ダビテウェア・サウスにおけるマネアバ(集会所)
の多様化 : 外部論理の遮断・変換・摂取
著者 風間 計博
雑誌名 国立民族学博物館研究報告
巻 24
号 1
ページ 43‑105
発行年 1999‑09‑30
URL http://doi.org/10.15021/00004106
風 間 タ ビテ ウエ ア ・サ ウス に お け る マネ アバ(集 会所)の 多 様 化
タ ビテ ウエ ア ・サ ウ ス に お け る マ ネ ア バ (集 会 所)の 多 様 化
外部論理の遮断 ・変換 ・摂取一
風 間 計 博*
Diversification of Mwaneaba:
The Local Meeting Houses in Tabiteuea South, Kiribati
Kazuhiro Kazama
本 論 文 で は,中 部 太 平 洋 のキ リバ ス 南 部 に 位置 す る,タ ビテ ウエ ア ・サ ウ ス に お け るマ ネ アバ(集 会 所)の 現状 を 実地 調査 の資 料 に 基づ い て記 述 す る。 さ らに,首 都 と離 島部 との政 治 経 済 的 な つ な が りを,マ ネ アバ が いか に 媒 介 す る か を 考 察す る。
現 在 の マ ネ アバ は,旧 来 の 民 族誌 に お け る記述 とは ま っ た く異 な り,各 行 政 村 の ほ か,キ リス ト教 会,島 行 政府 や学 校 に付 随 して多 様 化 して い る。 各 マ ネ アバ で は,対 応 す る社 会 集 団 に 関 わ る合 議 や饗 宴 が長 老 を 中心 に開 催 され,そ の 成 員 を統 合 して い る。 一 方,タ ビテ ウエ ア ・サ ウス は首 都 を通 じて 外 部 世 界 と連 接 して い る。 首 都 か ら来 た 中央 の政 策 や諸 制 度 は,ま ず 各 種 マ ネ アバ に お け る 合 議 に よ り検 討 され る。 マ ネ ア バ は 外部 の論 理 を 一 時 的 に遮 断 し,在 地 の 論 理 を 付加 して 変 換 す る装 置 と して 作 動 して い る。
This paper discusses the politico-economic relationship between central institutions in the capital and the local society of Tabiteuea South in Kiribati in the Central Pacific through the medium of meeting houses, called mwaneaba. It is based on the author's field research conducted there from 1994 to 1996.
Grimble and Maude, who were colonial administrators and an- thropologists, reconstituted what was considered to be the traditional
国立民族学博物館講師(COE研 究員)
Key Words : mwaneaba (meeting house), local idea of equality, elder council, botaki feast, Tabiteuea South
キ ー ワ ー ド:マ ネ ア パ(集 会 所),在 地 平 等 理 念,長 老 会 議,ボ ー タ キ(饗 宴),タ ビ テ ウ エ ア ・サ ウ ス
mwaneaba in the early twentieth century. The mwaneaba system has been historically diversified and their description cannot be applied to present circumstances. I observed several types of mwaneaba in Tabiteuea South. Each is accompanied by a particular social group, such as the administrative village, a church organization, the Island Council or a public primary school. Various meetings and feasts are held in mwaneaba, consolidating the members of each social group.
All meetings at mwaneaba are controlled by elders. The mwaneaba effectively blocks the authority of the central government. All economic opportunities offered by external agencies are accepted and discussed by the mwaneaba meetings, and distributed among people according to the local morality of equality. The mwaneaba functions as an apparatus to transform the logic of the outside world.
は じ め に
1.調 査 地 を 取 り囲 む 状 況 1‑1.タ ビ テ ウ エ ア ・サ ウ ス 1‑2.キ リバ ス の 政 治 ・経 済 的 特 徴 2.マ ネ ア バ 研 究 の 現 状
2‑1.「 伝 統 的 」 マ ネ ア バ の 研 究 2‑2.従 来 の マ ネ ア バ 研 究 の 問 題 点 3.村 マ ネ ア バ と イ ナ キ の 現 状
3‑1.職 能 を も つ イ ナ キ 3‑2.イ ナ キ に 関 す る 知 識 の 混 乱 3‑3.現 在 の イ ナ キ の 意 味 3‑4.行 政 末 端 と し て の 村 マ ネ ア バ 4.「 新 しい 」 マ ネ ア バ
五̲1」 涛竃】7、 ノ ♂ノ ニラ・rブr乏7,ミ
4‑2.学 校 マ ネ ア バ 4‑3.教 会 マ ネ ア バ
5.カ ト リ ッ ク ・マ ネ ア バ の 新 築 5‑1.石 柱 の 切 り出 しお よび 運 搬 5‑2.村 の3グ ル ー プ に よ る 資 材 調 達
5‑3.資 材 購 入 用 の 資 金 調 達 5‑4.取 り壊 し お よ び 建 設 作 業
6.考 察 「在 地 論 理 」 の 場 と し て の マ ネ ア バ
6‑1.「 伝 統 」 と キ リバ ス の カ テ イ 6‑2.マ ネ ア バ と 平 等 理 念 の 結 合 6‑3.マ ネ ア バ に よ る 社 会 集 団 の 統 合 6‑4.「 変 換 装 置 」 と して の マ ネ ア バ お わ りに
は じ め に
オ セ ア ニ ア 島 喚 地 域 に は さ ま ざ ま な 集 会 所 が あ り,各 種 の 儀 礼 を 行 う場 と して,あ る い は 共 同 体 の 政 治 の 拠 点 と し て,人 類 学 的 研 究 の 主 題 に 採 り上 げ ら れ て き た(e.g.
ア レ ソ1978;青 柳1982;松 岡1927:511‑535)。 本 論 文 の 対 象 で あ る 中 部 太 平 洋 の キ リバ ス(Kiribati)1)に お い て も,「 社 会 生 活 の 中 心 」 と しぼ し ば 表 現 さ れ る 集 会 所 マ
風間 タピテウエア ・サウスにおけるマネアパ(集 会所)の 多様化
ネ アバ(〃iwaneaba)が 発 達 し,植 民 地 行政 官 で あ った人 類 学 者 の 興 味 を 強 くひ い た (Maudel977[1963];1980[1961】;Grimblel989)。 た だ し,サ ル ベ ー ジ人 類 学 的 な 当時 の潮 流 の なか にあ って,キ リバ スの先 駆 的 民 族 誌 家 に よる マ ネ アバ 研 究 に,同 時 代 的 視 点 が 欠落 してい た の は,当 然 とい>xる だ ろ う。 彼 らは,す で に調 査 時 に は 失 わ
れ て いた過 去 の再 構 成 を 目標 と してい た の で あ る。
先 駆 的 民 族誌 家 に よ る資料 収 集 が 行 われ てか ら一 世 紀 近 く経 って,キ リバ ス の 人 々 は過 去 の マネ アバ に 関 す る知 識 や 神 話 を ほ とん ど忘 却 して い る。そ れ に もかか わ らず, マ ネ アバ は機 能 を変 え て存 続 し,多 様化 し,増 加 して 現 在 に至 って い る。 この よ うな 状 況 にあ って 当然 の こ とな が ら,再 構成 され た 過 去 の 民 族誌 の情 報 は,現 在 の マ ネ ア パ を分 析 す るに あた って,有 効 な枠 組 み を与 えて は くれ な い 。 本論 文 では,キ リバ ス の南 部 離 島 タ ビテ ウエ ア ・サ ウス(TabiteueaSouth)に お け る実 地 調 査 で得 た 資 料 に基 づ き,多 様 化 した マ ネ ア・ミを 論 じる。 調 査 は 主 に タ ビテ ウエ ア ・サ ウス 中部 の N村 にお い て行 った2)0
一論 文 の 目的 は第 一 に,ほ とん ど紹 介 され る こ との なか った 現在 の マ ネ ア・ミの 状 況 を 民族 誌 的 に 示 す こ とで あ る。 まず,N村 マ ネ アバ の現 状 を 詳 細 に 記 述 し,過 去 の 民 族誌 で描 か れ た 「伝 統 的 」 マ ネ アバ との 差異 を 明 らか に す る。 次 に,こ れ まで 研 究 対 象 とされ て こなか った 多 様 な 「新 しい」 マネ アバ の実 態 を 記 述 す る。各 種 マ ネ アバ は, 村 人 が 社 会 生 活 を 営 む 上 で 必然 的 に 関 与 せ ざ る を 得 な い も の で あ る。 さ ら に,私 が N村 に滞 在 して い た期 間 中 に 行 わ れ た カ トリ ッ ク教 会 の マ ネ アバ 新 築 作 業 の過 程 を 採 り上 げ る。 マ ネ アバ 新 築 に関 す る協 同 作業 は,村 人 た ちの 社会 生 活 の凝 縮 とい え る 事 例 であ る。
第 二 に,現 在 の マネ アバ を,首 都 南 タ ラ ワの政 治 経 済 シ ス テ ム との関 係 に 焦 点 を 当 て て考 察 す る。 タ ビテ ウエ ア ・サ ウスは,キ リバ ス の なか で も首 都 か らの交 通 が 不 便 な,い わ ぽ 辺境 の地 とい>xる 。 しか しな が ら,歴 史 的 に世 界 シス テ ムに包 摂 され,そ こに住 む 人 々が外 部 の シス テ ム に否 応 な く翻 弄 され て きた の は 明 らか で あ る。 キ リ・ミ ス とい う国 家 に組 み 込 まれ て い る現 在,タ ビテ ウエ ア ・サ ウ スの マ ネ アバ は 当 然,国 家 とそれ を 取 り囲む 政 治 経 済状 況 か ら独 立 して い るわ け で は ない 。 現在 の マネ アバ を 論 じるた め に は,と くに 首 都 か ら来 る外 来 の諸 制 度 を必 然 的 に 視 野 に 入れ なけ れ ば な
らな い。
タ ビテ ウ エ ア ・サ ウス とい う ミク ロな調 査 地 は 国家 を経 由 し,マ ク ロな世 界 大 の政 治経 済 シ ス テ ム と連 接 して い る。 住 民 に と って主 要 な換 金 作 物 で あ る コブ ラは,タ ビ テ ウエ ア ・サ ウスか ら海 外 へ 輸 出 され,人hの 主 食 は オ ース トラ リアか ら輸 入 した
A
②
③
地 図 調 査 地 の 位 置 お よ び 概 略 ギ ル バ ー ト諸 島(キ リバ ス)
出 所:H.VanTrease(ed.)Ato〃politi(:s:‑theRepublicofKiribati.よ り改 変 タ ビ テ ウ エ ア 環 礁
出 所:LandandSurveyDivision,GovernmentofKiribati.よ り修 正 タ ピ テ ウ エ ァ ・サ ウス 拡 大 図
出 所:LandandSurveyDivision,GovernmentofKiribati.よ り修 正
風 間 タ ビテ ウエ ア ・サ ウ スに お け る マ ネ アバ(集 会 所)の 多様 化
米 ・小麦 粉 で あ る。 現在 の主 要 な 出稼 ぎ先 は外 国船 で あ り,賃 労働 の報 酬 と して人 々 に配 分 され る 国家 歳 入 の多 くは,海 外 か ら得 た援 助 資 金 で あ る。 本 論 文 に お い て は, 調 査 地 に おけ る マネ アバ に関 わ る現 象 を,マ ク ロな政 治 経 済 シス テ ム との 連 接 を念 頭 に お きなが ら,首 都 や 国家 との 関連 に お い て考 察 す る。
1.調 査 地 を取 り囲む 状 況
1‑1.タ ビ テ ウ エ ア ・サ ウ ス
タ ビ テ ウ エ ア環 礁 は,南 北2つ の 行 政 地 区 に 分 か れ て い る 。 環 礁 の 北 部 と 中 部 が タ ビ テ ウ エ ア ・ノ ー ス 行 政 区 と な り,南 部 が タ ビ テ ウ エ ア ・サ ウ ス 行 政 区 とな っ て い る 。
人 ロ お よ び 宗 教
タ ビ テ ウ エ ア ・サ ウス は6村 か ら な る 。 こ れ ら の 村 は 主 に,各 小 珊 瑚 島(ア イ レ ッ ト)ご と に 形 成 さ れ た 自 然 村 で あ り3),同 時 に 最 小 の 行 政 単 位 と な っ て い る。1995年 の 人 口調 査 に よ る と,キ リバ ス 共 和 国 の 居 住 者 の な か で,故 郷 が タ ビ テ ウ エ ア ・サ ウ ス と回 答 した 人 は2,322人 い た 。 外 国 を 除 い て,タ ビ テ ウ エ ア ・サ ウ ス を 故 郷 と見 な す 行 政 区 外 居 住 者 は1,133人 お り,そ の 割 合 は49%に の ぼ る(StatisticsOfnce1997:
69)。 タ ビ テ ウ エ ア ・サ ウ ス 全 体 で は275世 帯,1,404人 が 居 住 して お り,人 口密 度 は 118人/km2で あ る(StatisticsO缶cel997:1)。 こ の1,404人 の うち,当 該 行 政 区 を 故 郷 と見 な す 者 は1,189人(85%)い る。 残 る 行 政 区 内 人 口の15%は 他 島 出 身 者 で あ り, 土 堤 道 路 工 事 関 係 者 や 公 務 員 な ど の 定 職 者,お よ び 婚 入 女 性 で あ る 。 調 査 地 のN村 の 人 口は 約180人 で あ っ た 。
信 仰 す る 宗 教 別 に み る と,275世 帯 の うち136世 帯(49.5%)が カ ト リ ッ ク,96世 帯 (34.9%)が キ リバ ス ・プ ロ テ ス タ ン ト教 会(KPC;KiribatiProtestantChurch),37
世 帯(13.5%)が ・ミ・・イ,6世 帯(2.2%)が そ の 他 の 宗 派 と な っ て い る(Statistics Office1997:117)4)0な おN村 は,村 は ず れ に あ る 学 校 教 員 住 宅 の 一 部 世 帯 を 除 き, カ ト リ ッ ク 信 徒 の み だ っ た 。 こ こ で い う 世 帯 とは,後 述 す る 小 家 族 世 帯 ム ウ ェ ソ ガ
(mwenga)で あ る 。 た だ し,老 人 や 子 供 は 頻 繁 に 移 動 す る の で,必 ず し も 世 帯 の 成 員 が 固 定 し て い る わ け で は な い 。 ま た 若 者 が 首 都 へ 出 か け る と,数 ヶ月 か ら数 年 も の 間,村 に 帰 っ て こ な い こ と も あ る。
行 政 機 関
N村 の 北 に 位 置 す るB村 の 北 西 端 に テ オ ボ キ ア(Teobokia)と よば れ る 地 域 が あ り,タ ビ テ ウ エ ァ ・サ ウ ス の 行 政 的 な 中 心 と な っ て い る 。 テ オ ボ キ ア に は 島 行 政 府 (IslandCouncil)の 事 務 所,ゲ ス ト・・ウ ス,生 協 店 舗,コ ブ ラ の 倉 庫,診 療 所,農 業 省 の 出 張 所,島 行 政 府 の 集 会 所(カ ウ ン シ ラ ・マ ネ ア バ[mwaneabantekaunt ra])
な ど が あ る 。 行 政 府 事 務 所 の 建 物 に は,土 地 法 廷 事 務 所,警 察 署,郵 便 兼 無 線 局 が 付 随 し て い る 。 テ オ ボ キ ア に は 公 務 員 住 宅 も あ り,そ こ で 働 く者 と そ の 家 族 が 住 ん で い る。 ま た タ ビ テ ウ エ ア ・サ ウ ス の6村 か ら は,そ れ ぞ れ カ ウ ン シ ラ(kauntira)と よ ぼ れ る 行 政 官 が 村 ご と の 選 挙 で 選 出 さ れ,う ち1人 が カ ウ ン シ ラ長 とな る。 各 村 の カ ウ ン シ ラ は,島 に お け る 中 央 政 府 の 代 理 人 で あ る ク ラ ー ク(kiraka)や 公 務 員 と村 住 民 を 結 ぶ 役 目 を 担 っ て い る 。 さ ら に,6村 の 長 老 男 性 ウ ニ マ ー ネ(unimwane)5)の 意 見 を と りま と め る長 老 会 議 が 組 織 さ れ て い る 。 カ ウ ン シ ラ ・マ ネ ア ノミに お け る 公 聴 会 や 合 議 に お い て,長 老 た ち は ク ラ ー ク や 公 務 員 に 対 して 要 望 を 出 し,政 策 へ の 質 問 を す る 。 ク ラ ー ク は 中 央 政 府 と 島 と の 間 に,カ ウ ソ シ ラ は 島 行 政 府 と 村 と の 間 に 挟 まれ, 両 者 の 情 報 を 伝 達 し,折 衝 す る に 過 ぎ な い 。 む し ろ,中 央 政 府 の 公 的 な エ ー ジ ェ ソ ト
で は な い 長 老 会 議 が,タ ビ テ ウエ ア ・サ ウ ス に お い て 強 力 な 決 定 権 を も っ て い る 。
学 校
戦 前 の行政 府 は植 民 地 経 営 に 最 小 の コス トしか か け な か った。 そ のた め,公 的 な学 校 教 育 を行 った の は,キ リバ ス 人 官吏 養 成 を 目的 と した首 都 タ ラ ワの公立 学 校 のみ に 限定 され,そ れ以 外 は 専 らキ リス ト教会 に教 育 を 委 ね て い た。 第 二 次 大戦 後,離 島部 で も公 立 の初 等学 校 が 作 られ 始 め た。 タ ビテ ウエ ア ・サ ウス に おけ る初 等教 育 も長 期 に わ た り,キ リス ト教 会 の下 に あ っ た。 現 在 で もB村 カ ト リッ ク教 会 マネ アバ の 裏 に は,教 会 が運 営 して い た 学 校 の校 舎 が残 っ てい る。 教会 に よる初 歩 的 な教 育 が 浸 透 して いた た め,現 在60〜70歳 の 長老 さ え も,ほ と ん どキ リバ ス語 の読 み 書 きがで き, 識 字 率 は100%に 近 い と考 え られ る。 タ ビテ ウエ ア ・サ ウ ス では,1980年 代 末 に な っ
て公 立 の初 等 学校 が 作 られ た 。現 在,飛 行場 のN村 寄 りに 島最 大 の初 等 学 校 が あ る ほか,初 等学 校 は タ ビテ ウエ ア ・サ ウス全 体 で計4校 あ る。 近 年 にな って各 村 の マネ アバ を使 った幼 児 教 育 も行 わ れ始 め た。
交 通 ・流通 お よび 消 費
タ ビテ ウエ ア ・サ ウス の 住 民 を外 部 とつ な ぐ交 通機 関 は,飛 行 機 と船 で あ る。1981
風 間 タ ビテ ウェ ァ ・サ ウス に おけ る マネ ア バ(集 会 所)の 多 様 化
年 にN村 とB村 の外 洋 に面 した境 界 に 飛 行 場 が 作 られ,ス ケ ジ ュ ール上 は週1回, タ ラ ワか らの 飛行 機 便 が 運行 して い る。 た だ し実 際 に は,飛 行 機 の 故 障 や燃 料 不 足 が 頻 発 す るた め,2週 間 か ら1ヶ 月 間 以上 欠 航 す る こ と も しぼ しぼ あ る。 また タ ラ ワへ の航 空 運 賃 は片 道 約100豪 ドル か か り,定 職 を もた な い 一 般 の住 民 に と っ てか な り高 額 なた め,主 に公 務 員 や 出稼 ぎ者 が利 用 す る。
一 般 の人hが タ ラ ワへ 行 く場 合,通 常 は船 を 利 用 す る。 物 資 の移 入 に 関 して も,飛 行 機 よ り船 便 が重 要 で あ る。 行政 の 中心 で あ る テ オボ キ ア が,船 で 運 ば れ て きた積 荷 の陸 揚 げ 地 に な って い る。 船 か らは 主食 の米,小 麦 粉,砂 糖 な どの食 料 や 生活 必需 品 を 降 ろ し,島 か らは唯 一 の換 金 生 産 物 で あ る コブ ラを積 み込 む 。船 で移 入 す る物 資 は, 住 民 の生 活 に と って きわ め て 重 要 な役 割 を担 ってお り,ラ ジ オ で聴 い た 船 の情 報 が 人 々の 日常 的 な 話 題 に の ぼ って い る。船 便 は不 定 期 な上,仮 に来 た と して も貨物 が積 ま れ て お らず,コ ブ ラを 積 み込 む だ け の こ とも あ る。 独 立 直前 の1976‑'77年 の運 行 表 と 比 べ て も,現 在 の船 便 数 は 少 な く,輸 送 の状 況 は む しろ 悪化 して い る(風 間n.d.)。
タ ビテ ウエ ア ・サ ウス では,外 国船 出稼 ぎ者 や 公 務 員 を 除 い た人 々 に と って,コ ブ ラ生 産 が現 金 を 得 る主 要 な方 法 で あ る。 他 に,船 荷 の 積 み 降 ろ し,不 定 期 的 な 建設 労 働 の雇 用 が 村 人 の 収 入源 とな る。 世 帯規 模 で 魚や タバ コな どを売 り,僅 か な収 入 を 得 る こ と もあ る。 これ らの収 入 は,主 に輸 入食 料 品 や 嗜 好 品,生 活必 需 品 を 商 店 で 購 入 す る こ とに よって 消費 され る(風 間1997)。
商 店 は1994年 時 点 で,テ オ ボ キ アの 生協 の ほか,プ ロテス タ ン ト信 徒 共 同経 営,個 人経 営 な ど計5店 舗 あ った。 とこ ろが,実 際 の物 資 入 荷 は きわ め て不 安 定 であ り,船 到 着 か ら1週 間 後 に は店 か ら商 品 が な くな り,次 の船 まで 開 店 休業 に な る こ とが しぼ
しぼ あ った 。 物 資 欠 乏 時 に貨 物 が入 荷 す る と,人 々 はパ ニ ックの よ うに店 に殺 到 し, 商 品 を巡 って暴 力 事 件 まで起 こった 。さ らに1995年 の初 頭 に は,最 大 の物 資 供 給 源 だ っ た生 協 卸 売 会 社 が 倒 産 して,タ ビテ ウエ ア ・サ ウス では 極 度 に物 資 が欠 乏 し,私 自身 も厳 しい飢 えを 体 験 した。 そ の とき人hは,コ ゴヤ シの果 肉 を 瑠 りな が ら飲 料 で腹 を 膨 ら ませ て,次 の船 便 に よる貨 物 入 荷 を 待 つ しか なか った 。 生 業 的 な食 料 生 産 は,厳
しい 自然 環 境 お よび 歴 史 的 な衰 退 に よ りきわ め て脆 弱 で あ り,人 々は輸 入物 資 に主 食 を依 存 せ ざ る を得 な い 状 況 に あ る。 しか も,主 食 を含 む 物 資 の 移 入 が しば しば 途 絶 え る(風 間1997)。 この 二重 の構 造 的 な要 因 に よ る慢 性 的 な物 資 欠 乏 状 態 を,私 は 「二 重 の 窮乏 」 と よんで い る。
1‑2.キ リバ ス の 政 治 ・経 済 的 特 徴
以上 の よ うに,タ ビテ ウエ ア ・サ ウス は首 都 か ら遠 隔 の地 にあ る。 しか しなが ら, 外 部 世 界 か ら隔絶 して い るわ け で は な い。人 々は コ ブ ラの移 出,賃 労 働 や 出稼 ぎ な ど, 首 都 を通 じて 現 金 を得 て,さ らに 主 食 や 生活 必 需 品 を 首都 を経 由 した 移 入 に依 存 して い る。 ま た,行 政 や教 育,宗 教 な どの諸 制 度 は,首 都 との つ なが りに よ って成 り立 っ て い る。
この よ うに タ ビ テ ウエ ア ・サ ウスを 条 件 づ け て い る,首 都 お よびキ リバ ス 国家 の政 治 経 済 的 状 況 を 概 観 す る 必 要 が あ る 。 そ の た め に は ま ず,オ セ ア ニ ア 島 喚 の rMIRAB経 済 」論 を 参 照 しな け れ ぽ な らな い 。 オ セ ア ニ ア 島喚 国 は 国 土 の分 散 性, 資 源 の貧 困性,人 口の 小規 模 性 な ど の特徴 を もち,国 際 的 資 本 に とって 経 済 的 な魅 力 に 乏 しい。MIRAB経 済 とは,オ セ ア ニア 島,::国の経 済 的 特徴 を説 明す るた め に提 出 され た 概 念 で あ る(Bertram&Watters1985;1986)。 多 くの オセ ア ニ ア 島喚 国 の経 済 は,海 外 へ の 出 稼 ぎ移 民(MI:migration),そ の移 民 か ら故 郷 へ の送 金(R:remit‑
tances),旧 宗 主 国 な ど外 国 か ら の経 済 援 助(A:aid),そ れ らの 国家 歳 入 を 国民 に配 分 す る機 能 を 果 た す,人 口に 比 して大 き な官 僚 機 構(B:bureaucracy)に 特徴 付 け ら れ る。 つ ま りMIRAB諸 国 は 天 然 資 源 が 貧 弱 で人 口規 模 が小 さ く,第 一 次 生産 物 を 輸 出 して 外貨 を獲 得 した り,低 賃 金 の労 働 力 を 求 め る海 外 か らの 資本 が投 入 され る機 会 が ほ とん どな い。 別 言 す れ ぽ,世 界 シ ス テ ム中 核 国 の資 本 に よ る搾 取 構 造 に充 分 に は 組 み 込 まれ て い な い。 国 家 の経 済 はむ しろ,中 核 国 か らの援 助 とい う,搾 取 とは逆 の資 金 の 流 れ に依 存 す る。 島喚 国 の住 民 もまた,積 極 的 に資 本 の集 中 す る海 外 の 都 市 へ 出か け て い き,搾 取 構 造 に 参 入す る こ とを 自 ら選 択 す る。
バ ー トラ ム らは 独 立 以 前 の キ リバ ス をMIRAB経 済 の ひ とつ に 位 置 付 け て い る。
しか し,現 在 の キ リバ ス では,出 稼 ぎ移 民 の機 会 が 少 な く,MIRAB経 済 の 典型 か ら はず れ て い る。 これ は,主 要 な 出稼 ぎ先 で あ った ナ ウル に お い て,近 年,燐 鉱石 が ほ ぼ枯 渇 した こ とに 対 応 して い る。現 在 で は,外 国 船 の乗 組 員 と して 雇 用 され る こ とが, ほ ぼ 唯 一 の 出 稼 ぎ 機 会 とな って い る。 私 は,こ の よ うな キ リ・ミス の経 済 的特 徴 を rFFAB経 済 」 と名 付 け た(風 間1999c;n.d.)。 キ リバ ス の経 済 は,自 国 領 海 内 の外 国船 操 業 と引 き替 え に得 る 入 漁 料(F:fishroyalty),歳 入均 衡 化 準 備 基 金RERFの 運 用 益(F:fund)6),援 助(A)と 官 僚制(B)に 特 徴 付 け られ る。 つ ま りFFAB経 済 はMIRAB経 済 の亜 類 型 で あ る。 一方,タ ビテ ウ エ ア ・サ ウスか ら見 た場 合,キ
リバ ス 国家 のFFAに 基 づ い た 歳 入 は,首 都 在 住 の親 族 か ら時 折 あ る仕 送 り,島 行政
風間 タ ビテウエア ・サ ウスにおけ るマネ アバ(集 会所)の 多様化
府 に よ る 少 人 数 の 職 員 雇 用,不 定 期 の 建 設 賃 労 働 の 雇 用 と して 流 入 し て く る 。 海 外 か ら も た ら さ れ た 資 金 は,細 い チ ャ ン ネ ル を 通 っ て タ ビ テ ウエ ア ・サ ウ ス に 到 達 す る の で あ る 。 こ の 配 分 は,FFAB経 済 のB(官 僚 制)が 主 に 関 係 す る。
以 上 の よ うに,海 外 か らの 資 金 や 物 資,政 策 や 諸 制 度 は 首 都 を 経 由 し て タ ビ テ ウ エ ア ・サ ウ ス に や っ て く る 。 そ の と き,タ ビ テ ウ エ ア ・サ ウ ス 側 の 受 け 手 と し て 各 種 の マ ネ ア バ が 重 要 な 役 割 を 果 た す 。 以 下 の 章 で は,こ れ ら マ ネ ア バ を 対 象 に 記 述 を 進 め る。
2.マ ネ ア バ 研 究 の 現 状
2‑1.「 伝 統 的 」 マ ネ ア バ の 研 究
マ ネ ア バ は 通 常,入 母 屋 形 式 の 屋 根 を も つ 大 型 の 建 築 物 で あ る7も 壁 は な く ,床 に は 珊 瑚 屑 の 白 い 小 石 が 敷 き 詰 め ら れ て い る こ とが 多 い 。 首 都 南 タ ラ ワ の 道 路 を 乗 り合 い バ ス で 走 る と,道 路 脇 に 大 小 さ ま ざ ま な 幾 つ も の マ ネ ア パ が 建 っ て い る の を 見 る こ とが で き る。 首 都 南 タ ラ ワ,エ イ タ 地 区 の マ ネ ア バ の よ うに,珊 瑚 岩 の 石 柱,パ ン ダ ナ ス 葺 き 屋 根,白 い 小 石 の 床 か ら な る 建 築 物 も あ る し,教 会 に 付 随 し て い る トタ ソ屋 根,コ ン ク リ ー ト柱,コ ソ ク リー ト床 の 建 築 物 も あ る 。 南 タ ラ ワで 最 も よ く 目 に 付 く
の は,パ ン ダ ナ ス 葺 き 屋 根 で コ ソ ク リ ー ト床 か ら な る,教 会 下 部 組 織 の 小 型 マ ネ アバ で あ る 。 土 曜 日 の 夜 に 明 か りを 灯 し,一 晩 中 ヴ ィ デ オ 映 画 を 上 演 し て い る 光 景 は,こ の マ ネ ア バ で 見 る こ とが で き る 。
植 民 地 統 治 下 に 初 代 首 相 に 選 出 さ れ た ナ ボ ウ ア ・T・ ラ シ エ タ は,「 我 々 の 文 化 と 伝 統 の 心 臓 」 と マ ネ ア バ を 表 現 し た(Lundsgaarde1978:67)。 独 立 後 の 官 僚 で あ る
ナ キ バ エ ・ タ ボ カ イ も 同 様 に,マ ネ ア バ を 社 会 生 活 の 中 心 と 位 置 付 け る(Nakibae Tabokai1993:23)。 こ の よ う な キ リバ ス 人 政 治 家 や 官 僚 の 決 ま り文 句 に は,島 嘆 国 家 が 国 家 と し て 成 り立 つ た め の 不 可 欠 の 条 件 で あ る 統 一 へ の,特 別 の 強 調 を 容 易 に 読 み と る こ と が で き る 。 現 在 国 家 と して 統 一 され て い る 島 々 は,以 前 は 政 治 的 に 統 一 さ れ て お ら ず,そ れ は 外 在 的 に 英 国 統 治 に よ っ て もた ら さ れ た 。1979年 に 独 立 を 達 成 し た 同 国 は,こ の 統 一 を 植 民 地 統 治 か ら 受 け 継 い だ に 過 ぎ な い 。 こ の よ う な 状 況 に お い て マ ネ ア バ は,島 々 の 経 て き た 歴 史 的 差 異 や 多 様 性 を 排 し た,同 質 的 な 「キ リバ ス 社 会 」 の シ ソ ボ ル と し て 用 い ら れ て い る。 シ ン ボ ル 化 さ れ た マ ネ ア バ と は,「 伝 統 的 」 で あ る と 同 時 に,現 代 で も生 き 続 け る存 在 で あ る 。 ナ キ バ エ ・タ ボ カ イ は 「伝 統 的 」
写 真1ニ ク ナ ウ(Nikunau)島,T村 の 村 マ ネ ア ・ミ
村 人 は,こ れ が キ リバ ス で 最 初 の マ ネ ア バ で あ る と主 張 す る 。 こ の マ ネ ア バ の 名 称,イ シ ニ カ ラ ワ(Itinikarawa)と は 「空 の 光 」 の 意 で,太 古 の 昔,空 と 陸 が 分 離 し た と い う神 話 に 因 む 。
(撮 影:風 間 計 博,1996年1月19日)
・ 甘へ0羨}孤 ㌦ 、 翼"苗 「vヤ'^ゆレ"ヤ 嚇 メ薯
写 真2ニ ク ナ ウ 島,M村 の プ ロ テ ス タ ン ト教 会 マ ネ ア バ
ス レ ー ト様 金 属 板 の 葺 き 屋 根,コ ソ ク リ ー ト床 の マ ネ ア バ で あ る 。(撮 影:風 間 計 博,1996年 1月15日)
風間 タビテウエア ・サウスにおけるマネアバ(集 会所)の 多様化
マ ネ ア バ と現 代 の マ ネ アバ を 区 分 しな い。 そ して,あ た か も神 話 時 代 と歴 史 的過 去 さ らに 現代 を連 続 させ,ま た と きに 混 同 して マ ネ アバ を 論 じて い る。
一 方,欧 米 人研 究 者 は マネ ア パ が 「社 会 生 活 の 中心 」で あ る こ とを 強調 しなが ら も, む しろ 神話 的 時 代 に連 な る,ヨ ー ロ ッパ 接触 以前 の 「伝統 的」 マ ネ アバ に 限 定 して記 述 す る傾 向が あ った。 そ して,こ の キ リバ ス研 究 の先 駆者 た ち が遺 した 記 述 が,権 威 を も って現 在 のキ リバ ス人,と くに 政 治 家 や官 僚 な ど のエ リー ト層 に読 まれ て い る。
さ らに,そ の影 響 は 演説 や ラジ オ放 送 を 通 して,離 島部 の 人 々に も及 んで い る と考 え て 差 し支 え な い。 現 代 の マ ネ アバ を 記 述 し分 析 す る に あた って,こ れ ら権 威 を もつ民 族 誌 の 内 容 に触 れ る こ とは,そ の よ うな 理 由 か ら も意 義 が あ る と私 は 考 え る。
(マネ ア バ は)共 同体 の社 会 生 活 全体 の 焦 点 で あ り,そ の 中 で は戦 争 や 平 和,共 同体 の繁 栄 に 関す る数 多 くの議 論 が な され て い た 。 そ こは 慣 習 的規 範 の違 反 者 を裁 いた り,長 老 が 抗 争 につ いて 聴 聞 し調 停 す る法 廷 で あ った 。ま た,威 厳 あ る共 同 体 の踊 りや レク リエ ー シ ョ ソの 場 で あ り,格 式 あ る祭 礼 の 中 心 で あ った 。 マ ネ ア バ は長 老 の ク ラブ ハ ウス,よ そ者 の 仮 宿,逃 亡 者 の避 難 所 で あ っ た。 そ の屋 根 の 下 で の振 る舞 い は す べ て が謹 厳 に,そ して厳 密 に 慣 習 に合 致 しな け れ ば な ら な か った 。 マ ネ アバ に 礼 を失 さな い よ うに,忌 まわ しい罪 人 に な らない よ うに しなけ れ ぽ な らな か った(Maudel97711963】:11)。
「伝 統 的 」 マ ネ ア バ に は ボ ス(boti)と よ ば れ る 定 ま っ た 座 席 が あ っ た8)0ボ ス に は さ ま ざ ま な 権 利 と 義 務 の 職 能 が 付 随 して い た 。 ま た ボ ス は 座 席 の み な ら ず,そ れ を 占 め る 人 々 の 集 団 を 指 示 し て い た 。グ リ ン ブ ル や モ ー ドは これ を ク ラ ソ と 書 い て い る 。 ボ ス 集 団 は 共 通 の 神 話 的 先 祖 ま で 父 系 的 に 出 自 を 辿 る こ と が で き,カ ー イ ン ガ
(kaainga)と い う居 住 地 に と も に 住 ん で い た9)0カ ー イ ソ ガ は ボ ス 開 祖 の 居 住 地 で あ っ た 。 カ ー イ ン ガ 内 に は ム ウ ェ ソ ガ(mavenga)と い う核 家 族 規 模 の 小 家 族 世 帯 が 幾 つ も あ り,そ れ ぞ れ の 長(atuntemwenga)が 日常 生 活 を と り ま とめ て い た 。 カ ー イ ソ ガ 内 の あ ら ゆ る 事 柄 は ム ウ ェ ン ガ長 た ち の 話 し合 い に よ っ て 決 め ら れ た 。 同 じ カ ー イ ン ガ に 住 む ム ウ ェ ン ガ 長 の な か で,ひ と り の 長 老 が カ ー イ ソ ガ 長(atuntekaain‑
ga)と よ ば れ,代 表 と して マ ネ ア バ の 集 会 に お い て 発 言 す る こ と が で き た 。 マ ネ ア バ や ボ ス に は,そ の 創 設 や 系 譜 に 関 す る 多 く の 神 話 が あ り,そ の 知 識 が きわ め て 重 要 で あ っ た(Maudel977【1963】;Grimblel989)。 ま た マ ネ ア パ を 建 設 す る際 に は,建 設 技 術 の み な ら ず,呪 文(tabunea)な ど に 関 す る 知 識 が 必 要 と さ れ た(Maudel980 口961】)。 こ の よ うな 姿 で 描 か れ た の が,「 伝 統 的 」 マ ネ ア バ で あ る 。
しか し,ヨ ー ロ ッパ 人 と の 接 触 以 降,キ リス ト教 化,植 民 地 支 配 を 経 て カ ー イ ン ガ は 崩 壊 し,マ ネ アバ に 関 す る慣 習 は 急 激 に 変 化 し,失 わ れ て い っ た 。 カ ー イ ソ ガ 崩 壊 以 降,現 在 に 至 る ま で 居 住 単 位 は ム ウ ェ ン ガ と い う 小 家 族 世 帯 と な っ て い る (Geddesl977;Macdonaldl982)。 聖 性 を も つ と さ れ た 「伝 統 的 」 マ ネ ア ・ミは 世 紀 の 変 わ り目 に は す で に 姿 を 消 し て い た 。1910年 代 に 植 民 地 行 政 官 と し て ギ ル ・ミー ト諸 島 に 渡 っ た グ リ ン ブ ル は,ヨ ー ロ ッパ 人 の 影 響 下 で 「原 住 民 の 慣 習 」 が 消 え ゆ くな か, マ ネ ア バ か ら聖 性 が 失 わ れ て い っ た,と 書 い て い る。 マ ネ ア バ は 従 来,騒 音 を 嫌 い , 思 春 期 前 の 子 供 が 周 囲 の 広 場 に 足 を 踏 み 入 れ る こ と さ え で き な か っ た 。 と こ ろ が グ リ
ン ブ ル が 赴 任 し た 頃 に は 娯 楽 の ホ ー ル と 化 して し ま い,人hは ト ラ ソ プ や ス キ トル ズ (ボ ー リ ン グ の よ うな 遊 び)を す る た め に 集 ま り,子 供 た ち が 一 日 中 マ ネ ア バ の 中 を 走 り回 る よ う に な って い た(Grimble1989:198)。
こ の よ う な 歴 史 的 な 現 実 に もか か わ ら ず,比 較 的 最 近 に な っ て も神 話 や ボ ス に 固 執 し,「 伝 統 的 」 マ ネ ア ・ミの み に 言 及 した 研 究 が な さ れ て き た の は 興 味 深 い(Hockings 1989;Latouche1984)。 当 然 な が ら,島 や 村 に よ っ て 神 話 的 知 識 の 伝 承 に は 多 寡 が あ る 。 ラ トー シ ュ が1970年 代 に 調 査 した ニ ク ナ ウ(Nikunau)島 で は,ボ ス や 神 話 に つ い て 詳 細 に 知 識 を 保 持 し て い る 人 が い た 。私 が ニ ク ナ ウ 島 を 訪 問 した1995年 時 点 で も, タ ビ テ ウ エ ア と は 比 較 に な ら な い ほ ど 多 く の 人 が ボ ス や 神 話 に つ い て 語 っ て くれ た10)。 し か し,こ の よ うな ニ ク ナ ウ 島 で さ>x,「 伝 統 的 」 と 見 な さ れ る 村 マ ネ ア バ (mwaneabantekawa)は,普 段 ほ と ん ど 利 用 さ れ て い な い 状 況 だ っ た11)0人 々 は 村 マ ネ ア バ よ り も新 し く,ボ ス も な い キ リス ト教 会 の マ ネ ア ・ミ(〃twaneabantearo) を 日常 的 な 集 会 の 場 と し て 使 用 す る 。 と こ ろ が,現 代 に お い て きわ め て 重 要 な キ リス
ト教 会 マ ネ ア ・ミを 考 察 の 対 象 と した り,村 マ ネ ア バ の 現 状 に つ い て 詳 細 に 論 じ た 研 究 は,ま っ た く見 あ た ら な い 。1980年 代 に 書 か れ た ラ トー シ ュ に よ る ニ ク ナ ウ の マ ネ ア バ お よ び 神 話 研 究 は,ま さ に 「サ ル ベ ー ジ 的 」 で あ り,同 時 代的 な社 会 の 現状 を顧 み て い な い(Cf.清 水1996)。
2‑2.従 来 の マ ネ ア バ 研 究 の 問 題 点
マネ アバ を 論 じた既 存 の研 究 を仔 細 に検 討 す れ ば,「 伝 統 的 」 で な い事 柄 につ いて 記述 の対 象 か らは ずす 明 らか な傾 向 が指 摘 で き る。 ラ ンズ ガ ー ドは 例 外 的 に,現 代 の マネ アバ につ いて 比較 的 詳 細 に論 じて い る。 彼 は村 マネ アバ 以外 に も,キ リス ト教宗 派 や 政 府 出先 機 関 な どの マ ネ アバ が ギ ル バ ー ト諸 島 の 至 る と ころ で見 られ る と記 述 し,1978年 時 点 に お い て,諸 島全 体 で少 な く と も300以 上 の マ ネ アバ が あ る と推 定 し
風 間 タ ビテ ウエ ア ・サ ウスに お け るマ ネ アバ(集 会所)の 多 様 化
て い る(Lundsgaarde1978:69)。 しか し,ラ ン ズ ガ ー ドが 中 心 に 据>xて 論 じ る の は, 法 的 な 側 面 の み で あ る 。 犯 罪 者 を 裁 く司 法 権 な ど幾 つ か の 権 限 が,「 伝 統 的 」 マ ネ ア バ か ら法 廷 な ど の 現 代 的 制 度 に 移 譲 され た も の の ,村 マ ネ アバ は 村 に お け る政 治 的 中 心 と して,政 治 的 機 能 を 保 持 して い る こ とを 強 調 す る 。 また ラ ン ズ ガ ー ドは,植 民 地 化 以 降,住 民 を 把 握 す る た め に マ ネ ア ・ミが 採 用 さ れ,植 民 地 政 府 の 統 治 組 織 に 接 合 さ れ た と主 張 す る 。 モ ー ドや グ リ ン ブ ル が 述 べ る よ うに,ボ ス の 系 譜 に 関 す る 詳 細 な 知 識 は す で に 「崩 壊 」 し て し ま っ た が,マ ネ ア バ の 「伝 統 的 」 機 能 が 現 代 ま で 連 綿 と失 わ れ ず に 生 き て き た こ と を 強 調 す る の で あ る(Lundsgaarde1970:247‑249,
254‑2S6)゚
私 は ラ ン ズ ガ ー ドの 研 究 を 評 価 し た い が,全 面 的 に 受 け 入 れ る こ と は で き な い 。 第 一 に,「 伝 統 的 」 要 素 を も ち 行 政 府 の 下 部 組 織 と し て 機 能 す る 村 マ ネ ア バ,お よ び 島 マ ネ ア ・ミ12)のみ を 視 野 に 入 れ て い る た め ,教 会 マネ アバ な ど につ い て は存 在 を 示 唆 す る の み で,正 面 か ら取 り上 げ て い な い 。 つ ま り現 実 に あ る マ ネ ア バ の 一 部 しか 議 論
の 対 象 に し て い な い 。
第 二 に,村 マ ネ ア バ や 島 マ ネ ア バ が 過 去 の 「伝 統 」 と連 続 し て い る と い う単 純 な 前 提 が 問 題 で あ る 。 確 か に 多 くの 村 マ ネ ア バ で は,か な りの 差 異 が あ る に せ よ,ボ ス が 人 々 に よ っ て 認 識 さ れ て お り,一 見 「伝 統 的 」 で あ る 。 し か し,現 在 の 村(kawa)
と は あ く ま で も行 政 単 位 で あ り,カ ー ワ と い う用 語 そ の も の の 意 味 も 変 化 し て い る(注 9参 照)。 ま た,ラ ン ズ ガ ー ドの い う 島 マ ネ ア バ に 相 当 す る カ ウ ソ シ ラ ・マ ネ ア バ は, 現 在 の 島 行 政 府 に 付 随 す る マ ネ ア バ で あ る。 こ の よ うに,歴 史 的 に 新 しい 行 政 府 と マ
ネ ア バ(教 会 マ ネ ア バ を 除 く)は 強 固 に 結 合 して お り,単 純 に 植 民 地 統 治 以 前 か ら の 連 続 性 を 強 調 す る こ とは 誤 りで あ る 。 連 続 的 な 要 素 の 存 在 を 認 め る に して も,現 代 の 時 代 状 況 に 即 して 評 価 す る 必 要 が あ る 。 例>xぽ ギ ル バ ー ト諸 島 南 端 に あ る タ マ ナ 島 に お い て は,1881年 以 降 の あ る 一 時 期,確iか に マ ネ ア バ は 消 失 し て い た 。伝 承 に よ る と, 今 世 紀 の 初 頭 に な っ て 植 民 地 政 府 の 主 導 に よ り島 の マ ネ ア バ が 再 建 さ れ た と い う。 村 レベ ル の マ ネ ア バ は1941年 に 建 て ら れ た(Lawrence1983:31) 。 島 に よ る 歴 史 的 差 異 は あ る も の の,タ マ ナ で は 明 らか に マ ネ ア バ の 不 連 続 性 が み ら れ る 。
第 三rラ ソ ズ ガ ー ド 自身 も意 識 して い る よ うに(Lundsgaarde1970:264),法 的 側 面 の み を 強 調 す る こ と に よ っ て,マ ネ ア バ の も つ 多 様 な 文 化 ・社 会 的 現 象 を 切 り捨 て て い る 。 換 言 す れ ぽ,欧 米 の 法 律 に 準 じた マ ネ ア バ の 解 釈 に は,在 地 の 価 値 や 論 理 が 入 る余 地 が な い(e.g.Lundsgaardel968)。 そ の 結 果,欧 米 の 法 律 と の 一 面 的 な 類 似 性 が き わ だ っ て し ま っ て い る 。ま た,マ ネ ア バ 内 部 で 実 際 に 行 わ れ て い る 事 柄 が ま っ
国立民族学博物館研究報告24巻1号 た く描 か れ て い な い。
現 在,マ ネ ア バ が消 滅 した り,機 能 不 全 に 陥 って い る のか とい え ば,当 然 答 えは 否 であ る。 矛 盾 す る よ うだ が,最 もマ ネ アバ の 数 が多 い のは,生 活 ス タイ ル の欧 米化 が 進 行 し,都 市 化 の進 ん だ 南 タ ラ ワで あ る こ とは,特 筆 に 値 す る。 この よ うに 「伝 統 的 」 マ ネ アバ の衰 退 で は な く,む し ろマ ネ アバ が 興隆 して い る こ とが,キ リ・ミス人 政治 家 や 官 僚 が 「社 会 の 中心 」 とマ ネ アバ を評 す る背 景 を な して い る。
この よ うに 見 てみ る と,こ れ まで ほ とん ど描 か れ て こなか った 現 代 の マ ネ アバ の状 況 こそ が,キ リノミス離 島部 の社 会 を理 解 す るた め に不 可 欠 で あ る こ とがわ か る。 次章 以 下,タ ビテ ウエ ア ・サ ウス のN村 を 中心 に マネ アバ の 現 状 を 具 体 的 に記 述 し,分 析 す る。
3.村 マ ネ ア バ と イ ナ キ の 現 状
既 存 の マ ネ アバ に関 す る研 究 は,ボ スや 神 話 的 由来 に関 す る もの が主 題 とな って き た 。 この章 で は,N村 マ ネ ア バ に お け る座 席 イ ナ キ(inaki)の 現 状 に つ い て記 述 す る。 こ こで の 目的 は,従 来 の マネ アバ 研 究 で は 回避 され て きた,現 在 の イ ナキ の状 況 を論 ず る こ とに あ る。N村 の よ うに イ ナ キや 神 話 的 知 識 が 「失 わ れ た 」 現 況 を積 極 的 に と りあ げ た研 究 は ま った くな い ことを 強調 してお く。 な お,タ ビテ ウエ アで は マ ネ アバ の 座 席 を ボ ス とは よぽ ず,イ ナ キ とい う(注8参 照)。 以 下,N村 に 関 しては イナ キ,他 島 に言 及 す る場 合 は ボス の用 語 を 用 い る。
3‑1.職 能 を も つ イ ナ キ
N村 マ ネ ア ノミに お け る イ ナ キ に は,特 別 な 職 能 を 有 す る も の が5つ あ る 。 こ こ で は そ れ ら イ ナ キ の 職 能 に つ い て 記 述 す る 。 な お,イ ナ キ 名 は 最 初 の 戸 別 訪 問 時 の イ ン タ ビ ュ ー で 得 た も の を 記 し,角 括 弧 内 に 後 か ら得 た も の を 記 す(後 述)。
1)エ タ ニ モ ー ネ(Etanimone)[カ ロ ン ゴ ア(Karongoa)]:第 一 の イ ナ キ,モ ア ・ 二 ・バ イ(〃10Qnibwai)と よ ば れ,村 マ ネ ア バ の 饗 宴 ボ ー タ キ
(botaki)13)時 に は,最 初 に 食 料 を 供 出 す る 。40歳 代 の タ カ レ ブ お よ び20歳 代 の 息 子 ボ ー バ イ が 座 る 。
2)ブ リ ブ リ ・テ ・ ラ ラ ー(BuriburiteRara):第 二 の イ ナ キ,ウ オ ウ ア ・二 ・ バ イ(uouanibavai)。70歳 代 女 性 「カ ラ エ シ ウ の イ ナ キ 」14)と よ ば れ ,そ の 孫 で あ る20歳 代 の 既 婚 男 性 ヨ ア キ ム が 座 る よ う に な っ た 。 な お,ヨ ア キ ム の
風間 タビテウエア ・サ ウスにおけるマネアバ(集 会所)の 多様化
父 親(テ カ エ ワ ウ ア)は,カ ラ エ シ ウ の 夫 で あ る 祖 父(テ ア ウ オ キ)の イ ナ キ を 継 承 して い る。
3)テ ・ブ レ ニ ウ イ(TeBureniui)[テ ・ウ ィ ウ ィ(TeWiwi)]:第 三 の イ ナ キ, テ ヌ ー ア ・二 ・バ イ(tenuanibavai)。20歳 代 の 既 婚 者 テ イ テ イ が 座 る 。 4)テ ・ブ エ(TeBue):マ ネ ア バ で 「働 く者(tanfimwakuri)」 で あ り,ま た 「マ
ネ ア バ の 足(wasntemwaneaba)」 と も い わ れ る 。 ボ ー タ キ の と き マ ネ アパ 内 を 取 り仕 切 っ た り,マ ネ ア バ の 建 設 や 修 理 に 携 わ る 。50歳 代 前 半 の ア ン テ レ ア,そ の 弟 で あ る40歳 代 の リー ノ が 座 る 。
5)テ ・カ タ ソ ラ ケ(TeKatanrake):上 に 同 じ く 「働 く者 」 の イ ナ キ で あ る 。 成 員 は タ ー タ,カ ー モ キ,ボ ー カ イ,テ バ レ レ イ,ナ カ エ ウ ェ キ ア な ど 数 多 い 。 調 査 時,1)か ら4)ま で の イ ナ キ に は 長 老 が い な か っ た 。 通 常,第 一 の イ ナ キ が, ボ ー タ キ な ど で 最 初 の 発 言 を す る と い う話 を 聞 い た 。 しか し 実 際 の ボ ー タ キ で は,長 老 の ア ソ トニ ナ や テ プ ア ウ ア,タ ー タ が 話 し始 め,進 行 を 主 導 す る。 こ の 理 由 に つ い
て1)の タ カ レ ブ に 尋 ね た と こ ろ,タ カ レ ブ は ま だ 長 老 で は な い の で,役 目を 長 老 に 委 ね て い る と の こ とだ っ た 。2)と3)の イ ナ キ は,20歳 代 の 青 年 男 性 の み しか 前 列 に 座 る 資 格 を 有 す る 者 が い な い 。3)の イ ナ キ に は40歳 代 の テ カ イ ワ が い る が,未 婚 の た め 正 式 な イ ナ キ の 代 表 と は 見 な さ れ て い な い 。 会 話 の な か で は 「テ カ イ ワの イ ナ キ 」 と い う表 現 も使 わ れ る が,実 際 に は 既 婚 の テ イ テ イ が マ ネ ア バ の 集 会 に 参 加 す る 。 2)は 年 輩 女 性 カ ラ エ シ ウ の イ ナ キ と よ ば れ る 。 カ ラ エ シ ウ の 息 子 の うちN村 に 住
ん で い る の は テ カ エ ワ ウ ア ひ と りで あ る1S)。テ カ エ ワ ウ ア は 父 の イ ナ キ,カ ロ ソ ゴ ア ・ ラ エ レ ケ(KarongoaRaereke)を 継 承 し て い る た め,プ リ プ リ ・テ ・ラ ラ ー は 継 承 者 が お ら ず 空 席 に な って し ま う。 そ こ で テ カ エ ワ ウ ア の 息 子,ヨ ア キ ム が 継 承 す る こ と に な っ た 。 し か し ヨ ア キ ム は あ ま り乗 り気 で は な か っ た 。 「第 三 の イ ナ キ 」 の 仕 事 が 負 担 だ か ら と い う。 そ れ で も必 要 な と き に は,ヨ ア キ ム が 第 三 の イ ナ キ の 代 表 と し て 義 務 を 果 た す 。
過 去 の 民 族 誌 に よれ ば,す べ て の ボ ス(あ る い は イ ナ キ)に は 何 ら か の 職 能 が 伴 っ て い た(Grimblel989)。 役 割 が 分 担 され た 個 々 の ボ ス 成 員 が,各 自 の 義 務 を 果 た し て 協 調 す る こ と に よ り,マ ネ ア バ や 共 同 体 が 運 営 さ れ て い た と い う。 現 在 のN村 の イ ナ キ を 見 れ ば,わ ず か5つ の イ ナ キ の み が 職 能 を も ち,後 述 の よ うに 他 の イ ナ キ は 村 に お け る 居 住 を 示 す だ け に 過 ぎ な い 。 全 イ ナ キ が 職 能 を もた ず と も,村 マ ネ ア バ は 存 続 し得 る の で あ る。 た だ し 「第 二 の イ ナ キ 」 の 継 承 例 か ら,職 能 を も つ イ ナ キ が 空 席 に な る こ とは 避 け られ て い る 。
以 下,こ れ ら の イ ナ キ が 職 能 を 発 揮 す る 機 会 の 事 例 を 見 て み る 。
村 マ ネ ア バ 葺 き 屋 根 の 修 理
1994年9月8日,マ ネ ア ・ミ棟 付 近 の 葺 き 屋 根 修 理 が 行 わ れ た 。 私 と 妻 がN村 に 本 格 的 に 住 み 始 め て2日 目 の こ と で あ る 。 そ の 時 点 で は,私 た ち の 家 屋 建 設 は 着 手 さ れ て お ら ずr長 老,長 老 よ り若 年 の 既 婚 男 性 ロ ロ ブ ア カ(rorobuaka;戦 士 の 意),お よ び そ の 家 族 ら と村 マ ネ ア バ で 寝 泊 ま り し て い た 。 当 分 の 期 間,長 老 や 私 た ち が 寝 泊 ま
りす る の に,雨 漏 りす る の は 具 合 が 悪 い の で 修 理 す る こ とに した と い う。
昼 頃,テ ・カ タ ン ラ ケ の ボ ー カ イ と テ ・プ エ の ア ソ テ レ ア が 指 図 し,テ ・カ タ ソ ラ ケ の 若 者 た ち(テ ル オ ンナ ン,ル ア シ ウ,カ ー モ キ の 息 子 の ア ソ トニ オ とサ レ ー)お よ び テ ル ル が 村 マ ネ ア パ の 屋 根 に 登 っ て 作 業 に あ た っ た 。 マ ラ ケ イ(Marakei)島 出 身 の テ ル ル が 入 っ て い た の は,す で に 亡 く な っ て い た 彼 の 義 理 の 父(妻 の 母 の 父)が テ ・カ タ ソ ラ ケ で あ り,テ ル ル も テ ・カ タ ン ラ ケ に 座 る か ら で あ っ た 。 ア ン テ レ ア の 説 明 に よ れ ぽ,村 マ ネ ア バ の 修 理 を 担 当 す る の は テ ・カ タ ン ラ ケ お よ び テ ・ブ エ の 成 員 の み で あ り,彼 らだ け が 屋 根 に 登 っ て も 良 い と い う。 こ の 日は,棟 付 近 の パ ソ ダ ナ ス葺 材 ラ ウ(rau)を 補 強 し,棟 と等 し い 長 さ に 編 ん だ コ コ ヤ シ葉 の 細 長 い マ ッ トで 間 隙 を 塞 ぐ作 業 が 行 わ れ た 。
作 業 後(13:30頃),村 マ ネ ア バ で 簡 単 な ボ ー タ キ が あ っ た 。 第 一 の イ ナ キ の タ カ レ ブ が 小 麦 粉 に 砂 糖 と コ コヤ シ 果 肉 を 混 ぜ て 固 め た 団 子(〃nanamniburawa)お よ び 紅 茶,第 二 の イ ナ キ の テ イ テ イ が ス ワ ソ プ タ ロの 団 子(mana〃1nibwabwai)お よ び 紅 茶 を 供 出 し,作 業 に あ た っ た テ ・ブ エ と テ ・カ タ ソ ラ ケ の 成 員 に 振 る 舞 っ た 。 ち な
み に,そ の 他 の ボ ー タ キ 参 加 者 は 食 事 を 持 参 して い た 。
新 し い コ コ ヤ シ 葉 マ ッ ト
1995年11月24日,村 マ ネ ア バ で 行 わ れ る ボ ー タ キ に 備 え て,床 に 敷 く コ コ ヤ シ葉 製 マ ッ ト(inal)が 新 調 さ れ た 。 そ の 日 は 朝 か ら,各 世 帯 で 作 っ た 新 し い マ ッ トが 運 ぼ れ,村 マ ネ ア バ の す ぐ傍 ら に 置 か れ た 。 しか し,特 別 な イ ナ キ で 作 っ た3枚 の マ ッ ト を マ ネ ア バ に 運 ん で き て そ れ ら を 敷 く ま で は,中 に 運 び 込 む こ と は な か っ た 。
(11:30)テ ・カ タ ソ ラ ケ の ナ カ エ ウ ェ キ ア お よ び テ ・ミレ レイ が 第 一 の イ ナ キ で あ る タ カ レ ブ の 住 居 へ 赴 き,食 事 を 振 る舞 わ れ た 後,タ カ レ ブ の 供 出 し た 新 し い マ ッ トを 運 ん で き て マ ネ ア バ 内 に 敷 く。
(12:00頃)テ ・ブ エ の リ ー ノ,テ ・カ タ ソ ラ ケ の タ ー タ,ナ カ エ ウ ェ キ ア お よ び カ ー
風間 タビテ ウエア ・サウスにおけるマネアバ(集 会所)の 多様化 モ キ が,第 二 の イ ナ キ で あ る テ イ テ イ の と こ ろ へ 行 く。
(13:00頃)テ イ テ イ の 住 居 で 食 事 の 後,供 出 さ れ た 新 し い マ ッ トを 自転 車 で 運 ん で 来 る 。
そ の 後 夕 方 に な っ て か ら,タ ー タ,ナ カ エ ウ ェ キ ア が テ カ エ ワ ウ ア の と こ ろ へ 行 く。
テ カ エ ワ ウ ア の 同 居 して い る 息 子,ヨ ア キ ム が 第 三 の イ ナ キ 継 承 者 と され る た め で あ る 。 特 別 な イ ナ キ で 編 ま れ た3枚 の マ ッ トを 敷 い た 後,マ ネ ア バ の 横 に 積 ん で あ っ た マ ッ トを 中 に 運 び 入 れ た 。
ボ ー タ キ 時 の 食 料 供 出,客 の 贈 与 物 受 け 取 り
1994年8月5日,私 と妻 の 歓 迎 ボ ー タ キ が 村 マ ネ ア バ で 行 わ れ た 。 供 出 単 位 で あ る 各 夫 婦 単 位 ブ キ ・二 ・バ イ(buklnibavai)が 用 意 した 食 事 の 皿 を テ ・カ タ ン ラ ケ の ボ ー カ イ が 集 め て 回 る 。 ま ず,マ ネ ア バ 北 側 中 央 に 座 る 第 一 の イ ナ キ の ボ ー バ イ(タ カ レ ブ の 息 子)か ら受 け 取 る 。タ カ レ ブ は カ ウ ン シ ラ ・マ ネ ア バ に 泊 ま り込 ん で お り, 不 在 だ った 。 次 に 南 側 中 央 に 座 る 第 二 の イ ナ キ の テ イ テ イ,さ ら に 残 りは テ イ テ イ の 横(西 側)か ら 時 計 回 りに 食 事 の 皿 を 受 け 取 り,マ ネ ア バ 中 央 に 並 べ て い く。 受 け 取 る 際 に は,供 出 し た ブ キ ・二 ・バ イ の 男 性 の 名 前 を 呼 び 上 げ る。 な お この と き,ヨ ア キ ム は カ ト リ ッ ク 説 教 師 を 務 め て お り,第 三 の イ ナ キ は 空 席 だ っ た 。
食 後,私 が 立 ち あ が っ て お 礼 を 言 い,ツ イ ス ト ・タ バ コ1ブ ロ ッ ク を 渡 す 。 そ れ を 受 け 取 っ た の も ボ ー カ イ で あ った 。 ボ ー カ イ は テ ・ブ エ の ア ン テ レア に タ バ コ を 持 っ て い く。ボ ー タ キ が 終 わ る ま で の 間 に ア ン テ レ ア が タ バ コ を す べ て の 人 々 に 分 配 し た 。 な お,初 め て 村 を 訪 問 した8月3日,村 マ ネ ア バ で タ バ コ を 贈 呈 し た 際 に は,テ ・カ タ ン ラ ケ の テ バ レ レイ が 受 け 取 っ た 。 つ ま り,贈 与 物 を 受 け 取 る の は ボ ー カ イ 個 人 の 役 割 で は な い 。
貝 笛
村 マ ネ ア バ で 会 議(bowl)や 報 告 会(kaongora),ま た は 作 業 が あ る と き,貝 笛 (bu)を 吹 い て 村 人 を 集 め る 。 こ の 役 割 を 担 当 す る の も,テ ・カ タ ソ ラ ケ お よ び テ ・ ブ エ 成 員 男 性 の み で あ る 。 主 に,テ ・カ タ ン ラ ケ の カ ー モ キ,カ ー モ キ の 息 子 の ア ン ト ニ オ と サ レ ー(い ず れ も未 婚),ナ カ エ ウ ェ キ ア,そ し て テ ・ブ エ の ア ソ テ レ ア が 貝 笛 を 吹 く役 目 に あ た っ て い た 。
踊 り
ボ ー タ キ に お け る踊 り(mwale)の うち,ル オ イ ア(ruoia)や カ メ イ(kamei)と よ ば れ る も の は,一 部 の イ ナ キ に 関 係 し た 配 列 を と る 。 男 性 が ベ ー(be)と い う踊 り用 の 細 編 み マ ッ トを 腰 に 巻 き,女 性 の 毛 髪 で 作 っ た ベ ル トを 締 め た 格 好 で 踊 る16)0 踊 る 際,男 性 は カ タ カ ナ の コ の 形 に 並 ぶ の で あ る が,そ の と き 中 央 に は 第 一 の イ ナ キ の 男 性 が 立 ち,左 右 両 脇 を 第 二,第 三 の イ ナ キ の 男 性 が 立 つ 。 村 マ ネ ア バ に お い て, ボ ー タ キ で も な い の に 興 が 乗 っ た と き に は,座 席 に 敷 い て あ る 太 編 み の パ ン ダ ナ ス ・ マ ッ ト(roba)を 男 性 が 腰 に 巻 き ,腰 布 を毛 髪 ベ ル ト代 わ りに して この踊 りを 踊 る。
そ の 際,第 一 の イ ナ キ の タ カ レ ブ が 中 央 に 立 って 音 頭 を と る が,他 は イ ナ キ に 無 関 係 の 配 列 で 踊 っ て い た 。 しか し,1995年10月26日 に カ ウ ン シ ラ ・マ ネ ア バ に お い て,タ
ビ テ ウ エ ア ・サ ウ ス6村 の 踊 り大 会 が 行 わ れ た と き に は,第 一 か ら 三 番 目 の イ ナ キ ま で は,原 則 通 りに 並 ん で 踊 っ て い た 。 そ れ 以 外 の イ ナ キ は,立 つ 位 置 に 関 して と くに 考 慮 さ れ て い な い よ うで あ っ た 。
N村 に お け る こ の よ う な 事 例 か ら,5つ の イ ナ キ に 関 し て 一 部 の 職 能 が 機 能 し て い る こ と が わ か る 。 し か し,単 に5つ の イ ナ キ が 関 わ る だ け で あ り,す べ て の イ ナ キ が 何 ら か の 義 務 と権 利 を 有 す る と い う,過 去 の 民 族 誌 の 記 述 と は 異 な った 様 相 を 呈 し て い る。 現 在 のN村 で は,イ ナ キ の 職 能 は き わ め て 簡 素 化 し た 形 態 で 保 持 さ れ て い る 。
3‑2.イ ナ キ に 関 す る 知 識 の 混 乱
これ ま で 特 殊 な 職 能 を 伴 う イ ナ キ に つ い て の み 記 述 し て きた 。 これ 以 降,職 能 を 伴 わ な いN村 マ ネ ア バ の イ ナ キ を 記 述 の 対 象 に 加 え,現 在 の イ ナ キ の もつ 意 味 を 考 察 し て い く。
グ リソ ブ ル,モ ー ド,ラ トー シ ュ は マ ネ ア バ の ボ ス に つ い て,10か ら20あ ま りの 座 席 の 位 置 を 明 確 に 線 を 引 い て 図 示 し て い る(Grimble1989;Maude1977【1963】;
1980【1961】;Latouche1984)。 こ の 場 合 に は,座 席 範 囲 が 柱 や 葺 き 屋 根 の 位 置 を 目安 に し て,固 定 され て い る と 考 え ら れ る。 私 が ニ ク ナ ウ 島 の2つ の 村 で 調 査 した と き に も 確iかに,ラ トー シ ュの 民 族 誌 と 同 様 の ボ ス 名 称 と 区 画 図 を 得 る こ と が で き た 。 し か し,N村 で は ま っ た く状 況 が 異 な っ て い た 。
1994年8月 に 初 め てN村 を 訪 問 し た と き,私 た ち 夫 婦 を 迎 え 入 れ て く れ た 長 老 た ち に イ ナ キ が あ る か ど うか 尋 ね て み た 。 そ の 答 え は,バ レキ ア ー タ ウ(Barekiatau) と い う名 の 付 い たN村 の マ ネ ア バ に は,皆 が 一 致 し て 確 か に イ ナ キ が あ る と言 っ て