タミール人の方たちです︒日本は︑そういうところは︑割と中立的な立場でやっていて
︑支援をしているんですよね
︒
ですから︑私が言いたいことは︑お
金が少なくなっていく中で︑それで
も日本は︑本当に必要なところには
お金を出して欲しいと思いますね︒
︻荻野︼ 私は日本のODAをもっと
効果的なものにするという観点から
述べてみたいと思います︒具体的に
は技プロ︵技術協力プロジェクト︶
︵注 2
︶に関連することですけど
︑ よろしいですか
︒私はバングラデ
シュで︑ちょうど教育のセクター・
ワイド・アプローチ︵注3︶が盛ん
なときに行って
︑ J IC Aのプロ
ジェクトを︑いかにセクター・ワイ
ド・プログラムに反映させるかとい
う取り組みをやっていました︒その
ためには
︑日本の援助についても
︑
他の援助国・機関の支援についても︑
よく知らなければなりませんでし
た︒欧米といっても︑ひとくくりに
できるわけではないし︑そんな中で︑
﹁日本の支援の特徴はこうなのです﹂
ということを主張するのが難しかっ
たですね︒金額的には他の援助国・
左から 河原工氏、森裕之氏、山形辰史氏、荻野有子氏、轟由紀氏
﹁授
︒
︑
︑初めから否定したり
︑﹁
制
どうもありがとうございま れているのか︑という点について
︑
ご意見を頂戴した
いと思います︒
︻河原︼ これは良
い悪いの判断が分かれてしまうこと
かもしれないのですけれども︑コン
サルティング業界では次のようなこ
とが話題に上っています
︒かつて
︑
日本の援助については︑被援助国か
らの援助要請のための基礎的な情報
を︑商社やコンサルタントや援助専
門家が提供するという形で案件発掘
に貢献することが多かったのですけ
れども︑だんだんコンサルタントや
商社も余裕がなくなってきてしまっ
て︑案件発掘の機能がすごく弱く
なっていると思います︒そういうこ
とをできる人が︑昔は大勢いたと私
は聞いているのですが︑今は少ない
ですし︑機会もなかなか与えられな
い︒︻轟︼ ちょっとすみません︒よく理
解できなかったのですが︒
︻山形︼ 日本がODAに関して採用
している要請主義の現実的側面とし
ては︑被援助国側が︑日本が援助で
きることを推測することはなかなか
できないから
︑日本の側の誰かが
︑
日本ができることと
相手が必要なことの
双方を上手く組み合
わせて提案するとい
う案件発掘が重要な
役割を果たしたのだ
と思うのです︒一方︑
商社やコンサルタン
トが案件発掘のため
の活動をすることの
メリットというのも
あって︑それは案件
発掘をすれば︑その
プロジェクトを受注
する確率が高まるこ
とだったわけです
︒
けれども︑それが以
前は癒着であると言
われて︑本当にそう
だった部分があるの
かもしれないのです
けれど︑それによっ
て︑案件発掘のため
の 努 力 が し に く く
なったのだと思いま
す︒このように︑被
援助国のニーズと日
本ができることを組
み合わせる人がいな
く な る と い う こ と
が︑双方にとってい
いことなのかどうか
国際協力に
求められる
人材
日本の国際協力はどうあるべきか
ということなのでしょうね︒
︻荻野︼ でも案件の種は︑コンサル
タントや商社が探すというのもある
と思うのですけれども︑基本的に現
地には
J I C A事務所もあります
し︑現地に長期で滞在する企画調査
員の人とか専門家も入っており︑彼
らは何のしがらみもないはずなの
で︑そこでニーズを汲み上げるとい
うのが︑その人たちの役割だと思う
のですよね︒
︻山形︼ 仰るとおりです︒その一方
で最近は︑日本がお金を出して︑そ
れで受注するのが中国企業や韓国企
業といったケースが増えていると言
います︒以前であれば︑発掘された
案件に対して︑日本の企業がどこか
受けるというかなりの確信があっ
て︑その確信を元に相手国政府に案
件を提案した︑という実情があった
のでしょう︒日本の経済界は︑日本
がお金を出しているのに︑韓国なり
台湾︑中国が取っていいのかという
問題提起をしますよね︒
︻森︼ 案件発掘についての問いかけ
ですが︑私も︑必ずしもうまく回っ
ていないと思うことがあります︒現
地のことも︑日本のサプライ・サイ
ドのことも両方よく分かる人は︑な かなかいません︒日本の専門機関や企業を知り︑JICAの仕事の進め
方を理解し︑ネットワークの作り方
とか︑それらを上手く全体の総合力
として機能させているかというと︑
そこはちょっと足りないというか︒
コンサルタントなり商社なりメー
カーなりの力︑リソース︑情報など
と︑JICAの現地事務所が持って
いる相手国政府等の情報とを︑まだ
上手く組み合わせられていないとい
うことはうすうす感じていましたけ
れど︑今は河原さんの話などを聞い
ていて︑結構大きな問題かなと感じ
させられましたね︒
︻轟︼ 実際行われている事業でも︑
それが本当に相手国のために役に
立っているのかなと思うのは︑あり
ますよね︒非常に言いづらいですけ
れども︑そういうのが日本の援助に
もあると感じます︒というのは︑だ
いたい日本人の援助関係者は働き者
だから一生懸命やっているのだけれ
ど︑結局相手国のプロジェクトでは
なくて J I C Aのプロジェクトに
なってしまっているのではと感じる
ことがあります︒被援助国側の担当
者は︑通常業務も担当しているから︑
なかなか日本のプロジェクトだけに
専念できなくて︑結局大半をJIC
Aの専門家がやっているようなケー スも見受けられました︒だけど︑それが本当に望ましいことなのか︒︻荻野︼ 誰の何のために支援をして
いるのか︑というのはいつも考えさ
せられることです
︒ユニセフって
︑
子どものことを扱っているじゃない
ですか︒だから︑﹁子どものために﹂
というのが一番に来るのですよね︒
でも︑相手にするのは相手国政府の
人で︑喧嘩はしないですけれど︑腹
を立てることもあったりするわけで
す︒でも︑当時上司に言われて︑す
ごく感動したことは
︑﹁
私たちは役
人の利益のために働いているわけで
はない﹂と︒ちょっと理想主義っぽ
いことかもしれないですが︑子ども
のためにいいと思うことをやればい
いのだと︒そういうことを︑組織の
トップにいるような人に言われたと
きは︑組織のミッション︵使命︶と
いうものは︑お題目ではないのだな
というのがすごくよく分かって︑ナ
イーブかもしれませんけれど︑何か
涙が出ましたよ︒
︻森︼ 国際協力に
は二種類の人材が
必要だと私は思っ
ています︒一つが︑
やはり現地で働く
そ の 道 の 専 門 家
で︑もう一つがネットワークを作り
事業の調整をする人︒専門家は︑例
えばブータンの西岡京治先生とシリ
アの折田魏朗先生です︒西岡さんと
いうのは︑農業の方でブータンでは
神様のように崇められています︒西
岡さんについては︑子ども向けの絵
本もあります︒シリアの折田先生は
獣医でしたが︑現地ではそれこそ神
様ですよね︒四〇年間シリアの畜産
に尽くしてきた︒そういう日本人の
すごい大先輩がいたのですよね︒そ
ういう先輩を誇りにしたいと思って
います︒最近はJICAでも﹁専門
家が三年以上いては駄目﹂とか︑そ
ういうことをよく言うのですけれど
も︑長くやってこそ信頼されて︑そ
れこそ神様みたいになってしまう人
もいるわけで︑それはそれで大事に
したいなと︒
もう一つは︑やはりネットワーク
を上手く繋げられる人です︒日本の
企業やコンサルタント︑大学などの
リソースも知っていて︑どういうふ
うにすればそういう組織が動かせる
のかが分かった上で︑しかも途上国
のことも分かる
︒そういう人材が
もっともっと必要だなという感じは
しますね︒
︻河原︼ 基本的に私の考えも同じで
す︒私の方はコンサルタント側の視
日本人開発
専門家の
課題
︒
語学力︑専門性︑
︵柔軟性︶
途上国というのは︑ 時々に応じて︑ベストの策を講じて︑
関係者に粘り強く接するような柔軟
性は必要だと思います︒
︻荻野︼ 今おっしゃった通りで︑も
う一言強調するとコミュニケーショ
ン能力なのかなという気がします︒
それには言語ができることに加え
て︑聞く耳を持つとか︑理解しよう
という気持ちとか︑すごく大事なの
だと思います︒外国人や途上国の女
性の人だの︑いろいろな立場の人が
入った時に聞く耳を持つ人︒
︻轟︼ そうですね︒プラスαの部分
はもちろんなのですが︑やはり英語
でのコミュニケーション能力は大事
だと思います︒特に日本の援助業界
の中でやっていると︑どうしても日
本語で話をする︒例えば相手の国の
方がいる会議の場で︑日本人同士は
日 本 語 で 話 し て し
まったりとか︒
︻山形︼ そろそろま
とめに入りたいので
すけれど︑最後にど
なたかいかがでしょ
うか︒︻森︼ 私は今︑自分
が勤めるJICAも 含めて︑援助機関が皆︑曲がり角というか︑非常に難しいところに来ているなと思っています︒インパクトがあったのは︑社会起業家による国際貢献です︒アメリカなどからどんどん出てきていて︑アショカ財団やアキュメン・ファンドみたいに︑社会起業家を育成・支援するビジネスモデルもあります︒JICAの中で
も若い人は︑そういう事業に関心を
持つ人がいっぱいいて︑社会起業家
のテーマのセミナーがあると︑人も
いっぱい集まります︒そういう動き
が出てきている中で︑JICAはま
たかなり速いスピードで変わってい
かないといけないと感じています︒
︻轟︼ 先ほど森さんが︑援助の転換
期にあるとおっしゃっていたのです
けれど︑他方︑昔のやり方が必要な
国も十分あると思うのですね︒何か
とかくこの援助業界は︑BOP︵注
4︶とかマイクロ・クレジットとか︑
流行り廃りがありませんか︒
私はスリランカの津波の復興の後
のコミュニティ開発の支援をやって
いて
︑北部紛争地のジャフナにも
行ったのです︒そうしたら︑そこの
人に自助努力と言うのは︑あまりに
もきついと思ったんですね︒という
のは
︑毎晩
︑砲弾を避けるために
︑
みんな教会に避難しているようなと ころで︑﹁さあ︑マイクロ・クレジッ
トです︒女性たち︑頑張りましょう﹂
とか言えないですよね︒それで思っ
たのは︑やはり伝統的な無償援助で
緊急支援や社会関連資本建設から始
めなければいけない地域・国もあれ
ば︑もうBOPで民間が入ってやっ
ていける地域・国もあるということ
です︒そこをちゃんと分析すること
が必要です︒アジア経済研究所には︑
そういうところで貢献して欲しいと
思います︒
︻山形︼ 皆さん︑どうもありがとう
ございました︒それぞれのお立場か
ら国際協力の第一線で活躍している
皆さんが︑現場でどういうことをお
考えか︑どういうことに悩んでおら
れるかというお話を伺うことができ
たので︑すごくリアリティを持って
読者が国際協力について考えるきっ
かけになると思うのです︒最近は事
業仕分けの話の中で︑ODAには逆
風が吹いていますが︑国際協力の現
場では︑困難がたくさんあり︑答え
が見つからない中で︑皆さん知恵を
絞ってお仕事をしていらっしゃる様
子が今日の議論の中に滲み出ていた
と思いました︒今日の話は︑特に国
際協力を目指す若い方々に読んでい
ただきたいと思います︒本日はどう
もありがとうございました︒
新しく取り入れるべきこと 古くても残すべきこと
注4 Base of Pyramidの略で、開発途上国の底辺にいる貧困層を対象としたビジネスを指す。