研 究
司法領域におけるイスラム・スカーフ事件
─ 司法修習生のスカーフ着用を巡る連邦憲法裁判所の 仮命令決定を題材に─
Kopftuch Streit im Bereich der Justiz: Besprechung des einstweiligen Beschlusses zum Kopftuchverbot für Rechtsreferendarin von BVerfG
松 村 好 恵*
目 次 ₁ .は じ め に
₂ .シンボルとしてのスカーフ
₃ .スカーフを巡る連邦憲法裁判所の判断 ₄ .2017年決定
₅ .若干の検討 ₆ .お わ り に
1.は じ め に
2017年 ₆ 月27日,ドイツの連邦憲法裁判所第 ₂ 法廷第 ₁ 部会は,イスラ ム教徒の女性司法修習生のスカーフ着用問題について仮命令決定を下し た。本仮命令決定(2 BvR 1333/17)は,イスラム・スカーフに関する連 邦憲法裁判所の後述する一連の判決・ 決定(2003年判決,2015年判決,
2016年決定)に連なる最新の判断であり,本決定を従来の判決・決定と比 較しその共通点と相違点を分析することには意味がある。
たとえば,本件の当事者が司法修習生であるのに対して,一連の判例の
* 中央大学大学院法学研究科博士課程後期課程在学中
当事者を見ると,教師の志願者(2003年),社会教育士(2015年),保育園(Kita)
の保育士(2016年)など教育関係者である。当事者の違いが裁判所の判断 においてどのように考慮されているのかを検討することは興味深い。
たしかに,本決定は,仮命令手続において下されたものである。通常,
仮命令決定で問題となるのは,結果の衡量(不利益の結果衡量)であり,
当該国家行為の合違憲性でも,憲法解釈論でもない。しかし,本決定にお いては,一定の基本権解釈・憲法解釈が行われ,憲法判断の枠組みも示さ れている。また,仮の権利救済の抽象的な結果較量にもかかわらず,そこ には司法修習生の問題に関連して,「司法の領域」全般に妥当する一般的 な説示が含まれている。したがって,仮命令決定であっても,検討するに 値すると考える。そこで現在本案が第 ₂ 法廷に係属している本件の判決の 前に,仮命令決定を素材に従来の論点を整理することにも一定の意味があ ると思われる。
本稿では,まずそもそも,スカーフの着用が宗教的シンボルに当たるか 否かを,他の類似の宗教的シンボルと比較して検討する(第 ₂ 章)。次に,
イスラム・スカーフをめぐる憲法裁判所の従来の判断を,①信仰の自由,
②国家の中立性原則,そして③抽象的危険か具体的危険かという ₃ つの論 点を中心に概観する(第 ₃ 章)。さらに,以上の考察を踏まえて,2017年 決定を詳細に紹介したうえで(第 ₄ 章),これに対して若干の分析を試み る(第 ₅ 章)。
2.シンボルとしてのスカーフ
現在ドイツを含めヨーロッパは,イスラム教を背景に持つ多くの者を移 民および難民として受入れている。移民,難民を受入れる一方,文化の衝 突は大きなものとなる。たとえば,ベルリンのノイケルンはトルコ系移民 の町となり,これまでのドイツとは異なる文化に支配されるパラレルワー ルドが形成された1)。学校ではイスラム教徒の子どもの数が年々増え,さ
1) Vgl. Das Kreuz mit dem Koran, Der Spiegel 40/2003, S. 82ff.
まざまな問題が生じている2)。このような生活環境周辺での宗教的多元化 は社会的分断(soziale Brennpunkten)を引き起こす。
このような社会的背景の中で,スカーフの着用はイスラム教徒であるこ との「しるし」であるとみなされ,公の場での着用はこれまでも議論の対 象となってきた3)。そのほかにも,宗教的シンボルとして議論の対象とな るものとしては,①十字架,②クリスマスクリッペ,③ブルカなどがあげ られる。
①十字架に関しては,著名なキリスト磔刑像判決がある4)。この判決で は,磔刑像(十字架)がキリスト教的世界観を示すシンボルであるかどう かが争点の一つとなったが,連邦憲法裁判所は,十字架が,単なる西欧文 化の価値に対するシンボルではなく,宗教的シンボルであるとした5)。さ らに,子どもへの宗教的影響力があると明示している。一方で,本判決の 少数意見は,十字架に関して,キリスト教の信仰内容のシンボルではな く,ヨーロッパ文化の共通財となった価値観のシンボルであるとしてい る6)。
②クリスマスクリッペとは,キリストの生誕を表したおもちゃであり,
クリスマスの際に飾られる。聖書の一場面を模したものであるため,子ど 2) 具体的には,イスラム教徒の女子生徒は全身を覆った水着(ブルキニ)を着 て水泳の授業を受けることを学校側に要請したり,ラマダン中に断食をするた め,生徒が授業やスポーツに集中できないという問題がある。http://www.faz.
net/aktuell/politik/inland/muslimische-schueler-in-deutschland-gehe-ich-nicht- mehr-schwimmen-15557811-p2.html(最終アクセス2019年 ₄ 月25日)http://
www.faz.net/aktuell/rhein-main/immer-mehr-schueler-fasten-zum-ramadan- 15592153.html(最終アクセス2019年 ₄ 月25日)
3) Vgl. Rudolf Steinberg, Religiöse Symbole im säkularen Staat, Der Staat 56 (2017), S. 157, (176ff.).
4) BVerfGE 93, 1,邦語文献として,石村修「公立学校における磔刑像(十字架)」
ドイツ憲法判例研究会編『ドイツの憲法裁判Ⅱ(第 ₂ 版)』(信山社,2006年)
115頁以下参照。
5) BVerfGE 93, 1 (20f.).
6) BVerfGE 93, 1 (32f.).
もに信仰を伝える役割を担っている。宗教と国家との厳格な分離(ライシ テ)を掲げるフランスでは,クリスマスクリッペを市庁舎に飾ることは,
ライシテに反しないのかが裁判で争われた。争点は,クリスマスクリッペ は文化であるか,キリスト教のシンボルであるかである。行政裁判所にお いては判断が分かれたが,最終的にコンセイユ・デタによって,2016年11 月 ₉ 日にクリスマスクリッペは必ずしも宗教的シンボルではないことが確 認された。確かに,クリスマスクリッペは宗教的な性格を有してはいる が,精巧な装飾品であり,またクリスマスはお祭りとしての伝統もある。
したがって,宗教的な意味合いを持たず,文化的,芸術的,または祝祭的 性質を有するかどうかは,ケースバイケースで判断されなければならない とした7)。
③ブルカは目以外の全てを覆い隠す服装である。フランスでは2011年か らすでに公共の場でのブルカ着用は禁止されていた。ドイツでは2017年 ₆ 月に公務時等に限り着用を制限することを目的とする法律8)が施行され た9)。同法は,公務員,兵士,裁判官および選挙管理委員に対して勤務中 に顔を覆い隠すことを禁じ,一般人に対しては,公的な本人確認の際,顔 が見えるように協力する義務を規定している。さらにバイエルン州では 2017年 ₈ 月 ₁ 日に公務員や選挙管理委員だけでなく,学生,生徒および園 児にも公共の場ではブルカを禁止する法律が施行された10)。
さまざまな宗教的シンボルがある中,ドイツでの議論の中心は,シク教 徒のターバンでも,ユダヤ教のキッパでもなく,イスラム・スカーフ着用 した女性である11)。スカーフの着用に関しては,コーランの規定が決定的 である。連邦憲法裁判所は,頭を覆う物およびそのほかの衣服,それ自体
7) Vgl. R. Steinberg, (Fn. 3), S. 178.
8) BGBl. 2017 I S. 1570.
9) Vgl. BT-Drucksache 18/11180, 18/11813.
10) GVBl., 12/2017, S. 362.
11) Mehredad Payandeh, Das Kopftuch der Richterin aus verfassungsrechtlicher Perspektive, DöV 2018, S. 482ff., (482).
が宗教的シンボルではないとし,そのことはスカーフにも当てはまるとし ながら,スカーフが社会的コンテクストに依拠する中で拡張され,着用し ているものがイスラム教に属しているという意味を持つことには変わりな い。それゆえ,スカーフは宗教的アイデンティティーを外部に現すものと して理解されるなら,スカーフ着用は宗教的確信の告白として作用すると する12)。
ちなみに,スカーフは単に宗教的なシンボルとしてだけではなく,男女 差別のシンボルであるともみなされる。スカーフ着用は女性にのみ妥当す るため,それを理由に教師の採用を拒否することは,イスラム教徒間で,
事実上女性を差別することになっているという主張である13)。一方では,
スカーフの着用は義務的なものではなく,女性が自らの意思に基づく選択 によって着用しているという見解もある14)。さらには,スカーフを着用す ることは単に宗教的意思を表示しているだけではなく,西洋的キリスト教 的世界観に対抗する意思を持っていることの表示であり,イスラム教徒内 の結束を高める政治的意図もあるという見方もある15)。
3.スカーフを巡る連邦憲法裁判所の判断
スカーフは宗教的意味を含み,それゆえ,スカーフを巡る問題は,政教 分離と信教の自由の狭間で宗教の多元化に関する象徴的な問題として多く の論点を提供することになる。そして,2003年の連邦憲法裁判所のイスラ ム・スカーフ判決は,司法上の歴史の一頁を飾る判決として著名であり,
これ以降の一連の判例も注目されている。
12) BVerfGE 108, 282 (298); BVerfGE 138, 296 (332); BVerfG, ─ 2 BvR 1333/17 ─, Rn. 51.
13) VG Lüneburg, Urteil v. 16. 10. 2001, NJW 2001, S. 767ff., (771).
14) Vgl. R. Steinberg, (Fn. 3), S. 179f.
15) 斎藤一久「ドイツにおける多文化教育の一断面─イスラム教をめぐる問題を 中心に─」早稲田法学会誌第52巻(2002年)147頁以下(161頁以下)参照。
そこで,ここでは,2017年決定に至るまでの,イスラム・スカーフ着用 禁止を巡る,2003年判決,2015年判決,2016年決定を,一連の事件におい て争われた,①信仰の自由,②国家の中立性原則,そして③介入の正当化 の際の基準としての,「抽象的な危険」または「具体的な危険」の必要性 という ₃ つの論点を中心に概観する16)。
1 .2003年判決
イスラム・スカーフ事件として非常に著名なものである。宗教的理由か らスカーフを着用しながら教師を志願する女性が,生徒の消極的信仰の自 由,親の教育権および国家の宗教的・世界観的中立性あるいは公務員の中 立性義務を侵害するとし,教師の適性を欠くとされ,採用が拒否された事 件である。
(1) 行政裁判所の判断
スカーフ裁判の歴史は,約20年前に,行政裁判として始まったとされ る17)。2003年の連邦憲法裁判所の判決以前の, リューネブルク行政裁判 所18)およびシュトゥットガルト行政裁判所19)の判決である20)。両裁判は 異なる結果となった。リューネブルク行政裁判所では,学校や教師の特性 16) このスカーフ裁判に関して,日本でこれまでも扱われてきている。さしあた り,渡辺康行「文化的多様性の時代における『公教育の中立性』の意味」樋口 陽一ほか編『国家と自由』 所収(日本評論社,2004年)79頁以下[渡辺康行
『「内心の自由」の法理』(岩波書店,2019)13頁以下]。スカーフ判例の評釈と して,渡辺康行「公教育の中立性・宗教的多様性・連邦的多様性─イスラーム 教徒の教師のスカーフ事件」 自治研究第80巻10号(2004年)141頁以下参照
[渡辺同上35頁以下]。塩津徹「ドイツにおける国家と宗教─イスラム教の事 例─」宗教法第24号(2005年)109頁以下参照。
17) 邦語文献として,斎藤(前掲注15)160頁以下参照。小林宏晨「頭用スカー フ着用の女教師と信仰の自由」法学紀要46巻(2004年)51頁以下参照。
18) VG Lüneburg 1. Kammer, 16. 10. 2000, (Fn. 13).
19) VG Stuttgart 15. Kammer, 24. 03. 2000, DÖV 2000, S. 560.
20) これらに関する評釈として,Ernst-Wolfgang Böckenförde, „Kopftuchstreit“
auf dem richtigen Weg ?, NJW 2001, S. 723.
について詳細に検討している。そして,基本法33条の公務就任権を検討 し,スカーフの着用を理由に教師としての適正を欠くとすることは,妥当 ではないとした。この判決に関して,ベッケンフェルデは,入念な根拠付 けがなされ,今日まで考慮されていなかった点を関連づけていると評価す る21)。一方,シュトゥットガルト行政裁判所は,宗教的動機からスカーフ を着用することは,性別・出自・人種・宗教的および政治的信念などに関 係なく,適性,技能および専門的能力から任命しなければならないとする バーデン・ヴュルテンブルク州公務員法11条 ₁ 項の意味において,教師の 人格的適性を欠くと判断した。ここでは,生徒や親の権利,国家の中立性 には言及するが,基本法33条の公務就任権に関しては十分に検討すること なしに,州の公務員法レベルで検討している。
このシュテュッガルト行政裁判所の判決に関する憲法異議が,2003年の 連邦憲法裁判所の判断の対象である。
(2) 連邦憲法裁判所の判決
2003年 ₉ 月24日第 ₂ 法廷判決の中心的争点は,公務員およびその志願者 の基本権と法律の留保の問題である。
まず,信仰の自由に関する点である。行政裁判所が,信仰の自由は,無 制約ではないとしたことに対して,連邦憲法裁判所は,信仰の自由は,留 保なく保障されているとした22)。スカーフに関しては,申立人がスカーフ 着用を宗教的戒律から義務的であると自ら理解し,このスカーフ着用規則 を遵守しスカーフを着用することは,自己の宗教告白であるとする23)。そ の一方で,スカーフはキリスト教の十字架とは異なり,それ自体で宗教的 なシンボルではないとする24)。そして,信仰の自由と対立する憲法利益と しては,基本法 ₇ 条 ₁ 項の宗教的・世界観的中立義務による国家の養育委 託,基本法 ₆ 条 ₂ 項の両親の教育権ならびに基本法 ₄ 条 ₁ 項の生徒の消極
21) Ebd.
22) BverfGE 108, 282 (297).
23) BverfGE 108, 282 (298).
24) BverfGE 108, 282 (304).
的信仰の自由をあげる25)。
次に,国家の中立性に関して,ここでの国家に要請されている宗教的・
世界観的中立性は,厳格な分離という意味における距離をとる中立性でな はなく, 全包括的な開かれた中立性と理解されなければならないとす る26)。
そして,危険の基準に関しては,抽象的な危険を前提とする。宗教的・
世界観の関係を教師によって,学校および授業へ持ち込まれることは,国 家の養育委託,親の教育権および生徒の消極的信仰の自由への侵害であ る。このことは,学校の平穏を脅かし,学校の教育委託の充足を危険にす る可能性がある。その際,問題となるのは,抽象的な危険に過ぎない。こ れに続けて,生徒へ影響を与える具体的な態度ではなく,単なる可能性の みで,公務員法上の義務違反または公務員関係への招聘の障害として不適 正と評価される場合,基本法 ₄ 条 ₁ 項および ₂ 項による留保のない基本権 に対する制限であるため,制限を許容するためには十分に規定された法的 理由を前提とする27)。そして,州の公務員法および学校法は,抽象的な危 険を理由に教師のスカーフ着用禁止をするためには,必要な十分に明確な 制定法上の基盤が欠けているとする28)。
2 .2015年判決
2015年 ₁ 月27日に, 第 ₁ 法廷は, 新たなスカーフ判決を下した。 本件 は,連邦労働裁判所の判決に対する憲法異議である。連邦労働裁判所は,
①社会教育者として勤務していた申立人が,スカーフの代わりにタートル ネックのセーターおよびベレー帽を着用し続けたことを理由に,警告の後 に解雇された事件および,②教師がスカーフを着用し続けたことを理由 に,警告の後に解雇された事件を判断した。
25) BverfGE 108, 282 (299).
26) BVerfGE 108, 282 (299f.).
27) BVerfGE 108, 282 (303).
28) BVerfGE 108, 282 (307).
労働裁判所は,ベレー帽はスカーフに類似するとし,学校の平穏に対す る具体的な危険が最初から完全に生じないようにするために,あらかじめ 具体的な危険を防止すること,立法者は争いを回避する諸規則を具体的な 危険に結び付けなくてよいこと,およびノルトライン=ヴェストファーレ ン州学校法57条 ₄ 項 ₁ 文は基本法 ₃ 条 ₁ 項の平等原則に違反していないこ とを理由に,スカーフ禁止条項が憲法違反ではないと判断した29)。 これに対して,連邦憲法裁判所は以下のように判断した。
まず,信仰の自由には,自己の行動すべてを自己の教義に合わせて,つ まり,信仰に伴われて生活する権利が含まれる。このことは,命令的であ ると感じられている信仰にのみ当てはまることではない30)。そして,スカ ーフと信仰との関係は,スカーフ着用が宗教的動機からであることは,十 分に説得的であり,宗教の告白であり,スカーフ着用の禁止は,信仰およ び告白の自由に対する重大な制約である31)。生徒の消極的信仰の自由に関 しては,どの信仰の儀式的な行為からも距離を置く自由は保障されるが,
さまざまな信仰上の確信が認められている社会の中で,異なる信仰のシン ボルに煩わされないままでいることを求める権利まで保障されるものでは ない32)。
次に,国家の中立性に関しては,国家に要請される世界観・宗教観的中 立性は,国家と教会の厳格な分離という意味での距離を置くという姿勢で あるとは理解されてはならず,開かれた,交流的,すべての宗派の信仰を 等しく促進するという姿勢として理解されなければならない33)。
そして,危険の基準については,学校の平穏を危険にさらすまたは侵害 することに対するメルクマールとして,外的な宗教的被服によって,単に 抽象的ではなく,州学校法に列挙された保護法益に対する十分に具体的な
29) BVerfGE 138, 296 (305ff.).
30) BVerfGE 138, 296 (328f.).
31) BVerfGE 138, 296 (330f.).
32) BVerfGE 138, 296 (336f.).
33) BVerfGE 138, 296 (339).
危険が発生しなければならない34)。
3 .2016年判決
保育園にパートとして勤めていた保育者が,勤務中のスカーフ着用の可 否について争った事例である。申立人は,宗教上の信念からスカーフを勤 務の内外を問わず,着用していた。これに対し,市が勤務中にスカーフを 外すよう要請し,旧バーデンヴュルテンベルク州の保育園その他の保育施 設及び保育員保育における子どもの世話・支援に関する法律(以下,旧
KitaG)7条 ₆ 項(現 ₇ 条 ₈ 項)の義務を遵守するよう求めた35)。結論とし
て,申立人は,労働裁判所の判決によって,基本法 ₄ 条 ₁ 項 ₂ 項の基本権 が侵害されているとされた。
2016年10月18日の第 ₁ 法廷第 ₂ 部会の決定で審査の対象となったのは,
労働裁判所の諸判決および旧KitaG 7条 ₆ 項 ₁ 文の,政治的,宗教的,世 界観的,または類似する外部的表明を行ってはならないという禁止規定で ある。
信仰の自由に関しては,2015年判決を踏襲し,基本法 ₄ 条 ₁ 項・ ₂ 項の 信仰・告白の自由は,公的主体における保育施設の教育者にも,自らの信 仰上の規律に従って服装戒律を遵守する義務が認められている。たとえ ば,十分に説得力のある理由がある場合,スカーフ着用も認められる。そ して,申立人のスカーフ着用にも基本法 ₄ 条 ₁ 項・ ₂ 項の基本権を援用で きるとした。さらに,スカーフ着用禁止は,基本法 ₁ 条 ₁ 項と結びついた
₂ 条 ₁ 項のアイデンティティーと抵触することから,基本法12条 ₁ 項の職 業へのアクセスを遮ることにつながるとした。一方で,中立性原則と並ん で,親の教育権および生徒の消極的信仰の自由を認めている。しかし,子 どもには外見以上の影響を与えないので,子どもの消極的信仰の自由は侵 害されない。さらに,子どもは保育者の積極的な信教の自由に対面されて
34) BVerfGE 138, 296 (342f).
35) 本判決を紹介したものとして,斎藤一久「保育園における保育者のイスラー ムスカーフ事件」自治研究93巻11号(2017年)144頁以下参照。
いるにとどまり,その限りでは保育園は宗教的・多元的社会を反映してい るといえる36)。
次に,中立性原則に関しては,これまでの連邦憲法裁判所の解釈を踏襲 している。ただし,これまでと同等の中立性原則が小学校と同様に保育園 にも要請される場合,中立性維持のためのスカーフ着用禁止規則の形成 に,学校内での制限と同様の制限が妥当する。すなわち,基礎となる憲法 上の衡量は,学校と同程度,保育園にもあてはまる37)。
さらに,具体的危険についても,2015年判決を引き,抽象的な危険から 服装戒律を禁止することは,教育従事者の信仰・告白の自由に鑑み,スカ ーフ着用が義務的な宗教的戒律に基づく場合,不適切で比例性に反してい るとし,少なくとも保護法益に対する十分で具体的な危険が存在しなけれ ばならないとする38)。その結果,頭を覆う物の着用自体から宣伝的効果お よび宣教的効果が発せられることがないことを理由に,スカーフの着用だ けでは,十分に具体的な危険を根拠づけることはできないとした39)。
4.2017年決定
1 .事案の概要
本件の事案は以下の通りである。
申立人は個人の信仰上の確信の表明として公の場でスカーフを着用して いた。2017年 ₁ 月からヘッセン州で司法修習生となったが,スカーフを着 用したまま司法修習に参加することを望んだ。これに対して,ヘッセン州 の司法省は,司法修習のうち,刑事修習において,①法廷での公判におい て傍聴席ではなく裁判官席に座ること,②審議の指揮,証拠調べを行うこ と,③検察官のために審議を代行すること,および④行政機関での研修中
36) BVerfG, ─ 1 BvR 354/11 ─, Rn. 65.
37) BVerfG, ─ 1 BvR 354/11 ─, Rn. 55.
38) Ebd.
39) BVerfG, ─ 1 BvR 354/11 ─, Rn. 70.
に公聴会(Anhörungsausschuss)の司会をすることはできないとした。
これに対して,修習生は異議を申し立てたが,ヘッセンの行政裁判所はこ れを認めなかった。そこで,修習生は,直接には2017年 ₅ 月23日のヘッセ ン行政裁判所の決定に対して,間接的にはヘッセン公務員法45条および 2007年 ₆ 月28日のヘッセン州司法省の命令(Erlass)を対象として憲法異 議を提起し,あわせて仮命令の発給を申請した(Vgl. 2 BvR 1337/17, Rn. 1~
11 (以下,Rn.~))。
2 .仮命令決定
「仮命令」制度は,連邦憲法裁判所法32条 ₁ 項によって,定められてい る。これによって連邦憲法裁判所は,本案判決が出されるまで,問題とな る行政行為,刑事手続を暫定的に停止し,法規範(法律,命令,規則)の 執行を暫定的に停止することができる40)。したがって,仮命令の発給の請 求は本案の提起とともになされる。本件も,本案の憲法異議は第 ₂ 法廷に 係属している。
仮命令の発給が求められた場合には,連邦憲法裁判所では,通常,不利 益の比較衡量が行われる(Vgl. Rn. 33)。
そこでまず,「申立てがはじめから不適法か明らかに理由がない」か否 かが検討される(Vgl. Rn. 34)。
次にこれを踏まえて,具体的な衡量,すなわち,①仮命令が下されるこ となく,後に憲法異議が理由があるものとされた場合に生じる基本法 ₁ 条
₁ 項, ₄ 条 ₁ ・ ₂ 項および12条 ₁ 項 ₂ 文と結びついた ₂ 条 ₁ 項の基本権の 侵害と,②仮命令が下されたが,憲法異議が不首尾に終わった場合,ヘッ セン州公務員法45条と結びついた司法修習法27条によって追及された目的 が実現されないことによって生じる不利益の衡量が行われる。
40) 仮命令の制度とその運用については畑尻剛・工藤達朗編『ドイツの憲法裁判
(第二版)』(中央大学出版部,2013年)215頁以下(畑尻剛執筆)参照。
(1) 司法修習生の権利侵害
⑴ まず,修習生に対して特定の(国家の代表としてみなされまたはみな される可能性のある)活動の際にスカーフ着用を禁止する(宗教共同体へ の自らの所属を宗教的に根拠づけられた服装規則の遵守によっては明確に させてはならないという)措置が,修習生の信教の自由(基本法 ₄ 条 ₁ 項 および ₂ 項)に介入するものであるか否かが検討される。ここでは多くの 判例を引きながら,基本法 ₄ 条の保護領域が語られる。
確立した判例によれば,……単に礼拝や宗教的慣行を行いまたは敬 うことだけではなく,宗教教育ならびに宗教的および世界観的生活の ほかの表現形態も対象となる。……何が個々の場合において宗教およ び世界観の行使として顧慮されなければならないのかという評価の際 には,それぞれの宗教および世界観共同体ならびに個々の基本権の担 い手の自己理解が考慮されなければならない。
このような基本法 ₄ 条 ₁ 項および ₂ 項から生じる基本権は,公勤務 における被用者も,司法修習生も引き合いに出すことができる。申立 人の基本権享有主体性は,国家の任務領域への編入によってはじめか らまたは原則的に疑問が生じるわけではない(Vgl. Rn. 38f.)。
以上によれば,今回の禁止措置は,当該人に対して,意に反した行為を 行うか,当人にとって義務と思われる宗教的服装戒律に応じるかの選択を 迫るものであって,個人の信仰の自由に介入するとされる(Vgl. Rn. 37)。
⑵ 次に,この禁止措置が,申立人の個人的アイデンティティー(基本法
₁ 条 ₁ 項と結びついた ₂ 条 ₁ 項)および申立人の職業の自由(基本法12条
₁ 項)に抵触する可能性があることについても手短に言及している(Vgl.
Rn. 40)。これは前者に関しては,異議申立人の以下のような主張に対応 したものである。
ヘッセン州行政裁判所の決定は,アイデンティティーの形成の条件
としての申立人の自己決定,自己保存,自己表出の基本権(基本法 ₁ 条 ₁ 項と結びついた ₂ 条 ₁ 項)に介入する。……申立人の自己イメー ジおよびアイデンティティー観念から導き出される,頭髪を覆わずに 公の場に姿を見せないという服装規則は,宗教的義務と並ぶものであ る(Vgl. Rn. 22)。
⑶ 以上のように述べた後,連邦憲法裁判所は,このような「介入」が限 定的なものにとどまることを指摘する。
今回のスカーフ着用の禁止(信仰表明の禁止)は,研修の全段階で はなく,司法または国家を代表する場合に限定され,時間的にも場所 的にも限定的に申立人の基本権に介入するにすぎない(Vgl. Rn.
41ff.)。そして,当初の命令が変更され,最終的には,宗教的理由か らスカーフの着用を断念することを拒否した結果として,決められた 課題を行わなかったことは,研修の全成績に消極的な効果を及ぼして はならないとされている点にも言及する(Vgl. Rn. 45)。
(2) ヘッセン州の不利益
⑴ スカーフ禁止によって確保されるものとして,第一に,「国家の世界 観─宗教的中立」があげられている。
基本法によれば,国家は,さまざまな宗教および世界観共同体を平 等に取り扱わなければならないし,特定の宗教共同体と一体化しては ならない。……しかしながら,国家に要請された世界観─宗教的中立 性は,……すべての信仰告白に対して信仰の自由を同様に促進する開 かれた態度と理解されなければならない。……また,世界観─宗教的 中立性の原則は,国家が宗教共同体の信仰および教義を評価すること を禁じている(Vgl. Rn. 47)。
以上のような,国家の宗教的中立性の要請は,「司法」の領域について も妥当するとして,その根拠を,「権利」とともに,「法治国家原理」に求 めている。
基本法は,裁判手続の当事者に,独立で中立の裁判官による裁判を 受けることを保障する。……この裁判官の活動は,手続当事者に対す る無条件の中立性を必要とする。したがって,基本法101条 ₁ 項 ₂ 文 の法律上の裁判官の裁判を受ける権利は,単に……裁判官の裁判を受 ける権利を要請するだけではなく,手続の当事者は手続参加者あるい は訴訟物との人的および実体的関係により要請される中立性を欠いて いる裁判官の裁判を受けることがないことも保障する。裁判官が先入 観にとらわれないことおよび中立であるという要請は同時に法治国家 であることの命令である(Vgl. Rn. 49f.)。
このような国家の中立性の要請は,国家権力の代表として行動しそのよ うなものとして認識される司法修習生にも妥当する。ここでは,侵害の可 能性という抽象的な危険が根拠とされる。司法修習生によって宗教または 世界観に関連したものが持ち込まれることは,司法と公行政という中立に 果たすべき国家任務を侵害する可能性がある。スカーフは宗教的な意味を もつ衣服である。
さらに,修習生のスカーフ着用は,手続参加者の消極的信教および信仰 告白の自由を侵害する。
訴訟当事者が,その宗教的あるいは世界観的な確信を明確な形で外 部に対して示す国家を代表する者の関与の下で争訟を行うことを,当 事者にとって回避できない形で強制される場合に,訴訟当事者がその 基本法 ₄ 条 ₁ 項の基本権を侵害されたと感じるとしてもそれはもっと もなことである(Vgl. Rn. 52f.)。
5.若干の検討
以上のような本決定を,①宗教の自由の保護領域,②手続参加者の消極 的信仰の自由,③当事者,④法律の留保,⑤中立性原則,そして⑥「具体 的な危険」の必要性という各点について若干の検討を行う。
1 .宗教の自由の保護領域
宗教の自由の保護領域一般について,本決定は,従来の多くの先例をあ げて,① ₄ 条の ₁ 項と ₂ 項が包括的に理解される統一的な基本権を内容と すること,② ₄ 条が内心の自由だけではなく,信仰を表明すること,宗教 的確信にしたがって行為する自由を保障すること,③何が宗教上の行為で あるかについては基本権の担い手の自己理解が考慮されることを述べたう えで,④以上の基本権は公勤務の被用者も主張することができるとする
(Rn. 38f.)。
2003年,2015年,2016年の申立人はいずれも教育従事者であった。教師 の授業中のスカーフ着用は,公務中にあたるので基本権が妥当するか否か どうかが問題となる。2003年の多数意見では,教師の授業中のスカーフ着 用は公務中にあたり,基本権が当然妥当するとした。本人がスカーフ着用 に対して,宗教的拘束であると理解していることだけではなく,宗教的共 同体の自己理解も考慮の対象となった41)。これに対して,2003年の少数意 見では,公務員は自由な意思決定によって公務員となったのであり,基本 権の自由保障効果を援用することはできないとした42)。
2015年判決においては,公立学校の教師の基本権享有主体性は肯定さ れ,自己の信仰の教義に合わせて,信仰に伴われて生活する権利が含まれ るとする43)。そして,基本法 ₄ 条の保護領域に入ることがもっともである
41) BVerfGE 108, 282 (298f.).
42) BVerfGE 108, 282 (315f.).
43) BVerfGE 138, 296 (328f.).
かを十分な裏付けをもって説明しているかは,国家機関が審査できるとさ れた。
2016年判決においては,旧KitaG 7条 ₆ 項 ₁ 文による保育園での勤務中 のスカーフ着用は,異議申立人にとって義務的なものとして感じられる宗 教上の被服戒律であることを考慮すれば,信仰・告白の基本権の重大な侵 害を意味するとされた。
以上のように, ₄ 条の保護領域については,従来の教育従事者に関する 判断と,今回の司法修習生に関する判断との間に相違はない。
本件決定では,これに加え,申立人の個人的アイデンティティーおよび 申立人の職業の自由に抵触する可能性についても言及されている(Vgl.
Rn. 40)。本件決定においては,この可能性は指摘にとどまり十分には展 開されていないが,2016年決定においては同様の指摘が,自己の信仰理解 に基づく行動であるである点においてなされている44)ことから,基本権主 体の自己理解の問題と密接に結びつくように思われる。スカーフ論争が宗 教の自由に焦点が当てられることで,他の基本権を侵害する恐れを軽視す ることはできない。裁判官は職業であり,スカーフ着用禁止が職業参入に 対する障壁として持ちうる効果を考えることも必要である。そして,その 効果はスカーフ禁止の侵害の強度を表すものでもあると考えることができ る45)。
2 .手続参加者の消極的信仰の自由
本決定の中では,仮命令が下されたが憲法異議は不首尾に終わる場合,
すなわち国側の不利益を衡量する際に, ₂ つの根拠をあげて検討してい る。ひとつは,司法の中立性義務,もうひとつは,裁判手続参加者の消極 的信教および信仰告白の自由の保障である。ここでは,後者について,一 瞥する。
44) BVerfG, 1 BvR 354/11, Rn. 60.
45) M. Payandeh, (Fn. 11), S. 482ff.
判決では,消極的信仰の自由が基本法 ₄ 条 ₁ 項および ₂ 項の保護領域に 妥当するとした上で,次のように述べる。
たしかに,個人は異なる信仰上の確信が認められている社会におい ては,その個人が相容れない信仰表明(Glaubensbekundungen),礼 拝行為そして宗教シンボルに対峙することを避け続ける権利を持つも のではない。……しかし,個人が回避できない形で特定の信仰の影響 力,特定の信仰が明らかに現れる行為,そして信仰が示されるシンボ ルにさらされるような状況が国家によって作り出される場合には,別 である。その宗教的あるいは世界観的な確信を明確な形で外部に対し て示す国家を代表する者の関与の下で争訟を行うことを,当事者にと って回避できない形で強制される場合に,訴訟当事者がその基本法 ₄ 条 ₁ 項の基本権を侵害されたと感じるとすれば,そのことはもっとも なことである。不可侵なものとして保障される信仰の自由および信仰 告白の自由という基本権は ─本裁判所がたびたび強調するよう に─,基本権体系の中で最高の価値である人間の尊厳と密接に関連 し,そしてそれゆえその位置から広範に解釈されなければならない
(Vgl. Rn. 52f.)。
これは,これまでの判決(キリスト磔刑像判決・2015年判決)を踏襲し ている。しかし,これに対しては,次のように批判できる。消極的信仰の 自由の侵害が重大なものとみなされうるのは,宗教的シンボルによって当 事者にそこに存在する教義の意味において影響を与える,それどころか強 い影響力をもって教化するという現実の危険が存在する場合だけである。
裁判の審理の時間的な短さからいっても,多数の者が刑事の口頭弁論を担 当していることからみても,このような可能性は排除されるのではないだ ろうか。
3 .当 事 者
(1) 教 師
教師の立場について,二つの対立する見解が主張されている。ランゲン フェルドによれば,学校領域においては,宗教的中立性の要請は教師に向 けられ,教師には公務員として中立性が求められる。教師は基本法 ₇ 条 ₁ 項における国家の養育委託を履行するために任用され,その限りにおいて 教師の基本権は制限される。このような見解の背景には,国家の中立性と 公務員の義務の同一視がある。国家は特定の信仰との同一視を禁止する。
教師は国家を代表するものであるので,その教師がスカーフを着用するこ とは,同一視をしているものであるため許されない46)。一方,そもそも教 師を国家の代表であるととらえていないのが,ベッケンフェルデである。
彼によれば,教師は裁判官のように国民を代表するものではない。それゆ え,スカーフの着用は教師が個人で行っている行為であり,生徒や親の消 極的信教の自由は侵害されていない47)。
このような学説上の対立が反映されているのが,2015年判決である。多 数意見においては,生徒の消極的信仰の自由に関して,一般的な就学義務 のもとでは,授業中生徒は,回避できない形で,国家によって雇用された イスラム・スカーフを着用した教師の下にあるとした。しかし,スカーフ 着用と結びついたメッセージが,国家によるものか,個人のものであるか は判断できず,メッセージが国家によって意図されたものとして帰責する わけではないとした48)。これに対して,少数意見によれば,教師には,学 校における生徒との交わりの中で模範的な役割がある。学校教育が単なる 知識能力の発展に寄与するだけではない,情緒の涵養も担っている49)。そ して,教師による宗教的衣服の着用は,生徒内あるいは両親間の対立を助
46) Vgl. Christine Langenfeld, Fängt der Streit um das Kopftuch jetzt erst an? Zev- KR 60 (2015), S. 420 (423).
47) Vgl. E. -W. Böckenförde, (Fn. 20), S. 723ff.
48) BVerfGE 138, 296 (336).
49) 同様の指摘をC. Langenfeld, (Fn. 46), S. 425f.
長する50)。
(2) 保 育 者
保育者のイスラム・スカーフ着用が基本法 ₄ 条 ₁ 項・ ₂ 項の信仰・告白 の自由の保護領域に含まれるか,また保育園での勤務中のスカーフ着用の 禁止が,この信仰・告白の自由に対する侵害となるかについては,2016年 決定はとくに保育者という者の特性を考慮することなく,2003年判決・
2015年判決等を引いて,これを認めている51)。そして,このような信仰・
告白の自由に対抗する憲法上の法益として,国家の中立性と並んで,2003 年判決・2015年判決をひいて親の教育権( ₆ 条 ₂ 項)と消極的な信教の自 由( ₄ 条 ₁ 項)をあげている52)。保育園の子どもたちの消極的な信仰・告 白の自由については,本決定は,保育園が学校と異なり,代替的な保育が 存在し,就学義務がないため,子どもたちが回避できない形で,宗教的シ ンボルに対面しなければならないという状況は存在しないとしている53)。
(3) 司法修習生
本件決定によれば,国家の宗教的中立性の要請(Rn. 47)は,司法領域 についても妥当する(Rn. 48)。これは,第三者による中立的な職務遂行 が,裁判・司法の本質的なメルクマールであるとともに,訴訟当事者が独 立で中立な第三者である裁判官による裁判をうけることが「法律上の裁判 官の裁判を受ける権利」(基本法101条 ₁ 項 ₂ 文)と法治国家原則から導か れる要請であるからである(Rn. 49)。そして,修習生も,国家権力の代 表として行動しそのようものとして認識される場合には,国家の中立性命 令を考慮しなければならない(Rn. 50)。したがって,司法修習生によっ て宗教または世界観に関連したものが持ち込まれることは,司法と公行政 という中立に果たすべき国家任務を侵害する可能性がある(Rn. 51)。
たしかに,裁判官は,他の公務員に比して宗教的中立が強く要請され
50) BVerfGE 138, 296, (302f.).
51) BVerfG, ─ 1 BvR 354/11 ─, Rn. 57ff.
52) BVerfG, ─ 1 BvR 354/11 ─, Rn. 61.
53) BVerfG, ─ 1 BvR 354/11 ─, Rn. 64.
る54)。たとえば,法衣の着用は,裁判官を脱個人化することに役立つ。す なわち,法衣着用義務は,法衣を着た裁判官が一個人ではなく,国家の代 表者としての役割を担っていることの表れとも見られる。スカーフは,法 が適用される者に裁判所の判決が外部から影響を受け,独立していないと いう印象を与える可能性があり,これは司法修習生にも当てはまる。した がって,司法修習生も中立性義務を遵守しなければならない。一方で,ス カーフが示しているのは,宗教的文化的集団に属していることであり,法 的な裁判行為の枠中で公正および法的拘束を優先して個人の宗教的確信を 抑制することができないとか,またする意思がないことを示しているので はない。すなわち,スカーフは,スカーフを着用している裁判官が公正な 判決を書く能力がないことを明白に示すものあるいはその証しとはいえな い55)。
なお,裁判官と比較して,司法修習生に対して宗教的中立が要請される のは,時間的にも物理的にも限定的である56)。それゆえ,たとえ基本権の 侵害があったとしても,その侵害はより制限的なものであるため,不利益 は少ないと判断している(Vgl. Rn. 42f.)。
以上のように,対象による中立性要請の相違について検討すると,司法 の領域において強い中立性義務が要請されることには疑問の余地がない。
それは,教育領域に求められる中立性の要請よりも強度のものであること が確認できる。しかし,司法修習生と裁判官を一律に考えることは,少々 乱暴であろう。司法修習生は,職業訓練の課程であり,職業選択と密接に 結びつく。最終的に,裁判官になるかどうかはわからない段階であるにも かかわらず,裁判官と同程度の中立性を求めることは,職業選択を狭める ことになるのではないだろうか。
54) NJW, 2017, S. 2333, (2336f.).
55) Vgl. M. Payandeh, (Fn. 11), S. 486f.
56) NJW, 2017, S. 2333, (2337).
4 .法律の留保
今回の一連の措置の根拠となったのはヘッセン州公務員法45条と結びつ いたヘッセン州司法修習法(JAG)27条第 ₁ 項 ₂ 文である。ヘッセン州司 法修習法27条第 ₁ 項 ₂ 文は,「また,司法修習生には,ヘッセン州公務員 法47条および80条ならびにヘッセン州棒給法 ₃ 条を例外として,公務員に ついて……妥当する規定が準用される。」として司法修習生に対して公務 員に関する法律が準用されている。そして,ヘッセン州公務員法45条によ れば,「公務員は政治的,理念的,宗教的に中立的に行動しなければなら ない。特に,公務員は政治的,宗教的,イデオロギー的平和を危険にさら したり,政治的,宗教的,イデオロギー的平和を危険にさらす可能性のあ る衣服,象徴その他の物を着用したり,使用したりしてはならない。……
キリスト教と人道主義によって強く特徴付けられたヘッセン州のヨーロッ パ的伝統を適切に考慮しなければならない」。このような形で公務員の宗 教的中立性の要請が司法修習生にも妥当する。
フランクフルト行政裁判所は,司法修習の際にスカーフを禁止すること に関して十分な法的根拠が欠けているとしたが,ヘッセン州行政裁判所は 司法修習生に対するこのようなスカーフ禁止の命令に対しては,十分な法 的根拠が与えられているとして,この決定を破棄した。これによれば,司 法修習法による委任の適法性についはいかなる憲法上の疑義も存在せず,
ヘッセン州公務員法45条もまた司法修習生に妥当するという立法者の意思 は,疑いなく明白である(Rn. 10f.)。
またヘッセン州国事裁判所は,ヘッセン憲法上の国家の中立性という要 請を踏まえて公務員法・司法修習法を憲法適合的に解釈すれば異議申立人 はスカーフ着用が禁止されることは十分明確であるとした(Rn. 12f.)。
これに対して,異議申立人は,法律上の根拠が欠けているとして,次の ように反論する。すなわち,司法修習法は,公務員法への一般的な委任と いう性格(dynamischen Charakters der Verweisung)が欠けているので,
基本法12条 ₁ 項 ₂ 文による法律の留保の要請を満たさない。また,そもそ もヘッセン州公務員法に含まれているキリスト教的,人道主義的伝統の優
位は,基本法 ₃ 条 ₃ 項において定められた,宗教的理由から不利益を課し または優位に取り扱うことの禁止と一致しない。したがって公務員法は,
憲法適合的解釈または基本権適合解釈に適さない(Rn. 20)。
このように,本件においては,法律上の法的根拠の有無の問題は非常に 重要であるように思われるが,本決定では,これについては何も判断を下 してはいない。この理由を,教師と司法修習生という当事者の違いに求め ることはできない。なぜなら,裁判官には,他の公務員に比して強い中立 性義務が要請されるという理由から,司法修習生にもこれが要求されるの であれば,その中立性義務の強度に対応する形で法律の留保,すなわち,
人権制約が明確な形で法律によって規定されているか否かが重要な問題と なり,少なくとも法律上明文で規律されていることが必要となる57)。いず れにせよ,本件が仮命令の事案であるゆえに,当該措置の憲法違反に関し て主張される理由は原則として問題とならなかったことが考えられる。し たがって本案では,憲法異議が認められるか否かの重要な争点となると思 われる。
5 .中立性原則
連邦憲法裁判所によれば,国家の宗教的・世界観的中立性は,基本法 ₄ 条 ₁ 項, ₃ 条 ₃ 項,33条 ₃ 項,ワイマール憲法136条 ₁ 項, ₄ 項および137 条 ₁ 項と結びついた基本法140条から導出される客観的法規範である58)。 この考えはおおむね受入れられてきたが,中立性の具体的内容に関して議 論が盛んに行われたのは「キリスト磔刑像」決定59)である。
一連のスカーフ判決における宗教的中立性は,「キリスト磔刑像」決定 よりその内容が具体的に規定されている。すなわち,スカーフ判決におけ る宗教的中立性は,国家と宗教の厳格な分離ではなく,すべての宗教を等
57) Vgl. NVwZ 2017, S. 1128, (1133).
58) BVerfGE 19, 206 (216).
59) BVerfGE 93,1 (15ff.).
しく促進し,開かれた,包括的なものとして理解される60)。そして,2003 年判決において,連邦憲法裁判所第 ₂ 法廷は,教育領域における国家の中 立性義務を将来的により強度に求める解釈を展開し,その中立性義務に対 する規律を立法裁量とした61)。しかし,2015年判決では少数意見にあるよ うに,連邦憲法裁判所第 ₁ 法廷は,2003年判決と比べ,立法者の形成余地 を縮減する判断を行ったため,第 ₂ 法廷で判断した先例から逸脱するよう にも見て取れる62)。
フォルクマンによれば,中立性の概念は,社会と教会の関係の変化とと もに変遷する。社会の大部分が宗教と同質であった時代とは異なり,今日 では教会は必要不可欠な社会的基盤であるとは認識されていない。このこ とを理由とし,2003年判決では,最終的には立法者に判断を委ねた。しか し,2015年判決では,立法裁量を縮減する判断を行った。したがって,最 終的には,さまざまな基本権上および憲法上の地位の利益衡量の問題であ ると考えられる63)。
そこで,中立性原則とスカーフ判決との関係について検討する。ランゲ ンフェルドによれば,中立性原則の存在によって,国家が特定の宗教と同 一視されることを許していないことは確定している。問題は教師による宗 教的シンボルまたは服装の着用が,いつ許されなければならないのか,ま たはいつ許してかまわないのかであるが,これについては,2015年判決に おいて言及されていない。そして,教師が非常に個人的な宗教的動機から スカーフを着用していることが明らかであるので,「キリスト磔刑像」決 定を参照しながら,特定の宗教と国家との同一視に対する効果としては,
60) BVerfGE 108, 282 (300).
61) BVerfGE 108, 282 (309f.).
62) Vgl. Hans Michael Heinig, www.verfassungsblog.de/kurswechsel-in-der- kopftuchfrage-nachvollziehbar-abermit-negativen-folgewirkungen/; Christoph Möllers, www.verfassungsblog.de/tale-of-two-courts/(最終アクセス2019年 ₄ 月 30日)
63) Vgl. Uwe Volkmann, Dimensionen des Kopftuchstreits, Jura 2015, S. 1083, (1087).
深刻な問題にはならない。このことは,連邦憲法裁判所も,次のように述 べている。個々の教師がスカーフを着用することは─国家が責任を負う 教室における十字架または磔刑像とは異なり─国家の特定の信仰との同 一化とは結びついていない64)。中立性の侵害はさらなる事情が加えられた 場合にのみ考慮される。たとえばここで,イスラム教の授業を宗教的動機 から行うことは中立性原則に反することであるとしている65)。
次に,スカーフを着用している教師と中立性原則の関係を整理する必要 がある。
まずは,教師の立場について検討する。教師は教育目的に拘束される が,外見よりもその教師の見解が問題になる。教師が授業で宗教的な発言 をしているのであれば,教育目的を逸脱する恐れがあり問題となるが,単 にスカーフを着用しているからといって,教育目的を逸脱しているとまで は言えない。また,一方で,教師を公務員としてとらえるか,それとも教 師を私人としてとらえるかによる違いから,生徒を位置づけることはでき ない。換言すれば,スカーフのシンボル的意味は,教師の観点からのみ で,再構築されることが許されない。そして,このことは2003年判決とは 異なり,2015年判決では十分に考慮されていないと,ランゲンフェルドは 子どもにスカーフの影響を与える可能性があるという立場から指摘する。
すなわち,スカーフ着用は生徒にも影響があり,これを現実的に考えなく てはならないとする66)。たとえば,教師と生徒の間は,権威的関係であり 特別な関係である。特により幼い子どもには,スカーフ着用の影響をより 強く与える可能性がある。
一方,スカーフ着用の影響を積極的に評価する立場からすると,スカー フ着用している女教師を,学業を修め,教師として働くロールモデルとし て考えることができる。そのことは,イスラム教徒の女子学生に,学業を 通じた社会的地位の向上が望ましいこと,およびそれが達成可能であると
64) BVerfGE 138, 296 (340f.).
65) C. Langenfeld, (Fn. 46), S. 423f.
66) Ebd.
いうメッセージを与えることも可能である67)。
次に,スカーフの着用という行為は,中立性に対する具体的な危険まで 及ぶのか検討する。ここでの中立性は,学校行政による適切な禁止によっ て維持されていかなくてはならないとされるものを指す。ザックゾッフス キーは,国家の中立性に対する抽象的な危険と具体的な危険の違いは,単 にスカーフを着用しただけでは,簡単には想像できないとし,おそらく具 体的に中立性の危険が考えられるのは,学校でスカーフを着用した教師の みが雇用され,それゆえにスカーフ着用が国家的に予定されていたとされ る場合だろうとする68)。そして,抽象的な危険および具体的な危険によっ て崩壊すると唯一考えられるのは,学校の平穏である。スカーフの着用が 対立を先鋭化させることによって,学校の平穏が脅かされることが考えら れ,このことは,連邦憲法裁判所も想定している。
ただし,この学校の平穏は,そもそも憲法利益であるのかという疑問が 残る69)。学校の平穏は,基本法 ₇ 条 ₁ 項の国家の養育委託を介して享受さ れる憲法利益である70)。判決では,立法者が主張する利益として,学校の 平穏と国家の中立性の保持が並置され,学校の平穏を保持することで,国 家の養育委託を保護し,生徒および両親の対抗する基本権を保護すること によって,公立学校における対立をはじめから防ぐとされている71)。
67) Vgl. Lothar Häberle, Vor einer »Kopftuch III« -Entscheidung des Bundesverfas- sungsgerichts, DVBl 2018, S. 1263, (1264).
68) Vgl. Ute Sacksofsky, Kopftuch als Gefahr- ein dogmatischer Irrweg, DVBl.
2015, S. 806.
69) Vgl. Guy Beaucamp, Öffentliches Beten als Gefährdung des Schulfriedens?
LKV 2013, S. 537ff.こ の 論 文 で は,2011年11月30日 の 連 邦 行 政 裁 判 所 判 決
(BVerwGE 141, 243ff.)を素材にし,公立学校での祈りに関して,基本法 ₄ 条
₁ 項および ₂ 項の信仰の自由の保護領域の検討から始まり,それが学校現場に おいてどのように保障されるのか,ベルリンの教育法に触れながら論じられて いる。連邦行政裁判所によって構築された学校の平穏の憲法内在的制約は,基 本法 ₇ 条 ₁ 項に十分な根拠がないとする。
70) U. Sacksofsky, (Fn. 68), S. 806.
71) BVerfGE 138, 296 (334).