学校における精神保健の問題と児童への支援の影響
浮 田 徹 嗣
はじめに 目 的
専門家の時代は終わったか 事例A子
専門家の時代の背景にあるもの 事例B子
発達障害の治療 おわりに
はじめに
発達障害白書によると,2010年に義務教育段階における児童 ・ 生徒 で,文部科学省が把握した自閉症 ・ 情緒障害と診断された子どもの数は,
145,413人にのぼった。発達障害者支援法が制定された2004年に28,924 人だったことと比べると,異常ともいえる増加である。
発達障害者支援法制定当時,自閉症スペクトラムを含む発達障害につ いて,親の養育の仕方が影響しているという考え方に対して強く反発し,
脳の何らかの異常によるものであると主張してきた日本発達障害者福祉 連盟も,この急増には困惑しているようだ。
日本発達障害者福祉連盟は,2010年に,小児神経専門医と日本児童 精神医学会の医師1,000名あまりに対して,この急増についての見解を アンケート調査で回答を求め(複数回答),①診断基準の拡大解釈によ る(80.5%)②生育環境の変化による(72.3%)③教育環境の変化によ る(49.3%)という結果を発表した(2012年)。「親の養育の仕方の変
化による」という選択肢はなく,「環境の変化」といっても環境の変化 により脳の発達に問題が生じているというニュアンスが感じられる表現 がされており,「本当に議論すべきは診断と同時に提供される支援の質 である」と発達障害白書では強調している(日本発達障害者福祉連盟,
2012)。
しかし,はたして,発達障害者に対する支援の質が問題なのだろうか。
20世紀後半に,イヴァン ・ イリッチは,(発達障害について述べたわ けではないが)診断し,専門家の支援を受けさせることの弊害を説いた
(1976)。20世紀末までには専門家の時代は終わらせようと説き続け,社 会が病院化することの危険を説き続けたのがイリッチなのである。それ にもかかわらず,鷲田清一によると,東日本大震災被災地の様々なとこ ろで心のケアといった支援が被災者の心を傷つけていることが指摘され ている(2012)。「何でもおっしゃっていいですよ」という言葉が,とき に相手の心に鎮めがたい氾濫を引きおこしかねない。決して相手に「被 災者役割」を押しつけないことを心すべきことだと鷲田は述べる。ケア の専門家が,ケアによって人の心を傷つけ,ケアの専門家が,市民一人 ひとりのケアの能力を減衰させ喪失させてゆくことが懸念されている。
今後もわが国は専門家による支援の時代であり続けているのであろう か。それとも専門家の時代を終焉させることができるのであろうか。
そのような問題について,筆者自身が関わった事例に触れながら,検 討してみたい。
目 的
本稿の目的は,発達障害に焦点を当てて,発達障害への支援のあり方 について,心理学の立場から検討するとともに,専門家の時代は終わっ たのか,終わっていないとすればその背景にどのようなものがあるのか を明らかにすることである。
イリッチがかつて主張したように,社会的医原病に対するしろうとの
論評こそ必要なのであろうが(1976),残念ながら現在それがなかなか なされていない。獣医が牛のディステンバーを診断しても,それは牛の 行動に影響を与えることはないかもしれないが,医師が人間を診断する と,患者の行動に影響を与えるということは,十分に考慮しなければな らないことであるにもかかわらず…なのにである。理屈をいうと,医師 は病気を見逃すよりも,フェイルセーフの原則に従って,病気と診断す ることで自分の安全を追求することになる。それなのに,ソーシャルワー カーやカウンセラーは,無責任な医学を保護して,家族関係や隣人関係 をだめにしてしまい,最善のことは家族がなしえたであろうという場合 であっても,衛生官僚体制が親を足止めしてしまい,また,老人を家庭 から連れ出してしまうようにしたと,イリッチは20世紀後半に(1976)
指摘した。
本稿では,そういった状態が,現代の日本でも続いていることを明ら かにするとともに,なぜ,脱病院化がすすまないのかを検討することに する。
専門家の時代は終わったか
イリッチは,20世紀中葉を,人々の能力を奪う専門家の時代と呼ぶこ とを提案し,この時代を「人々が問題を持ち,エキスパートたちが回答 を出し,科学者たちは能力とかニーズとか本来測定し得ないものを数量 化しようとした。そんな時代だった」と指摘した(1977)。そして,社 会の主要な批判力が,専門家主義への支持をやめてエキスパートに対す る-とりわけエキスパートたちが診断する力を自分のものと称している 時に-懐疑的態度にならないと,技術ファシズムに堕落することは避け られないと警告している。人々が自活できる能力が破壊されてゆく過程 にあることを理解しないと,新しい暗黒時代へ突入するだろうというの である。
イリッチの懸念は,医師だけに向けられたものではなく,社会福祉相
談員にも向けられており,「必要」を生み出す法的権力を手に入れてい ること,彼らが「ものごとを実行するやり方ばかりでなく,なぜ彼らの サービスが不可欠のものであるかという理由まで決定する権威を持って いると主張すること」が不可解であると述べる(1977)。商品を買う時 には消費者が自分にとって必要なものを買うことができるのに,医療や 福祉の専門家は「あなたが何を必要としているかを断定し,実際に何が 正しいことかを決めてしまう」というのである。「専門家は人間の性質 について秘密の知識を持っており,それを行使する権利は彼らだけに与 えられているのだと主張する。彼らは,何が正常からの逸脱で,それを なおすのに必要な療法は何かを決める独占権を自分たちが持っていると 主張する。本人自身が問題のある存在であることを認めようとしないし ぶといやからにたいしては,断固自分自身の解決策を押しつける。福祉 相談員は,新しい獲物を “ 問題児 ” と呼び,問題児が “ 必要とするもの
(ニーズ)” を標準化しようと努めた」と述べる(1977)。
医師や福祉相談員ばかりでなくカウンセラーも同様の「専門家」とし て挙げられており,子どもがすでに幼稚園から,小児科医,児童心理学者,
福祉相談員などからなるチームによる管理運営のもとに置かれることを イリッチは懸念している(1977)。そこで,21世紀日本の専門家とはい かなるものかをみてみるために,以下に,「発達障害」と診断された小 学校1年生の女児に筆者が関わった事例を示すことにする。
事例A子
発達障害者支援法が制定された直後の年,関西の地方小都市に赴任し ていた筆者の知人が,横浜へと戻ってきた。関西で生まれた6歳と5歳 の女の子は,それぞれこちらの小学校へ入学,幼稚園に編入となった。
小学校に入学した長女(A子)のことで母親は,学級担任教員から呼 び出され,発達障害(高機能自閉症)の可能性が高いと告げられ,カウ ンセラーを紹介されて,その支援を受けるように言われた。驚いた知人
夫婦は,筆者が臨床心理学を専攻していることを知っていたので,筆者 の家に,子ども2人をつれてやってきて事情を説明した。「発達障害(高 機能自閉症)」とされたというA子は,筆者とは初対面であったが,か ぼそい小さな声で自己紹介をして,おずおずと自分の趣味(シール集め)
や習い事(ピアノ)の話をしてくれた。
初めのうちは,確かに,聞き取れるかどうかと言うような小さな声で あったが,慣れてくると(懐いてくると)だんだんと声も大きな声になり,
ピアノを実際に弾いてみせてくれたり,絵を描いてくれたりしはじめた。
6歳にしては大人びていて,漢字もよく知っており,星座についてとて も詳しいという印象を受けた。A子が書いてくれた漢字を筆者が同じよ うに書いてみせると「キャハハ,汚い字ネ」と笑っていた。筆者は両親に,
発達障害(高機能自閉症)ではないだろうと話した。
ところが,A子はクラス担任の強い勧めで,カウンセラーの支援を受 けることになり,そのカウンセラーは強力に精神科受診を勧め,精神科 を受診したA子は今度は学習障害と広汎性発達障害(高機能自閉症)を 合併していると診断され服薬しなければならない状況となった。6歳の 子どもに抗精神病薬を飲ませるということに抵抗を感じ,また釈然とし ない思いであった両親は,再び筆者の所に来て事情を話しにきた。
その話によると,母親がA子と一緒にカウンセラーの所に行くと,80 項目くらいの問診のようなチェックリストに答えさせられたということ であり,その時に「話す」という小見出しのあるいくつかの項目にチェッ クしたことが診断名の根拠になったのではないかということであった。
80項目くらいというのと「話す」いう小見出しがあったということから,
筆者は,文部科学省が2002年に実施した「通常の学校に在籍する特別 な教育的支援を必要とする児童生徒に関する全国実態調査」の際に作成 され,その後も学校現場やスクールカウンセリングの場で使われている チェック・リストのことであろうと思い当たり,その実物を母親に示す と,まさに同じチェック・リストであった。(本稿の最後にこのチェック・
リストを載せておく)
これには「本チェック・リストは,指導者が子ども理解を深め指導の 一助とするためのものです。障害の判別を目的としたものではありませ ん。」と明記してあるが,それでもそのカウンセラーは学習障害と広汎 性発達障害(高機能自閉症)を合併していると判定して精神科医に紹介 し,その精神科医はカウンセラーからの紹介状を鵜呑みにして診断を行 い,投薬しようとしたというわけである。
母親によると,カウンセラーに対して,家ではそういうことはないが,
学校の担任教員から「たどたどしい話し方をすることがよくある」「こ とばにつまったりすることがよくある」「内容的に乏しい話をすること がよくある」「内容をわかりやすく伝えることができないことがよくあ る」と指摘されたということを告げてしまっていたため,チェック・リ ストの中のこれとほぼ同様の項目については,つい「よくある」と回答 してしまったということである。地方の小都市から転居してきたばかり で,環境の変化についてゆけなかっただけかもしれないが,A子は話を するのが上手な方ではなかったのかもしれない。A子の妹は,新しい幼 稚園ですぐに友達もでき溌剌としていたらしいが,筆者の家ではA子は,
妹よりもお姉さんらしくしっかりと振る舞っていた。
広汎性発達障害(高機能自閉症)という診断については,チェック・
リストを母親に再度,見てもらいながら思い当たることを聞いてみると,
次のような答えが返ってきた。
「星座にとても関心があり,たくさん星座の名前を覚えていてクラス で星座博士と呼ばれているらしいので,2,3,4,24番目の項目に “ は い ” と回答し,ピアノが得意なのに体育は苦手なので,10,19,20番目 の項目に “ はい ” と回答し,また,友達を家に連れてきて一緒に遊ぼう とするのだけれど,その子が一人でゲーム機で遊ぶのが好きな子で,A 子がひとりでつまらなそうにしていたことがあったので,15,16,17番 目の項目に “ はい ” と回答した。他にも “ 多少 ” と回答した項目があった」
確かにこれだけの項目に該当すると回答してしまうと「広汎性発達障 害(高機能自閉症)」と判定されてしまうだろうともいえるし,小学校 入学前にちょっと習い事でもしていて,その分野だけ他の子どもよりで きが良かったりするだけで「発達障害」と判定しかねないリストがそも そもおかしいのだともいえるだろう。
筆者が問題としたいのは,A子が担任教員からカウンセラーの支援を 受けるように指示され,カウンセラーからは精神科への通院・服薬を指 示された事である。イリッチが20世紀までで終わらせようとした「専門 家時代」は21世紀になっても続いていたのである。A子が仮に心理学的 な「問題」を抱えていたとしても,それは母親による養育によって解決 されうるものであり,通院は,A子が母親と過ごす時間を奪うものになっ てしまう。抗精神病薬の投与など,副作用を考えれば,危害を加えるだ けのものである。
結局,A子の両親は,担任教員の勧めに対して「大学の臨床心理学専 門の教員が,服薬も通院も必要ないと言っている。A子に問題があるよ うなら,親である自分たちが責任を持って適切に対処する」と言い切っ て,実際,A子が新しい環境に適応できるように母親が色々と配慮する ようになった。A 子の母親自身は4人きょうだいの末っ子で,8歳の時 に父親が癌で亡くなったために,その前後から,あまり自分の母親に甘 えた記憶がないと語り,そのせいかA子がもっと甘えたい気持ちでいる のにそれを十分には受け入れてやっていなかったかもしれないといって いた。A子の声が小さいと指摘されたことについて母親が思い当たるの は,転居による環境の変化くらいだが,それ以外に何かあるとすれば,
すぐ下に(1歳3ヵ月の時に)妹が生まれてあまりかまってやれなかっ たことくらいだとのことだった。
とはいうもののA子はピアノは転居後も習い続け,父親のA子に対す る教育パパぶりはあまり変わらなかったようではあるが,それでも母親 はA子が甘えてくればそれを受け入れ,A子が夜,母親の布団に潜り込
んできたら,一緒に朝まで眠るといったことは心がけたらしい。
声が小さいということは,その後もしばらく学校の担任教員から指摘 されたということだが,夏休みになる前には「自閉症的」なところはな くなり,現在では8年あまり(9年近く)たつが,当時,問題だとされ た点についてはすべて解消しているようである。ピアノを習うのはやめ たが,中学3年の時は学校の合唱コンクールでクラスの代表としてピア ノ伴奏を担当,星座への関心は今ではそれほど強くはなく,学力は高い がクラスで1,2を争うというほどではなく,運動は相変わらず苦手だ が極端に体育の成績が悪いというわけではない。友人は決して多くはな いが,それなりに仲の良い友だちはいて,対人関係の能力に問題はない と学校でも見なされている。声は小さいと指摘されることはなくなった が,いくらか小さい方かもしれないという。
8年あまり前,関西の小都市から転居してきて,A子に戸惑いもあっ たのだろうが,なぜ,妹は環境の変化をものともせずにのびのびとやっ てゆくことができ,A子は学校で大きな声で喋ることが困難だったのか,
筆者も十分に関わったわけではないのでよくわからない。母親のいうよ うに出生順位の影響もあるのかもしれないが,それだけでないのかもし れない。
両親ともに知的で聡明な人物であるが(父親は頭脳労働の専門職,母 親は専業主婦),子どもに対する情緒的な関わり方が不適切であるとい う印象は受けなかった。妹と比べるとA子に対して,その知的な能力に 両親ともに期待をしているという感じを受けなくはなかったが,それほ ど極端なものではなかったと感じた。母親がA子の甘えをあまり受け入 れていなかったのかどうか,甘えを受け入れるように変わったのかは直 接確認はできなかった。
A子の事例については,不明の点が多いのでこれ以上の考察は控えて おくことにする。
専門家の時代の背景にあるもの
次に考えてみたいのは,A子の小学校1年時の担任教員やカウンセ ラーや精神科医の対応についてである。
担任教員は,関西の小都市から転居してきたA子が,なかなかクラス に適応できない様子なのをみて,カウンセラーの支援を受けるように勧 めた。岸本は,「教師になろうという人は,人間が好きで,子どもが好きで,
人になにかを教えたり指導したりすることが好きで,ということはある と思います。コミュニケーションをとることが得意とは言えないにして も,それが苦手な人は教師を目指さないでしょう。(2012)」と述べ,教 員は生徒の力になりたいと思うし,クラス内の問題は解決したいと思う ものだと指摘する。その一方で,この10年ほど,様子が変わってきてい ることをも指摘し,その理由として,教員の雑用が増えたことやモンス ターペアレントが増えたことがその理由ではないかと主張する。
さらに,精神疾患で休職する公立学校の教員がこの10年で2.1倍に増 えたこと,その43.4%が小学校教員であることをあげ,小学校教員がい かに大変な環境で仕事をしているかを力説する。
確かに,岸本の指摘の通りかもしれない。しかし,リーマー(1998)
の指摘をまつまでもなく,ヒューマンサービスへの従事を志す者の多く に未解決の人間関係の葛藤があるということはよく知られており,生徒 の力になりたいと思い,支援しようとして思うようにゆかなかった教員 が,自ら抱えている未解決の人間関係の葛藤に由来する問題ゆえに,生 徒を投げ出して(見捨てて?)カウンセラーにまかせてしまうというこ ともあるのかもしれない。精神疾患で休職する公立学校教員の急増とい うのは,雑用の増加やモンスターペアレントの増加だけが問題なのか,
未解決の人間関係の葛藤を抱えた者が教員になっていて,環境の要因は 引き金になっているだけなのか検討の余地がある。
また,A子が担任教員から勧められて支援を受けることになったカウ ンセラーについても,同様のことがいえるだろう。スクールカウンセラー
になるくらいであるから,子どもが好きで,子どもに接することが好き であるだろうし,コミュニケーションが苦手な人ならばスクールカウン セラーを目指さないだろう。とはいうものの実際には,A子とどのよう なやりとりがあったのかについては全くわからないが,母親に「チェッ ク ・ リスト」への回答を求め,学習障害と広汎性発達障害(高機能自閉症)
の合併した状態と診断し,精神科医を紹介しただけで,A子との関わり を続けようとしなかったことだけは確かである。
このカウンセラーの対応から筆者が20年以上前に年輩の知人から相談 を受けた事例を思い出した。この事例についてはすでに別のところで触 れたが(浮田,2012),再度取り上げたい。
事例B子
ある11歳(当時)の少女は次のような経験をした。
B子は,学校の成績はクラス一番,女子サッカークラブのキャプテン で,書道,水泳,英会話などの習い事でもそれぞれ優秀な成績を修めて おり,ピアノは有名な音楽大学で教えている教官に指導を受け技能を高 く評価されている。習い事はいずれも,B子が自発的に「やりたい」と いって始めたもので,親の勧めで始めたものはひとつもない。行動的で,
いつもにこにこしていて穏やかで,明るくはきはきしていると近所でも 評判の子どもである。ただし,B子のことを,どこかおどおどしている と評する人もいたらしい。両親の評判もよく,勉強や習い事を強制しな いで,子どもの自然な好奇心をうまくのばして育てていると感心の的と なっている。なお,家族は両親と中学1年の姉との4人暮らしで,父方 祖父は医師,母方祖父は大学教授で名の知られた学者である。
このB子が,ある年の暮れ突然,奇妙な言動を示すようになった。例 えば,何もしていないのに,ごめんね,ごめんねと何度もいう。何かし てもらうと,ありがとうを何度も繰り返す。食事の後ごちそうさまを何 度も何度もいう。自分では繰り返さないようにしようと思うのにいわな
いと気がすまなくて繰り返してしまうといい,自分で「今日は4回です んだ」などと呟く。その他,自分の体を不自然に何度もさわる,始終う しろを振り返ってみる,うつろな表情で上目遣いできょろきょろと眼を 動かす,ぶつぶつと独り言を呟くといった具合で,どうも様子が変であ る。
このような状態になったのは,母親の友人の子ども(4歳)が遊びに きて帰っていった直後だという。母親がその子の家まで送っていく時に,
一緒にいこうと誘ったのをB子は珍しく拒んだが,母親がめまいを訴え たので仕方なくついていくことになった。その帰路,母親に文句をいっ たところ母親が嘔吐して倒れてしまったことがきっかけである。
その後,B子は “ 症状 ” を心配した母親に連れられてある精神科診療 所を受診した。優しそうな女のお医者さんが「いまは病気だけど,大丈夫,
心の病気に効くお薬あげるからね」と優しくいってくれたが,心の病気 といわれたことがショックで薬を飲む気になれず,次回の診察予約日に は頑として受診しようとしなかった。しかたなく母親だけがクリニック にいくと「薬も飲もうとしないし,受診もしないことを考えると,小児 統合失調症ではないかと考えられます。異常に硬い表情をしていたので かなり重症でしょう。入院が必要なので,別の病院を紹介します。早め に治療すればある程度の社会適応が期待できます。でも決して完治は望 まないで下さい」と告げられたのだという。
この母親は,医者の診断にも,ただ一度の受診拒否で他病院への転入 院を強制的に勧めるという態度にも納得ができず,知人である筆者に電 話で相談し,B子を無理に受診させずに様子を見ることにした。
母親のいうには,B子の「発症」のきっかけとなった母親自身の嘔吐 とめまいについて「娘が一緒に行きたいと思うような素敵な母親でいた いと思っていたのが崩れてしまったような気がして動揺してしまい,め まいがしたり吐いたりしてしまったのかしら。動揺したのも,娘に拒否 されて,自分がかつて母に拒否されたときの思いがよみがえってきたよ
うな感じで…」と述べていた。筆者はB子の母親とは数回電話で話をし たが,B子は全く治療を受けないまま,約三週間で全快し,その後かな りの長い年数がたつが何ごともなく成長して,今は三児の母親となって いる。
B子の場合も,優しい救済者然とした治療者が,B子に受療拒否され ると他病院へ転入院させようとしたという点で,A子がカウンセラーか ら精神科への通院を勧められたのとよく似ている。
B子の母親は,自分自身が母親から拒否されたという体験(空想)を 持っており,B子が「症状」を示すと,自分で自分の娘を何とかしよう というのではなく,医者に連れて行き,また,B子を診察した精神科医 はB子に受診拒否されると,B子を見捨てるように他の医師に紹介した。
現代の専門家は,ほかの専門家に紹介(リファー)することが好きなよ うである。
発達障害の治療
子どもの問題行動の治療に関わる専門家といっても,誰もが皆,リ ファーして終わりというわけではない。例えば,魚住は,発達障害とい う診断を受けた子どもに関して,「母親が元気と安心感を取り戻し,子 どもを受けとめることができるようになること」を目指して母親に対し ても相談に乗り続け,「安心感や自信を与えてくれる存在に対して,そ の子は信頼感と愛着を抱くようになり,親との愛着が安定してくると他 の人間関係も安定してくる」 と述べ,そういう関わり方で改善 ・ 治癒し た複数の事例を報告している(2013)。
また,青木は「広汎性発達障害を持つ子どもの成長 ・ 発達に,子ども が育つ環境が影響を与えることも忘れてはいけない。安全で安心できる 環境の大切なことは,子どもすべてに言えることだ。特に,広汎性発達 障害を持つ子どもの場合は,安全で安心できる環境がとても大切になっ てくる」と述べ,そのような環境を作るために努めることの重要性を強
調する(2012)。さらに,「(自分は)普通だと思っている人の中にも発 達障害の傾向は潜んでいる」「発達障害を,一人の人の在り様や生き方 と考え,あの人も僕と同じようなものを持ちながら生きていると考える」
とも述べ,発達障害をひとつの診断名とすることに疑問を呈した上で,
発達障害という診断がついているかどうかに関係なく,子どもに接する 時に大切な関わり方について論じている。
岡田も母親に対する指導を継続することの重要性を説き,「母親の愛 情や関心が不足していても,関わり不足が解消されれば症状は姿を消 す。」「子どもに豊かな反応を返すように母親に対するちょっとした指導 を行うだけで,母親の関わり方が変わり,子どもの愛着パターンにまで 効果が及んだ。」「一緒に過ごす時だけでも子どもの方をみるようにして,
表情を豊かにして,言葉掛けや反応を増やすことが,子どもにとっては 何にも代え難い賜物だといえる」などと述べている(2012)。指導を受 けた母親が,必ず豊かな愛情を示すような関わり方に変われるのかどう かについては難しいこともあるかもしれないが,岡田の指摘ももっとも である。
このように子どもの心理学的問題についての書物で,比較的よく知ら れた臨床家の書いたものを見ると,決してリファーして終わりにはして いないということがよくわかる。しかし,「はじめに」に示した鷲田の 観察によると「プロのカウンセリングとか “ 傾聴 ” に任せすぎている。
学校で問題が起きるとすぐにカウンセラーを呼ぶことにはあまり賛成で きません。先生たちが,これはプロにしてもらった方がいいということ で委託するのでしょう。これを裏返して言えば,もう自分たちはじかに 聞かないと言うことになってしまうのです。(2012)」という現象が見ら れるようだ。
カウンセラーに対しても,倫理指針が作られると,指針にうたわれて いるのだから問題はないというふうに倫理について無感覚になってしま うということが懸念されている(鷲田,2012)(指針通りに従うだけで,
自分自身の倫理的な感覚を研ぎ澄まそうとしなくなるのではないか,と いう意味だろう)。実際,『学生相談 GUIDE BOOK』などといった成書 が作られ,精神疾患症状のある場合のスクールカウンセラーの対応など についてわかりやすく述べてあるものもあるようだが(例えば,福田,
2012),マニュアル通りの対応をすればよいと言うわけではない。
どうも一部の臨床家以外は,責任をとること,自分が引き受けたケー スについて自分なりに考えて,自分の倫理観に基づいた対応をするのが 困難になっているようである。
おわりに
「現代社会において,本当の親はいなくなったらしい。養父母のよう に養老院に送り出される。生理的な絆といえども親子関係をつなぎとめ ておく力を持っていない。養ってくれた恩に対し,どう報おうというの であろうか。親は子どもを育てる時,自分を犠牲にしている。眠りたく ても,寒くても我慢して育てている。自分がかつて手のかかる子どもだっ たら,親が手のかかる親になったら,今度は自分が犠牲を払う順番だと 思わないのだろうか。誰のお陰で大きくなったのかと恩を着せた親と,
自分の力で,と過去を否認した若者の断絶。その断絶を埋める努力を怠っ た家族の末路だろうか。」以上は,「親子は他人のはじまり」という小見 出しのもとに現代日本社会における家族関係とその心理について論じた 川幡の文章からの抜粋である(2008)。高齢者介護施設に,親を入所さ せる子どもの心理も様々であるかもしれないが,親子の絆がかつてと比 べると弱くなっていることは確かであろう。
イリッチの指摘するように20世紀半ばから欧米を含めてすすんできた 現象なのかもしれない。介護施設に高齢の親を入所させるのと同じよう な心理で,手のかかる子どもは,子どもの問題の専門家に任せ,子ども の問題の専門家も自分の手に負えない子どもを精神科医に任せ,精神科 医はその子どもに対して投薬するだけで済まそうとすることが多いよう
な印象を受ける。
本稿では,子どもの精神保健を巡って学校で起きている問題について は,筆者の経験からいくらか現状を明らかにすることはできたかもしれ ないが,その背景にある要因については推測の域を出ることはできな かった。後者については今後の課題としたい。
(参考)
児童生徒理解に関するチェック・リスト
Ⅰ.「聞く」「話す」「読む」「書く」「計算する」「推論する」について (0:ない,1:まれにある,2:ときどきある,3:よくある,の 4段階で回答し,合計12点以上になる領域があれば特別な支援が必要)
<聞く>
・ 聞き違いがある(「知った」を「行った」と聞き間違える)
・ 聞きもらしがある
・ 指示の理解が難しい
・ 話し合いが難しい(話し合いの流れが理解できずついて行けない)
<話す>
・ 適切な速さで話すことが難しい(たどたどしく話す。とても早口である)
・ ことばにつまったりする
・ 単語を羅列したり,短い文で内容的に乏しい話をする
・ 思いつくままに話すなど,筋道の通った話をするのが難しい
・ 内容をわかりやすく伝えることが難しい
<読む>
・ 初めて出てきた語や,普段あまり使わない語などを読み間違える
・ 文中の語句や行を抜かしたり,または繰り返し読んだりする
・ 音読が遅い
・ 勝手読みがある(「いきました」を「いました」と読む)
・ 文章の要点を正しく読み取ることができない
<書く>
・ 読みにくい字を書く(字の形や大きさが整わない,まっすぐに書けな い)
・ 独特の筆順で書く
・ 漢字の細かい部分を書き間違える
・ 句読点が抜けたり,正しく打つことができない
・ 限られた量の作文や,決まったパターンの文章しか書けない
<計算する>
・ 学年相応の数の表し方の意味や表し方についての理解が難しい (三千四十七を300047や347とかく。分母の大きい方が分数の値とし
て大きいと思っている)
・ 簡単な計算が暗算で,できない
・ 計算をするのにとても時間がかかる
・ 答えを得るのにいくつかの手続きを要する問題をとくのが難しい (四則混合の計算。2つの立式を必要とする計算)
・ 学年相応の文章題を解くのが難しい
<推論する>
・ 学年相応の量を比較することや,量を表す単位を理解することが難し い(長さや量の比較。「15cm は150mm」ということ)
・ 学年相応の図形を書くことが難しい
(丸やひし形などの図形の模写。見取り図や展開図)
・ 事物の因果関係を理解することが難しい
・ 目的に沿って行動を計画し,必要に応じてそれを修正することが難しい
・ 早合点や,飛躍した考えをする
Ⅱ.「不注意」「多動性 ・ 衝動性」
(0:ない,1:まれにある,2:ときどきある,3:よくある,の 4段階で回答。奇数番目の項目が「不注意」に関する項目で,偶数番 目の項目が「多動性・衝動性」に関する項目であり,どちらかの項目 に「ときどきある」か「よくある」という回答が6つ以上あれば特別 な支援が必要)
・ 学校での勉強で,細かいところにまで注意を払わなかったり,不注意 な間違いをしたりする
・ 手足をそわそわ動かしたり,着席していても,もじもじしたりする
・ 課題や遊びの活動で注意を集中し続けることが難しい
・ 授業中に座っているべき時に席を離れてしまう
・ 面と向かって話しかけられているのに,聞いていないようにみえる
・ きちんとしていなければならないときに,過度に走り回ったりよじ 登ったりする
・ 指示に従えず,また仕事を最後までやり遂げない
・ 遊びや余暇活動におとなしく参加することが難しい
・ 学習課題や活動を順序立てて行うことが難しい
・ じっとしていない。または何かに駆り立てられるように活動する
・ 集中して努力を続けなければならない課題(学校の勉強や宿題など)
を避ける
・ 過度にしゃべる
・ 学習課題や活動に必要なものをなくしてしまう
・ 質問が終わらないうちに出し抜けに答えてしまう
・ 気が散りやすい
・ 順番を待つのが難しい
・ 日々の活動で忘れっぽい
・ 他の人がしていることをさえぎったり,じゃましたりする
Ⅲ.「対人関係やこだわり等」
(0:いいえ,1:多少,2:はい,の3段階で回答し,合計22点以 上あれば特別な支援が必要)
・ 大人びている。ませている
・ みんなから,「○○博士」「○○教授」と思われている
・ 他の子どもは興味を持たないようなことに興味があり,「自分だけの 知識世界」を持っている
・ 特定の分野の知識を蓄えているが,丸暗記であり,意味をきちんとは 理解していない
・ 含みのある言葉や嫌みを言われても分からず,言葉どおりに受けとめ てしまうことがある
・ 会話の仕方が形式的であり,抑揚なく話したり,間合いが切れなかっ たりすることがある
・ 言葉を組み合わせて,自分だけにしか分からないような造語を作る
・ 独特な声で話すことがある
・ だれかに何かを伝える目的がなくても,場面に関係なく声を出す (例:唇を鳴らす,咳払い,喉を鳴らす,叫ぶ)
・ とても得意なことがある一方で,極端に不得手なものがある
・ 色々な事を話すが,その時の場面や相手の感情や立場を理解しない
・ 共感性が乏しい
・ 周りの人が困惑するようなことも,配慮しないで言ってしまう
・ 独特な目つきをすることがある
・ 友達と仲良くしたいという気持ちはあるが,友達関係をうまく築けない
・ 友達のそばにはいるが,一人で遊んでいる
・ 仲の良い友人がいない
・ 常識が乏しい
・ 球技やゲームをするとき,仲間と協力することに考えがおよばない
・ 動作やジェスチャーが不器用で,ぎこちないところがある
・ 意図的でなく,顔や体を動かすことがある
・ ある行動や考えに強くこだわることによって,簡単な日常の活動がで きなくなることがある
・ 自分なりの独特な日課や手順があり,変更や変化を嫌がる
・ 特定のものに執着がある
・ 他の子どもたちからいじめられることがある
・ 独特な表情をしていることがある
・ 独特な姿勢をしていることがある
(軽度発達障害フォーラム http://www.mdd-forum.net/etc_check.html)
2013.1.19最終確認
文 献
日本発達障害者福祉連盟 2012『発達障害白書2013』明石書店 イリッチ 1976(1979)『脱病院化社会』金子嗣郎訳 晶文社 鷲田清一 2012『語りきれないこと』角川 one テーマ21
イリッチ 1977(1984)『専門家時代の幻想』尾崎浩訳 新評論 岸本裕紀子 2012『感情労働シンドローム』PHP 新書
リーマー 1998(2001)『ソーシャルワーカーの価値と倫理』秋山智久 訳 中央法規出版
浮田徹嗣 2012『デイケアの心理学』春風社
魚住絹代 2013『子どもの問題 いかに解決するか』PHP 新書 青木省三 2012『僕らの中の発達障害』ちくまプリマー新書 岡田尊司 2012『発達障害と呼ばないで』幻冬舎新書 川幡政道 2008『見捨てられる不安』春風社