1
論文の内容の要旨
氏名:宮 千 尋
博士の専攻分野の名称:博士(歯学)
論文題名:Porphyromonas gingivalis gingipains induce MUC5AC production in respiratory epithelial cells and in mouse lung
(Porphyromonas gingivalisのジンジパインは呼吸器上皮細胞とマウス肺においてMUC5AC
の産生を誘導する)
歯周病は歯肉の炎症と歯槽骨の破壊を特徴とする炎症性疾患で,30歳以上の約8割が罹患している。
歯 周 病 の発 症 と進 展 に は , バ イ オフ ィ ルム に 生 息す る 口 腔細 菌 が複 合 的 に関 与 し てい るが ,
Porphyromonas gingivalis は最も重要な歯周病原菌であり,病原因子や生理学的特性に関する解析が進
んでいる。グラム陰性嫌気性桿菌であるP. gingivalisは,病原因子として線毛およびLPSを有すると ともに,ジンジパインなどのタンパク分解酵素を産生する。ジンジパインはこの菌種に特有の酵素で,
基質の違いからarginine-gingipain (Rgp) とlysine-gingipain (Kgp) とに分類される。特にRgpは,菌の 増殖のみならず,膜タンパクの成熟など様々な生理活性に関与しているため,Rgp活性はP. gingivalis の生理状態を表す良い指標となる。
歯周病は歯を失う最も大きな要因であるが,近年では糖尿病,低体重児出産および肺炎などの呼吸 器疾患等様々な全身疾患の誘因としても注目されている。特に歯周病と肺炎との関連に関しては多く の臨床研究が報告されている。実際に,4 mm以上の歯周ポケットが10歯以上ある人は,歯周ポケッ トがない人に比べ,肺炎により死亡する危険性が 3.9 倍高いことや,肺炎患者の気管支肺胞洗浄液
(BALF) や喀痰から歯周病原菌が検出されることなどが示されている。口腔健康管理が肺炎予防に有
効であることも報告され,周術期の現場や高齢者施設等において肺炎予防を目的とした口腔衛生管理 と口腔機能管理が積極的に行われている。さらに最近,慢性閉塞性肺疾患 (chronic obstructive pulmonary disease:COPD) の増悪においても,歯周病が深く関与していることが明らかとなってきた。
COPDは,これまで慢性気管支炎や肺気腫と呼ばれてきた病気の総称で,2019年のWHOの報告によ ると,世界の死因第3位となっており,世界的にその対策が急務となっている。COPDの増悪により 肺の炎症が進むと肺胞が破壊されるため,酸素の取り込みや二酸化炭素の排出能力が低下し死に至る。
これまでに,本邦において,喫煙などの影響を加味した上でも重度の歯周病罹患者はそうでない人に 比べ,COPDを発症する割合が3.5倍高いことや,歯周病の治療を行うことによりCOPDの病状が改 善したなどの報告がなされている。さらに,肺炎同様,COPD患者のBALFからも歯周病原菌が検出 されることが報告されたが,歯周病原菌がどのように肺炎とCOPDの発症や増悪に影響を及ぼすのか に関しては,ほとんど解っていない。
肺炎およびCOPDの際,気管支上皮細胞からムチン (Mucin; MUC) ,中でも分泌型ムチンのコア蛋
白である MUC5AC が過剰産生することが知られている。通常量のムチンは粘膜を保護するバリアと
して生体防御において重要な役割を演じるが,肺の炎症時には過剰に分泌されるため,気道の狭窄や 喀痰の原因となり肺炎やCOPDが増悪する。しかし,歯周病および歯周病原菌がムチンの産生に及ぼ す影響は不明である。
そこで本研究では,P. gingivalisがMUC5ACの発現を誘導することにより,肺炎やCOPDの発症と 増悪に関与しているのではないかと推察し実験を行った。
実験には,気管支上皮細胞 (NCI-H292細胞) に,P. gingivalis (ATCC33277株) と同ジンジパイン遺 伝子欠損株 (KDP129:Kgp欠損株,KDP133:Rgp欠損株,KDP136:Kgp/Rgp欠損株) の培養上清,
LPS および線毛 (FimA) を添加することにより実施した。細胞培養上清と細胞抽出液を回収し,
MUC5ACの量はELISA法にて,遺伝子発現はreal-time PCR法にて定量した。同様の実験をヒト気管 支由来のプライマリー上皮細胞においても行った。また,C57BL/6マウスをイソフルランにて麻酔後,
P. gingivalisもしくはKDP136株の培養上清を1日1回,計7日間気管内へ経口投与した。投与8日目
にマウスの肺を摘出し,通法に従い組織切片を作製した。肺における MUC5AC の発現を調べるため
に,MUC5ACに対する特異抗体を用いた免疫染色を,中性粘液と酸性粘液を検出するために,それぞ
2
れPAS (Periodic acid-Schiff) 染色 とAB (Alcian Blue) 染色を行った。さらに,肺をホモジナイズした 後にRNA抽出を行い,肺におけるMUC5ACの遺伝子発現をreal-time PCR法にて検討した。
はじめに,P. gingivalis 培養上清で NCI-H292 細胞とプライマリー気管支細胞とを刺激した結果,
MUC5AC遺伝子発現および蛋白質発現は上清の量依存的に誘導された。P. gingivalisによるMUC5AC の誘導が,培養上清中のどの病原因子に基因するのかを調べるために,LPSとFimAを用いて検討し た。その結果,両者とも MUC5AC の発現に影響を及ぼさなかった。そこで,ジンジパインに着目し 実験を行った結果,野生株の培養上清に比べKDP129株では,MUC5ACの発現が約2割程度低下した。
しかし,KDP133株およびKDP136株の培養上清ではMUC5ACの発現誘導が認められなかった。同様
の結果は,プライマリー気管支上皮細胞においても認められた。また,マウス肺においても,P. gingivalis 培養上清はMUC5ACの遺伝子発現を強く誘導することが明らかとなった。しかし,in vitroの結果同 様,KDP136株の培養上清においては,MUC5ACの発現誘導は認められなかった。さらに,免疫染色 解析とPAS/AB染色の結果,P. gingivalis誤嚥マウスのみにおいて,肺の杯細胞にMUC5ACの発現と ムチンの産生が認められた。
以上の結果から,P. gingivalisのジンジパイン,特にRgpはMUC5ACの発現を強く誘導することが 明らかとなった。本研究は,歯周病の進行に伴うP. gingivalisの誤嚥が,ムチンの過剰産生を介して気 道の狭窄や喀痰の原因となりうることを提示した。さらに,歯周病と肺炎やCOPDをはじめとする呼 吸器疾患との関連を分子レベルで解明するための分子基盤となりえることが示唆された。