◎論説モンゴルはいま
﹁ ソ ム ﹂ と ﹁鎮 ﹂ の 問
内モンゴル牧畜業地域における新しい文化の生成高明潔
・・⁝
はじめに
e本論文の視点
本論文は﹁文化変容﹂の視点で内モンゴルの牧畜業地域
における文化の変化を考察するものである︒
文化の変化にはその社会内部での発明︑発見︑革新など
によって惹き起こされる変化と︑異なる社会の影響を受け
ることによる外来文化の借用など異文化との接触によって
惹き起こされる変化との二種がある︒そのなかでも︑とく
に異なる文化をもつ人々の集団が︑継続的かつ直接的に接
触した結果いずれか一方または双方の在来文化に変化が生
じる現象︑および異文化との接触によって惹き起こされた 在来文化の革新的変化を︑人類学では一般に﹁文化変容﹂
または﹁アカルチュレーシm,1﹂(acculturation)と呼ぶ︒
すなわち文化変容とは︑発展のレベルの如何を問わず︑
どのような社会においても︑その多くが近くの社会から︑
あるいは遠くの社会から︑さまざまな文化の要素を取り入
れ︑長い年月をかけて︑在来文化との融合や結合をはかり︑
それによってこれまでの文化をより豊かで洗練されたもの
に変えるという現象が起こることである︒
こうした文化変容の中には︑強制された文化のなかに密
かに伝統的要素を忍び込ませたり︑さまざまな工夫による
調整や適応がはかられたケースも少なくなかった︒そこか
ら新しい文化が生まれることは言うまでもない事実である︒
このため︑文化変容が持つその受動的側面および創造的側
「ソ ム」と 「鎮 」の 間 57
面に関してもそれぞれ強調される︒
文化変容のメカニズムを究明することは︑二〇世紀前半
から中期にかけて文化人類学の重要な課題であった︒従来︑
この研究は衰退しており︑一九三〇年代以降の文化変容論
に替わる新しい文化変化に関する理論がないと指摘されて
いた︒しかし現在では︑トランスナショナリズム︑グロー
バリズムという問題と関連づけられて︑﹁トランスカルチュ
ラリズム﹂という視点で文化変容現象が分析されるように
なってきている︒
トランスカルチHラリ'Kム(transculturalism;transcultu‑ration)6̀研究とは︑アカルチュレーションが持つ西洋中心
的︑二分法的コノテーションを避け︑異文化接触に際して
生じる既存の文化の限界・境界を超越する過程や状態の持
つ創造的︑生成的意義を見落とさないようにするための研
究である︒つまり︑グローバル化などの影響によって惹き
起こされる在来文化と外来文化とのせめぎ合いのなかで︑
いささか停滞気味であった在来文化に新しい意味が付与さ
れて活性化したり︑新しい第三の文化が生成されたりする
現象がトランスカルチュラリズムである︒
かつての文化変容研究が︑主に比較的明確な文化的境界
を持つ二つの文化の接触と相互変化の関係に焦点を合わせ
ていたことに対し︑トランスカルチュラリズムの研究は︑
ナショナリズム︑トランスナショナリズム︑グローバリズ ムといった︑現代の大きな世界的潮流と関連づけながら︑
文化の脱境界化の問題︑また逆にグローバル文化の地域化・
土着化の問題も含めて︑より広い視野で地域文化の動態を
捉えようとするものである︒
こうした文化変容論とトランスカルチュラリズムの視点
のもとに︑本論文においては比較的明確な文化的境界を持
つ二つの文化の接触と相互変化の関係に焦点を合わせると
いう文化変容に関する視点と︑新しい第三文化が生成され
る様相を提示するトランスカルチュラリズムという視点と
を併用し︑内モンゴル自治区における牧畜業地域に現れた﹁新しい第三文化﹂(以下新しい文化を用いる)のあり方と
その生成要因を提示することとする︒
これに基づいて内モンゴル自治区の牧畜業地域をはじめ
とする相対化された周辺社会が持つ外来文化への在来的・
蘇生的な適応力︑およびその創造的側面を︑どのような視
点で見るべきか︑という問題提起を本論文の目的とする︒
口考察対象の概況
ム 本論の考察対象であるA鎮は︑総面積二一〇七㎞で︑内
モンゴル自治区の北中部に位置する(本書二頁﹁内モンゴ
ル自治区行政区分図﹂参照)︒A鎮は典型的草原亜型地域に
分類され︑牧羊を中心とする牧畜業を営んでいる︒
行政レベルではA鎮はシリンゴル盟政府の所在地である
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自 治 区
省 レベ ル の行 政 に 当 た り、現 在 、五 盟 ・七 市 を管 轄 す る。 自治 区 政 府 に 主 席 、中 国 共 産 党 自治 区 委員会 に書記 、中国政 治協 商 自治区委 員会 に主席 、自治 区人民代表委員 会に委員長 を設 ける。
盟(aimaghア イ マ ク) 盟級 市
内地の地区行政 レベルで、直接 自治区政府 の指 盟 と同 レペルで、直接 自治区政府の指導 を受 け 導 を受 け る。 い くつ か の 県 ・旗 ・市 を 管 轄 す る。 い くつ か の 県 ・旗 ・市 を管 轄 す る 。 「市 人 る。 「盟 人 民代 表 委 員 会 」に 盟 長 、「中 国 共 産 党 民代表大会委員会」に市長、「中国共産 党市 委員 盟 委 員 会 」に書 記 を 設 け る。 会 」に市 党 委 書 記 を 設 け る。
/̲ \
旗 ・自 治 旗(khoshighuホ シ ョ ク) 県 旗 ・県級 市
盟の下位行政 で、遊牧 地域で設 盟 の下位行政 で、農業地域や 旗 や 県 と同 レベ ル で 、 盟 の 下 け る。県 レペ ル に 当 た り、い くっ 半牧畜半農 業地域 に設 ける。 位 行 政 と して 、 い くつ か の ソ か の ソ ム を管 轄 。 「旗 人 民 委 員 い くつ か の ソ ム や 郷 や 鎮 を管 ム や鎮 を 管 轄 す る。「市 人 民 代 会 」に旗 長 、「共産 党 旗 委 員 会 」に 轄 。 「県 人 民 委 員 会 」 に 県 長 、 表 大 会 委 員 会 」に 市 長 、「中 国 旗党委書記 を設 ける。 「中国共産 党県委員会」に県党 共産党 市委員会」 に市党委書
委 書 記 を設 け る 。 記 を設 け る。
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ソ ム(somu蘇 木) 鎮
鎮 や 郷 の行 政 に 当 た り、い くつ か の ガ チ ャを 管 ソム と同 じ レベ ル か ソ ム よ り規 模 が 大 き い。
轄 。1950‑80年 代 に は人 民公 社 で 、1980年 代 よ 旗 ・県 ・市 の 下 位 単 位 。 い くつ か の郷 や ガ チ ャ り ソ ム に回 復 。 「ソ ム人 民 委 員 会 」 に ソ ム長 、 を 管 轄 。 「鎮 人 民 委 員 会 」に 鎮 長 、「中 国 共 産 党
「中国共産党 ソム委員会」に党委書 記を設 ける。 鎮委員会」に鎮党委書記 を設 け る。
嗅 査(gachaガ チ ャ)
村 の意 味 で 、内地 の 村 に 当 た る。1950‑80年 代 の 「生 産 大 隊」で 、い くつ か のバ ガ(生 産 小 隊 ・組)を 管 轄 。 ガ チ ャ にガ チ ャ長 を 設 け 、共 産 党 支 部 に支 部 書 記 を 設 け る。
図1内 モ ンゴル に おけ る現 行 行政 制度
シリンホト市(以下
S市と表記)に置か
れ︑S市を構成する
一級行政組織の一つ
である︒内モンゴル
の現行行政について
は﹁図1内モンゴル
における現行行政制
度﹂の通りである︒
A鎮として区画さ
れている地域は︑歴
ヨ 史上アバガ部とホチ
バ ト部の領地であり︑
清時代には盟旗制度
のもとにそれぞれア
バガ旗とホチト旗に
改編され︑シリンゴ
ル盟の下におかれて
いた︒一九四〇年代
半ば頃︑ホチト旗の
一部がアバガ旗に組
み込まれ︑アバガ旗
の一部と併合してア 間切顧捷陽卜5
バガ旗の下位単位であるAソムとして組織された︒
一九五〇年代後半にはAソムはA人民公社に改編され︑
一九八二年︑人民公社が解体された後はソムという名称が
復活し︑二〇〇二年まではAソムと呼ばれた︒二〇〇二年
五月三一日にAソムはA鎮に改編され︑現在に至っている︒
現在︑A鎮は︑かつての中国共産党Aソム委員会を中国
共産党A鎮委員会︑Aソム人民政府をA鎮人民政府とそれ
ぞれ改称し︑その下位単位としてもとのAソムの基礎組織
であるガチャと︑町の基層組織である居民委員会を新たに
設けている︒総人口の四一六〇人のうち︑モンゴル族は一
一八八人︑漢民族は二九七二人である︒
﹁ソム﹂と﹁鎮﹂のあいだ1新しい文化のあり方ー
A鎮におけるガチャ
ー在来文化のあり方1
ω四つのガチャ
﹁ガチャJ(gacha)はモンゴル語の村の意味で︑内モンゴ
ルの牧畜業地域における最末端の行政組織で︑その位置付
けは﹁図1内モンゴルにおける現行行政制度﹂に示した︒
一九五〇年代以降現在まで︑ガチャは中国の行政レベル においては農業地域の生産大隊や村として規定されたが︑
その生産様式や人口規模や居住形態などは農業地域のそれ
らとはまったく異なり︑あくまでも牧畜業的という内モン
ゴル牧畜業地域の在来文化を表象するものにほかならない︒
現在︑A鎮には四つのガチャがあり︑その総面積は一二
〇〇㎞で︑A鎮の総面積二一〇七㎞の九九%以上を占めて
いる︒この四つのガチャはかつてのAソムの基本的構成単
位であったものがそのままA鎮の基本的構成単位として維
持されたもので︑これらの区画や名称の変更は一切ない︒
四つのガチャにおける専ら牧畜業を営む牧畜民は=二
五人(二六七世帯)で︑鎮全体のモンゴル族人口=八八
人の九八%以上を占めており︑平均一〇㎞当たり一人とい
う割合で四つのガチャに分布している︒四つのガチャの構
成は表1の通りである︒
②ガチャにおける牧畜生業
A鎮の四つのガチャは︑いずれも﹁マールJ(mal)と呼
ばれる生産対象の牧畜業を営んでいる︒マールは︑モリ(mori︑馬)・ホニ(khoni︑羊)・ウヘル(O冨﹁︑牛)・イマ
ガ(imagha︑ヤギ)・トモ^(temege︑ラクダ)を示す総称
である︒ガチャごとのマールの構成は表2に示す︒
この四つのガチャにおける牧羊を中心とする牧畜業的
生産活動は︑四つのガチャに分属する牧畜民が家族単位
で﹁ゲル・ボリン(家庭)・マルジーリンダルバイ(牧場)﹂
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表14つ の ガ チ ャ
ガ チ ャ名 地理
位置 総面積 人 口(人) 世帯 数
1人 当 た りの
牧 場 使 用面 積 備 考
Aガ チ ャ
バ イ ン ボ リ ゲ(豊 か な泉 の意) 鎮北部 334kmz 258人
56世 帯 201,000mz 1958‑82年 第 一 生 産 大 隊 Bガ チ ャ
バ イ ン ゴ ル(豊 か な川 の 意) 鎮東部 540kmz 282人
68世 帯 241,SOOmz 1958‑82年 第 二 生 産 大 隊 Cガ チ ャ
スル グ ロ ン(聡明才 知の意) 鎮南部 554km2 295人
72世 帯 291,000m2 1958‑82年 第 三 生 産大 隊 Dガ チ ャ
バ イ ン ダ ラ(豊な野原 の意) 鎮西部 672km2 290人
71世 帯 367,000mz 1958‑82年 第 四 生 産 大 隊
合 計 2100km2 1,125人
267世 帯 1,100,500m2
注:2002年10月1日 ま で の 統 計 に よ る 。 各 ガ チ ャ の 位 置 は 図3参 照 。
表24つ の ガ チ ャ に お け る マ ー ル の構 成
(頭)
ガ チ ャ名 家 畜総数 モ リ
(馬)
ホ ニ (羊)
ウ ヘ ル (牛)
イ マ ガ (ヤ ギ)
ト モ ー (ラ ク ダ) Aガ チ ャ 25,638 256 15,450 303 9,636 26
Bガ チ ャ 26,799 270 15,890 420 10,191 23
Cガ チ ャ 25,009 267 14,504 411 9,783 34 Dガ チ ャ 22,391 240 14,505 328 7,328 32
注:2003年6月 末 の 統 計 に よ る 。
(gerbUli‑yinmaljil‑untalabai)と呼
ばれる家族牧場を利用する方式で
行っている︒
家族牧場は一九八三年に登場
フ したが︑一九八七年には家族単位
で使用できる面積は三〇年間不変
と政策上規定されたため︑これ以
後一人当たりの使用面積は表1の
ように確立した︒現在︑牧場と牧
場との境界を区分するため︑網囲
欄と呼ばれる網囲いがマークとし
て建てられている︒
家族牧場の区画に伴い︑牧場内
での﹁スルラシ+:J(saghurshikhu)
と呼ばれる定住も進められてき
た︒A鎮における牧畜民の定居は︑
家族牧場内で﹁バイシン・ゲル﹂(baishingger)と呼ばれる煉瓦作り
の家屋を設け︑その側にモンゴル
族の伝統居住である﹁モンゴル・
ゲル﹂(mongδσqo目︑パオ)を設け
たり︑家屋から少し離れた場所に
井戸を掘ったり︑家畜の囲いや家 間ゆ噸捷陽一61