日本における夢研究の展望補遺 (V)
獏と伯奇の問題
名 島 潤 慈 *
A Supplement t o a H i s t o r i c a l P e r s p e c t i v e o f Dream R e s e a r c h i n J apan (V) The I s s u e o f Baku and Hakki
J u n j i NAJIMA
( R e c e i v e d N ovember 1 4
,1 9 9 7 )
1 n ] a p a n i t h a s b e e n s a i d t h a t t h e a n i m a l w h i c h e a t s f o u l dreams o r n i g h t m a r e s i s mo
貌( 8 a k u ) . However
,a s c l e a r l y n o t e d i n Hou Han s h u
後漢書,t h e c h i n e s e d r e a m ‑ e a t i n g a n i m a l was P o ‑ c h ' i
イ白奇( H a k k i ) . C h i n e s e mo had e a t e n i r o n
,c o p p e r and s n a k e s i n s t e a d o f d r e a m s . N e e d l e s s t o s a y , i n t h e t r a n s m i s s i o n o f any image o f m a g i c a l c r e a t u r e , d e l e t i o n s , a c c r e t i o n s , and o t h e r a l t e r a t i o n s a r e i n e v i t a b l e . 1 n t h e p a p e r t h e a u t h o r t r i e s t o c o n d u c t r e s e a r c h on t h e a p p a r e n t c o n f u s i o n o f P o ‑ c h ' i and mo.
I
本稿のねらい山岳信仰に基づいた中国古代の有名な地理書に r山海経(せんがいきょう)J1がある !l.J'I1 海経』の 原型は紀元前
3
世紀ころまでにできあがっており,司馬遷の『史記』にもとの書名が挙げられている.
清の都蕗行(1
7 5 7‑ 1 8 2 5 )
のr
山海経筆疏J 1 8
巻を底 本とした前野(19 7 5 )
の訳による『山海経』の中の「西山経」には,鵠錦(いよ)という鳥のことが記さ れている.当該の箇所は次のようなものである. [
J
の中は,晋の郭瑛
( 2 7 6 ‑ 3 2 4 )
によるr
山海経注』の ものである.鳥有り.其の状は烏の如く,三首六尾にして普く 笑ふ.名けて鵠錦と日ふ. [狩齢の両音
J .
之を服す れば人をして厭せざらしむ. [夢に厭せられざるなり r周書』に日く,服する者は昧(ばい)せずと.
音は莫礼の反.或いは昧(ばい)と臼ふ,目を昧す るなり
J .
文以て凶を禦(ふせ)ぐ可し.前野によれば,文中,服は鵠舗の毛皮や羽毛など を身につけるという意味と,鵠舗の肉などを食べる (服用する)という意味の
2
つが考えられる.厭は うなされること.つまり,頭が 3 つで尾が 6 本ある 鵠錦という鳥を身につげるか食べるかすると,その -心理学科人は悪夢にうなされなくなるし,また,災いを避け ることができるというわけである.
唐の段成式の撰による r酉陽雑姐J(今村訳注,
1 9 8 0 )
の巻三,貝編,仏教経典録異には,夢に現れ る歓喜虫という名が記されている.今村の注釈によ れば,この歓喜虫は憶念虫と共に,人間の身の髄の 中にいる1 0
種の虫の中の2
つであり,どちらも夢を 見させる働きをするとのことである. [歓喜虫と憶念 虫の出典は元貌の襲曇般若流支訳による『正法念処 経JI.大正新修大蔵経第十七巻経集部四所収の『正法 念処経J (高楠編,1 9 2 5 )
の巻第六五,身念所品之二 によれば,当該の箇所は r若虫歓喜有力。多見諸 夢。或善不善。以虫過故。以虫流行。於心脈故。夢 見衆相。観憶念虫巳。Jである.J
中国最古の医書である『黄帝内経』から後に分巻 されたとみなされている『索開』の脈要精微論篇に は r短虫多きときは則ち緊衆することを夢み,長虫 多きときは則ち相撃ちて毅傷することを夢みる」と 記載されている(丸山,
1 9 8 8 ) .
このように,動物と夢とは無関係のものではない.
ところで,よく知られているように,悪夢を食べ る動物は日本では貌(獲)であるが,中国では伯奇 である.本稿ではこの問題を整理検討してみたい なお,旧漢字は差し支えない限り現行漢字に改めた.
以下,中国の貌,日本の貌,中国の伯奇について吟 味したい.
I I
猿 1 中国の義中唐の白居易
( 7 7 2 ‑ 8 4 6 )
の「築扉讃序」によれ ば,貌は r象鼻犀目,牛尾虎足,南方山谷の中に生 じ,その皮に寝ぬるときは痕を僻け,その形を図す れば邪を砕く」という(大槻,1 9 8 2 :
白川,' 1 9 8 4 ) .
寺島良安(1 712 執筆?)の r和漢三才図会J(島田ら訳注,
1 9 8 7 )
によれば,明の李時珍撰の『本草網 目』には,猿皮で寝ると温癌,湿気,邪気を僻げる ことができる,その形を図しただけでも邪を僻げる ことができる,.唐の時代には多く貌を画いた扉風を 作ったとあるとのことである.ちなみに,白川(19 8 4 )
は『字統』の中の「貌」の項目において r神異経に 名を襲鉄といい,鉄を食い水を飲むという」と述べ ている.確かに,貞享5
年(16 8 8 )
中村孫兵衛刊本 のr
神異経J(古典研究会発行,1 9 7 4 )
にはr
南方 に獣有り.角足はなはだ小さし.形状は水牛の知く 皮毛は黒きこと漆の如し.鉄を食い水を飲む.その 糞兵器に為すこと可なり.その利きこと剛の如し.名を醤鉄(けってつ)と日う」とある.ただし,醤 鉄が貌であるとは明記されていない. r[神異経』は 漢の東方朔の撰と言われているが,実際は晋代以後,
誰か神仙家の手に成ったものらしい. ]
ところで,前述の r山海経』には,猿と思える動 物がいくつか出てくる.以下,列挙してみる.
( 1
) 猛豹 r山海経』の中の「西山経」には r猛豹」
というのがいる.この動物は, fu.r海経注』によれ ば r熊に似て小,毛は浅く光沢有り.能く蛇を食ら ひ,銅鉄を食らふ.萄中に出づ.或いは虎に作る」
である.そして,これは,清の在紋
( 1 6 9 2 ‑ 1 7 5 9 )
に よる『山海経存』と『山海経築疏』によれば緩との ことである.なお r山海経筆疏』は r猿豹」の発 音がなまって「猛豹Jになったのだと説く.( 2
) 猫 r中山経」には江水がそこから出る鯨山(碍 来山)の記事がある.この隙山には, ru.r海経注』に よれば r熊に似て黒白の駁.亦鋼鉄を食ふなり」と いう「猫(はく
) Jがいる.
ru.r海経広注』はこの猫 を貌のこととしているとのことである.( 3 )
. 膜 大 : 同じく「中山経」には「膜大の如く」と いう言葉がある.この膜大について言えば r山海経 存』は「膜」を獲のこととし r大」を犬の誤りとし
て,摸犬は白豹のこととする.清の呉任臣(?)による
『山海経広注』も膜をやはり獲のこととし11'南中志』
に鉄を食う獣として猿犬の名があることを指摘する.
『山海経筆疏』は獲犬として r穆天子伝』の郭注に
「西膜は沙漠の郷」とあるのを引き,膜犬は西膜,つ まり西方の砂漠地帯に産する犬のこととする.
『列子.1 (麦谷訳,
1 9 8 3 )
の天瑞篇には r羊薬は笥 せざる久竹.に比すれば青寧を生じ,青寧は程を生じ,程は馬を生じ」云々とある.この文の中の程は,般 敬順の釈文に
r r
子にいう,程は中国之を豹と謂い,越人之を貌と謂う」とあるように,豹でも猿でもあ る.中文大辞典第三十一冊(中文大辞典編纂委員会 編,
1 9 6 8 )
の「猿」の項には r爾雅』の釈獣に「貌 白豹J(猿は白豹なり)とあるとしているが,このこ とは,殿敬順の釈文と重なろう.このようにしてみると,中国の貌はおそらく撃鉄 (醤鉄)・猛豹・猫・膜大・(白)豹といった多くの異 名を持ち,銅・鉄・蛇を食べる.そして何よりも,
痘(はやりやまいの意) ,温癌(温気によっておこる 疫病),邪(病気を起こす悪い気)などを避ける力を 有した動物として記述されている.
しかしながら,棋が夢を食べるという話しは,中 国には見当たらない.もっとも,この点に関して,.
r中文大辞典』第二冊(中文大辞典編纂委員会編,
1 9 6 2 )
の中の伯奇の項目の①には r食夢之獣名。額。」とある.しかし,この項目の出典としては,後述す る『後漢書』礼儀志の中の一節 r撹諸食骨伯奇食夢」
が引用されているだけである.このようにしてみる とやはり,中国の猿は夢を食べないと言えよう.
2
日本の義一方,日本の緩は,室町時代の r文明本節用集』
に「貌は熊に似て,黄黒色.萄に出ず.能く銅鉄又 は悪夢を食う」とあり(日本大辞典刊行会編,
1 9 7 5 )
,江戸時代の『無双大雑書』に「裂といへる獣 はあしきゅめを喰ふJ,同じく『夢合長寿宝』に「こ の獣を枕及び会に画けば悪夢を唆ふといへり」とあ るように(江口,1 9 8 7 )
,悪夢を食べる.つまり,日 本における貌は中国の猿の機能に「悪夢を食べる」という機能が付加されたものである.穫の効能とし ては r夢合長寿宝』に「痘癌湿邪を酔る。白氏文集 に見えたり」とあるので,当然のことながら中国と 大差ない.
ちなみに,貝原益軒(損軒,篤信)は,彼が宝永
5
年( 1 7 0 8 )
,7 9
歳の時に完成させた r大和本草』の 中の巻之十六の「猿」の項において r日本の俗,貌 は,人の悪夢を食とて,枕に絵かく.然ども中華の 書にて,いまだ見ず」と断言している(益軒会編纂,1 9 1 1 )
.また,益軒の甥の貝原好古が貞事5
年( 1 6 8 8 )
に編録し,益軒が脚補した『日本歳時記J(島監修,1 9 7 7 )
では r夢を食ふといふ事は いまた其説を見 侍 ら す 但 続 漢 書 に 大 傑 の 時 伯 奇 と い ふ 神 食夢と云事侍り 山海経にもしるせり されとも貌 の事なし殊に夢ハ睡中の思想、にして 形あるもの にしあらねハ これを食ふといへるも ことはりな き事にそ侍るJ と述べられている.I I
I
伯 奇1 中国における伯奇と傑
伯奇の出典は貝原好古や西岡(1
9 6 6 )
が既に指摘 しているように r後漢書(続漢書) J
であり,伯奇 は傑(だ)の儀式,つまり傑儀と関係している.健 とは,簡単に言えば,疫痛(はやりやまい)の鬼を 殴逐することである(中村,1 9 9 0 ) .
いわゆる鬼やら いのことである.陰気を追い払って陽気を迎え入れ る儀式と言ってもよい.傑儀は後年,芸能的・娯楽 的要素の濃い傭戯となっていった.傑儀は古くからある.例えば,孔子
(B.C.552‑479)
の言行録であるr論語J(金谷訳注,1 9 6 3 )
の「郷党」には r郷人(村人の意)の飲酒には杖者出ずれば斯 に出ず.郷人の健には朝服して昨階に立つ」とある.
張(1
9 9 0 )
によれば,鬼やらいの行事は現在でも 湖南省や湖北省で見ることができる.それは「跳傑」と称されており,戯曲では「傑願戯J となっている とのことである.近年の中国の農村を詳しく実地調 査した鹿田(1
9 9 7 )
によれば,例えば江西省南西部 の南豊県の村々では傑神廟を中心に旧正月に追傑行 事が行われている.中でも南豊県の石郵村のそれは 方相氏以来の古い形を保っている貴重な例で,祭り は起健・跳傑・捜傑・園備という4
つの段階を経て 進められる.もっとも,疫や災いを追うのは昔の方 相氏ではなくて,大鬼・開山・鐘燈といった神々(実 際にはこれらのお面をつけた人々)なのであるが.さらに,寒
( 1 9 9 2 )によれば,山西朔 ' 1
1'/-帯には「喜 楽Jがある.喜楽とは,資産の少ない家が亙師を招 いて行う小規模の傑祭である.家に病人が出たり,不運な自にあったり,悪夢にうなされたりした時に 喜楽という祭杷演技をしてもらい,それによって凶 を吉に変えようとするわげである.その他,台湾に は,古代の鬼やらいの名残として,癌醗(ウンチョ) (王醸)がある(劉,
1 9 9 4 ) .
さて,宋の菰嘩撰,唐の李賢等注の『後漢書J中( 華書局出版編,
1 9 6 5 )
の礼儀志の大傑の項によれば,漢代の傑は次のようなものである.まず原文を掲げ,
次に守屋訳注
( 1 9 7 8 )
ならびに中村(19 9 0 )
等を参 考にしながら,口語的に和訳する. ( )の中の漢字は補足である.
先雌一日,大健,謂之逐疫.其儀..選中黄門子弟 年十歳以上,十二以下,百二十人為仮子.皆赤
l
憤t車 製,執太鼓.方相氏黄金四目,蒙熊皮,玄衣朱裳,執文揚盾.十二獣有衣毛角.中黄門行之.冗従僕射 将之,以逐悪鬼子禁中.夜漏上水,朝臣会,侍中,
尚書,御史,謁者,虎賞,羽林郎将執事,皆赤憤陛 衛.乗輿御前殿.黄門令奏日 r仮子備,請逐疫.J
於是中黄門イ昌,仮子和,日 r甲作食凶,腕胃食虎,
雄伯食魅,騰簡食不祥,撹諸食磐,伯奇食夢,強梁,
祖明共食礁死寄生,委随食観,錯断食巨,窮奇,謄 根共食盛.凡使十二神追悪凶,赫女躯,控女幹,節 解女肉,抽女肺腸.女不急去,後者為糧! J (以下,
略. )
臓(日)に先だっ一日,大備す.これを疫を逐う という.その儀式は,中黄門の子弟の年齢十歳以上,
十二(歳)以下,百二十人を選んで仮子(しんし) となす.皆赤
I
憤車製(せきさくそうせい)して太鼓 を執らす.方相氏は黄金の四目,熊の皮を蒙り,玄 衣朱裳して文を執り,盾を揚げる.十ニ獣は毛角の 衣で,中黄門がこれを行う.冗従僕射がこれを将い て,以て悪鬼を禁中より逐う.夜漏(夜の水時計の 意) ,水を上せて朝臣会し,侍中・尚書・御史・謁者・虎黄(こほん)・羽林郎将,事を執り,皆赤慣して陛 衛す.乗輿,前殿に御す.黄門令が奏して日く r仮 子備われり,請う疫を逐わん.J 是において中黄門 唱う.仮子和し,日う r甲作は凶を食らい,勝胃(ひ つい)は虎を食らい,雄伯は魅を食らい,騰簡は不 祥を食らい,撹諸(らんしょ)は宅金を食らい,伯奇
は夢を食らい,強梁と祖明は共に楳死と寄生を食ら い,委随は観を食らい,錯断は巨を食らい,窮奇と 謄根は共に盛(こ)を食らう.この十二神をして,
悪凶を追わせ,女(なんじ)の躯を赫(ひきさ)き,
女の幹節を投(ひし)ぎ,女の肉を解(やぷ)り,
女の肺腸を抽(ひきぬ)かん 女ら急かに去らずし て後(のこ)るものあらぽ,糧(えじき)となさん J
と. (以下,略. )
これにみるように,伯奇は(悪)夢を食べる動物 である.
2
伯奇と夢伯奇が悪夢を食べるということは r敦埠本白津精 怪図J
( t h e Tun‑huang m a n u s c r i p t P a i t s e c h i n g
k u a i t ' u : t h e Tun‑huang m a n u s c r i p t White M a r s h ' s Diagrams o f S p e c i a l P r o d i g i e s )
の中により明確 に記されている r教撞古俗与民俗流変J(高国藩,1 9 8 9 )
の第7
章「敦煙本〈解歩背〉与歩的解緯」に よれば r教埠唐人写本白津精怪図(白樺精怪図) J
の中の当該の一節はr
人夜得恐歩,旦起子舎, (向) 京北被友兇臼,伯奇!伯奇!不快酒,食六(家) 常食,高災地,其恋歩周子伯奇,灰恐息,災大福,如此七兇,元信也」である.この中の簡体字を日本 の現行漢字に直して全文を書き改めると
J
人夜得悪 夢,旦起於舎, (向)東北披髪呪日,伯奇!伯奇!不飲酒,食家常食,高輿地,其悪夢帰於伯奇,厭悪 患,興大福,如此七呪,無信也」となる. [文中,食 六の六は穴の誤字とみなした.穴は家である.なお,
白沢(樺)・貌・伯奇という
3
つの神獣の相互関係は よく分からない r敦煙本白津精怪図」の中に伯奇の ことが記載されていることからして,伯奇と白沢は 同じであろう.また,白沢と貌を同ーとする見解も ある.しかし,江戸時代の『和漢三才図会 J(島田ら 訳注,1 9 8 7 )
の巻第三十八,獣類の中の白沢と裂の 絵はまったく似ていない.白沢は獅子のような形状 で,貌はありくいのような形状である.もちろん,白沢が悪夢を食べるとは書かれていない.ともあれ,
三者に共通するのは辞邪である.白沢の効能に関し て言えば,葛洪
( 2 8 4 ‑ 3 6 3 )
による『抱朴子J(石島 訳注,1 9 4 2 )
の巻十七,登渉肩には r其次は則ち百 鬼録を論じて,天下の鬼の名字及ぴ白沢図,九鼎記 を知れば,則ち衆(もろもろ)の鬼も自ら却き」云々 とあるように,白沢を描いた白沢図は鬼を退ザる効 果があるとされていた.]このように,人が悪夢を見た時には家の中で東北 を向き,髪を解きほぐして呪文を唱えるわけである.
この呪文の内容は意訳すれば r伯奇よ!伯奇よ!
(伯奇は)酒を飲まず,食家は喜んで常食す.願わ くは,これらの悪夢が伯奇のもとに帰らんことを.
悪い息を厭い,大いなる福が興らんことを」となろ う.なお,この一節は既に
Harper
1(9 8 8 )
によって 英訳されているので,参考までに掲げておしただし,
Harper
の英訳には何箇所か疑問点がある.When a p e r s o n h a s f o u l dreams a t n i g h t
,r i s e a t dawn , and i n t h e n o r t h e a s t p a r t o f t h e h o u s e u n b i n d t h e h a i r and c h a n t t h i s i n c a n t a t i o n :
“Po‑
c h ' i , P o ‑ c h '
.iHe d o e s n o t d r i n k w i n e o r e a t meat , and r e g u l a r l y e a t s from t h e l a n d o f High E l a t i o n . May t h e s e f o u l dreams r e t u r n home t o P o ‑ c h '
.iC r u s h i n g dreams a b a t e
,g i v e r i s e t o g r e a t b l e s s ‑ i n g s . " Chant 也 ei n c a n t a t i o n l i k e t h i s s e v e n t i m e s and t h e r e w i l l n o t be s p i r i t o d i u m .
3
方相氏上述のように,伯奇は中国における傑(Ii'旧唐書』
では贈慨)の儀式と関係している.つまり,熊の皮 を被り,黄金の四つ目の仮面をつけ,黒い衣と朱の 袴を着た方相氏(方相)は,この伯奇を含む
1 2
の神 獣と仮子(童子)を従えて,健声(ダーダーという 大声)を発しながら疫(悪鬼)を宮中から追い払っ たのである. [方相氏が追うという形式は唐代まで続 いた.それ以後は,方相氏は別のものに取って代わられた. ]
ここで方相氏について注記しておくと,大形
( 1 9 9 5 )
は r方相氏はおそらく租霊にもとづく神で あろう」と述べている.一方,黄( 1 9 9
1)は r方相 氏は,もともと r夏官』の編成の中に列せられる軍 伍小官であり,地位は高くないが,彼が雛祭の中で『熊皮を蒙り,黄金の回目,玄衣朱裳,文を執りて 盾を揚むという扮装をすると,疫病を払い魔物を 追い払う神通力を持つのである.との変化は,実際 には神の降臨に他ならない.方相氏の身体に寄り漉 いた神は,恐らくかつて黄帝と生死を賭けた格闘を 繰り広げた蛍尤(しゅう)である」と述べている.
[蛍尤とは r荘子J(金谷訳注,
1 9 8 3 )
盗距篇の第二 十九に述べられているように,河北省にあった涼鹿(たくろく)の野で黄帝と戦ったという伝説上の人 物のととである.戦いの神様として崇拝され,各地 に蛍尤洞が作られたり,量尤戯(蛍尤を祭るための 楽舞)が催されたりした.ちなみに,白川(1
9 7 9 )
は 蛍尤を,東北ツングース系の神ではないかと推定し ている. ]また,方相氏の黄金の四自について井上(1
9 9 6 )
はr
との四目は四隅を透視し,あるいは東西南北の 四方から来る量毒,悪風に対処するものなのかもし れない」という興味深い考察を行っている.もともと古代中国人にとって,目は僻邪(魔除のお守り) であった、例えば,黄目(黄金で作った大きい目の ついた酒樽)は,目を酒樽に付けることによって,
悪鬼によって酒が毒されるのを防いだわげである (深津,
1 9 6 7 ) .
このような点からすると,井上の考 察は妥当なものと思える.4
日本における健ところで,このような織の儀式は,当然のことな
がら日本にも伝わった.例えば r続日本紀J(青木 ら校注,
1 9 8 9 )
の巻三,文武天皇の慶雲3
年( 7 0 6 ) 1 2
月の条にはr
是の年,天下の諸国に疫疾(えやみ) ありて,百姓多く死ぬ.始めて土牛を作りて大慨を す」とある. r 大傑をす」は「大いに傑(おにやら[ い)す」とも読む.大傑とは宮中の傑(宮廷憐)のことである.乙の大慨は陽成朝
( 8 7 6 ‑ 8 8 4 )の頃より
追健(ついな・鬼やらい)という呼び名に定まったとのことである(小町谷,
1 9 8 1 ) .
なお,文中にある「土牛を作りて」云々は,秦の呂不章の撰による『呂 氏春秋J (塚本編,
1 9 2 0 )巻第十二,季冬紀に「国人
傑し,九門に蝶援す,春気を畢すJ r有司に命じて大 いに健し,芳た傑り,土牛を出し,寒気を送るJと ある.ηL
記』の月令季春と月令季冬,西漢の劉安.B(C . 1 7 9 ‑ 1 2 2 )
の編による『准南子.D (戸川・飯倉訳,1 9 7 4 )
の時則訓にも同様の文句が見られる. ] もっとも,日本における追傑(大灘)の儀式は,時聞がたつにつれて変質していく.中務省大舎人寮 に所属する大舎人の中から選ばれた方相氏はもとも と悪鬼を逐う役目であったが,次第に鬼そのものと 混同されるようになった(小町谷,
1 9 8 1 ) .
例えば,後二条関白師通の委嘱を受けて大江匡房
( 1 0 4 1 ‑ 1 1 1 1 )
が撰進した r江家次第J(故実叢書編集部編,1 9 5 3 a )の巻第十一の「追健」の項には「殿上人長端
の内に於いて方相を射る」とあり,尾崎積輿のr
江 家次第秘抄J(故実叢書編集部編,1 9 5 3 b )
には「方 相ハ鬼Jとある.また,一条兼良(14 0 2 ‑ 1 4 8
1)の『公 事根源J(故実叢書編集部編,1 9 5 1 )
にはr
追傑と いふは年中の疫気をはらふ心也.鬼といふは方相氏 の事也.四ノ目ありておそろしけなる面をきて手に たてほこをもっJ とある.つまり,後になるほど方 相氏は,殿上人や群臣から桃弓と葦矢で射られる鬼 そのものと化していったのである.5
日本における伯奇ここで再ぴ伯奇に話を戻すと,日本における大 傑・追傑の記事は数多くあるが,その中に伯奇とい う言葉は見当たらない.例えば,弘仁
1 2
年( 8 2 1 )に
藤原冬嗣ちが撰上した r内裏式.D (故実叢書編集部 編,1 9 5 4 )
の中巻には「十二月大傑式」の項がある が,そこには,陰陽師が呪文を読み方相が傑の声を 作る云々の記述はあるものの,伯奇についての記述 はない.これは『儀式 J(故実叢書編集部編,1 9 5 4 )
巻第十の「十二月大傑儀」の項においても同様である.ただし,上述の『江家次第』巻第十一の「追傑」
の項には
r [
頭書]裏書云く 健声を作りて唐志の十二神の名を唱え,次いで悪鬼を逐い,室中に索めて 疫鬼を殴る」云々という記述があるので,日本にお いて(伯奇を含む)十二神が完全に無視されていた 訳ではない.しかし,奈良・平安時代以降の文学作 品その他を見ても伯奇についての記述は見当たらな いようである.伯奇は日本においては完全に無視さ れた訳ではないものの,ほとんど注目されることが なかったと言えよう.
I V
猿 と 伯 奇日本では,夢を食う獣として,中国の伯奇の代わ りに獲が強調されてきた.おそらく室町時代のころ から,宝船の風習と共に猿が夢を食う動物とされた
ものと思える.
それにしても,なぜ伯奇が貌にすり代わったので あろうか.理由がよく分からない.もともと裂には 辞邪の機能があり,しかも,中国においてさえ民間 において裂を酔邪として用いる風習があったため,
日本では悪夢という邪を消滅させる儀式として貌が 重用されたのであろうか.ここで 1 つの仮説とし て,伯は漢音(奈良時代から平安時代初期にかけて 伝えられた音)ではハクであるが,同時に漢音でパ クとも発音するので(上回ら編著,
1 9 9 3 )
,いつしか 同じ漢音のパク(親:呉音ではミャク)と混同され るようになったのではないかとも思える.もっとも,裏付けとなる資料がないので,これはあくまでも推 測に過ぎないが.
V ま と め
本稿では,中国の貌と伯奇,日本の額とを資料を もとに整理・検討した.その結果,従来の識者たち が述べているように,中国の旗は夢を食べず,逆に
日本の築は,中国の伯奇と同様夢を食べることが再 確認された(表 lを参照).伯奇は日本においては,
江戸時代の『日本歳時記』が「続漢書に大健の時伯 奇という神食夢と云事侍り」と述べているように,
たかだか注釈的にしか記されなかったのである.
夢を食べることのなかった中国の貌が,なぜ日本 においては夢を食べるようになったのか,現時点で はよく分からない.今後の重要な課題である.
[謝辞:中国関連の資料蒐集に際し,元北里研究所 附属東洋医学総合研究所猪飼祥夫先生と京都市立伏 見工業高校山内敏輝先生の御助力を得ました.また,
r敦煙古俗与民俗流変』の中の伯奇の文章に関し,熊 本大学文学部劉静華先生と熊本大学大学院教育学研
表1
中 国 と 日 本 に お け る 額 と 伯 奇 の 比 較
袈 と 伯 奇 中 国 日 本
穣の異名 撃鉄(留鉄)・猛豹・猫・膜大・(白)豹 特になし.
棋 の 効 能 痘・温癖・邪を避げる. 痘・痛・湿・邪を避ける.
懇 の 食 べ 物 銅・鉄・蛇を食べる. もっぱら悪夢を食べる.
伯奇の異名 白沢. 言及されていない.
伯 奇 の 効 能 特に曹及されていない.ただし,伯奇と同 言及されていない.
一視される白沢は却鬼の機能を持つ.
伯奇の食べ物 夢を食べる.
究科の郎稽落氏の御教示を得ました.記して深謝い たします
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引 用 文 献