「介護の社会化」の理解と家族介護の評価の在り方 をめぐるー検討――介護保険制度は家族介護を不要 となし得るのか――
著者 阿部 重樹
雑誌名 東北学院大学社会福祉研究所研究叢書
号 6
ページ 81‑101
発行年 2003‑03‑31
URL http://id.nii.ac.jp/1204/00023937/
81
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第 5 章 .
「介護の社会化 J の理解と家族介護の評価の 在り方をめぐるー検討
一介護保険制度は家族介護を不要となし得るのか一
第
1節 は じ め に
介護保険制度が実際に導入・実施されてから三年が経過し、これまでさ まざまなところで介護保険制度をめぐって多様な評価がなされてきてい る(1)。そうしたなかで、「こんなはずではなかった
J
という問題もかなり指 摘されている。さて、高齢化社会の進行のもとでの介護の重度化や介護期間の長期化と いう介護問題の深刻化とその顕在化・普遍化ωの一方で、核家族化の進展 さらには核分裂家族 (the nuclear おsion"iamily)(3)や高齢者世帯の増 加に伴い介護にかかわる家族機能が縮小化していることが介護保険制度導 入の社会的背景の一つにあったことはわれわれも十分に承知している。加 えて、いわゆる「社会的入院jの解消という社会的要請もあり、介護力を 社会的に付与するという「介護の社会化」によって、介護における家族、特 に女性と高齢者の役割負担の重度化・長期化・固定化等の問題を改善・解 決しようとするところに介護保険制度導入のねらいの一つがあった。そし て、急速に進展する少子・高齢社会のなかにあっては、家族がそのーっと してもつこの縮小化した介護力を社会的に補完・代替していかなければな
らないとする「介護の社会化
J
という主張は事柄の一面としてはまさに正 当である。しかしながら、本稿では、改めてこのある意味では自明のこととされて いる介護保険制度の中心的な理念である「介護の社会化jの理解の在り方 をめぐる問題を、そしてそれとの関連において介護保険制度とのかかわり の中で家族介護をどう評価するかという問題を中心として検討することを 課題とする。そこでは、「こんなはずではなかった
J
という介護保険制度に 対する不満や批判はやはり不満や批判のまま残るのか、あるいはこうした 不満や批判の多くはつまるところ納得が得られていなかったということに なるのかが、改めて関われることになるであろう。ところで、ここにわれわれが提起した「介護の社会化jをめぐる「こん なはずではなかった」というような納得がいかないという思いは、既に現 実のものとなり始めている。例えば、『老親を棄てられますか
J
(主婦の友 社、1 9 9 4
年)や『老親介護で力尽きるまえにJ
(学陽書房、1 9 9 5
年)等の 著書で知られる門野晴子は、自身の体験にもとづきながら特に在宅での高 齢者介護問題について熱い思いを込めて活発に執筆・講演活動等を続けて こられてきていたが、ここでのわれわれの議論との関係においては次のよ うに述べられている。「どこが順調!? 介護保険。私が母を北海道の施設に『姥棄てj したわ付。『介護の社会化jだなんてウソぽっかり! (中略)…
そもそもウソが下手だった。いきなり『介護の社会化jだとラッパを吹い た。スタート前に各地の自治体などが主催するシンポジウムに呼ばれると、
有識者らは顔が変われど同じ宣伝文句。……介護の社会化とは国・自治体 が介護の必要な人の面倒をみますということだ。先進国をみればわかる。だ が彼らのいう社会化とは『地域でボランティアで助け合いjときたもんだ。
じゃあ何でカネ取るのよ。……そもそも在宅支援という名の家族介護強化
f介護の社会化jの理解と家族介護の評価の在り方をめぐるー検討 83
だった。
J
付}と。ここに門野が言われるように介護保険制度がその中心的な理念としてい る「介護の社会化
J
とはウソだったのだろうか。あるいは、どこの誰がど のようなウソをついていたのだろうか。ある意味では、われわれの議論が 検討課題とするところもまたまさにこの点に直接的にかかっているともい える。そして、以下での本稿の検討で明らかになるように、実は門野によっ てなされたこの問題提起をどう評価するのかは、そう簡単なことではない ことが理解されよう。そして同時にそうであるからこそ、介護保険制度の もとでの「介護の社会化J
の理解と家族介護の評価の在り方について、わ れわれはもう一度その共通了解を得るための作業をしなければならないの である。すなわち、本稿が課題とする問題の検討は、現行介護保険制度に対する 評価の在り方と今後の介護保険制度の在り方を考える際に決定的に重要な 意味を持つものになっている。そして、現行介護保険制度を問い直してみ るということへのその取り組み方と超高齢社会のもとでの介護問題への対 応をめぐって将来へ通じる道(政策選択)がどのように見えてくるのかと いう議論が、本稿におけるこうした検討作業をとおしてそこから始まるも のと考えられる。
第
2節ケアマネジメントをめぐって
介護保険制度の中心的な理念となっている「介護の社会化
J
の理解の在 り方とそれとの関連において家族介護をどう評価するかという問題を検討 するにあたって、先ずこの問題がケアマネジメントにかかわる点から考え てみることにしたい。さて、介護保険制度のもとでのケアマネジメントについては、議論され なければならないいくつかの間題が考えられるが、ここでは本稿の問題意 識との関連から次の一点だけを取り上げて検討することにする。要介護認 定による要介護状態の区分ごとに応じた保険給付額の上限(区分支給限度 基準額)の範囲内では、現状においてはそのほとんどの場合、そして後述 されるように要介護度が重くなるほど、それぞれ抱えるかいごニーズを要 介護者と家族が充足することは困難であろうといわれている。だからこそ、
介護保険制度のもとでは、保険給付の支給限度基準額にとらわれることな く、要介護者が全額自己負担で購入できる上乗せの介護サービスや住民参 加型・互助型の介護援助サービスを前提として、ケアプランを作成するこ とができることになっている。すなわち、われわれが問題であると考える 点は、ケアマネジメントおよびケアプランが、ここでは要介護者とその家 族の所得や当該地域社会における
NPO
、ボランティア等の住民参加型・互 助型の介護援助活動状況に依存することになるであろうという点にある。端的にいうならば、ここでわれわれが指摘をしている事柄は、要介護認定 とケアマネジメントにおいて実施されるアセスメントとの聞に存在するこ とになる議離とそれへの対応をどう理解するのかという問題である。すな わち、住民参加型・互助型の介護援助が期待できない地域社会にすんでい る場合やこうした上乗せの介護サービスにかかわる情報が得られない場 合、また経済的に余裕がある場合は別として全額自己負担となる上乗せの 介護サービスを購入することが不可能な場合、そして最も問題があると思 われる定率一割の利用者負担が十分にできない場合においては、ここでは 当然のこととして、暗黙のうちに了解があるとみなされて、それだげ家族 介護を前提としたケアマネジメントが行われ、そうしたケアプランが作成 されざるを得ないということになろう。ここに指摘される家族介護と介護
f介謹の社会化jの理!解と家族介護の評価の在り方をめぐるー検討 85
保険制度との関連については、以下における本稿の議論の焦点となってい る。
第 3 節政策理念、としての「介護の社会化
jの理解の在り方を めぐって
介護問題への社会的な対応の在り方としては、それをいま「介護の社会 化
J
を軸としてモデル(論)的に整理しようとするならば、「介護の社会化jという言葉のもつ意味と内容を最も素直にそのまま想起させる全公的介護 保障型と、これとは反対に「介護の社会化
J
とは最も遠いところにある家 族介護型をそれぞれの極として、その中間に家族介護支援型の介護保障シ ステムがスペクトル的に多様な姿をもって位置づけられることになろう。われわれの志向する介護保険制度(公的介護保障システム)は、もちろ ん少なくとも家族介護型ではないことは明らかであるとしても、それでは それはここに示した全公的介護保障型なのか家族介護支援型であるのか、
そのいずれであるのだろうか。この「介護の社会化
J
をめぐる選択にかか わる最も根源的な問題は、一見すると既に解答が与えられているようにも みえるが、本稿において検討されるように、「介護の社会化jをどう理解す るのかをめぐって、われわれの聞に共通了解が存在するか否かについては、それは未だ暖昧なままにとどまっているといわざるを得ないといえよう。
さらにまた、家族介護支援型のモデルを志向しようとする場合には、そこ には同様に、例えばどのような要介護状態においてどの程度の割合を家族 介護を前提とする(家族介護を含めた自助努力に依存する)介護保障シス テムを構築しようとしているのかということも、未だ残された重要な検討 課題となっている。そして、家族介護支援型とかかわるこの文脈において
は、「介護の社会化jとの関連において家族介護をどう評価するのかという いささかやっかいな問題も提起されることになる。こうした介護保障シス テムの在り方をめぐっての基本問題については、すなわち「介護の社会化
J
という言葉のもつ意味と内容をどう理解するのかについては、これまでに 十分な議論がつくされてきているとは思われない。したがって、介護保険 制度の中心的な政策理念となっている「介護の社会化jの理解をめぐって は、われわれの聞に共通了解(合意)が存在している訳では決してないの である。
ところで、介護保険制度の導入をめぐっての初期の議論の過程において は、例えば「北欧で学んだものを日本で実現するいちばんいい方法J(5)、「北 欧並みの介護レベルを実現するより現実的な近道J<旬、
r r
介護レベルは北欧並み、財源は北欧とドイツの中間型
J
が、日本のめざすべき方向J <
旬、「在宅 ケアにおける家族の最大の役割は・・・高齢者を精神的に支えることJ(7)、「老 後を待ち遠しくする公的介護保険システム j附等とわが国の介護保険制度 の在り方を位置づけて、あたかもそれのみをもってして介護問題のほとん ど全てが解決されるというスウェーデン、デンマークを象徴的に想起させ るいわゆる北欧型と呼ばれる全公的介護型の介護保障システムが実現され るかの誘導が行われてきている。すなわち、「介護の社会化jという政策理 念が疑いもなく一義的に介護問題から家族(とりわけ女性や高齢者)を解 放するという意味と内容をもって理解されるという幻想が、社会的に醸成されてきているという側面を無視する訳にはいかない。
他方、実際の介護保険制度は、当初からそのかなりの程度を家族介護を 中心とする自助努力に依存することを前提とした家族介護支援型のそれに なっていると考えられるのでなければならない。
ところで以上の点に関して、その創設が話題になり始めた初期の議論に
I介護の社会化jの理解と家族介護の評価の在り方をめぐるー検討 87
おいては特にそうであったように、介護保険制度は公的介護保険制度と呼 ばれることの方が多かったが、このこと、すなわち「公的」の二文字が付 されて介護保険が語られることの意味について、次に考えてみることにし たい。これには、介護保険制度をそれが実施される以前から既に存在して いた民間の損害保険会社が(あるいは生命保険会社も特約という形で)商 品として提供していた私的介護保険と区別するという意味があったためで あろうと思われる。しかし、問題はこうした事実の指摘だけにはとどまら ない。すなわち、直面する介護問題に十全に対応するためには、要介護者 を抱える多くの家族にとっては公的介護保険だけでは十分ではなく、いわ ゆる上乗せ(横だし)サービスとしての介護サービスを利用してはじめて 満足のいく介護保障とならざるを得ないという状況がかなり想定されてい るということである。この場合に生ずるであろう要介護度別に設定されて いる支給限度基準額を超える全額自己負担となる相当額の費用に備えるた めに、民間介護保険の活用が想定されている。いわゆる介護保険の「公私 ニ段階(公私混合
) J
の制度化が、そこには合意されているということであ る。この点については、例えば二木立は、シンポジウムr r
公的介護保険』であなたの老後は安心か
J
(鉄道弘済会主催「第3 3
四社会福祉セミナーJ
、1 9 9 6
年7
月2 5
日)において、「公的介護保険と民間介護保険のセットであ なたの老後は安心という介護保険の『公私2
段階(公私混合)制度化J ) < 9 )
と 述べているo ところで、この二木の指摘に対して行われた厚生省高齢者介 護対策本部副事務局長(当時)江口隆裕の同シンポジウムでの発言は、次 にみられるように、ここでのわれわれの議論に決定的に重要な意味をもっ 示唆を与えるものとなっている。すなわち、「やはり必要な給付を行う場合 に、それに見合った負担がかかるということです。これは、税であれ、社 会保険料であれ、負担と給付は裏腹の関係にある。まずここをご認識いただきたいと思います。現に、介護保険制度の創設に関連し、そのような制 度がピークを迎えても、国民の租税・社会保険料負担を国民所得の50%以 下、できれば40%の半ば程度に抑えるべきだという意見が出されていま す。そういうなかで、ではどういう道をとっていくか。二木さんから、『公 的介護保険と民間介護保険セットで老後は安心jであるという『公私
2
階 建て、公私混合j という話しがありましたが、ある意味ではまさに正鵠を 射ている部分がございます。つまり、私どもが考えているのは、必要なサー ビスは出さなければいけないし、負担もある程度に抑えなければならない。これは、いうは易く行うは難しなのですが、そういった立場で制度のあり 方を考えているのだということをご理解いただきたいと思います。
J
(lO)と。さて、ここで江口隆裕が「そういった立場で制度(…介護保険制度のこと) のあり方を考えている
J
といわれる「そういった立場で(の)制度のあり 方とは、本稿でいう介護システムに関する 3つのモデルのうち、一体どの モデルのことを「理解いただきたいJ
といっているのだろうか。この間い に関しては、もはや多くの言をまたないであろう。また、介護保険制度が導入・実施された
2 0 0 0
年度の総費用は、介護保険 の創設が検討をされ始めた1995年の時点での厚生省(当時、以下同様に表 記する)の概算ではおよそ4 . 2
兆円と推計されていたが、この費用には家族 が無償で行うと想定されている相当程度の家族介護費用は当然に含まれて はいない。この家族介護費用は、一説によると3 . 5
兆円とも推計されてお り、したがって2 0 0 0
年度での高齢者介護の社会的コスト(総介護費用)の 45%となっており、この部分は家族介護分として家族が無償で行うものと 想定されていたということになる{川。さらに、 1999年4月に行われた斉藤 義彦毎日新聞記者との対談における高井康行介護保険制度施行準備室長 (当時)の発言の中に、介護保険制度に対して厚生省が当初からここにみらf介護の社会化jの理解と家族介護の評価の在り方をめぐるー検討 89
れるような「家族に頼る半分保険」という認識を持っていたことを確かに みることができる。引用がやや長くなるが、本稿にとって重要な意味をも っ発言であると思われるので次に紹介したい。すなわち、そこでは「いっ たい介護保険はどこまで給付するのか。重度の寝たきりや痴ほうの人が一 人で自宅で暮らせるのか、それとも家族に頼らなければいげないのかとの 質問に高井康行室長は『介護保険では一人暮らしの高齢者の方も一定のと ころまでは介護保険サービスを使って生活ができる
J r
高齢者夫婦で片方が 寝たきりになった場合、家庭での生活を支えるJ
としたうえで『寝たきり になってもう立てないとか、食事もできない状態で一人で家庭で暮らすと いう(サービス)水準は無理。かなり過酷とか大変重い時には家族の方(の 介護)も必要だし、施設の利用も考えてもらう。家族介護を最後は必要と している』という。それでは家族介護は前提なのか? 高井室長は独居の 人を支えることも介護保険で想定しているため『前提jとはしないものの、『日本には家族介護が美徳だといわれる人が結構おられる。家族の方もかな りの方が介護しようというお立場だ。家族の介護というものを全部社会化 するのではなく、家族の介護というものがまずあって、それを介護保険の 方でも一定割合支えていく
J
とする。最初に家族介護ありきなのである。で は、介護費用のうちどれくらいの割合を介護保険は支えてくれるのか。高 井室長は正確でも厳密でもないと断ったうえで『半分くらいjとしている。半分は家族、残り半分は介護保険で、独居で重度の人は施設入所も検討し てもらうという。そして室長は『全国的なサービス供給では家族介護が必 要なくなるところまではいかない
J J
仰と述べられている。きて次に、「介護の社会化
J
と「最適福祉ミックス( o p t i m u m w e l f a r e m i x ) J
との関連に検討の焦点をあててみたい。丸尾直美は、わが国におげる「社会保障と社会福祉の新しい理念jとして「ノーマライゼーション理
念の発展j等とともに「最適福祉ミックスへの接近
J
を指摘されている(1九 すなわち、ここでのわれわれの議論の関心は、「これからのjわが国の社会 保障・社会福祉の政策理念となっている「最適福祉ミックスjと、介護保 険制度の中心的な理念である「介護の社会化j というこれら二つの理念の 間にある政策的・理論的整合性がどう把握されるのかという点にあるo介 護保険制度をめぐる従来の研究においては、こうした視点からの「介護の 社会化jに関する検討はこれまで扱われてきてはいないように思われる。と ころで、この「最適福祉ミックス(論) J
と呼ばれる福祉サービスの供給形 態の在り方に関する考え方については、例えば、丸尾直美は「最適福祉ミッ クスと日本型福祉社会jとして次のように整理して示されている。すなわ ち、「…必要なことは公的社会保障の不備な分野(特に高齢者および障害者 福祉サービス)の充実を計りつつも、日本的経営の長所を生かし民間企業 によるf
福祉供給jをも重視すべきである。また、家族機能、近隣機能、ボ ランティアおよびその他の非営利的組織による『福祉供給j も適切に活用 すべきであろう。こうして、普遍的で公正な公的福祉供給と、効率的、弾 力的で多様性のある民間サービスと、人間的温かみのあるインフォーマル 部門での『福祉供給jの最適なミックス(組み合わせ)を行うことによっ て、福祉ニーズをより効率的に充足していくことが可能であろうJ
(l4)と。このようにわが国が社会保障・社会福祉の分野における福祉サービス供 給の在り方として「最適福祉ミックス
J
を志向するところにおいて、「介護 の社会化J
が介護保険制度の政策理念となっている(あるいは、このこと に関して広く社会的合意が得られている)ということを唱導しようとする のであるならば、そこでは少なくとも「最適福祉ミックスJ
に対応する政 策理念としての「介護の社会化jについて、その具体的な意味と内容が明 示されているのでなりればならないであろう。もしそうなってはいないとI介護の社会化jの理解と家族介護の評価の在り方をめぐるー検討 91
いうのであれば、政策的な選択にかかわる議論を行い、判断・評価を下す ための論拠そのものが示されていないということからして、われわれはこ の意味と内容が不明確な「介護の社会化j という理念を政策目的として選 ぽうにも選択さえできなければ、またその結果として社会的な合意の形成 もなされ得ないということになろう。したがって、論理的には、こうした 分かつているようで実はよく分からない「介護の社会化
J
なるものが、介 護保険制度の政策理念となることはあり得ないはずであると考えられるの でなければならない。そして、明らかにここには、わが国においてこれか らの社会保障・社会福祉の政策理念として志向されている「最適福祉ミッ クス j と、介護保険制度の中心的な理念となっている「介護の社会化」の 在り方との聞には、未だ何ら具体的な説明のない大きな溝が横たわってい るといわな砂ればならない。この最適福祉ミックス論にもとづいた現代的 に洗練された修正版( m o d i f i e dv e r s i o n )
としての日本型福祉社会の構築を 目指すという中にあって、介護保険制度の理念としての「介護の社会化jと の間にあるこの(ある意味で日本的な)溝を埋めるという役割と負担は、一 体誰が分担し、担うことになるのだろうか。あるいは、「介護の社会化J
に おけるこうした講を埋める役割と負担の在り方をめぐって、その資任と覚 悟についてわれわれのうちのどれだ砂の人々がどのような理解にたって、どれほど自覚しているといえるのだろうか。したがって、わが国おいて今 唱えられている「介護の社会化
J
という理念の持つ意味と内容を日本の現 状を踏まえた上で可能な限り深く理解しないかぎり、それが単なるスロー ガンに終わってしまうかもしれないという可能性が大きいことを、われわ れは危倶しない訳にはいかない。以上の議論からも明らかなように、介護保険制度の中心的な理念である
「介護の社会化
J
そのものの意味と内容については、それをどう理解するのかという点をめぐって、われわれの聞に、実はそして奇妙なことにではあ るのだが、未だ共通了解が存在してはいないといわざるを得ないというこ とが理解され得ょう。それだけに、介護保険料の全額徴収や定率一割の利 用者負担という新たな負担が加わっていることを考慮に入れる時、介護保 険制度をめぐる評価は、その評価の軸(基準)となるべき「介護の社会化
J
という政策理念にかかわる共通了解、政策的合意の不在ということからも、
混乱したものにそしてそれらの相当程度は今後とも消極的な評価を含んだ ものになるであろうと思量される。このように、この「介護の社会化jの 意味と内容に関する理解の在り方をめぐっての合意形成は、介護保険をど う育てていくのかが問われ始めている中にあっても、依然として介護保険 制度の基本問題として残されているのである。そしてそれはまた、この基 本問題への対応の知何が今後の介護保険制度への信頼を大きく損なうこと
につながりかねないという可能性を常にそこに潜ませている。さらに、本 稿における以上の議論の文脈の中にあるものとして、例えば、先に取り上 げた門野晴子の「介護保険は機能しているかjの論旨がまさにそうである ように、こうしたわれわれの危倶は既に現実のものとして大きくその姿を あらわせ始めている。
第 4 節介護保険制度と家族介護の評価の在り方をめぐって
これまでの介護保険制度をめぐるわれわれの議論は、以下に述べる点に おいて問題はさらに複雑なものにされているように思われる。
すなわちそれは、家族がその機能のーっとして持ち続けてきてはいるも のの、他方では縮小化してきている介護カを社会的に補強していかなけれ ばならないとする「介護の社会化jという理念は、明らかにここに述べた
「介謹の社会化Jの理解と家族介護の評価の在り方をめぐるー検討 93
こととは別の次元において確かに家族の在り方にかかわっているというこ となのである。これは、例えばニール・ギルパート (NeilGilbert)が「援 助の手のディレンマ
J
(the dilemmas of helping hand)と呼ぶところの議 論にかかわるものである。ギルパートは、次のように述べている。「たとえ ば、高齢者に対する金銭給付や医療保障の範囲を拡大しようとするときに、社会保険は、子どもへの圧力を減らし、高齢期に親の面倒をみたり援助す るという伝統的義務から彼らを解放する。結果として、家族の代わりに国 家が高齢者に対する主要な援助者となる。社会保障の資金調達は、退職し た高齢者に支払われる世代間の移転という形をとるけれども、それは国家 が介入する移転であった。その意図は、人道的なものである。問題は、ニー ドをもっ人々に対する社会的・経済的援助の範囲を鉱大する過程で、福祉 国家の人道主義的活動が、自分たちの家族のために備えるという家族のも つ伝統的責任をしばしば弱めてしまうことにある。この点で、家族、国家、
および市場経済に関する文献のなかで、資本主義の成功が家族生活の伝統 的価値と規範を衰退させたとして非難されているのと同じくらい頻繁に、
福祉国家の拡大がそれを理由に批判の対象とされていることを指摘するの は興味深いことである。人道主義的デイレンマは、家族を援助することを 意図した公的介入の結果を予測することが多くの場合困難であり、また結 果が知られている場合にもさまざまな解釈の余地があるという事実によっ て複雑となる。J(4)と。
すなわち、ギルパートのいう「援助の手のディレンマ
J
が示唆するよう に、「介護の社会化jという主張とその実践は、特に世代論的に捉えた場合 には、家族が介護することとまた家族に介護されたいという思いのもつ一 つの価値と規範としての意義を浸食し、社会的に弱めてしまう作用もまた 持つであろう。われわれは、「介護の社会化jという理念と政策的実践がその作用としてもつもう一つの側面にも十分に留意しておかなければならな い。そして、前述してきているように、わが国の介護保険制度の導入にか かわって、特にその初期の議論がそうであったように、「介護の社会化
J
と いう理念なり言葉や主張がスウェーデンやデンマークをその象徴として想 起させるような北欧型の全公的介護保障型の介護システムを強く示唆する ものとなっているという経緯を持つところでは、ここに指摘したような可 能性はより現実性を帯びるものとして理解されるのでなければならないであろう。
ここで、本稿でのわれわれの立場について誤解のないように次の点を強 調しておかなければならいように思われる。われわれがここで家族介護の 持つ意義を再確認しておくべきではないかと考えるのは、儒教思想、を背景 にもって「隣保相扶
J
とならんで組救規則(18 7 4
年)以来惇風美俗として 奨励されていた「親族相救J
やこれとの関連の中で1 9 8 0
年前後に社会的関 心をあつめたいわゆる「日本型福祉社会論J
にみられる「福祉の含み資産J
としての家族介護を重視するという文脈においてのそれではないというこ とである。また、もちろん当然に、介護問題への社会的対応の在り方とし ては本稿にいうところの家族介護型モデルを中心として考えるべきである などともいっている訳ではない。そうではなくて、上述してきているよう にわが国の現行の介護保険制度は家族介護支援型をそのモデルとして志向 しているのであって、しかも個々のケースにおいてはそのかなりの場合、そ のかなりの程度を家族介護を前提とするものになっているという事実につ いてなのである。そしてさらに、今後居宅介護サービスを中心として介護 保険制度のサービス基盤整備が進むとはいえ、他方介護保険料の負担増も 避けられないことが確実である以上、こうした中でわが国の介護保険制度 (介護保障システム)の在り方が将来的にも家族介護支援型から全公的介護
f介護の社会化jの理解と家族介護の評価の在り方をめぐるー検討 95
支援型のそれへと急速に、そして相当程度シフトするであろうという政策 的シナリオは現実的には考えにくい(15)。とするならば、すなわち家族介護 支援型のモデルを前提として介護保険制度の中長期的な制度的安定を考え ていかなければならないとするならば、そうである以上は少なくとも現実 的な政策的選択の在り方としては、家族介護のもつ意義が介護保険の制度 設計との中で再認識・再評価されることが必要になるはずであろう。
ところで、こうした本稿における立場については、確かにここでわれわ れは現実的な政策選択の在り方としてはとも述べてはいるが、必ずしもこ のことからのみ帰結されるものではない。われわれは介護保険制度が発足 した当初からこうした問題提起を行ってきているが(16)、「介護の社会化
J
の 理解と家族介護の評価の在り方にかかわって、その立論のための分析的視 点を異にしながら「家族介護の役割と位置づけJ
について「いつのころか らか、家族介護の評価は『反動』の代名調のようになったJ
が「家族介護 を見直すJ
というわれわれと同様の問題意識をもって議論を展開する文献 が最近公刊されてきていることも指摘しておかなければならない(17)。そし てなりよりも、実は、家族介護を制度的にも認識・評価するべきであると いう議論は、社会保障審議会に設置された社会保障将来像委員会の社会保 障制度の見直しに関する第二次報告とならんで、わが国における介護保険 制度の創設・導入の契機となったと評価をされている厚生省内に設置され た高齢者介護・自立支援システム研究会による「新たな高齢者介護システ ムの構築を目指してJ
と題する報告の中に、既に次のような指摘をみるこ とができるのである。すなわち、「高齢者にとって一番大切な者は何か、と いう問いに対しては、ほとんどは『家族』という答えが返ってくる。それ 程高齢者にとって、家族の存在は大きい。在宅ケアにおいて家族が果たす 役割は極めて大きく、実際に、家族が両親や配偶者を愛情を込めて懸命に介護している家族が多く見られる。こうした家族による介護については、制 度的にも適切に評価されるべきである。しかし、一方で、家族による介護 に過度に依存し、家族が過重な負担を負うようなことがあってはならない。
在宅ケアにおける家族の最大の役割は、高齢者を精神的に支えることであ り、そのためには高齢者と家族の間で良好な人間関係が維持されているこ とが当然必要になる。家族が心身ともに介護に疲れ果て、高齢者にとって それが精神的な負担となるような状況では、在宅ケアを成り立たせること は困難である。J<聞と。ここにみられるように、介護保険制度のもとでも、あ るいはもっと「介護の社会化
J
という理念の中にあっても、「家族による介 護については、制度的にも適切に評価されるべきであるJ
と述べられてい るのである。そして、ここにみられる介護保障の在り方を考える際により 重要であると考えられる指摘は、介護保障システム(介護保険制度)にお ける在宅ケアの充実と家族介護の関係を、それが家族介護支援型モデルを 志向するものであったとしても、代替的関係としてではなく、相補的関係として捉えているという点である。
第 5
節 む す び に か え て
さて、介護保険制度の中心的な理念となっている「介護の社会化jの意 味と内容をめぐっての確かな合意形成がわれわれの間でなされなければな らないということは、以上の議論からも明らかなように介護保険(介護保 障システム)の制度設計にかかわって依然として残されている基本問題で ある。すなわち、もし家族(女性と高齢者)を介護負担から解放する家族 介護に依存しない全公的介護保障型のモデルを志向するという意味で「介 護の社会化
J
を理解しようとするのであれば、こうした立場に立とうとす「介護の社会化jの理解と家族介誕の評価の在り方をめぐるー検討 97
る人々は、この意味での「介護の社会化jが実現される政策戦略やそのシ ナリオを示した上で、介護保険の見直しにおいては全公的介護型の介護保 障システムの構築を目指す運動論を積極的に展開する寅任と役割を果たさ なげればならないといえよう{1%またそうではなくて、現実的な選択であ るとして、「介護の社会化
J
を家族介護支援型のモデルにおいて理解してい こうとする立場に立つのであれば、将来的にもそれがどのような場合に、ど の程度家族介護を含む自助努力を前提とするものであるのかが、われわれ の聞に明示されているのでなければならない。そしてその上で、そうであ るからこそ、今後の介護保険の見直しにおいては、例えば介護保険制度の 創設・導入をめぐっての議論の一つの大きな焦点ともなった家族介護への 現金給付をその一つの方法とするかどうかは別にするとしても、新たな制 度設計の中に普遍的に家族介護を評価する何らかの政策・制度的メッセー ジが積極的に織り込まれることが求められている側と考えられるのでな ければならないであろう。}王
本稿は、拙稿「介護保険を考える一家族介護の評価の在り方をめぐってー
J r r
福祉 社会論j一変貌する福祉社会の今と行方‑J
(2001年度東北学院大学オープン・カレッジ講義報告集)、 2002年3月、所収および拙稿「介護保険制度に関する一考察‑f介護 の社会化jと家族介護の評価の関連を中心として
‑J r
郵便貯金に関する研究論文集j (東北郵政局)、 2002年3月、所収をもとに加筆・修正を行い、改題したものである。(1) 例えば、岩淵勝好I介護革命ー制度の検証と課題分析
‑J
中央法規出版、 2001 年や伊藤周平『介護保険を問い直すj筑摩郡房、 2001年等を参照。しかしながら、介 護保険制度に対する評価は、実際には、例えば認定される要介護度とこれに連動す る保険給付の支給限度基準額、所得の程度、同居する家族の状況、住宅事情そして担当ケアマネジャー、地域の介護サービス基盤の整備状況や介護保険制度に関する 情報抵・理解度等の多様な要素に複雑に依存していることから大変に錯綜したもの になっていると考えられる。したがって、こうした介護保険制度をめぐっての多様 な評価が存在しているといことをどう理解するのかはまた別の難しい問題である。
(2 ) この点に関しては、例えば、「新たな高齢者介護システムの構築を目指して(研 究会報告書・参考資料)J pp. 56‑60,厚生省高齢者介護対策本部事務局監修 f新たな 高齢者介護システムの構築を目指して一高齢者介護・自立支援システム研究会報告 書 ーjぎょうせい、 1995年、所収を参照。
(3) Neil Gilbert, Capitalism and the Welfare State: Dilemmas of Social Benev‑ olence, (New Haven and London : Yale University Press, 1983, p. 101. (関谷登 監訳/阿部重樹・阿部裕二共訳『福祉国家の限界一普遍主義の限界一j中央法規出 版、 1995年、 p.123)。
( 4 ) 門野晴子「介護保険は機能しているかj、pp.562‑563.文欝春秋編『日本の論点、
2002J文欝春秋、 2001年、所収。また、現行介護保険制度のもとでの、在宅系サー ビスの利用にみられる低調性傾向と施設とりわけ特別養護老人ホームへの入所指向 の強まり、そしてその結果としての特別養護老人ホームの入所待機者の増大と I社 会的入院jの未解消という問題等も、介護保険制度のもとでの「介護の社会化j と 家族介護の評価との関連にかかわって、本稿にお付るわれわれの議論の文脈の中で 捉えられる必要がある。この点に関しては、土肥徳秀「介護保険のパラドックスと ジレンマJ(i介護保険制度ウォッチングj、http://www.mars.dti..ne.jp/...doi)を参 照されたい。
(5 ) フォーラム「公的介護保険をめぐって一厚生省の新介護システムを読むーJ(朝 日新聞社・朝日カルチャーセンター主催、 1995年2月24日)での岡本祐三の発言。
岡本祐三監修(山井和則編集協力)
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公的介護保険のすべて一不安なき老後のため の福祉革命‑J朝日カルチャ一、 1995年、 p.100。また、本持の副題が、介護保険 制度の創設・導入を「不安なき老後のための福祉革命j位世づけていることにも注 意を払われたい。(6 ) 同フォーラムでの、山井和則の発言。向上丹、 p.112。
(7 ) 厚生省高齢者介護対策本部事務局監修・前掲f新たな高齢者介護システムの構築 を目指してj、p.24o
(8 ) 京極高宣『介護革命一老後を待ち遠しくする公的介護保険システム
‑J
ベネツ セ、 1996年。(9)
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社福祉研究j第67号、鉄道弘済会社会福祉部、 1996年、 p.88。なお、二木は、『介護の社会化jの理解と家脹介護の評価の在り方をめぐるー検討 99
「私は、厚生省は、高齢者介護の分野でも、医療・年金分野との共通の、『強制加入 を基本とする社会保険j とそれを I補完する j私的保険との『二階建て制度j を創 設することを目指している、と理解している j とも述べられている。二木立「公的 介護保険の問題点j、p.132.里見賢治・二木立・伊東敬文共著『公的介護保険に異議 あり[もう一つの提案JJミネルヴァ書房、 1996年、所収。
(10) 前掲・f社会福祉研究j、p.95。
(11) 厚生省高齢者介護対策本部事務局監修・前掲『新たな高齢者介護システムの構築 を目指してj、p.6。
(12) 斎藤義彦『介護保険最前線j ミネルヴァ書房、 2000年、 pp.146‑1470
(13) 丸尾直美「現代社会社会と社会保障j、pp.12‑17.福祉士雄成講座編集餐員会編
『社会保障論(新版社会福祉養成講座5)J中央法規出版、 2001年、所収。
(14) 丸尾直美「現時点にお付る福祉国家と福祉社会一実状と課題
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、p.31.r
社会 福 祉 研 究j第50号、鉄道弘済会社会福祉部、 1991年、所収。(15) Neil Gilbert, op. ci ,.tpp.96‑97. (関谷登監訳/阿部重樹・阿部裕二共訳・前掲
『福祉国家の限界j、pp.117‑118)。
(16) この点に関しては、二木立も本稿と同様の文脈の中で、ここでのわれわれと同じ 判断を示しているoこうした判断がなされる根拠については、二木立『介護保険と 医療保険改革j頚草書房、 2000年、 p.18、を参照されたい。
(17) 例えば、阿部重樹「介護保険制度をめぐる一議論ーその在り方にかかわる幾つ かの基本問題を中心としてーj、rMRlRAエムライラ j第8号、宮城県地域振興セ ンタ一、 2000年、所収がある。
(18) 舟場正富・爾藤香里 f介護財政の国際的展開ーイギリス・ドイツ・日本の現状 と課題
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ミネルヴァ書房(特にその第1章の5r
家族介護の役割と位置づりj と 第7i.lr
プレア政権下での家族介護人の評価ど改革J)、2003年や佐藤義夫r
tr:宅介 護をどう見直すかj岩波書底、 2002年等がある。これらの文献は、本稿にお付るわ れわれの議論にとっても、確かに多くの新たな示唆や知見を与えるものとなってい る。是非併せて参照されたい。しかし残念ながら、本稿では、それらから得られた 示唆や知見を直接的に取り入れて議論を展開することができなかった。こうした「介 護の社会化jの理解や介護保険制度と家族介護をどう評価するのかという問題につ いての新たな検討作業については、改めて別の機会の課題としたい。(19) 厚生省高齢者介護対策本部事務局監修・前掲『新たな高齢者介護システムの構築 を目指してj、p.24o
(20) 本稿における以上の議論から、このような賀任と役割をまず果たさなければな
らない立場にいるのは、里見賢治によって「旧北欧派jとも呼ばれる(里見賢治「介 護保険構想の混迷と普遍的介護保障の課題j、pp.213‑214.盟見賢治・二木立・伊東 敬文『公的介護保険に異議あり(増補版)Jミネルヴァ書房、 1997年、所収)いわゆ る介護保険推進論者といわれる人々であることは明らかであろう。しかしながら、不 思議なことにではあるのだが、こうした介護保険推進論者の議論の中には、本稿で われわれが提起した『介護の社会化Jをどう理解するのか、また介護保険制度との 関連において家族介護の在り方をどのように評価するのかといった問題を踏まえ て、全公的介護型の介護保障システム(介護保険制度)の構築を目指すための政策 的戦略やシナリオにかかわる積極的な議論展開を、われわれは寡聞にして見いだす ことができないでいる。反対に、介護保険制度の見直しにおいては全公的介護保障 型の介護保障システムの構築を目指すという視点から積極的に発言をされてきてい る一人に、介護保険推進論者に対して批判的な立場にたつ伊藤周平がいる。しかし ながら、この点に関しては、伊藤には介護保険にかかわる多数の著書・論文がある のだが、その伊藤をしても最近の著書においては、次のように述べられている。す なわち、「展望j ということで、 I以上、介護保険の代替案と二十一世紀の社会保障 構想を提示したが、前述の財源の場合と同様、残念ながら、現時点では、こうした 代替案や構想の実現可能性はほとんどない。
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(伊藤周平・前掲 f介護保険を問い直 すj、p.124)と。(21) この点に関して、われわれは家族介護への現金給付のみを考えているのではな い。こうした政策・制度的メッセージとしては、もっと幅広い視点、から多様なもの があり得るであろうし、また、そのような検討がなされなければならないとも考え ている。いま一例を挙げるならば、例えば、佐藤義夫が「在宅介護を実効あるもの にするために、在宅介護で、どこまでどのような形で対応するのかを明らかにし、重 度化した場合は施設へ移行するというシステムを作ることが重要である。そのこと が在宅を意味あるものにするのであり、家族の介護力を前提としていながら、単身 でも在宅での生活が可能であるかのような説明をするから混乱するのである。…在 宅介護と施設介護の問題は、在宅か施設かという二者択一の問題ではなく、相互補 完的なシステムという視点、から考えられなければならない。
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(佐藤義夫・前掲 I在 宅介護をどう見直すか』、pp.38‑400 ) i本来、家族介護の役割ももっときちんと議論 されなければならないはずである。先に述べたように、在宅での介護はどのような レベルまで可能なのか。家族が介護に疲れたら、家族にとって納得のいく介護を行っ ている施設にすぐに入ることができるようなシステム、あるいはまた、家族が介護 の内容にもっと注文をつ付ることができるシステムとして実行されなければならな「介護の社会化